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「ね」


2006年鑑賞作品

猫目小僧
2005年 104分 日本 カラー
監督:井口昇 脚本:安田真奈
撮影:喜久村徳章 音楽:中川孝
出演:石田未来 田口浩正 載寧龍二 向江流架 つぶやきシロー 伊藤さやか くまきりあさ美 石坂ちなみ 中村映里子 諏訪太郎 津田寛治 竹中直人


2006/6/27/火 劇場(渋谷ユーロスペース)
しっかし、これだけの若手作家(かな?)で、画面をひと目観たとたんこの人だ!と判るようなハッキリとしたカラーを持っているっていうのも珍しいし、凄いよね。全然、ブレないもん。このたくましさが嬉しい。異形をキッチュに、しかし可愛く切なく、そして爆笑コメディに、の帝王、井口監督。うーん、もうトリコだわ。見逃している初期作品も観られる機会があるといいんだけど!
そしてこのカラーは大御所中の大御所、楳図作品に、もうこれぞとばかりにびたっと来るのよねー。あ、オムニバスの時に楳図作品を手がけてるんだって?(未見)そんでもってこの個性的キャラの長編を託され、原作者が嬉しそうに挿入歌を歌うぐらいだから、楳図大先生もきっと信頼し、この出来にも満足しているに違いない!

だってこのキャラ、「300年に一度しか生まれない猫又の子。人間に近い風貌で妖怪一族に見放される。当然、人間界からも。異形のものとして……うんぬん」っていうじゃない。異形よ!異形!やっぱり井口監督にピッタリなんだよなあ!
なーんて言いながら、原作は読んだことないけど。あ、というかあんまり楳図作品を読んでないなあ……。でもこの、必要以上にリアルにしないクリーチャーというのは、なんかすっごく楳図的だと思う!なんて言ったら怒られるかしらん。

でもこの猫目君の口が縦方向にしか開かなくて、喋っている感じが全然しない吹き替え風味ってのが、なあんか楳図的なのよねー。リアルCGは絶対、楳図的じゃないもん。ま、CG使ってるとこも見えるんだけど、それも判るように使っているあたり(猫目君が屋根から屋根に飛び移ったりね)がイイのよね。
あ、それと!楳図作品の絵まんまだわ!と嬉しくなったのは、女の子が驚いたり恐怖に陥った時、キャー!と言いながら口の前で両手の指を思いっきり広げるあのポーズである。
あれってマンガで見るからアリだけど、実際にやると不自然というかわざとらしいことこの上ないっつーか。
だけどそれを敢えてやるから楳図的であり、井口的なのよねー……ってなんかだんだん、私ホメてんだかなんだか判んなくなってきたけど(笑)いやいやいや!ホメてんのよ!

んでもってこれは、円谷映画!である。いやー、この響きも懐かしい。って言ったら更に怒られるな(笑)。
でも、そう、円谷映画ー!って感じなんだもんね。往年の夏休み向け怪奇映画のような趣。特に、大きな文字のオープニングクレジット、真っ赤なおどろおどろ文字でばーん!と「猫目小僧」。いやー、好きだわー。

そんでもって物語は、一家が山奥に越してきたところから始まるのである。当然、その家族には美少女が属してるわけである。それも右頬に真っ赤なあざのある美少女。意味ありげな村……うーん、イイわー。
父、娘、息子、の三人家族。母親は死なれたんだか逃げられたんだか(言ってたかな)、娘が食事を用意する様は手馴れていて、だいぶ前から親子三人、肩を寄せ合って暮らしてきたらしい。
こんな山奥に越してきたのは、父親が都会での職を失ったんだったかな?(テキトーに観てるなー、私)息子が喘息持ちということもあっただろう。しかしこののどかに見える山村には、驚くべき秘密が隠されていたのであーる!

まずイイのは、この喘息持ちの少年、浩である。このヘタな……いやいや、素直な演技には心温まるものがある。こーゆー演技がこーゆーB級……いやいや、異色妖怪モノには似合うのよねー。
家の中に入ってきた異形の存在に、彼が真っ先に気づくんである。自分のお菓子を取られた彼は、いるなら出てこい、そうでなければいるという証拠を見せろ!と叫ぶ。
するとそれに答えて、さまざまなポルターガイスト現象を引き起こす猫目君。面白がってもっともっととせがむ浩に、様々なバリエーションで何度も応えてくれる。途中ツッコみたくなるぐらい何度もってあたりが、実際観客にツッコませる意図なんだろうなあ。でも大人はツッコむだろうけど、子供って面白いと思ったことはホント、しつこいってぐらい何度でもせがむし、何度でも面白がるもんね。それにしてもサービス精神旺盛な猫目君。

ま、この時点では猫目小僧だと判っているわけではないのだが……それに猫目君というのは、浩が彼の顔を見てとっさにつけた名前だしね。
おやつでワナを張って猫目君を捕まえるシーンは、浩よりふた周りは大きい身体の猫目君に布団をかぶせて馬乗りになって……冷静に見るとこの場面って、結構異様でコワいよね。騒ぎに駆けつけた姉のまゆかが、恐怖に顔をひきつらせるのも判る。ま、彼女も慣れるの早いけど。

浩がこのでっかい猫目の妖怪を怖がらずにむしろ喜んでいるのは、子供ゆえの好奇心と順応性ってのもあると思うけど、彼が病弱で学校に行けず、友達のいない寂しさを抱えて、それが猫目君の孤独と共鳴したんだなってのが判るあたりは、ちょっとジンとするものがある。
まゆかに追い払われた猫目君に、「ごめんね。また遊びに来て」と喘息の発作を起こしながらも必死に言う浩に、猫目君はふっと振り返り、浩のノドにツバを吹き入れる。そうすると浩の喘息が治ってしまう!アア〜とソプラノの声を発して治った!と言う浩に、どーゆー確認の仕方だよ!と爆笑!

まゆかも、似たような状況だった。その頬のあざをいつも気にして髪で隠すようにしていたけど、隠せるものでもなかった。
このいじめがいのある転校生にさっそく目をつける、ザ・女王様って感じの女の子、京子サンがまー、サイコーである。もー、このコのキャラが一番好き。
判りやすくネチネチとまゆかをいじめるんだけど、でもヘンなの。まあ、とりまきから京子さん、と呼ばれている時点で微妙にヘンだしさ。

物語の展開を無視して、この子のヘンキャラを解説しちゃいますとですね。彼女とこのとりまきは、バドミントン部なんである。で、この物語の王子様的キャラの雄次が、そのコーチをつとめている。
この彼のことを京子サンは好きなんだけど、彼に声をかけられているまゆかに嫉妬し、「あなたもバドミントン部に入らない?でもバドミントン部は皆このヘアバンドをしなきゃいけないのよ」とムリヤリさせる。
明らかにまゆかの頬をあらわにさせるためだけのアイテムを、“バドミントン部のコスチューム”として皆がしている超ご都合主義が好きっ。

まゆかのあざが取れどんどんキレイになってくると、女王様としての地位が奪われると思ったのか、この京子サンの描写はだんだんシュールになってくる。
突然まゆかに食パンを投げつける!しかも学生カバンから直接取り出して、ってナニ!
しかもそれに対応するまゆかの台詞も超シュール!「今、パン投げたでしょ。どうしてパン投げるの。どうしてパンなの」なんなんだー!もう爆笑!
その後も京子サンはどんどん壊れていく。まゆかと雄次のデートにとりまきを従えてオジャマムシするんだけど、目的の遊園地は休園日。しかし強引に柵を乗り越えちゃう。色々乗り物とかも乗っちゃう。って……どーやって動かしてんだよ!
しかもまゆかと雄次が仲睦まじげに話していると、遠くからゴオオオ!と凄い勢いで走ってきて「私全速力で走ったの!」い、いや!それは判ってるけど!だから何ー!?

あー、京子サンがあまりに最高なので、話の展開無視しちゃった。戻す。
でね、まゆかはそのあざをからかわれたことで深く傷ついて、泣きながら家に帰るのね。
すると猫目君がいる。まゆかは猫目君に、弟の喘息を治したように、あなたのそのツバで私のあざを治してよ、と迫る。すると……猫目君の舌がスルリスルリとまゆかの頬を舐める!それを柱の影から息を呑んで見守っている弟。いやー、なんともはやエロティックだわー。
しかもまゆかを演じるこの石田未来嬢、はホントカワイイのだよね。顔のあざを髪で隠している陰気さもそそられるし、そのギャップがあっての、あざの取れた美少女っぷりもいい。
猫目君にコンプレックスを取り除いてもらった彼女は、鏡の前でとっかえひっかえのファッションショー。浩とともにパチパチと手を叩き、奇妙なダンスを繰り広げる猫目君が妙にカワイくて可笑しい。

でもね、あざがある彼女こそが、本当の姿なのだ。そのせいで疎外感を感じていたからこそ、彼女は異形の猫目君を受け入れられた。喘息持ちの浩もそうだったんだもん。……っていうのは、クライマックスに示されるわけだけど。

あざが取れたまゆかは、雄次とつきあうようになる。「こんなにキレイなのに、あざが気の毒だなって思ってたんだ」と言う雄次に「キレイだなんて、そんな……」と頬を染めるまゆか。
でも彼女、それまで彼がその台詞の後半の部分に重きを置いていたことに、気づいてない。あざが取れたからこそ、彼女とつきあいだしたってこと。彼自身も気づいていなかったかもしれない。
カワイソがられるという哀れ。でもそれを含めて、というか、そんなことはまるで気にせずに、猫目君は彼女を好きだったのに。

一方村では、変質者に女性が襲われる事件が頻発していた。しかも襲われた者は皮膚が腫れ上がり、意識不明になってしまうという不気味な事件である。村人たちはヒソヒソと言い合う。これは肉玉だ。封印したはずの肉玉が甦ったんだ、と。
実際、無責任なカップルがこの封印を解いてしまって、その女の方がまず襲われてコトは始まったのだった。
この中盤あたりから展開が微妙にダルダルになるのはちょっと惜しいのだが……ま、これも味のうちだからね。そんなわざとらしさとか、好きさ。
この場面で、男の方はさっさと逃げちまったんだから、女も逃げりゃいいのに、つーかあんたの方が怖がって、ヤバいよやめようよと言っていたのに、なぜかこん時だけは「置いてかないでよー」と一人でダルダルにとどまっていたりするものだから……でもそのあたりの演技の説得力のなさがイイのだ。って私、ホメてんのか?それにしても逃げた男、ツダカンのゲロゲロは、リアルにむっちょりしててキモチワルかったなー。

さて、ここらあたりから物語は佳境に入ってくる。村人たちを肉玉にしてしまうのはギョロリという妖怪なんだけど、村の子供たちに目撃されていた猫目君が、濡れ衣をかけられてしまうのだ。
拷問される猫目君を助けてあげられなかったまゆかは、落ち込みつつも浩に「私たちとは住む世界が違うんだから」と言い聞かせようとする。浩は怒るのね。「お姉ちゃんはホントに猫目君がやったと思ってるの!」
まゆかは、猫目君と友達であるということが雄次にバレたら、嫌われるんじゃないかというのがあったに違いない。雄次は妹(母親だったかな)が変質者に襲われたことがあり、猫目君が犯人だと聞くと、もう形相を変えて彼を殴り倒すんだもん。で、まゆかは何も言えなくなってしまったのだ。

しかし褐色のハレモノがどんどん身体を侵食していく“肉玉”が、村中あっという間に増えてゆく。そしてそうなると、他の人間を襲いたくなるらしいんである。
この感じはまんまゾンビなのだが、ゾンビよりエログロな感じがするのは、それが口から入ってくるからなんである。これって原作もそうなの?いや、井口作品って、口から入るとか口の中とか、すっごいこだわるからさあ……。
口に異物が入る描写は「恋する幼虫」にもあったし、「卍」で唯一原作にない描写が、ヒロインに大口開けさせて、ノドチンコを覗き込む描写だった。

あの肉玉は、色といい形といい、そして「クサい」と言わせるところといい、どーみてもウ○コである。だからそれが美少女の口に入るのは、スカトロ趣味である。
でも一方で、これは“肉玉”なんである。それが美少女の口に入るのは当然、そーゆー意味に違いなく、ノドにつかえてむせるっつーのも、やけにナマナマしい。
それをマンマの描写ではなく、こうして異形に託してやらせるあたりが、ゆがんだ奥ゆかしさの切なさで、井口カラーなのである。

ちなみに、まゆかたちのお父さんも肉玉に侵食されてしまう。このお父さんを演じているのは田口浩正なんだけど、彼がまた実に絶妙で最高なんだよね!
ちょっと話が戻るけど……彼がこの地で仕事についた当初、社長の息子(つぶやきシロー!)の訓戒に意味もなくヘラヘラ笑ってしまうトコの、ホントイミネー感じや、娘のあざや息子の喘息が消えたことを「やっぱりここに越して来て良かったなー!」ってだけで、疑いもなくアッサリ済ませて喜んじゃうトコとかさあ。
で、こうして肉玉に侵された自分が何をするか判らなくなった彼、腕が勝手に凶器を持ってしまうミョーに素早い動きがなぜこんなに可笑しいのかっ。あの自嘲気味の弱々しい笑いがたまらん。小汗をかく小デブの魅力って感じ!(って意味判らんし!)

それにしても「なんかカユイ」ってのがイヤよね……その皮膚感覚の気色悪さも、井口監督ならではである。
ところでここらあたりで、過去に何があったのかがモノクロのノスタルジックな映像で回想されるのね。この物語の当初から、肉玉の復活を恐れるおばあちゃんが出てくるんだけど、そのおばあちゃんこそがギョロリを封印するためにおとりに使われた、かつての美少女だったのだ。
そのことをおばあちゃんはずっと気に病んでいた。だってその時、ギョロリは若い女の子と喋れることが嬉しかったらしく、野の花なんぞを摘んできていたんだもの。それなのに……。
だからおばあちゃんは、今度は自らをギョロリに捧げる。バケモノと抱きあってキスするおばあちゃん、不気味な退廃がうーん、たまらん。

ギョロリはずっと、ミイラ男みたいに頭に包帯を巻いて、全身もマントで覆っていて正体が見えないんだけど、その包帯をとると、三つめの大きな目が頬でパチクリしている三つ目男である。
演じるは竹中直人。以前はなんか出すぎの彼にヘキエキしてたけど、こういう濃いワンポイントは、彼以外に考えられないもんね。
猫目君のツバは肉玉をやっつけるのにも効果があるので、猫目君はまゆかをかばって逃げながら、次々と肉玉を倒していく。

まゆかはギョロリに、私をあなたに捧げる、あなたの苦しみを受け止めてあげる、と言うのね。その時はきっと、彼女は本気だったと思う。彼女はあざのある姿に戻っていた。でももう、彼女はおじけづかない。
そしてギョロリは、駆けつけた猫目君に倒されてしまう。ちょっとカワイソウな気もする……。
「お前はなぜ、この村の人間を助けようとするんだ」とギョロリは問うのね。だって猫目君だって理不尽に苦しめられたんだもん。猫目君は「なりゆきさ」と答える。カッコイー!
そうだよね、あらぬ疑いをかけられ、好きな子にも一時見放されたのに、猫目君はスネないのよね。
その答えに、「へえー……」なんつー、マヌケな返答をして息絶えるギョロリ。そんなユルさが好きさっ。ここは本来ならシリアスな場面なのに。

つぶやきシロー(青の作業服や安っぽいサングラスが似合いすぎっ)や、くまきりあさ美を使うセンスもスゴいよなあ。美青年って設定の雄次も、割とビミョーなルックスだったし。

猫目君がこの村を旅立つラストは、股旅モノを踏襲してはいるけど、なんか切ないんだよなあ。★★★☆☆


寝ずの番
2006年 110分 日本 カラー
監督:マキノ雅彦 脚本:大森寿美男
撮影:北信康 音楽:大谷幸
出演:中井貴一 木村佳乃 笹野高史 岸部一徳 長門裕之 富司純子 木下ほうか 堺正章 田中章 土屋久美子 真由子 石田太郎 蛭子能収 高岡早紀 桂三枝 笑福亭鶴瓶 浅丘ルリ子 米倉涼子 中村勘三郎

2006/4/23/日 劇場(錦糸町シネマ8楽天地)
面白かったのはプロローグだけで、中盤からなんだかタイクツでモゾモゾしてしまった。そう、プロローグが一番面白くて、それを予告で全部使っちゃってるんだよね、判るけど。ここしかホントに面白い部分がないんだもん。
しかも、その予告の方が間が詰まって、テンポよく面白いっつーのもどうなんだか。
本編は、通してそうなんだけどオフビートを狙ってるらしく、かなり間がゆったりとられている。でも間を狙う笑いって難しい。最初こそ笑っちゃったけど、だんだんノンビリしすぎで眠くなってきちゃうのよ。

マキノ名跡を継いでの初監督って話は感動的ではあるけど、どうなのかなあ……別に直系で跡を継ぐ話でもないし、あの名匠を(もー、「昭和残侠伝」だけでも、神様だよ)継ぐっていったら相当なことでしょ。津川さん、芝居のことはベテランでも、映画を作り上げるってことはやっぱり別物じゃないのかなあ。
それにね、それだけ力入ってる作品、オフィシャルサイトをブログで作るとはさー、って作品とは関係ないけど、でもオフィシャルをこんなカンタンに作られちゃったら、ホントに気合い入ってんのかとか疑いたくもなるって。

その、プロローグである。上方落語の重鎮、笑満亭橋鶴のいまわの際、集まった弟子たちが最後の望みを聞いてみると「そそが見たい」と言った(ように聞こえた)ってんで、大騒動になる。
そそ、というのは京都弁で女のアソコのこと。それじゃソソとした美人なんていえませんなあ、とか、そそくさ、はもっとあかんなあとか言うのはまあ可笑しいんだけど、多分小説上の字面で見るほどには面白くない感じ。
そうなんだよね……この後、淡路島ではチャコと言って、寄せの手伝いに来た女の子がとりあえずチャコをやってくれと言われて、悲鳴をあげて逃げ出すとかいうエピソードが出てきたり(落語でこまごまとした雑事をする女の子を茶子というんだって)、橋鶴の奥さんの葬儀の時は、それこそピー言葉連発のお座敷小唄の歌合戦が繰り広げられたりするんだけど、ピー言葉があるからってそれだけで、笑いが取れるってわけでもない。子供じゃないんだもん。やっぱり間合いなんだよなあ。

まあ、それでもプロローグはまだ面白い方だったんだけど……若い女のそその方がいいに決まってる、とぶんむくれる奥さんを置いて、弟子の橋太のヨメ、茂子に白羽の矢が立つ。その説得が(まあこれも予告編の方が面白いんだけど)ふるってる。
「確かにキレイやけど、幾つやと思てんねん。バアやぞ。BABAババアやぞ」しつこいようだけど、予告編がさあ……なんか何度も見る機会があったもんだから、もう何度も聞いてるんだけど、だから先んじて笑っちゃう。
でも「確かにキレイやけど」ってトコに、富士純子へのエンリョを感じたりして(笑)。
しかも、「みんなの前で脱ぐのはイヤだから」と病院に向かう前に下着を脱いだ茂子に欲情した橋太が、こんな時で一刻を争そうのに一発ヤッちゃうってのもバカバカしくて好きである。

そしてようよう駆けつけて、師匠の頭にうんしょとばかりまたがって立ち、スカートをそろそろと上げる……この時の、予想外なことをやられて目ぇひんむいた長門裕之の顔はサイコーで、さすがである。
このキャスティングに関しては、実兄といえど彼以外には考えられない。監督も言ってたけど、ムジャキなかわいらしさがあるのが長門裕之の魅力。それはこんなジイチャンになっても変わらず、その傍若無人なオーラが、様々なエピソードを生み出したこの重鎮にピッタリなのだ。
で、実はそそではなく、彼は外を見たいと言ったわけで、ここで一発笑いが起きるんだけど、そう聞き間違えたのが一番弟子の橋次(笹野高史)である。この時点でもう指し示されているように、彼はとにかくおっちょこちょいで師匠の迷惑になるようなことばっかして、「お願いだから辞めてくれ」と師匠から頭を下げられた経験を持つ唯一の弟子である。……おっと、ちょっと先走っちゃったけどこのエピソードは彼自身の葬式で披露される。

そうなの、予告編を見た段階では、笑満亭橋鶴だけの通夜でのバカ騒ぎかと思ってたんだけど、違うんだよね。橋鶴の次には一番弟子の橋次が亡くなり、その次には橋鶴の奥さん、志津子が亡くなる……という、次々とお葬式が重なる面白さを、「おいおいまたかよ」てな感じで、もっと表現できたんじゃないのかなあ。この辺はただ続けて並べてるだけで、なんかもったいない。
短篇三部作を一本の映画にする。こういう企画で同じような穴に陥った映画、ほかにもあった気がする。いくつかの短篇を一本にまとめあげるのは、つなげればいいってもんじゃなくて、やっぱりベテランの力量が必要なのよ。

確かに三つの葬儀でそれぞれに披露されるエピソードは、どれもこれもクスリとさせられはするんだけど、思い出してる感のまったりさを優先しているせいなのか、今、この、のスリリングな面白さがなかなか出ないんだよね。
例えば、橋次の、彼が出る寄席が、会場が火事になったり人がポックリいっちゃったり隣りでガス爆発が起きたりと、ことごとく中止になるエピソードがあるじゃない。もう開き直った彼が、ホテルニュージャパンの火災が起きようが、江利チエミが死のうが、そして最後の最後には天皇崩御までお見舞いされようが、つらっと寄席を決行したのは痛快、のはずなんだけど……。
この“思い出してる感”と、つらつらと並べるだけの、たたみかける感じのない“オフビート”が、何か、奥歯にモノがはさまっちゃってる感じっつーか、今ひとつ面白くないのがなんとももったいないんだよなあ。

最初の、橋鶴師匠の通夜ではまだその勢いはあった。息子である橋弥(岸部一徳)が、息子ゆえに何も教えてもらえなかったウラミを爆発させた上に、隔世遺伝を残そう、なんていきなり奥さんを押し倒す奇行に走るわ、「茂子さんのお母さんの三番目のだんなさんの弟のなんたら」とかいう、思いっきり遠縁の男を演じる蛭子さんも、この登場シーンではなかなかシュールで面白かったし(それ以降、葬儀には必ず顔を出すんだけど、顔を出すだけで別に何が面白いというわけでもない)。
何より、橋鶴の遺体を「死人のカンカン踊りや!」と言って担ぎ出すシーンがね!皆が上着を脱ぐ間、一瞬死体が一人立ちんぼにさせられるのには、さすがに思わず吹き出した。そのフラリと立ってる死人の立ちっぷり、がさすが長門氏、ベテランの味わいなんだもんなあ。
しかも、踊りがノッてくると、死体のはずが、ちゃんと足を進めてるし(笑)。

師匠は酒飲みだったから慢性ゲリで、駅でいきなりもよおし、間に合わなくて直前、ブリブリブリッと、ついにもらしちゃったなんてシーンもあるんだけど、これが長門氏だと不思議にかわいらしく見えるのが凄い。
ある日、師匠が高座をつとめた時、途中からどんどん早くなる。もう猛スピードである。弟子たちは、ジェットコースターに乗せられているみたい、なんとスリリングなんやと感心したのに、引き上げてきた師匠が言うに、「途中でババしたなってな」なんていうのも、やっぱりなんだかカワイイんである。
あとマリファナパーティーだの、弟子の橋太がエイに童貞を捧げた話を聞きたがる場面だの、とにかくどこでもかでも長門氏の不思議なチャームは変わらず、これを最初にやられると、確かに後がつらくなるんだよなあ。

まあ、とか言いつつ、もうこの通夜のエピソードの途中ぐらいで、タイクツだなあ……とか思い始めているんだけど。
で、次は橋次の通夜でしょ。彼のエピソードは先述した、おっちょこちょいで師匠にメーワク千万だったトコと、でも彼は師匠が大好きだから、っていうのが笹野高史のあのとぼけ顔でそうだよなあ、なんて思わせたりして。
でも優しいところもあった、と橋弥が述懐する。師匠の息子なのに人気も実力も今ひとつの自分を悩んでいた彼に、古今亭志ん生の言葉を送ってくれたのが橋次なのだ。「大きなヤカンだから沸くのも遅い。その代わり、冷めるのも遅い」とね。
でもそれをまぜっかえして、弟弟子たちが「ガスつけるの忘れんようにしなはれや」「水入れんのを……」「穴があいてるかもしれまへんで」などとオチつけるあたりは、お約束だけどね。

そして橋次もまたお酒が大好きで、師匠に呑みに連れてってもらえるとなると大ハシャギ、生涯女っ気などなかったんだけど、亡くなる直前の日だけ、色っぽい話があったというのだ。
バーで酔っ払った女に声をかけられる。これが高岡早紀で、彼女は離婚してからぐっと崩れた女っぷりが上がって、こういうハスッパな女がやけに色っぽく似合うようになった。
彼女はもー、橋次にしなだれかかって、一体彼女はフケ専?いや、ハゲ専?その時橋太が一緒にいたんだけど、兄さんに命じられてタクシーをチャーター、つまり橋次は彼女をホテルにお持ち帰りである。翌日橋太は兄さんにどうでした、と聞くんだけど、これがまたエゲツない話で。
「万馬券(=大穴)やで。指を一本、二本、三本……それでも足らずにこのこぶし入れて、フィストファックや!」おいおいおいー!
で、その話をしている途中に、橋次はクモ膜下出血で倒れてあの世行きになったわけである。こんな死に方までもが、おっちょこちょいで憎めない橋次兄さんらしいというか。哀しむ家族がいないかわりに(いないの?でも集まってるのは彼らと、テレビ出演が多かったという設定で続々あつまる有名芸能人の弔問だけだもんなあ)せめて湿っぽくなるのはよそうやという心意気は感じるかなあ。

そして、次は橋鶴の奥さんである志津子である。彼女はもしかしたら、ダンナの死からずっと、周囲にはそうは感じさせなくても気落ちしていたんじゃないかと思う。亡くなる直前、三味線をとって「トタン屋根、カワラ無い(=変わらない)のを見てほしい」と歌いだしたのは、なんかこう、予感めいたものがあったのかな。
後に明かされるんだけど、この歌はダンナである橋鶴から送られた歌で、これが結婚の決め手になったんだという。
というのも、この通夜にはかつて橋鶴と彼女をとりあった、鉄工所の社長(堺正章)が登場して、当時のエピソードを色々に話す趣向になってるわけ。
志津子は一番の売れっ子芸者で、その彼女に入れ込んだ社長は、ついに自らの会社を潰してしまった。
だけど、「会社のひとつやふたつぐらい潰してもかまわないぐらいの女」と彼は述懐する。
確かに、若い頃の艶やかな、奇跡のような美しさの富士純子を思い出すと、まさに、なんだよね。その風情を今ももちろん残してる。こういう女優がいるうちに、そうした設定の女が出てくる映画を撮っとかないと、と監督も思ったんじゃないのかなあ。

で、ここでピー言葉連発のお座敷小唄歌合戦が始まるわけだが、朗々とした歌声と三味線に感心して耳を傾けるぐらいなもんで、笑かすって感じじゃないんだよね。なんかフツーに感心して聞いちゃうもん、ホントに。練習したんだろうなあ、とか。
で、興が乗ってくると、皆で連なって汽車汽車シュッポシュッポ、と歌いながらぐるぐる回る。ふとスローモーションのカメラがブレると、その輪の中に師匠と一番弟子がまぎれこんでる。で、なんで志津子さんはいないのかしらん。自分の通夜だから?
楽しそうねとは思いつつ、見てるこっちは既に淡々としちゃって、あんまり楽しくないんだよなあ……。

コミカルな中井貴一、はもっと観たかった気がする。
彼、一応主演なんでしょ?でもそれぞれの葬儀シーンはその死んじゃった人が主人公になるから、どーも脇役って感じだよね。
そのコミカルな中井貴一、冒頭の、ポルターガイストの妻(怒るとモノが飛んでくる)とのやりとりと、師匠の奥さんに迫られる?シーンでのうろたえっぷりぐらいだったな。
そう、志津子さんが倒れる直前、なにくれと彼女を気遣い、部屋の掃除までしてくれる彼に彼女がそっと寄り添って、「寂しい」とつぶやいたんだよね。もう橋太はうろたえまくって、ガタガタとガラス窓を揺らして及び腰で倒れこみそうになるもんだから、奥さんは笑って「あんたはほんまにアホやなあ」と身体を離すんだけど、ひょっとして、ひょっとしたら、本当に迫ってたのかなあ、なんて。で、あんなにもうろたえられたもんだから、冗談だとごまかしたのかな、とか思ったりして。

もっと、面白かった!となるはずの素材なのになあ……と、面白がりきれない中途半端な疲労感を感じてしまったわ。★★★☆☆


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