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「も」


2007年鑑賞作品

殯の森
2007年 97分 日本 カラー
監督:河瀬直美 脚本:河瀬直美
撮影:中野英世 音楽:茂野雅道
出演:うだしげき 尾野真千子 渡辺真起子 斉藤陽一郎 ますだかなこ


2007/7/24/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
一週間経って思い出す今でも、うっと胸をつかれる。理由も何もないのだ。あの画、あの緑を思い出しただけで。ただ、もう、なんか……。
カンヌで二位となるグランプリを受賞した監督が、この作品は自信があると発言したのをネットニュースで耳にした時は、随分と傲岸不遜な感じがしたけれど、それを実際に体感した今となれば納得。この作品を超えたパルムドールがどれだけのものかと気になるぐらいなんである。

でも正直、今までの河瀬作品は苦手だった。だから今回、かなり観に行くのを躊躇した。苦手でも力があるのは判っているし、寡作の監督だから、久しぶりの作品を観に行きたい。それに、河瀬作品でデビューしたオノマチちゃんが、当時は大丈夫かなと心配しながらも見事ここまで女優として生き残って、そして実に10年たって、また河瀬作品の主演として迎えられた本作で、見事カンヌで大輪の花を咲かせたことへの感慨も大きかったから。

デビュー作は目にもみずみずしい緑が痛いほどだったけれど、語られる物語よりも、特徴的なカットのあまりの長さに、情けなくも自分の忍耐が切れてしまった。「火垂」では女のイライラするほどの得手勝手さがあまりに生々しくて、極端だろと、これも自分の忍耐が切れてしまった。
で、前作の「沙羅双樹」では、その忍耐に挑戦するがごとくの、待つことや逡巡することに肉薄したあまりに長い長い“間”と、監督の故郷へのあまりの思いが絡まって、なんか疎外感を感じてしまった。総じて、強いられたという印象ばかりで、どんな内容の映画だったか、殆んど覚えてない。
つまりは、いつも、「あまりの……」と思ってしまうのだ。自分の中の忍耐が切れてしまうのだ。自分の中で向き合える強さがなかった。便利な世の中に生きている私は、自然のありのままの姿を受け入れられないほどにぐうたらになってしまったし、あまりに赤裸々に見せられるものを直視することさえ出来ないほどに、見栄っ張りになってしまった。ということだったのかなと、今では思う。

今回、それがキレイに払拭されるほどに突き動かされ、慟哭してしまったのは、でもそれも自分が強くなったというよりはやはり、カンヌの受賞作であるという頭で観たからかなと、なんとなく自分の嫌らしさを感じなくもなかったけど、でもなんだか、河瀬監督は変わったような気がした。
そういえば、仙道氏と離婚してから、再婚、出産しただなんて、全然知らなかった。まあそれで変わっただなんて思うような単純なことを言いたくないけど、でもなんだか……自然が生み出す画の力や、そして演出の力よりも、ここにいる二人を信頼してカメラを回しているような気はした。その二人、しげきと真千子。そしてもう一人の主人公とも言える森。

相変わらずカットは長い。それは忍耐力のない長回し恐怖症の私にとって、まず強敵なんである。それに準じて、役者に任されるアドリブ的場面も数多い。これも、シロートのくせに勝手にハラハラしてしまうタチの私にとって、結構な強敵。
しかしここに、オノマチちゃんの成長を見て、なんだかそれだけで胸が熱くなってしまう。オノマチちゃんの、ネイティブ京都弁も嬉しい。それは、いわゆるメジャーな作品ではお目にかかることのなかったもので、彼女がここに還ってきたことをより強く感じさせてくれる。

なんかね、彼女が河瀬作品で見いだされ、その後女優を志して上京してきたとき、当の河瀬監督が結構心配していた感じだったのをどっかで読んだ覚えがあるのね。つまり起用した作品にはピタリのキャラではあっても、他で通用するのか、もしかして彼女の人生を狂わせてしまったのではと監督が心配したんじゃないかと、勝手に推測しちゃってたわけ。
でも10年経って、生まれてきた場所に彼女は堂々と帰ってきて、そしてその表情一発で観客の心を震わす女優へと成長していた。そのスタートを観ているこっちとしては、感動せずにはいられないじゃない。

でもそれは、彼女の相棒となる、これまた河瀬作品特有の素人さんの存在の大きさが、今まで以上に功を奏したからでもある、勿論。思えばオノマチちゃんもこうして、この作品のためのたった一人の人、として起用されたのだなと思うと、彼女がそれを体感して戻ってきた最初の人間だという感慨も強くなる。だからこそ、この二人の結束が何より固いものになるんだとも思う。
その相棒とは、深い山の中にある軽度の認知症のグループホーム「ほととぎす」で、今は亡き愛する妻の思いを抱いて生きるしげき。役名もご本人のお名前と同じである。なんかまるで、彼が本当にそんな境遇に立たされている人なんじゃないかと夢想してしまう。これも河瀬映画のマジック。

彼が妻を亡くしたのはもう随分前。恐らくこんな風に老いるまでは、表面上それなりに普通に生きて来られたんじゃないかと思う。でも髪に白いものが混じり、ボケ気味になると、もう死んでしまった妻のことしか思い出せない。子供もいないから、余計に彼女への思いも募る。
そこへやってきたのが、オノマチちゃん演じる新人ヘルパーさんであった。彼女の役名もそのまま真千子。しげきさんの妻の名前は真子だった。習字の時間、自分の名前を書く真千子の隣で妻の名前を書いていたしげきは、隣の真千子、の千、を消した。そして更に、筆でグシャグシャと消してしまった。戸惑い、というより、驚き、いや、それよりも、衝撃、ひどく傷ついた顔をした真千子。確かにそれは、ちょっと観ているこっちからしてもショッキングな画だった。だってそれはまるで、“真千子”を否定しているみたいだったから。
実際、真千子は自分を否定したがっていたのかもしれないという感もある。自分の目の前で幼い子供を死なせてしまった過去を持つ真千子は、心を閉ざしていたから。

という、キャラ設定や筋立てはあるにしても、実は何が起こるわけでもない。言ってしまえば、しげきと真千子が森の中へ迷い込み、ひたすら歩き、そしてしげきさんがここが妻の墓だと、そこへ帰るんだと、土を掘り、そこに横たわる。それでエンド。
そんなところに妻の墓があるわけもないし、いわばボケかけているしげきさんの徘徊に付き合っているようなもの……と言ったらホントミもフタもないんだけど、観ている時にはそんな無粋なことはひとっつも頭に上らないことが、後から考えればとても不思議だった。私みたいな無粋な人間だったら、そんなこと思いそうなものだったのに。

そこに至るまで、しげきさんと真千子の信頼関係が出来上がっていたからなのかもしれない。
真千子は部屋のゴミ集めをしていた時、しげきさんの大事にしていたリュックサックを持ち上げたら、彼から凄い勢いで奪い返されて、突き飛ばされた。いわば、この施設での手痛い洗礼を受けた。先輩の和歌子は「こうしゃんなあかんってこと、ないから」となぐさめてくれた。それは、猪突猛進型の先輩が恋人から言われた言葉だと、テレながら教えてくれた。
ケガをした真千子を送っていく、渡辺真起子との車中のこの会話シーンもイイ。ここにもある程度アドリブ要素は入っていると思われるけれど、自信をなくしかけた真千子への心強いサポートとして、この作品の安心感を支える大きな礎となっている。

それに、しげきさんは、ボケ気味だからなのか(なんて言っちゃいけないんだろうけど)、この事件があったからといって真千子に警戒心を抱くということもなかった。
恐る恐るホームに戻ってきた真千子の目に飛び込んできたのは、無邪気に木に登る彼の姿。そして、広大な丘の畑の中で、無邪気に真千子と鬼ごっこを楽しんだ。最初のうちはどこかつき合ってる風だったマチコが、いつしか本気で童心に帰ってしげきさんとおっかけっこをしているのが、観てて判って……なんだかこのあたりから涙腺がアヤしくなってきた。
だって、まるで時間が止まっているかのようなこのひたすらな緑、緑、緑、人工的にしつらえられた丸い畝さえも、すっと心に入ってきて、なんだかわけも判らずに心が揺さぶられてしまうのだもの。

そして次のシーンでは、真千子としげきさんが二人、小さな車に乗って外出するところなんである。
特に行き先は示されない。ただ、しげきさんが真千子を信頼してくれて、外出に彼女を伴わせたという趣である。和歌子は心配そうな顔をしながらも、行ってらっしゃい、と笑顔を見せ、何かあったら連絡するのよ、と真千子に言い含める。
この時点では真千子はこの旅が、それほどまでに大きな意味を持つなんて、思ってもみなかった、に違いない。その表情を見る限りでは。
でも和歌子は、それを感じ取っていたんだよね。多分、しげきさんがそこまで心を開いてこうして外出するなんて、初めてのことだったんじゃないだろうかと思われるから。

そしてここからは、ひたすら森の中をさまよう描写である。車がぬかるみに足をとられて動けなくなり、真千子が助けを呼びに行っているすきに、しげきさんは姿を消した。
この時点ではしげきさんは、真千子をどこか遊び半分に困らせるために行方をくらましたみたいな感じがあった。真千子は泣きそうになりながら必死に探し回って、畑のカカシの影にしげきさんを見つける。それでもまだ彼女から逃げ回るしげきさん。
その手に畑で盗んだスイカを手にしてて、そして彼女の追跡に転んで、スイカが割れてしまう。真っ赤に割れたスイカの実を頬張って、ニッコリ笑うしげきさん。追いついて息を切らせて、「どれだけ走らせんのよ」としげきさんの膝を軽く小突く真千子の口にも、スイカの破片を頬張らせる。
思わず目を白黒させる真千子だけれど、走り回って乾いた喉に瑞々しい赤いスイカはいかにも美味しそうで、「美味しい」とニッコリとする。あの最初の追っかけっこからまたぐぐっと二人の距離が近づいた場面。

こんな具合に二人の距離は、具体的な場面を伴ってグイ、グイと近づいていく。これは今までの河瀬作品にはなかったことじゃないかと思う。誤解を恐れずに言えば、今までの河瀬作品は、どこか漫然としてた。ジリジリと見せる感じだった。でもたった二人の道行で展開される本作ではそうはいかないのだ。
そして次の象徴的な場面、ドンドコ先を行くしげきさんを追いかけていく真千子が、唯一、行かんといて!と声を振り絞る場面。
しげきさんが沢を渡ろうとする。彼女の目にだけは、つまり観客にも見せられるのだけれど、ここにはない激流が映し出されてる。そのことで、彼女が子供を失ったのは、水の事故であったことが推察されるんである。

夫との話し合いの場面がちらりと示されるのだけれど、そこでは夫が一人涙を流して、「なんで、手を離したんだ!なんであの子が死ぬんだ……」という台詞しか示されなかった。彼女はただうなだれて、「ごめん」としか言えないでいた。手を離した結果、子供が死んだ。それはどういう状況でだったのか、ここで初めて明らかにされるのだ。
この場面での、声にならないほどに絞り出される真千子の、オノマチちゃんの声にならない絶叫に、別にその場面が再現されるわけでもないのに、あまりに、あまりに取り残されることへの、恐ろしい場面を思い出してしまうことへの恐怖がぶつけられているもんだから、もう理屈なく打たれてしまって、そこからひたすら涙が止まらない。なんていうのか……突き上げられるっていうのか。

そういえば、ホームでお坊さんの説法を聞いている時、お坊さんからうながされてしげきさんの手に真千子が手を重ね合わすシーンがあった。その温度が伝わっている、それが生きているという実感なのだと、お坊さんは言った。
しばらくそうして手を重ね合わせていた真千子だけれど、そのまま説法が続いていく途中、そっとその手を外す。それがね……なんだか真千子が何かを怖がっているような、そんな風に見えたのだ。まだしげきさんとの信頼関係を構築できてない、というより、真千子自身がまだこのホームでの身の置き所をつかめていない時で、そしてその手の記憶が頭にこびりついていたのだけれど、彼女が何をその手に思っていたのか、その時にはまだ、明らかではなかった。

実はそのシーンに至る前から、かなりヤバかった。二人の道行き、閉ざされていく森の緑、二人を映し出しているってことは、そこには確かに撮影隊がいる筈なのに、それを全く感じさせないのだもの。
厳しく優しい森の色が、やわらかな光や静けさが、そしてなぜか感じてしまうひんやりした温度や湿り気が、身体の奥からグワァッと掘り起こす、突き上げるものを感じさせて、ワケもワカラン涙がこみあげてきて、なんなん、コレ!?と震えるばかりなのだ。一体なんなんだ、コレは……。
思えば「萌の朱雀」から、緑の力を何の疑念もなく描き続けてきた河瀬監督だもの、そうだよな、それは当然のことだったに違いないのに、そのことにだけ集中して突き付けられると、そしてきっと私も年をとって、土に還る、ということがそう遠くは感じられなくなってきているから、自分の中の、生物の還る場所を探し始めているから……きっと、グッときてしまったのだ。

しげきさんはピアノを弾く。施設の自室にも、アプライトピアノが置かれている。今は亡き若き妻との連弾の回想や、森の中に突如現われた彼女とのダンスのシーンなどが用意されている。
今までの河瀬作品ではちょっと考えにくかったんではないかと思われる、100パーセントツクリモノである回想シーンは、しかし彼女の自信の現われのようにも思える。実際、全編ドキュメンタリチックで描かれるにもかかわらず、こうしたフィクショナルな挿入が、だからこそ息もつけるし、非常に美しいシーンとなってる。
とにかくリアルで生々しかった河瀬作品が、人生にも確かにあるフィクショナルな要素、それこそが輝きを与えることを余裕を持って示しているようで、やっぱり変わったな、と思う。

それにしても、しげきさん。この年齢とは思えない健脚。もうざっくざっくと森の中を進んでゆく。
こんなことを言っちゃダメなんだろうけど(ってばっかり言ってるな、私)、多少ボケてるから、自分の限界が判らないの?と思ったり。
しかし、揺るぎない目的に向かって疲れも知らずに歩いていく彼は、憑かれたような驚異的な求心力がある。
しかしついに力尽きて、一夜の宿をとる場面がまた、印象的なのだ。
宿ったって、当然ただただ森の中、ちょっとしたスペースを見つけて火をたき、暖をとるだけしか出来ないのだけれど。
寒さに震えるしげきさん。これまでは、そんな弱々しい姿を見せたことは一度もなかったしげきさん、決してその震えは寒さだけのことではないと思われる。
真千子は、大丈夫だよ、大丈夫だよ、と言って、彼の濡れた服を脱がせ、自らも裸になって彼を後ろから抱き締める。
オノマチちゃんのイメージにないってこともあったけど、衝撃であり、感動であった。
ああ、まさに彼女はここに、女優として戻ってきたんだなと思った。

そして、朝になる。またひたすら歩き出す。もう体力も限界に来て、なんだかゴールがもう少しで現われるような予感がした時、突如として、何百年もの歴史を持つであろう大木が目の前に現われる。
空へと伸びる途中で哀しく立ち枯れていて、もう、もうその木が生きてはいないことは見ただけで判るのに、なぜか、なぜだか、理由もない、ただそれを瞳に映すだけで涙があふれる。観客も同じ。なんで涙が出るんだろう?と思う観客の気持ちを代弁するかのように、オノマチちゃんも涙を流してくれる。しかもクライマックスはこの先にあるのだ!!

二人を探しているんだろうヘリコプターの音。その音に一瞬、安堵の表情を浮かべる真千子だけれど、しげきさんはそんなことにはまるで頓着せず、どんどん進んでゆく。
そして、ふと、立ち止まった。ここ、と示された場所には小さな杭。猛然と土を掘り始める。真千子が替わりに背負っていたリュックサックから中身を取り出す。あ、そうそう、今までは決して他人に触らせようとしなかったリュックサックを、今ではこうして真千子に替わりに背負ってもらっていることからも、しげきさんがいかに真千子を信用するようになったかが判るんである。

その中から取り出された、妻が死んでから33年間を綴った日記帳。そして、オルゴール。
小さなオルゴールを真千子に手渡し、しげきは浅く掘った土の上に胎児のように丸まって目を閉じる。気持ちいい、気持ちいい……そう言って。
真千子はただただ涙を流しながら、小さなオルゴールを手動で回し、空にかざす。光さえも届かない、うっそうとした、ただただ純粋な深い緑の中で、響き続ける。
このラストをどうとらえようかとか、意味はとか、そんなことを考えることさえヤボなような気がして、ただ目の前に起こっている森の奇蹟が、ああ確かにこれが奇蹟なんだと思う。

森なんて、怖くて、行きたくない。ちっとも、癒しだと思わない。この中で、迷って迷って、死ぬなんて、絶対イヤだと思う。思ってた。
確かにここで示される森は、厳しい自然の姿として人間の前に厳然と立ちはだかるんだけれど、でも神様に召される直前のしげきさんにとっては、そこにはただただ示される光の道があるように見えた。
そうなる時が待ち遠しい気もするし、でもやっぱりまだ怖い。
まだまだ人生のヒヨッコだから、まだまだあがき続けたいから。★★★★★


森鬼 (乱姦調教 牝犬たちの肉宴)
2006年 65分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:小松公典
撮影:創優和 音楽:與語一平 菅原陽子
出演:青山えりな 朝日かりん 倖田李梨 吉岡睦雄 松浦祐也 小林節彦 サーモン鮭山

2007/7/10/火 劇場(ポレポレ東中野/R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.3/レイト)
監督は現場で何もしないと散々言われ、それに対して「僕は現場の食事係です」などと寡黙に語る竹洞監督だけど、でもやっぱり、竹洞作品には何かがある。とりあえず機会が少ないながらも今まで出会った中にハズレはないもの。
ハチャメチャでもさわやかでも、そして今回のようなホラーチックのようなものでも、ハズレない。守りに入っているとは思えないのに、きっちりと完結している。それもピンクというカテゴリの中で。やっぱりこれはスゴイと思う。

そう!ホラーとは思わなかった。しかし上映前に挨拶に立った役者陣、松浦氏から主演の吉岡氏に対して、あの演技はどうかと思うと言われ(!)それを受ける吉岡氏も「主演だと思って頑張りすぎた」などというものだから、不安半分、期待半分で見始める。
最近はピンク男優といえば吉岡睦雄の時代と思うほど、観る作品観る作品彼が出ているけれども、そう言われてみりゃあ、彼は常にヒロインの相手役であり、主演ではないのだった。まあ、女優が主役のピンク映画だから当然といえば当然なのだが……しかしこれは確かに、彼が主演と言っていい作品なんである。
表向きは青山えりな嬢(この日のニ作品めのヒロインで大いに瞠目)なのだけれど、彼女はこの“森鬼”に対してひたすら受け身になるしかないし、女を襲っては陵辱しまくる二重人格の狂人、伴幌男こそが主演に他ならないのであった。

しかし劇中で伴幌男なんて言っていたかしらん。単なる、富士樹海に住み着く名もなき狂人という感じだったけど。そう、これ、富士の樹海でのオールロケ。役者がロケの壮絶さを語らなくても、見て判る。もういかにも寒そう。
荒涼とした風景の中にはマジな雪が降り、その中で、何たってピンク映画だからハダカになってカラミもするわ、そして狂人から薄着で逃げ回るわなんてシーンはてんこもりなんだもの。いくらピンクだからって、そしてダブル不倫の果ての最後のセックスだからって、あんな寒い場所で(だって息が真っ白だよ!)ヤらねえだろうと思うのだが……寒くて集中できなくて縮こまっちゃいそうじゃん(何がって……そりゃまあ、ねえ)。
でもそんな壮絶な風景だからこそ、セックスもなんだか壮絶っつーか、俗味がなく、荒涼としてる。本作の中でエロな気分になるカラミシーンはないと言ってもいい位。ラスト、何とか逃げ出したカップルがカラみあうシーンはあるけれど、彼女は相手の顔にあの森の鬼を見、そしてあの恐ろしい森に帰ってしまうのだもの!!!

って、またオチまで言っちゃったよー!
でね、その問題の吉岡氏である。確かに彼が「頑張りすぎた」と言うだけのことはある怪演っぷり。樹海にさまよう女を追いつめ、「トゥーッ!!!」だか「キョゥーッ!!」だか判んない奇声を、顔を縦にゆがめて絶叫する登場シーンは、あまりに予想外な叫びに劇場から笑いが漏れたけれども、その後も確かに微かな笑いの味はどこかに含まれているんだけれども、この狂気の男を全身全霊で演じてて、ゾクリとさせる。
彼の顔って、特徴があるようでないようで、これまでは(まあ、私が観ることが出来る限りでだけど)それがダメ男の方向につながっていたと思うんだけど、そしてそれが女の子を苛立たせたりあるいは癒したり、何より女の子に主導権を握らせるってことが大きかったんだけど、それが彼に主導権を握らせる方向に使うと、こんなにブキミな存在になるんだということに驚愕する。マジで怖い。

で、なんかさらりとネタバレ言っちゃったけど、二重人格ってことなんだよね。盲目的に愛した女に捨てられて、その女を心の中に住まわせることによって心の均衡を保っている男。
恋人が彼に書き残したのは、「私より耐えられる女を捜して」それだけ彼が愛と欲望を相手に押しつける男であったことを、このひと言で言い現わしている。それは彼への非難に他ならなかったのに、彼はそうとはとらなかった。女をあさり、陵辱を尽くした。本当に「耐えられる女」を捜すことが、彼女への愛だと思ったのか、あるいはそんな女はいないことを感じ続けることによって、恋人への愛を再確認していたのか。

ついたてに浮かび上がる女の影や声、そして女の格好で内なる声を喋る彼に、否応なく「サイコ」のノーマン・ベイツを思い出すんである。あれは母親でありマザコンであることこそがキモチワルサを倍増していたけれど、それをピンク版に移すとなるほど、こうなるんだと思わせる。
愛した女に全てを求める彼は、息子の母親に対する欲求そのものだし、「サイコ」がキモチワルかったのは、この母子の間にそうした禁断の関係を感じたからこそだったんだもの。彼は女に逃げられて「サイコ」のように殺人鬼になることはなかったけれども、女を襲っては陵辱する描写は、「サイコ」でモーテルに泊まったマリオンを殺す場面を思い出さずにはいられないし、モーテルという閉塞感と樹海のそれ、作品中を覆っている緊迫した雰囲気はまさにそのものなのだもの。
でも実際は、本作は「バーニング」からインスパイアされたというんだけれど。うーん。そうなのか。私観てないんだよなー。

「作品中のアザは、全部リアルです」とえりな嬢が語っていた通り、首に縄をつけて引きずりまわし、つながれた鎖に引っ張られながら這いすがるえりな嬢の体当たり演技には心動かされる。彼女に関してはこの日二本目に観た作品で本格的にキュンとホレちまったが、久々に「キた!」と思わせるピンクの女優さん。
カラミのシーンで、つまりこれは陵辱で、彼女は恋人を探しにこの樹海に来たのだし、こんなキ印男にいいように扱われるのは不本意であるわけで。でもそういうシチュエイションでもピンク映画だと、カラミとなると最早そんなことは関係なく感じられるのが、まあエロを期待して観つつも歯がゆいところではあったんだよね。

でも本作の彼女はそのあたり実に巧みで、エロと積極性を巧みに残しながらもちゃんと(っていうのもおかしいけど)、イヤそうなんだよね。特に唇を避けまくって、舌入れにものすごくイヤそうな表情を見せるのが、もうその一点だけで、この状況の女をリアルなものにしているのが素晴らしいんだよなあ。
あのね、これが案外、“最後”を突破されるより、唇の貞操ってのは、重要よ。彼女、唇がぽってりと実に魅力的で蠱惑的で、キスしたくなるようなイイモンもってるからこそ、嫌がるのが、まあちょっと逆にそそられるというか……いやいや!リアルなのよ、女としてね。それがちょっと、嬉しい気がした。

でも、女というのはおかしなものである。探し続けた恋人も見つかり(この狂人男に捕まってた)、狂人男の中に眠っていた女によって恋人がヤラれそうになるという危機も脱し、何とかこの樹海から抜け出して幸せを取り戻したのに、あの恐ろしい場所に戻ってしまうのだから。
ていうか、この樹海から抜け出せたというのも、どこか夢のような雰囲気があるんだよね。底知れぬ力を持つこの男とのバトル、恋人が捨て身で体当たりをくれてもろともガケから落っこちた……と思いきやカットが変わり、この恋人と同じベッドで目が覚める彼女、というシークエンスは、これは「北北西に進路を取れ」ですかあ?などとまたしても無粋にうがっちゃったりして。

途中木に引っかかって助かった、という恋人だけれども、なんかね、現実味がないんだよね。目を怪我してボクサーを引退せざるを得なくなって、恋人の存在もうっちゃって死のうと思った彼が「これからはお前を守るから」なんて台詞、どう信頼していいのって感じだし。そりゃまあ、二人してあんな狂った男から逃げ出したって気持ちは勿論あるんだけど……。
彼女が、恋人とのセックス最中、“森鬼”の姿を見、そしてラスト、森の中に自ら戻っていくラストは驚愕である。ホラー仕立てになっている本作は、怯える彼女に男が首を締めようとする手の影が黒々と襲い掛かってくる、というビジュアル的にも洗練されたホラー場面が数多くあるんだけど、ラストの、懐中電灯に照らし出された、目を大きく見開いて口元を口避け女もかくやと思うほどにニッカリと引き上げたえりな嬢は格別に恐怖で、そして蠱惑的で、美しい。つまり女は、陵辱、征服、そして真に愛されたかったのかもしれない、という結論だろうか。

唯一の食事として出てくるイチゴにかかっているのはコンデンスミルクのように見えるけれども、恐らく女の膣に一度収められた精液……うえええ。んでもって、えりな嬢という替わりが来たために解放された女が、この森鬼と共謀しているオッチャンに引き渡され、更なる地獄に引き渡されるのにもゾッとする。緻密に心理的描写が張り巡らされてて、縦横に暴れまくる吉岡氏にも唸る一品。

あ、そうそう、原題が、データによって“肉宴”と“調教”と分かれてるのがちょっと気になるところなのだけれど。うーん、どちらが本当なんだろう。★★★☆☆


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