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「ち」


2018年鑑賞作品

チェリーボーイズ
2018年 113分 日本 カラー
監督:西海謙一郎 脚本:松居大悟
撮影:沖村志宏 音楽:石塚徹 鈴木俊介
出演:林遣都 柳俊太郎 前野朋哉 池田エライザ 石垣佑磨 岡山天音 般若 山谷花純 松本メイ 岸明日香 馬場良馬 吹越満 立石涼子


2018/2/19/月 劇場(渋谷TOEI)
田舎町の男子3人が童貞を卒業するために奮闘する物語。人気コミックが原作だといい、これがデビューだという監督さんの意気込みも伝わるのだが、うーん、あんまり好きになれないのは何故だろう。コミックくささがいい意味に転化されなかったというか、ナンセンスさがあまり面白く感じられなかった。
例えばオナニーばっかりしてて乳首がでっかくなっちゃったとかさ、それを言っちゃあビーチク君のキャラクター自体を否定することになっちゃうんでアレですけど(爆)。

やっぱアレだな、女の子のキャラクターが、男子マンガだからなのか、どうにもリアリティに欠けるのが一番の原因かも。キャラクターというか、心情、かな。
んなこといったら女子マンガにおける男子はそれ以上にリアリティに欠けまくりだろうから(昨今のティーン恋愛マンガの映画化ラッシュは、男子君たちに苦々しい思いで受け取られているかもしれない……)そんなこと言ってもしょうがないんだけれど。

もう25歳にもなる童貞男子は三人。劇中ではずっとあだ名で呼ばれるから、あんまり言いたくないあだ名だが、
それで記していく。クンニは東京に出て音楽活動をやってた……というのもウソで、父親の病気を機に酒屋を手伝うために帰って来たというのは、それを言い訳に逃げ帰って来た、というところなのかもしれない。

ヘタレのくせにやたらプライドが高く、童貞三人組の中でリーダー……というよりいじめっ子ボスのように吠えまくるクンニが林遣都君だということに気づくまでに相当に時間がかかった。……私はいつまで経っても「バッテリー」の美少年のイメージが抜けないんだな。もう10年(!)も経つのに。
今や彼はカメレオン俳優ばりに変幻自在な役柄をこなすという。なんか、あまり観る機会がないまま突然、無精ひげでイケてなくて高圧的なヘタレ童貞、クンニを体現している彼に遭遇したもんだから、あれ、これ誰、うそ、なんか似てるけど……えーっ!!みたいな感じで、本当に、ビックリした。いやー……今さらだが、彼はイイ役者だったのね。

その点で言えば、風貌まんまの童貞君、カウパーを演じる前野朋哉には何の違和感もない(爆)。童貞役と言えば、彼を初めて見て、その監督さんとも初めての遭遇で共に衝撃を受けた「終わってる」を思い出さずにはいられない。
でもカウパーは他の二人に比して女の子との接点がない訳じゃない。仕事先の可愛い女子に気さくに話しかけられ、悪くない雰囲気である。でもきっと他の二人を出し抜くことはないだろうから、どういう展開が待っているのかなぁと思っていたのだが……。

もう一人は、私は初見のような気がする。ビーチクを演じる柳俊太郎君である。イケメン……だが、なんか微妙にズレている風貌がビーチクに絶妙にマッチしている。
特殊メイクで作られたであろう、ツマミのように長く突っ立っている乳首が彼の最大のコンプレックスである。それをいまだにイジメられている町のボス、プーチンにムリヤリ出させられて、女子たちに失笑されるという場面は、あまりに痛ましいが、あんな風に失笑する女子、というのが、先述したようになんかリアリティ欠けるんである。いかにも男子マンガに出てくる、性欲強い男子の隣にいるヤリマンという感じがする。

言い過ぎかな。でもビーチク君の職場の同僚も、そういう印象はぬぐえないんだよね。
でもそれはアレかな、ビーチク君、いや彼のみならず、童貞君やあるいは他の男子のメンメンが抱え持つ、女子への本能的な恐怖というか、男としての自分を否定される恐怖が具現化したものなのかも。

ヒロインは、トンでもない名前である。釈笛子。苗字と名前を分ければ普通?にあるが、この苗字でこんな名前を親はいくらなんでもつけないだろう。
当然というか、キャラクターもあいまって、あだ名はフェラ子。彼女のフェラにどれだけ耐えられるかという男たちのゲームに金をもらって受けている彼女は、当然風俗のヤリマンだのといったうわさが絶えないが、実は純粋乙女なんだというんである。

なんだそりゃな設定である。だったらあんなあからさまなミニスカや、胸の谷間の見える服を着るなっちゅーのである。いやいやいや、フェミニズム野郎の私が何とゆー、古臭いことを言っているのだ。
いやでも、このファッションはあまりにも判りやすくヤリマン女を指しているんだもん。でも純粋乙女なんだよ、というギャップこそが、あまりに単純すぎてバカバカしいと思ってさあ。

笛子は片思いしている。町の皆に連続レイプ魔だとか連続殺人鬼だとかウワサされて恐れられている、ゴキというあだ名のターミネーターみたいな(というのは、プーチン言うところ。ピッタリ……)ハードな男である。
でもギャップというか、大型バイクにネギがのぞいているレジ袋を提げてたり、軒下の捨て猫にエサを運んでやっていたり(ベタだなー)、笛子の恋心を盛り上がらせるには充分な男なんである。
「買い過ぎた」と彼からもらったじゃがいもで肉じゃがを作る笛子。肉じゃがて。ああ、ベタ過ぎる。それを彼女に恋するクンニにもおすそ分けしちゃう。ああ、そりゃ好きになる。なんと単純。

童貞三人組は、いまだにいじめっ子たちからボコボコにされるし、自分を変えたいと思う。いや、それを強く思ったのは、何より笛子に恋しちまったクンニだろうと思われる。
童貞を卒業するために、どうせセックスが好きなヤリマンなんだからレイプしても喜ぶだろうってなランボーな理由で、笛子をターゲットにしたのは、そら当然笛子のことが好きだから、笛子とセックスしたいから、笛子で筆おろしをしたいから、というクンニの想いであろう。

その点では彼は、セックスするなら処女と、という気持をぬぐい切れなかったカウパーとは決定的に違ったのだ。カウパーは自分にも好意を寄せてくれていた同僚が赤ちゃんを抱いてきたことにショックを受ける。ショックを受けた自分にもショックを受けているんである。
つまり、「俺、やっぱり処女がいいよ」てな台詞を吐く訳である。これには、こちらこそがショックである。カウパーが言う台詞の真意は、初めての相手なら、ということなのか、それともセックスをするなら、という意味なのか。

クンニがレイプ作戦を開示した時、カウパーが処女にこだわったことに対して「処女はもうこの世から全滅してるんだよ!!」と言ったのには噴き出したが、処女性にこだわるか否か、というのがヤハリ男性の中にはあるのかと……今さらながら衝撃を受けるんである。
「勝手にふるえてろ」で、自分が処女かどうかを気にしているのかということに怒り、だったら一度セックスしたら捨てるのかと悶絶したヒロインに、なんという被害妄想だと思ったものだが、実際そうなのかと思ってしまって……。

クンニのお父さんが亡くなる。これがかなりのキッカケになるんである。
そもそも物語の冒頭で、起点となるべきこのタイミングのシーンが示されている。目出しマスクをかぶった三人が、笛子を狙ってビクビクしながら、もう後戻りはできないぞ、と覚悟を決めて、笛子に向かって車をスタートさせてゆく……。

結果的には実は腕っぷしの強い笛子に返り討ちにされるのだが、もうね、土下座して、なんとか、クンニだけでもと、友人二人は懇願する訳。それはさ……クンニがどうやら笛子にマジにホレてたことを判っちゃったから、なのだが、結局はそれこそクンニが出来ただけで(しかも笛子は全然感じてなくてしらけ顔(爆))、彼はその後を続けることができない。
本当のクンニになれたね!!と友人二人は訳の分からない盛り上げ方をし、クンニは男泣きに泣く。笛子は彼らを遠目に見ながら「ばっかじゃないの。」と言うが、ばっかじゃないのというところにすら到達していない。なんなんだー、っていう感じしかないなあ。

レイプ魔だとウワサされていたゴキのところに恐る恐る話を聞きに行った三人が、「レイプなんてサイテーなヤツのすることだ」と超絶マトモなことを言われ、追い払われる。
俺は和姦しかやったことないぞ、と、和姦と言う言葉がすんなり出てくるあたりが凄いなと思うけど(爆)。

劇中、彼らは中学生をカツアゲしている高校生を止めることができない。自分たちにそこまでの力がないと判っているからだろうが、カウパーあたりはさすがに良心がとがめるのか、「ごめんね!!!」と手を合わせて去っていく。
ラストシーンでは、カツアゲされていた中学生が小学生をカツアゲしている。それを「やってるな」とニヤニヤしながら近づく三人。そしてエンド。強いものに抗えず、抗ってみたものの大して抜け出せていない彼らに対比する形ではあると思うけど、あんまり気持ちのいいものじゃない。いやまぁ、これが現実というものなのかなあ。

しかしさぁ、25歳で童貞って、そんなに恥ずかしいことなのかな??てか、だったら処女は何歳まで許される??てかてか、三十代、四十代になってというのだって普通にいるだろうし、そういう機会がないまま終える人だっているだろう。精神的身体的なことも影響するだろう。
一昔ふた昔まえならともかく、現代でこういう、何歳で童貞だから処女だから、というのは、言ってほしくないというか、それ自体古臭い価値観のように思えちゃうんだよなあ。ピンとこなかったのは、なにより現代性がなかったからかもしれない。★☆☆☆☆


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