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レンタネコ
2011年 110分 日本 カラー
監督:荻上直子 脚本:荻上直子
撮影:阿部一孝 音楽:伊東光介
出演:市川実日子 草村礼子 光石研 山田真歩 田中圭 小林克也
うん、でももたいさん、今回はなんだろ、スケジュールとかかしらん。いつもいつも出ていたからやっぱりなんだか残念だけど。
でも主人公となる市川実日子嬢のファニーさは、荻上監督の好みっぽいなあーと思うのであった。確かに「めがね」でも印象的だったが、これからは彼女が荻上作品のミューズになるかもしれない??
不器用でちょっとブキミ(ゴメン!)入ってるとこなんて、確かに彼女は若きもたいさんかもしれないわねー。それに猫と一緒のたたずまいが似合うこと似合うこと!
猫を積んだ(爆)リヤカーを引きながら「レンタ〜ネコ、ネコネコ」とメガトラで呼びかけつつ川の土手をそぞろ歩く実日子嬢は、通りかかる小学生から「ワッ!またネコババアだ!」と呼ばれる。それが何度も繰り返される。
古びた一軒家に多くの猫と一人暮らす彼女、サヨコは、朝な夕なに今まで一緒に暮らしていたおばあちゃんに手を合わせ、「今年こそは結婚するぞ!」と書初めよろしく見事な筆書きを貼り、うんうん、と気合充分。
しかし彼女が他人と接触するのは、もっぱらレンタネコを貸し出す一見の相手ばかり。あともう一人は「あんたの前世はセミだよ、セミ」と奇妙なことを言う隣のオバサン(小林克也!!)のみ。とても結婚する出会いがあるようには思えないが……。
そしてレンタネコを貸し出す相手からは常に「1000円!?安すぎますよ。生活とか大丈夫なんですか……」と心配される始末。「生活に困っているように見えますか?全然!私こう見えても……」とそのたびサヨコが言い出す職業……株をやってるだの、占い師だのといったものは「子供の頃から得意」という仕事じゃない(汗)。
お客さんを納得させるためのウソかと思ったら、そのたびその“仕事”にいそしんでいる場面もあらわれ、でもやはり常にそのそばには猫がいて、買い時の株も、占いのカードも猫に選んでもらっているんである!
そういやあ「かもめ食堂」で、常連客のおばちゃんに五寸釘なぞ伝授する場面があったなと思い出し、そうしたちょっとコワい非現実的が、気持ちのいいウソとして上手くマッチングするのも荻上映画なのだなあ〜と思う。
サヨコのそうした“仕事”はとても現実的とは思われないけど、でも不思議とレンタネコ屋までもがウソだとは思われない。いや、というか、そうした“仕事”がいい意味であまりにウソっぽいから(爆)、レンタネコ屋がなんとなくリアリティを持って浮かび上がってくるのかもしれない。
だって、パラソルを差し込んだリヤカーを引きながらメガトラで♪レンタ〜ネコ、ネコネコ、だなんて普通に考えれば充分非現実的。
“前金でこれだけ”と一本指を差し出された相手が一万円?え、まさか10万円!?とおじけづくところを、「まさか。1000円です」と同じように繰り返されるのがお約束のようでなんとも可笑しいんだけど、でもちゃんと、成立しているんだよね。あるかもしれないと思わせるんだよね。
それはやはり、彼女の「他にちゃんと仕事してますから」のその“仕事”がそんな気持ちのいいウソっぽさをかもし出しているからなのかもしれない。
あのね、私もまた猫好きの一端にはいるんだけれども……猫初心者でね、今一緒に暮らしている猫が人生初の相棒猫。猫が好き、というだけだったのに、今はこの猫だけが好き、大好き、愛してる。彼女以外に愛情を注ぐことなんて考えられない!……という具合な訳。
サヨコのようにネコババアと言われたり、猫屋敷なんて言われたりする、多くの猫たちと暮らしている人たちこそ真の猫好きなのかもしれんと思ったりもするけど、でも私にはムリ!と思う訳。……本作はね、そこんところもまた、上手くついているんだよなあ。
サヨコが貸し出す相手として三人(四人目は未満)の相手が現れる、これは私のちょいと苦手にしているオムニバス的形式なんだけど、(あー、ここからひとつずつ書かなきゃいけない(爆))、その誰もがただ一匹の猫を、わき目もふらずに選ぶ。
いや、正確に言うと、二人目のお客には、サヨコ自身が彼にマッチングする子猫をさっと選び出す。彼らはそのただ一匹の猫にまっすぐに愛情を持ち、離れられなくなる。
一人は死ぬまで、一人はついに離れられずにサヨコに「お母さん!この子を僕にください!」と土下座、もう一人はハワイ旅行の間だけサヨコに預けるけれども、皆この、ただ一人……一猫を代わりなど考えられない愛する伴侶とする。
それがね、私にはなんだか、嬉しかった。多くの猫と暮らせるだけの度量がなければ、猫好きと言われないんじゃないか、って思ってたぁら。
あのね、でも確かに、凄く不安はある訳。順当に行けば、私の方が、私の愛する猫よりも長生きしてしまう。私は私の愛する猫の最期に遭遇しなければならない、そのことを考えると胸がふさがってしまう。
それって、親子の関係とはやっぱり絶対的に、違うじゃない?病気でもないのに相手が必ず先に死ぬと判っている、だなんて。私はそれを考えたくなくて、それでも必ず考えてしまって、いつもいつも胸がふさがっていた。
本作の一人目のお客さんである老女が、「私が死ぬまで」と記せるのが、うらやましい気さえ、していたのだ。
実際、彼女は死ぬまで愛する猫と一緒に暮らし、いわば猫に看取ってもらった。でも彼女だって、そのレンタルした猫とソックリな、自分の飼い猫の最後を看取って、だからこそ、もう自分の老い先が短いからこそ、新しい猫は飼えない、とサヨコに声をかけたのだ。
そして二人目の客、長い単身赴任で、近く家族の元に帰るのだけれど、年頃の娘からは臭いと言われて避けられ、しかもその娘は犬を飼ってて奥さんは猫アレルギー。
家族の元に帰るまでの間だけのはずが、サヨコが貸し出した子猫に心奪われてしまって、「僕らは固い絆で結ばれているんです。僕は彼女を愛しているし、彼女だって。お母さん、どうか、彼女を僕にください!!」完ッ全に嫁さんもらう体(爆)。
でも彼の気持ち、メッチャ判るんだよなあー。私もね、毎日毎日、愛してるよ、って私の猫に言ってる(爆)。固い絆で結ばれてると思ってる。
でもそれは私だけが思っていることかもしれなくて、ていうか多分そうで(爆)、でもそれでもいいの。そう思わせてしまうことこそが、ただ一人の、いや一猫の魔力なの。
彼に土下座された“お母さん”であるサヨコが、子猫に耳を傾けて「どうする?君の意思を尊重するよ」と問いかけ、うん、うんうん、とうなずき、彼に嫁入りさせることを承諾するのも、なんともなんとも、嬉しかったのだ。
ああー、私もサヨコのような人に、のえち(私の猫)の気持ちを確かめてもらいたい!いや、それも怖いけど(爆)。でも、多くの、一猫に心奪われた人たちにとってこれは本当に……夢、だよね。
あのね、だからこそ、サヨコように多くの猫たちと暮らし、多くの猫たちとの別れも経験している“猫マスター”は、尊敬のまとであることは確かなの。サヨコだってきっと、一猫時代はあったんじゃないかと思う。だからこそ、その一猫が人の寂しい心の穴ぼこを埋めることが出来ることを知っているんだよね。
だって一猫の魔力に取り付かれているレベルでの私らにとっては、一緒に暮らしている愛する猫を人に貸し出すなんて、とてもとても、考えられないんだもの。でもそれが出来るのが猫という生き物の、神的度量の広さ。これはやっぱり犬では成立しない話なんである。
それぞれの客たちをめんどくさくない範囲で(爆)、ざっと書いていくと……最初のお客さんはいかにも上品そうな老婦人、草村礼子。亡くした愛猫にそっくりの、「自分と同じおばあさん」である茶トラを選び出す。
子供の頃の息子が大好きだったというあざやかなオレンジ色のゼリーを、今は「自分がやみつきになっちゃって」と欠かさず作りおきしている。猫環境を視察に来たサヨコもそのご相伴に預かる。
契約書の“期間”欄には「私にお迎えが来るまで」と記した老婦人。その通り、彼女の死後、マンションを売り払うことだけを考えている冷たい息子が、さっさと猫を引き取ってくださいよ、と苛立たしげに連絡してくる。
テーブルの下からおびえて出てこない猫に、老婦人がつけていた名前で呼びかけるとそぞろ出てくる。「可愛がってもらったんだね」
サヨコは抱き上げ、冷蔵庫いっぱいにつくられていたゼリー、その真ん中、スプーンですくった穴にクリームが充填してあるのを見て思わず噴き出し、……そう、寂しい穴ぼこを、彼女がちゃあんと埋めていたのを見て、ゼリーをひとつ頂いて、帰ってくる。
二人目。光石研。光石研氏も大好きだし、このエピソードがやっぱり大好き!もう、なんで光石氏はこんなに癒されるんだろ!ていうか、荻上作品の彼は特に、なんとも可愛らしくて、優しくてさ!
単身赴任を頑張って、娘さんの可愛い盛りを逃してしまった彼、せっかく単身赴任も解かれて帰ってこれることになったのに娘から、えー、と失望したように言われ、お父さん臭いと言われて大ショック。
家族の中で唯一の猫派であるという彼が、迎えた子猫を抱き上げて、「うーん、猫臭―い」とすりすりする笑顔の可愛いこと!
臭いってのはこの場合、自分に比した言葉であり、猫は実にいい香りがするんだよなあ。なんだろ、あれって。あの、日なたくささというか、甘やかないい香りは、なんなんだろ!
あれは実際、魔力かもしれない。猫がたくさん持っている数多くの魔法のひとつ。そりゃあ、この子を僕にください!と土下座もしたくなるよ!
引越し準備がすっかり整って、家財がなーんにもなくなっただだっぴろい部屋で、子猫を抱きしめ、切羽詰った顔で正座している光石氏のカワイイこと!
でさ、サヨコが先述のように、子猫の意向を確かめて(笑)、ただひとつ条件を出す。それは、この子の最後をちゃんと看取ること。
ドキッとした。そういうことなんだよね、と思った。私がずっとずっと怖くて仕方のないこと。彼と猫との対峙の仕方が私ソックリだったから、本当、ドキッとしたんだ……。
彼に関しても、家族はやはり冷たいまま。猫アレルギーの奥さんを説得して単身赴任を解かれた彼だけれど、家族の描写は、替えの靴下を放り投げられる見切れた奥さんだけ。
そこに、出勤の見送りに来てくれる子猫。お前だけだよと抱き上げてスリスリする彼。これを寂しいととるか、幸せだととるかが難しいところだが(爆)、やはりここは、幸せだととりたいなあ。
女家族の中の一人だけの父親って、娘が成長して大人になって、お父さんと大人として関係を持てるようになるまでは、確かに孤独かもしれない、と同じく女家族の中のただ一人の父親、同じくモーレツサラリーマンだった父親のことを考えると、確かにそうかも、と思っちゃう。
そーいやー、父親もちゃぼだのインコだの十姉妹だの(なぜか全部鳥だ)突然連れてきたよなあ。全部女家族にとられちゃったけど(爆)。あれって、実は自分のためだったのかもしれないなあ。
こうして書いてみると、実は猫を描く映画ではなく、猫が人の寂しさを埋めることが出来る存在であることによって、人の寂しさそのものをあぶりだしていることに、ことここに至ってようやく気づくんである。ニッブい、私(爆)。
三人目の彼女なんて、まさしく、そうだよね。レンタカー屋の女の子。彼女はまず、サヨコの夢の中に出てくる。大手のレンタネコ屋「レンタネコ ジャポン」
彼女は猫を、外国系ブランド猫、日本のブランド猫、ただの猫、と三つのランクに分けて提示してくる。もちろん値もガクンガクンと違う。
サヨコがその違いを聞く。Cランクはどんな猫なのかと。それは……とたっぷりと間をおいてニッコリと彼女は言う。雑種です、と。
これもまたやっぱり、猫でしか成立しない話なんだよね。いや、今や猫でしか成立しない話と言うべきか。今はさ、野良犬というのがほぼ存在しないからさ。
野良猫はイコール雑種。野良猫に血統の正しきブランド猫がいたら、それは野良猫ではなく捨て猫。そう考えるとそれも切ないが。
でも雑種が一番可愛い、うちの猫だってめちゃめちゃ雑種だもん!いや、というか、そう、サヨコが言うように、その人にとっての特別な猫こそがAランクなのだと。
サヨコはCランクの猫をAランクの金額で借ります!と声高らかに宣言、するとジー、ガシャンと出てくるのは、占いを手伝ってくれる猫、歌丸師匠!ハッと目を覚ますサヨコ。まあつまり、夢だったんだけど。
でも、それとソックリのシチュエイションが、展開される。夢とソックリのレンタカー屋に、抽選でハワイ旅行!ののぼりにつられて迷い込む。
AランクからCランクの車を紹介される。サヨコがつれて入ってきた猫たちに眉をひそめる受付の女の子。でも、彼女もサヨコと似たり寄ったりの状況。長らく客の来ないこの支店を任されて、一日中一人きり。
「ランチ一緒してくれませんか」と彼女が差し出す大量のドーナツ。朝から行列の人気ドーナツ屋でつい買いすぎてしまったんだと言う。
「誰かとランチするなんて、久しぶり」お互い胸もCランク、女としてもCランク??そういやー、サヨコが隣のあやしいオバチャンからおっぱいが小さいことも指摘されて、サヨコ、「あのババア、ぜってー許さねー」とあの、コワ可愛いしかめっ面でつぶやいてたっけ。ほおんと、実日子嬢はこういう感じ、チャーミングなのよね!
で、まあ、お互いCランク、と意気投合したレンタカー嬢は、ホントに車を借りて、猫とドライブしていったサヨコを見送り、自らも車を借りる。そして抽選のハワイ旅行に当たっちゃう!
彼女がサヨコから借り受けたのは、受付に意味もなく置かれていた、くたびれた招き猫の隣にちょこんと座った三毛猫。模様といい、この招き猫にソックリ!「ホントに招き猫でした!」と満面の笑みで、サヨコに三毛猫を一時返却、ハワイの空へと旅立つんである。
サヨコは彼女にごちそうになったドーナツから、砂糖のまぶしかげんもまばらだったおばあちゃんのドーナツを懐かしく思い出し、どんなに美味しいドーナツよりも、おばあちゃんのドーナツが美味しかった、と述懐するんである。
三人目は、ただ一人猫を借りない相手だけど、ただひとり、サヨコと個人的面識、というか、もちょっと淡い気持ちを持つ相手である。中学生の時の同級生の男の子。いや、今や青年、というか、一人の男性である。
この時に至って、サヨコの人となりが少し詳しく明かされる。中学校時代は保健室に入りびたりだったこと。ベッドの枕元に私物がびっしり、ベッド柵に猫シールが貼られていたり、すっかりここが彼女だけの場所になっていることが明らかである。
そしてその隣のベッドに昼寝しにやってくるのが、この同級生の男の子。サヨコは寝顔がジャミラに似ているといってジャミコと呼ばれていた。
かといって“いじめられている訳でもない”と言ったのはこの男の子。それに対してサヨコは「友達もいなかったけどね」と返す。でもおばあちゃんがいたから平気だった、と付け加える。
サヨコに関しては、ホント、この段に至っても、不思議なほどに近しい家族や親しい友人が現れない。それは、このレンタネコ屋という不思議さを純粋にたちのぼらせる効果はあるにしても、不思議である。
かといって確かに彼女が孤独であるという感じもしないのも、またひとつの不思議であるんだけど、中学時代ぶりの再会となった彼には、孤独の影がまとわりついている。ひょっとしたら、中学生時代からそうだったのかもしれない。
彼にぎこちなく麦茶を差し出すサヨコ、夏といえばビールだろ!と調達してくる彼は、保健室で隣同士のベッドでゴロゴロ寝ていたあの頃、夏といえばガリガリ君だろ!と調達してきた時と同じだった。
ホントだ、ビールだ!と瓶ビール口飲みの美味しさにぷっはー!と息を吐く実日子嬢の可愛さ、そしてそれが後に繰り返される中学生の時の、ガリガリ君をかじって同じ台詞を言うシーン。
これは間違いなく初恋だろ!と思うけれど、初恋が成就せずにはかなく去るのは世の常、その世の常を生真面目に守るように、再会した彼もまた、夢のように去ってしまう。
彼はね、猫を貸してほしいと言ってきたの。最後ぐらい、猫でも女の子にそばにいてほしいと。仕事でインドに行くなんて言っていたけど、いつもホラばかり吹いている彼だったから、サヨコは相手にしなかった。
でもドギマギとした風のサヨコは、やっぱり、確実に、彼のこと、好きだったんだと思うなあ。それに彼だって、猫でも女の子にそばにいてほしい、なんて、猫でも、ってところ、完全にダシに使ってるじゃん。
そう、彼だけに猫を貸さなかったことが、凄く意味あることに感じちゃって。
いつもホラばかり吹いていたのに、この時ばかりはホラじゃなかったのか。いつのまにか夢のようにさらりといなくなった彼は、まさに猫のようだった。
思えば土手でリヤカーを引いていたサヨコに声をかけた彼、まいたつもりがいきなり気配もなく庭に現れるところなんてまさに猫のようだったし、消える時も一瞬だった。
後に窃盗犯として警察が聞き取りに来る。あのビールも、ガリガリ君も。思わせぶりで、魅惑的で、夏でなくてもコレでしかない存在。
最後をみとる、恋と猫は似ているのかもしれないなあ。でも彼の孤独の影は……猫は孤独ではない、一人が得意でも、誰かと一緒にいるのも得意でも、孤独ではない、んだよね。
サヨコが感じる彼に対する恋心と、それが投影される彼、ということが、猫の、するりといなくなってしまいそうな猫の、魔力に似ているということかもしれない。
手書きの猫デザインの借用書がなんとも可愛くて。コピーじゃなくて、毎回手書きでバリエーションが違うのがたまらない。あれほしいなあ、ノートとかのグッズにしてほしい。★★★★☆