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「と」


2017年鑑賞作品

東京ウィンドオーケストラ
2016年 75分 日本 カラー
監督:坂下雄一郎 脚本:坂下雄一郎
撮影:横田雅則 音楽:石塚徹 小沼理裕
出演:中西美帆 小市慢太郎 松木大輔 星野恵亮 遠藤隆太 及川莉乃 水野小論 嘉瀬興一郎 川瀬絵梨 近藤フク 松本行央 青柳信孝 武田祐一 稲葉年哉


2017/1/29/日 劇場(新宿武蔵野館)
なんたって予告編で接した小市さんの素敵さにズキュドーンとなり、だってだって、小市さんは確かにベテランだけど、メイン級で出てくることってなかなかないんだもん!もうそれだけで足を運ぶ理由には十分だったし、“有名オーケストラと間違えてアマチュアカルチャーセンター楽団を呼んじゃった!”というアイディアにも一発でほれ込んだし。
そう、なんかありそうでなかったというか、さ。オーケストラモノって結構いろいろあれど、大体は最後に素晴らしい演奏で感動させて涙涙みたいな感じだけど、このアイディアならば、どんなに頑張っても、それはあり得ない訳じゃない??
だって、呼ばれた次の日がもう舞台、頑張って特訓した結果とか、そんなことがあり得ない訳なんだもの!だからどこに落としどころを持っていくのか、感動するのか、爆笑するのか、ドキドキもんだったのであった。

んでさんでさ、観終わって満足した後につらつらと情報を眺めていてびっくり仰天!「神奈川芸術大学映像学科研究室」のあの監督さんだったとはっ!本作が、“劇場用映画デビュー作品”なんてわざわざポスターにまであったから、デビューってことは私は未見の監督さんね、とすっかり思い込んでいたら……。
「神奈川……」は劇場用ではないのか。いやこの場合は商業デビューと書いてほしいが、いや、そっかあれはいわば卒業制作作品であったということなのか。そんなことは全く思わないぐらいの面白さだったから、もうすっかりプロフェッショナルだと思っていたからさあ!!

加えて本作が「滝を見にいく」「恋人たち」に続く松竹ブロードキャスティングなる企画によるものだということにも感銘を覚える。
松竹なんたらつーのは聞いたことがあるようなないような、だったが、“力のある監督に、自由に作品を撮らせる”その場合、俳優が有名であることは関係ない、いやむしろ、ピタリと合ったキャスティングを有名無名関わらず発掘する!という、もうこの、夢のような企画。まさにそれが素晴らしい結果を残した過去二作品であり、まさに本作もその通りなんだもの。

メインの二人はそれなりにメジャーというか、ヒロインの彼女は今回が初主演だそうだが、フィルモグラフィーを眺めてみるとかなりこれからを嘱望されていると思しき若手女優さんである。
そして二人目のメインこそが、小市さんである!!こうした、実力や個性はあるけれどもやはり概して無名の役者たちの群像劇の、そのかなめになる役者として彼が起用されたのが、たまらなく嬉しいのであった。

もうすっかりロマンスグレイとなった小市さんの役どころは、屋久島の役場勤めの橘という、まあ小役人といったところだが、憧れの「東京ウィンドオーケストラ」を島に呼べることになったことに大興奮している。「20年前に東京で聞いて、それ以来の大ファン」だという彼は、楽団員たちを前にして涙ぐむほどなんである。
橘の積年の企画が実現して、担当して彼らを招聘する任を担ったのは、「今日もデータ集計、明日もデータ集計、きっと来年の今頃もデータ集計。このまま私も屋久杉になってしまうわ」と、ぶっきらぼうの無表情で日々を過ごす樋口。

物語の冒頭でザ・無能な上司に小言を言われてムスッとするところから始まるから、ああ、どこでも女は大変よねとついフェミニズム野郎心がうずくものの、次のシーンでは、彼に対してすねたような甘ったるい口を聞いている彼女にあれっと思う。
まあ、こういう型どおりの不倫関係も、彼女言うところの「毎日同じことの繰り返し」っていうことなのだろう。それが証拠に、一応はラブな関係の彼に対峙する時も、まあ不倫関係のむなしさということもあれど、基本ぶっきらぼうの無表情は変わらないんである。

後に自分がアマチュア楽団を呼んでしまったことに気づいた、スマホの検索一発でそれが判ったのを見ると、なぜ彼女がそんなミスをおかしたのか、単調な仕事の繰り返しに嫌気がさしているようには見えても、それをやりこなす、それなりにはデキる女に見えるんだけどなあ。
まぁそんなところを突っ込んでしまったらこのアイディア自体が成立しないんだけど。いや、それこそ無能な上司が間違って呼んじゃって彼女にその責が回ってきちゃったとかいうことの方がすんなり納得できるなあと思ったけど。
いやいや、彼女は仕事に積極的になれず、橘は興奮しているけれど彼女自身はオーケストラなんぞに興味はないから、こんな信じられないケアレスミスをおかしたということなのだろーが。

しかし樋口は、不倫相手の田辺がニセモノカルチャースクール楽団のヘッタクソな演奏に感動しちゃうのとは違って、その違い位は判る。いやそれも、ニセモノだと判ってから聞いたからなのか、いやいや判るだろ。
むしろその前に、吹奏楽部の中学生たちの上手さにアマチュア楽団たちがガクゼンとする、という流れを持ってきて、映画の観客であるこちらの耳を、ちゃんと比較対象させるようにしたあたりは、親切、というか、親切すぎるかなあ。

ちょっと、そのあたりはもやもやするところはある。このアイディアがどう活きるかっていうのは、いかに彼らがヘタクソか、ということを観客に実感してもらうかどうかにかかってるんだよね。
今回キャスティングされた有名無名の役者さんたちは皆楽器の素人で、撮影のために特訓したとしても、プロ楽団に比すればリアルヘタクソ。
よくさあ、有名役者さんがプロ奏者を演じるために特訓して、でも演奏自体は吹き替えだったりするじゃない。むしろ、プロっぽく演奏する、その見た目こそが大事だったりする。

でも本作に関しては、見た目も含めすべてが、リアルにヘタクソでなければならず、そしてそれは、とりあえず弾けなければ出来ないことなのだよね。
ワザとヘタに演奏するっていうのは、これはね、不可能に近い。ヘタな演奏はリアルヘタ演奏でしか実現できないのよ。
そしてそれこそが、本作の、先述した、どこに落としどころを持ってくるんだろうという、特訓した演奏で感動させるっていう凡百の“オチ”ではないところ、だったんだよね。

間違って呼ばれた、実際は足立区のカルチャースクールで集まった、“東京ウインドオーケストラ”のメンメン。本物は“ウィンド”、イの大きさの違いだけ。「なんでこんなややこしい名前を付けたんですか!!」と逆ギレ気味に問う樋口に、楽団リーダーは「……いつか本物に近づけるように」と小さな声ながらも答えたのだった。
確かに彼らはヘッタクソだけど、きっときっと音楽が大好きで、オーケストラに対する憧れがあって、でもその機会がなくて大人になっちゃって、今、その手に憧れの楽器を手にして、仲間を得て、楽しくて仕方がないんだろう。

勝手な推測しちゃうと、学生時代、吹奏楽とかブラバンとかに入れなかった、入った経験がないってことに負い目を感じてて、もう今さら出来ないと思ってたところにカルチャースクールがあって、みたいな。
……なんかそういう感覚、ちょっと判るからさ。小学校までに始めてなきゃ、もう手を出しちゃいけないみたいな、でも心ひそかにクラシカルな楽器に憧れてるみたいな、そういう感覚。

まだ勘違いが続いている時、オーケストラにしてはの人数の不自然な少なさをダイレクトに指摘して、大丈夫ですかぁ??とイヤミたっぷりに言い放ったのが田辺で、コイツはホントにムカツクヤローなんだけど、実はそういう真実味のところをきちんと突く正直さみたいなのは確かに、あるんだよね。
樋口だってそれは判ってたのに、なぁなぁでここまで来ちゃってた。彼女の方が年若いのに、もう老成しちゃってた。

田辺は彼らのヘッタクソな演奏を聴いて「やっぱり本物は違う!!」とかカンドーしちゃうバカではあるんだけど(爆)。
この出来事が、樋口に自らのミステイクをごまかしてしまおうかという意識に働きかけてしまうんである。どうせ島の人間たちなんてそんなもんだ、騙してしまおうと。
後に彼女が言う「橘さんのように判る人たちも来る可能性があるんですよ」ということの方が当然常識の筈なのに、樋口の言動はちょいちょい矛盾を感じるところがあるのだが……。まあそこは、自分があり得ないミスをしたことへの戸惑いの嵐があるのかなあ。

戸惑いの嵐は、そのオーケストラのメンメンこそがそうであるに決まっている。最初から観光気分、カルチャースクールの僕らを呼ぶなんて、田舎ってことですよネ、と言いつつ、自分たちの演奏を聴きたいと呼ばれた、という事実に喜びを隠せない。
田辺から侮辱されるとムキになって、「感動させますよ!」とタンカ切っちゃう。その根拠は「結構褒められるよネ」という程度の……まさに、なんつーか、身内の発表会程度のモンで、スクリーンのこちら側としては、もうハラハラしっぱなし。

途中、何度もバレそうになって、一番の危機は、耳のこえた橘がお偉いさんを連れてリハーサルを見学しに来る場面。中学生たちには「プロに軽々しく言うな」とシャットアウトした彼だったのにと思うと、いくら最初から組んでいたスケジュールだったとはいえ、若干のオトナの傲慢さを感じなくもないんである。ま、小市さんにそんなことは思わないけどねっ!
もうダメだと思って一度は逃亡を図るメンメンだが、場当たり的に樋口に引き戻されるうちに、考えが変わってくる。どうせばれるんなら、どうせ怒られるんなら、こんな舞台で演奏できるなんて、もう一生ない。だったら演奏しちゃって怒られようよ、ってトンでもないこと!!

もう、一生ない。こんな機会は。それが、どんだけ自分勝手なものいいか判ってるし、これまでに散々、お客さんからお金をとって演奏を聴いてもらうことの厳しさを、中学生の上手さやホンモノ大ファンの橘の態度で判っていた筈。
でも……。結果的にはこの一点が、キモだったのだよね。そのキモをどう落とすか。落としどころつけるか。たった一曲。押し切って、関係者をだまくらかして閉じ込めて。

この日足を運んだ島の観客たちがどう思ったのか、そこは、判らない。ちょっとズルい気もするけれど、そのスタンスを貫いた。たった一曲、ポンコツ演奏だけして逃げ出した彼らに、事情も判らず盛大な拍手と、アンコールの手拍子まで起きた。
観客たちが、田辺と同じように思い込み感動したのか、気を使ったのか、判らない。どっちともとれるということなのかなと思う。
たった一曲なら、観客のそれなりの割合は気づき、それなりの割合は気づかない。でもたった一曲なら、拍手とアンコールぐらいはやってくれる、みたいな。
彼らが怖気づくぐらいの立派な会場だったけど、満席ではなかった。いい感じでぱらぱら空いていたのもリアリティがあったんだよなあ。

感動させるとしたらどこでどうやるんだろうと思ったら、やっぱりやっぱりそこは小市さんであった。リアルなホンモノファンであった橘が、怒らなかったハズはない。
すたこらさっさと逃げ出した彼らをバスに乗る直前で捕まえ、「あまりにヘタ過ぎてビックリしました」と厳しい表情。リーダーが悲愴な顔ですみませんと言うと、あの、小市さんの素敵な素敵な笑顔でっ、「練習して、また来てください」ああ、涙!!
その後しばらくして、「……ホンモノ呼びたかったな……10年後ぐらいに企画しようかな。上手くなってるかな。無理だろうなあ……。」この台詞!めっちゃ最高やん!!ホンモノ呼ぶ気ないあたりが!!

個人的に、ヒロインが苗字呼びされるのがお気に。日本って、女性キャストは大抵下の名前で呼ばれる、あるいは解説される。男性キャストは絶対苗字なのに。
それがね、日ごろから凄くイヤでさ、お役所設定ということもあるだろうし、楽団員からは樋口さん、と呼ばれるということもあるけど、なんかそれが、妙に嬉しかったんだなあ。樋口さん!!★★★★☆


東京流れ者
1966年 82分 日本 カラー
監督:鈴木清順 脚本:川内康範
撮影:峰重義 音楽:鏑木創
出演:渡哲也 松原智恵子 吉田毅 二谷英明 北龍二 長弘 江角英明 郷えい治 木浦佑三 川地民夫 柴田新 玉村駿太郎 日野道夫 浜川智子 玉川伊佐男 伊豆見雄

2017/6/28/水 劇場(神保町シアター)
傑作、傑作、と身構えて観ると時に失敗する。傑作の部分を探ろう探ろうとしてしまうから。こういう作品は何も知らずにパッと出会いたい。
鈴木清順の鮮烈な美術(あるいは、鈴木清順の感覚を100%以上理解してみせた、木村威夫氏の、と言うべきかもしれない)は無論のこと。ただただ若くて若くてどびっくりの渡哲也と、組の抗争の図式を一生懸命飲み込もうとしていたら、終わっちゃった。ダメだなあ、私。

いや、思い返してみれば多分大丈夫(何が?)。だって最初は確かにビックリしたんだもの。あれ?これってカラー作品の筈だよねえ、と。昔の映画だからセピア化しちゃった?まさか……と思う冒頭のモノクロ、いややっぱりなんかセピアがかった、シルエットを意識したようなスタイリッシュな冒頭。
不死身の哲(通り名ってヤツ)は、まず大塚組にボッコボコにされる。この時、三度めまでは……と言っていたような気がするが、「頼むから俺を怒らせないでくれ」は、三度まで待ってなかったような気がする。

哲が腕に覚えがあるのに無抵抗のままだったのは、敬愛する親分がカタギになり、問題を起こしたくなかったから。つまり、哲もカタギになったんだから、ケンカはご法度なんである。
とゆーことは、このモノクロ映像の時にはまだ判らない。この時から大塚組の親分さんはやたらとサングラス接写、ドアップである。その後も、ずーっと、そうである。毛穴が見えそうである。あれは不気味さを演出しようとしていたのかなあ。

無事カラーに戻ってくる(戻ってくるというのとは違うか……)。哲が着ている水色のスーツが気になる。ご丁寧にくるみボタン共布で作ってある。なかなかない色である。
しかもいろんな抗争を繰り広げるのに、結構ずーっと着ている。衣装チェンジをしたら割と普通のベージュのスーツだったから、あの水色のスーツにこだわったのはなんでかしらんと、どーでもいいことを思う。

それにしても若い、若い若い若い渡哲也。若すぎて彼じゃないみたい(?)。ふくよかな唇に目がいってしまう(爆)。
彼の、親分さんへの敬愛っぷりは、確かに最初から危なっかしい感じがした。彼自身はそれこそが男の仁義だと信じて疑っていない様子。確かにカタギとして再出発した倉田親分は、傘下の組の親分さんからも「あの人は間違いない人柄」と太鼓判を押されるような人物だったのだ。だからそんなアッサリ裏切るのね、という後半に、ギャグかと思うほどアゼンとするのだが……。

いけないいけない、そんな大事なオチをさらりと言ってはいけない(後のまつり)。ところでこのタイトルとなっている東京流れ者は主題歌にもなっていて、ことあるごとにこれが流れる。てゆーか、渡哲也が歌う。歌うというか、口ずさむ。自然に……自然だろうか?うーむ、かなり不自然なような。いやいやそれこそがこの時代のプログラムピクチュアの面白さ。
彼には女がいる。女がいるなんていう言い方は当たらないぐらい、なんつーか、ストイックすぎる感じである。かっわいい松原智恵子。彼女は倉田が所有するクラブの歌姫である。そこのピアニストの素朴なにーちゃんも哲に心酔しているんである。

倉田が金融業の吉井に借金をして手形の延期を申し出ていることを嗅ぎつけた大塚が、汚い手を打って出る。吉井を脅して権利書を巻き上げ、更に殺してしまう。な、なにも殺さなくても。てゆーか、殺しちゃったらあんたらの手が後ろに回るでしょうが……。
この後、怒りまくって乗り込んだ哲、そして倉田と大塚たちとのドンパチで、大塚側のスパイだった吉井の事務員が倉田の放った弾丸で死んじゃって、立場が五分五分になっちゃう。ここに無理を感じてはいけないのかもしれないが……。

この、吉井の事務員、もう最初から大塚と通じているのをバッチリ見せる、ハデめの女。正直こんな感じの女の子に重要なアポやなんかを任せている吉井が、堅そうな人物に見えるだけに(実際堅いし、人情にも厚い)ムリがあるような気もするのだが……。
倉田と哲を陥れて、キャラキャラと笑いながらコミック雑誌を読んでいる様はイラッとするが、まさかそんな鮮烈に死んでしまうとも思わず……。

この場面は、まさに清順美学の真骨頂。突然、アングルが変わる。それまでは普通?に横移動のカメラである。突然まるで鳥の目のようになる。吹き抜けのように四角く切り取られた鳥の目で、女事務員がゆらゆらと倒れる。あたり真っ白。
後から思えば、白と赤がひどく印象的にスパークする美術にクラクラしたんである。スパイに使っていた大塚側の組員が、驚いて駆けよる。泣き崩れる。許さない!といきり立つ。でもここでは決着がつかない。

そうそう、そろそろ我が愛する川地民夫氏のことに触れなくては。彼は不死身の哲を殺すために、執拗に彼を追うまむしの辰である。しかし明らかに力不足。なんつーか、その頼りなさが、愛しいんである(爆)。
哲が流れていく(てゆーか、逃げていく)雪国まで追ってくるのに、相手にならないの。だったらそんなポケットウィスキーなんて飲んでる場合じゃないだろ、それで集中力失ってんじゃないの、とツッコミたくなっちゃうあたりが、川地民夫の愛しいところ(照)。

えーと、ちょっとすっ飛んじゃったが、まあその、不死身の哲は、自分の存在が親分さんの迷惑になっているらしいと察知し、流れ者になることを決意するんである。
この時には倉田の親分さんは、決して決して、哲を裏切る気なんてなかった。裏切る時があまりにアッサリでビックリするぐらい、哲が敬愛するのは当然の、いい親分さんだったんだもん。
自分のせいで旅に出させることになってしまった可愛い舎弟を、せめて今夜と引き止める親分さんの不器用な酒膳にほっこりとしてしまう。だって、「こういう時女手がないと困るな」と彼がウィスキーを飲むために用意したのは、明らかに茶碗、ごはんとか食べる茶碗!可愛すぎるんですけど!!

流れ流れて哲は、でもその腕を先々で買われちゃって、もうヤクザじゃないのに……でも義理があるし……と苦悩したりする。で、まむしの辰も追いかけてくるし、めんどくさいったらない。
そこに唐突に現れるメイン級の渋いおじさま、相沢。そーかそーか、二谷英明。渋いなー、渋いな渋いなー。彼が着ている緑のジャケットもまたなかなかに気になる。なかなかにない緑色とそのデザインである。まさに彼のトレードマークとなる。

相沢は、もともとは大塚側の人間だったんだけれど、今はフリーで流れ者になっている。流れ者初心者の哲の先輩といったところである。でも哲は、倉田の親分さんを敬愛したままここにきているから、「義理を欠いた人間は好きになれねぇ」と青臭いことを言って、世話になった相沢に素直になれないんである。
渡氏と二谷氏って、そんなに年が離れていたっけ?とにかく渋くて素敵なおじさま。フリーのヤクザなんだけど、品の良さがにじみ出ている。

相沢は哲が倉田を信じすぎていることを心配する。後に二人が再会する、佐世保の親分さんも倉田親分の人柄を保証するのだから取り越し苦労かと思いきや、それがアッサリと裏切られるのは結構ビックリするんである。
大塚に、脅され気味とはいえ、自分に有利な選択をした倉田親分は、それまでの人格者から急に別人!ある意味不自然!!ヤクザは義理を重んじるんじゃなかったの……あ、そうか、カタギになったんだっけ。いやいや、そーゆーことじゃないでしょ!!

えーと、驚きすぎてちょっと飛んじゃいましたが(爆)、哲と相沢が再会する佐世保の街での大暴れはなかなかに楽しい。ここはいかにも娯楽映画という感じがする。
寄宿した組が経営するクラブでの大乱闘。さすが外に開かれた佐世保の街で、豊満な外国人ダンサーがクネクネと踊るところに無粋なふんどし男児が乱入、それが敵対する地元のチンピラたちということで、哲も相沢もあいまみれて大乱闘。
華やかにはやし立てるショーガール、その女たちにキュウとのされる米兵たち、グラマーなダンサーに「アナタ、イイ男ネ」と迫られる渡哲也!あー、楽しい。急に西部劇映画になったみたい!

でも、そんな楽しさは束の間なの。倉田の親分さんの裏切りで、佐世保の親分さんも手のひらを返して哲を消そうとする。早いなー。もう少し悩めやー。
佐世保の親分さん、梅谷がまるで次元大介みたいな黒のスリムスーツがよく似合う。玉川伊佐夫がメチャカッコイイんである。相沢が哲を逃がし、梅谷も急に戦意をなくす。哲は殺したくない男なのだ。まっすぐすぎて、だからバカだけど。

それまでは必死に物語と相関関係を追っていたが、最後の最後はようやく清順美学を堪能できたかもしれない。白、白、白である。そして、赤。だからここでは、あの水色のスーツではないんだな。
彼が愛する千春(松原智恵子)も、真っ白なドレスに身を包んでいる。哲も白で、まるでウェディングみたい。建物というか、壁というか、すべてが真っ白なんだもの。
ピアノまでが白。白いピアノだなんて、キザだけど、ここではそういうことではない、赤という、血に染まるために、すべてが白である必要があったのだ。

なんか、何とも言えない、バブリーなオブジェが吊り下げられているの。それが赤く照明が当てられている。白白白の中に、不穏な空気を鮮烈に映し出す。
親分さんの裏切りをその目にする。ここでの大塚組とのアクションは、ピアノの鍵盤を使ったり、飛んできたピストルをキャッチしたりするのはそれこそキザでドキドキしちゃう(照)。
でもやっぱりやっぱり、哀しいのは、倉田の親分さんが、哲を裏切った、それは確かにそうなんだけど、自ら命を絶つこと、なんだよね。それこそ凄惨な、深紅の雨が吹き上げる。つまり、哲はここに覚悟を持って乗り込んできたのに、親分さんを自らの手で殺せなかったんだ……。

「流れ者に女はいらない」とかいって、瞳を潤ませて見送る松原智恵子を背に、ルールルーとばかりに歌って去りゆく渡哲也。いやぁ……別に女がいてもいいんじゃないですか。いてもいなくても男は大して変わらないけど(爆)。★★★☆☆


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