home! |
陽だまりの彼女
2013年 129分 日本 カラー
監督:三木孝浩 脚本:菅野友恵 向井康介
撮影:板倉陽子 音楽:mio-sotido
出演:松本潤 上野樹里 玉山鉄二 大倉孝二 谷村美月 菅田将暉 夏木マリ 北村匠海 葵わかな 小藪千豊 西田尚美 とよた真帆 木内みどり 塩見三省
猫オチかあと思ったが、別にそれに不満がある訳じゃない。リアリティがないとかヤボなことを言うつもりもない。
純愛とファンタジーは相性のいいものだもの。伝説の「時かけ」から、大好きな「月キャベ」だって、みんなみんな、心ときめく純愛は良質のファンタジーだった。本作だって充分そうなれる可能性があったと思うのだが……。
原作を云々するつもりはない。だって読んでないから(爆)。アイディアとしては悪くない、と思う、というか、猫好きの私としては、原作を知っていたら期待に胸を膨らませて足を運んだろうと思う。そうか、原作を知って、それで観たとしたらどうだったんだろう……。
猫オチというのは、映画となった本作を見るだけでも充分過ぎるほど充分に伏線がはられている。実に、丁寧に。
言ってしまえばタイトルだけでだって、予測できちゃう。陽だまりといえば、そこで丸くなるのは猫だもの。
正直、猫オチが明示されるまでは、“陽だまりの彼女”というイメージではなかった。充分に猫っぽい魅力の樹里ちゃんを、“陽だまりで丸くなってる”なんていう、こりゃ見てみたいわと思うようなシーンは、なかった。
正直なところを言うと、伏線はりまくってるのに、オチが予測されるのを恐れるかのように、猫っぽい樹里ちゃんを猫っぽく見せなかったことに、私は不満足なんである。
女の子猫が、好きな男の子と一緒にいたいがために人間になるだなんて、もう、メッチャときめくのに、そのオチだけに腐心している気がして。
てゆーかさ、多分、監督さん、猫が別に好きなんじゃないと思う(爆)。そりゃま、別に、本作を撮るのに猫が好きじゃなきゃいけないということは……いや、猫が好きじゃなきゃ、いけないと思う!
本作で、猫は遠くに点景として現れるだけ、それこそオチとしての小道具的扱いにしか見えない。ゴロニャンする可愛さが、全然描写されないの!
そんなの必要ない?いやいや、必要あるでしょ!!樹里ちゃんが猫に、いや逆だ、猫が樹里ちゃんになるんだよ、もうそれだけでゴロニャン必須でしょ!!
……なんか段々自分でも言ってることが判らなくなってきたが、でも必須だもん!
彼の方だって、猫の時点での彼女に“一目で恋に落ちた”のだ。びろうどのような毛並みの、ブルーグレーの瞳の子猫を、岩場のはざまから拾い上げた時のことを、彼=浩介はそう述懐する。
しかし……この時の子猫の描写も、あくまで引いた画で、“恋に落ちた”風なんて全然感じられなかったし、その後この子猫が“謎の老婆”に拾い上げられ、その秘密が数年後に明かされる、猫広場的な場所から老婆の屋敷へ……という流れでも、猫はただ、ただ、点景、なんだもん!
絶対絶対、監督さあ、猫好きじゃないでしょ!なんか画が腰引けてるもん。大体、猫屋敷の猫ババアが夏木マリってあたりが、あまりにもいかにもな画でさ、ますます猫愛が感じられないよ!!
猫を相手にするババアはこんなもんでしょ、って感じがアリアリなのよ。いや別に夏木マリ御大にウラミはないが、あまりにも当て込みって感じなんだもん。
猫の魅力を映そうって気持ちが感じられないのよ。え?そんなにそれが必要かって?必要でしょ、必要でしょ!だってこれじゃただの化け猫物語、ブライアン食っただろ、がジョークに聞こえないよ!!
……猫好きはついついアツくなってしまう……。でもね、上映終了後、後ろのおばさまから聞こえてきた、「私、猫って好きじゃないからさ!!」という言葉で、そりゃそうだ、それじゃダメだよね、と思ってしまったのだ。
だって確かに、本作を見て、猫可愛い!とは思わない。猫の誠意?ヘンな言い方だけど、つまりはそれが軸になってる映画なのに、猫自体にそれを感じられなければ、猫から人間になった女の子の話なのに、猫と人間が完全に切り離されてしまう。
正直、猫=真緒には見えない。樹里ちゃんはあんなに猫っぽいのに、見えないの!
樹里ちゃん演じる真緒がどんなにチャーミングでも、猫が切り離されていたら意味がない。猫好きじゃない人間も猫好きにしてしまうほどの猫猫映画でなければ、本作の意味がないのだよ。
ムリがある??でももう断言しちゃう!だってこれ、猫に好感が持てなければとてもムリな作品だよ!!
そして猫好きとしてはそれが悲しい訳。猫映画は、猫が嫌いな人も、つい心ときめかせてしまう猫の魅力を映さなければダメなの、意味がないの!
このおばさまの言葉、心からの言葉だったから、本当に私、悔しかった。悲しかった。猫は可愛いのに。本当に素敵なのにさ!!
でも本作じゃあ、ムリないと思ったから、それを判ってもらうのは難しいと思ったから……それがすんごく悔しいの!!
……で、まあ脱線しましたが、えーと、ブライアンつーのは、新婚夫婦である二人が飼っていた五匹の金魚のうちの一匹の名前で、その由来は二人がともに好きなビーチボーイズ。
てか、「お前、ブライアン食っただろ」っていうエピソードを入れたいがためのこのシチュエイションに思えて、それも気に入らん。猫である彼女が、彼の前で危険を冒すかもしれないのに、わざわざ金魚を飼うだろうか……。
うーむ、気に入らないことばかりを羅列して、ただただ突っ走ってしまった。まあ一応、筋を追いましょか……。
男子は浩介、女子は真緒。中学時代の同級生。真緒は全裸で保護され、その保護した警察官夫婦の里子になった。それ以前の記憶が全くないという不思議な少女。
そんな異質な要素は格好のいじめの対象になる。浩介は真緒をかばう形で、いじめっこのボス女子と真っ向対立した。
結果、二人ともども孤立する形になり、しかし浩介と真緒は親密になり、恋に落ちる。
この、中学時代の浩介と真緒は、大人時代の松潤と樹里ちゃんを充分にほうふつとさせる若い二人で、ナカナカ良いんである。この二人だったことが、少なくとも見た目的には純愛の空気を上手くつないだ気がしてる。
見た目的にはなんて、やっぱりついつい不満を口にしてしまうが(爆)。でも時々あるからさー、まあ何とかいけるだろ、と若い時代もそのまま役者さんに演じさせるケースとかさ。
そういう時って、まあ確かに“何とかいける”のだが、それだけ観客もそう見えるように努力しながら見てしまうからさ。
かといってほんの10年前を演じさせるとなると、あまりイメージが離れてしまうと難しくなる訳で……。凄く良かったよね、二人とも。
中学男子の硬質さがキュンと来る浩介、猫から女の子になった雰囲気と、樹里ちゃんの無邪気さを上手く伝える真緒。彼女の方はいくらなんでも髪が乱れ過ぎだとは思ったが……。
現在軸での真緒は、これは樹里ちゃんのイメージでもある無造作ヘアなんだけど、あくまでオシャレにまとめた無造作ヘアじゃん。中学女子となるとそうではない……どころか、ひどいボサボサ、前髪伸びすぎ。
警察官夫婦に引き取られてこの髪はないだろう……いや、こういう事情の娘の繊細な神経に配慮したとか??……そこまで観客がご親切に推測するほどでもないだろっ。
うー、なんか、気に入らないから、ついつい重箱の隅をつついちゃうよう。
でもさ、この監督さんとは、相性が良くないのかも……。てか、長編デビュー作の「ソラニン」しか観てないけど、それがね、ダメだったんだもん。
それこそ、そんな風に重箱の隅をつつきたくなった。見た目が繊細で美しく撮れているからこそ、あちこちツメが甘い気がしてどうにも気になってしまった。のは、正直本作でも同じだったんだよなあ……。
10年後、二人が再会したのは、浩介が勤める広告代理店(?かな?)と、真緒が勤める女性下着メーカーの、広告展開の打ち合わせにて。
浩介と再会するために猫から人間となった真緒にとっては、後に彼女の言う「偶然なんか、ないよ」ということなのだろうが、中学の同級生になるぐらいならいざ知らず、この出会いはさすがに……。猫ならではの魔術的能力??
いやしかし、真緒は「浩介が東京の大学に行くって言っていたから、東京ってつく大学は全部受けた」と、東大には落ちたという経緯を話すぐらいだし、それはないよなあ……。
そんでもって真緒は東京女子大卒、って言ってたっけ?つまり、東大受けられるほどのレベルで東京女子大卒……そうですか、そうですか。私にはとーんと縁がありませんっ。
てゆーかこのエピソード、「東京と名の付く大学は東京にある」っていうの、新井素子さんの小説にあったよなあ……偶然だろうか??
一般知識には疎いけど頭だけはいい女の子のエピソードで、で、その素子さんの小説の女の子は東大に行った訳なのだが……。
とゆー具合に、なんかいちいち隅つつきたくなっちゃう。純愛の展開にハマれれば、そんなことはそれこそ些末なこととしてワキに置いとけたと思うのだが……。
こういう映画ではまあありがちだけど、ワキで笑わせるキャストたちは妙に秀逸。
特に浩介側、彼の直属の上司である大倉孝二の、おおくらこうじっ!!と叫びたくなるような、非モテで不毛でただうるさい(笑)男は最高。
彼らをクールに眺める女子、谷村美月嬢もなかなかイイが、これは割とありがちなキャラかなあ。
色気が無さそうに見えて、二人の男を差し置いてニヤリと結婚指輪をちらつかせるあたり、最終的にはそこに行きつけるから女として成立している、と言われてるみたいで、妙に反発する気持ちになってしまう……などと言ったら、それこそまんまヒガミだよなーっ。
真緒側は、そんなコミカルさは皆無である。モテ男なのに真緒には上手くかわされている上司の新藤=タマテツは、真緒への本気度ゆえに、浩介より一足先に彼女の真実を知ってしまうしさ。
しかしもう一人の、更に上の女上司、とよた真帆ほどのベテランを配してるのに、ただ若いモンを顔合わせさせる程度の役柄。い、いいの??とシロートのこっちがハラハラしちゃう……。
とよた真帆レベルなら、もっと踏み込んだキャラ……それこそ真緒の秘密を知って心配するとか、相談に乗るとか、いうレベルだよね。
いずれは誰からの記憶からも消えてしまう真緒が距離を置いたということも考えられるけど、そこまでの深い葛藤を感じさせるような描写は、ない、ない、皆無。そんな親切に考えてあげることもまあ、ないわなあ。
まあ、純愛映画なんだから。最後別れて終わりなんだから。なんか、惹句に「奇跡のハッピーエンド」とか出てたけど、散々言ったように猫レベルが低すぎるんで、難しいっすよ。
真緒は猫寿命だから、浩介と出会ってからほどなくして命の火を落とす。再会してからほんのちょっとしか時間がない。
その間、「猫は八回生まれ変わる」というなんてことわざが挿入されて、クライマックスでは、「あと八回チャンスがある」と真緒は泣き笑いする。
……そこでクスリと笑いつつ感動できれば良かったが、第一この“生”自体が、オリジナルの一回目じゃないかもしれないじゃん、などと思ってしまう、のは、それまでの不満がそう思わせちゃうんだろうなあ。
判ってて生まれ変わって、また浩介の前に現れるんだから、ちゃんと説明できていると言えばそれまでだが、だったら余計、浩介に対して(だけじゃないよな、多分。既にこの時点で、里親となった夫婦の元にノラ子猫として現れてる訳だから)、あと7回も繰り返すのかと思うと、ちょっとゾゾッとする……なんて思っちゃうのはホント、単なるイジワルだってのは判ってるんだけどさあ。
純愛もの、とまで狭めなくても、恋愛モノってのは、ホント難しいと思う。てか、純愛と恋愛の区別はよく判らんが。それだけ、純愛というピュアさが難しくなっているのだろうと思う。
真緒は猫時間の短さゆえに、先の短さを察して、駆け落ち同然に浩介と結婚した。
結婚、ていうことは、ヤハリ子供のことを考えちゃう。浩介も、いずれは真緒との間の子供を夢想した。
自分自身の命の先のなさを知っている真緒は言葉をにごしたけれど、ここまで二人の関係を固定させたのなら、やはりそうこうことも考えちゃう。
確かに、恋愛の最高のハッピーエンドは結婚、無邪気な頃の純愛作品、映画でもドラマでも漫画でもなんでも、そのハッピーエンドは必ず結婚であった。
でも今、そう簡単じゃないよね、ってことは皆知っている。実際、本作でだってその先が描かれる訳だし、アパートの隣人家族、小さな男の子と夫婦二人で仲よさげに暮らしてる家族をうらやましがったりもする。
猫と言えば天涯孤独のイメージ。もちろん、女子猫が人間男子に恋をする萌えで充分なんだけど、それ以上に踏み込んじゃったんだから、そこで終わってしまったんではさあ……。
これじゃ、真緒が猫であるということを決定づけるために、隣の男の子をベランダから落下させてそれを助けるためだけに、と思われたってまあ、仕方ないわなあ……。
猫であることは斬新だけど、ある意味これまでよくまあ手を付けられなかったと思うぐらい、ありそうと思うのは、人魚姫だの鶴の恩返しだのを思い出してしまうからだろうなあ。
まあ当然、そうしたものをベースにはしているんだろうけれど、猫ならでは、その可愛らしさこそを、なんたって映画、映像なんだからさ、描写してほしかった。
それこそ樹里ちゃんが猫猫だった「グーグーだって猫である」だの、脇役チョイ出演なのに目が釘づけになった「夏の終り」の猫描写にだって、完全に負けてるよ!!負けちゃダメでしょ、これぞ猫映画なんだからさ!!!
ところでマツジュン=浩介が鉄道オタクだってことが、大して生かされていないことも、ちょこっと気になったり、したんである。
つまりはさ、猫にしても鉄道にしても、あるいはその他の、ちょっとした、いろんなことがそうだと思う。
愛がきちんと充填されてないのよ。画や映像はやたらキャッチーに整備されているんだけれど、なんだかどうにもツメの甘さを感じてしまう。
それは主人公二人のラブの場面にしてもそうで、確かに一瞬を切り取ればとても美しくて、ときめくんだけど、そこで終わっちゃうっていうかさ。
ビーチボーイズやら山下達郎をちりばめても埋めきれない気泡の多さ。純愛は、ごまかしがきかないんだよう。★★☆☆☆