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恋化粧
1955年 79分 日本 モノクロ
監督:本多猪四郎 脚本:西島大
撮影:飯村正 音楽:仁木他喜雄
出演:池部良 越路吹雪 岡田茉莉子 青山京子 小泉博 井上大助 千葉信男 藤原釜足 中北千枝子 左卜全 恩田清二郎 佐伯秀男 小杉義男 谷晃 中村豊 大村千吉
そしてモノクロがよく似合う池部良。クラシックな品の良さ。不思議、だって本作の中の彼はどちらかというと、ちょっと泥臭くて、男臭くて、口下手な下町の男なのに。
池部良扮する力彌はポンポン蒸気船の船長。そうかぁそこはヤハリ隅田川なのか!嬉しくなる。下町の寡黙なイイ男である。大海原の船長だってカッコイイけれど、この下町の川を行き来する、船頭さんの帽子を粋にかぶった池部良はまーこれが、カッコイイんである。
お約束な感じで、コメディリリーフの小さな男が相棒よろしくいつも茶々を入れるのもイイ。この口下手な男と幼馴染の芸者、初子との仲を取り持ちたくてうずうずしているこの子分の男は、でもちょっと考え違いをしている。
確かに初子は力彌のことが好き。子供のころからずっと大好き。そして力彌もそれを知ってはいるけれど、彼には忘れられない女がいるのだもの。
時は戦争前後、学生時代に純粋に想いを交わしていたのが、園子。可憐な女学生だったのが、後に疲れた風情で水商売の女として再会する、その岡田茉莉子の叙情にヤラれる。
切ない片思いでじりじりしている初子を演じる越路吹雪もとっても素敵なのだが、やはり、彼にとっての一生忘れられない女は、園子だったし、園子にとっても力彌がそうだったのだし、でも二人は添い遂げられない、そればかりが幸福とは限らないという、なんかなんか、深い物語なのだよ!!
と、訳判んないまま進んでしまった(爆)。あー、つまりね、大人になるほど、男も女も素直じゃなくなる。
先述したとおり、初子が力彌にホレてるのは力彌の子分から初子の妹分の半玉さんから、その半玉さんの幼馴染の男の子から、すべての人にバレバレ。そしてかなり印象的に登場するお相撲さん、吉ノ里が初子に岡惚れしてるのもバレバレ。でもそれを、彼らは素直に認めないんだなあ……。
てゆーか、そんな大人の機微をとにかくあらわにしちゃいたい!!とズケズケ入ってくるのが、ワカモンたち、という図式。初子の妹分の半玉、雛菊に扮する青山京子がメッチャ可愛い。雛菊はね、孝助への想いを隠そうとしないのよ。孝助君の気持ちを確かめるのも後回しなぐらい(笑)。
私たち、恋人でショ!てな具合で、けがをした彼を心配して夜間学校に送っていきたがるもんだから、半玉なんていうハデな女の子を連れて行きたくないお年頃の孝助君は、彼女のことを憎からず思っていても、困り果ててたり。
そんな二人を見て、力彌は初子に「俺たちの時代とはだいぶ違うな」としみじみとつぶやいたりする。
それはとりもなおさず、今こうして二人そぞろ歩いている初子のことを、憎からず思っているということを示してもいるんだけれど、なんたって先述の事情があるもんだから、若者たちのようにまっすぐに突き進めない大人たちは、ただ黙って、夜の道をそぞろ歩くばかりなんである。
そんな場面に至るまでには、結構な事件が起こっている。そもそもこれ、単なる恋愛のメロドラマというには、事件展開が激しすぎるんだもの。
孝助がなんかあやしげな男たちにぶん殴られてる。後に自動車泥棒として力彌が対峙する男がそこにいる。孝助はそのコソ泥グループをタレコミしたという逆恨みでリンチされてたって訳である。
子分の男が力彌に注進し、駆けつけた力彌がおよび腰の男たちをボッコボコにする。そこにニヒルに立っていたリーダー格の男、頬に傷がある、ってあたりが判りやすすぎる石島が、池部良とツートップ、両主演と言う形の小泉博である。
後に、このチンケな窃盗グループが警察に追い込まれ、「顔を知っているのはあの男だけだから、あいつを始末すればいい」とか言って力彌だけをターゲットにするのには??である。いやいや、そもそも孝助をリンチしてたんだから彼にはバレバレ、そこに力彌を呼んできた子分の男にもバレバレ。リンチしてた時、余裕ぶっこいてカッコつけて「おいその辺でやめとけ」とか言ってるあなたは何なの(爆)。
などと言ってしまったが、この石島、演じる小泉博の影のある哀しさも手伝って、なんともね、そんなくさしきれないさ。力彌が頬に傷のある男、を追って飛び込んだ酒場に園子がいた、なんていうありえない偶然は、まぁメロドラマだから(爆)。
つまり、想いを誓い合った力彌と園子なんだけど、出征した力彌、その後東京も焼き払われ、帰ってきた力彌は園子の行方を探し出すことが出来なかった。
身寄りを失った園子は、「愛情はないけれど、あの時あの人と私はお互いがいなければどうしようもなかった」という出会いをした石島と、暮らしを共にするようになっていたのだ。
ああ、なんつーかさ、なんつーかさ。園子と力彌の恋愛は、やっぱり学生のうちよ。真剣だったのは間違いない。戦争というシリアスな状況も、彼らの気持ちを固めたし。
でも「5年でも10年でも待ってる」という園子は、その言葉を全うできなかった、のは、やはり子供だったから、なんだよね。石島のことは、愛ではないと言った。力彌と再会して、彼女は心揺れてそんな風に言った。でも待てなかったのだもの。戦争という、非日常があるにせよ、彼女は待てなかったのだもの。愛がどういう形かなんて、それは、それは、判らないよ。
それは力彌の方も、同じだ。ずっと園子を探し続けてた。諦めかけていたのは事実。「きっとどこかで元気にやっている」という言葉の続きは、実際にそうだったように、いい人を見つけて一緒になっているさ、ということにつながっていたから……。
でも、そうじゃなかった。微妙に、違っていた。園子は迷っていた。ただ……力彌も、そして力彌をずっとずっと、少女のように思い続けている初子も、そういう点では園子に及ばないっていうかさ、人生の修業が足りないっていうかさ。
園子のことを愛するがゆえに、いい生活を与えてやりたいがために、つまらない窃盗集団に足を踏み入れてしまった石島がなんだか、憎みきれないんだもの。園子は力彌に再会して確かに心揺れるけれど、石島のことを「自動車をいじることしか能がない」なんて言い方をするってことは、そんな風に自動車を愛している、修理工としての仕事を愛している彼を、愛しく思っているってことでしょ。それに、それに、あんた自身が気づいてないんじゃないの!って。
……結果的というか、見た目的にはさ、お互い想い合った同士がよんどころない事情で想いを捨てて、別の人と生きていく決心をした、みたいな見え方もする、でも違うよ、違うよ!……愛の形、なんだもの。
胸がつまりすぎて、よく判んないまま進んでしまった(爆)。池部良とダブル主演の形の小泉博が、そういう、情けなくも憎みきれない、園子のことを愛してて、でも彼女からの愛は信じきれなくて、子供みたいに右往左往しているのが、なんかたまらないんだもの!!
力彌の方はね、ちょっと余裕があるさ。まあ言ってみればしがないポンポン船の船頭さんだけど、子分やら、幼馴染の芸者さんやら、その弟やら、その弟の恋人気取りの半玉ちゃんやら、十両に出世したばかりの関取やら、そして勤め先の社長にも、町のみぃんなに、慕われて、信頼されて、力彌さん、力彌さん、って、頼りにされてる。腕っぷしも強くて、イイ男で、完璧なのよ。
一方で石島という男は、稼ぎの少ない自動車修理工、恋人にも水商売をさせないと一緒に暮らしていけないという心に魔が差した、というか、魔を刺された、という愚かだけどそう言い切れない切なさが、あるのよ。
園子は言った。あの時は、あの人がいなければ生きていけなかった、と。勿論、石島こそがそうだろう。ただ、園子の方には心に力彌がいたから、石島とは心持ちが違った。それもまた……石島の切なさがめちゃくちゃ響くのよ。
切ないのは、初子が一番の切なさである。学生時代は父親の船を手伝うイケてない女の子。芸者となった今でも、どこかそんな臆するところがあって、ずっとずっと大好きな力彌に、そう言えない。
でもね、園子と彼が再会したと知って、彼女が言うの。「私、言えなかったけど、ずっと力彌さんが好きだった」!!!この時点で私は死にそうになったが、それに返す力彌=池部良の台詞に更に爆死した。「ああ、知ってた」
知ってたのかよー!!!!いや、知ってただろうが!!でもこんなこと返しちゃう池部良に悶絶!!こ、こここれは、スターウォーズのレイア姫、ハン・ソロの「愛してる」「判ってる」より完全に先でしょ!ああ、たまらーん!!
初子は、自分の赤裸々な想いを正直に告白する。園子が死んでしまっていたなら、なんて考えたこと、あるのよ、なんて、正直すぎる!!切ない!!でも今はもう、決めた、力彌さんと園ちゃんを応援する、力になるわ、と。なんて可愛い女なんだ。信じられない!!
本作のクライマックスは、石島が窃盗団から抜けきれないところを、力彌が孝助を助ける形で乗り込んでいって、ドンパチ含めたアクションシーンになり、とぉっても見ごたえあるのだが、もうとにかくこの前後からの、園子と石島、園子と力彌、力彌と初子、想い合う相手が微妙にすれ違う二人が、めちゃめちゃ心と心をストレートに刺し合っていくのがたまらないのよ。
園子は罪を認めた石島を待つことを決めた。園子のその気持ちを力彌は尊重した。「あいつは昔からそういう女だった。だから惚れたんだ」という台詞にまたしても悶絶する。そしてその台詞を聞いているのは初子なのだ……なんてこと!!
その台詞を聞いた後に、だからこそ力彌は、こんな男だと前置きをきちんとおいて、初子との将来を決心する。初子は涙ながらに彼の膝に頭を沈める。
あー……なんだなんだこの、切ない大人のラブストーリーは!若者カップルのストレートさとの対照が凄すぎる。彼らのまっすぐさはとても素敵で、それはそれでとってもアリなのだが、まさに対照、なのだよね。そして人生の幸福は、どんな形かなんて、ワカモンには想像もつかないこともあるってこと!
あ、アクションシーンでは、吉ノ里大活躍、彼の切なさも凄く良かったな!★★★★★
あー、やっぱり城定監督は素晴らしい。彼は現代ピンクを背負って立つ一人であるのは判っていたが、それにしてもなんて間違いないんだろう。女優さんの芝居がイマイチという点はピンクによくあることなのだが、それが必要以上に気になってしまう作品というのはヤハリ、つまんない作品ということなのだ(爆)。
本作のマリエちゃんを演じる百合華嬢だって決して決してお芝居は上手くない。でも気にならないの。それどころかとっても可愛くていじらしくて、それこそ彼女にプロポーズしたイケメンリーマンのように、ふっと抱きしめたくなってしまう。
ヒロインのマリエちゃんが登場した時にはうわっ、と思った。タイトルから想像してなくはなかったが、ダイナマイトボディ、いやさおでぶ(爆)。これはハンパないです。
ピンク映画は女優のための映画。やはりイメージとしては、きれいなおっぱいを持った美人さん、かわいこちゃん、という感じ。それが、それがそれが……。
しかも彼女のような人をどこから連れてくるのか……いや、それこそ劇中設定のように、おでぶを好む男性たちが相当数、それこそ商売が成り立つほどにいるんだろうから、そんなことを言っては失礼かもしれないが、でも驚いた。
この冒頭、はみ出たお腹をへそ出しルックからのぞかせて、海辺にたたずんで呆然としているようなショットは、後半また出てきて、そうか、ここに戻ってくるんだ……とちょっとショックを受けるような気持ちになる。
だってここは、マリエちゃんにとって、愛する人に自分から別れを告げた場面、だからなんである。それこそ正直、観客側は、こういう女の子が愛に葛藤するだなんて想像していないから(凄く失礼な言い方なのだが……)、ハッとしてしまうんである。
だからこそ、そこまでに至るには、彼女の人生がキュートながら、かなり壮絶に描かれる。なんかヘンな書き方だが、でもそうなんだもの。
マリエちゃんは風俗嬢。それもメス豚養豚場というお店で、店長が「はい!マリエちゃんはただいま畜舎で休憩中です!」とか「出荷オーラーイ!」とか言うもんだから、もう噴き出してしまう。ヤハリこーゆーシナリオのディテールで観客の心をつかむことこそが、大事よねーっ、と思ったり。
指名待ちをしている部屋では、おでぶちゃんたちが店長の差し入れをもりもり食べている。コンビニにあるような肉まん保温機につねに豚まんがチャージされており、いくらでも食べ放題!とか書いてあるのが笑える。「最近、痩せたんじゃないの。まさか、ダイエットしてる?痩せたら指名来ないよ」す、凄いなー。なんて素敵な台詞だろう……。
でもさ、実際、後半とても美人の、これぞピンクの女優さん、というお方が出てくるのだが、それまでのマリエちゃんのお身体を見慣れてきてしまうと、なんつーか、いかにも貧相で(爆)、魅力がなく見えてしまうのが、ふ、不思議!大きなおっぱいのみならず、柔らかくて重たいこの女の身体こそが好きだという男性たちが相当数いるのがナットクしてしまうし、なんか嬉しいなぁと思っちゃう。
でね、マリエちゃんがなぜこんな仕事をしているかというと、友人の保証人になって逃げられちゃったから、なんである。いかにもなサラ金の事務所に実に真面目に、返済に訪れる。
そのたびに生命保険にムリヤリ入れられそうになっている人がいたり、地下施設の危ない仕事を紹介されそうになっている人がいたり、「大丈夫、まじめに働けば週に一回、外出券がもらえるから」「なんすかそれ!」みたいな会話に噴き出しちゃうんである。ほんっと、こーゆーディテールが優秀なのって、大事だな、と思っちゃう。
マリエちゃんは真面目にこつこつ返しに来る顧客だから当然、所長は丁重に扱う。借金返済のためにおでぶ専門の風俗店を紹介したのも、この所長であり、いわゆる売り飛ばすというイメージではなく、「マリエちゃんにぴったりだと思ったからさぁ」という思いのこもった言葉にウソはなさそうなんである。
だってこの所長さんはぜぇったい、マリエちゃんにホレていたに違いないんだもの。「こんなブタでもちゃんと返しに来てるんだぞ!」と脅すためとはいえ口を滑らせた従業員に、オラァ!と速攻飛び蹴りかます所長に噴き出しながらも、ああ、マリエちゃんのこと、本当に心配して、好きなんだなぁという気持が伝わってきて、マリエちゃんが無事完済した時の、あの寂しそうな顔!従業員にからかわれて、また殴り合い!これが、マリエちゃん、なんだよなぁ。
本題に行かなければいけない。マリエちゃんはそんな謙虚でいじらしい女の子だから、好きになる男たちはいっぱいいるのだ。でもその中で、マリエちゃん自身が好きになってしまう男は、ヒモであり、彼がマリエちゃんを好きだという自覚を持つのは、ずっとずっと後、彼女と別れてから、なんである。
ある日マリエちゃんは仕事帰りに自販機で飲み物を買おうと思った。小銭を落としてしまって、はいつくばって隙間から腕を入れたら取れなくなった(笑)。そこに行き合わせたのが、いかにも定職ナシって感じのカズである。彼女をまたいでフツーに缶コーヒーを買ったのにも噴き出したが、「助けてください」という必死のマリエちゃんのお願いに、飲みかけの缶コーヒーを飲ませたのにも爆笑!でもこういうところが女心をつかんだんだろうなあ……。
一生懸命引っ張ってくれるも、カズ君あわれ、腰をギックリやってしまい、結局マリエちゃんが「スゴいのあります!」と常備していたローション(爆笑!)を使って無事脱出。
マリエちゃんは、「私、マッサージ得意なんです」と彼を自分の部屋に引き入れ、「安静にしていなきゃ。泊って行ってください」と言ったとたん、「え?ヤラせてくれんの。やった!」そんなこと、言っとらんわー!!!でも、マリエちゃんの気持ちを実に正確に汲み取りやがったということなのかもしれない。
この時、マリエちゃんはもう、カズ君(そう呼んでいるあたりで……)にゾッコン。でも当のカズ君はのらりくらりとしていて、セックスの後のイチャイチャも「俺、そういうのキライ」とかハッキリ言ったりして、本当の気持ちが見えてこない。いや、彼は常に正直で、これが本当の気持ちだということなのだろう。
マリエちゃんはごめん、ごめんと謝ってばかりで、なんだか見ていて辛くなるところもあるんだけれど、カズ君がいかにもマズそうなマリエちゃんの手料理を「納豆は大粒がいいな。他は普通にウマいんじゃね?」とガツガツかっこむのにじーんときたり、しちゃうんである。実際、こーゆー男に女はヤラれちゃうのかもしれんなぁ、と思っちゃう。
カズ君は仕事をしていないという。マリエちゃんは自分が何の仕事をしているかを言えないまま、彼を住まわせる。つまり、ヒモである。
返済する筈だったお金をパチンコで使われてぼーぜんとしたりするシークエンスではもうダメかと思ったら、「ちょっと勝ったよ。ほらこれ、おみやげ」出てきたのは拝んだ手が欠けた釈迦像とリン!(爆笑!)チーンと鳴らして、どうしろっつーの!でも、こういうところが、なんか何とも憎めなくて、困っちゃうんだよなぁ!
ある日、カズ君は突然姿を消す。一緒に暮らし始めて二週間だった。マリエちゃんは自分の仕事を隠していたことが原因ではないかと思い悩む。風俗はキライだと、それは自分の母親がそうで、寂しい思いをしたからと言っていたから。
でも後に彼に再会して聞くところによると、そんなくだらないこだわりは持ってなくて、「それで母親はオレを育ててくれたんだから。風俗に行くヤツはキライ。風俗で働いているのは、それは仕事だから」と実に明確なスタンスなんである。こういうところが、彼の凄さかもしれないと思う。恥じていたのはマリエの方こそだったのだ。
不器用なタイプだから指名も多くないけど、ついてくれたお客さんは、プロポーズに至るまで彼女に惚れ込む。そのプレイはセックスではなく、マリエちゃんの豊満なお尻で顔に座り込んでもらい、死にかけて手足バタバタして、「マジ、走馬灯見たわ……」とか言うもんだから爆笑!
でも、「マリエちゃんとの未来が見えた。俺とマリエちゃんが結婚して、朝食を作ってくれてる。味噌汁と納豆と……」なんて台詞に泣けるんである。マリエちゃんが、「私、料理ヘタですよ」と思わず言うのは、その彼の言葉に思わずほだされたからだろうと思う。
彼と結婚しちゃいなよ!!と、愛されることこそが素敵!と思っちゃう女子観客の私は心の中で叫ぶが、でもマリエちゃんが好きなのはカズ君なのだ。好きだとも言ってくれない、それどころかプロポーズされたことを良かったじゃんと言い、その翌日に姿を消しちゃうようなヒモ男のカズ君なのだ……。
つまりね、カズ君は、奥さんもちだった訳。その前段階でマリエちゃんが驚いて、「カズ君、家あるの?」本音を言っちまった台詞には思わず笑っちまったが、でも確かにそういう雰囲気。
連れてかれた家は大豪邸、出てきたのは美人の奥さん。もう、なんだこりゃ、である。ここでもヒモ男だった彼にとっては、どうやらこういうことは珍しいことではなかったらしく、美人の奥さんは、マリエちゃんが覗いている(はいつくばって庭からのぞき込んでるマリエちゃんに爆笑!)のを確認して、ワザと旦那に誘いを仕掛けてくる。
この時の、美人奥さんの身体、お顔、とにかくすべてに、マリエちゃんは「キレイ……」と嘆息するばかりで、もうただ絶望して、逃げ帰るしかないのだ。
でもね、でもでも、カズ君は、マリエちゃんと初めてセックスした時に、恥ずかしがって電気を消して服を脱いだマリエちゃんにあっさりと、「なんだ、フツーじゃん」と言ったのだった。まさしくあの言葉こそが、マリエちゃんの心に火をつけたんではないかと、思った。
フツーになりたかった、のかもしれない。美人さんになりたいとまでは思わなくても。でも、フツーだよ、フツーだよ、マリエちゃんは、とても可愛いよ!あなたを好きな人はいっぱいいるのに、なぜカズ君を好きになっちゃうの……。
いや、カズ君も自覚症状がなかっただけで、マリエちゃんに本気になっちゃってた。てゆーのは、奥さんこそが敏感に察知し、わざわざマリエちゃんと夫婦の三人で海辺へ遊びに出かける。
率直に気持ちを言ってくれた奥さんに呼応する形でマリエちゃんも、きっぱりとカズ君に「結婚することに決めた」と、別れを告げる。でもそれが……「最後に、キスしてくれませんか。今までしてもらったことがないから」「そうだっけー??」
バカバカ、カズ君の、バカ!!キスしてなかったってことは、やっぱりそこに恋の心がなかったって、女子は思っちゃうよ!なかなか離れない二人のキスに奥さんがたまらず声をかけるけれど、それはやっぱり……ヤキモチだったに違いない。
「俺結構、好きだったのにな」などと、臆面もなく寂しがる言葉を吐くダンナに「ペットでも買ってあげるわよ」「おめーもひでーこと言うな」「どっちが」辛辣な会話ではあるけれど、これがこの夫婦の愛、というものなのかもしれないと思う。
結局、マリエちゃんは結婚はせず、そのお客さんの答えをしたたかに保留しながら、今も風俗嬢を続けている。同僚と店長との妊娠、結婚話なども、ピンク要素を上手く絡めてイイスパイスである。
ラスト、カズ君と再会する。てゆーか、まず子豚に遭遇するんである。ここ、これは……と思ったら、やっぱり、である!マリエー!!と呼ぶあの声!
「あっ、マリエ、久しぶり。マリエを、いや、豚のマリエを探してくれよ!」もー、もー、もーう!なんかズルい、ズルいズルい!!嫌いになれない、心を残してしまう。
でもきっと、マリエちゃんはここからドロドロになったりしない。笑顔満点で子豚のマリエを探しに駆けだす彼女にそう思う。頑張れ、頑張れ!!そう言いたい。★★★★★
そう、この当時、なんである。製作年度を見てあれっと思っていたが、“諸事情で公開が遅れて”いたというんである。諸事情?キャストも監督もキャリアは申し分ないし、出来もいいのに諸事情??いや、世の中にはそんな埋もれた作品がごまんとあるのかもしれんが、清水富美加嬢の名前があることでふと、そのせいなのかなぁと思ったりもし……。
うん、やはり、そういうことらしい。スポンサー関係。難しいね。でも、あの出来事の後、彼女の出演作は特に問題なく公開されていたのになあ。そして、それがついに出切ったと思っていたところに、こんないい作品でいい芝居をしている彼女がまだいたんだ、という感慨にもとらわれる。
別に女優を辞めたということではなかろうが、でもやっぱり惜しいと思っちゃう。千眼美子なんかではなくて、女優、清水富美加としての彼女がまた見たいと思ってしまう。
実際、彼女目当てで足を運んだ人も多かろうと思うが、しかしその登場がずっとずっと後なのでじりじりとした、かもしれない。彼女は“誘拐”された幼女の13年後の姿である。本名は別にあるのだが、ジュニア氏演じる城宮にヨヨ子と名付けられ、彼女もパパやんと呼んだ。
彼の実家であるさびれた商店街の、実質業務状態をなしていない帽子店に、何年ぶりなのか何十年ぶりなのか子連れで現れた彼は、自分の子供だとヨヨ子のことを父親に紹介したけれど、数日前に出会ったばかりだった。
父親だって息子のウソを飲み込んでいただろう。死ぬつもりだった、と言って、実際その通り父親は自ら命を絶つのだが、その死が意味のあるものになったと喜ぶ。つまり、行方をくらます形で息子と“孫”に生活するための年金を受け取らせた訳である。
40男の引きこもり、年金の不正受給、虐待(ではなかったのだが)、幼女誘拐、偽の親子、臓器移植の順番待ち……現代のあらゆる問題をちょっと盛り込み過ぎかなという感はあるが、それは原作となったコミックスを一本の映画に仕立て上げるために、時に仕方ないと思える部分なのかな、という気もしている。
親の自殺を隠して不正受給、それを仲介した“父親の親友”の見るからに怪しそうな感じ(まぁ、石橋蓮司だからね(爆))それを城宮の幼馴染である婦人警官が不審に思う、とかいうキャラクター関係の独特さは、ちょっといかにもマンガチックかなという感は否めないのだが。優香嬢演じるような、幼馴染を心配するおせっかいな婦人警官、まぁいるだろうけど、なんつーか、いかにも青年漫画に出てきそうな感じなんだもん。
城宮はもともと、フィギュア制作で口を糊していた。その仕事でヨヨ子を育てられなかったのかなぁという疑問もちょっと残る。振り込まれた金額を確認するような場面もあったから、もうその仕事も厳しくなってきたということなのだろうが、それもヨヨ子を迎えてからのことだから、自分一人だけなら何とかなっていたということなのだろうと思う。
すべてがヨヨ子を救い出してから回り出した。自分の目の前に現れた、全身傷だらけの幼女を、なぜ彼は見捨てられなかったのか。ニートだったのに。自分のことしか考えていなかった筈なのに。運命の出会いということだったのか。
実際、城宮とヨヨ子の関係というか、城宮の目に飛び込んできたヨヨ子の姿と、迷わずその彼女を二階によじ登ってまで救い出した彼、という姿は、ロミジュリかラプンツェルか、運命の大恋愛にしか見えないのだ。婦人警官のマチが「本当にあんたの子?」と不審がるだけでなく、パパ友(と判明するのはかなり後の話)の中野英雄も同じ疑問を口にしたように、それは城宮が父親らしくないというよりは、何かこう……疑似恋愛のような感覚を思わせるのだ。
父親が娘を溺愛する、というのはよく言われる。そんな部分も入っているとは思う。そしてなんたって偽なのだから……でも偽が、本物になり、本物以上になることはある。この物語は、そういう機微をついているのだろうから……。
偽の親子、つまり名前もウソっこで、保育園に入れることとかできるのかなぁなどとヤボな疑問を持っちゃったらいけないだろうか(爆)。まぁとにかく、城宮はマチに半分だけ打ち明けて(父親が実は死んでなくて年金不正受給)、ケッペキな彼女にそれはあかん、働き!!と言われ、生花卸の仕事を始める。
花の仕事だから軽いと思っていたのが想像以上にキツく、それまではヨヨ子とのんきに遊べていたのがそんな時間も取れなくなる。後にヨヨ子の実母との対決となる時、彼女もまた夫の蒸発(この言い方もなんとも懐かしいけど)によって一人奮闘して子育てをしていることが判明し、この時点で城宮はもうちょっと、この母親の気持ちを慮っても良かったような気もする。
ちょっと中盤すっ飛ばす形でアレなんだが、つまりは城宮は、我が子が誘拐されるのを見ていながら手出ししなかったこの母親が、もう一人の子供、ヨヨ子の双子の妹が余命いくばくもない状態であることにかかりきりだったのよね。
で、ヨヨ子に辛い思いを強いていたことを許せず、「お前が臓器死んで臓器提供せい!!」とその手にかけてしまう、という展開なのだが、ジュニア氏の熱演が素晴らしいのでなかなか言いにくいんだけど、これは、これは、かなりムリがあるような、と思っちゃう。
映画版として見ている限りでは、ヨヨ子が、自分が死んで妹に臓器提供すべきだ、と思い込んで自らを傷つけ、母親にも殺してと頼み込み、追い詰められた母親が、ヨヨ子が誘拐されていくのを見ていても「正直ホッとした」と言うことの方が、なんか飲み込めちゃうんだもの。偽とはいえ、ヨヨ子と本物以上の親子の関係を築いた城宮が、彼女の心中をまるで慮らずに手にかけてしまうのが、哀しいという以上に短慮としか思えないんだもの。
でもそれは、アレかな。同じ親として、なんて考えないからかな。偽でも本物でも、親子はそれぞれが親子で、他と比べるものではない。大体、偽とか本物とか言うのが、私はキライだと、実子至上主義を憎むべきものだと、ここでも散々言ってきたではないか。
かなり、脱線してしまった。とにかく物語は、城宮とヨヨ子の、偽の親子関係が本物となっていく、何より城宮が、ヨヨ子によって大人となり、父親となり、していく物語なんである。
冒頭に言ってしまったけれど、ジュニア氏の父性ダダ漏れがヤバ過ぎる。かつての不良時代をマチにからかわれながら、ヨヨ子を正しい道に導こうと、ありがとうとごめんなさいは言えるようにと、ヨヨ子を慈しむ城宮が、彼女を叱り、抱きしめ、その背におぶう不器用な父の姿がたまらないのだ。
だってだって、気が強いヨヨ子だけれど当然まだまだちっちゃくて、ジュニア氏の胸に、その男の大きな手に、すっぽりと収まってしまうのだもの。あぁ、ヤバい!女子は自分に置き換えて見てしまうよ。男はマザコンと言われるが、女も根源的な部分でファザコンかもしれないんだなぁ。
ヨヨ子が妹のために死のうと思っていたことを知り、城宮はちょっと間違った方向で突っ走って、ヨヨ子の母親を殺してしまう。思えば、城宮の父もまた、息子と“孫”のために死んだのだから、ここにはその哀しき図式がくっきりと刻印されているんである。
13年が経つ。それは既に冒頭で示されている。何も語らず、獄中で13年を過ごしてきた城宮の元に、マチの元で育てられたヨヨ子がやってくる。彼女の中でもやもやとしていた、周囲から忘れろ忘れろと言われていたけれど、思い出したいという本能にかられて。それにかられて彼女は弁護士を目指して、京大法学部(!)に合格し、その通知を携えて“パパやん”に面会に来たのだ。いや、この時には、パパやん、ということさえ、思い出していなかったのに……。
これも映画の尺のツラさだとは思うが、いくら記憶があいまいとはいえ、自分の母親を殺した男に憤りを全く持たずに会いに行くというのも、ちょっと甘いかなとは思っちゃう。ただそれは、それまでも打たれ続けてきたジュニア氏の鬼気迫る芝居によって、ゆうゆうとかき消されてしまうのだ。それだけ彼はこの役と作品に、並々ならぬものを感じて、かけていたんだろうと確信するぐらい。
それを受けての清水富美加嬢がまた、素晴らしいのだ。私が弁護士になってパパやんをここから出す!と涙を流しながらきっぱりと言うヨヨ子、アクリル板を間に手を合わせ、「パパやん、つかまえた!」「鬼ごっこちゃうぞ!」と二人泣きながら言い合うエンディングに、素直に心打たれてしまうんだもの。
いやー、マジでジュニア氏、やばかった。彼はもっともっと役者をすべきだと思う。そんなしてないよね?それは全然、芸人と両立できないことじゃないよ。原田泰造みたいにさ!!★★★★☆
なもんで、後からの復習でなんとなく並べなおすんである。えーと、ベースは尾谷組と加古村組。言葉の端々に出てくる五十子会系ってのがずっと頭を悩ませていたのだが、加古村組ってーのがこの五十子会系の組だったとゆーことなのね(こんなことを観終わった後で判ってちゃ、ダメダメだ……)。
んでもって、この五十子会っつーのがこの現時点からさかのぼること14年前に抗争事件を起こしてて、それがえーと確か、尾谷組との抗争で、そこに役所さん演じる大上刑事が絡んでて、ってことだよね?あー、間違ってないかな、もう自信ない……(どーゆー感想文だ)。
いわばダークヒーローというか、やさぐれあくどい感満載の役所さん、勿論どんな役でも様々こなすし、何をやっても驚かないが、本作の彼は……あぁ、なんか、「シャブ極道」を思い出してしまった。
周りをアゼンとさせるほどの暴力的でハチャメチャな男で、勿論女好きでやりたい放題で、でも何か凄く信じているところがあって、なぜか憎めない、憎めないっていうか、なんか彼を頼りにしちゃう、そんな、さぁ。
役所さんの演じてきた役柄ではいくつも好きなものを上げることができるけど、その中でも一、二を争うのが「シャブ極道」の彼なのだ。この年は「Shall we ダンス?」よりもこっちでの評価を上げる映画ファンも多かった記憶がある。それこそ凄く両極端だったから、余計に印象に残っている。
役所さんがもともと持つ、人好きのするところが、こういう極端なやさぐれ男を演じると絶妙なスパイスで心を持っていかれるのだ。それに何より色気のあるイイ男だしね!彼自身のイメージはシャイなのだけれど、役に没頭すればそれを蹴散らす、そのギャップがまたイイんである。
彼はつまり、対立しているヤクザの一方と癒着しまくって、敵方のヤクザの方をぶっ潰す、という図式、なんである。てゆーか、若手エリート県警本部からスパイとして送り込まれてきた“広大(広島大学)出の学士様”である日岡は単純にそう思い込む。
彼は判りやすく正義の男である。内偵のために送り込まれたことも、正義のためだと信じて疑わない。警察内部の保身のために利用されてるなんて、これっぽっちも気づいていないんである。
とゆーのも、大上はそりゃー、百戦錬磨だから、ヤクザと巧みに渡り合って警察内部で手柄を立てて、自分を蹴落とそうとする敵もいっぱいいるし、それはヤクザを駆逐するためには協力しつつも闘わなければいけない相手な訳で……。
そんなことは、“法に乗っ取って、ヤクザを撲滅すればいい”なんて青臭いことをホザいている日岡に通じる訳もなく。
日岡を演じるトーリ君、である。本作の彼のキャラクターは本来のイメージからそう遠くない、いわば誠実で青臭い青年、ではあるんだけれど、近い公開だった「娼年」といい本作といい、挑戦的な作品に飛び込んでいっているという点では、今年は彼にとって大きな飛躍の年になったのではないかと思われる。賞レースもにぎわせる気がして、楽しみである。
得意の空手を、殴るためにやっていたんじゃない、などと言って大上を呆れさせていた冒頭から、ラストもラスト、大上の仇を打つために豹変した彼のパンチは相手を殺す寸前にまで追い詰める。役所さんが最初から最後までハチャメチャな大上であり続けた、一貫していたのと対峙すれば、トーリ君演じる日岡の、成長と言うべきか、変貌と言うべきか、大上の後を継ぐヘンリンをチラリ、チラリと見せてくるのがスリリングで、そういうお年頃の俳優さんなんだなぁ、などと思っちゃう。
続々とビックネームだらけなので、すべてを言うのは無理に等しい(爆)。思いついた順に行っちゃおう。ヤハリ、音尾さんに言及しない訳にはいかん。白石監督のもういわばお抱え俳優ではないかと思われる。
ヤクザ役はもう何度か観た覚えがあるし、安心感のあるヤクザっぷりだが、なんたって今回は、真木よう子とのレロレロチューに大興奮なんである。あぁ、音尾さんが真木よう子と。出世したなあ(いや、音尾さんの方が先輩だし!!)。タマタマに埋め込まれた真珠を大上にカミソリで取り出されるシーンは圧巻。なんつーか、このシチュエイションだけで、音尾さん、一番オイシイわ、と思っちゃう。
音尾さんは、加古村組の下っ端で、真木よう子は尾谷組のシマでスナックをやっているママである。つまり、加古村組が出入りすべき場所ではないのに、石橋蓮司扮するボスともどもしれっと乗り込んできたから、勿論抗争を仕掛けて来たってことで、勃発しちゃうんである。
ママのカワイイ恋人ちゃん、尾谷組のタカシがノリみたいな感じでぶっ殺されちゃったから、彼女は鬼となった訳である。それは、14年前、彼女の夫が五十子会系に殺されたあの時と、きっと同じであったろう。もう彼女に憎い敵を殺させることはしなかった、ということだろう。
大上は、その14年前の殺人、結果的には抗争を集結させることになったその罪を、表向きには抗争の果ての犠牲、裏では自分がやったという流れにして、警察内部からも疑いの目を持たれていたんである。
で、音尾さんの話から大分ふくらんじゃったけど。その次は誰かなー。やっぱり白石組(ヤクザではない。監督組)の出世作に恐るべき芝居を叩きつけてくれたピエール瀧氏であろうか。彼は加古村でも尾谷でもなく、なんか関係あるんだかないんだか、みたいな、愛国精神だけは負けません!!みたいな、ザ・右翼団体をノンビリやっている男で、天皇陛下より猟銃ぶっ放す恋人の方が怖いという、まぁそりゃ、そうだろうが……。
彼もまた地の可愛らしさが怖さとのギャップを醸し出すタイプが、役所さんと似てるかもしれない、などと思う。
ザ・右翼のコスチュームや部屋中に貼られた旭日旗やら、そして時が時だから、昭和天皇崩御のニュースを食い入るように見ているとか、純粋なのかマニアなのか、なんかさ、ヤクザたちのまっすぐさとは違うんだよね。
ヤクザたちは自分たちのプライドのために闘う。彼は、天皇陛下と愛国のために闘う。まぁ、どっちも理解不能だけど(爆)、彼はプライドよりは大上の説得に応じる、のは、大上のことをより正確に理解しているからなのだ。
日岡は、彼から教えられるのだ。「大上さんは、ヤクザと癒着なんかしていない。ヤクザのことなんか、駒としか思っていない。堅気の人を救うためなら何でもする。だからみんな大上さんのことが怖いんだ」
なんかうっかりクライマックスな場面を言っちゃったな(爆)。いわばここがどんでん返し。ヤクザの双方から袖の下はもらってるし、14年前の殺人といい、黒い噂が絶えない大上に、日岡はただひたすら正義の目線で成敗!!と思っていた訳だからさ。あー、でも、まだクライマックスには早いのだ!!他の人、他の人。
ヤハリ最大のキーマンは、冒頭に殺され、物語通してずーっと探され続け、消された原因を探られ続ける、哀れなサラ金社員、上早稲であろうと思われる。演じるは駿河太郎。ずっとずっと行方不明の彼は、亡霊のように作品中に存在を発揮し続ける。後から語られるところによると、イジられて、その反応が楽しくて加古村組の馬鹿どもは、はした金を融通させ続けてきた。
彼ら言うところによると、「あいつ、本部の金に手を付けやがった」という、自分たちが追い詰めた結果なのに、あのバカが、という言い方をした。なんつーか……まるでイジメの図式のような気がした。暴走したアイツが悪いんだ、バカが、みたいな。
養豚場で、豚のクソを食わされて、指を斬り落とされて、許しを乞うても請うても、結局、結局殺される。これが冒頭で、その後も目を覆う惨劇は続く訳だけれど、結局この冒頭のシーンに勝るものは、なかったかもしれない。
あとは、んー、誰かなあ。やっぱ、日岡にスパイ作業を狂気的に強要する滝藤賢一氏かなぁ。あんな目ぇ見開いて、大上の日記を持ってこい、持ってこい、としつこく言ったら、いっかな青臭い日岡だっておかしいと思うだろ……しかしそここそが、滝藤氏なんである。
ビックネームの割にはそれほど印象が残らなかったのが江口洋介氏と竹野内豊氏。それは単に私の頭の覚えが悪いだけ(爆)。特に江口氏はボス役なのにさ、なんつーか、大上にたてつくも結局は言いくるめられて、三日は待つとか譲歩しちゃって。
で結局、大上が死んじゃうと、彼の遺志をついだ日岡に、反旗を翻される。それまでは暗黙の了解で、手下に刑務所入ってもらって、出たら組を持たせてやるとかさ、そんなの、口約束、口約束!確かにそれが通用した時代があった。
でも本作はそれが終焉する、つまり昭和の終焉の時代。それをまさにまさに象徴していた。日岡はそれまでの慣例など完全無視してボスの一ノ瀬(江口氏)を「確保ー!!!」し、まさにそれで、昭和は終わったのだ。
そう、これは、昭和の終わりの物語、なのだよね。携帯電話もない。ポケットベルがちらりと登場する、それだけにとどめるのが、ヘンに古臭くしないように配慮しているのだろうかと思う。缶ビールのプルトップが取れるタイプなのが、これぞ!と思って……。
日岡が大上に“美人局”とまでは言わないけれど、つまりは子飼いにするために女をあてがわれた、表向きは薬局の地味な女の子との、彼女の部屋での逢瀬に登場するアサヒの缶ビール。「買ってくる」と飛び出す先がコンビニではなく自動販売機というのもグッとくる。
そう、この時代は、コンビニは、なかったのだよ!!それで当たり前に生活できていたことが、今では信じられない。簡単に連絡は取れないし、情報もなくて、つまりカンタンにワナにはまっちゃえる物語性のあった時代だった。
それにしても、この薬局の女の子がわっかりやすいバブリーなハデハデメイクとタイトなワンピースで大上の墓参りに現れてネタばらしってのは、ヤボ過ぎる気がするけどねえ。
凄く丁寧に、説明してくれるのさ。判りにくい場面転換とかね。だから、判る、判る……と自分に言い聞かせてたんだけれど……結局これさね。ヤクザ映画は難しい!!★★★☆☆