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「お」


2011年鑑賞作品

黄金のパートナー
1979年 98分 日本 カラー
監督:西村潔 脚本:長野洋
撮影:市原康至 音楽:来生たかお 高中正義
出演:三浦友和 藤竜也 紺野美沙子 吉行和子 芦田伸介 佐藤慶


2011/3/11/金 劇場(銀座シネパトス)
地震の起きていた日、観ていた二本目。今思えば何をノンキに続けて二本目も観ていたのかと思うが……余震も凄かったのに。
まあ、ここはその思いはおいといて書かなければ。実を言うと、この日お目当てだったのはこちら。だって友和さんなんだもん。私は何気に友和さん好きなのだが、ピチピチに若かったこの当時はまだ、役者としての評価は必ずしも高くなかったように思う。

この日、そう、それこそこんな地震が起きるなんてことも知るよしもなく、友和さんの映画観に行くんだ♪とルンパとしていた私に、百恵世代と思われる上司が、三浦友和は役者としてはあんまり上手いとは思わないなあ、などと言ったもんだから、私は思わずムンとしたのだけれど、でもムリはないかもしれない。
この当時はきっと彼は刺し身のツマならぬ、百恵のツマだっただろうからなあ。夫と書いて、ツマと読む、みたいな。

まあそんなことはどうでもいいんだけど。でも確かに、今の、くたびれたおっさんである友和さんの方が100倍素敵なんだよね。思えば私が友和さんひいきになったのは「悲しきヒットマン」からなので、枯れかけた色気にヤラれたクチなもんだから、彼が老ければ老けるほど、おっさんになればなるほど、なんだか色気がフェロモンがムンムン出てきて困っちゃう、と萌え萌えなんである。
大林監督が「なごり雪」で友和さんを主演に起用した時に、彼の老け待ちをしていた、という言葉がとても印象的で、大納得だったんだよなあ。大林監督は三浦夫妻ととても親交が深いし……。
ていうか、ていうかさ!本作の中で、サイパンに向かう飛行機の中にいたサングラスの乗客って、大林監督じゃなかった?え?違う?クレジットにも名前なかったから、やっぱり思い過ごしかなあ……。

この日一本目に観た「白昼の襲撃」と同じ監督さんだと知って、ちょっと驚く。「白昼の襲撃」はもう、ザ・ハードボイルドで、スターは出ていても作家的な匂いがしたんだけれど、本作はミステリでリゾートで美少女で、なんたって海底に10億のお宝が眠るという展開であり、めちゃめちゃお気楽系商業映画、なんだもの。そんなこと言っちゃっちゃ、商業映画の向きに怒られるか(爆)。
だけど、ホント、そんな雰囲気だったなあ。バディムービーとも言える、友和さんと藤竜也の、やたら「ファンタスティック!」を連発するコンビ芸?もネオン100パーセントって感じだったしさ。

そこに無垢な美少女が絡むってトコも、いかにもじゃない!しかもそれが、紺野美沙子!今やしっとりとした大人の女の代表みたいな彼女が、(ユニチカ)とカッコつきでキャストクレジットで紹介される、つまりもう、ピッチピチの新人で、まだ顔なんかぽよぽよと出来上がってない感じで、そう、だって、ほよほよとした眉毛なんて手つかずなんだもん!
でもほんっとに、可愛かったなあ。ヤハリ、後の彼女が予想される、しっとりとした影を程よく内包しながら、しかし二人の男に、この子を守らなければ!と思わせる純真無垢で天真爛漫さを十二分に発揮させてさ。
そう、結構スチャッと肩を抱いたり、二人は手が早そうに見えるんだけど、天使のようなこの子に決定的に手など、出せないんだよね。結局彼女が物語のラスト、死んでしまうことを考えても、ほんっと、天使だったよなあ、と思うのだ。

スイマセン、サラリとオチをバラしてしまったが(爆)。いやあ、その彼女を野辺送りにする二人の、友和さんはシンプルな二つボタンの喪服、藤竜也は三つぞろいで軽くボトムのすそが開いたスリムスーツという、二人とも鼻血が出るほどカッコよく、それを少し引きの場面で、歩いてくる二人を捕らえるのがめちゃめちゃ萌えるんだよね!って……もういい加減、全然判らんから。

ほんと、何ひとつ言ってないわな(爆)。まずキャラ設定。友和さんはフリーカメラマンで、海岸に停泊させているヨットで寝泊まりしている、てあたりがオシャレすぎるだろ!80年代を目前としているって感じが、するよなあ。
そう、私が子供時代ワクワクして見ていた80年代のアイドル映画やその後のホイチョイムービー、隆盛を誇ったトレンディドラマにつながるものを感じるんだもの。
藤竜也はスピード違反を取り締まる白バイ警官。半ばネタのように、いつものように友和さん扮する野口を取り締まるものの、その後には行きつけのバーで落ち合い、酒を酌み交わす。
そのバーのマスターが殿山泰司で、彼もまた二人ととても仲が良く、野口のヨットでオセロをしている二人の元に酔って乱入したりする。

そう、そこから物語は展開を迎えるんである。ここらでは見たことのないような美少女が、しかもなんか、マニッシュな男物のスーツを着て野口のヨットにマスターを訪ねてきたもんだから、男盛りムンムンの野口と江上(藤竜也ね)は舞い上がる。
この美少女、由紀子はヨットの無線がキャッチしたSOSに敏感に反応した。そもそもこのSOSのことで、野口や江上、マスターは盛り上がっていた。暗号のようなものが含まれていて、特定できないのだ。

由紀子はもと海軍だった父親が一ヶ月ほど前から行方不明だといい、何かあった時はこの店のマスターを頼れと言われていたという。彼女はサイパン生まれで、このSOSも恐らくサイパンからの発信だと思われた。
マスターは彼女の父親から聞いた、沈没した潜水艦に眠る10億のお宝の話を聞いていて、野口や江上ともども色めきたつんである。このSOSもきっとこのお父上からのものだろう、サイパンに行こうと一気に盛り上がるんである。

閑話休題。私、なぜか若い頃の友和さんって、短パンのイメージがあったんだけど、この映画を観ていた訳じゃないよね(爆)。なんかいつでも短パンなんだけど(爆爆)。まあ似合うけど……(照)。これに、白いソックスにスニーカーなんぞはかれた日にゃ、どうしようって思っちゃうなあ(何がよ)。
彼って今も割とそうだけど、当時は特に、カツラかよってぐらい、髪が黒々と固いから、なんともそれも、くすぐったくてね(だから何がだ……)。

だってさ、彼とバディになる藤竜也が、この時からやたらキマってて、カッコイイんだもん。いや、藤竜也はどちらかというとコメディリリーフで、ファンタスティック!を連発するのも彼の方であり、それを口にするたびなんか笑ってしまうんだけどね。
友和さんが若さゆえもあって、いや彼はもともとそうかもしれないけど、どちらかというと厚めの体格というか、若さゆえのムッチリさも加わっている体型なのに対し、藤竜也はスラリとしていて、しかし脱ぐと筋肉が見事に割れていたりして、赤銅色の日焼けも実によく似合ってて、勿論彼のトレードマークであるおひげも実にオットコマエで、やあっぱ、分が悪いんだよなあ、友和さんは……。
いやいや!彼は彼で、とても可愛らしかったけどね!ていうかさ、全然、若い頃から達者な役者じゃないのお。誰よ、ダイコンとか言ってたの(誰も言ってないか……)。

でね、なんたって海底のお宝を探すんだから、三人してダイビングする訳よ。その前に、ユキベエ(二人が彼女を呼ぶ呼び名)の真っ赤なワンピース水着のまぶしさに二人がクラクラ来ている場面なんぞも用意されていてね。
で、あのサイパンの美しい海、これぞ瑠璃色、これぞオーシャンブルーってな海に、せーのでダイビングするわけでしょ、わー、こりゃあ、ホイチョイムービーみたいだ、それにつながるようなスターのリゾート映画だわあ、と思っちゃうわよ。

音楽も実に爽やかだしね!そう、本作は全編、実に甘い歌声の歌がフューチャリングされてて、これって友和さんが歌ってるのかと、観ている時は思ってたのね。へえー、こんなに甘い歌声なんだ、と。いや、あんまり知らないもんだから(爆)。だって多分、友和さんって、歌とかも出してる、よね?
けど、ラストクレジット、ていうか、その前に、歌を歌っている来生たかおの映像が出てきて、ああそうか!言われてみればこの甘い歌声は来生たかお、言われてみればこの旋律も実に来生たかおじゃん、なんで私、判らなかったの!と……。

でもって、歌以外の、懐かしいながらもカッチョいい、じっつにクールな音楽を担当しているのが高中正義だと判ると、これまた大納得で溜飲が下がる。
そうだそうだ、この感じ、高中正義だよなー!当時は日本のフュージョンミュージックがすごく盛り上がった頃だもんね、いやー、今聞いてもメッチャカッコイイなあー。

で、やたら話が脱線しましたけれども(爆)。でも考えてみればさ、サイパンの地に来た最大の目的はユキベエの父親の行方を探すためであり、お宝捜しはあくまでその手がかりが得られるかも、という理由だけだった筈なんだけどなあ。スッカリそっちだけに熱中してるけど(爆)。
だってさ、ただサイパンに来ただけで「ユキベエが来ていることが判れば連絡を取って来る筈」って、どう判るっていうんだよ……。
いや確かに判ってたんだけど。そうした情報はしっかり父親はリサーチしていて、敵の襲来もリサーチしていて、娘が父親の居場所にたどり着いた時には、自殺に見せかけて殺されていたんだけれども。
でも、野口にも江上にも、そしてユキベエにも、サイパンに来ただけで父親がそれを察知するはずだなんて確証はなかった筈……じゃないのかなあ……。

そうなのよね。お気楽ムービーかと思いきや、もっとずっと大きな陰謀が隠されていて。終戦前後に運ばれた軍事物資を購入するために運ばれた金塊をめぐって裏切り行為が起こり、独り占めしようとした男が他の運搬人を殺した。
一人だけ、海に落とされた後、米軍の船に救われ、サイパンに逃げ延びた。
その娘がユキベエ。ほとぼりが冷めて、父親は復讐を胸に日本に戻ったけれども、逆に察知されて殺されそうになり、娘の前から姿を消した。
サイパンで生活していた時から打ち続けていたSOS。だからこそそのSOSが父親のものだとユキベエは判ったのだ。しかしサイパンで見たのは、変わり果てた父親の姿だった……。

で、ついに三人が発見したのは、その裏切り行為が示された航海日誌とフィルム。今は大学の理事長の座について、冨と名誉をむさぼっている神谷という男。
残されたフィルムに映された姿は若すぎて、今の姿と一致せず、糾弾の証拠にはならない。航海日誌に記されたのもイニシャルだけだし、何より今は行方不明の弟の名前を偽名として使っているんである。

しかし野口が、写真の中に決定的な証拠となりそうなものを見つける。戦争中に受けたと見られる右腕のケロイド。今もその痕が残されていることを押さえられれば。
神谷の家に押しかけるもコワそうな番犬に追い返されたりといったユーモラスな場面もありつつ。
そして野口は隠し撮り専門のフリーカメラマンとしての腕を遺憾なく発揮、静養中の神谷が孫と一緒に露天風呂に入っている姿をヘリコプターからカメラに収める。
こーゆーハデな展開も、じっつに……まあ、それはもう、いいか。

で、いいかと言っちゃったけど、こっからが更にハデで。
口止め料の5億円を承諾させて士気あがる三人、しかしマスターが殺されてしまうという衝撃の報復もあって、彼らは身の危険を感じながら、それでもあくまで復讐という名の冒険に向かうんである!
てゆーか、マスターが巻き込まれるってのはあまりに展開としてキツすぎて、そ、そこまでやらんでも……と思ったけどさあ。まあ最終的にユキベエも死んでしまうんだからアレなんだけど……。

そう、ジャマ者は容赦なく消す神谷サイドに果敢に立ち向かう三人が、巧みに自分たちのルートに従わせて金を運ばせるクライマックスはドキドキである。
ナビよろしく渡したカセットテープに吹き込まれた江上、藤竜也の軽妙な、つーかカルいナビゲーション、「おっと、無線は使わないで下さいよ」って、そんなん、こんなちょうどいいタイミングで予測できるか!いやあ、なんか、バブル直前だなあ(爆)。

交番の前で車を止めさせ、ワザとトラブルを演じてその間にエンジンの線を切り、まんまと金とともに逃げおおせる。
この場面ではじっつに溜飲が下がりそうになった……が、当然底で済む訳もなく、追いかけてきた無数の子分たちとの壮絶なカーアクション。そしてドンパチ。
なぜかそこにあったスポーツ用の矢で(なんであったんだろう……)相手を殺してしまい、呆然とする野口。

ユキベエの望みを受けて、漁船でサイパンを目指すも、いつのまにやら傷を受けていたユキベエは息もたえだえで、サイパンまではもたないかも……という事態になり、野口は桜島に寄港するのね。
ユキベエを助けたい一心だったんだけど、もう助からないと判っていた江上は怒って、彼女はサイパンの夕陽が見たかったんだ!て……。
で、そこで彼女は蒼白な顔で、二人の喧嘩を弱々しく止めて、そして息絶えてしまうのだ……。

彼女の美しい死に顔に紅をさし、そして漁船で曳航した小船に乗せられた彼女の遺体が海上で荘厳に燃やされる様。この日本では正直非現実的ではあるけれど、息を飲むほど美しい場面である。
そして、彼女の両親の墓、と言っても名前が書かれた木の柱が立てられただけの隣に埋葬される、その時の二人の、先述した喪服姿のあまりの色っぽさに声を失う訳さあ……。

てゆーか、ラストが衝撃で。ここで終わったって充分良かったと思うんだけど、野口と江上は神谷がやっぱり許せない訳でさ、神谷の自家用機にセスナでドーン!と追突して大炎上!おいおいおい!
てか、これってカミカゼ!?と思いきや、二人はしっかりパラシュートで脱出。いやいや、しかししかししかし……このラストは衝撃過ぎて、来生たかおの甘い声の映像が慰めのように?出てくるラストクレジット前になってもあんぐりあいた口はふさがらず、だってこれでやったぜ!って感じなんて!?

てかてか、あまりにビックリしすぎて、このラストの記憶がちょっと、飛んでたもん。今こうして書いてて、あれ、ラスト……ユキベエが死んでしまったあと、なんかトンでもない展開が待っていたような気がするんだけど、なんだっけ……とかもう、記憶が白くなってしまっていて、データベースとか探ってようやく思い出した次第(爆)。
憎むべき復讐相手とはいえ、メッチャ楽天的な表情を見せていたラストだったからさあ……。

でもとにかく、貴重な作品を見られて良かった。こんな大変な事態でノンキに観ていた私もアレだけれど(爆)。★★★☆☆


大鹿村騒動記
2011年 93分 日本 カラー
監督:阪本順治 脚本:阪本順治 荒井晴彦
撮影:笠松則通 音楽:安川午朗
出演:原田芳雄 大楠道代 岸部一徳 佐藤浩市 松たか子 瑛太 石橋蓮司 三國連太郎 冨浦智嗣 小倉一郎 でんでん 加藤虎ノ介 小野武彦

2011/8/19/金 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
今はなかなか望めない、日本的な、小さくも慎ましくも愛しく優しい、涙と笑いの佳作が、企画、主演の原田芳雄の急死というショックによって思いがけず大ヒットとなってしまったことが皮肉……ではないけど、なんとも言い難い。
正直、それこそ今時地味なパッケージだと思ったし、そりゃあ大スター総出演ではあるけど、映画ファンにとっては大スター総出演だけど、少々ベテラン過ぎるお歴々の総出演って感じもして、やはりそのう……現代に打って出る感じはしなかった。

その中では主演の原田芳雄は年をとっても色気タップリで、若手俳優からもリスペクトされるカッコ良さの持ち主で、テレビ作品にも積極的に出ていることもあって、そうした地味さと現代の観客との橋渡しをしている感があったんだけど、その彼が思いがけない急死。
そうなるとやっぱりやっぱり、この作品の印象が、現代における映画としては地味な感じを与えてしまった。

いや、そんなことを言ってはいけない。確かに愛らしく、好きにならずにはいられない世界観。小さな村で300年も続く村歌舞伎への誇り。その歌舞伎の舞台のクライマックスは、もちろん現場で見ることが一番なのだろうけれど、この大きなスクリーンにかけられるとやはり圧巻と思うし、これぞ映画、と思う。
でもそこに出ている人たちは、何年も、何十年も同じ役をやり続けている、言い方が悪いかもしれないけれど、役にも村にもしがみついている初老、あるいや老人のお歴々。

彼らの悩みは、若者がどんどん東京に出て行ってしまうことで、それは地方にとって共通のお悩みなのだが、それが特に解決されることもなく、彼らの青春と人生の満足でほんのりとまとまってしまうのが、ちょっと気になったといえば、気になった。
それが余計に、現代性を失わせている気がした。なんて、ナマイキだけど。

でもだって、さ。原田芳雄が死んじゃわなかったら、こんなにヒットしただろうかと思う。
確かに“現代性”はそこここに盛り込んではいる。前述した、地方高齢化の悩み、その中で地方伝統を続けていく苦労、痴呆症の配偶者を抱える悩み、性同一性障害の問題……。
でもなんかどれも、ふわーっと収まることもなく終わってしまったというか。いや、別に解決や結論を出すことが映画ではないとは思う。そんな説教くさい映画なんて見たくないしさ。
でも、特に、性同一性障害の若者を出してきたことが、いかにも“現代性”を打ち出して、そのままオワリって感じがしてさあ。

これは別に現代において急に出てきたことじゃなくて、ようやく認知され始めた、まだまだ途上の問題なんだけど、いかにも“現代の問題”として盛り込まれる。
彼、ではない、“彼女”はアッサリと村の若者に恋をし、「子どもの頃から自分の体に違和感があって」とか、その症状を医学的に説明するまんまの台詞がそれこそ違和感がある。
しかもその場面が判りやすく、女性用のパンティが洗濯機の中から見つかった時、なんてさ。

正直、“彼女”雷音の存在ってこの物語にとってなんだったの、と思ってしまった。今は特に、優れたドキュメンタリー作品もあるから、余計に雷音の描写が軽々しく感じてしまう。
主演の原田芳雄と最も絡む位置だし、印象も強いのに、解説にもキャスト紹介にも一言も名前が出てこないのも気になった。
なんか、そんな風に、駒みたいに置かれているだけな感じがしてさ。
そりゃあ雷音の存在をきちんと描こうとすれば、こんなことじゃ収まらないさ。好意を寄せる村の青年、瑛太君がその思いをぶつけられてしれっとしてるのもおかしいしさ。
でもだったら、なぜ雷音を出してきたの、って思ってさ……。

いや、もうそういうところが気になってしまうとどうしようもないからいい加減、話に行こう。
主人公、原田芳雄が演じる風祭善は、大鹿村でディア・イーターなる鹿料理の店を経営している。ディア・イーター、“鹿を食う人”って店名がふるってるよな、と思う。
そりゃあかの名画、「ディア・ハンター」が頭に浮かぶ、のは、ていうか私多分観てないんだけど(爆)やっぱそれなりに映画ファンに向けているっていうのが判って、嬉しい、っていうか……この場合はちょっとうっとうしいかも(爆)。
日本人にとってディアってのは鹿ではなく、親愛の情のdearを想起するのが殆どだもんなあ、それこそ「ディア・ドクター」のディアよ。そう、こっちのタイトルが頭に浮かぶ映画ファンだっているんじゃないかなあ。ちょっとね、そんなところでふるいにかけられてるかも、なんて思うのはヒガミだろうか(爆)。

テンガロンハットにサングラスが渋くキマっている彼は、しかし18年前女房が親友と駆け落ちしてしまったというトラウマを抱えている、のは後に明らかになること。
そこにバイトの面接に来るのが、これも後に性同一性障害と判る青年、雷音(ライオン)。
「勇ましい名前だな」「ライオンにもメスはいますよ」
この台詞からも、何より彼の雰囲気からも丸判りなんだけど、善はちっとも気づかない、洗濯機からパンティが出てくるまで気づかない、んだよなあ。

ま、ま。その話を蒸し返すとまた長くなるから(爆)。
んでね、その、親友と駆け落ちした妻と、その親友が突然帰ってくるのよ。妻、貴子は認知症を患い、善のことなどまるで判らない訳。
ていうか、駆け落ちした親友、治のことも判ってない。ていうか、ていうか(しつこい(爆))二人がごっちゃになっちゃってる。
治は恐らく、自分の元にいる時には、自分のことを善だと思い込む彼女をもてあまして、というか深く傷ついて、もうこれは天罰だ、と思って彼女を連れて“恥ずかしながら”帰ってきたんだけど、でも帰ってきてみると貴子は治も善もごっちゃなんだよね。
いや、治なんて人は知らないと言い、善さん、善さんなんだけど、治の好みの味付けの料理を出すもんだから善は激怒してしまう。
しかも貴子はまるで狂ったように何でも口に入れてしまって、乾麺のパスタまでバリバリ食べようとするし……そして食料品店で万引きまでする。
でもそれは、善さんが好きな塩辛。だからね、治は、やっぱり善さんのことが貴ちゃんは忘れられなかったんだ。落ち込む訳。

そう、貴ちゃん、そして善ちゃん、治ちゃん、なんだよね。三人がそれぞれを呼び合うのが。三人で仲良しだった青春時代がしのばれる、顔が赤らんでしまうような呼び名のまま。
善と貴子が結婚したのは村歌舞伎の共演がきっかけだったと思われるけど、それがなければ、例え二人が結婚したって、三人の友情は変わらない筈だった。
ていうか、善はそれを信じてたんだろうなあ。三人で鹿牧場を経営する筈だったんだもの。
牧場はどうしたんだと治から言われて、よく言うな!と善は激怒する。そしてそんな時にも、治ちゃんと呼ぶ。なんとも脱力するっつーか、仲良しのままなんだもん。

18年も駆け落ちしててどうやら子供には恵まれなかったらしい、とか、善が離婚届に頑として判を押さなかった、とか、彼らが青春時代のまま氷付けにされているための要素が、なんか都合良過ぎだなあ、とか、青臭いなあとか、まあそれが魅力ではあるけど……などと思う。
男子二人は、二人とも思いっきりいい年で、いい感じの初老の男の魅力を醸し出しているけど、決して枯れてないそれなんだよね。それもまた、現代性なのかなあ、と思う。
ちょっと昔なら、もうとっくにいろんな意味で隠居してたよね、と思う。この状況設定からしてそうだというのもあるけど、二人とも、特に若くして妻と親友に去られた原田芳雄は、男盛りを持て余したままここまで来た寂寥感と色気、そして同時に子供っぽさを併せ持ってて、ヘタな男盛り年齢の男よりセクシーで、現役バリバリな感じアリアリなんである。

一方の岸部一徳も意外と(!)そんな生々しさをたたえてて、いや、彼はなんだかんだ言って、結構そういう雰囲気を持ったまま年をとった、って役が多かったよな、とも思い……。
どうしようもなくなって貴子を連れて村に帰ってきて、18年分の住民税を請求されちゃったりして、友達の温泉旅館に住み込みで働き始め、風呂場をごしごし掃除しているシーンでいきなり全裸になって風呂に飛び込むなんていうシーンを用意されていたりしてさ。
いくつになってもハダカになれる男(男優)はいいよなと思う一方、なんかそれが無邪気な子供みたいな感じと、まだまだ現役の男の色っぽさの両方を感じさせて、母性本能を刺激させるのって、なんかなんか、ズルい気がする!

なんか、何を言いたいのか判んなくなっちゃったけど……あ、そうかそうか。彼らが青春時代のまま氷付けにされているって話か。
でもそれで言えば、認知症にかかっちゃった貴子もそうなんだよな。そんなドロドロのしがらみなど何もなかったかのように、新妻時代の彼女に戻って店を手伝い始め、老父にもこだわりなく会いに行くシーンなど、見ているこっちがハラハラする。
この老父、戦争の記憶も抱えて静かに暮らしている貴子の父を演じるのが三國連太郎で、原田芳雄らと親子のような年齢差なんてあったかなと思い、でも実際、あるんだよな……。
もうある程度キャリア重ねると、彼らっておしなべて重鎮だからさ、判らなくなっちゃう。でも、そうかそんな年齢差、あるんだよね。
で、原田芳雄の方が、息子のような年の差の原田芳雄の方が先に行ってしまったのか……。

おっと、それでいえば原田芳雄よりぐんと若い、こちらは実子、佐藤浩市も出ているのもなかなかに興味深い。
三國氏と絡むシーンはないけど、村役場の総務の女の子、松たか子にひそかに想いを寄せたりしててさ。
その松たか子は東京に出たっきりの恋人と、先の見えない関係を続けてるのね。それこそ先述した、地方高齢化の話よ。
この村にふってわいたリニア新幹線の話題なぞも出てくるのだが、それもなにかふわりと処理されてしまう。

松さん演じる美江が、村にアナウンスする場面でメール着信の音が鳴り響き「やべ」と焦ったり、基本的にこの村のことに関心がなさそうなのは“今風”だが、彼女の年齢なら「木綿のハンカチーフ」ぐらいは知ってるだろう……と思うのは、私が自分の年を認識しなさすぎ?(爆)。
「都会の絵の具に染まって帰ってこない恋人」を歌った善に「ヒドい」とショックを受ける美江、というのは、ちょっと彼女にワカモノを託しすぎのような気も(爆)。
いや、そんなことないか。それこそ雷音と“彼女”が思いを寄せる瑛太君というフレッシュな顔ぶれもある訳だから。
でも村の未来を託すべく若い二人なのに、性同一性障害という重いテーマを軽く乗せて、瑛太君はそれに対してさらりとかわして終わっちゃうし、なんだかなあ、なんだけど。

……だからそれはおいとくんだって。でね、なんだっけ。まあ色々あって(爆)、そうだ……本当に色々あるのよ。
リニア新幹線の招致でいがみあって、村歌舞伎に出ない!なんてゴネ出すメンバーが出てきて、村歌舞伎に命をかけてる善は説得にやっきになったりさ。
何より善の相手役となる女形の一平(佐藤浩市)が、台風の土砂崩れに巻き込まれて大ケガをしたことが最大の難関!
彼だけが歌舞伎メンバーの中で一人若いな、と思ってたんだけど、それもその筈、そもそもこの相手役を勤めていたのが貴子だったんだから。
思いがけず貴子が台詞をそらんじたことで、18年ぶりの善との共演が実現する。
ていうか、この台風で貴子は正気を戻したのね。だって彼女がこの村を後にしたのは、台風の日だったから……。

てな訳でクライマックスは歌舞伎の舞台で、治も黒子として舞台を手伝う。二人が舞台上でやりあう場面がマイクに拾われていたりとお約束な感じもありつつ、18年経って絆が途切れてないのは、善と貴子ではなく、善と治だったんだなと思う。
ていうか、ていうかさ、こーゆーのって、いかにも男の子(かつての男の子含め)な発想だよな、とも思う。大体が、お互いにちゃん付けで呼び合った時からそんな気はしてたけど、確かに貴子のことも貴ちゃんとは呼んでたけど、でも女の子は結構いくつになってもちゃん付けは許されるしさ。

男同士がこの年になってちゃん付けのままなのは、男と女以上の意味があるのよ。
しかも女が正気に戻るのはほんの少しの間。舞台が終わればまた“少女”に戻る訳でしょ。つまり少女なのよ、二人にとって、というか男にとって、女が理想なのはさ。
彼女が女に戻るのが許されるのは、別の男と駆け落ちを図った台風の日と、村歌舞伎の舞台という“ハレ”の状況だけ。
“ケ”だった18年間はまるで間違いだったといわんばかりの扱いで、また彼女は善も治もごっちゃになった、つまり二人とも愛してても問題ないような、少女っつーより白痴の無邪気さに戻っていく、なんてちょっと卑怯じゃないのお。
そりゃそれならば、善と治はいつまでも親友でいられるわさ。そんなの、ズルいよ。

……すいません。“女が白痴”な描写にはついつい過敏に反応しちゃうクセがあって……。
でもそれでいえばさ、雷音のおざなりなキャラ設定だってさ……いやいや、もうそれを言っちゃうとまた長くなるから(爆)。

個人的には雷音を演じた冨浦君がとても印象深く、リアルに女の子ちゃうの?と思うほどで、地元から通って役者を続けている彼のスタンスを知ったりもして更に興味深く、これだけキーポイントになりそうなキャラなのになにか投げやりにされているのも妙に気になり……。
そうなんだよな。結局彼に何を託したのか正直判らない。意味ありげだっただけに消化不良が強い。

好感が持てる世界観だけどそれだけに、なんか阪本監督らしからぬという気もしてしまう。
一見して判るような阪本監督の引き付ける強さがなかった、などと思うのは、イメージを押し付けすぎるのかもしれないけど……。
結果的に原田芳雄の遺作としての作品になってしまったのも、なんとも惜しまれる。★★★☆☆


小川の辺
2011年 103分 日本 カラー
監督:篠原哲雄 脚本:長谷川康夫 飯田健三郎
撮影:柴主高秀 音楽:武部聡志
出演:東山紀之 菊地凛子 勝地涼 片岡愛之助 尾野真千子 松原智恵子 笹野高史 西岡徳馬 藤竜也

2011/7/5/火 劇場(渋谷東映)
ストイックな東山紀之にすっかり魅せられてしまった。侍やのお、彼は。この役にぴったり。原作は読んでないけど、彼でやってしまったら、もう誰もやれない。臆するだろうな、とさえ思う。
近年やたらと映像化される藤沢周平作品だが、私は時代劇は得意じゃないのであまりフォローしてない。篠原監督がやはり東山氏で撮った「山桜」も観てなかった。

なもんで、篠原監督が時代劇というのも、東山氏も、とても新鮮である。いや、確かに東山氏はこれだけキャリアのある人ではあるけど、こと映画の世界においてはそれほど手垢がついてないから、この主人公には殊更にぴたりとくる。
篠原監督、その前作で彼に惚れ込んだのかな。そう思うほどに、まさにストイックが完璧な侍。
昨今時代劇映画は数多く作られるけど、せっかく世界に出すならこういうのを出したいと思う。これが侍なのだと、言いたいと思う。

そういやあ東山氏は過去に沖田総司をやってた記憶があるが、確かに彼の色白ですっきりとした顔立ちは、はかない沖田総司にも似合っていたけれど、なんたって彼は体脂肪率一ケタ!の美しい体を持つ人、静かに見えるがしなやかな生命力のある人、まさにこうした、静かなる侍にまあこれが、ピッタリなんである。
なんかもう、いくら賛辞を贈っても足りないほど、ちょっと最近、こんな、ああ、これが侍だ、と思う人はいなかったなあ。
こんなに見慣れた人なのに。余計な情報が何もない人みたいに見える不思議。

それはこの物語のシンプルさと、それを大事に映し出し、そしてその中に余計なものを持ち込まずにいる彼、といった、すべてが合致した結果だろうと思う。
そうなの、物語は驚くほどシンプル。正義を貫いてお上に睨まれ、脱藩した藩士を追う東山氏演じる朔之助。
その相手は奇しくも妹の夫。そして、親友とも呼べる剣の腕を高めあう相手。
もちろん、最初からそんなむごい藩命は下されない。最初に彼を追ったのは別の藩士だったが、その藩士が病気のためやむなく帰藩、互角に戦えるのはあとは朔之助しかいないと、命ぜられたのだった。
妹の田鶴は女だてらに剣術を極めた気性の激しい女性。手向かうであろう妹と、親友を斬らなければいけない苦悩を胸に、朔之助は行徳へと向かう……。

なんかこういう物語だと、あらすじを書くだけで、私ごときがちょっとストイックな書き方しちゃう(照)。
でも本当に、それだけの物語、と言ってもいいほどなの。まあ、田鶴を心配する、幼い頃から一緒に育った奉公人、新蔵が共をし、彼の切ない恋心が導くさわやかなラストに心洗われるとしたって、最初からどういうクライマックスでどういう結末が用意されているかは、隠すまでもなく、わざわざ予想するまでもなく、見えている。
しかもその道筋に、策を弄することなどもない。尺だってそれほど費やせないようなこの物語を、一本の映画としてカタルシスを与えるのは、実は相当難しいのかもしれない、と思う。
でも、ほんっとに、策を弄しなかったね。ある意味、相当度胸がないと、ていうか、肝をすえないと、出来ない気がするなあ。
こんなに静かに粛々と美しく、気持ちだけがりんりんと冴え渡っている映画は久しぶりに見た気がするもの。

その「山桜」を観ていないからアレなんだけど、なんだか久しぶりに、緑が美しい篠原映画を見たなあ、と思った。懐かしくもあり、やっぱりここだなあ、とも思った。
クライマックスの、親友と妹、それぞれと対峙する場面も勿論素晴らしいんだけど、尺的に割かれるのはそれまでの道中。
江戸の手前の行徳までの道行きを、朔之助に「ゆっくり参ろう」とわざわざ言わせるほど、山道の風景がみずみずしく描写される。

この「ゆっくり参ろう」という台詞は、新蔵共々親しく見知った人と殺し合いをしなければならない修羅、望む戦いではない、ということを示唆してもいるけど、この緑の美しさを映し出すためなんじゃないかという気もしている。
決して平坦な旅ではない筈。なんたって山道なんだもの。だけど鍛えられた侍である朔之助と新蔵は、まるで修行僧のような静かな顔でひた歩き、時には百姓の引く荷車が道にはまったのを手助けしたりする。
それでもその後は涼しい顔で歩き去る。小さな女の子を連れた母親に、にこやかに、しかし静かに会釈する場面もなんとも言えず印象的である。
町人からはお武家様と恐れられる存在であった筈の時代、その雰囲気を残しつつ、彼のストイックさは本当に美しいんである。

……そう思うと、武士の立場にあぐらをかいているような傲慢なタイプではない彼は、そして武士であることに誇りを持っている彼は、一番孤独な人であるのかもしれない、と思う。
町人からは恐れられる立場、だけど町人と馴れ合うようなことはしない彼は。
朔之助の親友、佐久間は、お上のずさんな農政にまっすぐすぎるほどに切り込んで、追われる身となった。その思い切った行動が農政の見直しにもつながったけれど、いわば捨石となることを選んだこの親友ほどには、純粋になれない。
「もっと他にやりようがあったのではないか」と朔之助は新蔵に吐露する。
あるいは佐久間の上司である家老たちは、巻き込まれるのを恐れて佐久間を見放した一面はあれど、でも新蔵が指摘した農政改革は理に適っていたから、お上に進言してそれが叶った。

ちょっと卑怯なところはあるけど、でも全てを投げ出した訳じゃなく……これが人間の正義の限界というところなのかもしれないし、彼らを悪く言うことも出来ない。
でも朔之助は……実は朔之助は、彼だけは、佐久間の親友なのに、何もしなかった、という思いがあったように思う。
そして新蔵という存在もある。幼い頃は本当に同等に育った。でもいつの頃からか新蔵は朔之助を若旦那様、と呼ぶようになったし、田鶴への想いも胸に収めた。
自分と身分が違うと理解して新蔵が距離を置いたのを、朔之助が寂しく思っていたに違いないのは、いつからか名前で呼ばなくなった、といった数少ない台詞からも判る。

そして恐らく、ていうか確実に、朔之助は新蔵の、田鶴への想いに気づいていたから……。
新蔵が自分も連れて行ってくれ、と頼んだ時の表情、道行で折々に思い出す幼い頃の思い出で、厳格な兄ではなくいつも妹は新蔵の言うことなら聞いていたこと、そしてそして、これは朔之助も知らない、妹の嫁入り前の二人の秘密……。
まあそれは別の話だけど、とにかく朔之助は信頼する新蔵に対してだって、町人と武家の隔たりを感じて孤独を感じていたに違いないんだよね。
そうそう、途中、佐久間と共に豪雨の中、田畑を守るために土嚢を積むシーンが回想されるのも印象的なんだけど、そんな風に真に民のことを思っていても、それでも彼らは、彼は……やはり刀をたばさんだお武家様、町人とは、違うのだもの。

……なんかかなり脱線したけれども。で、なんだっけ。えーと。
あ、そうだ、新蔵のことは記しておきたい。演じるのは勝地涼。見事に東山氏と対照的で、そして、見事である。
彼はそのキャラが生きてくるようになってから、本当にいいキャリアを重ねている。
劇中では明確に説明されることがなかったように思うけど、彼は奉公人、なんだよね?つまり町人だけど、朔之助の共をする時には彼も刀をたばさんでいる。
彼の純粋さ、いい意味での幼さ、そしてこれもいい意味での従順さが、この新蔵という役柄にこの上なくピタリである。
彼の、子犬のような困った顔を見るだけでキュンとしてしまう。たまらなく現代男子なのに、似合っちゃう。困ったな。

彼は幼い頃から“田鶴様”をお慕い申し上げているから、この次第に巻き込まれて彼女が死ぬことだけは避けたいと思ってる。
道中、朔之助から事の次第を聞かされて、正義を貫いただけで佐久間が討たれるなんて理不尽だと思っても、それでも、思うのは田鶴の無事だけなんである。
朔之助ともども田鶴の気性は心得ているから、夫が討たれるのに黙っている筈はないと彼も思い、その修羅場から遠ざけるべく、自分がまず彼らの居所を突き止めますと言うんである。
行徳に着いてからなかなか見つけ出せない新蔵を心配して、自分も捜すと言う朔之助をあくまで新蔵は押しとどめる。
……そりゃあ、朔之助だって、うすうす気づいてはいただろうけど、新蔵は見つけてから数日、そのことを黙ってた。彼女が留守にするルーティンを見極めていたってこともあるけど、でも見つけたことも黙っていたのは……。
「いつ見つけた」「五日になります」と聞いても朔之助がそれをとがめず、ご苦労だった、とひとこと言うだけなのが、おおう、サムライだ、なんとストイックだ!と思ってさあ。

新蔵が心を込めて田鶴を見守っている間、朔之助は旅館にて瞑想を深め、手ごろな木切れで素振りを繰り返す。……はあ、なんと東山氏は静寂なる美なのだろう。
半ばサービスショットのように、上半身裸になって水を浴びるシーンもあり、予想通りの美しさに思わず失神しそうになったが(爆)、それにしても、それにしてもである。

それまでの、道行の緑の、山の美しさ、行徳に着いてからの街の喧騒と、それと対照的に瞑目する東山氏の美しさにたっぷりと時間をかけただけ、佐久間と朔之助の対峙は、本当に久々に、鳥肌がたつ名場面である。
佐久間と朔之助は共に腕のたつ剣士だったから、御前試合の経験があって、その場面もまた息を呑む緊迫と美しさなんである。
ともに互角の戦い、一対一のまま、にわか雨が見舞って中止となる。木刀で、胴と面をぴたりと直前に静止する、つまり相手を叩きのめすのではなく、あくまで様式美としての剣の美しさが、この御前試合の回想でも際立っていたけれど、それが、実際に命の取り合いになるクライマックスで更に更に際立つというのはどうしたことだろう!
それまでもずっとずっと静寂のまま来たけれど、ことに山道の旅は自然の美しさの中の静寂に心洗われたけれど、その間に街の喧騒が挟まれた分、余計に……自然の静寂でもなく、街の喧騒でもなく、剣士同士の、親友同士の、心の奥底にしんと深まる静寂には、ゾゾウと鳥肌が立った。

東山氏ももちろんそうだが、相対する片岡愛之助はさすが歌舞伎役者と、単純ながら思った。東山氏の凄絶なるストイックに勝てるのは、やはりなまなかな役者では太刀打ち出来まい。
目の表情の作り方はいかにも歌舞伎役者という感じで、そこがまた涼しい東山氏と対照的で、熱い正義の人、佐久間が親友に討たれ、武士として望むべき最後を遂げる美しさを感じさせた。
最初に彼を追っていた藩士が病気で帰藩したのが、そんな彼の望みを叶えたような気さえして……。
一見、むごいように見える親友による、彼の妻の兄による討伐は、しかし彼が武士として死ぬる最高のはなむけだったんじゃないかって。

だからか。テーマ的には一番の盛り上がりである筈の、夫を兄によって討たれて、武家の妻として毅然と立ち向かう妹、田鶴と朔之助の一騎打ちのシーンは、その前の佐久間と朔之助のそれがあまりに美しかったもんだから、若干茶番のように見えなくもないんである(爆)。
再三、朔之助が「愚かな女だ!もう闘いは終わったのだ」と言うのも、まあ愚かな女を連発するのはかなーりマッチョだけどそれはこの時代としては仕方ないし、それに実際、見てるこっちもそう思っちゃうし(爆)。夫婦愛とか、夫の不実を晴らすとかに見えないのが辛いというか(爆爆)。
まあでも、それももしかしたら、計算なのかなあ。彼女に関しては、ずっとずっと思い続けていた新蔵とこの地で生き続けるという、最高のハッピーエンドが用意されているんだから。

彼女の嫁入り前のエピソードで、倉庫みたいな密室で新蔵の前でおっぱいを見せちゃうシーン(バックヌードなのが残念だが……菊池凛子なら見せても、ねえ)もあるほどだから、彼らの思いを知っていた朔之助が新蔵を連れて行った先でこういう配慮を見せるのは予想の範囲内ではあった。
ただそれは、朔之助にとってはやっぱり、自分は町人にはなれない、どんなに町人のためを思って働いても、なれないのだ、という悲哀を感じたなあ。
だから武家の妻として気丈を通した妹、田鶴を、武家の生まれだからこそ諦めた新蔵への想いを遂げさせてさ、自分の出来ないことを妹に託した気がして……。
若い二人の門出を祝うかのように、深い緑の山道を朔之助が帰途につくラストはさわやかだが、なんかそんな悲哀を感じちゃうのは、うがちすぎだろうか?

でもさ、実は朔之助だって、充分に幸せなのよ。出来た奥さんがいる。いや、出来た、というほど描写が尽くされている訳ではないけど、低い声でしんと構えるオノマチちゃんってだけで、すっかり安心してしまう。
朔之助に命ぜられた使命に特に母親はうろたえるけど、奥さんは哀しみの中にも毅然としてる。
奥さんからは田鶴の幼い頃の着物を見せられ、思い出話かたわら、あなたたちに女の子が生まれたらと思って……と言われて微笑み、お父さんからは、子供たちは剣ばかりだから、お前なら書を良くするから使ってくれるだろう、と大事なすずりと筆を託される。
彼女が舅と姑から深く信頼されているのを非常に端的に、非常にストイックに示していて、それを受けるオノマチちゃんがまた、東山氏と負けず劣らずストイックで素敵なのよねー!

この両親を演じる松原智恵子と藤竜也がまたピタシだったというのもあるが。
藤竜也が!!!もおー、この人は年を経るごとにかわいらしくなり、しかし困ったことに色気はそのまんまだから、もうホントに困っちゃう!オノマチちゃんみたいなストイック女子と嫁舅で、すずりと筆を渡すシーンのストイックさなんかあると、あまりにストイックすぎて、真逆のあらぬ妄想をしてしまいそうで困る(爆)。

ラスト前、オノマチちゃんが、お父様、お母様!と叫ぶから、てっきり朔之助が帰ったかと思いきや、遅れていた庭の花が咲いていたというオチは、まあ、ずっとそれが吉兆のしるしだということはあってもちょいとギャグになりそうなもんだが、そこはヤハリオノマチちゃんのストイックが効いててさあ。
彼女が旦那様を送り出す前、彼にぐっと引き寄せられるシーンはキャー!と思ったなあ。当然その後の暗示でしょとも思うが、なんたってこの超絶ストイック同士だから、そんな妄想も禁じられそうというか(爆)だからこそ萌えるというか(爆爆)。素敵だったねえ。

そう思うと実は佐久間が一番かわいそうだったかも……?いや、夫婦でいる間は真実、田鶴に愛されていたとは思うが、なんたって田鶴は武家の嫁としてのプライドをまっとうしたような感もあるしなあ。
まあ佐久間は侍として、最も信頼する相手と闘って死ねたのだから、幸せだったのか、も?……うーん、女には判らん……。 ★★★★☆


男はつらいよ 花も嵐も寅次郎
1982年 106分 日本 カラー
監督:山田洋次 脚本:山田洋次 朝間義隆
撮影:高羽哲夫 音楽:山本直純
出演:渥美清 倍賞千恵子 田中裕子 沢田研二 下絛正巳 三崎千恵子 前田吟 太宰久雄 佐藤蛾次郎 吉岡秀隆 笠智衆 朝丘雪路 人見明 児島美ゆき 内田朝雄 殿山泰司 高城美輝 中本賢 光石研 笠井一彦 SKD

2011/9/16/金 劇場(銀座シネパトス/沢田研二特集)
観れば観るほど、ああ私はまだまだ面白い寅さんを知らないなあ、と思う。
リアルタイムで観ていたのが終盤の寅さんで、もうすっかりいるだけ、置物状態になっている寅さんが自分の中での寅さんのイメージとしてしつこくこびりついているんだから仕方がない。
そういう意味では長寿シリーズというのもやっかいなもんだよなあと思う。実写映画の場合はドラえもんみたいに声優一新、という訳にもいかんしなあ。

だからこそ脂の乗った頃の寅さんに出会うたび嬉しくなるし、まだまだ楽しみが残されていると思うと更に嬉しくなる。
しかして今回は、そんな脂の乗った寅さんではあるけれど、メインは若き二人にかなり重く置いている。
そういう意味では後期の、甥っ子の恋物語を見つめる寅さんに通じるものもあるが、しかしてそこは、脂の乗った寅さんだからヤハリまったく違う。

どうにも歯がゆい二人にハッパをかけ、しかしそれが自分に跳ね返って拗ねたり、こうしてみると寅さんってちょっと永遠の少年みたいなところがあるなあと思う。
それこそ後期の寅さんはどこか御大みたいな雰囲気があって、こんな茶目っ気といい意味での子供っぽさと人懐こさは、遠い昔に置いてきてしまった、みたいな感があった。

それが寅さんだとずっと思っていたから、本当の寅さん(というのもアレだけれど)を知るにつけ、彼は永遠の少年だったんだなあと思った。
いつでも恋をしているのも、親友と悪口の言い合いをして高笑いするのも、おいちゃんとケンカして飛び出すのも。
結婚しちゃったら大人になるのよね。だから寅さんはいつでも恋から先に行けない。ちょっと切ないけど。
でも甥っ子や、作品ごとに現われるヒロインにとっては、これ以上ない人生の相談相手なんだなあ。

しかしてそう。本作はヒロインのみならず、というかヒロインよりもそのヒロインに恋する青年の方が、寅さんを相談相手として頼るんである。
だってこれは沢田研二特集の一本。そしてその二本とも、沢田研二と田中裕子の夫婦が、夫婦以前と夫婦になってから後を見せてくれる共演作という、なんとも心憎いラインナップ。
私は二人が寅さんの共演が縁で結婚したなんて知らなかったから、今回の上映はもう心踊りまくり。

この日の二本目の、円熟した夫婦の味を見せる「大阪物語」はとても好きな作品で、二人の出会いの一本目と共に再見して、非常に感慨にひたってしまった。
沢田研二はなんか基本的に変わらない感じ。いや、実際は女なら誰もがメロメロになる二枚目だが、この二本ともそれを前提にしながらも、どこかうだつのあがらない男というキャラなもんだから。純朴と、だらしなさというベクトルは全然別方向だけどね。

でも田中裕子は、やっぱり女は強くなるというか、もともと女は強いのに能あるタカは爪を隠すというか??
現在の田中裕子は確かに、可愛くもしっかりモノのお母さんを演れるイメージ。
その可愛さは微塵も変わってないんだけど、この本作の、沢田研二と出会った本作の田中裕子の、なんとまあ、なんとまあ、なんとまあ、カワユイこと!!!
私ね、なんか蒼井優みたいだなあ、と思った。いい意味での固まらなさ、ふわりとした可愛さ。そして劇中でも言われているような、「妙に色気がある」感じ。
だとしたら、蒼井優嬢も、田中裕子みたいに可愛らしくもしっかり者のお母さんが似合う女優になっていくのかもしれない!

東京大丸のデパートガールである彼女は、そんな当時最先端のキャリアガールな一方で、アラレちゃんみたいな(という表現自体古いが)大きな眼鏡が冴えない感じを演出するのもなんともキュートで、なんかもう、なんとももう、彼女から目が離せないのよね!
あくまで劇中の設定とはいえ、旅先で彼女に出会った沢田研二がぽーっとなっちゃうのが判っちゃう。ホントに。

そう、彼らが出会うのは旅先。その旅先には当然、寅さんがいる。やっと本題に入れる(爆)。
つーか、冒頭はまったく本題に関係のない、ジュリーオンステージである。ある意味、沢田研二本来のイメージを一応ここでなぞっとこうかみたいな感じ。
松竹歌劇団による本格的なレビューで、これぞジュリー!という、デビットボウイみたいなアイメイクの濃い化粧と斜め帽子で流し目を飛ばす、ピタリとしたスーツ姿のあのジュリー!である。

美しい娘のさくらにちょっかいを出したところで街の顔役の寅さんが登場、ジュリーが退散する、という西部劇ミュージカルのような冒頭は当然夢で、寅さんがどこか神社の境内で舟をこいでいるところから目を覚ます。
お約束のオチだけど、結構ドギモを抜かれるオープニング。
目を覚ました寅さんが腰の曲がったおばあちゃんの代わりに力任せに鈴を振ったら、ドカン!と落ちてきたなんていう単純なギャグも寅さんの絶妙の間がたまらなく可笑しくて噴き出しちゃう。

で、寅さんが久しぶりに柴又に帰って来る訳なんだけど、店先で幼馴染の桃枝に遭遇して抱き合って再会を喜び合ったりするもんだから、カタいおいちゃんと衝突しちゃう。
しかもこの桃枝を演じる朝丘雪路の、玉の輿に乗ったっていうわっかりやすいハデなカッコで、彼女特有のぽわんとした調子で寅ちゃーんとやるもんだから余計にねえ。

で、ストレートにケンカして、里帰りした早々に飛び出しちゃう。
ここのくだりもちょっとぐっとくるのよ。もうこここそが、主題歌の、兄がしっかりモノの妹を困らせる感じにドンピシャ。
さくらが止めると思ったのに……と飛び出した寅さんを追わないさくらに焦って言うおいちゃんに、「だって、出て行けなんて言うから……」とワッと両手で顔を覆うさくら。
もう、この感じ、ほおんとこの兄妹だよね。さくらのお兄ちゃんへの愛とこの家での立場が、両手で顔を覆うしぐさと涙声のこの台詞に一発で現われてて、なんともグッときちゃうのよ。

で、カットが替われば寅さんはカラッとバイをしてる。あの胸のすく調子で、どんな土地でもカラリと明るい江戸弁で。
ここは大分の湯平温泉。道行く芸者にちょっかいを出せば、あら寅ちゃんと声を掛けられるほどになじみにある土地。
行きつけの宿屋の主とさしつさされつやっているところに、ちょいと二枚目の青年がおずおずと顔を出した……。

ていう前に、彼がこの旅館をまっすぐに目指していたこと、大事そうに抱えた風呂敷包みはどう見ても遺骨であろうこと、そしてふらりとこの地に旅行に来たデパートガールの二人が、この二枚目青年を追って同じ宿屋に投宿を決めたことから話が転がりだしていたんである。
この青年、三郎は母一人子一人。その最愛の母が病死し、母がかつて女中として働き、始終懐かしがっていたこの宿屋、ひいてはこの土地に遺骨を埋めたいと訪ねたのであった。
宿屋の主も美しくて気立てがよく人気のあった彼の母親を覚えていて、居合わせた寅さんは大いに同情、持ち前のおせっかいを発揮し、ささやかな弔いをあっという間に手配する。

で、居合わせたデパートガールの二人も縁だからとお焼香することになるんである。
まー、お約束で、寅さんがお焼香の熱い香を逆に掴んでしまって慌てて放り投げ、お坊さんの殿山泰司があちちちち!という、ほんっとに、超お約束がありつつ(笑)。
だからもう、この女の子二人は、なんたって箸が転げても可笑しい年頃だから(てのも古いが(爆))、笑い転げて。
で翌日、寅さん、女の子二人、三郎で、三郎の車で、サファリパークに行ったりして、グループデートみたいな雰囲気になるのね。

そもそも寅さんたちと一緒にいた、螢子を三郎が真っ先に見つけたのだった。
彼女の友達、そして寅さんとコブがぞろぞろと出てくることに面食らう三郎の表情も可笑しいが、でもやっぱり彼は真っ先に螢子、なんだよね!
サファリパークでキリンが彼の車をべろべろなめまくるとか(可愛いんだよね、これが)、なかなかに観光映画っぽい魅力もありつつ、それが後に、三郎が動物園のチンパンジーの飼育係だという事実につながっていくあたりは上手いんである。
この時点では三郎は、喪服姿も美しかったし、なんたって沢田研二だから美しいし、チンパンジーの飼育係なんていうイメージはない訳よ。
むしろ田中裕子の方がウブなイメージに見えるんだけど、実際は、キャリアガールな彼女は、お嬢様な家庭だし、純朴な彼とちょっとギャップがあるんだよね。

そうなの、まさかの、沢田研二がウブで純朴な青年!作業服着てチンパンジーの飼育係!
いやその前の時点で、別れ際に田中裕子……じゃなくて螢子に「僕と付き合うてくれませんか」と唐突に言う、あの、涙が出そうな切羽詰った顔!うわ、うっわ、メッチャズキューンとキた!!
うっそ、これが沢田研二なの、あのすれ違っただけで妊娠しちゃうなんて言われるぐらい色っぽい沢田研二なの!!!と……。
で、その台詞を受ける田中裕子の「そんなこと突然言われたって……」って言う、戸惑いの表情もめちゃめちゃ生々しいの!
結果論だってのは判ってるけど、でも彼らのその後を思うと、この生々しい口調と表情のやりとりは、もうめちゃめちゃドキドキしちゃう!!

顔は二枚目なのにどうやら相当オクテであるらしい三郎君は、世慣れた寅さんにすっかり頼りまくることになる。
大分から東京まで車で送り届けるも、途中休憩ナシなんで二人ともヘロヘロになっている、なんてのは、お互いにお互いがカネを持ってるとふんだというあたりの、二人ともに見る目のなさがなんとも愛しいんである。
三郎は、寅さんの一家団欒、以上だよな。博が勤める工場のタコ社長だって当たり前のように加わっちゃうんだから。そんな和気あいあいとした食事風景にうらやましいなとため息をつく。

それは後に、寅さんとの楽しい旅の思い出が忘れられなくて訪ねてきた螢子にしても同様である。三郎は勿論母一人子一人だったから。
螢子はいかにもなお嬢様っぷりが描写されるのね。瀟洒な家にエリートサラリーマンの父親と専業主婦の上品な母親。
あのだらしなさそうな弟の存在はちょいと気になったけど、特に劇中で触れられることはなかった……ちょっと気になるが。

そういう意味ではこの二人が惹かれあうのは、ある意味運命だったのかもしれないなあ。
そこまで突っ込んでは描かれないけど、二人とも温かい家庭に、ベクトルは違うまでも飢えていた、という点では一緒だったんだもの。

でも、なんたって三郎がこの調子だから……。三郎の気持ちを螢子に伝えても、螢子は二枚目過ぎるから……としり込みをする。
それを聴いた三郎が絶望的な表情で「男は顔ですか?」寅さん「当たり前よ!」……それって通常は逆、だよな(爆)。
しかし二人を引き合わせてみると、これが案外上手くいっちゃう。

てかこの場面が寅さんらしい魅力満載で最高なの!あくまで偶然を装って二人を引き合わせようとする、三郎にもとことんそれをレクチャーする。
偶然の後に、若い二人を川辺のデートに送り出すから、とそのクサい会話のシチュエイションまでレクチャーするもんだから、四角い顔のつぶらな瞳で三郎を見つめて相手をする寅さんに彼は噴き出しちゃう。

そこも凄く可笑しかったんだけど、その後よ。偶然を装う、なんてことが、そもそも寅さんに出来る筈がなかった訳さ。
螢子が来るともうオロオロしちゃって、三郎も待ってた、早速若い者二人で……いや、違ったか、偶然だった、偶然、と周囲が焦って目配せするのに本人が一番焦ってしどろもどろ。
たまらず螢子、ていうか田中裕子が我慢も限界の真っ赤な顔で本気で噴き出しちゃってるのが判って、いや田中裕子のみならず周囲も本気で爆笑で、こっちもたまらず大爆笑!
これは寅さんで味わえる醍醐味のひとつ。もうたまらんのだよなあ!

その川辺のデート、堤防からみかんが転がるぎこちなさ、それを野球少年たちが拾って投げてくれるのどかさ。
その光景をふわふわパーマの源公が犬を散歩しながら覗いている絶妙なカット。ああ、なんと和むのだろう。

そしてその後、二人はある意味当然のように上手くいかない時期も迎える。だって三郎があんまりにもウブだから、付き合うことになっても緊張のあまり会話も上手くいかず、彼の飼育するチンパンジーの会話ばっかりで、それがいたたまれないと言って、螢子が寅さんに相談に来るのよ。
両親が見合いだのなんだの勧めて、それが三郎の存在もあってごちゃごちゃして、それに悩んだこともあってさ。

この時の田中裕子の可愛さもたまんなかったなあ!頬を紅潮させて、涙をほろりとこぼして、なんかもう、本当に生々しくてさ、あの表情が。
彼のこと好きだけど、だから悩んでいるんだ、と、惚れ合っている同士なら問題ないだろうとシンプルに言う寅さんにどこか食ってかかってしまって、さくらが間に入ったりなんかしてさ。
そこは縁側で、おばちゃんが白菜を漬けていたりする。螢子の家庭の、瀟洒なダイニングキッチンのスマートな暮らしと、ちょっとあざといぐらい真逆な描写。

それは三郎の経験してきた母子二人きりのわびしさともまたまったく違ってて、この三角形の違いが、寅さんの暮らす下町の暖かさが、凄く際立っててね……。
でも寅さんはいつも旅がらすだし、なんたって寅さんとさくらにとって親代わりとはいえおいちゃんとおばちゃんはやっぱり親ではない訳だし……。
そう思うとこれってすんごい奥の深い話かもしれないと思う。

螢子は思い切って三郎の勤め先を訪ねる。それまでのデートがどういうものだったかは示されないけど、彼の素の姿を見るのはひょっとしたら初めてだったんじゃないかとも思う。
三郎は彼女に言おうと思っていたことをシュミレーションしていたのか、あるいは自分の素の姿だからこそ言えたのか……。
動物園にある観覧車に彼女を乗せて、プロポーズ!

今までもチンパンジーの話ばかりだったと言ったけど、この時もそこから始まったからあららと思ったら、メスのチンパンジーに最近嫌われてる。それは螢子さんと出会ってからだ……と。
おやおやおや!観覧車の中の二人のおずおずとしたキスシーンがめちゃくちゃ初々しくて、もう死にそうになる!
この後二人が本当に夫婦になると思ってるからってのもあるけど、久々にドキドキしたなあ!

二人が結婚の報告に来るというのに、寅さんはいつものように、そうなったら自分の出番はもうないだろうと、旅に出る。
そして時が経ち、お正月。螢子は忙しいとらやを手伝っていて、そこに旅の空の寅さんから電話がかかってくる。
どうして行っちゃったのよとこの時の田中裕子の涙っぽさも超絶かわゆく、泣いてるのか、と電話の向こうの彼女を気にするも、小銭がなくなって電話が途切れてしまう。
寅さんが電話の向こうで泣いている螢子と話すのはこれが二回目だけど、その二回目である最後は、切れた電話にも彼女の幸せを確信し、明るい顔でバイに出かけていく。
寅さんホントにキューピッドやったやんかあ、素敵!

沢田研二のうぶさという思いがけない魅力と、こんなに可愛かったのか!という(今も可愛いけど)田中裕子。寅さんで結ばれるなんて、なんと素敵なことだろう! ★★★★☆


終わってる
2011年 100分 日本 カラー
監督:今泉力哉 脚本:今泉力哉
撮影:岩永洋 音楽:金山健太郎
出演:しじみ 関口崇則 前野朋哉 篠原友希子 松浦祐也 札内幸太 春心 今泉力哉

2011/3/8/火 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
なんか色々、ビックリした。一番ビックリしたのはふいをつかれるほどに面白かったことだけど、そんな風に言うのは不遜だよね(汗)。
休日前ならせっかくだからなかなか観られないレイトショーを、という理由で足を運んだだけでなんの予備知識もなかったし、それに恥ずかしながら青春Hシリーズ、ま、つまりエロものってことでマァ、人間としてはそーゆー好奇心が働くからちょっと観たいと思うところもあるじゃない(爆。あー、最低、ワタシ)。

だからだから、本当にビックリした。そりゃあ普段、エロ、あるいはセックスは、恋愛にもそうじゃない場合にもつながっていく人生には不可欠なものなのだから、そこを避けて通る方がおかしい!とかエラソーには言ってたけどさ、でもやっぱり根本には、ソレを見たい、という気持ちはそういう作品に足を運ぶ以上、ま、多少なりともあるじゃない(……なんかどんどん、自分をハズかしいところに追いやってる気がする……)。

だから、エロを入れなければならないこうした企画やピンク映画に、まあ多少それが浮いていても、つまりとりあえず入れましたみたいな形であっても、それに目を伏せて面白ければいいや、みたいにナマイキにも思うところもあったんだけど……。
勿論、そうではなく、エロもセックスも物語や人物の心情にしっくりとなじめば傑作が出来る訳で、そうした作品も勿論沢山あったけど、もしかしたら、その中でも一番、それが“そう”かもしれないなあ、と思った。

今回も上映後にトークがあって、そうした普段から思っていた気持ちに納得がいく興味深い話が色々聞けたのだけれど、まずその点について監督さんが真っ先に言及したので、やっぱりそうなんだ、と嬉しくなった。
エロが浮かないこと、浮かないためには物語に必要な要素となること、つまりセックスでは子供が出来る、子供がいる夫婦を核とした設定。

この赤ちゃんがまたとても効果的に使われていて、これは相当じっくり撮らないと上手いこと画が作れないだろうなあと思っていたら、監督さんの娘ちゃん!大納得。そりゃあ、ネバれるわ。
赤ちゃんが火がついたように泣いている手前、奥ではピントがボケた状態でその夫婦がセックスしているなんて図、あまりに鮮烈でさ。でもこの娘ちゃんがこの映画を見るのは少なくとも18年は先なのかあ……。

おっと、思いっきり脱線してしまった。しかも最後のシーンまで言ってしまった。えーとね、えーとね、なんだっけ。
そうそう、色々ビックリしたって話ね。このトークで対談相手のライターさんが、タイトルである「終わってる」それが最後の最後に主人公の晋助がつぶやくんだけど、これって「キッズ・リターン」の「俺たち終わりなのかな」「バーカ、まだ始まってもいねえよ」に対比してるんだよね?と指摘したのに対して、監督さんが嬉しそうに、それに気付いてくれた人、初めてです、と言っていたのが凄くズドーンと来て、そっかあ!「キッズ・リターン」かあ!とものすごーくカンドーしてしまったんであった。

公式の情報にはそんなことは一切出てこない。それどころか、登場してくる彼らがもう既に“終わってる”んだ、ともう最初から言っちゃってる。
でも、その言葉が出てくるのは「俺、もう終わってるよな」と最後に妻のまきに対して晋助が言う、その時だけだし、そしてそこには、実は彼が種ナシだったという、今まで言えなかった衝撃の事実が反映されているんだし……って、あーっ!!!

うう、またしても大事な大事なオチを最後に……これ、本当に大事なオチだったのに(だったら言うな(爆))。
うーん、でもね、オチが意外だから面白いって訳じゃなくて。とにかくそれはおいといて。

で、また思いっきり脱線しまくっているけど、とりあえず軌道修正。色々ビックリの最後は、監督さんがなんか、芸人さんみたい(爆)。いや、喋ってみればもの凄く真摯なクリエイターなんだけど、風貌が(爆爆)。
というのも、監督さんも劇中、キーマンとして出演しているんだけれど、子供の頃列車の事故で死んでしまった少年が、なぜか大人の姿になってね。でも不揃いのオカッパ頭に奇妙な形に髭が生えてて、赤いカーディガンにカフェのボーイみたいな短いエプロンで、なんとも不思議すぎるのよ。

このキーマン、あまりにあまり純粋に女の子を好きになって、その女の子が遠くに行ってしまう列車を止めようとして線路にピンポン玉を敷きつめ、列車にはねられ、死んでしまった。
色々追いつめられた晋助の目の前に、成長した姿でこの少年が現われるんだけど、そんな具合でもんの凄い独特でさあ。このシーンもめちゃめちゃ唐突感がありつつ、もんのすごく直球に心に染みるんだけど、とにかくその姿そのままでトークに現われたもんだからさ!

なんと、本当に、吉本の学校で芸人を目指していた過去があるんだという。何がキッカケで方向転換したのかは知らないけど、いやあ、ホントに良かった。だって、吉本の芸人のネームバリューだけで映画を撮れるような昨今に、ちょっとどうなのと思っていたからさあ(爆)。
まあそれこそ、それと彼とは何の関係もないんだけど、だってだって、風貌にビックリするだけで(ゴメン!ただ単に、劇中のカッコしてきたから余計にビックリしただけだよね……)、喋ってみりゃあ、確かな方向性と魂のあるクリエイターさんだって判るのに。

……てか、脇道それすぎだろ……どんな話なのか全然判らんだろ……。でもこれさ、実際に筋を並べてみたら、それ自体にそんなにビックリするところはないのかもしれない。
いや、優れた映画というのはそうなんだよね。ストーリーテリングに頼らない。ていうか、この世の中で面白いのは人の心情のミステリであって、ワクだけ見れば実はとても平凡だったりする訳で。

だってさだってさ、一番オドロキなのは、展開は紆余曲折、もう紆余曲折しまくりだけど、落ち着いて考えてみれば、最後にはみーんな、元に戻ってるんだよね。最初と同じ形に戻ってる。
あんなに誰もが思い悩み、血を吐くような告白をし、後戻りは出来ないと覚悟したのに、みーんな、元サヤに戻っている。
でも勿論、全てが起こる前とは、全てが違っている。見た目は何も変わっていないように見えて、全てが変わっている。
きっとそうやって、私ら市井の人間はこまこまと悩みながら生きているんだと思い、なんかそれを肯定してもらった気がして、それも嬉しい感じなんだよね。

さて、いい加減ちゃんと行こう。最初はね、男女が飲んでいる。お互い昔からの知り合いらしい、だけどカレカノではない、というのが会話の雰囲気で判る。
終電間際。酔った彼女の方は、薄く彼にカマをかけ、私と寝たいとか思わないの、と冗談紛れに言ってみる。キミの恋人に殺されたくないからさ、と交わす彼の方。
かなーりアブない雰囲気になってはいるものの、お互いがお互いのパートナーの元にきちんと戻っていく。

この男の方が主人公の晋助。真っ黒のヒゲヅラが若干のウザさを感じさせる(ゴメン!)のは、実際、キャラ造形に大いに影響していると思うなあ。
妻と生まれたばかりの娘がいるのに、育児を手伝うなんてこともなく、あからさまにぐーたらしているこの男。
そもそも妻の友人とアブない会話をかわしつつ飲んで帰り、眠たい妻を起こす形でセックスしたくせに、途中で笑い出し「落ち着いて考えてみると、なんかヘンなことしてると思って」とぬかし、妻は「……ちょっと、集中してよ」とイラついてしまう。
しかもコイツ、この時飲んでいた妻の友人の町子のことが好きなんだとか言い出すし、ほおんとにね、中盤、いや、後半、いやいや、もう最後の最後のギリギリまで、なんだコイツと思っちゃうのよ。
でも……あ、そうか、私、オチを最初にバラしちゃったんだっけ。そう、実は種ナシだったということが、彼が揺れ続けた理由だったと判るとね……。

うーむ、オチをバラしてしまうと、なんかやりづらいか(爆)。
でも実は、彼がこの時、セックスしてる時、なんかヘンなことしてる、と言った気持ちが、種無しを知らない時点でもちょっと判る気がしてたんで、そもそもこの台詞自体が凄いなと思ったんで、タダモノでない気持ちをざらりと感じてはいた。

ま、続けます。で、この時晋助と一緒に飲んでいたのが、彼の妻の友人である町子。いかにも男好きのする雰囲気で、個人的にあまり好きになれないタイプ、などと言うのは、不毛な女の単なるヒガミ(爆)。
最終的に言えば、この物語の中で一番苦悩している、赤ちゃんを抱えて夫に別れを切り出されたまきが、過去にふたまたをして、どちらの男のタネか判らない子供を宿してしまったことに端を発している訳だから、ファムファタルとしては絶対にまきの方に違いないんだけど、この町子ってのがなんかこう……凄く“女”の雰囲気を醸し出してるっていうかね。

友達のダンナと二人きりで飲みに行くことを、パートナーから嫉妬されるのがウザイとか言うんだけど、そりゃそうだろ(爆)。
その前提があるから、女友達と会うのだって警戒されるんだからさ……うう……つまり、私は、不毛側の気持ちがメチャメチャ判っちゃうのか……。

そうなんだよなー。私的に一番シンクロしてしまったのは、町子の恋人である。嫉妬深くて束縛してくるこの恋人に町子はウンザリしてて別れを考えてるんだけど、でも、これって話を聞いた誰もがまずは思うことだけど「幸せじゃん……」とさ。
町子がこともあろうに親友のダンナにそんな相談をもちかけ、酔った勢いで、冗談半分ではあるだろうけど、「私と寝たいと思わないの?」なんて言って、晋助を本気にさせてしまうあたり、やっぱり彼女の方に問題があるだろ(爆爆)。
……いやまあ、つまり、同性に嫌われるタイプだよね、ってこと。男にはモテるだろうが……。

束縛のキツい恋人に嫌気がさして別れを言い渡した町子に、なんでだかムチウチのギプスをはめているこの恋人は、ただ一人ベランダに取り残され、涙のせいなのか寒さのせいなのか、ズボッと両の鼻の穴から粘着性の鼻水が垂れるのが、なんかもう、ああ確かに彼がウザがられるのも判るかもと(爆)。
こういうね、静かなユーモラスがとにかく冴えていて、その最大のクライマックスが、まきの元から出て行った晋助が、恋人と別れたと聞いていたからスケベ心を働かせて町子の元に転がり込むも、町子は恋人と別れてなくて、晋助はもうヤケクソに飲んで、この恋人に理不尽に毒づく場面。

この恋人は町子のことが好きで好きでたまらないから譲歩して、もう束縛しないように努力するから、と言って何とか別れを回避した訳で、で、その安心感も手伝ってか、晋助の悩みを聞こうとするのね。
あの首のギプス姿で、不自然な体勢でいるのがとにかく可笑しいんだけど、ヤケクソの晋助に散々くってかかられて、首をかばいながら相手になるのがやたら可笑しいんだよね。
しかもカメラがきちっと定位置に据えられてる。ありがちにカメラが揺れるってことがなくて、妙に冷静にカメラが動かないのもやけに可笑しいし。
最後には帰り際の晋助に吹っ飛ばされて、外から画面に飛び込んできて、あの首でイタタタ、と言うのがもう、可笑しすぎる(爆笑!)。

こういうのって、実はとてもストイックな演出で、意外に最近、見なかったなあ、って気がする。
しかも彼、町子に抱き起こされて、色々考えたこともあっただろう、まあ勢いもあっただろうけど、町子に「結婚しよっか」と言うも、町子「……ゴメン」
えっえええええ!ここまで盛り上がったのに、そんな!元サヤに戻ったけど、それはそこまでの感情ではなかった……のか……シビア……。

この場面があまりに好きすぎて、他の展開を追わないままだったから、またしても訳が判らんくなってしまった。
ああ、好きな場面といったら、もっと好きな場面があった。好きと言うより、切ない場面かもしれない。
時間軸で言えば、同時進行、まさに同じ時間に起こった出来事なんだよね。

まきに町子への思いを告げて、晋助は一度友達のババケンの元に身を寄せる。
だけどババケンはまきのことがずっとずっと好きなヤツなのね。そんなババケンに晋助は、まきとの結婚についての秘話……まきがふたまたをかけていて、どっちの男のタネか判らない赤ちゃんを宿して、だけど晋助の方が好きだからと打ち明けてくれて、それがとても嬉しかったから結婚したんだ、ということを告白するんである。

ババケンがショックだったのは、晋助の子供じゃないかもしれないことなのか、それともまきがふたまたをかけるような女だったことなのか……。
その後、晋助に出ていかれたまきが、アテツケのようにババケンの元に赤ちゃんを抱いて現われ、ババケンは積年の思いをぶつけ、ついに彼女と……。

おっとおっと、おーーっと!その前にひとつ、とても印象的なシーンがあったんだった。
晋助が最初に転がり込んだババケンの家で、彼とケンカして追い出され、とりあえず服を取りにきた、という言い訳で家に舞い戻った時、まきはとても嬉しそうな顔をした。
戻ってきたんだ、と思ったけれど、彼の言葉に、そう……と言葉を濁し、しかしババケンとケンカしたんだと聞かされると、部屋が決まるまでいていいのに、と恐る恐る言う。
まきを演じるしじみ嬢がね、本作自体、心情に寄り添う展開だからか、表情のクロースアップがとても多いんだけど、女心がめちゃめちゃにじみ出てて、グゥーッときちゃうんだよなあ!

彼女のこの時の気持ち、判り過ぎるほどに判る。その間に思い直してほしい。いや、きっと、彼は自分から言い出せないだけで、ここしか居場所がなくて戻ってきたに違いない。だから、ここにいる理由が出来れば、そのままいてくれるに違いない、と。
でもこの時点での晋助はまだ自分の中でも答えが出てなくて、ていうか、気持ちが自分でも判ってなくて、だから意地でも出て行くしかなくて、それならば、もう、あてつけるように、目の前で町子に電話するしかなくて。それならば、とまきもババケンに電話するしかなくて。
そんな揺れる気持ちこそがお互いが好きってことなのに、そんな二人の気持ちが第三者にはずんと通じるのに、当事者は、特に晋助は、ちっとも判っていないんだ……。

正直ね、まさか全てが元サヤに戻るなんて思ってなかったから、それこそが一番衝撃の結末だったかもしれないから、単純に、ラブストーリーモノとしては実に単純に、ババケンの方がずうっといいのに、と思っていたのだった。
アレよ、アレ。想うより想われる方がいい、っていう。そうだ、その点についてもトークで監督さんが語ってて、そうだよね!と思ったのだった。
どんなカップルでも夫婦でも、お互い同じぐらいの分量で好きであるってことはない、と。もうこれは恋愛において永遠に悩ましいところなんだよね……。
いや、恋愛に限らない。友情だって、もしかしたらきょうだいとか親子だってそうかもしれないと思う。
だからこそ、見返りなんか何にも求めないで、ただ純粋に好きという気持ちが持てた子供時代、そのまま死んでしまった少年の話が、効果的に描出されるんだと思う。

実際、誰もが思うよね。なあんであんなに、ただドキドキして、ただただ好きだったんだろう、って。付き合うなんてとんでもない、そばにいるだけで心臓が破裂しそうなぐらいなんだから。
でも見てたくて、でもでも見ていることに気付かれたら死にそうで、そんな風に、そんなにまで、純粋に誰かを好きになれたんだろう、って。

いろんな駆け引きが出てくる話だけど、結局はこの一点に集約され、それへの憧憬に集約され……その少年を夢のように演じるのが、監督さん自身だってのは、なんかズルイ!けど、凄くイイ!
正直、この場面だけそれまでの現実的な積み重ねからポンと浮き世離れしてるんだけど、それがまたなんとも印象的で、“森の中の卓球”がなんとも、ね。
で、次第に責められるようにスマッシュをキメられるその相手が、いつのまにかまきになっている。スマッシュを浴びる晋助のカットを小気味良く畳み掛ける編集。この、夢のようなのに、キビしい場面、とても好きだなあ。

……じゃなくて。この場面のことを言おうとしたんじゃなかったのに。そう、ババケンの元にこちらもヤケクソに訪れたまきのことを言おうとしたのに。
でもさ、ババケンもまた、ある意味、純粋に好きという気持ちを持ったまま、こちらはリアルに大人になってしまったクチなんだよね。
その証拠に?童貞である。まきとしかヤリたくないと思っていたに違いない彼が、積年の思いを遂げる場面は涙モノである。

なかなかブラジャーを外せないもんだから、まきが自分で外しちゃうんだけど、「自分で外したいから」もう一度つけてくれませんかとなぜか敬語で言い、それまではおっぱいを見まいと目を手でガードし(笑)、いざおっぱいが現われ、やもたてもたまらず押し倒すも、どうしていいか判らずにいる彼の両手を取っておっぱいに押し付けるまき、あっ、と思わずうろたえた声を出すババケンがあまりに微笑ましくて噴き出してしまう。
「もう入れていい?」え?も、もう!?「待って、財布の中にコンドームが……」(いつか判らんチャンスに対する用意が涙ぐましい……)

「いいよ、大丈夫なようにするから」「え?そんな方法、あるの??」本気でビックリしているババケンがあまりにあまりに微笑ましくて、もう、泣いちゃう。
静かにババケンの上にまたがって腰を動かし、イク時は言ってね、とささやくまき。あっという間に「い、イク!イきます!」と叫んだ次の瞬間、そのババケンの顔に向かって噴射される。って、アレ?と思っていたら……。

まきに決死のプロポーズをし、まきの子供なら愛せる自信がある、と口にしたババケンに、思いがけずまきが激怒するのね。そんなこと、簡単に言わないで、と。
そしてふたまたかけてて、晋助を選び、それに彼も応えてくれたんだという事実を打ち明ける。彼もあなたと同じように言った。でもダメだった。だからそんなこと、簡単に言うな、と。
それにババケンのことは好きだけど、そんな風には見れないし、と。

打ちのめされたババケンはそれでも、まきと出来たし、良かった、と笑顔で送り出す。しかし……。
「え?してないよ。入ってなかったし」「え?入ってたよ。気持ち良かったもん」「入ってないよ。だって、じゃあなんで顔にかかったの」「ちゃんと入ってたよ!気持ち良かったもん……」「……そうだね。入ってた、入ってた」

この、入ってた、入ってた、と静かに諭すようなまきの言い様に思わず噴き出しちゃうんだけど、でもその一方で、あまりに切なくてさあ……。
この期に及んで、入れてあげてなかったのか、ということに愕然とするのは、いけない?そりゃあ、その一点が水際であり、まきは晋助に対して操を立てていたのかもしれないが、別に入れるか入れないかだけがセックスの線引きじゃないじゃん……ここまでしといて、なんて残酷な。

いや、それを言っちゃえば、入れるだけがセックスじゃないんなら、ここまでしてるんならば、入れてないからウワキじゃない、操を立てたんだということも言えないとは思うんだけど、そんなまきはズルいとも思うんだけど。ああ、なんかもうぐちゃぐちゃ!
つまりどうしてあげたらいいと思ってるのかなあ、私は!どうしてあげたって、どうしたって、誰かが傷つくのは避けようがないんだもの。
まきのギリギリの気持ちも、ババケンの変わらぬ気持ちも、もうこの決断と行動以外、どうしようもないんだよね……。

まきがふたまたをかけてて、どちらの子か判らないというのが示された時点で、まきがどちらを子の親として選ぶかもまた天秤にかけていたんじゃないかという気持ちは、ちょっとうっすらと感じてはいたんだよな。
だってそれこそが主題だったじゃない。主人公の晋助も、晋助がカマかける町子も、今のパートナーが本当の相手なのかと逡巡してこそ揺れているワケだし。
まあそれに比する形でまきや町子の恋人や、何よりババケンや純粋な気持ちのまま死んでしまった少年の存在があるとしても。ふたまたをかけていたという事実の時点で、それは充分予測出来たんだけれど。

だからこそ、それを示す最後の場面が追撮で、それまでは全くそうした要素を監督が考えてなかったというのがすんごく、ビックリしたんだよね。
つまりしじみ嬢も、ただただ晋助を好きだから選んだ、晋助だけを好きなんだという気持ちで、そういう前提で演じていた。
だから、彼から実はタネ無しなんだと聞かされても、これから一緒に生きていこうと魂のこもったセックスをするラスト前のシーンが泣ける訳であり、そりゃあそんな気持ちをみじんも感じさせない訳だと納得もするのだが、でも、思い付きのように追加された“オチ”こそが、全ての真実を収斂させてしまったんじゃないかと思うのが素晴らしいんだよなあ。

うーん、でも、これは女の感覚だからそう思うんだろうか。私ね、この“オチ”に、ああ、彼女は母親として、父親になれる人をテストしたんだなあ、と思ったのだ。
確かに実は、もう一人の方、本当の父親の方(勿論、その時点でまきはそのことを知る由もなかった訳だけど)が晋助よりも好きだったのかもしれないと、その追撮のシーンを見て思った。
全てを告白して、それでも私と一緒になってほしい、と晋助に対してと同じように告白したものの、よくそんなことが言えるなと罵倒され、オレの子供かもしれないんだろ、堕ろせよ、産んだりするなよ、堕ろせよ、と……。

ふたまたかけられていたにしたって、あまりにヒドい言い方をされて、ああ、男って、こういうところで試されるのかな、って。
まあさ、私も子供を持ってはいないけど、お腹に宿すことでいち早く母親になる女と、あなたの子よと言われるしかない男とではあまりに実感度が違うのだろうと思う。確かにその点では、不公平なのかもしれない。
子供に対する愛情よりも、その子供の母親である女を愛しているかという点で悩む男とは、やはり根本的に違うんだもの。もうスタートダッシュで差をつけられているんだもの。

この時点から、つまり夫婦として営み始めようとする一番大切なところから、男と女は離れていってしまうのかもしれないと思うと、晋助が、確実に自分の子じゃないことを自分だけが知っている時点で父親になろうと決心したのは凄く凄く凄いことなのだけれど……。
まだ、妻への愛情の時点で逡巡して、騒動を起こした彼が、ちゃんとパパになれるのは、本当に、ずっと先の話、だろうな。

ああ、なんか、なんか、なあんか、全然、この作品の魅力を伝え切れん!
あのね、女優陣は二人とも見目麗しく、しじみ嬢は正直、やはり脱げる女優のイメージが強かったんだけど、心情の深さがずーんと伝わって、とてもとても素敵だった。
男優陣は、なんかみんな確信犯的にイケてなくてさ、やたら黒々と髭が濃い晋助も、ぽてっとしたザ・童貞な風貌(ゴメン!)が愛しいババケンも、町子を愛するがあまりウザさ満点な彼女の恋人もさ。

そうそう、晋助が泊まりに来た時、この恋人がお風呂のすりガラスにじりっと身を寄せるコワ可笑しさがサイコー!なんだよね。
晋助から売られたケンカを買う時に「これ以上町子を侮辱したら森に埋めるぞ」って言った台詞も、好きだったなあ。なんとも愛しいバカさ加減で。
でもね、これもヤッパリズルイなあと思っちゃう。バカって、可愛いもの。

この女の子二人は色々大変なことを抱えてはいるけど、でもやっぱり、男から見て可愛くて好きになっちゃう女の子、だよね。実はこんな女の子は同性からは嫌われるタイプよ。
ダンナから町子が好きだと告白された翌朝、まきが町子に対して責める言葉も何も言わずにただ涙を流したのがちょっと意外だったんだけど……実はお互い、似た者同士だったってことなのかもなあ。★★★★★


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