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「せ」


2006年鑑賞作品

青春☆金属バット
2006年 96分 日本 カラー
監督:熊切和嘉 脚本:宇治田隆史
撮影:橋本清明 音楽:赤犬
出演:竹原ピストル 安藤政信 坂井真紀 上地雄輔 佐藤めぐみ 若松孝二 寺島進


2006/9/12/火 劇場(渋谷シネ・アミューズ)
熊切監督作品ということもあるけど、この作品に足を運んだのは、やはり主演の野狐禅のボーカル、竹原ピストルに興味をひかれてだった。いやー、ホント私ね、情報にウトいもんだから、故郷の一部?である旭川から、こんなアグレッシブなバンドが誕生してるなんて、ついこの間まで全然知らんかった。で、初見でかなりガツンと来たので、その名前を今回の出演者の中に見つけ、その曲がバックに流れているのにもオッと思い、足を運ぶ。

しかし確かに私は情報にウトいが、熊切監督がなんで彼を抜擢したのかと思ったら、野狐禅のPVを撮った縁があって彼にピンときたらしい。ほおー、そんな仕事もしているの。確かにこの竹原ピストルにはピンとくるよね。役者に誘いたくなるのは判る。人なつっこいチャームと、アグレッシブな表現力のギャップが素晴らしい。
でも、この役をいきなり咀嚼させるにはキツい気がする。しかし彼を気に入ったらしい監督、次作でも起用してるっていうしなあ……。
笑えたのは、強盗する時かぶったストッキング脱いでも、同じ顔だったこと(笑)。
しかしラストソングとなる「ならば友よ」はやはり名曲だ。チャゲ並の泣きの裏コーラス(←実は相棒、濱埜宏哉氏の方がダイレクトに好み)がグッとくる。

……なんて言いつつ、この作品に関しては、嫌悪感が澱のようにたまるばかりだった。うー、こんな風に拒絶反応示すのはめったにないんだけど。
熊切監督……うん、彼は確かに上手い監督。でもなんかだんだん、ついていけなくなる気分がしてるんだよなあ……。
「空の穴」のあたりから既に、一生懸命咀嚼しなければ受け止めきれなくなってた、正直。
乾いた突き放し方には職人的上手さを感じるんだけど、なんかどんどん熱がなくなっている感じがする。

そもそもこの作品を作って、何を言おうと、表現しようとしているのかが判らないのよ。
原作読んでないからなんとも言えないけど、この原作自体は、何を言おうとしているのかなあ。
まず、登場人物の誰にも、少しの共感も出来ないのがキツい。
そういう映画なら、それを忘れさせるようなドライブ感で突っ走ってくれよと思うのに、その嫌悪感をじっくり味あわせる静かさとゆっくりさで描くもんだから、時々現われるユーモアにも笑える心の余裕が出来ない。
見ている間中ずっと、劇場を出てしまいたくて仕方なかった。こんな辛かったの、ホント久しぶりだよ。

主人公の難馬は高校時代、バナンバと軽く軽蔑を込めて呼ばれていた高校球児。チームは甲子園に行ったけど、彼は応援どまりのヘボい選手だった。
それでも野球が好きで好きで、「ベーブルースの息子」のお告げもあって、彼は27になるまでのこの10年間、バットを振り続ける。究極のスイングを求めて。
しかし生活はショボいことこの上なし。今ではコンビニのバイトで生計を立てているけれど、クソ面白くもない仕事に情熱もわかず、同僚の女子高生には「難馬さん、私のことじろじろ見るの、やめてもらえますか。超キモいんですけど」と言わる始末。新人のバイト君が中学生にカツアゲしているのを見ても注意する気さえ起こらず、ついにはこの中学生たちの万引きを見逃して、思いっきりシフトを減らされてしまう。ちなみに女子高生バイトも同罪だったのに、お咎めナシ。

そんな中出会ったのが、巨乳のアル中暴力女、エイコ。
彼女を助けたことで、自分の部屋に転がり込まれ、勝手の限りを尽くされても、やっぱり難馬はただ受け身であるばかりである。
そうしているうちに、金もないし、彼女は酒をバカバカ飲むんで、金属バット強盗なんぞをやらかすようになる。
そして二つ目の出会いは、再会。これまたやる気のない不良警官は、高校時代のチームメイト、エースピッチャーの石岡だった。

……とまあ、そんな展開で、なんとかムリして解釈すれば、10年間無為に過ごしてきた青年の突然の人生の転換や、野球の神様のファンタジーとか、そんな乾いた面白さはあるのかもしれないが、いかんせん、登場人物たちに愛着が湧かなさすぎるんである。
竹原ピストルは、周囲がキツすぎるせいもあって、せっかくのチャームが役者として機能する前に埋没してしまう。ただただ彼はぼうと突っ立ったまま10年を過ごしてしまった青年にすぎず、そこに葛藤を見い出すのは困難である。
しかしなんつっても、坂井真紀扮する巨乳アル中暴力女のエイコが、見るに耐えない。私は単純だから、こういうキャラを面白がれないの。
こういう女を造形する理由が判らない。意味づけがほしい。最後まで共感できる何もないんだもん。

ただただ、彼女の意味のない暴れっぷりに、どんどんイヤな感情がたまっていくばかり。路駐の車によじ登ってガンガン飛び跳ねるとか、なんで?としか思えなくてその意味不明に頭を抱えたくなる。レンタカーを返しに行った時、バックで車を入れてる難馬になんであのタイミングで目隠しするか!んで車ぶつけて、あんたのせいなのに逆ギレするか!ああもう、ブン殴りたい!
……私って、本当に単純。こんな女だからこそ主人公が転がされて物語が展開すると判ってはいるのに。でもそんなキャラでも観客に惹かれさせるちょっとした魅力もないと、見ていて辛いばかりなんだもん。
ああ、そうだったのかと思える何も用意されていないのが、嫌悪感を与えるためだけに存在しているのが、どうして私はこんな女を見せられなきゃいけないのと思ってしまう。

そりゃまあ、そんなちょっとした可笑しみは用意されていないわけではない。野球好きでドラゴンズ好きの彼女は、試合中継が見たいがために難馬の貯金箱を勝手に開けて、大型テレビを買ってしまう。
可笑しいハズなんだけど、彼女の造形に腹が立ってるから、このこと自体にハラが立ってしまう。主人公が怒らないのもイライラする。そんでもって映りが悪いもんだから、室内アンテナを難馬にずーっと持たせたまま、自分は野球観戦に没頭するんである。
可笑しいハズなのに、ぼーっと立ってアンテナを頭に掲げてる難馬の姿もあいまって可笑しいハズなのに、彼女への腹立ちが収まらないから、やっぱり笑う余裕がないんである。
んで、たまりかねた難馬、アンテナをつなぐ工事に来てもらう。この女といると、不必要にカネがかかるばかりなんである。

つーか、そもそもエイコが難馬の部屋に転がり込むキッカケになった場面、酔っ払って路駐の車にケリを入れていた彼女が車の持ち主に怒られ(当然だ)引きずっていかれそうになったのを、難馬は持っていた金属バットで車のフロントガラスをブチ割って、さらにこの車の持ち主の膝もブチ割って、エイコを助けるんであるが……もうその時点で、なんでよ!なんでこの女を助けるんだよ!と思ってしまった、こっちの負けなんだろうなあ。
恋?恋なの?そんな大事な感情、キッチリ感じさせてよ、と腹立ちまぎれに責任転嫁。
しかも、彼にとって聖なるものであるハズのバットを、そんなコトに使ってしまう。もうこの時、10年の究極は地に落ちたんだ。

そしてエイコの次に嫌悪感なのは、安藤政信扮する警官、石岡。でも彼のキャラに嫌悪を感じるのは、やはりどこか、おまわりさん=町の正義みたいな、ステロタイプな感情を抱いているんだなと思わせる悔しさがあるけど。
とにかく、なんで警官になったのか、理解に苦しむ不良警官なんである。
強盗に襲われたと交番に訴えてきたワカモン二人を、話も聞かずにさっさと追い出すわ、電話は一向に出ようとしないわ、しかし万引きの主婦が若いと知るや、その時だけは自ら出かけていって「奥さん、見逃してやろうか。今日何色のパンツはいてんの。見せてよ」とこうである。
交番の仕事もまるでやらないので、見かねた後輩が「……僕やります」と自ら言い出すぐらいなんである。

しかし、石岡はちょっと許せてしまうのは、彼が追い出したワカモンたちは、エイコにひどい目に合わされたとしたって、かなりお腹立ちなヤツらだったりしたからさ。
ちょっと前に話題になった汚ギャル?エイコに襲われる前、彼氏に電話しているメイクのケバい女の子、「かゆいっていうか、痛い?汁?出まくりー!」病院行けー!
だから石岡が、「お前、臭いぞ」と邪険に追い出しても全然オッケーとか思っちゃうの。
……私って、ホント単純だな。

で、石岡と難馬の再会。暴れ女エイコを止めようとした難馬が、彼女に逆ギレされてもめているところに、石岡が後輩と二人、自転車で巡回中に行き遭ったのであった。
エイコには三打数二安打の成績を残したとウソを言っていた難馬、石岡に「そんなウソで女釣ってんじゃねーよ」と喝破される。
難馬はカッとなる。この10年、バットを振り続けてきた、究極のスイングが完成したんだ、と石岡にくってかかる。プロテストを受けるんだ、と。
石岡は冷ややかに、「お前、何言ってるんだよ。いくつだと思ってんだ」
「究極なんだよ。10年間かかったんだ」
10年の間、自分のスイングに満足できなかったというのはカッコイイけど、10年の間、プロに挑むのが怖かっただけじゃない。
エイコはしかし、難馬のウソには怒らない。逆に愛しいヤツと思ったのか、その次のシーンでは甘く睦み合っているんである。判らん女だ……。
難馬はようやく勇気を振り絞って、中日ドラゴンズにプロテストの問い合わせをする。しかし今は実施していないと言われる。中日ドラゴンズ以外はダメなのか。エイコがドラファンだからなのか。

そうこうしているうちに、二人はバット強盗として追われるハメになる。レンタカー屋に「元通り塗りゃいいんだろ!」とエイコがヤクザなペンキ屋を伴って乗り込み、このペンキ屋の落合(寺島進)が難馬を強盗の相棒として担ぎ上げたことも事態を複雑化させる。
エイコはあの汚ギャルと彼氏以下、街のチンピラに狙われ、ついに捕まってボッコボコにされる。
このシーンは、やけに引いた俯瞰で撮っている。ために、暴力的な生々しさはない……っていうのがね、生々しくしないためにそうやってるの?でもあざといよ、それ。
そりゃ彼女はボコボコにされたってしょうがないことやってるから、生々しくされたって腹は立たないだろうけどさ。

その頃、石岡は妻から「あなたのガッツが見たかった」と書き置きされ(?意味が判らん)というか、浮気相手に本気になったらしく(「マッチョなの。好きになっちゃったの」と携帯電話での彼女の台詞)、家から出て行かれてしまう。
その前に、この夫婦のシーンが一場面だけ用意されている。最近活躍著しい、強烈な印象を残す女優といったらやはりこの人、江口のりこである。難馬と会った後、ボールを手にしながらどこかイライラとした気分をムラムラに転化したかのように、夕食を用意していた妻をバックから犯す石岡。
そして妻に去られてメチャクチャに自転車を走らせていた石岡は、エイコを襲って逃げる途中のチンピラから一発食わされ、地にはいつくばってしまう。
無線からは、バット強盗やチンピラを追うようにとの指示がずっと出されているが、鼻血を出してぶっ倒れている石岡は動けない。
そしてやっと起き出して歩き始めたところに、逃亡直前の難馬とエイコに行き遭うんである。

更に石岡を憎みきれないのは、このラストに、ちょっとカワイイじゃんと思わせる(ホントにちょっとだけど)エピソードが用意されているせいもある。
エースピッチャーだった彼、しかしひじの故障で挫折したらしいんだけど、チラリと回想される描写じゃよく判らん。ただ彼が、自信たっぷりだったのは判る。
俺からの球を一つでも打ち返したら、見逃してやる。そう言って難馬の前にたちはだかる。
「トコナン(所沢南)のエースをなめんなよ」
いつか二人の目には、広い広い野球グラウンドが広がっている。
ラスト球を見事、ホームランに打ち放った難馬。
「石岡……オレ、すっげー、楽しい」
難馬はずっとチームで野球ができないでいた。だって、もうこの年じゃ、一人バッティングセンターで練習するしかないんだもん。ずっと孤独だった。
……などとラストでいきなり人情派をやられても、それまでがそれまでだから、そんな感慨も抱けないのだが。

そうやって、嫌悪にしたって感情を揺さぶられるという点では、成功しているんだろうなあ。でもなあ……。
ワキに関しても、どうもイライラするのよね。
例えば。難馬の勤めるコンビニの、同僚の女子高生。鈴井映画のヒロインだからあまり言いたくはないけど、佐藤めぐみがスクリーンに重用される意味はちょっと判らず。
彼女には振り幅がなさ過ぎる。それに、そういつまでも女子高生やってられないでしょ。

彼女は、新しく入ってきたバイト君に色目を使う。この描写で、恐らく店長にも女子高生の媚びを使っているんだろうと推測される。だって彼女はいつだっておとがめなしなんだもん。サボリまくってるし、自分の責任を一切とろうとしない。
冒頭、それは既に示されてる。お弁当と一緒に温めてしまって爆発したマヨネーズも、知らんぷりして渡そうとする。
しかし判らないのは、それを助けようと割って入った難馬が、替わりになるマヨネーズの代金も請求したことだけど。
彼女にイイとこを見せようとしたのかもしれないけど、それだったらあまりに小さすぎるし、人間として対応が間違ってる。いちいち意味不明なのよね、難馬も。そこが可笑しいんだろうけど、笑えない。
んでもって、カツアゲされていた中学生が市長の息子だってこと、難馬はテレビのニュースで知るけど、だから何が起こるわけでもない。ああ、意味がなさすぎる。

しかし、オドロキなのは若松孝二!なんで彼をこんな役で引っ張り出してきたの!ベーブルースが日本に来た時に作った子供??とまことしやかにウワサされている、というか自分で言っている酔いどれオジサン。
この共感するにはあまりに難しいイライラするキャラたちの中で、彼だけがファンタジーの世界に生きているんだけど、現実感とファンタジーがあまりに乖離しすぎて、ただ違和感を覚えるばかりで、どう彼の存在を受け止めていいのかが判らない。

はたしてどのあたりが青春だったんだろう……。ああ、もう気分が悪い。★★☆☆☆


セキ☆ララ/Identity
2005年 83分 日本 カラー
監督:松江哲明 脚本:――(ドキュメンタリー)
撮影:松江哲明 村上賢司 音楽:藤野智香 川野健
出演:花岡じった 相川ひろみ 杏奈 松江哲明

2006/6/13/火 劇場(シネアートン下北沢/レイト)
なんかね、全然問題は違うんだけど、この映画を観てふと気づいたことがあったんだ。
東京に出てきて、東京で生まれ育った人と知り合って、ルーツというか、何代前までさかのぼれるとか、家計図はどうなってるとか、言う人が結構いて、へえー、と思ったんだよね。私はそういうの、全然知らないんだ……。
知らないだけで、あるんだろうけど、北海道の、つまり先祖が入植者の人って割とそうじゃないかと思う。いや、その前のルーツも当然あるんだけど、あまり追わないというか……。あるいは私が生まれ育った土地、を持たないせいかもしれないけど。
ルーツへのこだわりとかトラウマとか、そういう重さに対して、そんなことをちょこっと思い出しちゃったんだ。

新人女優・相川ひろみが生まれ故郷 の尾道へと向かう旅を追った<ロードムービー編>と中国人女優、杏奈と自宅に38度線がある男優花岡じったの<1日デート編>の 二部構成からなる本作は、その女優、男優の前に“AV”とつく、キッチリ正しいAVである。
劇場公開に合わせてカラミ部分は相当切ったみたいだけど、コトの後にはお約束に“顔射”だし、もー、目に入るわ、鼻につまるわ、タイヘンなんである。
中国語で“イク”は“トール(到了=ついた)”だとか、ミョーに勉強になったりもする。AV男優、花岡じった氏が父親と同居する家で、コッソリホンバン撮影する場面なんて、あまりにスリリングが頂点に達して、逆に笑えたりしちゃうんである。

監督の松江氏が、ドキュメンタリーとして影響を受けたのが「水曜どうでしょう」だとインタビューで語ってるのをサイトで読んで、オオッ!っとビックリ。バラエティとしての面白さではなくて、ドキュメンタリーの面白さを作る上での影響だというんだから、藤やんと対談とかしたら面白そうだなー、などと夢想したりして。
同志だと知ってたら、トークに来てた監督に声かけたのにー!なあんて、ウソウソ。私そういうの、ホント出来ないの。いい年して。皆どうして話しかけたり出来るのー!ウラヤマシイ……。
驚いたけど、ナルホドなあ、とも思う。彼が今回作ったレーベルにはあの平野勝之監督がいるのよね。平野作品の傑作「由美香」には北海道を自転車で走破するという要素が前提にあったものの、それを除いても、どうでしょうの詰めたカッティングの面白さと共通するものを感じたし、松江監督も、そういう編集の妙に関して平野監督を挙げてたしね。あー、面白いなあ、こういうの。

自身の在日をテーマにしたデビュー作の「あんにょんキムチ」を観てないのはマズいかなとも思ったんだけど、予告編があんまり面白かったもんだから足を運んだのであった。なるほど、AVってドキュメンタリーなんだもんなあ。
監督は殊更にAVだAVだと言っているんだけど、劇場向けにカラミが少ないせいか、あまりそのことは感じない。だから逆に冷静に、AVってドキュメンタリーだもんな、などとも感じたりする。
あ、でもこの日のトークショーでジャンルとして括られてしまうドキュメンタリーという話が出てて、それもナルホドと思ったんだよね。ドキュメンタリーは決して「真実」じゃない。テレビやなんかで真実があまりにハンランしていることに対して、トークの相手の綿井健陽氏が凄く、憤慨してた。

まあ、そのこととつながるわけじゃないんだけど、AVがなぜドキュメントかっていうのは、ただ単にホンバン、ナマで入れるからってだけなのかなって気もするし、アタマにAVがついてもあくまで女優、男優なんだもんな、とも思う。劇中、今回が初めてのAV出演となる相川ひろみ嬢が連発する「キモチイイ」に、監督がウソを見抜いたようにさ。
ひろみ嬢、「普段はもっとエロエロですよ」と。「そうでしょ?」と監督は意を得たりと返す。AVにだって、ドキュメンタリーといわれるところにだって、そして日常にだって、芝居はいつだって隠されているんだ。

だからってわけでもないんだけど……というか、AV界に身を置く在日の人たちの語る言葉にも、何がしかの芝居性は当然、感じるんである。あ、でもそう言うと御幣があるかな……。普段、自分の気持ちをキチンと言葉にして出したことがなかったから、改めて言葉に出す作業をすると、こうありたい、こう思っていたい、という感覚が出るというか。
それを、最も感じたのはこの中で唯一の二世である(監督、ひろみ嬢は三世)、AV男優の花岡じった氏だった。彼が一番面白いんだよね。まるでこの機会を待ってたかのように、喋りまくるんだもの。
待っていたわけではないだろうけど、彼の中にずっと用意されていた言葉だったんじゃないかって感じはする。だって凄く……不自然なくらいに、ハッキリしてるんだもん。

彼はとにかく、自分のルーツを呪ってるの。一世である父親が、当然母国を重視しているのと相容れなくて、もし自分に子供が生まれたら日本人として育てる、朝鮮語は教えない、と断言して。
富士山に心打たれるのが日本人だ、と語り、判りやすく強いスターを好む彼に、逆になぜだかひどく揺らぎを感じてしまう。
ホント、不思議なんだけどね。一方、三世であるひろみ嬢はそんな確固たることなんて全然考えてなくてさ、こんな感じよ、ぐらいのあいまいさをそのまま受けとめてる。その立場を聞けば聞くほど、どこに身を置いていいのか想像するだけで困るようなアイマイな位置を、生まれた時からだからね、と、その位置こそ揺るぎないものとして捕らえてる。
どっちかに決めようとしないんだよね、彼女は。その揺らいでいるように見える位置こそ、自分の確固たる位置なんだ、と。まるでバランスのいい綱渡りの芸人みたいに。
女の子だからフレキシブルな部分があるのかもしれないけど。

花岡氏が、あれだけ強いもの、判りやすいものが好きな一方で、戦争に負けた日本が享受した負けの美学にこそ強い共感を抱いているのが、矛盾なんだけど……だからこそっていうか、判る気がするんだな。
納税の義務はあるのに選挙権はないとかってことも、花岡氏は、だって俺らは外国人だもん、仕方ない、とそういうことに対しては怒りを感じてないのも不思議っていうか。
面白いんだよなあ……日本に対しては、どうあっても好きだと言い張るんだよね。言い張る、って感じがなんかするんだ。そうしなきゃ、自分の存在が揺らぐ、みたいに思ってるみたいで。

私も知識ないんで、聞きかじりの単純な歴史だけど……彼らは北の帰国政策に騙された経験を持つわけじゃない?しかも、同じ民族によ。
それなのに、一世の父親は、同胞に対する思いがある。二世の彼はそれが相容れないのかな、なんて。
判んないよ、判んないんだけど。北と南の関係だって、判んないけど……そう、それこそ、ひろみ嬢が、「友達に、北?って聞かれる」と語るように、北と南の境界の関係とか、そういう微妙なところは判んないんだけど、でも。

花岡氏が、敗北者の美学を持つ日本に思いを寄せてるのがね、これ以上打ちのめされる負の歴史はないだろっていう……同じ言葉を喋る、地続きの同じ民族に騙されたっていう負を、受けとめようとする気持ちにつながってるんじゃないかと思うんだ。
そして、一世の父親はそれが出来なかったのかもしれない。三世はそこからは遠く割り切って暮らしてる。でも二世の彼は、そのどちらに行くか、どちらにも行けなくて悩んで悩んで、日本の負けの美学に思いを寄せている気がするんだ。
でも一方で、曖昧さは許せない。「在日として生まれてきた自分に怒りを感じている」し、「もし自分の存在がどうしても相容れなくなったら、俺は座禅して死ぬ」とまで言う。
一方で、幸せに対しての考えはとてもシンプルなんだ。愛する人と、ずっと一緒にいて、子供を作り、幸せな人生を送ることを願ってる。

花岡氏のことを先に書いちゃったけど、順番としては相川ひろみ嬢が先である。本編を観た花岡氏は、「なんで第一部の女とヤラせないんだ」と監督に怒ったとか(笑)。スケベそうな顔してるとか、興味シンシンだったらしい。
彼が言った、「俺が同胞とセックスした方が絶対面白かった」という言は、監督もナルホドと思ったというし、確かにナルホドなんだよな。
でも、価値観というか、立場がかなり離れている二世の花岡氏と三世のひろみ嬢が絡んだら、かみ合わなかったかも……いや、それこそが面白かったか。

でね、監督はひろみ嬢と同じ三世なんだけど、花岡氏とひろみ嬢の中間地点な感じなんだよね。
それほどキッチリしたこだわりがあるわけではない。というか、見せない。在日のドキュメントを作るっていうことになったら、こうあるべきとか、こう考えてるとかというカタイものじゃなくて、その自分たちがどう生活しているかを、ホントにナマに、カルく、ユルく、そのままにとらえたいと思ってる。
でもそうした“ドキュメンタリーはこうあるべき”というイメージに対比してそう思ってることこそ、頑なさがあるってことなんだよね、多分。その対比からも完全にハズれたところにひろみ嬢がフワッと存在しているから、それがとてもよく判るのだ。

世代も同じだし(ひろみ嬢は20歳だとプロフィルにあるけど、「年がバレる」と自ら言う彼女が、会話から察するに26かそこらなのは明白である)、監督とは共感する部分も多い。ファミレス代わりに焼き肉屋に行くとか、先祖を送る行事を欠かさず行うとかね。
こういう情報って、在日の人たちを描写する時にはいつも深刻になりがちだったからなかなか知られない、まあいわばどーでもいい情報なんだけど、それだけに、すっごいリアルなんだよね。

その中に、テレビ番組を見てて、この人は在日で、北だとか南だとか言うというエピソードがある。監督はそれを紅白歌合戦に限定して言うんだけど、ひろみ嬢は、もう日常からしょっちゅうだという。
監督はそれが、身内だけの閉鎖的な感じがしてイヤだと言う。でもひろみ嬢は単純に、へー、そうなんだと面白がってたというんだよね。この違いはなんなんだろうと思ったりするんだ……性格の違いもあるだろうけど、でもやっぱり、男と女の違いのような気がするんだな。
なんかね、男は対社会的に、とらえるじゃない、まず。自分が個人的にどうとかじゃなくて。それがいいとか悪いとかじゃなくてね。やっぱり女との違いってあるんだなあって思ったんだ。花岡氏もだからこそあんなに潔癖に語るんだろうし……その中に確実に矛盾があること、多分自分でも判ってるのに。

ひろみ嬢はこのロケの中で、家族に対する思いをすっごく語ってた。当初、韓国に行ってみたいとひろみ嬢が言うなら韓国ロケを考えていたらしいんだけど、彼女は興味を示さなかった。
一度も行ったことのない、つまり彼女にとっては見えないルーツである場所よりも、子供時代を過ごした尾道、京都に行きたいと言って、そのロードムービーが実現する。
この辺の割り切り方も女の子っぽい気がするんだよな。男なら自分の中の、記憶よりも記録(=籍)にこだわりそうだもん。実際、監督も花岡氏もそんな感じを受けるし。

でもね、ひろみ嬢はどこか男っぽくサバサバとした、気持ちイイ女の子なのよね。子供の頃の記憶も、「一匹狼だった」と語るぐらいだし。
父親はパチンコ店を経営してた。“銀行から融資を受けにくい在日の人たちは、日銭を稼げるパチンコ経営者が多い”というのも、初めて知る事実。
そして尾道に住んでいた子供時代、パチンコ店のあった場所はスナックなどの建ち並ぶ大人の路地だった。尾道ならではの暗く細い路地が縦横無尽に存在してて、そこを無我夢中で走りぬけた思い出を、ひろみ嬢は懐かしそうに語る。
そしてひろみ嬢がロケが終わる時に、涙するのだ。何で泣くのよ、と監督は笑いながらも驚いてる。
皆のこと、家族だって言って、感極まって涙ぐむ彼女。
「相川が家族だと言ってくれたことが正直、嬉しかった」
彼女にとっての家族というのは、こんな風に運命を分かち合った人に対する最上の言葉なのかもしれない。そんな習慣があるのって、いいな。

在日韓国、朝鮮人というテーマからはハズれるけど、二部で花岡氏の相手となる中国人留学生の女の子、杏奈ちゃんも興味深かった。つーか、まずメチャカワイイということがあるんだけど。
その彼女が、何をどう思ってAVに出演しようと思ったのかっていうのが、程よくカルくて、だからといってうわついてるとか軽薄な考えでっていう風にも見えない。
これはでも、時代なのかなあ。いまだに私は、多少偏見があるんだろうな。このニュートラルな立ち位置に立てる彼女たちが、ただただ凄いって思うばかりなの。

杏奈嬢のチャイナ服を調達しようと中華街に到着、イロイロ悩む彼女に男性陣はスッカリ飽き気味で、そんな男たちに彼女が「男は買い物嫌い」などと嘆息するのが、どこの国も世代も一緒ねーなどと可笑しくなったりして。
で、ホテルに入り、花岡氏の用意したちっちゃなTバックにウケつつ準備する。しかもこれを選んでた時の花岡氏がねー。ドン・キホーテの、ごちゃごちゃと置かれたハデな女性用下着売り場でヤンキーのようにしゃがみこみ、これでもかと顔を近づけてしんっけんに選んでんだもん(笑)。
おっとちょっと話が飛んだが。で、彼女の可憐なチャイナ服をひんむいて、エロいストッキングを破り、顔に発射し、かなり早めに終わる。「杏奈ちゃんの可愛さに走っちゃったね」とぜいぜい言いながらつぶやく花岡氏も笑える。

監督はふと、聞いてみる。杏奈ちゃんにとってのアイデンティティは何かと。
彼女は最初、その言葉が判らない。そのことに、まず驚く。現代人はどこの国においても、そのことに悩んでいるのかと思ったのに。ことに、“外国人”として日本に来ている彼女が、その概念を頭においてないなんて。
その言葉の意義を監督に説明された彼女、一瞬考えて、「家族」と言う。
アイデンティティという言葉を知らなかったうえに、ソレが何かと聞かれると、アイデンティティとは最も遠いところにあることを言う彼女。
でも不思議と驚かなかった。ひろみ嬢も、「自分のことを言われてもぜんぜん平気だけど、家族のことを言われたら許さない」と言っていたし。でも一方で、二人とも家族にはこの仕事のことナイショだっていうのが可笑しいんだけど。でもそれを矛盾だと思ってないのが、女の子のフレキシブルって気がして、好きなんだよなあ。

杏奈ちゃんが、お父さん、お母さん、大好きと言う。花岡氏は絶対自分からは出てこない言葉だと、うらやましいと、しみじみと言う。
でも、彼女の家は厳しい。特にお母さん(お父さんじゃないところが日本じゃなくて中国って感じ)には絶対バレたらタイヘン、とか言いながら、この業界に入ったことに割とアッサリしてる。「写真の仕事はしてるって言ってるけど……」なんてさ。
でも以前はどうかは知らないけど、AVというものに対して一つの文化や仕事としての興味が単に発露しただけ、という割り切り方をしているように思う。ひろみ嬢は、「AV見るの好きだし」とサックリと言い、「キャバクラで働いてたけど、あれだと受け身でしょ」とAV志望の理由を語ってた。能動的に関わりたいっていうのはそれこそアイデンティティの問題につながっていってて、なんだかとっても、ナルホドなんだよね。

原題は「アイデンティティ」。世界の共通語であるハズのそれを、杏奈ちゃんは知らなかった、それでも彼女は大切なものがそれと同義であった。ひろみ嬢はその言葉を知っていたかもしれないけど、答えは杏奈ちゃんと同じだったかもしれないと思う。
そして花岡氏と監督は、どうだろう。これは朝鮮籍、韓国籍、中国籍、つまりは“ガイコクジン”の疎外感を語る話であるハズなのに、それにこだわってたのは案外、男である彼らだけだったのかもしれないって、思っちゃった。
アイデンティティって、本来もっともっと、高みにあるはずなんだもの。“家族”もそうだけど、もっともっと、上に。★★★★☆


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