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さいはてにて やさしい香りと待ちながら
2014年 118分 日本 カラー
監督:チアン・ショウチョン 脚本:柿木奈子
撮影:真間段九朗 音楽:かみむら周平
出演:永作博美 佐々木希 桜田ひより 保田盛凱清 臼田あさ美 イッセー尾形 村上淳 永瀬正敏 浅田美代子
しかしどこがどうしてこの監督がこの企画に引っ張り出されてきたのか、そーゆー経緯をぜひ知りたいものだが、……まあ調べれば出てきそうな気はするけど、結局やんない私(爆爆)。
でも友情出演の永瀬正敏とか、贅沢な使い方のイッセー尾形とか、なんとなくつながりそうになるヒントはあるような気もする……こんな風に映画製作もグローバルになるのはとても歓迎すべきことではあるんだけれど。
と、何か奥歯に物が挟まったような言い方(爆)。見た目は凄くいいの。完璧と言ってもいいと思う。さいはての、海岸の崖の上に突き出たような珈琲店。あら、そういえば同じようなロケーションでそのまんまのタイトルの某映画がありましたが、かの作品よりロケーションは完璧で、海に突き出た、もうそこから落っこちそうなほどの、まさにタイトル通りさいはての、珈琲店。そこに街燈がぽつりと灯をともすと、心までともされるようなあたたかさ。
さあてここで紡ぎだされる物語はどんなハートフルなお話なのさと揉み手をして待っていたが、なにか、いろんなところにのりしろの足りない隙間が空いているような落ち着かなさがあるというか。単純にツッコミどころ満載、とまでは言えないのは、この見た目の完璧さのせいなのか。
なんたって、永作博美氏だもの。彼女が出るだけで、作品の質は保証される……気がしたが、そうでもなかったかもしれない(爆)。
スッピンではなかろうかと思われるお顔をさらして、このさいはての地に流れてくる彼女のたたずまいは、若干、無印良品のCMかと思うような、カジュアルそうで生成りのファッショナブルがスキのない完璧さが気にならなくはないけれども、まあそこまで言うのはあまりにイジワルというものか。
冒頭、イッセー氏演じる弁護士が、幼い頃別れた父親が失踪して数年、死亡が成り立ち、借金という名の財産があなたに相続されることになる、と告げに来る。永作さん演じる岬が呆然としていたのは、借金のことではなく、父の失踪と、死亡が成り立ってしまうということ。
「借金は払います」とあっさり言ってのける岬に弁護士は驚く。こんな世知辛い世の中に珍しいと。観客であるこちらは、それは後々解決されるだろうと思っていたが、解決は……されなかった、よなあ。
まず、幼い頃に別れたきりの父親の借金がどれだけあったかさえ、少なくとも劇中では明示されなかった……てか、あの感じでは、彼女に提示されたようにも見えなかったのに、あっさりと払います、だなんて、払えるかどうか不安にさえならなかったんだろうかとか、下世話な心配(爆)。
父親が残したのが全く資産価値のない船小屋だと聞かされて、遠い記憶の故郷へ帰る岬は、後から思えばそれまで顧客を作り上げてきた、通販が主の焙煎珈琲店の実績があるからこそだった訳だけど、通販が主とはいえ、今まで主軸にしてきたところをあっさりと捨てて、車一台に身の回りのものをすべて積んでやってくる身の軽さが、一体彼女の今までの人生はなんだったの、と思ったり……。
女一人、40も越えているならば、家族とか、友達とか、住んでる場所のコミュニティとかいろいろあると思うのだが。
まあこうしてざっくりと流すことで、いろいろあったかもしれないけど、女一人、シングルで商売の腕を持ってるんですよ、ということを示しているのかもしれないけど、でもそう思っていたのはこの時点ぐらい。
この作品はすべからくそんな感じで、観客が優しく推測しなければ成り立たないほどの、バックグラウンドのスカスカさ、なんだもの。見た目がいくら完璧でも、これじゃカキワリじゃないの、と思っちゃう。
岬は幼い頃別れたお父さんの記憶を、繰り返し思い出す。お父さんは他の乗組員とともに、漁船で姿を消した。冒頭の弁護士に話を聞いてる感じだと、その事実さえ知らなかったように受け取れる……つまり、離婚して母親側について、それ以来なんだから30年あまり、であろう。
劇中、佐々木希扮するシングルマザー、絵里子に語る、だから自分は父親を捨てたのだ、というリクツは判らなくもないけれども、そして幼い頃の、お父さんが大好きだった記憶が彼女を苦しめていることも判らなくはないけれども、30年あまり離れていた父親の死亡宣告を告げられて何もかも捨ててさいはてにやってきて、もうそこからは父親好き好きモードで話を進めるってのは、どうも居心地が悪いのよ。
だったらアンタはこの30年、何をやっていたんだよと思っちゃうし、彼女がついていった母親、というのが言葉にさえ出てこないのもどうにも気になっちゃう。
出てこないんだから、別についていった母親にどうこうされたとか、上手くいかなかったという訳じゃないんだろう。ないんだからこそ、だったらなぜそんなに父親ばかりを気にするのかと思っちゃう。
母親から聞かされた父親の話、とかも全然ない。母親についていって父親を捨てた、ということを悔いるだけの、妙にロマンティックな後悔である。
絵里子の「そんな小さい頃じゃ、判断できる訳ないよ」という台詞をわざわざ準備しなくても判り切ったことなのだが、この台詞を挟まなければ逆に、なんで急に父親のことを気にするの、という疑問が宙に浮いてしまう、ということなのかなあ。その疑問の答えが”妙にロマンティックな後悔”であったとしても。
絵里子を演じる佐々木希嬢は、これから女優でやっていく!という気合が感じられる、一生懸命さがイイ。なんたってサシの相手が永作氏なんだからやっぱりなかなかツラいものがあるけれど、こういう頑張りが感じられると好感触がある。
でもやっぱり、これは、アレよ。彼女自身の責じゃないよ。やっぱりのりしろの隙間が気になるのよ。
ちょっと凝った設定なんだよね。今は営業していない民宿に、絵里子は二人の子供を抱えて住んでいる。いかにもハデな外見の彼女は、”出稼ぎ”とばかりに金沢でキャバ嬢として働いている。
その間、幼い姉弟は置き去りで、食事はカップ麺、スーパーで万引き未遂とかするもんだから、お金も置いていかないキチク母親かと思いきや、それは後に、客?恋人?の永瀬氏が、子供のために置いていった金をかっさらうというカラクリが示されるんである。
で、何が凝った設定かとゆーと、この民宿のもともとの主人、おばあちゃん、と呼ばれている浅田美代子が、おばあちゃんと呼ばれてるのに、「私は子供を産んでないよ」と言うことなんである。
いや……これはちょっと、自信ない。見舞いに来た幼い姉弟のことを、ひ孫であって、孫じゃない、という意味で言った台詞を、私が取り違えてるのかもしれない。いや、きっとそうだよな、もうなんか、段々自信なくなってきた(爆)。
まあ、そこはそうだとして、絵里子が10代で上のお姉ちゃんを妊娠して、半ば捨てられるようにしてこのさいはてにやってきて、その時のことを、後に心を許した岬に語る……産んだら可愛くなる、大丈夫と言われて、不安だったけど、本当にそうだった、って。
そこまではまあ、いい。しかし下の弟が産まれた経緯は、このエピソードでは全く判らない(爆)。上のお姉ちゃんの経緯までなら、10代のちょっとした、まあ、アレだけれども、それでも腹をくくって産んだ彼女を賞賛も出来るけれども、この弟君に関しては、一体??
いや、子供の父親がどーとか言うのはヤボなのかもしれんが、それならそうで、お姉ちゃんが産まれた時のことを語っちゃったらダメじゃないの。だったら弟君の時はどうだったの、この地での出来事なら、父親はどうなの??とか下世話なことが気になるじゃない。
だってなんたって、この子供たちが、苦しんでるんだからさ……。別にキャバ嬢だって、いいのさ。子供に愛情注いで、充分に準備して、子供のためなら周囲の助けも借りて、ってのならさ。わっかりやすく、キャバ嬢やってて男を連れ込んで、子供の状況が見えない母親なんだもの。
いや、いいのよ。それも改心すればいいのよ。改心はする。確かにする。でもそれは、恋人の男が岬をレイプしかけているところに遭遇したことで、この男がキチクだったことが判ったこと、子供たちが彼に怯えていたこと、がいっぺんに判って、という親切さ。
次のシーンではメイクもファッションもいきなり無印良品になって、「ママ、ここで働くことにしたから」か、簡単すぎる(爆)。こんなに簡単に価値観変えれるんだったら、苦労しないって。
だってそれまで、優しさの手を差し伸べていた岬を超絶胡散臭がって、それこそ子供の万引き疑惑も晴らしてくれたのに、余計なことしないでよね!!と突っぱねてたのに、こんなあっさりの改心。
そりゃ、恋人が他の女をレイプしている場面に遭遇したのはショックだろうが、でもコレかよ、と思っちゃう。恋人だと思っていた男に裏切られなければ事態の深刻さが判らないなんて、あまりに女をナメくさってるんじゃないのお。しかもこれを書いたのが女性脚本家だなんて、ショックすぎる!!
……ううむ、つまり女はこの程度とゆーことなのかなあ。この絵里子のキャラは、佐々木希嬢が頑張ってるだけに、イタいんだよね。
んでもって、父親の失踪を死として受け止められない岬に、同じ漁船の乗組員家族に会ってみたら、と絵里子は提言するんだけれど、この段に至って、これを言わせるためのキャラだったのかなあ、と思ったりしてちょっとガッカリする。
そりゃさ、絵里子の二人の姉と弟は岬になついている。給食費をねん出するために岬がお姉ちゃんをこの店で働かせてくれて、弟もうらやましげに店に入り浸る。お金を稼ぐということ、つまりは生きていくということを、子供に大人が教えるという図式は、今の世の中でなかなか出来ていないことで、凄く魅力的ではあるんだけど、それがうまく、母親である絵里子につながってこない。
むしろそれをつなげているのは、このお姉ちゃんの担任である臼田あさ美嬢で、まだまだ新米教師である彼女が、子供を理解するより先に、岬と、岬が淹れる珈琲に心を許すことで上手い具合に入り込んでくる。
彼女の存在が、本作で一番魅力的だったと思う。本作のひとつの問題提起は、きちんと両親がある親子とか、結婚するのが当然とか、そういう、いまだに横行している価値観を、年齢差がある岬と絵里子で示していることであって、でもそれが作劇上では上手く作用してなくって、触媒として現れる担任の先生が、二人の立ち位置を一番よく示している、んだよね。
でもこの担任の先生のバックグラウンドも全く判らないんだけどね(爆)。いや別に、登場人物のバックグラウンドが全て判らなければいけないとゆー訳ではないのだが、ここまでの登場人物が全く判らないままだから、またか……みたいな(爆)。
ちょっと飛ぶけれども、この珈琲店を閉めた後に、「東京からわざわざ来たのに閉まってる!」と、なぜかチョーウケている女の子二人という描写なんぞもあって。
確かに岬は「結構もうかってるんです」と、予想以上の給料をもらって恐縮している絵里子に言うけれども、そんな、東京から客がやってくるほどの話題の店だなんてことは、いきなりすぎるのでは(爆)。
なんかね、なんだろ、全てが説明不足のまま、こうだったのかな、ああだったのかな、と焦って推測するうちに進んで、あれー?そーゆーこと??と突きつけられてしまう、みたいな。
お姉ちゃんが美味しい珈琲に「これ、好き」と言って、だったら働くこと合格!とされるシーンとか素敵だけど、そして絵里子がそっくりのシーンをなぞるけれども、素敵、という記号をなぞっている気がしなくもない訳。
岬は、複数の頭がい骨が見つかったことで、父親の死が確定するのが受け入れられず、この地を去ることを決意する。
ええー!!!と思う。先述したように30数年も離れていたのにそんなに思い入れあるの、という違和感がここに至るまでずっと続いているのもある。
絵里子に促されて、同じ境遇の家族たちと出会って、これまたこの手の癒し系映画のあるある!画でさ、ピクニック的な野外で、手料理とお酒でもてなす、っていうさ。
ご丁寧にも、父親が奏でていた記憶のあるギターを、ミュージシャンさながらにつまびく青年とかさ。なんか出来過ぎなんだもの。
ここで岬は何も消化できてなかったのか、失踪船の残骸と、頭がい骨が見つかって、他の家族は腹をくくって鑑定を受け入れたのに、岬は、元のボロ船小屋をあれだけ金かけて(は推測だが)作り上げたコーヒー屋をあっさり捨て去るのか。それってつまり、ただ、カネの余裕があるだけなんじゃないのかとか(爆)、もうここまで来ると、そんな風に思っちゃう訳。
岬は、余裕があり過ぎるんだよ。いや、演じる永作さんはしっかとシリアスな演技をしているんだけれども、観客側としては、説明不足か、解釈不足かもしれないけどさ、ついいらんツッコミをしたくなってしまう。見た目が完璧だからこそ、現実はいつの時代も見た目よりもシリアスなんだもの。
店の名前であり、珈琲の名前にもなり、お姉ちゃんが、宮沢賢治のお話から来ていると知るヨダカ。
よだかの星は、この作品を知っている人ならば、宮沢賢治が好きな人ならば、文学が好きな人ならば、人というか、子供も大人も、もうこのタイトルだけで、自動的に涙が出る作用があるような作品でさ、ちょっとズルい!!と思ったりもするが、ズルい!!と思うからこそ、本作を使うトコがそれだけで終わっちまったことがつまんない、もったいない!!
せっかく店の名前で、珈琲の名前で、なのに、なのにさ!!岬の境遇や、絵里子の境遇に何となくリンクしそうで、先述のバックグラウンド不足でそうでもなくスルーしてしまう。もったいないよ!!!★★☆☆☆
と、いう訳で、これは完全に染谷君のピン主演の映画なのであった。あっちゃんは彼と同棲している恋人役で、冒頭に二人の関係性とキャラ設定を見せるために現れてからは、中盤そっくり姿を消す形になる。
こっちとしてはあっちゃんが両主演の一翼であるとずっと思っているから、なかなか、全然彼女が出てこないことがひどく気になり、中盤あたりで、そうか、客寄せか、と気づいた時には、なんかものすごく偏って物語を咀嚼していたような気になって焦ってしまうんである。
うーむうーむ、いつでも映画は何にも寄らずに平らかに観たいと思ってるんだけどなあ。
まあでも、ラスト近く、いわゆるクライマックスになって彼女は予想外の形でばーんと姿を現すんだから、確かにキーマンには違いないんだけど、でも根本的な違和感が最後まで抜けないでいる。
だってだって、あっちゃん、そんな才能あるミュージシャンにはどうしても見えない(爆)。あ、つまりね、彼女は3ピースバンドを組んでいるんだけど、デビューの声がかかっているのは彼女一人、そのことに悩んでいる訳。
でも、その見返りに一発、なんつープロデューサー登場、なのだから、その才能もアヤしい気がするけど。
なんにしても、彼女が冒頭とラスト、窓辺に腰かけてつま弾くギターの弾き語り、何これ何これ、オードリーでもやらせたいの??とても上手いとは思えない加減も、かのスター女優を重ねているのか……まさか!!
と、とにかく、バンドから彼女だけがピックアップされるだけの才能には、どうしてもどうしても、見えない!!バンドと言いつつライブ演奏シーンもちらともなかったから余計に、彼女が音楽をやっている、という感じにどうしても、見えない!!
そらまあ二人が暮らす瀟洒な部屋は妙にそんなミュージシャン然としていて、シャレたポスターやら、ギターは他に二本もうやうやしく飾ってるけど。
……デビュー前の、いわばまだ素人の女の子が彼氏と同棲している部屋に、あんなプロっぽく立派なギターが飾ってあるもんなんだろうか……。それとも神田川イメージが抜けない私の頭が古いんだろうか……。
それに、プロデューサーとの枕営業(これは染谷君演じる徹の台詞)するほどなのに、いやそれ以前にその冒頭シーンで彼氏に「ねぇ、しよ?」とささやくぐらいなのに、彼女からセックスの匂いがまるで漂ってこないのが、客寄せパンダの印象を更に強くしちゃう。
この冒頭の時はそれなりにワクワクしたが、本当に台詞だけだった気がした。プロデューサーとラブホを訪れても、彼女はニットの上衣をさえ脱ぐことはない。
ニット、ってあたりが凄くガードが固い感じがして、例えソレを暗示させる、シーツから覗くナマ肩を出されたって、記号でしかないよなあ、とガックリとさせたんであった。
山下敦弘監督や、その昔の市川準監督が彼女を起用した時のような、この子じゃなきゃ、という熱意が全然伝わってこないのが凄く残念だった。あれ、これじゃ、私、あっちゃんのファンみたいだなあ(汗)。
で、そう、だって染谷君の主演映画なんだもの。本当は一流ホテルに勤めたかった。でも夢かなわず、歌舞伎町のラブホの雇われ店長。カノジョ、沙耶には、一流ホテルに勤めてる、ってウソついてる。
そこを訪れる様々なカップル、カップルのみならずの人間模様がオムニバスのような形で流れる趣向。オムニバス苦手の私は、そのことが判りかけてシマッタ、と思う(爆)。かなり軽くすっ飛ばす感じで書くことになりそう(爆爆)。
確かにいくつかの人間模様、なんだけど、最も重点的に描かれるのは、韓国人カップルのお話のように思う……いや、尺的にも、濃度的にもやっぱりそうだよね、と思う。
二人とも母国で店を開く夢を持っていて、彼女の方がさっさと目標額を貯めてしまって、先に帰国する、という。つまりうっすらとした別れ話である。
なんでそんなに早く金が貯まったかといえば、彼氏に隠していたって金の貯まりようの早さで誰だって推測できる、カラダを売っていたからである。
デリヘル嬢である彼女がお客とシケこむのが、徹の勤めているホテルなんである。最初、ここの従業員のやはり韓国人の男の子がその彼氏、チョンスかと、相変らずよく顔が判別できないもんだから(爆)ハラハラしていたが、違った(爆爆)。
だったら一体、このやる気のない従業員の彼の存在は何だったんだろう……。わざわざ同じ韓国人を持って来ていたのに。
まあそんな、出来過ぎた話もないわよねと思ったのだが、出来過ぎも出来過ぎ、ご都合主義もビックリという展開がこの後ドンドコ現れるので、改めて考え直すと、ホントにあの従業員の存在はなんだったのかしらん(爆)。
ざっと並べてみるだけでも、故郷の塩釜にいる筈の徹の妹が、上京してAVのバイトをしていたのが彼の勤めているホテル、沙耶の枕営業が彼のホテルだっていうのだってそう、信じられないじゃん……。この広い東京の、数あるラブホテル街の中で、更にその中の一棟であるこのホテルに、そんな遭遇するなんて、いくらなんでも、じゃん。
判ってる、判ってる。それは判ってての作劇なんだってことぐらい。いわばこれはファンタジーなんだってことぐらい。
でもそうした、ありえなさを笑う感じ、ありえねー!と言わせるようなユーモラスさを、感じられなかったんだよなあ……。フツーに、いやいや、そんな上手いこと重なる偶然、ないだろ!と、ホントフツーにアゼンとしてしまった、のは、染谷君がど・シリアスな芝居をしていたからか……いやいや、彼のせいにしてどうする(爆)。
正直、妹の登場するシークエンスは大嫌い。いや、それを言ってしまえば、ラスト、徹が故郷に帰るという結末、つまりは彼のバックグラウンド、人物造形自体にケチをつけるようなモンだが。
この妹が「東京に来てビックリしたよ。もう震災なんてなかったみたいに皆暮らしてるんだもん。結局はひとごとなんだね」と開口一番言った時、あ、こりゃダメだと思った……。ものすごく記号的に感じてしまった。
その後、彼女が何を言ってもダメなの。「除染作業なんて日当1万で、雨が降れば中止なんだよ。お母さんのパートは時給×××円だよ」「(初めてはAVじゃなくて)好きな人だよ。津波で流されちゃったけどね」
ああ、もう、ホント、ダメ!!震災のエピソードの中からよく聞くワードを仕立て上げただけみたいにしか聞こえない!!
どうしてだろ、なんか過敏になってしまう。そりゃ私の地元は福島だけど、良かれ悪かれ、普通に暮らしている、それを取り戻しているのだ。そう言いたい気持ちがあるのだ。何にこんなに頭に来ているのか上手く言えないけど……。
なんだかまるで、被災した女の子は、東京に来てAVで稼いでも仕方ないような、そんな現実を日本は判ってないんだ、みたいな、それこそ”ひとごと”な作り上げ方をされている感じがするというか、なんかどうしても、イヤだったんだ……。
しかもラスト、徹が衝動的に田舎に帰る気持ちになって飛び乗る高速バスに、妹が乗ってるしさ。
……そりゃファンタジーだわ、こんな偶然ないわ、とゆるやかに見るべきなんだろうけど、ダメなの、私もう、過敏症だね。このありえない偶然に更に腹が立ってしまって……。
ううむ、このシークエンスからは離れよう。私が一番好きだったのは、時効間近の恋人をかくまっている、徹の同僚の鈴木さんの話。
彼女を見つけて逮捕するとか、自白を迫るとか、ハラハラさせるのは、警察の同僚同士でダブル不倫しているカップルとしてこのホテルを訪れた二人。刑事としてバリバリ上を目指していて、こんな手柄を逃す訳にはいかない、という叩き上げ美人刑事と、この状況がバレたらお互いの家庭も地位も崩壊する、と及び腰のキャリア刑事。
美人刑事の河井青葉が脱げるから、ってなキャスティングのようにも見えちゃう……ラブホの風呂場のガラス壁におっぱい押し付けは、かなりのお約束。これも記号と言えば記号(爆)。素敵だったけどさ。
勿論、鈴木さんは自白なんかしない。愛する彼氏を逃がして、自分だけが捕まろうとする。結果的には彼女も逃げ出して、彼と合流し(なんで逃げる道筋が判るの??これもあまりにご都合主義すぎない!!)見事、時効成立を勝ち取る。
演じる南果歩氏がとてもイイ。本当にもう、1日かそこら、という中で、一人暮らしを装って魚も一尾だけ、ゴミを調べられたら判っちゃうから、という徹底ぶり。
かくまっているのは松重豊。時効を越えたら、あなたと手をつないで歩くの、そんなことを言って、二人抱き締めあう。何かね、この中年カップルが、いまだ家族にもなれずに、なれないからこそ、純粋な、いやもっと、胸かきむしるような求め合う気持ちで一緒にいる感じが、たまらなく好きだった。
ちょうどそんな題材の田辺聖子の短編を読んでる途中で、心かき乱されていたからかもしれない。でもその田辺聖子の短編も美しくも悲しい結末だったし、そしてこういう状況なら当然、この時効はきっと直前で破られてしまうに違いないと思っていたから、確かにそんなハラハラはあったにしても、見事成就してしまったことに、ちょっと驚いてしまった。
いや、全般的に眺めてみれば、これは都合が良すぎのファンタジーなのだから驚くこともなかったのだろうけれど、そうは知らずに観ていたからさあ(爆)。凄く凄く果歩さんが可愛かったんだもの。
いや、可愛いと言えば、我妻三輪子嬢をハズすことは出来ない。家出娘がデリヘルスカウトマンに引っかかって売り飛ばされるところだったのが、彼女のピュアさに彼がホレちゃってこの仕事からも足を洗って、ボコボコにされて、しかし彼女の元に戻ってくる、という、しんっじられないようなピュア物語。
ボスに話をつけるためにホテルを抜け出したため、徹をはじめとした従業員たちは彼女が騙されて取り残されたと当然ながら判断、家出娘なら家に連絡するか、警察呼ぶか、といってモメているところに、血だらけの彼氏が帰ってくる、という信じがたいほどのおとぎ話的ハッピーエンド。
「ホントに戻ってくると思ってんの」と冷ややかだった従業員たちの鼻を明かすこの予想外には確かに溜飲は下がったし、可愛い可愛い三輪子ちゃんが、フィクションとは言え哀しいメには遭ってほしくない、と思ったから嬉しかったし、汚れかけてるけどピュアさに触れたら戻ってこれるというあたりが絶妙な忍成君も素敵だったから、……じゃあいいじゃん、とは思うんだけど。
記号的、その言葉が、この二人のシークエンスでも浮かんだんだよね。雛子(三輪子ちゃんね)が語る家庭崩壊、というか自分だけ崩壊のエピソード、連れ子である自分があっさりと蚊帳の外にされ、実の母親から死んでくれと言われた、というのがね、連れ子の疎外感、この母親の台詞、めちゃくちゃよく聞く、百万遍聞いたような気がする。
あるいはそれだけ、そんな例は世の中にあるということなのかもしれないけど、この限られた尺の中でいくつものエピソードが語られるという制限の中で、これまた凄く、記号的に、説明的に、思えてしまって……。
実際、スカウトマンの早瀬はボスから、そんなのは作り話だと、今頃全部盗られて部屋はカラッポだと言い、慌てて風呂場から出てみる早瀬は、無邪気な笑顔で眠っている雛子の顔を見て安堵の息をつく。
まるでそれは、いかにも作り話のようなことを言っているけど、彼女の言ってることはホントで、イイ子なんだよ、とこんなことで補完オッケ!みたいなお気楽さを感じちゃって、ファンタジー、ファンタジーという自分への言い聞かせが、なんかもうこのあたりになってくると、呪文のように思えちゃう(爆)。
で、先述したけど、韓国カップルがヤハリ、一番の重要度、なのよね。それはちょっとした国際感覚あるよ、的な感じも思わなくもない(爆)。
無知だからアレだけど、正直今更デリヘルかあ、と古臭い感じもしなくもない(爆爆)。いやそりゃあ、あるんだろうけどね。需要はそりゃ、あるんだろう。
でもこのデリヘルに比する形でいかにもトウの立った厚化粧の中年女が立ちんぼ(この言い方も時代を感じるが……)してて、「私だって昔は売れっ子のホテトル嬢だった」と言い放ち、古い言い方だな、と徹が失笑する、という場面が、デリヘル、現代社会ですよ!!みたいな主張を感じちゃって、なんだか気恥ずかしい。
そしてこのトウのたったかつてのホテトル嬢は客ともめて殺されてしまう。……これだけファンタジーを押してハッピーを乱発していたくせに、中年女には冷たいのねと、ひがみから来る言いがかりも甚だしいが(爆)。
でまあ、脱線しちゃったけど、韓国人カップル、である。彼氏の方は彼女がデリヘルだと気づいて、彼女の最後の客として現れるんである。
彼女に目隠しをさせても、日本語でやり取りしても、そりゃ判るだろ、最初から彼女は判っていたと思うが、どうだろう……描写としてはその確信をハッキリと持つにはちょっと自信ない。
デリヘルやってたことを黙っていたことを泣いて謝る彼女に、お互い様だと、自分も日本人の女(いかにも金持ちそうなマダム)と寝てこずかいもらってた、と告白し、お互いに頬をなぐり合って、ラブホのちかちかした照明の浴槽で、素裸で、抱き合うんである。
まあこれだって確かにファンタジーには違いないけれども、何故かなあ、シンプルに受け入れられるのは、彼らが異国人だからファンタジーがフィクションのフィルターを通してすんなり入ってくるのか。やはりリアリティということを考えた時に、同じ日本人には背景やら価値観やら色々考えちゃうからさ。
それにこの二人はとても素晴らしかった。芝居が、いい意味で韓国役者さんのオーバー気味なウェット感が、このファンタジーを甘やかな魅力にしていた。
まあつまり、まあまあつまり、まあつまり(七五調♪)、オムニバス苦手だからってことで、カンベンしてほしい(爆)。
あ、ムラジュンのこと言い忘れた。まあいいや、もう疲れた(オイ!)。
私、いろんなことにこだわってるんだなあ、と思った。でも、譲れないの。自分自身を認めるために。いや単に、年を取ってガンコになったからかもしれないけど(爆)。★★☆☆☆