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「や」


2006年鑑賞作品

闇打つ心臓
2005年 104分 日本 カラー
監督:長崎俊一 脚本:長崎俊一
撮影:猪本雅三 音楽:大友良英
出演:内藤剛志 室井滋 本多章一 江口のりこ 諏訪太朗 水島かおり


2006/4/20/木 劇場(渋谷シネ・アミューズ/レイト)
リメイクだっていったって、このオリジナルなんて知らないよー。当時、公開はされているというし、「ドッグス」の公開の時に特集上映でやったりはしたらしいけど、全然、知らなかった。
その元の作品は、長崎監督がもうメジャーデビューした後に作られたということだけど、8ミリだし、ほぼ二人だけの、一室だけで撮られてて、めちゃくちゃインディーズ精神にあふれた映画であったことがうかがわれる。でも学生映画の延長線上ではなく、やっぱり非常にプロ意識に貫かれた映画だったんだろう……というのは何度となく差し挟まれるそのオリジナル映像のただならぬ殺気から判る。
いや、でもプロの余裕という感じではない。無論、アマチュアの無邪気さでもない。そこには、文字通り死ぬ気で映画を作ってる若き彼らのマグマが、ただただたぎっている。

若き日の、内藤氏と室井氏である。今の落ち着いた、あるいはコミカルな姿からは考えられない若き姿。若いだけが武器の、あるいは自分に向けられた刃でもあるあの頃の、もうどうしていいか判らない野性的な恋人たちを、まさにマグマの爆発で演じてる。
正直驚く……いや内藤氏の方にはそんなに驚かなかった。確かに今のイメージとは全然違うけど、男優が若い時驚くほど野性的であったりするのはままあることだし、風貌からしてかなり変わっているので、違うってことにそれほど衝撃はなかった。
でも室井さんが。そういえば劇中で大人になった互いを、室井さんは彼のことを変わったね、と言い、内藤氏は彼女のことをお前は全然変わらないな、と言うんだけど、ホント、そうなの。
確かに若い。今のオフビートでコミカルな感じはない。でもなんか、変わんないんだよね。だからこそその若き日の野性に驚いた。バンバン脱ぐし、カラミもする。彼女の出自ってそういえば知らなかったけど、そして想像もつかなかったけど、彼女も芝居にアツいとこからスタートした人だったんだ。

で、二人ともが、とても思い入れのある作品なんだという。これはドキュ・ドラマ形式になっていて、内藤氏は製作段階から積極的に関わって、あの頃の俺たちが23年後として出る形式をとりたい、と熱く語り、室井さんは、今でもロケ先でビジネスホテルなんかに泊まると「あ、これ闇打つ心臓だ」と思い出す、と言う。
へえー……とか思いつつ見ていると、このドキュメンタリーだと思っていた部分も、最初からホンに用意されていたと後から知って、してやられた!と思う。まあ確かに、撮影中の彼らの作品に対しての思い入れ(特に内藤氏の方が)がどんどんエスカレートして、ドラマチックになっていくから、ひょっとしてそうかなとも思いはしたけど、ドキュメンタリーとして演じている部分と、いわゆる劇映画部分の演技がきっちりと分けられていたからさ。
役者って凄いよなあ……と改めて思っちゃう。だって、演技はリアルに見せなきゃいけないわけじゃない?その中にそうした差異をつけるっていうのが、シロートの私には理解しがたい高度すぎる部分で。

でね、ラストクレジットで助監督のところに諏訪敦彦監督の名前を見つけて、ビックリし、嬉しくなっちゃったのだ。というのも、観ている間、ずっと頭にあったのが(この時点ではドキュの部分もフィクションだとは判ってなかったから)諏訪監督の「2/デュオ」だったから。役者の、役を演じることへの苦悩を吐露するインタビューを交えながらの、まさしくドキュ・ドラマだったあのスリリングな傑作を、思い出さずにはいられない構成だった。
しかも23年前の、ピントの甘い、日焼けした、でもやたら暴力的な8ミリ映像が差し挟まれ、もうやたらめったら重層的で、つまりは先輩である長崎監督が、そんな作品を撮った後輩に、どうだ!とばかりに突きつけたように思えたんだ。

そう、「2/デュオ」よりもっと突っ込んでる。あれが、キャストが悩んでいる感じなら、これはもっと、闘っている感じ。ドキュに見えながらフィクションであるこれを、ドキュに見せるだけの力量があるってことを踏まえ、でもやっぱり彼らの中に本当にそう思っている部分があるんじゃないかと思うから……。
役者は自分とは全く違う役柄を演じる時だって、そういう風にリンクすることはあるんだろうと思うし。

23年前の彼らを彷彿とさせながらも、ここに出てくる若いカップルは、別モノである。だって、23年前に子殺しをしたリンゴォと伊奈子は、その23年後の彼らとして再会するわけだから。
二人が再会の酒をくみかわすリンゴォの部屋は、かつての二人をそのまんま焼きなおしたような若いカップルが一時身を隠すアパートの一室と妙に似通っていて、そして不思議な“気配”でその二部屋はつながるのだ。それは、誰かが覗いているような目線であり、滴り落ちる水の音である。
それって、もうまんま、彼らが殺した我が子だよね。そしてその後ろめたさを感じている過去と現在の彼らが空間を隔ててそれを共有してて……後に出会うことになるのだ。

現在軸で、かつてのリンゴォと伊奈子のたどった道をゆく若いカップルが、透と有紀である。透を演じる役者の方は見たような気はするけどあんまり判んない……彼に関しては、ドキュの部分(ホントはここもフィクション)で、内藤氏にいたぶられまくるのが非常に印象的である。
確かに、有紀役の江口のりこはともかく、彼はかつての内藤氏を演じるには少々弱い感じはする。内藤氏はこの作品に思い入れがあるから(という設定だから)、かつての自分たちを演じることになる彼ら、特に自分を演じる彼には、どうにも納得がいかないようなのだ。

最初に、内藤氏は言っていた。自分は大人になったリンゴォとして、過去の自分を殴りたいんだと。そうしなければ、過去の作品、そしてリメイクした本作でも、子殺しが肯定されることになってしまうから、と。
確かに、23年前のリンゴォと伊奈子だけならば、まあ言ってしまえば閉ざされた空間でのお伽噺、であるかもなあと思う。でも23年後の彼らが登場するってことは、そこに時間の流れがあるわけで、人生があるわけで、お伽噺じゃ済まされない。その間に彼らは自分たちが子供を殺したことについて絶対に考えたはずだし、悩んで苦しんだはずなんだ。そうでなければ23年後の彼らを出してくる意味は確かにない。

でも、彼らが子供を殺した理由はとても単純で、愚かなのだ。男は親になった実感がなくって、バクチだの女だのに走り、夜泣きする我が子にムカついて、タバコの火を押し付けた。女はそんな男に初めこそ抵抗していたけれど、次第に自分もタバコの火を押し付けるようになり、そしてある日、赤ちゃんを取り落として、死なせた。
あまりに幼くて、怒りを通りこして拍子抜けしてしまうような理由だ。彼らは親になるにはあまりに未熟すぎたのだ。だからこそ、彼らはそんな恐ろしいことをしでかしたことにおびえながらも、その逃亡はどこか無邪気で、だからこそ野性的な、本能的な恐ろしさを感じる。

現代の二人が、過去の二人に負けるとしたら、そんな過去を踏まえての現在があるからだよね。23年前のカップルが大人になった形で内藤氏と室井さんがいて、しかもその23年前を前提として現代のカップルを演じなければならない。その先にある地獄がもう見えている形で演じなければいけないのだ。そりゃ、オリジナルと同じワケにもいかないし、その後も先もないエネルギーに勝てるわけもない。

でも、有紀を演じる、全てをさらけだした江口のりこには驚嘆する。
彼女はここ最近、立て続けに私の心臓を撃ち抜いてくる。近年最も気になる女優だ。いろんなチョイで見てるはずだけど、印象に残っている役のどれもがカラミが前提になっているキャラ。それをやれる女優、という前提がある気がするけど、だからこそ今後どうなっていくのかに興味シンシン。
いわゆる美人でもかわいこちゃんでも、あるいはあからさまにブスってわけでもなく、でもどこにでもいる顔のように見えてそうでもなくて、油断してたら斬られるような鋭さを持ってて、でもコミカルにも転じられて、みたいに、変幻自在。底知れない恐ろしさを感じる。
ドキュの部分でも、内藤氏に突っ込まれて戸惑う本多氏に対して、彼女はそれを見やりながらやけに淡々としている。過去作品にもあまりこだわっていないように見える。とにかく、大物には間違いない。

そう、内藤氏、ドキュの部分でかつての自分を投影した透を演じる本多氏に、すっごく厳しく当たるんだよね。もう監督そっちのけで。本多氏も、納得のいかない部分でかろうじて抵抗を試みたりして。
こんな厳しい内藤氏、初めて見る。ドキュのように見えながらもきちんと用意されたフィクションなわけだけれど、内藤氏のこの作品への思い入れを前提としてのホンだと思うから(と思うんだけど)、なんかホントに身が縮むんだよね。ああそうなんだと納得させる力がある。
演じている彼も、本当の彼の中に含まれるわけだし、演技というのは、本当の自分が何パーセント含まれるか、ってことなのかもしれない。映画を、芝居を、フィクションを、その中の真実を作っていくという真摯な作業を見せてくれること、それを観客である私たちは、襟を正して同じぐらい必死に受け止めなければいけないと思う。

久しぶりに再会したリンゴォと伊奈子。酒が進むにつれ、彼女は彼にこんなことを聞いてみる。
「(結婚して)子供が出来た時、怖くなかった?」
つまり、また自分が同じことを繰り返してしまうかもしれない、ということだろう。
伊奈子は、自分は結婚して子供もいるとかいいながら、ウソだった。きっと怖いから出来なかったんだろう。リンゴォは、フツーに結婚して子供もいる。でも今は別居状態だという。正直、ついこの間まで殺した子供のことは忘れていたという。別居して、この部屋に移り住んで思い出した、と。
なんか、ノンキだな。多分、伊奈子は片時も忘れることはなかっただろうと思うんだ。ベタな言い方だけど、自分がお腹痛めて産んだ子だから。
彼が子供が出来てもバクチや女にうつつを抜かしたのは、実感がなかったのか、怖くなったのか、とにかく自分が親だという覚悟が持てなかったからじゃないかと思うんだ。まあ、男はそうだよね。それはしょうがないことではあるんだけど……。

そして、彼らが子供を殺した理由は、ハッキリした理由は果たしてあったんだろうか。
「なぜ、つかまらなかったんだろう」などと23年もたってごちる彼、つかまっていたら、この罪を一時でも忘れることなどなかったのに。
男はね。いいじゃない、忘れていられるなら、幸せなんじゃないの。いっそ、思い出してもらいたくなんてなかった。
男が若い頃と全然違うのは、そんな都合の悪い、いわば若気の至りの日々を、脱ぎ去る術を本能的に心得ているからじゃないの。

そう、先述のように、女である室井さんは確かにあんまり変わってなかった。というか、基本的な芯が変わってないって感じ。
でも過去の内藤氏は、もうあからさまに青臭くて若いし、劇中で室井さんから言われるように今じゃすっかり落ち着いちゃって、丸くなっちゃって、酒まで弱くなった。
これは二人が特別にそうなんじゃなくて、男と女の若い頃からの変わりようって、結構そうなんじゃないかと思う。
社会に出るというキッカケで、それまでの自分を捨ててしまえる男。女はそういうキッカケを明確に感じることがない……つまり、社会に出る=いつかヨメさんもらって家庭を作るという覚悟がないから。それまでの自分を捨てるキッカケや理由がなくて、だから彼女はいまだにつまんない男にひっかかって借金なんか作ってる。

そう、伊奈子は借金の申し出のために、過去の男であるリンゴォと再会したのだ。
「なんか、照れるね」なんて彼女の言葉は、無論劇中の台詞だけど、あの頃、芝居に、そして映画を作ることに死にもの狂いだった同志としての、それを再現する場としての再会で、すっごく実感がこもっている。
あの若い頃と同じように、伊奈子を激しく求めるリンゴォ。このシーンで、当時と同じようにさらけだすかな、とちょっと期待したけど、ま、その前哨戦のキスと乳もみぐらいでオワリである。残念。
まあそれは、室井さんが言うように、見苦しくない程度で(別に見苦しくはないと思うけど)、そしてかつての自分たちを投影した若いカップルがいるわけだし、ということなんだろう。
そのとおり、本多氏と江口のりこはそこんところはもう、思いっきし見せてくれる。
その点で200パーセント出しても、23年間の年月が横たわったかつての二人にはかなわないんだもん。本気で勝負するしかないでしょ。

内藤氏は、とにかくかつての自分を殴ることにこだわってた。でもどういうシチュエイションでそれを実現するのか。とりあえず二つのカップルを同じ逃避行の先で出会わせたけれど、どうやったら殴ることに正当性を与えられるのか。あまりに唐突な場面で殴りかかったりして、やっぱりムリがあると断念するドキュが差し挟まれる。
若いカップルと若くないカップル、一時交差し、不思議な共有の時を過ごす。そして別れた後、若いカップルは車の排気ガスを引き込んで心中を図る。でも死に切れない。そこに内藤氏&室井さんの、かつてのカップルがやってくる。若い男の本多氏が、車からようよう出てきて、内藤氏に助けを求める。……そんな、内藤氏が本多氏を殴ってもムリのない設定をわざわざ用意するのに、彼はふりあげたこぶしを降ろすのだ。

かつての自分を殴らない、いや、殴れない。それはあの時の自分は、ここまでの覚悟がなかったからじゃないのかなあ。
オリジナルを観てないからなんとも言えないんだけど、二人の心中は彼が若い頃の自分を殴るためにと、今回だけ用意されたエピソードでしょ。
だから矛盾してるようだけど、あの頃のリンゴォはそこまでの勇気はなかったわけで。あの後二人は別れ、別々の人生を歩みだしたからこそ、23年後のこの再会があった。だから、そうしてまで彼女と一緒にいようとする、そして今、彼女と二人で生きていこうとしてる彼を殴れるわけがない。

だって、負けてるんだもん。かつての自分を殴るはずが、かつての自分が負けてるんだもん。
皮肉である。殴りたかったのに。バカヤロウと。そのために用意したかつての自分に負けて、殴れないなんて。
でもそれが、希望のような気がするんだ。

二人の人間が、自分たちが作り出したひとつの命、失われた命をたった一晩で考える話、本当にシンプルな前提が、23年を経て、重層的な物語によみがえった。
こうなると、ホント、オリジナルが観たくなっちゃうよね。
8ミリの、そして古い作品の、ピントのボケた手触り。そこには何かが潜んでいるような気配が確かにあったから。★★★☆☆


やわらかい生活
2006年 126分 日本 カラー
監督:廣木隆一 脚本:荒井晴彦
撮影:鈴木一博 音楽:nido
出演:寺島しのぶ 豊川悦司 松岡俊介 田口トモロヲ 妻夫木聡 柄本明 大森南朋

2006/6/23/金 劇場(新宿K’scinema)
やわらかい生活、なんて、ちっともやわらかくないじゃん!そのタイトルや、宣伝のタッチや「それとなーく幸せ」なんていう惹句からは想像もつかない、そんなナマぬるい話じゃない、ヒロインがキツくて痛い話だったので驚いたというか……なんか、ヒロインと共に鬱々と下っていくような感じだった。

この「やわらかい生活」のやわらかい、ね。前作の、「ヴァイブレータ」でたまたま遭遇したトークショーで、原作者の赤坂真理氏が、優しい男は女に本能的に柔らかく触れるんだ、って繰り返し言ってて、多分それがあの物語の根底にあるテーマだろうと思われたのね。
で、本作のトヨエツはまさに、“本能的に目の前の女にやわらかく接する”って感じだなと思ったの。これも原作のある話だから偶然っつーか、私が勝手にそう感じただけだろうけど……。無論、イトコである彼は、小さな頃から仲の良い彼女が苦しんでいるのを、救い出してあげたいと思ったんだろうけれど……なんかまさにそんな感じだったんだよね。

彼が演じる祥一が一番、彼女の救いだった。様々な男たちが優子の周りに入れ替わり立ち代わり現われ、その誰もが優しくて、柔らかな男たちなんだけど、祥一に最も尺が割かれてるし、どん底の優子が引き上げられる可能性があるとしたら、絶対に祥一だった。
それにしても豊川氏と寺島しのぶの呼吸の合いようは尋常じゃない。こういうハイレベルな演技の化学変化を見せられると、もうそれだけで贅沢って感じ。

でも、全ての男たちが去っていく。最後の最後に、祥一も。あまりにやりきれない形で。
でもしょうがないような気がした。だって見ている間中、彼女は自己嫌悪に直面するばかりだし、ひたすら男に甘やかされててヤバいな、と思ってたんだもの。でもラストも「ヴァイブレータ」の希望の光りが見えるそれと比しても、あまりにツラすぎる。絶望と言ってもいいほど。それとも、あの涙の後に、優子は決然と立ち上がるのだろうか。

正直言ってね、このヒロインに共感できるってわけじゃない。そりゃ年齢は演じる寺島しのぶとも役柄の設定ともドンピシャのスクラッチ状態だし、この年で一人でいる女が抱える、独特の空虚感は判る。それは「ヴァイブレータ」でもそうだったけど……まずこのヒロインの設定がね、私から遠くはなれちゃうんだもん。一流大卒?総合職勤務?……永遠に、縁ないなあ。

優子は、火事で両親を亡くしている。一人っ子だったこともあって、その時から精神が不安定になってくる。彼女はウソをつき続ける。両親を「阪神大震災」で亡くし、親友は「NY同時多発テロ」で死に、恋人は「地下鉄サリン」で死んだんだと、言いくさるんである。
そりゃあ、私は両親は健在だし、友達が死んだなんて経験もない。だからエラソーなことは言えないけど、それ以上にツラい経験をした女はいっぱいいるだろうし、立ち直っている女もいっぱいいるだろうし……なんてことを、彼女も判ってるから、心を病んでしまった自分をこれ以上自己嫌悪に陥らせないようにウソを重ねて、返ってもっともっと自分を傷つけているんだ。

とは思いながらも、どうも相容れないなあというのが正直なところだったんだけど、あることに気づいてハッとした。それは本当に、ささいなことだったんだけど。
彼女の使っているグラス。
100均でカンタンに手に入る、背の低い厚手のグラス。もうまんま、私の持ってるのと同じなんだもん。
しかも、その使い方もおんなじなの。形としては焼酎をロックで飲むのに似合ってる感じだけど、日本酒を冷やでチビチビやるのにも、朝ごはんの時冷茶を入れるのにも使ってる。ああもう、おんなじ。これ、熱にも耐えてくれる重宝なヤツなんで、私はあったかい紅茶なんかもコレで済ませてるのだ。
以前は華奢なシャレたワイングラスやなんかも持っていたけど、飲んで酔っ払ってことごとく割ってきた。日本酒を小さなおちょこにいちいちつぐのもメンドクサイ。両手の中にすっぽりと収まる、安定感のあるコレは本当に重宝するのよ……独り者のオンナに。

それに気づいたら、なあんか、いろんなことが見えてきちゃったんだよな。彼女がラーメン屋で、まずギョーザでビールをぐいっとやった後にメインのラーメンが届いたりするでしょ。私は蕎麦屋だけどね、とかね。
ラクーなハーフパンツから伸びる生活の筋肉がついてるふくらはぎ、足の冷えない靴下、一人分の食事が乗れば十分な小さなテーブル、冷蔵庫にはまずビールが入っていることが必須条件とか、ひたすら思い当たりまくるんだもん。カッチョ悪いことばかり。
ここがギリギリ限界のところ。これ以上一人ということに落ちてしまえば、もうダメになる。そんな、瀬戸際。
彼女自身、別にただひたすら暗くて痛いってわけじゃないのよ。一人の生活を楽しむ術ぐらいは心得てる。ただね、それが寂しさにカンタンにひっくり返るってことも判ってて、それに凄く怯えてるのよ。
心身ともに健康な時は、そんなことも考えない。自分がしっかりしてれば、ひっくり返させないもの。私は今健康な状態ってだけで、その他はひょっとしたら彼女と何もかも、ソックリなんだ。

気づいたついでにもう一つ。優子の「処女喪失のテーマソング」であるという尾崎豊の「ダンスホール」ね。最初、優子は祥一と寝た時にバックに流れていたのは「I LOVE YOU」だと思い込んでて、だからもうそれは聞きたくないと、祥一に言うんだよね。でも実際は、「ダンスホール」だった。
尾崎豊で有名だっていえば、「卒業」か、「I LOVE YOU」ってとこだけど、なぜか「ダンスホール」や「シェリー」がストライクで残ってるんだよね。
なぜだろう。これがヒットチャートをにぎわせたっていう記憶もないのに。だから驚いた。これも世代の共通認識なのかなって。

優子は、躁鬱病である。躁と鬱が交互にあらわれる。
だから、仕事もマトモに出来ない。亡くなった両親の保険金で糊口をしのいでいる。
ある日、彼女は出会い系サイトで出会った(出会い系サイトにアクセスで映画が始まるなんて、「ラブジュース」みたいだな)「合意の上での痴漢」のk氏とのデート?場所である蒲田がすっかり気に入ってしまう。
かつては撮影所があった街。その名残りが、力道山の銅像や、タイヤ公園のゴジラに現われてる。
なぜ彼女がこの街を気に入ったのか。それは、ここが、「粋のない下町」だから。

最初にそれを言われた時は、ピンとこなかった。でもだんだんと意味が飲み込めるうちに、彼女の疲弊度が尋常じゃないことに気づく。
逆なのだ。下町の魅力は、粋であることなんだもん。進化から取り残されるのに対抗するには、それにプライドを持つしかないのよ。強い精神力が必要なんだよ。
でも粋のない下町は、もう諦めてしまっている街なの。こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど……。都心にほどよく近いから、寂れて死んでしまうことはない。だからやっきになって“粋”を守る必要もない。でも積極的に進化するつもりもなくて、ゆるやかに下降線をたどってて……そのかすかな倦怠感が、ちょっと頑張った後の達成感のように錯覚してしまう。錯覚の安らぎなんだよ。
こんな何もない、ただゆるやかに懐かしい場所なら、ウソツキのオンナでも受け入れてくれる。一人の女はウソで自分を守って生きているから。時に自分でついてるウソが真実じゃないかと錯覚しそうになる。そうすると、自分をカワイソがれるから。

この“蒲田の下町”を最も端的に示してくるのが、優子のサイトを見つけてアクセスしてきた若いチンピラの安田である。演じるのは妻夫木君。いかにも、似合わない。大体ウツ病のヤクザだなんてと、優子も彼をちょいとからかうくらいなんである。
安田はポケットの中に残っている薬きょうが、自分のビッグマックをさらっていったカモを撃ち殺した証拠品であることを、自慢げに喋ったりする。
「他のカモは無実でしょ。それに泥棒で死刑は厳しすぎる」なんてツッコむ優子。彼とは寝ないだけに、この関係は凄く純粋に感じる。ま、トヨエツとも劇中では寝ないけどさ。

彼は幼稚園の頃、ゴジラのあるタイヤ公園に遠足で来た記憶があった。でも、それがどこにあるのかどうしても見つけられなかった。
だから優子のサイトで見つけた時は、本当に嬉しかったと言う。だってそれは、子供の頃の自分が確かにいたということを、証明することだからと。
鬱病におかされている彼の繊細な神経が、ここで見え隠れする。大人の自分がここに存在するのだから、子供の彼は当然いたに違いないのに、それが証明できなくて、不安になってる、だなんて。

唯一エロい場面を展開し、割り切った大人の関係として登場する“痴漢k”氏のトモロヲさんが、面白いんだな。
映画館やレストランで展開される“合意の痴漢”はエグいけど、不思議とコミカル。だってレストランで、トモロヲさん、こんなに背が低かったかしらん、と思ったら、腰を沈めて彼女の股間を足でぐりぐりやってんだもん。
電車のチカンの是非を言い合ったり、痴漢を媒介に忌憚のない関係だった。
k氏は優子に、彼氏が出来て以来疎遠だったソウイウ関係だった女の子が、その彼氏と別れてまた戻ってきたことを話す。その線引きってなんなんでしょうねえ、と。
優子は、その話をふられてちょっと鼻白むんだよね。ほんの、かすかなんだけど。割り切って付き合っていたハズなのに、自分以外の女に彼の心が支配されていることに、ショックを受けているのがアリアリである。
「彼氏に対しては義理立てするんですよ。でも別れてしまえば、その必要がなくなる」そう彼女は冷静に論ずる。まるで、その経験があったかのように。
義理立てっていうのも、プライドだよね、と思う。持っているだけでしんどいプライド。プライドのないラクな街、蒲田に来たはずなのに。

そして、優子の大学時代の同級生で、今は議員になっている本間である。
演じるのは松岡俊介。相変わらず、どこか不安げな瞳に目がいってしまうんである。
街角で遊説をしていた彼に突然声をかけられた優子は、飲みに行った勢いで、彼を部屋に誘ってしまう。
彼を伴って階段を上りながら、「酔いつぶれてくれないかな。そうしたらセックスせずに済むのに」なんてひとりごとを言う。そんなこと思ってるなら、なぜ誘ったのかと思い、そのあたりが見ててイライラするキャラではあるんだけど、だからそれこそが、今のところ私が健康体だからなんだろうなと思う。
つながった糸を断ち切った時の孤独の恐怖。滅入ってる時には、必要以上に、ことさらに、考えてしまうってこと、判らないわけじゃない。

しかしいざ、という時になると、彼はEDなんだと告白し、帰ろうとするんである。
優子は、「別に、あなたの重さをしょいこむつもりじゃない。ただ気持ちよくなりたいだけ。お腹がすいて何かを食べるのと一緒だよ」と説得して、彼をベッドに誘い込む。
そうでも言わないと、行っちゃうんだもん。ヤリたいわけじゃなかったと思う。一度入ってきた男に去られてしまうのが辛いんだよね。
そりゃ、その場になりゃ身体は反応するけど、そういうんじゃない。身体が満たされた時、心も同時に満たされたいと願うどうしようもない飢えに気づいてしまうことも知ってる。
人間の欲望は満たされた時、次の段階に行くから。そして身体の欲望は心の欲望と直結してるから。じゃあ……今去られて孤独を感じる恐怖と、その先を期待してしまう恐怖と、どっちがキツいんだろうか。

なんてことを考える間もなく、メインの男が登場するわけである。両親の法事の時、久々に顔を会わせたイトコの祥一。
この法事の場面も、ほんのちょっとなんだけど、かなりキッツいのね。独り者の優子にイイ人を紹介してあげようなんていう親戚筋に、彼女はまるで挑むように、精神を病んで入退院を繰り返していたことを、挨拶としてみんなの前でブチまけるのよ。「こんな私でも良かったら、紹介よろしくお願いします」なんてね。
でもね、それでシンとしてしまったことに怯えるように、「でも、鬱っていったって、心のネンザみたいなもんですから」とつけくわえるの。でも座はますますシンとするばかりで……優子がね、半ば自嘲気味、自暴自棄気味?ではあるにしても、自分自身を認めようとして、このハレの勢いも借りて告白したのに、みんな判りやすく引いちゃったもんだから、二重三重に彼女の中にドーンときちゃったのが、もう見えるようでさ……。

彼女が故郷に一泊もせず、そのまま東京に帰ったのもむべなるかなであった。その駅(空港?)までを送っていったのが、イトコの祥一。その車中で尾崎豊の「I LOVE YOU」をかけていた。優子はそれを再三、切った。もう尾崎はキライなんだと。
彼女はこの曲が、祥一に処女を捧げた時に流れていた曲だと思い込んでいたのだが、実際は「ダンスホール」だったのだ……ということを教えるためでもないんだろうが、ほどなくして祥一は、蒲田の優子のもとに転がり込んでくる。

イナカの、ちょっとカッコつけの兄ちゃんって感じである。皮ジャンやとがった靴なんかでキメてるけど、短いパンツの丈がシャレッ気すぎてて、逆にダサかったりさ。
彼は、家庭が上手くいかなくなって、故郷を出てきたのね。仕事の関係で家族の生活時間帯とはズレまくってた。だから家庭に関われないのはしょうがないと思ってたんだけど、彼の奥さんはそうは考えてなかったのだ。
あなたはウチのことなんか、何にも考えてない、何もしない、そう言われて、ずんずんつまはじきにされて、彼はたまらず家を出てしまった。

でも優子の元では、かいがいしく主夫やるんだよね。ま、他に何もやることがないし、鬱に入っちゃった優子が身の回りのこと何もかも出来なくなるってこともあるんだけど、それにしても、自身の結婚生活では一切やらなかったことを、ここでは出来る。
家から一歩も出られなくなった優子を気遣い、水のいらないシャンプーを買ってきて、台所で髪を洗ったげるシーンなんか、泣けるんである。神経が過敏になってる優子は彼の手を払いのけて一度は祥一もキレて出てっちゃうんだけど、何もなかったように戻ってきて。
でも……それは、彼がまだ、家に帰れなかったからなんだよね。

ここでは、優子に必要とされてる。彼は普通に健全な人間で、精神を病んでいる訳じゃないんだけど、このぐらいの思い悩みなら、判ってあげられる。
ここでなら、おかゆを作っただけでありがたがられるの。守るべき弱い相手。でも……本来、自分が必要とされなければならない場所は違うところにあるんだもの。
私ね、祥一に帰る決心がついたのは、妻や子供を“守るべき弱い相手”だと気づいたからだと思ったんだけど、そうじゃないって、思い上がるなって、ハネつけられたのかなあ、って。
だって、最終的に彼は、優子の元に向かおうとしていたんでしょ?離婚を成立させる算段をしていたんだもん。それは……優子との新しい生活を夢見てのことだったんでしょ?そうであってほしい。いや……もう事実がどうであっても同じことなんだけれど。

優子のウソは、見ているうちに薄々そうじゃないかと気づいてくるんだけど、結局は祥一がハッキリとさせるのだ。
本間から、優子が「両親は、阪神大震災で死んだ」と聞いたから。親友が同時多発テロで死んだってのもウソだと判る場面がある。恋人が地下鉄サリンで死んだってのも、明かされないけどウソだろう。
「だって、火事で死んだなんて、マヌケでしょ」と優子は言う。皆が知ってる事件で死んだのなら、悲しみを分かち合えるじゃない、と。
その彼女の言葉は、判る気はするんだけど、他人をわざわざ悲しみに巻き込もうとする得手勝手も感じるし、そうでもしなきゃいられない彼女の悲しみと、そのことに自己嫌悪を感じてるのも感じる。だからもう、グチャグチャなの。
それに……そういう“悲しみの共有”に使えるような事件がアッサリ存在していることにも、やりきれなさを感じるし。

祥一は、憤るのね。
「オレの母親は乳がんで死んだけど、だからといって同じ経験をしている人と悲しみを分かちあえるわけじゃない。俺の悲しみは俺だけのものだ。でも他人の悲しみを想像することは出来る」と。
優子は、自分の悲しみが自分だけが判るという自覚も、他人の悲しみが理解出来るという自覚も、なかったんだと思う。
そのこと自体が、きっと、悲しいことだ。祥一がそんな風に健全にとらえられることが、優子にとっては思いもしなかったことかもしれない。思いもしなかった、なんて思うことが、なんて哀しいんだろうと、思ったかもしれない。思ってくれたかもしれない。

自分の悲しみに向き合うことが怖くて、既存の事件にまぎらわしちゃった。そうすれば他人はカンタンに同情してくれる。でも両親のこと、本当に悲しめるのは自分だけなのに。そして、それが出来てなければ、他人の悲しみが判るはずもなくて。
祥一はね、自分の家庭が破綻しているのはもう、自覚してるの。でも離婚に踏み切れないのは、結婚生活が、その期間の人生がムダだったのかもしれない、空白になってしまう恐怖だった。そんな彼の気持ちを聞いた優子は微笑んで言う。
「私なんか、空白だらけだよ」

祥一は、故郷に帰ることを決意する。優子に小さなつがいの金魚を買ってやり、露店を仲睦まじく歩いた帰り、このまま帰るよ、と。
「俺、優子ちゃんは赤ちゃんの時から知ってるし、一度寝たこともあるけど、初めて会うたような気がする」「あたしも」この台詞!全ての部分が心臓バクバクする!
「夏は閉じ込められるんだね」と言って買った、ほおづきを優子は頬張っていた。その優子を引き寄せて、祥一はキスする。長く、濃密な、キス。
ああ、もう、判っちゃうんだ……これが最後のキスだって。祥一はそういうつもりじゃなかったかもしれない。この時点で、家庭を清算して優子の元に戻ってくる気持ちがもう、あったかもしれない。でも、なぜだか判っちゃうんだもん。これが最後のキスだって。

だから、優子が故郷に帰る準備をして、部屋を出て、おじさん(祥一のお父さんね)と電話で話すトコで、電話に出た彼女、すでに後ろ姿だったからもう確信しちゃったんだ。もう、祥一は優子の前には現われない。そんなこと、判りたくなかった。
祥一は、離婚の成立の保証人を叔父さんに頼み、そのすぐ後で、酔っ払った状態で車に乗って、海に突っ込んでしまったという。離婚を決意していたんだから、優子のことを思ってたと思うし、自殺ではないよね、事故だろうとは思うけど、でも……こうなってしまえば、同じじゃない。
でもそれをね、電話を受けている優子が逐一繰り返すのがなあ。信じられない、って気持ちを確認していたのかな。なんか、いかにもなツッコミどころみたいに思っちゃうけど。
だって、「あ、おじさん。え……祥ちゃんが」だけで想像出来るじゃない。その事情は判らないにしても、そんなこと判ってもなんかワザとらしいだけって気がするし。

祥一だけではなくて、みんなみんな、優子から去っていってしまった。
まず、本間が街頭演説中、差し入れした女性と親しげにしているのを見てしまった。でもねー、これは判らんけどね。ただ単に秘書とかそんなんかもしれないし。
そして痴漢k氏も、商店街を女と二人、自転車で買い物してるのを優子は見てしまう。でも彼に関しては、最初から全部飲み込んだ上での関係だったわけでしょー。それでも仲睦まじい女と一緒に、生活の匂いをさせてるとショックを受けるってあたりが、孤独を恐怖するあまりに、何もかもを自分の元に引き寄せておきたいっていう勝手さをしみじみと感じるよね。
チンピラの安田は、チンピラゆえにヤバい仕事をしなければならなくなり、優子に迷惑をかけないようにと最後の挨拶に来た。で、祥一に至っては、彼女との今後を考えていた(多分)わけで、少なくとも優子のことを考えて区切りをつけた男は二人いたわけなのに、二人もいたわけなのに!
それだけでじゅーぶん贅沢なのに、彼女はそのこと判ってないのさ。だって彼女は、今暖かくて居心地のいいところに顔をうずめることが第一だから、

ラストシーンは、優子がいつもの銭湯で、でもいつも巻いていたタオルを外して浴槽に身を沈め、「みんな行っちゃった」とひと筋の涙を流すんである。
この銭湯でもね、彼女はウソをついてたの。鬱状態の時につけてしまった胸のヤケドの跡を気にして、それ以上に大げさに「若気の至りでイレズミ入れた」なんて言って、いつもタオルを巻き、人気のない終い湯に入ってた。
でもね、本当に他人を遠ざけたかったら、わざわざ銭湯に行くかなっても思うのね。そりゃ、風呂ナシの部屋を借りてるってことはあるにしても、終い湯に入って、ただ一人残ってたおばあちゃんにわざわざ言うかな、なんて。
……やっぱり寂しさなのかなって思う。銭湯って究極の社交歯だもの。でもその社交場の誰もいない時を見計らって行って、でも一人だけおばあちゃんがいて、かといってそのおばあちゃんに語りかけるわけでもなく、視線は前に向けたまま、問わず語りに言うんだよね。

でもこのヤケドを見た祥一は、「そんなたいしたことないやん。もっと、ヒドいのかと思った」と言ってた。それが慰めに聞こえたのか優子、「食欲が戻ったら、性欲も戻った。バックですれば、胸のキズも気にならないよ」なんて言うもんだから、恐らくヤセガマンして先の台詞を言ったであろう祥一は激昂するのだ。「お前はいつもそんなことしとったんか!」って。優子の頬を殴ってまで。
彼は、自分が優子の初めてを奪ったって思いもあるだろうし、その言葉どおり、彼女が彼の知らない男たちに身を任せてきたことに対する嫉妬もあるんだろうな。

こんな声だっけ、寺島しのぶ。今、朝ドラでキッチリ演技してる彼女を見ているせいかな。この頼りなげな少女のような発声にグンとくる。決して共感も好きにもなれないキャラなのに、自分の中にも、彼女の一部分が確実にあることを自覚せずにいられない。
しっかし、このファッションはネライなのか判んないけど、ネライなのかなあ。フレアスカートに、ブカブカの長靴みたいに見えるブーツなんて、オシャレはもちろん時代さえも通り越してるけど、若づくりがカン違いしてるみたいで、彼女のキャラを語る以上に痛々しくて見てられない。そりゃネライなんだろうけど……ネラいすぎて、キツいって。★★★★☆


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