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「ゆ」


2005年鑑賞作品

ユニットバス・シンドローム
2004年 75分 日本 カラー
監督:山口智 脚本:山口智
撮影:多田正悟 音楽:上野和徳
出演:山中崇 勝俣幸子 諌山幸冶 大櫛エリカ 藤原よしこ 小野ゆたか 鳥居しのぶ 秋元沙織 古山憲太郎 高橋かすみ 志賀廣太郎


2005/6/6/月 試写(シネマアートン下北沢)
小さなユニットバスに、天井裏があるなんて知らなかった。ユニットではないけど似たような狭さのウチの浴室を思わず見上げてみたら、確かにネジで押さえてある四角辺がある。ネジを外して中をのぞいたら、もしかして何かがあるのかも、誰かがいるのかしらん……。
……そう考えるとちょっと怖くなるから、よそう(それでなくても、私の寝室にはよく出るんだもん)。
でもこの物語は、幽霊の話なのに、ちっとも怖くない。こんな可愛い女の子の幽霊なら私も会ってみたいし、こんな切ない小旅行になら、お付き合いしたいってなもんである。

ユニットバスの天井裏で、ひっそりと膝を抱えている女の子、シノハラに出会ったのは、やはりユニットバスの天井裏に別れた彼女の思い出を捨てられずにとってあるフジモト。ところはフジモトの友達のダイスケのマンションで、別れた彼女を忘れられずにウジウジと閉じこもっているフジモトを元気づけようと、友人たちがサプライズパーティーを企画したのだ。テンションを上げていこうとする友人たちに比して、どうも盛り上がりきれずにいるフジモトは、いつものようについついそこでもユニットバスの天井裏を覗いてみる。すると、そこにシノハラが膝を抱えて、座っているんである。
こう書いてみると、結構コワいシチュエイションだなあ。でもね、本当に、不思議と怖くない。怖くない幽霊。魂や神様が普通に日常な日本文化の延長線上という感じ。それに、昔なら屋根裏に幽霊が住み着いていたのかもしれないけど、現代の住居事情なら、こんな風にユニットバスの屋根裏に幽霊さんがいるのもうなづけるもの。

フジモトが思い出をこっそりと隠している場所であり、シノハラもまた、思い出を支えにここにいる。
大体、フジモトはその時点で彼女が幽霊だということに気づいてないし、かなり異様な状況なのに、何でこんなところにいるんですか、ってなノリなんである。で、彼女は私は幽霊なんです、と答える。ここに以前住んでいた彼女は自殺したんだけれど、成仏しきれずにとどまっている、という状態らしい。
「全部忘れたくて死んだのに……今度は忘れられるのが怖くてここにいるんです」
この彼女の台詞は、少なからずそんな思いを抱きながらも見ないふりして生きている、私たちにチクリと棘をさす。

シノハラが別れた彼女にソックリだったということもあいまって、彼は車を持っている友人のケンジ(このパーティーの発起人ね)をたたき起こして、三人でシノハラの実家へと向かうんである。
本当に、忘れられているのか、と。
フジモトが、別れた恋人に忘れられていることを恐れているのは明白で、うーん、でも……彼から離れていった恋人は、多分忘れちゃっているだろうなと思ったりもする。そのことを彼自身が確かめることも、確かめようもないんだけど。
友人たちもそう思っているからこそ、とっとと忘れちゃえと、写真なんか後生大事にとっといてるんじゃねえ、と言うんだけれど、その一方で、フラれた恋人の写真は捨てられないよね、という意見で一致したりしているのは可笑しい。
でも、そうだよね。それが悪いことだとも別に思わない。だって、思い出を捨てるのは、その間に自分が生きていたあかしを捨てることに他ならないもの。自分の存在を捨てることにさえ、なると思うもの。
だから、この物語の最終的にフジモトが恋人の写真を捨ててしまうのは、ちょっと思うところもなきにしもあらずなんだけど……(後述)。

シノハラの自殺の理由は、結局最後まで明かされることは、ないのだ。それを手始めにこの作品では、そういう説明的な無粋さを一切排除している。ちょっとストイックすぎるぐらいだけれど、それがこの、ヘンに手心を加えない幽霊譚にリアルさを与えている。
傷ついた幽霊さんにそんな理由を聞き出すようなことは、まあしないだろうし、幽霊さん自身が自らの傷をえぐり出すこともしないだろうし、彼女の命日だからといって、もうその時から何年もたって家族や友人が詳しく思い出話をすることもないだろうし。もしそんな場面が出てきたら、お前たちは毎年そうやって判りやすく話してるんかい!と突っ込みたくなるところだもの。
そうやって、具体的なことは何も提示されないからこそ、一見して日常生活の延長線上にある、ちょっとだけ特別なその日の、彼らのささやかな態度やたたずまいに、彼女への思いを感じ取ることが出来る。

その日は彼女の命日。シノハラが生まれ育った土地の、彼女を知っている人、つまり彼女が死んだと認識している人には、幽霊である彼女の姿が見えないのだ。
その時から何年たっているんだろう。もうそんなに大げさなことはせず、いつものようにその日を送っている。天気がいいからお布団だって干してるし、特別ご招待するわけでもなく、覚えていてくれる人だけがやってきて、お焼香をあげる。そして思い出話をするような義務感もないまま、ちょっと気まずげな、でも目的を共有している心強さをお互いに感じながら、お茶をすすったりする。
シノハラの友達とその娘、そしてついつい上がりこんでしまったフジモトが帰ったあとも、彼女は懐かしい自分の家にとどまって、久しぶりの家族たちを様々なところで眺めている。

元栓を締めたままガスの火をつけようとして父親に注意されている母親や、母親に言われて布団の取り入れを手伝っている弟や、ビールを飲みながら、そして立ったまま、お仏壇の娘の写真を何を言うということもなく眺めている父親や……そしてお客さんたちも帰って、一息入れてお茶をすすり、こたつにあつまる家族三人、その一片だけが当然空いているのが、なぜかことさらにぽっかりと感じられて。
そう、そこには確かに彼女がいたはずなんだもの。
なんてことを、彼らは言うわけでもない。弟の仕事はどうなんだなんてことを、ひっそりと話すばかりである。でも彼らが、ことに命日だから、そこにいない彼女のことを改めて感じているのが判る。
自分のいない時間が確実に流れている。自分がいなくても問題なく家族は生活しているし、時間は動き続けている。それはそうなんだけれど。
「忘れられるのが怖い」そう言って、その事実を確かめるのも怖くて、ずっと自分が死んでしまった場所にとどまり続けた彼女は、そこで何を思ったんだろう。

来てくれた友達も、もうたった一人。でもたった一人でも来てくれた。シノハラのことを知らないその友達の娘には、彼女のことが見えている。振り返り、振り返りするその子に小さく手を振って、そしてシノハラは鼻をかすかに赤くしながら、ありがとう、そう言うのだ。
覚えてくれていて、ありがとう。そう、きっと、そういう意味だろうな。
忘れられることが怖いっていう彼女の気持ち、判る。人から忘れられることは、第二の死であり、そして完全な死だから。現実に生きていたって、怖いんだもの。第一の死が訪れる前に、第二の死が訪れるんじゃないかって。ことにこんな、東京みたいな大都会にいると……東京は誰からも忘れられた人間さえ生かしておいてくれるけど、そんな人間には興味がないから、ただほっといてくれるだけなのかもしれないと思ったりするんだもの。
たとえ嫌われてもいいから、覚えていてなどと歌っていたのはユーミンだったなあ、なんて思いだしたりする。

彼女の自殺の理由は明かされないけれども、やはりそこには恋愛の何かがあったように思える。彼女があのマンションにとどまり続けているのは、恋人との思い出がそこにあったからなんじゃないだろうか。
そんな風に思ったのは、シノハラを見つけてくれたフジモトの、その彼の忘れられない恋人に彼女がソックリだったことと呼応するかのように、フジモトが訪ねたシノハラの家族や友達が、「お会いしたこと、ありますよね」と彼に言ったこと。
それはただ単に、初めて来たフジモトに気をつかってそう言ったのかなとも思ったんだけど、何となく、何となく……シノハラの恋人に彼の面差しが似ていたのかな、なんても思ったのだ。
彼女の自殺の原因になったのかもしれない恋人に……。
ただ、そうでも、そうではなくても、ここでは彼女にとって自分のことを忘れてほしくない、忘れていることを目の当たりにするのが怖いと思っているのが、その自殺という手段を選んだ時には彼女の脳裏には思いも及ばなかったであろう家族であり、だから彼女は家族にそんな負い目を感じながら、覚えていてほしいなんて資格はないと思いながらも、覚えていてくれることを、願っていたんだと思う。
友達も、そう。家族や友達は、打算のない存在なんだもの。打算がないからこそ、時々忘れてしまっている。でもいつだって無条件に自分のことを受け入れてくれる。
自分のことを、覚えていてくれること、たったそれだけのことを、何の打算もなく受け入れてくれる、大切な、大切な存在だ。

なぜあんな場所にいたのかと、普通(幽霊って)実家に戻ったりするもんじゃないんですかとフジモトが問うた時、シノハラは「フジモトさんは、最近実家に帰ってます?」と問い返す。そういえばずっと帰ってないな……と彼が答えると、「私もそんな感じなんです」と彼女は言う。
彼女のように、死んでしまっていなくても、私たちにとっても、案外似たような感覚で家族というのは存在しているんじゃないかと思う。
彼女は死んでしまったから、自分の存在を強要することに罪悪感があって帰れずにいたけれど、私たちが実家から平気で離れていられて、第二の死に恐れながらも生きていられるのは、家族は、家族だけは、自分の存在を認識してくれていると思っているからなのかもしれない。

実家では、家族という関係の中では時間が止まっている。あるいは、ゆっくりと流れている。
この、シノハラの実家のある千葉のはずれ、東京のような高い建物もなくて、人も少なくて、車も少なくて、道路さえものんびりとのびているみたいで、晴れと曇りが混ざり合っているような柔らかな大気で、風の存在を感じさせる立ち枯れた背の高い草原や、波さえもゆっくりと寄せては返している海とか、なんだかやたらとまったり、ゆったりしているんだよね。海と山の穏やかさに挟まれてゆるゆるしている、みたいな。
私の叔母が住んでいるのも千葉のはずれで、やっぱりそんな感じで、音や人の声はしているんだけど、ゆっくり空気の中に吸収されちゃうような感じで、いつでも晴れと曇りのまざったような柔らかさで、東京から近いのに、そして私の知っているどこの土地とも違う、なんだか不思議な異次元空間のような感覚があるんだよなあ。

幽霊になってしまったシノハラが訪ねるのが何かすっごい、納得出来ちゃうようなさ。

家族の思いを受け止めて、シノハラはフジモトと共に戻ってくる。実家にとどまらなかったことをフジモトはちょっと不思議に思うのだけれど、死んでしまった自分を受け止めて生活を続けている家族を見届けて、彼女は納得したのかもしれない。
それもまたかなり切ない感覚なんだけど……。
それならば、とフジモトは自分のアパートに彼女を誘う。ウチもユニットバスだから、と……。幽霊とはいえ女の子を部屋に入れることで、彼女をドアの外に待たせたまま、そそくさと部屋の中を片付けるフジモトはなんだかカワイイ。そして彼は、シノハラを迎え入れるユニットバスの天井裏に捨てられずにいた別れた恋人の写真を、ゴミ箱に入れるんである。
それはフジモトにとって前に進む意味はあるんだろうし、別れた恋人はフジモトのことなど忘れて新しいカレシとよろしくやっているのかもしれないんだけど、ここにある一つの、第二の死が訪れたことに、なにがしかの思いを感じなくもない。
第二の死は、その本人の知らないところで、こんな風に意識的に、あるいは無意識的に、常に迎えられているものなんだな、と。
自分の知らないところで、第二の死が常に発生しているんだな、と。
あるいは、たった一人だけが、覚えていてくれれば、もうそれでいいのかもしれない。
翌朝、フジモトがユニットバスの天井裏をのぞくと、そこにシノハラはいなかった。彼女の家族、そして友達、それにフジモトも決して彼女を忘れないだろうから。

柔らかでゆっくりとした空気と時間に溶け込むかのような主人公二人が、すごおく良くてね。別れた恋人のことを忘れられないフジモトに扮する山中崇、アップになっても揺らいでいるような、ちょっと驚くほど繊細な表情を見せる。恋人を失った今を持て余している所在なさは、カメラの存在を感じさせないほど。
そして幽霊であるシノハラを演じる勝俣幸子は、殊更に幽霊であるというパフォーマンスは見せないのに、その色白でふわりとした体躯と、顔にはらりとかかるセミロングの黒髪が、気持ちを遠慮がちに引きずった幽霊の切なさをにじませる。シノハラが車の中で、シートに体を沈ませがちにして風景を見るとことか、イイんだよね。あれは彼女の子供の頃の視点なんじゃないかなあと思ったりする。生まれ育った街を、こんな風に父親の運転する車で見ていたんじゃないかな、だからあんな風に見るのが、安心するんじゃないのかな、って。

季節は多分冬で、でもこの千葉の穏やかな空気感はそれをあまり感じさせない。シノハラは死んだ時のカッコだろうから薄着であり、赤いマフラーなんぞしているフジモトと対比されて、ああ、彼女は幽霊なんだな、と思わせる一方、そのフジモトの赤いマフラーのたたずまいがなんだか不思議にあったかくて。帰りには彼女、その赤いマフラーを彼から借りて首に巻いたりなぞしてるし、何かそういうささやかなトコがああ、あったかいな、好きだな、と思う。
この二人がこんな風に繊細な存在感をかもし出しているから、前半の、テンション高い友人たちとのシーン(特に二人の女の子)は、そのギャップがキビしかったりするんだけど、まあそれも、この後半のじっくりした語りのためにあったのかなとも思ったり。後半はゆったりしたロードムービーの趣もあり、ちょっと狂言回し風の友人、ケンジの存在も大げさでなく、安心して見ていられる。

優しい映画だったな、と思う。自分の居場所はあるんだよと言ってくれている……都会生活は、皆が皆、居心地の良さを感じてるとは言えなかったりするから、余計に皆、そう言ってほしいと思ってるんだよな、きっと。★★★☆☆


由美香
1997年 135分 日本 カラー
監督:平野勝之 脚本:
撮影:平野勝之 林由美香 音楽:
出演:林由美香 平野勝之 ひらのハニー 由美香のママ

2005/9/4/日 劇場(テアトル新宿/林由美香追悼オールナイト)
当時既にAV界ではスターであった林由美香を一般にも知らしめた伝説のドキュメンタリーで、異例の劇場公開を果たした時に観逃していたことをここ数年悔やんでいた。当時私は林由美香の存在も知らなかったし、ピンク映画の衝撃と出会う前だったので、まあ確かに多分に偏見的な意識はあったんだろうと思う。ただそのチラシのインパクトの強さはずっと覚えてて……観てもないのに手元にあった。由美香嬢と平野監督がすっぱだかで(今思えば到達点のトド島)でバンザーイしながら全開の笑顔で笑ってるやつ。ホント、すんごいインパクトの写真だったし、「ワクワク不倫旅行」っていうサブタイトルにも、うっそお!と思ったから。
まあそりゃ、その後でもビデオででも観れば良かったんだけど、劇場で観られたのになあ、という気分がずっとあったもんだから……で、その後平野監督の北海道自転車旅行シリーズの最終章である「白 THE WHITE」を観、そしてここ数年、ことに去年の「たまもの」ですっかり林由美香の凄さにマイってしまった私にとって、この「由美香」は幻の、憧れの作品だったのだ。
それがこんな機会で観られることになろうとは……。

撮影当時、監督の平野勝之と“不倫恋愛関係”だったことはつとに知られており、彼と、カンパニー氏と交わしていた恋愛関係は、「たまもの」のトークショーで彼女の口からあっけらかんと語られていた。そんなことが出来る彼女が私は不思議というか凄いというか、そんな気持ちでどこか呆然と観ていたんだけれど、本作を観て妙に納得してしまった。AVという、ドキュメンタリー性を帯びた世界からピンク映画という、フィクションの世界へ、そのどちらもで“女優”であった林由美香にとって、女優である自分が自分そのものであり、多分そこには垣根がないのだ。彼女の語る言葉に触れる機会があるにつけ思うのは、彼女は演技でスイッチが入るタイプじゃないんじゃないのかな、ということ。演技に対しても真摯に悩み、その悩んだ結果としての演技があって、そのどれもが林由美香という存在の延長線上にあるのだ。

なんて思ったのは、本作の林由美香を見てである。彼女、いつまでも本当に若くて可愛くて、遺作の、年齢のサバをよんでいるという設定でさえやっぱりそうで、いつまでも変わらなかった、と皆が口をそろえて言うのも判るんだけど、でもこうして、林由美香、が世に打って出たこの作品の彼女を見ると、やはりすっごく、若い。下からあおる角度をイヤがって、「ふくれて、フグみたいに見えるから」というほどに、ぱんぱんのほっぺたで、当時の流行りを思わせる太目のまゆげが少女っぽさをさらに加速させ、おニャン子時代の国生さゆりみたいな、いやそれ以上にほおんとに、美少女。あ、美少女、じゃないや。この時既に26なんだもん……でも美少女とウッカリ言ってしまいそうなぐらいの愛くるしさで、驚く。
でも、そんなおにんぎょさんみたいにカワイイ彼女が、なんたってこれはドキュメンタリーであり、AVと銘打ってて、ホンバンのセックスもありつつ(実際の恋人の監督とのッ)、なんといっても東京から北海道は礼文島の更に先の、トド島と呼ばれる最北の無人島まで自転車で行くという壮大なる、そして過酷な旅なもんだから、当然ながら彼女はそこで、疲れた顔や、泣き顔や、時には酩酊してゲロ吐いたり、おしっこ漏らしたりなんていう(!)場面まで登場するんである。
いや、クライマックス(オチ)はもっと凄いんだけど……(あー、言いたい。でも後述)。

ずっとAVで鍛えられてきた彼女だから、平野監督の言うとおり、こんな24時間拘束しっぱなしの“仕事”でも、カメラが回っている時に効果的なリアクションや表情を彼女は判ってて、だからこそこんな奇跡的な傑作が産まれたわけなんだけど、彼女がそう思っていたか、あるいは無意識だったか判らないんだけど、そんなカンペキ美少女が、そんな厳しさ、辛さの中で、見せるナマの表情が、生々しくバツグンで、これこそが彼女をのしあげたと思うんだよね。
で、そのナマな表情が、あの傑作「たまもの」の彼女のそれと重なってしまうわけ。
林由美香自身、転機となった作品は三本あったと言っていた。最初はこの「由美香」そして「硬式ペナス」(観たい……)そして最後が、「たまもの」
その最後の「たまもの」をステップにして、大きく飛躍するはずだったのに……。

なんて、湿っぽくなるのは、この作品にとって失礼なんだ。だって、もう大爆笑の連続なんだもん。遺作の「プリティ・イン・ピーチ」でも私同じこと言ってるけど、彼女は最初から最後まで最高のコメディエンヌで、そしてそこからステップアップして最高の女優になろうとしていた矢先だったんだなあ。ドキュメンタリーでありながら最高のコメディ、そしてオチの衝撃は、「猿の惑星」も「サイコ」も「郵便配達は二度ベルを鳴らす」も「ユージュアル・サスペクツ」も「シックス・センス」(これは正直論外だけどさ)も、足元にも及ばないぐらいの、衝撃で、そしてまた、大爆笑なんだからッ!由美香嬢の死にまだ納得しきれていないような雰囲気だった平野監督でさえ、言っていた。「バカ笑いしてくれれば、それでいいんです」と。由美香さんの死自体も、湿っぽく語ることを殊更に嫌がっていたから。

ことの発端は、平野監督が単独予定していた北海道への自転車旅行に、その話を聞いた“不倫恋人”由美香嬢がのっかったからである。「それ、面白そう」そのひとことで全てが進められた。
当時、平野監督は由美香嬢にゾッコンで、恋人同士という体裁をとっていながらも、どう客観的に見ても、平野監督の、由美香嬢への思いの方が比重が重いのは明白って感じだった。
しかも、平野監督は当時既に結婚しており、しかもしかも、こんな関係を自身の監督作品のネタにするぐらいだから、奥さん(平野ハニー)も公認?の仲だったんである。
「白 THE WHITE」でもこの平野ハニーは登場していて、その時観た時から、なんていい奥さん、素敵な奥さんなんだろうと思っていたんだけど、今回、その感慨はますます深まる。
この奥さんじゃなきゃ、ダメだったよ。
奥さんはダンナがAV監督だからということで全てを飲み込んで、でもショックじゃないはずもないんだけど、仕事だから、ときちんと協力してくれる。
それは勿論、その愛人が由美香嬢だからこそなんだけど。彼女じゃなければ、いくら理解ある奥さんでもこの感じはチョット難しいだろうと思う。
何となく、奥さんともフツーに面識ある感じだし。

ただ、このあたりは微妙なんだよね。由美香嬢は男との関係が長続きするタイプじゃなくて、実際平野監督ともこの撮影後に別れているし、だからこそ愛人向きというか、女優と監督という関係で作品という形の公然性もあるからこそ、奥さんもこの計画を聞いた時「全身の力が抜けました」と言いつつ、黙って送り出してくれたわけなんだけど。
で、由美香嬢の方もそういうことはきっちり判ってるし、平野監督の思いよりドライのように思えながらも、やっぱり彼のことが好きだったから付き合っていたわけで、その事実が旅の過酷さが募ってくるほどに押し迫ってきて、体力の消耗と共に精神的なストレスもたまってくるのだ。その中で、平野監督が奥さんに電話したことに、その時は、「奥さんに電話したんでしょ。ハニーは全身の力を抜かして(笑)待っているんだから」とサッパリとしたことを言ったりしたもんだから、平野監督もウッカリ気にせず話を合わせちゃったんだけど、その後、「奥さんを大事にしている監督は好き。だけど、私の立場も考えてほしい」と由美香嬢は訴え、ケンカし、情緒不安定になり、泥酔し、ゲロ吐いて、失禁し(レジ袋に受け止めようとしたところが、袋が破れてて、トレーラーハウスならぬバスハウスに漏らしまくり!)、自己嫌悪に陥っちゃうのだ。

こんな姿を撮られて「ヤラれたー!」と言いつつ喜んでいたというんだから、さっすが林由美香は真の女優なわけなんだけど、だからこそ、やっぱり、彼女には人生と女優との垣根がないんだなと思うのね。
でね、こんな風にドライに割り切ってこの関係も仕事もこなしているように見える彼女が、愛人としての立場でストレスを感じたりして、何よりこの自転車旅行に疲れきっちゃって、泣きながらお母さんに電話する場面がすっごくイイんだよなあ。
「もう、疲れたのー……生理も来たし。うん、昨日来た。あ、メロン届いた?」
ここ!この後半いいでしょ。これに対して平野監督はクレジットで「なんだこの脈絡のない会話」と突っ込むのが最高に可笑しいの!この日の前に、路地売りのメロンを二人、ゴチになってるのよ。熟れ熟れの、最高に美味そうなヤツ。朝食に、二つ割を贅沢にかっこんだりしてさ。
この作品の面白さは、こういう突っ込みの絶妙さなのよお。特にクライマックスが……あー、早くクライマックスの話がしたい。

ところで、この電話の場面では、いつもは厳しい母親が、この時だけは優しく慰めてくれたんだって。旅に出る前、この由美香ママが登場している。「男かと思った」というクレジットについつい吹き出してしまうような、短髪の、ノーメイクの、おっとこらしいママである。ラーメン屋の社長さんなんだという。厳しい世界で女手ひとつで由美香嬢を育ててきたから、彼女の仕事に対しても、マジメにやっているなら、とさっぱりと理解があるんである。
このママが、この日のオールナイトに、遺作の監督吉行由実さんに花束持って来てたのが、グッときちゃったな……。

えーと、何か前置きもなく旅の話に突入しちゃいましたが。もう各方面からムリだと言われてね。実際、旅の導入部、更に旅している間も、由美香嬢のいでたちがあまりに現実離れ、というか、いわゆる北海道まで自転車で行く!という人に見えないもんだからさあ……。でもそれが、逆にリアルでもあるんだけど。由美香嬢はなんたって女優、しかも全身をさらけだすAV女優なもんだから、日焼けにすっごく気を使って、長袖、サングラス、帽子、という、農家のオバサンのようないでたちなんだよね。旅の途中で出会うライダーたちは、時に一人旅の女の子さえいるんだけど、真っ黒に日焼けしてさっそうと去っていったりして、そういう時はさしもの由美香嬢も「……カッコいいねー」とつぶやくぐらいなのだ。でも彼女は仕事に対するプロ意識がある。たとえ「面白そう」と参加した今回にしたって、やはり仕事なんである。だからこそ、彼女はこんな素になるだろっていうドキュメンタリーでも魅力的な表情と言葉とハプニングを刻みつけるんだから。

彼女は旅先でも、日焼け止めやメイクは勿論、ムダ毛の処理にまでも余念がない。なんたってAVだから、そんな場面も躊躇なく映し出す。「陰毛を抜く由美香先生」とか「ワキ毛を抜く由美香先生でござる」なんていうマヌケなクレジットに思わず吹き出しちゃう。長距離を走りぬいた到達感や、日本中を回っている自転車ライダーたちに刺激を受けたりしちゃう平野監督は、眉毛を入念に手入れしている由美香嬢に「現実に引き戻される」とちょっと責めぎみに言うんである。由美香嬢はそれをあっさりと笑い飛ばす。
こういうところ、由美香嬢は、女っぽさなのか、男っぽさなのか、判らなくなる。バッサリ切り捨てるドライさはおっとこまえ、と思いつつ、実際男自体(平野監督ね)がおっとこまえ、じゃないからさあ……。だって平野監督ってば、自身で自嘲気味に“影響される平野”なんてクレジットつけるぐらい(ちょっと笑った)、影響されやすいんだもの。ここまで自転車で来たことはAVの企画だから、どんなに頑張っても自分たちは「エロライダー」なんて言って、何か後ろめたさを感じるからなんだろうねえ。何か、目的を見失いかけちゃうんだよね。すごい人や、変わった人が大勢いるもんだから。

坂道に辛そうな二人をトラックに乗せてくれて、メシまでおごってくれるトラックの運ちゃん。女の子一人で北海道を自転車旅行しているコや、鹿児島からママチャリ(!由美香嬢が唯一追い抜けるのだ!)で旅しているオッサンみたいな22歳の青年、元レーサーで、リハビリを兼ねた自転車旅行をしている、その旅で出会った女性と結婚しようとしている男性とか。この元レーサーに関してね、平野監督は「旅を続けてほしいなあ」と言うのね。それに対して由美香嬢はバッサリと、「絶対、ヤダよ。だってダンナさんがずーっと帰ってこないんだよ?」と男のロマンに、当然といえば当然の意見をぶつけるんである。まさしく、だよね。男のロマンを、すべて女の現実でビシッと切り返してくる由美香嬢、理解あるフリなんてしないのが、女としての真のカッコよさで、ほおんとに気持ちイイ。カッコよさっていうのをね、男の模倣としてじゃなくて体現しているのがカッコイイんだよなあ。何で男ばかりが肯定されるの、女の言うことこそが、正論じゃん、ていうのを、痛快、爽快な形で見せてくれるのが、ほおんとに、カッコイイ。

彼女のオットコマエは、なんたって、ギャラのためにウンコ食っちゃうところなのだッ!!!あー!!ガマンできずに、クライマックス言っちゃった!布石は充分すぎるほど打たれてる。由美香、ウンコ食べてくれないかなー、と、平野監督チャネリングに挑戦したり、流れ星に祈ったり(「“由美香ウンコ食べ”までいったよ!」と言うのが可笑しい!)何とか旅の終わりまでにその気にさせようと必死なのね。この一点だけで、北海道まで自転車で旅行、という、しかも女の子がっていう大変さが(あっさりハダカになって水浴びできる男を、「いいわよねー」とながめるあたりが象徴的)い〜い具合にガラガラと崩れ去るのが最高にイイんだから!
もう、この問題については、作品の冒頭から協議されてる。不倫旅行という企画で売るなら、わざわざ林由美香を出すこともないと。せっかく林由美香を出すなら、つまり彼女ありきで押すなら、なにかやらせろ、と。クソ食わせろ、と、会社から条件が出されていたのね。

平野監督はなんたって由美香嬢にホレているから、彼女の名前は出したい。で、彼女同伴の旅に踏み切っちゃったから、この旅を仕事として完結するには、彼女にウンコを食ってもらうしかないわけ。でも由美香嬢は、どんなことがあってもウンコはNGだという。こういう内部事情を知らないうちでも、かたくなにそこだけはNGなんである。ま、フツーに考えて、そりゃそうだよな……。困り果てる平野監督……。
この提案が受け入れられても、「やるけど、平野さんとはサヨナラね」と言われるなら(まあ、関係なく言われちゃったけどね……)、俺は仕事をまっとうできない、と思っちゃうんだもんなー。「俺は由美香が大好きだ!仕事なんてクソくらえ!」なんて幸せな人、そして思われてる由美香嬢の幸せなこと……。
旅に先立って、どうにかして林由美香にウンコを食わせようという「食糞会議」なるものが、最高に可笑しいのよッ!ご丁寧に、マジな対策を挙げた資料まで作成しちゃってさ!何の食材に混ぜるか、とか、リアルにギャラのアップを提示する、とか、土下座する、とか、しまいにはウンコ専門のスタッフ(何それ!)が登場し、冗談半分、いや殆んど本気でいかにして林由美香にウンコを食わせるかを協議してるのが、もう、もう……最高!でももっと最高なのは、この事実をトド島で聞かされた由美香嬢が、それまでと同じく難色の表情を浮かべるも、「ギャラ上乗せの言葉に彼女の肩がピクリと動いたのを僕は見逃さなかった」と、リアクションを示すのだ。
で、直後、「簡単に受けやがって」というクレジットに満面の笑顔の彼女!さっいこう、である。

しかもカメラの前で、生尻出して、ナマでウンコしちゃうんである。これが一般劇場で公開されちゃったんだよ!平野監督と何度となく据え付けのカメラの前でヤッちゃう(膣外射精の様子まで、ナマナマしい)シーンがあるけれど、それより数倍も、数十倍も衝撃的な場面!
しかも、その由美香大先生ナマウンコのシーンに重なるクレジットがコレである。
「マンガみたいなクソしやがって」
!!!そ、そりゃ多少とぐろ巻いてますけど!(うっひゃー!!!)
そして彼女は、その自分のウンコを、ウンコをッ!!箸でひとかけらすくい、味噌ラーメン(!!!)と一緒にズルズルと喰らうのだ!
上乗せのギャラが、衝撃の映像を永遠に残した!
スゴい表情で、「うっわ……」と言いながらウンコ乗せラーメンを飲み込む由美香嬢。オットコマエです、アニキ!

はあ……驚いた。で、大仕事を成し遂げた由美香嬢、残ったウンコを平野監督、北の日本海に流します!なかなか流れていかず、波間に漂う林由美香のウンコ!それを延々と映し出す!ウンコ!!あーもう……常識とか理性とか失いそう……。
スゴイよ……林由美香は、スゴイ。
その後、平野監督曰く、「天がお怒りになった」と凄い暴風雨で、平野監督は「由美香のウンコなら怒ることもないだろうに」とか言いつつ、暴風雨の中、一人最北端で記念撮影し、荒れ狂う北の海に頭を下げる。しかしその時、由美香嬢は目的到達でもうバッサリ切り捨てて、宿で「笑っていいとも!」を見ているというのだから、やはりやはり、最高のオットコマエなんだな!

「あれだけ日焼けを気にしながら、カラミのシーンでは文句ひとつ言わない」というクレジットは、最北端のトド島での、平野監督と由美香嬢の思いっきりアウトドアでのホンバンに載せられ、その響きは何かゲンキンに思えて思わず笑っちゃったんだけど、由美香嬢は女優としての仕事のために日焼けしないようにしていたわけだから、当然なんだよね。ウンコを食べたのだって、ここまで来てこれをやらなければ今までの道のりがムダになるからと語っていた彼女、まさしくプロ意識だったんだよね。いや、オチに使われたカネってことじゃなくて、それがなきゃしょうがないってこともあるけど、やはり真にプロとしての意識でね。この時点で監督がそのことに気づいていなくて見当違いに揶揄しているというのが……つまり彼にとってホントにプライベートな由美香嬢との“不倫旅行”のように錯覚していた部分があったというのが露呈してて、逆にいえば、由美香嬢にとって、やはりキチンと仕事としての位置づけがあったというのが、ホント明確なんだよね。彼女が「おもしろそう」と言って進んでいった企画だから誤解しそうになるんだけど、微妙なバランスで存在感を発揮しながら、プロ意識が凄くハッキリしているのが、「面白そう」っていうのも、作品として出来上がったら面白そうだという意識が知らず知らずあったんだとも思うしさ。平野監督にして、「彼女には負け続けだ」と言わしめるトコなんだろうなあ、と思う。

それで言えば、こういうエピソードもあった。二人の言い争いを、プライベートなことだからと遠慮したのかカメラに収められなかった平野監督を、後から由美香嬢が叱責するんだよね。
こういうところ、ホントプロ意識だと思うんだけど、その一方で由美香嬢がこのケンカを個人的に受け止めているのが可愛くて、このバランス感覚に翻弄されちゃうのが、彼女の小悪魔的な罪なんだなーって、ホント思っちゃう。
こう言うのさ。「今まではこんなケンカしたことなかった。相手が言って来ても、ふーんって感じで、受ける気なかったから」
つまり、この旅での、平野監督とは、本気を出す気になったわけだ。
それが、素の本気なのか、女優としての本気なのか、もしかしたら本人にも判っていないのかもしれないところが、林由美香の最大の魅力であり、強みなのかもしれない、と思う。

「僕らのセックスは地味だ」とか言いながら、いわゆる“恋人の日常のセックス”をVに収めてあるその生々しさと対照的に、恋人気分で、「僕は由美香ちゃんが好きだから一緒にいる」「……(この間が小憎らしい!)私も平野さんが好きだから……」と言い合って、平野監督の手持ちカメラで二人の膝をぶつけあったり、二人の並びあった顔のアップから、二人向かってチュッとしたりとか、もー、ラブラブっぷりがテレる、テレる。由美香嬢はね、成人ムービー業界でも1,2を争そう胸の小ささだと思うんだけど(寝ちゃうとほとんどフラットだもんね)、そのことに関して平野監督がすっごく力説していたのがやっぱ元カレなんだよなーって、思った。まあでもやっぱりこのあたりは、AV監督ならではかな?「由美香ちゃんは、デビューの時から入れろ、入れろとずっと言われていたし、小さな胸を本人も気にしていたみたいだけど、入れなくて正解だったんですよ。絶対に入れちゃダメですよ。入れたらすぐ判っちゃうんですよ。あのゴムボールみたいな感触じゃ、僕はチンチン勃たないですよ。あの柔らかさが大事なんですよ。女性の皆さん、絶対入れちゃいけませんよ」……真剣すぎて、内容のある種のバカバカしさに(まあ……マジな内容とも言えるけどさ)かなり膝カックンなんだが……。

まず、クライマックスの衝撃と、あっさり見せちゃう極私的プライベートラブ&セックス、“北海道の雄大な景色”にAV監督として反抗したくなって「由美香、ヤリたいよー」と果てしなく続く道路上でムスコ出しちゃうような(しかもその後、通り過ぎる耕運機にビビッて慌ててブツをしまう間抜けさ!)子供っぽさ、そして吹き出しちゃう絶妙な爆笑クレジット、でエンタメの要素をキッチリと見せつつ、ロードムービーの真髄、霧の風景や、夕闇や、朝焼けの美しさに結構反則ワザ効かせちゃうトコ、ズルい!★★★★★


YUMENO ユメノ
2004年 93分 日本 カラー
監督:鎌田義孝 脚本:井土紀州 鎌田義孝
撮影:鍋島淳裕 音楽:山田勲生
出演:菜葉菜 小林且弥 金井史更 夏生ゆうな 小木茂光 内田春菊 伊藤猛 柳ユーレイ 長井秀和 渡辺真起子 寺島進

2005/2/6/日 劇場(渋谷シネパレス/レイト)
実際に、92年、千葉の行徳で起きた事件なのだという。アウトラインは。旅の道行きの三人目となる男の子はフィクション。でもこの子も、“母親を殺した後、自転車で旅をしていた男の子”という話がイマジネーションとしてふくらんだのだという。
それにしても、なんだってこう、最近の世の中にはこんなに信じがたい犯罪が横行しているんだろうなどと、そんな台詞さえも現代ではどこか年寄りくさく響くのも怖い。最近はもうどんな犯罪が起こってももはや驚かなくなってしまった。
そして、そんな実際に起きた犯罪をもとに映画を作る。それはそんな犯罪者も人間であり、同じ人間である以上、私たちも感じる何か、私たちも犯してしまう何かを感じられるかもしれないというアプローチなのかもしれないけれど。

それも、今の犯罪ではとても難しい。彼らは特に同情するべき家庭環境だったというわけではないし、その犯罪はかなり行き当たりばったりで、どうひいき目に見ても……いや、ひいき目に見ることさえ出来ず、衝動が抑えられない身勝手さにしか、見えないのだ。
それは、ただ、こんなヤツ判りっこないと、言うしかできないのか。ただ社会から排除すればいいと。でもそうだとしたら、これから先もずっと、そんな人たちはただただ出てくるだけだろう。その度に排除すればいいのか、というと、やはり考え込んでしまう。それはこの社会で平穏に生きていける側にたまたまついた者の、強者のおごりのような気もする。生きやすい世の中のために、ジャマな者は排除してしまえばいいと。
その犯罪者の心の壁に、私たちがぶつかって負けてしまったのか。そうやって試されているのか。

10代の頃の自分を思う。何を思って生きていたのか、正直あまり思い出せないことがある。なぜあんなことに熱狂していたんだろうとか、なぜあんな人がこんなにも好きだったんだろうとか、あるいは嫌いだったんだろうとか、親に対しての気持ちも、今では理解できないぐらい心の針が揺れていた時期が確かにあった。
今の自分なら、絶対にそんなことはしない。だったらあの時、何かを起こしていたら?許されない何かを起こしてしまっていたら?大人になった自分は激しく後悔するだろうけど、今の自分なら絶対にしないと思うけど、若い時の自分をどうやって止められるの?そうして社会に排除されたら、一体誰を恨めばいいって……若い時の、今では理解できない自分だ、なんて。

そう、考えが至ったら、理解できないこの中の若い二人も、ちょっとだけいじらしく思えなくも、なかった。
ひとりは、カネのために衝動殺人を犯してしまった青年、ヨシキ。お水な女にいれあげたことでその街のヤバい組織に目をつけられ、カネを調達しなければいけなくなった。まさしく、“若い時の愚かさ”をステロタイプでいく青年。
そして、16歳の女子高生、ユメノ。既婚者の男との不倫の末、その男に裏切られた。この年頃はまさに反抗期で、両親とはロクに口をきいていない。お父さんの仕事が汚い、という理由をつけながらも、大人に対しての若さゆえの反抗心があるような感じがあり……それなのに、この不倫相手のことを信じきっていて、二人でどこかに逃げようとする。その矛盾に彼女は気付いていないのが、これまた“若い時の愚かさ”のもうひとつのステロタイプで見ているのがツライ。不倫ということが、大人の世界へ一歩踏み出したつもりでいるみたいな部分が、さらに痛い。彼女はその前に踏むべき、一見子供っぽいことに見えても重要な、恋の気持ちの修練がまるで出来ていないように見えるから。
だって、その幼い顔。16歳といってもそれ以下にさえ見えるような幼い顔(この女優さん、実際の年はかなり……らしいけど)。
その目に青いコンタクトをはめて。彼女は武装しているように見える。後に出会う小学生の男の子に「日本人なの?」「当たり前でしょ」などという会話をする彼女は……その前の自分が何者であるかさえ、なんだかよく判っていないような雰囲気。まるでこの世にたった一人で生まれてきたみたいな顔してる。

そして小学生の男の子、リョウ。飲んだくれの父親は、ある日突然自殺してしまった。そんな父親を冷めた目で見ていた彼は、母に会いに自転車での旅に出る。冬の北海道で、それはあまりに無謀な旅。彼の心の中にあるのも、大人への不信感。子供である自分を放っておいた大人への。
リョウは同級生の友達たちに言う。「お前ら、自分が特別だとでも思ってんのかよ。しょせん俺たちなんか平凡な人生しか歩めないんだ」と。
でも彼、人を殺してしまった。充分非凡な人生をスタートさせてしまった。
リョウは、自分が子供であるという自覚が、無意識ながらもあるだけ、ヨシキやユメノよりも出来ていると言えるのかもしれない。
ただ、酷なことを言うと、子供である自分に大人が責務を果たすのが当然だというのも、都合の良い論理ではある。というより、現代の大人はそこまでキチンと大人になれていないから。自殺した飲んだくれの父親より、このリョウの方がしっかりした大人に見えた。いや、確かに見えていただけだったのだ。それさえも偽装できなかった弱い大人の父親は、自ら命を絶ってしまった。

人間は、生まれ落ちた時から、自分ひとりで生きていくことを課せられる。子供だからとか、親がいないからとか、女の子だからとか、そんなことは、自分をカワイソがることがキモチイイだけの、言い訳だ。
親や友達や恋人の存在は、ただ愛することの幸せのためにあるんだと思いたい。相手に何かの義務を与えるのは、寂しい。そんなことをしなければ、裏切り、なんて概念はなくなるから。
でも、今は、ただ愛することで自分自身を支えきれるほど、甘い世の中では、ないのだ、多分。

時間軸が少しずらして描かれる。まず、ヨシキがユメノの生徒手帳から彼女の住所を探し当てて、家にいた母親に金を要求し、やがて帰ってきた父親ともども殺してしまう。あまりにも唐突に。「抵抗されたから」それが彼の言い分。
なぜ、彼がユメノの生徒手帳を持っていたのか。それはその前に彼と彼女が出会っていたから。ヨシキはお水な女とのトラブルのさなかに、自転車でフラフラしていたユメノを拾う。ユメノは不倫相手と別れたばかりだった。大きな荷物を抱えて、家を出る覚悟をしてきた。二人はホテルに入り、寝てしまう。そして翌日に、最初に示された時間軸、ヨシキがユメノの両親を殺してしまったところに戻る。
ユメノの両親は、彼女が毛嫌いするような親なんかでは決して、ないのだ。娘を普通に思いやっている優しい両親。親子水入らずの旅行を計画してみたりするのを、ユメノは「行きたくない」とひと言で拒絶する。「あの子、あなたの仕事を気にしているみたいなのよ」と言う母親の言葉に、父親は複雑な表情を浮かべる。
ユメノはまだ両親さえもきちんと愛せてない。いや、愛していることに向き合おうとしていない。

ヨシキがユメノの家に入れたのは、カギがかかってなかったから。それはなぜって、ユメノは前日、帰ってこなかった。母親は畳敷きに横になってうたた寝をしていた。ユメノを心配して、一晩中カギを開けて、ずっと待っていたに違いないのだ。
帰ってきたユメノ、両親の無残な姿にショックを受け、そこにいたヨシキに脅されるまま、父親の仕事場で金を調達して、当てどない旅へと出かける。
荒涼とした、というのも判らないぐらい、一面に雪が覆い被さった北海道の大地。そんな厳寒の中にしては、少々無防備な彼らのカッコの寒々しい寂しさ。
彼らが徘徊していた北の街は、人通りがホント少なくて、寂しい限りの街だったけど、ここはそれどころではなく、本当に、すべてが閉ざされた、雪の世界である。

ユメノのヨシキに対する気持ちは、どこか固まっていないように思える。ユメノは両親に反抗していた。もう養われるなんてイヤだと(と、考えるあたりが子供なんだけど……自分ひとりでだって同程度に生きていけると思っているあたりが)、両親とロクに口もきかない生活で、飛び出してきたユメノ、そしてヨシキとはどこか、すこうしだけその空虚な心を埋め合わせるようにセックスをしてて。ヨシキはユメノの両親を殺した。そのことに対して、そんな流れがあるせいか、きちんと彼を憎むことが出来ていないように見えるユメノ。それはどこか……彼女の中にもしかしたら初めて芽生えたかもしれない、罪悪感のようなものが見え隠れ、しないでもないというか。
自分には、この男を糾弾するだけの資格があるのかと。
その資格のなさというのは、まさしくコドモであるということなのだ。自分ひとりで生きていける、と思っているうちは子供。自分ひとりで生きていけないと判ってからが大人。そんな気がする。
あ、唐突だけど……そういう意味では、あのリョウのお父さん、それが判ったから自殺しちゃったのかな、と思ったりして。それはリョウにとってはとても哀しいことなんだけど。お父さん、奥さんが出てっちゃって、で、息子であるリョウも自分に対して信頼してなくて、凄く冷めてて、だから……。
話脱線しちゃったかな。でもつまり、人間はどこまでいったって、未完成だってことなんだって。それに気づくか気づかないかが、大人への、別れ道。

ヨシキの背中には大きな、羽を広げたワタリガラスの刺青がしてある。銭湯でそれを見つけた子供に、「地球上で一番大きなカラスなんだ」と嬉しそうに話し、この子供の相手をしてやる。その時のヨシキはなんだかとても好ましく見えたのに。
ヨシキは言っていた「もうマジになるのはイヤなんだよ」と。「マジになると、見透かされるのがイヤなんだ」と。
それが、子供の愛おしさであり、そして愚かさ。同時に、マジになってもそれを見せないでいられるのが大人のいやらしさであり、そして自分に対する信念を自分だけで持ち続けられることなんだと思う。
ヨシキの好きな大きなワタリガラスのように、誇らしげな自信を正面切って見せられるような、そんな世の中じゃないんだもの。
ユメノが海岸で死んだカラスを見つける。拾い上げ、空に飛ばしてやろうとする。飛ぶわけもなく、カラスはボトリと波打ち際に落ち、波に洗われて、消えてゆく。
この白い街から飛び立ちたかったのに、飛べなかったヨシキのように、思えてしまう。だって……。

ヨシキは途中で殺されちゃうから。誰にって、なんとリョウに。途中で拾われたリョウ。彼はヨシキたちがユメノの両親の遺体を氷の下に沈めるのを見てしまった。この場面はちょっと、凄かった。引きに引いたカメラ、イヤになるぐらい真っ白い大地、両親の遺体を沈める、という行為に、突然我に返ったように叫びながら駆け出していくユメノ。雪の中にズボッ!と倒れこみ、彼女の瞳から涙があふれる。「お前の親を殺すつもりなんかなかったんだよ」そう叫ぶヨシキにユメノは「……あんたの親は」と問う。ヨシキの親は、この街の炭鉱に殺されたんだという。爆発事故。だからといって、彼の中にそのことに対する復讐心があるかといえば、それは希薄である。希薄であることが、なんだか哀しいと思う。彼はただ、自分でもよく判らない何となくの喪失感を抱えているだけ。生きていることが、なんだかよく判ってない。今こうしていることさえも。

私ね、だからヨシキとユメノの間にはかすかながらも否定しがたい線引きが存在していると思うんだ。
ユメノには、まだ、可能性がある。両親の死に、遅ればせながらも涙を流すことが出来た可能性。それは、後に、母親の死に遭遇して涙を流したリョウにも言える。
ヨシキはその点で、……手遅れだったのかもしれない。だから可能性を残したリョウに殺されてしまったのかもしれない。

リョウは、許せない大人の範疇にあるとして、ヨシキを殺した。何か不思議。私たちの目から見て、ヨシキだってまだまだ子供なのに。そしてリョウは母親に会いに行く。それにユメノもついていく。
でも、彼の母親は病死してしまっていた。会ったら母親を殺す、そう息巻いていたリョウは出鼻をくじかれた格好だったんだけど……いや、でも実際に会っていたら、きっとリョウはそんなこと出来なかったと思う。
彼にはもっとも可能性が残されている。親を、大人を愛することが出来る可能性。
母親の夫である男から、彼女は最後までリョウのことを心配していたと、お前はここにいていいんだと言われて、聞きたくなんかない、と耳をふさぎながらその場を駆け出したリョウだけど、待っていたユメノに、母親は元気だった、殺さなかった、妹がいたんだ、自分にソックリだった、そしたらその気がうせちゃったよと、そんなこと言って……耐え切れなくなったようにむせび泣く彼。その彼に、ヨシキのようにはならない可能性を感じたし。そのリョウの涙を受け取るユメノにも、同じことを感じたのだ。
でも、二人にはもう、その愛することが出来る両親はいない。
ユメノは言う。「ここではないどこか、今ではない自分になる」と。リョウの母親の街から、いやもしかしたら北海道から?出て行く船の上でユメノは叫ぶ。声にならない叫びを、叫ぶ。

ヨシキの死体を見つけた集団自殺しようとした男女が、「……やっぱ死ぬのやめよか」と言うのは、ちょっと社会情勢を欲張りに入れたあまりに、単純に過ぎるような気がしちゃったのが……。死ぬって、死のうと思うのって、多分私たちが考える以上に、ものすごい重いことだと思うんだよね。
死の問題を扱っているからこそ、ちょっとそこは、違和感。★★★☆☆


夢の中へ
2005年 103分 日本 カラー
監督:園子温 脚本:園子温
撮影:柳田裕男 音楽:
出演:田中哲司 夏生ゆうな 村上淳 オダギリジョー 市川実和子 岩松了 麿赤兒 温水洋一 手塚とおる 小嶺麗奈 臼田あさ美 菜葉菜

2005/6/21/火 劇場(テアトル新宿/レイト)
この作品、どうしてもなんか、好きになれないなあ。いや、今までだって園子温監督作品をハッキリ好きだと思ったわけじゃないし、正直言ってナゾの部分が大きかったんだけど、ナゾの部分が大きければ大きいほど、何だかどうしても気になって、ついつい観に行っちゃう、という感じだったのだ。今回は、好きになれない、という理由の部分が今までのようなそういったナゾ的なものではないような気もし、いや、正直相変わらず意味不明なんだけど、商業的に成功した「自殺サークル」の次に発表されたのがこの作品だったせいなのか、意味不明度にしても、映画としての見え方にしてもなんというか、大味で、こういうの、どっかの映画サークルの塚本かぶれの学生とか作りそう、みたいな、叫びまくってテンション高いばかりがなんか……すっごいムダに思えてきちゃって。爆走の中にも老練の味があった(ような気がする)今までと、なあんか違うような気がどうしてもしちゃうんだなあ。

主人公の鈴木ムツゴロウはまあそこそこの役者である。売れているというまではいかないにしても、最近はテレビドラマの仕事なぞもこなしている。出身劇団の中では一番の出世頭なんだけど、その出演ドラマや彼の演技が決して質の高いものではなかったりするので、結構バカにされている風がある。んだけど……彼が観に行く(愛人の所属する)劇団のお芝居というのもかなりショボいものであり、まあこれは確信犯的だっていうのは判るんだけど、こんなサムい芝居を劇中芝居としてでも見せられるのは結構苦痛だったりする。
んで、その愛人はランコという。愛人……まあ、そう、ムツゴロウにはかなり倦怠期気味ではあるけれど同棲している恋人、タエコがいるから。こんなショボい芝居でもムツゴロウは彼女の演技を褒めてやって、その後彼女の部屋でよろしくシケこもうという算段。しかし、最近ムツゴロウにはどうも気になることがある。それはオシッコすると痛いこと。性病だ!と彼は思い、ランコかドラマの現場で知り合った女優のどちらかからうつされた、と考えているんだけど、この劇団の打ち上げの席、トイレで彼と同じようにオシッコしながら痛がっている演出家と役者がいて、こりゃー、ヤリマンのタエコからうつされたに違いない、と直感するわけ。

なーんてストーリーを書き出してみると、ああ一応なんか、ストーリーライン、あったのね、と……。一応これが、現実のムツゴロウの、というかメインのムツゴロウのひとつの筋である。この後酩酊した彼の中に、多分夢だろうけど、その夢の中でもこの現実のことを夢だと言っている、あと二つの筋が入れ替わり立ち代わり、ぐいぐい押し込まれるように入ってきて、目が覚めても目が覚めても夢の中にいるような感じなんである。しかもどの夢の中でも周囲の人間はやたらにテンション高く革命を語ったり、あるいはムツゴロウに罵声を浴びせて尋問したりして、どっちにしろキレまくっているもんだから、台詞はサッパリ聞き取れないし、カメラは揺れっぱなしだし、それに対しては迫力とか緊張感とかいうよりも、すっごく強いられている感じがして、だんだん正直……ウンザリしてきちゃう。

私がウンザリするのには理由があるんだ。私が、ワンシーンワンカットの長回し拒絶症だから。よっぽど効果的に使われているものでなければ、どうもダメなの。ワンシーンワンカットだと気づいてしまうと、しかもそれが全てのシーンに対してそうなんだと思うと、それが単なる自己満足を満たしているだけのような気になってしまう。せりふが聞き取れないのもカメラが揺れるのも計算上だとは思いながらも、計算上だと思うからこそ、そのワザと作られた激しさについついムッとしてしまう。そりゃあ役者も監督も作ってる側は楽しいだろうけど……。
ただひとつ、魅力的な場面はあった。ギャースカ言いまくる恋人のタエコから逃れる形で、ムツゴロウは故郷に帰る。同窓会に出席するためと、たまには帰って来いという父親の勧めもあったから。そこで再会したムツゴロウを含めた同級生三人、ムツゴロウと同じ劇団?でやたらとテンション高い振付指導をしているケイジ(村上淳)、そして地元で家業を手伝っているらしきユウジ(オダギリジョー)、この三人の役者が再会して昔話や最近のことやら、あの店のオバチャンが死んだの?交通事故で!?うわー、ショック……とか、ユウジがムツゴロウにサインを「5枚」頼んだりだとか、ここだけはゆるく、まったりとしたワンシーンワンカットで、しかもここだけは三人の役者のまったくのアドリブによるシーンなのだという。全くのアドリブのシーンがそれ以外に比して格段に魅力的だというのは、どうにも皮肉に思えてしょうがないんだけれど……とにかくここだけは他との空気感が確かに違うんである。

何か、ね、夢だといって入り繰り、入り繰りされる二つのエピソードも、ヘタな舞台劇みたいで、観てるのがツライんだよね。日本中の携帯電話をいっせいに使えなくしようという革命?に燃える、作業着姿の仲間達、その中にはケイジやユウジやタエコがいて、夢の中のムツゴロウは、この間ヘンな夢を見たよ、お前はその夢の中で俺の恋人なの、そんでお前はその友達で、お前は……キチガイだった!みたいに話してる。ムツゴロウはその夢の中で撃たれて肩にケガをしたりなんだりしてる。革命をアツく語ったり、もうダメだと思ったり、意味不明の展開でキレまくったり、そろそろヤメにしてほしいなあ……と思い始めた頃にパッとまた次の夢に入り込む。すると、ムツゴロウの父親の顔した刑事(この男は革命軍団の中にいて、リーダーらしい)に彼は何の罪かも判らず尋問されていて、その側にひかえてその刑事以上に興奮している男はムツゴロウの次の芝居の演出家である。彼は冒頭、ずっと「夢の中へ」を口ずさみながら、なんだかやたらとペシミスティックに叫びまくっている(またしても……)男であり、ムツゴロウが何を言っても「お前のような人間が言うことは判っている!」などと叫ぶんである。革命、とか、取調室での尋問、とか、その際のテンションの高さとか、なんっかホントにどーもありがちっつーか、どうせ夢ならもちょっと荒唐無稽にしてくれればまだ面白かったかもしれないとか思って、このテンションに引き気味になっている心がさらに遠く遠ざかるのはそのせいなんである。

あ、でももうひとつ、これも夢なんだか何なんだか、飲み屋街で声をかけられた男との奇妙なエピソードがあって、それは確かに夢らしい、どこかちぐはぐな感じがあった。でもこれも不必要なまでにハイテンションで叫びまくって何言ってんのか判んないんだけど……ただここでは少々尺をとっており、ムツゴロウの相手になるのは手塚とおるで、その呑気な雰囲気が奇妙で可笑しいのだ。そんな彼が最初はニコニコとムツゴロウの話を聞いているんだけど、自分の仕事を見せてあげる、とどこへやらと連れていって、水道管の漏れをあちこち指摘しているうちに、意味不明に怒って来て、キレまくる、というのが、本当に意味不明で、それはなんだか他の意味不明より不条理さが際立っていてちょっと面白い。でも手塚とおるの個性ならもっと面白い使い方が出来たような気もするけれど……。

更にもうひとつ。故郷に帰るムツゴロウが列車の中でウトウトしながら見ているのも夢、だろうなあ。友人のユウジがキチガイ男として出てくるんだから。奇妙なカップルが、ドラマ観てましたよ、と話しかけてくる。女はベビーフェイスながらエロ満開で下着かよ!ってな薄着のキャミワンピースで、連れの男のことも気にせずムツゴウロウにまたがり乗って、キスしてくるんである。こんなところで出来ないよ、とか言いながらムツゴロウもついつい彼女のキスに応じてしまったりするあたりが可笑しい。で、連れの男もまたそれを気にする風もなく、コイツおかしでしょ、みたいにかまわずムツゴロウに話しかけ、なんとなく返したムツゴロウの返事に、「俺は俺だ!他の誰でもねえ!」とかなんとか、そんなことだったと思うけど(もはや覚えてない……これもありがちな問答だったような気がする)キレて、そっから先はオダギリジョーやりたい放題の暴れまくりなんである。うん、これもまさに……やりたい放題、なんだよなあ。やってる役者は気持ち良さそうだけど、観客は置いてけぼりにされて傍観しているような感覚。

ああそうだ、それにね、冒頭で出てきたエピソードに戻るけど、オシッコをして痛い、っていうのをね、愛人のランコにその原因を求めて、ランコがキレちゃって、エッチしようと思っていた彼を追い出しちゃうっていうトコがあったけど、そりゃあキレるよなー。まあランコは確かにその劇団の演出家や役者とそれなりに寝てたわけだけど、ムツゴロウにとってランコは結局愛人に過ぎないわけだからさあ、そんな浮気みたいに責められたら、ナニ言ってんのよ!ってなるわなあ。まあここんとこの男の身勝手さはもちろん計算上であるわけだが。でもオシッコが痛いって、それは単なる尿道炎では??単にアンタが不潔だっただけじゃないのとか、いらんことを思ってしまう。ランコには個性派美女の市川実和子を使っているのに、単なる三流女にしか見えないあたりがもったいない。でもそれ以上に面白くないのがタエコを演じる夏生ゆうなで、彼女は最初の頃はまだしも、最近は見るたびに全然ピンとこなくてつまんない。驚きがないんだよなー。
そういやあ、このタエコが逃げ込んだ友人の家で、ムツゴロウの出たドラマの演技のマズさの話をしていて、「トレンディドラマなんてあんなもんじゃないの?」と友人が返す。と、トレンディドラマなんて今時言わねーだろ!こういう些細に見えてひっかかるところでハズされると、何か途端に全てが陳腐に思えてしまうよー。

ラストは同窓会で突然キレたムツゴロウ、今までは周囲に散々キレられていたけど、今度は彼こそがキレちゃって、同窓会会場から走り出て、「夢の中へ」をひたすら歌いながら、夜の道路を延々と走ってゆく……延々と追いかけるカメラ……うー、一番早く終わってくれ的なロングカットだ……勘弁してくれーとか思うのは私だけかなー。

劇中、監督作品である「うつしみ」のポスターがちゃっかり飾られてたりするのは、園子温監督らしからぬ無粋さだな、などと思うのはやはり勝手な言い草かしらん?そしてエンディングにかかる「夢の中へ」を河瀬直美が歌っているのもどうも意味不明な上に、この歌声がやたら空々しく聞こえるのがね、その空々しさがいいのかなあ。それに、劇中でこれまた意味不明にヘンに甘美に使われている「別れの曲」なんだけど……なんでまたわざわざ「さびしんぼう」のサントラから使ってんのお!?私にとって「別れの曲」はまさしくダイレクトに「さびしんぼう」であり、大林教信者となった作品であり、すっごく思い入れが深いから、このことをラストクレジットで知った時まさしく呆然。もおー、ヤメてよ!!★☆☆☆☆


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