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「す」


2013年鑑賞作品

Sweet Sickness
2013年 90分 日本 カラー
監督:西村晋也 脚本:西村晋也
撮影:四宮秀俊 音楽:入江陽
出演:小林ユウキチ 細江祐子 綾見ひかる 片宮あやか 斉藤陽一郎


2013/4/12/金 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
この日上映終了するのを見つけて、慌てて足を運ぶ。同時に終了する二つのレイト作品を見つけてしまって、もうひとつの方が監督さんの名前も知っていたしキャストも名のある人たちで、本作と本当に悩んだんだけど、結局本作を選んだ。

向こうは未見だからこんなこと言っちゃアレだけど、正解だった、様な気がする。こちらを選んだ決め手は正直、終映時刻が早いから、だったんだけど(いつもこの企画は21時から始まるのに、なぜか本作だけは20時スタートだった)、チラシに使われていた写真、つまり本作の顔として出ている写真の繊細な魅力がどうしても忘れられなかった。そして、まさにその通りだった。

驚くべき繊細さ。役者陣は、ワキを固める斉藤陽一郎ぐらいしか私は知らない。メインの二人は出演作品を聞けば見てるんだと思うけれど、名前でパッと思い浮かばない。ゴメン。
だからこそ、こんな役者いたのと思う。そういう新鮮な驚きに会えると、こうして足を運んだことに嬉しくなる。そう、最初から名のある人ではこの喜びは得られない。

お姉ちゃんと弟。姉と弟と言うよりこれがしっくりくる。彼は姉さんと呼んでるけれど、きっと幼い頃はお姉ちゃんと呼んでいただろう。いや、最近まで呼んでいたんじゃないかと思う。
姉さん、という響きにはいつまでも弟として、子供のように扱われる自分への歯がゆさ、背伸びをした思いを感じる。お姉ちゃんに執着する彼のことを周囲も皆知っていて、で、彼らは姉のことをお姉ちゃん、と呼ぶから。お姉ちゃんのことでしょ、と。

姉と弟二人きりで、一軒家に暮らしている。一階が弟の部屋。居間から伸びる、風情のある階段をのぼったところがお姉ちゃんの部屋。
弟は夜間の仕事をしていて、お姉ちゃんは通常時間の会社員。入れ違いで生活をしているんだけれど、その入れ違いのところで二人向き合って食事をする。

すれ違いの生活のように見えて、会話も決して多くないのに、無機質に感じないのは、最初から不穏な空気……というのは適当ではない、なんと言ったらいいのか、誰もが判っている予感、みたいな不条理な言い方をしたくなるような、そんなざわめきが漂っているから。
いや、ざわめきなんて言葉が荒っぽく聞こえるぐらい、それはしんしんとナイーブに漂っている。

そうだ、ナイーブだ。繊細というより、こっちの方がしっくりとくる。両親が同時に亡くなったその原因は明らかにされないけれど、同時ということは、きっと不慮の事故かなんかだったんだろうと思われる。
年齢的に親戚に預けられることもなく、そのまま二人の生活をスタートさせた彼らは、後に弟が語る「俺たちはずっと二人でやってきたんだ」という固い絆を形成することになるんだけれど、少なくとも弟の方はそれ以上の気持を持っている、ことは、彼自身の中だけじゃなくて、付き合っている彼女にさえダダ漏れである。

当然お姉ちゃんも彼の気持を感じている。気付いているというより、感じている、という方がしっくりとくる。……とにかく、そういう具合に、ひとつひとつ、彼らを説明する言葉を丁寧に選びたくなるほどに、ナイーブな二人、なんである。

お姉ちゃんと弟。そして弟がお姉ちゃんに異性としての気持も含めて執着していること、そしてこの詩的な雰囲気。ちょっと、「のんきな姉さん」を思い出してしまった。
お姉ちゃんと弟って、こういう雰囲気がよく似合う。なぜかこれが、お兄ちゃんと妹じゃこうはいかない。何故だろう。なんかちょっと、ザ・性的欲望を感じてしまうからだろうか。なんて、そういう媒体に毒されすぎかもしれない。
映画になった 「くりいむレモン」は充分詩的な美しさがあったし、本作にもお兄ちゃんと妹のシークエンスは出てくる。弟の亡くなった友人の妹である。
でもそれもやっぱりセクシャルなんだよね。本作のちょっとしたカラミ要員というかカラミ要素というか、そんな感じ。

こう書いてみると、死が濃厚に彼らの周りを取り巻いていることに気付く。死というより死者と言った方が正しいだろうか。
弟の友人、そしてその残された妹のことは、物語の冒頭から既に出てくる。お姉ちゃんが、あの妹さんを見たよ、と静かな二人の朝食の席で口にするんである。
弟さえよく覚えていないこの妹さんのことをお姉ちゃんがなぜ覚えていたかといえば、家出した弟を探しに、この友人の家を訪れた時、兄と妹が留守番していた、その様子が「とても仲がいいように見えた」からだと。

後に弟とセックスすることになるこの妹さんは、「よくお兄ちゃんと留守番していた」と言う。そこにもまた、単純ではない家庭環境が垣間見えるが、特に明示されるわけではない。
彼らにとってそんなことはどうでもいいことなのだ。ただ、お兄ちゃんと一緒に留守番していた、その事実だけが、美しいんである。
それは「一度だけお兄ちゃんとセックスしたことがある」と、青春Hの企画の必須条件を満たす為のように告白されても、変わることはない。

いや、妹のその述懐がまた何とも美しいのだ。雨の降る夜、寒くて、ひとつ毛布にくるまっていた。そして……窓の外の雨の音や、言葉を交わさずとも、今この時だとお互いに感じた、いや悟った、二人のひそやかな息遣いが聞こえてきそうなのだ。

……なんていうのは、つまり“ようやく”出てきたカラミ場面は、本当に後半になってからで。
正直、ね。この妹さんが登場して、こんな重要な役回りを果たすなんて(いや、カラミという意味じゃなくて、それもあるけど、それ以上に)思ってなかったのね。
単なる挿話で終わるのかと思っていた。のは、このお姉ちゃんと弟の空気の密度が息苦しいほどに濃密だったから。

彼らは入れ違いの生活をしているから、帰って来た時にはお互いがまだ寝ている時もある。そんな時、彼らはドアをそっと開け、寝息をたてるお互いを確認する。
決して帰ってきて単純に着替えて、食事の用意をしているうちに相手が起きてきて、なんていうんじゃない。いつもそこにいる相手を、いとおしそうに確認する。

お姉ちゃんが、お姉ちゃんらしく「いつまでもこのままじゃいられないんだから」と決意して結婚を決め、弟にその相手と引き合わせる。
ブンむくれた弟が、自分と姉さんは普通のきょうだいじゃない。何度もセックスしたんだ、と吠えるように言った時、本当のことだと思った。やっぱり、とさえ思ったぐらいだった。

この場面、彼らの家から程近い海は、さびれた長屋が建ち並ぶ風情からして何とも寒々しく、激しく寄せては返す波も日本海!!って感じで、海に感じる楽しげな様子はまるでない。
後にお姉ちゃんが弟の家出事件を述懐し、朝になって海岸で行き会ったことを回想する時も、その回想をする時も朝で、朝の光が柔らかく二人を包んでいるんだけど、波はやっぱり、東映マークが出てくるかと思うぐらい激しい。
でも、だからこそか、この海のシーンが出てくる度ごとに、その印象はまるで違うんだよね。

弟がお姉ちゃんの結婚相手に吠えた時は、本当にもう、海の波も、吹き付ける風もとげとげしかった。うろたえるお姉ちゃんの様子に、この告白はホントだと思う気持ちが強まった。
しかもその結婚相手、先述した、唯一の名のある俳優である斉藤陽一郎(メチャイイ!)は、それを聞いて多少は動揺するものの、「それぐらいでお姉さんへの気持は変わらないよ」と言ってのけるんだもの!何たって斉藤陽一郎だから、ちょいと気弱そうな感じがあるんだけど、そう言ってのけるんだもの!

つまり彼は、彼女と弟との関係の微妙さを充分理解している訳で、それは後に、結婚式前日に「僕は彼には一生勝てないと思ってるから」とさらりと言う場面で更に明確であり。
そう、さらりとなの。強がってもいないし、自嘲でもない。気弱な感じは相変わらずなんだけど、彼に出会ったから、お姉ちゃんは「いつかは離れなければならない」決心が出来たんじゃないのかなあ。

で、かなり脱線したけど、この時の弟君の言葉はハッタリだったんだよね。パチンと弟の頬を殴って「なんであんなデタラメ言うのよ」というひと言だけで、それと知れる。
正直、それがウソだという証拠なんて提示できっこないし、なんたってこういう企画だし、彼がそう口に出しちゃったら、もう観客はそう思い込んじゃうよ、と思った。
でも、見事にこのパチンとひと言で、そうじゃないんだと知れるあたりが、二人の役者と、勿論演出もそうだろうけれど、達者さを感じさせた。

でもそれでも、弟だけでなく、やっぱりお姉ちゃんだって、そんな気持があったに違いない。留守番していた兄と妹をいつまでも覚えていたのは、彼らに漂っていた空気を敏感に感じ取っていたからに違いない。
そういうナイーブさを、しんしんと感じさせてくれるんだもの。

このシーンだけなんだよね、テレビがついてるの。弟が意地のようになってテレビを凝視してる。その他では、二人が食事しているシーンでも、ダイニングで、二人向かい合って、会話がなくて気まずそうになる時も、そういう時、スイッチをひねりそうなもんだけど、そうしない。
テレビってやっぱり、色々と無粋だからさ、でもこのたった一回、テレビがついているのが何とも効いてる。いかにもなメロドラマがぼんやりと映し出されてる。

姉さんと離れたくないんだ。そう、彼はハッキリと口にした。高ぶる感情を抑えきれなくて、弟を締め出そうとしてドアノブを握り締めるお姉ちゃんを、そこは男の力で制して、押し倒した。キスをした。してしまった。
……この場面の、息詰まる感じをなんと表現したらいいのか。凄くカメラが近くて、彼らの顔ギリギリに寄っていて、それはつまり、彼ら同士が近い、本当に距離のない芝居をしているということでもあって、ドアをはさんでの攻防は、その後の押し倒してのキスよりもドキドキするのだ。

あのドアは、お互い寝顔を確認していたドアは、彼らが思っている以上に重い境界線だったのだと。
弟はお姉ちゃんが“男を連れ込んだ”ことを、彼女の部屋に忍び込んで、引き出しの中にジッポを見つけたことで知り、お姉ちゃんはそのジッポを弟が盗んだと悟って彼の部屋を探す。
お互いが、いない時に。姉と弟だけど、入っちゃいけない境界線だったことを、判ってた筈なのに、なのに。

お姉ちゃんに荒ぶるようにキスしちゃう、ああ、ホントにやっちゃうの、と思った。これは青春Hの企画で、ここまでストイックなまでにエロがなかったから大丈夫かなあと思ってたぐらいなのに、いざこのシーンになると、うろたえてしまった。いいの、いいの、本当にいいの、と。
でも、彼が出来たのはキスまでで、のしかかられたお姉ちゃんは笑い出してしまう、のね。いぶかしがるような、困ったような顔をする弟の顔を愛しげに両手ではさんで、これぞ姉の、慈愛の笑みを浮かべる。
「もう、どうしていいか、判んないよ」
言葉とは裏腹に、それは年少者を慈しむ響き、なんである。

この弟君、演じる小林ユウキチ君が、絶妙に、ぜっつみょうに、弟顔、なもんだからさあ。弟顔なんていうものがあるのか、いや、ある、きっと、ある。
決め手はこの、唇である。あつぼったくて、いつも何か言いたげで、頼りなく柔らかそうな唇。なんかこう書いてみると、それってつまりセクシーってことじゃんと言われそうだけど、そうじゃない、決して、そうじゃない、のだ。

あのキス事件で、彼はお姉ちゃんの結婚をようやく容認したけれど、それでもまだ吹っ切れきれてはいなかった。
死んだ友人の妹との邂逅で、ようやくだった。ストリートでダンスの練習をし、噂では「お兄ちゃんのことが忘れられず、エンコウを繰り返している」という彼女。
“元カノが結婚することになった”と声をかけた彼を飲みに連れ出し、ホテルに誘う。

「ただの眠材だよ。これを飲んでやると、好きな人とやってるような気分になれるよ」そうして彼女は、お兄ちゃん、お兄ちゃんと言ってむしゃぶりついてくるもんだから、彼は困惑しちゃう。
でも、彼もまた、見てしまうのだ。きっと夢にまで見たであろう、彼とつながるお姉ちゃんを。あらわな乳房を。
「……姉さん……?」
ただ、例え幻覚の中であったとしても、二人のカラミは描写されない。ただ、お姉ちゃんは優しく彼にキスしてくれるだけ。

この妹さんはさ、彼が「姉さん」ともらした言葉を聞かなくても、ていうか最初から、判っていたと思うなあ。
「私たち、似たもの同士だね」と笑う彼女は、彼からお兄ちゃんのことは忘れろよと言われても、爽やかな笑顔を絶やさずに言うのだ。
「忘れられないんじゃなくて、忘れたくないの」彼女はこれからも、一回限りの男と、その相手をお兄ちゃんに見立てて寝るのだろう。

こんな爽やかな笑顔で言われると、それが彼女の悲壮な決意とか覚悟とかいうことさえ出来ず、彼女にとってのそれが幸せということなのか、と思わせてしまう。
ベタに、“似たもの同士”として再会した二人がこの後恋人同士になるとか、そんな雰囲気は感じさせない。一夜限りの邂逅。

ならば、彼はどうなのだろう。結婚式前日の、最後のディナーを仕事を言い訳にキャンセルした弟のそのウソを「仕事場に電話した」ってのがなくても見抜いていたんじゃないかと思うお姉ちゃんは、あの時と同じように海にいた。
心配したんだからね、と言うお姉ちゃんに、「ごめん、友達と会ってた」「姉さんより大事な友達?」たわむれのような言葉だけど、なんかドキッとした。

正直、この時二人が交わした会話を、あまりよく覚えていない。いやいや、眠かった訳じゃない(爆)。ただ、あまりにも画になりまくっていたから……このシーンが、チラシに使われていた写真のトコなんだよね。
凄く、いい場面だった。会話を覚えてなくても(言い訳)、この場面で彼らが、吹っ切れたことを感じさせてくれた。
それは別れではなくて、彼らが恐れ、でも避けようがないと思っていた別れではなくて、……こんなこと言うと、ホントベタなんだけど、きっと始まりだと、思った。

ラストシークエンスは、一人で暮らしている彼、古い家を補修しているところに、元カノが遊びに来ていて、あれもらっていい、これもらっていい、とねだっている。
長い春の末に、別れ話を切り出した彼女は、その時天井を補修していた彼に、どうせお姉ちゃんに言われたんでしょ、と皮肉り、お姉ちゃんの結婚話にショックを受けて呼び出された時にも、どうぜお姉ちゃんのことでしょ、と見抜き、つまり彼女みたいな人が彼のそばにいてくれればと思うぐらい、全てを判っていた女の子だったんだけど、でも、あらたな彼でなければいけないんだろうなあ、きっと……。

いつも二人で食事していた小さなダイニングテーブルで一人食事をしながら、お姉ちゃんからの電話を受ける。「明太子?うん、今ちょうど、パスタにして食ってる」
いつもお姉ちゃんが立ち、味噌汁の鍋から湯気がたちのぼっていた台所。弟の彼があうんの呼吸で野菜を切ったりボウルを手渡したり。恋人や夫婦ならば、理想だと思えた。なのに……彼らは姉と弟だったのだ、よね。

その後が語られる。そういえば「あんたが長男なんだから」と言われていた。離れることを恐れて、お姉ちゃんが結婚してここに住んで、俺は居候でいいよ、と言った時だった。お姉ちゃんの肩や背中をもみながら、そんな近いコミュニケーションに観客がドキドキしていた時だった。
一人になった彼は、後に、この土地を売ったこと、そして今は老人ホームが建っている、とモノローグする。
あらたな彼になるためには、そうするしかなかったのかもしれない。生活が、空気が染み付く一軒家は、気持を思い切るには辛すぎる。

離れたくないという言葉は、好きだとか愛しているとかいうことよりも、言われたい言葉のように思う。
そういえば、彼は、そしてお姉ちゃんは勿論、好きだとも愛してるとも言わなかった。そういう感情じゃない、そんな単純なことじゃない。好きなら、愛してるなら離れても大丈夫と言われることが怖いのかもしれない。そうかもしれない。★★★★☆


すーちゃん まいちゃん さわ子さん
2012年 106分 日本 カラー
監督:御法川修 脚本:田中幸子
撮影:小林元 音楽:河野伸
出演:柴咲コウ 真木よう子 寺島しのぶ 木野花 銀粉蝶 風見章子 佐藤めぐみ 上間美緒 吉倉あおい 高部あい 染谷将太 井浦新

2013/3/10/日 劇場(新宿ピカデリー)
さあ書こうかとオフィシャルサイトを開いてみて、その惹句に驚いてしまった。「結婚しなくていいですか」えっ、そういうことだったの、と。休日にのんびりさらさら観られる映画だぐらいに思って、さらりと好感触を得て帰ってきたのでちょっとビックリしてしまった。
“そういうこと”だと思って見ていたら、私結構イライラしたかもしれない(爆)。だってそういう、悩める年代の女性の話って、もうかなーり食傷気味なんだもん。
いや確かに本作が、女が必ずさしかかる、あらゆる選択肢を選ぶか切り捨てるかの年代を描いていることは百も承知だし、彼女たちの悩みや不安にそれなりに共感もした、けれど、あんまりそこに力点を置いて見ていなかったんだよね……。

もうひとつの惹句「ライフ・イズ、ちょこっと・ビューティフル」の方が、まあちょっと甘い感じはするけど、ぴったりしている感じがした。わざわざ重くて不安な方に力点を置いて見たくないような気がした、のは、そうした、“そういう映画”に食傷、以上に、疲れちゃったせいもあるかもしれない。
やたらナチュラル癒し系の映画が跋扈するのもウンザリはしてたけど、画的にはそう感じなくもないのに、不思議とそんな風にも思わなかった。
この三人の女優さんが、そんなふわふわガールではない、リアル系であり、リアル系なのにふわふわ画の中にいるという絶妙のバランスがそうさせたのかもしれない。

あるいは。三人の女性がいて、年齢もそれぞれだけど、三人のうちでは頭ひとつ抜けてメインと言えなくもないすーちゃん(柴咲コウ)と、まいちゃん(真木よう子)は、若干の違いはあるのかもしれないけど、同じような年齢っぽくて、さわ子さん(寺島しのぶ)とはちょっと距離があるんだよね。
で、私はさわ子さんの年齢に近い、というか、寺島しのぶ様とはタメだから(あー、タメなのに、なんでこんなに違うのかしら……)、やっぱりこの年頃の女性の方に共感を持つ。
でも、さわ子さんの環境は……その後自分にも降りかかるかもしれないけど、今のところまだ自分ひとりでのんびり暮らせているからなあ。

つまり、すーちゃんやまいちゃんの感じている漠然とした将来への不安、それにつながる恋愛や結婚の選択肢ってのが、やっぱりアラサーの年頃なのよね、そういうのリアルに悩むのって。
今になっちゃうと、もうそんなこと悩むだけ幸せよねと思って、微笑ましく思ってしまうというか。まあ、また10年後の私はそんなことを言ってしまえる自分を微笑ましく思うのかもしれないけど(爆)、だから、さらりと見てしまえたのかなあ。

すーちゃんを演じる柴咲コウ嬢は、実に久しぶりのお目見え。冷徹に見えるほどの端正な顔立ちなのに可愛らしい内面がにじみ出る彼女は真面目で純粋で、バリバリキャリアウーマンのまいちゃんから言わせればちょっと天然入ってるんじゃないのと思われるようなおっとりさが可愛い。
歌手活動の方が熱心なのかなあ、しかし改めて彼女はこういうアンバランスさがとても魅力的な女優さんだと思うから、もっと出てほしいよね。
まいちゃん、さわ子さんとは、バイト先で知り合って、その後も仲良くしている。すーちゃんはその時から料理の腕がたしかで、今はカフェのベテラン社員。ワガママなバイトさんや、要領のいい同僚にもぐっと耐えて仕事をしている様をちゃんと見ているオーナーから店長の誘いを受ける実直さ。

まいちゃんを演じる真木よう子様は、彼女こそよう子様と言いたくなるフェロモンと男気を併せ持つ、得難い女優さん。真木よう子は、真木よう子でしか、ないんである。
女の武器を振りまく年若い部下の幼さにイラッとし、女の武器を勝手に拝借する上司のデリカシーのなさにイライラッとする。
そして、恋愛はお決まりの不倫。当然家族を優先する相手についグチると「脅かすなよ」「……本音を言うと、脅かすことになるんだ」それこそ本音だったのに、ツマンナイとこだけ大人だから「ウソウソ」と冗談めかしてしまう。
「俺たち、このままでいいよな」……この台詞が彼女に、今まで見ないでいた選択肢を考えさせてしまった。

さわ子さん。自宅でパソコンにて仕事している様子は、ウェブデザイナーといったところ。いつからこの仕事をしているのか判らないけど、それなりに社会経験、人生経験、あるのかな。
でも実は、さわ子さんが一番、恋に対してカワイイんだよね。いや、この年になって出会った恋が、この年だから、結婚に直結しちゃったから、なのだろうか?
蕎麦屋の稼業を継ぐために帰ってきた同級生と、出前を運んできた縁で再会。とってもいい感じだったのに。
「年も年だから」結婚を意識するのも早かったのに、「親が孫の顔が早く見たいって、うるさくてさ、子供がちゃんと産めるっていう診断書?みたいなの、もらってきてくれる?」
あぜんとしたさわ子さんが、それでも気を取り直して彼に、あなたは?と聞いた時に、彼が、そうだよね、僕も受けるよ、と言ってくれていたら違っていた、だろう。でも彼は虚を突かれた顔をした。それで充分だった。

恋愛以前に終わってしまったすーちゃんはともかく、まいちゃんやさわ子さんの反応は、ひょっとしたら、世の男どもからしたら、え?たったそのひと言だけで??と思うのかもしれない。女は怖いと思うのかもしれない。
でも結局、それまでの蓄積があるんだよね。それをうすうす、あるいはじっくり感じていながら指摘しないできた女も悪いんだと思う、確かに。そして爆発する時は、ほんのひと言、ほんの、一瞬、なのだ。

そういう意味ではすーちゃんは、まるで中学生のような恋である。家庭的と言われたり、一緒に帰ったりしたことを頬を染めてまいちゃんに報告するもんだから、まいちゃんが「中学生かよ。恋愛の感覚、鈍ってない?」と呆れるぐらいなんである。
でも、そういう、“中学生みたいな恋”って、それこそが、恋、として素敵だよね、ドキドキして、目も見れないような、あの感じ。その先の結婚だの老後だのなんて、考える訳もない感じ。
一応「キス……5年ぶり」という恋愛経験はあるらしいすーちゃんだけど、本当に初々しくって可愛いんである。

その相手となるARATA……じゃなくって井浦新、カフェのマネージャーなんだけど、もう、彼だからさ、素敵なの!「とりあえず」の口癖をクスクス真似されちゃうような、まあつまりはいい年してちょいと弱気な男なんだけど……。
だからこそ、彼が同僚の、要領のいい女の子と結婚することになった時、しかもそれが、彼女の口からすーちゃんに告げられた時、ああ、やっぱりな……と思った。
このカフェのバイトの女の子や、まいちゃんの部下とか、つまり10代20代の子達が無遠慮に口にする、30になるなんて信じられない的な、その前にいい相手をつかまえなくちゃ、てなことを、マジに実践する女って、確かにいるんだよな、と。

つかまえることを大前提にしてマネージャーをからめとったに違いない、それはマネージャーがすーちゃんにキスした事件の時に思わずもらした、「こんなにあっという間に話が進められると思わなかった……」という言葉に明確。
そういう女は同性からは嫌われるけど、でも、彼女を責める訳にも、いかない。彼がすーちゃんに好感を持っていたことも彼女はちゃんと知っていたんだもの。
最後の最後に「ムリして結婚式に来なくていいですよ」と言い放ち、いい思い出として処理しようとしていたすーちゃんをボーゼンとさせるんだけど、でも幸せをつかむためには、ぐずぐずしていたらダメなのだ。すーちゃんも、マネージャーも、彼女の目からしたら、ただぐずぐずしていたように見えたんだろう。

この映画の惹句が“結婚しなくてもいいですか”ならば。つまりそこに幸せを見出せるのならば。
この“要領のいい女”が嫌われ役になるってだけの話で。
私ね、こういう、モノローグ進行の映画を見てるとふと思うことがあるのだ。そう、本作って、モノローグ進行なのね。
ワガママ言うバイトの女の子をなだめながら「別にやめてくれてもいいんだよ」とつぶやくすーちゃん。自分を都合よく使ってセクハラ発言する上司や取引先に「二人とも死んでくれないかな」とつぶやくまいちゃん。「私が結婚したら、この二人(母親と祖母)どうなるんだろ」とつぶやくさわ子さん。勿論、それぞれ心の中で。

で、彼女らのモノローグにいちいち共感しながらも、一方で思うのだ。彼女たちがつぶやく相手もまた、彼女たちに対して思っている筈だって。心の中でつぶやいている筈だって。
それを思うとね……ゾッとするの。いつの間にか、自分の心の声だけが正義だと思ってる。特に女ってそういうところがある。こんなにガマンしてるのに、ってどこかで思ってる。

だから、こういう、気の合う女三人ムービーは、お互いにセキララに悩み相談する訳じゃないと余計に、心地いいのよ。言わなくても判ってる、うんうん、みたいな。それがズルい心地よさだと気付いてしまうと、いたたまれなくなる。
この三人ならば、少なくともまいちゃん……ていうか、よう子様ならば、ズバッと言ってくれちゃいそうな気がする。でも、踏み込まないよね、いい意味でも悪い意味でも。

さわ子さんの家にすーちゃんとまいちゃんが訪ねた時、おばあちゃんは寝たきりでもう何も判らないからとさわ子さんは言ったけれど、すーちゃんが、ご挨拶させてほしい、と言って、さわ子さんとお母さんは顔を見合わせて破顔した。
おばあちゃんのお布団の中に、帰ってこなくて心配していた猫が潜り込んで気持良さそうに寝ていたことも、彼女たちのみならず、観客の心をもなんとも和ませた。

それはね、兄家族が訪ねてきた時、どうせ判んないんだから、わざわざ起こすのも悪いし、いいよ、と言ったことが、さわ子さんの胸にずっと引っかかっていたから。
この場面はとても象徴的で、言わなくても、抱えている問題、してほしいことが判ってくれるのは女同士だから、ってことを、さわ子さんの母親も巻き込む形で示されたのは、だから少しだけ寂しい気もした。
確かにそうかもしれないとも思うけど、でもそれが、パートナーとしての男性自体を否定することではないと思うし、それじゃあんまり寂しすぎる。
すーちゃんとまいちゃんの破れてしまった恋は切ないけど、でもその恋の気持の素敵さは、確かに相手の男性がいたからこそだったんだもの。

まいちゃんは、またちょっと、違う。彼女はやっぱり、一番シビアに現代の女性の問題を伝えている。
一人のキャリアのある社会人として、それだけで働けない、女という要素が絶対に入ってきてしまうことに歯がゆさを感じながらも、結婚年齢、ていうかズバリ出産期限、そしてそれが示す、人生の期限を感じて、不倫を清算し、キャリアを捨てて“まっとうな結婚、出産”を選んでしまう。
……シビアで現代の問題と言ってしまったけれど、めっちゃそのステロタイプでもあって、こう決着をつけられちゃうと(ついてはないけど)、重い石を飲み込んだような思いになる。
本当にこれで良かったのか。「頼める部下も、頼んでくる上司も、つまり頼れる存在であった自分の、もうありはしない“その後”を考えてしまう」
なんでこんなことになってしまうのかは、それこそステロタイプ、超超ステロタイプに、いつまで経っても、いつまで経っても、いつまで経っても!変わりはしない日本の男性社会にある訳で、まあその分、それこそ男性にも沢山言い分があるのは判ってるけどさ!でも、ホントにホントに、変わらないよね……。

タイトルは三人だし、冒頭はうっそうと茂る森と思しき木々をバックにのんびりとピクニックランチを楽しむ三人、なんだけど、その後は三人が一緒に顔を揃える場面はなかなか、ない。それぞれの仕事やさわ子さんの家庭の事情などがあいまってってこともあるけど、街の中で偶然行きあったりするのも含めて、年の近いすーちゃんとまいちゃんが一緒することが多いんだよね。
さわ子さんと年がシンクロする当方としては、何となくそれが寂しかったりして(爆)。だって、本作で最も印象的な、臨月を迎えたまいちゃんが写真館で写真を撮る場面に付き添っているのはすーちゃんで、それはさわ子さんが都合が悪いからとかいうことさえなくて、まいちゃんはすーちゃんを呼んだ訳でさ。
今までキャリアウーマンだったまいちゃんが、結婚、出産という選択をして、でもそのことで今までの自分がなくなるようで不安だと、今までの自分を覚えていてほしいと言って、すーちゃんを呼び出した。

……やっぱり、さわ子さんでは、ダメだったんだと思う。年が近くて、外で同僚や取引先と関わる仕事をしているという点でもさわ子さんとは違うし、彼女たちは、さわ子さんの結婚寸前まで行った恋の話を知ってはいても、やはりリアルには感じてなかった、よね。
なんかそれが、ふと寂しくて……この写真館でのすーちゃんとまいちゃんが、すーちゃんがまいちゃんを凄くいたわってて、彼女の本当に欲しい言葉をあげられないことを歯がゆく思ってて、そんなセンシティブにさわ子さんは、さわ子さんの年齢になってしまった女は、加われないんだなあ、と思って……。

三人が、「見るだけならタダ」と、遊び感覚で東京を一望できる億ションを内見、はしゃぎまくる。こういうの、やってみたいなあ。一度、億ションって見てみたいっていう女子的ノリ、あるよね。今度企画してみよう(爆)。
その中で、今度ヘリコプターに乗って見てみようよ、と誰が提案したんだったかなあ、とにかく三人、大乗り気だった。でも結局、それに一人だけで乗り込んだのがすーちゃん。これだけでもやっぱり、すーちゃんが頭ひとつ抜けたメイン主演だったと判る。
濡れたようにキラキラと光る夜景をヘリの窓から、やけにやけに幸せそうに眺めるすーちゃんをじっくりと静かに見せる。……なんか、意味もなく、いや、意味はなくはないけど、とにかく、泣きそうになってしまった。
なんでだろう。何か判らないけど、すーちゃんの決意というか、腹をすえたというか、何かを感じたのだ。

すーちゃんはマネージャーに失恋したけれど、実は新しい恋がもうそこまで来ている。最初っから、このキャストならそうだろ、と丸判りだった染谷君演じるバイトの男の子。
物語の冒頭、三人のピクニックランチで、あれはまいちゃんだったかなあ、出席した結婚式で新郎が新婦より10も年下で、肌がピチピチで、なんて話をしてて、10年下ってアリ?ってことで盛り上がって。
その時すーちゃんは、「顔が老けてるんならアリかな」と、すーちゃんらしい天然発言をして、二人から突っ込まれまくったんであった。

染谷君は全然顔は老けてないけど、逆に柴咲嬢の方が、先述したような、一見年相応の女らしさを持ってるのに、幼いようなポーっとした可愛らしさを持っているからさ。予感だけなのに、メッチャこの二人の今後に萌える訳!
なんかさー、染谷君は年上女性にあてがわれちゃうよね、そんな度量と、オネーサンが萌えちゃうぜっつみょうの色気があるんだよなあ! ★★★★☆


スクールガール・コンプレックス 放送部篇
2013年 96分 日本 カラー
監督:小沼雄一 脚本:足立紳
撮影:相馬大輔 音楽:宇波拓
出演:森川葵 門脇麦 近藤真彩 吉倉あおい 今野鮎莉 高井つき奈 新木優子 寿美菜子 長谷川朝晴

2013/8/26/月 劇場(シネリーブル池袋)
ああ、こういう感じ、好きっ、とか思いつつ、ラストクレジットに流れる少女たちの瞬間瞬間にときめきながらも、なんとなく、どことなく、ツボを抑えきれないな……という感じがしていたのはどうしてだろ。
それこそ、ラストクレジットに流れる少女たち、なのだ。それは静止画、いや写真。
そもそも心惹かれたのはポスターに映った、少女の時をそのまま焼き付けたように、つくねんと手をつなぎたたずむ二人の主演女優のみずみずしい瞬間であり、劇場のあちこちに飾られた写真たちも、その想像と期待を膨らませるカットに満ちていた。

……んだけど、これは映画のワンカット、ではないんだよね。あくまで写真。つまり本作は写真集を原案に作られている、とのことで、その企画自体はとても面白いものだと思うんだけど、その写真家さん自身がこの物語にまで携わっていたのかどうかは……どうなんだろう。
少なくとも写真の魅力が、映画にストレートに反映させられていたかどうかは……いや、物語は決して、悪くないと思った。

学園祭前に揺れ動く少女たち。部活に真剣に取り組みながら、その一方で揺れる心は青臭く、そして生々しく、そして瑞々しく、赤裸々で、そしてまぶしいほどに純粋さに満ちてる。
一つ一つのエピソードは、現代の少女たちがこんなに純粋でいいのと思える透明さに満ちており、その一つ一つが、それこそ写真の一枚のように心に残る。
残るんだけど……写真の一枚にしか過ぎない、と言ってしまえばそれまでかもしれない。何か、何を言ってもうまく言えないけれど、彼女たちはとても美しいんだけど、切り取られた美しさの中で、生きている感じがあまりしないというか……それが魅力と言ってしまえばそれまでなんだけど。

難しいんだよね。最初に言ったけど、こういう感じは好き、と思う。どこか不機嫌な少女の季節。一方で、純粋でまっすぐで一生懸命な少女の季節。
異性と生々しい恋愛をする以前の、自分自身の理想に恋するかのような少女同士の恋心は、何人ものクリエイターが触手を動かすだけの魅力があって、本作の少女たちも充分にその期待には応えていたと思う。

でも……。そう、言ってしまえば、それだけに没頭してほしいような感もある。学園祭前の、これまで一生懸命に頑張ってきた部活動の成果を発表しようという少女たちの意気込みと、この少女の季節の心の揺れ動きが上手くマッチングしない。
というか、正直、この放送部の彼女たちが、そんなに言うほど部活動に熱心に取り組んでいるように思えない。
いや、ね。別にそんなことはいいのよ。このテーマで熱心に取り組んでて、スパルタで、私たち、一生懸命にやってきたじゃない!!なんていう方向に進んでしまったら、それこそこの映画を作る意味はないと思うのよ。

しかし実際に、そうしたアツい部員は登場するし、主人公である部長のマナミだってこの学園祭のために頑張ってきた筈。
なんだけど……ああそうか、そのマナミが両方のベクトルに引っ張られる形になって揺れ動くのが、もうもっぱらチユキに対する思いの方がクローズアップされる形になってしまうから、なんかグダグダだなあ、などと思ってしまうのかなあ。

というか、このマナミが心優しい部長で、学園祭での発表の方向性もなかなか決められずにいる上に、突然入ってきた部員、チユキを部員たちに溶け込ませることが出来ないばかりか、独断で遠ざけるようなことをしちゃったりして、一体マナミは本当に放送部の活動に熱を入れているのか、疑問なところがあるからなあ……。

いや、ね。先述したとおり、この少女の季節を描くなら、そんなことを気にする必要はないのだ。でも、それを感じさせてしまったら、そればかりが気になってしまう。これは本当に難しい問題だと思う。
この設定を改めて思い返してみると、「桜の園」を思い出したんだよね。まあ遠い記憶なんでよく覚えてないけど(爆)、「桜の園」はその、少女の季節の心の移ろいにこそ、没頭してくれていたと思う。
創立記念日での演劇部の発表は、あくまでそのバックグラウンドとして語られるんだけど、でもそこには、彼女たちがそれに向けた練習はきちんと、真剣になされたんだろうという、暗黙の前提がある。
だからこそ少女の季節の物語が成立する。真剣な少女とうつろう少女の二律背反が。

本作はうっかり、その活動も丁寧に描いてしまうから、チユキに惹かれていくマナミが、放送部の活動にちっとも情熱を注いでないように見えてしまうという思わぬ副作用が発生しちゃった、気がする。
しかも、放送部という文化部の活動。もちろん彼女たちは、「NO発声練習NOLIFE」と掲げるほど、体操着に着替えて屋上で発声練習、先輩後輩の関係も厳然と存在していて、実に真面目に活動している訳なんだけど、……見せ方の問題なのか、あるいは先述してきたマナミの描写のせいか、どうにも生ぬるく感じちゃうんだよね。

学園祭が近づき、放送部である彼女たちが昼休みに放送する、「文化部にとっての、体育祭での汚名返上のチャンス」みたいな言い方に、何か失笑を買ってしまうような感じ。
だって、放送部の出し物はなかなか決まらず、しかもそのキャストも数日前まで決まらず、しかもしかもそのキャストが当日ドタキャンするという様に至っては、それこそ運動部のメンメンには、だから文化部は、と失笑されかねないていたらくじゃん。
朗読劇で、皆が練習してて、だから誰でもオッケー、みたいな流れだからこそなんだけど、それじゃ実際活動している放送部女子は激怒するんじゃないかしらん……。
しかも、最終的に、マナミが部長の独断で直前に決めたのは、部に入ったばかりで、練習も始めたばかりのチユキだっていうんだから。しかもそのチユキは当日ドタキャンするんだから!!

……いや、私は文化部&帰宅部女だったから、妙にこだわってしまうのかもしれない。
文化部女子の間の淡い恋心、自分ではどうしようもできない心の葛藤、なんたって学校というときめきまくる場所、しかもしかも、この時期に出会ってしまったらもうどうしようもない太宰治。
と、もうもうもう、好き好き要素満載だからこそ、凄く、悔しいんだよ。すべてが、腑に落ちたら、どんなに素敵だったろう、って。

主人公、マナミの前に現れた、もう一人の主人公と言うべきチユキは、最初、劇中で言われているような、“美少女”には見えなかったから、放送部に途中入部してきたチユキに年少女子がキャーキャー言うのには、戸惑った。
美少女と言うよりは、個性的な顔立ちだと思った。何となく違和感があったんだよね。

でも、チユキがみそぎよろしく髪をすっぱりとショートカットにして現れた時、一気に心が奪われた。
恐らく彼女、髪が中途半端に長い前半シーンはウィッグつけてたとかじゃないのかなあ。後から思えばその不自然さが、イマイチな感じを引き起こしたんじゃないかと思うもの。

そんなチユキのことを、いきなり途中入部する前からマナミは知っていた。というか、心に焼き付けていた。
風鈴の音に振り向くと、空いた教室(?なんか畳敷きのような……)で、文庫本(後に太宰治の「女生徒」と知れる)を読みふけっているチユキ。その彼女に濃密なちょっかいを出している、これまたコケティッシュな美少女。
首筋にキスをしたり、ひざまくらをさせて、スカートの中にチユキの頭を突っ込んだり。別にナニをするって訳じゃないんだけど、ナニかをしている予感を感じさせる、桜色したエロティック。

そしてそれをふと覗き込んでしまう、いかにもマジメで純情なマナミが、足を踏み入れる瞬間といったワンカット。
恐らく写真集が原案になっているという部分が、こうした瞬間のシーンに反映されているんだろうと思うし、冒頭近くのこのシーンは、首筋に汗をかいた少女の、甘い汗の匂いがたちのぼっていそうで、永遠の一瞬を見せつけられたような軽いめまいを感じたぐらい。

ある意味、そうした印象的な一瞬を、いかに印象的に演出し続けるか、という難しさがあったんだと思う。
思い起こせばこの手の(という言い方はあまりよくないと思うけど……ついそう言っちゃいたい気持ちになる)“印象的な一瞬”は数多く用意されてる。

つっぷしてうたたねしていたマナミにキスしようとしてマナミが目をさまし、慌てて取り繕うアイ。
チユキにメイクされて「やっぱり思った通り。キレイになると思ったんだ」と、こちらはチユキにキスされそうになるマナミ。
マナミとチユキが友情を深めあっている会話を、部室の外の放送ブースからヘッドホンで盗み聞いているアイ。
マナミに思いを伝えようとして、逆にマナミのチユキへの思いを指摘してしまうアイの切なさ。
そのシーンはプールサイドの掃除というキュンキュン極まりないシチュエイションで、ホースで水を掛け合うというのは勿論のことだが、自分の気持ちを伝える前に相手の気持ちを指摘してしまったアイは、逃げるようにシャワーの栓をひねり、制服のままびしょ濡れに浴びる。「ああ、涼しい」と言いながら。

……こうして書くとバレバレだと思うけど、つまりは私は、マナミの親友であり、放送部副部長の一人であり、チユキに嫉妬を抱きながらも、マナミの好きな人だからという思いから親しい態度をとってしまう、このアイちゃんこそがお気に入りなのだよ!
彼女は、私が欲求する少女のゆらめきを、ただ一人完璧に表してくれている存在。マジメでかたくななもう一人の副部長との間を見事な中立でとりもち、しかしだからこそ積み重なった思いを、学園祭本番で爆発させる!ああ、ときめきの少女よ!!

正直あんまり美少女じゃないあたりも(爆)萌える!いや、整っているのが女の子の可愛さではないのだ。この子の、陶器で出来たような白くすべらかな肌と、アンバランスな顔のパーツが、何とも言えないキュートさを生み出しているのだよ。
それは完璧美少女のマナミとの対照で、余計にアイの、長年の片思いの切なさを演出するのだ。

アイがね、学園祭の朗読劇のバックに流すためのイメージビデオ撮りで、いい雰囲気で話しているマナミとチユキをジャマする形で、貞子よろしく窓からデローンと垂れ下がって、撮影している後輩をキャーと怖がらせちゃうとか、コメディリリーフであるあたりが、なんか泣けるんだよなあ……。
マナミとは行きつけのタイ焼き屋でのシーンが繰り返し描写され、アンマヨだのアンキムだのといったビミョーなメニューに二人で舌鼓を打つ、そうやって大事に築き上げてきた友情だったのに。

いや、二人の友情は、壊れることはない、だろう。アイはマナミに、学園祭のステージの壇上で告白し、玉砕したけれど、だからこそ、二人の友情は続いていくだろう。そこに闖入したチユキという存在があったから。
アウトローのチユキは、最後までアウトローであり続けた。しょーもない男に引っかかって金を無心され続け、そのためにバイトをしたりしてきたことで、留年したというのがチユキの過去であった。
チユキが読んでいた太宰の「女生徒」も、その彼氏から、「お前っぽいから読んでみ」と言われたからこそ、であったという。

その時点で、もうマナミの負けは決まっていたのかもしれない。

学園祭で披露する朗読劇が「女生徒」に決まり、その前に部員の記録用でチユキの朗読する「女生徒」をブースの外側から見つめていたマナミ。
その朗読をチユキに指名したということは、マナミのチユキに対する評価は、このふがいない彼氏と同じなのだもの。

チユキはマナミと出会い、初めて友情というものを感じ、本気でこのクズ男と別れようと思って、待ち合わせ場所にマナミをつきあわせる。
これが、のどかな田園風景を延々自転車の二人乗りで進んでいく描写で、ピンポイント的なタイ焼き屋のシーンなどはあっても基本、学校のシーンがほとんどだったので、こういう地域設定だったのか、とちょっとビックリしたりする。
それならもっと早く示してくれれば良かったのに……などとウラミ節を言ってみたりして。だってやっぱり、そういうので全然違ってくる。
それを知ると更に、マナミの学園祭への思い入れの薄さが、……先生や友達は、マナミの優しさだというけれど……、どうもしっくりこない思いを改めて感じるんだよなあ。

今は情報化社会(という言い方自体、古いか……ネット社会と言った方がいいか)、地方と大都会の見た目の違いがほとんどなくなったからさあ。チェックのミニスカの制服が、全国ほとんどだしさ。
後輩の西訛りを再三訂正する場面が出てくるのは、ひょっとして、チョイ地方の彼女たちの、それなりのプライドがあるということなのかなあ、などと思ったり。

チユキがマナミをつれて行ったクズ男との邂逅の場面も、そうしたのどかな場所であり、別れを告げに行った筈が、「次に会う時は5万持ってこい」と言われたチユキが、それをマナミに涙ながらに報告する。
ちゃんと別れるつもりだった。友達と一緒なら、出来ると思った。勝手に新谷さんのこと、友達だと思って、ずうずうしいよね……。

恐らくこのシーンが、本作の中で一番リキ入れられていたんだと思う。まだ日の長い夏の午後、しかしもう晩夏、クズ男がブオーンと去ってしまう。
チユキがマナミに告げる、友達、の言葉は愛の告白めいてて、チユキは幼子のようにマナミに抱き着き、二人座り込んだまま、夕暮れを迎える。
最初は夏の光きらめいていたのが、お互いの顔も見えないぐらい暗くなっていく、この青春を切り取ったひとときにこれは絶対、監督さんがこの時間経過をやりたい、って思ってやったんだと思う。絶対、絶対!

チユキはマナミにメイクをして、キレイになったマナミを賛美した。アイはメイクをしたマナミから顔をそむけるようにして「化粧、あんまり似合わないよ」と言った。
チユキがマナミにメイクをしたのは放送部部室の録音部屋という、実にひそやかな場所で、部長特権のような場所なのか、マナミは常にそこでくつろいでた。
そこに入れるのはアイだけだった、ということなんだろうと思う。ハッキリそう定めてなくても、長年の親友という立ち位置をアイは間違いなく獲得していたし、それはあののどかなタイ焼き屋シーンに象徴的に現れていた。
でもそこに、アイにとってはまさしく、闖入者のようにチユキが現れ、部室にあっさりと入り込み、そこでマナミにメイクを施し、キス未満を演じてみせた。

アイの言う通り、マナミはメイクが「あんまり似合わない」と思う。それは、アイと一緒にいるタイ焼き屋で言われたシーンで、確かにそこでは、似合わないんである。
ただ、チユキにメイクを施されたシーン、ほの暗い、黒いカーテンを引いた部室の、ガラス窓に映されたメイクをしたマナミは、たじろぐほどに美しかった。
でもそこから一歩出ると、似合わない化粧を塗りたくった女の子になってしまう。チユキに肩を抱かれた、メイクしたマナミはあんなに美しかったのに、そのメイクのままタイヤキ屋でいつものようにアイと興じるマナミは、アイの言うように、似合わない。浮いているのだ。

そういう意味でも、この結末は、避けられないもの、もう決められたものだったのかな……。
正直、マナミが恋の心に引きずられるようにしてチユキを朗読キャストに抜擢し、アイが自らの苦しい気持ちを抑えてその提案を後押ししたのに、チユキはクズ男の元に行ってしまってドタキャン!いや、そりゃーねーだろ!!
いや、確かにフツーに?考えれば、チユキはもう最初から闖入者で、マナミにとっての恋の相手で、だったらまさかここでフツーの?映画みたいに、無事舞台を勤め上げて大団円というのもおかしいと思ったけど、それにしても!

でも、それにしても、ってコトだったのかな。チユキはもう、後戻りできないのかな。
大切な友情の約束をドタキャンする(しかもそれは、せっかく納得してくれた部員全体、そして学校の問題にも波及するのに)ってことは、そういうことなのかな。
三年生の部員皆で分担して朗読した様子が、地元FMで流れ始める。それをチユキはクズ男の車の助手席で聞いている。
……文庫本に涙を落とすぐらいだったら、人間として、いやさ、友達同士として、約束は守りなさいよ!……うーむ、どんどん無粋なことしか言ってないな……。

キラキラ輝く少女の季節を描くのは、かくも難しいか。ありえないぐらい長い睫とエロい上下ふっくら唇がヤバいマナミ役の森川葵も、クールな個性派美女、チユキの門脇麦も皆とても良かったのに。アイを演じる近藤真彩は特に!クライマックスの鼻の下の汗のかき具合がグットだった!
……いやでも、まあでも、なんというか。チェックミニスカから覗く生足の太さ加減がまぶしいが、これもまた私らの世代にはなかったなと思う。
青春のモヤモヤを悩んでて、それが時には家庭環境もあるのかもしれないのに、それを示唆するようにチユキの住むアパートは、判りやすくボロボロのコーポ、って感じなのに、それらは軽くスルー。
スルーするぐらいなら、思わせぶりに出されてもと思うが、チユキのバックグラウンドを示す、という意味合いだったのかなあ。でもそれもなんか古い手のような気がするけど……。★★★☆☆


鈴木先生
2012年 124分 日本 カラー
監督:河合勇人 脚本:古沢良太
撮影:ふじもと光明 音楽:大友良英
出演:長谷川博己 臼田あさ美 土屋太鳳 風間俊介 田畑智子 斉木しげる でんでん 富田靖子 夕輝壽太 山中聡 赤堀雅秋 戸田昌宏 歌川椎子 澤山薫 窪田正孝 浜野謙太 北村匠海 未来穂香 西井幸人 藤原薫 小野花梨 桑代貴明 刈谷友衣子 工藤綾乃 三浦透子 松岡茉優 吉永アユリ 松本花奈 鈴木米香 中西夢乃 澤田優花 森野あすか 馬渕有咲 山口愛 安田彩奈 久本愛実 福地亜紗美 鈴木梨花 齋藤隆成 岡駿斗 中澤耀介 影山樹生弥 柿澤司 三宅史 伊藤凌 小山燿 中嶋和也 西本銀二郎 米本来輝 下山葵

2013/2/11/月 劇場(丸の内TOEI2)
例によってドラマは観ていなかったし、元々ドラマの劇場版という進み方はあまり好きじゃないんで、正直観る気はあんまりしてなかった。ドラマ版が賞を色々とったとか言われてもなあ、映画とはまた違うでしょ、などとも思っていたし。
しかしなんかいつまで経ってもかかってるし、あれ、これひょっとしてヒットしてる?と……。「モテキ」の例もあり、テレ東は侮れないからなァなどと自分に言い訳して結局足を運ぶ。そして、驚いた。

いやあ……なんか、押し切られた、っていうか、何コレ!っていう、驚き。それこそ「モテキ」のように、ドラマを見てなくてもそこからは切り離されて、仕切り直しされている様な感じではないと思うのよ。
いやそれこそ観てないからアレなんだけど、タイトルには“Lesson11”と銘打たれている、てことはきっとドラマは10回で終了し(そのとおりだった)、その純然たる続きというスタンスなのだろうと思われた。

特に登場人物や設定のあれやこれやが説明される訳でもないあたり、よくあるドラマの劇場版のもたつきが潔く排除されていて、かといってそれはファンありきの目線という訳でもないクールさがあって、これは今までにないパターンだわ……と思った。
結果、生徒たちに関してはヒロインの女生徒、小川蘇美はじめの何人か以外はさらりと触れられる程度で、観ている時はちょっと焦る気持がなくはなかったのだが……でもそれは、これが前身にドラマ版があると思って見ちゃってるせいもあったかもしれない。

そう思っているから、ドラマ版、あるいは原作での鈴木先生はもっとモーソー男で、それこそがフューチャーされているのかもしれないと思ったり。
何せ本作はこの中学の卒業生による立てこもり事件が大きなクライマックスに用意されているから、それはいかにも映画的だしさ、意外な面白さにビックリしただけに、レギュラーのドラマはどうだったのだろうかと今更ながらに気になったりする。
うー、再放送も見るチャンスはあったのに、逃したんだよね。それは「モテキ」の時も。ダメすぎる、私……。

本作は稀にみる低視聴率だったという。しかし稀に見る好評価を受け、劇場版を作ってみたら低視聴率なんてどこへやらのスマッシュヒット。
ほおんと、テレビの視聴率なんて当てにならない、と思う。大体、視聴率の機械を置いてる家庭なんて行き遭ったことない。ホントにあるの、と思っちゃう。
その点、映画は動員数で明確に判る。まあ動員数が作品自体の評価じゃないけど、そこに戻っちゃうけど、テレビの視聴率の不透明さに比べれば、ねえ。それこそ今は録画率の方が重視されるべきと言うのはよく言われることだし……。

まあそれはさておき。私ね、そう、ドラマ見ないからさ、近年ブレイクしている彼、長谷川氏を初めて見たのよ。そう、それこそセカンドバージンもミタも見てないワケよ。
もちろん、彼が力を築いてきた舞台も知る由もなし。鈴木京香との浮名の噂ぐらいでしか名前を見知ってなかったから、ほう、どんな色男かと思ったら、これがビックリ、ホント、ビックリするぐらい、フツーのお兄ちゃんだった。

でも、びっくりするぐらい、顔の筋肉が柔らかく(え?最初に言及するの、そこ?)、妄想マンの鈴木先生、原作が漫画というその元の画が見えるほどの表情の劇的変化に惹き込まれてしまった。
いやー、このお顔でセカンドバージンで鈴木京香先生と浮名ですかとついつい思っちゃうような(いやいや!)、ほおんとに、柔らかい顔がマンガチックな面白さで、この人の初主演を持ってきたテレ東はやあっぱさすがだよなあー。

鈴木先生が鈴木先生たるゆえんは、独特の教育メソッドを持っているところなんである。それこそ映画版ではその片鱗がちらりと示されるぐらいなんでなかなか判りづらいところなのだが、少なくともよくある熱血教師ではなく、かといって生徒に嫌われているような先生でもなく。
凄く、難しいのね。映画版で見る限りでの彼のメソッド、こっちの解釈を言っちゃったら、そうじゃないよと言われてしまいそうで(爆)。

判りやすく示されていたのはアレかな。問題児に時間を割くのではなく、普通の子こそが磨耗されているのだから、と。
劇中、卒業生が学校を訪ねてくるシーンがある。気さくに招き入れる鈴木先生だけど、鳶姿の彼が尋ねてきたのは鈴木先生じゃない。
「鈴木さんはさ、優等生が好きなんだよね。でも卒業した後、鈴木さんを訪ねてきたヤツ、いた?」そのシーンに出くわした女生徒が皮肉っぽく「イタいとこ突かれたね」と鈴木先生に言い、彼は何も言い返さない。

本作は常に鈴木先生によるモノローグで進行していて、それが時にアブない妄想にも発展するんだけど、この時に、先述した「問題児に時間を割くのではなく……」ていうのが語られるのね。
冒頭近くのシーンだし、ドラマ版見てなかったし、モノローグのみで他の誰にも語ることはなかったし、後に鈴木先生が妊娠中の妻に自分の“実験”(これも映画版を見ているだけではなかなか飲み込みにくいファクター)は自分だけの思い込みなんじゃないかと弱音を吐いたりするから、このセンセー、クラい理想主義者なだけなんでないのと、思いそうになるんだよね。
……そう、あえて思わせてしまうほどの、つまり説明過多になりがちなドラマの劇場版にはない、感覚があるんだよなあ。

本作に、クライマックスが要素が二つある。生徒会役員選挙と、立てこもり事件である。こんな風に二つ並べちゃうと、アッサリと後者の方がエンタテインメントとしてさらっちゃうように見えるんだけど、決してそうではないあたりが、スゴいんである。
生徒会役員選挙は、鈴木先生のクラスの、優秀だけど何を考えているのかイマイチ判らない男子生徒が、生徒会なんて興味ない筈なのに立候補し、彼のとりまきもまたそれに賛同したことから始まるんである。

いや、始まりは、この学校に“帰って来た”足子(たるこ)先生からである、よな。富田靖子!キョーレツ!しかもメッチャハマッてる!!大林信者である当方としては、彼女がこんなコワい女優になるとは思いもしなかったよ!!
しかもそれは、その年若い頃のイメージも不思議と裏切らないんだよね。その誠実、真面目さ、一点の曇りもない感じ。それが、この、自分の正義以外は排除してしまう、足子先生にハマッちゃうんだよね。

ドラマ版ではそれゆえに壊れてしまって、休養をとり、このたび帰ってきた、ということらしい。彼女の中で受け入れられないものは排除するという、ワザを身につけて帰ってきちゃった。それゆえ、グレーなことも容認する鈴木先生は、彼女の視界に、ていうか認識上に、入ってないんである。
それはその後、足子先生が推し進める、公正な生徒会選挙、完全な有効投票に反発する鈴木先生のクラスの出水の生徒会長立候補、その演説で見事に彼女は論破されるんだけど、その途端、出水たちクーデターグループが彼女の視界に入らなくなる点で最も明瞭に示されるんである。

そう、この生徒会選挙、立会演説、先生たちが本当にいい演説会になったとわざわざ言わなくても、観客に非常に訴える。
後に映画的盛り上がり満載の立てこもり事件が起こるけれども、決して色あせない、こここそがクライマックスと言える素晴らしさ、なんである。それこそが、本作の、凄さだと思う。
あのね、ちょっとね、「悪の教典」思い出しちゃったんだよね。いや、全然違うんだけど、あっちは高校だしさ。テーマも物語も全然違うんだけど。
でも、先生が主人公、一見サワヤカな青年教師、実は……てぐらいまでは、ちょっとだけ、似てるじゃない。まあその、映画としての導入部っていうか、おもいっきり大雑把に言えば、教師モノ、っていうかさ。
でも本作は、ていうか多分、「鈴木先生」自体が、入り口は先生を借りながらも、きっと主人公は生徒、生徒たちというスタンスなんだよね。

出水たちが起こす“テロ”(先生たち曰く)は、小学校の時の生徒会占拠における絶望から始まっていた。有効投票100パーセントが理想なんじゃない。選びたい候補者がいないんなら該当者ナシと書けと言われるけれど、そうじゃない。有効投票を強要することによって、本当に信頼しうる候補者が落ちてしまうこの選挙システムそのものを否定したいんだ、と。
足子先生の“正義”は何の落ち度もないように思えたし、実際鈴木先生も、何かどこか釈然としないながらも、その時は明確に反論するだけの材料が見つからなかった。
でもそれは、後に、というか常に鈴木先生は語っているんだけど、グレーゾーンを残すこと、であり、いい社会を作るためにと厳格にして逃げ道を残さないことが、本当に正しいのか、ってことで。

それは劇中、実にコミカルに示される、喫煙室のシーン、窓ひとつない、思いっきり追いやられている感タップリの空間で、喫煙=悪、禁煙への誘いの張り紙が拷問のようにベタベタ張られている。
まあ私はたばこはキライだし、職場なんて狭い事務所に男性社員10数人全員煙草吸ってて、なんとゆー時代錯誤、おめーらの煙草の受動喫煙でガンにでもなったら殺してやろーかとか思ってるクチだからアレだけど(爆)、でも嗜好物として考えた時に煙草や喫煙者が受けている今のちょっとしたヒステリックな環境は確かに、何となく、アレかもな、と思うところはあるんだよな……言いたくないけど……。

ていう、ところからつながって、この本作のクライマックス、なんである。ジャニーズとは思えない、クラい屈折したワカモンを演じさせたら右に出るものはいない風間俊介、まーあまりにもピッタリ過ぎて、彼の今後が心配になるぐらいなんである。
彼演じるユウジは卒業生。同じ卒業生の満と灰皿のある公園のベンチで時間をつぶす毎日。
後に彼曰く、学校の言うとおりいい子にしていたのに、このザマだ。当時問題児だった、不良だった、ヤリマンだったヤツらは、つまり学校や先生に手をかけてもらっていたヤツらは、起業したり玉の輿に乗ったり、まんまとオイシイ人生を送ってやがるんだと。

ここに至るまでに、先述のように鈴木先生のメソッド、主張するところ、問題児よりも、問題のないように見える生徒、というのがまさにバチッと昇格するんである。
しかしここでスゴいのは、鈴木先生はそうした生徒たち、そうした、っていうか、全ての生徒にだけど、驚くべき処世術をさらりと授けてるトコなんだよね。
優等生、あるいは問題児、いい先生、将来出会うかもしれないヤな上司、その誰もが、それを演じているのかもしれない、本質は違うのかもしれない、と。

ま、そこまではいい。それは人生を教えるひとつとしてまだいい。驚くべきことは、それが、演じているということが、別に悪いことじゃない、時には必要なことなのだと、鈴木先生が、しかも特別授業とかそんなんじゃなんくて、授業の延長で、さらりと、笑顔で、ちょっとフザけた雰囲気さえも漂わせて、教える、授けることなのだ。
これって、さ。自分じゃないキャラを演じるってことはさ、大人になって、社会人になって、周囲から浮かないようにする時、あるいは子供の時でも、仲間からいじめられたり、親や先生といった大人から辛い目に合わされたりした時に、とりあえず楽な場所に現実逃避する時に、とる方法、じゃない。

それは確かに必要なこと、だってそうでもしなきゃ、切り抜けられない、生きていけないもの。でもそれは、世間的には、一般的には、ズルい、卑怯だ、闘わなければ解決にならないとか、いうことになるじゃん。
いや、セラピー的に最終的な助けとしては、逃げることもアリというのもあるけど、中学生のクラス授業であっけらかんと、さらりと、言われるなんて、思いもしなかったから……本当に、ビックリしたのだ。

それだけ今のコドモ社会が……などと言ってしまえばつまんないからさ。まあそのものなのかもしれないけど。
ちょっと話を戻すと、そう、風間俊介、彼が演じるユウジ、彼は同じく大人になっても上手く行かなかった友人が親を刺して捕まってしまったことに絶望し、卒業した中学校に乗り込む。
ちょっと私服でウロウロしているだけで、不審者の目で見られる昨今、学生服姿でするりと入り込んでしまう彼の見た目と雰囲気の幼さが、切ない。

いかにも優等生な小川を人質にとり、君のために君を壊す。「今から君をレイプします」と宣言する。
ユウジ、ていうか風間君の発する、まあいわばネガティブな優等生破壊論は風間君のネガティブオーラによってウッカリ説得力を持ち、だからこのクライマックスシーンこそがこの映画の核になりそうな危険に満ち満ちている。
先述のようにそれがそうならない、絶妙なバランスでそうならないことが本作の凄さであると思うんだけど、しかしこのシーンは、ていうか、風間君、ネガティブオーラがスゴ過ぎるだろ!

ヒロインの小川、彼女の冷静さは本作の一番の強み、いやこれこそが本作そのものをあらわしていると言うべきものなんだけど、存在感的に、風間君に負けそうに感じちゃうんだもんなあ。
ただ、予告編でも強い印象を残した大、大クライマックスで吹き飛ばしちゃうけどねっ!
「鈴木先生―!!!」と絶叫しながら屋上から大股で飛んでいく、そして鈴木先生は彼女に手を差し伸べ……いやいや!いくらオチバレヘーキでも、ここは言っちゃつまんないでしょ!……って、この雰囲気じゃ、言わなくても判るか(爆)。

“グレーゾーン”に同調してくれるベテラン教師のでんでん、何くれと気を使ってくれる若手の田畑智子、ちょっとの出だけどその特殊能力っぷりがハマってる妻の臼田あさ美。
そして生徒たちにも、“不審者”のユウジたちにもあっけらかんと近づく天真爛漫な女の子や、鈴木先生に後押しされて生徒会役員に立候補する内気な女の子や……いや何か、結局やっぱり女の子オシだけど(爆)、まあとにかくとにかく、この限られた尺の中でも、キャラがいいのよ。

あの出水が、選挙そのものを批判するために立候補したのに、結果生徒会長に当選して、そう、皆に選ばれた訳で。
当惑しながらも皆に背中を押されてその任務に踏み出すラストなんてさ、あの映画的クライマックスをこのさわやかさが蹴散らしちゃうなんて、ちょっと凄いでしょ!
なんかね、なんか、単純に、素直に、今のワカモンに未来を託してヨイでしょとか、思っちゃう、ああーん。 ★★★★☆


スターティング・オーヴァー
2013年 84分 日本 カラー
監督:五藤利弘 脚本:五藤利弘
撮影:道川昭如 音楽:松本龍之介
出演:片山享 成澤優子 日高ゆりあ 生島勇輝 原武昭彦 飯島大介 岡村洋一 三浦景虎 サーモン鮭山

2013/6/24/月 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
近い雰囲気の宣材写真を見て、薔薇映画だとカン違いしてホクホク足を運んだ私はバカ(爆)。
ホントバカだわ、予告編だって見ていたし、よーく見れば(いやさほどよーく見なくても(爆))ちゃんと?女の子なのに。
でも青春Hでだって薔薇映画をやったっていいような気がする。見てみたい。ボーイズラブ。

まあそんな希望的妄想はおいといて(爆)、この宣材写真はそんな美しさがあったのね。近い、美しさ。
映画自体もほぼ一室、二人の会話劇がメインとなる“近い芝居”で、まさにこの役者二人の力量にかかっている訳だが、演出自体も二人にとても近く迫っていて、そしてなんだかやっぱり……二人は近い雰囲気があるんであった。

この宣材写真はそういう意味で魅力的であり、そして作品世界をよく表してもおり、なにかとてもドキドキする予感を感じさせた。
実際は……ちょっと近すぎて疲れたというか、とろとろやってる引っ越し作業にリアリティがなかったり、二人の会話劇も過去を振り返ったりなじったりいろんな展開はあるけれども、ちょっと限界が見えるというか。
最終的に二人が、というか、彼の方が思い直す心の揺れ動きやキッカケまではなかなかつかみきれなかったウラミはあるんだけど。

近い雰囲気。実際はしっかり者の彼女とうだつのあがらない彼氏という対照だけれど、一緒に暮らしている家の中のラフなカッコと雰囲気のせいか、着てる服の素材やよれ具合までもがなんだか似ていて、彼らが高校二年生から約10年の付き合いだというのが、なんだか納得できてもしまうんである。
つまりは長すぎた春ということなんだろうけれど、彼氏がトイレの天井裏に隠している、古い友人曰く「これを見つけられたら死んでも死にきれないものが男にはある」というモノ、柿の種の空き缶に入れた歴代の彼女、というか、つまりウワキ相手の数々の写真が出てきて、そんな単純な春の季節ではなかったことも明らかになる。
こういうエピソードに際するにつけ、女は過去を上書き保存、男は別名保存、という誰だかが言った明言をしみじみと思い出す。

この柿の種の缶が、突然訪ねてきた古い友人のみやげのものと入れ違ったりといったコミカルさを演出するんだけど、ちょーっとそれは、やりすぎたかなあ。単純に、彼氏の隠し物を見つけるだけで良かった気がする。
まあ、彼女が、彼氏の“仕事”とはとても言えない、映画チラシのオークション出品を、もう徹底的に嫌っててね。柿の種をつまもうとしたら缶がこのチラシの下敷きになっているのを見て、それだけでゾゾ毛が走って払いのける、と、こういうシークエンスも挟みたかったからかもしれないんだけどさあ。

このオークション出品のことを彼は周囲には「映画関係の仕事」と言っていて、妹の結婚式に出席するために突然上京してきた田舎の友人は、「お前、昔から映画好きだったもんなあ!!え、まさか、脚本とか??」と大興奮。
彼氏は当然口ごもるばかりなんだけど、引っ越し荷物の中にシナリオの専門雑誌がどっさりあったりするところを見ると、どうやらイタイところをつかれたのかもしれない。

いや、この雑誌もチラシやらポスターやらと共にオークションの商品なのかもしれないけど、彼女はあくまで映画のチラシと言っていたし、毛嫌いしていたのはチラシばかりだったし。
つまり元手がかかっていないもの、という点での卑怯さを感じたのかもしれないけど……どうなんだろう。

映画のチラシって、映画ファンは必ず通る道だと思うけど、その“元手のかからなさ”はつまり、“キリがない”ことにつながって、私も結構熱心に集めてたんだけど、とてもとても収拾がつかなくなってやめてしまった。
もちろん、古い名画のオリジナルチラシなんかは価値が出るけれども、元々は元手がかかってないというもの悲しさ、オークションだのに出されるのは、所有者にもう興味が失われているから、というもの悲しさを感じるんである。

彼氏は映画フリークで、彼女さんに、付き合い始めの頃はよく、映画の中に出てくる料理を作ってあげたんだという。
そのことを持ち出して、最後なんだからタロウちゃんの手料理食べたいな、と彼女は言う。それは、最初の頃は映画の中に出てきた料理だとか言って作ってくれたけど、ほとんど私が作ってたよね、というチクリとした皮肉を言いたいがためでもあるんである。
……こんな若い世代でも、やっぱり女が料理を作るのね。しかもこの状態だと、始終家にいるのは彼の方だろうに(爆)。作り手が微妙に古い世代だからだろうか(爆爆)。

基本的に彼女さんは、映画に興味はないらしいのだ。最初に彼が「クレイマー、クレイマーに出てきたフレンチトースト」を作ってくれた時は感激した、と言うが「それがド定番だと判ってガッカリした」そうなんである。
……何となく、その気持ちは、判る。私だって映画は好きだけど、「クレイマー、クレイマー」にフレンチトーストが出てきたかなんて、覚えてない(爆)。

昔はね、ずっと昔は、新しい芸術である映画、そしてキラ星スターの映画、特に、キラキラ輝いていたアメリカの映画なんて、日本人、いや世界中の憧れでさ。
オスカーを取るような名画は世界のすべての人の常識、映画ファンとかわざわざ言わなくても、皆が知っていたし、好きだった。

でもどんどん時代が進んで、あらゆる文化が進化して、もちろん映画自体も進化して、あらゆるジャンルに細分化されて、映画、とひとくちに言って価値共有出来なくなっちゃった、んだよね。
それは、特に悲しむべきことではないと思う、文化が、文明が進化した証拠なのだと。
でも映画はやっぱりいまだ新しい文化。映画ファンを自認するような人って、不思議と若い人であっても、この映画を知らないなんて、とか、その中のこのシーンとか、それこそ料理を再現してみたり、するのかもと思って。

正直ね、今はムリよ、そんなの。とても、追いきれない。
過去の名画をチェックして、今の新作をチェックして、その中に掘り出し物の新人さんやカルト作品があるかもしれないなんて、しかもそれを人の価値観で掘り出すんじゃつまんないし、それがホントに傑作、秀作かも判らない。
映画ほど過渡期の文化もないけど、ヘンにプライドがくっついた文化もないと思う。

だから……かなり前置きが長くなったけど(爆)、この彼氏さんに、彼女さん以上にイラッとくるものを感じたんだよね。それは監督さんの意図するところだったのかどうか、判らないけど……。
彼氏さんに、本当に映画への愛を感じられるかどうか、それも含めて彼女さんがイラッときているのか、単にうだつが上がらないから、自分との将来をキチンと考えてないからイラッときてるのか、微妙だからなあ……。

そうなんだよね、そうした部分には突っ込まない。彼女さんがイライラしてるのは、何より、この別れの原因になった彼の浮気なんだけど、妙にチラシに当たり散らすから、なんとも判断しがたい。
映画に嫉妬してる、というほど彼氏が映画のために彼女をないがしろにした訳ではなさそうだし。ただ……。
「クレイマー、クレイマー」に出てくるフレンチトーストを作ってくれて感激した過去を、「ド定番だって知って、ガッカリした」と言った彼女の台詞に、ちょっと含むものは感じたというか……。

先述したように、映画はかつて、その最初の興ったころは、皆が熱狂して、皆が価値観を共有していたものだった。でも今は、良かれ悪かれそうではない。
彼が持ち出す映画の価値観が「ド定番」であることに、彼女がガッカリしたんであったら、私は彼女の気持ちがなんだか判るような、気がする。
“映画”というくくりだけで一斉に盛り上がれなくなってしまった現代は、むしろ幸福だと思う。私は他人と、映画の話はしない。だってそれは、自分だけの幸福だからだ。

……ちょっと個人的思惑でかなり脱線したけれど。
で、この長年の彼女と別れることになったのは、彼氏がウワキをしたからなんであった。
そのウワキ相手は日高ゆりあ嬢。再三先述したように、彼氏と近い雰囲気の彼女、この部屋の中だけだから化粧っ気もなく、言葉遣いもザクザクしていて、すっぴん(風)だし、連戦連勝のゆりあ嬢とは180度どころか、地球から飛び立って大気圏突入、ぐらいに違うんである。

カラミがあったのはこのタロウちゃんとウワキ相手となるゆりあ嬢だけなんで、こういう企画モンの判りやすい、カラミ要員と思えなくもない。
正直、そういう部分はあったと思うけど(爆)、ただ、何度も言うように、近くて似ている雰囲気、10年も前から彼と一緒にいる空気感の彼女と、百戦錬磨、女1000パーセントって感じのゆりあ嬢、同じ女のこの対照、を見せたかったんじゃないかなあ。

この彼女さんと彼氏さんのカラミだって、見たかった。ゆりあ嬢とわっかりやすいカラミ、もうこれこそザ・カラミ、を見せてくれたから、それと対照的な、この近い芝居をこだわって見せてくれたんだから、その結晶となる、答えとなる、彼らの10年を物語るセックスを、見せてほしかった。

ちょっと、そんなことが始まりそうなフェイントは何度もあるのよ。引っ越し荷物の中から彼女の水着が出てきたりね。
この間の夏に着ようと思ってたのに。なら今着てみてよ。エロいこと考えてるでしょ。考えてないよ、なあんて別れたての恋人同士らしい探り合いのようなジャブが冒頭、繰り広げられる。

彼女は他の水着、彼との思い出を実際に刻んだ水着を着て彼の前に立ちはだかり、柿の種の缶の中に収める写真はこのカッコの写真にしてよ、写メ撮って私にもちょうだいよ、と迫る。
そんなスレスレのやり取りのたびに、彼は思わず彼女にキスしかかったりとか、彼女は最後に記念に、しようよ、と迫ったりする。

ていうか、彼女の方は一方的に彼から別れを告げられたんだから、その場の空気に流されてキスしかかる彼に絶対ドキドキしながらも、でも許せないし、でも、したいし、でもしちゃったらそれが最後になっちゃうし、でも何もしないまま別れるなんて……みたいな、極ピュアと極エロの間で揺れ動くんである。
彼の鎖骨あたりにキスマークを見つけて激怒、引っ越しは明日なのに深夜に彼を追い出してしまう彼女。
彼は、新しい恋人にも連絡がとれず、仕方なく、以前行ったことのあるおかまバーに足を運ぶんである。

このシークエンス、百歩譲って、もう一つのキスマークをママにつけられちゃうためであるとしても、必要だったんだろうか……とちょっと思っちゃう。
緊密な、重たい二人のやり取りが続く中での息がつける場面転換、ということなんだろうとは思うんだけど、そのコメディリリーフとなるママのキャラが、薄暗闇の中のせいもあるのかもしれないけど、その唐突さが暴力的にコワい(爆)。
なんか闇の中で凶暴なチンパンジーに襲われるみたいで、笑えないんだよう。

この2個目のキスマークに怒るのはウワキ相手であるゆりあ嬢の方なんだけれども、だからこそ彼はゆりあ嬢にフラれて、自分の気持ちに気づいて、長年の彼女さんのもとに戻る、という展開かと思いきや……。
普通に別れて、引っ越し屋さんに荷物も持ってかれて、彼がゆりあ嬢の元に行って、そして、やっぱり違った、みたいに、彼女さんのところに戻る訳よ。

ええええー!!!と思う。だったらゆりあ嬢があの2個目のキスマークに怒ったのは何だったの!それまでアンアンあえいでたのに、ドーンと引いて、すんごく冷たく突き放して、なのに、翌日彼が訪ねてきた時には、なんのわだかまりもなく、なあんにもなかったみたいに迎え入れるなんて、ど、どうなの。
キスマークは彼女さんが怒り、2個目にウワキ相手が怒り、つまり凄く重要なアイテムじゃん。
その2個目がオカマママがつけたんだということを、彼女さんはまあとりあえず信じてあげて、最後だからと彼の腕に抱かれた。
それなのに、なんでゆりあ嬢は2度目はフツーに受け入れるのよ!

……なんてことがあるから、カラミ要員なんていうことが、ことさらにネガティブに感じられちゃうんだよなあ。
柿の種の缶の中に一つの思い出としてこれまたおさめられていた写真、ハチ公前で二人でニッコリしている写真を、彼女にあげてね、引っ越して別れて、でもやっぱり彼女と一緒にいたいと、駆け出して、ハチ公前で再会する。

まさに、なんでここが判ったの、っていうコトである。彼女が写真を掲げてハチ公を見ているそのフレームにインしてくる彼氏。
「やっぱり一緒にいたい」「今度の部屋は狭いよ」「ずっとくっついていられるからいい」
思わず照れ笑いする彼女。近すぎたから遠ざかっていたのかもしれない二人を思うと、このラストは実に粋かもしれぬ。<> 地方から東京に出てきて、一緒にいろんな初めての場所を経験した。オシャレな土地に緊張しつつも、楽しかった。
初めていいねと意見があったスタイリッシュな掛け時計、それを二人で寄り添いながら見上げる場面から始まる。
その寄り添い方がしっくり来てたし、地方から上京して、名前だけ知っていたオシャレ都会を緊張しながら踏み入れる気持ち、判るし……だから冒頭は凄く、前のめりだったんだけれど。

ところでこのタイトル。やり直す、という意味だろうけど、わざわざ下に示されたカッコつきの(JUST LIKE)んで、スターティング・オーヴァー。
ジョン・レノンの遺作となったアルバムの中の曲タイトルだという。うう、そーゆーことかと。
やり直す、にしても、やり直す、そんな感じだよ、ということだろうと思う……ついやりたくない検索調査かけてしまった(爆)。

タイトルからこんな意味づけされると、結構困る。劇中、彼氏がこだわる、料理が出てくる数々の映画とか、特に「モノクロームの少女」で大杉漣が……なんて言うから、えっ、観てないけど、なんかクラシカルなタイトルだし、彼が無名時代とか、ピンク時代の映画かなあ、と思ったら、この監督の自作かよ!!
そりゃないわ!この流れでそりゃないわ!!これは超ガッカリだよ……そりゃ、観た映画の中の料理シーンなんて覚えてないし、この映画もスミマセン、知らなかったし、でも「クレイマー、クレイマー」やら「タンポポ」やら、まあのだめは新しい映画だからともかくとしても、それに並列して自分作品を、知らないの?オマエ、みたいな風に差し出すのは、そりゃないわ!

……なんかこれを知った途端、とてつもなくガッカリしちゃった……。いくら小さな企画でも、そりゃないわ……しかもチラシ写真あんなバッチリ出してさあ……。
そりゃ栃尾あぶらげは美味しいけど、私も好きだけど……。★★★☆☆


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