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たとえ世界が終わっても Cycle soul apartment
2007年 分 日本 カラー
監督:野口照夫 脚本:野口照夫
撮影:安田光 音楽:花澤孝一 玉城ちはる
出演:芦名星 安田顕 大森南朋 平泉成 白川和子 小市慢太郎 稲葉信隆 夏生ゆうな 黒田大輔 熊谷知花 永堀剛敏 漆崎敬介 佐藤隆弘 市川佳代子 阿知猶康 ぼくもとさきこ 高橋孝輔 松田信行 瀬戸弘司 元田牧子
ヤスケンのキャスティングに関しては、やっぱり東京事務所であるアミューズがいろいろ売り込んでいるのかしら、と思ったら、監督へのインタビューでこんな嬉しい話があった。
この長田という役は、本当にずっと決まらなかったんだという。短期間で恋愛にいくから、ある程度の二枚目でなくてはいけない。あくまである程度。うーん、確かにヤスケンだ……。
監督がタレント名鑑を破れるほど探しても、ピタリとくる人が見つからなかった。ダメな、食えてないカメラマンだから、ただのハンサムではなくて、隙がある、親しみやすい人。二枚目の人が作ってやっている演技は見たくない。短期間で真奈美の気持ちを変えられる優しさオーラを出している人。ヤスケンだ、ヤスケンだ……しかし監督は一体どこで?
と、思ったら、「普段は見ないドラマだけど、ふとテレビをつけたらやっていて」それって、「ハケンの品格」のこと?監督は、これだって思った、と。翌日プロデューサーに「(長田を)見つけました」と言ったという。って、なんかもう、感動。 やっぱり出ることによってつながるんだね。だって、まさしくこのキャラ、監督の説明する長田って、ヤスケンそのものなんだもの。
しかして、実は前面に出ているのは、大森南朋なんだけど。
確かにヤスケンはヒロインの相手役という趣はあれど、確かに主役には違いなかったんだけれど、最初から最後まで、狂言回しである大森南朋が弾けまくっている印象が強い。
彼が主役じゃないかと思うぐらいである。
大森南朋演じる妙田は最初、自殺サイトの管理人として出てくる。皆で集団自殺しましょう、という主宰者である。そこにヒロインの真奈美が参加するんである。
しかし妙田自身に自殺する気があるのかどうか疑わしく、ドラマの最終回が見たいだの、ボウリングでパーフェクトとりたいだのとゴネはじめ、最終的に真奈美の他の二人は死ぬ気が失せてしまった。
しかし真奈美はしつこく死にたいと思ってた。そして死んだ!と思いきや、目覚めたのは早朝の会社。机に突っ伏していた。訳も判らず屋上に駆け上がって、死んでやる!と思ったそこへ、妙田が現われた。「あの頃は死にたくない、死にたくないって散々騒いでたくせに。勝手なもんですね」そして、この場所へ来てほしい、とメモを渡される。
そこは、妙田荘なるボロアパート、彼はそこの管理人なんである。
つまり、自殺サイトとアパートのダブルミーニングである管理人。上手い。
この妙田のキャラに関しては、「白衣で頭がボサボサで、真顔が笑える人。でも二枚目にも見える」という、それは大森南朋しかいない、と監督の信頼は実に厚いんである。
妙田が真奈美に紹介したのは、長田だった。どうせ死ぬなら、人のためになって死なないかと。長田は肺ガンに侵されていた。親から勘当され身寄りもなく、手術も受けられない。だから彼のために偽装結婚し、死んだ後の受け取り名義人を彼にしてくれというんである。
そうしたら、苦しまずに死ねるクスリをあげますからと。魔法のように、全く苦しまずに死ねるクスリを。
妙田は、「ちゃんと、受け取り人をお母さんから長田君に変えてくださいね」と言った。
真奈美は、死んだ母親と同じ病気にかかっているんである。
そして、結婚の証拠を残そう、と記念写真を撮るために連れ込まれたどこともしれない草原に、二人は取り残された。「新婚旅行」だと称されて。
はじめは戸惑っていた二人だけれど、段々とその距離が近づいてゆく。
この妙田、なんか神の視線って感じなのね。劇中、長田と真奈美はたどりついた旅館がひと部屋しか空いていないことや、いやそれ以前に列車が事故で遅延して東京へ帰れなかったことさえも「全部妙田さんに仕組まれてる気がする」「ありえる」と頷き合うぐらいであり、つまりこの二人は、妙田という神の掌の上で踊らされている、という気分がなきにしもあらずなんである。
でも二人はそれを不快に思うこともなく(真奈美の方は最初、かなり疑心タップリだったけど)、だからこその純粋な思いを抱くことが出来るわけで、そこには何の打算もないのだけれど。
それに、“全く苦しまずに、魔法のように死ねる”本当にそんなクスリを持っていたんだろうか。それこそウソだったんじゃないかとも、後からにして思う。
そして、真奈美と長田は、長田がもう20年も離れていた実家を訪れることになる。それは真奈美が強く押した。妻として、一緒に行く、と。
大森南朋は、監督にとって安心してその場を任せられる俳優、という感じが伝わってくる。
どことなく、劇中の役者たちの現場監督的立場、というか。彼が回している感じが凄くするのね。それはキャラはもちろんなんだけど、それ以上の部分で。
なんかそれって面白い立ち位置だなあと思うし、スクリーンの外ではなく中にそういう存在がいるからこそ、まだまだスクリーン慣れしていない役者たちが安心して芝居が出来ている気がするのだ。
余命いくばくもない、という設定自体、そのまんま陳腐になりかねない。
それに、ネットで仲間を募っての集団自殺という導入部も、一時期騒がれたし、映画にもなった(「自殺サークル」、「猥雑ネット集団 いかせて!!」)けれど、今の時点では、少々古い話題のような気もする。もちろん解決されているわけではないし、解決されていないのに古い新しいと断じてしまうことこそ、問題なんだけど。
でも、真奈美は余命いくばくもないというわけではなく、ガンになっただけなのに(という言い方もよくないのだけれど、この後の展開上許してね)、世をはかなんで集団自殺に加わり、その主宰者の手引きで出会った長田こそが、余命いくばくもなかった、というのは、なかなか凝った設定であるのだ。
いや、長田の方も、余命いくばくもなかったわけではない。お金さえあれば手術を受けて、生きる望みをつなげられる。でも若い頃夢を語って家を飛び出し、その夢では食べていけずにこんな病気になってしまった彼は、今更家に帰れるわけもなく、夢も失い、ただただ死を待つしかなかった。
そんな彼も、まだまだ生きられる筈の彼女も、“神”にとっては実に歯がゆい存在だったに違いない。
妙田は、前世が見える人。前世でお世話になった人を待っていた。その人たちを「妙田荘」にタダで住まわせて、恩を返していた。
その記憶がある人には、「お久しぶりです」と声をかけた。そんな事情は知らないから、冒頭、集団自殺のメンバーが集まった時、真奈美にそう声をかけた時、この集団自殺に彼女は以前なにがしかの理由でリタイヤか中止して、今回再チャレンジなのかと思ってた。
当然、そんな具合だから、妙田に決行する気などあるわけはない。
韓流ドラマの最終回を見たいからと言い、お腹を満たしにラーメンを食べに行き、一度でいいからボウリングでパーフェクトを出したかったと散々に彼らをつれまわすんである。
でもそうやって、「太るのが怖くて出来なかったけど、一度真夜中にラーメンを食べてみたかった」という女の子の願いを叶え、「夜のラーメンってこんなに美味しいんですね」と満足感を与える。そしてボウリングのパーフェクトゲームに巻き込み、しかしそれは惜しいところで達成されず……つまり、この先を見たいと思わせる。
ボウリング場から出た時、バンには妙田と彼女の姿しかなかった。
つまり、彼らの中にあった生きたいという気持ち、ほんのちょっとした希望を妙田は巧みに引き出したのだ。
それは、「二人は(ここに戻って)来ませんよ」と言った真奈美にも判っていた。判っていたということは、それがそれほど難しいことではないことを知っていたに他ならないってことなのだ。
むしろ、生きることを諦めたくないと最初から思っていたのは、長田の方だった。
だから、最終的に彼が、そんな希望を妙田から与えられる前にリタイヤしてしまった女によって死んでしまうのは、皮肉としか言いようがないのだが。
あっ、ごめん、いきなりオチバレ。そう、この女、集団自殺の待ち合わせ場所に行く途中まで、真奈美と一緒だった。結婚の約束を交わした男から捨てられた女。しかし電車の中で携帯にかかってきたのは恐らくその元カレからと思われ、待ち合わせの駅で彼女は降りることはなかった。
この、赤づくめのキーパーソンを演じるのは夏生ゆうな。相変わらずワザとらしい演技をする。なんか彼女の演技には居心地が悪くなっちゃうんだよね。ちょっと、ないよなあ、って感じの、コレモンの演技をするもんだからさあ。
まあ、こんな理不尽な女には、確かにハマッていたのかもしれないけど。携帯にジャラジャラストラップをつけているのも、ルーズソックス時代の女子高生って感じで微妙に古いし。
真奈美を演じる芦名星は、少々固い感じは否めない。ただ、その固さと、手練のヤスケンのテレ気味のキャラ作りがあいまって、なかなかに妙味のあるハーモニーを奏でている。
ヤスケンはテレ気味になると、こういうちょっとシャクシャクした喋り方になるよね。登場シーン、妙田に命じられて玄関の掃除をしているシーンなんかも、なんか彼らしい下っ端な雰囲気。
写真をやりたくて、家を飛び出して10数年、自費出版の写真集など出してみたけれどなかず飛ばず。そんなキュウキュウのところで、病気が発覚してしまった。手術する金もない。今更実家には帰れない。治せる病気なのに、ただ死を待つことしか出来ない。
そして真奈美の方は、母親を死に追いやった病気に自分もなってしまったことで絶望して、治療をする気にもならず、死のうとしている。
そんな二人は、前世、深く愛し合った夫婦なのだという。妙田は二人が前世を思い出すのを期待して引き合わせるのだが、それは叶わない。ただお互い、イヤな感じはしない。どうせ死ぬ気なら、彼に保険金を残すために偽装結婚しろ、という提案を、最初拒絶していた真奈美が受け入れたのは……長田になにがしかの安息を感じたからに違いない。
ただ……どの時点からかは判らないけれど、恐らく真奈美は、死にたくない、と思っていたに違いないのだ。それは長田と出会ったからなのか、彼と共に生きていきたいと思ったからなのか、そうでなければ、彼と両親の仲を修復するためにと実家を訪れることなどすまい。
全てをいい方向に導こうと、彼女は思ったんじゃないのか。彼も生きる、自分も生きる。この偽装結婚をホンモノにしようと。母を亡くしたことで天涯孤独になった彼女にとって、息子の嫁を心から喜んで迎え入れてくれた彼の両親は、本当に本当に、幸せな出会いだった。その別れには、涙を流して手を振り続けた。
“世界一のテレ屋さん”であるお父さん、演じる平泉成が凄くイイのよ。泣かせる。「この年になってマトモな稼ぎもない。お前の人生は60点だ。こんな女の子をつかまえられたんだから」
イイ台詞だ。
だってお父さん、真奈美にメロメロになっちゃってんだもの。ベロベロに酔っぱらい、「オレとお前とどっちが真奈美さんにふさわしいか、勝負だ!」などと相撲を挑んだりしてさ。
そしてお母さん「おじさんになっちゃって!」と息子を涙で迎え入れる。この台詞もイイ。
息子にとってはいい嫁さんを連れて帰ること、あるいは息子じゃなくても伴侶を連れてくることは、最大の親孝行なのだね。
……耳が痛いなあ。
人間ってのは、ワガママなものなんだよな。でもだからこそ、しぶとく生きていける。
真奈美と二人、駅についた長田は、あの赤づくめの女がホームの端をフラフラ歩いて……つまり死ぬ気マンマンでいたところを助けようとして飛び込んで……彼の方が死んでしまった。
皮肉にも、この赤づくめの女の方は、一命をとりとめた。
長田の死に涙を流す真奈美に、「たくさんの死を見てきたから判るんですけど、たった一度の死で人の命をどうこう言えるほど、命って単純じゃないですから」と言い放つ妙田。あなたに哀しむ資格はない、と妙田に辛らつなことを言われても、それでも真奈美は、彼の撮った写真をご両親に見せたいと思い、彼の全ての荷物と、そして彼女自身を、長田のふるさとへと運ぶんである。
長田との仲は、あくまで偽装結婚。そのことでご両親にウソをつき続けるのは辛いけど……と言う真奈美だけど、その顔はハレバレとしている。そんな彼女を見透かすように妙田は、「美しいウソならいいんですよ」と言う。もう真奈美にとって長田への思いはウソではないことを、見透かされているんである。
過去に縛られるのはイヤだけど、前世の運命はちょっとステキな、気がする。
妙田はもしかしたら、長田の死までも、見えていたのかもしれない。だって、妙に冷静だったもの。
あの“新婚旅行”の途中、長田と真奈美は、少年たちとサッカーに興じるのね。
そこで長田はカメラを取り出し、様々に写真を撮り、そして問わずがたりに真奈美に話し始めた。
カメラに夢中になっていた少年の頃には見つけられなかった、四つ葉のクローバー。
「四つ葉のクローバーを見つけられたら、永遠に好きでいてあげる」恋をした少女はそう言った。でも、見つけられなかった。
「これまでもどうしても撮れない写真ってありましたけど、その最初の一枚でしたね」そう、長田は述懐する。
長田のカメラに興味を示したサッカー少年が、グラウンドの隅で彼を手招きする。何かを見つけたようだ、というのは、この時点ではまだ、知らされないけれど、推測通り、四つ葉のクローバーだったのだ。真奈美のいる場所でそれを見つけたのは、“永遠に好き”という気持ちを、彼女に託したということか。
カメラに夢中だった少年時代の自分に渡すように、古いカメラを少年に渡した長田。
真奈美はこの後も生きていくだろうし、恋人が出来たり、結婚もするかもしれない。でもそれとは違う意味で、前世からの運命、いわば人生の同志、なのだよね。
ラスト、長田の机の上に手作りの写真集がおかれている。長田のカメラに残されていたフィルムに写った、この時の写真だ。
真奈美のイキイキとした笑顔が数多く映し出されてる。長田が彼女の笑顔に見とれていたかのように。いや、それそのものに違いない。
そして、最後のページに、四つ葉のクローバーが映し出されているのだ。
涙を流しながら、しかし笑顔でそれを見つめる真奈美。
“偽装結婚の証拠写真”どころか、この死の間際の出会いの永遠を運命付ける。
後から示される、といえばもうひとつ、キュンとくる場面が用意されているんである。
くっついて敷かれている布団にテレながら、「やっぱり、近すぎますよね」とふと長田が起き上がる。彼女も起き上がる……と、何か引き寄せられるように、二人は顔を近づけ、唇が重ね合わされる。
本当に、ふと、引き合ったような、かすかなキスシーン。本当にそれだけで、その後があるわけではないんだけれど、これが時間差で、最後に示されるのが実に効いている。
旅の終わり、つまり長田が死ぬ直前、二人の距離がぐっと近づいたように、そう、まるで本当に恋人、いや夫婦のように見えたことに説得力が加えられるのだ。
より心にグッとくる効果がある。
真奈美が痩せていくのを心配している上司に小市さん。なんでこういう老け気味の役が多いんだろう……。白髪もウソでしょ?彼自身はまだ30代なのに、50代っぽいよね……上司だし。
それにしてもこの映画、ナックスファンばかりが押し寄せることにならないことを祈る。
舞台挨拶の即完売や、サイン入りグッズがもらえるリピーター割引きがあっという間に終了したのも、恐らくナックスファンによるものだと思うしなあ……。
実際、私が観た日、台風が襲来した日でガラガラだったけど、エレベーターで一緒になった女の子二人連れも、「以前、「エンマ」を観にここに来た(正確には、同じ建物の、Q−AX)」と言っていたしなあ……。★★★☆☆
しかし、思いも寄らぬことが。死んだ夫の携帯にかかってくる、知らない名前の女からの電話。夫の死を告げると、動揺した声を出す「会社でお世話になった伊藤昭子」に、敏子は胸騒ぎを覚える。
毎週木曜は、「杉並蕎麦の会」で、蕎麦打ちの講習に行っているはずだった。しかし線香をあげにきたその会の代表は、ここ最近、関口さんは来ていなかったですよ」と言うのだ。
夫は愛人を作っていた。しかもその愛人の娘夫婦が蕎麦屋を始めるに当たって、500万という大金を融資していたことも後に明らかになる。しかもしかも、その蕎麦屋を「一緒にやっていた」というんである!
浮気はバレずにやるべし。死んだ後までバレないようにやるべし。
愛人と携帯で連絡はとるべからず。愛人に大金は渡すべからず。その家族と顔見知りになるべからず。
ましてや、一緒に店をやるなどと!
しかも蕎麦打ちを一緒に習った仲間たちにも、その場所をバラしているなんて言語道断。……だってね、彼の偲ぶ会をやるっていうその場所が、彼が通っていたこの蕎麦屋「阿武隈」で、そこに敏子も招待されるってんだから皮肉にもほどがあるでしょ。
つまり夫は、ゆくゆくは奥さんと別れて、この愛人と一緒になるつもりだったんだろうか。その間蕎麦の修行をして?
夫は定年を迎えた日、長いこと家に帰っていなかった息子に電話をかけて、母さんをよろしく、と言ったという。……実はこれが、後に波紋を投げることになるんだけど。
愛人の元に行くからという意味で、息子に託したんだろうか。ホントに?
そんな風な伏線に聞こえなくもないけど、でもやっぱりそうは思われない。
男は奥さんと愛人に違う価値を見い出せるイキモノ。しかし女はそうじゃないから、「私とあの人、どっちが大事なの!」などと男を問い詰めるわけだが、その時のために、「あれは新婚の時に買った古い家具のようなものだ。取り替えるのもめんどくさいからそのままにしてる」などという、自分では小粋だと思っているような言い訳を用意している。
でも、それは半ば本気も入ってて、しかしこっちで用意されている新しい家具は、一週間に一度眺めるぐらいでいい、およそ実用的ではないものなのだ。
それに対抗する奥さんの台詞もふるってる。「あなたみたいに新しいんだか古いんだか判らないような家具にとりかえるのも、めんどくさかったってことでしょ」
実際、奥さんよりも年上の愛人の存在というのは、なかなかにスリリングだ。
しかし、この愛人、昭子と全面対決することになる敏子は、いささか分が悪かった。自分の知らない夫を次々と披瀝されるもんだから……。
愛人が意外にハマる三田佳子。しっとりと美しく、たおやかにウラミが入ってる。
黒いストッキングの下に真っ赤なペディキュアをして、線香をあげに家に上がりこむ。
一方の妻、顔色の悪い自分を鏡で映して、気合いを入れるためにか、これまた真っ赤な口紅を差して彼女を迎える。
演じる風吹ジュンは、世間知らずの少女のまま年をとってしまったような風貌を、そのまま生かしてる。三田佳子ほどの手練手管からすれば、「彼が心臓が弱いのは知っていた。鈍感な奥様だから、ずっと心配していた」という存在。
それにしてもこの、愛人のペディキュアと奥さんの口紅……。なんつーか、どちらもとってつけたようにムリがある。
お互いに対抗しているけれど、し慣れないことなんだよね。
特に奥さんの口紅は、あまりに判りやすい赤で、ぬりえみたいで、ナチュラルな色をしていた方が、彼女はずっとキレイに見える。こんな鮮やかな口紅してると逆に老けて見えるっつーのも皮肉である。
子供との関係もぎくしゃくしはじめる。というか、今まではきちんと向き合ってこなかった。
特に、8年もアメリカに行ったっきり帰ってこなかった長男。いつの間にやら結婚していた奥さんとしかも子供もつれて、同居や遺産相続の話をガンガン進めてくるんである。しかも、今までの仕事は辞めて事業を起こしたいなどと、どう考えても危なっかしいことを言う。
なもんで、自分の都合のいいように遺産分けを計算し、しかも現金は敏子に渡さないつもりなのだ。「何に使うの」などとしれっと言って。
敏子はさすがに呆れ半分、焦り半分で「何かあったらどうするのよ」と反駁するも、「何かって?」と息子はキョトン顔。どうやらこれが、親孝行してるとでも思っているみたいなんである。
「私が突然病気して、入院するとか」そう返してみるも、息子はやっぱり判ってない。この台詞!
「その時は俺たちが世話するから問題ないだろ」
ムッカー!
何がムカつくのか、観ている時には上手く言葉に出来なかった。敏子自身もそうだったと思う。
後に、子供たちに思いをブチまける彼女に、ああそうだったんだと得心する。
「世話するとかなんとか、いきなり老人扱いしないで」
そうだよなー。連れ合いが死んだらもう人生を楽しむ資格もない、みたいな言い方してさ!
敏子はプチ家出を敢行するのだ!なんかね、ヘンな図式だよね。今まで彼女が家を守ってきたのに、そして家族を迎えていたのに、まるで子供に乗っ取られるような形になるなんて。
一人で考えてみたい、美保(長女)のところに行く、そう言って家を出たけど、電車の窓からカプセルホテルの文字を見つけ、途中下車するんである。
ここで出会う「フロ婆さん」と呼ばれる宮里さんとの出会いが、夫との死別よりも、愛人の出現よりも、この物語の中で非常にエポックメイキングなものになっている。
風呂場で声をかけられる敏子。若い人ばかりの中で、このフロ婆さんと敏子だけがちょっと浮いていた。敏子は「どういうところなのか、一度泊まってみたかったんです」と答える。
フロ婆さんはこんなところにいることになった、転落人生を敏子に話して聞かせる。自身は裕福だったのに、甥の事業の保証人になってそれが失敗したことで一気に転落、夫は心筋梗塞で死に、彼女も自殺未遂をしかけ、声を失ったことさえあると。
思わず聞き入ってしまう敏子。しかしスゴいのはこの婆さん、「はい、あんた優しいから、一万円でいいよ」と手を出すんである。ええっ!?
聞かせ代っつーか、自分の人生を他人に切り売りすることで、この婆さんはこうやって小金を貯めているらしいんである……ていうか、それで素直に金を出す敏子も敏子だが……。
そして、「もう一万円。あんたも話したいことがあるんだろ」思わず図星を指される敏子。
友達とかに話してはいるけど、全くの第三者に、ただただ聞いてもらう、それを欲していたのを見透かされたような感じだった。
しかし宮里さん、突然、倒れてしまった。それを見つけたのは敏子。彼女は思わず夫が倒れた時のことを思い出してしまう。
実は、このフロ婆さんのくだんの甥ってのが、このカプセルホテルの支配人だった。彼女のたったひとりの身内。しかし彼は、入院補償金も払わず、行方をくらましてしまう。
この甥ってのがね、長い手足を哀しげにもてあましているような豊川悦司なのよね。で、敏子はある日デパートの屋上で彼を見つけるわけ。その時彼女はもはや復活しまくりで、オシャレしてスケジュール手帳など買って、ウキウキなんである。
なんかね、敏子にしてもフロ婆さんにしても、どんな境遇に突き落とされても、女は割と順応出来ちゃうっていうか……その暗いことだけで心を一杯にはしないんだよな。
でも男は……たぶんそれは、家族や迷惑をかけた人の人生を背負わなければいけない、という気負いが、追いつめているんだとは思う。それは確かに女にはない部分。女のたくましさはいわば、無責任さからもくるものなのだ。
自分には、おばさんを世話することが出来ない。このまま福祉に任せるしかないんです。と小さくなっていた彼、しかしほどなくして宮里さんは亡くなってしまった。
彼の替わりにお骨を受け取った敏子は、何とかこざっぱりした格好になった彼に、お骨を渡す。
小さな手足を折りたたむようにして座り込み、そのあまりにも小さくなってしまったおばさんに詫びるように号泣する彼。
「次にお会いできる時は、もう少しましな自分になっていたいと思います」
男はそうなるのに、時間がかかるんだな……。
さて、敏子がこの時オシャレにウキウキだったのは、あるひとつの出会いがあったからであった。
まあ、それもあっという間にポシャるんだけど……。
あの「阿武隈」で催された、「堀川君を偲ぶ会」、敏子は敵地視察とでもいった趣で乗り込むんだけど、そこに昭子の姿はなく、逆に娘から衝撃の事実を明かされてショックを受けちまうんである。
「お金のことでいらしたんですよね」って言われるのね。なあんにも知らなかった敏子は「お金……?」とぼんやり返すしか出来ない。
「母は堀川さんから頂いたと言っています」ここで一緒に夫が蕎麦屋をやっていたことを知り、敏子はガクゼンとする。更に、「母は今、心の病気になっています」と……。
呆然自失の敏子を抱きかかえてタクシーで「送って」くれた男がいた。送った先はホテルだったんだけど……。
実はね、皆で蕎麦を食べながら語り合っている時から、敏子は初老の男たちに狙われまくってんのよね。
その中でもやる気満々のなぎら健壱は無視されまくり。やはりこういう時、女がクラッときてしまうのは、とりあえず外見のいい男なのよね。
この時は、ショックも受けていたし、そのフォローがプレイボーイ(ボーイじゃないけど)らしく、シャレたホテルのカウンターバーから、夜景の見える部屋という流れがいかにも手馴れていたもんだから、なんだか勢いで夜を共にしちゃって、第二の人生なんだ、もう夫もいないんだし、イヤなことを忘れるためにも恋をしたっていいんだと、敏子はウキウキだったのだ。
自分専用のピンクの携帯電話を買って、夫の携帯にメッセージを吹き込んだりする。まだ解約していない夫の携帯電話、その留守録のメッセージの声は、生前の夫の声が残されたまま。
んでもって、すっかりオシャレして次のデートに臨んだ敏子は、もういきなりどん底に叩き落とされることになる。
だってさあ、コイツってば、次のデートはいきなり路地裏のラブホなんだもん。
いや、彼にとっては自然なことだったのかもしれない。こんな年になってのお互い了解済みの付き合いなら、もうダイレクトにセックスってことだったのかもしれない。実際、その最初で彼女は彼に身を任せたわけだから。でもこんな年になっても、やっぱり男と女の間には埋めようのない決定的な溝があることが判っちゃう。
男は女をセックスのために口説く。そのためには新作の高いアクセだってさらりとプレゼントしちゃう。
でもそれを、女は恋のロマンティックとして受け取る。60になろうと、それは変わらない。男がセックスという最終目標のために全てを運んでいると頭では判ってても、最後まで騙してほしいと思う。思えば夫はその最後の最後でつまづいたのだ。
敏子にフラれた彼は、即座に電話をする。敏子に謝りの電話かと思ったら、そうじゃない。「ああ、おじいちゃんだ。おばあちゃんに今日の夕飯食べるって伝えて」
敏子には、家内は自分をもう相手にしないんだとか言ってたくせに、フラれるとすぐに食事の心配をするんだね。そんぐらい、外ですませていきなさいよ。家政婦かよ、女は。
いや、そうなんだろうな。実際、敏子に対してだって、彼女がキレイに着飾ったりゴルフをやりたいとか言うことに当然のように諌めて、「あなたはエプロンをしている慎ましい女だからいいんです」なんて言って、だからこそ敏子はゲンメツしたんだもん。
ラブホに幻滅したんじゃない、この台詞に幻滅したんだ。確かにこれはサイアクだな……奥さんに相手にされなくなったのも、ムリないよ。
女がこの年になってもセックスを欲するかっていうのが、判んないんだよね。
偏見かもしれないけど、男は多分、死ぬまであるんだろうなっていう。種族を残す本能的なものっていうかさ。
でも女は、子育ても一段落するような年齢を過ぎると、そういうことも辛くなってくるんじゃないかとか。その年齢になってないから判んないけど……でも実際、恋と性欲がオーヴァーラップする期間って、女と男じゃ確実に、かなりのズレが生じるじゃない?女の子は精神的に大人になるのは早いし、恋の感情は凄く大切にするけど、その身体がセックスを本当に欲するようになるのには、男よりも時間がかかると思う。構造が複雑だからかな。
だから、男は外で浮気をするのかもしれないし、それで男と女はバランスがとれているのかもしれない。
女が傷つく代償があるにしても、だからこそ女は男よりも、ずぶとくたくましく出来ているのかもしれないのだ。
男にとっては、この愛人のような女の方が、好ましい女性像なのかもしれない。
夫が死んだ後、オシャレに目覚めてキレイになったり、男と一夜のセックスしたり、手に職をつけようとあちこちアクティブに動き回ったりする女に、男はゲンメツするのかもしれない。このしっとりした愛人が、彼の死後体調を崩して「私は死に目にも会えなかった」などと、奥さんにせいぜい悪態をついている姿の方が、男はグッとくるのかもしれない。
敏子は一人で映画館に行ったりもする。窓口で「失礼ですが、60歳以上のシニアでいらっしゃいますか」と言われると、なんだか嬉しそうに「ちっとも失礼じゃありません。そうです」と言って割引料金をゲットする。実際は、59歳なのに。いやいや、風吹ジュン自身はまだ50ちょっとなのに!
そこで彼女は、映写技師が女性なのに気づいた。彼女が技術を学んだという映画館を紹介され、その前まで足を運んだもののそこは成人館で、敏子は足を踏み入れることが出来なかった。
しかし、あのバカ男との一件の後、敏子は一人焼き肉屋で酔っ払い、電車の中でバッグの中に吐き(!!!)その千鳥足で再びその映画館に向かう。
連絡を受けてずっと待っていてくれた映写技師のおじいさん(麿赤児)に、酔っ払いながら弟子修行を申し込む敏子。
こうして第二の人生が始まった。
敏子の高校時代、合唱部で一緒だった四人組は、今でも仲良し。彼女たちの場面が折々挿入される。デパ地下で買い込んだランチを敏子の家に持ち込んで一緒したり、高校時代の古いフィルムを映写してみたり、オープンカフェでお茶してみたり。
いつも仲良しってわけじゃなく、結構ケンカもする。ワガママな栄子を注意してキレさせる和世、それをなだめる美奈子。昔から役割はいつも一緒だ。
それで上手くいっているんだよね、友達は。なのに夫婦は、それがいつしかガマンになってパンクしちゃう。ナゼなんだろう。
古いフィルムの中の自分たちを再現するかのように、手漕ぎボートに乗り込んではしゃぐ彼女たちがたくましい。態度の悪いワカモンを注意したりしてね!いや、あれは注意っつーより、脅しだな……「ナメんじゃないわよ。昔はこのあたりじゃ相当ワルかったんだから」(笑)「ズボンはちゃんと腰の上ではきなさい」そうだよなー。
娘が母親に、恋人をちゃんと引き合わせられないのは、「子供はいらない」という彼の方針に引っ掛かりがあったからだった。
娘はそれに、きちんと反論できないんだよね。っていうか、多分、彼女自身も積極的に子供がほしいと思っているわけではないのかもしれない。でも……悩んでる。
その話を聞いた敏子は、即答する。「子供は作った方がいいわよ。あんた小さい頃可愛かったんだから」
なんつーか……微妙な台詞だ。小さい頃、ってトコを強調しているわけでもないんだろうけど。
娘は息子よりは何でも相談できる女同士ではあるんだけど、彼女もまた知らぬ間に娘であるという立場を声高に主張していることに、こういう状況になって敏子は気づく。
何でも相談して、と言っている割には、結局彼女もだらしなくて勝手な息子の側と一緒なのだ。
身勝手な息子に堪忍袋の緒が切れてウワーッ!と敏子が言いまくった後、娘にも「あなたもよ。合い鍵を持っているからって勝手に上がりこまないで。」とぶつける敏子に、思いがけないことを言われた、ときょとんとする娘。
同じ女同士だから、気持ちが判る、という態度が逆に傲慢になっていたんだよね。
敏子は住み慣れた家を売り払い、引越しをすることを決めた。息子も夢を見ることをやめ、嫁さんの実家の店で働かせてもらうことになった。
息子は、父親からの電話の話を改めてする。敏子が、そんな電話をあんたにするはずがないと、言っていたから。
「初めて母さんと握手した」夫がそう言っていた、と息子は言う。敏子は思い出すんだよね。あの時夫が何て言っていたかを。
「ありがとう」そう言っていたんだ。
でもこれもな……ありがとう、の台詞がラストってのは、あらゆる映画で使い尽くされてるし。
ソレも死んでしまう人が残す言葉としては、あまりにありふれてる。「HANABI」を筆頭としてね。まあ、死ぬ時に発した言葉ではないんだけど。
敏子は何度も、愛人と歩いている夫を妄想していた。その二人の姿はやけにお似合いで、幸福そうで、美しかった。
映写技師になった敏子が最後のシーンで映写しているのが、「ひまわり」。ソフィア・ローレンが新婚の夫を、戦争に行った先のロシア女性に奪われた話。
でも多分、彼女はこの映画が大好きなんだろう。
ローレンとマストロヤンニが涙の別れをする列車のシーン……敏子はじっと見詰めてる。
夫が自分の手を握って、ありがとうと言ったことを、思い出していたのだろうか。★★★☆☆
んでもってそのアレンのザ・ネガティブ的存在が、それまではそれが逆説的に彼の絶対的自信となって表出していたのが、この女神の前ではまさに彼女を讃える為に、直球に自らを卑屈たらしめているよーに思えるのよね。
しかしそれなら彼女自身のセクシーさも直球で出せばいいようにも思うけど、そこがアレンのアマノジャクなところでさ、この女神を自分だけが判る魅力に、掌の中においておきたいみたいな感じが凄くするわけ。
あの唇は何たって反則だし、プラチナブロンドが透き通るような肌に映え、目を見張る巨大なおっぱいがふるふるとしていて、決して細すぎず、背も特に高くなく、お尻もむっちりと張り出したボディーは真のエロスに満ちている。いやー、彼女がこんな女優になるとは、思いもしなかったわよね。
とか言いながら私さ、前作が正直アレンらしくないなーと思っていたせいなのか、セクシー大全開だった彼女のこと、なんか記憶から飛んでたのよね。そうそう、前作ではまさしくファムファタル、悲劇の運命を辿ったセクシー女性、本作とはぜんっぜんイメージが違ってた。むしろ前作ではある意味彼女のイメージ通りのキャスティングだったんだよなあ。そこで彼女に魅了されて、これだけじゃないって魅力を引き出したくなったのかしらん。
イギリスへ渡って今回が二作目だけど、その一作目で作風から挑戦、冒険を感じたし、音楽もジャズからオペラへと移行し、そして今回は作風こそアレンお得意のしゃべくりコメディに戻ったけど、クラシックの「白鳥の湖」なんかをちょっとオマヌケに使ったりして、へえ、アレンがクラシックかあと驚いたし、やっぱり挑戦を感じるんだよね。齢70にして挑戦を恐れないアレン、恐るべし。
で、スカーレット・ヨハンソンをいくらアレンお得意とはいえ、ミステリコメディのヒロインにするというのも意表を突かれるけれど、しかもその役どころがジャーナリスト志望の、しかしかなり落ちこぼれ系に仕立て上げるなんて、アレンぐらいにしか出来ないわよね。
彼女演じるサンドラの落ちこぼれ度は、その登場シーンからもう明らかである。映画監督の社交辞令をアポがとれたとカン違いして押しかけ、しかし酒を飲まされてアッサリエッチしちゃって取材失敗。相手から軽く見られていることをまるで気づきもしない無防備さは、根拠のない自信に溢れている若い頃には往々にしてあるもので、まあ、正直ちょっとハズかしい気分になってしまう。
しかしそんなサンドラの元に、思わぬチャンスが転がり込む。スプレンディーニという安っぽいマジシャンのショーを見に行った彼女、指名されて舞台に上がり、チャイニーズボックスの中に入ってみたら、名ジャーナリストとして名高いジョー・ストロンベルの幽霊が現われたのだ。
彼曰く、ジャーナリストの魂が響きあったのだと。自分だったら絶対にモノにする大ネタを君に教えてあげる、と言う。富豪の御曹司、ピーター・ライモンが、今、世間を騒がせているタロットカード殺人事件の犯人だというんである。
このジョーがいわば、三途の川を渡っているシーンから映画は始まるんである。三途の川?イギリスにもそんな認識があるのかしらと思うけど、死んだばかりの人間たちが乗り合わせたボートが水面をゆるゆると行き、その舳先の船頭さんをつとめているのが、決して顔を見せることのない死神さんだというのは、まさに三途の川そのものじゃない?なんかこういう東西の符合って、興味深いわね。
そこでジョーは、生前ピーター・ライモンの秘書だったという女性と会話する。彼女は、自分がどうやら毒殺されたんじゃないかという話をするんである。つまり、殺害現場に残されていたカフスボタンがご主人様のなくした一対の片方と同じだということに気づいたから。
ジョーは、これが大ネタだということをジャーナリストとして直感し、死神さんの目を欺いて、三途の川(だから、三途の川なのか?コレは)を泳いで、サンドラの前に幽霊として現われたって訳なのだ。
ジョーの幽霊をサンドラと共に目撃した、アレン演じるスプレンディーニ……はステージ名で、本名はシドニー・ウォーターマンも、イケイケドンドンな彼女に渋々ながら協力することになる。
アレンったらねー、ステージに彼女を上げた最初のツーショット場面から、半袖からにょっきり出た白いもっちもちの二の腕をさりげなーくつかんでるのよね。いやー、アレンって、一見そうは見えないけど、案外ニューヨーカー版森繁でしょ。あのつかみ方でね、判るよ、彼女のこと相当気に入ってることぐらいはさ!
だってアレンが完全に誰かと一対一の相棒状態で物語が展開するのって、凄く久しぶりじゃない?一時期はオールスター映画に傾倒したこともあったし、一人のヒロインを据えても、そのヒロインにここまで徹頭徹尾付き合うのは、本当に久しぶり(そういやー、ミラ・ソルヴィーノはどこいっちゃったんだ?)。
劇中、彼女が彼を父親に仕立て上げて、彼が憮然とするシーンがあるんだけど、アレンよ、贅沢言っちゃいけない、というか、そこで腹を立てる時点でやる気満々じゃないの。だって、アレンと彼女じゃ、子供よりも孫の世代じゃないの。
サンドラはお金持ちの友人、ヴィヴィアンの父親のコネを利用して、セレブ向けスイミングクラブに潜入、ピーターの前で溺れるフリをしてまんまとお近づきになるんである。ちなみにこれはシドニーのアイディア。だってその前に、サンドラが彼を尾行して正体を突き止めようとすると、尾行した相手が全然別人だったりして、サンドラってばあまりにアホすぎるんだもん。
まあシドニーもその点はどっこいとも言えるけど、それにこのアイディアだってかなりベタだし、二人がお近づきになれた頃を見計らって登場した彼の言い様が「娘の溺れる声が聞こえたから、お茶を飲んで駆けつけた」だなんて、お茶を飲んでって、なんだよ!と思わず吹き出しちゃうしさ。このあたりは実にシニカルなアレンらしいんだよなあ。
しかしせっかくこの連続殺人犯かもしれない男の懐に入り込んだというのに、サンドラったらさあ……。しかもピーターは会った時からサンドラにゾッコン参ってしまったらしく、パーティーに招待してくれるのから始まって、早速口説きにかかるわ、キスするのも早いわ、それからエッチするのにも大して時間はかからず……てあたりでもうサンドラ、受け入れ態勢マンマンじゃないの!
この男を調べるためにエッチまですることはないんであって……そう、サンドラの方もこのハンサム男に参っちまったんである。彼女は自分のことを女優だとウソをついた。で、あの酔わされてエッチしちゃった監督の主役に抜擢されたんだとまで言っちゃった。本当はピーターとお近づきになれる訳もないプロレタリアートなのに。
まあでも、その違いは一見してあまりにも明らかだけどさあ。だって最初に招待されたガーデンパーティーで、サンドラはきちんとオシャレしているつもりなのかもしれないけど、シワシワが目立つレモン色で膝丈のワンピースに白いカーディガンという、キミキミ、スカートはいただけでオシャレしたってわけじゃないでしょ!というようなカッコなんだもん。
アレンの方もじじくさいグレー系のカッコが多いしさ。いやいや、アレンはどの映画でもこんな感じだけど!?もう明らかにおじいちゃんと孫が間違ってセレブのパーティーに入り込んじゃったって感じなんだよなあ。
しかしそれでも、だからなのか、ピーターはサンドラにどんどんのめりこんでいく。高価なアクセサリーをプレゼントしたり、結婚までもちらつかせてゆく。恋で見えなくなっているサンドラはまだしも、シドニーまでもが本当にこの男が連続殺人犯なのかと思いがぐらつくんだけど、ジョーが何度も死神を欺いて彼らの前に現われ、ヒントを与えていくもんだから、何とか証拠をつかもうと奮闘するわけね。
最も怪しいのは、ピーターしか暗証番号を知らない、高価な楽器を集めた楽器室である。ピーターがサンドラをそこに案内するのは、つまり彼女が特別な女性だからということなんだろうけど、でもじゃあ、ジョーはなぜその番号を知っているの?彼がシドニーにその番号を教えたことによって、この楽器室に何かがあることがわかった訳でさ。
ジョーがマジックのステージ上に突然現われて、三つの数字をシドニーに教えるんだけど、シドニーったらパニくっちゃって、こういう時は何かに例えて覚えるんだとか言って、飛行機だのミニカーだの、まあ何だったか私も忘れたけど(爆)そんな感じでムリヤリ覚えるから、いざ閉じ込められた時(閉じ込められるあたりがアレンらしい……)スッカリその番号を忘れてしまって危機一髪になるのだった。てゆーか、この時彼を救い出したサンドラが言うように、フツーに三つの番号を覚えられないのかって話だけど……。
じゃなくて、だからジョーがこの番号をどうやって知ったかなのよ。それってつまり、あの毒殺されたらしい秘書から聞いたってことでしょ、多分。でもこの番号はご主人様しか知らない筈だと、使用人は言っていた。でもそれを秘書が知っていたということは、彼女もまたピーターとそういう仲だったってことなんじゃないかなあ。そういう仲の相手でも秘密を知られれば平気で殺してしまえることは、彼がベティGを殺し、サンドラをも殺そうとした事で明らかになるんだもの。
ベティGというのは、彼が贔屓にしていた娼婦。ピーターは連続殺人犯、とまではいかなかった。ベティGに強請られて、世間を騒がせている殺人鬼を真似て彼女を殺せば、その犯人のせいにできる、と考えたのだ。なるほど彼の考えは上手くいった。シドニーとサンドラはあくまで連続殺人事件の犯人としての証拠をピーターから得ようとしたからなかなか上手く行かず、ついにはその殺人鬼が捕まってしまうことで、ピーターがシロだと思い込んでしまうんだもの。
あ、思い込んだのはサンドラだけね。シドニーはサンドラがピーターにのめりこめばのめりこむほど、彼への疑念を強くしていき、証拠探しに奔走し、彼女からウザがられてしまう。
ところで、この連続殺人の被害者が皆ブルネットのショートカットだったのが、ピーターの母親と一致したのはただの偶然だったのかなあ。それもまたサンドラとシドニーが、ピーターへの疑念を強める材料になってたんだけど、それ以降特にそのことを何する描写もないのよね。
タロットカード殺人事件と呼ばれていたゆえんは、殺人現場に必ずタロットカードが残されていたから。楽器室のホルンの下に隠すようにタロットカードが置かれているのを見つけたことから、サンドラとシドニーはやはり彼が連続殺人鬼なのかと思っていたわけだけど、犯人が捕まってそのことをサンドラがピーターに告白すると、ピーターは、「君がタロットカードに興味があると聞いたから、アンティークなカードをプレゼントしようと思ったんだ」と言い、サンドラは、まあそんなに私のことを、疑ってごめんなさい、とばかりに目がハートマーク。もうすっかりピーターへの疑念を振り払ってしまうのね。
しかしベティGと彼とのつながり、そのベティの事件の時に彼がポーカーゲームに遅れてきたこと等々が、シドニーにはどうしても引っかかって仕方なかったわけで。
シドニーは「たかが売れないボードビリアンだから、抹殺してしまってかまわない」みたいに、罪を隠蔽しようとしているピーターに言われちゃうんだけど、うう、まさに言いえて妙というか、アレンはまさにまさに、売れないボードビリアンが似合い過ぎる(爆)。そのちんまい身体に自虐的なしゃべくり。サンドラによって、彼は石油王に仕立て上げられるんだけど、あまりにムリがある。言葉ではひたすら石油を掘るのは云々とか言っているけれど、カード手品で相手の気を引いていなければ落ち着かない。
サンドラの苗字、プランスキーを聞いて同じユダヤ人だとステージ上で盛り上がる割には、その苗字を何度となく間違え、自分自身のユダヤ人風の名前、スプレンディーニさえ偽名だったというオチは、彼がユダヤであることにこだわっていることを考えると、これこそ自虐的ギャグのように思える。
シドニーは暴走気味のサンドラに常に冷静を促がしているし、この危険でバカげた追跡を止めたいと口で言ってる割には、彼の方が彼女よりずっとのめりこんで危ない橋を渡っているんだよね。まあそれは、サンドラがつまり、ミイラ取りがミイラになって、ピーターにホレちゃったことで、シドニーが動くしかなくなったということなんだけどね。
でもまあ、サンドラがホレるのもちょっと早過ぎるっちゃ早過ぎるんだけど、シドニーだってあれだけ懐疑的だったのに(まあ、ネタ元が幽霊なんだからムリもないけど)、暗証番号が必要な楽器室に忍び込んで閉じ込められちゃったり、ピーターが殺した娼婦のことを聞き込みしたり、そこまでするのは、サンドラにホレてるからとしか言いようがないよね。
勿論劇中ではそんなヤボな示唆は一切ないし、何よりラストには彼はなんと死んでしまっているのだから、最後までサンドラがそれに気づく訳もない。あくまで彼女は、自分のワガママにつきあってくれた友人としてその死をかるーく悼んでいるにすぎないのだ。
しかもさ、シドニーが死んだ理由というのがまたバカバカしくてさ。ピーターの殺しの確証を突き止めた彼、全てを彼に打ち明けたサンドラが危ない!と急行するんだけど、アメリカからイギリスに渡ってきた彼は、左車線に慣れてなくて、木に激突して死んじゃうのよ。な、なんてアホらしい……。全然役立たずじゃん!
ピーターは真相を知られたサンドラを、誰も見ている筈もない私有地の湖にボートを漕ぎ出して突き落とすんだけど、彼の誤算は、サンドラが最初に彼に近づいたプールで溺れた様が、演技だったということを知らなかったこと。だけど、彼女が自分に近づいた理由を告白した時点で、そんなことぐらい推測出来ただろうにねえ。ちょっとこの辺は詰めが甘い気がしたけれど。
ピーターはサンドラに、今まで会ったことのない、新鮮な相手だからのめりこんだ。それは、娼婦ベティGに関しても同じだという皮肉。サンドラはピーターにアッサリ恋に落ちてしまうし、すぐキスしちゃうし、すぐ寝ちゃうし、正直、こんな大ネタを託されるだけの才覚のある“ジャーナリスト”じゃないんだよね。
むしろ、その才覚があったのは死んでしまったシドニーの方だったわけでさ。でもそれも、サンドラにホレていたからこそなせるワザだったのだし。でもそのことによって、アレンが気に入っているハズのスカーレット・ヨハンソンではなく、自身のキャラに知性的印象を与えたというのは皮肉というか。
見せ場は彼女の方にあったけど、それは彼女がバカだからって印象じゃない?まあ、ここでの彼女は、おバカな女こそ魅力的、というMM的な魅力を発揮してるからいいのかな。確かに彼女は愛すべきおバカさがある。知的に見える筈のめがねも、メガネっ娘というフェティシズムをそそる方向であって、決して知的方向ではないし。
ま、その相手であるピーターも、出会った場面のサンドラのカナヅチが演技だと見抜けなかったバカさ加減があったりして、必要以上に甘いマスクだと、結構バカに見えるんだよね。演じるヒュー・ジャックマンは今までそういうイメージはなかったし、本作でもそういう描かれ方をしているわけではない。いずれ政界に進出するんだと、そのための足がかりだと自分が社交界にいる理由を説明する場面もあるしさ。
でも彼の甘ったるいマスクは、アレンの映画に存在するだけでアホが出そうな危険さが漂うし、この中で彼が侵した失態は、出会いの演技を見抜けなかった一点だけなんだけど、その一点で見事に失墜してしまうんだよね。
刑事に涙ながらの嘘八百を並べ立てている彼の前に、恐らく豪快に湖を泳ぎきったであろうサンドラが、びしょぬれながらも満面の笑顔で現われる場面の痛快さは、ピーターのアゼンとした顔をよりアホっぽく見せることに多大なる効果を発揮しているんである。カワイソ。
ラストは、あの三途の川のボートに、今度はシドニーが乗っているというオチなんである。しかも彼、そこでもまだカードマジック披露してるし。
サンドラはこの卑怯な殺人鬼の追跡記事を新聞に寄稿して大成功、本当ならばこの名誉を分かち合いたかった“友人”のシドニーのことを、しかし笑顔で振り返る。せつないわねー。
シドニーがサンドラの誕生日、一緒に食事をしようという場面、「誕生日祝いをするよ。マックナゲットは好きかい?」という台詞には思わず笑ってしまった。アメリカにウンザリしてイギリスに渡ったアレンのシニカルジョークだったのかしらん。★★★☆☆
でも劇中の彼女自身は、実は影も抱えている。東京でナンバーワンだった彼女が熱海くんだりまで流れてきたのは、そりゃ「ワケアリ」に決まっているのだ。店長はそう察して彼女を受け入れる。
この店長を演じるサーモン鮭山。それこそ1位作品での「ホワイドリキッドー!」と叫んだヘンタイ男が脳に焼き付いているので、本作の、理解ある優しいキャラとのギャップにええっ!と驚く。
特に、ワケアリを抱えたトビウオに、判ってるよ、みたいなことをぽつぽつと話しながら歩いていくシーン、引いたカメラが道の向こう側に二人を遠く映して、歩みが遅くなった彼女がたたた、と駆けていって店長の背にどん、と飛びつく。
「店長、カッコイイぞ!中身は」「中身かよ」「見た目もカッコイイ!」、そんな彼女を背負って歩いていく店長、ううう、胸がジンとしてしまった。ああ、店長のこの懐の深さ!
まあそりゃ、売れっ子のトビウオをどんどん働かせて「疲れた。行きたくない」と暴れる彼女をひょいとかついで仕事に行かせ「もうダメ。もう(股に手を抑えて)煙出る」(笑。名台詞。これがキュートに決まるところが彼女の素晴らしいところ)とフラフラになっちゃう、なんていう場面もあれど、でもそれも考えれば、ワケアリの彼女が何にも考えずに仕事が出来る環境を整えてくれているとも言えるんだもの。
しかし最初は、履歴書に書かれた「東京でナンバーワン多数」がよもや本当とは思わなかった。いや、まあ本当に本当かは判らないけど、この履歴書ときたら、いかにも頭の足りなさを露呈するようなシロモノで、店長も苦虫を噛み潰したような顔して眺めてたんだもん。
だって写真はプリクラ、色とりどりのマーカーであっちゃこっちゃにはみ出てて、風俗を渡り歩いてきた履歴だけは自慢気にキッチリと書かれてる。
「でもホテトルは初めてなんですう」とは言っても、「つまりフレッシュさは期待できないってことだな」と店長が嘆息するのも可笑しく、全然期待していなかったのに、この店のナンバーワンが怒らせた客のフォローに行ってもらったらこれが一発、その客は彼女のトリコになってしまったのであった。
ところでこの「竜宮城」という店はコスプレがウリで、実際えりな嬢のさまざまなコスプレが見られるのも楽しみのひとつ。レースクイーンに最後はなんとプロレスラーにまでなるんだから。しかも相手の客が局部だけを隠したオマヌケなプロレス衣装なのにも爆笑。こんなんで欲情すんのかいな……。
フォローに行った最初の客とのやりとりで、えりな嬢は観客の心も即座に掴む。理科の先生を所望した彼、ナンバーワンのヒラメからインポだから勃たないんでしょ、と言われ逆上、彼女を追い返した。
で、フォローに来たトビウオのいでたちはというと、半袖シャツにブルマー、紅白帽。「俺が注文したのは理科の先生だ!」「体育の先生じゃダメ?」いや、そのカッコはどう見たって小学生の女の子だろう……。
トビウオの武器はエロい手管ではなく、顔を挟んでじっと見つめてチュッとやるフレンチキスだってんだから、素晴らしい。この一発でゴネてた男はふわーっと倒れてしまうぐらいなんである。えりな嬢のニコニコとした無邪気な笑顔と、そのふっくらとした唇でこんな真正面からチュッとやられたら、そりゃー、陥落しちゃうよなー。
そして彼女は、お風呂場でゆっくりと彼の体を洗ってあげながら、「チンコとマンコがつながるばかりがセックスじゃないよ。体のどこかがつながっていればそれでセックスなんだよ」と、彼の手を取って優しく自分の中へと導いてあげる。
これも名台詞&名場面だよなあ……最終的には彼女の真摯な「手ほどき」で彼のインポが治ったとしても、やっぱりこの台詞こそに胸がじんと来てしまう。男を柔らかく包み込む、適度に肉のついた包容力のある身体がまた実にいいのさ。多少二重あご気味だとしても(爆)、許しちゃう。
彼女がそんな風に他人に優しく出来るってことは、自分自身に影を抱えているからに他ならないわけで。
なぜこの熱海に流れ着いたのか。それはこの地に料理屋をやっている母と、母に預けてある自分の子供がいるから、なのであった。
この子供に関しては「大きくなったわよ。もうそろそろ会ってみれば」「まだ自信ない」という台詞上で語られるのみで、実際に登場することはないんだけど、そしてなぜそういう事態になったのか、父親が誰かとかそういったことさえも語られないんだけど、彼女が「まだ」自信がないと言いながらも東京で流れ流れて、そして今ようやく熱海まで来られたことが、自分をもうひとつ後押し出来そうで出来ない思いを感じさせるんだよね。
それに自分の母親に会うことも、彼女は躊躇しまくっているんだもの……ずっと子供を預けっぱなしだってことで、臆する気持ちがあったのかな。怒鳴られるとか思ったのかもしれない。でも母親は娘を心配する母親でしかないの。それもまたじんとくるのよね。
トビウオは詐欺師だと自称する客と出会う。彼とのカラミも実に叙情的。ふっくらした唇でゆっくりと丁寧に施される愛撫の優しさに、エロなのも忘れて、癒されてしまう。彼はトビウオを店外デートに誘う。誘ったのは彼なのに、川に裸足で入ってはしゃぐ無邪気な彼女に彼はどこかハニカミ気味である。
詐欺師、それも結婚詐欺師なんだ、などと言う彼は、それがどこまで本当なのか。「そんなこと言っちゃっていいの」とトビウオが問うと、「手の内を見せるのが騙す第一歩なんだ」などと彼はうそぶく。
なんか見る限りでは、ただ単に彼は彼女に恋しちゃっただけのように思えなくもない。「トビウオちゃんの素と演技は見抜けないな」という彼の台詞は、まんま恋する男そのものって感じだし。それに対して「素の私を抱いたら、本当の名前を教えてあげる」と彼女が言ったのも、なんだか恋にはまっちゃった女の子そのものって感じもする。だって店をさぼったのなんて、初めてだったんだもの。
彼女は自分の源氏名のトビウオが、「私らしい」と言った。長い距離を飛べないから、って。それに対して彼は言う。ゴールまで繰り返し飛んでいけばいいじゃないか、と。これもまた名台詞。
そして、仕事ではないセックス。淡いピンク色の紗のかかったような中でのそれは美しく、まるで女の子の夢見るセックスを叶えたような場面。ホテトル嬢としての男たちを癒すセックスが男の夢見るセックスなのだとしたら、女の子の夢見る「素の私を抱いて欲しい」がまさしくコレなんだよね、きっと。
翌朝、彼が目覚めると、置き手紙があった。「ちょっとずつ飛んでみるよ 美空」そしてトビウオはいなかった。
カットが替わり、幼稚園の前でソワソワして待っている彼女の姿。その姿は、よっしゃー!といった気合いにも満ち、ああなんだか最後まで、彼女の陽気さの方がちゃんと勝っていて、いじらしくて愛らしくて仕方がないんだよなあ。
ほおんとに、えりな嬢のイキイキとした魅力が輝きまくる。宿無しの彼女が控え室でぐーすか寝ている場面も好き。口を半開きに開けてよだれまでたらして寝ているトビウオに、店長が「なんでこんな色気のなさでナンバーワンなのかねえ」とつぶやき、彼女をジャマにしながら掃除機をかける。家族のような愛情がコミカルににじみ出ていて秀逸なんだよねえ。
彼女にナンバーワンの座を引きずりおろされたヒラメや、占い好きのアワビとのやりとりも楽しい。店長のチンコは私のもの!と新人教育の場に割って入るアワビ、その3Pの場面を嬉々として写メに撮り、そのケッサクショットを見返しながら爆笑しているトビウオ嬢に苦虫を噛み潰したような顔をしている店長、という後のシーンにもバカウケである。
客の男に「ありがとうタチウオちゃん」と言われて、抱きしめられた彼女の顔の切り返しで「……トビウオですけど」というのも笑った。とにかく、暗くならないところがイイんだよなあ。
あ、そんでもって、今まではなんかウダツの上がらないキャラしか見たことなかったって感じの吉岡睦雄氏が、この作品では実にイイキャラを獲得しているのも見逃せない。
電話番兼ホテトル嬢の送り迎えをするドライバーの彼は、「素人童貞でしょ」と言われて恥ずかしげに頷くものの、実は「本当の童貞です!」と告白する場面も爆笑。「ひょっとしてアキバ系?」「はい」「なんで熱海でアキバ系?」「気持ちはいつも秋葉原です」というトビウオとの会話にもウケまくる。
男たちを癒すトビウオに「リービング・ラスベガス」を思い出してしまった。男の死に水をとる娼婦。あれは男の夢を叶えるだけって感じでちょっとヤだったけど、それをホテトル嬢自身の生きていく道につなげる本作には素直に溜飲が下がった。★★★★☆