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river
2011年 89分 日本 カラー
監督:廣木隆一 脚本:吉川菜美
撮影:水口智之 音楽:Quinka, with a Yawan
出演:蓮佛美沙子 中村麻美 根岸季衣 尾高杏奈 菜葉菜 柄本時生 田口トモロヲ 小林ユウキチ 小林優斗
うう、またいきなりラストに言及、先走りすぎだっつーの。というか、ちょっとね、いやちょっとどころでなく、かなりね、とてもね、私は……納得出来ない気持ちがあった。
正直唐突に出てくる感しかしない、被災地。テレビのニュースを指差して「これが現実だ」「まだ間に合うよ」とこれまた何か、お約束アリアリな台詞を交わし、男の子が被災地を呆然と巡る画が挿入される。
本当に、最初から、本作は、この大震災を入れ込んでくる予定だった?違う気がする。本作はあくまでも秋葉原のあの事件から3年が経って、恋人が死んでしまったヒロインのひかりがその現場をさまよう、その筋立てだけだったんじゃないかと思う。
製作中に東日本大震災が起きて“しまって”、入れ込んで“しまった”ように思えてならない。そのとってつけたような感じが、ついでみたいな感じが、何か、納得できない。
ていうか、我慢ならない。だってそれは……男の子が呆然とがれきだらけの、この世の末みたいな被災地をさまよう画は、この時にしか撮れない、クリエイターなら撮りたいと思ったんじゃないかという、そんなイヤな推測を感じさせちゃうんだもの。
そんなことを言ってしまえば、まさにそう言われても仕方ないほどに取り込んだ「ヒミズ」はどうなる、ということもあるだろうけれど……がっつり入れ込んで、つまりそれだけの覚悟があっての「ヒミズ」とはあまりに本作は違う気がしてならない。
ラストクレジットの後の、黒バックに白抜き文字の追悼文の長ったらしさも、なんかどうにもイヤでたまらないの。
……私、何か感情的になっているかもしれない。上手くこの苛立ちを説明できないのは、単なるワガママな怒りなだけなのだろうとも思う。だけど……。
そもそも、ね。この本筋である秋葉原無差別殺人事件、劇中でははっきりと説明されていないよね。そりゃ、日本人なら誰もが判っているあの事件。何も語らなくても、「秋葉原で3年前に起きたあの事件」と言えば、判るさ。
今はまるで何事もなかったように喧騒が戻っている秋葉原の街を、後に出会うメイドカフェの女の子が「この街っぽくない。目立ってたもん」とひかりに言うように、目も覚めるようなオレンジのコートをキュートに着こなしたひかりがぼーっとさまよい続ける様は、目立っている。……うん、引きこもっていた割には、可愛いファッションするのね、なんてオバチャンぽいこと思ったりする。
で、まあそれはいいんだけど、ちょっと脱線したけど、映画って、グローバルなものじゃん。今や、そうじゃん。後についでみたいに出てくる東日本大震災は、そりゃあ多くを語らずとも、例えあのショッキングな映像が出なくたって、世界中の人に一発で判るだけの材料さ。
でも、あの秋葉原の事件は……やっぱり、日本人だけが判るもの、じゃない。これを海外に出していったら、ひかりが何に苦悩しているのか、全然、判んないじゃない。
なんかそういう、閉じこもった感じが、イヤなの。それでいて震災の映像を出してくる。ここを撮らずして映画作家か、という感じで乗り込んでくるのが、イヤなの。
……私、完ッ全に個人的感情になっちゃってるなあ……。
そりゃもちろん、私はひかりのように、恋人が無差別殺人で殺された経験もなければ、親とケンカして飛び出した地元が津波でやられた経験もないさ。でも、それだけに、思う。こんな、単純なものなの、と。
ひかりは恋人の健治が殺されて以降、引きこもった。3年が経ち、ようやく外に出て行けるようになって、秋葉原の街をそぞろ歩く。
それは、健治の足跡を辿る旅。健治を知っている人を、このゴチャゴチャの街から探し出そうとする旅。正直ムチャだと思うし、判んないけど、本当に判んないけど、恋人を失った女の子のその後の3年間として想像するには、あまりに弱い気がしてならないんだよね。
「船に乗ろうって約束してたの」隅田川の遊覧船。彼と乗る筈だったその船に乗って「ありがとう、健治」……ケッと思っちゃう私は、鬼畜女だろうか……??
まあそのう、この映像、ひかりを追う手持ちカメラの映像、後には佑二が瓦礫だらけのふるさとを追う手持ちカメラの映像、そりゃあね、わざとじゃないんだろうけど、もうガクガクで、すっかり酔って気持ち悪くなっちゃうのよ。オバチャンだから(爆)。もうね、それが、ダメで。
こういうのを、リアリティとか言うのも正直古いと思う。秋葉原の映像では、まあゲリラ撮影だったんだろうな、カメラにヤジウマ的に近寄る若い男の子や、すみませんーてな感じで足早に横切るおじさんや、“ナチュラルに”芝居している役者たちを、何、何やってんの、と遠巻きに見やる通行人とか、とにかく、そういう周囲がすんごい気になるんだよね。
それだけに、役者だけの場面……パーツ売りの佑二が建治を知っている人がいるかもしれない、と案内するアンダーグラウンドな店での場面とかが、妙に落ち着いて、ああ、フィクションだな、落ち着くな、とか思っちゃう。
その流れで、あの「これが現実だ」「まだ間に合うよ」なんていう台詞の応酬でしょ。……とても彼らのリアリスティックには感じられない。
それにひかりが次々出会う人たちっていうのも、あまりにもいかにもなんだもの。大体、3年も引きこもっていたようなタイプの女の子が、秋葉原を歩いただけで、そんな次々出会うかよ、とも思うし、出会う人たちが揃いも揃って、予測できるようなキャラばかりなんだもの。
最初は、出会うというか、久しぶりに再会する同級生。いきなりケバく変身している彼女は、その理由を「男が変わったから」と言い、「AVやってる」と。驚くひかりに、「別に珍しくないよ。結構みんなやってるし」と言い放つ。
一応、女優になりたいからとこの友達は言い、つながりがいろいろ持てるから、という理由も判るし、AV女優さんからピンクや舞台に行って活躍している人もいるんだから全然いいんだけど、ただ、この同級生の造形は、とてもそんな流れには見えない、んだよね。
携帯に電話がかかってきてもメイクに夢中でひかりに出させて、それこそ「男が変わって」キャラも変わるような、うすっぺらい女の子の造形。
それは、あっけらかんと「AVやるのなんて珍しくもない」というイマドキの女の子(という言い方自体、トッショリくさい)への、ステロタイプな目線にしか感じないんだよなあ……。
それは後にひかりがバイトしかける、メイドカフェの女の子、桃にしたってそうである。大体、スカウトマンに声をかけられて、一旦は無視したのになぜかきびすを返したひかりの真意が全く判らないしなあ……。
健治が愛した秋葉原の街を、より理解しようと思ったのだろうか……なんていうのは、あまりにも親切な解釈過ぎるよな。まさか、「君なら秋葉原でナンバーファンのメイドになれる」なんていう、一体何年前のトレンディドラマの台詞(いや、秋葉原のメイドってところは適当にすげかえてよ)に心惹かれた訳でもあるまいに。
しかもこのスカウトマン、演じるトモロヲさんが「メイドの女の子たちほとんどとヤッてるから」というのも同様に古くさすぎないかなあ。
いや別に、秋葉原のメイドカフェでバイトする女の子事情なんて知らないけど、でも、そういう場所でバイトする女の子たちに対する、あまりに陳腐なイメージの押し付けのように感じてしまって、さ。
メイドとして仮想空間をプロフェッショナルに働いている彼女たちに対して、普通に尊敬の念を抱いてしまうからさ、私は。
素に戻れば「全然違うね」とひかりが驚くほどのはすっぱな桃。「あれ以来(勿論、あの無差別殺人事件ね)規制が厳しくなってさ、この街もつまんなくなったよね。オタさんたちは中野に流れちゃったし」この台詞は、……なんつーか、微妙。微妙に、大人の感覚が入れ込まれてる。
実際、オタさんたちが中野に流れたとかそういうのはあるのかもしれない。でも、“規制が厳しくなってこの街がつまんなくなった”と、彼女のような女の子が言うかな、という気がする。
いや、言うかもしれないけど、ホント、微妙な感覚なんだけど、なんとなく、本当になんとなくの、違和感があったんだよね。
あのAVの友達にしてもそうなんだけど、微妙な違和感。彼女たちは、いや、そんな年代の若い子達は、もっと自分自身のことに必死で、必死に生きてて、それこそがきらめきで、街がどうとか、規制がどうとか本当に言うかなあ、と思って。
ひかりが健治の死んだ街そのものにこだわるのも、同じような違和感がある。いや、こだわるかもしれないけど、わかんない。だから微妙なんだけど。
でも……街よりも、殺した相手に向いそうな気がするけど、どうなんだろう。秋葉原という象徴的な街で起きた事件だから、こういう企画が出来たんだろうけど、何かその起点で、なんとなく、なんとなく、違和感がある。
でまあ、桃の話。もう一週間も家には帰ってなくて、「危なくなさそうな人」のナンパに乗ってラブホで宿泊みたいな、もうありっがちなイメージでさ。
しかもその、危なくなさそうな人と言う時に桃が言う「自分は自分で守らなきゃ」というアホさ加減も、どうにもこうにも作り手の彼女に対するバカにしてる感じを思っちゃうのは……女の子大好きだから過剰に考えすぎ、かなあ??
でもさ、ホント、ありがちに思えちゃうんだもの、こういう描写って。
こういうありがちな若い女の子に限らず、ひかりの心に残る癒し系の歌を歌うストリートミュージシャンやら、ひかりを写真に収める女性カメラマンやら、いかにもな女性たちが交錯していく。
ストリートミュージシャンの青木美智子嬢の歌う「はるにれ」、牧歌的な歌声は確かに魅力的だけど、その後の、ひかりとの会話シーンも含めて……イヤな言い方でゴメン、正直甘ったるすぎて。
だってさ、ひかりが抱えているあの事件も、その後出会う佑二の抱えるあの震災も、彼女には……。
いや、音楽には、そして言葉にも大きな力はあると思う。それはそれこそTPOよ。全く意味をなさないことだってあるさ。TPO……ここでは合ってたかなあ?どうだろう……。
それは、女性カメラマンもそう。カメラを向けたひかりから恋人がここで死んだと聞いて、ただその場から離れるしか出来ない。
その後、彼女の写真展示にひかりが訪れて、ひかりが惹かれた写真をプレゼントしても、その写真に特段のインパクトも正直ないし、なんかユルい印象しか与えない。同じ女同士なのになあ……。
ひかりのお母さんにしたって、娘を見守り続けてきた感じは出てるけど、その散歩の会話シーンのみでさ。なんか、やっぱりやっぱり、女性に対する意識が弱い、気がしちゃう。
ちょっと異質なのは、自殺願望があるらしいビル屋上の青年。まあでもそれもやっぱり、多分にドラマチック過ぎるかなあ。
彼曰く、この場所を知っているなんていうのは珍しいという、雑居ビルの屋上みたいな場所は、ひかりは健治に教えてもらったと言うけれど、この青年の口調からは、あの惨劇がばっちり見えた場所なんじゃないかという気がする。
なんとなくね、この青年は、それを見せられるために、この場所にいざなわれたんじゃないかという口ぶりに思える。……のは、思い過ごしかなあ?
ひかりは青年の言う意味が何にも判らず、ただここは、健治に教えられた場所だと言うばかりで、何かこう、精神的に追い詰められているらしいこの青年に何を出来る訳でもなくて、ついにはストレスを感じて吐いてしまった彼の背中をさするばかりなんだけど。
こう考えてみると、一体このくだりは何だったんだろうという気もしたりして……。ただ単に、自殺はいけないとか、そういう、なんつーか、道徳的なシークエンス?そうかもしれない……。
この青年を演じるのが画的にインパクト大な(ゴメン!)柄本時生なもんだから、ついつい意味深さを探ってしまうけど、そうでもないかもしれない(爆)。
で、ひかりが最終的に行き着く、実は健治のことを知っていたパーツ売りの青年、佑二であり、彼が親とケンカして出てきた田舎が被災地であり、彼がただただ呆然と被災地を歩くシーンで、その悲惨さよりも手持ちカメラのブレブレでまたしても酔いまくる、んである。
秋葉原の手持ちカメラもすんごい酔ったけど、この被災地のシーンでは、尋常じゃなく揺れて、被災地そのもののインパクトより、その揺れで本当に気持ち悪くなってしまう、のは、どうなの……。
こんなこと思うの、単なるイジワルかもしれないけど、佑二を追うカメラがあまりに尋常じゃなく揺れるもんだから、ちょっとワザとじゃないのと思っちゃったよ。
決して、そうじゃないとは思うさ。足元も悪いだろうし。でもね、秋葉原のカメラからしてそうじゃん、だから、なんか、意図的に思えてしまったんだよね。心情をリアルに見せるための、意図。
本作じゃなくてもさ、手持ちカメラでやたら揺れるのって、私、好きじゃないのさ。なんか、プロの仕事じゃないって気がするんだもの。
ドキュメンタリータッチとかいうのが、そのハンパさが、嫌いなのかもしれない。それこそ、ドキュメンタリーに対して失礼じゃんと思うのかもしれない。ドキュメンタリーの方が、きちんと腰をすえて仕事してるよ、とか思っちゃうのかもしれない。
蓮佛嬢はね、「転校生」のリメイクで起用された時には、オリジナルが好きだっただけにえー!!と思ったけど、「君に届け」でアッサリ降伏してしまった。
さすが大林監督がほれ込んだだけに(私もテキトーだなー)、素敵な女の子だとは思う。思うんだけど……現代の女の子としてのリアリティがあるだけに、本作のヒロイン像があくまで個人的に好きじゃないだけに……ヤメてー!!と思ってしまった(爆)。
最後の場面、涙目の蓮佛嬢のアップにびったり貼り付くカメラ、「ありがとう……健治……」のあの台詞の前後にたっぷりとられた尺、濡れたようなネオンが遠くにきらめく夕闇の遊覧船。多分、廣木監督も蓮佛嬢にヤラれたクチなのだろうが、それまでの長回しも含めて、しつこすぎる(爆)。
甘やかに流れる「Moon River」ともどもどうにもベタついてる気がして受け付けられない。
ああーもう、私は、ホント、ダメだな。★★☆☆☆