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「も」


2011年鑑賞作品

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
2011年 125分 日本 カラー
監督:田中誠 脚本:岩崎夏海 田中誠
撮影:中山光一 音楽:服部隆之
出演:前田敦子 瀬戸康史 峯岸みなみ 池松壮亮 川口春奈 西田尚美 青木さやか 石塚英彦 大泉洋


2011/7/13/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
正直観ようかどうしようか迷ってて……いや、よーちゃんが出ているなら迷いなくの筈が、やはりAKB印、しかもそれを最も象徴する前田敦子嬢大プッシュというのが……。
なあんて、私もわっかりやすく洗脳&偏見アリアリ。だって私が敦子嬢を最初に知ったのは、市川準監督の「あしたの私のつくり方」だったじゃないか。しかもあの璃子嬢と両主演の趣であり、璃子ちゃんの存在感にはさすがに……だったものの、決して悪くない印象だったのだから。
まあそれだけに、彼女がAKBの急速な隆盛と共に名前と顔が急速にせりあがってくると、まるであの時の彼女とは別人のような気がしちゃってさあ。

それにまあ、原作に対する抵抗もあったかもしれない。大体がドラッカーなんて人もその提唱するものともとんと縁がない、どころかかなり苦手分野。
んでもってベストセラーになった本作の表紙が、あまりにもベタに萌え系の美少女アニメキャラのような絵柄を使っていて、なんかうえっと思ってしまって、これはなんかもう、生理的嫌悪。
それこそマーケティング的なこともあったんだろうけど、今から思ってもあれは悪趣味じゃないかなあ。いや、百歩譲って絵柄はともかく、あの変にはにかんだような、媚びたような目線でたたずむ女の子、って全然野球部マネージャーって感じじゃない、ただの、女子高生じゃん、って。

そう、そこんところを、本作はマズちゃんと突いたんだろうな。てか、恐らく原作の中身だって、きっとそうだったんだろうと思う。
表紙の、はにかんだようにミニスカートを翻して微笑む目のでっかい女の子と、リトルリーグ時代はエースで四番でならした気の強い本作のヒロインはあまりにも違う。
まあ敦子嬢も目はでっかいし、そういう女の子をやったらそれはそれでハマってカワイイと思うが、本作のそうしたカワイイは、余命いくばくもない、病床の女の子に譲るんである。

って、あたりはうわあ……と思うぐらいベタだと思ったが、まあ確かに上手くテーマにリンクしているし、それは後述にしとかないとまたぐちゃぐちゃしてしまう。
そうそう、そもそもね、表紙にケッと思って気づかなかったけど、確かにこの原作の目の付け所は鮮やかなんだよなあ。だからこそベストセラーになって、アニメになり、映画になり、社会現象と言っていいぐらいになったんだろうと思う。それを思うと、ホントあの表紙は悔しい(しつこい)。

だってさ、確かに日本人の、マネージャーという語感に対するイメージってすんごい貧弱、だよね。マネージャーと言えば本作における野球部の女子マネージャーか、芸能マネージャー。
正直、どちらも具体的にどんな仕事してるのかピンとこない。てか、どちらも、選手なりタレントなりに虐げられて、足蹴にされて……までは言わないが、とにかく奴隷のようにこきつかわれるイメージ。
いや、私、ヒドすぎるイメージ持ってる?野球部の女子マネに至っては、なんかお局と新入りとか、エースと付き合ってるとか、かいがいしくユニフォームを洗うとか、もうほんっとにいつの時代のスポ根アニメよ、ってイメージでさ。

でも正直、なんでマネージャーが女子なのかも疑問だし(いや、実は男子マネージャーだって相当数いるだろうしな、これもイメージだよな)、彼女たちの役割がそういうイメージどおりなら、それって家父長制度的、女は家に入って家事をして男を助けろってイメージそのものじゃない?
なんでそれを女子がかって出るのか、今の時代でもそうなの?それは判らないけど……少なくとも原作者さんは私らと同じような、野球部の女子マネといえばそういうイメージを持っている世代だと思うし、だから確かにこの着想は見事だったんだよね。

ある意味今は、今の若い人たちだと、そういうイメージから掘り起こすギャップにそれほど驚かないのかもしれない。係長だの課長だのといった古い名称ではなく、チーフだマネージャーだキャップだといったランクがピンとくる世代ならば。
劇中、ヒロインのみなみがマネージャーに必要な文献を書店に探しに来る場面で、ギャグ担当のお二人、書店員の石ちゃんと客の青木さやかさん、さやかさんがデキる女の風貌バッチリで、「私、このほどマネージャーになりまして……」と現れ、そこにみなみが「私、マネージャーになりたいんです!」と飛び込む。
あまりにもバラエティくさくて正直ちょっと引いたが(爆)、本を買って帰ったみなみが「何これ、会社経営の本じゃん!私高校生だよ、あの人、何考えてんの!」というまでの一連の流れが、確かに判りやすく世間の考えと実際のマネージャーという立場のギャップを伝えているのよね。

てか、みなみ!みなみという名前!「タッチ」を想起させすぎだろ!いや、浅倉南は別にマネージャーだった訳じゃないが、「甲子園に連れて行く」という台詞が出てきたり(それが男女逆転しているのが当世風?)劇中若くして死んじゃう命が出てくるのもなあんかタッチくさいというか……。
そもそもコスプレかと思うようなスタンダードなセーラー服からしてなんともね。いやまあ、まだそういう制服もあるんだろうけどさ。

でね、そうそう、話が脱線したけど、本作における、あるいはドラッカーが説く“マネージャー”あるいは“マネジメント”の概念が日本に入ってきたのってホント最近でさ、それこそ世界的に活躍するスポーツマンや経営者が数多く出てきてから、聞くようになった言葉だと思う。
つまりそれまで私らが持っていたマネージャーのイメージって、著しく間違ってた、ってことなんだろうな。いや、マネージャーやマネジメントにも色々な意味があるだろうし、その中に私らが今まで持っていたイメージに近いものもあるんだろうけれど、でも本質的にはやはり大いに違うのだ。
でもね劇中、部員の一人でドラッカーオタクの二階君も、そのマネジメントとは意味が違う、と最初は大笑いする。野球部の女子マネが部の戦略を練ってチームを強くするなんて、これっぽっちも思ってない訳。

てか、そんなこと、確かにダレも、思ってなかった!思ってなかったことを甘んじてたのが、悔しいし、その点に目をつけられたのも、悔しい!
最終的にはみなみは、弱気な監督をマネージメントできなかったのも、自分たちマネージャーの責任だと言うまでになる。そう、マネージャーってのは本来、てかそもそも(同じか)、そこまでの責務を負った、時には嫌われるほどの孤高の存在なのだっ。

野球部にとっての顧客とは、とか、なぜ事業(野球)をやるのかとか、根本的なことが、「判りやすいことが正解とは限らない」という視点、あるいはそれもそうとは限らなかったりするのだけれど、とにかくそうした、シンプルかつグローバルな視点で語られていくのが爽快である。
女の子だけでは頼りないのか、くだんのドラッカーオタクの部員で、後にマネジメント能力を買われてキャプテンになる二階君が出てくるのが悔しいが、それを演じている鈴木君が、ああいまだに太一と思ってしまう、しかし太一君の純朴さとも、「恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない」のイケイケの感じとも違って、勉強出来そうな、女子とも距離近そうな、地味そうで社交的なギャップも素敵な彼が素敵!
野球部だけでストイックに固まるのではなく、応援歌は吹奏楽部に、そしてチアリーディングに、栄養食は家政部に、陸上部と合同練習したりと、どんどん輪を広げていって、そのすべてと相乗効果を挙げていく様が、実に軽快で、まさにこれこそ青春ドラマって思っちゃう。

まあそんな展開は逆に、出来すぎだとも思うが、まあこれは尺の問題もあるし、青春ドラマならこれぐらいがいいのかもしれない。
最も尺を割かれ、全般に渡って重要な印象を残したのは、前マネージャーである夕紀である。そう、病弱で死んじゃう子ね。
彼女のマネージャー姿が披露されることはないんだけど、なんかいかにも、先述したような“野球部の女子マネージャー像”を感じさせる子なんだよね。
突破口が開けなくて困っているみなみに、「私にだったら、話してくれると思う」と部員たち一人一人の気持ちを聞いてくれる夕紀。
試合でエラーをしたことで気後れしている下級生、その下級生のエラーにふてくされてフォアボールを連発したと思われてるけど、実はその失敗をフォローしてあげたいと思って方に力が入ってしまったというエース。
他にもいろいろあるけど、ことここ一点に絞って、最後までうまいことひっぱり、私、最後には大号泣。ちょっとハズかしい(爆)。

そう、夕紀はいかにも古き良き女子マネの趣だし、彼女は「結果よりがんばった経過が大事だよ」と言う。
そんなことはみなみだって判ってたけど、「私はマネージャーだから、結果を大事にしないわけにはいかないんだ」と言った。夕紀は「そっか……そうだよね」と寂しそうな顔をした。それがそんなにも大きな意味を持っていたなんて、思わなかったのに。

そうなの、私、夕紀が死ぬなんて、思わなかった。てか、あまりにベタすぎて、そりゃないだろ、と思った。ハイジのクララみたいに感動的に回復して、甲子園のベンチに車椅子で駆けつけていると思った。
だから、ベタではあるけど、ビックリしたんだよね……。ただ、“結果より経過が大事“と言った、てか、言いたかった夕紀と、そんな夕紀の事情など露知らず、てか夕紀のためにこそ彼らを甲子園に連れてくから、結果が大事と言ったみなみ。
夕紀が、どう頑張っても負けてしまう不治の病と闘っていたことを知って、だからこそ頑張った経過が大事だということを肯定して欲しかったことを知って、みなみが自分の言葉をひどくひどく後悔し、駆け出す。ああ、青春。ベタだけど、青春。

なんか色々すっとばしちゃって、あっという間にラスト近くに来ちゃってからようやく紹介するが、もう一人の女子マネ、文乃役の、それこそ峰岸みなみ(みなみ!)嬢があまりにも可愛くてタマラン!なんか完璧じゃない感じ、アンバランスさがたまらんのよねー!
ふっくらとしたほっぺたの感じがまず基本だが、なんつーか、……そうだな、敦子嬢が割とストイックに、ヒロインだという自負があるせいか、抑えめな感じがするんだけど、みなみ嬢は、台詞が少ない中でも、実にヴィヴィットな、鮮やかな印象を残すのよね。
ちょっとワザとらしいのか??イヤイヤ!

何より良かったのは、夕紀が死んでしまって、決勝戦の朝、夕紀のために頑張るなんて意味ない。私は野球が大嫌い、皆を騙してたの!と言い放って池松君演じる柏木君に殴られ、飛び出すみなみを、みなみ嬢演じる(ややこしいな)文乃が追う場面。
ここって、ネライなんだろうか??敦子嬢が実にアイドルらしくたったったと走っていく(これもなんか不自然だけど)のを、みなみ嬢が全速力で、ぱんつ見えそうなぐらい、セーラー服のミニのプリーツスカートを躍らせて太ももあらわに疾走するのがもお、萌えすぎ!!

……つーか、ここに至って気付いたけど、いくら主人公が女子マネとはいえ、高校野球部の話なのに、私が書くと野球部員がいっかな出てこない(爆)。
いやそりゃあね、ふてくされていると誤解されているエース、エラー続きではずされそうになる一年、みなみの幼馴染でチームを客観的に見ているキャッチャーと、ハズせない面々はいるんだけど、何せやっぱり女の子好きなもんだから(爆)。
その中でもやっぱり、唯一の高校野球経験者と聞けばそうかもと思う存在感を示す池松君が、みなみとのポジションの近さもあいまっていい感じだったかなあ。

てかね、正直、野球部員に関してはさ、クライマックスの、甲子園に行けるか否かの試合シーンになってからなんだもの。
いや、その前に、我らがよーちゃんの最大の見せ場、フォアボールを連発したエースの真の気持ちを指導者として代弁し、自分の責任だと頭を下げた場面。
実はよーちゃん、コミカルそうに見せてて、一個も笑わせてる場面て、ないんだよね。近年の体罰批判におびえて、ひたすら部員に気弱でさ。
でも、大事な試合でまたエースが責められた時に、違う!て、フォアボールを出したくて出すピッチャーなんていない、そんな選手はうちにはいない!て絶叫して、フォローしようとしたピッチャーを誰も責められない、責められるのなら自分だ、と頭を下げた場面、素直に泣いちゃったなあ……。
ええ、そう、よーちゃんには甘いの、私(恥)。ここからすっかり涙腺が弱くなったらしく……。

正直、ね。後半、私の涙腺がすっかりぶっ飛んでからはさ、試合のシーンは、それはドラッカーとか関係なく、もうこういうの、弱いの、試合、特にワカモンの試合はさ!ていうことでさあ。
そりゃまあ、ドラッカーの要素としての仕掛けもいくつも用意されてはいるんだけど。そうじゃなくてさ、そこじゃなくてさ。夕紀決勝当日死んでしまった前マネージャー、夕紀の遺品の麦藁帽子に手を置いて打席に向かうとか、夕紀の残したみなみの伝説、敵のピッチャーを油断させるためにわざと大きく空振りするとか、エースピッチャーが手に怪我して自ら選手交代を宣言し「信じてるから」と言うとか……。

つまり、ここに至ると、ドラッカーは関係なくって、もはや高校野球の感動物語のみになっちゃうんだよなあ。夕紀あ、そうそう、よーちゃんがエラーしっぱなしの一年生を、しかし断固として変えずに、変えるのは足の速い代走ってあたりもね。夕紀まあそれはそれでいいんだけどさ……ただ、私がぼーぼー泣いたのが、そうしたドラッカーとはおよそ関係ない部分ってのが、本作の映画化の意味をふと考えてしまったりもして。夕紀でもしょうがないよね。だってまさにドラッカーのマネジメントの定義に当てはまるように高校野球を定義するとどうなるのか、みなみが見つけた答えは、感動、なんだもの。だとしたら間違ってないのかも知れんなあ。

決勝点のスーパースローはさすがにやりすぎと思ったが、そのやりすぎでボロボロ泣いてるバカ(爆)。夕紀でも、それまでの展開で、割と丁寧に試合展開を追ってただけに、いきなり映像の画質も変わるしさ、もったいなかった気がして。でも泣いてるんだけど(爆爆)。

敦子嬢がもっともっと弾けたら良かったかもとも思った。せっかく男子にも負けないぐらいの野球少女の役だったのに、ちょっと、おとなしかったかなあ。何か彼女を見てると、AKBの象徴としての責任感にちょっと苦しめられている気もするかも……。 ★★★☆☆


モテキ
2011年 118分 日本 カラー
監督:大根仁 脚本:大根仁
撮影:宮本亘 音楽:岩崎太整
出演:森山未來 長澤まさみ 麻生久美子 仲里依紗 真木よう子 新井浩文 金子ノブアキ リリー・フランキー ピエール瀧

2011/10/3/月 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
ドラマは面白そうと思った時には、もう本放送は終わっていた。再放送の情報もチェックしなかったけどやってたのかなあ。キャスト的にも作品世界的にもかなり面白そうだったので、完璧見逃してしまったのはかなり悔しい。
映画化に際してドラマをまったく観てないことへの後ろめたさのようなものはあったけど、そもそもドラマだってその後ろにマンガ原作があるんだし、映画化するぐらいなんだから切り離してくれているだろう!と開き直って足を運ぶ。
しかして後に解説などを読むと、監督自身はドラマの登場人物(つまり幸世に関わる女性たち)にかなり思い入れが深く、未来君に強硬に反対されなければ、ドラマの人間関係も引きずっていたやもしれぬ。
そうしたらドラマ観てない私なんぞは引いちゃったかもしれないなあ、危ない、危ない。

ドラマが「the movie」になるとそういうキケンがある。ドラマ自体のファンで熱心に見ていればそれはもちろんアリなのだけれど、そうでなければヤハリまったくの別物として造ってほしい、とワガママなことを思う。
ドラマと映画はいわゆる番宣写真、女の子たちが担ぐ神輿の上で幸世が雄たけびを上げてて、その前に美女四人がハッピ着て踊っているという構図が驚くほど同じで、まあ映画化に際して豪華なゴールドに昇格した感じになってるというのはあれど、その四人はちゃんと?スッカリ入れ替わっていて実に潔かった。
そしてその四人、長澤まさみ、麻生久美子、真木よう子、仲里依紗というなんとまあ、強力なメンメン!

とはいえ、タイトル通りに幸世の“モテキ”の要素として、四人がそれどおり関わる訳じゃないんだよね。ドラマでは四人ともそういう関わり方をしていたのかなあ。まあ尺もあるしね……。
そう、映画では尺がないから、四人が四人ともモテキ要員として幸世に関わるには確かにムリがある。ハッキリ言っちゃうと半分の二人しかそうではない。
それじゃ単なる三角関係じゃんとも思うが、まあそうなんだけど(爆)、モテキそのものというよりは、恋愛下手、いやそれ以前にコミュニケーション下手の幸世の人生への奮闘こそがガッツ入って描かれるので、ちょっとそのことにも気づかずに見ちゃう。
え?私、ニブい?でもただの三角関係じゃん、てこうやって書き出すまで思わなかったなあ。実際そうなのに……。

その二人は大メインなのでゆっくり語るとして、あとの二人はね……特に仲里依紗嬢はかなり彩りチックなキャラ設定。だって単なる飲み屋のお姉ちゃんじゃん(爆)。
いや、飲み屋なんていうオヤジくさい場所ではなく、“ガールズバー”なるオシャレなお店の“ハデカワ店員”(つまりメイクが濃くて、まあ言っちゃえばギャルっぽい)愛、である。
まあ確かにその巨乳で幸世をドキリとさせるし、うっかり一夜を過ごして危うく“新しいパパ”にさせられそうになるも、それもこれも百戦錬磨の彼女のジョークで、彼女は幸世に、男と女の恋愛感の違いを優しくレクチャーしてくれるんである。
男はいくつになっても自由に恋愛できるけど、女には子供を産む年齢のリミットがある、というのは私も散々いろんな映画に際して思い、書いてきたことではあるけど、こんなカルめの(いい意味でね)エンタメ映画でわざわざ言われるほどに、つまりやっぱり男は判ってないんだなあ。

そしてもう一人は、幸世に対してオッパイのドキドキも一夜も過ごさない、正直言って単なる厳しい女上司で、ラブの要素なんてかけらもないから、このモテキの四人に加えていいのか、かなり理解に苦しむ真木よう子である。
それこそ宣伝ではね、四人均等に紹介されていたし(なんか私、やたらと宣伝見る機会があってさ)予告編での印象もそうじゃない。

でもそれこそ彼女に関しては、愛のように営業トークで「気が向いたらケッコンしてくださいね」なんて色っぽいことを言うハズもなく、恋愛指南をするのかと思いきや、その係も節操のない社長、墨田さん(リリー・フランキー)に譲られるんだよね。
正直この素子に関しては、幸世にとび蹴りする、予告編でも使われているシーンぐらいしか印象がなく……。なんかもったいない気がしたんだよな。

だってさ彼女、脚本にあった過激な下ネタをかなり削ってもらったと言ってたじゃない?なぜそーゆー余計なことをするのかと(爆)。
だからこそなんか、印象が薄くなっちゃったんじゃないのかなあ。だって真木よう子だよ?「これだから童貞は」ぐらいの台詞ととび蹴り程度で終わっちゃ、彼女をキャスティングした意味ないじゃん!(ていうのは言い過ぎか……)
てかさ、むしろ私はこの超強気な彼女が、恋愛バトルで幸世と絡んだら面白かったのになあと思っちゃったなあ。だって結果的にモテ女子の長澤まさみと、恋愛体質の麻生久美子という、つまりは恋愛要素としては意外性のないキャラとしか恋模様が展開していないんだもの。

……まあ、とにかく設定からいかなきゃ。
物語の始まりは、いかにもうだつの上がらない草食系サブカル好き青年の幸世が、とにかくこの生活を脱しなければ、ちゃんと社員にならなければ、と就職するところから始まる。
ドラマから引き続いているキャストだという、リリー・フランキー扮するいかにも女慣れしている墨田が起こしたニュースサイト会社に偶然面接に来た幸世は、彼の修羅場をいきなり目の当たりにし、その流れで墨田の代わりに刺されてしまう!?

さすが、ツカミはオッケーな衝撃。そこに至るまでの、幸世の悶々とした心象風景を、古今東西の著名人やら哲学者やらミュージシャンやら作家の言葉で、電光掲示板や道路に白ペンキで書かれた表示に描いていき、それに対して几帳面に突っ込んでいく(ていうか、キレる)のはスリリング。
ことに、尾崎豊の愛の言葉に「若くして死んだからって何でもかんでも伝説にしてんじゃねー!」と理不尽極まりないキレかたをするのには思わず爆笑!行き着くのが独身男丸出しのきったない部屋というのもね。

でも、サブカル趣味はきちんと陳列されている幸世の部屋は、今までのイメージの、モテない男の一人暮らしの部屋、の散らかり方や殺伐さとは違うんだよね。実際、躊躇なく女の子を家にあがらせたりもするしさ……酔った勢いとはいえ。
ほんの一昔前までは、ネットやってるというだけでキモいオタク扱いだったが、幸世に関しては、童貞だの対人スキルがないだのとは言われるけど、そういう一昔前の描写は、ないんだよな。
ネットもブログも、そしてツイッターにまで至ると、もう一億総国民がやってるフツーのこと。ツイッターのやりとりで知り合った相手と会うことになった幸世が、俺も社交的になったとモノローグするけど、そんなことさえ、“電車男”時代にはタイヘンなことだった訳でしょ?時代は変わったなあ……と思う(ババアだな、私(爆))。

そうなんだよね。幸世のサブカル趣味は、初めて出会った女の子とも盛り上がれるだけの、オシャレなもの。
私はそういう方面に疎いので(オシャレとか言ってる時点で、ダメだよなー)幸世すげーじゃん、とフツーに思っちゃう(爆)。

てな、ツイッターで意気投合し、会うことになった相手、てっきり男だと思っていたのが、超かわゆい上に、マイナーなサブカルも全部打ち返してくるという、幸世にとって奇跡の女の子だった訳なんである。
で、で!この相手が長澤まさみ嬢!あのさあのさあのさ、結果的に、彼女とハッピーエンドを迎えてしまう(もうオチバレとか謝ってるヒマないス)訳で、これはモテキの展開というより、彼女にひと目で恋に落ちてしまった幸世の、奮闘日記のようなものでさ。
その途中でなんたってやりたがりな男子だから、他の思いを寄せる女子からのセックスの欲望に負けたりしつつも、ずっと、ずっと、ずーーーーっと、その彼女、みゆきへの思いに貫かれている訳なのよ!

で、まさみ嬢で、未來君なんだもん。そりゃー、そりゃー、そりゃー、誰もが、セカチューを思い出さずにはいられない。
だってあの作品は、彼ら二人、双方にとってブレイクした作品であり、役者として目覚めた作品であったと言っていいと思うんだよな。
「助けてください!!!」とまさみ嬢を抱いて叫んでいた未来君、その二人がこんな形で再会するとは……ああ、おばちゃん、涙をぬぐっちゃう。

ことにまさみ嬢のフレキシブルな成長には目を見張ってしまう。清純派の枠におとなしく囲われそうだった彼女、それは同時期にイケイケの沢尻エリカがいたりしたことで余計にそう感じたりもしたのだが、まあそんな環境的にもいろいろあって(爆)。
でも彼女自身はさ、実はそういうこだわりも何もないんだよね。みゆきのキャラとして描かれるキレイな生足と巨乳は、まさにまさみ嬢のお宝で、それをさわやかなエロでおしげもなく披露してくれたのが本当に嬉しい。

いや、おしげもなくどころではない。このキャラ、男好きというんじゃないのに男に対してやたらサワヤカに開けっぴろげ、フツーに酔いつぶれて男の家に押しかけ、フツーに風呂とか借りて「Tシャツとハーパン的なもの貸してくれる?」と言う言い様も慣れていて、何の意味も感じさせないほど自然にチューさえするのに(しかも、いわゆる唇タッチだけのアイドルキスじゃなくて、適度に唇レロレロよ!)、ヤリマンには見えない奇跡さ!!!奇跡としか言いようがない!!
まあ幸世にスキルがないにしたって、「いや、セックスごっこ……」とついごまかしてしまうのは判るよ。だって彼女はそこまでしてるのにホントにその気がないんだもん……。

いや……いや!ホントにその気がなかったのか?正直、みゆきの真の気持ちに関しては、判りづらいというか……。
ちょっとね、最後、ああなっちゃったのは、驚いたんだよね。あれは、みゆきが幸世を受け入れたんだよね、ハッピーエンドなんだよね?絶対、幸世が玉砕して終わると思っていたからかなりビックリで。

サブカル誌の編集をしているみゆきは、彼氏?いるよ、と最初に会った時にさらりと言うから、どんなにみゆきに思わせぶりな態度をとられても、ていうかみゆきのことがどんどん好きになっても、幸世はそれが頭にあるから一歩を踏み出せず、自分に思いを寄せてくれるみゆきの友達、るみ子で手を打とうとする。

手を打とうとする、という表現はまさにピッタリで、だからこそ幸世は後にその罪深さに反省してみゆきに突進するのだが……。
でも幸世がるみ子をフる時に言う台詞「聞く音楽も違う、趣味が合わないし」ていうのがね……。
みゆきに彼がゾッコンホレたのは、フツーの女の子なら打ち返せないであろうタマ(サブカル趣味)をみゆきがことごとく打ち返したことが大きな要因だった訳で。まあ、殺人的な笑顔が一番ではあるんだけどさ。

でも正直、趣味合うことって、恋愛の段階ならまだしも、その先においてはどうなのかなあ、って気がする。私は趣味の合う人は逆にヤだと思っちゃう。自分の好きなことは自分の中だけで完結したい……あ、これって先述したような、一昔前のオタク系か(爆)。
でも人生を共に暮らすのなら、そこからは別の要因のような気がする、のはやっぱり古いのかなあ。趣味はあくまで趣味、人生観じゃないじゃん。

そんな風に思うのは、ウッカリるみ子に感情移入してしまうせいかもしれない。幸世に恋してしまったるみ子が、彼に突き放されて、幸世君の好きな音楽とかも勉強するからあ、と、ごぼごぼ泣きながら迫る様子は、そりゃまあ彼にとっては重い(これはハッキリ言った)、ウザい(本音だろう)、怖い(彼の表情で判っちゃう)んだろうけど、女としてはね、趣味が合わないとかそんなつまんないことで諦められるわけないじゃんて気持ちがあって……。
だってさ、判ってるよ、そんなことは関係なく、幸世はみゆきが好きなのさ、それが理由だって、ハッキリ言えばいいじゃん!ていう、悔しさがあるんだと思うんだよね、きっと。

後にるみ子が、あの女たらしの墨田さんと一夜を共にする場面があって、墨田さんが「俺のセックス、正確だったろ?るみ子ちゃんも、いろんな男とセックスした方がいいって」と言われて「そうですね……」と黙り込むのがね、彼女はある意味愚かな女だと思うけど、でも、なんかいろんな意味で凄く気持ちが判っちゃうって言うかさあ。

みゆきには、めちゃくちゃデキた男がいる訳。大規模な野外フェスを仕切るだけの気鋭のオーガナイザー(って、ナニ?)それこそサブカル好きの幸世にとっては神のような存在で、みゆきにホレなければ単純に崇めてたかもしれない。
いや、それこそ、彼がみゆきをちゃんと愛していれば諦めもついたんだけど、このイケてる男には奥さんがいる訳で……。

落ち着いて考えてみれば、この設定もまた昼ドラチックなほどにベタベタな気もするんだけど、結局は人間関係なんてモンはパッケージの見た目だけで、さして変わらんのかもしれんなあ。
言い寄られれば簡単に揺れ動いて、るみ子とセックスだってしちゃって、みゆきを振り切るためにるみ子と付き合おうとした幸世だって、そういう意味では大して人のことは言えんのだが、奥さん、婚姻関係、公的な関係、ということにビビビときちゃうのが男。

みゆきはそのことを幸世から責められて、気にしてなかったとでも思うのかと逆ギレするけど、世間的にも逆パターンがほぼないことを考えても、やっぱりそれを気にするのは……社会的立場を気にするのは、男。
気にするくせに、愛人なんか作る男を許せないと女は思うんだけど、許せないと思いながら自ら愛人になっちゃう女を、そっちこそ許せないと思う男の気持ちは……判るけど、でもお前が言うなって感じ(爆)。

おっと、なんだかディープな話になってしまったが。でもさ、みゆきがこのイケてる彼氏にしがみついていた、というのはかなり強めの表現すぎるかもしれないけど、とにかくその理由と思しきあたりが、クライマックスに提示されていて、でもそれがラストの幸世とのハッピーエンド?につながるのなら、ちょっと??と思わなくもない、んだよな。
みゆきは幸世が友達のるみ子と関係を持ったことにショックを受け、ショックを受けたということで自分の気持ちに気づいたんだと思う。これまた少女マンガチックだけど(爆)。
で、彼氏とはお互い納得づくだったんだけど、幸世がかみついたことで、彼氏はらしくなく動揺、ヤツには近づかない方がいいなどと言っちゃったことでみゆきは、今までは放任主義だったくせに、と思う訳。

これが、私を愛してくれているからだ、と思う方向もあったと思うけど、これまでみゆきが奥さんの存在に遠慮して、ていうか、彼がフツーに奥さんのことも話すから、嫉妬してるのを知られるのもヤだと、思ったんだろうなあ……。
みゆきがね、土砂降りの中、決死の思いで彼女を訪ねてきた幸世にね、幸世君とじゃ成長できない、と搾り出して、手を握ることさえ拒否するシーンはキッツイんだよなあ……。
まあ、これが最後のチャンスと思って、せめてヤリたい、とまで言う彼はハッキシ言ってサイテーだけどさ(爆)。

でも、この台詞ですんごい象徴されているのが、みゆきはこのイケてる彼氏と打算的に付き合っていると、自分自身でも気づいていなかったかもしれないけど、そーゆーことだよね?
まあ確かに聞こえはいいよ。成長出来る相手と付き合ってるっていうのは。でも逆に言えば、じゃあ相手は自分と付き合って成長出来てるのか?下に見てるから、奥さんがいてもヘーキで囲ってられるんじゃないのか?なかなかこのあたり、深遠な気がするんだよなあ。

るみ子にウッカリ感情移入しちゃうのは、まあB'zが好きな訳じゃないけど(爆)、いわゆる一般的にヒットしてる音楽(あるいは一般的なカルチャー)に対しての、幸世やみゆきや彼らが働いているサブカル現場の冷ややかな視線を感じるからかもしれないんだよね。
幸世がるみ子とのB'z熱唱に「意外に盛り上がれた」的な表現をしたり、ジュディマリ時代ではない今のYUKIがいいよと言ったり、なんか含みを感じるのよ。
イヤな言い方をしてしまえば、アンタがそれを作ってる訳じゃないじゃん、好きなだけじゃん、みたいなさ。

ああ、おばちゃん的なヒガミ(爆)。でも冒頭、大江の千ちゃんのカラオケ仕様から始まったのは青春を彼に捧げた当方としてはぐっときたわ!まあ、青春以降の楽曲だったけどね(爆)。
この「格好悪い……」はドラマでも一話目に使われたとのことだから、幸世に対する象徴的な歌なんだろうなあ。

なんかぶつぶつ言っちゃったけど(爆)めっちゃ楽しめたのよ。ホントに!まさみちゃんの可愛さはホンットヤバかったし。「ここでドロンしまーす!シュシュシュシュ!(手裏剣ッ!)」とか、ややや、ヤバすぎっ。
音楽のヴィヴィッドさに関してなんてホントにさ、ライブハウスシーンもそうだけど、ことに野外フェスの場面なんて、これぞ映画、予算使ってるぜ!
で、まあ……野外フェスを舞台にした映画といえば「BECK」なんぞもあったが、ある意味野外フェスのゆるさ、カップルでイチャイチャしてる様子に幸世がイラッとくる感じなんかさ、リアリティありありじゃん。ま、行ったことないけどさ(爆)。

何より、これってミュージカルちゃうの?いやミュージカルに違いない!というのがね!全篇、ワレらおばちゃんもぐっとくるような、あるいはおばちゃんは全然判らんような、でもとにかくヒップなナンバーの目白押し。
Perfumeと一緒に踊る未來君、それ以外にも私が一度見てみたいと願ってる、ダンサー森山未來の身体能力がいかんなく発揮されてて、楽しくもホレボレさ。
個人的に好きだったのは、まさみちゃんに迫ろうとして、あ、ダメと直前に悟ってベッドの上で側転して何事もなかったようにスチャッと彼女の隣に着地する場面!彼はジャッキーみたいなアクションコメディもやれるよ!!★★★★☆


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