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「や」


2007年鑑賞作品

やじきた道中 てれすこ
2007年 108分 日本 カラー
監督:平山秀幸 脚本:安倍照雄
撮影:柴崎幸三 音楽:安川午朗
出演:中村勘三郎 柄本明 小泉今日子 ラサール石井 笑福亭松之助 淡路恵子 間寛平 松重豊 山本浩司 吉川晃司 鈴木蘭々 藤山直美 國村隼 笹野高史


2007/11/15/木 劇場(有楽町 丸の内ピカデリA)
柄本氏と勘三郎氏が飲んでいるところに監督が出くわして生まれた企画、というんだから、この二人は実際にも本当に仲がいいんだろうな。多分、普段から、俺らってヤジキタみたいだな、と思っていなければ口から出てこない企画だと思うもん。
実際スクリーンの二人は、ヤジキタが年をとったらこんな具合じゃないかしらん、と思うボケとツッコミの妙味。しかもどちらがボケとかツッコミとかではなく、役割がくるくると入れ替わるのも本当に仲良さげな感じで楽しい。
あ、そうだよね。実際のヤジキタって(実際のっても、フィクションだけど)こんなに年をとってはいないよね?旅をするにも若い体力は必要だろうし、近年映画化されたクドカン版だって、年若い青年だったんだし。

そう、あの色っぽい二人も魅力的だったけれど、このオッチャン版(失礼!)のヤジキタの、滋味というか、妙味というか、もはや伝統芸というか!?掛け合いは、すごくこう、安心して笑って見てられるのよね。
それにやはりそこは、ベテラン監督の腕というのもある。平山監督、前作の「しゃべれども しゃべれども」 といい、江戸芸に興味があるのかしらん、などと思う。奇をてらわない、そつなくこなす演出、しかしなおかつテンポと軽さがあって、しかも泣かせどころまであって、飽きさせない。
そうなの、泣かせどころがあるのは意外だった。弥次さんがてれすこの味噌煮を食べて死にかけ、亡き妻と子供の幻影を見るシーン……って、おっとっと、いきなりいいところを言ってどうする。ま、いつものことだが。
でも、しっとりと見せるところはホント、そこぐらい。だからこそ際立つ。もうそれ以外はナンセンスとでもいいたいぐらいの、軽妙っぷりなのだ。

と、いうのも、もともとこれが落語をベースにしているからに他ならない。サブタイトルになっているてれすこ、なんのことやらと思ったら、落語ネタとして出てくる、幻の魚のこと。
冒頭はそのエピソードの紹介的場面とでもいったところか。長年禁断の関係を続けてきた大店の女主人と番頭の心中場面、しかし謎の怪魚にそれをジャマされる。
その魚の名前を知っている者には賞金が与えられるということで、この番頭、それはてれすこに違いないというんである。なるほどと言いつつ、若干の疑いを感じたお奉行、今度はその魚を干物にして、じゃあこれはなんだと聞いてみる。すると番頭、これはすてれんきょうですな、と答える。
やはり賞金欲しさに虚言を吐いたなと暴いてみせるのだけど、ならば干したイカをスルメと言ったなら死罪になってしまうのか、というオチがつく。
落語ネタの数々っていうのは、そんなキテレツなことを半分信じつつも、でもウソだろうと判っていながら楽しめた時代に対する羨ましさを喚起する。ワイワイと口の端にのぼる噂話の楽しさ。現代の噂話は暗いコトばっかりだもの。

そもそも心中を試みる二人がうら若き美男美女ではなくて、ここでもトウのたった老男女というのが、もうスタートからこの物語の方向性を決定付けているように思えちゃう。
軽い遊び人のイメージのヤジキタももう、年貢の納め時ってな年齢で、弥次さんの方はコロリ(コレラだわな)で妻子を亡くし、今は細々と新粉細工で生計を立てている。喜多さんは下町歌舞伎の役者をやってるけど、ようやくもらえた浅野内匠頭という大役で、松の廊下の場面、こともあろうに相手の吉良上野介をよろけたハズミで刺しちまう(いや、実際に刺した訳じゃなくて、とっさに相手脇に挟んだんだけど)。こんなんじゃもう役者は続けていけないと、首をくくったところで、弥次さんと久しぶりの対面を果たした。
ってな場面、窓の外にぐええ、という顔でブーラブラとぶら下がっている喜多さんに、弥次さんが仰天するという爆笑場面。柄本明の首吊り場面は、決心がつかず逡巡する場面から、重石の灯籠の石に猫が乗っかるオチまでしんねりと描かれ、そのしんねりさが柄本明にピタリでねっちりとした笑いを引き起こすのね。

んでもって、この場面にもう一人いるのがヤジキタと共に旅をする、というか、彼女のためにこそ物語が始まる花魁のお喜乃。演じるは小泉今日子。
さしものキョンキョンもお肌の曲がり角は隠せず、というかそれこそがこの物語のネライであり、かつては売れっ子だった彼女ももはやトウのたったことは否めず、若いコに客をとられる哀しさ。
その若い花魁がほしのあきってところが!このカッコじゃ巨乳は見えないけど、誰もがその下のエロな身体を連想するもんねー。
キョンキョンは驚異的な若さとチャーミングを保っている人だし、お肌の曲がり角なんてメイク技術で容易に隠せるはずなのよ。それを、あら……あのキョンキョンでも、やっぱり肌が疲れてるよな……と感じさせる程度のメイクにしているのは、演出なのか、それともリアルなのか??
でもそんなことが気になるのは最初だけで、やっぱりキョンキョンはチャーミングでイキイキとしたステキ女子だし、いわば年を重ねてそれを自虐ギャグとして使える様になったりすると、また更なる魅力が加えられるのだから、ホントこの人はスゴイよね。それがじめっとしないんだもん。

そうなの、ヒロインまでもが年食ってることをウリ?にしているのが、この作品の特異性なワケなのよね。喜多さんの酒癖の悪さ(宿屋まるごとぶっ壊しちゃう!)にしたって、それを恐れる弥次さんの様子では、若い頃からそれがあったと思われるんだけど、もう今や、なんだかもの悲しいんだもん。
でもそれってさあ、元々は若い文学であった筈のヤジキタが、そんな古典をもうワカモンが見向きもしなくなっちゃって、クドカンのように思いっきり脚色するか、大人向けの渋みを加えるかになっちゃうんだなあ、っていうのはちょっと切ない気はするんだけど。

んでね、そうそう。てれすこだけでなくこの映画自体が、落語ネタによって成立してるのね。一応、弥次さんがお喜乃の足抜けに協力する形で始まる旅、つまりは逃亡劇っていう基本ラインはあるにしても、子供たちにいじめられていた子狸を助けたことから、この子狸の変身術を利用して賭博でカネを稼いだり、宿屋で出会った侍と女の幽霊との邂逅やら、落語ネタの羅列といった風もあって、途中、この展開の目的が薄れちゃって、ちょーっとタイクツするような感も正直あるんだよな。
でも、要所要所できっちり印象づけてくる。子狸のくだりでは、弥次さんだけが狸汁に執着して、ねぎだのサトイモだの味噌だのを用いた実に美味しそうなレシピを披露してみたり(メッチャ食べたい!)。
結局は弥次さんがハメられたニセ侍とその女房のくだりも、つまりはギャグ(だまし)だったわけだけど、そのだましの過程は吉川晃司がやけにストイックに演じるもんだから、こっちまでウッカリ騙されそうになるのよね。ところが、幽霊のフリして押し入れに隠れていた鈴木蘭々がさっと戸を開けてスチャッと出てくるスピーディーさでガクッとオチて、きっちりと笑わせてくる。タイクツしかけたところで、ワナが待ち受けてるっていうか。

落語もベースになってるけど、喜多さんが舞台で大失敗した忠臣蔵も、なにげに踏襲されているんである。
かつてのなじみの客から10両ずつせしめるべく、誠意の証しにと自分の指を切り落とした、という芝居のために、弥次さんが新粉細工で作り出したニセ指は47本。騙されたことを知って足抜けしたのお喜乃さんを追って来た、47人、ってワケなんである。
ああ、この場面こそが、クライマックスだったかなあ。お喜乃さんは実に機転が利くというか、売れっ子の花魁だっただけあって、彼らと一緒に追って来た地廻りの男、まさにこの男たちに追われることを恐れていたわけで。
だから咄嗟に47人に対して、こんなヤボなことをしておめおめと帰って恥をさらすのかい。コイツらを簀巻きにして海に放り込んでみな、花街でモテモテになるよ!と、まー、もっともらしいんだか、イイカゲンなんだか(もちろん、後者だけど)てなことをとうとうと披露して、モチロンアホな男たちは彼女の言に乗せられて、コイツらを簀巻きにしちまうんだわ。
ああ、カワイソ、松重さんと山本君。「いやいやいや」っていう現代風の素の返しも、ギリギリあざとくなく笑わせてくれる。

そもそもね、弥次さんはお喜乃さんの父親が難病で余命いくばくもないって話を聞いて、彼女をムリに足抜けさせたのだ。つまりは騙されて共犯に、いや主犯にさせられたってわけ。
お喜乃さんにホレている弥次さんがあまりに真剣なもんで、負い目を感じた彼女が事実を告げるのだけど、若干うろたえている風に見える彼は最初から騙されていたことを知っていたのかいないのか。あるいは、騙されていたことよりも、自分になびく風を見せていたそぶりこそがウソだったことにショックを受けたのか。
彼自身に負い目があった。お喜乃さんに岡惚れしていたのは、亡き妻に生き写しだったから。弥次さんは喜多さんを旅に連れて行くに当たって、喜多さんから「あのことをバラすぞ」と脅されていたんだけど、そう脅している喜多さん自身、弥次さんが何に怯えているのか知らなかった。テキトーに言ったそんな言葉に弥次さんが極度に反応したから話を合わせただけで。

でも、喜多さんから自分に似ていた弥次さんの奥さんの話を聞いたお喜乃さん、「そのことが、弥次さんの知られたくないことだったんだね」と即座に納得する。
そして、彼の元から離れる決心をするお喜乃さん、って、それって弥次さんにホレてるってことじゃないかあ。
まあそんなこと、最初から判ってたけどさ……。

しかしお喜乃さんと離れ、喜多さんとの二人旅になった弥次さん、茶店で「てれすこあります」のノボリを見つけ、「てれすこの味噌煮とすてれんきょうの塩焼き」を注文、あやうく死にかけるんである。
この茶店の店番の藤山直美がサイコーでさ!客なんか来ないと見切って居眠りしてて、しかしてれすことすてれんきょうを「脂が乗っている、いいのが入った」とか無表情で勧めておきながら、いざそれを供したら、縄のれんの奥に隠れて、泣きそうな顔で見守っているという(笑)。ここが一番、笑ったなあ!
ほんの少しの出番なのに、キッチリ予告編にも使われているあたり、さすが藤山直美というか、でもここが、一番のクライマックスに通じるための関門とも言えるんだもんね。

だってこれで弥次さんたら死にかけて(実際、何食わせたんだよ!)亡き妻と子の夢を見るのね。
その夢の中で、妻に似ているという理由だけでなく、ホントにお喜乃さんに惚れていることを彼女に涙ながらに告白し、ダメなお父ちゃんだろ、と自嘲する。だけどね、そんな彼を妻は全てを判っている微笑みで、そして子は無条件にお父ちゃんが好きだっていう愛らしい態度で返してくれるんだもん。
しかし、その夢から覚めた弥次さん、喜多さんによって毒を抜くために畑に首まで埋められてるってあたりが(笑)。

ヤジキタの前から姿を消したお喜乃さんを故郷まで探しに行って、二人を地廻りだと思い込んだ家族たちから死んだと聞かされて底なし沼をさらったりして、しゃれこうべがなぜか二つも見つかったりして……。
そんなアホアホなギャグを果てしなく配しつつ、弥次さんの秘密を知ってしんみりしたお喜乃さんが、一時彼から姿を消したりしつつ……。
でも最後には、旅を続ける二人の前に、川に腰まで浸かりながら渡る二人の前に、涼しい顔して輦台の上に乗って「こんの、ボンクラ!」と笑いながら二人を振り返るラストに、じっつにさわやかな風を感じるのよね。そう、トウのたったヤツらの話なのにね!

お喜乃さんがお勤めしてる花街のセットは、「幕末太陽傳」をイメージしたんだという。あまりにも遅ればせながら今年ようやく、この奇跡の傑作に出会った私にとっては、実に感慨深いエピソードなのだ。
ああ、やっぱり老後の楽しみのために「幕末太陽傳」DVD買わねば!ブルーレイとかは問題ない?★★★☆☆


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