home!

「さ」


2003年鑑賞作品

さよなら、クロ
2003年 109分 日本 カラー
監督:松岡錠司 脚本:松岡錠司 石川勝己 平松恵美子
撮影:笠松則通 音楽:UnknownSoup&Spice
出演:妻夫木聡 伊藤歩 新井浩文 金井勇太 佐藤隆太 近藤公園 三輪明日美 田辺誠一 塩見三省 余貴美子 柄本明 りりィ 渡辺美佐子 井川比佐志


2003/8/6/水 劇場(有楽町シネ・ラ・セット)
うわあ、なんていい映画なの。やられた。意表をつかれてしまった。いい映画って、これよね、まさしくこういうものなのよね!!心が洗われたどころじゃない、心ざぶざぶ洗濯させていただきました、というぐらい。なんというか、文部省選定映画っぽい感じがしたから、まあいい話なのかな、それなりにかな、などと思った私はとってもとっても間違ってた。だって、そうだ、松岡錠司監督なんだもの。ま、だからこそ猫好きの私でも観に来る気になったんだけど(?)。松岡監督は、本当に、誠実な人。誠実な映画人。彼の映画はいつも真面目でまっすぐで、それはちょっとベタなぐらいな時もあるんだけど(本作でも)、それさえも、松岡映画そのもので、何ひとつ文句をつける気なんかなくなってしまうんだ。もう、ボロボロに泣いちゃって、どうしようかと思うほどだった。

ああ、クロ。そう、私は猫が好きなはずなのに、やっぱりやっぱり、こういうのは犬なんだよね。もう、なんて賢いワンちゃんなの!実際にもそうだったんだろうけれど、この映画の決め手になるクロは、実名から本当にクロだというんだから、まさにこの映画のための運命の犬で、もうこのコが素晴らしすぎるんだ。話しかけられてじっと相手を見つめているあの目、ぜっったい、あれ、言葉判ってるとしか思えないよなあ。何で、こんなに引きでの動きまでもが素晴らしいの!犬の演技よ、引きよ、引き!何であんなに完璧な動きとしぐさを見せちゃうの。まさに、そこに、本物の、この学校に暮らしているクロがいるって、そう思わずにはいられないほどなのだもの。あの、後姿の存在感ときたら、ない。成犬になってからの彼女(女の子なのよね)はまず、登場が後姿。その後姿でもうビビッときちゃうのだ、何とも言えないの。賢さと寂しさを漂わせてて。もうそのちょこんとした耳までもが慎ましやかな後姿を見ただけで、理由もなく涙が出てしまいそうになるぐらい。待て待て、いくらなんでもまだ泣くのは早いってば!と思ったこの時点で、もうボロ泣きの予兆はあったんだなあ。

いつと時代を明確にしているわけではないんだけど(そんな、ヤボなことはしないのだ)、まさに古きよき時代を思わせる雰囲気。カラーもきっちりつけた学ランに、オールドファッションな半コートがシャレている男の子と、珍しくも制服がパンツスーツの女の子たちの颯爽としていること。クロが最初にこの学校に来た時がそんな感じで、大往生を遂げる10年後とを描いているんだけど、10年後も、生徒たちはちょっとワルくなってはいるものの、でも、もうやんなっちゃうぐらい根がイイ子で、こういうところ、松岡監督だなあ、て思う。カツアゲするのも妹がいじめられたからだし、クロが病気になっているって知ったら、カツアゲもどきで募金をさせる。不良を気取りながら、全然不良じゃないのよ。せいぜい、ケンカが不良のあかし、みたいなイキガリがある程度で。おお、不良の一人は金井勇太君ではないですか。彼、ほんっと、吉岡秀隆を彷彿とさせるよね。

この二つの時代、いや、二つの定点があって、その間をずっと、クロは静かにこの学校にい続けた。思えばクロがタイトルロールになっていて、まさしく“主演”ではあるものの、彼女自身が物語をひっぱっていくという展開ではない。最初だけ、ちらっとクロの生い立ちとそのことでひと騒動はあるものの、それ以降はクロはこの学校の職員の一員として、移り変わる生徒たちを見つめ続ける。クロによって将来の道を決定されたり、命を救われたり、10年の時を経て恋が成就したりする。クロを通した生徒たちの、青春の物語なのだ。そして不思議とこの二つの定点はどちらも秋から冬、である。生徒や先生の吐く息が白くて寒そうなんだけど、つややかな黒い毛並みのクロがいることによって、心も身体もあったまる感じがする。確かにこれは、冬の物語だって気がする。

本作のテーマソングとなっているチューリップの「青春の影」には本当にグッとさせられる。というところに行き着くまでには、え、そんな辛い展開にしちゃうの!?というほどなのだけれど、それを乗り越えるからこそ、「青春の影」が流れるラストクレジットで涙がとめどなくあふれるのだ(あー、気持ちよかった)。男二人、女一人のトライアングル・ラブ。女の子はどちらとも決めかねずに「二人とも好きよ。三人一緒じゃいけない?」と言う。もっのすごい少女漫画の世界だな、と思いつつも、これほど男にとって残酷な言葉もないと思う。彼女に告白してこんな返事をもらってしまった神戸君は、その直後、バイク事故で命を落としてしまう。呆然とする彼女、五十嵐さんと、彼の親友であったもう一人の男の子である主人公の木村君。

死んでしまう神戸君は新井浩文。初めてフツウの感じの男の子で、これがまた、イイ。彼には本当に、期待しちゃうのである。久々、そんな役者が出てきてくれて嬉しく思う。そして二人にホレられる、この時点ではちょっとカマトトっぽい五十嵐さんは伊藤歩。おいおい、「リリイ・シュシュのすべて」の中学生役の次はまだ高校生役かよ、とかも思うけれど、10年後も演じる前提であるこの彼女は、高校生の時も、10年後も素晴らしい。思いがけず神戸君に死なれて、発作的に自殺を図ろうとする時、クロがやってきて彼女の顔をなめ、たまらず嗚咽をもらすシーンはもらい泣きせずにいられなかったし、10年後、木村君と再会して電車に乗った彼から「今でも好きだ」と言われる、寂れたプラットホームの彼女のアップの表情ときたら、こんな顔、いままでどんな映画でも見たことない!というぐらいにたまらなくって、胸が押しつぶされて死んじゃいそうと思うぐらい、切なかった。彼女の目は、凄いと思う。美人とか可愛いとかいう訳じゃないんだけど、何ていうか、巫女さんみたいな霊的なオーラがある。あの目にどうにもこうにも惹きつけられてしまうのだ。

で、主人公の木村君は、今や大ブレイクの妻夫木君。「ウォーターボーイズ」で一気にスターダムを駆け上がった彼だけれど、私はあの映画、どうしてもダメなので、まあ、とにかく、「ウォーターボーイズ」の100倍、イイ。とっても素直に色に染まる感じで、高校生の時と10年後が、ホントにしっくりそのまんまなのが素晴らしい。それも、“古きよき時代”を双方共に好感度高く体現しているのがいい。クロをこの学校に引き寄せた張本人で、クロに最も信頼され、そしてクロによって獣医という人生を決定づけられた木村君。五十嵐さんにホレられているのに(彼女は優しさから、木村君の方をより好いているのを、この時点では言えなかったんだな……)それに気づかないほど控えめというか、自意識過剰じゃないからいいとも言えるけど、これはただの鈍感なのでは……。で、腕のいい獣医となった10年後(でもやっぱり控え目)、落ち着いたたたずまいの中に10年前の純情さをそのまま残していて、こんな彼に「今でも好きだから」なーんて言われたら、五十嵐さんでなくったって、たとえ結婚していたって!?陥落しちゃうよなあ、なんて?

やたらウンチクを語るヤツとか、ひたすらノーテンキなヤツとか、いろいろ印象的な生徒たちはいるけれど、やあーっぱり、その光り輝く笑顔がまぶしい“肉屋の娘”の三輪明日美ちゃんのかわゆさといったら、ないんである。彼女が出ているシーンでは、どんなにはじっこにいたって目がいっちゃうんだよなあ。10年後の、せいぜい28とかそんなもんの設定でやたらオバチャンなヘアスタイルになっているのはヤメて!って感じだけど。彼女特有の、あの涙を流しながら笑ってしまう切ない表情がもうたまらん。いよいよこれで、女子高校生の役も見納めかなあ……あー、それにしても、可愛すぎる。
生徒ばかりではなく、先生たちがまた実に素晴らしいのだ。最初は犬嫌いでおびえまくっていた塩見三省扮する草間先生。クロを追い出そうとしたのに校長先生がクロをすっかり気に入っちゃって、というシーンは、含み笑いを隠せない田辺誠一扮する三枝先生の表情もあいまって、もう可笑しくてたまらない。でもそんな草間先生も10年後、クロの死に際して泣く後姿がたまんないんだ。それは、あのどこか寂しそうなクロの後姿にシンクロしちゃって。最初にクロの魅力にホレこんだ写真が趣味の三枝先生がそりゃーもう、いっとうお気に入りである。何たって田辺誠一だからッ。彼は本当に、実に素敵なんだなあ。笑いを抑えきれないあの表情が何ともたまらんのよね。クロが病気になった時、問題ばかり起こす不良生徒に、「クロの方が心配に決まってるだろ。お前たちは結局は卒業しちまうけれど、クロは10年、この学校にいるんだから」と言うところ、たまんなく好きなんだよなあ。で、それで生徒がフテるんじゃなくて、彼らもクロのことが心配でたまんなくって、自主的に募金活動をしだすんだから、もうそれだけでこっちの涙腺はダー!とばかりに開栓。思えばこっからラストまで栓が閉まることがなかったなあ。

でも、やっぱりやっぱり、クロと一番長く一緒にいた、用務員の井川比佐志が最も、素晴らしかった。コワモテの用務員さん。クロに対しても決して猫っかわいがりってわけじゃないんだけど、夜の見回りの時に最初は後ろからついてきて後には先導してゆくクロが何よりの相棒になって、病気だと判った時はクロを毛布にくるんでトラックの荷台に一緒に乗って、治ったら同じく一緒に帰ってくるシーンとか、まるで長年連れ添った女房に対するみたいな感じで、もうじーんときちゃうんだ。クロが死んだ時の呼びかけも、そりゃまあ、ベタベタではあるんだけど、もう、ダメ。開栓どころか、水道管破裂。その後、クロのお葬式が開かれている間、クロをくるんだ毛布やらを外で燃やしている彼に、またまた涙、涙で鼻水も止まらず。

10年間この学校にいて職員と同じ扱いだったクロの死に、りっぱなお葬式がとり行われる。これは確かに、ただ事実だけを“犬のお葬式”というだけを見たら、確かに滑稽なことなのだろうと思うけれど、こんな誠実に誠実に見せられたら、クロのお葬式、当然でしょ、何がおかしいの?なんて思ってしまうんだから。しっかり号泣してるし。クロがこの学校に現れた当初の男子生徒のお嫁さんになった女の子が、その子はクロを知らないんだけど、こんなお葬式とかあげてはたから見たらバカバカしいよな、喪服まで着ちゃって、と言うダンナに「バカバカしくったって、いいじゃない。私クロのことは全然知らないけれど、今日来て良かった」と言う。イイ子ねー、って私だってクロのこと知らないのに、もう目頭が熱くなっちゃった。そしてその場面で、長い間神戸君の死に苦しめられてきた五十嵐さんが、「クロはせいいっぱい生きたんだよね、幸せだったんだよね」と木村君に確かめるように何度も問い、「私、幸せになる」と木村君の目を見つめて言って、二人が手をつないで歩いていくシーンを引きで見守るようにとらえるラストシーンは、美しい山々もまた二人を見守っているみたいで、号泣。主題歌の「青春の影」の何と素晴らしいことよ。

こういう“いい映画”を臆することなく作れてしまうのは、今の映画界でただ一人、松岡錠司監督だけよね。彼は全然わき道それない。その信念を感じるほどの誠実さが頼もしくて、大好き。★★★★★


サル
2003年 107分 日本 カラー
監督:葉山陽一郎 脚本:葉山陽一郎
撮影:中尾正人 音楽:
出演:水橋研二 大森南朋 鳥羽潤 草野康太 水川あさみ
 
2003/12/16/火 劇場(テアトル新宿/レイト)
おお、またしても大森南朋と水橋研二が一緒に出てるわ、ほんと、しょっちゅうだよなあ、という興味から足を運んだ。ほぼ、その興味のみだったので、後からこの映画の情報を……と思ったらほとんど手に入らなかったので焦る。この映画の成立状況が今ひとつ判らなくて、監督の名前も初見だし。劇中に日本映画学校の内幕が出てくるから、そこ出身の人なのかなとは思うのだけれど。でもこの内輪ウケっぽい内幕話はちょっと、ね。今やウンナンの話とかで有名にはなっているけれど、ちょっと引いちゃうなあ。
まあ、この映画の展開には必要な部分でもあるんだけれど……というのも、彼らが自主映画制作を撮る資金を稼ぐために入り込んだのが、この新薬治験の投薬と入院のアルバイトで、こっそりその病院の内部にカメラを持ち込んで撮った映像が巻き起こすトラブルを映画として仕立てているわけだから。

と、いうわけで本作は何となくドキュメンタリータッチなのである。何となく、という部分が正直中途半端といえば中途半端。カメラを持った人間が画面のこちら側にいて、彼の喋る言葉は字幕で、そうか、きっとこの人が監督(本作のね)としての立場で斬りこんでいるんだわ、と思ったらこのカメラマンも時々画面の向こう側に入り込んだりする。彼の映すカメラと、本作のカメラとの関係性が何だかあいまいというか……希望としてはカメラマンはひたすらこちら側に語り部として存在してくれていれば良かったのに、と思ってしまう。何だか、落ち着かない。
でもこの落ち着かなさもまた、この世界観を象徴しているといえばそうなのだけれど。高報酬のおいしいバイトだから、ぐらいのノリでお気楽にこの入院生活を送る彼らが、新薬治験というのが想像以上にリスクのつくことだということ、そしてそれ以前に、このバイトをすること自体がハメられたことだったことを知るのだから。後者に関してはずっとずっと後になって露見するのだけれど、世間から隔絶されて、病院内部で何かが確実に起こっている気配がして、ざわざわしてきて、ついに彼らにもその災いが降りかかる“落ち着かなさ”がこの映画のテーマであり面白さ。

動物実験の次の、新薬治験。つまり薬として認可される前とはいえ、薬の安全面には相当の自信は持っている上での治験であるはずが、彼らは動物実験に使われたサル程度にしか認識されていなかった。ああ、人間に使ってもやはりダメか、みたいな。副作用で頭がおかしくなり凶行に走る人間たち。彼らの中にも犠牲者が出て、殺人事件を起こしてしまう。この描写には、ここ最近頻発する病院での医療ミス、同じようにテレビカメラの前で頭を下げる白衣の人々を思い出してしまう。頻発が最近というのも実は錯覚で、今まではこんな風に隠されていただけではないのか、と大多数の人が思っているだろう。医療技術や薬の精度がアップすればアップするほど、医者が患者を自分の成績のひとつぐらいにしか思っていないんじゃないかとか。
本作はスリリングなミステリー映画としての体裁を持っていながら、その部分を強烈に皮肉っている。そしてそのことに対してあまりに無頓着であるこちら側も。それこそ新薬治験がおいしいバイト程度にしか思っていなくて、治験のバイトの常連にさえいる彼らと私たちは大して変わりがないのだ、多分。
被害者になった時には、遅すぎる。そして皆、自分が被害者になるなんて思っちゃいないのだ。

隠し撮りという設定で撮られる病院の内部は妙によそよそしい淡青色で、何だか水槽の中をのぞきこんでいるような気分である。実際、彼らは水槽の中で飼われている熱帯魚かなにかとさして変わらない。
その中で禁を破って遅くまで話し込んだり、煙草を吸ったり、果ては酒を飲みに行ったりまでするのだけれど、結局は彼らはかごの中の鳥、掌の上のサルなのだ。
まさしく、サル……。
物語の始まりは、この病院から逃げ出した実験用のサルが、通りすがりの女子高生に襲い掛かり重傷を負わせたというものだった。そうそのサルは恐らく、いや確実にその薬を投与され、副作用が出たサルに違いないのだ。
彼らは入院前にそのニュースを見ている。この病院だよ、ヤバいかなと言いながらもそれは冗談めいた雰囲気で、自分たちに降りかかるかもしれないという危機感がない。つまり、あれはサルだから、と思っているし、何たって病院なんだから、という根拠のない安心感に身を任せている。
でも、そう……病院にとって患者なんて、言葉を喋ることのできるサル、ぐらいの認識なんじゃないか、なんてことまで思ってしまうのだ。ここ最近のニュースを見ていると。

治験アルバイトの常連で、映画仲間を誘った井藤(鳥羽潤)はしかし、最初っから怪しさバレバレである。
言っていることがはじめから矛盾しているし、看護婦とデキているし、治験に詳しいのは判るけれどやたらと喋るし。
つまりは、彼はこの薬がヤバいということを知っていて、自分はプラセボ(偽薬)で安全圏にいながら、仲間を危険な目に合わせるんである。病院内にカメラを持ち込むことを仕向けたのも恐らく彼だろう。そして首尾よくスリリングな映像を撮らせるのだ。
その映像を彼は勝手に横取りし、国際映画祭に出品して名声を得る。犯罪者になったり、副作用から障害が残ってしまった仲間をよそに時の人となり、高そうな車を乗り回して横に女を乗せてたりする。
この描写はちょっとナニかなって気がする。すごーく判りやすいけど、すごーく単純って気もする。燃やされる彼の顔写真の載った新聞や雑誌、高そうな車に女をはべらせて、だなんて。

確かにそれはスリリングな映像である。壊れっぱなしのテレビ、売り切れていたといって買ってきてもらえない新聞、情報を一切シャットアウトした中で、騒ぎを起こした治験者がこっそりと退院させられ、深夜に謎の会議が開かれ、そして彼らの身体に少しずつ異常が現われ始める。
夜の病院内を徘徊するカメラ。ふとそのカメラが闇の中にぼうとたたずむ人の姿を小さくとらえる。このシーンには心底ギョッとする。ホントに幽霊かと思った……。
カメラが進行方向に向きを変え、そしてまたふと振り返った時に、あそこに立っていたとおぼしきその治験者が襲い掛かってきているのである。う、うわ、ビックリした、ビックリした、ビックリしたー!!
……でもまあ、本当に驚かされるのはこのぐらいかな。お気楽部分の方がとても多くて。対照を際立たせるネライがあるからだとは思うけれど、それにしてもちょっとバランスが悪い気がする。ひたひた異常事態が忍び寄る感じも物足りなかったというか……正直、もっとドキドキさせて欲しかったんだけれど。

劇中、主人公でまだ完成を見ていない自主映画の監督である福屋に扮しているのが水橋研二である。で、女房役とも言うべき助監督の磯村が大森南朋。
大森南朋は最初、判らなかった。なぜって、“老けて見えるけど、俺らと同い年”と言われるようなキャラ設定で、若白髪にアナクロっぽいめがねをかけてたから。これぐらいで見抜けない私もアホだけれど、何かホントに引率の先生か何かなのかと思ったぐらい、きっちり老けちゃってるから。あ、もともと老け顔なのかなあ……意外と。水橋研二がいつまでたっても若いお兄ちゃん風だからなおさらそう感じるのかもしれない。
この自主制作の映画がなかなか完成を見ないのは、この監督、福屋が映像へのこだわりを捨てられないからだという。そのためにこんなバイトを皆に強いることになったのだ。助監督の磯村は昔見た名作映画を例に出して、その映画の中でちゃんとそう見えれば、実際や本物であることにこだわる必要はないと説くのだけれど、福屋はガンとして譲らない。

その時点では福屋は単に自分勝手な男で、いやそれどころか幼稚な感じさえも受けるのだけれど(お気楽にも看護婦にホレちゃったりするし)しかし最終的に彼は仲間たちがこんな目に遭って、皆とくるはずだった最後の撮影現場に一人、その映画を完成させるために赴くのだ。障害が残ってしまった足を引きずって。
その描写にふと、自分勝手なまでにこだわりを通す彼が結局は肯定されたということ?いいのかなー、などと思ったのだけれど、いや、そうではない、自分の行動に自分で責任を持つこと、自分で決着をつけること、なのだと気付く。それは仲間に撮らせてそれを横取りした井藤もそうだし、もちろん一番アンチテーゼとして向けられているのは、第三者に結果を求め、その責任の所在さえ闇に葬ってしまう病院という“白い巨塔”。

カメラマンである草野康太の役回りが、いい位置であったにもかかわらず先述の中途半端さで今ひとつ印象に残らなかったのが残念。彼、いい役者なのになあ。★★☆☆☆


トップに戻る