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泣き虫しょったんの奇跡
2018年 127分 日本 カラー
監督:豊田利晃 脚本:豊田利晃
撮影:笠松則通 音楽:照井利幸
出演:松田龍平 野田洋次郎 永山絢斗 染谷将太 渋川清彦 駒木根隆介 新井浩文 早乙女太一 妻夫木聡 上白石萌音 石橋静河 板尾創路 藤原竜也 大西信満 奥野瑛太 遠藤雄弥 山本亨 桂三度 三浦誠己 渡辺哲 松たか子 美保純 イッセー尾形 小林薫 國村隼 窪塚愛流 後藤奏祐
そして何より、豊田監督自身が奨励会員だったなんて!知らなかった!彼の映画はデビューの時から追いかけているのに、本当に、知らなかった!今回だって、うわー、久しぶりの龍平君とのタッグだ、あの時はまだぽよぽよした少年だったもんなぁ、なんてテキトーな感慨に浸っていただけだったのに。
まさに劇中の奨励会員たちのように、もう死んだと、人生を否定されて、もう二度と将棋は指すまいとその世界を離れた人だったなんて。そして、瀬川晶司という奇跡の実話に出会って、豊田監督は二度と触れまいと思っていた将棋、その映画を撮ろうと思ったなんて。あぁ、なんかゾクゾクする。運命ってあるんだなぁと思う。
そう、将棋映画が続々だからさ。そのどれもクオリティが高かったけれど、今回もまた、違った味わいで、なんていうか、龍平君の独特の静謐な芝居が、将棋の味わいにとてもよく似合ってる。
しかし彼が登場するまでにはかなり時間がかかる。勉強もスポーツもほどほどで目立つこともなかった小学生時代のしょったんが、好きだという意識もなく熱中していた将棋が、目指すべき夢となるところから非常に丁寧に描かれる。
松たか子扮する小学校の先生が、それを明確に肯定する場面が非常に象徴的で、ホントにこんないい先生いるんかいなと思うぐらいだが、後にしょったんがプロ編入試験に挑む場面で、ドラえもんのハガキを送ってきてくれるエピソードがあるんだから、これはホントなんだろうと思うと、めっちゃうらやましく思う。
自分のことを、それも小学生時代の自分のことを覚えていてくれる先生なんて、いるだろうか。特に目立つ子ではなかった筈のしょったんだが、このクラスの担任に彼女がなった時に、一人一人の児童に自己紹介をさせる際、その人となりを引き出さんと丁寧に質問して時間をかけて自己表現をさせている場面が凄く、印象的だった。
自己表現。その最初はやはり、自分自身を言葉というツールによって説明することだと思う。自分が何者なのかを。どんな両親、兄弟、そして何が好きなのか、得意なのか。しょったんはその最初にはまだ、判ってなかった。将棋が好きだということが特別なことなんて思ってなかった。
そんな先生に出会えるなんて、奇跡だよ。勿論このタイトルは、将棋界の常識を破ったという意味での奇跡、なのだが、彼の人生の中にはひとつひとつ、奇跡が現れる。でもそれに、気づくかどうかなのだろうと思う。それが奇跡的なものなのかと、無意識にも気づいて従うかどうかが。
そして幼なじみが何より強力なライバルだったというのも、次の奇跡。お父さんが二人を連れて行ってくれた将棋道場の席主が「二人ともプロになれる」というぐらいの、それ自体が凄い奇跡だと思うし(だって、奨励会に入るのだって大変な上、プロになれるのはその中の3パーセント以下だっていうんだから!!)、実際、この幼なじみの悠野も奨励会に挑戦することはなかったものの、後にアマ名人になるほどの実力だったんだから、その席主の目に狂いはなかったんだろう。
席主を演じるのはイッセー尾形。大好きイッセー尾形。この作品にはもう一人大好きな役者さん、渋川清彦がしょったんの先輩棋士として登場していて、もうその人懐っこいイイ人オーラに涙が出てしまいそうだが、ふっと、この二人、凄く似てる!!と思った。
あの、無防備な、相手の警戒心を100%といてしまう子供の様な笑顔、ソックリ!!!多分、同じ作品で二人を同時に見るのは初だと思う。別にそういうつもりでのキャスティングでもないと思うが……。
しょったんと悠野に目をかけ、悠野が「これに優勝できなければ奨励会は受けない」と悲壮な覚悟で挑んだ中学生名人戦に連れていくエピソード。
奇しくも二人が一回戦で当たってしまってしょったんが負け、悠野も決勝で負けてしまうという、もうなんともはやな結果の後のたまらない雰囲気の電車の中、「俺も棋士になりたかった」と初めてその気持ちを吐露し、電車を降りてその窓をばんばん叩いて、「頑張れよ!!」と精いっぱいの笑顔を見せる。
車中から頭を下げて見送る二人が見えなくなると、くしゃくしゃと泣き顔になって、ごめんなぁ、と……。
何も、何も彼が悪いことなんて何にもないんだけれど、二人の運命が、人生の運命が、ここで決定してしまったこと、別れてしまったことを、その場にただ一人の大人として居合わせてしまったこと、なのだろうか。
その後彼は道場から姿を消し、その後しょったんが奨励会に入って渋川清彦演じる先輩に出会うから、入れ替わりじゃないけど、別にあの席主おじさんが死んだ訳じゃないし(爆)、ちゃんとその後、しょったんのプロ編入のニュースに驚く場面で出てくるんだけど、なんかその、あの笑顔があまりに似ていて、その人懐っこさもあまりに似ていて、個人的な思いだけなんだけど、凄くグッときてしまったのだ。
それは、しょったんには、彼は確かにとっても大変な思いをしていくんだけれど、入れ代わり立ち代わり、彼を理解し、支える人がいるんだということの象徴のようにも思えたのだ。
近しい親兄弟、友人はもとより、しょったんに淡い思いを寄せる喫茶店の女の子(萌音ちゃん、カワイイ!)や、プロになれず退会し、ゼロになって無になって、資格も何もない自分を雇ってくれた会社の上司(板尾創路)や同僚の女の子(石橋静河)や、すべてのすべての人たちが。
それもまた一つの奇跡で、こういう奇跡に無意識にも気づけるかどうかで、本当の奇跡の実現が起こるかどうかだと思ったり。
親兄弟。両親は國村隼と美保純。あ、じゅんつながり(爆)。なんたってお父さんは最初に道をつけてくれたから、「好きなことを仕事にするのが一番」と最後までしょったんを応援してくれる。
ただその優しすぎる感じは確かに現実的ではなく、しょったんのお兄ちゃんが現実的に、年齢制限ギリギリまでいたらその後がままならないから早く見切りをつけろとか、実際年齢制限が過ぎて退会となり、呆然と何か月も時を過ごすしょったんに苛立ちを募らせたりする。
ちょっとありきたりというか、ベタな感じはするというか……お兄ちゃんのこの立ち位置は、世間的なもの凄い一般的な感じだよね。優しいお父さんとあまりに180度違うというのも、記号的な感じがするというか。そしてそのどちらに与することも出来ず、ただ見守るしかないお母さんというのも。
それが美保純というのもね、彼女は最近母親役が多いけれども、年齢的なことでそうなっていくのだろうけれど、なんか惜しいというか、もったいないというか、美保純ならもっと彼女ならではの役があるんじゃないかと思うが、この年齢の女性のキャラクターで、彼女に似合う役が登場する映画がないということが、問題だなーというか。
ちょっと脱線してしまった(爆)。とにかく、みんな、しょったんのことを愛しているから、なんだよね。奨励会にいる時も、同輩たちがしょったんの家に無断で上がり込んできた。しょったんは優しい。でもそれが、何度もあった筈の四段昇格のある場面でも作用してしまったということなのか。
対戦相手がお腹を壊してて、ぎゅるぎゅるいってて、トイレに走った。その待ち時間の間を、しょったんは待ってしまった。いや、実際に、指すべき手を見出せなかったのかもしれない。そういう描写にも見えた。ただ、それを傍らから見ていた同輩にはそうは思えなかった。「なぜ指さなかったんですか。……四段になれたのに」
同輩たちには同年代キラ星スターたちが大挙登場する。染谷君は、それこそ将棋映画の大メジャー、「3月のライオン」での病弱おでぶおぼっちゃまが即座に思い出される。「なぜ指さなかったんですか」と言ったのが永山絢斗君、早乙女太一に新井浩文、豪華だなー。
つまぶっきーが、早々に自分の才能のなさに絶望して去っていく役で、かなりチョイなのだが最後まで忘れられない印象を残すのはさすがである。
負けてくると、周りに人が集まらなくなる。辛辣だが、しょったんに関しては、それは当たらなかったように思う。それが彼の優しさ、人徳だったのかもしれないが、ある意味しょったんはそれに逆に甘えて、昇格できないかもしれないという怖さから逃げて、仲間たちとパチンコやら競馬やらと遊んでしまった。
そして退会ということになって、理解してくれた父親が不慮の事故で突然死んでしまった時、「本当は、将棋をそんなに頑張ってなかったんだ。ごめん……」と慟哭するシーンは痛烈だった。奨励会という戦場でお前は頑張っていたと、理解を示してくれた父親に、言えなかった後ろめたい気持ち。
この後、である。永遠のライバル、幼馴染の悠野と久しぶりに対局した。幼い頃通っていた道場にも再び通うようになった。年配の男性に負けたりした。負けたのに、楽しかった。楽しくてたまらなかった。将棋って面白かったんだな、とつぶやいた時、悠野は言った。何言ってんだ、ずっと面白いよと。
そしてこの年配の男性、小林薫演じる藤田が何より、しょったんの中にある、将棋が好きだという気持を見つけ出し、それを喜び、彼の強さよりもその気持ちこそを重視するんである。
勿論、しょったんがその後、アマ名人となり、その立場で次々とプロを撃破していく快挙が後押ししたのはもちろんなのだが、藤田がしょったんをプロにしたい、プロになるべきだと、本人よりも強い意志で押し出したのは、その気持ちこそだったのだ。
そしてそれが、小学生の時それをこそ大事なことだと言ってくれた担任の先生の言葉にフィードバックするのだ。ここ、これは!!
プロに対して三勝すればプロ合格、という特例で、二敗までしてしまう、しかもその一戦目はテレビ中継でめっちゃ注目されたりして、こんなプレッシャーはなくて。
このあたりはエンタメ的な盛り上がりとも思われるが、好きだという気持こそを、この担任の先生のドラえもんのハガキや、幼馴染のライバル、悠野の激励から取り戻していく、静かに気持ちを取り戻していくのが、凄くいいなあと思う。
ドラえもんっていうのはね、まだ将棋が好きだという自覚もなかった最初の自己紹介の時、のび太を助けてくれるドラえもんが好きだとしょったんが言った時、先生がどんな時に助けてもらいたいの?と聞いた。その時は答えられなかった。
もちろん、ドラえもんが助けてくれるわけじゃない。彼自身がこれまで培ってきたことが、「大丈夫、道は拓けます」ということなのだ。ドラえもんは彼自身が引き寄せたこと、それを先生は、ギリギリのところで踏ん張って挑戦している教え子に伝えたいと思った。そういうことなんだと思うなぁ。
泣き虫しょったんと言いつつ、そんなに泣く訳じゃない。奨励会を退会することになった時も、呆然とはするけど泣いてはいなかった。父親を亡くした時はそりゃ号泣だったけど。
しょったんを応援するみんなが見守る中、見事三勝目を挙げて、悠野がテレビを見守りながら「しょったん、泣くなよ」とつぶやいた。しょったんは、泣いちゃったなぁ。
この特例が、奨励会で厳しく闘っている仲間たちに許される訳がないと思っていた、でもプロになりたいと思った。そしてその自分の思いを、棋士たちが多数の投票で支持してくれた。その想いに、なんとか応えられた。浪花節だよ、でもそれが日本人。彼を応援するライバル含めたみんなの笑顔がたまらない。
あぁ、なんとか見逃さなくて、本当に良かった!! ★★★★★
あの頃とはまた状況は大きく変わっている。恵比寿マスカッツという一般的にも認知されるアイドルユニットが現れ、本音を語るAV女優たちが続々と登場している。
よんどころない事情、やけくそになって飛びこんだ世界、ぼろぼろになっていく女たち、そういった、私たちがついつい期待するAV女優像というのは、それこそ7年前ならば有効に働いたのだろうが、今は少し、違う気がしている。
しかも似たようなネタの作品も次々と現れている。ついこの間も「最低。」がそうであった。本作に少し物足りなさを感じたのは、そのせいかもしれない。
とはいえ、7年前に撮ったのが佐藤監督なら、同じピンク四天王の一人、これはカタカナの方のサトウ監督だっていうのは、まるでシャレみたいである。
そして今回は、原作がAV女優へのインタビューが元になっているという、そのインタビュアーを通しての物語となっているところがミソなんである。
てゆーか、そのインタビュアー、志村こそが主人公の一人、と言った方が正しいかもしれない。吹越満。女房にアイソをつかれ、愛娘にもろくに会えないやさぐれた男がめちゃくちゃピッタリである。無精ひげがこれほど似合う人もいないだろうと思われる(爆)。
彼は冒頭、「散らかってるんですけど」というレベルではないAV女優の部屋に足を踏み入れ、顔をしかめるのだが、昼飯にコンビニの焼そばを秒速でかっこむ彼の生活だって、大して褒められたものではない。
本当は社会派の仕事をやりたいのに、二束三文のAV女優インタビュー記事を切り売りして生活している自分に嫌気がさしている……と言ったら、AV女優に失礼なのだが、まさにそここそが彼の本音。インタビュー相手には真摯な生き方に尊敬しているなどと言いながら、心の中ではケーベツしまくってる。
と、いうのを、見抜いたのが、インタビューされる側のAV女優、女側の主人公、葉菜子である。と、いうよりなぜだか志村がいつものアイソづかしを忘れて、ふと口にしてしまったんである。
もうそういうの、聞き飽きたんですよ。ウソついてますよね、社会の底辺だって思ってるんでしょ、本当は誇りなんて持ってないんでしょ。……プロのインタビュアーならそんなこと、言う筈がない。しかもその中には彼の本音がたんまり盛られていて、葉菜子がそれに感づかない訳がない。
尊敬しているなんて、志村さん、ウソついてるでしょ、社会の底辺だって、思ってるんでしょ。そりゃ彼がそう言ったんだから、そのまんまだ。彼女が特に鋭敏な感覚を持っているからじゃない。志村がなぜ葉菜子にはついついそんなことを、彼の本音を言っちゃったかってことが、重要なトコなのだ。
つまりは志村はそれまでは、あくまで読者が興味を持つネタとして、イロモノとして取材対象を見ていたに過ぎなかったということなんだろう。これまでのAV女優たちにだって、その気になればいくらだって掘り下げられる女たちはいただろうが、彼はそうしなかったし、する気もなかった。
葉菜子を取材対象として選んだのは、志村自身だった。60代の熟女女優よりかは、というような理由だったけれど、恋人も家族も公認、というところに引っかかったのだろう。家族に胸を張って言える仕事がしたい、葬式の時に飾れる本が出したい、それが彼の切なる思いだったから。
仕事に対する想いというより、恋人も家族も公認、というところこそが葉菜子のウソだった。
仕事場の様子は、実に仕事!という感じで、リアルに描かれるのが興味を惹かれる部分でもある。メガネ地味系女性スタッフが「ちゃんと海綿入れた??」とダルそーな巨乳女優に声をかけたりするのが、ああ、なんか現場っぽい!!とか思ってワクワクする。
葉菜子はつまりは売れっ子女優としてそこにいる。家族も公認、というところは確かにウソだが、恋人には公認、というのはホント。
というか、ヒモ状態の彼は、「ハナちゃんの好きにしていいよ」と言いながら、今まさに稼ぎ時の彼女の仕事を、彼氏としてはなかなかに厳しい仕事内容だと思うのに、なーんとも思っていない。
それどころか、稼げるときに稼いどいた方がいいよ、いつでも辞められるんだから、とおだやかな、優し気なお顔で言うんである。めっちゃ理屈の通った台詞だが、その仕事内容を考えると……などと思ってしまうことこそが、志村と同じように、仕事として見ていない、こんな仕事をするなんて、という見下した感覚なのかと突き付けられて慄然とするんである。
スタッフ女性が「それって優しいって言わないですよ」というのはまさにその通りだけど、だからといって、働かないことがヒドいことであるというのは、今の時代はちょっと通らないかなあ、という気がしている。
だって彼は家事を完璧にやる訳だし、葉菜子に弁当まで持たせるまめまめしさでさ、ウワキをしている訳でもないし。そんなこと言うなら、主婦の価値観を否定することになるじゃない、と思うが、いまだに、なかなか世間は、そこまで成熟していないらしい。
ただ、葉菜子がこの仕事を続けているのは、大学の奨学金を返すためということもあるんである。母子家庭ということもあろうが、親は葉菜子にまったく顧みることがなかった。妹の方は溺愛していた。AV女優の仕事が知れた時、彼女は勘当されたが、それは初めての反抗の結果でもあった。
妹が訪ねてくる。いかにも甘やかされて育ってきた妹ちゃんである。それだけに何かモヤモヤしたものを抱えているらしい彼女は、学校もやめてしまって、お姉ちゃんの財布を物色して、服も勝手にあさって持っていっちゃって、新米ホストに入れあげ、お姉ちゃんの保険証であちこちカード作っちゃって、実に200万以上の借金をこさえてしまうんである。
この姉妹の関係に、ふと「ラヴァーズ・キス」を思い出してしまった、のは、私もなんだか古いですけれども(爆)。押さえつけられてきた姉、自由奔放に愛された妹、私のものを全部持って行った。服もバッグも星の王子様の絵本も。
妹は、だったら取り返せば良かったじゃない、と反論するが、それが出来ないのが姉というものなのだろう。まぁ、そういう姉妹関係じゃなかった私としては、なんかよく出てくるこーゆー上下関係に、これを一般的としてほしくないなあという気もしているのだが(爆)。
ただ、きっと、妹ちゃんは、母親と一緒に暮らしていて、息が詰まっていたのだろう。それは、自分は確かに愛されているけれども、親は恐らく、いや確実に、勘当してしまった姉のことを気にしている、それをひしひしと感じているから。
新米ホストと妹ちゃんは後に再会し、なんか駆け落ちっぽく彼女は家を出ちゃう。その先が、音楽なんだか政治活動なんだか、なんかそんなところに連れ込まれちゃって、妹ちゃんはどー考えてもそういう意識のある女の子には見えないし、これから彼女がどうなっていくのか、ちょっと判んないところが怖い。
AV女優がターゲットとなっているのに、いわばフツーの女の子である、何も目的も見つからずプラプラしている妹ちゃんこそが、きっかりと印象を残しているのは、意図的なのか。
志村が、セックスを売りにしているだけだと軽蔑しているAV女優たちは、そのことを充分判ってて、てゆーか、判ってなければそんな仕事はできないもの、だから、プロなのだもの。
本作の重要なトコは、ここにこそあったのかなぁ。生きていくための手段、目的、術、それがないクセに、志村も妹ちゃんも、そして母親も、AV女優という職業を糾弾する。ただ、物足りないのは、AVという業界、その需要があるからこそ、ということであり、そこを描いた作品を見てみたいという気持はあるんだけれども。
ある事件が起こる。高齢者施設に放火し、20数人を焼き殺したのは、その施設の元スタッフの男。当然、相模原のあの事件を思い起こさせる。高齢者施設、というのに志村が敏感に反応したのは、介護の問題をライフワークにしたいと思ってて、つまり、こんなイロモノ仕事じゃ終われないと、企画を持っていくもハネられていたんである。
奇しくも彼の望む仕事が、残酷な事件の発生で得られた。憤りつつもどこかイキイキとしている彼に、特にイヤミという訳でもなく声をかける編集者、川瀬陽太氏が絶妙である。ピンク四天王監督の作品なら当然彼は出てきてしかるべきだが、最近は数ある作品に印象的に出てきてくれて、とっても嬉しい。
その取材に同行するのが、ハスキーな声とちょっとふくよかになった感じが色っぽい不二子嬢である。不幸だった子供時代、愛してほしいために猫を殺したエピソードは猫好きにとっては聞くに堪えないが、彼女がその記憶を捨てきれず持っているからこそ、何人もの人を殺した人間に対して、糾弾しきれない想いを抱えているのこそが、壮絶なんである。
勿論、命を奪うこととAVの仕事を同列に語るなんてつもりはない、ばかげているのだけれど、それを承知の上で、こんなエピソードを持ってきたのかなぁと。
人が誰かを糾弾する時、経験していないから、そんな事件を起こしたことがないから、そんな気持ちになったことがないから、……それは普通ではない、異常なのだと、常識を持っていないからだと、そう言うのはカンタンだ。
でもそう言ってしまったら、すべてが止まってしまう。議論することも、理解し合うことも、弁解も、許しも、何もかも、なくなってしまう。
志村は、ウソをついていると糾弾したし、これまでのAV女優をモデルにした映画も、どうしても悲愴さが付きまとう。AV男優のドキュメンタリーの傑作があったことも思うと、いつかはプロフェッショナルとしての作品が見てみたいと思う。
そういう点ではやっぱりまだまだ、まだまだ、日本は男女の格差があるんだよなあ。だって結局、AV女優は男性性欲の需要に対する供給に数も待遇も奴隷並みに供されている、っていう形なのだもの。★★★☆☆