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「き」


2010年鑑賞作品

奇々怪々 俺は誰だ?!
1969年 96分 日本 カラー
監督:坪島孝 脚本:田波靖男 長野卓 坪島孝
撮影:内海正治 音楽:広瀬健次郎
出演:谷啓 吉田日出子 犬塚弘 横山道代 山茶花究 田武謙三 人見明 大前亘 浦山珠実 船戸順 小栗一也 本間文子 古今亭志ん馬 ハナ肇 田崎潤 なべおさみ 吉村実子 清水元 左卜全


2010/12/22/水 劇場(銀座シネパトス/谷啓特集)
これって、さあ。実は実は、すんごい深い哲学であり、残酷だけどこの上なく幸福な、大人のファンタジーかもしれない。
喜劇、確かに喜劇ではあるんだけど、この奇想天外のオチ、いや“感動のラスト”にふと胸がつまってしまう思いがする。
「やっと二人きりになれたね、太郎さん」と北国訛りでつぶやいた女の子がこの上なく幸せそうな笑顔で、彼女にのそり、のそりと引かれていく彼もきっと、この上なく幸せに違いない。そう、彼は、牛へと姿を変えてしまったのだ。

と、いうのも、彼が自殺しようとしていた百合子に「自分で命を断とうとするなんて、自分自身で生きていこうと努力しないなんて、牛以下だ」と必死に説得した台詞に端を発しているんである。
つまり、彼は彼らしく生きる努力をしなかったために、牛になってしまった。いや、その前に、彼女にそう言った台詞さえも忘れていることに彼女は失望した。
自分らしく生きていくにも金が必要だなんて言う太郎さんは、わたしの知っている太郎さんじゃない。今度は五郎さんになったら、また会いましょう。そう言って、突き放した。
まさに彼は牛の五郎になって、百合子だけのものになった。

なんて言ってると、なんのこっちゃやら判らない。これはね、つまり、突然自分自身を失ってしまった男の話なのよ。
ある朝玄関を出ると、いつも挨拶をして駅まで一緒していた近所の男性が怪訝な顔をして避ける。いつも気安く挨拶する同僚の女子社員も、目をむいて痴漢呼ばわりする。
会社に着いてみると自分の席には彼の名前、鈴木太郎を名乗る似ても似つかない男が座っていて、会社の誰もがその男こそが鈴木太郎だと言う。

太郎は、悪い冗談だと思った。からかわれているのだろうと最初はたかをくくり、腹を立て、ぶんむくれて家に帰ると……なんとそこにも彼を名乗るその男が、妻と一緒に食事中。玄関を開けた幼い息子も、太郎の腕を振り払う。
ついに警察沙汰になり、段々この事態に不安を感じた彼も、本籍地はと聞かれて、希望を見い出しかけた。
しかし、遠く離れた田舎の母親も、息子を泥棒扱いした。部屋の写真には、彼を名乗るあの男の写真が母親と一緒に映っている。もうダメだ、死ぬしかない……、太郎はそう思った。

などと、書いているとやけにシリアス。でも、とにかく喜劇であることは忘れないのよ。寝起きの悪い太郎は奥さんに尻を蹴飛ばされて起き、その奥さんが時代の流行り故のやけにミニスカート(ついでにノースリ)なのも妙にそそられる。
歯磨き粉の絞り方からトーストに塗るバターの量、コーヒーに入れるミルクや砂糖の量まで仕切られる口うるさい奥さんに、彼は朝起きてからひとことも口をきかない。
と、思ったら、ホントに話を聞いていないんである。外に出て近所の男性に声をかけられると、スポンと耳栓を抜いてにこやかに挨拶する。

実は、ここから既に、問題提起がなされていたのかもしれないなあ。
彼は奥さんの話なんて口うるさいと思うばかりでちょっとも聞く気がなかった。まああれだけ、少ないサラリーの中でやりくりすることをうるさく言われ、一日の小遣いが300円じゃ、聞く気も起きないかもしれない。
でも、聞く気が起きないのと、実際に聞かないのとではえらい違いだもの。つまり、子供の話も聞いてない訳で、彼は少ないサラリーを運ぶ夫としての劣等感からなのか、この家庭で生きていなかったのかもしれない。

だから、そんな風に後から考えるとついついシリアスに思っちゃうけど、ホント、喜劇なのよ。
ふるさとに帰って泥棒扱いされて、おまわりさんやら消防士さんやらに追い掛け回される時に、肥溜めに落っこっちゃったりなんていうシーンもキッチリ用意されてるしね。
……しかし、そうか、こういう風景、今は見ないよな。ちょっと田舎って言っても、こんな家も、こんな道も……。土ぼこりが舞って、かやぶきで。
私の生まれるちょっと前だけど、つまりはそれだけ昔なんだなあ、と思う(爆)。

で、母親にまで否定されたら、ねえ。もう死ぬしかない、と土砂降りの中、線路に横たわる太郎。
そこに同じように横たわっている女の子がいた。いくら昔の映画でも、浴衣姿で、というのは、彼女の母親の形見であると、後に語った。
土砂降りの中、心中のように見える二人、というのは、彼女が「心中か、ロマンチックだな」とうっとりと言うのを待たずしても、すんごくギュッとくるものがあるんである。どちらかの気が変わっても逃げられないようにと、腰紐でお互いを結ぶのも刹那的でツンとくる。
でも、実際に列車が来ると、何度もお互い違う方向に逃げあってビーンと腰紐が張っては、こっちこっち!と逆方向に逃げて……という、じっつにお約束なギャグがあるんだけどね。

ちょっとわざとらしいほどの北国訛りが可愛らしいこの百合子との出会いが、まさに運命だった。
太郎はもともとの奥さんもチャキチャキとしっかりしていて美人だし、次々と違う人間になっていくたびに、やたら肉感的な恋人やら、押しが強くて蠱惑的な大株主の娘やら、やたらと美女がまといつくんだけど、その中でこの百合子はいかにも田舎娘で、男の出世欲からしたら、あっさり切って捨てられそうな女の子、なのよね。

実際、百合子は集団就職で東京に出てきて、そんな風に男に言い寄られて、孕んでしまって。
その男は社長令嬢との縁談によって彼女を捨て、自殺を考えたけど、お腹の子供のことを思って思いとどまって、でも結局流産してしまって……。
なんていう、まさに男の出世欲の犠牲になった女の子なんである。
太郎はそんな百合子を哀れに思うんだけど、結局は彼も百合子をキープしながら、出世や金になりそうな女とつきあうんだよね……。
でも、どんどん変わっていく彼を、百合子だけが見抜いている。次郎になっても三郎になっても四郎になっても、太郎さんは、太郎さんだと。

おっと、またしても先走ってしまった。自分が誰だか判らなくなってしまった、と言う 太郎に、なら、尋ね人のテレビに出てみれば、と百合子が提案するんだよね。
純粋な百合子は、そのテレビに出れば百発百中だと信じて疑ってない。別れた恋人からの手切れ金を、見たくないから使って、と太郎に差し出す。
太郎はそんなお金は受け取れないと言いながら、次のカットではその番組に出ているのは、まあ、喜劇のお約束である。
この番組で司会をしているのは、恐らく当時人気があった落語家さんであろう、古今亭志ん馬である。
その番組を彼の奥さん、元奥さんと言うべきなのか……が見ていて、ダンナ、今のダンナと言うべきなのか……に連絡し、通報され、太郎は精神病院にぶち込まれてしまうんである。

あのね、この設定自体は、最初にとっ捕まって太郎に尋問した警官が「空想科学小説の読みすぎ」と言うように、まさにSFなんだよね。つまり、パラレルワールド、だと思うんだよな、ていうか、思わせる。
何かのきっかけで、自分が自分じゃない世界に紛れ込んでしまった。太郎自身も、あのクシャミから変わってしまったというし。
でも、実際にくしゃみをしてもしなくてもあまり関係ないし、何より自分が自分じゃない、ではなく、どんどん違う自分になっていく、という展開、そう、冗談みたいに、次郎、三郎、四郎、となっていく訳で。

そして、何よりパラレルワールド自体がテーマじゃないなと思わせるのは、次郎になり、三郎になり、四郎になりしていくうちに、彼は最初は元の太郎に戻りたいと思っていたのが、どんどん“男の夢”が叶えられることに快感を覚え、ふんぞりかえり、かつての自分の立場の苦しさも忘れて、かつての自分を苦しめるような人間に落ちていくこと、なんだよね。

それってさあ、それって、凄くない?すんごい、直球に、人間の愚かさを批判してる。
でも、彼が辿っていく道は確かに、“男の夢”なのだ。まあ、キ印だと思われて、太郎ではなく次郎だとされて精神病院にブチこまれるのはアレだけれど、“キ印だと思わせて、精神病院に入ってナリをひそめていた”名うての殺し屋、三郎だったのだから。
あれ?だとしたら、通報したのは三郎の仲間?でも、「ナリをひそめるために、自ら精神病院に入ったんですね」みたいなことを迎えに来た部下の男が言ってたし、やっぱり違うか……そのあたりの境界線のアイマイさがまた、絶妙なのよね。

で、人どころか虫も殺したことのない筈の太郎、いや、次郎、いや三郎が(ややこしいな)、しかし拳銃を扱ってみると超一流な訳。つまり、まさに、伝説の殺し屋、なのだ。
やたらセクシーな愛人にんんんーっとばかりにキッスされて、谷啓のカワイイ口にべったり口紅がつくのがまた、カワイイ♪
で、親玉から依頼されたのが、かつての勤め先である牛印乳業の若社長。人なんか殺せない、再会した百合子からも反対されて、一度は“足を洗う”ことを決意する太郎。
しかし百合子を人質にとられて、仕方なくアメリカ支店から帰ってくる若社長を狙うために空港へと向かうも(若社長はなべおさみ!)もみあっているうちに親玉が尾行させたナイフ投げの手によって若社長が殺されてしまった。

……と思いきや、ここで立場が、いや人間が?入れ替わって、太郎は今度は四郎になる。
デビューが先代社長である親の葬式なもんだから、突然親類縁者を覚えなくてはいけなくて、母親をばあやと呼んでしまったりして、ここでもきっちり笑わせる。
社長の座を狙っていた専務によって殺し屋が差し向けられた訳で、専務とは一触即発な訳なんだけれど、大株主の娘が四郎と「明け方のコーヒーを飲んだ仲」(きゅっとカップを傾けるしぐさで示す、吉村実子がコケティッシュ!)であり、この大株主の後押しによって、四郎は社長に就任するんである。

会社の業績を上げること、何より自分がナメられないために、ムチャな合理化を押し進め、組合から捻じ込みが入る。
しかし、恐らく四郎がそこまでロコツに押し進めたのは、自分が太郎ではなくなった時に親友である自分を認めてくれなかった、この組合長への意趣返しがあったのかもしれないなあ、と思う。

彼をクビにすることで組合をガタガタにし、社員なんて会社のために働けばいいんだ、と言ってはばからない四郎に、クビにされた彼が酔いつぶれて、ひどい顔色になって、ひどいカッコで壮絶に乗り込むシーン。
四郎が久しぶりに会った百合子と時を過ごしているところでさ、あからさまにイヤな顔をするのよ。百合子は、なんであの人をクビにしたんだ?と無邪気に問う。
会社のためだの、もっと業績をあげるためだのと言う四郎に首を傾げる。だって今、充分儲かってんだろ?それでなんで人を虐めるようなことすんだ?と……。
四郎の言い分にひどく悲しい顔をして、私の知っている太郎さんじゃない、と。今度は五郎さんになるかもしれないね。こじきの五郎さんになるかもしれないよね。そうしたら、また会いにきて、と言うのだ……。

その後彼は三郎時代の殺し屋に狙われる。この場面も、目の周りが真っ青なコワモテの殺し屋が“ミルクアレルギー”で、粉乳にめちゃめちゃ咳き込んだり(しかし、牛乳を浴びてびしょぬれになっても平気なのだが……)、倉庫でのおっかけっこで、穴から抜けて、追いかけてたつもりが後ろから追いつかれて……みたいなのがメッチャ短い距離で気付くだろ!てのも確かに可笑しいんだけど、後から思えばほおんと、ことさらにきっちり付け加えられた喜劇、て気がするんだよな。

そんなこんなで、粉乳で真っ白になって再び百合子の元を訪れた太郎、全てを捨てて百合子と生き直そうとするんだけど、それも、社長である立場を利用して会社の金を横領しようとしたんであった。
“自分らしく生きるにも金が必要”だと言う彼に何か言いたげだったから、百合子は……。
しかもその金を手にする手段が、貸し金庫の鍵を握っている大株主の娘、みどりと結婚することだったから……。あんまりだよね、これって。その間どれだけ百合子が辛い思いでいたかと思うと……。

だけど、四郎は牛になってしまうのだ。自分らしく生きないなんて、牛以下だ、という自分の言葉をその身に返すかのように。
新婚初夜の豪華ホテルで、泡風呂につかって新郎を待っていたみどりは、天を裂くかとばかりの悲鳴をあげる。
世間の話題もさらう。動物学の専門家として、左卜全も出てくる(笑)。そんな、コミカル満載でも、なんともなんとも、胸が詰まるんだよなあ。

ホテルの部屋のドアからはとても入れない。つまり、四郎が牛になったとしか思えない、世にも奇怪な事件。
窓から清掃用のゴンドラに乗せられて外に出された四郎牛は、競売にかけられ、事件は収束した。
その牛を引いて行ったのが百合子なのだから、彼女が競売に勝った、ということなのだろうか、ヤハリ。
なんにしてもなんとまあ、予想外で、残酷で、幸福で、たまらないラスト!

いや、ラストのラストは、実はここじゃない。かつての太郎が家庭を営んでいた、あの口うるさい奥さん、幼い男の子、そして新たな?太郎がピクニックに来ている。
帽子で顔を隠して寝ているダンナに、奥さんは相変わらず口うるさい。息子もアイソをつかせて、母親と一緒に遊びに行ってしまう。
ふと、大きなクシャミをするダンナ。ヒラヒラと舞うモンシロチョウを追って行くと、そこに、貸し金庫の鍵をぶら下げた大きな黒い牛が、のんびりと草を食んでいるのだ。

確かに見た目はメッチャ喜劇だったのに、なんかすごおく深かったなあ。
こんなこと言っちゃ怒られそうだけど、気が優しくて(弱くて?)めっちゃ流されそうなのに、男のプライドは示したい、みたいな、谷啓の、思春期の男の子みたいな可愛らしさが、いやな人格でもイヤミに見せないんだよね。それが凄く、イイんだよなあ。★★★★☆


喜劇 駅前温泉
1962年 103分 日本 カラー
監督:久松静児 脚本:長瀬喜伴
撮影:岡崎宏三 音楽:広瀬健次郎
出演:森繁久彌 司葉子 伴淳三郎 森光子 原田毬子 フランキー堺 淡島千景 沢村貞子 池内淳子 赤木春恵 淡路恵子 三木のり平 夏木陽介 柳家金語楼 旭ルリ 織田政雄 五月みどり 神楽坂まん丸 村松恵子 三原葉子 西岡慶子 立原博 どんぐり三太 小林十九二 田辺元 皆川一郎 菅井きん 久保一美 長谷川万里子 川内まり子 水町千代子 安達国晴 左卜全 立岡光 千草恵子 笠井三代子

2010/1/15/金 劇場(銀座シネパトス/森繁久彌特集)
えーと、これで駅前シリーズ何本観たかな?なんかここんとこ集中して観ていたのでちょっとコンラン(笑)。この日観た二本は、その舞台となる地が私と縁があるところだったのでとても嬉しかった。
本作は福島!しかも後半出てくる「三助コンクール」(これがまたヒジョーにクダラナイのだが(笑))なる舞台は飯坂温泉!飯坂温泉は本当に縁のある……だって今両親が住んでて、私が小学校時代を過ごしたのが飯坂温泉線上にあったんだもの!
しかもキャストたちは見事に福島弁を操るしさあ、もー、すっかり嬉しくなっちゃったんだなあ。

そうよ、まさか粋な都会のダンナといった(というのは私の勝手なイメージかなあ)森繁がズーズー弁を喋るとは。中国語のアヤしさは似合ってたけど、福島弁とはねえ(笑)。
しかし彼の丁々発止の相手となるバンジュンはそりゃーもうピタリに違いないのだが(大笑)。
その分森繁は若干分が悪い?物語の筋もバンジュンふんする孫作寄りになってる気もするしなあ……何たって隠し子騒動が持ち上がるんだから!

そう、隠し子……そして隠し子&隠し妻かと思われた、実は腹違いの妹とその幼い娘のエピソードがほぼメインになってて、しかもこの幸薄い妹とその娘は、そうあまりに幸薄く……涙をそそるんである。
しかもその幼子のけなげさが森繁扮する徳之助の琴線に触れ、彼は亡くなった愛する妻や、嫁に行く娘に思いを馳せ、そうして一人になってしまう自分の寂寥感を感じ……。
この幼子の手を引いて、娘とその夫が乗る東京行きの列車を、青々とした草原に長く続く道から眺めるラストシーンは……その手から幼子が離れて、列車を追うように駆けていく叙情性もあいまって、何とも胸に迫るんだよなあ!
だってこんな、まるで小津映画の笠智衆みたいな、娘を嫁がせる寂しい父親を森繁に感じるなんて思いもしなかったんだもん!!

とと!いきなりラストを言ってどうする!それまでにもー、思いっきりドタバタな展開が待っているんだからさあ!
まあでも……結局はこのラストに尽きるといっても過言ではないだけに……いやいや!本当に色々なことが起こるんだってば!
そもそもこの磐梯温泉、それも駅前の温泉街は、郊外に出来たデラックスなホテルに客をとられて、最近サッパリなんである。その設定自体、今も通じるせっぱつまったものを感じるけど(爆)。

これを打破するには新しいアイディアを打ち出すべきだ!とトルコ風呂さながらの(あ、トルコってのも今言っちゃいけないのよね)お風呂で水着美女が按摩サービスをするってのを打ち出すのが孫作。ところで彼が“アイディア”っていうと、“アジャパー”としか聞こえないのが難なんですけど(笑)。
しかし勿論、そんなフラチな“アイディア”に皆が賛成する訳もなく、特に地元に根付く芸者衆は「商売あがったりだわ!」と憤り、あちらを立てればこちらが立たずで、調停役となる観光協会事務局長である次郎はひたすら「そうですねえ、そうですねえ」と繰り返すしかないんである。

この「水着按摩サービス」が、地元新聞のトップを飾るってあたりがいかにもローカルなのだが(笑)。しかもこのいかにもローカル的な画が(大笑)。
大当たりしそうな予感にホクホクの孫作だけど、そんな悠長なことを言ってられないの。
なんかその一方で彼はソワソワしてるのね。彼を訪ねてきた、見るからに貧しい、食い詰めた風情の母子を彼は番頭に追い返させるんだけど、それをコワい奥さんに知られるのを恐れてソワソワしてる。

しかも彼が養子として育てている幸太郎が実は、孫作が三助時代に女中に産ませた子であるという秘密もあって……後にそれは明らかにされるんだけど、そんな事実が観客に示されて来ると、じゃあ、あの母子はその母親と、その後に生まれた子供?などと勘ぐったりもしちゃうよねー。
でも過去にそういう事実があるから奥さんに本当のことを言えなかったってだけで、腹違いの妹がお兄ちゃんを頼って出てきたのだ。怖い奥さんの手前、過去をほじくられるのを恐れた孫作は彼女たちをソデにしてしまい、後に大騒動が巻き起こるんである……。

一方の徳之助はというと、娘との二人暮し。軍隊時代を経て、愛する妻を亡くした。つまり、家族水入らずで過ごした時期はあまりに短く、それだけに妻を亡くしてから相応の時が経ち、娘から「お父さんが新しい奥さんをもらったら、私もお嫁に行く」と殊勝なことを言われてもナカナカ踏み出せないんである。
心の中に思っている人はいるんだけどね……そう、ここは勿論、淡島千景。美容院を営んでいる景子の元に足しげく通う彼が彼女にホレていることなど、誰が見ても明らか。
しかも彼の部屋に自分の軍隊時代の勇ましい写真(勇ましすぎて笑える(爆))とともに飾ってある妻の写真は彼女ソックリ!(てか、まんま!)なんだもの!

そう、軍隊時代があったのね。このあたりはやはり、時代だなあ。
景子の友達の恵美子が訪ねてくるのね。これは淡路恵子。期待に違わぬファムファタルっぷりである。もー、日傘フリフリ振りながら、色気を振りまきながら温泉駅に現われ、客引きの男たちもメロメロで、いざ我が旅館へ、と必死である。
その様子を会議所から見ていた次郎が、彼女を徳之助の旅館に案内する。で、この美女は昔馴染みの景子を訪ねてきたんであった。

按摩が得意な徳之助は恵美子に按摩サービスをするんだけど……そもそも温泉宿の主人が按摩が得意って(爆)。森繁にピッタリ過ぎる(爆爆)。
予想に違わず、森繁は実にエロエロな按摩を披露してくれて、もう大爆笑なんすけど!だってさ、なんであんなミョーなバイブレーションつけるのよ、淡路恵子がブルブルマシンに乗ってるみたいにブレブレしちゃってメッチャ可笑しい!
大体さ、いきなり浴衣を脱がそうとしちゃってさ、いくら淡路恵子とはいえ慌てるのを「あ、着たままでやりますか、そうですか」って、オーイ!しかもアナタの慕っている景子の目の前じゃないの!
しかしその景子も「やっておもらいなさいよ。ご主人の按摩、とっても気持ちがいいのよ」って、アンタもこの調子でやってもらったってことかよ!てことは、もう、案外隅に置けないじゃないの!

あー、なんかコーフンしてしまった(爆)。
でね、恵美子はダンナと別れた、と言ってこの温泉街に現われるんだけど、その別れたハズのダンナが追いかけてくるんである。それが三木のり平とくりゃー、もう可笑しくないワケはないでしょ!
そもそもなぜ彼と別れたかっていえば、「だってあの人、ウールのお腹巻きにおふんどしをつけているんですもの」どーいう理由よ、それ!
しかもその“お腹巻きとおふんどし”のワケがなんと徳之助にあったことが判明!偶然にも(偶然過ぎる!)三平は軍隊時代、徳之助の部下だったのだッ!
愛しい妻の前で、ホラ、もうふんどしじゃないヨ!とブカブカのトランクス姿を披露するのも可笑しいが、その後、苦労を共にした隊長と遭遇したことに至極感激した彼が、迎えに来た筈の恵美子をほっぽってひたすら徳之助にベッタリになるのもミョーに可笑しい(笑)。
なのに軍隊時代の苦労話になると「苦労したのは我々兵隊であって、隊長ではありません!」そ、そりゃそうかもしれないけど、そこまで散々隊長ベッタリで盛り上がってたのに……(爆)。

まあ、とはいえ、やはりこのエピソードは閑話休題に過ぎない。徳之助にとってはやっぱり、あの貧しい母子、ことにその幼い娘との邂逅が大きな出来事であろう。
ところでその母の方、つまり孫作の腹違いの妹役は、なんと菅井きんだったのね!若すぎて面影なく、全然判んなかった!
その母とはぐれて、というか、もう自分ではどうしようもなくなって、せめてこの子は巻き添えにするまいと“捨てた”その子を徳之助は“拾った”のであった。

ちょうどその時、徳之助は娘の夏子がこともあろうに孫作の息子(養子)である幸太郎と恋仲で、結婚を考えていると聞かされたばかり。犬猿の仲である孫作の息子であり、しかも立った二人きりの親子である娘が自分の元を離れていくことの混乱の最中にあって……。
幼いケナゲな娘が、捨てられてもなお母親を慕っている様子に心を打たれる森繁が、こちらもズドンと射抜いてしまうんだよなあ!
こんな幼い女の子をだっこするしぐさに対しても、ヤハリなんとなく、素足の太ももに手が行く森繁の手つきが気になるが(爆。だあって、本作はホントに彼の手が早いんだもん。何あの、スッとオッパイに手が行くプロの手つきは!慣れてすぎ!)、ホントにこの子に対する愛しげな様子が、愛する娘が自分の元を離れていく寂寥感を感じさせてグッとくるんだよなあ!

この孝太郎っていう男は、なかなかの野心家でね。いや、むしろコレぐらいが普通かなあ。
孫作からは山の上にある洒落たレストハウスの支配人を任されているんだけど、このイナカの寂れた温泉街に身を埋めるつもりはなくて、東京に出て自分を試したいと思ってる。確かに福島と東京は目と鼻の先だもんねえ。
それで孫作は勿論、娘をやると明言した徳之助とも闘いになってしまうわけで……。

こういうトコがうーん、やっぱり地方が寂れていく感じのリアルさなのよね。
劇中、景子が恵美子から問われて「のんびりしすぎて、時間の感覚が狂っちゃう」的な台詞を言う場面があったんだけど……そうやって都会の時間に置いてかれちゃう、みたいなさ……。
恵美子はそういう意味で、まさに都会からの闖入者だったと思うし、郊外にデラックスホテルが出来て駅前温泉が寂れる、というのも類似したことだと思う。
“アイディア”を打ち出す孫作に対して、古くからの細やかなサービスを貫こうとする徳之助が、娘を都会に(男を通じてとはいえ)持ってかれるのは、皮肉にも……ピタリなんだよなあ。

そんなしんみりした雰囲気をぶっ壊すのが、ナンダソリャ?と思う三助コンクール!ホント、大体このコンクールの趣旨自体全然判んないんですけど!
飯坂温泉の浴場を舞台に、水着を着た女の子(というには苦しいお年頃のお方もいらっしゃいますが……)にいかにサービスするのかってのが趣旨?それこそ水着按摩と変わらんじゃん!
ヤル気マンマンの孫作を止めるのは徳之助さんしかいないと請われて出る徳之助だけど、彼はどっちかっつーと相棒の水着女子をお触りする方に熱心だし(爆)。
しかもその水着女子を隣からチョッカイ出そうとするのが、もー、なんなのこの人!柳家金語楼!それまでも駅前シリーズにノリノリで出演してはいたが、これはスゲー!
なんか、健康ランドで着ているような派手でお気楽なカッコで飛び入りした師匠は、意味なく頭逆立ち!したりと、もう大ノリでご老体が心配になっちゃう!こういうノリってホント、大好きなんだよなあ!

でまあ、ココまで来ると、もはやどーでもよくなる感じもあるのだが(爆)、何はともあれ、駆け落ち騒ぎまで引き起こした夏子と孝太郎の結婚が無事成立し、子はかすがい、というのとはちょっと意味合いが違うけど、徳之助と孫作も長年の犬猿の仲を解消し、そして徳之助は愛する娘を駅まで見送りに行くことさえ出来ず、幼子の手を引いて遠くから眺めるしかないんである……メッチャ切ない!切な過ぎる!!!

なんかこう書いてくると、シリアスな映画みたいな感じがするけど、決してそうじゃない(爆)。
孫作の隠し子の話を「落とし胤、俺が落としたのは柿の種」だの、「鼻の穴からハナクソ出しやがって」だの(鼻の穴から出るのはハナクソに決まってるが……)、再婚を勧められた徳之助が「オレは休火山で……しばらく休んでいるから、アッチの方は自信がない」だの、クスリとさせる粋?なセリフは満載なのだ!

そうそう、一番のコメディ場面はやはり、黄金コンビ、森繁&のり平だよなー。かの“お腹巻き”は、「おポンポンが冷えて」と釈明しちゃうんだもん。で、妻ひと筋なさまを装っていた三平が「美人だった、あの土人(まあこれも、今は言っちゃいけない言葉だが)の娘は」と口を滑らしちゃってさ!
しかも彼は、こんな色っぽい奥さんをもらいながら実はバツイチで、年頃の娘を姉夫婦に預けているというんだから、ここでは示されないながらも今後の騒動が今から懸念されるんである(爆)。

ああ、でもでも、“粋な台詞”ならやはりこれで締めたい。
森繁、いやさ、徳之助が言った台詞よ。反対されることを心配して恋人を紹介した娘に「夏子が好きな奴は、皆好きなんだから」と言ったあの台詞!めっちゃ、泣けたなあ!

今回の特集のどの作品に出てきたのか忘却したが、栄養ドリンク「エスタロンゴールド」がここでもご登場!クレジットにはなかったと思うけど……スポンサー?それとも当時のハヤリだったのかなあ。 ★★★★☆


喜劇 駅前女将
1964年 89分 日本 カラー
監督:佐伯幸三 脚本:長瀬喜伴
撮影:黒田徳三 音楽:松井八郎
出演:森繁久彌 伴淳三郎 フランキー堺 三木のり平 山茶花究 淡島千景 淡路恵子 森光子 京塚昌子 池内淳子 大空真弓 乙羽信子 沢村貞子 加東大介 峰健二 中尾ミエ

2010/1/15/金 劇場(銀座シネパトス/森繁久彌特集)
駅前シリーズも大分判ってきて、キャスト名が共通しているということに気づいてきたところ(遅っ)。本作は二本目に観たのと若いカップルが駆け落ちするあたりがカブっていて、妙に似ている気がしたのだけれど。

それにしても本作が嬉しかったのは、超近所、超近所!だってウチと二丁目しか変わらないよ!!
そう、両国なの。そして錦糸町。劇中、しばらくこの地を離れていた淡島千景扮するお景さんが、錦糸町を車で流しながら「私がいた頃は、両国がにぎやかでこのあたりは寂しかった」と言うのが凄くリアルでさあ!
だってね、時代小説なんかを読んでいると、昔は回向院あたりがとてもにぎやかで、錦糸町は田舎でさ。でも今や両国はオフィスビルや下町工場って感じで、繁華街は錦糸町にとってかわられたんだもの。その過程が彼女の台詞ですごくヴィヴィッドに感じられて、嬉しくなっちゃったのよね。

でね、森繁ふんする徳之助は吉良上野介にゆかりのある「吉良屋」という酒屋なんだけど、これもね……吉良邸跡が両国にあるからさ。だけど吉良上野介は悪役で、良き未来のために成敗された訳であり、クライマックス、若いカップルの男の子の方が、(表向きは)吉良を嫌う形で自分の力で独立することを選択することを考えると、両国と錦糸町の凋落と発展の関係や、古い日本の伝統の形と未来の日本とを何とはなしに考えてしまうんだよなあ。

しかししかし。そうは言っても森繁は相変わらず女好きなんである(爆)。いや、この日の二本目の森繁は案外とストイックだったから、余計に本作の森繁らしさが際立つと言うか(爆爆)。
だっていきなり、色っぽいバーのマダムのところに入り浸っているんだもの!しかも相撲観戦の帰りでさ「キレイな女の人が隣に座っているのがテレビに映っていたわよ」だなんて言われるあたりが、なんかリアル!
このマダムを演じる淡路恵子がサイコーでさ!なんかね……「あなた、二階に行くヒト?」なんて誘う、みたいな……うー、上手く説明出来ない!

おっとりというか、ひょうひょうというか、いや、どう言っても違う!うーん……アンニュイというのが一番近いかなあ、いや、それも違う……奇妙なアンニュイ、そんな感じかなあ。
だってさ、自分の髪の毛でコヨリ作って男の鼻に突っ込んじゃうなんて(笑)。いや、それは例えが極端すぎるが(爆爆)。
とにかくこのミョーに浮き世離れした色っぽいマダムに徳之助はもともと、そしてこの店に連れて来られた孫作はあっというまにメロメロになってしまい、大騒動になってしまう訳!

つーか、徳之助、ダブルベッドをプレゼントしちゃダメだよー。よりにもよって、ダブルベッドだよ。シングルじゃないあたりが、下心丸出しじゃないの。それもご丁寧にフランスベッド(爆)。
アレ、届いているわよ、と耳打ちされ、孫作を連れてきたことを後悔して、しかしマダムの誘いに未練タップリなところに、マダムの色気にスッカリやられた孫作が無粋にもノコノコやってくるんだから(爆笑!)
そしてこのミョーにスプリングが効いている(あたりがイヤな予感を否応にもかきたてる(笑))ベッドが、当然、大騒動を巻き起こすワケなんである。

だってデパートから「お届け確認書」なるハガキが吉良屋に届いちゃうんだもん(笑)。「デパートは余計なことしやがる」とつぶやいた夫をここぞとばかりに追いつめようとする奥さんだけど、これが、追いつめきれないところがカワイイのだ。
だって、彼のヘタなウソに言いくるめられちゃうんだもん。ホレてるんだろうなあー、って思っちゃうじゃん!
そのヘタなウソというのは、孫作に名前を貸したんだってこと。彼はいいメーワクだけれど、マダムに首っ丈になっちゃって、もはやそれがウソと言うにも立場が悪くなりすぎてしまった孫作はエライ目にあうんだけど……。

まあ、それはまた後の話にしても。この夫婦喧嘩の場面、ホント可笑しいんだよね。追い詰められる森繁の情けなさの天下一品っぷりときたら!
部屋の隅に積み上げられた座布団の上に逃げ込んで、部屋の角に頭を突っ込んでヘコむ森繁、猫かよ!可愛すぎる!!
もうあの手この手で奥さんを言いくるめにかかる。話題を変えようと「目やについてるよ」と指摘したダンナに「つけてあんの!」というムチャクチャな返しをした奥さんには爆笑!目やにをつけてあんのかよ!!

しかし奥さんが自分のウソを信じてくれたと知るや「俺、大好き、お前」と布団にどーんと抱き倒してイチャイチャ。
オイオイオイ!もー……負けちゃうなあ!それはそんな風に単純に信じてくれたことに対する台詞な訳だから……バカにしてると思いつつも、うー!なんかついつい許してしまうよう!

でもね、この二人は恋愛結婚じゃないもんだから……でもさ、絶対愛し合ってるんだけど、特に奥さんの方にそういう負い目があったんだよね。
というのも、彼がかつて好き合って別れた恋人、お景さんが登場してしまったから。しかもしかもこの徳之助、大バカなことに、このお景さんとやけぼっくいに火をつける気マンマンなんだもん。飲み屋を開きたいという彼女のために店を用意するのに奔走したりしてさ。

その店を案内する場面、そう、もうヤル気マンマンの徳之助、二階に住居スペースがあるんだけど、そこに意気揚揚と案内して、でも彼女の方も何たって元カレなもんだから、彼が何かと触ろうとするのを絶妙にかわす訳。あれって、とても演技には見えなかったなあ(笑)。触ろうとする森繁も、かわす淡島千景も(笑)。
しかもこの台詞よ。「下、鍵かってくるから」!!!何する気よ!しかしそこでお景さんは「どうして?」判ってて 聞いてるんだろうなーと思うと、彼女の方が何枚もウワテですな。だってもう、その直球の返しで徳之助は「いや……物騒だから……」と途端にしどろもどろになっちゃうんだもん。

しかし、そうしてばかりはいられないのだ。だってカーテンを開けるといきなり修羅場である。あの色っぽいマダム、藤子の店がすぐ隣で、彼女にスッカリ骨抜きにされた孫作がチャレンジの真っ最中。
しかもこの時点で孫作の愚行は奥さんにバレちゃってて、というのもウッカリ洗濯屋に出してしまった、マダムから供されたハデなガウンと、マダムの下着が一緒に届けられちゃったんだもん!
こりゃー、徳之助の不埒なウソもバレるかと思いきや……これが意外にバレない(爆)。当然半分ほど罪をなすりつけられた形の孫作は憤るんだけれど、徳之助の奥さんは基本、ダンナにホレた弱みがあるからさあ。

が、あるのが問題なんだよね、つまり。ホレた弱みがあるけど、二人は恋愛結婚じゃないから……そこにダンナの元恋人、しかも元芸者っていう美人が現れる訳なんだから!
やはりそこは正直、淡島千景の美女っぷりに比べれば、徳之助の女房、満子(森光子)は少々分が悪い(爆)。お景さんの登場を「未亡人で独り者」というのに「未亡人なら独り者は当然よね」と即座につっこんだのはマダムの藤子さんだったかなあ。思わず噴き出しちゃった。確かにそりゃそうだわ!
満子は、自分は見合い結婚、しかも自分の父親が推し進めた結婚ということで相当引け目に感じているらしく……もともと女癖が悪いダンナといえども、ホンキのライヴァルが現われた、しかもダンナこそがホンキなんじゃないかと勘ぐって(勘ぐ繰りだけではないかも…)しまうのだけれど……。

ちょっと話がそれるけれども、騒動のキッカケとなった洗濯屋さん家族がね、ステキなのよね。
洗濯屋さんは三木のり平、奥さんは乙羽信子。もー、乙羽信子が可愛くってね!
家族だけで野球チームが作れるぐらい(ていうか、作ってるあたりが(笑))の子沢山、子供のいない徳之助から「ネズミみたいに繁殖しやがる」と揶揄されるんだけど、ほおんとに、仲睦まじいの。

アンタもあのダンナみたいに浮気しているんじゃないの、と冗談交じりに奥さんにつつかれ、バカ言うな、お前だけでいっぱいいっぱいだよ、と慌て気味につつき返し、それがなんかラブラブな雰囲気になり、しかし背後からたくさんの(笑)子供たちが覗いていることに気付いて慌てて身体を離す(笑)。もー、ラブラブじゃーん!!
野球の試合の反省会をしている子供たちから「とーちゃんは三振王でエラー王」と断じられ、さらに「コントロール悪いから」と言われたそのとーちゃんが「バカ言え。だからお前たちが生まれたんじゃないか」と言うのには爆笑!う、うーむ、世の平和は夫のコントロールの悪さによるのかも??

閑話休題。で、そうそう。そんな話はワキに過ぎなくってさ。若い二人の駆け落ち話ですよ。
それは孫作の弟、次郎と芸者の染太郎の結婚話なんだけど、この染太郎というのが、実はお景さんの実の妹だっていうんだから話がややこしくなる。
いや……それも徳之助が、お景さんに近づきたい一心で次郎を養子に迎えることを言い出したから、ややこしくなっちゃったんだよね。
もともとは伝統ある吉良屋の血筋が絶えてしまいそうになっていることに責任を感じているんだろう満子が、銚子に住んでいる徳之助のおじさんの三男坊、和男を養子に迎える話に乗り気だったのに、そこに次郎の話を持ってきちゃったもんだからさ。
当然、ことのカラクリを知った満子は激怒、二人を沿わせる訳にはいかないということになっちゃって、二人は一計を案じて“駆け落ち”してしまうのだ。

ところで次郎を演じるのはフランキー堺なんである。孫作の元で修行している彼、いや、孫作は徳之助の影響でスッカリ女好きになっちゃって、もー、ぜんぜん店とか見てないし(爆)。
だからかなあ、次郎が握るお寿司は……ひどいの(爆)。「寿司もフォームが大事なのは同じだ」なんていう会話の感じからして、彼の前身は野球?
そんな軽快なフォーム(爆)で彼が握るお寿司はありえないデカさ!おにぎりとまでは言わないけど(……いや……近いな……)いなり寿司ほどのデカさ!
ほぼ冒頭近くのこの場面で、もう爆笑をとっちゃうんだから!だって普通、上から見たらネタで覆われている筈の握り寿司が、ネタがハゲおじさんの髪の毛並みのサイズなんだもん!

次郎が好きになったのは芸者さんだけど、本当に二人は好き合っててね。いつ一緒になるんだと問われ、なかなか独立のメドが立たない次郎が「次のオリンピックまでにはなんとか……」なんて言い様をするのには笑っちゃった!
もう心中するしかないなんてとこまで追いつめられ、しかしそこでギャグ一発、君と結婚出来ないなら自殺してやる!と次郎がとった手段が、ライターの火を吹き消して、ライターを鼻の穴に突っ込み、ガスをスースー吸い込むという、予想外のショボさ!んなんで死ねるか(爆笑)。
そんな彼に心打たれたらしく(うそお!)、あられもなく畳の上で盛り上がり始めて、布団を引き上げるみたいにしてテーブルを引き寄せるのには笑ったなあ(笑)。フランキー堺はほおんと、魅せる。出前の途中でタップダンスまで踊るんだもん。

あ、そういう意味で言えば、後半いきなりご登場の中尾ミエ!銚子の娘っこで、和男と実はイイ仲だったりする。
彼女が登場してからは、不自然なぐらい唐突な(爆)ミュージカル映画の趣。思いっきり苦悩してここまできた次郎と染太郎とは違い、お互いの未来を信じて疑わない二人。いーや、人生はそう上手くはいかないぞお(爆)。
しかし、三枝、中尾ミエでピンのミュージカル映画、は実に見事だった。それに、ただ一人、歌手として混じる彼女はなあんとも、チャーミングなのよね!

次郎と染太郎を一緒にさせないために、オトナたちがとる行動は結構エグくてさ……他の女の子をあてがえば忘れるわヨ、なんてことを平気で言っちゃったりするし……でも案外こういう部分は、現代でもそう大して変わってないのかも……。

ああ、これは……触れていいのか(爆)。劇中、次郎がよく行く近所のラーメン屋。もー、キタナイの何の(爆)。
気合いを入れるためなのか、やたら手にブッ、ブッとツバをはきかけ、しかもその手で料理をし、さらに「昔は易者をやっていたんだ」とまたしてもツバをはきかけた手でさしてあった箸をジャラジャラとやり(うえー)……。
銭湯にもっていく手ぬぐいより店に置いてある布巾が汚く(あれは既に雑巾ですらない……)、しかも「コップのヨゴレが気になるなら、これで拭いてヨ」とそのドロドロの布巾を差し出す!は、灰色なんですけど!しかも「ヨゴレが気になるなら……」て、メッチャじかくしてるやん!

森光子が演じる役が森田満子だったり、中尾ミエがまんま三枝ちゃんだったりするのは、なあんかワクワクしちゃたわ。

あ、そうそう、両国だから現役力士の皆様も多数登場!残念ながら私は当時の彼らが判らないのだが……でも今も昔もお相撲さんは、やっぱり様子がいいわあ〜。
孫作の店にお相撲さんが来ると知って、ほろ酔い加減の徳之助は、おし!じゃオレがおごったる!と胸を叩くも、予想外に大挙して訪れて目を白黒させ、更に「若い衆も来てるので呼んでいいっスか」わらわらと大男たちが来店!
「あ、来ちゃったの、来ちゃったのね」とうろたえる森繁はひたすら可笑しく、あれ、彼を挟んで座っているお相撲さんたちもホントに笑ってるでしょ!
そのいいノドを聞かせてくださいよと言われ、徳之助は朗々と歌いだす……もワンフレーズもいかないで動揺で声が裏返り、歌えない!と突っ伏すのには大爆笑!だって大勢のお相撲さんたちにかこまれて青い顔してる時点でやたら可笑しいんだもん!! ★★★★★


喜劇 駅前飯店
1962年 95分 日本 カラー
監督:久松静児 脚本:長瀬喜伴
撮影:黒田徳三 音楽:広瀬健次郎
出演:森繁久彌 伴淳三郎 フランキー堺 淡島千景 乙羽信子 池内淳子 森光子 山茶花究 大空真弓 高橋元太郎 杉幸彦 三木のり平 淡路恵子 柳家金語楼 沢村貞子 三原葉子 岡村文子 村松恵子 中原成男 小桜京子 田辺元 羽柴久 伊藤正博 米倉斉加年 加藤春哉 月野道代 小野松枝 天津敏 川久保とし子 沢村いき雄 歌川千恵 永井柳太郎 王貞治 大木伸夫 おさげ姉妹

2010/1/7/木 劇場(銀座シネパトス/森繁久彌特集)
このタイトルからもしや……と思っていたが、や、やっぱり。森繁はもちろん、バンジュンもフランキー堺もみいんなアヤシゲな中国人役!いや、アヤシゲな中国人じゃなくて、彼らが中国人をやるからアヤシゲなんであって(爆)。
いいのかしらねー、ホント中国の方々に怒られちゃうって!でも彼らが大真面目に、しかしやはりどこかにそんなおふざけを抱えつつ“アヤシゲな中国人”を演るもんだからもう大爆笑!中国の方に失礼な……と思いつつ笑っちゃう。

それにやっぱり駅前であることなんて全然関係ないし(爆)。いや確かに、最終的に彼らが共同経営する新しい店は駅前に、このタイトル通りばばんと「駅前飯店」として登場するものの、物語自体はぜえんぜん駅前じゃないし(笑)。
ていうか、これって横浜中華街の物語だよね。日本に根付いた中国人たちのコミュニティを描いていると思うと、結構興味深いものがあるかもしれない。
彼らは女房にするなら日本人女性がいい言って日本人のおかみさんをもらったり、物語の中盤には独身だった周(フランキー堺)が、ひと目惚れした芸者さんと中国式の結婚式を行うシーンも用意されていたり。
そして彼らは押しなべて日本文化も大好きで、森繁はとても中国人とは思えない(爆)粋な小唄を披露したり。
だけどやっぱり中国人としての矜持や絆はとても大事にしてて、「あなたのお義父さんと私のお父さんは親友。だから私たちも親友デショ」という、単純だけれど深い信頼をかちあっているのがイイなあと思うのよね。

でもその一方で、このアヤシゲな(いやだからアヤシゲなのは……まあいいや)徳さん(森繁)を、周は一時、疑ってしまうのだけれどね。
というのも、共同経営を進めるにあたり、良く当たると評判の女占い師に見てもらったら「悪い友達がいる」というお告げをもらってしまったから。
でもこの占い師自体がインチキであって、黒幕は彼女の夫で中国人に成りすました日本人、林。アヤシゲな中国人どころか、マジにパチモンの中国人がいたってあたりが、森繁たち三人のアヤシゲさをうまく手玉にとっててヤラレたって感じなのよね。

で、彼らは土地売買や秘伝の強壮剤製造法をめぐっての大騒動に巻き込まれるのだが……。
ちなみにこの女占い師の名前がまたふるってる。紅生姜って(爆笑!)そりゃ中華料理には欠かせない添え物ではあるけど、でもそれは日本式の中華料理における価値感じゃないのと思うと……なあるほど、インチキっぷりは実に筋が通っているかも??

しかもこの紅生姜を演じているのが、も、森光子!うっわ!オープニングのキャストクレジットを見た時に彼女の名前があったから、あら、どこに出てくるのかしらと思っていたら、いきなり冒頭からデス!そんなことは予測していなかったから、しばらくは気付かなかった……。
だあって、あまりにキョーレツなんだもん!インチキにもほどがあるってな、気功かカンフーかってワケのワカランアクションをしまくり、しかも占いというよりは伏せたお椀のどこに入っているか当てさせるって、それって手品だし(爆)。
しかしどうやら彼女自身は大マジらしく、彼の夫が詐欺を働こうと彼女を使っている(わざとらしく照明落としたりの裏方さんである(笑))んだけど、彼女自身は「ホントに占いに出たんだよ!」と、プライドを傷つけられるとエラくご立腹なのがオカシイのよね。

で、まあ一時は険悪ムードになった三人なんだけど、周さんが勧められた土地が、彼が岡惚れしている芸者さんの置き屋の女将さんの持ち物で、林さんにしつこく売却を迫られていることを知って、騙されていたことに気づく訳なのだ。
しかも徳さんのお父さんが故郷で亡くなったと知らせが来て、故郷で財をなした人だから遺産を期待したらなんのことはない、父親愛用の包丁をだけを携えて帰ってきたんだけど、でも徳さんは意外なニュースを持ち帰って来たのね。
それは、周さんのお父さんが不老長寿の製造法を記した秘伝書持っているというもの!しかもそれに付随して、周さんの“日本のお母さん”が偶然にも(……偶然にもほどがあるが(笑))くだんの土地の持ち主である、置屋の女将さんであることが判明!

それが判明したのが、芸者遊びを奥さんにナイショにしていた徳さんが、奥さんにやらせているラーメン屋に芸者衆を連れて来ていた彼女に遭遇して慌てふためいている場面だったから、てっきり口からデマカセかと(爆)。でもホントだったのね。
もう芸者さんたちはこのラーメン屋の味にトリコになってて、再び女将さんを連れてやってきたところで、感動の再会と相成った訳なのだ。
そして秘伝書を探すために置屋を訪れると、飾られている周さんのお父さんと女将さんのツーショット、お父さんは当然フランキー堺二役。「どこかで見たことある顔だと思っていたのよね!」こんな個性的な顔、どこかで見たことあるで済むわけはないのだが(笑)。
だあってここでも散々、弁当箱だのなんだのと、その四角い顔っぷりを言われているんだもん。まあ、お約束よね、これは。

私的にお気に入りだったのは、バンジュン演じる孫さんのエピソードなんだよなあ。だって何たって彼の奥さんが乙羽信子なんだもん!ほおんとカワイイんだよね、そのえくぼとiい無邪気さといいさ。
徳さんがお父さんの訃報で一時中国に戻って、徳さんの奥さん、けい子(淡島千景)が不安になっているのを、乙羽信子扮するとめがかたわらに寄り添って慰めるんだけどさ、とめさんはまあ臆面もなく夫のノロケ話をするのよ。
中国人の男は最高、優しくて親切で……彼は私しか女を知らない。私は日本人の恋人がいたけれど捨てられたから……ダンナから結婚してくれと言われて本当に嬉しかった、と。
とかいう場面からカットが変わると、その当の孫さんは芸者衆の前で鼻の下を伸ばして、マヌケな踊りを披露しているのだが(爆笑!)。
でもきっとこのとめさんはそんなことも判ってて、それでもだんなさんのことが大好きなんだろうなあということが、乙羽信子のなんともチャーミングな可愛らしさから伝わってくるんだよね。

ていうか、そう!そう!!!本作のウリっつーか、最大の目玉は、王さん!王さんよ!!あの世界の王さん、王貞治!ビックリ!マジホンモノ!!!一体どういう経緯でこの出演がかなったのか……しかも結構出番多いし!
そう、孫さんが連れてくるのよ。孫さん夫婦の二人の子供のうち下の息子が野球をしてて、プロ野球選手を目指しているのね。当時のアコガレの存在は当然、王さん。孫さんは王さんを連れてきてやると豪語していたけれど、そんなの子供相手の戯れ事に過ぎないかと思っていたら……ホントにつれてきた!!!
ゲスト出演ではあるけれど、なんか当時の中華街のパワーを感じもするかも?

王さんは、孫さんの息子の野球に対するひたむきな気持ちを評価してくれて、プロテストを受けるよう紹介してくれる。
しかしその息子は本番で空回りし、グレてしまって悪い仲間と付き合うようになり、チンピラと大喧嘩をしてしまって……しかもその場面にも王さんは登場!ケガをした息子に、胸ポケットからハンカチを取り出して差し出すんである!突然現われた王さんにバンジュンもビックリ!!
結構芝居も要求されてる王さん、しかし結構アドリブも入っていそうなバンジュンによく噴き出さずにいられるもんだと……NG出てそうだよなあ、結構。
などと、王さんの、見様によっては微妙な表情にこそたまらず吹き出しそうになっちゃうんである。

でまあ……物語の筋はどこまで行ったんだっけ?(爆)ええと、秘伝書の話だったかな。
でね、その秘伝書が女将さんの故郷に置いてあるかもしれないと、女将さんと周さん、そして周さんがホレている芸者の染太郎(池内淳子っすよ!)とともに向かうのよ。
その道行きをかぎつけた黒幕、林さんが後をつけている。実際の秘伝書はしまいっぱなしになっていたことで虫食いだらけで、とても読めるものではなかった。
大事なものをそんな状態にしてしまったことを詫びる女将さんや家族たちだけど、周さんは大満足なんである。だって、彼にはずっと縁がないと思っていた家族の形がここにはあったから。
そして、大事にしまわれていたアルバムの中にも、彼ソックリの父親に寄り添う女将さんの姿があって(だからそれもフランキー堺だから、つい笑っちゃうんだけどね) 彼はこれこそが収穫だと、もう秘伝書のことなんてどうでもいい訳。

周さんと染太郎の雰囲気に気をきかせた女将さんが、自分は列車で帰るからと二人を車で戻らせるのね。
実際イイ雰囲気の二人は、途中乗馬なんぞを楽しみつつ……しかしつけていた林さんに秘伝書を奪われてしまう!
しかししかし、もう虫食いで読めないし、家族のアルバムに大満足しちゃった周さんは、しかも染太郎から一発逆転のプロポーズOKを勝ち取って、もうそんなことどうでもよくなっちゃってさ。
しかし林さんから呼び出されたところには、日本における中国社会のドンともいえる陸金楼がご鎮座!演じる柳家金語楼のカンロクたっぷりなこと!
彼は商売を仕掛けてきた林さんがインチキ中国人である正体をあばき、しかも虫食いだらけの秘伝書を破格の価格で引き取ってくれるんである。

ここでちょっと小休止。だってだって、これじゃあ森繁が全然登場していないみたいじゃーん。いや実際、本作の中では森繁は影が薄い方かも(爆)。
それはこの日一緒に観た「駅前弁当」でも感じたことなんだけど、森繁はいて安心、みたいなポストって感じなんだよね。
でもね、やはり淡島千景とのゴールデンコンビですよ。意外なことに(!?)彼女の方が徳さんにベタ惚れでさ、彼女にやらせてるラーメン屋の売買話が浮上すると、すわ、ウワキで私は捨てられるんじゃないかと頑なになっちゃって、徳さんが家に帰るのが怖くなるほどの険悪ムード。
それでも彼はちゃあんと家に帰るあたりが、つまりはケンカするのもなんとやらって言葉どおり、ラブラブだってことなんだよね。

ショックのあまり寝込んだ(でも布団の中でカンカン)の奥さんに恐る恐るながら、布団の中に入り込もうとするあたりがメッチャ森繁やー!!!ズ、ズルイ!そんなことされたら……許してしまうやんか!
しかしいったんは追い出され(まあそりゃそうだ)、しかししかし心配して駆けつけた友人、孫さんと周さんの目の前で、犬も食わぬとは 言い得て妙なラブラブっぷりを見せ付ける二人なんである。
それが画面から見切れて声だけってのが、逆にエロティックなのよね!ゴソゴソ……いや……やめてよ……なんていう、あれまと思う言葉に手で覆っていた目を開けてみるも……「何もやってないじゃねえかよ」(爆笑!)期待することは誰もが同じよねー!!
画面から見切れて見えない手法の粋さと、それが逆にナマで見せるよりずーっとエッチっぽく、しかしきちんとコメディになっているというのがスバラシすぎるんだわ!

で、ええと、何の話だっけ(爆)。もう判んなくなったからラストにいっちゃう(爆爆)。
かくして全てが解決し、周さんの結婚式も終わり、まあ、その結婚式は元カノ(とは言っても、結局彼を利用しようとしていたヒモ付きの悪女だったんだけどさ)が乱入したりして大騒動だったけれど、とにかく終結して、三人共同の店、駅前飯店がめでたくオープン。
記念写真をとる場所とりで、女好きの森繁、いやさ徳さんがさりげなく女の子の隣に座ろうとするお約束のギャグもありつつ、そこへやってきたのが秘伝書を破格の値で買い取ってくれた陸大人。
さすがベテランの商売人、とても読み取れないと思った秘伝書を、恐らくはまあテキトーに読み取って作ったであろう強壮剤を大々的に広告を売って「これじゃ(買い取ってもらった金額じゃ)安かったわ」と嘆息する彼らだけれど、駅前にバーンとそびえた「駅前飯店」はもうそれだけで大繁盛間違いなしに決まってるんだから、セコイこと言いっこナシ!

そうそう、強壮剤、つまりは栄養ドリンクも、本作中に登場するんだよね。小ビンから細いストローでチューッと吸うスタイルは、ひょっとしたらあの時代から始まったハヤリなのかもしれない。そういうネタとして取り入れたのかもしれないなあ。出てきた銘柄(忘れた(爆))は聞いたことあるようなないような。
そしてもう一つ、袋麺のチキンラーメンを「ナマで食べてもおいしい」とボリボリかじる場面などもあるのよ。もちろん、実際にチキンラーメンを普通に?すするシーンもあり、しかしそれは中華料理をこの横浜中華街で営む物語で、しかもそのチキンラーメンを実に美味しそうに食しているあたりが、なんとも、うん、当時を色々現わしている感じがして、面白かったんだよなあ。★★★★☆


喜劇 駅前弁当
1961年 89分 日本 カラー
監督:久松静児 脚本:長瀬喜伴
撮影:黒田徳三 音楽:広瀬健次郎
出演:森繁久彌 伴淳三郎 フランキー堺 花菱アチャコ 柳家金語楼 加東大介 淡島千景 淡路恵子 坂本九 渡辺トモコ 黛ひかる 三原葉子 千石規子 坂本武  松村達雄 横山道代 野口ふみえ 立原博 立岡光  都築功 朝香優子 長谷川万里子 近江俊輔 天津敏

2010/1/7/木 劇場(銀座シネパトス/森繁久彌特集)
ようやく去年の年末、年納め映画として初体験した駅前シリーズ、今年初めの映画がコレなんである。んー、森繁納めに森繁初め。いいではないの。
しかし二本目にしてフト思ったことは、コレって物語は割とどっから持ってきても通用しちゃって、それを駅前って設定にすりゃいいんじゃないのということ。と思ったのはまあ、正確には、この日二本目に見た「駅前飯店」のハチャメチャさがあったからかなあ。

本作は駅前ってことにヤハリ重要性があるかもしれない。だって駅弁屋なんだもの。それも浜松、浜松の駅弁屋といえばうなぎ弁当に決まってる。
そして、そればかりではなく、浜松といえばヤマハ!ヤマハと言えばハーモニカ!?いや……楽器ということだろうが、駅のホームでは独特の節回しで流す駅弁の売り子の男性たちに混じって、まさに当時のキャンギャルといった感じの華やかな女性たちが、ハーモニカを売り歩いているんだからビックリ。
これって当時の世相を反映しているんだろうか?確かに長旅にハーモニカのひとつもあれば、ニギヤカに楽しく過ごせるだろう……というのも現代では考えられないけど、当時ならありそう。
しかもこのハーモニカを演奏する女性達を中心として若者たちが集まり、趣味の楽団が作られているぐらいなんだから!そんなに当時はハーモニカが流行っていたのかなあ??

いやいや、ハーモニカはどうでもいいんだけれど(爆)。いや、浜松でヤマハに思わず感動してしまったもんだから。ちゃんとヤマハ音楽教室生徒募集のポスターも貼ってあるのよ(だからいいっての)。
そうそう、しかもしかも、ヤマハと言って楽器だけでもないの。もう一方の稼ぎ頭、オートバイもしっかり登場!
駅弁屋の道楽息子が乗り回しているのは今の目から見ても実にカッコイイバイクで、しかもご丁寧に彼はオートレースにもハマってるんだから。当然そこで乗られているのはヤマハのバイクなんだろうなあ。それともヤマハがあるから、浜松はオートレースが盛んなのかな?

だからヤマハの話はいいんだってば(爆)。そう、弁当屋の話。道楽息子、次郎を演じるのはフランキー堺。実は彼が道楽息子であることには理由があって……彼には元々お兄さんがいたんだけれど若くして死に、彼の義理のお姉さん、つまり、このお兄さんのお嫁さんがそれ以来女手ひとつで切り盛りして、以前より立派な弁当屋へと成長したんである。

次郎としてはね、義姉さんが一生懸命ここまでにした弁当屋を、ここの息子だからって手柄の横取りみたいにしたら済まないって、思ってるんだよね。だからことさらに道楽息子なフリをして、自分は東京にでも出ようかと思ってる。
でも彼は、その人懐こい性格で兄貴分として若者たちに慕われているし、そんな風に思いやりもあるところから、きっとこの弁当屋を継いでもやっていけると、最初からちゃあんと思わせるんである。
でも水商売の女なんぞに引っかかって、でもお決まりにその女は計算づくで次郎と付き合ってるんであって、その顛末がわかれば彼はポイと捨てられる。
そしてその時になってようやく、側に自分のことを思ってくれているステキな女の子がいることに気付くんであって。

……つって、森繁はどうした!……いや実際さ、森繁は本作に関してはかなーり脇役つーか……いや、出番は多いけど、ピエロ的な役回りだなあ。
しかも伴淳三郎と共にさ。まだ駅前シリーズは見始めたばかりだけど、彼とのコンビがキモになっているのかしらん。
えーとね、森繁は、まず冒頭からちゃんと登場はしてるのよ。なんと駅のホームでの駅弁の売り子で。しかもバンジュンも同じく売り子で!

だからといって彼らがホントに駅弁の売り子の訳もなく、森繁扮する金太郎は紡績工場の社長、バンジュン扮する孫作はストリップ劇場の社長なんである。
森繁の方がストリップじゃないんだ……と一瞬思うも、甘い甘い、いわば固い職業は彼のカクレミノで、ちゃんと奥さんも子供もいるのに、弁当屋の色っぽい未亡人に虎視眈々、孫作からカアちゃんがいるだろと牽制されてもソレがなんだというぐらいの森繁らしい女好きで、もちろん孫作のストリップ劇場には意味もなく(笑)出入りし、意味もなく(大笑)踊り子のおっぱいを挨拶代わりにタッチし、立ち去る時にはもう未練タップリだしさ、もう可笑しいったらないわけ。
しかも極めつけはストリッパーを連れ出して、趣味の(!)ヌード撮影をまっ昼間の海岸で敢行!おまわりさんにつれてかれちゃうの!(爆笑!)

……だから、全然話とは関係ないんだってば。んーとね、話の大筋は……そもそもこのスケベジジイ二人が駅弁の売り子の真似などをやっていたのは、未亡人のお景さんに岡惚れしていたからなんであった。
もう見るからにお門違いなんだけど(爆)。彼女の亡き夫と「ガキの頃からのダチ」であるということ一点にかけて彼女のことを気にかけ、というか狙い、牽制しあっていた二人。
冒頭は、この亡き夫の法事であり、デコボココンビの二人が、燕尾服の上着を再三に渡って間違えて着るナンセンスにお約束と思えど笑ってしまう。
それにね、やはり……森繁の相手といえばこの人、淡島千景がほうとため息が出るほどの美しさでさあ……そりゃあ、岡惚れするのも道理よねと思っちゃう。

この彼女が最終的に添い遂げるのは、都会からきたジェントルマン、村井(加東大介)で、しかも彼が“亡き夫と大学時代の友人”であるって時点でハナタレ小僧時代しか知らない二人は撃沈であり、しかもこの村井が彼女の初恋の人であり、しかもしかも、危うく甘い融資の話に騙されかかった彼女を助けたとあっちゃ、このポンコツ二人は退散するしかないんである。
そうそう、この話のひとつのキモは、この融資の話にあってね。最初から金太郎はマユツバもんだと警戒してて、金太郎じゃなくても、誰が見たって口が上手過ぎるこの男は怪しさ万点なんだけどさ。
なんかもう、自分よりハイソな男にとことんヨワい孫作は、もう最初っから持ち上げまくっちゃって、先生とか呼んじゃって、挙げ句の果てには逃走資金を「サイフを盗まれた」とかって、ワザとらしいウソにまんまと騙されて差し出してしまうマヌケさ。

話の筋としてはここがかなりなクライマックスなんだけど、グッと来る展開はここから先、なんだよなあ。
台風が浜松を直撃するんである。列車は止まり、弁当の発注もストップ。
と思いきや……そう、列車が止まってしまったことで、警察から炊き出しの要請が来たのね。疲れ果てたお客様たちに浜松の味で喜んでもらえるならと、お景さんは二つ返事で承知し、夜を徹して大量のお弁当を作り続けるんである。

この場面、実際のニュース映像であろうモノクロ映像が挿入されてね、当時の荒いテレビ映像なだけに逆に、台風の猛々しさがひどく恐ろしく感じられるんだよね。
当然、当時は今より建物やなんかも台風対策などされていない訳だし……もう、ホント、モノクロだけに(そこだけね)その荒々しさが恐ろしくってさあ……これは本作の特異さを示すのに実に特筆すべき点だと思う。
そして駅に留め置かれて、汗をぬぐい、疲れ切った表情の列車の乗客の映像もあるから、ここに浜松のうなぎ弁当が配られたらどんなに気分が癒されたかとしみじみと思い至っちゃうのよね。
そんでもって、もう、うなぎ弁当が食べたくて仕方なくなる。うな丼じゃなくて、うな重でもなくて、折り詰めのうなぎ弁当がさ!帰り、迷いなくデパ地下に走ったもん!

この時、次郎は初めて、店の手伝いをする。もちろんこの窮状というのもあるけれど、彼には思うところがあったのね。
自分を思ってくれてるお千代ちゃんの純情、しかも彼女の父親とオートレース場で偶然会ってて、テキトーに教えた数字で当たっていたもんだから、この父親、大喜び、スッカリ意気投合していた。
まあ、オートレースで散々自分の奥さんを泣かせていたこの父親は、最初は反対したりもしたんだけれどね……その一方で、でもキミとは親友だ!と言うあたりが。
だってさ、「自分も辞めようと思ったけど、あの(バイクの)ウインウインという音を聞いたら……」筋金入りだろ!そりゃー、元々バイク好きの次郎と気も合うって!ていうか、柳家金語楼がグーすぎるって!

炊き出しがひと通り終わり、先に二階に上がった義姉さんを追って、次郎も上がっていく。
ハッキリ言って足手まといながらも(笑)、その天真爛漫さで社員からも可愛がられている次郎は、今回手伝ったことを皆が好意的に受け止めてくれたことで決心がついたのだろう、義姉さんに、村井さんと東京へ行きなよ、と背中を押すんである。
……いやー……いいね。いやさ、義理の姉弟なんだけどさ、だからつまり未亡人であるお景さんは、この家にそれこそ義理も何もないんだけど、でも亡くなったダンナさんを愛してて、そして義理の弟の思いも多分判ってて、だからこそ頑張って切り盛りして、そして今、思いがけず初恋の人なんぞが現われてさ。
しかもその人はだんなさんの親友で、しかもしかも、奥さんを亡くして幼い娘さんを抱えているなんて聞いたらさ……。

いやー、私、ご都合主義にまんまハマってる?
いーもんいーもん、浪花節大好きさ!
それにこれは、それこそ本筋とはほぼ関係ない(爆)森繁とバンジュンが、スケベ心丸出しで頑張りまくっちゃってるから素晴らしきバランスがとれちゃってるんだべさ!
あられもない自作のヌード写真が大量に机の引き出しから発見されて、鬼ヨメにうろたえる森繁はサイコーだったわ。
らしすぎる上に、それでも、怯えつつもちゃんとコワイ奥さんの元に帰っていくのが愛を感じるんだわあ。
どんなに女好きでスケベで手つきがプロ(笑)でもね!
しかもこの場面も、当時最新のカメラやら8ミリカメラが登場するんだよね。ヤマハはカメラは作ってない……よね?
なんともあらゆるところで当世風を感じて面白いんだよなあ。

そうそう!ほぼ筋と関係ない登場なんで言い忘れそうになったけど(爆)。坂本九がまんま九ちゃんっていう役名でご登場!
アバタ顔すら純情さをかもし出し、楽団の練習シーンで朗らかな歌声を惜しげもなく披露。その歌も、女の子の名前をあてずっぽうに連呼して女の子にむくれられるという微笑ましさで、なんともグッときちゃうんだよなあ!
しかもかなり登場シーンも多く、お景ちゃんに岡惚れしている孫作をガッカリさせるべく、村井の存在を嬉しそうに暴露する場面などは物語の転換ともいえ非常に印象的。
でね、“洗濯屋の九ちゃん”なんだよね!なんかそのゴロもイイ感じなんだよなあ。

ああ!そのほかにも面白い場面は満載でね!一番は登場するたびに職業が違う女の子。最初に登場は金太郎の紡績工場で働いていた女工が彼のマッサージ師として現われ、しかもそのマッサージの珍妙な可笑しさ!もうアレ、どう説明したらいいの。カンフーまがいというかなんというか、ハッ、ホッと奇妙な気合いを入れ、奇妙な棍棒を突き入れ、いかに女の子好きの森繁といえど悶絶寸前(爆笑!)
しかし更に可笑しいのは、となりのバンジュンをエビゾリにさせて(もー、これ爆笑!)これまた悶絶させてる先輩の隻眼あんまさんだったりもして(笑)。

この二人組はとにかくたくましくてねー。次のシーンでは“ステッキガール”として現われる。ステッキガール?何それ??どうも観ている限りではよく判らないんだけど……金太郎に紹介したのは“いいステッキがある”そして現われたのは、貴族女性みたいなドレッシーなカッコをしたステッキガール!
えええ!?つまりつまり……彼女自身がステッキになるということ?それって……それ以上の意味が絶対あるよね!?
彼女が「まだまだ女性は男性社会に搾取されている」と森繁に突っ込み気味に言う場面は、アッケラカンとさえしているけれども、でもこのステッキガールのことを考えれば……なあんかなんか、深い、深いよなあ!

一方でメインの女性キャストは初恋の人と“都合よく”結ばれるのかと思うと……。そう、このステッキガールは更に芸者として登場しちゃうだから、もうもう、そのたくましさには脱帽なんである。 ★★★★☆


喜劇 競馬必勝法
1967年 92分 日本 カラー
監督:瀬川昌治 脚本:井手雅人 瀬川昌治
撮影:山沢義一 音楽:木下忠司
出演:谷啓 白川由美 伴淳三郎 京塚昌子 小川知子 吉野謙二郎山城新伍 進藤英太郎 大泉滉 小林稔侍 小松正夫 村上不二夫 杉義一 清水元 片山滉 久保比佐志 清見淳 安城由貴子 大和田恵美子 大竹まり 三木のり平 南利明 岡部正純 植田灯孝 木村修 大橋巨泉 田沼瑠美子 桑原幸子 清水みつえ 大川慶次郎 丹波哲郎 相原弘 平本孝 滝島孝二 菅原壮男 須賀良 南幸伸

2010/12/17/金 劇場(銀座シネパトス/谷啓特集)
観た順序は逆になってしまったけれど、恐らく本作がシリーズの一作目というところだろうなあ。
出世など最初から諦めて、一日中デスクで鉛筆を削ってアクビをしている能無し社員、河辺。一本目に見たペテン師の役柄が意外だったけれど、でも性に合わないペテン師である自分にドギマギしているあのキャラの方が、実は谷啓っぽかったかもしれない。

だって本作の河辺はほおんとに、仕事をする気なんてない、うまく乗り切って退職金をもらえれば御の字、とその持論をケケケと笑って展開するようなぐうたら社員なんだもの!
それこそ植木等がやりそうな……って、一本目でも言っていたような(爆)。
でもさ、最初はそう見せておいて、他の要素が入ってくると、どんどん彼のマジメな気質が現われて追いつめられていく、ていうあたりが谷啓の可愛らしさに合ってる気がするんだよなあ。美人で大柄な奥さんの掌の上に乗せられている感じも、実に可愛いんだよなあ。

本作は、新社長として河辺の会社に就任した峯岸が、社内改革を目指して社内の様子を映したフィルムを見て、一日中何にもしてない男、河辺を発見するところから始まる。
高度成長期を象徴する、急成長中の家電メーカー、冷蔵庫だ扇風機だ電気釜だとミニスカートの女の子たちが威勢良く宣伝するCMの感じも、実にあの時代の希望と勢いを感じさせる。
そんな会社だから社員たちも実に忙しく働いている。早回しのフィルムの中で、スローモーションのようにデスクから動かず、鉛筆を削り、アクビをし、動いたと思ったらお茶を飲みに行っただけという河辺の姿に峯岸は眉をひそめる。
あんな社員を野放しにしておいたらこの会社の未来はないぞ!と一喝するんである。

会議室でフィルムを上映したりっていうのも、新しい時代を象徴していたのかもなあ、などと思う。そしてモーレツ社員が朝から晩まで働き続ける中で、出世欲もなくアクビをかみ殺して一日を過ごしている河辺の姿は、口八丁手八丁のお気楽社員を飄々と演じていた植木等とはまた一味違う。
つまり、植木等はなんだかんだ言って、お気楽だけど世渡り上手だけど、谷啓はなんか、不器用なんだもの。

競馬場で偶然この社長と意気投合して、上手いこと儲けもし、お互い素性も知らないまま飲み屋に突入、新社長の悪口を散々言ったところで、お互いの正体が判っちゃう。
ノンビリ、楽天的だったのはそこまでで、もうそっからは河辺、いやさ谷啓はすっかり、ヘビににらまれたカエル状態でカワイソウで仕方ないんだもの。そのカワイソウな感じがまた、カワイイんだよなあ。

そうなの、とにかく谷啓のキュートさにはヤラれるんだよ。彼がこんな風に出世なんてしなくていいやと泰然としていられるのは、妻が腕利きの歯科医で儲けているからに他ならないんである。
勿論、鉛筆削りは競馬予想のためには欠かせないもので(笑)。自宅に隣接した歯科医院で、俺は手先が器用だから義歯を作るぐらい出来そうだ、と手を出すのを奥さんがダメよ、と取り上げたりする場面だけで、尻に敷かれていながらもなにげにラブラブじゃんと思ってしまうんである。

そりゃあ、ラブラブに違いない。だって奥さんは毎朝ダンナに、特製ミックスジュースを飲ませる、その中にまむしの粉末をどっさり入れるんだもの!
さすがにマズいらしく、彼は妻の目を盗んで2杯目はコッソリ流しに捨てるんだけど、そう、2杯目なの。「あなた、昨夜はだらしなかったから」なんて色っぽい台詞!
この奥さんを演じる白川由美のS気味の押しの強さが、なんとも魅力的である。だってさあ、こんな美人で歯科医なんだよ。もうSの女王様に決まってるじゃん(爆)。

実際、この美貌にクラリときて通ってきている常連さんもいる。どこかの会社の重役だと見てとった彼女、みちえは、うんと絞りとってやるワとはりきって、ふたこと目には「金(きん)をかぶせなきゃ」である。
その幼い息子も患者となり「すぐ金をかぶせなきゃ、だね」と見抜かれるあたりはサイコーである。まあ、見抜く目があるのは当然。この“重役”は名物予想屋の源三で、幼い息子は父親の仕事を深く尊敬しているんである。
“重役”の正体をまだ知らない時に、その幼い息子から競馬中継のテレビを見たいとせがまれ、「父ちゃんの予想は百発百中さ!」と予想表を手渡されたみちえは目をシロクロ。

しかしこれで、競馬にのめりこんでいる夫に眉をひそめていた彼女が激昂するかと思いきや、逆なのが面白いのだ。
てか、河辺の方は、奥さんの目を盗んでまで競馬に命を捧げていたのに、だんだんその情熱を失ってしまうんである。
というのも、社長に正体がバレて万事休すと思ったところが、“競馬アドバイザー”という役職につかされ、首がつながったと思ったのもつかの間、金にあかせて馬券を買いあさる社長に、なけなしの自分の金をつぎこんで勝負するからこそ競馬だという信念を貫けなくなってしまったからなんであった。

妻のみちえの方は、なんたって社長付きになったんだから大出世、これからは競馬を極めなさいよ!と尻を叩き、夫が驚くほど競馬研究に熱心になる始末。そしてまむし入りジュースも増える、と(笑)。もうそうなると更に情熱を失ってしまう河辺なんである。
このあたりは、ギャンブラーの心情を汲み取っててなかなかに興味深いんである。競馬通が勝負の後に通うバーで、ピチピチギャルに囲まれながらウハハハと鼻の下を伸ばしている社長に苦々しげな河辺や源三。
このバーの描写もなかなか面白く、客である男たちに馬のお面をつけさせ、ジョッキーに扮したビキニ姿にキャップをかぶった女の子たちがまたがり、ハイドウ、とゴールを目指すという、もうなんとも排他的なね(苦笑)。

しっかし、峰岸社長を演じる進藤英太郎の鼻の下ののびっぷりの痛々しいこと(爆)。
彼はこの会社を更に伸ばすために乗り込んできた腕利きの新社長の筈なのに、社長室で自転車マシンに乗ったりしてるのもなんかマヌケで、どうにも笑えるんだよね。
競馬場でも上等なスーツ着て、財布からこれ見よがしにお札をビラビラ出したりして、金持ってる素人の風情がアリアリでさ、もうカモに狙ってくださいと言っているようなもんで、実際騙されかけちゃうし。
そりゃあ河辺の競馬への情熱が失墜していくのもムべなるかな、というか。

そして、大事件が発生。社長の出張中に代わりに馬券を買っておいてくれ、と託された河辺。実に30万円を大穴に一点買いである。
そういう“男らしい買い方”も確かに河辺が教えたものではあるけれど、いくらなんでも金額のケタが違い過ぎる。
このバカ社長につきあうのもバカバカしくなっていた河辺は、どうせ当たる訳ないんだからと、その30万で仲間を誘って飲み倒してしまう。最初のうちは腰が引けていた仲間たちだけれど、それにキレた河辺が札束にライターで火をつけようとするもんだから、もうそこから一気にはじけちゃう。
で、当然淫靡なこともありつつ、一晩で30万がパーになる。しかししかし!当然というかなんつーか、この大穴が大当たり!実に500万の配当がついてしまったのであった!!!

ちなみにこの時飲み明かした仲間の中に、若すぎて顔が判んない状態の小林稔侍や小松正夫がいて、ほおーと思う。あ、小松政夫は割と顔の印象が残ってたかもしれない。
彼らは連帯責任を感じて、その後も河辺と共に行動する。その後も、というのは、腕利きの予想屋、源三にすべてを託すことなんである。妻のみちえが源三の予想を元に稼いだ資金、20万を投入して、500万を当ててくれないか、と!

源三を演じるバンジュンは、谷啓と共にこのシリーズで同じ立場を演じる。娘がいる、という設定もひょっとしたら共通しているのかもしれない。
先に観た作品ではその娘と谷啓が恋仲になっているけれど、本作では娘を演じる小川知子(ピチピチ!)は、住みこみの弟子である青年と、ひそかに愛を育んでいるんである。
このくだり、勝ち馬検討士の試験に受からなければ、僕達の結婚を切り出せない、とマジメなこの弟子が、見事試験に合格、しかし当然ひと悶着あって……ていう場面が、実は本作の中で一服の清涼剤、実にイイ場面だったかもしれない。

だってね、ここで源三は、普段は自分は予想屋ではなく、勝ち馬検討士なんだと誇りを持って、養っている家族にも弟子にも胸を張っているのに、弟子が娘と恋仲だと知るや否や、予想屋になんか娘をやれるか!と大荒れなんだもの。おいおい、あなたもその予想屋なんですけど、と。
しかも、師匠の激怒におどおどしているのは弟子だけで、奥さんや娘はキャアキャアと笑って相手にしない。特に、実に腰の据わった肝っ玉奥さん、肝っ玉母さんの風格たっぷりの京塚昌子はカッコ良かったなあ!

彼女の語るエピソード、戦時中、あの人は食べ物を調達してくるのが上手かったものだから、皆がやせていく中、私だけこんなに太っちゃってね、と……。
んでもって、河辺から(というより、シッカリ者の奥さんから)決死の依頼をされると、尻込みをするダンナの尻を叩き、一升瓶から次々に酒を飲ませてその気にさせちゃう。いやあ、妻の鏡だなあ?

500万当てるためには、どこに賭けるべきか。資料やデータに埋もれてウンウンと頭をひねる源三と、その結論を待つ河辺と仲間たち。
このシークエンスこそ本シリーズの見どころであり、クライマックスであるレース場面への助走でもある。
師匠の結論を待って無精ひげまで生やしている谷啓!無精ひげの谷啓なんて、初めて見た!

そして500万を稼ぐにはこれしかない!と超大穴に張り込んだレースを見守る場面はドキドキ!
直前まで悩みに悩んで、一滴の雨が降ってきたことで更に超直前になって予想を変えて張った大勝負。
いや、先に見た一本で、ここで当たったー!とならないことは判ってはいたんだけれど、でもとても見ていられなくてうずくまってしまう河辺を、ちゃんと見ろ!と叱咤する源三は、まさに勝負師のプライドだったなあ……。

そう、一度はハズれてしまうのよ。でまさに悄然とする。俺の家を売って500万作ってやるから心配するな、と源三は河辺に声をかける。
しかし!場内アナウンスが。レースの結果がなぜだか変わって(ルール違反?)彼らが張ったのが大当たりだったのだ!
大喜びするものの「……馬券は?」そりゃあその場で捨てちゃったのよ!大慌てで戻り、外れ馬券が舞い上がる中で這いつくばって探す彼ら。

結局この場面では見つからなくて、はき集められた馬券の山の中から一枚一枚探すという、気の遠くなるような、じゃなくて、もうホントに気の遠くなる作業。
積み上げられた山からズボズボともぐって落っこちちゃったりさ、こんなの、見つかるワケないと思ったのだが……。
ノンビリと馬券をひっくり返していた源三の奥さん、「同じ1−4でも、第9レースじゃ仕方ないわね」えっ?「だって、第8レースでしょ?」第9レースだよー!!!「あらまあ、それならここにいっぱいあるわよ!」この大らかさ、素敵過ぎます!

無事社長に500万を手渡した河辺だけれど、これに懲りてもうアドバイザーは降りたいと申し出る。これからは会社のためになるように粉骨砕身、働きます、と。
ぐうたら社員のそんな言葉に感激した社長も、ならば自分も金輪際競馬はやめる!と宣言、しかしまあ、そこはお約束で、シーンが変わりゃあ、競馬場には社長も河辺もいる訳。
VIP席から望遠鏡で社長が覗くと、ハデなアロハシャツを着た河辺と奥さんがレースに大興奮している。おいおいおいおいおいー!てか、ラブラブじゃーん。
なんかさ、このS気味の奥さんが気弱な河辺を仕切って、このラストに到達している感じがなんとも萌えるのよね。白川由美、なんとも色っぽいし、“調教”される谷啓がまた、超キュートなんだもん!

有名な競馬評論家であるという大川慶次郎や、御大丹波哲郎氏がラジオ解説席にご本人として登場する楽しさ。あ、ショーの司会者は、マジに大橋巨泉だったの??気づかなかった!

ていうかさ、私は全然知らんかった競馬の神様、大川氏の経歴を見てみると本作の主人公、河辺のキャラはまさに彼じゃんか!
サラリーマンになったものの身が入らずに競馬通い、他の会社(てところは違うけど)の社長に見込まれて競馬担当秘書になっただなんてさ!まんまやんか!
しかもその後、手刷りの予想紙から始まった予想屋人生の初期は源三そのもの。そうかー、彼の存在こそが本作のキッカケになったんだね!

特に、丹波氏はステキである。彼らしい直感の予想に、すぐそばのVIP席にいた峰岸社長がアッサリ影響されるのが可笑しい。
しかもそれは、日にちを元にした至極単純な予想なんだもの。だけどそれが頷けるぐらいのミョーな説得力が丹波氏には確かにあるんだよなあ。★★★☆☆


喜劇 競馬必勝法 大穴勝負
1968年 92分 日本 カラー
監督:瀬川昌治 脚本:野上龍雄 瀬川昌治
撮影:山沢義一 音楽:木下忠司
出演:谷啓 伴淳三郎 十朱幸代 長門勇 久保菜穂子 長門裕之 南利明 長沢純 市村俊幸 三島ゆり子 園佳也子 村上不二夫 山田甲一 仲塚康介 川田信一 清水みつえ 平野公子 大竹真理子 てんぷくトリオ 木村修 田沼瑠美子 ジョージ・吉村 由利徹 小野栄一 カルーセル麻紀 早瀬千香子 大和田恵美子 志野雪子 丸山悠子 平賀朝子 竹村清女 田内加代子 真木亜紗子 安城由貴子 久保伊都子 サトウ・サブロー 植田灯孝 小塚十紀雄

2010/12/17/金 劇場(銀座シネパトス/谷啓特集)
このシリーズは初めて観る。というより、谷啓主演の作品自体、ひょっとしたら初めてのような気がする。
正直競馬かぁ……とタイトル名で足が遠のきかけたのだが、クレージーでは植木等よりも癒されカワイイ谷啓が好みなので、今回の特集上映はこの年末という時期的にはかなり厳しいものの、やっぱりひとつでも押さえておきたかったから……。
サラリーマンモノでいえば勿論、植木等が有名には違いないのだろうが、後の釣りバカにまで続く、“普通のサラリーマン”のリアリティでいえば、そりゃあ圧倒的に谷啓の方であろうと思う。
この日、本作の次に観た作品は、シチュエイションも実に釣りバカを思わせて、なんだか嬉しくなってしまった。

とはいえ、本作の谷啓はサラリーマンでもなければ、そのマジメで実直なキャラから想像がつくような職業じゃ、ないんである。
まあ、競馬にのめりこむ男、というキャラである以上、本作も二本目に観たものも決してマジメな男なぞではないのだが(二本目の方なんて、どちらかといえば植木等がやりそうな役だったな)、それにしても谷啓が演じる役の職業がコレ!?なんである。
それは、ペテン師。まあつまり、詐欺師。ペテン師という呼称は彼と組んで仕事をしている相棒の古川がそう言うんであって、古川に扮する長門裕之は確かにペテン師そのものの腰の軽さと胡散臭さ。
長門裕之、前半と後半にちょっとずつで出番は少ないんだけど、まさにキーマンで引っかき回して、さらっちゃう。チャーミングだし、実に得な役である。

んでね、谷啓が扮するのは、ペテン師のくせに引っ掛ける相手にアポもとれないドン臭い男、小原なんである。
そんな彼に業を煮やして古川は、「ジャン・ピエール・オオハラ」なる胡散臭いことこの上ない名刺を与え、中折れ帽にツイードのジャケットをはおらせて、あいのこ(というのも、今はダメなんだよね。ま、いわゆるハーフ)を名乗らせることにする。
それに真っ先に噴き出したのは当の小原自身なのだが、面白いことにこの肩書きを名乗ることになるのはカモにする相手ではなく、岐阜城へと登るロープウェイのガイド嬢、かおるに対してだけなんである。

そう、これ、舞台が岐阜なんだよね。しかし彼らの拠点は東京だったかな、とにかくどこかから出張ってきている。
かおると恋仲になった小原がしくじってしまって、彼女から、帰っちゃうの?と悲しげに言われ、編みかけの手袋を差し出される場面は、指も出ちゃうような未完成の手袋というおかしさと、彼女の気持ちの切なさが交錯してなんとも可愛らしい場面である。
それに、かおるを演じる十朱幸代のなんとまあ、みずみずしくピチピチと可愛らしいことといったら!
娘を目の中に入れても痛くない父親の仁造が、こんないい女がいて声をかけないなんて男じゃない、と娘に対して言うにはどうなのよ、という台詞を口にするのも頷ける可愛さである。

正直、だからその彼女が谷啓にね……とも思うが(!)いやいや!そうよ、女は谷啓のようなタイプに実際、ヨワいと思うなあ!まんまるな可愛らしい顔で、ぽちゃぽちゃしてて、ていうのは実は、父親の仁造こそが言った言葉。
彼は小さな競馬新聞を発行する名物予想屋で、自分が何十年もかけて培った予想屋としての実力が、この若造があっさり到達してみせたことに驚いて、すっかり小原が気に入ってしまったのだが、実はそれは父親の仕事を手伝って予想を耳にしているかおるが流した情報だったのだった。

で、一方の小原は、カモにしようとしていた繊維会社の社長と競馬場で知り合い、馬券を買いに行ってあげましょう、ケチなかせぎをしようとしたものの、彼が推す馬を褒めたことですっかり気に入られ、しかも偶然、その馬が勝ってしまい、この社長が社内その他と作る競馬愛好家たちへのコンサルタントとして小原は召し抱えられてしまうんである。
それというのも、小原がこの時ばかりは、有名タレントや有名競馬解説者の名前を出して、軽く乗り切ろうとしたからなのだが……。“今売り出し中の大橋巨泉”ぐらいしか今の私には判らなかったが、競馬解説者の名前とかは、きっと当時は大ウケなんだろうなあ。

ていうか、競馬にのめりこむ男たちをライトコメディに仕立てる、というこの企画自体、今の世じゃとても通らないだろうと思う。
だって今は手軽過ぎる分、覚悟もないままに大変な事態に陥ってしまうから、シャレにならないんだもの。場外馬券場やらネットやらで、現場に行かなくても馬券が買えちゃう。馬券を買う時も、自動販売機である。
そんな今とは全然違う。実際に競馬場に行かなければ馬券自体買えない。つまり、レースを見ることが前提。
パドックで出走前の馬の状態をじっくり観察し、予想屋や常連たちの会話に迷い、時にはそれこそペテンにかけられそうにもなり、販売締め切りのギリギリまで迷い、いくつにも別れた窓口の、売り子の見えない穴に札束を突っ込んで大勝負の馬券を買う。
これは次に観た作品での台詞だったかもしれないけど、まさに“命を賭けた大勝負”なんである。

「人生で20番目に大事なぐらいの金を賭けろ?競馬は命の次の二番目。まさに命がけだよ」という台詞にうっかりウンウンと頷いてしまいそうになるのはコワいなあ。
でもだから彼らは大枚をポンと出す社長たちに苦々しい思いを抱くのだし、賭ける時には、まさに自分の人生を賭けるぐらいの大勝負をする。ていうか、だからこそ映画になるんだろうな。

目の中に入れても痛くないほどの愛娘が、「あんな水ぶくれ」(ひ、ヒドい……)の男にホレていると知った仁造はすっかりおかんむりである。
一方の小原も、自分がペテン師だってこともバレちゃったし、もうかおるとの関係もこれで終わりか……そう思った矢先にトンでもない事件が!
一向に仕事が進まない相棒に業を煮やした古川が乗り込んできて、彼が心身ともに疲労困憊しているのをいいことに「僕は看護兵をやっていたから判るんですよ。彼はチフスですね!」とトンでもないウソをつき、その同情をネタにして、小原が勘当された御曹司であり、名誉挽回するために契約を取らせてほしい、と、偽造小切手を使って社長から300万円分の背広を騙し取っちゃうんである!

ほんっと、この少ない登場場面で、長門裕之は美味しすぎるよなー!
相棒にかつがれたことも判らんまま、投宿先に消毒液をまかれ、救急車に押し込まれた小原、いや谷啓が、目を白黒させて「ドロボー!」と意味不明なおたけびをあげるのはサイコー!ドロボーって、なんだよ!

もちろんこうなっちゃあ、社長側としては、小原に騙されたと、ていうか、小原もあの古川の一味なんだからと、思うに決まってるよな。
小原をかくまっているんじゃないかとねじ込まれた仁造はつっぱね、不安な娘は顔を曇らせる。
しかし思いがけず小原は身の潔白を示そうと、自ら社長の元に乗り込んでくる。その金は必ず返すと。
その期限までにそんな大金を用意するためには、競馬で当てるしかない、と言ったのは、愛するJP(ジャン・ピエールの略。ずっと彼女はそう彼を呼んでるのだ!)を救うために父親が嫁入り資金にと貯めてくれていた通帳を持ち出そうとまでしたかおるだった
。彼女に全てを打ち明けて土下座した小原を、皆まで聞かずに彼を許してたまらずに抱き締めるほどにホレちゃっているってのもキャー!だったが、その娘の心に、結局は折れちゃう父親の方がキャー!だったかもしれない。

仁造の予想力に頼るしかない小原が頭を下げ、かわいい娘のために父親も全力を出すしかない。
たかが予想、されど予想。膨大な資料をひっくり返し、お互いの予想がピタリと一致したらそれに大穴を賭けよう、一晩中、苦しみぬく二人だけど、なんたって喜劇映画だから、悩んではいつくばってウロウロしている二人が頭ごっつんこしたり、はいつくばっている小原が、仁造の股の間に頭を突っ込んじゃってなぜだか肩車しちゃったりといったユーモラスで存分に笑わせてくれる。

こういうコメディでは王道である、覗き見する隣人もサイコーである。ていうか、彼は祈祷師?坊主?しかしその唱えは予想の順位と、当たりますようにの繰り返しで、それがちゃんと読経に聞こえるあたりがスバラシイ。
オンボロの壁の穴から名人予想をあわよくば盗もうと、覗き見しては、壁に貼った予想の朱筆を浴びているのだッ。

クライマックスはもちろん、この大穴が当たるかどうかの競馬場。ようやく二人一致してこれだ!と持っていった予想が、片方の馬が発熱して欠場になり、結局はその場でのひらめきを頼りに予想しなければならなくなる。
しかもそれも、二人一致しなければならない!本当に、販売終了のギリギリで、かおるが買いに走る。そしてレースとのカットバックのスリリング!
だけど、外れちゃうの。あーあ、と……。脱力しちゃうの。かおるが泣いている。私のせいだと。
お前のせいなんかじゃない、と父親が慰めると、ううん、私のせいなの。焦って隣りの窓口に行ってしまった。違う馬券を買ってしまった、と泣いている。
父親が顔色を変える。それが当たりだ!危うく、投げ捨てた馬券に立ち小便されるところだった(爆)。

しかももうひとくさり、小原が姿を消している。仁造とかおるが心配して探し回る。と、絶望した小原が鉄橋の上を歩いている。
こんな緊迫した場面でも、一度目は電車が来た方じゃない、もう一本の線路の上を歩いていて無事、二度めは間一髪川に飛び込み、ずぶぬれになって、かおるが、当たったのよ!と告げ、二人はずぶぬれになって喜びを分かち合うのだ。
それを、今までは娘可愛さに苦々しげだった父親が、切なそうに、寂しそうに視線を避けているのが、切ないんだなあ。

しかも、その血のにじむような思いをしてゲットした大金が、逆に転がり込む!
古川がこともあろうに無免許運転で捕まって、コトが公けになって、騙し取られたブツが戻ってきたから!
そして若い二人はGPの予想屋を開店。快く300万を二人に戻してくれた社長(冗談で受け取りかけたのを、テーブルクロスを引きずってずらした仁造(笑))が、店でも持って再出発したら、と言ってくれたから、のれんわけでもしてくれるのかと思ったら、予想屋かよ(笑)。
でも、本作よりも予想屋がフューチャリングされた二作目を観ると、当時の競馬、そして予想屋と客との関係、今と違って、人間どうしの信頼関係があったし、外れても恨みっこなし、そんなことは常識、っていうのも大人だなあ、と思った。
今の世でこういうシリーズが成立しないのは、こういう大人の意識、関係が成り立たないほどに、大人が未熟で子供だからだろうなあ、と思う。

社長から押し付けられた床係の芸者が、ガタイも顔もデカくてしかも「お前、ギョーザ食べただろ」「アレ、判った?」てなエロくておおっぴらな場面とか、好きだったなあ。だって、その迫られてマジでイヤそうな顔する谷啓がなんともカワイイんだもん。
かおるが小原と恋仲だと知って「まさかお前……操は守ったのか」と父親に言われ、かおるが心底イヤな顔をする場面、このくだり自体、現代の映画だってなかなか刺激的だと思うけど、当時の流行歌に乗せて、♪二人のため、ホテルはあるの と外野が歌うのには爆笑!そりゃあ、おやっさん、気をもむよなあ!

オープニング、何分割にもされた画面に次々に映し出される馬を、視線を上下左右ナナメに移動させて眺めやる谷啓、といった、スタイリッシュかつユーモラスな演出にまず笑わされ、そして、札束が飛び交う中でヌードの女の子が登場し、札束で大事な部分は隠れたりはするものの、隠れてるかと思いきや、おっぱいはさらりと見せたりして……。
当時の方が、つまらない規制やプライドがなくて、さらりと、女たちはカッコ良かったなあ。あ、その中にカルーセル麻紀様もいらっしゃる……そうか女たちじゃ……いや、女たちだ、まさしく、女たちだよ!カッコイイよ! ★★★★☆


喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん
1962年 95分 日本 モノクロ
監督:今井正 脚本:水木洋子
撮影:中尾駿一郎 音楽:渡辺宙明
出演:ミヤコ蝶々 北林谷栄 飯田蝶子 浦辺粂子 原泉 村瀬幸子 岸輝子 東山千栄子 斎藤達雄 渡辺篤 織田政雄 左卜全 中村是好 清水金一 杉寛 小笠原章二郎 山本礼三郎 柳谷寛 殿山泰司 上田吉二郎 菅井一郎 十朱幸代 五月女マリ 関千恵子 市原悦子 沢村貞子 三木のり平 渡辺文雄 渥美清 小沢昭一 木村功 田村高廣 伴淳三郎

2010/6/10/木 劇場(銀座シネパトス)
喜劇、という冠をかぶせてはいるけれど、ものすっごい社会風刺で、スゴい映画。
もしこれを単独で観ていたら、この監督の手腕だと思っていただろうけれど、なんといっても今回はこの凄腕女脚本家、水木洋子の特集としてのそれだからさあ……本当に、今回の二本は、一見喜劇の装いを着せているから余計に凄かった。

そりゃあさ、お婆ちゃん二人を主人公に据えた、それ以外にも沢山の老人が出てくる物語じゃ、パッケージ的には地味だし、喜劇と冠して、お婆ぁちゃん、なんて小さな“ぁ”を入れたりなんかして、ちょっとポップな気分でも出さなけりゃ、観客がついてこないかもしれないという危惧はあったのかもしれない。
でも、観てみると、まあこれがシンラツなこと!ていうか、現代でも全く解決されていない、高齢化社会の問題がもうセキララに、見ていられないほど辛く描かれているのが凄くて。

高齢者をないがしろにするのは、決して今の時代の若者たちが老人に接する機会がないからだけじゃなく、もうこの頃から、というかおそらくいつの時代も、自分たちが自由に生きるために若者は、いや30代や40代の大人世代でさえも、自分が世話になったことも忘れて彼らを捨てるのだ。
そう、まさにいつの時代も姥捨て山があるんである。

だって本作はさ、あれはハッピーエンドとしちゃっているのかもしれない。今の時代は幸せに暮らせるところがあるのよ、私も友達の入る老人施設に行く、あそこは楽しく暮らせるよ、というラストにしちゃっているところなんだもの。そしてそれが、あながち間違ってもいない、みたいな雰囲気になって終わることが更に凄いんだもの。
あるいはあの時代は、そうした高齢者のための施設が向上した時代なのかもしれない。それこそ姥捨て山のようなイメージだったのが、明るく若いスタッフたちに囲まれて、楽しく暮らすところ、みたいなさ。
でもそう思って、友達もいるからとそこに行きたいと願ったサトおばあさんだけれど、そこから飛び出したくみおばあさんは、そここそがイヤでイヤで飛び出したのだ。

彼女が回想する老人ばかりの生活、殊更に楽しげにあおってムリヤリフォークダンスなぞさせる若い男性スタッフのドアップは、慇懃無礼とはこのことかっていうね。
しかも若いってことがさ、彼らを実は心の中でイラッとさせているのがアリアリと判って、また絶妙なストップモーションの使い方をするのよね。あんが、という表情でステップの途中に天を仰ぐサトさんと相手の男性、そしてネガの反転のように白黒が裏返ってその回想から戻るのも印象的。
そう、キッカケはドラ焼きを盗み食いしたという濡れ衣をかけられたことだったけれど、いろんなことが積もり積もったに違いないのだ。

てなわけでくみおばあさんはその施設から飛び出したんだけど、一方のサトおばあさんは、息子夫婦のところから飛び出したんである。
後に彼女が帰ってからの描写でたっぷりと描かれるんだけれど、まー、絵に描いた様な鬼嫁と、優柔不断で、でも決して母には味方してくれない、苦々しい顔でメイワクげな息子と、っていう、あんな中で生活するなんて、そりゃーゴーモンに違いない!
でもね……ある意味、あそこまで自分の不満をまっすぐにぶつけてくる嫁っていうのは、まだコミュニケーションが取れていると言えるのかも、まだやりようがあるのかもとも思わせる。

そりゃあ、とにかく自分自分で、「どうせ私が悪いんですよ!」としまいには逆ギレするという手のつけようのなさではあるけれど、ただ、もしこれを嫁の立場から描いたとしたら、全く違って見えるだろうなと思うのは……。
やっぱりさ、狭い間取りに、おばあちゃんが入ってくるっていうのがムリがあるのよ。三世代暮らすのは理想だけど、でもやはり日本の手狭さがこうした問題を生み出し、核家族化を加速させたのは致し方ないと思う。
現代ではこんな問題さえも遠い過去で、もうおじいちゃんおばあちゃんは田舎や施設に遠く暮らしている、というのがフツーになっちゃって、こんな厳しいコミュニケーションすらとれないんだもの。

ま、そんなことが明るみに出るのは、物語も進行してからである。本作の成り立ちは、二人のおばあちゃんが偶然出会い、道行きをする、つまりはロードムービーなのよね。
出会いは浅草の仲見世。レコードショップで船木一夫の三度傘に合わせて踊り出して意気投合。
最初はさ、お互いウソをついているのだ。ウソというか、今の境遇より昔の話をしていただけだったのかも、つまりは見得を張っていたのかもしれない。あくまで、悠悠自適の生活で、ちょっと遊びに出てきたのヨ、という雰囲気だった。
浅草なんていう、目も回るような都会で、腰の曲がった小さなおばあさん二人は、街のチンピラに転ばされてヒドイ言葉を浴びせられたりもするんだけれど、くみおばあさんが、私はナントカ親分さんに顔がきくんだよ!とタンカを切ったことから、偶然行き会った若い女の子、昭子が「カッコイー!おばあちゃん!」と感心して、二人を自分が勤める焼き鳥屋に招待するのね。

演じる十朱幸代、カワイイ!!!この子だけが、本作の中での救いだったなあ。「私、おばあちゃん子だったから」と言うだけあって、二人に対しては最後まで理想の孫のような、救いの存在であり続けるのだ。
二人から船木一夫のレコードをもらい(あげたことを一度忘れて、返してほしいそぶりを見せるあたりがまた老人描写のシンラツさ……)「悪いわあ」と、その罪滅ぼしのような形で、大きな蒸し鶏やらビールやらをご馳走する。
この子はね、確かにちょいと詰めの甘いところはあるけれど、でも本当に、おばあちゃん子だった、というのが判る、イイ子なのよ。

映画でも観たら、帰りに寮に寄ってよネ、と言って昭子。行く当てのない二人はウッカリ警官に保護されそうになり(というまでの経過にはスゴイことがあるのだが)苦し紛れに彼女を孫だと偽って夜遅く寮を訪れる。
彼女は驚きながらも、ちょうどあのレコードを聴いて、これを慰安旅行の出し物にすることを話してたのよ、と言い、くみおばあちゃんが踊れるというのなら、じゃあ教えてもらおう!と盛り上がる。
でもね……合流した男子社員が「若者の中に入って雰囲気壊すなよな」「老人って、苦手だよ。目とか黄色く濁っちゃってさ」とか、しかもアリアリと嘲笑を浮かべて言うもんだから、しかもしかも「バカ、聞こえるよ」と、聞こえるの承知で言ってんだろ!
おめーたちの食ってるラーメンは、くみおばあちゃんがお金を出したのに!二人分けて食べてるのを「汚い」とかヒドイことまで言って!!

しかし、これがもう50年近くも前の映画だと思うと、その時、そんな風にヒドイことを言っていた“若者”たちが、確実に言われる側に回っているであろうことを思うと、輪廻めいたことも感じたりするんである。
そして多分、言われる側になると、そんな風に自分たちが言っていたことも忘れてしまうのかもしれない、と。

でもね、救いは……昭子たち女の子は、ひたすら二人を擁護する側に回ることなんだよね。まあそれも、ある意味いたたまれないことなのかもしれないけれど。
ただ、この時代は殊にそうだと思うんだけど、女の子たちはやっぱりまだまだ、社会的弱者だからさ、とてもキャイキャイと若やいで楽しそうだけど、学生ではない、働いている女の子としては、弱い立場ってものをひしひしと感じているだろうと思う。
やはりそれは、女性脚本家だからこそかなあ、とも思う。そんな、ベタな性差など言いたくはないけれど、やはりそうかなあ、なんて。

それにね、昭子だってシンラツなことは言うのよ。焼き鳥屋の二階に上げて、鳥丼や蒸し鶏やビールなどまで振る舞い、でもサトおばあさんが「これは年をとった鶏かい?パサパサしてる」などと言うもんだから「そんなこと、言われたことないわ。そんなこというから、嫌われる世代なんて言われるのよ」と直截に言っちゃう。サトおばあさんは覚えずヘコんでしまうんである。
それ以降はその言葉を殊更に気にする……確かに昭子はあまりにストレートに言い過ぎたかもしれないんだけれど、ただ、そのことを知ることもまた、必要なのかもしれないんだよなあ……あの男子社員のようにコソコソ言うよりよっぽどいいもの。

ていうか、ここまで筋を追うのに気をとられていたけれど、なんといっても本作は、この二人のおばあちゃんのキャスティングの妙に他ならない。
本作を観たいと思ったのは、サトおばあさんを演じるミヤコ蝶々にあったんだけれど、彼女は言うに及ばず、その道行きを共にする北林谷栄のインパクトの強さときたら、ミヤコ蝶々のオーラをしのぐものがあるんである。
夜になると目が見えにくくなるという、北林谷栄扮するくみおばあさんは、その夜のシーンでの目線が泳ぐ演技も背筋がゾゾッとするほどのリアリティである。
バサバサの短い銀髪にくろずんだ肌(モノクロでも、ミヤコ蝶々のふっくらした色白とは対照的なのが判る)といい、やさぐれ感が怖いぐらいに出ているんである。
入れ歯気味の引っ込んだ口元がひどく老人ぽく、ここまでビジュアルを惜し気もなく出してくることへの女優根性を感じさせる。すげえ、カッコイイ。

そしてミヤコ蝶々は、いくつになっても、そう晩年もこんなふっくらとした頬をしていたな、と思う。きちんと和服を着こなし、やわらかな大阪弁が魅力的な、上品なおばあちゃんで、劇中はどちらかというと、暴走するくみおばあちゃんを抑える役回りである。

でも、二人の目的は一緒なんだよね……そう、実は、死にに来たのだ。施設から、家から、飛び出してきたのだ。サトおばあちゃんの方は、睡眠薬までたずさえていた。
そして二人の目的が一緒だってことが判明すると、じゃあどうやって死のうか、実は意外に睡眠薬は苦しむで、往来に飛び出すのが一番や。列車は鉄だから、痛い、ゴムタイヤは空気が入っているからまだマシ、などと、かたや大阪弁、片やチャキチャキの江戸弁で応酬する。その会話の中身のバカバカしさに思わず噴き出しつつも、でも二人の真剣さに、本当に死ぬつもりなんだということに、身震いするんである。
しかしエイヤ!と飛び出した往来で、車は次々に急停車し、飛び出してきた運転手たちが皆心配してくれて、二人はやむなく、孫といつわった昭子のもとに身を寄せることになったんであった。

しかしそこも辞すると、今度は捜索願いが出ていたくみおばあさんの筋からの追っ手がかかる。
でもここで引っかかってしまったのはサトおばあさん。睡眠薬を持っていたことを昭子が警官に喋ってしまったからである。
そしてサトおばあさんは捕まって息子夫婦の元に送られ、くみおばあさんも自力で施設に戻った。

あのね……この道行きの途中、化粧品のセールスマンとちょっと知り合いになるのよ。彼の奥さんへのプレゼントの反物を見つくろってあげたりする訳。
で、見事な彼の口上に感心して、ちょっと手にクリームを塗ってもらったりしていい気分になったりしてさ、新時代の、幸せな生活の一端を見たような気分になるんだけれど……。
その彼が、交通事故にあって死んでしまった姿を見てしまうのよ。あまりのあっけなさに、二人は呆然としてしまう。それは……ミジメな境遇にうつうつとして、ここまで生きてきてしまった自分をどう振り返るキッカケになったのか。

確かにね、喜劇的な要素はいっぱいあるのさ。くみおばあさんの捜索願いが施設から出されても、ちっともやる気がなく、電話口だけはアイソのいいおまわりさんに渥美清が出てきたりさ。
なんといっても施設での描写は、浦辺粂子やら、殿山泰司やら、バンジュンやら、もうそうそうたるメンバーがクセモノ老人たちを怪演するから楽しいの何の。

こんな場所には似つかわしくない、やたらお上品な言葉を使うのがイヤミなセレブ系おばあさま二人組とか、逆に、進駐軍で働いてたことをハナにかける、やたら英単語を織り交ぜるヤンキーおばあちゃんとか、すっかり自分のカラに閉じこもっちゃってジャージのファスナーを上げ下げして時を過ごすおじいちゃんとか、もうよりどりみどりよ。
なんたってくみおばあちゃんが飛び出したのが「あの人はいやしい人だから、ドラ焼きを盗み食いしたに違いない」なんて説が横行するぐらいなんだから!
聞くだけじゃあまりに微笑ましいんだけど、実際に戻ってきた組おばあちゃんが開口一番「私はドラ焼きなんか盗んでないよ!」と言うのが、可愛くも切実でさあ……。でもこの一件で懲りたんだから、きっとこの後は仲良くやれることだろう!

一方の、サトおばあちゃんである。嫌がらせはもうよしてくださいよ!!と鬼嫁から散々言われ、いたたまれない彼女は、もう一度睡眠薬をあおって自殺を図ろうと思うんだけれど、家族が全員出払った昼間、テレビにくみおばあちゃんがいる施設の誕生日会が中継されているのを見る。
なんて楽しそうなんだろう、友達と一緒に余生を暮らしたい、そう思ったのか、荷物を整え、ビールですっかりご機嫌になって、息子夫婦に宣言するんである。
鬼嫁はまたブンむくれ、息子は頭を抱えながらも、しかし止める様子はないんである……。

幸せそうに、枕もとの風呂敷包みをかたわらに眠りにつくサトおばあちゃん、でエンドなのが、すごいビックリして!こ、こんなエンド、現代の映画ならあり得ないよね!!なぜあり得ないかって……つまり、私ら若い世代が何にも出来ないってことをあからさまにしたままなんて、今は終われないから。
つまりそれだけ今の方が、ええかっこしいなんだろうなあ、と思う。結局は、自分たちが世話になった世代を幸せにしてあげようなんてこと自体、傲慢なことなのかもしれない……。

それにしても、二人のおばあちゃんである。女優として生き抜くというのはこういうこと、と思わせる、老醜なんてなんのそのと吹き飛ばすカッコよさ。その小柄さからは思いも寄らないエネルギー。
スタイルだメイクだと腐心している今の“女優”が、ここまでの境地に到達できるのか。若いなんてさ、カスカスの愚かさだよ。本当に、そう思う。

施設の寮母として働く若い若い市原悦子!イキイキとおじいちゃんおばあちゃんたちを叱咤し、しかしヒマを見つけてタバコを一服するあたりもカッコイー!
しかしその声も口調も、多少今よりスピーディーだけど、今とおんなじなのね! ★★★★☆


狐と狸
1959年 126分 日本 カラー
監督:千葉泰樹 脚本:菊島隆三
撮影:西垣六郎 音楽:黛敏郎
出演:加東大介 小林桂樹 三井弘次 山茶花究 清川虹子 夏木陽介 団令子 草笛光子  三好栄子 南道郎 水野久美 左卜全 堺左千夫 安芸津広 中野トシ子 飯田蝶子 中北千枝子 中村是好 中山豊 上野明美 本間文子 谷晃 千石規子 伊藤久哉 柳谷寛 若山セツ子 東郷晴子 森繁久彌 北川町子 塩沢とき 木匠マユリ 土屋詩朗 多々良純 三條利喜江 上田吉二郎 佐田豊 花井蘭子 織田政雄 河美智子 若水ヤエ子 広瀬正一 清川玉枝 瀬良明 有島一郎 三木のり平

2010/9/30/木 劇場(銀座シネパトス/夏木陽介特集)
尺的にもかなりの大作。大作過ぎて、お目当ての森繁が物語も中盤になるまで出てこない(涙)。出てくればそりゃー、さらりと物語をさらってしまうのだけどね。
もー、女好きで身を持ち崩す森繁にはキュンキュンきちゃう。椿油売りの若い娘のおっぱいを、出会いしなにちょいと触っちゃう森繁にキュンキュン来ちゃうのだわー。
まさに行きずり、一晩の恋で、このプリプリの若い娘としっぽり一晩を過ごすなんてのは、もー、森繁にしか出来ないのだわー。

いやいや、その旅の道連れには、本作の主人公、加東大介が同行していたんだっけ。
タイトルクレジットでは、この加東大介と小林桂樹と森繁がバーンとメイン三人で出てたので、てっきり森繁が出ずっぱりかと思いきや、いつもつるんでいる行商人の三人目は違う男で、演じる三井弘次の立つ瀬がないような(爆)。

しっかし、さあ。そう、この加東大介が森繁とのこのシーンでも、彼もまたもう一人の若い娘としっぽりやる訳でね。
それでなくても彼は全編、宿を取っている旅館の隣の、ゴンドラという飲み屋に勤めている、これまたプリプリの娘とイイ仲で、しょっちゅうイチャイチャする場面が出てくる。
森繁が出ている映画で、森繁よりもエッチな加東大介っていうのがもの凄く意外で、ていうか、加東大介がそんな、若いお姉ちゃん好きの色っぽい役柄ってのがもんの凄く意外で、やたら新鮮だったんであった。

でもね、これが不思議と似合うというか……劇中ではやたらと、風船がふくれたような、などと言われて、決してイイ男などではない、まあ、そりゃあ加東大介だから(爆)。
でもそれでも、こんなに、娘のように年の離れたヒロ子に対しては、まるでティーンエイジャーのように純粋に恋する男子って感じでさ。
ヒロ子もまた、お父さんみたいに思ってる、なんてことを言いながらも、本当にこのおっちゃんを愛しているのが、なんとも愛しくてね……。

しかしヒロ子はなんたって、飲み屋のホステス。ていうか、飲み屋の形を借りた、ちょっと色っぽいサービスもするらしい店なのか、他の客から誘いを受ければアッサリ出かけちゃうあたりのさっぱりさ加減だし。
決してベタベタ、ドロドロではないんだけど、なんていうのかな、すんごくお互いを尊重している感じが、ステキだなあと思っちゃうのだ。それこそ、そんなこと言ったら、日本のウワキ文化?を肯定することになっちゃうんだけど……。

そう、加東大介演じる京太は故郷に妻子持ちで、つまり出稼ぎに来ているといった趣だから。
しかし彼の女好きは奥さんもちゃあんと承知で、もちろん認めている訳じゃないけど、ある意味そんな風に、隠しているつもりでもちゃんと知ってる、判りあっているというのがね、今じゃとっても成立しない、日本の夫婦の絶妙なバランス、あうんの呼吸というか……。

うーん、なんかこういう雰囲気を見ると、確かにウワキは日本の文化かもと思っちゃう??
まあ、加東大介も、ヒロ子と同じ年の娘がいて、その娘の写真を大事に持っている描写が出てくるあたり、ちょーっと逃げを感じなくもないけど(爆)。
でもこういう夫婦や家族の関係って、ホント今じゃとっても成立しないよな……と思う。

ていうか、そんなことはあくまでこの作品のスパイスであって、メインは、騙し騙されの詐欺まがいの行商人稼業のスリリングなんである。
この尺は、あらゆる場所で口からでまかせ、ウソ八百のタク(だったような……違ったかな。いわゆる口上のこと)を披露する彼らの様々なエピソードにたっぷりと割かれ、そのじっつにスリリングな綱渡りこそが、面白いんである。

せっかく大学を卒業しようというのに、就職難で、叔父の京太を頼ってこの稼業につこうと修行している若い三郎が、いわば観客の目線となって、このオドロキの世界を体験していく、っていう趣向なんである。
この三郎を演じているのが、今回特集を組まれている夏木陽介で、恐らく多くの人と同じように、私も彼に対しては青春ドラマのイメージしかなく(いや、見ていた訳ではなくて、単なるイメージなのだが)なんか今回の特集は、いろいろ面白そうだナという思いなのだった。

本作に関しては(この日観た、もう一本もそうだけれど)、そのイメージを継承する感じの、なんというか、いい意味で世間知らずの、だからこそ知っていく世間をとにかく肯定的に捉えようとする、もう見てるだけでもまぶしい青年で(爆)。
今のくたびれた大人の私なんかから見ると、現実の夏木氏がもうすっかりおじさまだということも忘れて、やけに羨ましい気分になってしまう(爆爆)。

彼はおじさんの京太が行く先々で見せる、詐欺まがいのウソ八百に目を丸くするんだけれど、それが社会だと、これまた青年らしい捉え方をし、ボクは社会を知らなさすぎた、みたいに頭を垂れるのが、実に青年!なのだよなあ。
彼にはちゃんと恋人もいて、しかし就職出来なかったこともあって長い間会っていないんだけど、ある時偶然、営業研修をしている最中の彼女と再会する。
彼は今やっている仕事を若干恥じながらも、しかし生きていくために働いているんだから、何も恥ずかしいことなんてない、という彼女の言葉に、自らをきちんと見つめ直す。

一方で、しかし、彼女から、一緒に暮らしてお金を出し合えば、東京で頑張れるんじゃないかと、逆プロポーズのようなことを言われて、一度はこの稼業から足を洗おうとするんだよね。
つまり、自分は逃げていたんじゃないかと、きっと思った部分があってさ……。
でも、彼はこのままではまだ一人前じゃないと、物語の最後では全てを失った叔父さんの、再起にかけるしぶとい生命力に感動して、人生勉強を続けることを決意するんである。

おーっと、夏木陽介で書いてたら、思いっきりオチまで言っちゃったけど(爆)、だから、バイ(行商)のスリリングさこそが、この作品の面白さなんだよなあ!
彼らが扱っているのは、背広やオーバーなどの洋服。まだこの時代は、地方ではこうしたものを買いに行くことが不便で、行商というスタイルが確立していた、ということだろうな。
実際、本作を見ると、今じゃ絶対見られない日本の古い農村スタイルというものをリアルに見ることが出来る。
今みたいにネットやら通販やらが普及してないのは勿論、街や店も郊外まで発達していない時代。
しかし近代社会に入り、貧しいイメージばかりだった農村は必ずしもそんなことはなく、ちゃんと使えるだけのカネは手元にあって、時間と場所がないから使えていないという雰囲気でね。

そこを突いて行商人たちが売りに来る。全ての行商人がそうではなかっただろうけれど、京太たちは化繊を純毛だと騙して買わせるクチな訳よ。
かといって、農民たちもただ騙されている訳ではなく、端っこから糸を引っこ抜いて燃やしてみて、煙の匂いから化繊か純毛か判断するワザを持ってたり、新米行商人の三郎から、彼が便所に行ったすきにオーバーをかすめとったりなんていう手癖の悪いヤツまでいたりする。

何よりこの物語の冒頭、訛りのキツいオバーチャンが、騙されて買わされたでよ、と京太の投宿している宿屋の玄関で、とうとうと語って踏ん張っているシーンが強烈なのだ。
それが故で三郎はなかなか中に入れないんだけど、じっつに農民たちのバイタリティがカッコイイんだよなあ。
そこが、タイトルにもなってる狐と狸、京太たちと彼らがまさにその化かしあいをやっている、つまり対等なんだよね。決して、下に見ていない。対等の、真剣試合。

しかしだからこそ、最後は、仲間に足元をすくわれる、なんていうフェイントが待ち構えているんだけれど……。
森繁扮する昔からのバイ仲間、丹平に、どうしても落としたい女がいるからと、大バクチを売ったバイの金を半分、持ち逃げされてしまうのだ。

そもそもそんなことになったのは、京太が上手く儲けたことで気が大きくなり、仲間の配当分を含めた金を持って、ヒロ子と共に競輪に出掛けたからなんであった。
正直、競輪に出掛けた時点でイヤな予感はしたけれど、競輪自体は大当たりして、元手を大きく増やすんである。
そこに、同業者からバイを持ちかけられて、聞き慣れたタクに、いや俺は同業者だからよ、まあ気張り名よ、と軽くいなしてその場は別れる。
しかし大金を持っていたことを知られたその同業者から、金をスリとられてしまうのだ。しかも、バッグをカッターか何かの刃物で切られて!(だよね?切れてたところから、お金がなくなってたんだもん)それに気付かないなんて、どんだけ賭けに熱中してたんだよ……。

そんな訳で、ここは大バクチに出るしかないと、ありったけ仕入れてある村に出かけ、倒産したデパートの流れ品だよと、売って出たんであった。
思いがけず村長がその話に乗って、売上金の一割をよこす替わりに、村民全員を集めようと言ってきたことから、事態は大きく動き出したのだが……。

ていう、クライマックスに行く前までもね、いろんなことがあるのよ。
私ね、このバイ仲間の中でも、小林桂樹が演じる、常に罪悪感に囚われている吾市が、すんごい印象的だったんだよね。
彼はね、バイが上手く行った夜は、かならず悪夢を見るんだという。騙された相手が追いかけてくる夢で、汗びっしょりになって目が覚めると。
実は彼は、三郎と同じく大学出で、小説家志望だったという。でもそれでは妻子を養えないと、この稼業に飛び込んだ。
大学の学問なんて、生きていくためには何の役にも立たないと、彼は言う。

それは、京太たち、ナマな現実社会の最前線で働いている行商人が口にする言葉ではあったんだけど、この吾市もまた行商人ではあるんだけど、三郎の通ってきた道だけに、より切実な、切迫な、説得力があるんだよね。
京太たちの言うそれは、やっぱりどこか、冷めた見方というか、見下しているとまで言うのもナンだけど、大学出のおぼっちゃんは所詮食ってくってことを判ってない、みたいな感覚はやっぱりあって……。

大学に行く目的は人それぞれ、様々あるだろうけれど、見た感じ、三郎と吾市はそのマジメ一徹な感じがよく似ていてさあ……。
この稼業に飛び込んだ理由も、その稼業についての考え方もよく似てて、そしてそこから一度は引こうとする理由もまた、よく似てるんだもん。
つまりは、愛する者のために、生き直してみよう、っていう、ね。

もう一人、これは女としてはかなり切なかったのが、清川虹子演じる、お玉後家である。後家ってんだから、夫を戦争で亡くしている。
その夫というのが、京太の親友で、お玉をこの稼業に世話したのは、親友との絆があったればこそなんである。

理の当然というか、お玉は京太にホレている。それはきっと京太も気付いていただろうけれど、決して口にはしない。
ていうか、お玉の恋心は割と仲間にもバレバレで、意を決したお玉が京太に言い寄る場面もあるんだけど、親友の女房に手を出すなんてことだけは出来ないと、女好きのクセにそこだけはストイックにキッパリと拒絶するのね。

それだけでも切ないのに、ほどなくしてお玉の妊娠が発覚、勿論、関係を持つ訳ない京太のタネである筈もない。
明確にはされなかったけど、どうやら行きずりの男のタネであるらしく……お玉さんの年齢から言うと、もしかしたら彼女は、妊娠してしまったこと自体が予想外だったのかも知れない。

その直前の場面でね、お玉さんはすんごいカッコイイ見せ場があるのよ。ニセモノを掴まされたイレズミ入った男たちから怒鳴り込まれるの。
おじけづく京太たちを尻目にお玉は、情けないねえ、と腕まくりして矢面に立つ。

そんなサギ行商人は警察に訴えるべきだとけしかけ、スネに傷を持っているであろうイレズミ男たちを逆にひるませて、見事に追っ払うのね。
いやあ、さすがはお玉さんだと男たちに持ち上げられた直後のこの騒ぎ。
お玉さんはね、女の顔になるのだ。京太に、一緒に病院に行ってほしいという。
それは口説いているんじゃなくって、てて無し子をはらんだと思われたくない、この時だけでいいから夫になってほしい、という、切実なる願いだったのだ。

……こういう形でしか、京太に夫という形を迫れない切なさ、いやそれ以上に……こんな形で妊娠してしまったとはいえ、母親という選択肢を選べない、母親の顔より女の顔になる切なさ。
そしてその女の顔も、こんな風にホントに刹那なことでさ、切なくてさ……。
麻酔が効かないから押さえてくれ、なんて京太に手伝わせるボロい怪しげな病院で、処置が終わって、待合室のソファに横たわったお玉さんが、京太に手を握ってほしいと言い、むせび泣くのが、もう切なくて切なくてたまらないんだよね。
親友の妻だからと手を出さずにいた京太は、手を握ることすらふとためらう雰囲気なのもさぁ……。

さて、話を戻すと……。倒産したデパートの流れ品だと大バクチを打ち、思いがけず村長が売上金をまず立て替えて支払ってくれたもんだから、いち早くトンズラした彼ら。
しかしそれが当のデパートの社員が居合わせたことでニセモノだとバレ、村民が追いかけてくるクライマックス。
その前のシークエンスで、三郎が初めてバイに成功したのがこともあろうに警官の奥さんで、踏み込まれる前にと一度河岸を変えた場所で再会したのが、森繁扮する丹平だったんであった。
で、丹平が、この時京太に品物を借りて行商した恩義を返しに、この場に駆けつけ、売上金を一時、預かるんだけれど、先述したように、半分持ち逃げしちゃうのね。

しっかしこの場面は、相当にスリリングである。村長を巻き込む、探りあいの話し合いもドッキドキだったけど、村民を集めるために、浪曲の得意な仲間をセンセイなどと言って仕立てて、その最中に逃げ出す算段が出来る目配せのやりとりなんて、もうハラハラ!
田舎だからなっかなかバスが来なくて、そうこうしているうちに加勢に来た丹平が反対周りのバスで到着してね、お金を預かる訳。

で、村民が追いかけてきて、バラバラに逃げる彼ら、京太はその最中に火事に遭遇しちゃう。
それを、見逃せないのよ、京太は。加勢に飛び出しちゃう。こんな騙しの商売やってるのに、人情に厚いのよ。しかし、丹平に金を持ち逃げされるなんていう、仲間の裏切りにあっちゃって……。
でもね、それを丁寧に達筆の手紙にしたためて、どうしても惚れた女を取り戻すために必要なんだと、いつか必ず返すと、しかも金は全額ではなく半額だし、そんな風に律儀に事情説明をしてくる丹平、いやさ森繁を、やっぱり憎みきれないんだよなあ……。

んで京太は、この金は必ず取り戻す。北海道に行ってみようと、仲間たちに持ちかける。雪が深かった今年は、きっと北海道の農民は出かけられずに金を溜め込んでいる筈だと。
しかし、再三の失敗にあって、仲間たちも家族や生活があるからと、一度は離れかけるのね。

そこで思いがけず、自分はついていくと言ったのが三郎で、彼は恋人と新たな生活をスタートするために東京に戻るつもりなことをずっと言い出せずにいたんだけれど、叔父さんのへこたれない姿に、考えを変えるんである。
このしぶとさ、この生命力。それは今の自分にないものだと。それがなくて東京に戻っても、きっとやっていけない、それをしっかり学んで、一人前になってから、彼女の元に行くと。<p> それを聞いて、一度は離れかけた仲間たちも、次のシーンでは吐く息も白い、北の大地、その中でも一見して寂れた村に足を踏み入れている。さあ、今度の勝負こそ、勝つぞ!と。

ニセモンを掴ませている訳だしさ、つまりはサギなんだけど、劇中、お玉さんが降り立った村で、かつて彼女が売りつけた反物で仕立てた花嫁衣裳を着て、川をゆっくりと下っていく花嫁さんを乗せた船を見送る場面があるのね。
お玉さんはあの時売ったものだ、とヒヤリとするんだけど、とても幸せそうな花嫁さんの表情に、一緒にいたバイ仲間も、幸せそうじゃないか、と言い、お玉さんも、お天気で良かった。雨が降ったら、あの布はちぢんで台無しになってしまう、と、目を細める。

確かに彼らが売ったものはニセモノなんだけど、最後まで騙されて“くれて”、こんな幸せそうな様子まで見てしまったら、それは本物になったってことなんじゃないのかなあ。
なんかね、本物だからって、豊かになる訳じゃないじゃない。まさに三郎はニセモノを売る叔父さんの商売に本物を見た訳だし……凄い、深い要素があるなあ、と思っちゃうのよね。
この豪華キャストに夏木氏が、学ぶことが多かった、というのも、すんごく、頷けちゃう。 ★★★★★


君と歩こう
2009年 90分 日本 カラー
監督:石井裕也 脚本:石井裕也
撮影:高木風太 音楽:今村左悶
出演:目黒真希 森岡龍 吉谷彩子 渡部駿太 勝俣幸子 中村無何有 前野朋哉 とんとろとん 稲川実代子 潮見論 藤川俊生 宮川浩明 李鐘浩 佐藤貢三 北口裕介 福西重夫 福岡佑美子 菅間勇 石崎チャベ太郎 小林万平 桂都んぼ

2010/5/25/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
「川の底からこんにちは」を観てしまえば、そしてその作品とほぼ同時進行で撮られたのだと知れば、そりゃー、観たくなるに決まってる。
久々に、才能があるというのはこういうことだと、一発で確信を持って感じた新鋭監督さん。自分のカラーに揺るぎないものがあるってことが、たった第一作でハッキリ示せる人っていうのはなかなかいるもんじゃないと思う。
それはね、作品としての面白さとか、完成度とか、そういうのとは違うところにあるんだよね。あ、もちろん、とても面白かったしとても完成されていたけれど、でもそういうのは、作り続けていればある程度左右されるものだと思うし……。
やっぱり、この人の映画だ、と一発で判るようなカラー、しかもこの人の場合はそれが実にさりげなくて、強烈に押し出している感じもしない。かといって洒落てるとか垢抜けているという訳でもなかったりして(爆)。

オフビートと言ってしまえば簡単なんだけれども、今のご時世オフビートもハヤリの一つで、わざわざオフビートを作ってます、っていう映画ははいて捨てるほどあって……そういうのって、ホント気持ち悪いのよ(爆)。
不思議なことにね、オフビートが似合う役者さんであっても、やっぱりそういう作品となると、気持ち悪いのだ。オフビートっていうのは役者ではなく作品の力であり、演出の力なんだよなあ、と思うのはそういうトコであって……。
「川の底から……」にも、そして本作にももちろん、そうした力ワザを感じたんである。

そのオフビートを担う主人公二人。ヒロインの目黒真希は……「こぼれる月」のヒロインでデビュー?あの作品のヒロインは岡元夕紀子じゃなかったっけ……なんかあんまり印象が薄いというか、正直それ以降彼女を見た覚えがない……そうか、あの作品はもう、7年も前になるのかあ……。
なんか神経症チックな感覚は強烈に残っている作品だったが、あの頃確実に20代であったであろう彼女もいい感じに年をとり、男子高校生と駆け落ちするのが「世間的に見れば、誘拐じゃない」とためいきをつくような年齢になってしまった。
でもその男子高校生、ノリオにしてみれば彼女は唯一無二の女性であり、「先生、食べてる時、キレイっすね」と見とれるぐらい、ホレちゃっているんである。

ああ、でも、どうなんだろう!?だってさ、ノリオは童貞君なんだもん!なんでそれで駆け落ち!?ていうか、この女教師との駆け落ちした先で出会った、“犬のウンチが拾えないお姉さん”の「私のウンチを拾って(はぁと)」てなミエミエの誘惑に乗っかっちゃってさあ!
「障害者用トイレって入っちゃいけないんだと思ってた」「私、障害者だもん。すぐエッチな気分になる障害」「いや僕、お姉さんのウンチを拾いに……」
というもうバッカバカしい展開で、こともあろうにこのエッチな姉さんに童貞を奪われてしまう。
って、だったら女教師、明美と男子高校生、ノリオの関係は、何なの??

最初のうちはさ、ホントに二人がマジで駆け落ちしてきたのかなと思ったんだよね。
でもどことなく奇妙な雰囲気は、常に流れてはいたんだよな。駆け落ちの用意をしてきたノリオに明美は「本当に完璧にしてきた?シャンプーとリンスとボディシャンプーは入ってる?」などと修学旅行の用意かっ!てな脱力だし。
しかもノリオが学生服で逃亡することに呆れた明美に、彼が返した台詞ってのがさ「だって制服が一番身体のラインが出るから」
なんだそれ!てか、そこに直球で突っ込まずに「だからってなんで制服なのよ」……じゃなくてー、身体のラインでしょ、まず突っ込むべきとこは!

まあ、そこも後に突っ込みはするけれども、そんな具合に明美もまたどうにもズレてる女なんだよね。
大体、マスクをしてればごまかせるっていうユルい考え方からしてなんか幼稚だし、東京に出てみたら何より彼女が一番動揺してて「大丈夫、先生前に一度来たことがあるから」一度だけかよ!
しかも、「疲れた、安らぎたい。川が杉並にある筈」渋谷に出てきていきなり杉並って……。そしてその“川”はやはり都会の中を走る川だから、安らげる訳もなく心底落胆するあたり、とても教師とは、ていうか、大人とは思えない。

でも彼女はずーっとノリオに対して頑張って大人ぶるんだよなあ。「先生は大人なんだから、お金持ってるの」という、まるで成立しない論で彼を黙らせたって、エステやジムに通っているなんて言ったって、そんな底の浅いウソ、いくら童貞の(いや、童貞は関係ないが……)ノリオにだってすぐバレちゃうに決まってる。
教師しかやったことがないであろう彼女が、カラオケ屋のバイトでまるで使えない様は(しかし店頭でのあの奇妙なダンスは意味が判らないが……)あまりに痛々しすぎる。
バイトの女の子からは「オバサン!ちゃんとやれよ!」と罵倒され(まあ、罵倒されるのも仕方ないほど使えないんだけどさ)、店長からも超冷ややかな目で見られる毎日。

そもそも、二人はなぜ駆け落ちしたのか?
だっておいおい判ってくるけれど、二人には男女の関係は最後までなかった。ノリオは先生のことが本当に好きで、自分のことを男として見てほしいと願っていたけれど、それだって童貞君ゆえの切なる願いってだけだったのかもしれんしなあ……。

ノリオが童貞君だという事実は、実に切なくも可笑しく明らかにされていくんである。
彼には悪友が二人いてね、ノリオが明美に指示されて「俺の捜索願い出てる?」と公衆電話から“40秒以内”でかけてくる場面。ノリオがどこぞに行ったのかなんてまるで心配もしてない二人は、ストッキングに綿を詰め込んでアソコの部分に刻んだコンニャクをセットした、まあ……あまりにもお粗末な、ダッチワイフというにもダッチワイフに失礼なズリアイテム相手に奮闘中なんである。
ノリオからの電話に気をそがれた童貞二号は「集中出来なかった」とイキそびれ、その様子を息を飲んで見つめていた童貞三号は「なんだよ、それー!!」とさも悔しげにひっくり返る。
いかにもバカバカしいにきびくさい男子高校生の模様なのだが、しかし、後に明らかになるんだけれども、この二人はいわば……ノリオを見捨てたんであった。

ホントにね、徐々に明らかになるんだけれど、これがかなりシリアスな話でさ、ノリオの両親は揃って首を吊って死んでしまったのね。
それまではフツーに仲良かったであろうこの二人の友達なんだけど、ノリオの部屋で童貞を捨てよう!と(いや……ストッキング相手じゃ童貞は捨てられないって……)意気揚揚と訪れたそのノリオの家が、……もう見るからに痛ましいほどのボロアパートで、二人は尻込みしてしまう訳。
「俺んちがボロだから入るのがヤなんだろ!」とまんまなことをノリオから言われても、いや、そんなんじゃない、ちょっと用事を思い出したとか、ありえないぐらいワザとらしいウソをついて、さっさと逃げ出すんである。
しかも彼らは、外見上はノリオとどっこいかそれ以下ぐらいにイケてないのに(爆)、ノリオが極貧だと知った途端にありゃあねえだろ、とあからさまに遠ざけてしまうんである。

……と、こう字に起こすとヒドいんだけど、いや、実際ヒドいんだけど、結局は三人は友達であることは変わらないらしい、あたりがスゴいんだよね。
あのね、ノリオは両親が自殺しちゃったことで学校を辞めざるを得なくなるし、当然二人とも距離が出来てしまう。もうにっちもさっちもいかなくなって、もうオレも死んでしまおう!と橋の上から飛び降りようとしちゃうのだ。

その場面にね、この悪友二人が行き会ってさ、あれ、あいつ飛び降り自殺しようとしてるよ。ムリもないよな、両親が死んじゃったんだもん、でも、あの浅瀬じゃムリじゃないの。あ、こっち見てるよ。かわいそうだから手ぐらいは振ってやろうか、と今自殺しようとしてる友人に対して(まあ確かに……あの底が見えるぐらいのせせらぎに飛び込んだってせいぜい足をネンザするぐらいだわな)手を振ってやろうか、はないんでないの!
しかし、遠くからゆるゆると手を振るこの友人二人に、ノリオはあ……みたいな感じでゆるゆると手を振り返すのよ!なんかもう……あまりに切なくも可笑しくも、悲しくてさ、落ち着いて考えてみれば彼の心情はホントに深刻なんだけれども。

ノリオを“駆け落ち”に連れ出した時にね、明美は「逃げろ!」と叫んだのよ。その時は、事態を察した追っ手がついてきたのかと思ったのだ。でもそんなの全然なくて。
後から判るんだけどね、明美は駆け落ちはこれで二度目、しかも一度目の時に赤ちゃんが出来て、今はその子供とは離れ離れという過去を持っていたのだ。
そんな“駆け落ちエキスパート”の彼女の持論は「逃げるのなら前向きに逃げなさい。後ろ向きに逃げるんじゃないの」ノリオはまさに、後ろ向きに逃げようとしてたのだ。あの橋の上から飛び込もうとしてたマヌケな自殺未遂なんかではなく、両親が首を吊った場所で同じように首を吊って死のうとしてた。

そこにバン!と入り込んできた明美は、一時宙吊りになってバタバタするノリオを冷ややかに見ていた。そして言ったのだ。
「辛いなら、逃げればいいのよ。でも逃げるなら前を向いて逃げなさい!後ろ向きに逃げるんじゃないの!」
これって何気にいい言葉だよなあ……。そんなわけで、その“前向きに逃げる”ことに先生が付き合う形で、二人は東京へ逃避行してきたんであった。

劇中でね、印象的に繰り返される言葉があるのよ。それは、臭い、って言葉。
緑豊かな田舎から鈍行列車に揺られて、東京は渋谷なんていう目も回るような大都会に出てきた二人は、まず「東京って、臭いな」という感慨で一致する。
しかしその一方で、あの安っぽいダッチワイフもどきで童貞を捨てる(だからそれは童貞を捨てることにはならないって……)ことに熱中している男子二人は、コンニャクを詰め込んだアソコをかいで「臭いな」と顔をしかめる。

……なんかね、これってさ、渋谷のくだりだけ聞けば、都会に憧れて来たくせに勝手なことを言って、やっぱふるさとがいいワ、なんていう風にも聞こえるんだけれどもさ。
でも、一方女の子とマトモにしゃべったこともないであろう田舎の男の子がセックスだけに頭いっぱいになっちゃって、あんな足だけの、しかもモコモコのコンニャクのアソコでもいいと思っていたくせに、アソコの本当の匂いも知らないくせに「臭い」っていうのがね……ホンモノはもっと臭いかもしれないのに(!!)
でも、そのホンモノの匂いの先に、そんなこと関係ないぐらいの、吹き飛ばすぐらいの、すんごいステキなことが待っているのも知らずにさ、ただ、憧れるだけなのだ。憧れに行きつく前に、排除してしまうのだ。それこそ女の子も、友達も、憧れの都会も、命さえ。

なあんて、ね。シリアスになるのもハズかしいぐらいに、素晴らしくオフビートなんだけどね!
ノリオがうっかり欲望に負けて、大好きな先生に捧げる筈だった童貞を“ウンチを拾う”つもりのお姉さんに嬉々として差し出しちゃって、悔しさか情けなさかそれとも純粋に哀しいのか、事情も知らない先生の前で号泣しちゃうのには爆笑しちゃったよなあ!

それに何より、ノリオが図書館で出会う、こましゃくれた小学生とのエピソードが大秀逸。お父さんが自殺してお母さんは出ていった、という境遇に自分と重ね合わせるノリオ。
大体がノリオが何で図書館なんかに行っているのかというと、明美からとにかく勉強しなさいと。私はお金を持っているんだから、あなたは勉強だけして弁護士になりなさい、ともうそれだけの一点張りだったからなのだ。

正直ノリオは、もう見た目からしてとても勉強が出来そうにないし(爆)、本人もそれはムリだよ……と何度も先生に言いかけるんだけど、押し切られちゃうのだ。
で、この図書館で出会う男の子もまた、お母さんから弁護士になれと言われ続けていたと言い、そのお母さんは今は出て行ってしまったという。
そもそもノリオは、明美に子供がいること自体をかなり後になって知って衝撃を受けたのだが、その年齢も、弁護士になれという口癖もピタリ同じ!これは奇跡が起こったよ!と意気揚揚のノリオは先生へのプレゼントだと意気込むんだけど……。

ていうエピソードのほかに、もうひとつ大きなエピソードがあるんだった。あーもう、結構大変な話だな!
明美がバイトしているカラオケ屋の同僚の女子高生、激しいつわりの相手は同級生だという。「東京は凄いな」と明美のバイトを突き止めるために店に押しかけたノリオが感心したように言うと「そう、凄いのよ」と彼女は悪びれもせずに返す。
母親からは中絶しろと強硬に迫られている。それがあなたの幸せなのよ、とスゴい顔をして娘を説き伏せようとする母親は、言葉だけ聞けば確かに親としての気持ちは判るけれども、かつて子供を身籠って生んだ母親と思えば、こんなヒドい言葉はなくてさ。
娘が産みたいという言葉を聞いたなら、その時の気持ちをせめて思い出してほしいと思うけれども、やはり世間体なり何なりという世俗にまみれてしまっているんである。

いや、勿論彼女は、娘のことを真摯に思っていると、自分では思い込んでいるんだろうけれど。いやいや、確かにこの“父親”である同級生を見たら、この母親の気持ちも判るなあ(爆)。
避妊とかしなかったのかと、“駆け落ちエキスパート”として相談を受けた明美が問うと「ナマの方が気持ちいいですから」と想定外のコメント!
「ナマの方が気持ちいいのは当たり前よ!それでも子供が出来ないように避妊するんでしょ。それが文明ってもんでしょ!」
明美のキレ方はチョイとおかしいような気もしないでもないけど、判るなあ、全面賛成。

女の子の方はなんたって身籠っているんだから、母性も満々で産む気満々なんだけれど、この男の子、いかにも冴えない男の子、オメーが「ナマの方が気持ちいいから」避妊しないなんて言うなんて、死刑だ!とかつい思ってしまう(ヒドい言い草だ……)。
この男の子が、豪華客船まで使った逃避行の末まで、この彼女を守ってくれるかどうかはすこぶる疑問なのだけれど、“子供を産みたい”というこの女の子の気持ちに寄り添った明美さんは、ステキだったなあ。
そして、子供と離れ離れになった過去を吐露して涙した彼女の背をさすった女の子も、そしてそして、先生の思わぬ過去を知って動揺したノリオの背をさすったこの男の子は……オメーはそんなことする資格ねぇ!(しかし爆笑!)

でね、そう、ちょっと話が戻るけど、ノリオはあの図書館で出会った男の子が明美の息子だと思って、こんな奇跡はないって思って、何よりのプレゼントだと、二人を会わせるんである。
てゆーかさ、その前からこの男の子がなんともトンチンカンでさ、野球ファンで、なぜだかノリオを某球団のアベ選手だとカン違いする。似てるかと思いきや似ても似つかぬ、マギー史郎のようなヒゲに時代遅れなデカイ眼鏡のオッサンである。

最初からヒゲもメガネもなかったのに、この子は会うたびごとに「今日はヒゲは生やしてないの?」「めがねは?」と問いかけ、その度にノリオは「……今日はちょっと!」と……別にさあ、最初に人違いだって言っちゃえば良かったのに。そんな思うほど傷つかないと思うけどなあ……。
でもノリオは今まで、思いを裏切られて傷つくことが多すぎたんだなあ、きっと。だから一生懸命期待に応えようとするんだなあ、きっと。
弁護士なんて絶対ムリなのに、そんな先生の言葉に応えようとしたのは、期待を裏切って、嫌われるのが怖かったことも、先生が好きって気持ちと同じぐらい、大きかったと思う。

結局はね、結局、この男の子は明美先生の子供じゃなかったし、二人は最後まで男女の仲にはならなかったと思うし……。
数年後にパンと飛んで、あの見覚えのある、二人の逃避行の出発点だった田舎のバス停に行き着くのだ。
あの時ノリオは勇気を出して、手を握りましょうか、と言った。実は不安を抱えていた明美先生は「意外と女心判ってるじゃん」と返した。今から思えば、最後の甘酸っぱい場面だった。
そして数年が過ぎ、ノリオはくわえタバコなんぞでスクーターに乗っている。もうあの悩める青年じゃない。しかも、あの逃げ出した田舎に平然と戻っている。
そして先生に再会する。先生はひょっとしたらまたしても、駆け落ち三度目?

ノリオがさらりと地元に職を得て根付いたのを思うと、先生という職だってどれだけ上手くやれていたか判らないぐらいの彼女が、都会の、いわばカラオケ屋程度のバイトで上手く行かず、それでも何度も新天地へのアタックを続けるのが、でもそれこそが人生を小さくまとめないってことなのかも、諦めないってことなのかも、と思う。

処女は失うもので、童貞は捨てるものだと言ったのは誰だったか。それとも逆を言った人もいたか。でもやはり私は、処女は失うもので、童貞は捨てるものだと思う。
出来ることならいつまでも守っていたい、失われる時にはまさに喪失の壮絶な痛みと深い哀しみを伴う処女と、持ち続けることは恥ずかしいだけで、ウソでも捨てたと言いたいぐらいの、男の子のプライドにとっては持ってるままじゃ生ゴミ以下の童貞と、その価値感はあまりに違い過ぎる。

そのあまりににも深いギャップを、子供という天使が埋めてくれるのかもとも思ったけれども、最後まで否定しつつもドライな笑いをきっちり埋め込んでくる本作は、……なんか人生を教えられちゃった気さえ、するんである。 ★★★★☆


君に届け
2010年 128分 日本 カラー
監督:熊澤尚人 脚本:熊澤尚人 根津理香
撮影:藤井昌之 音楽:安川午朗
出演:多部未華子 三浦春馬 蓮佛美沙子 桐谷美玲 夏菜 青山はる 金井勇太 富田靖子 ARATA 勝村政信

2010/11/7/日 劇場(錦糸町TOHOシネマズ)
昨今はビミョーにティーン映画を避けてる、のは、別に差別している訳じゃなくって、ひとえにこのタイプの映画に、この年の女が一人で行くことを客観的に見た時のハズかしさを思ってしまうのも大きいと思われる。
普段はそんなこと、ぜえんぜん考えないのに。てゆーか、他人はそんなこと、見てやしないことぐらい判ってるのにさ。
でも実際、見事なまでに周囲は10代と思しき女の子の二人組やらグループやらで、やっぱり何とも肩身の狭い気がしたんであった。そういやあ、どんなタイプの映画でも割といる、オトナ一名さま男性もいなかったなあ。

10代の頃の気持ちほど鮮明なものはなく、その時代を過ごしてさえいれば、誰にだって判るものなのにネ、とか言いつつ、それでも本作に足を運んだのは、三浦君と一緒に精力的に宣伝に回っていた多部未華子ちゃんの言葉であった。
対役者同士ではなく、スタッフを含めた芝居や作品作りに非常に前向きである彼女は、やっぱり一味違うなと。それでなくても多部ちゃんは、同年代の女優たちとちょっと違うオーラをまとっている子だから、やっぱり気になるんだもの。

彼女は今はドラマにもガンガン出ているけれど、私にとってはヤハリ「ルート225」の記憶がいまだ鮮明な女の子である。売れるようになると、トーク番組などに出ても、ハンで押したようにカワイイと言っときゃいいと思っているとしか思えないMCに、彼女は決して単純にカワイイ女の子ではなく、むしろその異貌こそが魅力なのになあ、と思っていた。

だから、本作に関して知識はなかったけど、長い黒髪で陰気な印象から貞子と呼ばれて恐れられている少女、というのが、なんとも彼女にピタシで、ちょっと嬉しくなってしまった。
黒髪の間から覗く三白眼の怖さまで、キッチリ表現してるんだもんなあ。それは彼女が内気な故に、人と話す時に緊張してしまうせいだというあたりはいかにも少女マンガ的ではあるし、そこがマンガにおいてはギャグにもなっているんだろうけれど、彼女はそれを、リアルとギャグの絶妙な境界線で見事に表現しているんだもの。

実際、多部ちゃんを「ルート225」で初めて見た時、役柄的に不機嫌そうな、っていうのも大いに作用はしていたんだけど、その目の、白目のインパクトから、奈良美智の描く女の子みたい、と思ったんだよね。
最初にそう思っちゃったから、いまだに多部ちゃんを見ると、奈良美智の女の子、と思ってしまう。その三白眼気味のインパクトは、確かに貞子に通じるに違いない。
あ、でも貞子はクライマックスの一瞬で恐ろしげな片目は確かに見せるけど、実際は、黒髪に顔が覆われているだけの印象なんだけどさ。

なんて、どーでもいいところから切り込んでしまった。でも、なんたって貞子、な訳だから、ラストクレジットで高橋洋や中田秀夫にスペシャルサンクスが捧げられているのも嬉しかったりして。て、それもどーでもいい話か。
一方の相手役の三浦君は、劇中でも爽子(あ、貞子じゃなくて、本当の名前はこっちね、さわこ。)に言われたり、宣伝活動でも多部ちゃんが三浦君を評してそう言っていた場面があったと思うけど、確かに本当に、爽やかで出来ているような男の子、なのよね。演じる風早君というキャラがそうなんだけど、三浦君自身も、本当にそう。

彼ってさ、最初出てきた時はちょっとニキビっぽい感じがどーにも気になったんだけど、あれは確かにその少年期のソレだったのね。今はさらさらと、本当に、爽やかで出来ているような男の子である。
彼の場合、そんなところが役者としてはちょっと毒がなさすぎるのが気になるぐらいなのだが、むしろその点、今は案外得がたい役者なのかもという気もする。
ある意味、リアルタイムの年齢よりも、ちょっと超えたあたりがリアルに演じられるというのも不思議だが、でも本作は、爽子にしても風早にしても、やっぱりマンガらしくデフォルメしたキャラだと思うからさあ。

そう、リアルそうに見えて、そうなのよね。正直、風早のような“男子にも女子にも好かれるさわやかな男の子”なんて、おとぎ話の世界かよ、とも思う。
アマノジャクな大人になってしまった自分としては、誰にでも好かれる、ということぐらい胡散くさいものはないと思ってるから。
誰にでも好かれるヤツは、一部の人間からは強烈に嫌われているものなんだから……なんてことを言ってしまったら、ミもフタもないんだけど。

でも確かに、こういう男の子がいたらなあ、とは思ったなあ。私、本作を見てね、ああ、なんかホントに別マチックだなあ、と思ったのだ。
いや、私が知っている別マは、それこそ20年以上も前であり、何の参考にもならないんだけど、でも、あの頃あった一つの流れを確実に受け継いでいる気はした。
“誰にでも好かれる男の子”“内気で誤解されやすい女の子”でもこれは、時代も媒体も関係なく、普遍の黄金率なのかもね。これがさ、“誰にでも好かれる女の子”となるとなかなか難しいあたりが、やはり女の子は男の子に理想を見ている、ってことなのだろうと思う。

本作において、“誰にでも好かれる女の子”に外見上は当てはまるのが、結局は判りやすい悪役に落とされるくるみであろうと思われる訳で、で、これが男の子漫画だと、ソックリ逆の設定で収まっちゃうんだろうと思われるからさ。
“誰にでも好かれる女の子”というのが、男の子マンガでは確かに良く出てくる(ような気がする……あんまり読んでないからアレだけど)し、“誰にでも好かれる男の子”は、やはりそこでは排除されるような気がするんである。
あからさまに悪役のくるみが、最後には許容されるような展開に収まるのは、ひょっとしたら男性の演出家だからなのか??

いやいや……原作を読んでいないのに、勝手なことを言ってはいけない(爆)。それに、実はね、ヒロインである爽子だって、ギリギリのキャラだと思う。
この、ありえないぐらいの純粋さ、恋する気持ちがどういうものなのかさえ判っていないほどのウブさは、原作漫画ではどんな感じで描写されているのかは判らないけど……あまりにも化石過ぎて、お前、カマトトもいいかげんにしろよ!と言われかねないんである。あ、カマトト自体、死語かしら(爆)。
ただ、それはあくまで、今の女子高生はこれぐらい知っている、という世間的ジョーシキというヤツを勝手に当てはめた場合であり、実際はホントに爽子のような子はいると思う。でも、それをそのまんま見せると、ウソくさくなっちゃうというのが、スレた現代の哀しいところなんだよね(涙)。

やっぱりさ、多部ちゃんは、そこらへんのこと、きっちり判ってやっていたと思うなあ。
正直ね、最初は彼女の爽子へのアプローチの仕方は、ワザとらしすぎる気もしたんだよね。重苦しい黒髪で始終うつむいて、過剰におどおどとして、喋る時にはまずどもる、みたいなさ。
最初のうちは、結構それをギャグ気味に表現してたのは、つまりは、つかみはOKていうヤツだったのかもなあ。だって、それが徐々に徐々にちゃんと爽子自身になっていって、時にはそれが可愛らしく見えもしてくるんだもの。

席替えのエピソードの時、爽子の近くになりたくないクラスメイトたちを尻目に、率先して彼女の隣りに座った風早だけでなく、彼女と仲良くなった女子や風早の親友の男の子も周りを固めた時、涙をこらえたあのコワイ顔で「嬉しくて……泣いたらお見苦しいから」言うのが爽子っぽくてね!
人を思いやるあまりに過剰に丁寧になる言葉遣いのおかしさが、爽子の魅力の一つなんだけど、映画という限られた尺の中では、それを単純に提示しちゃったら、ただ単に、おサムいキャラでしかなくなっちゃう。
多部ちゃんは見事に、このシークエンスに至るまでに、爽子の非現実的なまでのピュアな魅力を観客に力づくで納得させてしまった。そのために、あのちょっとワザとらしいまでのキャラ作りがあったんだと、すごく納得してしまうんである。

宣伝では三浦君と多部ちゃんとで回っていたから、どこにいっても、これは二人の純愛ストーリーなんですかと聞かれてて、でも特に多部ちゃんの方が口を濁していたんだよね。
それだけじゃない、ていうか、そういう訳じゃない、それがメインじゃない、ってことを言いたかったんだろうけれど、確かにこればかりは観なければ判らないし、実際、そうじゃないとも確かに言い切れない。
それに、宣伝的にはそうだと言ってほしい部分もあったんだろうし……その方が、判りやすいし、客も呼べるだろうから。

タイトルとなっている「君に届け」は、三浦君演じる風早のモノローグである。爽子に対する恋心を最初からハッキリと自覚していたのは、風早君の方である。
爽子も結局、同時に恋に落ちていたとは思うけれども、恋愛感情のなんたるかさえ知らない爽子は、“風早君に対する特別な思い”が恋であることに、一年近く気付かないんである。
ホンット、悪役くるみがコイツを毛嫌いする気持ちは確かに、判る気がしてならない(爆)。

ちなみに、くるみというのは、中学時代から風早君に恋していて、頑張って一緒の高校に入り、半ば公認の間柄になって、ようやく告白しようというところに爽子が現われて、嫉妬の炎を燃やす女の子なんである。
実に、わっかりやすい美少女である。可愛らしさを演出するアヒル口が、判りやすく女子をイラッとさせる。
いや、彼女自身はどうやら、爽子と対照的に女子に支持を得ているリーダー的存在らしいから、こんなことを思うのはそれこそネガティブか(爆)。
でも彼女は爽子のみならず、爽子と友達になった千鶴やあやねに対する根も葉もない噂を流して、イヤガラセをするという、あまりにも少女マンガ的な行為をするんである。
あ、ここにも私の偏見的言い方がっ(爆)。でも、こんなクサいシナリオチックなこと、ホントに高校生たちがするのかなあ?

千鶴とあやねこそが、爽子の相手役と言える存在なんだよね。まあ、宣伝的には、純愛ストーリー、今をときめく三浦春馬君が恋のお相手!みたいにしなきゃ、形にはならんのかもしれんが、実はそうじゃないんだよね。
彼に関しては、確かに後半はちょっとドキドキも用意されているけれど、尺的にも短いし、今時キスのひとつもないんである。
あー、でも、爽子が別の男の子(しかも彼の親友)のことを好きなのかもと誤解した風早君が、彼女の腕をつかんでザカザカ歩いていってしまうシーンは、王道中の王道で、かなーりドキドキしたけど(爆。あー、ハズかしい……)。

だから、そうじゃなくてね。私、最初にタイトルを聞いた時には、これはヒロインの想いなんだと思ったけど、違うのだ。
最初にハッキリ気持ちを認識したのは風早君の方。入学式の時、高校への道を教えてくれた爽子が、ずっとずっと気になっていたのだった。
でも、爽子がまずは直面するのは、ていうか、この物語の大きな問題はね、そんなラブストーリーではないんだよね。
そりゃ、爽子は“爽やかで出来ている”ような風早君の男気に何度となく救われるんだけど、この年頃の女の子の最大重要事項は、友達が出来ること。そこから派生して、楽しい学校生活が送れること、なんである。
それまでの爽子の人生は、さらりとかなりデフォルメして描かれるだけだけど、ギャグ的に示されるとはいえ、爽子が友達を渇望しているのは誰の目にも明らかなんである。
そう、彼女にとってはいまだ知らぬ恋心よりもいや、知っていたとしても、友達の存在の方が大事だったと、思うなあ。

なもんで、そこにはかなりの尺が割かれる。最初は他のクラスメイト同様、呪われキャラをそのまま受け入れていた千鶴とあやねが、風早の企画した肝試し大会で、「貞子がお化け役やったら、皆怖がるよねー!」と話していたところに偶然爽子が居合わせ、「私、皆のお役に立ちたいんです!」て言い出すもんだから、二人はビックリするんである。
しかしそれにノッた二人は、そんな素直でイイ子な爽子とすっかり仲良くなってしまう。運動オンチな彼女のために、球技大会の特訓もしたりする。
先述のように、わっかりやすい悪役のくるみによる心ない噂が流れ、迷惑をかけたくないと爽子が二人から距離をおいた時も、最後まで信じてる。

その噂が二人を中傷するところまで発展し、爽子が意を決して立ち向かっていく場面、噂の出所が爽子だと、くるみに操られた悪役女子たちに「爽子がそんなこと言う筈ない!」と立ちはだかる千鶴とあやねに涙ダー!
その後、爽子は全てを告白し、「それでも二人を諦められなかった。矢野さんと吉田さんと一緒にいたい。友達になりたい」と泣きながら言うシーンは、もう年を忘れて号泣せずにはいられないっ。
改めて思えば確かにベタなんだけど、ここばかりはベタの気持ち良さを感じたなあ。
そして二人が爽子を抱きしめて「友達ってね、なるんじゃなくて、いつの間にかなってるんだよ」ああ、いい台詞。
あ、思い出すなあ。「CIPHER」でさ、ロイがハルに「すごいなと思って……友達ってこうやって作るんだ」と。するとハルが「作るんじゃなくて、なるんだよ。まったく物知らずだな」って言ったあの場面。

この二人の友達、両方ともいいんだけど、ことにヤンキーっぽい千鶴を演じる蓮佛嬢は、今まで私が見てきたザ・ヒロインな彼女がいまいちピンと来ていなかったから、意外さも含めて、凄く、良かったなあ。
ホント、意外だった。彼女はなんつーか、ホンノリしたイメージしかなかったからさあ。こんなチャキチャキの、股広げてあぐらかくようなチャキチャキの女の子が堂に入るなんて思わなかった。凄く、似合ってた。
他人の不幸の方にヘコんじゃうような。大好きな風早に告白されたのに、頭が真っ白になって断わっちゃった爽子に、自分のことのように悔しがって涙を流す千鶴は、本当に……本当の意味で、こんな友達、欲しいと思ったなあ。
彼女がずっと恋してきた幼なじみのお兄ちゃんに失恋し、しかしその幼なじみの弟の方、クラスメイトの龍が彼女のことをずっと思い続けているというのは、これぞザ・少女マンガ!なんだけど、こーゆーのに単純に陥落しちゃう自分がハズかしい……。

でもその弟君、龍が登場人物の中では一番、好きだったかも。席替えのシーンで「俺、いつもこの席だから」とクジをパスして窓際の一番後ろという特等席を有無を言わさず占拠して、つまりそれが、爽子を救うとか考えてない、ように見える(少なくとも)てあたりが粋なのよねー。
爽子の名前をいつまでたっても覚えられなくて、黒沢だの何だのと間違えまくり、くるみの策略によって呼び出された時だけ、呼び出しメモを見て「……黒沼」と。
でも、爽子の様子からどうやらこれはワナだと知り、「おれは千鶴ひと筋だから……ナイショな」といわば爽子を信用して手の内を明かすあたりとか、なんとも、男気なのよね!!

野球部一直線を絵に描いたような風貌も実に男気だし、千鶴が落ち込むといつも土手で膝を抱えるのを知ってて、あんまん肉まんを用意して待っているのもなんともキュンキュンくるのだわー!!
そう、彼は千鶴が自分のお兄ちゃんをずっと好きだってことを知ってるんだよね。だから、お兄ちゃんが婚約者を連れてきた時、ボーゼンとする千鶴を痛ましそうに眺めてる。それがまた、切ないのだよなあ。

なんかこのまま続けてると、結局はこの物語の大盛り上がり、風早が爽子に思いを伝えるシークエンスをスルーしてしまいそうになるんだけど(爆)。
でもまあ、予測がつくといえばつくから……。でも、設定はイイかも。爽子の父親が市民楽団に熱中してて、爽子が生まれた大晦日、カウントダウンコンサートをほっぽりだして病院に駆けつけたというエピソードが、冒頭に提示される。
大事な人に会いたい時には、全部放り出して会いに行かなきゃ……と、父親こそが爽子の背中を押すんである。
それまでは、内気な爽子に出来たかもしれない友達が男の子かもとか、家を訪ねてきたのがヤンキーぽい千鶴とメイクべったりのあやねだったりとかで、かなり過保護気味に娘を心配していた父親が、今は全てを飲み込んで娘を送り出す。
この父親が一番マンガチックだけど、そこは夢を見させてもらわなきゃいけないからね!

そして、二人がお互い思い合っていたことが判るんである。入学式の日、道を教えてもらった爽子の頭に舞いおりた、桜の花びらの一片を「ヘンな形」と笑って摘み上げて手渡した風早君。
その花びらが、爽子がなくした生徒手帳に挟まれている。本当に、ひょんなことで、それが担任から経由して、風早が爽子に渡すのだ。……爽子が風早に向かって全力疾走した、大晦日から元旦になって。

ARATAのそれこそヤンキー上がりな担任教師が一番、ビックリしたかも。い、イメージ違う!
でも彼は、元々何色にも染まれる驚異的な透明感を持った人だから、むしろ今までヘンにイメージがついていた方がもったいなかったのかも。

爽子がね、理不尽に怖がられてはいるけれども、いじめられている訳ではなくて。だから肝試し大会とかで誤解が解ければ、秋の体育祭のあたりにはクラスメイトとすっかり打ち解けているという描写が、なんかポジティブで、好きだ。
三秒間目が合ったら、呪いがかかって良くないことが起こる、とマジで信じられていたぐらいなのに。
髪がアップになって、笑顔があらわになれば、すんなりカワイイ女の子なんだもん。これって、“メガネを外せば美少女”の“これぐらいなら許せるバージョン”て感じかも(爆)。★★★☆☆


キャタピラー
2010年 84分 日本 カラー
監督:若松孝二 脚本:黒沢久子 出口出
撮影:辻智彦 戸田義久 音楽:サリー久保田 岡田ユミ
出演:寺島しのぶ 大西信満 吉澤健 粕谷佳五 増田恵美 河原さぶ 石川真希 飯島大介 安部魔凛碧 寺田万里 柴やすよ 椋田涼 種子 折笠尚子 小林三四郎 金子貴明 地曵豪 ARATA 篠原勝之 小倉一郎

2010/9/2/木 劇場(ヒューマントラストシネマ有楽町)
四肢を失って戦争から帰ってくるというのは、「ジョニーは戦場へ行った」は即座に思い起こされたけれど、そうか乱歩の「芋虫」もか。戦争の愚かしさをまっすぐに糾弾した作品かと思いきや、もっと皮肉たっぷりだった。
いや、若松作品なんだから、それは最初から当然だったかもしれない。若松作品だからこその、肉体の、エロが示す、ちっとも歓喜じゃない人間の苦しさ愚かしさ。

四肢を失って帰ってきた久蔵が、他にすることもないとばかりに夜な夜な、いや夜ばかりじゃなく明るいうちも、ヒマさえあれば妻の身体をむさぼる醜悪さ。
心の拠り所は自分を軍神と称える新聞記事と、“立派な”三つの勲章だけ。それだって、こんな屈辱的な身体になってまで“生き恥をさらした”彼への痛烈な皮肉とも充分に受け取れるのに。

……などと、ケツの青い私が、あの時代の価値感を嫌悪するこの私が「生き恥をさらした」などという言葉が頭に浮かんでしまうとは思いもしなかった。
でも、それこそあの時代ならば、よく出てくるじゃない。敵前逃亡して帰ってきた兵隊さんに対してとかさ。死ぬことこそが名誉、お国のためだ、とさ。
本作でも久蔵の兄は戦死しているし、身体が弱くて戦地に行けないでいる弟は非国民と呼ばれている。そうして、こんな「肉の塊」みたいになって(とは、彼の両親の言)帰ってきた彼が、生き恥をさらしたどころか“軍神”と称えられることが、なんだかひどく皮肉に思えたのだ。“生き恥”と“軍神”は紙一重なのか、って。

でもそれは、久蔵がそれこそ“敵前逃亡”した訳じゃないから、なのかもしれない。彼が直前にしていたことは、敵前逃亡どころか、敵を撃ち倒すことですらなかった。
敵国の女たちを、悲鳴を上げて逃げまどう女たちを追いかけ、引き倒し、犯し、殺す、鬼畜の行為だった。彼が四肢を失ったのは、まるでそのことへの罰のようにも思えた。
もちろん、そんなことを知っているのは久蔵自身のみ。こんな姿になって帰ってきた彼は、ノドボトケあたりにざっくりとある傷のせいか喋るのもままならない。

そのせいもあって頭もイカれちゃったんじゃないか、と親たちは、こんな哀れな姿になって帰ってきた息子を目の前に、口さがなく言い募る始末なんである。世話するだけ大変だ、シゲ子さんを里に帰さなくて良かった、と。
耳が聞こえないからどうせ聞こえていないと彼らは言うけれども、火傷にただれているのは片方だけだし、恐らく聞こえているよなあ……“こんな姿”であっても生きて帰ってきたのに、命さえあればと思っていた筈なのに、随分なんである。

いや……本当に、命さえあればと思っていただろうか。現代において作られる戦争映画は、やっぱり現代の価値感が入り込んでしまうから、お国のためにならなくても生きて帰ってほしいと、女たちは愛しい夫や息子の帰還を願う、みたいな形に作られるけれど、あの時代は本当にそう思っていただろうか。
いや、無論そう思っていただろうけれど、本作で執拗に、お国のために、お国のためにと繰り返されるのが、しまいにはギャグみたいに聞こえてきて、今聞いてもサッパリ意味が判んない戦意高揚を促がすラジオ放送は、ひょっとしたらあの時代でさえも意味判んなかったんじゃないかなどと、ふと思ってしまうんである。

洗脳された価値感が日常になってしまっている。ここがのどかな田舎村の風景だからこそ、それが余計に恐ろしく感じる。
もしかしたら、もしかしたら、この狭いコミュニティの中で非国民と糾弾されるぐらいなら、玉砕して来てくれた方がいいと思う向きもあったかも……しれない??

そんなこと、ウッカリ言えないけれど、ただ、ただ……日本が優勢だというウソの情報を流し、“生き恥”寸前の久蔵を軍神と崇めさせてこれまた戦意高揚のネタにする愚かさは、まさにギャグそのものだ。
しかもまさに生き恥……久蔵は畜生にも劣る行為をして、天に罰を与えられた格好になった訳だから。
ただ、ただ……こうした戦時下における恥ずべき事実を、日本の戦争映画に取り入れてくるのは確かに画期的だと思うけれど、その記憶を、彼が犯された女側に回ってトラウマのようにフラッシュバックするのは……それはいくらなんでも都合良過ぎるよなーっ、と思う。

陵辱された女の気持ちが、いくら四肢を失ったからって判るなんて思わない……なんて言ったらランボー過ぎるだろうか?別に私はそんな経験してないけど(汗)。
でも、せっかく、画期的だと思ったのに、こんな許しを請うような描写をするなんて、なんか残念な気がしちゃったんだもの。
彼が苦しめられるとしたら、それこそファンタジーか怪奇モノになっちゃうけど、そんな目に遭った女たちの怨念を感じる時しかないよ。男にそんな目に遭った女の気持ちが判ることなんて、未来永劫、ないもん。

……そう言っちゃえば、男と女の間の溝は永遠に深くふさがらず、まさにミもフタもないのだが……。ただ、そう、この描写があったのは無論、シゲ子側の事情があったからなんだよね。
戦地から送り届けられてきた夫は四肢を失い、言葉を聞き取るのも困難な状況。困惑したシゲ子はしかし、軍神様と崇められる夫を献身的に世話する、貞淑な妻の役割を演じることで、何とか精神の均衡を保とうとする。
“軍神様”の日常は、ただただ食べて、寝るだけ。この貧しい時代に満足な食料もないのに“軍神様”は物足りなさをあらわにし、小豆に甘みがないだけで子供みたいに不機嫌になる。

そして“寝る”っていうのはつまり、セックスも含まれている。この時代にはエッチなんてのはもちろん、セックスていう言葉もなかった、んだろうなあ。寝る、が眠る、を意味しない、まるで安息の時間が訪れない日々。
ハイハイ、と諦めたように紐を解くシゲ子。そんな描写が繰り返し繰り返し示される。最初こそ、おぉっ、濡れ場かッ、しかも四肢のない夫との……などとドキドキしたけれど、夫に奉仕する妻という形式しかなく淡々と欲求に応えるシゲ子という描写に、そんなエロい感覚はまるで入ってこない。

……あのね、予告編の時点では、結構扇情的に作ってたんだよね。まあ予告編だから、そう作らざるを得ないってのもあったと思うけれど……作品の中で、テンションがあがる場面をピックアップしたのが予告編、みたいなのはどうしてもそうなっちゃうよね。
そうなるとね、軍神様と崇められる夫に仕える妻、の立場に悩むシゲ子、っていうのが大前提になるんだけど……。それで彼女が壊れてゆき、でも最終的には「一緒に生きていこう」と涙ながらに夫を抱き締める、なんていうところで予告編は終わっているから、ちょっとそんな、夫婦の永遠の絆は戦争という忌まわしきものにも勝つ!みたいな、甘ったるい予測を抱いて劇場に入った感は否めないのよ。

いやあ……実に気持ちよく、打ち砕かれた。その「一緒に生きていこう」と夫を抱き締めるシーンは、それまで二人が積み重ねていく葛藤の、ぶつかりあいの連続のひとつに過ぎないのだ。
この時のシゲ子はむしろ、四肢を失い、言葉も不自由な、つまり赤ちゃんみたいな久蔵に対して積年の恨みをぶつけてしまった自分を恥じた、みたいな意味合いが強かった。
そういう意味でいえば、言葉が不自由にまでなる、というのは、ちょっと都合のいい設定だったかもとさえ、思う。もし彼が、四肢が失われた以外は大丈夫だったらどうだっただろうと思う。

それまで暴力夫だった彼が、手を出せなくなったことにシゲ子は嘲笑さえ浮かべるけれど、“言葉の暴力”という武器が失われたことこそが、最も彼にとってキツいことだったんじゃないだろうか?<> このあたりに至るまで、戦場に赴くまでの久蔵が実は、亭主関白と言うにも足りない、横暴な暴力夫であることが徐々に明らかにされていく。
そういえば、この年頃の夫婦なのに子供がいないなあと頭の片隅で思っていたけれど、そのことで彼はこのウマズメめと彼女を罵倒し、殴る日々だったのだという。

それこそ現代なら、子供が出来ないのが女だけに原因がある訳じゃないのは常識だが……いや、現代でもやっぱり、子供が出来ないと女ばかりが責められる風潮はある……かも。
だからやっぱり、いまだ、こんなことさえ、現代に通じているのだよね。そして、どんな時代だって、夫婦の、男女の、そして人間のいさかいはあるのだ。
戦時中だから、皆が皆、妻は愛する夫の無事を祈って、貞淑に待ち続けている訳じゃ、ないのだ……。

だからね、つまりね、シゲ子は久蔵が帰ってきたことを、しかもこんな姿で帰ってきたことを、命がありさえすればなどという観点で喜んでいた訳じゃ、なかったのだ。
そう、命がありさえすれば、生きてさえいれば、どんな姿でも、生きて帰ってきてくれれば、という、戦争モノに王道な価値感は、もう最初っからぶち壊されていたんである。
芋虫のような姿にショックを受けて飛び出したシゲ子のみならず、両親でさえも、あんなヒドいことを言っていたんだもの。
もちろん、シゲ子が彼を真実愛していたのなら、ラブラブな夫婦だったのなら……でも、それなら、ひょっとしたらもっと壮絶な展開に、逆になってたかもしれないとも思う。それも見てみたかったかもしれないと、思う。

予告編は、ズルいなーって思う。やっぱりあの「2人で生きてこ」というシーンが決着にされているとさ、つまり、やっぱり二人は愛の絆に結ばれていたのだ、シゲ子は四肢を失って帰ってきた夫の姿に、愛していたからこそショックを受けて、だからこそ苦しんだ末に愛を確かめ合ったんだ、などと思うじゃない。
ぜぇんぜん、そうじゃないんだもの。シゲ子は多分……本心は、こんな姿で帰ってくるぐらいなら、玉砕してくれよと思っていたに違いない。ただでさえ虐げられてたんだから。
ただ……段々気持ちが変わっていく、そのシゲ子の気持ちの変遷こそが、ちょっとゾッとするものを感じるのだ。

いや、それは最初からだったかもしれない。こんな姿の夫と一緒に生きて行けない。私も後からすぐに行くからと首をしめかけた彼女(それこそ、後から事情をいろいろ知ってしまうと、後から行くと言った彼女の言葉はかなり怪しいのだけれど……)、夫が尿意をずっと我慢していたことを悟り、尿瓶の中に音をたてて放尿するのを見て、ひどく穏やかな笑顔になるんである。
それはまるで……そう、母親のよう。つまり、暴力なんて出来っこない、手出しの出来ない、無力な、自分がいなければ何にも出来ない子供に対する、慈しみの笑顔。

それは実に皮肉なことなんだけれど……でもそう、そんな慈しみはこの時だけ、まさに一瞬だったんである。
実際、赤ちゃんなんかじゃないから、言葉が満足に喋れなくても、彼はひたすら要求し、主張し、こんな状態にあっても、かつての傲慢な亭主のままにふるまう。
一日中野良仕事でくたびれ果てた妻の用意した、粗末な食事に腹を立てて吐き出し、それでいてもの足りないと、彼女の分まで所望する独裁者っぷりなんである。

こういうの、ホントに初めて見る……戦争における夫婦を描いた映画で、こんなん、タブーだったと思う。
しかも、最初に四肢を失われたことを示して、更に言葉(つまり思考)までも失われた彼に対して、更に愛を、失わせるなんて。
でもこれこそが現実なのだ、きっと。誰もが愛する夫を待ちわびていた訳じゃないかもしれないと思うと、ぶるりと鳥肌を感じる。
だって、妻が皆信じてやまない男たちばかりが戦地に行っていたならば、現地の女性を陵辱するなんてこと……。
いやいや、そんな風に思うこと自体が甘いのだよな。妻や母親が信じてやまない愛する夫や息子だって、きっとそんな鬼畜な所業に及んでいたに違いないもの。

そんな風に、軍神様におなりになり、軍神様の妻という立場に自身のより所を見つけて彼を見せモノにし、セックスしかつながるすべのなくなった二人。
それでも戦争が続く間は、久蔵は自分が軍神だという存在価値を見いだせた。しかし観客として見ている私たちはもちろん、むなしく聞こえてくるラジオ放送が、いやそれ以前に彼を軍神と褒め称えた新聞記事こそが、日本の無残な敗戦につながっていることを知っているから、正直見てられなくてさ……。

で、当然終戦が訪れる。コミュニティに一人はいるであろう、子供のまま大人になってしまった、つまりいつでも公平に物事を見ている純真な男(クマさん、久しぶりに見た!)が、兵隊さんを送り出す時にはハナクソほじってつまらなそうにしていたのが、「敗戦!敗戦!」と、まるで金メダルをとったようにはしゃいで飛び回る。そんな彼にじゃれつかれて、野良仕事をしていたシゲ子も、笑顔全開になる。

そしてその時……、敗戦と共に、彼もまた負け去った久蔵が、タイトルどおり、キャタピラーそのものに、芋虫のように、はいずりはいずり、小さな池までたどりつき、自分の顔を映し……思えば彼は、戦争から帰ってから、自分の顔を見たことがあっただろうか……そのままその池の中に、そのコンパクトになってしまった体を浮かべてしまうのだ。

劇中ね、後に、こんなムダなことはないとよく揶揄されていた、婦人達による、竹槍をわらに突き刺す訓練が出てくるんだよね。確かによく聞いている話であり、描写なんだけど、ここまでの展開を見てくると、ホントに、ほおんとに、なんて空虚なんだろう。
これもまた、“生き恥”をさらさないための、死ぬ前のせめてもの抵抗を訓練しているに過ぎないと思うんだけど、実際こんな状況になったら、女はそんなに大人しく死ぬだろうかと思った。
もちろん。時代的背景による洗脳的なものはあるけれど、この作品が示しているのは、結局は女の強さなんだもの。
それを男性監督に示されるのもシャクだけど、でも、女性礼賛として受け取っておきたい。

若松作品は、前作があまりにも彼の時代で、ついつい臆してしまってスルーしてしまったので、ちょっと久しぶりだった。それだけに更に臆してしまったし……題材が題材だから、キツかった。
久蔵役の大西信満氏、「赤目四十八瀧心中未遂」に続いて寺島しのぶの相手役。四肢を失ってからは判る言葉が一切ない難しい役ということもあるけれど、二重バチバチのお目めののイケメン顔がどうしてもあの時代っぽくなくて……ちょっとツラかったかもしれない。★★★☆☆


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