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「れ」


2007年鑑賞作品

檸檬のころ
2007年 115分 日本 カラー
監督:岩田ユキ 脚本:岩田ユキ
撮影:小松原茂 音楽:加羽沢美濃
出演:榮倉奈々 谷村美月 柄本佑 石田法嗣 林直次郎 浜崎貴司 石井正則 中村麻美 織本順吉 大地康雄


2007/4/11/水 劇場(池袋シネマ・ロサ)
校歌を覚えているだろうかと、つい確かめたくなった。小学校、中学校、高校、大学……ちゃんと歌えたのは小学校のだけだった。三番まで完璧に歌えた。
でも、中学校、高校……と行くに従って、そのフレーズが俄かには思い出せなくなる。
なぜだろう、と考えた。
小さな頃は、従うことが当然だった学校生活。でも自我が芽生えてくると、その無意味さばかりが目に付いてくる。
彼女たちのように、私も、高校の校歌を声を張り上げて歌うことなどなかった。その無意味さだけを感じていたからだと思う。
でも、「一度くらい、ちゃんと歌えば良かったかな」と彼女たちがふと口にしたのは、そこには無意味さだけがあったわけではないことに、どこかで気づいたからなのかもしれない。

最初、二人のその声だけが、聞こえてくる。二人の女の子。どんな女の子なのかも、なぜそんな会話をしているのかも判らずに、声だけが届く。「ウチの校歌って、軍歌みたいじゃない?」「ザッ!って感じ?」「ザッ!って感じ」どんな身振りで言っているのかも判らずに。
それは、最後、二人がこの学校を巣立つ前の日の会話。
時間は遡り、その前の半年間がつづられてゆく。

こんな制服、今でもあるんだ。
紺サージのジャンスカ、全然汗を吸い取らないポリエステルのシャツ。紺のハイソははかなかったけど、砂ぼこりに汚れるぼっこりとしたスニーカーとか、ヤバイくらいに「あの頃」をそそる。
男の子の夏の白いシャツと黒いボトムなんてのも、久しぶりに見た気がする。
やっぱり、こういう制服が好きだな。なんていうかね……邪念や雑念が入り込まない気がするんだ。この季節、高校生、17歳、あるいは18歳であることに集中できる。そんな気がする。

二人の女の子、男女問わず人気のあるこの高校のマドンナ、秋元加代子と、同じクラスながら、彼女とは対照的にどこか一匹狼的雰囲気のある白田恵。
どちらかといえば、恵に心惹かれた。
何かを真っ直ぐに信じていて、それ以外信じていないから、もろく崩れやすく、でも少女のしなやかな強さは案外強い。
演じる谷村美月嬢は、高校三年生にしてはいかにも小柄で頼りなさげなんだけど、それだけに、反抗的にも見える孤高の存在感が際立つんだよね。だからこそ、それが崩れた時がモロいんだけど。

いかにも優等生、眉目秀麗なマドンナ、加代子と、クラスの中でも異端児な恵。
特に恵の目から見て加代子は、自分みたいな人間とは一生関わりないんだろうなと思うような女の子だった。いつもクラスの女の子達と華やかに笑いあい、他のクラスの男の子がちょっかいを出してくるような、そんなニギヤカな輪の中心にいる女の子。
恵は学校で禁止されているウォークマンを聞きながら、そのニギヤカさに眉をしかめ、音量を大きくし、さらにニギヤカさが増すことにイラだって、席を立ってしまう。
そんな反応を示すということ自体、その存在を意識してるってことなんだけど。
外見も、おっとりとした風貌と9頭身がウリの榮倉奈々嬢と、小柄でいかにも社会に反抗しますってな意志の強さを思わせる美月嬢とでは、判りやすい対照を示す。

クラスの騒音から逃れるように向かった屋上で、彼と出会った。
「絶対立入禁止」そんな札を軽々と外して入り込んだ彼女と同じように、まるでいつものようにといった感じで彼もまた入ってきた。
仰向けに寝転がる恵の上に、影が出来る。
はっと目覚めた恵は目を見張る。男の子が見下ろしている。慌てて起き上がり、胸の上に置いてあったノートを隠す恵。
しかしそんなことに頓着などせずに、さっさか屋上の隅に歩いていって、彼もまた音楽を聴き始めた。

出会う、と言ったって、思えばクラスメイトなのだ。辻本君。しかしこの時、「頭の中でロックが鳴ったもん!」とシマちゃんに興奮気味にしゃべる恵。
後輩と思しきこのシマちゃんは、クラスでは孤立している恵の良き理解者、の筈だった。
でも、後で判るのだ。恵は自分の話を彼女に一方的に聞いてもらっていただけ。そして、この後輩が自分を凌駕するかもしれないなんて、露ほども考えていなかったことを。

恵の夢は、音楽ライターになること。
後に心を通わせた加代子に向かって、恵は言う。
「私、音楽にしか興味がないから」
颯爽と、言い切る。目を輝かせて。
この時には、それまでに起こった全てのことから立ち直ってそう言っているんだけれど、でも、その青さ、まぶしさに、私は思わず身をすくめる。
ゆくゆく知ることになるであろう、外のあらゆる世界に、「にしか」などと言わせないほど無数の事象があることに、彼女が思いも寄らず、そう言い切るから。
それが、あまりにもまぶしい。
だって、彼女が「それにしか興味がない」というのは、それが目に見えているところにあるからなんだもの。
言ってしまえば、こんな地方でも目に見える部分にある世界だからだ。

彼女が音楽、ではなく音楽ライターを目指している、というのは、ミュージシャンというのが目に見えすぎて、現実的でないように感じたからなんじゃないかという気がする。
つまり、彼女の中では、音楽ライターは憧れとはいえ、現実的な選択を無意識にしているように思えるのだ。
それが、その青さが痛い。
ハードルを無意識に下げているからこそ、彼女は自分が負けるわけはないと思ってる。特に、この学校という狭い世界の中では。
だから、いつも一緒にいる仲良しで、しかも後輩というちょっと慕ってくれるような立ち位置にいるシマちゃんが自分を飛び越えてしまっただけで、打ちのめされてしまう。

シマちゃんのリッパな音楽批評が、雑誌に載ったのだ。それは恵がいつも読んでいる、憧れの雑誌。
呆然とする恵。
恵がいつもシマちゃんを迎えに行く保健室、シマちゃんは恵の知らない後輩の友達たちと、にぎやかにお喋りしてた。時には保険の先生も交えて。
その誰とも、恵は仲良しじゃない。恵は音楽さえあればいいと思っていたから、そんなことも気にならなかったのか。
でも、仲良くしているシマちゃんでさえ、そんな風に群れてニギヤカでいる女の子であることを、どこかで軽蔑していたんじゃないのか。
そんなシマちゃんに、あっさりと飛び越えられる。打ちのめされる。
いつもいつも、ノートに書いていた、音楽への思いが、幼稚で無意味で、そんなおエライものじゃなかったことに気づかされる。
それでも、それでも、「私、音楽にしか興味がないから」なんだ、恵は。

「音楽にしか興味がない」この台詞、ただ音楽、というだけで、自分の好きなロックだけを示しているのがまた青くって、その絶対的価値観をあまりにも真っ直ぐに信じていることに、身じろぎしてしまう。
音楽、の中にはとてつもなく無限のものがあるのに、彼女にとってはそれが自分が信じている世界だけに集約されていて、それだけが音楽で、だからこそ全ての世界を信じられるのだ。
彼女が自信たっぷりに言う「音楽」と、もっともっとあらゆるジャンルを含む「音楽」とが、彼女が閉じ込められている学校、あるいはこの地方都市と、都会、そして世界というものとの対照として現われている気がする。
しかし、その距離や世界の遠さを彼女自身は感じていない。彼女とスクラッチする形でもう一方の主人公となる加代子の方こそが、それを更に判りやすい形で痛感しているのだ。

最初、示されるのは加代子。進路指導室。彼女の志望校は上智と青学。地元の国公立は受けないのか、お前の成績なら楽勝だろうと担任から言われても、彼女は首を横に振る。
「ここがイナカだからイヤなのか?」「そんな……はい」
ここは栃木。いわば、東京からは地続きの上に、同じ関東地方だ。地方の気分で色々と判る部分はあるんだけど、東京と近いからこそ感じる感覚というのは、ひょっとしたら私には判りきらないところがあるのかもしれない。
西という男の子が進学するのが北大、というだけで、心ときめいちゃうんだもん。
恵と違って、加代子には東京に出るだけの強い理由はあまり感じられない。あ、恵が東京に出るのかどうかは判んないけど。
ただ、ここがイナカだからイヤだと、担任に示す理由はそれだけである。
それは、好きな男の子が一緒に東京に行くことが叶わなくても、揺るがないものなんである。

加代子が好きなのは、野球部の佐々木。ただ彼女は、ずっと西の視線を受け続けていた。
加代子のことを、西はずっと好きだった。多分、中学の時から。
この進学校と思しき学校に、同じ中学から二人だけが進学した。そういう同朋意識もあった。好きな男の子には佐々木君、と呼ぶのに、彼に対しては西、と呼び捨てにする様が、加代子の西に対する屈託のない仲間意識を示してる。
いつの頃から、彼女は西の恋心に気づいたのか……。
電車の中、思いがけず二人きりになるシーン。西の気持ちに気づいている彼女が、「私、佐々木君が好き」と、恐らく彼も気づいているであろうことを搾り出すように言う。
「西にそんなに見られたら、感じないわけにいかないじゃない」聞きようによっては、かなりキワどい台詞。もちろん、気持ちのことなんだけど。

腕が、触れ合うほどの近さ。ポリエステルの半そでのシャツが触れ合いそうな近さ。いたたまれなくなって、途中の駅で降りようとする彼女を、「逃げんなよ!」とその腕を掴む西……。
やっぱりちょっと、判官贔屓なトコがあるのかもしれない。この西君についついシンクロしてしまう。9頭身の榮倉奈々ちゃんに必死で向かっているような、それでいてその小さな身体にストイックをしまいこんでいる彼に。
だって、きっと、逃げられるのが何より、辛いんだ。
気まずい気分を抱えたまま、彼女は電車を降りた。座席の隙間に、檸檬の香りのリップスティックを落として。

中学時代が、回想される。
「秋元の匂いの元って、それ?」
「楽器を吹いてると、唇が乾くから、癖になっちゃった」
「レモンって、すっぱいから、余計乾燥する気がするんだけど」
「香料だけだもん、大丈夫だよ。使ってみる?」
「えっ……」
戸惑う彼の唇に、彼女は笑ってリップスティックをひと塗り。
リップスティックの貸し借り!もー、中学生のトキメキのアイテムじゃねーか!!
しかし、罪な女の子だ……この時には彼の気持ちには気づいていないにしても、なんとゆー、罪なことをするのか。
「北高に行くの、私と西だけなんだって。頑張ろうね」
「うん」
彼の、この短い答えの中に、思い切れない思いがいっぱい詰まっていたに違いないのに。

加代子は佐々木君と付き合うことになる。でもなぜ、見た目にはどー考えてもイケてない佐々木君だったのだろう……それだけに、愛しいけど。
ゴメンゴメン、柄本佑だからさ!しかしボーズに野球部が似合いすぎなんだもん。
高校生活最後の野球の試合、佐々木君に近づいていく加代子、引きのカットで押さえるワンシーン・ワンカット。彼女は彼からの告白を予感して、彼は彼女への告白を決意して、二人が近づいて行くこの静かな一場面、二人の緊張がスクリーンに脈打っているよう。
佐々木君、「オレと付き合って!」と搾り出す。まるで唐突に。いつもは学校のマドンナに対しての軽くフザけた気分を匂わせて、彼女の周りを戯れていた彼が、真剣になる勇気をやっとこさ持って彼女に申し込む、この純粋さ。
「うん」それだけ答えて、彼女は階段を降り、スクリーンから見切れて、バスへと乗り込む。
この時には、この一瞬には、本当に世界が幸せに輝いていたように思えたのに。

ちょっと、恵の話に戻る。
掃除当番で一緒になった辻本君、彼は恵がラジオに投稿していたリクエストを聞いていた。
ひとしきり、音楽の話で盛り上がる二人。彼は、「こんなに話が合うヤツと喋ったの、初めてだよ」そう屈託なく言った。その言葉に有頂天になる恵。坂道を自転車で、歓喜の叫び声をあげながら駆け下りる。
軽音楽部の三年生として、今度の文化祭で自作の曲を用意しているという辻本君は、恵に作詞を依頼する。「音楽ライターの卵なんだから」と彼は言い、「聴くプロなんだから、才能あるよ」とこともなげに言う。

ちょうどその時ね、あのシマちゃんの記事が音楽雑誌に載った「事件」が起きた時だったんだ。
自信をなくし、落ち込み、作詞など出来る筈もないと、シマちゃんに皆が拍手して、辻本君も、この時にはろくに喋ったことのなかった加代子さえも自分をハブにするなんていう、自虐的な夢を見る恵。そんな彼女を辻本君は、街が一望できる高台に連れて行ってくれた。
慰めるつもりだったんだろう。そして、自分にとって大切で大きな存在だってこと、言うつもりだったんだろう。
なのに……。

この時の恵の落ち込みっていうのがまた、そんな気持ちを、今や懐かしいなんて思う自分がちょっとヤだなと思ったりする。そんなことが、大人になるしるしだなんて、あの頃は思いもしなかった。
若い頃、っていう言い方で既に年寄り臭いけど、でもホント、10代から、せいぜい20代始めぐらいまでかなあ、何でも出来るような気がして、どんな選択肢もその手に出来る気がなぜかしていて、自分より若い才能が出てくるだけで、うわって、打ちのめされる感じがした。
例えば、高校球児やアイドル歌手が自分より年下になった時とか。自分じゃ野球もやるわけないし、歌手になりたいわけでもないのにね。
それこそこの原作者さんって、すっごい若いから、ちょっと若い頃なら、ショック受けてた部類。でももう、驚かなくなっちゃうんだ。それは、自分が未知数なんかじゃないと、判る年になったから。

若い時がより傷つきやすいのは、知っている世界や、自分の可能性に未知の部分が多いために、ヤミクモな自信を持てて、アキラメを知らないから。
しかも、自分の得意分野の内においてそんな壁に直面しちゃうと、もう、本当に、地獄に突き落とされた気分になる。
アキラメを知らない季節は、果たして幸福なのだろうかと思ってみる。
大人になってしまえば、確かに幸福だったとカンタンに思えるけれど、あの当時に身を置いてみればどうだろう。
私は恵のように、あんなに打ちのめされても、「音楽しか興味がない」と言い放てただろうか。

辻本が恵に言いたかった言葉は、確かにとても珠玉の言葉だった。
「白田と音楽の話で盛り上がった時、凄い嬉しかった。白田と友達になれたこと、凄い嬉しかった」
でもそれは、恵が聞きたい言葉じゃなかったんだ。
「トモ……ダチ?」その言葉の意味が判らないかのように、呆然と繰り返す。
「まだ、友達じゃない?」彼女の戸惑いが判らず、不安げに顔を見やる辻本。
「ううん、トモ……ダチだよね」必死に搾り出す恵。しかしその声は震えている。
「……ゴメン」辻本君、気づいちゃう。恵の気持ちに。

本当はね、友達の方が、価値があるハズなんだよ。一生ものだもん。打算も何もないんだもん。でもこれは、一生悩みの尽きないテーマ。異性でも、心や価値観を分かち合える友人を持てたなら。でもそれが難しいのは、そこまで心を分かち合えると、どちらかが恋愛感情を持ってしまう確率が高いから。
でもそれはイコール、男と女が友達になれないということではない。恵は、確かに辻本君に恋をした。でも、彼と友情を交わしたことは間違いなく、それはカノジョとは交わせない時間であり……それが成立するのは、男がカノジョと友人を両立させられるムジャキさを持ち得、女が嫉妬と打算をマスターしきる前の、この奇蹟のようなほんの短い期間だけなのだ。
だから、本当に本当に、辻本君と友達になれたら、その気持ちだけが持てたら、良かったのに……。
そうは、なれない。やっぱり、なれない。

こともあろうに辻本君のカノジョは、シマちゃんの友達の女の子だった。それ以来、辻本君とは顔を合わせられなくて、そして文化祭の日、恵は一人、ラジカセの側に座り込んでいる。
そこにふと、彼女の隣の席のふとっちょの男の子が、おでんを差し入れてくれる。ほんのワンカットなんだけど、なんだかそれが心に残る。ここに、語られなかったひとつの物語がある気がして。このふとっちょ君は、恵のこと、好きだったんじゃないかって。
本当に、ほんの、ワンカットなのだけれど。

軽音楽部、最後の曲、辻本君がボーカルを取る。歌詞は恵が書いた詩。失恋して、夜の商店街を自転車で疾走していた時、口からついて出た詩、辻本君の机にそっと忍ばせたその詩を、彼自身が歌ってくれてる。
聞こえるわけがないのに、聞こえたのか、ふと弾かれるように立ち上がる恵。廊下を疾風のように走り抜ける。走って、走って、体育館の暗幕をバッ!と掻き分ける。
曲はもう終盤だったけど、自分が書いた詩を、彼が、歌ってくれてた。
恵の瞳に大粒の涙が光る。

ふっと、ステージに背を向けて歩き出した恵を、加代子が追った。
「辻本君が歌った歌、作詞したの、白田さんでしょ?凄く、良かった。……ゴメン、それだけ」
本当にそれだけ言って、照れたように笑って、加代子はきびすを返した。
驚いて目を見開いたままの恵。
何の接点もない筈の二人だったのに。
「絶対立入禁止」の、ドアの前に積み上げられた机と椅子を押しのけて、優等生の加代子が屋上に上がった。きっと、初めて上がった。そこで、ぼんやり椅子に腰かけて、ふと、見つけた。恵が残していったノートを。そこに大きく書かれた「世界って、こんなに熱いんだ」という言葉を、つぶやいていたんだ。その言葉が辻本君の口から、メロディに乗せられたから、気づいた。彼女の言葉だってことに。

リッパな雑誌に載って有名になるより、たった一人の心を動かすことが、それだけのことが、こんなにも嬉しいってこと、そのことに、恵が気づいてくれたんなら、嬉しい。
気づいたよね?
「……ありがとう」加代子がいなくなってから、そう、つぶやいて、まるで自分自身に言い聞かせるようにつぶやいて、涙が後から後からあふれる恵にもらい泣きしながら、それを願う。

と、まるでそんなこっちの気持ちを見透かしたように、恵、走る!
ステージの終わった辻本君の元に、突進するように走る!
「辻本君、凄くカッコ良かった。ありがとう!!」
ありがとうって言葉、こんなに大声で叫べるのが、それが若さの特権のひとつなのだとしたら、少しだけ、うらやましい。
青さとか、まぶしさとか、痛さとか、それがもうすべて、手に入らなくてもいいやと思える恥ずかしさなのだとしても、やっぱり少しだけ、うらやましいと思う一瞬。
ありがとうって、本気で言えるの、本気で口に出して言えるの、ひょっとしたら、ここがギリギリの年なのかもしれないんだよ。
後から振り返ると、判るんだ。

一方、加代子である。
加代子はこの時点で、佐々木君とちょっとだけ、距離が離れていた。
東京に行くことしか考えられない加代子と、そう簡単にはいかない佐々木君。
先述したけど、彼女にとっては好きな男の子と一緒にいることより、何かが待っているかもしれない東京に行くことこそが、最優先事項なのだ。
彼女がそこまで打算的に考えていたとは思わない。ただ、この年、この時に、どうしてもぶつかる気持ちの矛盾。地方にいる若者の、東京に憧れる若者の、必ずぶつかる壁だ。
そのために、彼と彼女は一時、気持ちが離れてしまう。東京の私立に行けるほどの経済事情にない彼に、だったら国公立は?などとこともなげに言う彼女に、彼が引いてしまったのは、無理からぬことだった。
でも、この文化祭のステージを見ていた加代子の隣に佐々木君が来て、そっと手を握って、一緒に東京に行けるように頑張る、と彼は言った。ちゃんと勉強する、と。
それでまた、気持ちがつながったようにも思えた。でも……。

加代子と離れていた時期、佐々木君、西を捕まえて、キャッチボールしようとする。なまったお前の身体を鍛えてやる、とか冗談半分に言い訳こいて。
不安だったんだろう。優等生の加代子についていけないこと。
でも西は、勉強があるから、と彼の誘いを断わる。北大だったよな、すげえな。と佐々木君はどこか寂しそうに言う。ここにも彼の追いつけない存在がいた。たとえ西君が、ウチの経済事情を考えても一発合格しなきゃいけない、と自分と同じような要素を抱えていたとしたって、やっぱり、違うのだ。
西と本当に友達だと思ってたから。恐らく、西が彼女のこと好きなの、気づいていない。その単純バカなとこが愛しいけど。
でも、西は何たって彼女が好きなんだし……そういつまでも呑気に友達同士ではいられない季節なのだ。

佐々木君は、やっぱり東京の大学、落ちてしまう。そして、加代子を見送る時が近づく。
「カヨちゃん。思いっきり走っていい?」自転車にまたがり、彼はそう言った。
スクリーンの手前から奥へと、ぎゅーんと切り裂く坂道を、二人乗りで勢いよく降りてゆく。彼の台詞と、臨界点を超える自転車の疾走感に、初めてのセックスのイメージと予感を感じさせる。
そんな観客のよこしまな気分を、またしても見透かされちゃったのかな。
草むらに倒れこむ彼に、「すごく、気持ちよかった」と言う加代子。
佐々木君は、「それって、凄くエロい」と返す。その言葉に、いつもの佐々木君のような冗談ぽい雰囲気が、感じられなかった。加代子もなんだかマジに「……うん」と返した。
おおッ!観客の気持ちをホントに見透かしたか!と一瞬喜ぶも、そんな無粋な映画ではないんであった。

「髪、触っていい?」「……うん」
あのね、もう、加代子はうんしか、言えないんだよ。だって、もう、終わりなんだもの。彼とはもう、これで、終わり。
ここで、彼に抱きつくかと思いきや、膝をついて、彼に向かって頭をさし出すのが精一杯。
一方、彼も、彼女の垂れ下がった髪を乳搾りのように触るだけで、頭をなでるとかいうことさえ出来ない。
「……ゴメン。オレ、これが精一杯」
「……うん」
「カヨちゃん、東京に行ったら、オレのこと、忘れるんだろうな」
「……うん」
「ひでえなー!」
「……うん」

この後ね、佐々木君が加代子を駅で見送るシーンもあり、「佐々木君とずっと一緒にいたいって思った」という、とりあえずこれは言っとかなアカンっていう台詞を加代子は言うんだけど、でもこの場面で、全てが決せられていたように思えるのね。だって、駅では佐々木君、本当に何にも言えないんだもん。何を言ったらいいのか判らない、と正直に言うぐらい。
なんか、大人大人と言うのもアレなんだけど、それこそある程度大人になってしまったら、「東京に行ったら忘れてしまう」などということを考えはしないだろう。なぜってそれは、もうあらかた希望や未来を使い果たしてしまってるから。東京に出たらあるかもしれない無限の可能性や出会いを、そんなもの、実はそんなあるわけじゃないって、判ってしまってるから、だから、好きな人と距離が離れるだけでカンタンに諦めたりはしないんだ。
若い時の気持ちって一途で強いけど、でも一方でもろいのは、まだ見ぬことへの貪欲な渇望があるからなんだ。目の前にいる大好きな人以上のことがあるかもしれないと期待してる。彼女がそうハッキリと自覚していないにしても、そうなんだもの。
またしても、思う。それは、そんな季節は、果たして幸福だったのだろうかと。
そして、またしても、同じ答えを思う。確かに幸福だったのだろう。だけど……。

こんな時を、ちゃんと大切に、満喫しておくべきだった。
なんか私は、ただただ、眠かった。いや、その中に逃げ込んでいたのかもしれない。
自分はいつまでも大人になれなくて、中身はちっとも変わってないと思ってたんだけど、やっぱり違うんだ。 青春は、いつの頃か、確実に終わっている。
その終焉を、気づかないまま、別れを告げることも出来ないまま、終わっている。
砂煙の立つ校庭の真ん中に立ってみればよかった。総体の応援を一生懸命やればよかった。そして、好きな人に好きって言えばよかった。
あの時、それがこんなにも大事な時だと、教えてくれる人がいればよかったのに。

加代子は、西と電車の中で会った。
西が彼女と遭遇するのはいつも電車の中。なんかそれが、切ない。
青春の場所であるローカル線、開閉ボタンという地方独特のアイテムにより、適度に密室になる感じといい、なんか、西がいつも気持ちの解放を許されていないみたいで、やっぱりついつい判官贔屓してしまうんだな。
ひとしきり、近況報告、春からの進路のことなぞ話して、加代子の降りる駅に着いた。
「秋元!忘れ物!」振り向く加代子に、西はあの時の、彼女が座席に落としていったレモンの香りのリップクリームを放った。
「……ありがとう」
受けとめ、ニッコリと微笑む加代子。
西の青春は、終わった。

明日は、卒業式。
予行演習をサボって、一人教室でぼんやりと窓の外を眺めている恵は、そこにやはりサボリの加代子がいることに気づく。
恵も校庭へと降りてゆく。
ここが、既に冒頭で声だけで示されているシーンだ。
恵が「音楽にしか興味がない」と言ったシーン。
彼女はきっと、校歌もまた音楽だということさえ、思っていなかっただろう。
だから最初に示され、最後にも示されるのだろう。
「ウチの校歌って、軍歌みたいじゃない?」
「ザッ!って感じ?」「ザッ!って感じ!」
敬礼!のしぐさをして、ああ、こうやって言っていたのか。制服に直接マフラーをぐるぐる巻きにした彼女たちが、やけに初々しく見える。もう明日には卒業式なのに、まるで、新入生みたいに、初々しく見える。
「一度くらい、ちゃんと歌っておけば良かったかな……」

自分が好きだった歌よりも、自分が作った歌よりも、好きな人が歌った歌よりも……きっと、大切にすべき「音楽」だったんじゃないかと思う。

予行演習が聞こえてきてて、そこに「仰げば尊し」も流れてるでしょ。
今でもあの歌、歌われているの?最近はさっぱり使われていないって聞いたんだけど。
でも、私、あの歌がとても好きだ。歌詞はともかく、ともかくってわけじゃないけど、あのメロディがね、これぞ惜別のメロディだと感じるのだ。
校歌は、結局はここで歌われるわけじゃないし、この「仰げば尊し」も練習しているのがひっそりと聞こえるだけなんだけど、この惜別のメロディが、恵の言う「音楽」と実に好対照を成している気がするんだなあ。
それこそ、皆が共有する校歌をも思い起こさせる「音楽」

あの頃って、大人もそうだけど、自分より下の子供たちも見えてなかったな、と思う。
自分の世代しか見えなかった。
せいぜい見えて、先生と親。反発すべき存在。
あとは、街を歩いてても、紙人形みたいに、全く関係ない存在だった。
それだけ必死でせっぱ詰まっていたんだと思うけど、あの時周りを見る目があったら、もしかして、今の自分は何か変わったんだろうか。
それともだからこそ、あの時、だったのだろうか。

檸檬から連想されるのは、梶井基次郎。もどかしいばかりの、青春の苛立ちともどかしさ。
そして、今思えばたった三階しかないのに、やけに威圧的で絶対的な存在感の場所だった学校。
苦しくて辛くて、でも楽しくて、暖かかった場所。
それはもう、二度とこの手には出来ない。★★★★☆


恋愛睡眠のすすめTHE SCIENCE OF SLEEP
2006年 105分 フランス・イタリア カラー
監督:ミシェル・ゴンドリー 脚本:ミシェル・ゴンドリー
撮影:ジャン=ルイ・ボンポワン 音楽:ジャン=ミシェル・ベルナール
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル/シャルロット・ゲンズブール/アラン・シャバ/ミュウ=ミュウ/ピエール・ヴァネック/エマ・ド・コーヌ/オレリア・プティ/サシャ・ブルド/ステファヌ・メッツジェール/ドクール・モワイヤン/イニゴ・レッジ/イヴェット・プティ/ジャン=ミシェル・ベルナール/エリック・マリオット/ベルトラン・デルピエール

2006/5/8/火 劇場(渋谷シネマライズ)
ガエル・ガルシア・ベルナルとシャルロット・ゲンズブール。この二人のコンビに興味を惹かれた。ガエルの作品はあまり観てないけど(しかも代表作を観てない……)その数少ない中でも強い印象を私の中に残した俳優。
そしてシャルロットはなんといっても、少女の頃からそのエリートの血を存分に見せつけ続けてくれた女優。ホント、彼女のセンシティヴさはまるで変わらなくて嬉しくなる。今やタバコを吸う姿もサマになる大人の女性だけど、その自然体の魅力は全然変わらないんだもの。

で、ガエル・ガルシア・ベルナルは、まさかこんなキュートな彼が見られるとは思ってなかったんで、驚く。でもこの邦題、そして予告編のファンタジックな感じで既にそのギャップに驚いていたからこそ、興味を惹かれたとも言えるんだよなあ。
で、それはまさしくで、彼が実際はまだまだ年若い、笑顔のキュートな青年であるということに今更ながら気づき、そしてシャルロットをタイ張るぐらい、繊細な演技をする人だということも、今更ながら気づくんである。今までは割と硬派なイメージがあったからなあ。
シャルロットより7つも年下。そんなカワイイ年下男な雰囲気もありつつ、シャルロットの自然体のおかげで年の差という感じはあまりない。
でもやっぱり、彼の恋が叶わないのはどこか頼りない男だからであり、そしてやはりシャルロット・ゲンズブールだからなのかな、という感じがする。だって実際、彼にとってシャルロットは小さな頃から目にしてきたスターであるに違いなく、そういう“叶わなさ”という要素はあるわけだもの。

主人公のステファンが、母親に呼び寄せられてメキシコからフランスへ移住してくるところから始まる。劇中の設定では、彼はフランス人とメキシコ人のハーフ。彼はメキシコで父親を看取った。大好きな父親のことを、彼は今でも夢に見る。それは自分の不安を打ち消してくれるからのように思う。
それでなくても、ステファンは夢見がちである。母親が「あの子は6歳の頃から夢と現実がごっちゃなの」と言うぐらいである。その台詞が発せられるのは母親が恋した初老の男とステファンを引き合わせる場面で、ステファンはもうホントこういうところでよく判るんだけど、思いっきり仏頂面で心のうちで不満タラタラで、ホント、まだまだ子供なんだよね。自分をコントロール出来ていない。

母親が紹介してくれた仕事は、彼が思い描いていた“クリエイティブな仕事”とは程遠いものだった。イラストレーター志望の彼は、このカレンダー会社に「災害論で12ヶ月を描く」という実にネガティヴなアイディアを引っさげて入社したわけなんだけど、当然却下。タイクツな切り張りの仕事を毎日繰り返しやらされて、イイカゲンヘキエキしている。もう、すぐさま辞めようと思ったのだが……。
そんな折り、ステファンが越してきたアパートの隣にステファニーが越してくる。最初、ステファンは引っ越しの手伝いに来ていた彼女の友達のゾーイに心惹かれるのだけれど、いつの間にやらステファニーのことを好きになっている自分に気づく。ステファニーも自分に気がありげである……。
というのは、実はゾーイが仕向けたことでもあり、そしてステファンの夢の中での暴走が、現実との境界をどんどん曖昧にしていく。
しかもそれが、観客にもその境界線がどんどん判らなくなり、ステファニーの心がステファンのみならず観客にも判りづらいというのは、恐らく監督の確信犯的手法なのだよね。ステファンにすっかり巻き込まれるって感じなんだもん。

「ステファンとステファニー、仲良しの双子みたい」というゾーイの言葉はとても言い得て妙で、その言葉こそが最後まで二人の関係を物語っていたようにも思う。価値観を共有する二人はとても仲良しになるけれど、決して結ばれはしない。
でもそもそもは、ステファンはゾーイをカワイイと思っていたんだし、ステファニーの方こそ彼が気になっていた、というコトだったはずなんだけど、いつからステファンがステファニーに片思いしているような図式になったのかしら。
だってステファンは夢の中でも、ゾーイの電話番号を聞き出そうと躍起になっていたりするのにさ。それもまた、ただ言われるがままにそんな気がしていただけだったのかなあ。
確かにステファンは、他人からの揺さぶりに弱いところはある。母親に言われるがままフランスにやってくるし、言われるがままの会社に就職して、不満を抱えつつも同僚に言われるがまま、なんとなく勤め続けちゃう。それでも自分の中ではそうじゃないんだ!という思っていることだけを心の支えにしているような、それが彼の夢見がちなトコに反映されているような気もするのだ。

まあ、この二人の女の子は、最初からステファンをおちょくっていたような節が確かにある。ピアノがあるだけで、自分たちは音楽関係者だと言ってみたりさ。
実際は、彼こそがクリエイティヴなのだ。でも芸術家とナントカは……いや天才とナントカか、は紙一重というわけでもないけど、彼は恋にしても仕事にしてもちょっと思い込みが激しいし、つまりは彼女たちが理解できるレヴェルじゃなかったってことなのよね。
ステファンはフランス語が苦手。だからここフランスでは共通言語の英語でコミュニケーションをとることが多いんだけど、この英語も恐らくスパニッシュ訛りであろうと考えられる。そんな彼をからかって、ワザとフランス語で会話して、困るステファンをクスクスと笑うステファニーとゾーイ。こういう言葉のニュアンスが判ったらもっと楽しいんだろうな。
逆に彼女たちは、つまんない仕事をしている自分たちにコンプレックスを持ってる一方、逆にクリエイティブな仕事をしている人たちの不安定さを攻撃することでその自己嫌悪を沈めている雰囲気もあり、だから彼に対してアンビバレンツな感覚を凄く、感じるのね。

でもこの、二人を結びつけることになるアンティークなアプライトピアノはちょっと心惹かれる。だってステファニーがこのアパートに越してきた時、いきなりこのピアノがらせん階段をガタガタガタッ!と落下していくんだよ!凄い画だよ。それで戸口から路上にがったん、と飛び出しちゃうんだもん。
それのとばっちりを受けたステファンが手を怪我しちゃって、それをステファニーに手当てしてもらううちになんだか彼女に恋をしていっちゃうみたいな……オマエは中学生か!って感じだけど、やっぱりステファンはそういうとこ、純粋で子供みたいな青年なんだよなあ。で、このアプライトピアノ、なんとか部屋に運び込まれて、どこかポンコツな音を響かせるのが、なんとも愛しいのよね。

ステファンの好き好き光線に困惑しながらも、ステファニーは彼と共通の感覚を見い出す。手仕事が好きな彼女は、彼と手作りの映像作品を作り出すことで盛り上がるし、彼の作る「テレパシーが通じる機械」「1秒タイムマシン(1秒後と一秒前に行ける)」などの怪しげな発明品にもノレるような女の子である。
いや、これはノッたんだよね?ここを間違うと、また大きな軌道修正が必要になっちゃう気がするけど……これがファンタジーの難しいトコなんだよなあ。これが本当のタイムマシンだとすると、また話が難しくなっちゃうしさあ。
じゃあ今度は一秒未来に行こう、とステファニーに二度続けて抱きつくステファンに驚いて、「どうして二回するの?」「二回目は今の時間なんだ」なんて、いかにもジョークっぽいじゃない。というか、口説きの文句だよなあ。でもステファンはどこかマジに言っているような気もするし、どこまでがファンタジーとしていいのか、難しい。

予告編で受けた印象では、「現実では実らない恋だけれど、せめて夢の中では成就したい」という趣で、彼が自ら進んで夢の中へと入っていく感じだったけれど、実際は夢と現実はかなりアイマイである。一応その境界線となる、「ステファン教育テレビ」なる夢の工房も、結局は夢の導入部であり、更に言うと彼の現実での願望を示している場所なんである。
この「ステファン教育テレビ」ってのが、この作品の世界観をダイレクトに示してて、実にキュート。ダンボールで出来たカメラに、ビニールのカーテンの向こうが夢と現実の境目になっているという手作り感いっぱい。
その“スタジオ”で彼は料理番組よろしく、大きな鍋の中に「現実」やら「思い出」やら「願望」をミクスチャーして、その日の夢を作り上げるのだ。更に、ブルースクリーンの前で演じることが、モニターの中で現実世界の風景とスクラッチしたりなんていう描写は、テレビの世界が虚構であるという皮肉にも思え、そこはCMやミュージッククリップの世界で名を馳せたゴンドリー監督らしい。

予告編では(しつこいけど)、その夢のスタジオは、あくまでステファンが現実には叶わない恋から逃避するための場所なんだけど、これは彼の見る夢の一部に過ぎず、全てがアイマイに融け合っているんだよね。
大体の夢は荒唐無稽だから、観ているこっちはこれは夢だって判るんだけど、夢から現実に戻ってくる時も唐突だし、後半になってくるとそれさえもアイマイになる。彼が提唱した災害カレンダーが大ヒットになってパーティーが催されるくだりは、荒唐無稽のような気もするし、そうじゃない気もするし、あれ?これはひょっとして現実?それとも……とコンランしてくる。これが夢か現実かで大きな違いがあり、夢ならば彼は最後まで彼女に片思いしているわけだし、現実ならば一度は思いが通じたのがやはり破れてしまったということになるんだけど。ここはホントに判らない。解説では現実だとされてるけど、正直、俄かには信じがたいんだよなあ。

だってホント、ステファンてば夢遊病の子供なんだもん。
麻薬密売人になってダンボールの車で逃げ回る、なんて男の子のちょっとワルな夢そのものだし。一方で、地味な同僚のマルチーヌとエッチな関係になるなんていう、これまた男の子の欲求不満を絵に描いた様な夢も見る。実際はこの彼女のことは全く眼中にないというのにさ。
しかも、バスタブのお湯は色とりどりのセロファンで、生々しさは全くない。実際、彼はステファニーとも「唇の一センチ横にキスをした。これは彼女がボクに気がある証拠だ!」などと、ウブにしたってあまりにもあまりなことを夢想するお子チャマなんだもの。
その一方で、夢の延長線上で、結構ダイタンなこともやってのけるんだよね。
夢の中で書いた手紙を、その夢うつつのまま、全裸で廊下に出てきて、ステファニーの部屋のドアの隙間に差し入れたりさ!

その時点でステファンはまだゾーイに惹かれてて、逆にステファニーが自分に気があっても困るし、みたいにありもしないことを夢想しているわけで、手紙の締めくくりは「ゾーイの電話番号を教えて」である。で、彼が我に帰って慌てて、ハンガーで差し入れた手紙を回収するんだけど、彼女はもう既にそれを読んじゃってるのよね。で、ゾーイに、「フック船長はそれを回収したと思っている」と。
彼女はこの時点で、この子供っぽい男に、ちょっと心惹かれていたのかもなあ、とも思う。
あるいは、ステファン、夢の気分のままドアを開けて出てきて、出くわしたステファニーにいきなりプロポーズして、自分で慌てふためいちゃったり。
ホント、夢遊病の子供だよな……。

夢から覚めている時も、子供っぽい行動を起こすステファン。ステファニーが大事にしている、「あまりにも哀しそうだったから、衝動買いした」という馬の人形。絶対に、手放さない。彼女はそう言った。
それが走ったら、きっとステファニーは大喜びするに違いない。ただ一途にそう思って、彼女が出かけた隙に窓伝いに隣の部屋に忍び込み、細工を施すステファン。
アヤしい発明品だけでなく、こういうことをさらっとやっちゃえるんだから、彼はホント、クリエイティブな男なんである。
しかし、完成品を置きに来た所で、思いがけず彼女が帰ってきてしまって、隠しようもない身体を縮ませる。全然隠れてないって(笑)。でもこーゆーところがカワイイんだよなあ。
実際、ガエルがこんなカワイイ男が似合うなんて意外なんだけどさ。彼って足が絶望的に短いし(笑)、背も低いし、そしてお顔もどちらかというとベビーフェイスの方だよね。だからこういう男を全力で演じると、これが母性本能をくすぐりまくるのよね。

驚いてステファンを部屋から追い出すステファニーなんだけど、馬が走り出したことに驚いて、彼に電話をする。この時、泣きながら電話に出るステファンがまた、胸をキュンとさせるのよ。
ちょっと昔なら、こんな手放しで泣く男を素直にカワイイなんて思い難かったのに、「ホリデイ」といい、時代は変わったよなあ……などと思う。
そして、ステファンは彼女との心地良い会話のまま、眠りに落ちる。夢の中で現実世界の彼女と電話で話し続けている……というのも、彼の夢。まるで母親の子守唄で安心して眠りにつく子供そのもの。
だからある意味彼は、自分だけで思い込んで暴走して泣いて寝ちゃうみたいな、とてつもなく自分勝手な男とも言えるんだけど、でも憎めない。それどころか、何だかどんどん可愛く思えてしまう。その観客の気分は、恐らくステファニーが感じている気分そのままだろうと思われる。でもそれでも、彼女は彼と恋人同士にはなれないというのだ。

セロファンの海に箱舟を浮かべよう。そんなアイディアに、「ロシアアニメみたい!」と、共通認識で盛り上がれること事態、二人がある意味、オタク同士として“同志”であるという証し。
それを彼は恋として認識し、彼女は“親友”として認識する。
男と女の感覚の違いが、如実に現われる。
女は確かに恋に生きる生き物だけど、だからこそ友情に神聖なものを見い出す。それこそが特別。
男は子供の頃のワンパクな友情関係をそのまま引きずっているから、それが特別なことだなんて思わないし、だから恋こそが特別で神聖なものだと思ってる。純粋だけど、女にとっては残酷。男にとって結局恋の順位が二番手になること、女は知っているから。

ラスト、二人は結局結ばれることはない。ステファンは自分が失恋したと思って、傷心のまま国に帰る。ステファニーはそんな彼をただ冷たく見送る、と彼には見えている。
でも、彼女の中には、「70歳になったら結婚しよう」という彼の“プロポーズ”がずっと消えることはないだろうと思う。
それが女にとって、究極のプロポーズであるということを、彼は判っていただろうか。
結婚しない主義だと、彼女は言った。それはその前に「好きな人とでも」という形容詞がつくように思うのは、考えすぎだろうか。
「70歳になったら結婚しよう」という台詞が、「70歳になっても、君のことが好きだから」という台詞に、彼女には聞こえていたであろうことを、彼は判っていただろうか。
今好きだから、結婚しようというより、ずっとずっと嬉しくて、欲しい言葉だということを、彼は判っていただろうか。

ステファニーが中途半端なまま投げ出してしまったと思っていた船が、完成されていた。それだけで、彼女が彼のこと、どんな思いであれ大事に思っていたことの証しのように思えた。
「現実を捻じ曲げるのは、悪い癖よ」彼女は夢見がちな彼にそう言ったけれど、それがどういう意味だったのか、どちらの意味だったのか。
彼がステファニーと心が通じたと思ったことなのか、逆に彼女からフラれたと思い込んだことだったのか。実は判然としないんだよね、この時の彼女の態度からは。だから形としては失恋で終わっているけれど、もしかして……と救いを求めたくなるのだ。

彼女のベッドの中にダダッコのようにうずくまり、しかしその船がちょうど目線のところに置かれているのに気づくステファン。それを見て安心したように眠りにつき、彼はまた夢を見る。
それは、彼女と二人、あの哀しそうな馬に乗って、そして船に乗って、セロファンの海を渡ってゆく夢だ。
「森の中に船が浮かぶより、船の中に森があった方が、面白いと思わない?」
それは、彼の言葉のつたなさから来る勘違いが生んだアイディアだったのに、森を抱えた小さな船が、キラキラ光るセロファンの海をぎこちなく渡っていくのが、なんか心切なく感じてしまうのだ。
ノアの箱舟の、植物版だ、そう、彼は言った。
この救いのない世の中から、逃げ出せる、優しい懐の船。
そんな夢の中に入っていったステファンを、ステファニーは起こすこともなく、見守っている。
少しだけ、救いのあるラストに思える。

さすが、「エターナル・サンシャイン」の監督、というのは、実は観終わってから気づいた(笑)。ステファンは監督自身がモデルだという。さすがキテレツというか……恋が成就してではなく、失恋して終わるところもらしい感じ。
ダンボールの箱で作ったカメラが、全てを象徴していた気がした。
実際に映る筈もない、夢の中の擬似カメラ。だからこそ、心の中を映し出すのかもしれない、と。★★★☆☆


煉獄エロイカ
1970年 118分 日本 モノクロ
監督:吉田喜重 脚本:山田正弘 吉田喜重
撮影:長谷川元吉 音楽:一柳慧
出演:岡田茉莉子 鴨田貝造 木村菜穂 牧田吉明 岩崎加根子 武内亨 筒井和美

2007/8/29/水 東京国立近代美術館フィルムセンター
うう、判らない、判らない。これって誰か判る人、いるの?誰か助けて、教えてください。吉田喜重監督作品を観るのはこれが初めてなのだけれど、こんなんじゃ、後が続かないよー。そりゃ私はバカだけど、バカだけど……何の話なのか全然、まるで、判んなかった。

で、あとで恐る恐るgoo映画の解説なぞ読んで驚いたりする。え?こんなきちんとした筋立てあったっけ?なんかもう、“革命的言葉”(としか言いようがない)の羅列で、そこで何が起こっているのか本気で判らなかった。
曰く、主人公庄田力弥は過去にアメリカ大使誘拐事件の、その組織の末端におり、そして20年近くがたった今、その過去をネタにして全く同じ、アメリカ大使誘拐事件への協力を強要されるというんである。……ホントにそんなこと、言ってたっけ?と頭を抱える。
とにかくもう、革命を起こすだの、武器を渡さなければ間に合わないだの、裏切り者だの、スパイだの、その全てが“あの頃の言葉”なんだもん。案外これを、角棒を持って突入したことのある“あの頃”の人たちは懐かしい響きでとらえるのかもしれない。

全く知らない世代だからなのか、それは私にとっては“あの頃”を伝える退廃的な魅力のある響きではあるけれど、それが延々と続くと殆んど拷問に近い。実際、主人公にとっては拷問なのだろうけれど……。
だって彼は過去のことを消したくて、今はタイクツではあるけれどレーザー光線の研究者として華々しい成果をあげ、いわゆる悠悠自適な生活を送っているのであって、美しい妻もいるし、この生活をかき乱されたくはなかったんだろうから。
というのも、解説とあらすじ読んで判ったんだけど……もうダメだ。

一見した時は、その、もの凄く計算されまくった、懲りまくった白色がちのモノクロームのカットに、うわ、これは凄い、こういうのに凝る映画は数あれど、ここまで100%なのは観たことない、とかなり前のめりで観始めたのだったけれど……それもひと時の休息もないと、ここまで息が詰まるものなのかということも初めて知る。そこまで徹底させるのは勿論、この稀代な監督の腕であるのが判っていても、まだ続く、まだ続く、まだやるのかよ!と“革命的言葉”と共に非常なる疲労を覚えるんである。
いくらなんでも緩急というものが欲しい、と思うのは、やはり私は時代的にこらえしょうがないからなのだろうか。いや、それにしても……。

例えば、高い窓から外を眺めている。少女が、ある建物に入っていく。重そうなドアをバタンと閉めた途端に、数人の男女が間髪入れずそのドアから出てきてこちらに歩き始める。例えば、らせん階段を二人の女が行き過ぎるショットから、一人の女がその巨大なネジのようならせん階段の下を覗き込むと、もう一人の女が横たわっている。例えば、例えば、例えば……そんな、動きと構図が計算されつくされたショットばかりが畳みかける様に続くと、感心するのにも疲れてしまう。
そして近未来的な、超モダンな建築物の数々、玄関からすぐに狭い廊下に出るマンションを主人公の庄田と妻の夏那子、そして謎の少女が行き来する繰り返し……完璧な構図、完璧な人の配置。しかしもうそれがあまりに繰り返されるので、段々頭の芯がしびれてくる。うう、これは劇中の庄田やスパイと決め付けられた女戦士と共に観ている私もゴーモン受けてる感じ。ゴーモンの種類は違うが……。

謎の少女の闖入は、ちょっと魅力を感じないでもなかった。特に冒頭のめくるめくらせん階段から始まるショットは、これはキタかもしれない、と思った。だってまさか、そのめくるめくモダンなカットが最後の最後まで続くとは思わなかったんだもの。
例え“観てればいい”だけにしたって、計算がきっちりなされているのがアリアリのカットだけが続くっていうのは、筋立てさえも見えなくなるぐらいの疲労を感じさせるんだもん……やはりこれは言い訳、なんだろうか。

いやだから、冒頭のね、らせん階段をぐるぐる回っている二人の女。そして白色の室内でツマラナそうに、よく判らない詩みたいなものをつぶやいている庄田。この二つのシーンは場所を違えているのか、それさえも既にこの時点で判ってないんだから困ったもんだ。
んでもって、二人の女のうち一人がハッとした感じでらせん階段の下を覗き込んでみる。髪の長い女が仰向けに横たわっている。すわ、自殺か、と思ったけれど、タンカで運ばれていったその床には血のしみひとつない。
そして、その少女は目を覚まし、迷子になったみたいなの、と繰り返す。それを聞いている男は、迷子になったと思った時点で、それは迷っていない、とか意味不明なことを繰り返す。
そうなのだ……なんか、会話がね、始終こんな感じで、詩的なのかなんなのか判んないんだけど、マトモな会話になっているところが一個もないの。こういう“詩的な会話”(というべきなのかなんなのか)と、“革命的会話”のみで形成されてたら、そりゃ筋なんて判りゃしない。いや、それでいいのか……それこそが目的なのか?

で、その少女を庄田の妻は連れて帰ってきてしまう。この少女が、彼らのことをパパとママだと言い張るから。そんな筈はない。少女と言ったってすらりとした美脚がまぶしい、ハイティーンよりは上の女の子だ。彼女の親としては彼らはいくらなんでも若すぎる。
しかし岡田茉莉子が演じる妻も、この“詩的な会話”をバンバン使いまくって、「どうもよく判らないの。そうじゃないのかしら」的なことばかり言って、この少女に操られているのか、それとも彼女自身が天然なのか、確かに彼女もかなり浮き世離れした美女なもんだから、この少女と白亜のマンションにいると、妙にレズビアン的な錯覚にもとらわれる。

少女を探しに、自分こそが本当の父親だという男も闖入してくるんである。しかし少女は庄田夫婦の背後に隠れて、この人はパパなんかじゃない、と繰り返す。
少女は、「たくさんのパパをいっぱい部屋に入れて、殺しちゃえばイイのよ」とか言い出す。たくさんのパパ?それを庄田の妻は、「まあ、そんなの怖いわ」とかおっとりと受け流し、まるで少女の話など聞いちゃいない風。
しかし少女の話は、段々シャレじゃなくなる。「ママはパパと一緒におしっこしたの。パパは私にも一緒におしっこさせてくれたわ。そしてママはパパを殺したの……」ううむ、この少女が一体どんな目に遭って、そして何故今ココにいるのか、結局少女の存在は最後まで謎のままで進行してゆく。庄田を脅す“革命的組織”による言語の難解さと、この少女の存在の難解さのダブル攻撃。拷問だ……。

しかも庄田が、この少女とナニをしてしまう場面も用意されてたりなんかする。しかもそれを、組織の人間たちがフィルムで撮影している。撮影しているのを、庄田が知っててやっている風もあるんである。しかし“少女強姦”のそのフィルムを盾に組織に協力させようという場面が出てくるんだから、もうナニがなんだか判らんのである。
ずばりセックスというわけでもなく、ただ少女の上半身だけを脱がせ、軽く乳を愛撫するぐらいなのだが、二人共にヤル気がなくガラスのように無表情で、それまでの無機質さの延長線上にあってまるでエロな感覚はない。しかもそのフィルムを後に上映した時、少女の姿はそこにはなく、庄田はただ壁を愛撫するばかりなんである。???ああ、判らない……。

「これは脅迫じゃない、命令よ」と庄田を脅迫してくる女が突然現われる。庄田はまるで見覚えのない若い女。彼女の美脚っぷりがまた冴えていて、実際彼女の美しい足を煽って撮るショットが多数用意されている。足を広げて立ち、ミニスカートの中を覗き込むように下から仰ぎ見るようなショットもある。
突然生理になったとウソをついてその場を離れようとする彼女を女戦士が引きとめて、そのウソを暴くためにレズビアン行為に及ぶ場面やら、庄田にホレていた、抱かれたかったとか言い出して、一糸まとわぬ姿さえも披露する場面やらもある。その言葉が本気なのか、ただ庄田を陥れたいだけなのか、全くもって推測不可能。
しかもそのハダカもまた、薄くふくらんだ胸と白磁器のようにのびる太ももとで、全くエロは伺えない。なんかもう、ホントにガラスのように無機質さ硬質さなんである。

執拗に繰り返される庄田への尋問、そして突然未来?に飛ぶ構成……白髪になった庄田と寄り添う妻、カメラマンが追いかけ、記者たちが質問を投げかける。しかしその質問が次第に庄田の答えを待つ気のない、不躾なものに変わってゆく。
しかもその質問をしているのは、庄田を脅迫していた女たちなんである。いよいよもってワケの判らない展開になっていく。そしてその言葉はずーっと、ずーっと、やっぱり“革命的言語”なんである。まるで裁判みたいに、彼の罪を暴いて絞首刑にまで持っていく。
罪?彼の罪って、なんだっけ……結局あのフィルムの中にも少女はいなかったんだし……まるで花いちもんめでもしているかのように、彼を取り囲んで数人の男女が横一直線に行ったりきたり。奇妙な無機質の完成形、美しいけれど、訳が判らない。もう、何もかもが難解すぎる。一体ここで、何が起こっているの。助けて!

彼らが響かせる足音ばかりが耳につく。最初はそれも印象的だったけれど、あまりに執拗に繰り返すもんだから……これが初見とは、それとも、全てがこんな感じなの?吉田喜重監督作品、再トライする勇気ない……。★★☆☆☆


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