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「う」


2003年鑑賞作品

ヴァイブレータ
2003年 95分 日本 カラー
監督:廣木隆一 脚本:荒井晴彦
撮影:鈴木一博 音楽:石川光
出演:寺島しのぶ 大森南朋 田口トモロヲ 戸田昌宏 高柳絵理子 牧瀬里穂 坂上みき 村上淳 野村祐人


2003/12/20/土 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム)
「赤目四十八瀧心中未遂」で寺島しのぶが主演女優賞を総なめ、とかいう昨今の報道に正直、えー?と思っていたのだった。あの作品での彼女は、もうけ役ではあると思ったけれどもそこまでのものは正直、感じられなかった。作品自体にそこまでの力を感じていなかったせいもあると思うけれども。
ただ、本作でも賞を色々と受賞していると聞いて、気にはなっていた。そんなに今年、女優映画がなかったかなあ、なんて思っていたから。
そして、観る。ちょっと悔しいと思いつつ深く納得する。これなら、と。この寺島しのぶならと。全然、違う。映画に初お目見えの続けざま二作でどちらも脱ぎ、カラミシーンをこなした彼女に根性を感じつつ、それでも一方の「四十八瀧……」の彼女はどこか作ったキャラに乗っかっているような感じだった。残っているのは白いワンピースに背中の刺青、みたいな。凄みはあったけれど、ここまでの切羽詰った感じはなかった。
ここでの彼女は実年齢そのまま出た、生身の女だ。
彼女は富司純子の娘な割には(……ゴメンナサイ)案外美人というわけでもなく、それがかえって生々しい。普通の女が陥る穴。

彼女と同じ年で、設定としての年齢も同じ。それでも正直すっぱり共感できるわけではない。一人でいたって今んとこそれなりにハッピーで、現状にも満足しているし、彼女のやりきれない寂しさ、誰か人がいなければとか、人に触れたいと思う気持ちはそんなにも身にしみるわけではない。
へぇ、この年になるとこんなゆきずりで大人の恋愛しちゃうの、私ゃムリだなあ、などとヘンに焦る?気持ちにさえなるのだけれど、でもその一方で強烈にシンクロしてしまうのは……なぜだろ。
何かヤバイと思うこの心情。やっぱりこのズバリの年になると判ってしまう感じというのが。たった数年前ならやはり判らなかっただろうと思うこのヤバイ気持ちが。ふらふらコンビニに入って酒とか買って、周りからどう見られているのかとかぼんやり考えるようなそんな気持ちが、何だか判ってしまう。

彼女、玲はふらりとコンビニに入る。何をしにきたんだっけ、私は周りからどう見られているんだろ、勤め帰りのOL?いやいやダメだ、こんなハデな格好をしたOLなんていない……そんなモノローグをつぶやきながら、彼女はコンビニの中を徘徊する。そうだ、ここにはワインを買いに来たんだっけ。ドイツワイン。なぜドイツには白しかないんだろ。マドンナ、マドンナ、美味しいマドンナ……。
そこに、一人の男が現われる。金髪に長靴姿のその男に彼女は目を奪われる。頭の中で言葉が鳴る。「いい感じ。あれ、食べたい」と。
この頭の中の言葉は、はたして二重人格と言えるものなのだろうか。というより、どこか意識的なものがなければ、こんなハッキリしたモノローグは頭の中にはあらわれないように思う。頭の中の声がうるさくて……なんて、20代ではやはりないだろう、がむしゃらすぎて。30代になると余計な心の余裕が出てきて、その余裕が無駄にせっぱつまった領域を作り出す。酒の好きな女が甘いドイツワインを探す、なんてどこか女の子っぽすぎて、それを意識的にやっているような感じも何か痛々しい。無意識でいることを恐れているかのようなおしゃべりなモノローグに、一生懸命自分のバランスをとっている彼女が判ってしまって苦しくなる。
そしてこんな風に、意識的なおしゃべりの中にふっと、思いもかけない一言が自分を襲う。
そんな彼女の気持ちを見透かすように、すれ違いざま、さらりと彼女に触れてゆく男。
これで誘ったことになるのか……実に微妙。
そして彼女はコンビニの外に出る。トラックの運転席で彼が待っている。
助手席に乗り込む彼女。運命の二日間の始まりだった。

原作では三日間だったのだという。それが映画では二日間に絞られた。
最初は一晩だけのつもりだったろうと思う。二人とも。
男の名は岡部。自分の名前は聞かないのか、と彼女は問うと、岡部は「下(の名前)だけでいいよ」と言う。彼女の心の声が黒地白抜きの字幕となって現われる。「寂しいこと言うなよ」と。
確かに寂しいこと。何でだろ。女にとっての苗字って、結婚すると変わったりもするし、何ていうのかな、そういう部分、最終的に男に預けるものだって感じがするからだろうか。
今の、このせつなの関係に、岡部はそれが必要ないと、斬って捨てたから、寂しい、と思ってしまうのだろうか……。
そう言われても玲は自分のフルネームを彼に教える。そして肌を重ねる。
きれいだ、と言う岡部に玲は問う。どういう風に?彼女の足の間に頭を差し入れ彼は言う。唇みたいだ、と。
車の外は雪が吹きすさぶ中、アイドリングをしながら二人は全てを脱ぎ捨てて求め合う。……この時だけのはずだったのだ。

翌朝、トラックから降りて、吐いた彼女はその吐瀉物を見てつぶやく。焼酎とスナック菓子しかない。もう吐くものがない、と。
そしてもう一度トラックに戻ってくる。ドアを叩いて。ロックを外し、開けてくれた彼に彼女は言う。「道連れにして」と。
ここから二人のロードムービーが始まる。

そうか、ロードムービーか。そのことになぜ気付かなかったんだろう。東京から新潟までトラックで移動する、確かにロードムービー。なのに私はそういう気が全然しなかった。その道行きの土地とか、車窓の風景とか、そんなものに目が全然いかなかった。彼女の、そして二人の心象ばかりが迫ってしまって。
でも今ロードムービーをやると「ブラウン・バニー」もそうだったけど、痛い心がどうして痛いのかを、更に痛くしながら追求していく旅、みたいになるのってなぜなんだろう。やっぱり外の風景なんかに目がいかない。この心から感情から状況から逃げたくて変えたくて、車を走らせている、でもそれはあまりにムダなことで……だって、空間的な距離を移動したって、そこに乗っている身体に宿る心も感情も状況も、当たり前だけれど変わることはないんだもの。
でも、二人の気持ちは段々と寄り添ってくる。最初は体が求め合うだけだったのに。
でも男の方は自分の弱さをさらけ出すことはない。女は全てが見透かされてしまうのに、心どころか身体も。「濡れてるのに、俺を拒否してる」なんて言われて、「……バレてる」と心の中でつぶやく玲。彼女に自分でイカせて、その後ろから挿入する男。最も悲しいセックス。そりゃこの二人は刹那的ではあるんだけれど。

旅の道行き、二人はお互いのことを話す。岡部は自分に妻と娘がいることや、ストーカーの女に悩まされていること、中学もろくに出ていないこと、工務店やホテトルで働いた後トラックの運転手を始めたことを話す。
玲はフリーのルポライターである自分のことを話す。食べ吐きのことも。
過食、拒食を取材した時に知った食べ吐き。ストレスで食べてしまうんだけれども太るのが嫌で、吐く。
決していいことじゃないのは判っていても、そうするとぐっすりと眠れてしまう。だから彼女もまた食べ吐きが習慣になってしまった。
その回想の中に、彼女が誰かと電話しているシーンが出てくる。笑顔の彼女は、大丈夫、まだ大丈夫と言い続け、洗い物をしているんだと、水道をひねる。途中で途切れるのが、これで終りね、と言われるのが寂しくて、そのまま空き容器に放尿する彼女。
ヤバいな……この寂しさは相当に病気だ。そんなにも寂しくなってしまったら、それは本当に病んでいる。
でもそれで仮に病院に行ったって、寂しい、というだけでは病気とは言われない。
でもこの寂しさは、心にぽっかりとブラックホールが待ち受けているこの寂しさは、確実に正常じゃない。

彼女は彼にその最初にまず言っている。あなたに触りたい、と。誰かに触りたいんだけれど、それも怖いんだと。そんな経験もないのに殴られるんじゃないかと怖いんだ、と。
殴られたこともないのに、殴られるんじゃないかと恐れるなんて、そりゃ異常に違いない。
ただ、この彼女の気持ちはどこか裏返しに思える。殴られるぐらいに、愛されたいんだと。殴ってくれる人さえも、いないんだと。
自分のそばには誰もいてくれないんだと……。触れる距離にいる人が。
彼女はこの道中、だんだんと気持ちがせっぱつまってくる。最初は無邪気にトラックの無線をやりとりなんかしていた。でもふっと、しばらく消えていた頭の中の声が聞こえてくる。聞こえるはずのないラジオの声が、彼女の頭の中に入り込んできたり。
この旅に出てから吐くことはやめていた。でも、吐くことは彼女の最後のとりでだったのかもしれない。

目が見開かれたまま、涙があふれてくる。何かに、宙の何かに目が離せなくなっているような。凄い目をする寺島しのぶに、そのギリギリの31の女にうわっと思ってしまう。まるでそれは……どこかで見たことのある自分の顔のような気がして。
気持ち悪いと訴える彼女。うろたえる男の姿に、彼女は頭の片隅で、自分のことで必死になってくれることにひそかに満足を覚えたりもしつつ、しかしガソリンスタンドに降りても、吐けないことに今度は自分がうろたえる。あんなに吐くのが得意だったのに。
最後のとりでが、打ち砕かれた。
うろたえて、うろたえて、「気持ち悪い、気持ち悪い」と泣きながらはいずりながら、気遣う男を殴り続ける玲。今までの自分。バランスをとっていたはずの自分。なぜ、こんなに、いつの間に……!?
ああ、何だか見たくない。普通なら、平常心を保っている状態なら、抑えられる感情の波。あるいは、自分ひとりだけになら何度か見せていたかもしれない感情の発露。
でも、こんな風に誰かに見られたいと、誰かをうろたえさせたいと思っていたかもしれないのも……事実。
やっと吐けて、呆然自失のようになった玲を、岡部はラブホテルに連れてゆく。

ホテルの浴槽の中、彼女をやさしく入れてやり、後ろから抱きすくめる男。
何度もテイクを重ねたというこのシーンは、ものすごく、センシティブなシーンになっている。
それまで何度となく裸で向き合ってきた二人だけれど、壊れ物を扱うように玲に優しく触れる岡部と、その彼にどこかこわごわと、しかしすっかり身をゆだねる玲は、今までとは違う。二人の感情が寄り添っているのが判る。その違いはでも……その先の別れをどうしても予感させてしまう。なぜか。
玲のモノローグ……「柔らかい桃に触るように、目の前のものに本能的に優しい男」と。
本能的に優しいってことは、特定の女に優しいってことじゃないのだ。
今、自分と認識して優しくしているわけではないのだ。
自分と認識した時も、はたしてこの男は優しくしてくれるのだろうか。
そんな風に聞こえてしまう。

次の食堂でのシーン。お互いのウソが露見される。
岡部には妻子などいなかったし、玲に部屋で待っている男などいなかった。
玲の方はおいておくとしても、この岡部のウソは、ウソだというのもウソかもしれない。
なんにせよ、お互い惹かれあうものを感じながら、ガードしあう二人の大人としての寂しい駆け引き。大人?これは大人だからの駆け引きなんだろうか。ストレートになれないことが大人なんだろうか。それって何か……子供じみているような気もする。
あの時、橋を渡る小学生を「あっぶねえな、よく平気で歩けるな」と徐行していた岡部の横で、その一団の中の女の子の目線に釘付けになっていた玲。
その頃の自分に射すくめられてしまったかのような。私の年頃にはそんなじゃなかったでしょ、とこの女の子に言われてしまっているような。
好きだと言い合っても、それ以上にはならない。後ろ髪がひかれあっても、愛しているとは言えないままに別れがくる。それが大人、なんだろうか。

こんな出会いって、でもあるのだろうか。
あってほしい気もするし、あり得ない、ない方がいいって気もする。
この二日間(原作では三日間)は双方にとって忘れられない二日間。でも二人はたとえば結婚相手にはなり得ない。
結婚した相手とは何十年も一緒にいるけれども、一緒にいるどれだけの日が忘れられない日となり得るのか。そんな日は、ないかもしれない。でもそれが一生をともにするということなのだ。
この岡部が優しい男、なのだとしたら、それはこの二日間だからなのだ。この二日間をそのまま何十年には移し変えられない。そんな日常はそれこそあり得ない。
一体どっちが運命の相手といえるのだろう。

この日、トークショーで来ていた脚本家の荒井氏。この人は正直ちょっと……何となく苦手分野なんだけど。うーん何ていうのかな、大人すぎるというか辛らつすぎるというか。つまりは私がガキすぎるんだけど。
荒井氏はこの原作に自ら惚れ込み、好きだからこそ極力切らなかったという。
台詞として発せられない言葉、ヒロインの本音の部分、心象風景は、画面を切り、黒地に白字の字幕で現われる。
正直言うと少しこれは気になる。役者としてはどうなのかな。この間演技が切られるというのは。
観る側としてもちょっと感傷的過ぎる気がしないでもない。……ただ、二人出ずっぱりの映画だから、こういうリズムは必要だとも思うんだけど。

そして同じくトークショーに来ていた大森南朋。今までの出演作品から受けていたイメージとまるで違う、どこか色っぽさをたたえた彼にビックリする。そして本作を観て更にビックリすることになるのだけれど……その色っぽさが、今までスクリーンの大森南朋に感じたことのないセクシーさが全開だから。
金髪で乳首にピアスという時点ではまあさほど驚かなかったけど、それが単なる付加価値ではなく、まずはやたらに彼自身が男性としてのセクシーを身に付けているということなのだ。
実際は寺島しのぶと同じ年なんだ……でもやっぱり彼の方が下に見えるのは、役作りのせいもあるだろうけれど、それだけじゃない。そういう若い荒っぽさが疲れた女に相対する時の、この男にめちゃくちゃにしてもらいたい、と女に思わせるような色香がブレーキなしで出ている。もう、ドギマギする。こんな大森南朋は初めて観る。凄いな。

「彼を食べて、彼に食べられた。それだけのことだった。ただ、私は自分がいいものになった気がした」そう締め括るラスト。二人は出会ったコンビニで別れることになるのだけれど、彼女の表情はどこか迷宮に入っていたような冒頭とまるで違ってスッキリとしている。……彼のトラックが遠ざかっていくのを見つめる彼女はかなり切なくはあるんだけれど。
もう一度考える。こんな出会いって、あるのだろうか。
ちょっとだけ、あってもいいような気がした。★★★★☆


ウォレスとグルミットのおすすめ生活WALLACE & GROMIT
年 12分 イギリス カラー
監督:ニック・パーク 脚本:
撮影: 音楽:
声の出演:

2003/1/21/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト/英国職人アート・アニメーション特集)
「チキンラン」でちょっとだけ心が離れちゃったんだけど、やっぱりウォレスとグルミットは大好き!なので、ついつい足を運ぶ。もともとそうであった(んだよね?)短編集である本作の数々は、私の観たかったウォレスとグルミットの魅力がぎゅうっと凝縮されてて大満足。

ウォレスが珍妙な発明家だということは知っていたけれど、今まで観た長編作品ではストーリーの方にどうしても重きが置かれがちなので、ウォレスの本来の魅力、というのはこの短編集で初めて味わったように思う。今回出てくる6つものエピソードのどれもが、ウォレスのどこか無意味な(なくても全然困らない。あるとかえって困るような(笑))ポンコツな発明品で展開するもので、それに対して聡明なグルミットは時には凛々しく、時にはやれやれという感じでサポートする。うー、やっぱりグルミットは世界一カワイイ犬ね!

「サッカー」
ここでウォレスが発明するのはシュートマシン。さすがはサッカー王国、イギリスの発想だけど(?)この前提からして、試合に使えるわけないだろ、というシロモノ。キーパー役のグルミットを相手に試運転を繰り返す。あ、つまりはキーパーの練習用?でもウォレスはめちゃめちゃ実践用のつもりみたいなんだけど……。めちゃくちゃなスピードでくりだすマシンに対して、グルミットが実に俊敏にボールをよけまくるのがもっのすっごくカワイイ(よけるなよ(笑))。ついにキレた?グルミットが風船みたいにぷーんとゴールいっぱいに広がって(おいッ!)シュートは当然入らなくなる。ここでウォレス「おい、ルール違反だぞ!」どっちがだよ(大笑。やはり実践用だったらしい(笑))。

「雪だるま」
今度は雪だるま製造マシンである。しかしそのポンコツマシンが登場する前に、グルミットが作っているウォレスの雪像は目を見張る精巧さで(だ−かーらー、なんで犬がここまで手先が器用なの?(笑))しかし、ウォレスのマシンがぐわしゃとその雪像をヒットし、一瞬にして彼の努力は崩壊(ちなみにそれはウォレスには見えてない)。代わりにそのマシンがガタンゴトンと作ったのは、崩れかけたおそまつな(でもこれぞ雪だるま、っていう)シロモノで、ご主人への愛をこめて(よね、やっぱり)作った雪像を壊されたグルミットはスネてバタン!とドアの中に入っちゃう(もおおお、こういうところがカワイイのよッ!)。でも結局、屋根からの落雪でウォレスは雪まみれ。見事ウォレスの雪像いっちょ完成!“犬のつくった雪像”は見事雪だるまコンテストグランプリをとるんである。めでたし、めでたし?

「クリスマスカード」
クリスマスカード製造機をつくるためにウォレスが、グルミットに着ぐるみを着させてさまざまに写真をとる(イカしたポーズをとるグルミット!)。で、どうもこれは判んなかったんだけど、その写真の世界がなぜか映像になってる??……すいません。ちょっとよく判んなかった(笑)。

「おつかい」
今度はおつかいマシンである。家からの操作で無人で出かけるおつかいマシン。ナビゲートはグルミットで、真剣な顔して、まるで殺し屋が標的を狙うみたいなマシンの目線を扱うグルミットが、カッコいいけど、やっぱりメチャカワイイー。え?でもでも、このおつかいマシン“大きい方のチーズ”をかごに入れたはいいけど、お金、払った?と、とにかく帰途に向かう途中、やっぱりウォレスのマシンは最後のツメが甘くて(笑)。段差が上れず(基本だろ!)がったんとひっくり返って大事なチーズがポーン、ポーン……。ウォレスがヘルプを叫んで出てきたのは、羊(笑)。しかしその羊くん、チーズを持ってくるんじゃなくて、その場でむしゃむしゃ食べちゃう(爆笑!)。叫ぶウォレスの方をじーっと見つつ、目をパチパチさせながらこのでっかいチーズ(ってところがまたキュートなのだッ)を食べてるこの羊もまたメチャクチャ可愛いの!もお、参るわー。

「ばんごはん」
屋根の上からまるで焼肉屋の換気扇みたいなでっかいのが降りてきて、あっという間においしい食事を作ってくれるというスグレモノ。判んないのはその間身体をしっかり固定してなくちゃいけないことで。このマシンがごおおお、と凄い風力を立てる時、グルミットのあの垂れ下がった耳がごおおお、と吸い込まれるのが、もう好き好き、びっくり目になるグルミットが可愛すぎるんだもん!

しかしこのマシンは電力食いすぎてブレーカーが下がってしまい、ガスバーナーみたいな勢いでつけられたろうそくは(火力に上半身があおられるグルミットがまたカワイイ)その時点で半分以下のサイズになっているから、あっというまに火も消えて、動けないままの二人は真っ暗闇の中で目を青く光らせてパチパチ(笑)。

「テレビ」
これは、どーう考えてもバカバカしいマシンで、ウォレスは「椅子に座ったまま、テレビの方に動いていかなくてもスイッチが入る」と言うんだけど、あとでグルミットが差し出すようにリモコンはあるんだし、それでなくても椅子からテレビの距離の時間と、ウォレスが作ったしちめんどくさいマシンで要する時間のどっちが短いって、そりゃ明らかで……。ウォレスがスイッチを入れるとボールマシンの要領で、ばこーんとボールが壁の中に吸い込まれていき、色んなマシンに作用しながら移動していき、最終的にスイッチを入れる、というものなんだけど……最上級のバカバカしさ。でもいかにもウォレスらしいけど。あほか、という感じでしかし何も言わず(ま、いつでも何も言わないけど)見守っているグルミットなんだけど、もう一度やろうとしてボールがないことに気づいたウォレスにリモコンを差し出すと、ウォレスはそれをボール代わりにするんだから、あ、アホか、アンタ(笑)。しかし最後にはやっぱりマシンはぶっ壊れて、壁からテレビがビヨーンと飛び出し、あえなくウォレスは窓とテレビの挟み撃ち。「テレビが近付いてこなくても、いいんだよー」。だから、テレビの方に近付いてスイッチ入れた方が早いんだって(笑)。

あー、可愛かった。グルミットと暮らしたい。★★★★☆


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