home!

「え」


2016年鑑賞作品

悦楽交差点
2015年 70分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫
撮影:田宮健彦 音楽:林魏堂
出演:古川いおり 福咲れん 佐倉萌 麻木貴仁 田中靖教 久保奮迅 沢村純 森羅万象 伊藤三平 杉浦友哉 岩尾匡哲 名田靖 渋谷将 橋本雄大 飛田敦史

2016/8/27/土 劇場(テアトル新宿/レイト)
今回の企画特集上映でメインの双璧のうち一本を成していると思しき本作だが、私はこっちの方に軍配を上げたい。もう一本の方は確かに評価をされるのも判りやすい部分……夫婦の情愛を感動的にうたいあげる、という点では申し分ない。でも本作は、映画としてのエンタテインメント、その驚きが素晴らしかったし、何よりヒロイン、女優!が女優!!としての素晴らしさに輝きまくっていた。
こう言っちゃ語弊があるかもしれんが、なんか久々にちゃんと?上手いピンクの女優さんに出会ったなあ、という感じ。古川いおり、凄く、女優だった。それは劇中、彼女自身の役柄もまた、ストーカー男に覗かれているというのを知りながら幸福そうな主婦を演じている、それを見せつけている、という点で確かに女優なのだ。

これじゃいきなりネタばれだが(汗)、しかしこのネタには本当に驚いた。本作は中盤でがらりと視点が変わる。
言ってしまえば前半までは男のための物語なのだ。それはこうした、ピンク映画やAVが当然持つ、だからこそ女側は置き去りにされる視点。招かれざる客の女としては、それを前提に諦めて観ている部分があるから、より衝撃的で。

ピンクではある意味定番のネタである、美女と野獣のカップリング。フツーの映画以上に女優こそがヒロイン、主役としてあがめられるというピンク映画の世界では当然といえば当然。
そして中盤までは、この冴えない男がただただ見つめ続けるだけで、彼女は一言も喋らない。そりゃそうだ、覗かれているだけなんだから。

しかし彼には聞こえている。読唇術まで身につけて、というのもそうだけれど、それ以上に彼、春夫にとって彼女、真琴は“嫁”なのだ。
5年前、通行調査のアルバイトをしていた時に本気なのか暇つぶし的になのか、「千人目は俺の嫁」と決めていた、その千カウンター目が真琴だった。ハッと人目をひくような美しい女の登場に、観客であるこちらも息をのんだ。

それから5年後、工場に勤める春夫が「嫁さんが待ってるのか」と給料を手渡される時に工場長からからかわれたりするから、えーっ、あの美女とホントに結婚できたの、と思ったら、違った。だとしたら彼は正社員ではなかったのか。だって扶養者控除とか公的な手続きでバレるじゃん、って細かいか(爆)。
まあ、確かにそんな、しがない感じ。解雇される時もあっさりだったし、ってそんな先のネタバレはダメ(爆爆)。

なじみの売春婦、ミチコを振り切って家に帰ると、部屋は真っ暗。「ただいま、真琴」とつぶやく彼の視線の先には、真琴の写真が、引き伸ばされたものをメインに所狭しと貼られている。
いつものようにパンイチになって、隣の様子を望遠鏡で覗き見る春夫。そしていつものようにシコシコやり、行動記録をノートにつける。シコシコに限界を感じると、ミチコを呼んで処理を頼む。視線はいつも望遠鏡の先か、壁に貼られている真琴かに向いている。そんな日々。

つまり、“妻”を覗き見るために彼は引っ越しまで敢行してこの生活を続けている。ゴミまで盗む。真新しいワンピースと使いかけの歯ブラシ。ちょっと、この時点で確かにカリッと違和感を感じた。
あんな、擦り切れてもいないワンピースを無造作に捨てることと、使いかけの歯ブラシは確かにピンクの柄で女性っぽいけれど、それだけで彼女の使いかけだなんてことは判らないのに。しかも真琴が捨てた直後、周囲を見渡していたとはいえ、全くバレていないということがあるだろうか?と。
城定監督はそのあたりも、当然計算していると思う。この人も、現代ピンク映画作家の中の気鋭だもの。観客を信頼してくれていると思う。ここにおかしいと気づいてくれる、って。

真琴は専業主婦として何不自由ない生活をしている。毎日エリートサラリーマンの夫を迎えては、温かい食卓で迎える。時には豪勢なタラバガニが水炊き鍋と共に登場することさえある。そして毎夜繰り返される情熱的なセックス。
時々買い物に出ては、たくさんの紙袋を抱えて帰る。その美しい容姿に街のスカウトから声をかけられもする。指輪を指さしてニッコリ交わした真琴を見送って、憤った春夫はスカウトマンに殴り掛かり、ボコボコにされる。

窓から眺めているだけではなく、距離が近くなってくることにドキドキとする。気づいているんじゃないかと、なんとなく気配を感じてくる。
このあたりは本当に上手いと思う。ガラリと展開が変わった後から、その光景がたちどころによみがえってきて、ああそうなのかと思う。その上手さ。

春夫の工場に新任の女性を連れてあいさつに来たのは思いがけなく、真琴の夫の川島だった。そしてその後をつけてみると、彼はその部下、麻衣と共にラブホテルに消えていった。
まさかと思ったら、ヤハリというか案の定というか、春夫は隣の部屋からコップを壁につけてその様子を聞いていた。そこまでやるか、と思うが、彼にとっては真琴は“嫁”なのだもの。

このあたりの意識が、どこまで本気、というか、狂気、というか、妄想だったのか、ちょっとはかりかねない部分はある。
だってそれまでは春夫は真琴を覗き見ているだけで満足だったんだもの。実に5年間、そうしていたんだもの。でもそのタガが外れたのは、真琴がどうやら幸せという訳じゃないらしい、ということをこの時に知ってしまったからなのか。
「あなたは相手を間違っています」という文字きりばりの脅迫状めいた手紙を浮気証拠写真と共に投函する春夫。それを無表情のままびりびりに引き裂く真琴。

この描写で二つのことをピタリと確信した。一つは、彼女は夫の浮気を知っていたこと。そしてもう一つは……春夫のストーキングのことも知っていたこと。
そこまで判っても、さすがに中盤以降の展開は読めなかった。真琴の様子が気になるあまり工場を無断欠勤した春夫が失意のまま連れ込んだミチコ、というかこの場合、往来で恋人に手ひどくフラれたミチコの失意にそうさせられたといった方が正しいかもしれんが……、それをまさか真琴がイライラしながら眺めていて、こともあろうにその現場に乗り込むなんてことを、いったい誰が想像できただろう!!

と、いう展開が判るのは後の話で、ミチコとのセックスが終わり、うとうとしていた春夫が目を開けると、その目の前には夢にまで見た“嫁”真琴の美しい顔があって、ニッコリと微笑んだ。
そのシーンにはこちとら、びっくり仰天し、いやいや、これは春夫の見ている妄想だよね、と思い直す。これまで春夫のストーキング行為だけ見ていれば当然の結論であり、春夫だってそう思っていたのだ。だから一瞬、えっ?と目を見開いたけれど、彼女のニッコリにつられる形で、彼もまたニッコリ返しをしたのだ。

そこから、いきなり、真琴の話になる。突然の急ブレーキ、方向転換の急発進。それまで春夫の目から見えていたただただ美しい真琴、夫の不義に気づいてもいない薄幸さ、だから今こそ、相手を間違えているんだと言おう!と思って行動に出た春夫がまるで道化師であったことが判っちゃう。
真琴は何もかも判ってた。したたかな女だった。浮気相手から執拗な嫌がらせの電話もかかってくる。「自立している女?バッカじゃないの」と吐き捨てる。
エリートサラリーマンと結婚して、オシャレな一軒家に住んで、好きに買い物もできる。この生活を手に入れるために私は努力した。セックスしかしてない小娘が何を言っているんだと。

不倫している男が言う常套句、妻とはもうしてない、空気みたいな存在だ、と。それをこの“小娘”は信じていた訳だが、実際はこの夫婦は毎晩のように情熱的なセックスをして、春夫を歯噛みさせている訳で。
でもどうなんだろう……少なくとも真琴の方は、それは義務だったのか。夫とのセックス、あれだけ髪を振り乱して感じている風だったのに、事後、顔を背けてカメラに向かって「……つまんねぇ」とつぶやいた。それは愛のなさなのか、合格点であるだけで平凡な男とのセックスがそうなのか。

真琴はピルを飲んでいた。妊娠を避けていた。この贅沢な生活を維持するためと思われるが、姑からの電話をにこやかに受けながら、ダーツを打つ彼女にゾッとする。
嫁のために選んだというワンピースは、豪奢な生活をしている彼女にとっては姑のプレゼントという以上にうっとうしいものだったのだろう。「ごちそうよ」と夫の使いかけの歯ブラシと共にゴミ袋に入れられる。ダーツが打たれる先には、子宝のお守りがぶら下げられている。

夫が、完全浮気お泊りという日、当然、仕事のための残業とは言っていたけれど……その日、それ以前から自分を覗かなくなった春夫に苛立っていた真琴は、ミチコを連れ込んだ春夫を見て更にイラッと来て、こともあろうに飲みかけのワインボトルを片手に乗り込むんである。
自分の家とはまるで違う、場末のワンルーム。獣のように交わり合う二人に触発されて足の間に手を入れる真琴。

視点が替わってから。つまり、主人公が春夫から真琴に、女優に代わってから、少なくとも春夫が見ていた真琴、貞淑な妻、天使、自分こそが運命の相手、と思っていた美しき天女は、がらりと印象を変えた。このギャップの魅力もまた、女優、古川いおりのそれをグーンと引き立てたのだろうと思う。
にこやかな天使の微笑の裏に、野太い声で夫に対して、不倫相手に対して、何より春夫に対して毒づく真琴に衝撃を受ける。

でもそうして真琴は、ストーカー男の部屋に入り込むというあり得ない展開を犯し、「ごちそうよ」とつぶやいて合鍵をゴミ袋の中にしのばせ、夫の寝ている寝室の廊下ですら痴態を繰り広げるんである。時に、夫とのデートの合間に抜け出してさえ。
まぁこのあたりはピンク映画ならではのムリムリだけれども、夫の寝顔を気にしながら、自分の高まりの声を抑えながら、この冴えない男とむさぼるようなセックスをする美しき高慢女を熱演する彼女には、舌を巻かざるを得ない。

だって、決してエロな体型ではない。胸は薄めで、スレンダーな体つきは貞淑な妻を演出するのにふさわしい。
だから、春夫がお世話になっている売春婦、ミチコの豊満な体つきが際立つということもある……佐倉萌、こういうおかし哀しい系ピタリだけど、なんか女としては哀しくなっちゃうよ!!

確かに予想外の展開ではあったけど、真琴が言うように、後に言うように「このままが良かった」のだ。妄想の中の嫁、最初から、そして最後までそうあるべきだったのに、春夫は妄想が現実になってしまったことで、彼女を思うばかりに不倫を告発しちゃって、確かにそれで不倫は清算出来たけど、夫は左遷されてしまう。
そこまで春夫は把握していてほくそえみ、彼女が手に入ると思う。春夫の部屋にしのんできた彼女に結婚しようという。そんな安い女じゃない、ダイヤの指輪が欲しい、と彼女に言われてもまだ目が覚めない。

そのために危険な治験のバイトにさえ赴く。眼帯して帰って来たのは……まさか目を失ったんじゃないでしょうね?でももう、この夫婦は新天地に向かっているのだ。
夫の不倫にも左遷にも理解ある妻をきちんと演じて、小さなバンひとつに荷物をまとめて新天地へ。その彼女を必死に追う春夫。不法侵入の疑いでおまわりさんに追いかけられながら、必死に真琴にダイヤの指輪を見せる。

あの時、ウィンドウから春夫を眺めて、最初冷笑だったのが穏やかな笑みを浮かべて真琴がつぶやいたのは、なんという言葉だったのだろう。
読唇術をやっている春夫には確かに“聞こえた”のだろうけれど。「バカ」そしてあとなにかスルスル言っていたような感じにも見えたけれど、ひょっとして愛していると言っていたのか。いや、まさか。

必死になってバンを追いかける春夫、その春夫を追いかけるおまわりさん、すれ違うミチコとヨリを戻したバンドマンの恋人、ミチコは春夫を確認し、頑張れー!!!とぶんぶん手を振る。
すっかり豊満、豊満すぎる身体になった佐倉萌は唯一無二の個性と存在感を身につけた。ピンク出の女優さんでは珍しい変遷の仕方。 解説ではブラックコメディ、なんて書かれていたけれど、これは純愛物語でいいんじゃないのかなあ。とにかくヒロインの古川いおり嬢が素晴らしかった。間違いなく美しくそしてキュートで、女優の凄み!★★★★☆


Every Day
2015年 95分 日本 カラー
監督:手塚悟 脚本:手塚悟
撮影:松井宏樹 音楽:haruka nakamura
出演:永野宗典 山本真由美 倉田大輔 こいけけいこ 牛水里美 土屋壮 朝真裕稀 藤谷みき 谷川昭一朗 山内健司

2016/8/3/水 劇場(新宿K’scinema/レイト)
個人的な勝手な考えなのだが、新人さんの一般劇場デビュー作品で、身内だらけの観客の時って、ダメな時。もうそれだけで、私の中ではダダスベリ。先入観も持ってしまうのかもしれない。ああ、身内で席を埋まらせるんじゃ、ダメに決まってるって。
ロビーのあちらでもこちらでも挨拶が始まって、少ない情報をもとに足を運んだただの他人は居心地が悪いのだ。理想論かも知れんが、作品で客を呼んでほしいし、席が埋まらないのが怖いなら、チラシの手配りでも今時のSNSでも駆使して客を呼ぶ努力をしてほしい。
これで身内で埋まって一般観客の座る席がないなんていう事態になったら(それぐらい、かなり集まってたし)、本当に本末転倒だもの。

でもまぁ……予告編の段階から、ちょっときれいにまとまりすぎている感じは、したかなあ。それこそ予告編で全部言ってしまっていて、予想の範囲以外に一歩も出ない感じがした。
交通事故に遭った恋人(婚約者という雰囲気)。重体で病院にいる筈なのに、いつものようにおはよう、と笑顔を見せ、はい、とお弁当を手渡してくれる。

交通事故こそが夢か、と思った彼だが、携帯には彼女の父親からの着信が山ほど。「時間を、もらったのね。一週間。」その時間とは何なのか、死ぬまでの時間なのか、それとも??
実はそこんところはラストまで含みというか期待を持たせ、実際ラストを見てもどっちともとれるような感じなのだが。そういう意味では上手いとは思うのだが。

そう、上手い、確かに上手い。映画の作り方も役者も達者でござるという感じだ。柔らかな画作りや、一週間の曜日が洒落たアルファベットのタイプライターのような文字で打ち込まれたアルバムが次々にめくられていくような感じとか、何か、結婚式のPVでも見てるみたい。
そう、上手いというのはそういうタイプの上手い。こなれてるしきれいだし洒落てるけど、私が勝手に映画に期待しちゃう肉に迫る感じというか、人間の弾力があまり感じられない。

彼も彼女もいかにもいそうなタイプのサラリーマンと元OLで、中規模程度の会社の描写も、彼が女上司にしこたま怒られるとか、同僚に冗談交じりに慰められるとか、窓際族のおじさんがいたりとか、……上手いんだけど、それ以上に出ない。リアルそうで、ありそうすぎるから、逆に迫らない感じ。
まぁ、別にいいのかもしれないけど。だって主題は彼と彼女の一週間なんだもの。いやでも、本当にそれでいいのだろうか??

彼女は、今までと同じように彼にお弁当を持たせてくれる。彼に想いを寄せている同僚の女性は、彼女が事故で重体ということを知っているから、今までのようにお弁当を持たせてもらえないだろうと手作りのお弁当を「良かったら」とそっと机に置いて外回りに出かける。
夢まぼろしかもしれない彼女の手作り弁当と、その想いを断り切れない同僚の女の子の手作り弁当。

イタいなー……。

いや、どちらもよ。どちらもイタい。なんか……えー、いまどき、女子の手作り弁当、とか思っちゃう。いやそれより先に、どうやら結婚を前提に会社を辞めたらしい彼女、という設定にも私はイラッとしてしまう。
途中、時間をさかのぼって回想する形で出てくるのよ。あの窓際おじさんに、「私、今月で辞めるんですよ」って、そう告白する。

そして一緒に暮らしてるし、舅に苦手意識を持ってることを彼女に正直に告白したりしているし、ヤハリそういうことなのだろーとは思うが、今時ないよね、妊娠もしてないのに、結婚だけで仕事辞めるとかさ。
いや、あるのかもしれんが、なんかこう……彼らの間には、それだけの決意のようなものがあんまり感じられないのさ。結婚するから家庭入ります!!みたいな感じじゃなくて、同棲時代がそのまま続いているみたいに見えてしまう。

ちょっと脱線したけど、言いたかったのは手作り弁当の話である。まあいいさ、いずれ結婚する彼女の手作り弁当なら、百歩譲って。後に展開されるエピソードがこともあろうにたこさんウィンナーなどという時代錯誤極まりないものだとしても。
たこさんウィンナーはないよな、小学生、いや幼稚園生のおべんとレベルだろ……。まぁだから、そういうことなのよ。そりゃ日本は未だに男女同権意識のレベルが低く、女子力なんて言葉がこの時代になって新たに横行するぐらいだから、仕方ないのかもしれない。でもフェミニズム野郎としては、かなりイラッとしてしまう。
家計を助けるための弁当という雰囲気ではないからこその、イタさである。

完全事務方でない限り、男性サラリーマンが職場で弁当を食べられる時間的余裕があるかどうかは、かなり限られていると思う。一般的日本の社会において、それが現実だと思う。
実際、彼に手作り弁当を押し付ける女子社員には外回りという設定をかませるくせにさ、と思う。そのためだけという気がするけど。
会社という実態が、リアルそうで、リアルじゃない。架空や設定であっても、仕事の内容が、取引先との関係とか、チラとも出てこないというのが……正直言って手抜きだと思う。

それにいくら想いを寄せているからといったって、彼女が死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされている状態の彼に対して、手作り弁当作る女子がいるとは、到底思えない!!これはね、あり得ない、あり得ないって!!
私多分、この一点で、本作がどんなに素晴らしい映画でも、あり得ないという判定を下したと思う。手作り弁当ということ自体、どんな間柄でも若干のイタさがあるのに(手作り弁当が100%許されるのは、自分自身のためと、義務教育、いや、小学校までよ)、よりにもよって愛する彼女が重体の彼に対して、手作り弁当を差し出す女子がいるとは思えない。

これは、彼女のキャラクターに対するダメ出しというよりは、こんな女子を造形する作り手側に対する憤りに他ならない。つまりね、女に対して、こういう想像しか出てこないということ……それに凄く、ガッカリしちゃうのだ。
私だって彼のことがずっと好きだった、重体ってことはどうせ死んじゃうんでしょ、みたいなさ。イジワルな見方過ぎる?そんなことないでしょ、だってこの同僚の女に「なんで彼女だったの」という台詞を言わせるんだから。

劇中でも匂わせているように、自分は仕事でも彼を助けてあげられているという気持ちがあったのかもしれない。ということは逆に、彼女はこの職場ではどうだったのか……ただ在籍していたという印象しかなく、イジワルな見方をしてしまえば、結婚までの腰掛(懐かしい言葉だが)であり、そう考えるとこの同僚の女に同情したくなる?いやいや!!
正直、作り手がそこまで考えていたとは思えない、というのは、手作り弁当というアイテムに女の男に対する愛情を100%託している時点で、底が浅いと思っちゃうんだよなあ。
しかもワキ同僚にすら、なんかコメディチックに、女の手作り弁当に困惑する男、という図式が出てくるもんだから……一体手作り弁当を賞賛しているの、揶揄してるの?どちらにしても、やっぱり違うけどね!!

先述したように、役者陣はきちんと合格点の芝居を見せるんだよね。それこそちょっとした小劇場の芝居を見ているみたい……と思うのは、何も主役の彼(恐らく、それ以外にもそれ系の出自の役者が固めているのだろう)がそっち系だからという訳でもない。
彼女の方も、大きな瞳がコケティッシュさえ漂わせるチャーミングさだし、魅力的である。でも……これは私の好みの問題かなあ。彼はともかく彼女の方が、チャーミングなんだけど、チャーミング作ってます!みたいな表情の作り方がなんか気になってしまって。
目線、というか視線をさまよわせる頻度の多さや、口元を引き延ばす感じ……いわゆるアヒル口?の多用に、ああ、こーゆーのに男性ってのは騙されるのかなぁ、などと不毛女子丸出しのことを思ったりするのであった(爆)。

弁当といい、お茶入れるね、とか、そして結婚も視野に入れている筈の二人の最後かもしれない一週間でキスどころかハグもなく、セックスの匂いもしないってあたりとか、マザコンなんじゃないのと思ったり(爆)。
当然、あるでしょ、好きなんだから、愛してるんだから、結婚も目前なんだから、セックス。こういう状況ってセックス出来るの?とか、ゴメンね、とか、そーゆーやり取りを期待するのは、私がエロ映画こそ映画の師匠だと思っているからなの??

……マザコンと思えば、全てが説明できるんだよね。彼は当然ながら、彼にとっての舅、彼女の父親でさえもさ。「女房に先立たれてから、娘と二人暮らし」という設定、“当然”娘が父親の身の回りの世話をしてきたんである。
「一人でいることには慣れてきた筈なのに」というのは、娘が伴侶を見つけたからに他ならないが、その台詞に、妻から娘へ世話をしてくれる人が替わっただけで、やっぱり自分じゃ何もできない、てか、する気もない日本男子、と思ってしまうのはやっぱりやっぱり……フェミニズム野郎なのだろうか??

ヤなんだよね、「いい嫁さんになれる」「いい奥さんになれる」「いいお母さんになれる」っていう言葉も、それが出てきそうな状況も。
だって、いい夫、いいお父さん、そんな言葉が褒め言葉で男子に向けられることって、なってからじゃなきゃ、ないじゃない。つまり、女子にとってはなれる、ことが合格点であり基準、こんな若い作家が作った映画ですら。

しかも、彼女はどうやら死んでしまうらしいし。どうなんだろう、死んでしまったのだろうか?この一週間は、神様から与えられた死ぬまでの一週間?それとも、最後には助かるんだけれども、自分たちを見つめなおすための一週間??

舅となる彼女の父親と、深夜の病院のロビーでじっくりと話し合う場面はなかなかに良い。父親として、未来の夫として、それぞれが感じる彼女の魅力があるあるな感じで重なり合う。
舅は義理の息子となる彼の暴露話に、体を折り曲げて笑い転げる。そしてありがとう、と言う。娘にはいつもおかえりと言ってもらっていた。今度は私たちが、おかえり、と言う番だ、と言う。

この台詞が、結局はどうラストに作用したのだろうかと思う。最後の最後、もうこれが“妄想”の最後のチャンスとして現れた彼女は、ゲームのように戯れておかえり、を連発した。でも攻守交替した彼は、彼女におかえり、と言えなかったのだ。
これは、どういうことなのだろう。なんで言えないの、と単純に思った。思いがあふれて涙が止まらなくなったから、というだけには見えなかった。

そこには監督さんの指示があったと思うんだけど……つまり、本当に帰ってくる(つまり、助かる)ことの示唆だと思って、ああよかった、助かるよね、と思ったら、それっきり彼女は姿をかき消した。
それに呼応するように電話が鳴り、当然舅からで、それは……彼の反応からは、どちらかといえば、ダメだったように思え……どちらかといえば、ってあたりがクセモノで、なにもかもから吹っ切れたように、ヨシ!と立ち上がるから。これはどっちを意味しているの??

彼女が交通事故に遭ったのは、離婚式、といういかにも現代的なイベントに参加した後だったんであった。花嫁ではなく、離婚した元嫁が放ったブーケを譲り受ける形で彼は受け取ってしまい、それが縁切りを意味することを彼は知らなかった。
彼女がやたらぶんむくれてずんずん行ってしまって、訳判らないまま交通事故に遭って重体、という流れは、結局は何を言いたかったんだろうと思ったり。

彼が言うように、怒っているなら、言いたいことがあるなら、言えばいい。確かにそう素直に言えないところが女にはある。汲んでよ!みたいなムチャなことを期待したりする。そういうことなのかなとも思ったが、それにしても彼女の風情(つまり芝居)は深刻であり、そのまま事故に遭い、妄想?として彼の前に現れても、その時の心情を説明することはなかった。
これが一番の痛手だったかも、と今書きながら、思った。作り手がどう思っていたのかは知らないが、離婚式、つまり結婚しようと思うぐらい好き合っていた二人の別れ、その強い想いが詰まったブーケを受け取った彼が離婚式の意味合いも含めて、なんにも判っていないことへの憤りなんじゃないのとか。

この一週間の彼女を撮った写真から彼女が消える、というのはかなり想定内だったかなあ。つまりやはり彼女は死んでしまったのか、あるいは、本体ではない状態で活動していたから消えてしまったのか。
前半、この現象を唯一(酔った勢いで)話した友人カップルが、特に長身美女の方が信じてくれて、感動してくれて、「私たちがそういう状況になったらどうなる?」なんて盛り上がったりする。
ありがちなエピソードだけど、この長身美女がなかなか魅力的だったので、こーゆー脇役カップルをカラミ要員でもいいからいい感じに回したら面白かったのになあ、と思う。ちょっとベッドで抱き合うシーンすらないなんて、ティーン青春ムービーじゃないんだから。

家族も友情も会社に象徴される社会も、ふんわり甘すぎるのよ。ちょっとしたワキエピソードが、彼女が会社の冷蔵庫に名前を書いて残していった賞味期限が切れた板チョコだもん。甘すぎるのよ。★★☆☆☆


エミアビのはじまりとはじまり
2016年 87分 日本 カラー
監督:渡辺謙作 脚本:渡辺謙作
撮影:藤澤順一 音楽:上田禎
出演:森岡龍 前野朋哉 黒木華 新井浩文 山地まり 日向丈 松浦祐也 斎藤嘉樹 大島葉子 九内健太

2016/9/12/月 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
あまり彼の監督作品を観る機会がなかったので、なんだかすごく、久しぶりのような気がする。その間に「舟を編む」ですっかり有名脚本家となった彼だけれど(その流れでの黒木華のご登場なのかしらん)、やっぱり私の中のイメージはデビュー作で強烈な印象を残した、詩的で不思議な渡辺監督、なんである。
そんな古い作品の話を今更持ち出すというのもヤボだけれど、そのデビュー作、「プープーの物語」が女の子二人の物語だったことを思い出すと、本作の芸人コンビ、エミアビの二人の“男の子”というのは、なんだか感慨深い気がするんだよなあ。

そう、男の子よね、と思う。確かにもうすっかり成人してるし人気芸人だけれど、夢を追いかけている男子というのはいつまでたっても男の子、と思う。
それが芸人という、真剣で厳しい世界なれど、バカやって笑かす、という世界であればなおさらであり、そこに命を賭けているからこそ、ああ男の子だよなあ、と思う。

森岡龍と前野朋哉。ちょっと魅力的なカップリングである。通好み、というか。今でこそすっかり一寸法師でブレイクした前野氏だが、映画ファンの中ではこの人よね!という嬉しさの味がある人で、脇役ばかりかと思いきや以外に主演もイケるというのも、こういった風貌の役者では珍しいタイプ。それだけ作り手に愛されているということだろうね。
森岡君は平凡と言ってもいいそれなりに整ったお顔立ちの青年なんだけど、やはり彼のバックボーンにある作り手自身でもあるということが(それは前野氏もそうだけど)、独特のどっしり感を与えている。イケメンに行きそうで行かないような、こういう人こそが残っていくという手ごたえを感じさせる“男の子”。

見た目的には、ちょっとイイ男(フツーだけど)の森岡君と、明らかにブサイク担当の前野氏というのは見るからにお笑いコンビ!という感じで凄く座りがいい。冒頭からかなり長い尺を使って見ごたえのある掛け合いを見せてくれる。
近年は芸人さんが監督をすることも増えたこともあってか、芸人が主役の映画が増えたように思うが、私の中の一番はやっぱりウッチャンの「ボクたちの交換日記」だけどねっ(照)。
うん、でも、それに匹敵するぐらいの(エラそう(汗))クオリティの高さ。汗びっしょりの前野氏が、地じゃないのって、笑っちゃう。それをネタにしたりしてさ。

しかし、現在の時間軸で、もう前野氏演じる海野は死んでしまっているんである。相方の、森岡君扮する実道はどこか呆然とした様子で……それは悲しみというよりは、なんか事態がよく判っていないという感じ。黒木華嬢演じるマネージャーの運転する車に乗せられて、先輩芸人、黒沢のもとに向かっている。
黒沢の妹が、海野の運転する車に同乗していて、二人そろって死んでしまったから。黒沢を演じるのが新井浩文。芸人を演じる新井浩文!!
しかし今は引退状態で、新井浩文らしいコワい先輩を、なんたって後輩の運転する車で妹を亡くしたんだから余計に……期待通りにコワーく演じてくれる。最近は穏やかな役やコミカルな役も多いけど、やっぱり新井浩文はコワい新井浩文でこそ本領発揮よねッと思っちゃう。

実道は、遺影を抱えた黒沢に「妹を笑わせて見ろ!」と言われてピンのまま様々にネタを披露するんだけど、全然笑ってくれない。それどころか怒りまくってバンバンモノを投げつけられちゃう。
ビビリと憤りで逃げ出す実道、階段を転げ落ちたところで、来るまで待っていた筈のマネージャーがおどけたパンダメイクでドッキリプラカードをもって現れた。笑いこける黒沢。勘弁してよ、と崩れ落ちる実道。
え?海野たちが死んだのもドッキリ??と、観客同様の疑問を投げかける実道に、真顔に戻ったマネージャーは言った。「そんな訳、ないじゃん」笑い転げていた筈の黒沢は、いつの間にか号泣していた。

ちょっと、怖気づく。これは感動ヒューマンドラマになるんではないかと。相方が死に、それが尊敬する先輩の妹を巻き込んだ事故で、相方がいなければ何にもできない実道、という図式にドキリとする。
まぁ、いいんだけど、感動ドラマもキライじゃないけど。でも相方が死ぬとか脱落するとか言って泣きに持ってくドラマは、かなーり聞き覚えがあったからさあ……。

でも、そうはならなかった。じんわりはしたけど、泣きに持ってはいかなかった。
実道は確かにピンとなって苦悩はするし、黒沢も妹のことプラス、「親と同じ死に方しやがった……」という台詞から推測される、親の起こした交通事故の被害者とのシリアスなやりとりもあるんだけれど、時々差し挟まれる海野=前野朋哉の、スイートハートとのエピソードが実にラブリーなので、なんかそれこそがメインという感じで、イイ感じに緩和されちゃうんだもんなあ。

スイートハート、そう、黒沢の妹の雛子。演じる山地まり嬢は、グラビア出身でそれほど経験値がない、とは思えない、いやそれこそが良かったのか、なんとも清新で、そしてちょっと変わり種な雰囲気もカワイイ。
お笑いオタクである彼女は、今(というか、死ぬ直前まではというか……)はエミアビのファンだけれど、彼らが売れる前から、その経緯とか、小さな小屋でのデビューとかつぶさに見守って来たという筋金入りで、そのことを聞かされた海野は驚きの声をあげる。
それは黒沢という芸人の兄を持ち、つまりそれは兄が所属しているからこそお笑いの世界を愛していたということなのだろうが、でもその兄はお笑いを辞めてしまっているのだよね……。

黒沢がお笑いを辞めた理由、っていうのが、妹を育てるためだと、実道とのやりとりでちらりと明かされる。つまり、両親が他人を巻き込んだ交通事故で死んでしまってから。
かなり後半になって、その被害者の墓参りをし、被害者家族と出くわすシークエンスがあって、感覚としては事故からかなり年数が経っている雰囲気なので、じゃあ妹である彼女は芸人としての兄をどれぐらい見ることが出来ていたのかな、などとも思い……。
この、両親の起こした事故、両親自身も死んでしまった事故というのは劇中ではつまびらかにされず、両親自身も死んでしまったのに被害者の息子からはボロクソに罵倒されるし、ちょっとそのあたりのモヤモヤは残るかな、と思う。

マネージャーを演じる黒木華嬢が、凄くはっちゃけてて、イイんだよね。なんかちょっと、バカなの。「え?デニーロって、何色ですか?」みたいな(笑)。基本、何かゴスロリ、じゃないな、ちょっとスイート気味のパンク、みたいなファッション。
メイクもアイメイクばりばり。相方の葬式で泣けなかった実道をしり目に、「私、すぐ泣けちゃうんですよね。ナイアガラって呼ばれてるぐらい」と、車の中でいきなりだーだーと泣き出し、黒い涙筋をどーどーにつけて真顔で、あ、スミマセン、みたいな(爆)。
黒沢と実道のケンアクをなごませようととる、なんちゃって!みたいなマンガチックなポーズとか、キレた実道に叩き落とされた弁当をはいつくばって食べるとか、妙にタフで、でもなんともキュートで、ちょっとこんな黒木華は見たことない、って感じ!

まぁ、だからといって彼女が実道の立ち直りに凄く関与している訳でも、ないんだけど(爆)。実道が思い返しているのか、ただ単にこのコンビの成り立ちを追っているのかちょっとそのあたり微妙な、エミアビの経過がぽつん、ぽつんと挿入されてくる。
それは、海野と雛子のデートの会話から紡ぎ出される。かつて組んでたコンビの解散、残った者同士の再結成。雛子が「私も、海野さんと実道さんが組んだら、凄く面白くなるって思った」と当時を思い返して瞳を輝かせる。

そしてそれを画策したのは黒沢であり、個室居酒屋に二人を呼び出してそれを言い渡す場面は、渡辺監督らしいと言いたいオフビートな魅力に満ちている。
肝心なことを言いだそうとすると、必ず仲居さんが「失礼しまーす」としかもかなりの大声でガラガラガラ!と引き戸を勢いよく開けるあのタイミングがサイコーである。三人は真剣にお笑いに向き合っている芸人、としてのスタンスで、ひたすらシリアスにその場に端座しているのにさ(笑)。

エミアビ、というコンビ名を考えたのは海野だった。笑みを浴びる、という意味。このタイトルを見た時、てっきり二人の名前を省略した形だと思っていたから、あれ、名前違うよね、と思いながら見進めていて、予想外の由来に、ちょっとグッと来てしまった。
しかもそれが、二人、何か名もない原っぱを自転車で走りながらの会話なんである。ああ、それこそ、男の子!な感じなんである。

その前の場面、あの居酒屋で先輩から一方的にコンビ結成を言い渡された時には、戸惑う海野に、実道は眼光鋭くかなりトンがった雰囲気を醸し出して、余計に海野をビビらせていたような感じがあった。
でも、海野がおずおずと切り出したこのコンビ名とその由来に、「いいじゃん」と即座に実道は反応したのだ。そこからどんな風にお笑いコンビとして昇って行ったのかは明示されないけれど、この「いいじゃん」が凄く、ピンと立つ感じがしたのだった。

ただ、海野が死んだ時、黒沢から問われた実道は「最近、仕事でしか会わなかったし……」と視線を落としていた。売れた二人は、いやそもそも片割れ同士で組んだ二人は、それほど密な関係ではなかったのか??
……ちょっとそのあたりがモヤモヤしてるところが、ウラミがあるのよね。海野の過去回想は、そのほとんどが雛子とのそれに費やされている。実道とのコンビ愛というのは、嫌っていた訳ではないけど、という感覚さえ拾えないほど、あんまりない、のよね。

メインでありキーポイントとなるシークエンスがある。デート中の二人が、駐車中の車に乗ったまま、ヤンキーたちの乗った車にピタリと横付けされ、引きずり出され、海野がボコボコにされ、雛子が人質にとられる。
自分たちを笑わせたら許してやる、という取引に海野は応じ、最後なけなしの一発逆転、おならで空高く飛んでいく、という奇跡の芸を披露するんである。

それを聞かされた黒沢は笑い崩れるけれど、実道は信じない。それどころか、「その時雛子さんが連れていかれれば、死ぬことはなかったんですよね」ヒドいことを言う。
妹がレイプされた方が良かったのかと黒沢は怒る。でもその怒り方は、新井浩文にしてはどこか頼りなげである。代わりにマネージャーである黒木華の方が怒る。「私はそうは思わない」
……こんな哀しいタラレバはないけれど、そうだ、そんなことはないのだ。そんなことは、絶対に、ない。

黒沢が被害者家族に墓で出くわす場面は、一つのクライマックス。いまだ噛みつく息子をなだめ、叱りつけるたおやかな母親。芸人辞めて償ったつもりかと言う息子に、怒られるかもしれないが……と芸人復帰を告げて頭を下げる黒沢。
「俺を笑わせられたら許してやる」という台詞に、自分がまさにそう言ったことを思い出して笑いをかみ殺す黒沢。
硬い表情のままの息子の前で(母親は無邪気に笑い転げる)、汗だくでネタを披露する黒沢の頭上に、天の奇跡が降ってくる。それは……金だらい!まさかの!ドリフ!!二つ続けて直撃の金だらいを頭上に掲げ、「ミッキーマウス!」とおどけた黒沢の頭上に三つめの金だらい!!まさかの、新井浩文のミッキーマウス!!

竜巻が起こした奇跡だったのが明らかにされた時、黒沢ともう別れた場所にいた息子がたまらず笑いだすのが、イイ。黒沢は許されたことを知らないままだったということなのだろう。
そして実道と共にふたたびステージへと向かう。新生エミアビとして。ザ・幽霊の三角鉢巻きした海野と雛子が見守るステージへと。

ラストシーンがイイ。また時間は巻き戻る。海野が雛子に土下座プロポーズ(この場面もめちゃくちゃカワイイ)した答えがうやむやになったままヤンキーに絡まれちゃって、奇跡のジャンプで危機を脱し(ちなみに、このジャンプシーン(防犯カメラ?)の映像で実道は再び再起を誓うのである。おっと、こんなイイシークエンスをすっ飛ばしてたな(爆))、改めて彼女から逆プロポーズとでも言いたい返事をもらえるシーン。
最初におでこをごっつんこしちゃうというお約束の後に、チュッとやるときめきのキスシーンがたまらないっ。たとえその後に二人に悲劇が待っていたとしても、「海野さんとコンビを組みます。ただし、死ぬまで」という言葉が悲劇の運命よりも、二人の愛の運命だと思いたいのだ。★★★☆☆


エロ将軍と二十一人の愛妾
1972年 92分 日本 カラー
監督:鈴木則文 脚本:掛札昌裕 鈴木則文
撮影:わし尾元也 音楽:伊部晴美
出演:池玲子 渡辺やよい 三原葉子 女屋実和子 城恵美 衣麻遼子 一の瀬玲奈 堀陽子 ひろみどり 任田順好 碧川じゅん 三浦夏子 丘なおみ 安部徹 中村錦司 疋田泰盛 名和宏 那須伸太朗 村居京之輔 田中小実昌 由利徹 岡八郎 松井康子 穂積卒 三和よしの 汐路章 牧淳子 蓑和田良太 川谷拓三 大泉滉 白井孝史 林真一郎 林真一郎 杉本美樹

2016/9/22/木・祝 劇場(シネマヴェーラ渋谷)
今回の二本立てで、鈴木則文監督というのがどんだけキテレツ監督か、判った(勿論、褒め言葉)。今までだって何本かは観ていたのに、私の中ではつながってなかったんだな。それこそキテレツタイトルに惹かれて足を運んだものもあったのにさ(爆)。
本作は、日本史に通じている人ならピンと来るんだろう。しかし日本史が授業科目の中で一番苦手だった(いや、体育の次か)私にとってはまるでピンと来ないので、ただ単に奇想天外な設定のエロナンセンス時代劇、ただメッチャおもろいけど!!といった感じで、多分そんな感じで描き進めちゃう。

ちらりとこの徳川家斉の人となりをウィキなんぞで探ってみると、53人もの子供を作ったことや、15歳で跡継ぎになったとか、確かに面白そうな要素がてんこもりで、日本史苦手な私でも田沼意次といえば老獪な人物っていうイメージが判るし、なんたってエロエロなんでメッチャワクワクしてしまうんである(爆)。
「将軍様の、おなーりー」と多くの女たちがずらりと両側に端座しているシーン、エロい家斉さんはすべての女が全裸に見えてしまう!!こ、こんな画、どんなエロ映画、ロマポルでもピンクでも見たことないよ!!
女たちが上半身裸で乱舞するシーンやら、よつんばいになった状態でずらりと横並びになり、先輩大奥たちに筆で尻のワレメ(から先の方も……)チロチロやられて、全身汗まみれで歯を食いしばって耐えるとか、もう信じられない描写がいっぱいで、フェミニズム団体からクレームが来るかも??

まあ、とにかく話を戻す。そもそもの話である。実際の歴史を下敷きにしてある。私は詳しくないので、映画を観たとおりに書くのであしからず(爆)。
田沼意次の老獪な手法によって、次の将軍に決まった家斉。老獪な手法ってーのは、これまたエロボケな家治の、その愛妾に取り入って豊千代(後の家斉)を指名させたんである。
この場面も凄い。まず、彼を「恍惚の人」と流麗な筆文字で大書して呼ぶのに噴き出す。あの恍惚の人、まさにドンピシャリこの年に大ヒットしたあの小説であり、映画化もされたアレである。
おっぱいぺろんの愛妾を何人もはべらせ、ちょめちょめやってるいる様にまず噴き出してしまうんである。その前に忠臣たちがははーっとひかえているのだから(爆)。そしてそのままその「恍惚の人」はばったりと息絶える。まさに恍惚のままに(爆笑!)。

その頃、主人公たる角助はお江戸に出て来たばかりの三助である。この三助という仕事、なんとなく音では聞いたことがあったが、こんなエロい仕事だったの(爆)。
お客の背中を流す仕事。でも女湯で男の三助ってのが、スゲーと思う。実際、それが普通だったらしい。まあ当時は混浴文化だし、プライドのある女たちは胸を張って格下の三助に背中を流させていたんだろう。
実際、角助は色っぽい美人、お吉にメロメロになり、他の三助たちと彼女を取りあうほど。このお吉というのは実は鼠小僧で、この物語のキーマンとなるんである。

その前に。角助はお江戸に出て来たばかり、っつーことは、つまりはイナカモノでね、故郷にいた頃からスケベ男で有名。幼馴染のお菊の元に夜這いして「嫁に行くまでは」と拒む彼女を押し倒そうとする一方でおはぎにつられるあたりが、ガキっぽくて憎めない。
ここで「15歳」とクレジットされ、あまりにムリだ、と噴き出すのだが、そのあたりの御愛嬌もこの手の映画では好ましい。主人公の林真一郎という御仁、私は知らなくて、こういうトンデモ役を邪気なく演じるところがとても素敵だと思う。

このプロローグ、ニセ将軍となった角助に呼ばれて田舎から出てきたお菊が、彼の目を覚まそうと女中としておそば仕えし、そこでも手作りのおはぎを用意するシーンがあり、あの頃と同じように彼はうまそうに頬張るんだよね。
ちっとも変ってない、エロも食いしん坊もただのガキなのだ。なのに……というのが後半の展開につながって、かなり泣かせたりもし。

で、なんでニセ将軍になったかとゆーエピソードも、爆笑必至。勉学一筋な豊千代君は、膨大な書物に囲まれてどんな知識も得ているかと思いきや、「バカだな、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるに決まっておろう」とかゆー、信じられないウブ男子なんである。
で、跡継ぎに決まり、心配した家臣が名うての吉原のおいらんに筆おろしを頼む。もうこの場面、サイコー。のしかかられたら圧死しそうな巨漢の女郎が舌なめずり。あわびに松茸、とろとろ煮るのがようございますとか、もうエロ隠語にもだえまくり(爆)。
経験もないままこんな凄腕にのしかかられたらもうダメだわさ。つーか、「無礼者ー!!」と叫んだ豊千代に慌てて飛び込んだ家臣が「次期将軍様であらせられるぞ!」の言葉にビビったおいらん、痙攣したままぶっ倒れ、そして哀れ、二人の結合部はそのまま離れなくなってしまったのであった。!!!オーイ!!!

……うーむ、「失楽園」の二人が死を選ぶ結末がこーゆーことだった気もしますけれども(爆)。ニセモノが仕立てられるという理由になんたるもんを持ってくるのか!!
で、豊千代に瓜二つの角助にお声がかかるのだが、そこは鼠小僧であるお吉の策略である。トップに名前が来る池玲子。ゴメン、これまた私無知(爆)。唇の下のほくろがたまらなく色っぽい素晴らしい美人。側転とかのアクションが思いっきり吹き替え丸わかりなのには笑ったが、そーゆーあたりも当時の無邪気な映画の良さよ。

お吉も田舎出身。自分たちでは一粒も食べられない米を作り、年貢の取り立てに苦しんでいた農民たちの筆頭に立って一揆を行うも潰された父の無念を胸に、この盗賊稼業に身を落とした。
彼女の夢は、お上の者たちをメッチャメチャにすること。だからこそ潜りこみ、お偉いさんたちに一計を案じたのだ。このエロエロ男子を将軍に祭り上げること。ほんのいっときのことの筈が、このエロ男、角助は予想以上の働きをし、次から次へと大奥たちに手を付け、つぎつぎと身ごもらせる剛腕。

まー、このあたりはねー、エロ映画面目躍如よね。「なんだ、もう失神してしもうたのか」と不満げに言い、そばにつかえていた女が自分で慰めているのを見て(この設定も凄い。絹の布団に横たわって、張り型まで使ってる始末(爆))、襲い掛かる。もう大奥のしきたりも何もあったもんじゃない。
更に奥に控えている、尼のような初老の女も思わず舌なめずりする(爆笑!)。しかしそこはお約束、「ここまでにしとくか……」ズリッ!でもその台詞は、この御年配の女性もイケるってことでしょ、さすが??

もうあらゆる女を食いまくるのだが、その中でも異色中の異色なのが、全身に見事な刺青をほどこし、もう、本当に全身、まるでウェットスーツを着ているかのよう。そして白ふん姿で現れる。まるで外国女性のようにも見えたけど、あれは一体、誰??
形のいいふくよかなおっぱいまでもが乳首のキワキワまで刺青で、「あなたに愛してもらえれば、小鳥はさえずり、蛇は火を噴き、牡丹は咲き乱れるでしょう」みたいな、いや、なんか恐らく間違ってるけど(爆)、もうそんな台詞、聞いたことないわ!!
しかしこのカラミはまだまだ序の口、なんかもう、放送コードギリギリどころか、絶対ムリ!!というエロ描写が次々現れるんだもの!!

まあさ、全裸の大奥総ズラリは、そう考えればカワイイもんだったのかも。しかし、その中に、角助が覗き見していた、狆にまたぐらをなめさせてオナっている女がいて声をかける、という、もうこう書いていても赤面するようなシチュエイションが。「栄養をたっぷり与えられているからな」とか言うし!!
しかも、角助は彼女ではなく、隣の若い女を夜伽に選び、「狆の代わりはゴメンじゃ」とか言いやがるし!えり好みする立場か、このエロヤロー!!

何よりぶっ飛んだのは、中国からの使節団のエピソードで、あの伝説の由利徹に岡八郎!!由利徹はおしゃまんべと連発し、岡八郎は役名がもう、「チンマンコウ」コラッ!
由利徹演じるモクタクサンが、舶来美人を角助に献上、同時通訳する場面は最高中の最高の名場面。中国訛りな上に、次第に自分だけ盛り上がって、「ああ、いいの、あなた、凄い、ああそこそこ」とか悶えまくる由利徹に腹がよじれる。大体、セックスの同時通訳て!

彼らが連れてきた、「女性を慰めるペット」パンダ、ならぬパンタ、呼ぶときはパンタ、ロン、と呼んでくださいとひと笑いさせた後に披露したのは、おっと、おーっと、いいのか、パンダよろしく白黒のサテンの衣装を着せられた小人症の男性二人。しかもかなりハゲ散らかしているご様子(爆)。
それこそ狆よろしく彼らにベロベロやられて昇天する大奥さん(うわーっ!!!)。いい、いいのだろうか、これを差別とか思っちゃうのは逆にダメなんだろうか。とにもかくにも、今の日本じゃ絶対できない描写!
これをアッケラカンと、エロとしてコメディとしてやれた当時が幸福だったと思うことこそ、どうなんだろうと悩んじゃうが、とにかくスゲーッ!!だって、つまり、これ、大人のおもちゃ扱い、そしてペット扱い、その二つを同一視するのも凄いし、ああ、ダメダメ!!

これは凄い、「フリークス」より凄いかもしれない。いや、これが「フリークス」のように議論の的にもならずにあっけらかんと存在しているところがいい意味でも悪い意味でも日本映画という感じがする。
そして、更に凄い展開が待っている。チンマンコウは欲求不満の大奥に迫られるのだが、応えられない。なぜなら彼は宦官だから。つまりムスコがないんである。

その忠臣ぶりにいたく感銘を受けた角助は……つまり、彼はもうこのまま将軍のままにいたいと思い始めていたから、わが国にもこの制度の導入を!とか言いだす。
うっかりその口車に乗っちゃった大泉滉が長い柄の剪定ばさみでバチンとやられる、切腹さながらの白装束に用意をされて、ぶるぶる震えてのシーン、笑いながらもうわーっと飛び上がっちゃう。
これは、コメディでありながらブラックコメディ、いやそれ以上の意図を感じる。忠義の国日本、でも、その本当の意味は何なのか、ちんぽを切り取られてもいいのか(!!!)。

そんな具合に、つまり、角助が思い上がっているうちに、事態は大きく動いて……角助を心から心配していたお菊が、角助の正体を知っているがゆえになぶられた後(まあつまり、先述したよつんばいのワレメを筆でさわさわね)、折檻され(これは可哀想……)、井戸に身を投げて死んでしまう。
角助はもうすっかり乱心、ホンモノと入れ替えられそうになるが、お吉の策略でホンモノが行方不明になり、ますます暴走、罪人たちを集めて「罪を減じるから、どんどん女を抱け!」と大奥に解き放つ。

この、画面いっぱい、カメラが別の場所に移動しても、総セックス状態、AVだってなかなかこれは出来ないんじゃないか(いや、判らんけど(爆))。
そして……角助は死んでしまう。結局、角助はあれだけ色事師だったのに、結局は交わることがなかった幼馴染のお菊ちゃん、つまり初恋の相手こそが、たった一人の女、だったのかなあ……。

うーむ、なんか、凄かった。きっと歴史に詳しい人が見れば、もっと面白いのか……いや怒るのか(爆)、でもでも、いろんなことがツボに入って面白いんだと、思う!!
時代劇をついつい避けちゃうのは……それこそどんなに好きな俳優さんが出てても大河ドラマに手を出せないのはそこんところなのだが、ここまで遊んじゃってると、しかも緻密な遊びでさ!★★★★☆


トップに戻る