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「せ」


2016年鑑賞作品

正義だ!味方だ!全員集合!!
1975年 95分 日本 カラー
監督:瀬川昌治 脚本:加瀬高之 瀬川昌治
撮影:丸山恵司 音楽:いずみたく
出演:いかりや長介 加藤茶 仲本工事 高木ブー 志村けん 金子信雄 榊原るみ ミヤコ蝶々 園佳也子 浦辺粂子 長谷川コッペ 財津一郎 笑福亭鶴光 伊東四朗 豊岡豊 鈴木ヒロミツ 立原博 キャンディーズ


2016/1/24/日 劇場(神保町シアター)
ドリフの映画がそんなに数作られていたとは知らなんだ。まあそりゃー、人気者だったし、それに「男はつらいよ」の併映で。そうかぁ、釣りバカの前にはそんなこともあったんだ。釣りバカが独立してからも変遷があったもんなぁ。

そしてこれがシリーズ最終作だという。すっかりハマった瀬川監督特集、その流れで足を運んだんだけど、ハズレなし!と思ったところが、これはちょっと、うぅん、ハズレと言うのもナンだが、まあそんなところだったかなぁと(爆)。
でもこの松竹のドリフシリーズはほとんどは他の監督さんによるもので、瀬川監督は最後の二作のみ。もしかしたらそれまでのシリーズの流れを汲んでの作劇やキャラクターづくりだったのかもしれないし。

今なら当然カトちゃんとシムケンがスターだが、この当時は二人とも、特にシムケンは下っ端中の下っ端。通りがかりのおまわりさん程度の役回りである。カトちゃんは主人公と言ってもいいぐらいの役どころだけれど、やはり若さ青さを前面に出して長さんにどつきまわされる感あり。
この当時は長さん、なんだよね。彼は圧倒的なリーダーで、フロントマン。「全員集合!!」がそのままあの伝説的番組を指すように、当時のドリフ、そして長さんは主役であり脇役であり回し役であり、全てであった。

本作ではそんな、言ってしまえばワンマンな長さんが良く出てる。だって長さん以外はみんなしっかり若いんだもの。長さんだって若い筈なんだけど、なんか、あの当時から晩年までさして変わらぬイメージそのまんま、である。
劇中、ゴリレンジャーなるキャラクターが出てきて、彼がそれに投影されるのだが、正義の味方だけどゴリラ、ならではの落ち着きまくり、世慣れた雰囲気、まんまなんである。もうこの時から50歳ぐらいと言われたって不思議じゃないぐらい。

物語としては、さすが寅さんとの併映だなと思わせるご当地モノ。横浜の伊勢浜町。冒頭はPR映画もかくやという緻密な紹介っぷり。しかもしっかりとした劇画タッチで。
これは劇中大きな役割を果たす、ミニコミ誌の中に掲載される流れなのだが、石ノ森章太郎によるもの!確かに!!ご、豪華ー!!これをカトちゃん扮する加藤ヒデオが酩酊状態でスラスラ描いちゃうという筋書きなんである。

まあ、ざっと概略から行こうか。港町に流れ着くのは謎の男……というほどでもない、長さんと仲本工事。
チンドン屋稼業の二人は、流れ流れてこの町にやってきた。ぶち当たったのが、暴力団がらみの地元商店街の苦悩。ペンはドスよりも強し!と、なんか違うけど、まあそうカッコ良く主張して、ミニコミ誌を作って悪を追い払おうじゃないか、と長さんはぶち上げるんである。

商店街のメンメンはやんやの拍手喝さい。金なら出すからぜひやってくださいと持ち上げる。もとよりインチキ流れ者の長さんたちにそんな気はない。前金だけもらってトンズラするつもりだったんだけど、なんたって商店街のボスはミヤコ蝶々だから、企画が出るまではカネは出さんで、としっかりしてるんである。
ミヤコ蝶々はホントイイんだよね。この瀬川監督特集でもちょいちょい出てくるんだけど、おせっかい焼きで、結構したたかで、でも憎めない軽さがあって、なんともチャーミングなの!

予算を削るためにと、印刷工場に深夜こっそり忍び込んだり、騙すつもりが案外ちゃんとミニコミ誌を作っていく長さんたちだから、彼がヒデオにきちんと説明しないで、ごまかしごまかしするのが、ちょっと解せない気もするんだけどね……。
あ、でもヒデオが酩酊したまま劇画を描くから、その原稿料をごまかそうとしているから、と考えればまあそうなのかな??

ところでこのヒデオというのは、実家は広島にあり、母一人子一人で育ち、厳しい教育者の母親の期待に応えるべく、警察官を目指しているんだけど落ちまくり、母親には警察官になったとウソをつき、のみならず結婚もし、子供ももうすぐ産まれ、奥さんのお父さんもまたりっぱな教育者だと、後から思うといくら安心させるためとはいえ、クリエイティブなウソをつきすぎだよな、と突っ込みたくなるヤツなんである。

その”結婚相手”というのは、めぐみという女の子。人形劇を作って福祉活動をしている女の子である。
ヒデオは当然、彼女に岡惚れしていたんだろうなあ、でも結果的には、彼女と結ばれるとかいう明確なエンドは用意されていないんだよね。20年後が明示されるにもかかわらず。ドリフターズのコント映画という趣で、そういうロマンスはきっちり帰結させないのか??もったいない気がしたけどなあ。

ヒデオは自殺未遂しちゃうのね。その首つり状態の彼を助けたところから、長さんたちの運命は変わり始める。だってヒデオはめっちゃちゃんとした劇画が描けるんだもの。めちゃくちゃ酩酊状態であんなちゃんとした原稿を(爆)。
それは彼の頭の中にあったものじゃなくて、めぐみが人形劇のシナリオで作り出したもの。街の悪徳業者を動物たちに見立てて、ゴリレンジャーなる正義の味方にやっつけさせるシナリオ。
実はめぐみの父親こそがこの憎まれ者であり、でも彼はもともとは町の有識者であったのが、伊東四朗扮する悪徳業者と組むことになって、こんな事態に陥ったんであった。

んでもって、めぐみはそんな父親を憂慮して家を飛び出した、という図式である。これが判っちゃうと、父親が娘のために改心するであろうことは、こうしたユルユルの映画ではかなり見えやすいのだが……。まあそのあたりは、いっかぁ。
メインはそんな社会的な部分じゃなくって、母親の期待に応えられなくて苦悩するヒデオ、そんなかなりミニマムなところなんだもの。ミニマムだからこそ、人間的マックス、なんだもの。

実際、ヒデオのシークエンスはコミカルな中でもかなりしっかりと尺が割かれている。だって、コミカルといえども二度も首吊りしちゃうぐらいなんだから、かなり深刻!
より目気味にイッちゃうカトちゃんは今に通じて、そして子供の頃、そんなカトちゃんを見ていた記憶があってなんだか懐かしい。眉毛がつながりそうな感じも、懐かしい(笑)。

結果的にウソがバレちゃうシークエンス、夫婦の部屋から妊娠している奥さんから警察官の同僚まで何から何まで作り上げたのに、ゴリレンジャーの作者の取材、というニギヤカな週刊誌のグラビア撮影隊が乱入するという最高のゴチャゴチャ感!
大きなサングラスをかけて傲慢極まりない塩沢ときが最高!目を白黒させながらも待ちんしゃい!!と一括して静まらせる母親の園佳也子が最高!
奥さんの父親役を買って出た長さんが立派なおひげに紋付姿で背中に大売出しの貼り紙つけて笑わせるんだけど、女たちの強烈さにはかなわないんだなあ。

高木ブーは、暴力団に脅される印刷屋の二代目の役どころ。そんな具合だからあんまり出番はない(爆)。最後の最後に、取り上げられる契約書をほろ酔い状態で持っていく、つまり潰され役なんである。
五人が五人、しっかりとした役どころと言うのは難しいんだよなあ。どころか、最初からそれをやる気はあまりないみたい(爆)。長さんと共にずっと随行するのが仲本工事というのは意外(爆)だが、これはメンバー的年の功なのだろーか?
酩酊するカトちゃんを誘導するために、オーボエで色んなメロディをサクサク演奏する姿が、ウッカリ忘れそうになるけどドリフはもともとバンドであり、仲本工事はオーボエまで吹けるんだ!とカンドーするんである。ちょっと、カッコいい。
長さんは実際弾いてるんだかなんだかわからないおもちゃのピアノと、ヤケ気味のドラムのみで見せ場ナシ。他のメンバーは皆無。実際、人気が出てからのドリフはミュージシャンとしてのイメージはないしなあ。

伊東四朗がオンリー悪役で、その顔立ちもまさにそのまんま、なんだけど、その若さと彼が持つ素晴らしきコミカルで、そんなことも忘れてしまう。確かに、ワルモノフェイスなんだけどね!!
ワルモノをやっつけるための劇画ストーリーを考えるために、長さんが怪人20面相のコスプレ(チンドン屋だから、衣装はいくらでもある訳)で夜の街をさまよい歩き、彼らに遭遇する場面が一つのクライマックスであるんだけど、妄想でぶつぶつ言いながら歩き回るこの“怪人”に、コイツら、ビビリまくりなの!!

でも結果的に、うるさいブンヤさんをすまきにして海に放り投げて溺死させる、ということをこの時にやっているってことが、後に新聞記事で示されるっていうのが、コミカルに見せながらも実はシビアなところはきちんと押さえてるのよね、と思うのだ。
ちょっと、コワいよね。実際、ここで少し、熊田は引いてしまうのだもの。殺せとは言わなかった、と。

熊田というのが、めぐみの父親、ね。娘の懇願もあって商店街に利権を手渡したのだけれど、当然、大神(伊東四朗ね)は納得せず、めぐみを誘拐してしまう。
長さんたちは、頭のカタいヒデオがこのミニコミを儲けでやるのは正しくないと、軒並み寄付やら言いだすからヘキエキし、週刊誌の契約をピンハネしてトンズラしようと思ってた。
ところが母親と和解したヒデオが豹変、自分も金儲けの道に行くと言いだし、自分の取り分を強行に主張、そんなことしている時にめぐみの誘拐が発覚し、ゴリレンジャーとして救出に向かうことになり……。

正直こっからは、突然の早回しスラップスティック、なんか監督さん、疲れたかなあ、という印象(爆)。それとも、これこそがやりたくって、ここまで頑張ってガマンしていたかしら、みたいな??
コナモンは当然、ウキワを輪投げよろしくつぎつぎ伊東四朗に投げ入れ、横倒しでゴロゴロ、水をまいた傾斜の屋根で追いかけては滑るの繰り返し、白壁に同化したりのお約束も含め、早回しの中でとにかく数えきれないボケの数々!
キートンを思わせるような、いやそれをはるかに超えたボリュームで、ぜえったい、これがやりたくてここまでガマンしたんだと思うよ!!

ここまでハズレなしで来た印象の中では正直、かなり落ちた感はあったが……職業監督という矜持と、その中でもやりたいことはやる!!という意地みたいなものを感じられたのは良かった、気がする。★★★☆☆


青春100キロ
2016年 120分 日本 カラー
監督:平野勝之 脚本:
撮影:音楽:ゴールドマン
出演:上原亜衣 ケイ タイガー小堺 智子

2016/5/9/月 劇場(渋谷アップリンク/レイト)
うわーっ、平野監督が新作作ってるーっ、でも上映環境悪すぎるーっ、と半ばあきらめかけたがやはりのアンコール上映。そうでしょう、なぜ彼ほどの固定ファンを持っている監督作品を一番ちっちゃいとこのしかもレイトのみなのかっ、とアンコール上映もそうであったが……それもやはり満員御礼でさ。
でも確かにこの内容で大きなところにバーンとかけるのは難しいのかもしれんが……いやいやいや、そんなことを言っているから日本はダメなんだ、いやいやいや、逆にこんな映画を作れるのは日本だけだけどね!

あーなんだか訳判らない。だってムチャクチャだけどムチャクチャおもろいんだもの。そもそもAV産業がカルチャーとして日の当たるところにある国はきっと日本だけ、そしてその仕事に誇りを持っていると、従事する人たちが胸を張るのも日本だけ。
世界的に日本の“ポルノ文化”に眉をひそめる昨今、日本の作家たちは表現の自由を脅かされることに危惧を抱いているが、根本的に、そーした世界の人たちは判っていないのだ。

だって彼らの国では“ポルノ文化”でしかないんだもの。イメージとしてポルノっていうと、なんか蔑んだ印象がある。だから日本ではポルノ映画とは言わない、ピンク映画と言いたいし、ポルノがついてもロマンポルノは違うのだ。
そしてAV業界と言うのはあまりに数が多すぎて、基本供給対象ではない女である私はなかなか知りえない世界なのだが、こうしてぶっとび監督の手によって彼らの姿が映し出されると……そのプロ意識と誇りを持って作っている姿にマジに感動を覚えるのだ。

100人の素人さんたちに出来るだけ中出しさせたい、などとゆー台詞にもらい泣きしてしまうなんて、こうして台詞で書くだけでは到底およびもつかないであろう。
ギャグではない。これは本当に、プロのAV女優の心根に心底心揺り動かされてしまうのだっ。これを見よ、偏見だらけの世界の“常識人”たちよ!!

ああ、あまりにおもろすぎて、何をどう書いていいのかわからない。そもそも平野監督が撮るっつったら、何かどかんとした覚悟を持ったトンデモ作品が来るに違いないと。
それでなくても前作の「監督失格」で、まさかのメジャー展開で、そして……とてつもなく大きくて重くて監督のすべてを捧げたような作品だったから、その後があるのかなあなんて思ったぐらいで。
だから、久しぶりの平野作品の報に、こりゃあまた覚悟タップリ作品に違いないと思ったら、三日前とかに突然依頼されて撮りあげたっつーんだから、なんじゃそりゃじゃないの!!

5年ぶりに見た平野監督はいい感じにゆるく年を取っていて、あの時、由美香さんが死んじゃった時、彼も死んじゃうんじゃないかってぐらい突き詰めた作品を作り上げたから……ちょっとドキドキして対峙したのに、めっちゃゆるくて楽しそうなんだもの。
「平野組は何かが起こる」「監督(被写体を追わず)楽しんじゃってる」と同行するスタッフがこぼすほどに、なんだか楽しそうなんだもの。

で、大きく言い遅れましたけれども(爆)、本作は上原亜衣なるスターAV女優の引退企画作品のひとつとして作られたという。それこそ基本は勿論AVの土壌だから、本作の中にドキュとして描かれる引退作品シリーズの数々は、「見事にハードファッカーが揃った」(凄い台詞だ)と彼女が言う、猛者のAV男優メンメンとの連続ファックありーの、彼女のファン100人との、つまりは素人男たちとの中出し祭りありーの、その周りではシコシコやってザーメンかけまくりありーのという、普段あまりAVを見慣れていない一般女子にとってはそれだけでなかなかに衝撃シリーズ。
それを思うと、平野監督が託されたその一本がいかに異色かとゆーのが判るってなもんである。そうした撮影の様子も収めるのだから、オマ×コもチ○コも、何よりセックスも満載な訳なんだけど、彼が追いかけるのは基本、彼女に中出しするために100キロ走る、というイチファン、ケイ君の密着ドキュメンタリー、なんである。

なんでも依頼の時点で、抜けなくてもいい(この条件自体が凄い言い回しだが)、上原亜衣の引退にまつわるドキュメントを映画にしてほしい、ということだったという。
映画、ということが条件だったんだ、と思う。映画という形になれば、確かに大きく違う。中身がどんなにぶっ飛んでいても、違う客層に訴えることが出来る。上原亜衣を愛するスタッフたちが、きっとそう考えたことは想像に難くない。そして彼女のことを全く知らなかった私のような観客が引っかかり、魅了されてしまったのだもの。

本当に、彼女のことを知らなかったので、ちょっと予習しました(照)。クライマックスで彼女のファンが集結するシーンは圧巻だが、星の数ほどあるという点では映画なんて足元にも及ばないAV作品やAV女優さんの中から、彼らはよくぞまあこうしてスターを見つけ出し、愛し、育て上げるものだと思う。
恵比寿マスカッツというのはそんな私でも聞いたことがあるメジャーどころだし、なるほどそう聞けば売れっ子であったのねとも思うが、そもそも恵比寿マスカッツというのもかなりの挑戦的ユニットであったと思う。
いや、出るべくして出たのかもしれない。先述したように、日本のアダルト文化に胸を張っている人たち、そして受け手たちも勿論いるからこそ成立する。スターだったんだね、上原亜衣嬢は。

上原多香子と加護亜依に似ているからというネーミング理由は(劇中では一応伏字になってた(爆))なかなかにインパクトがあるが、そうかなあとも思う。似てないよ、そもそもこの二人自体が離れすぎだし(爆)、上原亜衣という女の子はめっちゃ独自だと思うもの。
知らなかったけれど、彼女がスターだったというのは判る気がする。顔が柔らかいというか、表情が、そうそれこそ漫画の中の女の子みたいに200%豊かに変化する感じ、こういう女の子はフツーのカワイイ女優さんの中にもなかなかいないと思う。
私は今回初めて対峙したけれど、いわゆる素の……作品の中で女優として存在する彼女じゃなくて、女優である自分を外の世界で見せている彼女、というのは、相当に新鮮だと思う。

なんていうかね、ふっと、凄く、怖い顔、というか、しんとした顔を見せるのだ。彼女のことはファンはもちろん、共演者もスタッフも皆愛してる。特に印象的なのは、上原亜衣に一番惚れこんでいる、上原亜衣という女優でどんな作品が作れるのかということを誇りをもって挑んできたと、上原亜衣よりも彼女の方がヒロインなんじゃないかというほどに熱く語るプロデューサー、智子さんなんである。
次のひとことがこぼれたら、ついでに涙もこぼれそうなほどにあふれている。しかしそんな智子さんの言葉も、上原亜衣はしんとして聞いているのだ。冷めているという訳ではないけれど、女の子らしくカンドーする訳でもない。

集まった大勢のファンや、100キロ走りぬいたケイ君の前では、いわば期待通り美しい涙を流すし、それも勿論彼女の本当の感情だとは思うんだけれど、一緒に闘い続けてきたスタッフたちに対しては凄く、プロの顔を見せる。
涙を見せる時も、「段取りが悪い。せっかく集まってくれたのに。出来るだけたくさんの人たちに中出しさせてあげたいのに」という糾弾の悔し涙なのだ。
凄い台詞だけど、本当にプロだと思った。そしてスタッフたちはそれを判ったうえで、一段上の、これこそが上原亜衣だという幕引きを見せたいと思っていた。段取りや数じゃない、こんな女優いなかったよねという、上原亜衣の姿を。

えーと、上原亜衣嬢も確かに主人公なのだが、もう一人の、そして最も重要な主人公を忘れそうになる(爆)。
100キロ走りぬくケイ君である。そもそもこの企画だからこそ、平野監督が抜擢された訳で。劇中、同行スタッフの会話からも判るように、平野監督といえば自転車旅であり、厳寒の北海道も旅した位の猛者だから、100キロ走る男の子のことを自転車で追跡するなんてちょろいもんだと思っちゃう訳である。
そらそうだ。キツいのは100キロ走る方なんだもの。そして今までは作り手である平野監督こそが被写体のメインの一人であったのが、今回は正しく監督側なんだもの。

考えてみれがこれって、結構危険な賭けであったように思う。被写体としての自転車旅の平野監督の面白さというのは実証されてしまっており、ちょっと油断するとそっちに転びかねないのだ。しかし主人公はケイ君であり、しかし彼は、言ってしまえばイチAV女優のファンで、彼女に中出ししたいために100キロ走る、という、企画は面白いけれど、所詮素人に過ぎない。
事件が起きなければ作品が成立しない、と同行スタッフたちが焦ったのも当然の話で、10キロごとに面白いコトさせようかとか、勃起させようかとか、勃起できなきゃオレがフェラするかとか(爆)、AV企画らしい下世話な話でお気楽に盛り上がったのはほんの前半部分。

スタッフたちが言うように、平野組では何かが起こり、それが起きなくったって、100キロも走るとなれば、そりゃあ映してるだけで何かが伝わるものなのだ……。
かなり冒頭でこんな具合に油断しまくったスタッフとケイ君がはぐれてしまうエピソードは、“平野組では何かが起こる”という、焦りながらもちょっと助かったネ、的な雰囲気。
このまま見つからなかったら、オレがハメ撮りか、ハメ撮りなんて何年振りか、病気持ってない証明書を朝イチで医者に土下座して書いてもらうしかない……などと悩む平野監督やら、なけなしの小銭で何とか連絡をつけて合流出来て泣きべそかいてるケイ君に思わず噴き出したり。

つまり、一つ絵になるエピソードが撮れたね、ホッ、みたいな。でもそんな心配などする必要はなかったのだ。このエピソードがかすむほどに、ちょっとした小話と思えるぐらいに、100キロ走るというのはヤハリ、それだけで伝わるオーラがある。
膝なんかもう、曲がんないの、ボーになってるのが判る。なのに彼は、上原亜衣ちゃんに中出しするぞー!と雄たけびを上げ、どんなに疲れてても勃起できる自信があると言い、今も半勃ちしてますよ、触りますか(!!)と言って監督たちを驚かせる。
それは彼女への愛なのか若さなのかランナーズハイなのか。なんかもう、笑っていいのか泣いていいのか。

道の駅も閉まってて、コンビニという名のよろづやに閉店間際に滑り込み、ケイ君はそれよりなにより歯を磨きたいという。彼女とキスすることを、こんな状況で考えているんである。
ちょっと泣ける。でも、汗だくの状態ってことは気にしないんだね。シャワー浴びさせてくれるのかと思ったら、そんな予算はないわな、そのままだったもの。でもそんなことをプロの彼女が気にする筈もなく、むしろそうでなければとも思う。きっと彼が歯を磨いたのも感じ取って、愛を感じたのだと思う。

上原亜衣嬢はね、この仕事を始めた理由が、愛されたかったから、と言ったんだよね。衝撃だった。衝撃だったけど、セックスが愛だと迷いなく言ってのけるっていうことだと思い、別の衝撃も受けた。
この日、彼女の引退を惜しんで集まった100人の男たちに、忘れないで、これからも私を愛してください、と言った。涙をたたえて言った。彼女に挿入し、またはシコシコして発射した男たちは勿論、おお!とイエスを唱えたし、女優としての彼女の最後の男になったケイ君も勿論、そう。

あんなにヘロヘロだったのに、ホントに見事に勃って見事に果たした、エラい(爆)。正上位でしたかったけど、膝が痛くてバックになってしまった、と後悔するあたりが(爆爆)。正上位でしたかった、というのは、やはり愛の形を純粋に示したかったのではないかと女子的には思ったり(照)。
まあその、ともかく、彼らは彼女への愛を純粋に示したと思う。彼女の涙もそのためだと思う。でも、やっぱり、愛は……。いや、これ以上言うのはヤボだからやめよう。愛には違いない。彼女は愛されて引退したのだ。

セックスが仕事となり商品となるというのがどういうことなのかって、日本で成熟し確立したこの特異な文化でしか証明できないと思う。そしてこれがこんなとんでもなく面白い引退作品を生み出したのだ。★★★★★


セトウツミ
2016年 75分 日本 カラー
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣 宮崎大
撮影:高木風太 音楽:平本正宏
出演:池松壮亮 菅田将暉 中条あやみ 鈴木卓爾 成田瑛基 岡山天音 奥村勲 笠久美 牧口元美 宇野祥平

2016/7/11/月 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
いいなあ、好きだなあ、好きだなあ、これ!あっという間に終わってしまった。いや、尺自体も短かったけど、もっともっと観ていたい気がした。
大森監督はデビュー作のド暗さがインパクト強かったし、評価を受けた「さよなら渓谷」もまたドシリアスだったからなんとなく重たいイメージがあるのだが、なんと言ったってまほろがあるものね!
そうか、あの脱力系コンビを手掛けた彼だからこその成功なのかもしれない。まほろは一作目を観ただけで満足しちゃって二作目はスルーしてしまったが、本作は二作目あったらぜひ見たい。あ、でもそうしたらこの二人はますます高校生はムリになっちゃうか。かといってこの二人以外のキャストは絶対にイヤ!!

この二人、ダブル主演。まさにタイトルロール通りのダブル主演。池松君と菅田君だなんて、なんとまあ。奇跡の共演などとゆー言葉は人気者がカップリングされれば簡単に使うことが出来るが、実力派若手、という点で言えば彼らがツートップに来ると言ったって言い過ぎではあるまいと思う。
リアルにラブシーンがやれるという点でも成熟した(爛熟と言いたいぐらい)成熟した魅力が共通している彼らが、まさかの高校生!!

いやまぁ、そりゃ彼らは若いし、オバチャン的目線で言えばついこないだまで高校生、という感じもしなくもないが、しかし、あれだけ散々、あーんな役やこーんな役をやり散らしてきた(失礼!)彼らが高校生!
しかも川辺に座ってダベるだけとは!あ、ダベるって、死語?でもなんか、そんな言葉を思い出してしまうほど、私ら世代にとっても妙に心懐かしい二人の雰囲気。それはもしかしたら、ああこれでなくてはいけない。ガクラン、白シャツ、その着方でキャラが分かれる感じ、がとてつもなくいとおしいからなのかもしれない。

これがブレザー制服じゃ、そのへんの違いが明確にならんのよね。詰襟をきっちりつけてるか、とか、白シャツのボタンの外し具合、とか、夏はシャツをインするのかオーバーなのか、とか、足元は革靴なのかスニーカーなのか、靴下はくのかはかないのか、てなあたりは別に制服とは関係ないけど、でもやはりそのあたりもガクランは密接な関係があると思う。
池松君演じる、塾に通うまでの時間つぶしでこの川沿いの階段にいるウツミと、ヤンキー先輩とのいざこざでサッカー部を辞めてヒマを持て余しているセトとは、そう記しただけで明らかに違うキャラ男子というのが判る。
ガクランをどう着るのか、夏服をどう着るのか、こう書いただけで目に浮かぶんである。そして二人はみっごと、それを体現してくれていて、嬉しくなる。私ら世代にとってもああ、こういう男子の違いよね!と思うのだ。

通常ならこんな二人がつるむ訳はないのだが、この二人は放課後必ずこの河原でダベる。階段にしゃがみ込んで、どーでもいいことをぐだぐだと喋り続けるんである。つまるところ、それだけの、映画なんである!!
これは……ポスターを最初に観た時は結構楽しげな二人の様子だったが、予告編では低いテンションで喋るだけで、それがウリの映画というらしい、ということにかなりの衝撃を受け、いくら実力派の二人といえども、それで成立するのか??と思いつつ……楽しみで楽しみでしょうがなかった。
成立するのか、とか言いつつ、絶対に成立する筈だという確信があったのは、二人の実力や監督さんの実力は勿論のことながら、彼ら二人が収まる画の雰囲気が、それこそたまらなく、雰囲気があったから、なんである。

原作は未読だけど、きっといい意味で、原作そのものであるんじゃないかという感じがした。
もはや20をいくつも越えた俳優が高校生役をやるのは珍しくないけど、でもそれがこの場合は彼らだからしっくりくるというのは、コミックス原作というキャラの立ち方がまず重要な部分と、ひどく現実的な、男子高校生の喋りのリアルという化学変化が、この二人の俳優の、このタイミングに、奇跡的なまでにピタリと合って、ああ私はこの時間に立ち会えて、幸せ!!

本当に、何が起こる訳でもないのだ。てか、何も起こらない。第一話こそファーストフードのドリンクなんぞをすすっていて、セトの方が「このポテト、長ない?」とびろんと長いポテトをぶらさげてみたりするが、そんな高校生ぽいアイテムが登場するのさえ最初だけで、何もなく座って喋るだけが基本である。
でもこの長いポテトが独特の笑いを引き出し、ツカミはOKになったのは確かである。それに対してクールな反応をするウツミ、という図式が、彼らの関係を端的に示していて、上手いんである。

本作は一種のオムニバスのようになっていて、後に第0話という、彼らがどうして河原でつるむようになったのか、という出会いの部分も描かれるんである。物語がないようである、という描き方も上手いなあ、と思う。
第一話では川面を眺め続けるオッサンが登場し、そのオッサンが実は、コワイヤンキーの先輩の、離婚した父親であり、最後の養育費を渡しに来たことが描かれる。

いつもは怖い先輩が、涙をこらえて父親に礼を言う。そして二人は”神妙な顔”をするんである。この神妙な顔、というのがそれまでのダベりでダベりつくされ、オチとして示されるのにほっこりくっすりする……などと書いても全然伝わらない!!
ああ、この映画は語らせ泣かせだよ。だって、彼らの喋りこそが面白くて、映画自体のメインで、でもそれをここでどう説明したって伝わらない、悔しい!!話なんて、どうでもいいんだもの!!

……でもくじけずに次に行こう。一見、本当にダラダラとしかしていないように見える二人。でもその話の内容から、一筋縄ではいかない家庭環境にあるということが判ってくる。
いや、現代社会において、そんなことは珍しくもないのかもしれない。でもそれを打ち出してしまうと、珍しくもないことがフューチャリングされて、彼ら自身の何気ない、平凡かもしれないけどとても大切な、青春というものがとりこぼされてしまうのかもしれない、と思う。そこが本作のテーマなのかもしれない、などと言ったらそれこそ魅力が零れ落ちてしまう気もするけれど。

そう、特にセト側が明確で、判りやすい。買い物帰りに通りかかる彼のオカンは、「パーマ失敗したった」という具合の、わっかりやすい、西日本のオカンの雰囲気満点である。
息子に”犯行声明文”みたいな、ぶつ切りメール(内容は、買い物頼んでるだけ……)を送り、恋する女子からのメールを待っていたセトをガックリとさせる。
これが次の年になるとメールからLINEにバージョンアップされるあたりが上手く、一言ずつにセトが几帳面にツッコむLINE画面が、オカンをうるさがる高校生男子ながら、凄く愛を感じて、胸がじーんとするんである。

しかし父親はのんだくれて、俺はダメだばかりを繰り返しているという。そして老猫、ミーにゃんのエピソード。両親の離婚危機のイライラから、みーにゃんにひどい言葉を投げつけてしまったことを、そのままみーにゃんが死んでしまったことをセトが悔やむシークエンスは、猫と暮らす人たちにとって心に迫らない訳にはいかない。
そう、猫は聞いているのだもの。耳だけをこちらに向けて。その後、「あれ、みーにゃんぽい猫」可愛い三毛猫、簡単に現れちゃう!!そーゆーところがコミックスのいいところよ!!

ついついセト側だけで盛り上がってしまったが。でも確かに、ウツミ側はあまり語られないのよ。ウツミが池松君というのはそういう意味で本当にピタリとくる。彼はそういう、内面を見せないクールさを持っている。
通りがかるセトのオカンに、「ウツミ君、相変わらずイイ男やねー。」と声をかけられる、そんな、友人のお母さんからラブ目線を送られるような男子、というのがひじょーにピタリと来るんである。

彼が語る家庭環境はひとことだけ。セトのオカンが「今日はカレーの初日やで!」と声をかけてセトがガックリ「何日か続くってことやん……」というのに対し、「夕食があるだけ、いいやん」とウツミは言うのだ。
「夕食、ないん?」「大抵」「……」高校生だから昼は学校だし、この調子だと朝食だってあるとは思えない。そして塾に通う暇つぶしは、家に帰らず外で過ごしている。いろんなことが想像できる家庭環境、なのよね。

でもウツミはそれ以上何も言わない。セトはいろんなことがダダ漏れなのにさ。例えば虫がこわくて、大きなクモが出てどうしようとか、こばえが大量発生してどうしようとか。
その都度ウツミが適切なアドバイスを加えるのよ。クモは木酢液が苦手らしい。散布したらクモじゃなくておじいちゃんが出て行った(!!)そのことで、入院しているおばあちゃんと、その事実を受け止められないおじいちゃんのことが浮き彫りになる。

こばえの大量発生に殺虫剤を使えないのは、「うちにはみーにゃんがいるから」食虫植物を買えば、と提案するウツミにセトは「お前、天才か」と目を見張り(こーゆー返しが凄く可愛い!!)、こばえは撃退できたんだけれど、食虫植物のためにアリを探し回るセト、「ハンバーグだって、たまにはデミグラスソースで食べたくなるやろ」ウツミは「こいつ、アホや……」とつぶやく。
ああ、これぞセトウツミ。セトはね、ウツミが頭がいいこと、いつだって自分にないボキャブラリーで返してくること、なんたって好きな女子がウツミのことを好きらしいことに落ち込んでいるんだけど、でもきっとさ、ウツミがつぶやくこのアホさこそがセトの魅力で、暇つぶしの名目ではあるけれど、一緒に過ごす理由なんだよね。

そうそう、セトはさ、ウツミをこんな具合にうらやんでいるから、「俺はお前のいいとこ、10言えるぞ!!」と、……それは、逆にウツミがそれを言えない、「動物が好き……」で止まってしまうことに対する反発のようなもので、それもまた愛しいのだが、セトがウツミに対する以上に、ウツミの方がセトのことを好きなんじゃないのかなって、思っちゃうのだ。
好きなところを10なんてレベルで、彼のことを好きなんじゃない、って。猫に暴言を吐いたことを心底悔やみ、オカンをうとましながら律儀に返事を返し、両親の不仲に心を痛めるセトのことが、ウツミは本当に好きなんだって、判るからさ。だから樫村さんが嫉妬する訳でさ。

そう、すっかりヒロインのことを忘れて……いた訳じゃないんだけど。セトが片思いする寺の娘の樫村さん。でも樫村さんはウツミのことが好き、というか、気になっている存在、なんである。
ウツミもそのことは十二分に承知している。しかしまるで動じていない。うちは檀家だから、樫村さんにはこの間会ったけど、などとなにげなく言ってセトを撃沈させるんである。

セトがようやくゲットした樫村さんのメアドに悩み倒してメール送るシークエンスが良かったなあ。ウツミにアドバイスもらってさ、何気ないメールを送ったのに、「ところで、どなた様?」そしてウツミに「なんか知らない人からメールが来た……」
登録すらされていないことにセトが「死の」とぽつりとつぶやくのが、こうして字面で見るとぎょっとするほど深刻に見えるけど、絶妙の抜け加減で、演じる菅田君の、膝の間にがくりと頭を垂れる四角いうんこ座りの形といい、何とも最高なの!

最後の最後に、彼女自身から見たエピソードも描かれ、彼はウツミから決定的にフラれちゃったりもする。「女って、自分に興味がないと言われると、すぐそう言う(「ゲイなの?」という発言)んだよな」「(他の女と一緒にしないで)っていう台詞、他の子も言ってたよ」
ウツミの台詞に激昂して彼の頬を叩く樫村さん。正直言うと、このヒロインの造形っていうのはいかにも男性コミックスのそれっていう感じの底の浅さで、そりゃないよとは思うが、かといって女の子のパーソナリティーを掘り下げちゃったら、本作の魅力は減じられてしまうからなあという……。

だって、彼女にとって彼らが理解できないのは、彼女に友達がいないからじゃないのとか思っちゃう(爆)。友だちがいる雰囲気がないんだもん(爆爆)。きっと、作り手はそこまで考えてないんだろうなあ。
やっぱりね、これはいい意味で、10代世界の男の子と女の子は、理想だけでもいいのよ、きっと。だっていずれイヤでもその真実を知ることになるんだから(爆)。彼女の登場はいらないぐらいと思ったが、恋というパーツは、特にセトにとっては重要だからなあ。

ほんっとに、登場は二人プラス時々樫村さん、程度というストイックさなんだけど、軽く周りを彩る大人たちが、味わい深いの!大体セト側だけどね(爆)。
セトの飲んだくれオトンをオカンが迎えに来るシーンにはジーンとし、関西弁ペラペラのベラルーシ出身ピエロに手伝ってもらってセトの誕生祝いをし、夏休みに花火で地味に楽しんでいる時に通りかかる徘徊老人はセトのおじいちゃんだったりし……。
深く、ふかーく読み込むと、セトがいなければウツミは軌道を外れていたかもしれない、とすら思う。二人は必要としあう相手なのだ。そういう意味では樫村さんが勘繰るように、確かに相思相愛なのかも。

セトとウツミで瀬戸内海ということだったんだね!特に明示されていなかったけど、この舞台もきっと、そうなのだろう。
二人とも特に西の出身という雰囲気はないんだけど、池松君は福岡、菅田君は大阪。そ、そうなのか!!どちらも瀬戸内海とはちょっと違うから、微妙なぎこちないアクセントが逆にほほえましいんだよなあ。★★★★★


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