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「な」


2005年鑑賞作品

NANA
2005年 114分 日本 カラー
監督:大谷健太郎 脚本:大谷健太郎 浅野妙子
撮影:鈴木一博 音楽:上田禎
出演:中島美嘉 宮崎あおい 松田龍平 成宮寛貴 平岡祐太 丸山智己 松山ケンイチ


2005/9/27/火 劇場(錦糸町シネマ8楽天地)
同じ名前のナナと奈々、まったく正反対の二人の女の子が、東京行きの列車の中で偶然隣り合わせ、更に偶然の再会で同居することになり、二人さまざまな人間模様が描かれる。ことに、ナナの元カレであるレンはいまや大人気のバンド、トラップネストのベーシストであり、この通称トラネスの大ファンである奈々は何とかナナとレンの仲を元に戻そうと……。

なんていう感じ。なんつーか、もはやあらすじなんて語る必要ないぐらい知れ渡っちゃってるし。とにかく原作が有名なんで、サラの状態で観ることがいつも以上にはばかられて、“予習”してしまったことが今回ばかりは裏目に出てしまったかもしれない……。昨今の、ベストセラーやコミックスが原作の場合、いつもそうなんだけど、特にこれほどのカリスマ的人気を誇るコミックスの場合は、第三次の部分で世界観が確立していて、熱心なファンにとってはただのイチ映画で済まされないだろう、というのが、その作品のファンじゃなくったって想像がつくし、気持ちも判るから、ケチでめんどくさがりの私が、今回の映画化ではここまで、という5巻まで買って読んじゃったもんだから、

ヤバい、ハマった……。

なるほど噂に聞こえし矢沢あい、世界観の完成度がこれほど高いとは思わなかった。これは確かに映画にはしたくなる。映画の画が、見えるんだよね。上手い漫画家さんって、コマ割りやカットで見せる見せ方が、上質の映画のそれをそのまま思わせるから。
だから難しいのよ……。
これが小説だと、その部分は完全に映像の作り手にゆだねられるじゃない。だから映画ならではの個性を出すことがコミックス原作より容易だし、原作のファンも別物だと割り切ることが出来るんだけど、これだけコミックスの世界で完成されちゃうと、コレが難しい。

いや、キャスティングを聞いた時、そしてそれを公開前にチラ、チラと出された露出の時点では、これはイケると思ったの。中島美嘉と宮崎あおいのナナと奈々は、奇跡的なぐらいコミックスのイメージそのままだったから。これほどキャリアを重ねている二人なのに、こんな人気キャラクターのイメージにバッチリ重なるなんて、これは本当に稀有なキャスティングだと思った。
で、実際映画を観てみると他のキャラクターたちも、どれもこれもコミックスから抜け出てきたようなハマリ具合なんである。まさにコミックスそのままの容貌のスキンヘッドに鼻ピというコワモテのドラマー弁護士のヤスや、ノーテンキなお坊ちゃまギタリストのノブや(演じる成宮寛貴は、これまでのカッコつけのイメージよりずっとこっちが似合ってる)、そして奈々、いやハチの専門学校時代からの友人、淳子や京介、ハチの彼氏が浮気した幸子に至るまで。

ただ……ナナとハチ、あとはレン役の松田龍平ぐらいまではその外見を含めたイメージがナカミ(演技)までそれなりに浸透している感じなんだけど、他の、特に淳子や京介、幸子あたりになると、何か外見だけを着せ替え人形のごとくコピーしただけの薄っぺらさを感じちゃうんだよね……。うーん、でもナナ、ハチ、レンもやはりそれなり、かなあ……彼らならもっといい演技が出来そうな気がするんだけど。
登場人物全員そうなんだけど、コミックスに出てくるファッションまでも忠実に再現してる。それがナナ、ハチ、レンあたりまでは、つまりは板についてるのよ。でもそれ以外になってくると、コミックスの世界をヴァーチャルに着せ替え人形遊びしてるみたいな気分になってくるの。

だからこれは多分、ヘタに原作に手を出しちゃったせいだと思うんだけど……ただやっぱりムリがあんのよ、映画の尺の中で二人のNANAを両方主人公にして話を語るのはさ。
これが例えばね、映像作品としてもう世に話や世界観が浸透してたりして、うーん、そうだな、例えば寅さんや釣りバカみたいにさ、だったら、二人の話を同時進行でも、それなりに深い話が語れると思う。でも映像作品としては今回が初で、コミックスを読んでない人には何も判らない状態で、いきなり二人のNANAを主演は、ちょっとムリがあるような気がしてならないんだよなあ……だって二人それぞれを取り巻く人物を2時間あまりの中で全部説明しながら話を進めなきゃいけないんだもん。

見た目は、どうしたって薄幸に生まれ育ったパンクの歌姫、ナナの華やかさの方に目が行ってしまう。ハチはというと、演じる宮崎あおいはブリブリな女の子の格好もバッチリ似合って、はちきれんばかりの全開の笑顔に、こんなに彼女可愛かったっけ!?と、もービックリしてしまうほどなんだけど、ライブシーンもふんだんにあり、乱暴な言葉づかいとワイルド&キュート&セクシーなナナを演じる中島美嘉の鮮烈さにはかなわないんだよね。
つまりはナナは、ナナのキャラクターは、言ってしまえば判りやすいのよ。精一杯虚勢を張っている外見から、内面のギャップが容易にイメージされるというのもあるし。

ハチは一見ただのカワイイ女の子なんだけど、実はかなりやっかいというか……やたら惚れっぽくて、思い込みが激しくて、自己チューですぐ周りが見えなくなって、その割に親しい他人(恋人とか友達)に自分の運命をすぐ託しちゃうような……淳子言うところの“疲れる女”であり、これはある程度描写を重ねないと判らない、案外フクザツなキャラクターなんだよね。で、今回ナナとハチを等分に描いていることもあって、ハチの方のそういう複雑さがさっぱり判らないまま、何かただのカワイイファッションの女の子って感じになっちゃってる。
比較ばっかりしてなんなんだけど、コミックスでのハチは社会をナメてんだよね。常識ないし、仕事もツラいとテキトーに流してる感じで、一生懸命社会人してる向きとしては、結構ムッとしちゃう。でもそういうハチならではの描写を描いて、なおかつ彼女を可愛く見せるのは、確かにこの尺では至難の業であり(大体、じっくり描くコミックスでも彼女にはムカつく場面が多々あるんだもん)、そういう彼女のイイカゲンさを映画では排除しちゃってるもんだから(仕事をこなせないのは単に彼女に向いてないからっていうような描き方とか)、普通の女の子に落とされちゃって、余計に印象が薄くなってしまう。

5巻までの話の流れを、ナナとハチのエピソードはほぼ落とさずに描いていっている。ほとんどの要素を入れて、ある程度話をすすめるから、ジックリ語る余裕が全く、ない。えっ?えっ?と思うほどサクサクと展開が早い。時間差で語られるエピソードを同じ時間のシーンにまとめているところも数箇所ある。その時だけしか登場しないワキ役の台詞をメインの誰かにふったりね。それは映画というメディアに押し込めるにはある程度仕方ないことだし、それが上手くいけばいいんだけど……そういうまとめが多すぎて、ここでちょうどよくあんたが登場するのはご都合主義すぎるだろう!とか思う場面が結構あるわけ。それだと、本来覚える筈の感動が、どっかいっちゃうのよ。これは原作を読んでなくても多分思うと思う……コントみたいにこう来たらこう、みたいな感じなんだもん。ギタリストが決まったとたんに、上京していたドラムのヤスがスタジオのドアを叩く、みたいなとこね。

でね、そうなると、ひとつひとつのエピソードがえらい薄い印象になって、あまりに薄すぎるエピソードだと、こんなん切っちゃって、重要なエピソードをじっくり描いてくれた方が良かったなあ、と思っちゃうわけ。
で、先述したようにハチの掘り下げがどうしても浅くなるんで、彼女の方のエピソードがすっごく、ジャマに思えてくるのね。そう……彼氏の章司が幸子と浮気するくだりなんて特に。
ハチがそんなメンドクサイ女の子で章司を悩ませている、というのがこの分量だと伝わってこないもんだから、彼が“幸子に癒しを求めた”とか、ちょっとワガママ言うハチに「考えてないのはお前の方じゃん」とか言うのが、実感としてまるでピンとこないのよ。
しかもこの幸子を演じるコが、すっごい気に障る声しててさー、演技も正直今ひとつなわけ。かなりシリアスを要求されるキーパーソンなのに。あ、それで言ったらこの章司役の彼もそうだけど……原作よりかなりアホっぽい。ハチの友人である淳子や京介も、章司の浮気を忠告するぐらいの出番で出すならいらないよね。

やっぱり、ナナの物語を観たかったんだなあ、と思っちゃうんだなあ。中島美嘉のハマりようは完璧だったから。
彼女は決してパンク系ではないんだけど、ストイックな雰囲気や整った顔立ち、痛々しいほどの細い手足、なにもかもが、ナナそのものって感じだった。冒頭、彼女のライブシーンには思わず震えを覚えたほど。
彼女の秘密の恋人であるレンを演じる松田龍平は、ビジュアルでいけばちょっとハズれてはいるんだけど、彼の独特のオーラはやはりレンを演じるには彼しかいないと思わせるほどの研ぎ澄まされたものを感じて、二人の恋人のシーンはかなーりドキドキさせてくれるんである。やはりあの二人の入浴シーンがいいやね。
あ、そうか、ナナ陣営の方がキャストがまだ、いいんだわ。レンもノブもギリギリヤスも。シンちゃんは、原作があれほど美少年という設定だからかなりクレームが来そうな気がするけど(笑)。ハチの分が悪いのは、彼女に関わるキャストが浅いせいなのね。そうだよなー、あおいちゃんはバツグンに可愛かったもん。
まあ、可愛かっただけって気もするけど……そういう意味ではあおいちゃんの実力が発揮しきれなかった気も……。

ナナだけの物語で成立してしまうほどのものが、このどっか中途半端な中にもあったのよ。前半はあっけないほどサクサク語られるのに反して、後半は回想シーンを絶妙に挿入していき、しかもそのほとんどが(全部だった気もする)ナナの回想シーンであり、ナナとレンの別れのシーンなんて、私はウッカリ涙してしまったよ。
その挿入部分も絶妙だったんだよなあ。ハチがナナをレンに再会させようと連れていったトラネスのライヴ、ボーカルのレイラの歌声をバックに、ナナが回想するその別れのシーンは、ひょっとしたらコミックスより美しく印象的だったかもしれない。見渡す限り雪に埋もれた中、小さな、二両ぐらいのローカル列車が到着して、最後の別れにレンはナナを抱きしめ、キスをし、ベルが鳴り響き、ナナはレンの腕の中からはじかれるように飛び出して……雪に埋もれたホームに膝を折り、号泣する。そして電車の中のレンも……。
コミックスの時点で完璧に映画のカット割りを再現していたこのシーンは、映画もまた負けないぐらい珠玉である。
何よりね、思いっきり雪に埋もれている、真っ白な世界がね、モノクロのコミックスと違って、普段は普通にカラーの映像の世界で、雪のシーンは、ただただ真っ白だから、ズンとくるんだよなあ。そしてどこか寂れた雰囲気が映画ではより鮮烈なんだよね。あ、映画が別物というなら、映画の方のナナとレンの関係は、何かコミックスと比べてずっとしんみりしてるの。何か二人だけ、真っ白い雪の世界に取り残された最後の恋人、みたいな、このまま心中でもしかねないような、せっぱつまった、一歩間違えれば昭和枯れすすきみたいな(笑)。あれは中島美嘉と松田龍平のコンビが化学変化を起こした独特の雰囲気だったのかもしれないなあ。

それにしてもさあ、トラネスのボーカル、レイラは今回わざわざオーディションした新人さんなんでしょう?その割に、たいしたことないよね……ナナが驚異に感じるほどの天才シンガーには思えないなあ。フツーにカラオケで上手い程度って感じがする。ナナを演じる中島美嘉は、このレイラの、いわゆる平均的な上手さ、に比すれば劣るのかもしれないけど、彼女の場合はファルセット気味のセクシーな声質と震える感情、そしてナナそのもののオーラが何たってこのレイラ役のコなんて問題にならないぐらい群を抜いてるから、続編が決まっちゃうと余計にこの落差は気になっちゃうよなあ。

大谷健太郎監督だから、期待したのよ。これがあの珠玉の会話劇、「avec mon mari」「約三十の嘘」を作り上げた監督作とは信じたくない……なぜこんな無粋な進行をするのかと、ぶったぎったような編集をするのかと思っちゃって。この人はひょっとしたら密室劇の人なのかも。限られた数の人物と空間で喋り倒す作品はバツグンなんだよね、しかも彼自身の言葉で。今回大谷監督は脚本も手がけているけど、コミックスの時点でほぼそれが出来上がってしまっているとも言え、彼自身の言葉で刻むというのは不可能に近く、何かただただエピソード並べて、台詞並べて、カット数や時間数整理して、みたいに見えちゃうんだよね。この中に「NANA」のある程度を入れ込まなきゃ、というのがあったせいだとは思うんだけど、これが大ヒットになって、続編まで決まっちゃって、最初から続編ありきならまた描きようも違ったと思うんだけど……これが大谷監督の代表作になってしまうのは、それはあまりにも、ツラすぎる。

女の子同士の擬似恋愛的な世界は大好きだから。「下妻物語」みたいな。両キャラとしては下妻とよく似てるよな。物語は全然違うけど……女の子はね、両極端に憧れるのよ。ハチみたいなブリブリプリティには、そういうカッコしたいとか、そういう可愛いさに囲まれてると幸せ感じたりとか、で、ナナみたいな女の子にはなりたいというより、ホレるわけ。もともと女ってのは、ちょいレズ志向は多かれ少なかれ存在し、その志向にナナは本当にドンピシャなんだよね。マニッシュなんだけど、セクシーで、弱い者を守ってくれる強さがあって、でも自分の前だけで弱い部分を見せてくれちゃったりして……みたいな。もう、キューンと、どころか、ズドーンときちゃうのよ。それでいて同じ女だから自分の辛さを本当の意味で判ってくれるっていう部分もあり(ハチの失恋に寄り添うナナなんて、その象徴だよね)、まあ要するに女は自分を100パーセント判ってくれる相手を欲しているという超ワガママな生き物ってことなんだけどさ。でもね、男はこーゆー女の思考回路を学ばにゃいかんぜよ。全ての男は女から生まれてきたんだからね!(って、関係ない?)

華やかな都会に出てきて、古いけどオシャレな部屋に住み、カッコイイ女の子と友達になったり、擬似恋愛感情抱いたり、果ては憧れのスターとお近づきになったり、女の子(いや、どんな年の女でも)の夢が満載なんだよねー。そこそこにツライことはあっても、まるでそれは遠い昔を述懐するように甘美な記憶であり……原作もそうだけど、映画もハチ(時にはナナ)の回想のような雰囲気のナレーションによって進行していくんだよね。どこかの時点で振り返っている、らしい……。
私はナナは死んでないと思うんだけど、レンが死んでるんじゃないかなー、とか勝手に想像してたりして(笑)。続編は一回で済むんだろーか?……続編恐怖症の私は観ない(それだけの理由じゃないしなー)かもしれない……。★★☆☆☆


南極日誌ANTARCTIC JOURNAL/
2005年 115分 韓国 カラー
監督:イム・ピルソン 脚本:イム・ピルソン/ボン・ジュノ/イ・ヘジュン
撮影:チョン・ジョンフン 音楽:川井憲次
出演:ソン・ガンホ/ユ・ジテ/キム・ギョンイク/パク・ヒスン/ユン・ジェムン/チェ・ドクムン/カン・ヘジョン

2005/10/6/木 劇場(シネカノン有楽町)
南極、南極……「南極物語」ってどういう映画だったっけ……などと、ぜっんぜん関係ないことを思ったりして。いや、そんなことを思ったのは、「南極物語」にどの程度南極の場面が出てきて、それはどれぐらいリアリティがあったんだっけかなー、などということ。いやその前に私はあの映画を観たんだっけ?観たような気はするけれど、リアルタイムだとしたらあまりに昔過ぎて覚えてない……で、ベースになる物語が実際にあるとはいえ、日本人ならああいう映画を作るよな、という感じであり、多分、本作のように、南極でホラーを作るなんて考えつかないだろーなー、と思う。

いやいや、これはホラーっていうわけじゃなくて、人間がいかにして狂気に陥るかという話なんだけど、でもそれはやっぱりホラーだよね?精神が狂っていくのは人間でしかありえないことなんだもの。
この過酷な環境が人間を狂わせていく……ということは、当然南極の描写は相当にリアリティのあるものでなければならない。観ているこっちがのみ込まれてしまうような。
いや、リアリティはあったと思う。すごい映像だったし、南極そのものではないにしても、相当に寒冷な地での過酷な撮影だったんだろうとは思う。でも……今ってさ、本当にヤバいところはCGで出来ちゃうじゃない。しかもどこにCG使ってるかとか判っちゃうと、どんなにその他の場面が、実際であってリアルであっても、のめりこめなくなっちゃうんだよね。だからかえって、CG使わなきゃ出来ないようなスゴい場面はない方が、この南極という白い悪魔の世界に没頭できたんじゃないかなって。CGは、絶対に気づかれないような使い方しなきゃダメだよ。特にこういう映画では。

例えば、クレバスに落ちる場面、落ちた先のクレバスの中まできっちり描いてしまう。もう、いきなり、うわー、セット撮影だ、って思っちゃう(そりゃそうだよな)。例えば、凄まじい地吹雪が波のように襲ってくる場面、引きで遠くからゴオオオ、とばかりに襲ってくる画で壮大に見せたかったんだろうけど、これが返ってウソ(CGって意味ね)であることを露呈してしまって、急に冷めてしまう。だってうろたえて逃げ惑うとか、姿勢を低くするとかいうこと一切になしに、棒立ちのまま、迫り来る地吹雪を平然と見据えたようにのみ込まれるんだもん。ないでしょ……。
こういうのって、ハリウッドアクション大作の悪しき影響だよなー、と思う。やっぱりね、こういう部分は映画のマジックを使ってほしいって思うのね。見せるマジックばかりじゃなく、見せないマジックを。そもそもこの映画の怖さは、大昔の探検隊の恐怖をなぞるという、見えない恐怖なわけなんだから。
ソン・ガンホ、ユ・ジテという、最近韓国映画を観るとやたらにぶち当たるスターさんが顔をそろえているのも、そういうリアリティを失わせる結果になっているように思う。探検隊の皆さん、同程度に顔の凍傷のメイクがそろってるわね、とか思ってしまうのは、ヒネくれた見方なんだろうか……。

昼が六ヶ月、夜が六ヶ月続く南極。探検隊が進みゆくのは、永遠かと思われるような昼が続く南極。朝にも夜にも傾くことなく、雪の白が太陽にまばゆく反射するばかり。その青空も毎日毎日続くと、まるでここがカキワリの世界のように思えてくる。
だから、この一見単調に見える世界だけで、いいのよ。確かに突発的なことも起こるだろう。でもその中身まで作りこんで見せてしまったら、この天然のカキワリの不気味さが損なわれてしまうんだもの。
探検隊は、経験豊富な隊長をアタマに、クールな副隊長、この探検後、結婚しようと思っている男、この探検を最後に妻子と静かに暮らそうとしている男、消防隊員(だったかな)で南極制覇に燃えている男、彼に憧れて参加した、まだ経験の浅い青年、の六人。で、隊長がソン・ガンホで、青年がユ・ジテなんである。
いきなりオチバラすけど、最終的に生き残るのは当然、このスターさん二人である(このあたりもキャスティングからもうバレバレ)。一人目は原因不明の体調不良に侵され、仲間が注意をそらした隙に遭難して行方不明に、二人目は副隊長と取っ組み合いのケンカをして、クレバスに落っこってしまい、三人目は狂っていく隊長に追い詰められて自殺を図った副隊長、そして四人目は……凍傷にかかって真っ黒になった足を隊長に切り落とされてしまった男。

……まあ、それぞれ突きつめてしまえば、全部隊長のせいであるとは言える。一人目の男が体調をくずして皆についていけなくなった時、隊長は経験の浅いミンジェ(ユ・ジテね)に確認を任せ、結果見失ってしまった。しかも、隊長は他の経験のある隊員が確認の係を進んで名乗り出なかったと、責任転嫁するんである。おいおい……。
しかもこんなことがあっても、彼はベースキャンプに助けを求めることも許さずに突き進む。ベースキャンプに助けを求めることは、この探検を放棄することだからである。
隊長の言は、この状況で聞いてみると、そうかも……などと思ってしまったりするのだけれど、ふと冷静に立ち返ってみるとこんなに怖いことはない。なぜそれにハッキリと抗える気持ちを持てないのかと、人間のエゴに呆然とする。だって隊長はこう言っているんだもの。「偉大なる探検に多少の犠牲はつきものだ。(遭難した)彼だって、それを望んでいるだろう」

色々と、まわりくどい理由をのべてはいたけれど、とどのつまりこういうことなんである。
人間の死が、“多少”程度になってしまう。その時点で隊長にとって彼は既に仲間ではなく、この探検をジャマしたぐらいにしか思っていないし、彼の目的が彼自身だけの偉業達成なんだということに気づくのだ。
いや、ちゃんと気づいていたかと言われると……ことに他の隊員たちは、判ってはいても、気づきたくなかった、そんな風に思える。だってこの南極の真っ只中で取り残されたら、待っているのは死のみである。救助を呼ぶ選択権は唯一隊長が持っているし、一番経験のある隊長に頼るしかないのだ。
でも、でも、この時点で事の重大さに気付いていたら、隊長の命令など無視して救助を呼ぶことだって、この時点でだったら、多分出来たのだ。
それをしなかったのは、やはり彼らの中にも、この探検を断念することへの躊躇、つまりは遭難した彼を“多少の犠牲”と考えてしまうような部分があったんだろうと思う。そりゃ人間の中には多少なりともある。最終的にそれを貫徹したのが隊長だったというだけで、だから彼らは隊長一人に全ての責任転嫁をしたとも、逆に言えるんじゃないかと思うと……それこそが、人間の隠れたエゴなんじゃないかと思うと……。

そう、だって、隊長のエゴはつまりは、判りやすいんだもんね。しかも南極の見せた悪夢というか、南極が彼を狂わせたというオチ(まあ、オチってわけじゃないけど)ならば、仕方ないかと思えなくもないもの。
ただ、他の隊員については、この狂気に陥った隊長にゆだねるしかなかった心の弱さは、決して南極のせいには出来ないってことで、それは人間がそもそも持っているズルさなのだ。
隊長は、なにも南極の過酷さにヤラれたわけじゃないのかもしれない。もともと彼は探検バカなのだ。彼の息子は10歳の幼さで自殺している。その理由は、彼が息子をかえりみなかったから、みたいにサラリと触れられるだけだけれど、この息子が見た「白い人」というのは、まるで未来を予知するように、この南極での彼だったのか、とにかく、探検地を達成することだけが、彼の価値観なのだ。息子も、隊員も、とりあえずの彼の管理下にあるに過ぎない。

でも、そもそもこの遭難した男が体調不良になったのは、ナゾの部分がある。風邪の症状のように見えたけれど、南極は非常に寒冷なため、ウィルスが存在せず、風邪はひかないんだという。へえ、そうなんだ……などと感心してみたり。なら、彼が侵されたのはなんだったんだろう。やはり、南極に潜む何か、なのだろうか。
そしてクレバスに消えた二人目の男。一度はロープを握った彼を皆で必死に引き上げようとする。けれど、先頭でロープを握っていた隊長はその手を離してしまった。その場面を隊員全員が見ているのに、それでもこの隊長を信じようとミンジェ(ユ・ジテね)は言うし、信じてはいなくても、その後も隊長の指揮下に甘んじてしまったのだ。

そして三人目、副隊長。計器類は軒並み壊れ、方向を完全に見失った彼らは、最初の出発点に戻ってしまう。もういくらなんでもムリだと、助けを呼ぶべきだと必死に請う副隊長に隊長は、まるで平然と、出発点に戻ったのなら、またそこから始めればいい、と言う。その能面のような顔に、さすがにゾッとする。
この期に及んで、副隊長は事の重大さに、ようやく気づくのだ。自らが副隊長という立場であることも。彼は隊長から非常位置発信機を盗んで助けを呼ぼうとするんだけど、失敗、自分を責めたのか、さすがに追いつめられた末に彼もまた狂ってしまったのか、自殺を図ってしまう。

四人目。凍傷で足の先が真っ黒になってしまったのを隊長に見つかってしまった男。隊長は「このままだと全身が腐ってしまうぞ」と彼の足を切り落としてしまう……ただこれについては、隊長の判断は正しかったのかなと、ちょっと判らなくもなるのね。だって、隊長はやみくもに彼の足を切り落としたんじゃなくて、ちゃんと麻酔だか何だか、注射打って冷静に処置してるし。ただそこに飛び込んできたミンジェがその凄惨な場面を目撃して、くるりと振り向いた隊長、最初は冷静な顔で、「何とか助かった」と、「だけど足を切り落としてしまったから、もう一緒に歩けないがね」そう言うとニヤリと笑うんである。
まあ、聞き様によっては気のきいたブラックジョークにも聞こえ……ないか。

この隊長の“ニヤリ”というのは本作のキーワードとも言えるわけで、それを青年のミンジェはテレビのインタビューで見た寡黙な隊長が、そんな風に笑ったのが印象的だったと、それはカッコイイとかそういう方向でだったんだけど、違ったのだ。そんなんじゃ、なかったのだ。
この時点で彼らは、ノルウェーだかどこだかが建てた救助小屋のようなものを見つけ、そこでとりあえず休息をとっている。しかし、本当にそれが地図上にあった小屋なのかどうかも判らない。さ迷い歩く彼らの前に妙に都合よく現われる、この掘っ立て小屋がブキミである。
しかもここで副隊長は助けを呼ぼうとしたのが失敗に終わり、さまよい出てしまい、彼を探しに出たミンジェは、歩いても歩いても、同じこの小屋の前にさまよい出てしまい、その中に、取り残され、何十年もたったような幻影を何度となく見るのである。朽ち果てた死体を。
なんかこの辺よく覚えてないんだけどね。幻覚を誘発するようなぐるぐるとしたシーン展開が、ちょっとしつこくて、なんか眠くなっちゃったりして。
そして、そこに猛烈な吹雪が襲ってくる。ボロ小屋はあっという間に吹き飛ばされてしまう。吹雪が収まって、気づいた時、足を切られた先輩は絶命、そして隊長は姿を消していた。

ミンジェは一人、到達不能点を目指し、歩き始める。
もはや望みはそこしかない。救助が来るとしたら、彼らの目標地点であったそこしか。
もうすぐ、六ヶ月続く夜が来てしまう……そうなったらもう、絶望的だ。
どの海岸線からも最も遠い地点にある南極の一地点。隊長が固執し続けた地点。「でもただの地上の点に過ぎない」ミンジェはそうつぶやく。……その地点に、着いた時。
……割と、あっさり着くのね。
もう体力を使い果たし、夜の闇が忍び寄り、ぐったりとしている彼の目に、人影が移る。助けかと思い、明かりをつける。しかしその人影は、猛然のスピードで彼に近寄ってくる。
隊長!
それまでの、狂気に陥った隊長はさして怖くはなかったけど、この場面の、雪の中とは思えない凄い速さで歩いてくる隊長は、すっごい、怖い。貞子並みに怖い。怖かったとしたら、ココだけって感じ……。
ミンジェは怯えるけど、隊長はミンジェを追いかけてきたわけじゃない。この期に及んでも、いや最初から最後まで、隊長はこの到達不能点だけを見つめ続けてきたのだもの。

もともとこの物語は、雪の中に埋もれていた80年前のイギリス探検隊の日誌を見つけたところから、話が展開している。
文字もかすれてほとんど読めず、なにか恐ろしいことが書いてあるわけじゃないんだけど……。
このイギリス探検隊の味わった恐怖を後追いするように、あるいはその亡霊に呪われているように、彼らは追いつめられていくんだけど、でもこの厳しい天候の地で、遭難者が出ることぐらい予想の範囲内になかったのかなあ。あまりにノンキなんだもの。カキ氷ケーキとか作っちゃって。自分たちと同じ六人編成だったイギリス探検隊、この日誌の半ばほどに描かれているクロッキーは、五人になってる。「人が一人たりないんだ」と言うミンジェに、先輩が「日誌を書いている人が絵も描いているからじゃないか」などと答えるのが、あまりにノンキで。

80年間も雪の中に閉ざされていたせいか、ページが全体に黒くどんよりとしていて、時々描かれているクロッキーがひどくおどろおどろしく見える。
その中に、一人の男の後姿が描かれている。黒い、後姿。
ミンジェはそれが隊長に似ている、と思う。そう先輩に言うと、彼は、「こんな格好をしていれば誰でも似るよ」と言った。
誰でも似る……誰でも狂気に陥るということだろうか。この絵の人物は、もう狂気のまがまがしさをたたえているから。

でも、隊長は最後に到達不能点に到達した時、自分が狂気に陥ったと自ら語ってたんだよね。それはこの時には正気に戻ったってこと?狂気に陥っている最中の人が、自分が狂気に陥っているとは言わないよね。何かそのあたり、膝カックンな思いを感じたりもするんだけど……。

「隊長はどこに?」
「外に」
「何をしに?」
「外に出ているだけだろ」
二度繰り返される、この会話。その時から隊長は他の誰も関係なくただひとり、到達不能点だけを見つめていたんだろうか。

ベースキャンプで彼らを待つ紅一点の女の子が、この男ばかりのストイックさにどうにもジャマに思えて仕方がない。何か私最近、そんなことばかり言ってるけど、女の子は好きだからさ、こういう中途半端な使い方してほしくないのよ。★★★☆☆


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