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レディ・キラーズ/THE LADYKILLERS
2004年 104分 アメリカ カラー
監督:ジョエル&イーサン・コーエン 脚本:ジョエル&イーサン・コーエン
撮影:ロジャー・ディーキンス 音楽:カーター・パーウェル
出演:トム・ハンクス/イルマ・P・ホール/マーロン・ウェイアンズ/J・K・シモンズ/ツィ・マー/ライアン・ハースト
っつー、話なんだけど、これはなんかの映画のリメイクなんだって?いや、リメイクまではいかないのか。アイディアの引用ぐらいで。でもでも!「死に花」とやけに似ているって思わずにはいられなかったよー!ま、似ているっていっても、その犯罪の種類の部分だけなんだけど……。大金をこっそり、そしてごっそりせしめるために、地下からトンネル穴掘っていくっていうの、偶然一緒っていうのも凄いじゃない?わー!「死に花」だ、「死に花」だ!って喜んじゃったもんなー。同時期公開だし……こういうことも、あるのね。
でもね、コイツらは「死に花」のベテラン(人生のね)たちとは全然違って、もうヘッタレもヘタレなの。指揮をとる教授(トム・ハンクス)は教授と呼ばせるぐらいだからやったら頭良さげにエラソーにしているんだけど、コイツの立てた計画、いやコイツ自身からして、もう穴だらけなんだもん。仲間たちは新聞広告(だったかな)で募集した って時点でちっともエキスパートじゃないじゃん、なんて思うし。一見使えそうに見える将軍や爆発物のエキスパートだというパンケイクだって、結局はヘマしかやらない。パンケイクがヒドいんだ。コイツってばやたらとそんなのカンタンだとか、オチャノコだとか言いながら、成功したことなんて一度もなくて、しかもそのミスは決定的に、致命的なものばかり。コイツがいてよくもまあ、ちゃんとカネをせしめることが出来たわと思うもん。
トンネルを掘っていく時、そうまた話を戻しちゃうけど、「死に花」ではね、ちゃんとそのトンネルに骨組みっていうの?くずれないようにするヤツをあてがいながら掘り進めるのさ。でもここではそんなこと一切、やってないんだなあ。あれだけ柔らかい地盤なのに、しかも結構な距離を掘るのに、もう掘りっぱなしなのよ。掘ってる時いつ生き埋めになってもおかしくないぞ、あれじゃ。ま、そのあたりからして既にコイツらがダメダメクリミナルってことなんだろうけど(でもこの点は、判りづらい……)。
でもやあーっぱ、チームワークが出来てないことが基本的に問題なのよね。ま、そここそが本作の面白さだから、ここでチームワークなんて出来ちゃってたら困るわけで。パンケイクが自分のガールフレンド(ガールって年じゃないが)を仲間に引き入れちゃったことがそもそもの決定的な亀裂だった。ま、彼女、マウンテンガールも爆発物のエキスパートだからということだったんだけど、この時からパンケイクのウラギリの布石はうたれてたんだもん。この二人の出会いが腸過敏症の患者集会だっていうのからして既に脱力だが……(パンケイクはだからしょちゅうピーゴロいってて、いざという時ホント頼りにならないのだ)。でも、途中から女性が入ってくるってあたりも、「死に花」と共通しているんだけど、「死に花」はそれによってより仲間の結束が固くなってる。チームワークのあること、あるいはないことがハッキリとテーマになっている両作品って感じで、面白いわ。
でももっと、判りやすいところでホラ……トンネル掘りは、腕力で採用したランプのみが請け負って、他の四人はほっんとに見てるだけなのね。まあ、それぞれに役割分担があるってことなんだけど……正直、カジノに清掃員として入り込んでスパイを担当するガウェインなんて、“プリップリの女の尻”を追っかけまわすばかりで、スパイとして全然役に立ってないとしか思えないしさ……。その割には自分はスパイだってふんぞり返っちゃって、この一見バカそうに見えるランプのことをそれこそ見下しまくっているのがアリアリなの。実はオマエが一番ノータリンなのに。
そう、この“一見バカそうに見える”ランプが、ホントバカそうに見えるんだけど……いつもポカンと口を開けてるし。でも実は彼が一番、イイことを言い、グッドアイディアを出したりもするんだよね。ただ、他のヤツらが口八丁で(しかし中身のない論議!)ランプが口挟む余裕が全然なくて、つまりは彼はすっごく考えて慎重なひと言を言おうと思っているのに、それを言う機会は本当に最後の最後にしか訪れないの。だからそのひと言がコトをギリギリ救うこともあれば、バカさにかけては五十歩百歩なヤツらに判ってもらえないこともある。案外このランプが一番……マトモなんだよなあ。
だって、とりあえず常識はあるもん。結局この犯罪がこの家の住人であるマンソン夫人に知られるところとなり、じゃあこの夫人を殺すしかないだろう、という結論に達してしまう時、ランプ一人だけが、自分はそんなことは出来ない、お金なんてあきらめてしまおうと、本当に最後の最後、言うじゃない?ああ、やっぱり彼は一人マトモだったなあ、と思うのね。でも……ううッ、彼もまたアホな死に方をしてしまうんだよー!
そう、“彼も”である。このヘタレ犯罪者五人は、何とまあ全員、死んでしまうんである!それも最後のほうになるとかなりムリな死に方を……いや、結構全員ムリな死に方かなあ。何とか納得いく?死に方だったのはガウェインとパンケイクぐらいでしょ。最初にマンソン夫人殺害のクジを引き当ててしまったガウェインは、何と自分の母親を思い出して泣けてきちゃってとても殺せないと言い出す……オマエじゃなかったっけ?殺すしかないって言ってたの……で、犬猿の仲だったガウェインとパンケイクはこのことでまたケンカしてもみあって、うっかりパンケイクがガウェインを撃ってしまうのだ。これが一人め。
次はパンケイク。自分ひとりがカネをせしめようとマウンテンガールと共謀して脱走を図る。そこを追いかけてきた将軍によってギリギリと首をしめられ殺されてしまうのだ。裏切りは許さないってワケ。まあここまでは……納得できなくもないんだけど。
しかし、いざ、本命登場!のはずの将軍がマンソン夫人の枕もとに忍び寄ったら、コイツったらハト時計に驚いてマンソン夫人の入れ歯の入った水を飲んで更にビックリし、階段をゴロゴロゴロッ!とばかりに転がり落ちて頭打って死ぬなんて、そりゃねーだろー!なんである。そして残ってしまったのが教授とランプ。ランプはマンソン夫人を殺すぐらいなら、と教授に向けた拳銃から弾が出なかったため、覗き込んで自分を撃ってしまった!そして教授はもっとムリムリ。橋にあったオブジェ?がボキリと折れてカーン!とばかりにその頭に当たり、橋の下へとまっさかさま(コートでちょっと引っかかるけど)なんである。結局五人みんなが、死体となってゴミの島、夢の島へ。
夢の島、かあ。ま、夢の島なんていうのは日本の(東京の)言い方だけど、ね。大河?海?の向こうに、ゴミで出来た島というか山というか、そんなのがあって、同じ橋の下を通って毎日コンテナで無数のゴミが運ばれてゆくのね。そこに死体を、ガウェイン、パンケイク、マウンテンガール、将軍まではちゃんと梱包して、せーのでコンテナの上にドサリと落とすわけ。でもランプと教授は死んじゃったハズミで橋から飛び出し、首尾よくこのコンテナのゴミの上にドサリと落ちちゃう。そうしょっちゅうゴミコンテナが通るのかね……いやここまでくるとやっぱりこれぞコーエン!てなブラックなお伽噺なんだよなあ。
お伽噺といえば、この敬虔なクリスチャンのマンソン夫人が結局はこの多額の金をそのまんま受け取ってしまって、彼女が夢見ていた、ボブ・ジョーンズ大学への全額寄付となる、っていうのも、完全な悪銭がここまでカンペキにキレイな金になってしまうというのはもはやちょっと笑っちゃうぐらいのシニカルで、これまたこれぞコーエン!なんだよなあ。カンペキすぎて大向こうから、ヨッ!ナントカ屋!とか言いたくなっちゃうほどの。
“敬虔なクリスチャン”という言葉からは一瞬、想像できないほどの、教会での豪快で陽気なゴスペルに圧倒される。これもこの映画の大きな魅力で、やあーっぱ、さすが、違うよなあ。確かにみんな敬虔なクリスチャンに違いないおじいちゃんおばあちゃんが、皆スティービー・ワンダーかよ!ってなぐらいのリズム感と歌唱力でノリノリなんだもん。参っちゃう。そりゃあもう、その祈りは神様まで届くだろうよ、そんだけパワフルなら!
マンソン夫人の亡くなったご主人の肖像画が飾られてて、亡くなってもう20年が経つというのに、夫人は毎日このご主人に見守られていることを忘れないのね。このあたりも敬虔な、っていうのが判るよなあ。で、この肖像画、ビミョウに表情を変えるのだ。ヘタレ犯罪者たちに対して、彼らの悪行を見逃さんとばかりに睨みつけたり、教授に言いくるめられてあやうく犯罪の片棒を担ごうとした夫人を軽蔑のまなざしで見やったり。こういうことを案外アッサリやっちゃえるところがこれまたコーエン節というか。もう何でもコーエンコーエンにしちゃってるけど。
そして、久々にコメディアンとしての真骨頂を見たトム・ハンクス。いつの間にやら、どシリアスなアクターになっちゃったからそれもそれで素晴らしいんだけど、やっぱ、ね。出始めの頃の、コメディアンとしてのトム・ハンクスが好きだったからさあ。で、役者としてもう確立しちゃってるこの段に至っては、もう安定力も無駄なほどに?バツグンで、もはやいぶし銀の趣かも??★★★☆☆
生命力、と書いちゃったけどね、彼女、死んでしまうのよ。いきなり、オチバレだけど。でも、死んじゃうのに、彼女の生命力のイメージはやっぱり変わらないの。彼の中で生き続けている彼女は、やはりずっとそのままに、生命力にあふれてる。キラキラ光り輝く笑顔で、彼を包んでいる。それが、判るから。
彼にとって彼女は最初の恋人、だった。最後の恋人になるかどうかは判らない。彼女、瑞樹はそれを望んでいないし、アタシなんか忘れて、さっさとイイ人見つけなさい、と天国から言っているかもしれない。でも、たとえそうなっても、自分を外へと連れ出してくれた瑞樹は、彼、聡史にとってずっとずっと一番の存在であり続けると思う。
聡史は、死神と呼ばれていた。自分と仲良くしてくれた人、自分が心を開いた人、自分が好きになった人がことごとく死んでしまう不幸な青年。無論それは偶然に過ぎなかったに違いないんだけど、ここまで続くと周囲が気味悪がるのも致し方ない。仲の良かった友達たち、両親、そして気味悪がる親戚たちの中で進んで自分を引き取ってくれたおば……特にこのおば、一人暮らしの美しく若いおばに心を開いたその直後、まるで冗談みたいに階段から転落して死んでしまった彼女を見た時、彼は決心したのだ。
もう、決して、誰にも、心は開くまいと。
ファンタジックではあるけれど、それにしてもツラい設定である。彼の人生の辛さを語るために、中盤までかかるのは、確かに仕方がない。そもそも物語の導入部はかなりミステリアスである。最初に出てくるのは聡史と同じ大学の法学生、宏行である。恋人と別れたばかりで意気消沈している宏行が、電車の中で偶然出会った聡史に声をかけられる。「遺言書を書くのを手伝って欲しい」これが聡史の言葉。
人とコミュニケーションをとることが苦手だった聡史、それが出来る宏行をうらやましいと感じていた。
「電車の中で声をかけるのに、10分かかった」と言う聡史、こういう行動に出ることも、そしてそれを告白することも、以前の聡史には出来なかったかもしれない。……それは徐々に明らかになることなんだけれど。
目もくらむ豪邸に一人暮らしをしている聡史。家の中の美術品も相当な価値のものばかり。何不自由ない生活をしているはずの彼が、なぜこの若さで遺言書などを作りたがるのか……。いぶかしく思いながらも、そのバイト料の良さで引き受けてしまった宏行。そして少しずつ彼との距離が縮まり、聡史の過去が明らかになってゆくのだ。
瑞樹の話が出てくるのは、……もしかしたら聡史は別に話すつもりはなかったかもしれない。その時、宏行は恋人が初恋の男と浮気をしたことで別れてしまい、それでも忘れられない自分に悩んでいた。自分を死神だと言い、他人と没交渉の聡史にふとなげかけた疑問……セックスとかどうしてるの、まさか童貞?と。言葉だけ聞くとちょっとバカにしたようなものいいにも聞こえるけど、恋人が別の男とセックスしたことで身も世もないほど苦しんでいる宏行にとって、ごくごく自然な疑問の方向だったのだ。
聡史は、静かにそれを受け止めて応える。あるよ、僕にも経験ぐらい、と。
そしてたった一人の、恋人の話を始めるのだ……。
“突然、僕の人生に飛び込んできた”その言葉そのままに、瑞樹の登場は鮮烈だった。大学で、階段でけつまづいた彼女、驚く聡史の腕の中に、ふわりと空を飛ぶようにして、舞い降りてきた、天使。
後に、聡史の数奇な運命を知った瑞樹が、こう言うのが印象的だ。
「運命は信じないけど、奇跡は信じるの。ひょっとしたらあの時、私は死んじゃってたかもしれない。死神が人を助けたりする?」
この後、聡史とつきあうことになるんだけど、そこまで行くには、彼女の行動力がモノを言うんである。今時携帯電話も持っていない聡史にもメゲず、ずっと使われていない彼の自宅の電話番号を突き止めて連絡してくる彼女。聡史はその最初から彼女に惹かれていたんだけど、惹かれていたからこそ、親しくすることは出来なかった。もっぱら電話でのやり取り。でもそれが楽しくて仕方なかった。ずっとずっと死んでいた電話が生き返った。彼女とのホットライン。
ある日、彼女が彼の家で待ち伏せる。一度は冷たい言葉で彼女を追い払った彼だけれど……自分の気持ちには勝てなかった。
彼女だって、怖くなかったわけはないと思う。偶然とはとても思えない、彼の愛する人たちの死。でもそれによって、聡史自身が一番傷ついているということを、瑞樹は想像できたから、だから、彼のそばにいることが出来たんだと思う。愛しているから。
瑞樹の台詞というのは、どれもとても心に残る。
「会わなくなったら、相手は死んでしまったのと同じことなの。好きなら会い続けなくちゃダメなの」
初めての、二人きりでの旅行で、そう聡史に言った瑞樹。この時も、瑞樹の運転で行くということに再三渋った聡史を彼女は連れ出したのだ。無事着いた時、「こうやってひとつずつ、運命に打ち勝っていこうね」と明るく笑った彼女は、その後も火がついたフライパンにわざと騒いで、「助けて、運命が私をー!」などと聡史をからかったりする。
この時の、この台詞には、何か彼女には予感するものがあったんだろうか。この後、瑞樹は病に倒れてしまう。ガン……聡史の恐れていたことが的中してしまったのだ。
別れよう、それしかない、と、やっとかかってきた彼女からの電話にそう言い渡す聡史だけれど……絶対にお見舞いに来て、という彼女の願いに折れて、病院にやってくる。
いや、折れたんじゃない。彼は自分で、やってきたのだ。
だって、彼女を愛しているから。会わなくなったら、相手は死んだと同じことになる……なら、生きている限りは、出来る限り、会いたい。愛しているから。
彼は花を携えて毎日、毎日、やってくる。
しかし運命は過酷で……彼女は日、一日とやせ細り、副作用で髪の毛は抜け落ち、まともな会話もままならなくなる。
でも、その彼女が、最後の力を振り絞って、ベッドの上に立ち上がり、そう、あの時と同じように、彼の腕の中にフワリと抱きとめられた時、彼女は言うのだ。「聡史のせいじゃ、ないからね。また引きこもったりしないでね」
彼と仲良くしてくれた、つまり彼が好きだった皆、きっとそう思ってくれていた、と思う。そのことを、瑞樹は言いたかったんだとも思う。
でも……運命とは、何と過酷なものなんだろう。なぜ、彼女までもが死ななければいけないのか。
いくら、愛する彼女からそんなことを言われたって、そりゃムリってもんである。聡史が死を考えたって無理からぬことで……それでも即座に死ぬことはせずに、身辺整理をし、遺言書を作ろうと思ったのは……この膨大な遺産を巡って、大好きな人たちが争うことになるなんてことを、死んだ後にせよ、見たくなかったからなのか。
そのことで引き込んだ宏行と親しくなることで、彼の身に危険が及ぶことは考えなかったのかなと思わなくもないけれど……そして実際、宏行は危機一髪の目にあうんだけれど。
駅のホームへと続く階段で、足を踏み外して転落する宏行!階段で、足を踏み外して……どことなく瑞樹の“あの時”を思い出させたりもする。
そして同時にその時、死のうとしていた聡史は、しかし用意していた睡眠薬を、そうじゃないかと見抜いた宏行に全て抜き取られていて……命拾いを、するのだ。
そして、聡史は見つける。瑞樹が残したメッセージを。
彼女が興味深げに見ていた聡史の家の数々の絵画、その裏に……書き残された彼女のメッセージ。呪いは去った、とか、笑え、とか……次々に絵を外して見ていく聡史。そして彼女が一番お気に入りだった絵の裏には、「愛してる」の文字。
まあ、正直、予測はついたんだけど、予測がついた分、この“愛してる”の文字に、そうだよね、と安堵にも似た気分を覚える。
でも、死神君、この後、瑞樹に対してのように人を好きになれるかな。
実際、本当に、今度こそ、呪いは解けたと思う。宏行とはとても深いところまで気持ちを共有していたのに、彼は階段から転落しながらも、助かったんだから。そして宏行は、あの一度は別れた恋人とヨリを戻すことさえ、出来たんだから。
瑞樹は、聡史が人を愛することが出来るんだってこと、ちゃんと出来るんだってことを、思い出させてくれた、やはり天使だったんだ。聡史には何もかも教えてくれた。女の子を愛すること、ファーストキス、俗っぽく言えば筆おろしまで……。天使、だよね。だから、去ってしまったのはしょうがなかったんだ。
だから、そうだよね、死神君、今度こそ、人を好きになれるよね。
そう考えないと……この美しい物語も、哀しくなっちゃう。
最近すっかり躍進著しい玉木宏。いやあ、「ウォーターボーイズ」の時にはね、何たってあれは作品自体がその……まあ、いいや。とにかく、そういうイメージがことに本作ではすっかり払拭されちゃって、すっごくノーブルな美しさを発揮している。多少骨ばっているのが気にはなるけど……でもまばゆい光が白いシャツに反射するのが似合う美青年っぷり。
狂言回しとなる宏行役の池内博之なんかもイイけど……しかしやはり、小西真奈美なんだよなあ。彼女はホント、銀幕の天使ね。目とか小さいし、顔立ちは小作りなのに、何でここまで光り輝くのかなあって、不思議なくらい。つややかにウェーブした髪が、白い肌に映えて、可憐な睡蓮の花のよう。死んでゆくはかなさはあるんだけど、いついつまでもその躍動するチャーミングでエネルギッシュな生命力が心に残るのだ。
この主役二人の2ショットは、特に海岸でのショットは、ホントキレイ。白いシャツをラフに着た彼と、黒いワンピースでスレンダーな彼女。キラキラ輝く波打ち際、本当に夢のよう。
「Laundry」の監督さんのスクリーン第二作目である本作。あの作品はちょっと?の部分も多かったけど、恋人同士二人の気持ちや雰囲気や世界観は好きだった。本作にも?の部分はないとは言わないけど、ぐっと少なくなった……これがなくなれば、ドカンと入り込めそうな気がする。
いや、そういうアラ探しをするのがいけないんだけどね(笑)。★★★☆☆