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「き」


2008年鑑賞作品

KIDS
2007年 109分 日本 カラー
監督:荻島達也 脚本:坂東賢治
撮影:中山光一 音楽:池頼広
出演:小池徹平 玉木宏 栗山千明 永岡佑 仲野茂 斉藤由貴 泉谷しげる


2008/2/13/水 劇場(有楽町丸の内TOEIA)
この作品には最初から正直、ちょっと不安はあったかなあ。デビュー作「きみにしか聞こえない」で、ファンタジーながらてらいのない語りでまっすぐに感動を引き出した、この監督の次の作品が観てみたいという思いは確かにあった。
美少年小池君に心の中でよだれを垂らしつつってのも大きいし(これが一番かも)、そして遅まきながらBSフジでの「のだめカンタービレ」の再放送にすっかりハマり、開眼した玉木宏が、ワイルドな役を演じるという意外性も惹かれたんだけど。

なぜってだって……いきなり東映系全国規模の公開っていうのと、このどうも観たい気を起こさせない広がりのないタイトルがね……。
タイトルって、やっぱり大事よ。特に現代みたいに、シリーズや役者で引っ張ってこれない時代は特に。
私は割と、タイトル買いをして足を運ぶタイプ。監督や役者が揃っていても、タイトルに感じるところがないと、いつまでも二の足を踏んでしまうことが多い。そして結構そういう予感は当たっているもんなんだもの。

「きみにしか聞こえない」なんて、ホント、なんだろと思わせるタイトルだったじゃない。そして本当に言い当ててた!という感動もあるじゃない。本作、原作者は同じだし、そしてファンタジーがキーになっている部分も共通しているけれど、でも結局このタイトルって内容とぜんぜんリンクしていないし、触手をちっとも動かしてくれない。
役者たちも……まああの、大スターって訳でもないじゃない。初日が終わればあっという間に潮が引いてしまう、そんな気がしてしまった。
あ、でも原作の本当のタイトルは「傷-KIZ-KIDS」なんだという。あー、それなら判るのよ。なんでそれを映画タイトルとしても示してくれないんだろ。はしょりすぎだよなあ……。

で、やっぱり何だかピンとこないんだな。演出もね、「きみにしか……」のスマッシュヒットのようにはいかなかったように思う。メリハリという部分で、著しく欠いているように思えてならなかった。
音楽が、すんごいうるさいなと思ったのも……その埋め切れないダルダルを、音楽をかぶせてなんとかしようとしているんじゃないかと思うほどだった。切々とした心情を見せるところでさえ、つまり役者がここぞと演技を見せるところでさえ、大仰な音楽が常に鳴り響いている。一時も静寂が訪れないことに、もの凄いストレスを感じた。
「きみにしか……」ではそんなことなかったように思ったのになあ。まさか大劇場にかかるからハデに仕上げたってことじゃ、ないよね?そうなると、本作のために作り上げられたというマッキーのラストソングさえ、うるさいのよ。

そしてそして何より惜しいのは……この稀代の美少年の可愛さを、イマイチ引き出しきれなかったこと。
「ラブ★コン」では観てるこっちが倒れそうなぐらいキュートさ全開だった小池君が、何だかずーっと神妙な顔つき。彼のイメージを一新させる役柄ということは判っていても(でも「誰がために」もあったしなあ)、正直ただ彼の魅力を封印しただけのようにしか思えない。
だって笑顔を見せてOKの場面さえ、微笑み程度で終わらせてしまうのが、逆に演技がぎこちないように見えてしまうんだもん。

しかも気のせいか、小池君に向けられるカメラのフォーカスがぼやけているような気がしてならない。対して玉木宏には……彼が精悍な荒々しい男というキャラのせいか、つまり色合いが見た目にもキャラ的にも濃くて、こっちには割とビシリとフォーカスが合っているんだよね。
だけど小池君の方になると、彼が穏やかで優しくて、他人の痛みを見て見ぬふりが出来ない天使のような男の子という設定だからなのか、常に白い光の中にいるようで、その表情がイマイチハッキリしない感じなのだ。

小池君演じるアサトが、他人の傷を自分の物として引き受けることによって治癒することが出来、それゆえ引き受ければ引き受けるほどどんどん彼自身が傷つく、というのは、今までにも他の物語で何度か聞いたことのある設定である。
本作が少し差異を持っているんだとしたら、ただ単純に傷を引き受けるっていうんじゃなく、それは移動であり、逆にその傷を他人に移動させることも出来るという点。そのことがこの物語の大きなポイントになる。

アサトが、この荒廃した街に突然やってきた理由を、「母さんに会いに来た」んだと、彼は言った。しかしアサトの母親は、確かにこの街にはいるけれども……刑務所に入っている。それは、彼女が夫、つまりアサトの父親を殺したから。
そして、アサトにも保護司がついている。それは、その現場に遭遇したまだ幼い子供だった彼が、母親を刺してしまったからだという。
実は、それは事実ではない。それどころか、それ以上に驚愕の事実が存在しているんである。そのことは現時点でアサトと、刑務所に入っている母親しか知らないこと。
それこそが、この「傷を移動させる」という能力に大きく関わってくるんであり、確かにストーリーテリングとしては心惹かれるものがあるんだけれど。

そんなアサトに出会うのが、冒頭から暴れまくっているタケオである。彼はいつも昼メシを食べに足を運ぶダイナーで、隅っこに座っているアサトがテーブルの上の塩を自分の方に引き寄せるのを目撃して驚く。
最初は遊び半分に、アサトにUFOキャッチャーのぬいぐるみをタダで取らせたりしていたのだけれど、アサトがモノだけではなく傷も動かせることを知ると、そして彼がとても心優しい少年であることを知ると、タケオは彼を守りたいと思う……ったんだと思うんだよな、多分。

演じる玉木宏は、しかしこんなヤンチャをやってウサを晴らしている青年としては、少々トウが立っているような気もするのだが。まあそれを言っちゃあ、小池君だって高校生役にはだいぶサバ読んでるしねえ、違和感ないけど。
タケオもまた、すねに傷を持つ身。アサトが母親を刺したと聞いても動じなかったのは、タケオは親というものが時にはロクでもないものだということを知っているから。

タケオの肩には、呑んだくれの父親にアイロンを押し付けられた火傷の痕が残っていた。
「ガキの頃には恐ろしくて仕方なかった」父親も、いまや脳梗塞でぶっ倒れて、植物状態で眠り続けている。アサトが元気盛りの子供たちのケガを引き受けてばかりいて、全身傷だらけになっているのを見かねて、「これからは、オヤジに傷を捨てろ」と彼は言った。
それというのも、アサトがタケオの身の上話を聞いて、勝手に肩の火傷の痕を引き受けたことに、タケオがこのバカヤローと怒っちゃったからなんだけどね。
「前科で言えば、コイツの方が大物だな」と豪快に笑う保護司の泉谷しげるが、この若者ばかりで時に破綻しそうになる雰囲気をなんとか引き締めてくる。

そしてもう一人、本作のマドンナとも言うべき存在が、二人が食事をしに通うダイナー、パラダイスカフェの店員、シホである。しかしこの店にはいつも彼女しかスタッフがいなくて、店長さえも姿を現わさないのがどうにも気になるんだけど。
シホはずっとマスクをつけている。こういう物語展開だから、おそらくそのマスクの下にはむごたらしい傷が隠されているんだろうという推測は、ドンピシャリである。
三人は荒れ果てた公園を片づけてペンキを塗りなおし(タケオ曰く、「カッコイイだろ」という金と黒のカラーコーディネート!)子供たちが再び集まる場所にする。心が近づいて行く。三人でショボい遊園地へドライブに出かけたりもした。
「また誘ってくれる?今日、本当に楽しかったから。私もアサト君と同じ。友達が出来たの初めてなの」と見えているのは目だけだけど、シホは本当に嬉しそうに笑った。

そのマスクの下の正体、それは、イジメによる傷だった。高校生の頃、袋叩きにされた上にロッカーに閉じ込められた彼女、クラス全員がそのことを知っているのに平然と授業を受けていた。
そのことを知ったアサトの表情に、彼が何をしようとしているか察知したタケオは、それだけは絶対にやめろと忠告する。
私はそれを、彼女自身の気持ちが解決する問題で、安易にそれを取り除くべきではないとタケオは言っているんだと思ったのに、それより単純な……いやもしかしたらこっちこそが重い理由だったことにちょっと驚く。
シホはアサトにキスしてもらって傷がなくなると、この街を出て行った。

タケオはアサトに、だから言っただろうと、あいつは俺たちとは違う、この街でしか生きていけない俺たちとは違うんだ、あの傷がなくなったからあいつは出て行ってしまったんだ、と言った……。
それは本当に、彼らにとっては痛ましい理由で、そのままシホが帰ってこなければ、もっと深い物語として決したのかもしれない。
しかし彼女はふとした瞬間にアサトを思い出し、帰ってきて、自分の傷を元に戻してほしいと言った。
正直シホが、ずっとずっと憧れ続けてきた人生を手に入れた彼女が、UFOキャッチャーのぬいぐるみを見てアサトを思い出しただけで、そんな風に改心するとは思えないんだけど。
だってそこには、アサトに対する悔恨の情なんてなくってさ、本当にふと思い出したってだけに見えるんだもん。

傷があっても、シホはきれいだ、という、キス前のアサトの台詞がなくても、むしろ傷がある栗山千明は、ひどく美しかった。傷のない、フツーにキレイな女の子の状態より、痛みを抱えた彼女は本当に美しかったのだ。


ずっと手紙を出し続けていたけれど、一度も返事をもらえなかった刑務所の中の母親から、初めて手紙が来る。次の面会日に会いに来なさい、と。
予想外の返事に嬉しさを隠し切れないものの、10数年も会っていない自分が判るだろうかと不安もあるアサトに、その時は大声で自己紹介してやればいいんだ、と送り出すタケオ。
この相談をした時にね、アサトはタケオの部屋に、あんなに彼が憎んでいると口にしていた父親の、幼い彼と一緒に映っている写真を発見するのね。思わず口元に笑みをもらすアサト。
だけどそのことを、彼はクライマックスで、少々のウラミゴトのようにぶちまけるのだが……。

母親との再会は、サイアクだった。彼女が息子と会おうと思ったのは、彼を全否定するため。母親の近くにいたいがためにこの街に越してきたアサトを、疎ましがった。それというのも……彼女は自分がこんなところにいるのは、このバケモノのような息子のせいだと思っているから。
再会の最初こそ、アサトを一目見て、すぐに判った、赤ちゃんの時から女の子みたいだと皆に言われていたから、思ったとおりに成長している、と笑顔を見せていた。だけど……なんかヘンだなとは思った。だって彼女は息子の、唇を縦断しているくっきりとした傷にまるで言及しなかったから。単純に息子との再会を喜んでいるように見えたのが、だんだん様相が違ってくる。

母親は突然、「ところで、あのバケモノのような力はまだあるの?」と聞いた。
固まるアサト。
彼女は、赤ちゃんの頃からアサトの不思議な力を気味悪く思っていたこと、そのことで夫から自分までもが疎ましがられたこと、そして……アサトのフラッシュバックで既に明らかになってはいたけれど、夫の殺害場面にちょうど帰ってきた息子を彼女が刺し、母親に手を差し伸べた彼が……訳も判らず自分の傷を彼女に移してしまったことが描かれるのだ。

彼女は、とっさにとか、思わずなんてじゃなく、恐らく明確な意志を持って、息子を殺そうとしたんだと思う。
だからこそ、アサトが自分を恨まず、刑務所のある街に移り住んでまで近くに来たのが、恐ろしかったのだ。
彼女は笑顔のまま、「いつまで私を苦しめるつもりなの?」と言い、更には「お前なんか生まれてこなければ良かったのよ」とまで言う。笑顔のまま。
フラフラとアサトは刑務所の外に出る。
そこで、何台もの車が追突する交通事故に遭遇した。

このクライマックスがねー、ホンットザンネンなんだけど、ダルダルなのよ。その直前の刑務所でのシーンがキリキリに張り詰めていただけに、ほんっと、もったいないの。
その直前、タケオはアサトが自分の傷を父親にちゃんと移していないことを知って愕然とする。看護婦さんが父親の身体を拭きに来てそれが知れる。思えば当然だよね、突然傷が増えたりしたら、不審に思われるに違いないんだもの。
そんなことにも気づかないあたりは、少々ツメが弱い気もするのだが……。
タケオは外に飛び出す。するとちょうど救急車がケガ人を運んでくるところだった。搬送してきた隊員は、なぜか彼らがちっともケガをしていないことをいぶかしがっている。何が起こっているのか察知したタケオは、急ぎ現場へと走り出した。

でさ、まあ案の定アサトが、事故でケガした人たちをその奇跡の力で治して歩いている訳なんだけど……そのシーンがまた長くてさ。
苦痛で動けなくなっているような人たちの傷を次々に自分の身体に移して、それでもフラフラになりながら次の人、次の人と行くのはまあ……彼自身の悲壮なまでの意志によるものだと思っても、さすがにだんだん、演じる小池君のテンションも続かなくなってくる。

しかも、そこに駆けつけたタケオとのシーンからも長い!アサトを必死に止めようとするタケオに彼は、「もう、死にたいんだ!」と吐き出し、「タケオだってウソをついていたじゃないか。タケオはお父さんが大好きなんじゃないか。だからこの街から離れられないんだろ」と搾り出す。
図星を指されたかうろたえたタケオは、とにかくアサトをこれ以上傷つかせないように説得するのだけれど、「ゴメン、足の傷だけ引き受けてくれる」とアサトがタケオに傷を移動させる。と、途端に、タケオの足がまったく動かずに歩けなくなるのはおかしいじゃない。だってその直前まで足を引きずりながらも、アサトは歩いていたんだよ?

全身傷だらけの身体、その華奢な上半身を裸体にさらす美少年の図は確かに鼻血モンだけど、そっからが、まあ、長い!
足が動かない状態で上半身だけを起こして、アサトにやめろと叫び続けるタケオも、長い!
もう長すぎて、ついには途中から参加の玉木宏のテンションも下がってくる。もう見てて……というか、見てられなくなるのだ。役者の集中力が途切れてくるのをドキュメントで見せられるのほど、キツイことはない。

もったいないなあ、せっかく美少年と美青年の傷だらけのツーショットというお耽美なのにさあ。しかも美青年が美少年を抱き起こしたり、傷を移すために手をしっかと握り合ったりするんだぜ?血だらけで!こんな鼻血モンのシーンはないのにさあ、ダレちゃうんだもん。
しかも、あらかた救出したと思ったところで、ガソリンが流出し、あわや大惨事、などというお約束も登場、しかもしかも、そこに、横転した車から這い出た女性がおくるみにくるまれた赤ちゃんを差し出して、助けて!と叫ぶという超超お約束までも!
そこへ、救急隊員と共に、彼らが無傷にして助け出した人々が駆けつける。アサトに「何が起こったのか判らないけど、助けてくれてありがとう」と耳打ちする女の子。
うーむ、ここまでくると、さすがにやりすぎだぜ……。

しかもさ、この事故シーンの俯瞰のスローモーションが、凄くわざとらしい。
恐らく相当CGを使っているだろうと思うんだけど、人々のオーマイガット!みたいなアクションが、ワザとらしいのだ。
壮大さを追及すればするほど、リアルから遠のくモンなのよね……。

カットが変わる。アサトが目を覚まし、苦痛に顔をゆがめながらベッドの上に身を起こす。ふと横を見ると、同じようにベッドに寝かされたタケオが、顔だけをこちらに向けている。思わず笑い合う二人。
んでもってそこに、シホが帰ってきて元通りの三人になる。シホがああ言っても、当然アサトは傷を彼女に戻したりなんてしない。
そして、三人して屋上に上がる。松葉杖のアサトに車椅子のタケオが、「俺は傷を半分引き受けるって言ったんだぜ。どう見たって半分以上だろ」とこぼすと、シホが可笑しそうに笑う。

「もういちど、母さんに会いに行こうと思う」アサトは吹っ切れたような笑顔で言った。
この能力を、彼はもう呪わなくなったのだろう、恐らくあの、女の子の耳打ちで。それもちょっとクサイのだが。

身体の傷は共有出来ても、心の傷は共有出来ない。
斬新かつ、これぞ真実。いや、心の傷も共有できているんだと本作は言っているのかもしれないけど、でもやっぱり違うと思った。アサトに、タケオに、シホに、そう感じた。
今まで、逆のことはよく言われていた。でも、本当は、心の傷を共有なんて出来ないんだ……。

ところで、アサトもアサトの母親も左利きなのが意味があるのかと思ったけど、ただ単に小池君と斉藤由貴が偶然左利きなだけか……。★★☆☆☆


休暇
2008年 115分 日本 カラー
監督:門井肇 脚本:佐向大
撮影:沖村志宏 音楽:延近輝之
出演:小林薫 西島秀俊 大塚寧々 大杉漣 柏原収史 菅田俊 利重剛 谷本一 宇都秀星 今宿麻美 滝沢涼子 榊英雄 りりィ

2008/7/7/月 劇場(有楽町スバル座)
このテーマに足を運ぶことを躊躇していた。でも役者の演技の質の高さが評判を呼んでいて、じりじりとロングランになっているので、ようやく重い腰を上げることになった。そういえば最近、西島秀俊の出演映画で足が向くものがなくって、彼は映画に出続けているのに、随分観る機会がないなと思って。
そして、予想どおりというか、予想以上というか。これは大変だ……と思う。
どう書いていいのか。

もしも私が、死刑判決を受けた罪人によって殺された被害者の家族だったら、きっとこの作品を違った形で受け止めるのだろう。
あるいは、もしも私が、死刑判決を受けた罪人の家族だったなら、やはり違った形で受け止めるのだろうと思う。
でも私は、そのどちらでもない。もしかして将来、そういう立場になる可能性があるのかもしれなくても、どちらでもない。
普段はそういうことはあまり思わないのだけれど、こういう、平和な立場でどこまでのものを言ってもいいのか。

でもそれは、まさに演じている役者自身が最も感じていることなのだろうと思う。ことに……死刑判決を受けるほどの重大な犯罪を犯した受刑者を西島秀俊が演じるなんて、ちょっとショックだったけれど。
でも、彼はそうした凶暴な犯罪者の顔を、作中では一切見せない。彼の罪はちらりと文書で示されるのみで、それも本当に一瞬で、強盗殺人という言葉がようやく読み取れたぐらい。
原作が気になって、手に入れて読んでみると本当に短篇で、死刑囚のキャラクターは全く出てこない。しかも主人公の刑務官の仕事場での様子も、クライマックスの“支え”の場面さえほとんど出てこない。あくまでこの“休暇”を家族旅行に当てている、その心情が描かれるのみなのだ。そのストイックさに驚き、そしてこれを映画にすることにも驚いた。
だから、むしろこれは映画オリジナルと言ってしまっても、いいぐらい。

その死刑囚、金田真一は、殺風景な個室で、粛々と日々を送っている。その部屋での描写が殆んど。空の見える狭い一角に出て、「作業をして握力が出ない」といって縄跳びの縄を離す場面はあるけれどそれぐらいで、その“作業”の場面さえも出てこない。
金田は、いつも個室で絵を描いていた。細密な鉛筆画。見事な筆致で、刑務官たちも一目置いていた。スケッチのために雑誌を切り抜く違反行為も見逃していた。

定期的にやってきているらしい弁護士は、反省の心情を文書にしたためれば、恩赦だってなくもないと、口では言いながらも、実際はあまり気のない様子で金田に促す。
そりゃ、可能性はゼロではないけれど、いくらなんでも死刑判決を受けた受刑者に恩赦は現実味のない話だ。それが判っているから金田は、今思っているのは本当にそれだけなのだ、と淡々と口にする。
面会に妹がやってきても、双方ひと言も言葉を交わすこともなかった。お互い、ただ、たまらない思いを持っているのは間違いないのだけれど。
この、妹の面会が、本当に、最後だった。

よく、思うのだ。死刑判決を受けるほどの非情な犯罪を犯した罪人、何人も人を無情に殺した人間の、反省の心情を私たちは本当に望んでいるのかと。
もし、万が一、本当に彼、あるいは彼女が、心から反省し、なぜあんなことをやってしまったんだろうと悔いたとしても、その言葉を本当に聞きたいのかと。そんな言葉は空々しいと、よく言えるもんだと、断じるだけじゃないのかと。
特に、被害者、被害者家族にとっては、彼が悪人のまま死刑台の露となって消えていくことこそが、何よりの望みなのではないのかと。
最後まで、憎むべき悪人でいてほしいんじゃないのかと。

これまでに何人か、最後の最後まで、そう、死刑が執行されるまで、反省の言葉を一切口にしなかった罪人が、いた。私の乏しい記憶の中にも、いた。その犯罪はおぞましく、とてもとても許されるべきものではなく、たとえ大いなる慈悲の心を持った神でさえ、人間というものを作り出してしまったことを後悔し、自分の息子である彼を、切り刻んでやりたくなるようなものだった。
その罪人は、最後まで反省の言葉を口にすることはなかった。まさに、世間の期待?を裏切ることなく、ふてぶてしい悪魔のままで、死刑台の上に散った。
ふと、思ったのだ。それが彼の、たった一つ出来た、精一杯の優しさだったんじゃないかって。
全ての人から死んで当然だと憎まれる、さっさと死ねと憎まれることが。

金田が具体的にどんな犯罪を犯したのかは描かれないから、観客である私たちが、そんな強い感情を彼に持つことはない。
だから、淡々と日々を送る彼を、刑務官たち同様、寡黙な男として、どこか仲間のようにさえ錯覚してしまうぐらいなんである。
刑務官たちだって、彼がどんな罪を犯してここにいるかってことぐらい、判ってる筈なのに、問題を起こすこともなく静かに日々を送っている彼を、好ましく思っている雰囲気さえあるんである。それは、彼の描く細密画に感心する描写からも見てとれる。

でもそれは、確かに平和ボケしている日本の片鱗かもしれない。在任中の自分の手を汚したくないがゆえに、法務大臣はなかなか執行のサインを書かない。死刑確定されながら、実際は何十年も獄中で生き、執行ではなく病死したりするケースの方が多い。
でもだからといって、国民が執行をさっさとやれと言うこともあまりない。死刑が確定されたことで、その犯罪者の存在を、自分の中から消し去ってしまう。まさに、殺してしまう。そこで満足してしまう。
だから、何年も、何十年も前の死刑囚が、獄中死したり、執行によって死んだことを耳にすると、なんだかちょっと、驚いたりもしてしまうのだ。
その何年も、何十年もの間、今日来るか、明日来るかという、自分の部屋のドアの前に立ち止まる足音の恐怖を、彼らが感じていたことを、今更ながらに夢想して、身体を震わせるのだ。

でも、勿論当人や、被害者家族や、そして、当人の家族は、毎日毎日が、そうした思いで溢れているのだろう。死刑確定は、ゴールではない。
それを、そうした関係者ではないところで触れているのが、彼らを収監している刑務官たち。でも、ここで描かれている彼らは、何年かに一度訪れる、悪夢のような時間……執行……以外は、実にノンキに時間を送っている。
その悪夢の時間があるからこそ、それが許されているのかもしれないと思う。あるいは、殊更に、その悪夢の時間を自分から引き離しておくために、ノンキを自分に強要していたのかもしれないとさえ、今になってなら思う。

この中で、その仕組みが判っていないのは新入りのワカモノ、大塚(柏原収史)ぐらいである。
金田から、「香水の匂いのキツい、お喋りな新入り」と言われる彼は、その何年かに一度訪れる悪夢の時間のために、こんなノンビリした、外からはお役所仕事だと揶揄される仕事内容が許されていることが、判っていないのだ。
定年間近でいつもやる気なさげな坂本(菅田俊)に、軽い侮蔑の表情を浮かべる大塚には、判る訳がない。坂本がこれまで味わってきたことの壮絶さなんか。
いや、それからまた何年かも、大塚はまだ、判らないままだろう。金田の執行に彼は、まだ経験がないから立ち会わなかった。
執行の「支え」に名乗り出れば、一週間の休暇がもらえると聞いて、遅い結婚を控えた平井に、うってつけじゃないですか、などと無神経なことを言うぐらい、判っていなかったのだ。

小林薫が演じる平井は、金田の担当官とも言える位の、近い位置にいる刑務官である。
彼が結婚することを聞いた金田が、相手とのツーショットをスケッチしてプレゼントするぐらい、心を許しているのだ。
勿論、相手の女性のことを、金田は知らない。平井の隣に描かれた女性は、面会に来た金田の妹の顔とソックリなのだ。
「これは、妹さんかい?」と平井が問うてみると、金田は首を振る。でも、明らかに、そうなのだ。
それは、金田はまだ知る由もないけれど、いや、恐らく予期してはいたけれど、執行の、前日だった。

あのワカゾー、大塚の言うとおりに、平井は「支え」に立候補した。上からぶら下がってくる死刑囚の身体を、下で支える、執行補佐役。
それがどんなに、心に重い傷を残すかを、経験上、平井は知ってた。しかも彼は、見合いで出会った自分の娘ほども若い女性との結婚が決まっているのだ。執行の二日後には結婚式。あまりにも縁起が悪過ぎる。
だから平井がその役目に手をあげた時、仲間達は驚いたし、彼を心配する仲の良い同僚は思わず声を荒げて掴みかかるほどだったのだ。
確かに平井には、その再婚相手、美香(大塚寧々)と幼い連れ子との、関係を、絆を構築する時間が必要だった。欲していた。子供は見知らぬおじさんになつかないし、美香自身も、平井が本当に自分の方を向いているのか、不安と疑念を抱いていた。

それはひょっとしたら、平井自身にも判っていなかったかもしれない。
美香の方は、前夫を亡くしていて、ひょっとしたら彼よりも、人生の苦節の経験が豊富だったから。
いや、でもそうだろうか……仮に、刑務官として死に立ち会う経験が、他人に対する仮想の悲劇だとしても、それは普通の死とは全く異質な、キツイものなんじゃないだろうか。
それを知っていることを、そのこと自体を、平井は心の傷にしているんじゃないだろうか。

だって、彼らは、殺人者となるのだ。
もう決まったことを遂行するとはいえ、命じられているとはいえ。相手が極悪非道の人間だとはいえ。
「金田は大人しい男ですが、いざという時にどういう行動に出るかは、予測がつきません」という言葉には、もはや彼が残酷な犯罪を犯したことが忘れ去られている感さえある。ここでの、刑務官たちにとっての金田は大人しく、従順な男。予想外の行動に出るとしても、それは突然の刑の執行に取り乱す、人間の感情の範疇に過ぎない。

しかも、日々、寝食を見守り続けてきた相手なのだ。情が移ってしまうのは、しょうがない。だってその場では、彼は一人の受刑者であり、犯罪を犯した後の、弱い人間であり、自分たちに対して危害を加える恐れもないのだもの。
でもそう考えると、弱い立場だから、弱い人間だから、自分たちが手を下して殺してしまう相手だからの、憐憫の情なのか。
判らない。本当に……なんと言うべきなのか。
ここには本当に、私たちにはとてもすくいきれない感情があって、執行には、どうしても誰かの手が必要で、それは、法によって定められた、許されたものとはいえ、やはり殺人に他ならないのだ……。

刑の執行が決まっても、そのことを金田に悟られてはいけない。いつのもように振る舞わなくてはいけない。なのにワカゾーの大塚は金田に、何か他に欲しいものはあるかなんて聞いてしまうものだから、金田は「え」と短い驚きの顔を向ける。そして当然大塚は、先輩に叱られるんである。
でもそれでも、「音楽が聞きたい」と言った大塚の言葉を、ベテラン刑務官の三島(大杉漣)に報告すると、三島もまた大塚を叱責しながらも、わざわざCDラジカセを金田に差し入れさせるんである。「いつも真面目にやっているから、ご褒美だ」などと、あり得ないことを言って。
金田は虚を突かれて、音楽を聞きたいかなんて言ったか、と返すのだけど、ふと思い返して「ああ、言ったか」とつぶやき、ほんの少しだけヘッドフォンを当てただけで「もう、いいです」と返す。
つかみどころがない。どこに本心があるのか。
でも、金田がふと聞きたいと思った音楽にも、それはあくまで平和な世の象徴で、彼の心を溶かすことは出来なかったということなのか。

でも、ついにきた死には、初めて恐怖を見せる。震える。涙をこぼす。初めて見せる生身の人間の感情に、金田が当然、刑務官たちにも心を見せたりなんかしてなかったことを思い知らされる。
でも、そんなこと、ベテラン刑務官たちには判っていたのだろう。だってきっとそんなこと、レベルの差があるだけで、皆同じだ。
「金田、暴れず、立派だったな」ぽつりと一人の刑務官がつぶやいた。

平井が美香と、その子供と一緒にすごす時間は、もう劇中では全てが終わった後として、細切れに、挿入されてくる。時間も前後していて、モザイク状になってる。だから最初、なぜ平井の気分が突然悪くなってトイレで吐いたりするのか、判らないんである。
でも、平井が刑務官であり、ぶら下がった足を支える映像が唐突に、フラッシュバックのように挿入されるから、段々、推測がついてくる。
確かに平井は、外から見れば、おカタイ、安定した、お役所仕事なのだろう。物語の最後、慎ましやかに行われる結婚披露宴でも、そんな紹介がなされる。
でも列席した、あの場に居合わせた仲間達は、そんなノンキな、自分たちを知らずに侮辱する挨拶に反発する気力さえもなく、グレイビーソースのかかったステーキなんぞ食べられる訳もなく、ぐったりとした表情で座っているのだ。

何人もの、経験ある刑務官たちが立ち会って行われる刑の執行。
その場所は殺風景だけれど、刑務官たちによってきれいに掃き清められ、牧師が罪人のために祈り、遺書を書く暇まで与えられる。ひどく、神々しい。
それは、そんな準備も与えられないまま、突然彼の手によって死んでいった人たちと比べたら、贅沢すぎるほどの死だ。
でもそれは、殺人者になんかなりたくないのに、法の代理人として遂行しなければいけない刑務官たちが、自分たちを精一杯なぐさめる術なのかもしれないとも思う。
だって、その準備は、一体どこまで、死刑囚に届くの?もちろん、届いてほしいと思っている訳じゃないんだけれど……。

もちろん、刑務官たちは、そんなこと判ってる。一番判っているのが、この幸福のために地獄を見ることを決意した平井。
彼が金田の執行に立ち会うこと、一番キツい役目を負うことを決意したのは、休暇のためなんかじゃ、きっとなかっただろう。
ただ、明確に、この理由だと言い切れないほどに、複雑ではあるけれど、でも、ずっとそばにいて、必要以上の言葉は交わさなくても、不思議に心が通じていた金田の最後を、縁起が悪いからなんてことで、目を背けるなんて出来なかったからじゃないかと思えてならない。
それは、本当に、あまりにもあまりにも強くて、辛い、決心だけれど。
性善説を信じたくても、信じられなくなっている今、それでも、どんな極悪人でも、死ぬしかないようなヒドイ奴でも、その最後を誰かがこんな風に慈悲を持って見守ってくれたなら、生まれ変わったら、平凡でいいから、健康で幸せな人生を送る人になってほしい。

終わってみると本当に、金田の方ばかりに引きずられて観ていたことに気づく。
休暇を得るために、キツイ仕事を引き受けることがテーマなのに、そっちにはあまり興味が向かなかった。
原作と映画の、特に平井の思いの感覚は違うように感じる。新婚旅行のため、自分の幸せのため、って感じには思えなかったもの。
原作は、短篇だし、結婚を迎えた平井に寄り添っている。本作も確かに主役は平井なのだけれど、どうしてもどうしても、死刑囚という重くて深い立場に気持ちを持っていかれるのだ。

でも、長い時間をかけて、そう、あの悪夢の時間と引き換えにして得た休暇での、温泉旅行で少しだけ近づけることが出来た子供との関係に、これからの平井の時間を思う。
でもね、この子供も絵が好きで、ヒマさえあれば絵を描いているのだよね。その姿に平井が、金田を思い出さない筈はないのだ。
でもそれでも。心の傷を自分に見せようとしない、まだ自分の方を向いてくれない平井に苛立ちを感じながらも、美香が言ってくれた「あなたと一緒に生きていくって、決めたんだもの」という言葉が、彼女の存在が、平井を支え続けるのだろう。あの時の、あの時間の、一瞬の支えなどではなく。

監督さんは、知らない名前だった。一瞬、若いと思ったけど、もう自分より若いだけで、若いと思うのはよそう……(爆。自覚しなければ)。
ドラマチックに盛り上げることを、意識的に避けている。ベテランのような作りに驚かされる。
他のスタッフにも若い才能が結集している。若いといってもアラフォーだけど。今はこのぐらいの年まで待たされるのね。これだけ重厚な作品を撮れるだけの才能が、もっと早くから経験を積める環境が、今の日本には出来ていないのが歯がゆい。★★★★☆


侠骨一代
1967年 92分 日本 カラー
監督:マキノ雅弘 脚本:村尾昭 松本功 山本英明
撮影:星島一郎 音楽:八木正生
出演:高倉健 大木実 石山健二郎 志村喬 宮園純子 藤純子 山本麟一 今井健二 相馬剛三 伊達弘 岡村耕作 須賀良 室田日出男 滝島孝二 沼田曜一 八名信夫 山田明 日尾孝司 山之内修 河合絃司 潮健児 南原宏治 岡部正純 植田灯孝 久保一 遠藤辰雄 沢彰謙 関山耕司 御木本伸介

2008/3/27/木  東京国立近代美術館フィルムセンター(マキノ雅広監督特集)
あー、なんか高倉健のこういうまっすぐな任侠モノって、久しぶりに観るような。やっぱりこの人の無骨な魅力は、こーゆー映画にて発揮されるのよね。しかも若干マザコン入ってるし(爆)。
そのマザコンを引き受けるのは、彼の若き日の母親と、その母親に瓜二つだという設定の夜の女、お藤。演じる藤純子がもっとも美しい時期で、しかもこの無骨な男から母親を重ね合わされているもんだから、ホレても彼は手を出そうとせず、その女心の切なさと身体のうずきの狭間を素晴らしい色っぽさで見せてクラクラしてしまう。
いやー、こんな結構あからさまな意味合いを含んで色っぽい藤純子は、初めて観るような気がするなあ。
仮病を使って他の客を断わり、いつもは結い上げている漆黒の髪を下ろしただけで、それが白い肌にかかってゾクゾクする色っぽさ、そうして布団に横たわって、「好きにしていいのよ」と目をうるませるなんてさ!

まあ、なんてこと言ったって、あの健さんがその言葉に応えて彼女をどうこうする筈もないんである。とゆーか、またしてもヘンなところから切り込んでしまったけど(爆)。
始まりは昭和初期、軍隊なのね。不器用な男、伊吹竜馬(健さん)はそこで手を抜くことを知らず、一緒に行動する仲間たちから疎まれ、上官には目をつけられ、この理不尽な組織というものにイラだっていた。
そんな彼を心配する戦友の小池とともに、よく衛生にブチこまれた。そこで伊吹は何年も会っていない母親のことを思い出して涙を流す。

女手ひとつで自分を育ててくれた美しい母親とは、8つの時に自分が材木屋の丁稚奉公をした時から会っていなかった。母親が最後に渡してくれた、初めての真っ白な握り飯のことを忘れることはなかった。
おっかあに白いメシを腹いっぱい食べさせてやりたい、そう思っていたのに、彼の元に非情な電報が届く。それは年老いた母親を墓掃除に使ってくれていた寺の和尚からの、母親の訃報。
母親の死ぐらいでメソメソするな、と叱責する上官に伊吹は武器庫からマシンガンを強奪して暴れまわる。そんな、不器用な男だった。

こんな具合にね、不器用で無骨で、正義感溢れてて、母親ヘの愛に真っ直ぐな男、健さんにあまりにも似合い過ぎる男、なのね。
そしてそれがあまりにもあまりにも真っ直ぐだから、時にふっと笑ってしまう場面もある。上官からイヤミたらしく、お前だけはメシを食ってもいい、と言われ、自分も食べません!と食堂に引き戻されるのをだだっこのように拒み、逆立ちしながら戸口のところで踏ん張って、「これ以上は行けません」って、なんだそりゃ、みたいな(笑)。
軍隊から出て、これからどうしようって場面でもいきなり笑わせる。夜の闇の川岸をふらふら歩いている健さん、懐に石をいっぱいつめて、意を決して川の中に飛び込んでみたら、めっちゃ浅くて、いきなり川底に尻もちついてるし(爆笑)。
なんかこういうのを、ギャグシーンだと思わずに超マジメに健さんがやっているように思えてさあ、こんな男に後々ホレてしまって身を捧げてしまうお藤さんの気持ちが判るような気がするんだよなあ。

ちなみにここに通りかかったのが、後に伊吹の男気を見込んで自分の跡を任せることになる坂本組の親分さんだった。「なんだ、まだ若いじゃないか。死んで花実があるものかー」と歌いながら去っていくこの親分さんを演じるのがああ、ステキ、志村喬。柔らかで懐の深い親分さんがもうとにかく素敵で、彼の温かな存在感がこの作品を支えていると言っても過言ではないんである。
彼がね、とにかく汚いことが許せなくてムチャに暴れる伊吹を、「それはクソ度胸というものだ。度胸は大事だが、それには思慮が必要なんだ」と言って聞かせる場面が好きなんだよなあ。敵対する宍戸組がバナナの積み下ろしに法外な値段を吹っかけて船を占拠していることに怒った伊吹が、坂本組の半纏を脱ぎ捨てて乗り込んだ事件。ここでの伊吹の言い様がまた、なんともイイんだわ。「バナナを待ってる子供たちを泣かせることはないだろうが!」バ、バナナを待ってるかあ(笑)。

まず親分さんはこう諌める訳よ。「お前たち、いいことをしたと思ってるのか!」とね。うなだれた伊吹がすみません、と謝ると、親分さん、ニッコリ笑って「いいことを、したんだ!」あらららら、観客は思わず吹き出し、スクリーンの中の伊吹以下、そのクソ度胸を発揮した荒くれ男たちも思わずホッとした笑みを浮かべる。
こんな具合に親分さんは自分の度量ですっかり引き受けて、金儲けとか欲とか考えないで、でも世間のこともちゃんと判って彼らを導いていく素晴らしい親分さんなのね。

ちなみに最初は伊吹は、その敵対する、あくどいやり方でここらあたりを牛耳っている宍戸組にいた訳なんだけど……とゆーか、その前に食いつめた伊吹は危うく乞食になりかけるんだけど……神社の境内で物乞いしていためくらの二人組が、男たちにいわれのない暴力を受けていたのを見かねた伊吹が助けたことで、逆に腹をすかせて目を回して倒れちゃった伊吹を乞食たちが助けてくれたのだった。
ちなみに、このめくらというのもウソで(笑)、この不景気の世の中、乞食という生きる糧を、ある意味潔く生きている彼らと伊吹は腹を割った仲間同士になる。しかし伊吹は彼らの友情に感謝しながらも、このまま乞食として生きていくことは出来ない、一人前になったら俺のトコに来てくれよな、と言って一からやり直す決意をする。
おや、大きく出たよ、この人は、などと乞食たちはしかし温かく笑って送り出す。その時、「こいつも連れて行ってくれ。まだシャバに未練があるんだ」とまだ乞食未満の男とともに、人足として入ったのが宍戸組だったのだ。

しかしそこで、出会った仲間達はいいヤツらだったんだけど、人足の給料をイカサマ賭博でピンハネする宍戸組のやり方に怒った伊吹は、単身乗り込んでいってあやうくシメあげられそうになる……ところに居合わせてこの場を収めてくれたのが、坂本組の親分さんだったのだ。まっとうに生きていきたいと願った伊吹は、坂本組に頭を下げてやっかいになるのね。
そんな折に、伊吹は母親にそっくりな夜の女、お藤に出会うこととなる……。遊びたい訳じゃない。話をするだけでいい、となけなしの金を彼女に投げ出す伊吹。そんな彼に仕方ないわね、といった苦笑交じりで、まあ遊んでやってもいっか、とお藤が布団を引き出したら、伊吹ったら途端に腰が引けて逃げ出してしまう(笑)。そんなウブな彼に、お藤は段々惹かれていった。まさか自分が、彼の母親に瓜二つだからなど思いもせずに。

私の中では藤純子って、もう緋牡丹博徒のイメージが強いもんだからさあ。あの美しくてしなやかで、徹底的にストイックな。こんな色っぽい、純粋に男を愛してしまって苦悩する女を演じる彼女を観るのは初めて。
お藤さんはね、最初こそは自分が伊吹の母親にソックリだと知って、ちょっとショックを受けるのね。まあまずは、だから彼は自分に手を出さなかったのか、と思ったろう。そして次には、伊吹の中では完全な聖母であるだろうその母親に、苦界に身を落として汚れきった自分がかなうわけがない、と思うのね。
そう、最初こそは、まるで自分に手を出さない伊吹に、「ヘンな人ね」と苦笑するばかりだった。でもそれは、どこか、母親が子供を見るような思いだったのかもしれない。彼女は自分では気づいていなかったかもしれないけど……。

お藤さんはよく“私はだるまなのよ”と口にする。寝たり起きたりよ、と。つまり、客と寝る商売女なのだ、と。最初こそは自分に手を出さない伊吹を諭すようにして言っていたのが、段々と、自分を自嘲する響きに変わってくる。
伊吹が何も手を出さずに自分を見つめれば見つめるほど、彼女の思いはつのり、胸が苦しくなる。自分の顔を鏡に映して、「ねえ、どこが似ているの?」と聞いてみる。伊吹はどこか苦しそうに、「目も口も……そっくりだ」と。
「ねえ、目をつぶってよ」彼女は伊吹の頬を触った。「母ちゃんって、言ってみて」「おっかあ……」「竜馬、竜馬……」その声はまさに母のものだった。お藤は泣きながら彼をそっと抱く。この場面で一度カットアウトするけど、ひょっとしてここで、二人は結ばれたのかもしれない。

そして宍戸組との攻防で伊吹が苦境に立たされたことを知ったお藤は、満州へ自らを身売りして大金を作り、彼のために着物を一反作って、この町を後にするのだ。「ね?私って、あばずれじゃなかったでしょう」と同僚に涙を見せながら……。
同僚は彼女を見送り、事情を知った伊吹が飛び込んできた時、涙ながらに酒を飲んでいる。
「あの娘ったら、すっかりあんたの母親気分だったのよ。着物まで作って!」

まあったく、罪な男よ、伊吹は!ホレた女に母親を重ねて、指一本も触れないでさあ(いや、触れたかもしれないんだけど)。でも、結局は理想の女に、ホレた女に自分の中の最高の位置づけの女である母親を重ねる男っていうのは、実は凄く正直で、これ以上ない愛を持っていたと言えるんだろうけど……で、それは健さんがやるから、何とかそうも納得出来るんだけどさ。

この頃にはね、伊吹はその男気を親分さんに買われて、芝浦の出張所を任されるようになっていた。宍戸組で一緒だった仲間たち、乞食時代の仲間たちも、彼を慕って次々に坂本組に入ってきた。ま、乞食さんたちは、他の仲間たちに臭え臭え言われてたけど(笑)。でも、伊吹の窮地を救ってくれた恩人たち、そして皆仲間たち。男を賭けられる仕事に一緒に情熱を傾けることになる。
そして親分さんの娘は、伊吹にホレていた。仲間達はそれを察して、にんまりと笑いながら、ジェスチャーで伊吹をからかいまくる。こんなあたりが体育会系の男の子っぽいノリで可笑しい。

親分さんが、一世一代をかけてとってきた下町の水道工事。下町の人たちにキレイな水を飲ませてやりたい。その一身で彼はこの仕事に賭けていた。
しかしここら一体を牛耳っていた岩佐組に妬まれて、親分さんは撃たれてしまう……一命は取り留めたけれども動けなくなってしまった彼は、伊吹にこの工事を任せた。岩佐組の執拗な妨害に、一度は頓挫しかけるものの、親分さんは屋敷の権利書を売ってまで、この仕事に賭けさせた。

でね、ちょっと飛ばしちゃったんだけど、岩佐組ってのは、宍戸組と繋がってて、一度伊吹が宍戸組と一触即発になった時に居合わせた岩佐組の代貸が、軍隊時代によく一緒に衛生にぶち込まれていた戦友、小池だったのだ。
小池は正義を信じて危ない橋を渡っている伊吹を案じて、時には自分の顔を立てて彼を救ってやったりもするんだけど、それも代貸という立場だけではそうもいかなくなってくる。

この水道工事の入札で落ちた岩佐組が、坂本組に対して露骨な妨害を仕掛けてくるようになる訳だけど、その前に、理不尽なのは判っているが、岩佐組にこの工事を譲ってくれないか、と小池は伊吹に頭を下げに来るのね。しかしそれを伊吹は断わった。
小池だって本当は、伊吹のように生きたいに違いない。でも出来ないのだ。
お前を斬ることになるかもしれない、と小池は苦しそうに言い、それでも、俺とお前は戦友だよな、と言った。伊吹は厳しい顔をしながらも、「ああ、死ぬまでな」と言い捨て、きびすを返す。

クライマックスの前、皆を巻き込まないようにと工事現場からいったん引き上げさせ、自分ひとりでカタをつけようとした伊吹、つまり死ぬ覚悟だった彼を、その前に斬りに来たのが小池だった。いや小池は、丸腰で宍戸組、岩佐組に乗り込んでいくようなムチャをする伊吹を、きっと救いに来てくれたのだ。
この時にね、それまではずっと鳶のカッコをしていた伊吹が、お藤さんが仕立ててくれた藍の着流しを着ている、それは任侠作品で見る一匹狼の健さんそのもので、ああ、これから彼はたった一人で斬り込みに行くんだと、その合図のように思えて胸が高鳴ってしまう。

そしてその最初の相手、橋の上で対峙する小池。彼は伊吹の分も匕首を用意して来ていた。
二人向き合う。伊吹が小池の右腕をザクリとやって、その勝負はついた。きっとお互い、殺すことなんて出来なかったし、小池がここで伊吹を待っていたのは何とか彼を、ムチャなことをして命を落とすかもしれない彼を止めようとしたんだと思うし、それがムリならせめてと……。
小池は敵地に乗り込む伊吹に、「持っていけ」と落ちた匕首を指し示す。イイヤツだ……。

そして、クライマックス!いっくらなんでもムチャな人数にたった一人で挑む伊吹、いや健さん!それでも彼の異様なまでの気迫に、ザコどもは腰が引けまくっているのだ。
そこへ、伊吹に帰らされた仲間たちも駆けつけてくる。口止めされていた相棒が、でもどうしても黙っていられなかったんだろうと思われる。もはや伊吹もそれをとがめることもなく、皆で大暴れする。そしてついに、宍戸と岩佐の悪徳親分二人を追いつめ、その息の根を止めた伊吹。

あのね、ここでカットアウトして、ラストシーンは満州へと旅立っていくお藤さんなのね。巨大な旅客船から色とりどりのテープが港とつながっている中、いつものように瓶の牛乳を飲みながら(これが、なんとも印象的なのよね)、遠い目をしているところで終わるのよね。
伊吹は死ななかった、よね。多分捕らえられて、でもその間にこんな露骨なことをした岩佐と宍戸達も終わりで、伊吹がお勤めをしている間に仲間たちが立派に水道工事をやり遂げて、そして伊吹が出てきたら、彼は満州にお藤さんを迎えに行くんじゃないかとか、すっごい妄想というか、幻想というか、勝手にそこまで想像しちゃう。
だってそうじゃなきゃ、やりきれない。こんなところでカットアウトなんてさあ!

伊吹にホレて、ホレた女ゆえにお藤さんの想いを彼に黙っていられなくなる親分のお嬢さんも、泣かせた。まったくみんな浪花節なんだから!★★★☆☆


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