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「え」


2009年鑑賞作品

永遠のこどもたち/EL ORFANATO
2007年 108分 スペイン カラー
監督:J.A.バヨナ 脚本:セルヒオ・G・サンチェス
撮影:オスカル・ファウラ 音楽:フェルナンド・ベラスケス
出演:ベレン・ルエダ/フェルナンド・カヨ/ロジェ・プリンセプ/マベル・リベラ/モンセラット・カルージャ/アンドレス・ヘルトルディス/エドガー・ビバル/ジェラルディン・チャップリン


2009/1/9/金 劇場(シネカノン有楽町1丁目)
なんか予想していたのと違う、と思ったのは、ギレルモ監督作品だと思っていたのがそうではなく、彼のプロデュース作品であったせいなのか(売れてる名前を出すのが宣伝としては当然なのかもしれないけど、こういう風潮って、なんか困っちゃう)、あるいはそのギレルモ?監督の「パンズ・ラビリンス」から連想するような残酷なお伽噺を想像させる予告編だったからなのか、更にあるいは、もっと根本的に、この作品の立ち位置がどこにあるのかが判然としないからなのか。

これって、ホラーなのかしら、それとも親子愛の話?あるいはSFだとも言えるかもしれない。この母子が行った世界がいわゆるパラレルワールドだとするならば。
過去、ではないよね。だって“ウエンディ”は大人になったのだし、大人になれない“ピーターパン”たちは、時空間の隙間に取り残された、と考えられもする。
だとしたらこれは、SFなのかもしれない。そういやあ、かつてはSFホラーなんていうくくりのジャンルもあったような。

なんか、それこそ日本のホラーなら、こういうのありそうだよな、と思うのだ。ホラーという前提を置きながら、その中で描かれるのは親子愛であり、親子愛という切り口に共感するからこそ、その怖さが哀しさ切なさを帯びて独特の余韻を残す、っていう……。ジャパニーズホラーを決定付けた「リング」なんて、まさしく親子愛のホラーだったもの。
それにかつての怪奇モノだって、そこから発展して夫婦愛だったり恋人への思いだったりする訳だし。伝統として持っているんだよね、日本人の中には。

だからこそか、なんとなく物足りないというか、立ち位置をどこに置いたらいいのか判らない気がするのは。この作品って、観客を怖がらせたり、ドンデン返しにビックリさせることにこだわりすぎているような気がする。その中に親子愛も、あるいは夫婦の愛も埋没してしまうような気がするのだ。
確かにタネ明かしの“灯台下暗し”にはビックリしたけど、でもそれは、ホラーのジャンルにおけるひとつのお約束でしかなく、決して切り札じゃないと思うし。
あー、でもこういう、“決してラストは明かさないでください”的な感じ、それこそ「シックス・センス」あたりから顕著だよなあと思う。ネタ的には同ジャンルだよね?それこそそれを言ってしまえば、最初からネタもオチもバレバレなのだが。

子供や、子供たちが収容されている施設なり寄宿舎なりといった場所は、容易にホラー的雰囲気に満ち満ちる、のはなぜだろう。子供時代を思い出した時、楽しい思い出よりも、哀しかったり苦しかったり辛かったりすることをまず思い出してしまうからなのかもしれない。
子供時代は決してムジャキに楽しいばかりではない。むしろ負の意識に満ち満ちているし、逆にだからこそ、早く大人になってそれから解放されたいと思う。子供が、早く大人になりたいと願うのは、大人が思うような、背伸びした気持ちなどではないのだ。

つまりその頃から、子供はもう大人と同じで、ネガをポジよりも重く感じてしまう、言ってしまえば欲深さを持っていると言える。まあそれは、よりよい未来や夢への希求だと言ってしまえばそれもそうなのだけれど。
それが純粋な形で示されるからこそ、子供は怖い。ホラーに出てくる子供たちが怖いのは、それがあまりにもムキダシだからなのだ。大人がようよう心の奥に閉じ込めているものを、まるで包み隠さず出してくる。

この物語のカギとなる、エレファントマンな男の子、トーマスを子供たちが“ムジャキに”イジメた結果、彼が死んでしまい、その呪いがいじめっ子たちに及ぶくだりなど、その最たるもの。
そしてそのいじめっ子たちとは仲良しだった主人公の少女、ラウラは、直前に養子にもらわれてこの施設を去らなければ、彼らと共にトーマスをいじめ殺してしまったことは充分に考えられるのだ。

というか、彼女がトーマスのことを覚えていたか否かさえ不明瞭なのは、更に残酷である。ラウラは自分の息子、シモンが姿を消す時にいた、不気味なマスクをかぶった少年を目にした時、トーマスだと思い出したって良かった筈なのだ。
いくら、トーマスが地下室にこもって生活していたとはいえ、一緒の写真におさまっているのだし、そして何より、ラウラと仲の良かった子供たちは、トーマスのマスクをはぎとって洞窟に追いやり、出てこれない彼は満潮の中溺死してしまうという悲劇が起きたのだから。
彼女は自身の記憶から、醜いトーマスを追いやっていたのだろう。それは恐らく、ほとんどの人間がやってしまう残酷な防御。
自分に対する負の記憶は忘れられなくても、他人に対する負の記憶は忘れようとしてしまう。

しかし、ラウラの息子、シモンには、トーマスをはじめとして、トーマスをいじめたために彼の母親に殺されてしまった子供たちが見えていた。
それはラウラと夫には見えないから、“見えない友達”だった。両親は彼が繊細な神経の持ち主だから妄想壁があるだけだと思い、本当に人間の友達が出来ればそんなクセも治るだろうと楽観視している。
ラウラは自分が育った施設を買い取り、あの頃ほどの規模ではないけれども、同じように孤児たちを預かるホームを経営しようと準備していた。音楽家の夫も協力的だった。

というのも、二人が得た息子は実子ではなく、養子だったというのも大きいと思う。ただ、なぜ彼らが養子を得たのかということについては語られない。どちらかに不妊の原因があったのか……。
それに、シモンが母の年齢を聞いた時、彼女は36歳だというけれども、どー見ても私と同じとは思えない、のは、私が自分の年齢に向き合えていないからなのか?いやいや、30代にはキツすぎると思うのだが(思わず確認。やっぱり40過ぎだったじゃんー。あー、ホッとした?)
しかもこの息子は、HIVポジティブである、なんてことまで聞いてしまえばますます、二人がなぜこの子を養子に迎えたのか、気になるじゃないの。ま、そんなことを言ってしまうのもアレなんだけど……。

シモンに“見えない友達”が見えるのは、彼が危惧したように、死に近い存在だったからなのかもしれないけれど、もともと子供には大人には見えないものが見える、という定説はある、よね。現世にいる時間が大人よりも短い、それだけこの世ではない世界に近い、と。
それも幽霊とかなんとかいう俗なものだけではなく、妖精とか妖怪とか、そういう想像上と言われるものも。それは子供が想像力豊かである、のではなく、やはり邪気がないゆえに“何でも見えてしまう”のだろうと考えたくなるのは、子供に純粋さを求めたくなる大人の考えなのだろうか。
シモンは子供であるということ、不治の病を抱えているという双方の意味で、現実の世界よりもそうじゃない世界に近かったのであり、それこそ時空を越えて定められた、あまりにも哀しい宿命だったのだろう。

いよいよホーム立ち上げの日、見えない友達のことを信じてくれない母親に業を煮やして、トーマスの部屋へ案内する、と珍しくダダをこねるシモンの頬を、思わずラウラは張ってしまった。火のついたように泣き出すかと思いきや、涙をこらえた目で母親をじっと見つめる息子に耐えられなくなったかのように、叩いた手を所在なげに振って、ラウラは息子を残してパーティー会場に降りていく。
その直後、シモンは姿を消した。

どこを探してもいない。仮面パーティーの趣向の中、子供たちの仮面を次々にはぎとり、焦りと苛立ちを募らせるラウラ。その様がまずブキミなのだけど(仮面っていうのがね……クラシックに悪魔のいけにえ→13金とか思い出しちゃう)その中にあのトーマスが紛れ込んでて、ラウラをバスルームに閉じ込めたりしちゃうわけ。その拍子に指をしたたかに挟んで爪をはがし、バスタブにひっくり返って彼女は悲鳴をあげる。

探して探して探して、その間にシモンの居所を示すヒントがあるんだけど、それはまあここではスルーして、ラウラは海岸まで走っていく。夫も追って行く。
ガクガクと揺れる、狂ったようなカメラワーク。ラウラはシモンと共に訪れた洞窟の闇の中に、子供の影があるのを波間に見るのだけど、夫に止められ、そして捜索隊もシモンを探し出すことが出来なかった。

と、その前にね、ホーム立ち上げの前に、不気味な老女が訪ねてくるのよ。ソーシャルワーカーだとウソを言って。後にトーマスの母親だということが明らかにされ、トーマスを死に追いやった子供たちを毒殺した(らしい)、ベニグナ。
牛乳ビンの底の様なメガネをかけたベニグナは、彼女が施設にいた頃からスタッフとして働いていた。だけどラウラはそれを覚えていなかったのね。ラウラが施設を出て行く間際のすれ違いのスタッフだったとはいえ、覚えていなかったのはやはり、彼女の中で排除すべき存在だったんじゃないかと思われてならない。
だって、写真やフィルムにおさめられているベニグナは、同じく暗いメガネ女でなんだか異様で、醜い息子のことを愛してはいたんだろうけれど、つまりは地下室に閉じ込めていた訳だしさ、負の要素ばかりを感じてしまう女だったんだもの。

そもそも、息子がいるってことは父親がいる筈なんだけど、それは影も形も見当たらないのも気になるところなんである。ついつい無粋な想像もしたくなる。だから彼女はどこか、歪んでしまったんじゃないかって。
ベニグナが夜中、物置小屋に忍び込んで漁っていたのは、自分たちが殺した子供たちの骨がうずまっていたからだった。
それをラウラは、シモンが見えない子供たちと興じていた“ゲーム”によって探り当てるのだ。

というか、その前に、行方を追っていたベニグナもラウラの目の前で車にはね飛ばされて死んじゃうし(口がグワリと残酷に裂けた血だらけの顔面!……ちょっと悪趣味)行方不明のシモンの手がかりがどうしてもつかめなくなってにっちもさっちもいかなくなったラウラは、ついに霊媒師までも当てにしちゃうのね。
それは確かにドンピシャリで、この施設でかつて起きた悲惨な事件をあぶりだすきっかけを掴み、ラウラはどんな方法を使っても息子を取り戻す!と息を吹き返すんだけど、せいぜい誰か(恐らくトーマスの母親)にさらわれたぐらいに思っていた夫は、そんな妻についていけなくなる。
そもそも彼女が聞いていた家の中の不審な物音も、彼にはいっかな聞こえていない風だったし……それはやはり彼女が母親だから聞こえていたのだろうか?
でもその物音は……決定的なそれは、愛する息子がまさに命を落とした時の音だった、ということを知った時、ラウラは絶叫した。
「NO−−−−!」と。

……このオチってさ、恐らく、このオチありきでこの物語は作られたんだろうと思うんだけどさ、だからこそ、ちょっとヤダなあ、と思うんだよね。
観客がショックを受けるのを、手ぐすね引いて待ってる、そのためのここまでの語り口って感じを、このネタを示されると一気に感じちゃうんだもん。
遠くにさらわれたとばかり思っていたシモンは、実はずっと、この屋敷の中にいた。彼が消えたまさにあの時、ヒントを示していたのだ。トーマスの部屋を見せる、と。
ラウラはそれをいつもの空想癖だと思っていたけど、その部屋は本当にあった、この屋敷の中に。
道具置き場の中のドアの、更に奥の階段の下。まさに、隠し部屋だ。この屋敷を斡旋した業者だって、そんな場所があることを知らなかっただろう。

シモン、あるいは見えない友達たちによる“宝物探しゲーム”で、見知らぬドアノブに行き詰まっていたラウラは、当時を再現することで“見えない友達”たちを誘い出し、なんとかシモンの居場所を探り出そうとする。
その“見えない友達”たちは、かつての自分の友達なんだけど、この時点でラウラにそこまでの余裕はない。
ついに探し当てたドアノブは、トーマスによって閉じ込められた礼拝堂の道具置き場の中にあった。そう、閉じ込められたのだ、あの時のシモンも、ラウラによって。
隠し扉を、道具置き場にしまわれていた、なんだろう、あれは、なんかパイプ状のものによって、しん張り棒のように押さえ込まれてしまった。
でも多分、その後シモンは何日かは生き延びていたんだろう。
ある日、ラウラは物音を聞いたのだ。何かが落下するような音を。それは……閉じ込められたシモンが何とか外に出ようと頑張り続け、その何かのハズミで地下室への階段を転げ落ち……墜落死してしまった音だった。

ずっとずっと、シモンはいたのだ、ここに。
しかも自分が閉じ込め、死なせたのだ。
“見えない友達”に導かれて、その真実に突き当たったラウラは絶叫する。
しかしその後、思いも寄らぬ幸福な時間が待っているんである。
シモンはピーターパンの物語のことを、ラウラに話していた。ウエンディは大人になってしまうからネバーランドにはいられない。僕の友達たちもみんな大人にはなれないピーターパンなんだと言うのを、彼女は微笑んで聞いていたものだ。
でもまさに、彼女は大人になったウエンディとして、“見えない友達”たちと共に生き続けることを決意する。

「ウエンディみたい。大人になってる」とかつての友達たちは、ようやく、かつてのラウラだと気付いてくれる。
そしてラウラが過去の記憶から消し去ったトーマスも、今はマスクも脱ぎ去り、月光の下さらされた皮膚の引きつった顔は、でもなぜか、不思議と、決して醜くも怖くも思わないのだ。子供たちの一員として、当たり前にそこにいるのだ。むしろ、より静謐な魅力を漂わせて。

ラスト、夫が、もう誰もいない屋敷を訪れる。
あれから何年か経ったのだろうか。もう誰もいない。ラウラとシモンの墓も建てられている。
そこで彼は、見えない者の声を聞く。
彼もそこへ行くのだろうか。いや……。★★★☆☆


映画は映画だ/ /ROUGH CUT
2008年 113分 韓国 カラー
監督:チャン・フン 脚本:キム・ギドク/チャン・フン/オク・チンゴン/オー・セヨン
撮影:キム・ジテ 音楽:ロー・ヒョンウー
出演:ソ・ジソブ/カン・ジファン/ホン・スヒョン/コ・チャンソク/ソン・ヨンテ/チャン・ヒジン

2009/4/4/土 劇場(歌舞伎町シネマスクエアとうきゅう)
キム・ギドクが製作、原作を手がけている本作。しかし、なぜ彼自身が監督していないのか?
こういうのって、たまにあるけど……有名監督が企画して、無名の監督に任せてコケちゃうっていう。まあそれでもギドクの名がかかっているなら、と足を運ぶ。
劇場はギドク作品ならまずありえない、ミドルエイジの女性層が大半で、それはいかにも韓流ファンを連想させ思わず引いちゃったんだけど……うーむ、それはつまり、この両主演の俳優が、私は知らんけど、韓流スターとして名の通ったお人なのかしらん?

少なくとも片方、映画スター、チャン・スタを演じるカン・ジファンはそんな雰囲気がある。萩原聖人を若くしてナマイキにしたような雰囲気の彼は、どこかコミカルな風味もあって、それがますます韓流風を思わせる。
オレサマな彼はしょっちゅうもめごとを起こし、女はとっかえひっかえで、本命の彼女とも危機状態にある。
そして今、共演者とのファイトシーンでのささいな行き違いで瀕死の目に遭わせてしまって、おごりまくったスタと共演しようという代役は現われず、あわや映画は頓挫寸前。そこでスタが思いついたのが、ホンモノのヤクザ、ガンペだった。

スタはエラいカッコつけた、いかにもスター然とした雰囲気を崩さないんだけど、でもどこか古いというか……そのコミカル風味もちょっと古さを感じるんだけどさ。
彼がケガを負わせた俳優のファンが抗議に群がる場面も、まるで80年代アイドルの親衛隊みたいだなあ、と思っちゃった。
ああだから、ジャニーズアイドルがこの国に熱狂的に受け入れられるのかもしれないとも思ったり。

対して、ヤクザとしてクールな雰囲気を最後まで崩さないガンペ役のソ・ジソプは、ギドク俳優に近いと言えるのかもしれない。でも彼もまた、懐かしきハードボイルドの香りを感じなくもない。言ってしまえば松田優作風?
こんな対照的な二人が出会ったのは、ある高級飲食店。スタのファンであるというガンペは彼にサインを求めた。しかし一方で、「苦労を知らずに人のマネをするのがアンタの演技だ」と冷たく言い放つ。
スターとしておごりまくってきたスタは、ガンペの圧倒的なオーラにただ立ちすくむばかりだった。

ガンペは相手役にならないかというスタの申し出に、条件付きで了承した。ファイトシーンはマジにやること。
もともとこの映画に6年の準備期間を費やしてきた監督の意向は、とにかくリアルにやることであって、スタの予定調和なファイトシーンなんて即座に見抜いてNGを出し続けたのだ。
その結果、相手役のこぶしがモロに入って、あの事件が勃発してしまったわけだけれども。
ガンペの申し出に、若干腰が引けながらもOKを出すスタ。ここから映画側の事情、ヤクザ側の事情が複雑に絡み合い、怒涛の結末へなだれ込んでいくんである。

なにかね、ギドク監督が自分で作らなかったことが、なあんとなく納得できた気もしたんだ。映画界を題材にした時点で、自分の世界に刃を向けている意志はアリアリである。
コテコテのスターのスタ、スターのファンもコテコテで(私が古くさいと思った感覚は、案外確信犯なのかもしれない)、作家の自由など保証されてはいないのだと。
スタは映画業界の内側の人間で、裏の世界を知り尽くしている。だからもはや、映画に愛情など持てない。自身のプライドを守ることが大事なだけ。
いや……彼は内側にいすぎて、映画に、演技にかける情熱を忘れていたのだ。ガンペと出会うまで。

一方のガンペは、かつて役者になりたいという夢を持っていた男。本作は、彼がスタの映画をスクリーンで見ている場面から始まるんである。
スタに、映画に憧れながらも、その世界がクソだということも知っている。だから最初からスタに冷淡なのだし、一方で映画出演のオファーを断われないのだ……。
この姿勢は、コンスタントに映画を作り続ける生っ粋の映画人でありながらも、韓国映画界からは、異端者とされ続けてきたギドク監督ならではという感じがする。
おそらく、どちらの男も彼の分身であるのだろうと思う。そして選ぶなら、バカ正直に忠義を尽くして裏切られて落ちていく、ガンペに男の美学を見い出しているんだろうなあ……。

おっと、ちょっと脱線してしまった。えーとね、ガンペは若いながらも一人孤高に組を束ねているんだけれど、それというのも、ボスが留置所に放り込まれているからなんであった。
恐らく彼がずっと年若い頃から、恩義を感じてきたボスなんだろう、ボスのしていることが法に触れる(ま、ヤクザだからね)と判ってはいても、彼が裁判で勝てるように奔走するガンペ。
たびたび留置所に足を運んで、ガラス越しに囲碁を対戦するポスとガンペは、ゆるぎない師弟関係にあると思ったんだけど……。

いや、確かにそれはそうだったと思う。でもガンペがボスの忠告を聞かなかったことが、結局は破滅に向かうことになってしまった。
その忠告とはあまりに非情で、ガンペが思わず背いてしまったのは無理からぬと思うんだけど、でも終わってしまってからは思うのだ。ああ、確かにボスはヤクザとしての百戦錬磨を生き抜いてきたから判るんであって、それがガンペには判らなかったのだと。
ガンペのことを目にかけていたからこその忠告だったのに。でも今までのガンペだったら、盲目的にボスを信頼し、ヤクザの道にドップリ使っている彼だったら、その忠告に背くことなんてなかったかもしれない。つまり……スタとの出会いから始まったことが、ガンペを変えてしまったのかもしれない。
でも、それは、果たして、不幸だったのだろうか?

ガンペがボスから言われて背いたこととは、下の者も信用するな、裁判に向けて協力を仰いでいるパク社長の裏切りに対して、彼を消せ、の二項目。一項目目は、最後の最後にガンペを危機に陥れるのだけれど、それは後述。
パク社長の件に関しては、ボスを裏切って帳簿やらなにやらを盗み出した彼を殺せと言われたのに、ガンペはボス代行として、それに踏み出せなかった。死人として生きろ、と国外追放に処した。
でもそれがアダとなり、この男は敵対勢力としてガンペの前に現われるんである。不適な笑みをたたえて……。恐らくガンペが社長を生かす判断をした時に、部下に裏切り者が発生したんだと思う。ガンペを真摯に慕うあまりに、その決断を腰抜けとしか思えなかった右腕が最後に寝返ってしまう……。

と、そこまでいくのは、まだ早いんだってば!だからね、ガンペがスタの映画の相手役に抜擢されるところからね。
飲食店でガンペの凄みに「リアルだ。やっぱりホンモノは違う。いいイメージだ」と感嘆していた監督は、最初こそガンペを相手役にというスタの提案に難色を示していたけれども、彼のリアルさにのめりこんでいく。
ガンペがアドリブで仕掛けた、焼酎のビンをバシャンと割ってその切り口をスタに向けるっつー、健さんばりのシーンなんか、オレ様なスタに文句を挟ませないほどの迫力があった。

この監督っつーのがなんともカワイイ雰囲気で、なんかぬいぐるみのクマさんみたいなんである(笑)。ヒゲヅラの巨体で、ハーフパンツにビーサンのだらしないカッコでのたのた歩いてくる雰囲気は、なんか癒されちゃうんである(笑)。
そもそも彼が提案した、徹底したリアリズムからコトは始まった訳でさ……ラストの壮絶なファイトシーンがこの映画の最大の見せ場なんだけど、もうムツゴロウが住んでそうな泥炭の中でさ、スタとガンペがワンカットの死闘を繰り広げるのよ。
撮影当初はガンペをナメていたスタが一方的に倒されるばかりだったんだけど、この時点ではスタもガンペに負けたくない一心で凄いトレーニングを積んでいたから、互いに一歩も譲らない凄まじさ。しかも泥炭だから、もうどっちがどっちやら判らなくてさあ(笑)。

おおーっと!だからそこまでいくのはまだ早いんだってば(笑)。
そうそう、これを忘れちゃいけない。韓国映画といえば美しい女優よ。スタの一般人の恋人で、河辺でのカーセックスばかりでイヤケがさしちゃう女の子も可愛かったけど、ヤハリ劇中のスター女優、カン・ミナ(ホン・スヒョン)であろう。もう絵に描いたような韓流美女女優である。
スタとは無名の新人時代に付き合っていた経歴があるってあたりも、なんかいかにもである(爆)。最初の、飲食店でのシーンから、通路をすれ違う彼女にガンペは視線を吸い寄せられていた。
現場での再会の時、いきなり彼女にチューをかまして「シーン87をやってみました」というガンペは、なんか「悪い男」の鮮烈な冒頭シーンを思い起こさせもした。
という感覚はひょっとしたら間違ってはいなかったのかも……ウソで演技をすることにひたすら嫌悪感を示すガンペは、カン・ミナとのシーンでマジで彼女をヤッちまうんであった……。

で、でもこのシーン、ホントにヤッちゃった、っていうことなのかなあ?それで彼女がその後ガンペと恋仲になるのは多少のムリを感じなくもないケド……。でも最初から彼女はガンペに興味を示していたしなあ……。
でも、見るからに、二人の関係が最後まで終生続くものだなんて、思えないじゃないの。
片方は追いつめられたヤクザ、片方は銀幕の美人女優。幸せな結婚だの、暖かい家庭だの、想像出来るハズもない。
だから、この二人が恋仲になった時点で、破滅の最後は予想できたのかもしれない。
むしろ、チャン・スタならまだ可能性があるんだよね。彼は結局ヘタレスターだったからさ、諦めて普通の幸せを追い求めることだって出来たんだもの。
でも彼も、ガンペに出会ったことによって、真の役者道に目覚めてしまったから。

チャン・スタがね、恋人とのカーセックスをビデオに撮られて脅迫されるんだよね。長年日陰の身に置かれていることに常々不満をもらしている恋人こそが犯人じゃないかと思ったスタは、彼女を問い詰める。でもそれはあまりにも彼女を傷つけた。
莫大な要求金額に困り果てたスタは、ガンペに助けを求めた。それが、事態をややこしくさせた。
いや、あるいは、最初から全ての始末をガンペに頼んだ方が良かったのかもしれない。主犯はスタに使われるだけ使われていた“先輩”、つまり身内であったんだもの。それなのにスタは本命の彼女に疑いをかけて傷つけて、ムダに騒ぎを大きくしてしまったのだ。

信頼するがあまり、使いパシリにしてしまった先輩からの裏切りに号泣するスタ。
そして一方のガンペは、生かしてしまったがゆえに牙をむいたパク社長を、再び亡き者にせんと向かった先で、まさかの、一番の重鎮の弟子から後頭部に一撃をくらってしまう。
あの時、ボスに言われていた。「下の者を信用するな」
その会長からも見捨てられたガンペは、スタと同様、一人きりになってしまった。

あの泥炭での圧巻のリアルファイト、そこでテンション上がって終わりかと思いきや、次があったからさあ……。
一度は降板したガンペも復帰して、長い長い撮影が終わり、監督は感激の涙を流して、全ては丸く収まったかに見えた。
打ち上げの席にガンペは行こうとしない。やけに穏やかな笑みを向けるガンペに、スタは不穏な空気を感じとる。
ガンペのあとをつけるスタ。人ごみの中を行く映画スターに、人々は次々に好奇な視線を投げかける。
ガンペは映画を撮るのだと言った。そしてスタに、お前はカメラだと。訳の判らぬまま彼についていくスタ。そして見たのは……ガンペが骨董屋から出てきたパク社長を殴殺する生々しい姿。
これが、リアルなのだ。ウソの演技じゃない。人を殴り、人を殺すということは、こういうことなのだ……。

ガンペとのファイトシーンで死力を尽くしたスタは、彼からも「役者になったな」と褒められたし、判ったつもりでいたのだ。
なのに、何も判っていなかった。
スタは思わず、口元を抑えて嘔吐をこらえる。返り血で真っ赤に顔を染めたガンペの、穏やかとも不敵とも思える笑顔に、スタはただ、驚愕と動揺の表情を浮かべるしかなかった。
この社長とガンペが登場した最初のシーン、ガンペは骨董趣味の彼から仏像を贈られた。何かを信じてみろと言われた。
ボスのことしか信じていなくて、その時はパク社長を信じるしかなかったガンペは、ただただ戸惑いの表情を浮かべるしかなかった。
そしてラストシーン、ガンペが社長を殴り殺したのは、彼がありがたそうに抱えてきた高そうな仏像だったのだ。

このシーンがあまりに生々しかったから、スタに用意されている穏やかなエンドがなんか、つまんなくてさあ。
あれだけソデにした日陰の女との穏やかなデートシーンで終わる訳よ。彼女が「私はあなたとカフェでコーヒーを飲むことも出来ない」って言っていた言葉に応じて、彼はスターならではの逆に目立つグラサン仕様で彼女と会う。
ガラス窓の外から、スター、チャン・スタにざわめく通行人たち。
うう、なんかエライベタだわ(爆)。

なんかやっぱり、これを実際にギドク監督が撮ったらどうだったんだろうと、ついつい思ってしまう。
この話自体、ギドク作品ぽくないからこそ、彼は他に託したのかもしれないけど……下を育てようとしたのかもしれないけど……なんからしくない気もしたしさあ。
ところどころギドクで、大半がそうじゃない。
なんか……フクザツな気分なんだよなあ。 ★★★☆☆


悦楽
1965年 90分 カラー
監督:大島渚 脚本:大島渚
撮影:高田昭 音楽:湯浅謙二
出演:中村賀津雄 加賀まりこ 野川由美子 八木昌子 樋口年子 清水宏子 小林昭二 小沢昭一 成瀬昌彦 氏家慎子 戸浦六宏 浜田晃 江守徹 渡辺文雄 小松方正 草野大悟 佐藤慶

2009/9/11/金 劇場(銀座シネパトス)
今まで見た中で一番若い加賀まりこかなあ、と思う。そして一番若い中村賀津雄だと。そして多分……今までに見たことのない二人。
これって、山田風太郎の原作はどんな感じなんだろう。筋だけ追えば、意外に単純な話のような気もする。女に金を使い果たそうと決めた男の、ただただ落ちていく堕落の日々。そう言い切ってしまえばそれまでだから。
さまざまなタイプの女が現われるのが、活字の上ではなく、生々しい肉体を持ったなまめかしい女優たちであることがひどくスリリング。
そしてその女たちに金という武器で上位に立ちながらも、どんどん滅亡へと追いつめられていく男。常にスクリーンに肉薄するかのようにせっぱ詰まった表情を見せる、脂ぎっていると言ってもいいぐらいの若い、男の季節の中村賀津雄が、女を金の元に言うことを聞かせるたびに疲弊していくのが……だんだん、見ていられなくなる。

脇坂(中村賀津雄)が家庭教師として、つぼみのほころぶような頃から教えていた美少女、匠子(加賀まりこ)。
冒頭は彼が匠子の結婚式に呼ばれ、純白の花嫁姿の彼女を虚しく眺めている場面から始まる。
いや、虚しくというか……まるで「卒業」のように、匠子が脇坂のところへ駆けてくる、のは、彼の妄想で、しかもそれは、「先生、見て!」といった花開くような笑顔なのだ。
こういった脇坂の妄想は、彼が女たちを遍歴していく中で折々に現われる。
最初の女のためにゴージャスなマンションを用意した場面で、窓の外の、ベランダから覗き込んでいる匠子の姿に彼がビクリとするんだけど、彼以上に観客のこっちがギョッとする。だってまるで幽霊……いや、幽霊というには生々しすぎて、だから余計に怖いのだ。
思えばこの場面が一番コワかった……その後は、女たちの顔が一瞬、匠子に見える、といったお定まりの表現だったから、まだ心の準備が出来たけど、マンションのベランダから、窓にぴったりくっついて室内を覗いているなんてさ……。

つまりはそんな感じで、展開上での匠子の登場は決して多くないんだけど、彼の妄想としてはしょっちゅう出てくるもんだから、ラストシークエンスでホンモノの匠子が出てきた時ですら、あ、また妄想……と思ってしまうぐらいなのだ。
でもそれぐらい、匠子は脇坂にとっては生身の女ではなかった。手を触れることも許されない、神聖な関係。だって、年の離れた可憐な、教え子なのだもの。
いや、別に恋愛するのに障害があるほどの年の差ではないけれども……でも、まるで子供のような時から知っている彼にとっては、容易に手は出しがたかった。それだけ彼女が自分を信頼していることも感じていたから。

なのに、そんな彼女を自分が知るよりずっと前、まだ10になるかどうかという頃に陵辱したヤツがいると知って脇坂が激怒したのは……自分こそが何も知らない無垢で純真な彼女を知っていると思っていたから、だからこそ手が出せなかったのに、という思いからだったのかもしれない。
だってさ、だって……そうでなきゃ、ソイツを列車のデッキから突き落として殺す、なんて思い切ったことまでは、しないよ。
そりゃね、このサイテーレイプ男から脅しを受けた彼女の両親から、金を渡して解決してくれとは言われたけれど、そんなことで気持ちが静まる訳もなかった。
だけど……勿論、そんな大それたことをしでかしただなんて彼女の両親にも言えなかったし、そんなことがあったことなど知る由もなく、匠子はノンキに結婚してしまったのだ。

そうなのよね、匠子にそんな、ソーゼツな過去があるなんて影は感じられないんだよね。後から考えると……本当に彼女にそんな過去があったのか、なんて疑りもしちゃう。だって匠子はあまりに天真爛漫なんだもの。
ひょっとしてそういう含みはあったのかもしれない……匠子を演じる加賀まりこの恐るべきお嬢様っぽさ、驚異的なソプラノに感じ入りながらも思う。いや逆に、そんなことがあったことで、彼女の中のすべてが飛んでしまったのだろうか?
ホント……加賀まりこが、そんな風な……ワザとらしいって言っちゃったらアレなんだけど、めっちゃワザとらしくて(爆)キョーレツなんだよね。その後に出てくる女たちが皆、やたら生々しいから、彼女のおにんぎょさんのような造形が妙に寒々しく、恐ろしく感じる……あのベランダのシーンに直結するような。

脇坂の殺人場面を目撃した、という速水という官僚が突然訪ねてくる。彼は金を横領し、その大金を抱えてやってきていた。
事件が発覚するのは時間の問題。恐らく5年かそこらで刑務所から出てこれる筈。世間は忘れっぽいから自分の事件などいずれ忘れてしまう。それにこれから先も汚職官僚は出てくるだろうし……。
つまり彼はお互い弱みを握る者同士じゃないか、と脇坂に5年後の出所まで金を預かってくれないかと持ちかけてきたのだった。
その時はただただそれを受けるしかなかった脇坂だけれど、その後トランクに詰め込まれた金を見つめるごとにふつふつと欲望が湧いてくる。欲望?……この時点から絶望だったかもしれない。
それまでは女などには縁のない人生だった。つまりは、匠子に操を捧げていたも同然だった。なのに……彼女のために手を染めた犯罪で、彼は思いもかけないことに巻き込まれてしまった。
そうだ、速水が出てくるまでの5年間で、使い果たして、死んでしまえばいいのだ。そうすれば、匠子さんにもメイワクがかからない……。その使い道は即座に決まった。女に使うのだ、と。

最初の女は、これまたお決まりな感じ。風俗の売れっ子、眸である。
ひと月100万という破格、しかも1年の長期契約に彼女は飛びつく。しかしいかにもハスッパな彼女はヤクザな男とつながっていて、しかも彼女に執心する暴力的な夫もいるし、脇坂の計画はあえなく頓挫。
金で全てが解決出来るかと思いきや……ヤクザお定まりの条件、「小指一本」になんと彼女の方が応じ、そして脇坂とは別れる、というんだから、もう彼には口を挟む余地もなかった。
ここは彼の完敗。あんなゴージャスなマンションを用意したのに……あれは現代の目から見ても相当ゴージャスだったのにさ。

二人目は、いきなり正反対、湿度満点の和室でしっぽりという感じ。眸と違って脇坂の言うことは三つ指ついて聞くような和服美人。
しかし……表面上そう見えるのが逆にヤッカイで。彼女は借金で首が回らないカイショのない夫のために脇坂に身を委ねたというのに、そのカイショのない夫との間にもうけた子供のことをどうしようもなく愛してて、だからこそ脇坂とこんなばかげた契約も結んだ訳で……。
結局、自分がビンボー学生だから近寄ることも出来なかった匠子へのウラミから起こした行動が、もはや二人目の女で挫折してしまうんである。しかも相手はかつての自分よりもミジメなビンボー女なのに、そんな女さえ、脇坂は金で縛れなかった。
もうこのあたりから、脇坂の行く先が救いようのない滅亡だと感じてくるんである。

三人目の女は、脇坂がぶちのめした二人目の女の夫を連れて行った病院の女医だった。
いきなり、扇情的な場面に遭遇する。そこの男性医者にムリヤリキスされている圭子。しばしの後、バチンと男を殴って憤然と辞めて行った彼女に脇坂は声をかけた。
この時の彼女の台詞、詳細までは覚えてないけど(爆)こんな感じだったと思う「男が本能のまま行動している時にもがくのはみっともない。波が引いた時の方がいいと思ったから」それが実にその通りだと思ったし、カッコイイと思った。
そりゃまあ、彼女の医師としての判断だとは思うけれど……でもね、彼女は処女で、それを脇坂に見抜かれてしまう。交際を執拗に迫った彼に根負けする形で旅に出た圭子。
思えばね、彼女とのエピソードが一番濃厚で、つまりは、彼女となんとか上手く行けば、脇坂はこの地獄から抜け出せたかもしれない、と思う。

旅先で圭子が大病に遭って、思いがけず関係を進めるのに足止めをくってしまう。旅の1ヶ月で月100万の契約をするかどうかを決める約定だったから、脇坂は消沈して、圭子のことは諦めかけるんだけど……思いがけず、彼女の方が追ってきた。
思わず海岸で襲おうとするも、圭子は拒否反応を示して海へと入っていく。ここは結構な長回しで……波をがぶがぶと飲んでしまう圭子に死ぬつもりか、と焦る脇坂、という図がひどくせっぱ詰まっているのだ。
もう何もしないから、という脇坂の言葉に圭子はようやく海岸に戻ってきて、そして、脇坂が、自分が何者なのか、何を犯したのか話そうとするのをさえぎった。
「東京に帰って、正式に結婚してください」そうでなければセックスは出来ない、と。2ヶ月ならば、2ヵ月後に離婚すればいいのだと。半ば彼女に押し切られる形でその条件をのむ脇坂。

でも結局は、圭子とも上手く行かなかった。このあたりから、刑務所に入っている速水の姿がちらついてくるのだ。幻想か現実か……速水に導かれて泥川に落ちた脇坂は、そのまま死ぬかと思ったが、目覚めると病院のベッドの上だった。
このシーン、彼が目覚める前に、しん、とまるで音がない中で、圭子がカメラに向かって何度もアップで迫ってきて、カメラから離れたときには口元がどす黒く染まっているんである。
後から知れるにそれは、泥水を大量に飲んで危なかった脇坂を助けるために彼女が自ら吸いだした、訳なんだけど……これは、めちゃくちゃ生々しかったなあ。音がないだけに、なんか息を飲んで見ちゃって……だってこの時点では、どういう状況なのか、彼女が何してるのか、判んなかったから余計に。
そんなのも含めて、圭子とのエピソードが一番濃いんだけど、この彼女に何とかつかまっていれば彼も更生できたかも、と思うんだけど、もうムリ、という彼女からの三行半を受けて、約束の2ヶ月を待たずに離婚してしまうんである。

そして四人目、最後の女。ふらりと入った飲み屋のカウンターにいる男が速水に見えて、脇坂はヒヤリとする。
この界隈で客を取っているオシの娼婦、マリに脇坂は惹かれ、今までと同じように彼女をカネで囲おうとするんだけれど、なんたってオシだから……しかもオツムもイッチャッてるらしい彼女は、脇坂の提案さえも理解していないのね。
しかしそんな純粋で、しかも純粋にエロな彼女はこの界隈で人気があるらしく、やり手婆的な飲み屋のママは、「いい子でしょ」とにんまり。
……なんかね、外見純粋で、つまりエロを自覚してないのにエロで、エロの経験があって、っていうその風情ってさ……匠子、なんだよなあ。脇坂がそれを自覚していたかどうかは判らないけど……。

彼女のヒモでいかにもチンピラ風情の工藤にも莫大なカネを払い、脇坂はマリと暮らし始める。無防備にこぼすビン牛乳、脇坂が「ムリしなくていいよ」と心配するほど、奉仕しようとするマリ、しかし夜になると行方不明になった彼女がどこに行ったのかと思いきや……“いつもと同じように”客をとっていたのだ。
つまりはそれが、彼女の日常。それが彼女の穏やかな日々。
そう工藤から言われて、脇坂は返す言葉もない。
しかし、奇しくもその工藤から脇坂に相談が持ちかけられた。カネに糸目をつけない脇坂に男を感じて打ち明けたその事実は……とんでもないこと。
もう、脇坂には死の期限が迫っていた筈だった。速水の出所が迫っていたから。そう思っていたのに。
工藤から告げられたのは、自分は獄中で一緒だった速水という男から大金を預けられた男を捜している。それというのも、速水は獄死してしまったから、自分だけがそのカネの存在を知っている。その男を捜すのに協力してくれたら、分け前をやるから……。
思いがけない話に脇坂は地獄から天国へ行ったと思ったのだが……。

いや、実際、一時は天国に行きかけたのだ。そりゃね、工藤は脇坂がそのくだんの男だと知り、しかも預けられた大金は一円残らず使ってしまったことを知って激怒、彼を手にかけようとするんだけど、思いがけずそこにマリが割って入って、工藤の方が銃弾に倒れてしまうのだ。
マリが工藤よりも脇坂を好いていたかどうかは、判らない。

でも、もっと思いがけないことには、そんな脇坂の元に彼の愛する匠子がやってくる。こんな展開だから、この匠子が現実の彼女とはにわかに信じ難い、のだ。
匠子は脇坂が信じていたような、社長令嬢としての幸せな人生を歩んではいなかった。その会社は倒産スレスレで、脇坂のところに来たのも……彼がハデな生活をしているのを知っていたから。
まるで純真な瞳で「センセイ、お金持ちになったみたいだから」などと超ソプラノで言う匠子に、脇坂は何も言い返せない。
それどころか、何不自由ない生活をしていると信じていた彼女が、「300万、100万、ううん、20万か30万でも助かるの!」と脇坂にすがるなどと、どうして想像出来ただろう。

たまらず、脇坂は全てを告白する。目を見開く匠子。だけど彼女が驚いているのは殺人というよりも……「なぜそのお金を使ってしまったの?」というところ、みたいなのだ。あの超ソプラノの声で、何度も、何度も。
なんという恐ろしさ。
そして匠子も脇坂のもとを離れてしまう……それはきっと、脇坂が一番恐れていたことで。

しかしこれで終わりかと思いきや。
外に出ると刑事が待っている。名を呼ばれ、腕をとられる。殺人容疑だと。
驚いた脇坂は、昨日の工藤の件かと問うも「昨日?昨日も人を殺したのか」「!」
もはやあの殺人を知る者はただ一人。たった今告白した匠子。彼女のために全てを投げ出した彼が、最後に見た厳しすぎる地獄……。
それでも信じられなくて、脇坂は問う。薬を飲んで死ぬぞと刑事を脅しながら。密告したのは誰か、と。
「お前を10年以上前から知っている人だ」刑事は冷酷に言い放った。

ここでスパッと終わっちゃうんだよね。怒りに頬を染めた脇坂の、スゴイ顔のアップで。 思えどホントに加賀まりこのファムファタル度は凄まじく、まるで無垢な顔をしながら無垢な声をしながら、彼女が一番壮絶で、全てを知っていて、平気で男を裏切る、全ての女の中で一番コワイ存在、だったのだ。 ★★★☆☆


江戸っ子繁昌記
1961年 90分 カラー
監督:マキノ雅弘 脚本:成沢昌茂
撮影:坪井誠 音楽:鈴木静一
出演:中村錦之助 小林千登勢 高松錦之助 毛利菊枝 長谷川裕見子 頭師満 千秋実 桂小金治 高橋とよ 宮崎照男 坂本武 柳永二郎 阿部九洲男 矢奈木邦二郎 関根永二郎 平幹二朗 安井昌二 加賀邦男 尾形伸之介 月形哲之介 本郷秀雄 近江雄二郎 中村時之介 島田秀雄 遠山金次郎 霧島八千代 菊村光恵 中村錦司 片岡半蔵 佐々木松之丞 五里兵太郎 松田利夫 梅沢昇 中根真佐子

2009/11/6/金 劇場(銀座シネパトス/マキノ雅弘監督特集)
ああ、そうだそうだ、この面白さこそマキノ監督!うーむ、最近は“あらたなマキノ”に、やめてよーと思っていたところだったりしたので(爆。すみません。一作しか観てないのに……)このハズれのない面白さ、映画黄金期に振る舞われた演出の力というものに改めて感じ入るのであった。

いや、しかあし!これはやはり中村錦之助っ!私は何度か彼を映画の中で見ていたのに、この人が演者としてこんなにスゴイということを判っていなかったことを思い知る。だあってえ、そのチャーミングさにただただヤラれていたんだもおん。
確かに本作でも魚屋の勝五郎としては、そのチャーミングさを存分に発揮して、変わらずにメロメロにしてくださるのだが、本作で彼はもう一役をやっている。一応主人公の方は勝五郎だけど、もう一人の青山播磨も、別の主人公と言ってもいいほどの大きな役。

そしてその違い!……私は、最初に青山播磨として勝五郎の夢の中に出てきた中村錦之助の姿に、あら、この高貴な人はだあれ?ぐらいに思ってしまったのだった……。
そしてその夢から覚めた勝五郎に、おお、錦ちゃん、やっぱカワイイ、とか思っていたら……あのお殿様も錦ちゃん!うわあ、全然違う。別人28号!私は彼の凄さを全然判ってなかったんだなあ。

思えば彼はもともと歌舞伎役者な訳で、このお殿様に関しては、その本領を発揮した高貴な雰囲気を漂わせている。酒飲みで陽気で怠け癖のある喧嘩っ早い、いかにも江戸っ子な勝五郎とは180度どころか、さらに四次元の世界に突入するぐらいの違いがあるんである。
いやー……ほおんと、対照的な役だからこそ違いがハッキリ出るとはいえ、驚いちゃったなあ。しかもそのどちらもすんごく魂がこもってて、なんか両方に感情移入して泣けるのよ。

別の主人公、という言い方をしたのは、青山のお殿様の方のエピソードはおっとビックリ、番町皿屋敷が下敷きになっているからなんである。
皿屋敷って!怪談じゃん、タイトルと全然かけ離れてるうー、とか思っていたんだけれど、そもそも私はこの皿屋敷がどういう話なのか、女の幽霊がいちまーい、にまーい、と皿を数える場面しか知らなかったから、鑑賞後、慌てて調べてなあるほどと思う。歌舞伎の演目にもなっているんだから、ナルホド、錦ちゃんが本領発揮するハズなんである。

しかし、そう、怪談としての皿屋敷じゃないんだよね。加えて言えば、流布している皿屋敷の話とも大分違ってて、本作オリジナルの味付けをしており、それがなんとも泣かせるんである。
この青山のお殿様と勝五郎は、まるで正反対で接点がないように見えるんだけど、勝五郎の妹が青山のお殿様に見初められて奉公に上がり、寵愛されているという設定なのね。で、勝五郎が冒頭見ていた夢は、その妹、お菊がお殿様にバッサリやられてしまうところ……中盤までその悪夢の真相は明らかにされないままなのだが、これはまさしく、正夢だったのだ。

と、いうところに到達するまでは、まさにタイトルそのままのドタバタ喜劇で笑わせてくれる。勝五郎が年上の恋女房おはまに、魚市場の仕入れに送り出されるシーン一発で、中村錦之助のチャーミングな魅力が全開なんである。

心はまっさらな男でありながら、酒癖と怠け癖が玉にキズ(って、多過ぎるが……)明日からはマジメに働くと約束して深酒し、おはまに起こされてもなんだかんだと言い訳をして布団にもぐりこもうとする。
しょうがねえなと猫のようにふわあと伸びをし、ずっと使ってないから桶が水漏れするんじゃねえか、タバコは入れたか、などと行きたくないもんだから矢継ぎ早に女房に投げかけるものの、そこはシッカリモノの奥さん、全部しっかり用意してあるよ、と寝ぼけまなこのダンナの身支度を整えて、送り出すんである。

しかし、勝五郎が魚市場についた時間が早すぎて、時間を持て余した彼は、浜の水で顔を洗うと……足元にまとわりついたのは、皮の財布に入った大金!
もはや当然、仕事をする気を失った勝五郎は、意気揚揚と家に帰ってきて、酒を注文し、朝風呂に出かけ、悪友どもを家に呼んで「もう働かなくていいんだ!」とはしゃぎまくり。

このあたりが勝五郎、そして中村錦之助のカワイイチャーミングの真骨頂、なのよね。大体、女房にナイショにしているつもりなんだろうけれど、お前は触るんじゃねえぞ、と神棚に上げて心底嬉しそうで、もうバレバレ。悪友たちにも真相は告げないまでも「もう明日から働かなくてイイワケよ」と喜色満面でさ、判りやすすぎるっつーの(笑)。

それでもこのおはまさんの偉いところは、ダンナにそう言われれば自分からはそれに手をつけなかったこと。仕事もしないで慌てて戻ってきて、しかしやけに上機嫌で悪友を呼んで、昼間から酒を飲もうと言うダンナに不審を抱きつつも、そのままにしておいたんだけど……。
「肴は漬け物しかないんですかあ?」てなあつかましいこと極まりない悪友を、奥の座敷に閉じ込めてふすまを閉めたとたん、神棚からぽとりと落ちてきた財布の中から小判が転がり出るんである!

ちゃりちゃりんという小判の音に、なんだろう?と襖を開けた悪友たちにおはまさんはうろたえる。
その時この悪友の言いっぷりがイイんだよね!だってさ、「生まれてから一度も聞いたことのない音だったな」どんだけビンボーなのよ!
おはまさんはネズミが鍋を落とした音だった、と言いつくろい、そんな音だったかな……という悪友たちをごまかしてわざとらしい笑いを立てるのもおかしくって、思わずこっちまで大笑い!

おはまさんは、これが悪いお金じゃないかと心配して、大家さんに持ち込むんである。大家さんは、勝五郎は心はキレイなイイ男だ、と太鼓判を押してくれて、その財布を預かってくれることになる。
ちなみに勝五郎のビンボー癖のせいで、店賃も滞っているんだけど、大目に見てくれるイイ大家さんなんだよね。

酒を酌み交わした悪友たちと、大喧嘩をしてしまう勝五郎。というのも、酒が入ると必ず始まってしまう、彼の自慢の妹、お菊の話に仲間がイチャモンをつけたからである。
武士の価値が大いに下がっている太平の世、辻斬りなどの理不尽な事件もあるせいで、町人たちは旗本たちに冷たい目線を向けているんである。もう、スキヤキの土鍋もひっくり返しての大喧嘩になってしまうんである。
勝五郎が目を覚ました時、借金取りの長屋のばあさんが彼の景気の良さを聞きつけて訪れる。勝五郎は革の財布のことがあるから強気に出るんだけれど、神棚からは財布が消えている。しかもおはまから、それが夢だと言われて彼は愕然とし、もうこれからは酒もやめてマジメに働くと誓うんである。

ちょおーっと、カワイソウな気はしたんだけど、アッサリ言いくるめられてしまうあたりに勝五郎の素直さが現われているんだよね。
ええ?オレは芝に行かなかった?あれは夢だったのか?しかも妹の悪夢もごっちゃになっているもんだからさらにコンランして、おはまから「いくら夫婦でも夢の中身までは判らないよ」と言われちゃって、酒も入っていたこともあって、もう降参するしかないんである。

自分のふがいなさを認め、これからは酒をやめてまじめに働く、と誓った勝五郎。しかし思いがけないことに……この金貸しのばあさんが押し込みにあって斬られて死んでしまった。
長屋中にばあさんの客がいて、勝五郎ん家と同じく、あと2、3日待ってもらえれば利子だけでも、とか口先三寸に言う家ばっかりで、しかしそんなあからさまな言い訳にもこのばあさんは口ではうるさく言いながらも待ってくれていた訳なんだから、大家さん同様、結構イイ人だったのに。

このばあさんの非業の死は、辻斬りと同じくサムライによる理不尽な殺戮としかされてなくて、劇中、自分の弟が辻斬りにあって死んでしまった、と告白する勝五郎の悪友と同じ扱いでスルーされてしまう。
つまりそれだけ、この時代の江戸の民が理不尽な目に遭っていたということなんだけど……ここでは金貸しのばあさんが死んでしまったことで、覚えず長屋の住人たちは安堵してしまうあたりが皮肉でもある。
ただ、マジメに働き出した勝五郎は数日前にこのばあさんに完済しており、こっちの店賃を先にしてほしかったね、などと言う大家さんに苦笑を浮かべて頭を下げる。そう、本当に勝五郎はマジメになったのだけれど……。

こんな具合に、ずっと勝五郎のエピソードで話が進んでいくんだけれど、やはり頭の片隅には、彼の愛する妹が夢で青山の殿様に斬られた場面がよぎるんである。
しかも奉公に上がっても、兄の家に結構足しげく立ち寄っていた妹からの音信もぷっつりと切れてしまったことで、勝五郎夫妻は心配を隠しきれない。
もちろん、お菊を寵愛してくれている青山のお殿様のことを信頼しているし、幸せだからこその便りのなさだと言い聞かせていたのだけれど……。
お盆の迎え火をたいた火、ひっそりとお菊が訪ねてきた。お前のことを心配していたんだよ、と喜び勇んでお菊を迎える勝五郎とおはま。
しかしおでんを運んできたおはまの目の前で、お菊はすうっと消えてしまった。悲鳴をあげるおはま。お菊ちゃんが消えたんだよ!と訴えても、勝五郎は、帰ったんだろうと意に介しない。いや、彼だってイヤな予感をずっと持ち続けていたんだけれど……。

で、青山播磨とお菊の悲恋物語。いやー、皿屋敷がこんな泣ける物語だったとは……ていうか、そう、オリジナルの要素は濃いまでも、こうであってほしかった、という気分はすごく感じたなあ。
新政府体制をとる幕府にとっては、ジャマものの時代遅れの旗本は、もともと目の上のタンコブであったのよ。青山の周囲でも、策略のような形で言われない罪をかぶせられて切腹、お家断絶に追いやられる話が後をたたず、彼もまた避けられない運命が近づいていることを感じていた。

だからこそ真に愛していたお菊を巻き込むまいと彼女に暇を出し、兄の元に帰らせようとしたのだけれど……お菊は聞かなかった。どこまでもお殿様と運命を共にしますと言った。
お妾さんとか寵愛とかいった言葉を超えて、二人は真実の愛情で結ばれていたのだ。だからこそ青山は、これまで正妻を迎えていなかったのかもしれない。
青山の恐れていた事態がやってきた。それは最初から明らかだった。なのに防ぎようがなかった。
お上から拝領した高価な絵皿。彼の母親はお上の庇護だと無心に喜ぶけれども、青山は最初からこれこそがワナだと気付いていた。そう、その皿を運んできた秋山が皿を改めることを拒むのを待たずしても。

その皿のお披露目の日、案の定割れていた皿の咎を責めたてられて窮地に陥った青山を、お菊はかばって、自分が割ったのだと言った。慌てて彼女を制しようとする青山を振りきり、さらにもう一枚の皿を叩き割った。
もはや罪をまぬがれなくなった彼女を、しかし卑怯な輩の手にかけることがガマンならず、青山は自らの手で……そう、愛ゆえに、愛をその太刀にこめて、彼女を手打ちにしたのだ。
その仔細を、彼は兄の勝五郎に自分の口から知らせたかった。お菊の無沙汰を心配して屋敷まで訪ねてきた彼に会いたかったのに、家来が追い払ってしまった。そして後に二人が再会するまでに時を要してしまうんである。

勝五郎が青山家からの使いによって高飛車に妹の死を告げられ、それまで断ってきた酒を険しい顔で浴びるように飲む場面もうるうるくるのだが、なんといっても二人の錦ちゃんが対峙する場面、妹の覚悟の死、お殿様の深い愛情を知るシーンは、ぐぐっとこずにはいられないんである。
この時代だから、CGなんて無粋なものは使わない。この場面以前に、自分の思いを貫けないお殿様が町奴相手に暴れ回る、チャンバラ映画のサービス的場面もあり(いやもちろん、旗本が追い込まれている状況を示すために重要なエピソードではあるんだけどね)、そこでも妹を心配していた勝五郎が馬に乗った青山に追いすがるカットはあるんだけれど、巧みにカットを割って、二人のツーショットは映さない。

で、いよいよお菊の死の真相を、勝五郎が青山からの告白で知るシーンでは、さすがにカットの切り返しだけではすまないので、後ろ姿のスタントを使ったりして乗り切るんだけど……あ、これはスタントだと思い、後ろ姿で悲しみ悶える姿がちょっとオーバーだったりもするんだけど……中村錦之助自身で演じている場面が非常に魂がこもっているので、そんな瑣末なことは、見逃してしまえるんだよね。

私最初に、勝五郎は今まで見て来たチャーミングで可愛い錦ちゃんだと言ってしまったけれど、でも妹の死を知って、さらにその真相も知る勝五郎は、深い悲しみに打ちのめされていて、それは自らお菊を手にかけた青山の悲しみとはまた違ってて……中村錦之助という役者の凄さを改めて感じ入ってしまったのだ。
もちろん、青山としての彼の葛藤と悲哀は凄まじく、本当に泣かされてしまうのだけれど……その彼の覚悟を受け止めた勝五郎は、自分を斬ってくれと言われても応えられる訳もなく、一部始終を見届ける。
そして時間が飛び、青山が果ててから100日を仏壇に手を合わして迎えて、「今になると、お殿様がお菊を好きだったんだって判るよ」と言うまでに、いわば成長するのだ。

おっと、このまま行くと、大団円まで突入しちゃうけど、その前に。そう、その前に……青山播磨の、武士としての、そして愛する女のために最後まで貫いた男としての死に様に言及しなければならない。
そうだ、こここそがクライマックスなのだ。お上からの切腹の通達を冷静に頭を垂れて受け止めたものの、その場にもチャッカリ居合わせた、お菊を死に追いやったワナを仕掛けた秋山に大槍で仕留めにかかる。これでお菊の元に行けると思った後は、時代劇ならではのクライマックス。

敵方のみならず、御用提灯を持った役人も大勢詰め掛けて、瓦屋根にも多くの追っ手が待機しているという、時代劇ならではの勇壮なクライマックスが用意されている。
これはまさしく時代そのもの、鉄砲の雨アラレに撃ちぬかれた青山は、しかし「武士の死に様を見せてやる!」と言い、もう瀕死の状態ながらも手に持った槍で自らの腹を割き、見事、果てたのだった。
ここはそれこそ、そう……歌舞伎を思わせる見せ場だった。

ここまでやっちゃうと、いわばラストは添え物的印象ではあるんだけど……そして優等生的過ぎる趣もあるんだけど、でもやっぱりグッときちゃうんだよなあ!
忌中のまま正月を迎えた勝五郎夫妻、そこに大家さんがやってきて、もはや忘れかけていた革の財布を差し出す。
自身番に届けたけれど、持ち主が見つからずに返って来たのだと言っても、にわかに思い出せない勝五郎。しかし恐る恐る事情を説明したおはまによって思い出す。
彼女が叱られるのを覚悟するも、ガバと女房を抱き締め、お前はオレには過ぎた女房だとラブラブなのが、あー、ほんと勝はイイヤツ!ってなさ、もー、期待通りの幸せな大団円でさ。

しかもその財布のカネは、火事で焼け出された人たち(ちなみにこの火事は、青山が町奴と立ち回りした時に起こしてしまったもので、その咎も責められてだったんだよね)に寄進しようと言い、それはいい考えだと出来た女房も大家も賛成し、もー、あまりにあまりの大団円。しかしそれまでの濃さもあって、いやー、大満足なんである。

改めてマキノ監督の凄さ、そして役者中村錦之助の素晴らしさに感じ入る。そして皿屋敷をろくに知らなかったこともあいまって、私ってホントにもう、何も知らないんだから! ★★★★☆


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