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Vision
2018年 110分 日本 カラー
監督:河瀬直美 脚本:河瀬直美
撮影:百々新 音楽:
出演:ジュリエット・ビノシュ 永瀬正敏 岩田剛典 美波 森山未來 白川和子 ジジ・ぶぅ 田中泯 夏木マリ
しかして、なかなかに芸術的なもんだから、結構眠くなる。いやこれは、そんな魅力の作品なのだと思いたい(すみません……)。新旧のパフォーマー(ダンサーというより、もっと広い意味でのこの言葉の方がピタリと来る)をキャスティングしたのも、当然狙ってのことに違いない。
田中泯、夏木マリという大ベテラン舞踊家、森山未來、ガンちゃんといった若く才能にあふれたダンサー。ああ、こう書き分けてみると、勿論その四人それぞれに違うのだが、死ぬまで踊り続けるのだといったことを当然のように表現している御大二人からそのたすきをすんなりつないだ若い二人、と言った気がするのだ。なにかそれだけでもこの映画の価値がぐんと上がるような気がして、心が震える。
これほどまでに山の中、森の中に徹底して撮った作品はそれこそ、「萌の朱雀」以来ではなかろうかと思われる。そこに田中泯がいて夏木マリがいればそりゃぁ、1000年に一度の奇跡、というか、夏木マリは普通に1000年生きてそうだし(爆)、なんの不思議もないという気がする。
その中に放り込まれる永瀬氏は、“20年前、疲れてここに来た”というありがちな台詞がそのまま肉体に染み込んでリアリティたっぷりな、50を手前にした男である。
彼は本当に不思議なんだけど、どこにいても異邦人みたいに隔絶感があるのに、どこにいてもしっくりとその場所に受け入れられているという感じがする。それまで何の仕事をしていたのかとか、なんのきっかけでこの山に来たのかとか、山を救うという仕事をどうやって得たのかとか、そんなことは全く語られない。
てゆーか、山を救う仕事、というのは、いわゆる私たちが想像する、生活の糧のために、あるいは遊興のために得るお金のためのそれではなくて、ここにいるために、いやそれ以上に彼が彼であるために、いやもっともっと平たく言えば、当然のように、息をするように、山と共に暮らしているのだ。
犬がいる。真っ白い、これは猟犬というのだろう。とても賢そうで、いつも智(永瀬氏)と一緒にいる。だからこの賢い犬、コウが命を落とした時、智は死んでしまうのではないかと思ったけれど、きっとコウは智が誰と出会い、何を見て、何を得るのか、すべて判っていたのだろう。アキ(夏木氏)のように。そしてアキもまたきっと、判っていたのだろう。ちょっとかなりオチめいたことを言ってしまったけれど(爆)。
智の元に客がやってくる。いや、正確に言えば、智を訪ねてきたわけじゃないんだけれど、アキが誰かがやってくることを察知して、明日は殺生(漁)をするな、神社にお参りに行け、というんである。
坊主にしてノーメイクで、歯に奇妙な補強をしているアキは、男性か女性かさえよく判らない雰囲気である。1000年生きてる、もう性別も超越している、智とジャンヌが後に通わすような性愛など、産まれた時から子供の遊びのようなものだと言っているみたいな。
また先走ってしまった。ジャンヌというのが、ジュリエット・ビノシュである。通訳である若い女性と共に山に登ってくる。1000年の歴史のある自然、と言葉にするだけで、涙をほとばしらせる。それでなくてもこの後何度も、彼女はささやかなことを敏感に感じては涙を流す。
そんなに泣くもの??女優やなー、と思ったのだけれど(爆)、後の展開を見ればつまり、彼女はここに、初めて来たわけではなかったのか。アキさんとも知り合っていたのか。
森山未來扮する岳と若い頃、恋に落ち、命をさずかった。上手く光で逃げ切って、ビノシュ、そのまま若く見える(爆)。それともまさか、時空を超えているという訳じゃないよね?ここじゃないどこかの森で、ジャンヌと岳が出会って恋に落ちた訳じゃ、ないよね??
田中泯は岳を標的と間違って撃ち殺してしまう、苦悩の猟師に扮する。物語の冒頭から登場するし、時系列の説明なんてやぼったいことはしないし、今の時点での話だとばっかり思い込んでいたが、そういうことではなかったのだろう。
若き日、ジャンヌは若き学者としてここに来て、恋に落ちて、アキにその赤ん坊を託したのだろう。アキのことを忘れていた筈はない。なのになぜ……。
アキの方は、「あんただったんだね」と感無量の声を漏らす。それとも明確に説明されないだけで、ジャンヌもまた、再会した途端に判っていたのか。
産み落とされた赤ん坊は岳の両親に託される。亡き息子の子供とさえ、知らされぬままである。岳の父親がこの森のなんたるかみたいなことを、誰か取材しに来た人になのか、説明しているシークエンスが時折挿入される。かつてエライ学者さんが来たけれども……というのが、ジャンヌだったのか。自分の息子と恋に落ちていたことは知らなかったのか、それとも……。
ジャンヌが探しているのは、Visionと呼ばれる薬草である。人の痛みや悲しみ、苦しみを取り去るのだという。もうそれだけでスピリチュアル感満載だし、20年もこの地に住んでいる智は知らないというんである。
素数の年数を眠り続けるセミの話から、このVisionの不思議に肉薄していく。Visionはその素数である997年、眠り続けるんだという。そして胞子を飛ばす。その時に何が起こるのか……。
ジャンヌは人間の中から消し去りがたい、暴力性、攻撃性についての話をする。それは他の生物にはないものだけれど、Visionには、あるいは自然には、何かを守る時、破壊する衝動が発生するのだという。ちょっとこのあたりネムネムだったんでさだかじゃない表現だけど(爆)、ただそれは、人間の持つ攻撃性、暴力性とは異質なもので、今この何かを守るためなのよねと思う。
アキさんは、智に試すように問う。森に変化はないのかと。智は寡黙な男だから、それを口に出すのもためらわれていたのだろう。でも確かにその微妙な変化を感じ取っていたのだ。
一度ジャンヌは帰らなくてはならなくなる。すぐに戻ってくる、という口調と二人の目線は、セックスをしたというだけでなく、間違いなく恋人のそれである。
しかし二人のほんの少しの乖離の間、不思議な青年が入り込んでくる。ケガをして智に拾われた鈴である。後々の展開から言っちゃえば、鈴はジャンヌの息子なのだが、かなり最後の最後まで、それはなかなか明かされない。
どころか自分のいない間に入り込んだ美青年に、ジャンヌがなんか嫉妬するような感じに見えちゃったのは気のせいだろうか??ジャンヌは最初から、自分の息子だと気づいていたのだろうか??
それにしても、ガンちゃんが、こんなぴかぴかのスターが、河瀬作品に抜擢されるということ自体がものすごい驚きである。あれあれれ、ガンちゃんだよね??と思って何度も何度もじっくりと見てしまった。
プロデューサーにHIROさんの名前があるから、まぁそれなりにビジネスなキャスティングがあったのかもしれないが、そもそもこのビジネスタッグ自体も驚きだし、でもまぁ、ビノシュを招聘する時点で今までとは全く違った映画作りになったということなのかなぁ。
笑顔が魅力の彼だが、本作中ではその破壊力抜群の笑顔をほとんど、どころかまるで見せることがない。それだけに難しい役どころだと思われる。パフォーマーなのに、踊る場面もないしさ(他に三人もパフォーマーがいるのに!)。
でもそれも、ヤハリネライだったのかなぁ。殆ど喋らないけれどムッツリした感じにはならないあたりがガンちゃんらしさか。だからこそいかにも人嫌いっぽい智の心にするりと入ってしまったのか。それともこれもまた、ジャンヌと出会ったことと含めての、絶対的な運命だったのか。
アキさんがふいにいなくなり、鈴と共にコウも姿を消す。でも、コウは結局、なんで死んじゃったかのかなぁ。眠かったから、見逃したかなあ(爆)。この1000年の奇跡の橋渡し役??それだったら猫の方が適任のような気がするが(爆)、まぁそこはそれ、山の暮らしをしている男たちの話だから……。
熱と痛みを持ってVisionは現れる。それを具現化する木々が燃え盛るシーンは圧巻で、そして、えぇっ、こんなことしていいの、可能なの??と余計な心配しちゃう。いや、今はいろいろ映像的技術もあるだろうが、でもやっぱりそれは、河瀬作品だからなぁ……。
山と共に生き、山を救うための間引き伐採を行い、生きるための最低限の狩りと野菜を育てて暮らしている、そこまでの描写をしているんだから、いわばこれも山焼きとして必要な描写?1000年に一度のそれというのだったら、凄いけれども。
まるで朝もやのように胞子が飛び、もう今はここにいない筈の、ジャンヌにとっての最愛の男、岳が姿を見せ、アキが踊り、鈴が踊り(あ、ちょこっと踊ってたかな)、木々が揺らめき、ジャンヌは智と身を寄せ合いながら、「なんて美しい」とつぶやく。
光、水、風、なんていうか、本当にスピリチュアル。二言目には神様と言い出しそうな危うさを持ちながら、それは自然の奇跡なのだと踏みとどまる。神道という神様は充満しているけれど、神社にお参りしろという経過も出てくるけれど、やはり河瀬監督が信じているそれは、当たり前に起きる自然の“奇跡”(だから、彼女にとっては、奇跡とは呼ばないのだろう)なのだろうと思う。★★★☆☆
とゆー訳で、ヘタクソピアノの私んちの調律に苦労させているのとは全然違う、美しい調律の世界なのだが、調律さんは「山ア賢人と三浦友和」というだけで、自身はあまり気乗りのしない様子だった。
どうやら原作は本職の調律さんの心にびんびんと響いたから、いかにも売れっ子イケメン君がピンとこなかったのかもしれない。三浦友和はいいじゃない、と思ったが。
大好きな調律さんとお話するためにも、原作は後で読んどこうとは思ったが、山ア賢人君は予想よりも全然、悪くなかった。不遜な言い方だが(爆)。
てゆーか、私は彼の出演作品を観る機会がこれまで殆どなかったので、さしこちゃんがカッコイー!というイメージぐらいしかなかった(爆)。女の子みたいな可愛らしい顔で、カッコイイというんじゃないなぁと思うが、それは昭和と平成の感覚の違いかもしれない(爆)。
クセのないストレート直球の芝居とあいまって、外村という青年の青臭さがとてもよく出ていた。それは無論、陰の主役とでも言うべき……私はこっちが目当てなのだけれど……友和さんのシブさがあってこそ、なのだけれど。
でも思えば友和さんだって、若き頃は甘ったるいクセのない青春スターだとされて、それこそ山口百恵の刺し身のツマぐらいに言われていたよね。大林監督ぐらいじゃないのかなぁ、彼の老け待ちをして、つまり年をとるごとに熟成されていく、と待っていたのは。
もう、この貫禄と、色気と、父親のようで、教師のようで、大げさに言えばちょっと神様のようで、ああ、素敵、カッコイイ!私は「新・悲しきヒットマン」から友和さんの大ファンなのよっ。だからね、賢人君だって、判らないよ。どう変貌するかなんて!あと30年後(爆)。
でね、高校生だった外村は、学校のピアノを調律しに来た板鳥と運命的な出会いをする訳。原作の知識もなかったから、これが北海道が舞台だということ、原作は未読だから判らないのだけれど、映画自体は旭川が舞台となっていて(明確には言ってないけど、有名ピアニストが来るホールのポスターとかでさ!)、ししし、知らんかった、知ってたらマジ、読んでたよーっ!と焦る。
旭川は音楽の街。他の大都市、観光都市に後れをとっているのにちょっと焦っての後塵という気もするけど(爆)。でも、確かに音楽の街だった。氷の街でもある。劇中では結構積雪を印象付けてるが、雪というより私の印象は氷の街。キラキラと凍って、だから音も透明に弾ける。不純物のないしんと凍った空気。そんな印象があった。
ピアノに憧れると、調律師さんにも憧れる。私も一瞬、マジに憧れたが、くだんの大好きな調律さんに出会って、こらーだめだ、こんなん私に出来る訳ない、と打ちのめされた。
外村君が調律学校で勉強している様子がちらりと描かれ(これはヤハリ東京ではなく、本場の浜松にしてほしかったけどねー)、その緻密さでもそれは充分に伝わるが、それ以上にね。
そういった基本の緻密さだけでもめちゃくちゃ大変だろうにそれ以上に、ピアノの性格、体調(上手い言い方が見つからないが、まさにそんな感じ)、ピアノが歌いたい唄、弾き主との相性の調整、そして……余命を伸ばすために、延命治療なのか、安楽治療なのか、なんてことまで。
まさにピアノのお医者様で、すこうし、映画は、そのあたりは美しすぎるかなぁという気もするが、それは私のポンコツピアノを任せている調律さんが素晴らしすぎるからだろう(照)。
しかし意外だったのは、外村君がピアノ未経験者(ということだよね?)だということなのだった。私は、調律師さんっていうのはみんな、ピアノ経験者なのだとばかり思っていた。だからこその、臆する気持ちはちょっとあったし。
板鳥さんがどうなのかは語られなかったけれど、ピアノ弾きからの転職組は光石研氏演じる、ピアニストを断念したちょっと気難しそうな秋野だけで、外村を優しく指導する柳(鈴木亮平)も音楽はやっているけれどもなんとメタルバンドのドラムであったりする。実情はどうなのか判らないけれど……その設定自体が、とても興味深いものだった。
外村君は、高校生の時に板鳥さんが調律の前にポーンと響かせた一音で、生まれ育った森のすべてを感じ取る。匂いだけじゃなかったと思う。それこそ音、湿度、時間の流れ……。タイトル通り、羊の毛で作られたフェルトが鋼の弦を叩いて鳴らす、それがあの奇跡の、他にはない、ピアノだけのピアノの音を生みだすこの楽器。
彼は森を感じたけれども、海を感じたり、都会の雑踏を感じたり、夕方の放課後を感じたり、……きっと、人それぞれ、あるだろう。それはもちろん、ピアノの音に魅せられた人にだけ許される特権で、それが外村君は森で、それが彼の人生を決定づけたのだ。
まだまだ見習いで、柳さんについて至極マジメに勉強していく外村君。様々な顧客にもまれていく。
ジャズバーの気難しいピアニスト、城田優君やら、両親が死んで犬だけが友達で、その犬が死んでしまってそれまで以上に引きこもりになってしまった森永悠希君やら、印象的な顧客は様々いるけれども、ヤハリそれらは脇役である。
メインに据えられている、姉妹、今最も勢いのある女優と言っても過言ではないであろう、上白石姉妹が演じる和音(かずね)と由仁(ゆに)(和音とユニゾンか、そうか……)である。和音はしっとり、内省的な演奏を得意とし、由仁は明るく弾けるような曲が好き。練習スタイルもマジメ一辺倒な和音と、気分を重視する由仁とは全く違う。
でもとても仲良しで、連弾を楽しそうに、ピタリと合わせる場面には感動する。差し替えもあるんだろうけれど、二人の演奏シーンには本当に驚愕する。“小さい頃にちょっとやってた”レベルですか、これが!やんなっちゃうなぁ。ピアノには一生憧れ続けるしかない……。
外村君はまだ若いし、年若い彼女たちに共鳴して、やはりちょっと、平衡感覚を失ってしまったところがあるのだろう。それを自分自身で激しく自覚、猛省して、苦しんでしまう。つまり、努力型の和音ちゃんの音を優先してしまったと、それがコンクールで妹の由仁ちゃんが突然弾けなくなってしまった原因だと、思い込んでしまうのだ。
柳先輩はそんな外村君に、思い上がりだと叱責し、外村君、雪に倒れ込んでむせび泣く。寒いよ、あれは……。
でも、ここは一番の重要ポイントであったろう。これは確かに調律師さんが主役の物語だけれど、私も調律師さん大大大好きだけど、ピアノあっての、そしてピアノの弾き手あっての調律師であり、完全に裏方なのだもの。
それを判りやすく議論する場面も用意されている。先の、柳先輩が外村君を叱責した、調律師がピアノの弾き手に影響を与えるなんてことはできない、というのが最たるものだけれど、もう一つ。
調律師として到達する夢や目標はなにか、あるいはそれは持つべきなのか、ということで、「誰もが有名ピアニストの調律をしたいと思うだろ」とズバリと指摘する秋野氏に、どんなピアノも同じだ、という立場から、それでもそれぞれ微妙な違いで反応する、いわば熟成度の違う青臭さ二人、柳先輩と外村がぶつかり合うのが、ハラハラ、ワクワク、するんである。
外村君は自身失敗をしたこともあり、まだまだ未熟だということもあり、市井の人たちのピアノに向き合っていきたい、とこの場では言った。
それがこの時の本音だったんだろうとも思うけれども、海外の有名ピアニストがこの街に訪れ、おつきの調律師ではなく、この街の、腕を買われた板鳥さんが指名されたことは、外村君自身が板鳥さんに魅了されてこの世界に足を踏み入れただけに、そりゃ平常心ではいられない訳で。
板鳥さんはスーツ姿で、外村君のようにエプロンもしないし、ピアノに向き合う姿はまるで、神官のようである。ピアニストに微妙な音の変化をリクエストされて、ピアノの中身をいじくるのではなく、ピアノの三本の足を、ほんの少しだけ、角度を変える。
それが外村君の成長のクライマックス、柳先輩の結婚パーティーで和音ちゃんが弾くピアノの音を、群衆の中に届く音に変えるための、ヒントになる訳である。
あぁ、この場面は、まさにさ、調律ではない調律、私の大好きな調律師さんの、ピアノを深く愛しているから、ピアノが困っているところが判る、私が困っているここを見つけてよ、っていう、これぞ調律さんの神髄!というのを見せてくれて、心躍った。
私的な話でゴメンさい。でも、ちょっと音が曇ってますね、と、私は全然判らなくて、そうですかぁー?とか言って、でも調律さんがね、あちこち、ピアノを動かしてみて、なんか背板の、どっかを、ここだ、ってピタリと押さえたら、音が突然、透明になったの!
音が曇ってたことすら私は判らなかったのに、なんでそれに気づかなかったかと思うぐらい、ピアノがピアノの音になった。あの感動は忘れられない。
あぁ、なんか、映画というより、自分の思い出話になってしまった(爆)。でも良かった、良かったなぁ。外村君の兄弟の葛藤とかもあったが、まぁそれは、よくある感じで、調律の世界の魅力には太刀打ちできなかった(爆。ただ単に、趣味世界の問題か……)。
旭川というのが何よりもツボだった。雪が降る、しかも厳寒の北国は、温度湿度、外気と室内の違い、本当に調律さんは苦労し、だからこそ腕が磨かれるのだと思う。
福島もねー、北海道ほどじゃないけど、そういう条件は一緒で、無遠慮に石油ストーブとか焚いちゃって、窓がめちゃくちゃ結露しちゃって、……ゾッとするもの、ピアノにとってさぞかし過酷な状況なんだろうって。
でもね、痛いところにそっと手を触れて、大丈夫だよ、とささやくような、そんな魔法の手を調律さんは持っているんだなぁ!★★★★☆
輪廻転生、って言っちゃえば凄く簡単で、なるほどだけど単純すぎる気もし、でもやっぱり判らない。わざわざアジを一匹よけて、庭に丁寧に埋めていた栗本さんは、小学生の女の子たちが死んだカメに泣いているのを見かけ、その工程を教えるかのように丁寧に埋めた。さよならじゃないよ、また会えるんだよ。
海岸に流れ着いたさび付いた缶の蓋に描かれた不気味な不思議な絵、枯れた木の枝に羊が実がなるようにぶらさがっている。死んでも、いや殺しても、埋めればまた生き返る、生き返る?何か違う……。
でも彼女はDVの恋人に追い詰められて殺してしまったことを、それこそ死ぬほど後悔している。庭にいくつも盛り上がった土、その異様な光景に、彼女の心の闇を思う。
と、いきなりたった一人をとりあげてしまったが、つまりはこの状況である。殺人犯は、栗本さんだけじゃない。魚深という架空の都市に合計六人、仮釈放の殺人犯がやってくる。
小さな港町に極秘に託された国家的プロジェクト。過疎の町にとってはその問題を解決する糸口になる。しかし、市役所が世話する勤め先にさえ、その事実は明かされない。知っているのは彼らの担当となる主人公、月末とその上司、そして首を突っ込んできた好奇心旺盛な同僚の田代だけ。
この田代という調子のいい男がクセモノで、本来はお互いに接触を図らないように気を付けていた六人を、お祭りに全員呼んじゃうんである。そこから危険な空気がじわりじわりとにじんでくる。
でも結果的には、危険な空気は、本当に一部。先述した栗本さんは、その中でも一番地味だけれど、それ故ある意味象徴的な存在かもしれないと思う。
殺人犯、という言葉から先入観タップリに私たちが想像する凶悪な人間というのは、二人……いや、一人かもしれない。いわゆる、ナチュラルボーンキラーズというのは、松田龍平演じる宮腰だけだ。おっといきなりオチバレですけれども(爆)。
北村一輝はいかにもなチンピラで自分が犯した殺人なんて何とも思ってないようにも見えるが、宮腰をナメてかかって、このタイクツな街で楽しくやるためにワルイことやろうぜ、と持ちかけた時点で単純明快なバカだと判る。
田中泯演じる元ヤクザの親分さんは、まさにその立場故の仕方なさである。当然子分たちが厭味ったらしく迎えに来るが、彼は拒否して、この新天地に老い先短い望みをかけるんである。
後の三人は、事情を聞いてみれば、この世知辛い世間の犠牲者と言えるような、情状酌量タップリな人たちであり、殺人犯、という言葉のイメージを偏見にすぐ置き換えてしまう私たちに対する糾弾をひしひしと感じる。
だったらなぜそんな偏見が産まれるのか??非常に現代的だと思うのは、昨今は受刑者が社会に復帰した時の受け入れ態勢、更生に協力するってことが、駅貼りのポスターを作るぐらい、推進されていて、この原作自体は少し前のものだけれど、今だなあ、という気がするのね。
ただ、映画化に際しては大きく変換され、オリジナルなラストらしいが、そーゆーの、正直私、キライなんだけど(爆)だったら最初から設定なんか借りずに、自分のオリジナルで勝負しろよとか思うんだけど(爆爆)。
月末が最初に迎えに行く福元が、そういう意味では一番判りやすい情状酌量である。刑務所で覚えたバリカンさばきで理髪店に紹介される彼は、その理髪店の店主も実は受刑者で、刑務所でその腕を磨き、だから一発で見抜いて、受刑者が社会に出てきての苦労は判る。来てくれてよかった、と言い、福元は泣き崩れるんである。かなり浪花節で、しかもかなり前半での展開なので、あれれ、なんかこんな優しい感じでいいのかしらん、と余計な心配をしちゃうんである。
この映画の番宣で、福元を演じる水澤氏がVS嵐に出ていたことに飛び上がり、ああ、なんという出世、いや、こういう得難い役者をどんどん世の中に知らしめて行くべき!!とやたら嬉しかった次第、サンドウィッチマンが仙台出身ということで凄く触れてくれたのも嬉しかったし。
……ちょっと話がズレてしまった。情状酌量二人目は、ちょっと気持ちアヤしくなってくる。月末が迎えに行った時から無邪気にチョコレートパフェを食べ、空港で買って着た着替えは巨乳がばーんと強調されるミニTシャツで、自覚しているんだかいないんだか、男の目を惹きつけずにはいられない女、なんである。そして絶妙の妙齢。演じる優香嬢が素晴らしく絶妙である。
太田は夫殺し。夫がSM嗜好で、セックスをする時に首を絞めてほしいと要求したことから、なんたってセックスの最中だから、その加減が上手くいかなくて、過ぎちゃって、夫は死んでしまった。
「裁判で、信じてもらえなかったんです」その告白を月末にした時、太田は月末の父親と恋仲になっていた。太田が勤務したのは介護施設で、身体が不自由になってデイケアに通っていた彼に、……なんてゆーか、もう最初っから太田は巨乳押し付けるし、口元についたご飯粒をとって食べたりするし、オイオイオイーって感じで。
そりゃ当然、お父ちゃん興奮しちゃって、彼女を物陰に引き込んでレロレロキッスよ。うーわうわうわ、めっちゃ生々しい!優香嬢の上気した顔!!!なんですか、年上趣味ですか。完全に誘惑してたもんなあ。いや、その自覚もないのか……。
だって、月末に糾弾されると、まるで純愛の乙女みたいに、私はもう人を好きになってはいけないんでしょうか、と瞳を潤ませて言うんだもの。なんか、何とも危険な女なのだが。
でも、そういうことなのかもしれない。そういう女だから、大好きだった夫を、彼の言うままに首をしめちゃって、素直にしめちゃって、殺しちゃったんだもの。そんな女を受け入れられるのは、確かに人生の酸いも甘いも経験したこんなお父ちゃんなのかもしれないなあ。
しかして、物語はそんなハートフルなままでは進まない。当然。てゆーか、ハートフルなまま進むのかと思ったぐらい、中盤まではそんな感じで、ヘンケンっていけないよね!!みたいな。
でも、やっぱりというか、予感はあったというか、情状酌量組のように思わせていた宮腰が、変貌するんである。彼は月末に信頼を寄せていた。奇妙なぐらいに、会った最初から。
自分は過剰防衛で人を死なせてしまったんだと。聞かれてもいないのに。親切にしてくれたからだと彼は言ったけれど、月末の態度を試していたのか、いやそんな自覚すらないように、後から思えば見えた、かもしれない。
だってだって、松田龍平なんだもの。彼のニュートラルさは本当に怖い。純粋無垢な可愛さに振れれば本当にメチャクチャそのまま可愛いのに、ナチュラルボーンキラーズになると、まさに純粋無垢のナチュラルボーンキラーズなのだから!!
先述したけど、判りやすくチンピラで判りやすく悪人の北村一輝演じる杉山とはそこが決定的に違う。そしてどうやら宮腰はそんな自分の先天的殺人気質を憂いているらしいところが、もうどうしようもなく恐ろしいというか、哀しいというか、なんである。
この魚深に伝わる、かつてはいけにえを捧げたのろろなる祭りが、最後の最後、宮腰に鉄槌を与える。小高い丘の上に不穏に設置されている、さび付いたのろろ様の銅像。月末とどちらがいけにえとして海に沈められるか、と、宮腰は自分がこの世に存在していいのかどうかを、試したのかもしれない。
月末が高校時代から片思いしていたバンド仲間の文とイイ仲になっていた宮腰は、自分の素性を知りながらも友達だと言ってくれた月末の方を、つまりは大事に思ったのかもしれない。
文を演じるのは木村文乃嬢。都会で不倫の末に破れて帰ってきたという感じなんである。そういう彼女が、この閉鎖的な町でいわば得体のしれない新参者の宮腰と付き合いだすというのは、彼女に恋する月末はまぁそうだろうが、それでなくても、やはりどこか、わきが甘かったかもしれないと思う。
ヤキモチから宮腰の過去を彼女にバラす月末に、でも罪は償ったんでしょ、謝るぐらいなら最初から言うなよ!!と言う彼女は確かに正当なのだが、でもその後、宮腰に対して怯えたように腰が引けてしまう、ってことは、やっぱりやっぱり、偏見があったってことなんだもの。
勿論、何の事情も知らされてなくて、宮腰自身からの話がなくて、月末言うところの「何も知らないのに付き合えるのか」ということを露呈した訳で。彼女は「知りたいから付き合うんじゃないの」と突っ張ったのに、結局は、結局は……それが、そういうことが、受け入れるなんていうことを甘く言えない部分なんじゃないのかって。
ナチュラルボーンキラーズだし、本当に怖い男だし、不気味だし。なのになぜか何故だか、彼が自ら望んだかのように、のろろ様に裁いてもらうんだと、のろろ様の崩れた頭部に直撃されて海の中に沈んだ時、凄く哀しかった。龍平君の透明すぎる純粋さが見事に恐ろしさに転換されてて。
他のみんなもね、つまりはみんなみんな、不器用すぎるのだ。個人的には、田中泯氏が演じる大野が好きだったなあ。クリーニング店に勤めるんだけれど、エプロン姿がめちゃくちゃ似合ってないし、接客が全然出来てない。だから女主人はあからさまにイヤな顔をするんだけれど、でもだんだんその真摯な人柄を信用するようになっていく。
「失礼しちゃうわよね。顔に傷があるだけで」祭りの時に彼のコワモテに周囲が引いていたことを彼女は憤るが、太田は「人は肌身で感じるものですよ」と、自分の過去を話し出す……。
この女主人を演じるのが安藤玉枝、めちゃくちゃイイ、カワイイ!!「待ってよ!私はあんたが悪人なんて、肌身で感じなかったけど!!」ここらあたりでは情状酌量チームが雪崩打ってたからちょっと甘いかなと思う部分はあったけど、彼女、可愛かったなあ。
原作にはないオチっていうのはヤハリ、のろろ様に直撃された宮腰、なんだろうか。映画的には確かにスペクタクルだけれど、生きて行くべきではない人間に鉄槌を下した、みたいな感が……何とも言えない。
それしかないのか、そもそもナチュラルボーンキラーズという人間はどうしようもなく存在する、という設定にしちゃったら、それしかなくなるではないか。★★★☆☆
本作はその、優子が所属していたアイドルグループ、ピンカートンの当時の五人の様子と、現在の彼女たちを入れ食い状態で描いていく。
ハッキリ言って売れなかったピンカートン、葵だけが人気が出始めて、つるんでいたリーダーの優子は嫉妬にかられ暴言を吐き、グループは空中分解。まぁ、葵のソロデビューは決まっていたし、遅かれ早かれそうなったであろうことは察しが付くけれども、葵はグループに気兼ねしてソロを断念した矢先だったのにこんなことになっちゃって、事実上の解散ライブだった筈の一夜を彼女たちはドタキャン、そのままひっそりと表舞台から消えたのであった……。
そして現在の、優子である。徹頭徹尾、最初から最後まで、内田慈の超ハイテンション、気が強い、性格悪い、素直じゃない、叩きつけるような芝居にひと時も心休まる時がないんである(爆)。
凄いな、凄いなー、これは、気合が入りまくっているというか……。彼女はそこそこ(失礼!)美人さんなのに、気が強く叫びまくりのこの優子役、顔の輪郭までもが歪みまくり、いやいやいや、やっば、ブサイクに見えちゃうよーっ。
勿論そこは、女優魂、計算済みに違いない。アイドル時代から優子は、他のアイドルたちに敵意むき出し、あんなブスが何で売れるの、アイドル半分ぐらい死ねばいいのに、ていうか殺すし、と言ってはばからず。
でもそれにノッていたのが図らずも、後にグループから頭一つ飛び出してしまう葵だったのだ。そうだよね、私だったら銃で殺す。アイドル全員死んでもらいたい、判る、それ判る、と言い合い、ある意味では同志のように見えた二人。つまり他の三人は当時からドン引きであった。
そして葵が売れると、葵自身もその愚かな身勝手さに気づき始めたのか、あるいは自分自身が優子に、そしてかつての自分自身に糾弾されるということを恐れたのか、次第にそんなムチャなことは言わなくなる。ソロになって飛びぬけるチャンスだった筈。芸能活動は続けたかった筈。なのに……。
そして現在の優子は、芸能活動を続けていた。派遣でテレホンアポインターの仕事をしながら、今まさに解雇通告を受けていた。オーディションは落ちるし、つまんない仕事ばかりだと素直に受けず、月給を払い続けていた事務所が利益の出ない彼女を斬って捨てたのだ。
「そちらの営業努力が足りないからですけど、お互いの方向性が違ったってことで」と捨て台詞を吐く優子は、その後もその性格の悪さを存分に発揮しまくり、再会した元メンバーたちにも「みんなに嫌われていたじゃない」と吐き捨てられるほどの強烈キャラ。
優子のアイドル時代を演じる小川あん嬢はまさに、内田氏の少女時代!!と思わせるテンション高い芝居で大いに盛り上げてくれる。
あの、唇をゆがめまくって「裏切り者は許さないから。ちょっと売れたからって調子に乗って、そんな女は死ねばいい」と葵に投げつける、あの、目を見開いた、あの、あの表情の強烈さ!!いやー……彼女には注目しとこう。内田氏が乗り移ったかのようなそんな芝居ができる女の子!!
それまでは仲が良かったのに、この時は、自分のことを散々にクソミソに言われて、「そうですね」「ですよね」とお互い妙に敬語で交わす、絶妙な距離をとった二人の火花散るやり取りがもんのすごい緊張感なんである。
そして……このやり取りは実に見事に、20年後に全く違う形で再現されるんである。再結成したいのに素直になれず、声をかけてくれたレコード会社の担当者にも元メンバーにも見捨てられてたった一人になってしまった優子が葵に会いに行く場面。
電気店で加湿器のデモンストレーターをやっている葵に恐る恐る声をかけての二人の会話は、加湿器を購入するか否かということをカクレミノにして、見事にかつての確執への言及、後悔、再結成への意思確認、を探り当ててて、うわー、うわー、うっまーい!!と思っちゃう!!
オリジナル脚本で勝負し続けているというこの監督さんの、素晴らしい才能に改めて感服する。いわばグループのツートップの和解だもの。いろんなアイドルグループのあれこれを妄想しちゃうよなあ!
長じた葵、彼女もまた優子と同じように芸能界への想いを捨てきれず、ほそぼそと活動し続けていた、そんな葵を演じる松本若菜嬢は両えくぼがチャーミングな、ハッキリと、美人。
てゆーか、「腐女子彼女。」の!?そんなお年頃になっちゃったの!!??とショックを隠し切れず(爆)。いやー……時の立つのは早いものだ……。
てゆーか、大分すっ飛ばしちゃったけど、何より五人もいるんだから、それぞれの生活に入っている他のメンバーたちを説得することが大変であり、そのシークエンスで大いに盛り上げ、笑わせてくれる。まぁ、基本的に、ホントは自分が一番やりたいくせに、プライドが高くてそうは言えない優子がぶっ壊しちゃうって形なんだけどさ。
最初に訪れるのは、美紀、演じるはこれまた信頼のおける山田真歩である。三人の子供を抱えている彼女はムリムリムリ、と最初こそ言うが、あっという間に乗り気になり、優柔不断なかおりをまず味方に丸め込む。
このかおりを演じる水野小論氏がまた、絶妙である。えー、でもー、みたいな、アラフォーになってもザ・女の子の風情は、今も昔も優子を、そして葵をイラつかせるのに充分だっただろうことはたっぷり推測されるんである。
もう一人の、これもまたかなりの気の強さである葉月との板挟みで、あいまいな笑みを浮かべて困惑しまくるかおりは最高!こーゆー子、アイドルグループ、いやさ、女子グループには一人はいるよなあ、という感じ。八方美人にもなり切れなくて、強い人たちに利用されようと引っ張り合いになって、翻弄されて、困っちゃうみたいな。
そもそもピンカートンを再結成しよう!と思い立つ人物がいなければこの物語は始まらない訳で。少年時代、ピンカートンの、そして葵の大ファンだった松本、入ったレコード会社がピンカートンが所属していたレコード会社の吸収先だったことを知って狂喜、今回の企画を立ち上げる訳である。
松本を演じる田村健太郎氏、決して初見ではない、観たことはあるような気がするし、フィルモグラフィーを見ても絶対初見じゃない筈なのだが……多分(汗)、こんなにメインで出てくる彼を見るのは初なのでは??
すっごく、良かったなあー。とにかくピンカートンへの情熱がものすごいのは無論だが、まず最初に優子と会う場面で、たまたま待ち合わせ場所に来ていた全然関係ない美女に興奮しまくって喋りまくる場面がサイコー!もうその場面で、胸つかまされる。
ホンモノの?優子がいくら声をかけても跳ねのけ、「あなたが優子さん?冗談は顔だけにしてください!!」おいおいおいー!!もうこの初対面の一発で二人の関係性、そしてこれからの展開が見える面白さナノダッ。
前歯が大きめに見える感じとか、たれ目気味で優しい面立ちとか、監督の前作「東京ウィンドオーケストラ」の小市さん、だーい好きな小市さんをほうふつとさせるところがある。もっちろん、小市さんの方が超絶イイ男ですけれどもねっ(爆)。
でもそーゆー、監督さんの好みって、あるんじゃないかなぁと思っちゃう。あの超ハイテンションの内田氏と最初から最後までパーフェクトに渡り合う彼に、至極驚嘆してしまうんである。
ピンカートンを再結成したい一心で頑張って来た彼だけれど、優子のわがままと見栄っ張りについに怒り心頭に達してもの別れしちゃう、ってところまで行く……本作はある意味、優子と松本のバトル映画、二人のぶつかり合いが何かを生み出すのを見守る映画だったような気もするんだよなあ。
一番のスター、葵を見事招致して、解散ライブが行われるはずだった会場での再結成ライブ!!しかーし、観客の数が……少なっ!!いろんなしがらみを乗り越えてこの場に集結した彼女たちは驚愕、松本は頭を抱え、「……すみません……営業不足です」
おーっと、おおおーっと、この台詞は、優子や葵がマネージメント会社に、自分のわがままを顧みずに言い捨てて辞めていった時のアレじゃないですか!!
恥をかき捨て、アラフォーで、ワキもあらわに(爆)アイドル衣装に身を包んで全力でパフォーマンスしたステージもステキだったが、最も好きなのはラストシーン、つまらなさげにマズい居酒屋でちびちび酒を飲むメンメン。
あれ、一人足りない、そして見たことある構図……まさに冒頭、アイドル時代の彼女たち、トイレに立っていた優子に砂糖がドバー!!と入ったコーヒーを、こっそり入れ替えてたあの場面、20年の時を経て、葵は同じように、タバスコがドバー!とかかってしまったピザを入れ替える。他の三人が笑いをこらえて見守っているのも同じ。
とてつもなくぶつかり合って、とてつもなく仲が悪くて、でも、一個芯のところで欲望や辛さやなんやかんやを共有し合ってて、だって判りあってなければあんな百パーセントぶつかり合うケンカだって出来ないもの。好きとか嫌いとか、そういうレベルではもはやないのだもの。
「東京ウィンドオーケストラ」もそうだったけど、 ラスト感動のライブステージで盛り上がるとか、そーゆー安直な結末にしないところがいいんだよね。
でも心地よい疲労感と、次があるかもしれないといううっすらとした希望がある、素敵なリアリティ、これがこの監督さんの真骨頂かもしれない。そして共感できかねる気の強いヒロインを、怖がらずに提示してくるところね!!★★★★☆