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「ま」


2004年鑑賞作品

MASK DE 41
2004年 113分 日本 カラー
監督:村本天志 脚本:足立紳
撮影:藤澤順一 音楽:三宅純
出演:田口トモロヲ 松尾スズキ 筒井真理子 伊藤歩 蒼井優 中川五郎 片桐仁 小日向文世 ハヤブサ 元川恵美 ミスター雁之助 ファング鈴木 レジー・ベネット 冬木弘道 川津春 加納幸和 黒田勇樹 黒田哲広 内田春菊 ザ・コブラ


2004/9/3/金 劇場(新宿K’cinema)
私もねー、そんな怒るぐらいならBBSのぞかなきゃいいじゃんと思うんだけど。ここのオフィシャルサイトでプロレスフリークと映画フリークが一時こてんぱんにクサしてたからさあ、ちょーっとヤな気分になっちゃってさあ。私はその点、どちらに対しても(特にプロレスは全然判らん)ゆるーく観てるから、中途半端だのどうだのって思わなかったし、結構エキサイトして、結構感動しちゃったりしたよ。大体、映画文法を無視してるとかっていうの、無意味でしょ。そんなもんないわい。あるとしたらそれは監督個々人にあるだけでしょ。人のマネしたってしょーがないじゃん!

と……この作品と意味のないところで怒っちゃいかんいかん。いや、そう思いたくなるほど、ある意味オーソドックスに楽しませてくれた映画だったのよ。何でそこまで言われる必要があるのかなあと思うほど。……でもまあ、映画フリークはともかく、プロレスフリークにとってはせっかく映画にするんだから、しかも神様である猪木やミル・マスカラスを出してくるんだから、自分の納得のいかないことはイヤだったんだろうとは思うけど。つまり、両神様である猪木とマスカラスを同時に出してくるのは、確かに贅沢だけどキケンだったのかもしれない。
でもね、この作品を語るのはそーいうところではないでしょ。確かに猪木さん(は本人)や、あらゆるスター選手をほうふつとさせる人たちはいっぱい出てくるよ。でも問題はそこじゃなくて、言ってしまえばプロレスですらなくて、大事なのはショボくれてた中年のオジサンが、そう、そんなオジサンでももう一度やり直せる、輝けるチャンスがあるってことじゃない!

それを体現するのに田口トモロヲを持ってきたのは、すっごい、思い切りの良さだったと思う。確かにトモロヲさんは平凡な、ショボくれた、うだつのあがらない中年サラリーマンをやらせたら天下一品よ(失礼?)。でもね、トモロヲさんといったら、イメージで言えばやっぱり華奢な、棒っきれみたいな、絶対体育会系じゃない、文科系のタイプじゃない。プロレス好きというキャラは違和感はない。そういうイメージだから強いレスラーに憧れるというのもリアリティがあるし。だから彼演じる忠男=リングネーム小鉄が大学のプロレス研究会(同好会だったかな)時代、400戦全敗というのもトモロヲさんのイメージにはそこまではピッタリなのよ、確かにね。
でも、そのトモロヲさんが、いやさ小鉄が第二の人生にレスラーを選び、肉体改造して、本当にレスラーそのものの、鋼の肉体になってしまうというのに、驚くのよ。まさにクライマックス、カリスマ選手、ワスカラスの替わりにリングに上がろうと決意した小鉄がバッ!とばかりに脱ぎ捨ててその肉体を見せた時、劇中仲間たちからおおお!と声があがるんだけど、実際観てるこっちもおおお!と心の中で声をあげたわよ。うっそお、これがあのトモロヲさんのカラダなの?うっそお!って。
トモロヲさんをここまで本気にさせた映画を、自分が納得いかないからってだけでクサすのは、許せんのよ!(むしかえすか……)

でも、そこに至るにはさまざまな紆余曲折があるわけ。彼、倉持忠男はまさに今人生の曲がり角にきてる。41歳、本厄である(厄はちゃんと祓わなきゃダメよ)。勤めていた会社の経営状態が芳しくなくって、希望退職を募る掲示板が出てる。不安に苛まれる社員たち。スーツ姿じゃなくて、その上に作業ジャンバーを着ているのがやけに似合ってるんだなあ、トモロヲさん……このショボクレ加減が。
そんな彼に南アフリカに建てる予定の工場をまかせるという異動命令がでる。でもそれはね、大ウソなの。研修だといって彼が行かされたのはガランとしたオフィスの一室。二冊の本(語学とか文化の勉強をするようなやつ)を読みながら、いつ来るとも判らない辞令を待つだけ、それが仕事なんだと、彼に引継ぎをした男は疲れきった表情で言う。僕はもう疲れたんだと。
そう、これはていのいいリストラだったのだ。

忠男が行きつけの、プロレスファンが集う飲み屋、カフェアリーナ。ここで過ごす、彼のほっとする時間。家庭も彼にとって心休まる場所ではなかった。妻の恭子とは連れ子同士での再婚だったけれど、恭子はフラワーアレンジメントに夢中、家の中は花だらけ。花粉症になりそうな中で花の向こうの恭子は世間知らずで、夫の会社の窮状など知るべくもなくグチばかり。二人の娘はちょうど反抗期、上の娘はビンボーな男に引っかかって家を出て行ってしまうし、下の娘はパラパラダンスに夢中。血がつながっていない、あるいは連れ子で再婚したという負い目があって、子供に対して強く出られない彼ら。
そんな時、その飲み屋にかつてのプロ研仲間、蛯脇が現われる。いや、その前に忠男は彼を見かけていた。月に一度会える、元妻が引き取った息子と会う日、お互いにプロレス好きで、会う時は必ずプロレス興行に出かけていた。その時、新団体の売り込みに、リング上に乱入した男が、その蛯脇だったのだ。

この蛯脇が松尾スズキである。いやー、松尾さん、似合いすぎっすよ。あのね、彼、悪い人じゃないし、本当にプロレスに対して真剣な愛を持っている人で、プロレスファンではあるけれどその現場に飛び込むまでの勇気のなかった忠男と違って、底辺で辛酸をなめながらプロレスの現場にしがみついてきた人なのね。だから、憎むことなんて絶対、出来ない。なんだけど……この人、肝心なところでドジっていうか、ダメ男なのよ!ダメ男という点に関してはマア今の忠男だっていい勝負かもしんないけど、忠男の場合は自分からブチ壊すタイプではないからさあ……。蛯脇は自分から一生懸命動いて動いて、それを自分でブチ壊しちゃうんだから、ある意味潔いとも言えるけど??メーワク極まりないのは事実。

だってね、忠男は、新プロレス団体を作るんだ!というこの蛯脇の情熱に感動し、今の自分の現状にも絶望していたし、ならば、その資金を出させてくれ!っていうことになるのよ。その資金ってのは、忠男の退職金よ。1千万よ。それが、蛯脇がこの興行の目玉としていたスター選手、浜田京子と×××な関係になって、京子が妊娠しちゃって、ボツよ。オイッ!て感じでしょお!?
でもね、まあ……言ってしまえば、この時点では忠男はただ金を出してのっかろうという立場に過ぎなかったのは事実。自分で動いたわけじゃなかったの。そりゃこんな事態になって意気消沈はしたけど、蛯脇を責めることなんて出来なかった。他人に自分の人生を預けた自分の責任、そう思ったのかもしれない。
しかしそのあたりから彼の家庭崩壊は進む一方。何たって家族にナイショで会社辞めて、プロレス団体設立にかんじゃったんだから。妻の恭子は怒りまくる。何でそんなことぐらい言えないの、家族でしょ!って。

まあ……このことに関しては忠男の気持ちも判るのね。だってこの、ラクな生活に慣れきったお気楽妻に言ったって判ってもらえないだろうって思うのはムリないもの。しかも家庭は崩壊寸前でしょ……それに関してはいくらお気楽主婦だったとはいえ、恭子の言い分も判るのね。これは世のサラリーマン男性諸君、耳の痛い話だと思うけど……男の言い分としては、俺が働いて支えてきたんだろ!っていうけど、結局それは金を落としてきたってだけの話で、忠男も世の男性と変わらず、それで充分だと思って家庭に目を向けて来なかった。しかも連れ子同士の再婚という状況は、年頃になった娘に多少なりとも影を落とすのは予想の範囲内だったはずで、それに対して妻は一人で耐えていた。そのことを、忠男は何一つ理解していなかったわけ。

フラワーアレンジメントなんていう、まあ、言ってしまえばお気楽カルチャーの代表みたいな(ごめんなさい!いや、ここでのイメージっていうだけよ)ものにのめりこんで、そこの先生にクドかれてちょっといい気分、みたいな彼女が愚かに見えながらも、軽蔑しきれないところがあるのは、それが彼女の逃げ場だっていうのが、女としては判る気がするから。忠男は、俺が働いて家計を支えてるんだろ!って言って、だからこんな窮状になったらこんなカルチャー、辞めるのが当たり前だろっていうのも、判りすぎるほどに判るんだけど、その言葉には、いかにも「俺が養ってやってるんだから」っていう今までのダンナ上位主義がミエミエで……こんなこと言わなければ、彼女が家庭を支えていることを尊重してくれていれば、彼女だってこういう状態になれば素直にカルチャースクールなんて辞めてたと思うのに、って思うのよ。確かにこの妻は世間知らず。でもそうやって閉じ込めていたのは男に原因があったんじゃないの、家庭崩壊の原因の一旦もそこにあったんでしょ?って。
専業主婦っていうのは、すっごい大変な、世間の仕事の中で一番ぐらいに大変な“仕事”だって私、思うよ。だって専業主婦って24時間拘束だもん。肉体的にも精神的にもよ。冗談じゃない、私は絶対、出来ないって思うもん。それを男は判ってないんだなあ。三食昼寝つきぐらいに思ってるんだから!

……すいませーん。ついついフェミニストな論にエキサイトしてしまいましたあ。だからこの作品の魅力はそーいうところじゃなくって(汗汗)、リストラされちまったショボくれた中年男が一念発起してレスラーへと変身していくって、そういうところにあるんだってば。
あのね、蛯脇が妊娠させちまったスター選手、浜田京子っていうのは、その名前の通り、浜口京子のパロディなんだよね。トモロヲさんがトレーニングを受けたのはアニマル浜口の道場であり、浜田京子の父親としてタイガー浜田、という名前も出てくるから、も、完全にパロディ。でもこの浜田京子っていうのが、浜口京子に似てなくもないのよ。勿論もっと女優顔、アイドル顔でカワイイんだけど(浜口さん、ゴメン!でも銅メダルとった時にはすっごい感動してボロボロ泣いたよ!)。実際に浜口京子がやってたら面白かったのになあ!?

で、浜田京子の妊娠で頓挫したこの話は、再度燃え上がることになる。仕事を失った忠男と蛯脇がしばらく世話になっていたダフ屋の野田が、猪木愛ゆえに彼の故郷、パラオまで行って自分の思いを全うしようとしたことと、カフェアリーナのマスターが新しいプロレス雑誌に携わるためにこの店をたたむ決心をしたこと。浜田京子の妊娠で団から離脱した夫婦レスラーをメキシコから呼び戻し、そのメキシコから伝説のレスラー、サル・ワスカラス(とーぜん、ミル・マスカラスのパロ。それぐらい私にも判るさあ)を招聘して。消えかかっていた闘志が再び燃え上がる!
でも、ほっんとに、蛯脇はダメなの!この、せっかく招聘したワスカラスを、ブレーキをかけてなかった車がゆるゆるバックしちゃって、轢いちゃうの!お、お前、バッカじゃないのー!!!もう、さすがに腹かっさばこうとする蛯脇を誰も止めないの判るよ、それどころかキレた野田が蛯脇の手を押さえ込んで、指つめようとするのも、激しく判るよ!何であんたって、こーゆー大事な時にッ!
……いやあ……こういうの、松尾スズキサンてば、ピッタリすぎよね、似合いすぎ。こーゆーダメ男っているんだよね、仕方ないよ、ってもはや思っちゃうもん(笑)。そう思ったかどうかしらんけど、この時には忠男は怒らない。静かに座ってる。何かを考えているよう……とと!
バッ!とばかりに上半身はだかになった忠男、いや、小鉄のそのスバラシイ体!そう、まさしくこの時、トモロヲさんの長いトレーニングの成果が示されるのだッ!

そりゃあね、そりゃあ、カリスマレスラー、ワスカラスの替わりになれるほどの肉体ではないよ。タッパもないし。会場に登場したとたん、バレちゃってブーイングよ。でもね……レッド・ファルコンとの死闘はこれは……“MASK DE 小鉄”になるべく日々頑張ってきたお父さん、忠男の、そして勿論役者、トモロヲさんの集大成だったなあ!まさにドキュメントで……マスクかぶっててもちゃんとその目でトモロヲさんって判るし、途中からマスクがとれて、顔をきっちり、そうこれはスタント使ってないんだ!っていう意思がよく判るカメラワークで、トモロヲさんが飛び、殴られ、叩きつけられ、失神し……だって、シロウトだったんだよ、役者とはいえ文科系だよ、死んじゃうよ、って思って……壮絶、なんだよお。

この会場に下の娘ハルカと妻の恭子が見にきてる。上の娘春子はビンボーな彼をほっとけなくて北海道に行ってしまった。行く直前、父親に会いに来て、見られなくてゴメンね、頑張って、って言いに来る。扮する伊藤歩がイイんだよなあ。ずっと、ずっとね、親に反発してたの、彼女。でもね、ダメ男にホレるのは遺伝だね、なんて妹のハルカに言って、血つながってないじゃん、って言われて(春子は忠男の連れ子だから)、その時に春子は10年築いてきた家族の絆を感じたんだと思うんだ。だからこの会場には春子はいなかったけど、心はいたと思うんだ。

でね、ハルカを演じる蒼井優がまた相変わらず良くってさあ。この子の、気負わない少女そのもののナマさっていうのは、作りこむタイプの伊藤歩と対照的で、姉妹役としての二人のコラボっていうのは、見ててなかなか面白いのだ。だってさ、この二人、「リリイ・シュシュのすべて」では同級生だったんじゃん!って考えたりすると、余計に興味深かったりする(伊藤歩は……「さよなら、クロ」でもそうだったけど、凄いよなー、そういうとこ)。
このハルカが母親を連れて行くんである。ハルカは春子以上に現代風の、クールでドライな少女で、家庭崩壊も親の不仲もハスに構えて見ているようなところがあるんだけど、でもその実一番それを心配してて、そのクールさはつまり、それを隠す仮面のように思えるところもあったりして……っていうのが、優ちゃん、上手いんだなあ!でもさでもさ、春子が頼りない彼を支えるために北海道に一緒に行く準備をしている時に、「北海道なんてチョー田舎だよ。修学旅行で行って2秒で飽きたもん」って言うのは……オイ!優ちゃんじゃなければ、しばき倒すぞ、コラ!

結局試合は引き分けで終わって、でもニセワスカラスに会場は相変わらず大ブーイングで、リング上にゴミが無数に投げ入れられるのね。小鉄はマイクをとって叫ぶ。挑発的に。俺はワスカラスじゃねえ!俺は俺だー!って。俺は俺だ!そうだ、そうだよ!あんたは小鉄で、そして倉持忠男なんだよ!これが、これがこの映画の最も言いたかったことなんだよね!そう、猪木にもマスカラスにも当然、なれない。いくら憧れたって、なれない。自分は自分だから。だから、逆に、自分にならなれるんだ。その自分を自分が誇れる自分にしていくことは出来るんだ。この時の小鉄には、それが出来ていた。だから「俺は俺だ!」って、言えたんだ。
そして小鉄は妻の恭子をリング上に呼ぶ。上がってこいよ!って。家庭内ではとても出来なかった、完全に対等な、タイマンのにらみ合い。かつて、「俺のブランチャを受けてくれ」と口説いた妻に、逆に「バカー!」とタックルで倒され、興奮した客が乱入し、もうメチャクチャ。でも彼ら夫婦と、そしてたまらずリングに上がってきた娘、ハルカのスリーショットは、200パーセント全開にクッシャクシャの笑顔で、まぶしくて、ああ、ふっきれた、乗り越えた、つかまえた!って……。だって、こんなお父さん、サイコーじゃない。サイコーでしょ!

ラストシーン、ひとり帰ってきた忠男がキッチンに用意されている鍋の中の切干大根の煮物を見てなんともいえない表情を見せる。この切干大根の煮物っていうのはね……途中、出てくるのよ。この一菜だけで各々一人でご飯を食べる家族、っていうのが。そのシーンが映し出された時はね、皆で食事をとらないっていう、家族崩壊を印象づけたように感じたんだけど、実はそうじゃなかったっていうか……だって、みんなで一緒に食事をとってるシーンも出てくるけど、その時は会話もなくて、気まずくて、シーンとして、ちょっと見てられない感じでさ。でも各々一人で食事をしているシーンをラストシーン見た後で思い返すと、この一菜が、家族一人一人をつなげていたんだなあ、って思ったんだ。そのことに、私同様忠男もこれまでは気付いていなかったから、それに気付いたラストに、あの感無量の表情を浮かべたんじゃないかって、思うんだ。

元妻に引き取られた息子、光雄に扮する黒田勇樹がイイ感じだったなあ。彼はお父さんの影響でプロレスラーになりたいと思って、勝手に学校も辞めちゃって、メキシコ行きを一人で決めちゃうのね。「デビューが決まったら知らせるから」という駅での別れ、いつものようにお父さんと組み合って、一度はやられた姿勢からぐっとやり返してお父さんを倒しちゃう。「一度は受けてあげなくちゃね」……子供だ子供だと思っていた息子の成長を目の当たりにする忠男。
そう、忠男の人生は“受け”の連続で……だから、プロ研時代も受けばかりで、負けてたわけ。でも、攻撃に転じたのが再婚相手の恭子への、「俺のブランチャを受けてくれ!」という口説き文句であり、そしてその次が、この第二の人生をかけた試合だったわけよね。勝てはしなかった。せいいっぱいで、引き分け。そのあたりが小鉄らしいとは思う。でも、負けはしなかった。勝つのはこれからだよね、ね?マスク・ド・小鉄!

監督の村本天志は、「かわいいひと」の第一話を演出。ここはさあ、富樫森も輩出したとこだしさあ、期待できる人だと思うよ。実際、本作はヘンにネラうこともなく、率直に楽しませてくれた。CM出身ってことだけで、ヘンに見下したような言い方するBBSの書き込みに、ちょおーっとムカついたからさあ!だって、大林監督だって市川準監督だってCM出身でしょ。今時そんな揶揄は古いっつーの!★★★★☆


マチコのかたち
2004年 30分 日本 カラー
監督:白川幸司 脚本:白川幸司
撮影:井川広太郎 音楽:小松清人
出演:鈴木薫 エミ・エレオノーラ 豊永伸一郎 若林誠 中村祐樹 坂口翔平 直樹 信川清順 吉村康宏 赤星満 浅地直樹 菊島夕起子 佐藤芳江 白川幸司 中村玄悟 生原麻友美 長谷川友希 林直美 二見洋子 二見芽森 二見林太朗 二見くりえ 古河耕史 藻羅 森山米次 山崎喃湖

2004/6/22/火 劇場(シネマアートン下北沢/レイト)
いつの間にやら劇場の名前が変わってるー。うーん、前のシネマ下北沢、の方が響きが好きなんだけど、と思いつつ、ここに来るのも久しぶり。白川監督の前作「眠る右手を」に頭ガツンとやられたので、この新作には迷わず足を運んだのであった。あ、お客さんがす、少ない……。
二週間限定上映だから、監督は多分毎日足をはこんでいらっしゃったんだろうけど、この日も上映終了後挨拶していた白川監督はやっぱり客足のことを心配していて、クチコミを頼んでたりした……これ、確かにリラックスして観るには楽しいチャーミングな掌編だけど、下北まで足を運ぶのにはそれだけのパワーがないと難しいのかも。
だって、やっぱりビックリしちゃったんだもん。え!?も、もう終わりなの?って。
知らなかったんだもんー、こんなに短い作品なんて。何たって「眠る右手を」はあれだけの大作だったから、まさかと。知らなかったのが良かったのか悪かったのか……。

確かに最初っから作品の性質自体、ずいぶん違うな、とは思った。だって、一瞬ドラァグクイーンかと見まごうようなキョーレツなエミ・エレオノーラの造形と、突然のミュージカル!だもんね。
ただ、その画の印象が、まばゆい光の中の、どこか夢の中に浮かんでいるような感じが共通していたから、ああ、やっぱり「眠る……」の監督さんなんだなあ、と。そういうギャップとか違和感はなく観られた。
エミ・エレオノーラ演じるマダムが強烈だけど、一応主人公はタイトルロールであるマチコ役の鈴木薫嬢である。私こういうコ、好きなんだあ。くしゃくしゃの黒髪にメガネかけて、いかにもドンくさそうで、単純な女の子。うーん、キャワイイッ!と思っちゃう。

とあるオシャレなレストランの中、彼女は携帯で必死に連絡をとろうとしている。ロバートという名の恋人。不倫関係らしい。
ろ、ロバートかあ……なんて思い……このドンくさそうな女の子にロバートで不倫だなんて、なんか既に転落が見えてるなあ、なあんて思っちゃって。そして彼女がこのレストランで遭遇した、同じドレスを着たキョーレツマダム!
同じドレス、だなんて言われなければ判んないなと思うのは、はー、やっぱり着こなしってものがあるんだな。ま、マダムの方はアクセジャラジャラつけているせいもあると思うけど、いかにも服に着られているという感じのマチコと、どっしり、しっくりきているマダムではえらいカンロクの差。

同じドレスというのがプライドにひっかかった、というにしてもしつこくマチコにちょっかいを出してくるマダム。マダムが数年契約しているという男娼をつかってまずからかい、そして自分の席につっかかってきたマチコをにっこり笑って座らせる。待ち人が来ないというマチコに、人生相談よろしく生き方を変えることを提示するのだ。
で、で、いきなりのミュージカル!店中のキテレツカップルたちや美青年っぷりがちょっとエロいウェイターたちが歌い、踊りまくる。マチコは目を点にしながらも、なんだか巻き込まれて言いくるめられてしまう??
いわく、女にはみなそれぞれのカタチがあるんだという。そしてそのカタチを知らずに何度も繰り返してしまう。そのカタチっていうのは、なんだかどれもこれも不幸なものばかりで、しかも恋愛を示すものばかり。
女は、悲しい生き物なのね。そして、一回谷底に突き落とされないとそのカタチを変えることも出来ない。
谷底……そう、そうなのよ、マチコは突き落とされてしまうのだ!

マダムからその手の中にそっともらった魔法。まだ開けちゃダメよ、開ける時はおのずと判るから、と言ってマダムは艶然と去ってゆく。
かのロバートがようやく到着する。マチコは今起こった出来事を彼に話す。私と同じドレスのマダムがいたのよ、と。
とたんに、ロバートの顔色が変わる。このドレスはまだ販売していない。よって同じものがあるわけがない。あるとしたら……このドレスは妻がデザインしたものだから!!
オーマイガッ!とばかりに震え上がるこの男の態度に、思わずマチコが握っていた手を開くと……そこにはオモチャみたいなでっかい石の指輪。ロバートがさらに震え上がって同じ指輪を取り出す。こ、これが結婚指輪……こんなのしてたら危なくてしょうがなさそうだけど。

ま、不倫をしているという時点で無責任な男と言えるけれど、それにしてもこのロバート、マチコをどかーん!と殴りつけて、お前なんか愛してない!と言い捨て、マダムを追って駈けていってしまう。ひ、ヒドイ……。
奈落の底に落とされるマチコ。レストランのカップルたちが次々と出て行っても、彼女は微動だにせず、鼻血を吹いたその顔をあおいだカッコウで座り続ける。ウェイターたちが看板ですよと声をかけると……。
不敵に笑いながら、次々と食べ物を注文するマチコ。こ、コワイ、なんかコワイ、アンタ!
……壊れただけじゃないかって気もするけど、マチコ、でも、これがマダムにかけられた魔法、なのかなあ……どちらかというと魔法をとかれたって風に見える。

つまり、女は恋愛の時にはいつも夢見ていて、それは幸福な夢でないことの方が案外多くて、自分を不幸にする夢に甘美におぼれることも多くて……それがそれぞれの女のカタチであり、幸せな恋愛をおのずと遠ざけているものなのかもしれないなあ。
ほら、女にとって恋愛と結婚は違うっていうじゃない?恋愛ではそういうカタチの中に自分をはめ込んで安心して酔っている部分があるのかもなあ、意外と。だって結婚は人生だから、夢の中ではいられないもの。
でもそのカタチを繰り返すあまり、人生さえも遠のいていき、気がついた時には……みたいな、さ。

冒頭と最後に、アイスクリームをなめなめ男の子とデートしているちょっとブチャイクな女の子が登場していて、彼女が最後の場面で手にするのが、このマチコの写真が載っている「女のかたち」という本なのである。このブチャイクっ娘とデートしていた男はこのマチコの写真に驚き、ブチャイク娘はこの本を手に、男を残してさっそうと歩いてゆく。
んん??このくだりはよく判らんかったけど……まさかマチコが形を変えたのがこのブチャイク娘ってわけじゃないでしょ(んなワケない)、相手の男がロバートだったとか?……違うよなあ……。
まあ、この女の子も、スパイラルに陥った自分のカタチから抜け出したってことなのかなあ。
ラストクレジットはこのマチコが涙をたたえて、じっとこちらを見つめているアップがえんえんと映し出される。まばたきしてないぞ、マチコ……涙が流れているのはそのせいじゃないかあ?なーんて。

実はマダムだってカタチに陥っている一人だったかも、しれないのだ。数年契約している男娼とヨロシクやっているように見えながら、意外に夫へのアテツケかもしれない。同じドレスを着たマチコを見つけた時、ダンナの浮気を即座に悟ったんだろうけれど、ダンナのこと、愛してなきゃ、あんなにしつこくマチコにからんだりしないよね?そして、何でも言うことを聞く男娼が、一瞬自分にホレているんじゃないかと思うことがあると……それは本当に一瞬なんだけど、と言う彼女。これ以上自信満々に見える人もいないんじゃないだろうかと思えるマダムが言うには、意外すぎるほどの切なさなんだもの。
あのドレス、でも意外に似合っていたのはマチコ役、鈴木薫の方だったかも。ベビーピンクの愛らしさを、エミ・エレオノーラはどこか魔女的に着こなしていて圧巻だったけど、素直にその肌に似合っていたのはマチコの方だったのかも……マダムを信奉するホストみたいなエロっぽいウェイターたちには笑われていたけれど。だから、こういうマチコの可愛さに気づく男を見つければいいのよね、きっとさ!

物語に関係あったのかなかったのか判らんけど、マダムのテーブルに置かれた、巨大な、ふるふるした緑色のゼリーが気になってしょーがない。あの飾りつけも何にもしていない意味のない巨大さと緑色!マダムと男娼がチョメチョメやる時(チョメチョメ……)、マダムの手がそのゼリーにかかり、握りつぶしていく……これもプレイのひとつなのかしらね。ちょっと気持ちよさそう。い、いや、ゼリーをつぶすのがよ、うん(汗)。★★★☆☆


魔法のペン
1946年 11分 日本 モノクロ
監督:熊川正雄 脚本:寿々喜多呂九平
撮影:山口別弘 音楽:
出演:

2004/7/16/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(日本アニメーション映画史)
これは映画、まさに芸術、と言っていいんじゃないだろうか。ここまで見てきた作品群が優れていながらも、まず基本に道徳、教育、子供への教えや諭しがあったのに対して、これはハッキリと違う。作者の意図が見て取れる。それはちょっと感動的でさえあるのだ。このたった、11分のアニメーションが!

だって、まさに、この時代だ。戦後真っ只中。一人の男の子が捨てられていたお人形を拾う。フワリとしたドレスを着た、可愛らしい女の子の人形。ほころびを彼自ら繕ってやると(男の子が針に糸を通してちくちくと繕うのがまるで当然のように、なんだよね……これも時代かなあ)、そのお人形が見る見る間にホンモノの人間の女の子になって、彼の手を握ってニッコリと笑うのだ。このスリリングな描写!

彼女が彼にプレゼントしてくれたのは、魔法のペン。描いたものが即座にホンモノとなって表れるという夢のようなペンだ。その時女の子が描いて出してくれたのは、たっくさんの食料品。このあたりは食糧不足の時代事情をダイレクトに反映している。でも男の子が描いて描いて描きまくったのは、建築物、いや、いわゆる、街そのものだった。この焼け野原を元のように、いや元以上に素晴らしく再生させようと、どんどんどんどん、描いてゆく。まるでニューヨークの摩天楼のような大都会がどんどんと出来てゆく!

この戦後の混乱期、生きていくのに精一杯のはずの、たった一人の男の子が、未来への希望を胸いっぱいにふくらませて描いてゆく、この街の、そして日本の復興の姿は、まさにその後の、高度経済成長をとげた日本のそれそのものなのだ。本当に、その先をこの作品が判っていたかのような先見の明に驚く。いや、先見の明というより、本当に、そうなりたいと、そうなるべく頑張ろうよと呼びかけるこの映画の思いは、その時の日本人すべてに共通する思いだったんだろうと思う。この時点ではまるで夢物語みたいな話。でも希望に満ち溢れて、それだけで感動的だし、実際、その後の日本人は、この魔法のペンがなくても、同じことをやってのけたのだ。

それにしてもこの男の子は建築家かと思うぐらいの絵心だけどね(笑)。ま、そんなことを突っ込んじゃいけない。で、これは実は夢オチで、彼はお人形を抱いたまま、居眠っていて、その間に見た夢だったのだ。外は元のとおりの、まだまだ廃墟の街。でも彼の目には希望が輝いている。

どこか、きいちのぬりえに似ているような、クラシックな顔立ちの少年少女たちが描く夢は、なんでも揃っている今の私たちには持ち得ない夢。何だか、うらやましい。★★★★☆


マングワ 新猿蟹合戦
1939年 11分 日本 モノクロ
監督:政岡憲三(熊川正雄) 脚本:
撮影: 音楽:――(サイレント)
出演:――(サイレント)

2004/7/16/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(日本アニメーション映画史)
1939年!今の日本のアニメーションの形につながるそれとして、最も初期の作品群に属するんだろうなあ。11分という掌編だけれど(この日観たのは皆それぐらいの短編集)、様々な点ですっごく、面白いのだ。

まず、サイレントのアニメーションなんて私、初めて観たもの。アニメーションって、ま、今も割とそうだけど、もっとずっと子供に向けたものだったじゃない、長い間。その基本形が凄く出ている。だって、サイレントのその、字幕の文字がデカいんだもん(笑)。カタカナだけで、これ以上ないってぐらいデカい。この感じはいかにもノスタルジックで、傷んだ画面すらキューンときちゃうんだなあ。当然この時期だからモノクロだし。

しかし、最も驚いたのは、その動きの優雅といえるほどのしなやかさなのであった。それこそディズニーをほうふつとさせるほどの、やわらかな動きをもうここで獲得しているの。これは本作だけじゃなく、今日観たいずれの作品も(みんなモノクロで超古いのよ)そうで、かなり感嘆するものがあった。しかも、キャラがカワイイ!猿蟹合戦、うん、みんなが知っている話。悪役であるサル君はまあ普通だけど、最初やられちゃう方のカニの親子がね、お母さんカニに渋柿をぶつけられたら、お母さんカニってば、包帯巻いてんの!カニに包帯は巻かないだろう!なんてつっこんじゃいけない。なあんかもう、可愛いんだもん。そしてそのお母さんカニを仲間たちがみんなで介抱してあげて……蓮の葉にたまった水とか飲ませてあげて。ううう、こういう世界をすんなり受け止められる子供が今いるだろうか……。

それと、ハチ君たち。サルに巣を落とされて、巣を遠く運んでゆく。その飛行シーンも、もうこの時期から宮崎駿の先輩がここに!という、すがすがしい動きを見せて目をみはらされるし、何よりそのハチ君たちがまた、カワイイんだよなあ。あのね、どことなくミッキー・マウスに似てるのよ(笑)。あの手袋はいたような手と、ブーツはいたような足がね、良く似てるの。ミッキー・マウスが誕生して10年後ぐらいと考えると、既に影響があったと思われるこのカブりは実に興味深い。

自分勝手なサルをこらしめるドタバタは、なつかしの「ホームアローン」とかの、コメディアクションにつながるものを充分に感じさせる軽快さ。“自分勝手なヤツをよってたかって懲らしめる”っていうのって、でも今じゃストレートすぎて危険ではあるんだけど……だって、ラストシーンって、ちょっと、コワイのよ。うす君がどーん!とサル君の上に乗っかって、サル君がペラペラになってとんでっちゃうの。死んじゃったであろうサル君の目は真っ黒の丸になってて、ちょっとどころかかなりコワイものが……でも、このトドメをさしたうす君も、屋根からズリ落ちそうになって慌てて這い上がる動きとか、実にチャーミングだったんだけどね。

タイトルの、“マングワ”ってのが、イイじゃない?★★★☆☆


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