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風俗秘話 時代に抱かれた女たち(風俗図鑑 ヤレない男たち)
2015年 85分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:当方ボーカル
撮影:創優和 音楽:與語一平
出演:辰巳ゆい 東凛 なつめ愛莉 友田彩也香 卯水咲流 若月まりあ ケイチャン 吉田覚丸 櫻井拓也 折笠慎也
しかし不思議に本作の方が、未来への希望を感じさせるのだ。まあそりゃそうかもしれない。だって令和に変わるタイミングを目指しているのだから。
それにはしゃいでいるのが昭和世代のさえない中年男、芳雄であるのだが、彼は元号が替わる、ということにワクワクするようなあたりも実に昭和世代っぽいんである。
そしてその作風も。まるで全編、コントを観ているみたい。竹洞作品といつもタッグを組んでいる当方ボーカル氏の脚本が本当に見事で、コント芸人なんじゃないかと思うぐらい。
ソープの運転手である芳雄が、その店の店員である若い六男の部屋に押しかけて、令和に変わるタイミングで飲み倒そうぜ!というところから始まるんだけれど、この芳雄を演じるケイチャン氏のボケたおしのマシンガントークの面白いこと!!
もちろんそこには先述のように見事な脚本があってこそなんだけれど、まるで彼自身がコント職人のように、100%の話芸を間も勢いも完璧に見せてくれて、これはピンク映画としての面白さももちろんだけれど、コント、漫才、話芸としてのクオリティとしても語りたいぐらいの秀逸さ。
彼の相手となる六男役のおでぶちゃん吉田覚丸氏や、長年の腐れ縁であるソープ嬢、大江なな役の辰巳ゆい嬢もケイチャン氏に対してのツッコミやスルーが相当に巧みだからこそ面白さがしっかりと成立しているのだけれど、でもやっぱり、ケイチャン氏の圧倒的な話術に本当に魅了される。
そしてそれは、彼が演じる芳雄という、お調子者だけれどお人よしでめちゃくちゃ優しい昭和の男に投影され、それが令和へと時代が変わる区切りを描いていくんである。
セットになっている「平成風俗史」でメインキャラの一人であった、“テレクラ地蔵”なる正太が、本作では芳雄が六男にエピソードとして語る人物として登場する。いわば「平成……」でも本作でもワキ訳というくくりにはなるんだけれど、「平成……」であまりにも報われない素人童貞だった彼が、憧れのAV女優が引退してソープ嬢になって、同僚になって、恋を成就してしまうなんていう奇跡を得るっつー、前フリの回収としては幸福すぎる展開なんである。
芳雄が六男に語る彼のエピソードは、これはセットで観る前提になっているからか、ひどく雑で六男からその点をしっかとツッコまれるところまでがきっとセットだったんだろうなあと思うと、テアトル新宿の特集時に本作もかかっていた記憶があるから、スケジュールがどうしても合わなくって観られなかったことを、今更ながら後悔しきり、なんである。
でもほんっとに、テイストが全然違うし、当たり前だけど別の作品だもんなあ。ななを演じる辰巳ゆい嬢は、もう安定のピンク女優さんで、風俗キャリアの長い、芳雄からオバチャン扱いされるような気のおけない気さくな姐さんを貫禄と魅力たっぷりに演じてくれる。彼女が「平成……」でボクサー青年の恋人だったんだったかなあ……自分の感想文を読み返しても思い出せない(爆)。
まだせいぜい30代半ばほどであろうと思われる彼女だが、セクシー系女優としては、昭和世代、とくくられるほどにベテラン扱いされるということだろーか。最後にめでたく結ばれる芳雄を演じるケイチャン氏とは10数歳は離れていそうだしなあ。
まあとにかく。かつてはなな、今は六男と、うっとうしい先輩としての仮面をかぶって、実はめっちゃ心配して世話を焼いているのが、芳雄の正体なんである。
ななはかつて、男に貢いでアル中になって、もう死のうかな、ぐらいの精神状態のところを芳雄の荒療治に救われた。弱みに付け込んでヤるなんてことをする筈のない、口は達者だけれど実は照れ屋で優しい優しい芳雄であった。
で、今は相手は男の子だからそんな心配は……うーむでも、妙に料理が上手だったりする六男に対して、ちんちん切って俺の嫁になれ!!とか冗談にしても執拗すぎるのは一瞬マジかと思っちゃうが(爆)。
AVは過去の遺物、テレクラもノーパン喫茶も当然知らない平成の青年、六男君がオナニーもしないことに芳雄は驚愕する。草食系という言葉も今は死語となりつつあるぐらい、そんなことは当たり前に、平成生まれで令和に生きる男子たちは淡泊なのかとゆーことであろう。
しかして六男にはカワイイメガネ彼女がいる。それを最初は六男の妄想だとあしらい、ホントだと判ると、エッチするときはメガネは外さないのがこれ常識!!とヘンタイっぷりをいかんなく発揮する芳雄先輩に噴き出しちゃう。
しかし、六男の悩みはこの彼女にこそある。「平成……」のテレクラ地蔵、正太君とタイプは違えど、悩める方向は一緒のように思っちゃう。確かに正太と違って六男にはちゃんと彼女がいる。しかも向こうから告白されたという彼女である。
二人の共通点は、なんとなく生きてきて、特段未来や将来といったことを考えないまま来てしまったことである。それを、「平成……」の正太は独り身のまま風俗で女とヤリまくって余計に虚無感に陥り、本作の六男君は彼女から将来、未来という言葉で無意識に責められているように感じて、ぎくしゃくしてしまう。
まぁ結婚年齢はどんどん遅くなってるし、その分精神的に大人になる年齢も遅くなっているような気もするし。ただ、それでもいつの時代も女の方が、焦りと共に人生の先を立てていくものだし、男はいつだって、子供のまま、なのだもの。
ホンット、芳雄なんてきっと50に手が届きそうな感じだと思われるのに、いまだに子供だものなあ。
舞台はほとんどが、六男の部屋での飲み会であり、エロに淡泊な上に平成生まれの青年である彼がなあんにもエロ風俗、エロ文化を知らないもんだから、芳雄とななが指南する、という展開なんである。テレクラ、ノーパン喫茶、ファッションヘルス、イメクラ、ピンサロ。もう違いも何も判らん。芳雄が言うように、ファッションってなんなん、て感じである。
風俗業界を渡り歩いてきたななは、そのほぼすべてを経験している猛者であり、姐さんの風格である。でもかつては男に貢いだ末に、死のうと思い詰めた経験があって、きっとその時、救ってくれた芳雄に彼女は、その時からかなり長い間、そういう関係になりたいと、それぐらい、たった一人の信頼する相手だと、思っていたに違いないのだが。
明確にいつの話、というのが示される訳じゃないけど、なぁんとなく10年ぐらいはそんな関係でいるのかなあ、という腐れ縁な雰囲気である。いつだって戯れにセックスぐらいできるような距離感にいたのに、それぐらい気のおけない間柄だったのに、今まで何もなかった。
時は令和に替わるという前夜祭。あの時のななと同じように恋に悩み、人生に悩む若き青年、六男。芳雄が彼を心配しているのが、かつて自分が心配された立場だったからこそ手に取るように判るななであり、あらためて芳雄の優しさ、人間的包容力に気づく。
芳雄は両親が営んでいたのがそうしたエロ風俗であり、耳年増で育った少年であった。昼間、開店前の店に呼んで、色付きのソーダ水を友達に供する。男からは金をとり、女の子はパンツ一発、なんていうエロ少年のエピソードに、ななはサイテーと言いながらも、そんな古き良き時代に思いをはせる。
ジュークボックス、テレビゲーム、昭和の喫茶店にあった大人の世界を垣間見て育った少年、芳雄は、きっと夜の世界で働く女性たちの苦しみもまた見続けて育ってきたからこそ、お調子者の仮面をかぶりながらも、心優しきおじさんとして今、誰をもほっとけないのだろう。
六男を、送り出す。愛する彼女がいるのに、自分自身に自信がないだけのことで、彼女を失うかもしれないという不安で仕事が手につかない状態の彼を、送り出す。六男はさ、口ではうるっさい先輩である芳雄のことを煙たくあしらっているように見えるけれど、ななが指摘するまでもなく、このメンドくさい先輩が大好きなんだよね。
判る、そりゃ、判るさ!!完璧な漫才相手になってる時点で、そらそうだと思うもの!!そしてそれは当然、ななも同じで……。
六男をメガネ美少女彼女の元に送り出した後、長年の腐れ縁を、セックスによって突破するべく、ななは結構ベタな作戦に出る。寒い寒い!あんたのせいで!(臭いヘソの匂いをかがせて彼女が吐いちゃって、洗濯したその服をこともあろうにホームレスのおじさんに現役ソープ嬢の生服だと言って売っぱらった!)と言う彼女に、しょーがねーなーという感じで着ていたスカジャンを無造作に脱いで彼女に着せ掛けるのには、単純に胸キュンしてしまった!
ななもまたひまわりのような笑顔になり、そして、まだ寒い、まだ寒い!!と甘え全開で芳雄につっかかり、そして、まるでコントみたいにあっかるい、もう令和になっちゃうなっちゃう!みたいな、あのセックスよ。これはさあ、やっぱり、ピンク女優としてベテランにならなきゃ、醸し出せない魅力だよね、と思う。
竹洞監督はそのロケーションがいつも魅力なんだけれど、「平成……」とともに、本作はあくまで移り行く風俗文化とその人間模様が重要なので、本作なんてほぼアパートの一室のみという、いかにもピンク映画的な低予算っぷりではある。
でも、一か所だけ、竹洞作品!!と溜飲を下げさせてくれるシークエンスがある。ななが問題の彼氏と別れ、行きたい場所がある、と行った先は、だだっ広い、荒野。都市の中に忽然となーんもない、荒野である。よ
くもまあ、こんなロケーション、見つけたなと思うような。なーんもないところに来たかった、というななの台詞一発だけで終わっちゃうシークエンスなのだけれど、妙に心に残る。決してカメラが寄らず、引きで荒野の中ぽつんとたたずむ二人を、画だけはなんか寂しそうなのに、丁々発止するやりとりはめっちゃイキイキして、仲良くてさ。
平成最後から、まだほんの2、3年なのに、昭和がからむせいか、不思議な懐かしやさしさ。平成……とセットで観たかったなあと思いながら、こんな違うテイストのセットを一時に見たら、混乱したかなあ、と思う。改めて竹洞作品に心酔しちゃう。★★★★☆
場面がその一室だけで撮れるというのが、低予算のピンク的にいいのかもしれない。
2016年の作品の時にはそれでもその家の中の様々な場所が、回想シーンもあったから使われていたけど、本作は見事に、本当に一室だけ。“死んでいるのに家族の声が聞こえる”初老の男、みのるが白い布をかけられて寝かされている一室だけ。
思い返してみれば2016年の作品ではもう四十九日、つまり彼の肉体はもはやなく、魂だけがさまよっていたのであった。しかし本作は死んで間もない、とゆーか、オチバレで言ってしまえば実は死んでなかったんである。
家族たちの本音に次々とさらされてショックを受けたことがまさしくショック療法となったかのように、みのるは最後の最後、うおおおお!と生き返る、とゆーか、死んでなかったんだろう。そんなことあるかいと思うが。
2016年作品では、最後の最後にすべてが事実とは違ったのだという大どんでん返しがありめちゃくちゃ驚かされたが、本作はひとつひとつ、みのるが家族にどう思われていたか、いちいちショックな事実が突き付けられるという展開である。
ただ一人、画面の外で酒を飲んでクダを巻いている長男だけが登場せず、つまりこの息子だけが本音はどうだったのか明かされない。みのるが心の中で小ばかにしていたこの息子だけが裏表がなく、酒飲みでどーしよーもない部分も正直にさらけだしていたかわいいヤツということだったのかもしれないと思うと、つまりはみのるとまさに親子、似た者同士ということだったんだろうなあ。
まずご登場はその息子の妻である。こんな出来損ないの息子にもったいない優しく美しい嫁だとみのるは大絶賛しているのだが、彼女の本音はそうじゃなかったことが赤裸々に露呈される。
つーか、まず彼女はこの場に愛人を連れ込んでいる。マツダさんって誰だよ!!どこのマツダさんだよ!!とみのるが再三モノローグでツッコむのが可笑しい。
本作は全編みのるのモノローグによって構成されていて、次々に彼の枕元に現れる家族たちの会話に間髪入れずツッコむのが楽しくてたまらない。時に駄洒落、時に官能小説の定番フレーズ、関西弁のマツダがベタなエロフレーズを発するのに対して、それを言うのは今じゃないだろ!!とツッコむみのるに、いやいやいや、そもそもそっちは妄想だろ!とツッコミ返しをしたくなる。
みのるのエロい視線にこの嫁さんは気づいていて罵詈雑言を浴びせるし、自分の死体(だから死んでないんだけどね)の横でヤるし、顔にかけられた布でマツダはザーメンふき取るし(サイアク……)みのるはもうすっかりガッカリしちゃう。
次に現れたのは日ごろみのるになついている孫娘。やっぱり血のつながりこそが大事!とかみのるは手のひらを返したように迎えるが、まあ今後、誰が現れても彼が思うような展開にはならないんだろう、自分の楽天的な気持ちとウラハラに失望し続けていくんだろうと推測されちゃうからちょっと切ない気持ちにもなる。
確かにその通りなんだけど、この孫娘はなかなかの豪傑である。確かにその通り、彼女もおじいちゃんの前ではかわいい孫として演技していた訳で。
おこずかいのショボさなどを悪態つくのはまあ予想の範囲内かなとも思われるのだが、子供のころから霊が見えるとか、不思議ちゃんキャラを発揮していた彼女のそれこそが、壮大なる芝居だったことが明らかになるとさすがにボーゼン!!
霊感キャラは「おじいちゃんは私に遺産を多めに残すように言ってた」ということに信ぴょう性を持たせるために、実に子供のころから計算して演じ続けてきたことなのだと知ったら……ゾゾッ!
「みんな信じちゃってるんだもん」と彼女は笑い、おじいちゃんの“死体”に「生死体って初めて!!」とコーフンし、当然みのるは、「死体に生をつけるな!!」とツッコむのだが、ここ、これは……いわゆるネクロフィリアとゆーやつですかい??
この孫娘がおじいちゃんの死に顔に「彼氏ができたんだよ」と報告、風変わりな孫娘だと思っていたからみのるは安どするのだが、彼女が彼氏に求めるのは、死体になった時の妄想なんである。きっと素敵な死体になるだろうな、と夢見る瞳で言い、その予行演習のようにひんやりしたおじいちゃんの“死体”に添い寝して、オナニーまでしちゃうんである!!
……この孫娘がキョーレツだったから、最後のご登場の、みのるが岡惚れしていたスナックのママと幼馴染で親友のおっちゃんのシークエンスは、なーんとなく展開が見えちゃったなあということもあって、なんとなく落ち着いて見られるとゆーか。
それでも、これが最後のシークエンスだと尺的にも判ったから、それまでの家族ではないし、幼馴染として心を許した友達で、酔っ払ってみっともないところを見せあった回想シーンなども描かれるから、ひょっとして、もしかしたら、ここだけは心温まるシーンになるかも……と思ったりした。
いや実際、このはげちゃびん(爆)の幼馴染は真に幼馴染の死を悲しんでいたと思うし、みのるが岡惚れしていたスナックのママと自分こそがうまく行っちゃったことを、言えないままに死んでしまったことを気に病んでいたのも本当だろうからさあ……。
ただこのはげちゃびん幼馴染、みのるに会わせようとママを連れてくる途中で酒飲んじゃう。てゆーか、みのるはもう「なんでお前がママの携帯知ってんの?ママの住所知ってんの??」と幼馴染の友情そっちのけで嫉妬しまくりだから、観てるこっちも、判るだろーが、そーゆーこっちゃねん、と楽しくツッコむわけなんである。
しかしそれだけでは終わらない。いわば一番の恥辱を与えらえるんである。ママが到着して、いわばそのオチを先に見せる形でそれは示される。あーあもう、ママの赤いセクシーショーツをはかされて、あられもない中年っ腹をさらしたみのるが、二人に爆笑されてるんである。ヒドい。これはヒドい……。
みのるがママのパンツを見たがっていたという、幼馴染の言葉に端を発するのだが、そもそもこれ自体が本当だったのか。みのるはモノローグで徹底的に否定するのだが、まあそれまでの、彼自身が信じていた家族との良好な関係がことごとく否定されてきたことを考えると、自分だけが良いように思っていた可能性はなくはないが、しかしなんたって女が絡むと、ねえ……。
死人に口なしとはよく言ったもんだが、結局この幼馴染も、若くて美しい恋人の前でカッコつけたくて、もはや死んでしまったみのるを踏み台にしてあることないこと言ってる可能性はそらまあ……なくはないんだわなあ。
最初こそは美人嫁のおっぱいを見たくて、必死こいてまぶたを動かそうと尽力していたみのる、それでまぶたを動かせちゃったということは、もうこの時点で、あ、死んでないってことだなと気づくべきだったのだが、なんたって2016年の作品の設定との類似が頭にあったから、まさか生き返る、てゆーか、そもそも死んでなかったとは思わなかった。
しかし、生き返ってみると……それまではあくまでコミカルタッチ、だってもう当人死んじゃってるもんね!!という本音、暴露の洪水だったのが……。
ラスト、嫁と孫娘との食事シーンなのだ。嫁も孫娘も、生き返ってくれてよかった。長生きするために塩分は控えめにしてね、減塩醤油買ってくるよ、だなんて、殊勝なことを言うけれども、恐らく、いや確実に、二人はみのるがすべてを聞いていたことを気づいてる、てか、知ってる。
だって生き返った時のみのるの形相が、すべてを物語ってるもん。ママの赤いセクシーショーツをもっこりはいたヘンタイ姿だったとしても(爆)。これまでも仮面家族だったけれど、みのるはそのことに気づいてなかった。だから彼は幸福だった。
そのまま死ねれば良かったのにね、と思っちゃうぐらい、このラストはシンラツである。生き返ってもちっとも嬉しくなさそうに、マズそうにご飯を口に運ぶみのるがアワレすぎるが、これが人生ということなのかもしれない……。
だからこそ、みのるが小ばかにしていた息子こそが、父親のことをどう思っていたのか、本当は彼だけが悲しんでいたんじゃないかとか、みのるのためにそう思いたくなっちゃうのだが……なんたってピンクだと、女性がエロで絡んでこないと展開に登場機会がなくなっちゃうっていうのがねー。★★★☆☆
物語はまことしやかにささやかれる都市伝説からスタートする。とある電話ボックスに殺人依頼を貼っておけば、その願いを引き受けてくれる。金銭を要求するでもない、ボランティアと言ったらアレだけれど、無報酬で引き受けてくれる。
都市伝説がではなく、本当にいた訳なんである。各地で勃発する不審な死亡事件の現場に、宇相吹はいつも居合わせている。まるで自分を見つけてくれと言わんばかりに、必ず目撃され、防犯カメラに映り、捜査を遠くからじっと眺めているんである。黒スーツ、顔色の悪さ、うっそうとした髪の毛の下に不敵な笑みを浮かべて。
一度は重要参考人として引っ張られ、その名乗る名前の人物は存在しない、と問い詰められるけれど、とにかく証拠がない。
不審死を遂げた人たちは、刺されたと叫んで倒れて死んでも殺傷はなく、ハチに刺されたと思い込んで顔中腫れて死んでも毒物が検出されず、そのどれもが心筋梗塞や心臓まひや、見かけは自殺に見えたり、浴槽でおぼれたり、そんな死に方なのだ。
不能犯、ぽつりと鑑識の河津村(ヤスケン)が言った。新人刑事の百瀬が、マインドコントロールによる思い込ませで死に至らせるのではないかと推測してくるより前に、すべてを飲み込んだ暗い目をしてそう言った。
ヤーな予感はしていた。あのヤスケンにそんな単純な役割は振らないだろうと思ったから。
河津村の息子を痴漢の現行犯でとっ捕まえた夜目(矢田亜希子)が、無実を主張し続ける彼に、「お父さんも罪を認めてほしいと言っているよ」とありもしないことまで言って責め立て、ついに留置所内で自殺に追い詰めてしまったという、事件があった。その時河津村は夜目を責めることは一切なかった。でも……。
河津村は宇相吹に夜目の殺害依頼をしていたのだ。不能犯。絶対に証拠を残さない。鑑識という科学的根拠でしか動かないプロであるから、逆にその非科学さを利用したのだ。まさにこの物語の始まりは、宇相吹を追いかける警察の内部に、あったのだ。
ところで言いそびれたが、主人公は沢尻エリカ嬢演じる熱血女刑事、多田である。真剣佑君演じる百瀬を名前を読んであげずに新人、新人、としごき、少年院出所後まじめに働いている寿司屋の店員、タケルに慕われており、こちらは間宮祥太朗という布陣である。おーおー、今を時めくイケメン男子に囲まれておる。
しかし……間宮君だからなあ、とは、思っていた。不穏な空気がしていた。大体この物語に、美談を体現するキャラなんて必要なのか??と不自然さを感じたし……ピンチの時に多田を助けるとか?……なぜか、想像できなかった。
なぜだろう……すんなり更生したタケルが、この物語の展開にただただ異質な感じがしたのだ。ほかの物語の登場人物のようだった。でもこの物語の登場人物なら、答えは一つしかない。裏切り。
その前に。そう、本当にそもそも論である。宇相吹とは、一体何者なんだろう。そもそも、人間なのか。
彼が名乗った宇相吹という人物は存在しない、と多田たちは追及するけれど、アヤしい人物が偽名を使うなんてことは当然のことなのに、それを得々と言ってのけるケーサツさんに、ええ……と思っちゃったのは事実かなあ。そこを調べるのが仕事なんじゃないのと。でも多分、調べても出てこないのだろう。とてもとても、人間とは思えないんだもの。
なんていうかね、印象としてはドラキュラ。永久的に生きていて、やんなってて、誰か自分を殺してくれないかなあ、と思ってる。誰かを殺してくれと依頼はしてきても、自分を殺してくれる人はいない、そんな孤独、だなんて、想像もできないが、彼からは何か……そんな破滅的な空気を感じるんである。
それが、自分を見つけてくれとでもアピールするように、やたら目撃されたり、防犯カメラにわざわざニッカリ笑ってみたりすることなのかと思って……。
だって宇相吹は、ただ依頼された殺人をこなすだけじゃないんだもの。彼が殺人依頼を受けるには、条件がある。濁りがないこと。純粋な殺意で依頼していること。
もうこの時点でダメじゃん、と思うじゃない。濁りのない純粋な殺意なんて、ありえない。どんな人間でも、実行できない殺意を抱えてる。嫌いな、憎んでいる相手は必ずいる。心の中で何度も殺しもするだろう。
でもその殺意は、純粋、なのか??純粋な殺意って、何??なぜその殺意を実行に移せないかと言えば、もちろん社会に裁かれるとか、自分の人生こそが壊れてしまうとか、マトモな理由はあるだろうにしても、最大の理由は、それが自分のエゴやわがままや、克服できない弱さだと判っているからじゃないのか。
そしてそれを、宇相吹は判っているからこそ、それを条件に出してくる。そしてそうじゃなかったね、残念!とばかりに、依頼者を地獄に叩き落すんである。
ただ殺人を執行すればいいだけの筈なのに、彼らの殺意が独りよがりのワガママのエゴであったことをわざわざ調べ上げて、ご提示申し上げるのだ。
愛する妻をストーキングする町内会長の暴挙に耐えかねて殺人依頼をしたサラリーマンは、実は妻がクスリをやっていたのを町内会長が心配して見守っていたことを知り、さらに自宅で繰り広げられている淫乱なドラッグパーティーに遭遇して、妻も居合わせた参加者たちも殴り殺してしまう。
両親が離婚してそれぞれの親に引き取られて離れ離れになった姉妹、母に引き取られた姉はジュエリーデザイナーとして成功し有名になり、妹は苦学して風俗にまで身を落とす。
連絡を取った姉から疎まれたと憎悪を募らせ、殺害依頼、ではなく、姉の婚約者を、あらぬ嫉妬心から殺すように依頼するというまあ何とも言い難い……。
でも彼女も、姉が準備していた結婚式への招待状と、それに添えられた、正直な気持ちを吐露した、妹を想う手紙に心底後悔し、首をくくってしまうんである。
宇相吹は、すべてをわかってる。殺意に純粋なものなどないことを。殺す相手より、殺しを依頼する人間の愚かさを見たいがためのようだが、でもその台詞、「愚かだねえ、人間は」をつぶやく時の彼は、不思議に悲しそうでもあるんである。
一体、本当に、一体彼の目的は何なのか。人間の愚かさに絶望している自分を殺してほしいのか。
彼を何とか追い詰めたい多田は、それこそ濁りのない正義感の塊だけれど、宇相吹は、自分たちは似た者同士ですよね、という。彼女はその正義、優しさ、それは結局自己満足にすぎない。
いや、もっとひどい言い方をした。マスターベーションだと、自分が気持ちよくなりたいだけなんだと、そのことで、すべての人を追い詰めたじゃないかと、言った。
確かにこの時点で、多田の身近な人たちを、あるいは捜査中だけれど心を許した相手を、その気のゆるみゆえに死なせたり、重体に陥らせたり、していた。
そしてその究極が、ずっとずっと、その不穏さを、絶対に更生した好青年(シャレじゃないよ)のままで済む筈ない!とハラハラしていたタケルなのだ。
途中からいきなり、何の脈略もなく、テロかと疑われる爆発事件が報じられるようになる。これは、宇相吹の仕業でないだろうと直感する。
だって宇相吹は、人間が愚かなことを、見たいのだもの。それが何故なのか、判らないけど、無差別に人を殺して喜ぶ殺人犯じゃない。人のエゴを、殺人依頼を受けることによって、わざわざ丁寧にあぶりだして相手に突きつけ、殺される以上に苦しんで自分で死んでいく人間たちを、まるで呆けたように眺めていた。
彼は、人間だったのだろうか。それとも本当に死神??殺してほしい、そうでなければ 自分のことを止められないよ、と不敵に挑戦的に多田に言い続けていた。警察官の多田がそんなことはできないと判った上で、いや……本当の正義感を持っているならば自分を殺せるだろうと、懇願する気持ち、だったのか。
多田はずっと心揺れているけれども、そりゃやっぱり、殺せない。タケルに裏切られて、病院と保育園に爆弾を仕掛けた、と挑戦状をたたきつけてきた彼にも、信じ続けることをやめられない。
タケルが多田のそんな優しさ、正義感、信頼感を、裏切るためだけに、それを知った時のカタルシスを感じるためだけに、いい子ちゃんを演じ続けていたと告白してさえ、彼女は、だったら償えばいい、と言うんである。
ああ、……なんかこの期に及ぶと、タケルの気持ちも宇相吹の気持ちもちょっと、判っちゃう。人間は基本愚かで、バカで、わがままで、エゴイストで、どーしよーもない存在だ。なのに警察という法はそれを、プラスかマイナスで絶対的に裁く。
その警察の中にだって、そんなプラスかマイナスで裁けないことを判っている人がほとんどだけれど、多田だけがそうじゃなかった。だからこそ彼女だけが宇相吹のマインドコントロールにかからないし、だからこそ自分が更生させたと信じていたタケルの真意に気づけなかったのだ。
結局ラストまで、彼女は本当に気づけているのか。新人、と呼び続けた百瀬がタケルが仕掛けた爆弾で重篤に陥り、危険な状態が続くけれど、目を覚ます。その時多田は初めて、百瀬巡査、と呼びかけ、敬礼をして迎える。
百瀬は見た目からしてなんたって真剣佑君だし、考え方も純粋そのもので、これからいろんなことに遭遇していくんだろう。多田が経験したようなことを、彼もまた経験していくのだろう。
そして宇相吹は、多田が信じる気持ちを持ち、闘う気持ちを持ち続ける間、依頼にこたえ続け、ずっと彼女を苦しめ続ける。人間は愚か。その言葉を唱え続けながら。★★★☆☆
ああ、私も眠くて眠くて仕方がなかった。特に10代、20代。高校生の頃なんて眠い記憶しかなかったぐらい。
加えて言えば私は絶望的に記憶力がない。記憶がどんどんあいまいになっていく。学生時代の友人と話していて驚くのは、当時のクラスメイトや先生の名前をよく覚えていること。私は自分周辺の友人以外は正直一人も思い出せない。
そしてこんな風に映画感想サイトを作っているのは、私が観たそばから忘れてしまうからなんである。覚えているのは中学生、高校生時代に観た数本の映画ぐらいなもんである。
さまぁ〜ずの三村さんだったかなあ、映画か小説か、凄く好きなんだけど覚えていられない、観たそばから読んだそばから忘れてしまうから好きなんだとおいそれと言えないと言っていたのを耳にして、ああ同じ同じ!!と思った。
えー、かなり脱線しましたけれども(爆)マリノの、過去を覚えていない、というのがそういう気質的なものとはまたちょっと違うような気はするけど、眠くて眠くて仕方ないこと、床ずれが出来るほどに眠ってしまって、もはや眠っているのか起きているのか判らないような状態の彼女が、なんか、判るかも……と思ってしまえばまさに符号が合ってくるのだ。
冒頭、マリノはがばりと起きる。目覚ましが鳴っていたか鳴っていなかったか。パジャマ姿のままドアを開けるから、新聞でもとるのかと思ったら、そのままバタン!え!マジ!?
まさにザ・パジャマの状態、しかし足元は黒のショートブーツ。明らかに異様なのに、信号待ちしている人たちはさしてじろじろと見る訳でもないあたりは現代の都会というべきか。
しかしここはほんのりと野暮ったい雰囲気の漂う下町商店街といった趣で、マリノが向かうのは勤務先である昔懐かしい感じの喫茶店。パジャマ姿で現れたマリノに女店主は慌ててユニフォームを手渡してトイレに押し込む。
「なにそのあざ、床ずれじゃないの?」マリノはぼんやりとエプロンをかけ、ぼんやりとテーブルなんぞをふいていると、寝具のチラシが。
寝具営業マンが置いていったものらしい。床ずれするなんて、お布団かえたらいいんじゃないのと女店主が言うのもなんか観点がズレてる感じがするが、素直にそれを聞き入れて、マリノは布団工場に向かうんである。
寝ても寝ても寝足りないマリノが向かうのが布団工場。うーむ、ストレートのようなシュールのような、思いもつかない展開。そこでマリノは店の常連客である青年、マモルに行き合い、いい寝具をレクチャーしてもらいながらこれと思うお布団をゲット。
「持ち帰ってすぐに寝たいから」と抱えて持って帰ろうとするマリノにせめてとキャリーカートを貸し付けるも、マリノは信号待ちで眠くなってお布団に寄りかかって寝てしまう。相当である。
仕事終わりのマモルが遭遇し、彼手ずから布団を運んで送っていくも、マリノはまだぼんやりしているのか、布団を運んでいるマモルを置いて一人、路面電車に乗って帰ってしまう。
もうなんか、思いもつかない展開の目白押しで、でもなんかのんびりしていて、ふふと笑って見てしまう。途方に暮れたマモル君だが、ちゃんとマリノの勤務先である喫茶店にお布団を届けているあたりは律儀ないい青年である。
凡百の物語なら、この二人がイイ感じになりそうなところだが、みじんも、まったく、そういう雰囲気にはならない。
マモルには同棲している恋人がいる。のちにマリノの幼なじみで親友であることが明らかになるミノリである。布団工場で働いている。つまり、布団を買いに来たマリノと知らずにすれ違っていた訳である。
ミノリに言わせれば、マリノは突然姿を消した。学校に来なくなって、連絡が取れなくなった、というんである。
後々考え合わせると、どうやらマリノは両親に死に別れて天涯孤独になったとか、そういうことが推測されるんだけれど、マリノは記憶を封印するがごとく、覚えていない、ぼんやりした印象を返すばかりなのだ。
ミノリが写真まで引っ張り出してきて、幼い頃一緒に社交ダンス習ったよね、と言ってもあいまいな笑みを浮かべるばかり。
このあたりの深刻そうな状況を掘り下げればいくらでもメロドラマになるのだけれど、そうはしないところが本作の凄いところである。
マリノが今一人でいる状況は、あくまで推測されるというだけにとどまる。両親がどうしているのか、死んでしまったのか、ただ家出しただけなのか。マリノがそれまでのケータイを公園の砂場に埋め込んでいたのはどういうことなのか。
それを見つけたマモル。番号は変えてないから、マリノの今持ってるスマホにかかってくる。ブツを捨て去っても追いかけてくる自分の過去に、マリノはいらだつ。
マモルもまた、もやもやした悩みの中にいる。寝具営業というのは……お金に余裕があるとはいえ、年寄りをだまして何十万もする寝具を売りつけることに、マモルは抵抗を感じている。
同行する先輩は、いい値段がするのはいいものだからだ。せっかくそういう商品を作ったのに、それを売らない、売りたいと思わないのか、と、至極まっとうな、営業マンとしてのマモルの脆弱さを厳しくしかりつける。
先輩の言うことはまさしくである。マモルはその売り付け先が、こぎれいにはしているけれど粗末なアパートに住んでいる、妻に先立たれた初老の男であることが引っ掛かっているのだろう。
しかもマモルに、遺影として飾られているこの奥さんがしれっとダイニングテーブルに同席しているのが“見えて”しまう。
死者が見えてしまう展開になるのは、マリノが布団を買ってから、だったらやっぱりマリノが見ている両親は死んでいるのか……。
酔っぱらってマリノの家にお泊りするミノリもまた、その姿を見てしまう。ミノリは、なんていうか、なんともイイ子なんだ。マリノとマモルが出会った後にミノリの存在が明かされたから、凡俗な三角関係が頭に浮かんだが、全然そんなんじゃないのだ。
マリノがそうしたところから離れている、というか、マモルがミノリと腕を組んで歩いて行った後姿を目にして、さっと引いた感覚もあったから、ちょっと思うところもあったのかもしれないけれど。
でも、なにかね……この三人の中で比重が重いのは、やっぱり女の子二人なんだもの。
ミノリはマリノとの再会に有頂天になって以降は、マモルのことはすっかりおざなりである。女の子の友情ってのは、よく軽薄に見られがちだが、決して決してそんなことはない。時に男なんぞ捨て去ることだってある。
ミノリがマリノと再会した時の喜びようったら、なかった。エプロン姿のマリノを容赦なく、最後に遊んだ渋谷に連れ出した。プリクラ、カラオケ、そしてそこで幼少期いやいや習っていた社交ダンスを踊ってみたりして。
本当に、恋人に再会したがごとくの、ミノリの喜びようだった。マリノがちっとも記憶を保持していないと判ってくるにつけ、まるで恋人の浮気を責め立てるように、いらだった。
女の子同士の友情は、時に実際の恋人をほったらかしにするぐらいのパワーがあるのだ。ミノリのような友達がいたら。マリノは幸せだなあと思った。こんな女の子がいたら、どんなにつらいことがあって、記憶を封印することになったって、きっと何とかして生きていけるような気がするもの。
マリノが、外にも出ていけるような部屋着じゃなくて、きっちりパジャマに着替えて寝ていることが、意味深いものに思えたんだよなあ。
そういう意味では私はマガイモノかもしれない。パジャマを着なくなって久しい。寝ている時間と、そのまま家で過ごしている時間が地続きである。パジャマに着替えて寝る、ということをしなくなったのはいつからだったか。それこそ一人暮らし、親元から離れてからだった。
そのまま外に出ていける程度のカッコにしてしまったのは、ものぐさに他ならないが、それ以上に、睡眠に対するリスペクトが失われたからだったのかもしれない。
大げさ??でも、重要だと思う。眠るときに、その正式なユニフォームに着替えなくなったということは、睡眠へのリスペクトを捨て去ったということなのだ。マリノのように寝ぼけて、うっかり外に出ても恥ずかしくないカッコで寝てしまうことは、快い睡眠への冒涜なのだ。
いや、マジで、これはジョークじゃない。本当に、なんかしみじみ、そう思ってしまった。
私は最近、妙に現実と地続きの夢を見る。妙にリアリスティックで、妙に生々しく詳細な。それはそれで楽しいけれども、眠るという儀式をすっ飛ばしているから、真の休息が得られていないってことなのかもしれないと、思った。
ラストシークエンスはまた、シュールなんだよなあ。マリノとミノリはかつて自分たちが通っていた小学校へ赴く。記憶を失いがちのマリノだったけれど、ミノリからのおせおせのラブラブ友情で、だんだんと思い出してくる。
ゴム引きの校庭に描かれたケンケンパに興じたところに、マモルがお布団をごろごろ引いてやってくる。だってさ、マリノはせっかく買った羽毛布団をミノリと共にザキザキに切り裂いて、一晩ミノリと、一晩マモルと、舞い上がる羽毛にまみれてすごしたのだもの。
ナニをやったわけではないが、不思議な三角関係である。きっとね、きっと、こういう結びつきが増えてくるんだろうと思う。
男と女に友情は芽生えない。そんな決めつけにイラついてた幼少期の私が、留飲をさげまくる今の社会がやってきた。LGBTQを前提とする、それまでの社会の、性差の単純な分け方の愚かさが前提になっているのだけれど、それもまだまだ、始まったばかりの道半ばである。
こういう話を、ザ・昭和の男だった父親と話したらどうだったんだろうとよく思う。マリノの背後にうっすらと過ぎ行く両親、布団を売りつけに行った団地の初老男子。
本作は特段、LGBTQといった、特定された社会問題にまで踏み込んでいる訳ではないんだけれど、ふんわりとした世界観だけに、むしろこんな風に、日常的な世界観の問題提起にこそ、きちんと問題提起を付与していかないと、片手間片手間で終わってしまう気がした、のだった。★★★☆☆
カタギ、というのは五郎が再三口にすることである。今度こそカタギに、が口癖である。最新の映画でもそんな台詞を耳にしたなあなどと思う。
五郎は出所したてという訳じゃなく、刑務所で意気投合した守山言うところによると、五郎の方が先に仮釈放で出所して以来の再会だというんだから、五郎はまだ、カタギになり切れないままこの京浜の地に流れついたんである。
そもそも本作のどあたまは、入江崎一家の親分さんが天ぷら屋で襲われるというシーンから始まる。襲われると見せかけて彼に殺しをさせ、ムショにぶち込むのが東友会の目的だった。
そのためには手持ちの二、三人亡くしたってどってことない、それでこの京浜一体の縄張りを手に入れることができるんだったら、とほくそ笑むんである。
この冒頭ですでに東友会が、ヤクザの仁義も判ってない、いや、判る気もない、暴力団という後の名前がちらつくようなクズどもだということがよっく、判るんである。
そこにも五郎の昔の仲間がいる。東友会に骨をうずめるというよりは、拾われて任されているといった感である。カタギになれずに流れ流れる彼らは、そうした者が多いのだろう。
だからこそ裏切り者も出る。東友会が隆盛を極めてくるから入江崎組側からスパイが出るのだが、彼もまたその口であろう。
でも東友会は利用できるものは利用してあとはポイだから、この悲しき裏切り者もただ消されるばかりなのだが。
おっと、先走ってしまった。そういう意味では入江崎組は古き良きまっとうな?ヤクザ、いやこの場合は侠客と言いたいな、そんな組である。親分がお勤めに入っている間、後を任されている代貸の守山の品のあるたたずまいからそれをぐっと感じ取れる。
五郎を演じる渡哲也の、どこか少年のようなやんちゃさに比して、守山を演じる江原真二郎の端正な落ち着きが印象的なのだ。いやー、いい男である。
彼は妻に小料理屋をやらせ、夫婦仲はすこぶるいい。亭主関白になりすぎない方がいい、と五郎が進言するのは、守山を立てて愛想よく可愛らしく立ち回る奥さんが完璧な間合いなことを取り越し苦労するぐらい、夫婦の間合いは完璧なハーモニーなんである。
奥さんは妊娠している。でもそれを夫に言えない。あんなに夫婦仲がいいのに、言えない。それは、組が大変な時だと判っているから、一瞬でもその報告に眉を曇らせられたら、と奥さんは恐れて言えないんである。愛するが故。
堕ろせとかそんな非道なことを言う人じゃないことは判っているけれど、言えないからこそ苦悩する反応を恐れて、彼女は言えないのだ。
ここにもカタギとヤクザ者の悲しみの風景がある。そしてそこに挟まるのが、なかなかカタギへの道を踏み出せない五郎と、カタギの立場で五郎と出会い、そして守山の奥さんの妹という偶然の再会である弓子なんである。
江原真二郎はほんっとに、イイ男だったなあ……。この時点でついつい過去形で言ってしまうのは、ヤクザにしとくにはもったいない、この静謐で思慮深い美男子が、きっと……非業の死を遂げるだろうことが予測されちゃうから。
工業都市である京浜のこの舞台が象徴するように、カネカネカネでのし上がっていく仁義なき者たちによって、時代は動いていくのだ。
間に挟まる哀しいエピソードがそれを象徴している。入江崎組の下っ端、勲が兄貴分と一緒にいたところに東友会に襲撃される。たまたま近くのおでん屋で一杯やっていた五郎が駆けつける。
勲が組に加勢を頼みに駆けだそうとするところを五郎は制する。ここで逃げ出したと思われたら指の一本や二本じゃすまない。闘うんだ、と。五郎が生きてきたヤクザ道の厳しさを思う。結果がどうあれ、なのだ。ひどく現実的だ。
五郎はこの若者の行く末を心配して、彼こそが勇敢に闘った、たまたま居合わせて駆け付けたけれど、自分は何の役にも立たなかった、と証言する。ワカモンを思う気持ちは判るけれども……これが裏目に出ちゃうんだよね。
正直、五郎のやり方は間違っていたと思う。勲のプライド、いや違うな、五郎さんが仕立て上げてくれただけの男にならなくちゃという焦りのようなものが、彼に芽生えちゃったんだと思うんだよなあ……。
弱虫だったのに、五郎が言いつくろってくれちゃったおかげで、根性のある男だと一目置かれて……これはいたたまれないよ。
入江崎組と東友会の、抗争が勃発する。守山は悔しい思いもあっただろうが、東友会との手打ちを第三者の親分さんに引き受けてもらっていて、これで穏便に解決、というところまで来ていたのに、キチクな東友会は、手打ちまでの三日間で叩き潰せば仁義も何も関係ない、こっちの勝ちだろ、と仕掛けるんである。
ああ。侠客という美しい世界は死んだ。手打ちが決まっているのを、その日程のすきをついてくるなんて、言語道断!!
保身ゆえにスパイに転じた入江崎組の裏切り者も、東友会の京浜地区を任せたとばかりに持ち上げた流れ者たちも、結局は金の亡者である東友会幹部たちにゴミクズ以下に切り捨てられる。
入江崎組とは敵同士の図式だけれど、卑怯な東友会に陥れられた悲しき同士で殺しあうしかない形なのだ。汚い。なんて卑怯な。
五郎はさ、カタギになりたくて、守山のところに居候して、カタギになるべく職探しをしている、という前提だった筈なのに、結局は全然、職探ししてねーし(爆)。
先述のワカモン、勲が力不足なのが判り切ってるのに、男になりたくて、焦っちゃって、たまたま東友会の幹部連中がサウナを無理やり貸し切ったところに居合わせて、ぶるぶる震えながら、ドスを構えるのだ。
バカバカバカ!!絶対お前死ぬに決まってんだろ!!五郎がそこに飛び込んで、なんとか彼を救い出そうとするけれど、ダメなの……。
一番悲しかったのは、守山がヤラれちゃったことである。第三者の親分さんに手打ちを引き受けてもらったことで、安堵していた。奥さんとともに安産のお守りをもらいにお参りに行こうと誘った。めっちゃ幸せそうな、喜びの奥さんの表情に、これは……ヤバいぞと思った。
殺される。絶対、幸福の絶頂で、殺される!!そして……その通りになった。マジで勘弁してよと思う。ヤクザは、てゆーか、男は死して美しく完成!するのかもしれんが、残された女たちは生きていかなきゃいけんのである。
あーでも、まあだから、男たちはカワイソウだけどね!死が美学だなんて、戦争、特攻の時代から男の悪しき美学だわさ!!
……ちょっと口が過ぎましたが。そうそう、言い忘れてた。守山を守ろうと銃弾を受けた五郎が、医者に行ったら足がつくからと、弓子のアパートで煮沸消毒したはさみで弾を取り出そうとするシーン!!うわわわ。
しかし息も絶え絶えの五郎は結局自分では取り出せず、「見ない方がいいぜ」とか弓子に言ってたくせに、結局彼女がそのはさみを手に取り、ぐりぐりぐり!うわーうわー!!女は強し……。女は血に強いんだもん!
そしてなんかもう、なんかこのシーンは耽美な美しさで、ちょっとコーフンしてしまった(爆)。
ラストシークエンスは、あんなにカタギになりたがっていた五郎が、もう怒り沸騰、東友会幹部たちがゴーゴー喫茶の地下の秘密接待室から、ガラス張りのフロアで踊るパンチラ女子たちをよだれ垂らして眺めながら酒飲んでるところに斬り込むんである。
もうね、復讐しても、守山も勲も返ってこないんだけどね……。極道映画はこのむなしさが常に付きまとう。五郎が一匹狼という存在を、本作の中でなんとかとどまり続けるから余計である。
五郎はカタギになりたかったけど、結局なれず、でもどこかの組に所属して責務を全うしたという訳でもない。人道的義憤にかられた、と言えば聞こえはいいけど、誰のために犠牲になった訳でもないのだ。
もちろん、観客にとっては判る。判るけれども、ヤクザ者サイドからもそうじゃないサイドからも、ひょっとしたら五郎は、卑怯な立場と言われても仕方ないのかと思ったりして……。
ラスト、五郎が迷い出るのは、雪が舞い散り、殺伐とした荒原である。カタギになるって、そんなに難しいの……。女で良かったよ……いや別に、うちはカタギの家庭だけど……。★★★☆☆
いや、誰もが思うのは、誰よりもボクシングを愛している、涙が出るほど優しい瓜ちゃんに、一度でいいから勝たせてあげたいということなのだ。だから何度も何度も負け続けても、ジムのオーナーは前座試合に彼を出し続けるし、皆もかたずをのんで応援する。妖怪みたいな独特の風貌と声のオーナーが彼を呼ぶ、瓜坊、という呼び方にその愛があふれてる。
瓜ちゃんを演じるのは松山ケンイチ。もともとだーい好きな役者さんではあるが、ああ、私は、こんな彼が見たかったんだ、きっと!!と思った。天才的な役者さんだから、時に鋭く、時に怖いような役柄も数多くあるが、こんな風にふんわり、優しく、いい人な瓜ちゃん、瓜坊は、どこか彼自身のパーソナルにつながるような気が勝手にしてしまう。
そして彼の親友であり、こちらは才能に恵まれたボクサー、小川を演じるのが東出君。めちゃめちゃ胸が高鳴った。この二人と言えば「聖の青春」だ。羽生善治に乗り移ったかのようだった東出君、彼に驚かされた最初だった。今やヤバい役者の一人となった東出君の、覚醒の始まりだったと思う。
そしてあの時彼は「松山さんと殺しあうぐらいの気持ちで」芝居をしたと語ってて、まさに!!と思ってめちゃくちゃ興奮したのを覚えている。
あの映画が将棋というめちゃめちゃ静の世界であったのに比して、今度はボクシングだ。めちゃめちゃ動である。そしてまた二人は、お互いこぶしを交えることはない(だって、レベルが違うから……切ないなあ)のに、やっぱり、殺しあう気持ち、なのだ。
お互い隠している、気づかないふりをしている、でもお互いがそう思っていることにこれ以上なく気づいている。だって親友だから。羨望と嫉妬。それは不思議なことに、二人ともにお互いに対してある感情。ボクシングと、愛する彼女との間に。
昨今は秀逸なボクシング映画が立て続けに出てきていて、お、またボクシング映画、しかも大好きな吉田監督じゃんか、この人は厳しい映画撮るからなあ、と、これまでのボクシング映画のどれにも少なからずあった、ボクサーのストイックさが基本にあって、ドラマも人間関係もキャラクターもピリピリしっぱなし、みたいな、気の抜けない人間ドラマ、というのを予期して対峙したら、全然違った。
いや確かに、気の抜けない人間ドラマではある。でも、ボクシングにすべてをささげて、もうこれ以外に生きる道はない!!とかいうんじゃなくて、いや、ある意味そうとも言えるんだけど、なんていうのかな……市井のボクサーたちの物語、なんだよね。
私たちが目にするプロボクサーは、テレビ中継とかされて、亀田三兄弟とかさ、強くてカリスマ性があって、会場マンタンに客が入って、派手なガウン着て入場、みたいな、それしか知らなかったし、大なり小なり、ここ数年立て続けにあったボクシング映画もそういう側面はあったように思う。
しかし、まず瓜ちゃんはダルダルに着古したTシャツ姿でリングインする。前座の選手というのはそんな感じなのだろうか。何せ知らないから……。いわば前座選手としては大ベテランの瓜ちゃんだからこそなのか。
瓜ちゃんが所属しているジムには、まだプロテスト前の練習生ながらゴリゴリにプライド高いヤツもいて、試合に負け続けの瓜ちゃんに弱い瓜田さんに教わりたくないっすから!!とか吠える気の強さでさ。
もし彼がプロデビューしてたならそのデビュー戦からハデハデに演出していたんだろうなとか、いや、瓜ちゃんだってデビュー戦の時にはそうしてたかも、今やもうアキラメムードでそうなっちゃったのかもしれないなあとか……。
“プロテスト前の練習生ながらゴリゴリにプライド高いヤツ”ってのが、かなりのキーマンになる。その前に、もう一人の重要人物である。柄本時生君演じる楢崎である。
登場時は、なんたって柄本時生君だもんねーとかって、コメディリリーフだよねみたいに決めつけて(失礼千万……)見ちゃってた。だって楢崎は、実にフザけた理由で入会してきたのだもの。
バイト先のパチンコ屋で、明らかに未成年が喫煙していたのを注意したら逆にボッコボコにされてさ。楢崎が岡惚れしている同僚女子が、「(あえて手を出さなかったのは)ひょっとして楢崎さん、ボクサーなんですか!?」ととっぴょうしもないことを発言したからなんであった。
そんな具合だから、瓜ちゃんが基本の縄跳び練習から仕込もうとしても、ボクシングやってる風のかっこいいヤツお願いします、とか言う始末。でもそんなこと言われても、瓜ちゃんは怒らないんだよね。彼の理想を分析しつつ、どうやったら基本も交えて教えられるか、きっとそんなことを頭の中で計算して、いいところをきちんと見つけて褒めて、楢崎はすっかり、いい気分になっちゃう。
ジムの中にはそんなゆるゆるな楢崎を快く思わない、先述の練習生もいたりするし、最初のスパーリングでコイツからボッコボコにされちゃう。でも瓜ちゃんはちゃあんと、楢崎のいいところを見ているんだよね。
「最初のワンツー、良かったですよ。手応えあったんじゃないですか」やりたくないスパーにボッコボコにされて、ぐすぐす泣いていた楢崎がその台詞で泣き止み、思わず笑顔を見せた。
いつだって、瓜ちゃんはそうなのだ。誰もが見逃す、ヨワヨワに見えるヤツの中にも、きちんといいところを見出して、時にはわがままもちゃんと聞いて、その才能を引き出す。
瓜ちゃん……トレーナーとしては最高だと思うのに。実際瓜ちゃんは他に仕事することなく、このジムにいつも詰めているから、糊口をしのいでいるのはトレーナー稼業なのだろうと思われる。他に仕事をする発想が浮かばないほど、ただただボクシングが好きなのだ。
ダイエット目的出来ているおばちゃんたちに、負け続けなんだって?就職とか考えないの?と無遠慮に声をかけられた時、いやあ、これ以外やりたいことがないんで、と無難にかわしていたけれど、そうじゃない、そうじゃないんだ。
やりたいことがないどころか、好きで好きでたまらないから、ボクシングに何もかも捧げてるんじゃないか。なのに。ボクシングの方は、彼を愛してはくれないんだ……。
だからといって、ボクシングに愛された才能を持つ男たちが、幸福な訳ではない。まずは東出君演じる小川である。日本チャンピオン目前の位置にある。しかし彼は……長年のボクシング生活が脳に損傷をきたしている。
再三、異常な物忘れ、激しい頭痛、嘔吐、めまい、ろれつが回らなくなる、配送の仕事での接触事故と繰り返し描かれ、それがすべてハンパない描写なもんで、もうこの次には彼死んでるだろ!!とドキドキするのだが、だましだまし、小川はボクシングを続けているんである。
瓜ちゃんの幼なじみでもある小川の彼女の千佳は当然心配しまくり、何かというと瓜ちゃんから言ってくれないかな、と相談を持ち掛ける。
瓜ちゃんが彼女を愛していることが判っちゃうとこれ以上ない残酷な相談なのだが、千佳にとっては彼女としての自分の無力さ、それこそプライドが破壊される辛い相談であることも確かなんである。
ボクシング映画、男子がボクシングをする映画、に関して言えば女子はほぼほぼ……無力である。どー考えたってこのまま続けたら死ぬでしょ、という恋人に自分の言葉が届かないことを自覚せねばならない。
そして信頼している、彼の言葉ならきっと聞いてくれるからと相談した瓜ちゃんさえも、言葉を濁しまくる。命の危険以上に、そして恋人である自分との未来以上に、日本タイトルというものが大きな存在なのだということを、瓜ちゃんは、彼女を刺激しないようにゆっくりと、でも、本音をにじませて語る。自分にとっては夢のまた夢の舞台。自分でも当然、同じ選択をするだろうと。
瓜ちゃんがもし、小川のような天才の存在より先に、楢崎のように、センスと才能は同じくあるけれど、少し自分と近しい、優しく気弱な青年と先に出会っていたら、ちょっと違っていたような、気がする。二度目に足を運んだのは、瓜ちゃんと共に楢崎君にももう一度会いたかった、からだった。
最初は不純な動機からジムの門を叩いたけれど、思わぬ才能を発揮、しかし先輩練習生を差し置いてプロテストに合格しちゃったことで嫉妬され、この先輩が瓜ちゃんをさげすむような言い方をしたことに楢崎君はカッとしちゃって、スパーリングを申し込んだのだ。
まさかそれがあんな結果になろうとは……。瓜ちゃんの指導の基本がしっかり身についていた楢崎君は、次第に冷静さを失って大振りをかましてくるこの先輩を、ボッコボコにしてしまった。
きちんと防具はつけていたけれど……先輩は、人事不省に陥った。ボクシングはもうできなくなってしまった。
正直、ね。この自信マンマンの先輩練習生にはかなーり、ムカついてたのよ。いや、判るよ、彼の気持ちは。そもそも“ボクシングやってる風”が身に着けばと入ってきた楢崎君に対する軽蔑、そんな彼の方がプロテストに受かってしまったことへの納得のいかなさ。
それを瓜ちゃんを侮辱する形でぶつけたことに楢崎君が反発してボッコボコにしたから、その時にはついつい、よくやった!!とか思ってしまったの……。でもこんなことになって、ああ、こういうことが起こるんだと思って、楢崎君は当然頭を抱えてしまって、もう彼、ダメになっちゃうのかなと、思った。
でも、無事生還した先輩は、恐る恐る見舞いに来た楢崎君に、なぁんだよ、お前!!とからかうように笑顔をぶつけた。
やっと笑った楢崎君が、病院を後にする時、またしてもぐすぐす泣いちゃうのを瓜ちゃんが、あいつの分までボクシングするんだよ。もう泣くなって!!と優しく背中をたたくのがさ、もうたまらんのよ。そんなことされたら、もっと泣いちゃうじゃないのさ!!
楢崎を演じる時生君のチャーミングさもほんっと、たまらんかったなあ。随所で笑わせてくれるマヌケキャラな一方で、身寄りはおばあちゃんだけという彼。
しかもこのおばあちゃんは認知症気味で、万引きしたおばあちゃんを引き取りに行く場面で、「ごめんね、最近家にいられなくて」ともう訳判らんくなってるようなおばあちゃんに、なんか自分こそが悪いことしたように声をかける楢崎君に、そんなに頑張らなくていいよ!もっと外に、公的なこととかあるし、助けを求めなよ!!充分やってるよ!!とか声をかけたくなっちゃう。
だいぶ後半になって彼の事情が示されたからさ、お気楽なフリーターなのかとばかり思っていたからさ。おばあちゃんと二人暮らしの中で、決して経済的に豊かじゃない中で、ボクシングを始めたのが、単なる見栄だと思っていたけれど、それもあっただろうけど、それだけじゃないものがあったのかもしれないなあ……。
なんといっても、千佳である。瓜ちゃんの幼なじみで、小川の彼女、そしてのちに結婚する。結婚する時に、結婚式に、当然列席している筈の瓜ちゃんは、いなかった。
凡百の映画なら、なんでおめー、瓜ちゃんの気持ちに気づかないかね!ぶりっ子か、ありえん!!とか言いたくなるところだが、気づかないわね、そりゃあ。瓜ちゃんはだからこそ瓜ちゃんなんだもの。
千佳だけじゃなく、誰もに対して、瓜ちゃんが抱えている本当の気持ちを知られることはないのだ。誰もが瓜ちゃんのことが好きで、信頼してるのに。
いや違う。たった一人、瓜ちゃんの本当の気持ちを知っている人間がいた。小川。先述したけれど、お互い、知ってて知らないふりをしていた。
小川が日本タイトルをとった日、瓜ちゃんがまたしても負けちゃった日だった。楢崎が、自分も負けたことを瓜ちゃんの負けに転嫁するようにして荒れた飲み席の帰りだった。
瓜ちゃんは小川に、決定的な言葉を口にした。「今日だけじゃなく、ずっとお前が負けることを祈ってたよ。」
千佳は驚いて、おいおい、瓜ちゃん殴られすぎたか、と冗談めかそうとしたけれど、小川はまるで予期したような顔をして受け止めた。判ってた、と。
そうか、と瓜ちゃんはこれまたそれも判ってたよという顔で受け止めて、踵を返した。そして……それ以降、彼らは、彼らどころか、ジムの仲間たちも、瓜ちゃんに会うことはなかった、のだ。
瓜ちゃんがジムを去ってからの小川と楢崎のそれぞれの試合こそが、一番心にしみるものだったように、思う。
楢崎は、瓜ちゃんの仇討をしたいと思った。デビュー戦の顔して、実はキックボクシングのキャリアを重ねていた選手、瓜ちゃんをもてあそぶように長引かせた上にぶちのめした男が相手を探していた。
力量が全然異なっているのを承知の上で、闘いたい、と申し出る楢崎君に、仇討ちか、と彼の頭を子供にするみたいにぐりぐりやる妖怪オーナー(爆)に涙が出る。
小川といえば、もうこれ以上やったら廃人同然なのに、続けていて、これを引退と決めた試合で、負傷のためスッキリしない幕切れになる。
楢崎君は負けたけど、瓜ちゃんから送られてきた分析ノート、そして何より、試合のピンチの時に思い出した瓜ちゃんの授けた基本トレーニングが彼を目覚めさせた。負けたけれど、会場外から聞こえてくるアナウンスは接戦を告げ、つまりはあの強い選手の、楢崎君に対してバカにしていた気持ちを直させたことを思わせた。
ボッコボコにされた楢崎君があしたのジョーみたいにぐったり椅子にもたれながらも、その口元に会心の笑みがこぼれたことに、彼の静かな描写以上にガッツボーズ!!
小川は、小川はさあ……。チャンピオンになったんだから、もうこれ以上やったらヤバい状態なんだから。なのに続けちゃう。瓜ちゃんがいたならと、千佳でなくても思うだろう。引き際というものがあるだろうと。
でもどうなんだろう。理不尽な幕切れの試合の後、明らかな脳障害で仕事でもミスを重ねて、小川はどうやら引退を決意したらしいけれど……。
チャンピオンになるまではさ、勤め先も彼のミスに対して寛容だった。まあ、障害がひどくなって起こしちゃう事故ものっぴきならないものになったてこともあるけれど、一度タイトルを取って、その後、それを守れなくなると、途端に冷たくなった。
未来への希望溢れるボクサーと、守りに入るそれと、そんなにも違うのか、そうなんだろうなと思う。そしてそこには、決して華やかなんかじゃない、市井の、ただボクシングを愛している人たちの、ささやかな物語があるのだ。
ラストは、魚市場に勤めている瓜ちゃんをとらえる。ああ瓜ちゃん!!元気だった!!水くさいじゃない、黙って姿を消して!!
元気に働いている姿だけでうれしかったけど、彼は仕事の合間、シャドーボクシングを始めた。涙が出た。本当に瓜ちゃんはボクシングを愛してる。そして……ボクシングに愛されているんだと、この時に初めて思った。★★★★★