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「す」


1999年鑑賞作品

スウィーニー・トッドSWEENEY TODD
1997年 92分 アメリカ カラー
監督:ジョン・シュレシンジャー 脚本:ピーター・バックマン
撮影:マーティン・ファラー 音楽:リチャード・ロドニー・ベネット
出演:ベン・キングスレー/ジョアンナ・ラムリー/キャンベル・スコット/セリーナ・ボヤック/デイヴィッド・ウィルモット/ジョン・カバーナー/ピーター・ウッドソープ


1999/8/8/日 劇場(シネマスクエアとうきゅう)
当初の予定通り、ティム・バートンが監督していたらなあ、と思わずにはいられない。なんだってこうも退屈な出来になっちゃったんだろう?私はこのイギリスに実在したという殺人鬼、スウィーニー・トッドを知らなかったけれども、こうした人物を映画化する以上、やはりある種のセンセーショナルさで楽しませてくれなければ意味がないんではなかろうか。何かこれじゃあまるっきり、歴史上の人物の伝記映画とか、そんな調子なんだもの……。スウィーニーが剃刀で客の喉を掻き切るとか、血だらけの人間の骨と肉を叩き潰すとかいった描写は出てくるんだけれど、まるでわざと怖くしないようにしてるのではと思える程、突き放して撮っている。……観客の予想を裏切ったという点では成功しているのかもしれないが、ただたんに、シュレシンジャー監督、年とっちゃったんじゃないの?と皮肉の一つも言いたくなる。

18世紀末ロンドンのフリート街に店を構えていた理髪師、スウィーニー・トッド(ベン・キングスレー)が、裕福な客が来ると喉を掻き切って金品を奪い、その遺体はミンチにされミートパイとして売られていた、という実話(ということになっている)。そのお客の一人に宝石商がいて、彼にオーダーしたダイヤモンドを預けていたアメリカ人青年ベン(キャンベル・スコット)がその宝石商の行方を追ううちに、スウィーニーの秘密が暴かれていく、という展開だ。もう最初からスウィーニーの物語が全世界的に知られているという前提のもとに作っているから、“実は客の遺体はミートパイに!”なーんていう、驚愕の事実をサスペンス風に供出するということもない。ならば別の部分で観客を楽しませなければならないのだけど、この監督にその意識はどうやらないらしい。

スウィーニーが後見人となっている戦友の娘がこのベンの恋人で、スウィーニーは彼女をそれは大切にしているという設定なのだけど、そう、ことさらに“設定”と言いたくなるほど、それが口先で語られるにすぎないのだ。こんな魅力的な設定を設けるなら当然、彼女を偏愛しているスウィーニーの常軌を逸した感情や行動を期待するのに、それが全くないのだもの……それならそんな設定にするなよ、と言いたくなる。かといってスウィーニーは相棒で共犯者であるパイ屋のラベット夫人を愛しているわけでもない。

戦争でのトラウマがちらっと語られるから、殺人に対するカタルシスにとりつかれているかと思いきやそういうわけでもない。裕福な客の金品を奪うための殺人ということで、金の亡者かと思えばそんな雰囲気も見当たらない。愛に関しても殺人に関しても事ほどさようにスウィーニーの考えていることは全く見えてこない。それが彼の仕事だとでも言うように客を殺し、肉を卸す……と言ってしまえばその非日常な日常が恐ろしく感じられそうなものだけれどそれもないんだよなあ……。いったい、監督はどういう風にスウィーニーを見せたいと思ったのか、さっぱり判らない。あるいは演じるベン・キングスレーもどうやって彼のキャラを捕まえていたのだろう。感じとしてはややユーモラスでキッチュな理髪店主、というおもむきだが、それが魅力的に昇華されることはないのだよなあ……。

映像の色合いは思いっきり暗めのトーンで、この時代の雰囲気も満点、蝋人形の中に隠される血だらけの死体なんか、スプラッタの美学が満ち溢れているだけに残念至極。退屈さに加えて画面が暗いのが手伝って、眠くなっちゃったくらい。あああ、言ってもせんないことだけど、本当に、ティム・バートンが手がけていたらなあ!★★☆☆☆


SCORE2 THE BIG FIGHT
1997年 85分 日本 カラー
監督:小沢仁志 脚本:小沢仁志
撮影:佐光朗 音楽:トルステン・ラッシュ
出演:小沢仁志 中村綾 水上竜士 江原修 小沢和義 宮坂ひろし 宇梶剛士 殺陣剛太 橋本さとし 山下真広

1999/11/5/金 劇場(シネマミラノ)
小沢仁志監督の第三作めであった(本作は二作め)「くノ一忍法帖 柳生外伝」(珍作!)を観に行った去年、舞台挨拶に来ていた小沢監督が、この「SCORE2 THE BIG FIGHT」のことを質問され、プロデューサーである奥山和由氏の例の騒動でお蔵入りになりそうだと危惧していたけれど、それから1年半、製作してからはたっぷり二年、ようやく、本当にようやくの公開。2とは言うものの、いわゆるSCORE軍団と呼ばれる前作からの同胞が終結しているという点だけで、監督も違うし、いわゆる続編ではない。しかし、やはりSCORE軍団によるSCOREテイスト!その前作「SCORE」は、ノーミソ沸騰状態の痛快作だったけれど、タランティーノのパクリと言われれば確かに返す言葉のなかったのに比して、ストーリーの複雑さや、キャストの個性のツボの生かし方など様々な点で本作に軍配をあげたい。更にここが肝心、「SCORE」ではただジャマでしかなかった紅一点の扱い方が、本作ではメチャカッコいい上に、最後まで生き残るのが彼女という嬉しさ。「凶犯」の情婦とはまた違った、しかしタフさでは共通している中村綾、ちょっといい女が出てきた。

そう、冒頭に英語で“最後に笑うものが、最もよく笑う”とクレジットで出てきて、宣伝コピーもそれ。だから、それが誰なのか、特に後半になってくるとあらゆる人が笑いだし、ここで終わりかと思いきやその人を倒してまた別の人が笑う、といった具合で、誰だ、一体誰なんだ、最後まで生き残り、5億の金を手にし、大笑いするのは?とじりじり。でも妥当な線で、キレてはいるものの何たって監督、主演の小沢仁志だと思っていたら、彼は最後から三番目に倒れ、その金を奪った悪徳刑事の宇梶さんを中村綾がぶち撃って、ついでにアタッシュケースに仕掛けた爆弾を瀕死の小沢さんがスイッチ!紙幣が雪のごとく降ってくるラストで笑っているのは中村綾!あー、びっくり。

あっと、なんで5億もの金があるのかというと、その前年に銀行強盗によって奪った金ということで、それが、一時的に隠された跡に遊園地が建っちゃったと。そしてそこが改装工事に入る前夜の7時間、いわくありげな6人のエキスパート、黒づくめの男女が金の回収に忍び込む。それぞれをジャック(小沢仁志)、スペード(小沢和義)、ダイヤ(宮坂ひろし)、キング(殺陣剛太)、クラブ(江原修)、クイーン(中村綾)と呼び合って。その前に死んでしまっているキャッシュ(橋本さとし)だの、パンク(山下真広)だのがいて、その名前のクササにはかなり……なのだけど、彼らの演技のテンションというか、しぐさがそれにあわせてめちゃめちゃキてるんで、こっちがその世界に入り込むしかないわけで。もうこれはクサヤの干物状態ですな。ハマッちゃえば、快感。だって実際、小沢さんてこういう人なんだもんなあ。まんま素、つくってないんじゃないだろうか。アニキイ、だもの、何たって。

「THE GROUND 地雷撤去隊」では荒くれ者を演じていた江原修がコンピュータ担当の繊細な青年(=クラブ)に扮していてちょいとびっくり。しかもハマッている。中村綾演じるクイーンに坊や、と呼ばれるほど(彼女は彼に密かに惚れてるってことはミエミエなんだけど)いつもびくびくとしているんだけど、逆に言えば彼が一番的確に裏切りを察知していたともいえる。「もう坊やって呼ぶな」とクイーンを押し出して死地に残るクラブ、カッコいいぞ!しかし彼がアキレス腱切りをされる描写には参った……ぱっくりと開いた傷口から吹き出る血……ひええ、やめてくれえ。

度の入っていないとおぼしき縁なし眼鏡がきらりと光るのがクールなスペード役の小沢和義。リーダーである彼は、実はすべての元凶である黒幕。そして今回最も笑わせていただきました、橘刑事役の水上竜士!「くノ一忍法帖」でも白塗りのバカお公家がキていた彼だが、今回の“バカは死んでも治らない”というか、“バカはなかなか死なない”というみょーなタフぶり。「うわははは、ぶわーか」と笑った後に爆弾で吹っ飛ばされるも、防弾チョッキのおかげで死なず、しかし相棒の阿南刑事(宇梶剛士)に「背中に何か刺さってるぞ」と鉄片を引き抜かれて、おやあ、みたいな顔するあたりとか、もう最高!

とまあ、キャラ的にもつわものぞろいで言い尽くせないんだけど、なんたって“SCORE”だから。そのアクションと銃撃戦と爆発に関しちゃ、あんたやりすぎだよ、と言う凄さ。「SCORE」も凄まじかったが、本作は更に凄まじい。何たってクライマックスに本当に観覧車をぶっ倒し、その下を走り抜けるっつーんだから(一発勝負!)、(アクション)映画バカっていうのは、あんたのことだよ、小沢アニキ!しかも、そこをアニキとともに走り抜けるのは紅一点の中村綾。やるー!。水上さんはマジで火だるまになっちゃうし(かなりギリギリまで撮ってる……おーい、大丈夫か!?)、ほんとに死ぬよ……こんなに映画に命はってるのはジャッキーとあんたらくらいだ!

あんだけガンガン撃たれまくり、爆発でふっとばされまくっても、なかなか死なないジャックの小沢アニイ。いざ死ぬ時も10数発の弾丸を受けてスローモーションのごとくにタメにタメて壮絶にぶっ倒れるのだから、このあたりもクサヤ状態全開!しかも、実はまだ完全には?死んでおらず、その後に瀕死の状態で前述の爆薬スイッチを押し、最後の台詞(忘れた(笑))を言うところまで完璧のクササだ。

そして音楽は盟友、トルステン・ラッシュ。これがまた相変わらずカッコよく、このクサさをカッコよさに転化しているのは音楽の力が大きいかもしれない。クライマックスのドンパチとドカーンの連続に至るまでにはかなりスリリングに静的な抑えを効かせていたし、やるぜ、小沢アニキ!いい意味でも悪い意味でも自分の世界に閉じこもりがちな日本の映画作家達の中において、希少な熱血エンタテインメント監督だ!★★★★☆


スネーク・アイズSNAKE EYES
199年 99分 アメリカ カラー
監督:ブライアン・デ・パルマ 脚本:デビッド・コープ
撮影:スティーブン・H.ブルーム 音楽:坂本龍一
出演:ニコラス・ケイジ/ゲイリー・シニーズ/ジョン・ハード/カーラ・グジーノ/スタン・ショウ

1999/8/31/火 ビデオ(ブエナ・ビスタ)
オープニングの“13分間ノーカット”が映画史上初(チラシ文句)と断言するのはどこから来たんだろう……。13分はなかったかもしれないけど、「不夜城」もやっぱりオープニングでかなりの長まわしをしていて、これも負けず劣らずスリリングだったんだよね。ま、そんな些末なことにケチをつけても仕方なんだけど、この映画の宣伝方向(といってもチラシしか手元にないけど)、なんか今一つピントがずれている気がしたもんだから。後述するけれど、最後の謎解きとかさ。

何度も何度も、執拗に同じシーンを違う角度から、あるいは違う人物の視点から描いて、次々と観客の頭の中の固まりかけた回答を崩し、混乱させるという展開は、あ、これって、まるで「羅生門」(「薮の中」)みたいだなあ、と思う。ただ、「羅生門」と正反対に、本作はそのことによって徐々に核心に迫っていくわけで。これは何度も演技させたんじゃなくて、撮影時に何台ものカメラを置いたんだろうか。なんにせよ、この見せ方は圧倒的に上手い。ただ、近眼の女の視点、つまりぼやけて見える映像までとりこんだのはやや悪ノリし過ぎのような気がするけど。正義を貫こうとして組織の陰謀を告発したこの女性、初めてみる顔。なんか「ゴースト」の頃のデミ・ムーアをほうふつとさせるようなチャーミングさ。

ちょっと前に「身代金」があったせいで、主人公の味方だと思っていた人物が実は……というキャラであるゲイリー・シニーズにはさして驚かず、またか、という気持ちを起こさせてしまうのはマズいよなあ。わりと最初の方でそれが明かされるあたりも似てるんだもの。さらに、一時的に英雄になるところまでおんなじだ。関係ないけど、ゲイリー・シニーズとニコラス・ケイジ、瞳の色が同じなのね……双方ともにどアップになってにらみ合いをする場面でそれに気づく。薄いブルーグレイの瞳は、腹の中で何考えてんだかわからない不気味さ。

ゲイリー・シニーズ演じるダン中佐が自らのかたくなな信念からくる行為から間違いを起こすのと全く正反対に、“市長になる”だの“テレビに出る”なんてことばかり考えているニコラス・ケイジ扮する軽薄な刑事はこの作品の重苦しさ(主にゲイリー・シニーズが発散している)を上手く中和している。そして陰謀を暴き、一躍ヒーローになったはいいものの、とたんにそれまでのケチな立ち回りがバラされて、あっという間に転落の一途をたどるも、あのチャーミングな女性からキスを受けて「ま、いいか、テレビには出られたもんな」とつぶやく一言で、この男のキャラクターが一発で判るあたり、上手い。

劇場では見逃していたこの作品を観るきっかけとなった、「エンドクレジット後に出てくる、支柱に埋められた赤い宝石の謎」、ミョーに思わせぶりたっぷりに最後の最後まで工夫の手の下に隠しておいて(この手の動きが妙にエロい)エンドが出る直前に出し、ごていねいに光までつけるという徹底ぶり(これもちょっとマンガチックなぐらい、やりすぎだ)。しかし私はこれが何を言いたいのかさっぱり判らず、資料を探しまくり、あれが“(ダン中佐の同胞で彼が殺した)赤毛の女がつけていた指輪の宝石”であり、“あの女の死体が支柱に埋められている(つまり人柱にされている)”ということを知る。それが一体この映画の内容と何の関係があるのか、これをミステリだとでも言うつもりなんだろうか?と思わず憮然としてしまった。でも確かに一見平和な街になったように見えながら、悪はしっかり隠蔽されつつ残っている、という暗喩なのかもしれない……。

この謎解きを宣伝してしまったせいで、この赤い宝石のことばかりが気になってしまって、作品自体の面白さを忘れそうになってしまうのは困りものなんだけど……あ、それって私だけだろうか?★★★☆☆


スパイシー・ラブスープ愛情麻辣湯/SPICY LOVESOUP
1998年 109分 中国 カラー
監督:チャン・ヤン 脚本:チャン・ヤン
撮影:チャン・チエン 音楽:チア・ミンシュー
出演:リュイ・リーピン/プー・ツンシン/シュイ・ファン/シャオ・ピン

1999/11/19/金 劇場(シネスイッチ銀座)
(前置)原題の最後の字、“湯”の下に“火”を書く漢字がどうしても出てこない!ので、ご了承をば。

いやー、金曜日のシネスイッチなんぞ行くもんじゃないとは判っていたのに、だってさあ、仕方ないじゃないですか。これもまた「ライフ・イズ・ビューティフル」ロングランのために公開がずれにずれこんで、はっと気付いたらいつのまにか公開されており、しかももうすぐ終わっちゃうっていうんだもん!でも、コミコミの映画館ででも、時間があわなくても無理して観に来てよかった。予想外の面白さ。

一種のオムニバスのような形態を取る本作は、一組の結婚間近のカップルと、彼らが、北京の街でほんの一瞬すれ違う人々それぞれの恋愛、結婚事情を次々と綴っていく。@10代の初恋、A人生も終盤にさしかかり、あらたなパートナーを見つけようとする初老の女性、B結婚数年目で倦怠期の危機にある夫婦、C一人子供を持つも、離婚することになってしまった夫婦、D恋愛途中で模索している恋人たち、と先の結婚直前のカップルを入れて6組の、世代も事情もそれぞれ全く異なる人々のエピソードはどれも抜群に魅力的で、笑わせられ、切なくさせられる。これが劇場デビュー作である監督のチャン・ヤンは撮影時は29歳だったという。この若さであの初老の女性のエピソードをここまで描けるとは驚き。

@まさしく甘く酸っぱい初恋のエピソード。音に魅せられ、街中の音を録りまくっている少年が、ある日授業で教科書を朗読する少女の声にハマッてしまう。それが恋へと変わっていくのだが、いや、恋が先にあって、彼女の声にハマッたのかもしれないけど。まあとにかく、彼は彼女の声を盗み録りしまくって街の音と合わせて編集した告白テープをつくる。このテープがイイのだ!それを受け取って聞いている彼女もかなりまんざらじゃない顔をしているのに、彼女の母親がそのテープを見つけて聞いてしまったことから、学校に連絡が入り、彼は生徒指導に呼び出されるハメになってしまう……。初恋の、一生懸命が行き過ぎてどこか滑稽になってしまう切ない可笑しさがたまらない。“音”“声”というアイテムが魅力。それになんたって、なんたって、少女がか、か、カワイイー!私までハマッてしまったじゃないか。こら!

Aテレビで人生後半の伴侶探しをする初老の女性のお話。一人に決められない彼女のために、娘が知恵を絞って最終候補の三人の男性を招く。エレベーターで、そして部屋で三人顔を合わせて妙な顔をする男性陣と、娘の意図が判らずまごまごする女性。この奇妙な空気がたまらなくオカシイ!娘は彼らにマージャンをすすめて買い物へと出て行く。関係ないけど麻雀牌が妙に大きいのが気になったりして。この、マージャンをすることによって、三人それぞれの(そして三人にとっては彼女の)人格、個性が表われてくるといったしくみで、このエピソードは秀逸!一人はそれこそマージャン好き、料理好きの押しの強い男性で、一人は社交ダンスのインストラクターだという陽気な健康マン、もう一人は編集者だという、本好きでアコーディオンの腕前なんかを披露しちゃう芸術家肌でおとなしめの男性。それぞれがとてもチャーミングで、(私の好みとしては編集者だな)彼女、誰に決めるのかなあ、と思っていたら、その後出会った書道の先生とむすばれるという肩すかし。でもそれでいいのだ。この男性三人、ここですっかり意気投合し「新しい友達ができた」と喜んでいた。多分彼らが応募したのは、親しい人が一人、また一人とへっていく年代において、心から信頼しあえる知己を欲しかった、そういう事なんだと思うから。多分彼女にとってもこの三人は、伴侶になった男性とはまた別にかけがえのない友達になったのだろうし。こういうの、凄く素敵!この女性、劇中でも言われているけど、とても上品で気品があって、少々豊満なところもまたギスギスしてなくて年相応な感じがとてもいい。

Bこのエピソードがなんたって一番好きだ!結婚する前、あるいは直後はラブラブだったはずの夫婦が次第に「家に帰ったら飯食ってテレビ見て寝るだけ」の生活になってしまう。妻の誕生日、半ばヤケクソ気味にラジコンカーを夫に所望した妻が、それで遊ぶことをも強要し、夫婦してすっかりオモチャの魔力にハマッてしまうのだ。いやあ、思いもしなかった展開!朝はキャラクターものの目覚し時計が鳴り響き、家事はゲームで負けた方が担当、結婚記念日にはアメリカ〜ンな操り人形?を夫が買ってきて、それを使って会話をしているうちにラブラブモードになって子づくりに励む(笑)。しかし、ガチャガチャカンフーゲームで(二人ともトレーニング姿でやるのがオカシイ)本当なんだかどうだか夫の浮気がバレたことで怒った妻が出ていってしまう。しかし戻ってきた妻の行動が最高にオカシイ!浴室に“女更衣室”と貼り、なぜか水着姿で出てきた彼女は部屋にテントを張って窓際で日光浴!?しかしそれはどうやら夫婦のよき日の思い出の再現だったらしいのだ……夫もまた水着姿になり、なんだかんだとモメつつも、元のさやに納まり、妊娠も発覚。このオモチャがね、いわゆるコンピューターゲームというものが何一つない、ほんとうにあのガチャガチャしたオモチャだというのがチャーミングなのだよなー。カラフルでヴィヴィットなオモチャが夫婦円満の秘訣とはメチャキュート!とにかく全編笑いっぱなし!

C離婚しそうになる両親を繋ぎ止めるために奮闘する少年がいとしくて可哀想でたまらないエピソード。これが一番題名に叶っている(ま、スープじゃないけど)。道端で占いをしているオバサンからこれを料理に入れて食べさせてごらん、とアヤしげな黄土色の粉を渡され、少年は一人奮闘して料理を作り(妙に本格的なのがしかも何品も出来上がってしまうのがスゴい(笑)!)その中にかの粉を入れて両親に食べさせる。……結局両親は離婚を覆すことはないのだけれど、その粉のせいなんだかどうだか、家族三人で過ごす最後の夜、二人は多分今までで一番、お互いを愛しく思うようになってしまう……。そもそも、離婚にいたる原因が何だったのか、なんてのは描かれないのだけど、きっと何かが少しずつずれていった、ただそれだけのことだと思うのだ。それが最後の日、奇跡的に重なり合った時、もともと愛しあって一緒になったはずなのを思い出し……後ろから妻を抱きすくめる夫、でもそれで取り戻せるほど大人は“大人”じゃなくて……。父親の出て行く後ろで大泣きする少年が哀しい。

Dなんか、1エピソードごとに深刻の度合いが増していく上に、このエピソードも後半ギリギリまでかなりシリアスモード入ってるからダマされるんだけど、ラストしっかりオトしてくれる爽快さ!カメラマンの男が、街角でビラくばりをしている女性に向かってシャッターを押す。ま、当然のごとく恋人同士になった二人は、しかし彼女の方に確固たる気持ちが掴みかねるものがあって、何も言わずに土地を、そして彼から離れてしまう。しかしそのことで本当に彼が好きだと気づいた彼女は戻ってきて、あやうく彼とすれ違いそうになりながらも感動の再会を果たす。「もう絶対に離れない」とまあ、ここまでは二人のモノローグにMTV風の映像とカッティングでやたらおしゃれっぽく、この前に位置するCのエピソードもシリアスだったけど、笑わすところはしっかり笑わせたのになあ、と思っていると、このオチが!翌朝、彼のマンションで目覚めた彼女が、下へ降りていき、広場の屋台で美味しそうな煮豚?を鍋いっぱいにget、部屋に戻ると全然知らない人が!?このいきなりのシュールな展開に観客もボーゼン!彼女は隣の部屋をノックしてみるが、やはり違う人。どうやら建物を間違えたらしい。違うマンションに行き、同じ部屋番号を訪ねてみるがやはり違う。また違うマンションに行き……。最後には誰もいなくなった広場の真ん中で鍋を両手に持ち、途方に暮れた彼女のまわりをカメラがグルグルと回り(笑)、見上げた周囲にはどれもこれもおんなじ様な灰色の高層マンションが林立しているという……「もう絶対に離れない」はずがこんなアホな理由で会えなくなるなんて!?しかも煮豚入った鍋持って……もう抱腹絶倒!

これらのエピソードをつないでいく結婚間近のカップルがつつくマーラータン(原題になっている料理で、ひとつの鍋に真っ赤な激辛スープと白湯スープが仕切られ、それでしゃぶしゃぶする四川料理)が冒頭真上から撮られ、それぞれのカップルにはどれもとりあえず外見は美味しそうな料理がずらりと並ぶ(あ、そういえば、@の初恋カップルだけはなかったか)。そう、とりあえず外見だけは。冒頭でこの激辛スープでお腹を壊した男性はゲリPしてしまうし、倦怠期夫婦の料理は塩がききすぎてるし、少年の作る料理は焦げてたり、しかもなんたってアヤしい粉が入ってるし。唯一本当に美味しいと推測されるのはAぐらいなもので。そう、一見上手く行っているように見える人生も、その実いろんな味わいがあって、甘すぎたり辛すぎたり、時にはマジックがかけられていたり……でもそれも上手く行かなかったり。なんたって中国四千年の複雑さを持つ料理だから、人生を重ね合わせるのはピッタリ。それも、愛憎まみえる恋愛事情に。そしてそれぞれのエピソードの本当の結末を観客に委ねるのも、各人の好みの味覚がそれぞれ違うことをあらわしているよう。笑いのセンスがとにかく優れてて(監督自身は“現代中国の普遍的な世界を描く”とか言っちゃってやけにシリアスなお方なんだが……)、いやあー、面白かった、これ最高!★★★★★


スパニッシュ・プリズナーTHE SPANISH PRISONER
1997年 105分 アメリカ カラー
監督:デビッド・マメット 脚本:デビッド・マメット
撮影:ガブリエル・ベリステイン 音楽:カーター・バーウェル
出演:キャンベル・スコット/レベッカ・ピジョン/スティーブ・マーチン/ベン・ギャザラ/フェリシティ・ハフマン/リッキー・ジェイ

1999/5/28/金 劇場(シネセゾン渋谷)
どういう意味なんだかわからないタイトルのせいか、劇場内は閑散としていた。チラシや宣伝にはちゃんとその意味がうたわれてはいるのだが、そんなものにまで目を走らせて、観る映画を決めるような暇な人はそう多くないのである。原題をそのまま邦題にし、何だろうと思わせてチラシや記事を読んでもらい、興味を持ってもらうといった宣伝計画なのかもしれないが、いくらなんでもまわりくどいのである。ま、予告編を観た人なら多少の興味を持つかもしれないが、……いや予告編も平凡な出来だったな。チラシの惹句も訳が判らない。曰く“いつもの街の見たこともない風景。振りむいた恋人は見知らぬ他人”さらに“あの日から僕は、真昼に月を探してる。”前半の惹句はともかく(と言いつつやっぱり訳判らんけど)後半の惹句は物語中にもまったくその要素をあらわさない。もしかしてモノローグのような形で出てくるのかと思ったらそれもない。一体なんなんだあ?

なんてことをなぜたらたら言うのかというと、この映画、面白いのだ。かなり、引き込ませる。その問題のタイトルの意味とはスペインの囚人詐欺のことで、古くから使われている詐欺の手口のことらしい。映画自体は主人公が巧妙にしくまれた詐欺に陥っていく話であるが、別にその手口を使っているわけではない。より複雑でより現代的。そしてあまりに静かにしんしんと(低く忍び込むような音楽もそんな感じ)展開していくので、非常に怖い。いや“本当に怖い”。それこそ「8mm」なんかより格段に怖いのである。

冒頭はカリブ海。バケーションかと思いきや、主人公のビジネスマン、ジョー・ロス(キャンベル・スコット)は自ら発明した「プロセス」と呼ばれる戦略を武器に商談に臨んでいる。彼はこの発明によって会社に利益がもたらされたあかつきには成功報酬を、と社長に何度となく談判するが、のらりくらりとかわされてしまう。そのカリブ海で一気に登場人物が出てくる。くだんの社長、クライン(ベン・ギャザラ)、物語の鍵を握る富豪ジミー・デル(スティーブ・マーチン)、新米秘書のスーザン(レベッカ・ピジョン)、友人で弁護士のジョージ・ラング(リッキー・ジェイ)といった具合である。

この謎の富豪を演じるスティーブ・マーチンが凄い。あの一級のコメディアンの彼が、こんな謎の人物にはまるなんて驚きである。いままでシリアスな役柄はちょいちょい見かけたが、ミステリアスな、というと全く話は違ってくる。そう、例えばロビン・ウィリアムズもコメディアンであり、シリアスな役もこなすけれど、ウィリアムズにこれは出来ないだろう。思えばスティーブ・マーチンは若い頃のコメディ作品……「愛しのロクサーヌ」や「二つの頭脳を持つ男」など……でかなりアクロバティックな技を披露して驚かせてくれたほど運動神経に長けていて、それを裏付けるかのような骨組みのしっかりしたスタイルの良さ。背が高く、顔もハンサムの部類である。真っ白な髪が上品でこれまた似合う。思えばこんな役がぴたりとはまる要素をもともと持っていたのだ。

NYに帰ったら妹と一緒に食事をしようというジミー・デル。どうやら美人の妹のお相手にと思っているらしい。まんざらでもなさそうなジョー。しかし訳の分からない理屈でその約束を反故にされ、しかもやたらハイソでいやみな態度を取られたジョーは単純に怒りまくる。そのあとデルは簡単に謝ってきたりして、観客はこの男の異常さにジョーが気づいてるんだかいないんだかというのほほんさにだんだんハラハラしてくる。大体が、この妹というのがいっこうに出てこない。風邪だなんだといっていつでも欠席なのである。しかも彼女に電話をかけて話しているのはデルであり、ジョーにはもちろん、観客にも彼女の声は聞こえてこない。いくらなんでもあやしいのである。

しかしジョーはハイソでリッチな人物に多少の憧れを持っているらしく……成功報酬をはずんで欲しいとしつこく思っているのが象徴的で……まったく彼を怪しまず、スイス銀行に口座を開かせたり、会員制レストランの契約書(と思わせたのが実は……!)に簡単にサインしたりしてしまう。しかしそうさせるデルの手口があまりに自然で巧妙、さすが詐欺師の面目躍如といったところでジョーは巧みに準備された小道具に次々と協力していってしまうのだ。

ようやくデルの異常さに気付いたジョーが、カリブ海で出会ったFBI捜査官、マキューンに助けを求める。実にスマートにデル逮捕へと動く捜査員たち。観てるこっちも惚れ惚れし、さっすがFBI捜査官だわあ、と感心したりする。しかし約束の場所にデルはあらわれず、しびれを切らしたジョーがマキューンに電話をすると、なんと先日は通じたはずが、不通になっている。嫌な予感が背筋を走る。デルの言う通りにしろと言われて本物を持ってきたプロセスを開くと、数式で埋まっていたはずのページが真っ白になっている!この時の恐怖ときたらない!

警察に捕まったジョーは友人の弁護士、ジョージに助けを求めるのだが、彼はすでに殺されており、その凶器はジョーのナイフだった。絶体絶命のジョー。彼は最初からデルがあやしいといっていた秘書、スーザンのもとへ身を寄せる。前から彼女はジョーに好意を持ってモーションをかけていたものだから、彼もかなりガードが甘くなっている。ここまで来ると、さすがに観客にも、あ、この女も怪しい、と判ってしまい、いささかジョーの甘さにあきれないこともないのだが、まさしく四面楚歌状態のジョーにそんな事を言うのも酷というものか。

デルが実在したという証拠を得るために、冒頭のカリブ海へと向かう二人。彼がその行動を選択することもまた巧妙に仕組まれていて、舌を巻く。しかしたった一つ誤算があった。それはカリブ海からNYへ帰るジョーにデルが妹に届けてくれと手渡した本。古く、表紙も取れかけていたことから、ジョーは古本屋で同じ版のものを見つけて取り替えたのだ。「あの本にデルの指紋がついている」空港から引き返すジョー。そこでスーザンがマキューンらと一緒にいるのを目撃し、彼女もまた一味だったことを知ってしまう。

NYへと戻る船の上で危うく殺されかけるジョーだが、そこに潜んでいた本物のFBI捜査官によって事無きを得る。本物の……とはいうが、社長のクラインとデルの共謀は確かなものの、これが二人を捕らえるためのおとり捜査で、あのニセモノのFBI捜査官達も本物だったのかもしれず、秘書スーザンももしかしたら……と思えなくもない幕切れである。スーザンは捕らえられているような格好で車に乗って去っていくのだが、笑顔を見せるし、殺されたように見えたジョージだって、本当に殺されていたんだろうか?おとり捜査のために殺されたフリをしていたんではないか?もうこうなると殆ど不条理の世界の恐怖すら感じる。不条理劇といえば「ゲーム」あたりを思い出すが、あの荒唐無稽さとは違い、徹底的にリアリスティックな世界なだけに、余計に怖い。その笑顔や死体の下に何が隠されているのかと思うと、サブイボである。

最後に登場する日系とおぼしきFBI捜査官の描写にインパクトを持たせるためであるんだろうけど、バカまるだしの日本人ツアリストの描写にはムカムカしてしまった。大体、その日本人観光客に見せかけた女性捜査員(おそらく女子校生風?)、お下げに赤いリボンとはあんまりではないか……。ハイソなデルが冷たく言い放つ「世界中の名所で日本人が写真を撮っている。暇な連中だ」との言葉には、てめーらだって撮ってんじゃねえか!と怒鳴りたくなってしまう。もう私絶対名所をバックに写真なんか撮るもんか。少なくともアメリカでは!★★★★☆


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