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小悪魔妻 美乳で誘う
2020年 67分 日本 カラー
監督:吉行由実 脚本:吉行由実
撮影:宮永昭典 音楽:
出演:琴井しほり 真樹涼子 里見瑤子 西山康平 可児正光 田中龍都 針田総偲 白石雅彦
圭一は、そうではない。彼は学生時代の友人たちから、マトモな恋愛をしてこなかった男、と周知されている。ことにそれを言い募るは気のおけない物言いをする玲子である。
玲子を演じる真樹涼子氏、ムダ?にセクシーすぎる。他の男友達とともに圭一の新居に遊びに来た紅一点の彼女は、明らかにもりもりに盛り上げた巨乳に谷間もばっちり、いくらピンク映画といえど不自然だろ……と言いたくなる。
まあそれは、圭一の妻のスミレを演じる琴井しほり氏が全く対照的に、スレンダーで少女のような可憐さを持っているのと強調して比べさせる意味合いがあるのかもしれない。
つまり圭一は明らかに、仕方なくの結婚である。いくらスミレが自身で画策したからといって、これはツラいに違いない。スミレの虚言は明らかにバレバレのウソ。どう見たってデパ地下で買ってきた豪華な料理を手作りなの、でもとっても簡単なのよ、この間インスタグラムに載せたんだけど、と言ってのける。
おもむろに流すピアノ演奏は、留学時代コンテストで演奏したもので、恥ずかしいんだけど、と言う。もし本当だとしても、ふつーかけるか、そんなもん……。
圭一は玲子にスミレのウソを見抜かれ、ここぞとばかりに愚痴りまくる。昔レイプされたことがあると言って、ある時から身体に触れただけで泣き出し、今やセックスレス。なのにヘンに挑発したり、誘惑するような行動に出る。
これまた明らかにウソである、「お隣のおじいさんから海外旅行のお土産でもらった」というセクシー下着姿を見せつけたり。……ここらあたりを、もうちょっと芝居心のある女優さんが演じてくれてれば、彼女の複雑な深層心理をあれこれ感じ取れたのかもしれないが、正直最初から最後までスミレの本音はナゾなままというのが正直なところ。
圭一の浮気にショックを受けはするものの、玲子の彼氏と「気が合っちゃって」あっさりセックスしちゃったり。圭一が玲子に心を移しているのを察したのはそのあっさり浮気の後だったから、それが原因じゃないもんなあ。
デパ地下で買ってきた料理を自分が作ったとウソついて、「フォロワーが動画も見たいと言っているから」とスミレは玲子の協力をあおぐ。玲子は映像制作の技術畑の仕事をしているんである。
これもまた、スミレはどんな気持ちで彼女に依頼したのか。夫の友人たちの手前の見得だけなら、その場で今度お願いしますというだけでよかったのが、料理なんかできる筈がないのにホントに玲子を呼んじゃう。
そして、マトモに玉子も割れないという恐るべきお嬢様の手つきで「緊張しちゃってるのかな」と言い訳をしたのちに、「昨日作っておいたから」と、まるで料理番組のパロディのように冷蔵庫から、オーブンから、明らかに出来合いのものを取り出すんである。
虚言壁というより、これはもはや狂気というか、明らかに病んでいる。こんな状態が他人にバレないと本気で思っているらしいことに戦慄を覚えるんである。
そんなスミレがただ一度、圭一にホントの手作りの料理、ガビガビのオムライスを作った。圭一はもちろん、観客も感激して、ああやっぱりスミレは圭一のことが好きなんだ。だから自ら殻を破って彼が好きだというオムライスを頑張って作ったんだと思った。
しかしその後、彼女の脳裏に玲子の彼氏との浮気映像がフラッシュバックされ、あれまそーゆーこと、罪滅ぼしであのガビガビのオムライスっすか、と一気に冷める。
冷めるが……でもそもそも、スミレの本心は結局見えないっていうか、圭一の浮気の痕跡にはストレートにショックを受けていたりもするのに……。
圭一の浮気相手は、そもそもは、玲子じゃないんである。おおお、里見瑤子!!私の中ではキュートで可憐な彼女がいまだ息づいているのだが、ベテランの域に達し、こんなめんどくさい、エロおばちゃんをイキイキと演じてくれることに喜んじゃう。
圭一の仕事は不動産業らしい。里見瑤子扮する顧客の祥子さんに気に入られちゃって、腕を組んでくるところから始まり、仮病を使って弱ったふりしたところでの強引なチュー、長年愛人を続けてきた社長に捨てられ、「このマンションは手切れ金なの」と激情たかぶらせて狂言自殺を試み、必死に止めた圭一をまんまとくわえ込んで、睡眠薬まで使って(!)、彼を朝まで拘束しちまう。
確かにこの事件が、大いなるきっかけではあった。圭一が浮気現場に忘れたと思い込んでいた愛用の手帳が、浮気の事実をにおわせるメッセージとともに玄関先に届けられていた時には、このエロおばちゃんの仕業だと思っていた。
しかし二度目、圭一が玲子と学生時代からの気持ちを確かめ合って愛し合った後に、再び手帳が届けられた時、ゾッとした。スミレの外見の可憐さと対照的なうっとうしさと比べて、玲子には男っぽいさっぱりした魅力を感じていたから、彼女がこんな、それこそスミレがしそうなことをしたんだと判ってしまったら、なんか急速にガッカリしちゃったんである。
そして実際は、スミレの方こそが、あっさりさっぱりしていたのかもしれないと思ったりするんである。彼女の演技力の稚拙さのせいかもしれないけど(爆)、スミレは結局は行き当たりばったりだけだったのかもしれないという気がしてきちゃうのだ。
本当に圭一のことが好きだから、ウソをついたり、セックスレスに陥ったり、それを打開するためにこれまたウソをついて誘惑に走ったりするのかなと思ったが、どうやらそうじゃない。
そう思いたがるのは、マトモな展開っつーか、ロマンティックなそれを期待する気持ちがあるからなのかと思い当たると、途端に顔が赤くなる気がする。
てゆーか、玲子はどうなの。まあ確かに、美熟女(年齢は若いんだろうけど、熟女的な熟れ熟れ感があるからさ)な彼女にとってあの彼氏さんは、明らかに格下、彼氏の方が玲子に執着し、嫉妬している感があった。
だからこそこの彼氏君があっさりスミレとヤッちゃって、その事実に関して当事者の誰一人としてうろたえもせず、騒ぎもしない。スミレがこれは最低限の礼儀だよね、とばかりに、その事実を告白して頭を下げる、それだけなのだ。
おいおいおいおいー。尺が決まってるピンク映画といえども、玲子に対してこの年下彼氏君はかなり惚れ込んで、執着してて、かかってくる電話にいちいち、誰だよ、男じゃん、とか気にしてたぐらいだったのに、あっさり浮気し、それを気にもせず、彼女も気にもせず、カップル交換、めでたしめでたし、みたいになるのって、ど、どうなの。
なんつーか……この脚本をもうちょこっと芝居力のある女優さんが演じたら、違ったような気がして仕方ないんすよ。
かなり、かなーり、メイン二人の女優さんの芝居がキツかった。設定はかなり面白かったと思うんだけどなあ。深い恋愛模様がセックスとともに味わえる予感もしたんだけど。★★☆☆☆
二人は一線を越えることを禁じられている。キスさえも、である。そのことによってお互いの虫が交接し、卵を産んでしまうからだという。つまり、今は虫を摘出するために二人に恋をさせて泳がせて、虫を大きく育てている状態。
虫を摘出しても卵を産まれちゃったらまた虫が産まれて……という解釈でいたのが、無事虫を摘出したのに血液中に卵を見つけて、これは大変、という展開になるんだよね。
なのにそれを発見した研究者は、意外に平気な顔をしている。それは、彼もまた卵保持者なんだけれど、人体実験よろしく放置させられて10数年、今でも僕は彼女を愛しています、とこの虫騒動の大ボスと言うべき女子高生の祖父である医者に言い放つんである。
これはどーゆことなのだろーか。卵はそのままで虫にかえらないのか。虫を摘出しようが卵を保持しようが恋心は変わらずに持ち続けるっつーことがもともと科学者によって証明されていたんだとしたら、そもそもそんな風に定義されたのはなんだったのか。
てゆーか、虫によって脳を犯されて彼と彼女が困っていたのは、幻覚による外界、他者への恐怖、拒絶であって、恋だどーのというのはかなり唐突な印象を受けるんである。
寄生虫が脳に住み着いて、自分や他人の皮膚がどんどん赤黒く浸食されていく幻覚を常に見ている青年、高坂賢吾(林遣都)と、他人の目が大きく拡大されて真っ黒に縁どられて彼女を覗き込んでくる恐怖にさいなまれている女子高生、佐薙ひじり(小松菜奈)。
賢吾にひじりの世話を依頼してくるのが謎の男、和泉(井浦新)。帽子をかぶってマスクをして手袋をして、それでも外に出ることも息も絶え絶えな高坂と、幻覚と幻聴に苦しみ、ヘッドフォンが手放せない佐薙。
人と関わるなんて以前の重い拒絶反応を持つ二人をなぜ和泉が引き合わせるのか。後から考えると、和泉がどうやって同じ虫を寄生させている高坂を見つけ出したのかも謎なのだが……。
小松菜奈嬢が自嘲気味に言っていたように、もはや20代半ばの彼女が女子高校生役、というのは、いや、全然見えるけれども、違和感はないけれども、でも林遣都君との年齢差は、実際の年齢差はさほどないとゆーそのままに、ほぼ感じないんである。
設定としては10は違うんだし、そのことによる二人の社会差というか、人生差というか、いろいろ面白い化学反応が考えられるのに、それをキャスティングの時点で放棄してしまったというのは惜しい気がする。いや、小松菜奈嬢は素晴らしかったし何の問題もないんだけれど……。
林遣都君演じる高坂は、手を湿疹で赤く腫らして、家に閉じこもって延々とパソコンに向かい、世界を終わらせるウィルスプログラム作成に没頭している。結果的には、なかなか解決できなかったバグをそのままに、中途半端に世の中にばらまくというクライマックスに至るのだが、中途半端にばらまくだなんて、佐薙に出会う前の彼は考えもしていなかった。
外界から拒絶されている自分が、両親のように自殺を選ぶことなく存在し続ける唯一の方法として、外界をぶっ壊すウィルスにすべてを託した。それは、知らずに自分が飼っている寄生虫という存在と、なんだか不思議と似通っていて……自分だけが苦しんでいる虫の侵食を、誰もにも味合わせたいと無意識に思っていたのだろうか?
謎の男、和泉から半ば脅迫に近い形で、佐薙と関わり始める高坂。傍若無人な態度をとる佐薙に、そもそも自分の領域に遠慮会釈なく入ってくる佐薙に、気も狂わんばかりの高坂、なのであった。
土足、ベッドに倒れ込む、最初の原形をとどめない料理をくちゃくちゃと食べる……高坂にとっては佐薙は充分社会に適応しているように見えたけれども、彼女もまた、普通に交通機関に乗るとか、普通にカフェに入るとか、そこで普通に注文するとか……すべてが出来ないのであった。
ある日、外界からシャットダウンしてくれていたヘッドフォンをひったくりに奪われてパニックになる。バッグを奪われたことより、ヘッドフォンである。
このあたりから、二人の距離が縮まり始める。そもそも、何のために二人を近寄らせていたのか、佐薙の方は最初から知っていたようだから、恋なんかするかよとめっちゃ警戒心を抱いて、それでもどこか意地のように高坂と会っていたのは、どこかで助けを求めていたのかもしれない。
誰か助けて。私は死にたくない。母親のように自殺したくない、と。母親と同じ虫を飼っているんだと祖父から告げられてから、彼女はずっと死を考え続けていたに違いない。
表面上は傍若無人な女子高生の鎧をまといながら、ずっと怯え続けていた。私はお母さんと同じように、自殺して死ぬんだと。
高坂との共通点が、親の自殺だということを知り、お互いに想い合うようになると、そもそもの虫という問題にフォーカスが当てられ始める。あれだけ幻覚、幻聴による潔癖症、視線恐怖症にさいなまれていた二人、デートするごとに、どんどんその壁を乗り越えていく。
それはつまり、それぞれが寄生させている虫が引き寄せられ、お互い恋に落ちるように仕向け、キスかセックスかで交接させようとしている、それはガマンしてもらって、摘出しやすくするまでお互いの恋心で虫を成長させる、ってあたりまで、佐薙はどうやら理解してて、あえて自分から罠に飛び込んだような趣があるのは、どうしてだったんだろう。
惹かれ合う虫、交接されて産み出される卵、クライマックス、謎解きの部分に係るそこらへんで混乱してしまって、これは良くないんだけれど原作を優しく解説してくださっているサイトを読みふけったが、余計に判らなくなる。
どうやら原作小説はもっと科学的というか、医学的というか、難解な印象で、なるほど、文学作品だもんね、という感じなのではないかと想像されるのだ。いわゆる人間の観念的な部分を、理系的、科学的、医学的アプローチで一度否定するぐらいの冷徹さで断じ、そこから改めてその観念こそが最も強い、未知なるパワーなのだとでもいうような……。
本作はハイパーな映像の力ワザにかなり力点を置いている印象で、正直言うとそれに押し切られてしまうような感覚がある。高坂は潔癖症、ではない。正確に言うと。幻覚で自分の手や他人の皮膚が赤黒く汚れていくのを常に目にしているから、なのだ。
常に洗い続けているためなのか、幻覚でそう見えているからなのか、高坂の手は痛々しく赤く爛れている。一方の佐薙の見えている世界も、常に悪意に満ち満ちている。漫画のように大きくなった瞳で彼女を覗き込む有象無象。そうした、二人にしか見えていない外界が、これでもかなハイパーVFXで描写されまくる。
そして前述したけれど、二人の年の差は設定上はある筈なのに、見た目にそれを感じない。これを感じることができたなら、ちょっと違ったような気もするんである。だってその年の差の設定には、意味があった筈なのだから。
30目前にして、ろくに交際経験のない高坂、という設定だったのだろうが(少なくともちらと検索しちゃった原作においては)、本作においては元カノとの悲惨エピソードなどが描かれ、そんなイタいチェリーボーイという印象を避けている感じがある。だから余計に、実年齢そのままに年の差、ジェネレーションギャップをどうも感じられない二人、フツーにお似合いのカップルじゃんと思っちゃう。
お互いの恋心がどうやら虫のせいらしい、という展開になり、佐薙はこれが自分自身の気持ちであると思いたいし、摘出して高坂への思いが消えることを絶対拒否する。
高坂もまた悩む。しかしこのまま虫を飼い続けていたら、彼女や自分の親たちのように、自殺に追い込まれるのか。高坂は目の前で首を吊った両親を目の当たりにした時から、自分は絶対に自殺しないと心に決めて生きてきた。それ以外はどんなに社会を憎み、外界に背を向けていたとしても。
佐薙はずっとずっと、自分の中に、いつかこの虫によって自分は殺されるんだと思い続けて生きてきた。高坂と同じように、幻覚幻聴によって通常の社会生活がままならなかったし。
しかし高坂と恋に落ちることで症状が軽くなり、でもそれが恋の力じゃなくって、虫によって恋をさせられているんだという自覚がある佐薙。でも自分の気持ちでの恋だと思いたいよ、そりゃさあ、そうだよ。
高坂にしたってそうだけど、二人が傲慢だったら。したたかだったら。虫がいることは認めた上でも、いやこれは、ホントに恋しているから!!と主張できたかもしれない。
手術の結果、どうなろうと、現時点での確信、自信が、持てるかどうかで、二人はくじけてしまった。まあ……フツーに、大体の人間はそうだろうとは思うが、凄く、凄く凄く、切ない。
恋心が失われるかもなのは本当に辛いけど、でも愛するお互いを死なせるわけにはいかない。ギリギリの選択で、高坂はなんとか佐薙を説得、いや、とゆーか、お互い捕まっていやおうなしに手術が完了していた、という感じに見えた。
あれだけ外と関われてなかった高坂が、そのたぐいまれなるコンピュータープログラマーの才能を発揮して、入社した会社ではや一週間で一目置かれる存在になっている。そりゃそうだよね、世界中を破滅に陥れるウィルス作成に没頭していたぐらいなんだから。
そのウィルスをばらまく日は決めていた。クリスマスイブ。通信網をすべてダウンさせれば、その日甘いデートをするはずだった恋人たちは連絡を取れなくなってしまう。
その計画を聞いて佐薙は満面の笑みを浮かべ、その日私たち、会おうよ、と言ったのだ。会えない恋人たちを尻目に、私たちは会うんだと。いやまあ、昭和世代から言えば、当日連絡が取れなくたって、事前に時間と場所を設定してれば会えるだろと思っちゃうのだが、もはやそーゆー価値観は通用しないのか。でも高坂と佐薙はまさにその昭和的約束を交わしたということ、だよね。
結果的にはハッピーエンドだった。二人はお互いの恋心を失わなかったし、高坂のしかけた中途半端なウィルスは、多少火花が散っただけで、逃げ惑う周囲をよそに、二人は満面の笑顔で向き合う。
井浦新と石橋凌というゴーカすぎるワキ布陣だが、とことなく、なんとなく、ファンタジックの気恥しさがぬぐい切れないのが、この重鎮を切りまわし切れなかった感があったようにも思う。
キャストが少なすぎるんだよね。動いているのはこの四人だけなんだもの。世界観としては広大なのに、関わる人物が閉じられまくってて、後は過去の人物が写真で語られるという閉じられまくりで。
VFXはめちゃくちゃヴィヴィッドなんだけど、それだけに、心理的精神的リアリティはちょっと、ちょこっと、ツラかったかなあと思ったり。★★☆☆☆
もう、予想がばんばん当たってっちゃうんだもの。あーこれ、赤ちゃんが流産するか彼が死ぬかだな、どっちかな。赤ちゃんが流産か。赤ちゃんのお墓参りに代わりに現れた彼の親友の姿に、あーやっぱ彼も死ぬか。ガンだろ、当たり!!みたいな。
なんなのこれ。レイプ、妊娠、流産、ガンで死ぬとか、父親の会社が倒産とか、離婚騒動とか、どれか一つだけでもあーあと思うような時代錯誤感なのに、全部入れやがる。波乱万丈にしとけばドラマティックというのは間違ってると思うんだけどなあ。
てゆーか、避妊しろよ、お前。おっと口が滑った(爆)。こんな具合に物語自体があんまりなんだけどさ。
えーとまず、彼と彼女はヒロと美嘉。そういやー、ヒロはヒロとしか呼ばれず、ホントは弘樹だったなんてことは触れられない。なんかそれ自体、かなり軽んじているように思っちゃう。
ある日携帯をなくした美嘉は、それを図書室で発見する。電話がかかってくる。相手は見知らぬ男子の声。しかも携帯に入っていたアドレスは全部削除されていて、「本当に連絡を取りたい相手なら、かけてくるよ」と。
いやいやいや、ダメでしょ。これはダメでしょ。何、これを人生哲学みたいに語ってる彼の器がデカいとか思わせたいの。ダメでしょ、これは。人のプライベートを勝手に侵食するっての、ダメでしょ。
しかもこの時点で二人は、面と向かってない。すれ違ってはいるけれど、少なくとも美嘉の方は相手の顔も名前も知らないのだ。
夏休みに入り、美嘉の携帯には彼から頻々と連絡が入る。もうこの時点でフツーに考えれば私なら着拒だが、美嘉はどうやら声だけの相手に恋しちゃっているらしい。
判らん。まあいいよ。確かにロマンティックではあるかも。アドレス消されたことに人生哲学教えられたような顔してたのは、単に男に征服されちゃったことにうっとりしただけじゃねーのと思っちゃうが(爆)、ワクワクはするさ。
声だけだからこそ充分に気持ちが通じ合って、いよいよ二学期、会おうってことになり、その相手が校内で見かけていたハデな金髪男子だったことを知り呆然とする美嘉。
しかし彼が差し出した、花壇から根こそぎ引っこ抜いてきた花に「かわいそうだよ」と言い残して去り、下校時彼がそれを花壇に植えなおしているのに遭遇。
遭遇するかよ、フツー。彼女に見せるためにタイミングを計りでもしなければないでしょ。「肥料たっぷりやったからな!」そんな小さな花に肥料たっぷりやったら逆に死ぬわ。
なんかこれで、美嘉は陥落しちゃう。そんで、チャリ2ケツしてヒロの家に遊びに行く。二回目に顔を合わせた時ですよ。いいですか。声で交流していたとはいえですよ。
キスまではいいさ。昭和なオバちゃんはドキドキはするけれども。でもその時の彼女の反応に、「ひょっとして、初めて?」キスは、ってことだわな。「優しくするから」……えっ?まさか、ヤるつもり……?やりおったー!!
これはないわ、ないでしょ。何が優しくするからだよ。キスも初めての女子に、顔を合わせて二回目、しかも授業中にメールで呼び出して家に連れ込み、優しくするからヤらせろってのは、ないでしょ!!
それを彼女は「こんな甘い痛みがあったんだね」とモノローグ。アホか。優しくするっていう気持ちがあるなら、二回目で、サボらせて、連れ込んで、ヤるかっての。
二人が付き合いだして早々に、美嘉は車で拉致され、集団レイプされてしまう。ヒロがその犯人をあっさり突き止めたからヤハリと思った、元カノである。演じる臼田あさ美氏の、彼女がいっちばんこれからの役者人生やったるわ!!という野心マンマン感じたなあ。めっちゃ気合入ってるヤンキー女子(爆)。
レイプの展開になった時はうっわマジですか、そんなヘビーな物語なの??とビックリしたが、先述したようにその後数々、ビッグイベント予想大当たりの展開になるので、このレイプも結局はその一つだったなと思い当たるとガックシくるんである。
他校に元カノがいるというのは、友達からの噂で知っていたが、ヒロはあっさり、別れたから、と言っていた。こここそが映画の尺の限界だったのかもしれんが、元カノから美嘉への経過、彼自身の心の変化が、映画作品である本作ではまったく、まあったく見えてこない。
元カノがあんなに怒り狂ってるんだから、ヒロはきれいに別れられなかったんだろう、しかもそのことを彼自身が自覚していなかったんだろうということだけが予測される。
だとしたら、集団レイプ後も美嘉に続々ふりかかる、学校中の黒板にインラン女の告発が書かれたり、ヒロとの間に授かった赤ちゃんが元カノが突き飛ばしたことで(これがさあ……ベタ過ぎるだろ)流産してしまったりすることは、ぜーんぶ、ヒロのせいじゃん。
なのに彼は、判ってない。インラン女告発事件の時に、粉だらけになりながら黒板を消して回って、俺が美嘉を守る!宣言まではまあ良かったよ。いや、男が女を守るとかうぬぼれ極まりないけれど、まあ10年前だから許してやるよ。
しかしその後がいけない。二人ラブラブに図書館にしけこんで、そこでヤっちゃう、って、どーゆーこと!!なんか盛り上がっちゃったんすか!ここで彼女は妊娠しちゃう。避妊しろよー!!!てか図書室でヤんな!!
でまあその、妊娠。高校一年生ですがな。ヒロは髪を黒く染めて美嘉の両親に挨拶に行き、高校を辞めて働くと直訴、当然そんな簡単に許しが出る筈もないまま、元カノに突き飛ばされて流産。
打ちひしがれた二人だが、毎年命日にはヒロが美嘉に送った花を植えなおした花壇に、ここに眠っているということでお参りにこようと約束する。毎年雪だるまはいいにしても、手袋が供えられたら、それを後で用務員さんが始末するんかなーとか無駄な心配。
しかしヒロは翌年になると急に態度が変わり、学校にさえろくろく来なくなる。決定的だったのは、乱交パーティー、とまでは本作では言い切ってはなかったけれど、そーゆー雰囲気。
手近な女の子を抱き寄せてキスしているのを目撃、ヒロから別れを切り出されたこともあって、美嘉は未練たっぷりながらも、それを受け入れるんである。
この、ヒロの変貌が、彼のお姉さんが口添えする、赤ちゃんの死に対する喪失感にしては割り切れないというか。
あれだけ美嘉に対して大切にするとか、ラブラブビームを出していたのがいきなりなので、なんだかなあと思いつつ、ここに至るまでもヒロのキャラ造形がどうにもつかめないままだったのもあって、まーそーゆー男だったのねと思ったところに、ガンで余命いくばくもない、である。
はぁ……である。難病モノ、今や国民病ともなって、健診をきちんと受けて、早期発見すれば不治の病なんぞではないガン、まだそーゆー使い方するかよ……とガックリしちゃうんである。
まあ確かに若い人は進行は早いってのもあるから、展開に使う病気としては手っ取り早いんだろうけれど、そもそも難病で若くして死ぬ、というのを物語の展開に使うってこと自体、もうホント、無いかなあ、と思ってるから。
それがリアルに辛い時代はあって、だからこそ命は大事とか、早期発見の大事さとかが語られた時代はあったけど、今はそうじゃないでしょ。ドラマチックにするためだけに、ガンだの白血病だのを時代錯誤に使うのはホンット、やめてほしいんだよなあ。
ヒロから手ひどくフラれて、美嘉は友人がセッティングしたクリスマスパーティーで、大学生の優と出会う。美嘉の心の傷をゆっくり理解してくれた彼から、ついに指輪を渡されたその日に、ヒロがガンで余命いくばくもないってのを、彼の代わりに手袋をそなえにきていた親友のノゾムによって知らされるんである。
ガンが発覚したのが高校二年生の時だったと。つまり、突然美嘉を遠ざけたのは、近い将来死んでしまう自分を思って、美嘉を遠ざけたってことなんだと。
まあ確かに、なるほどとは思ったよ。ヒロが急に無気力になったのが、彼のお姉さんが言うように、赤ちゃんの死を引きずっているんだとしたら、そもそもおめーが避妊しなかったからだろ、とかそらー思っちゃってたからさ。
でも理由を聞いてもピンとこないんだよなあ。うぬぼれてると思う。正々堂々と、自分は余命いくばくもないから、今後美嘉を幸せにできない。だから別れよう。今後一切会わない、と言えばいいだけ。
そう投げかけて彼女がどう判断するであり、恋愛というのは人間同士の真剣勝負なんだから、ヒロのとった選択は、美嘉はもっともっと、どつくぐらい激怒するべきなのだ。死にそうだからって、許しちゃいかんのだ。
でまあ、ヒロは死に、冒頭で意味ありげに示された、現在の美嘉に戻ってくる。久しぶりに休みが取れたと、社会人然とした彼女が実家に帰っていく。
色々、気になることがそのままである。理解ある彼氏を振り切ってヒロの看病、看取りまで至った。彼氏からは指輪までもらっていたのに、それを振り捨ててヒロの元に戻った。
ヒロは死んじゃうのが明らか。ああこんなことを言うのは卑怯だしズルいけど、キープしといたってそんな罪じゃないんじゃないのかなあ。そらまあ、潔いとは思うし、美嘉の気持ちも彼氏の気持ちも判るけど、でも、何もそこは切り捨てなくてよかったんじゃないのかなあ。せっかく用意した指輪投げ捨てるって、ああもったいない、高かっただろうに(爆)。
こーゆーセコいことを言うべきじゃないのかもしれないけれど、こーゆーところこそがリアリティなんだもの。ヒロだって、自分が死んだ後に、空となって美嘉を見守る時に、彼女が真に愛されてる男と幸せに暮らしているのを確認する方がいいでしょうが。ヘンケンかもしれないけど、このあたりがケータイ小説の限界、愛や人生を語る限界なんじゃないのと思っちゃう。
難病とか、死ぬとかっていうことを言い訳に、お涙頂頂戴ものにしてくるのが、いっちばん、嫌いなのだ。多様化社会になり、様々な議論がなされるようになった昨今ではなかなかなくなってきたけれど、たった10数年前にはあっさりあったのね、というのが、逆に感慨深い、というか。
ガッキー嬢、今は亡き(涙)春馬君、波留嬢、臼田あさ美嬢、中村蒼君、みんなみんな、見てるこっちがほっぺた赤くなるぐらい若くって、これから売れるぞー!!やったるぞー!!てな気合がマンマンで、正直芝居もまだ微妙な感じで(爆)、この後、実力をつけていって、押しも押されもせぬ役者たちになっていったんだなあと思うと、ホンットに感慨深いのよね。春馬君は死んじゃったけど……。★☆☆☆☆
でもそれら、いわばヤボっつーか、お約束とでも言いたいワンパターンな決めどころをスルーしてオッケーと思わせるほどハマってしまった「センセイ君主」と本作は何が違うのかなあと考えた時、うーん、それはやっぱり、これを言ったらおしまいの、リアリティっつーもんだったかもしれないと思う。
本作でも女の子の方がイケメン男子に夢中になる図は一緒なのだが、それ以上に男子の方からアタックしてくる、のが、後に彼が「一目見た時から目が離せなかった」というけれども、そーですかー??と言いたくなるのだ。
というのも、この男子は今大人気の若手俳優、日本中の女子高生を虜にしている綾瀬楓であり、撮影現場でエキストラとして出会った女の子、花澤日奈々に一目で恋に落ちた、という運命的な感じはぜんっぜん、感じられないからなのよ。
これは確実に、女の子側、ひいては読者の女の子に、イケメンアイドルにこんな風に出会いたい、こんなこと言われたい、こんなことされたい、という妄想エピソードのオンパレードで、いくら後から彼の口からそんな台詞が吐かれても、ないないない、とぶんぶん首を振っちゃう。
女の子、日奈々の方はというと、これまた定番の、学校一の優等生、秀才、勉強にしか興味がないというキャラだが、それを奇跡の可愛さと言われる橋本環奈嬢が演じ、しかも髪とかしっかりモテ女子風にカールしてたりして。
うーむこれは、昭和女子の古い感覚なのかもしれんが、こんな可愛い子に恋できないキャラとかないだろ……そりゃこんな子がエキストラでいたら、楓はちょっかい出したくなるかもだろ……とか思わせちゃうのはどーなのだろー。
映画の尺の限界ということもあろうけれど、楓からの胸キュン攻撃に日奈々の方がいつもキャーキャー言ってばかり。
これじゃ好きなアイドルに対するのと変わらなくて、彼女が楓に恋をした、あるいはどっかの時点でキャーキャー感覚から恋の気持ちになった、というのが、明確に感じられないのがまず重要な一つ。
日奈々は洋食屋を切り盛りして忙しい両親を手伝って、食事の用意、幼い妹の世話に送り迎え、と家でもひどく優等生なのだが、そんなできた娘を両親は、“頼ってくれない”“何も相談してくれない””と悩んでいる。
それは単に彼女がしっかり者のお姉ちゃんだからだと思っていたのが、楓との会話の中で突然、「私、もらわれっ子だから。でも全然、両親とは仲いいんですよ」とか言い出してさ!
は?何それ、その要素盛り込んでくるなら、家族の関係、お互い言えなかったこととか、そもそもなんで彼女がもらわれっ子としてここにいるのかとか、そんな重要なこと、しっかり掘り下げるべきでしょ。それこそ家族とのぶつかり合いの中とかでさ!
それを、しっかり者の優等生である理由の一つにしか過ぎないぐらいに点描することに、口アングリしちゃうんである。
ちなみに、身内や親しい人間に相談できず、責任感だけで閉じこもっちゃうというのは、日奈々と同じく楓にも見受けられる。
彼はかつて実力派ダンスボーカルユニットに属していたのだが、大事なツアーに喉の不調をおして出て、歌手生命を失ってしまう。メンバーは、なんで相談しなかったんだ、何のための仲間だと憤る。
これって、さ。もんのすごく大事な要素だし、二人の弱さの共通点として共有したらドラマとして盛り上がるところでしょ。
なのにかんっぜんに別々に描写されちゃう上に、日奈々の方はもらわれっ子だという衝撃の事実がまるで生かされないまま、母親に抱きしめられて泣くぐらいのところで落ち着いちゃう。もったいない、っつーか、意味ないっつーか、何なのこれと思っちゃう。
もう一つ、日奈々は優等生を押し通す、その無理の中に、諦めた夢がある。ピアノである。最初にそれを口にするのは、ぜえったい楓より彼の方だよなー!!と思う、日奈々の幼なじみの同級生、あーちゃん(眞栄田郷敦)である。
彼はずっとずっと、日奈々が好きだったのに言えずにいる。日奈々の親友であるるんちゃんと共に三人でつるんでいるのだが、るんちゃんは当然、あーちゃんの気持ちを知っていて、でも楓の登場に興奮しちゃって、応援すると言っていたあーちゃんを裏切る(爆)。
常識的な目から見て、絶対あーちゃんの方がいいよな……と思うのは、先述のように彼こそがまず、ピアノはもうやらないのかと口にするからである。
ただ、日奈々自身が、ピアノにどうやって向き合ってきたかとか、どれだけ打ち込んだとか全く描写されないまま、ただ「プロになれる保証もないし、お金がかかるし」と、もらわれっ子のネガティブ気質をここだけ唐突に発揮して言うもんだから、はあぁ??とか思っちゃう。
手堅い国立大学に合格確実なほどの優等生なら、奨学金とかだって望めるだろうし、実際最終的にはあっさり音大に行ってて、おーい、あの悩みようは何だったんだよと言いたくなる。
音大に入ってから先生についてちらりと弾く場面はあるもののそれだけで、彼女のピアノに対する情熱は一ミリも語られないのに、なんかしょうがなくてやめたんだよねーみたいなぐらいに処理されるのは、ひどすぎないかなあ。
てか、そうよ。あーちゃんの方が良かったのよ。楓があーちゃんに言い放つ、「勝負に出てないヤツにとやかく言われたくない」というのはまさしくそうで、女の子は、ことに10代で、恋愛は恋愛そのもので、人生の打算なんぞは考えていない女の子にとっては、勝負に出てない男なんて、存在しないも同じなのだ。
楓との交際がマスコミにすっぱ抜かれた時、真っ先にかけつけてくれたのがあーちゃんだった。その時日奈々は彼の想いを知るのだが、結局この場で日奈々を抱きとめるのはお母さんなんであって、なんかあーちゃん、救われないことこの上ない(爆)。
楓の記者会見が生中継され、彼との関係がすっかりバレバレの日奈々が学校中の好奇の目にさらされ、たまらず屋上に(定番だが、屋上に誰もいないというのは、都合が良すぎ)逃げ出した。
そんな日奈々をバックハグ。いやさ、次につながる台詞を言うなら、バックハグじゃないよな……これは、それこそ少女漫画のキュン要素じゃんか。好きなだけ泣け、と言うなら、バックハグじゃないよな……顔を見ないよ、ということなのか、いやでも、違うよな……。キュン要素を間違って使っている気がしてならない……。
タイトルにもある午前0時、日奈々が幼い妹に読み聞かせているシンデレラの物語、出会った当初、日奈々のはいていた靴のヒールが壊れて、修理した靴を楓が教室に届けに来たシークエンス。
確かに最初から、多少の文句をぶっ飛ばす勢いでシンデレラ物語要素をもりもりに盛り込んでいたのは確かにそうなんだよな、とは思う。
二人が最も想いをはぐくんだのは、日奈々行きつけのクラシックな名画座。いつもがらんとしているその劇場に、「穴場じゃん」と彼女の隣の席に楓が滑り込んできたあの場面こそが、出会ってからいくつかのシークエンスを隔てていたけれど,やはりあそこがすべての始まりだった。
それだけに、もっとすべての要素を大切に扱ってくれたらなあという気持ちが最終的にしちゃったんである。
音大に入り、もう成人となる、つまりは大人になる、未成年とのふしだらな関係などと言われなくていい年齢になった日奈々が、晴れて楓と再会するラストシーンである。
これ以上ないおぜん立てである。クラシックな名画座。出会い、そしてスキャンダルに見舞われて一度別れなければならなくなった時も使われた大切な場所。だからこそラストは大切なんである。確かに素敵なラストではあったんだけれど……。
あーちゃんがおぜん立てしちゃってるんだもの。楓自身が再会した日奈々に言うように、胸を張って迎えに行ける自分になって必ず再会する、と胸に刻んでここまで歯を食いしばって邁進していたことを疑うつもりはないよ。その気持ちを、自ら別れを告げた日奈々に何も言えなかったことを責める気もないさ。
でも、あんたから動いてないじゃんか。あーちゃんが場所も時間もセッティング、日奈々は二十歳になるからと、二人の思い出の名画座を貸し切りにセッティングしてさ。
これじゃ楓はそれまですっかり忘れてて、あーちゃんの手紙でハッと思い出して、交際時用意していた誕生日プレゼントをわざわざ自宅まで取りに行ってたから遅れちゃってさ(爆。どー考えたってそうだよね。こんな展開になることを知らないんだから、あのパーティー会場に持ってってる訳ないもの)。
なのにそんなことはおくびにも出さず、シンデレラに対してよろしく彼女の足元にひざまずいて、キラッキラの、えーこんなハデな、しかもピンヒールなんて転ぶからやだーと思うような靴を履かせて、プロポーズしてキスしてハッピーエンドとは……。
ないないない、ないわ。てか、楓、それはズルいわ。まるで自分で全部考えて来たみたいに、それはないわ。
忘れていたとは思わないけど、せめて、あーちゃんのセッティングに感謝するとか、そーゆー言葉ぐらい欲しかったわ。やっぱあーちゃんじゃなかったのかなあ。
役者仲間の元カノとのあれこれもあったが、これもまたありがちな三角関係って感じだったかな。かつてのユニットメンバーとの確執の真相、仲直り場面はちょっと良かったが、それだけにもったいなくって、もっと掘り下げてほしかった。まあそうなると、別の話になっちゃうとゆーのもあるけれど。
橋本環奈嬢は、めっちゃ可愛いけれど、楓の元カノにスレンダーさに対して、私みたいなまつぼっくり体形、と卑下したり、何より彼女独特のちょっとハスキーな、ドスの利いた声が可愛らしい風貌にイイ感じに抑えを利かせてくれて良かった。★★☆☆☆
役者人生は長く続くが、その中でティーンを演じられる時間は少ない。昨今は20代も後半になってヘーキでティーン役をやらせたりすることに時々、ど、どうなの……と思うこともあり、本作のように、まさにザ・ティーンの役者にティーンが演じると、やっぱこういうことだよ!!と思う。
ぜぇんぜん、違う。リアルなその年齢の役者が演じるみずみずしさ、ぜぇんぜん、違う!!
夏、というのがまたいい。夏の日差しが照らされた校舎、プール、屋上。いつの時代の心にも響くノスタルジックと、その中にまさに生きている若き彼らの血潮よ。
主役二人、上白石萌歌嬢と細田佳央太君が同じアニメが好きでめっちゃ盛り上がる、なんて楽しそうな台詞の掛け合い、素晴らしすぎる!
この時から確かに恋の予感はあったにしても、始まりはめっちゃ気の合う運命のトモダチに出会った!!てなまさにタイトルが示す、子供のワクワクで、高校生とはいえ、まだまだ子供の可愛らしさがあることに大人はじんわり来るんである。
でもこの子供、ってのは当然、ダブルミーニング。大人に比する子供と、親に比する子供。中学生までは確かに大人に比する子供だと思うけれど、高校生となるとそのあたりが微妙になってくる。彼らの恋の始まりは可愛らしいが、その先に恋愛という波も見えてくる。
そのダブルミーニングを抱えて、大人のとば口に立って、美波は自分のアイデンティティを探す旅に出る。だなんて、その時には思っていない。本当に偶然、そんな機会を得ただけで。
冒頭、いきなりアニメーションから始まるからビックリする。本格的に作り込まれていて、結構尺をとるもんだから、上映回間違ったかしらん……と不安になるぐらいである。つまりこれが上白石萌歌嬢扮する美波が夢中になっているアニメ、「魔法左官少女バッファローKOTEKO」であり、そのアニメにはお父さんも一緒になってハマっている。
二人してエンディングテーマに合わせて、アニメキャラと一緒に完璧な振り付けで踊るあたり相似形仲良し親子なのだが、実の父親ではない。再婚した母親の連れ子が美波で、幼い弟とはいわゆるタネ違いである。
まぁそんなことは特に現代はちっとも珍しいことではないし、こんな風に再婚した義父と趣味の合う友達みたいに仲良くなれる親子もいるのだろう。昭和世代はついつい、血のつながらない確執とかを考えちゃうが。
だから美波も別に、本当の父親に会いたいとか、本当の自分は何なのかとか、考えていた訳ではなく、普通に楽しく幸せに暮らしてた。だからひょんなことから始まった実の父親捜しは、深刻な度合いはまるで帯びてないってのが、なんつーか、今までにない感覚で新鮮なんである。
家族にヒミツにして会いに行くっていうプランに、小学生のお泊り会みたいなノリでワクワクしちゃうっていうあたりが、まだ“子供”ってところなのかもしれない。協力してくれる同じ水泳部のトモダチも、そのあたりはノリノリである。
そう、美波は水泳部、しかもエース級。萌歌嬢も見事な背泳ぎを見せてくれる。ああ眩しき女子高生のスクール水着(爆)。
練習や、父親に会いに行って海で泳ぐ時にはワレワレ昭和世代にも懐かしきスクール水着だが、試合では今風の(て言い方がもはや古い(爆))腿まで覆われたアスリートスイマーな水着、と住み分けられているのが楽しい。
本当に見とれる泳ぎで、エロい言い方になっちゃうけど、ああ、10代の美しき肢体よ!!と思っちゃう。ヤハリこれは、実際にその年齢でなければできない、奇跡のようなタイミングである。
そしてそんな美波が出会う運命の男子が、ザ・文化系、書道部の門司君なんである。屋上で手作り感満載の継ぎ足しして長くした筆を持ち、フリーハンドで二人を結び付けたアニメのヒロイン、KOTEKOを描いているのをプールから屋上を見上げて発見し(あの距離じゃ、なんとなく雰囲気で判る程度だったのに、美波の直感つーか、これが運命というヤツか)、美波と門司君は出会うんである。
再婚家庭というのも珍しくなく、それ以外は実に平和で平凡な美波に比して、門司君は書道家の家系で家もお屋敷レベルでめっちゃ立派であり、美波を驚かせる。つまりここで昭和世代ならついつい考えちゃう身分違い(古っ!)な感覚が頭に浮かぶのだが、ぜえんぜん、ないんである。
なんたって美波は、真剣に感動したり、緊張したり、感情の純度が増せば増すほど、笑いが止まらなくなる性格。水泳の試合でもそうだし、ラストのクライマックス、門司君と気持ちを確かめ合うでもそうだった。
それがここで早速あらわれちゃう。立派すぎるお屋敷に笑いが止まらず、門司君の方が緊張しちゃって、どう対応していいか判らない感じ。
しかしここで、物語を大きく動かす発見が。無造作に積み上げられた道具の中に美波が見つけたのが、実の父親から突然送られてきたお札と同じものだった。
書道家、つまりはゴーストライター。新興宗教のお札。つまり父親はその信者?ヤバいんちゃう?そもそも何のコメントもなく、突然お札を送り付けてきた真意はなんなのか、名前すら知らない父親の存在が急に浮上するんである。
その実の父親が豊川悦司氏であり、彼からイメージする色っぽい大人の男ではなく、お腹が出ていて、焦げるような無造作な日焼けをしていて、新興宗教の教祖になったのは、うっかり超常的な能力があったからだと娘から聞かれて淡々と語るという、ちょっと想像できないかなり特殊な役柄を、しかしさすがの軽やかさで演じてくれる。
藁谷という珍しい名字だけは覚えていた美波が、それを相談する門司君とそのお兄ちゃんに伝えると、さすが書道家の兄弟はソラで藁の字を空(くう)に書くのが面白い。
あ、門司君のお兄ちゃんというのが、本作の中で一番強い印象を刻むと言ってもいい、千葉雄大氏である。その可愛らしい顔立ちから、それこそティーン映画ではいろいろ面白く異彩を放ってはいたけれど、今後どういう感じになるんだろ……と思っていた矢先の、このインパクトである。
トランスジェンダー、ということだよね。キャラ作りとしてはイメージしやすいオネエ系に寄せていて、今の時代的には結構リスキーだとも思われるのだが、彼自身が持つ可愛らしさと好感で、イイ感じに乗り越えられてしまう。
原作は未読だけれど、漫画が持つこういう、いい意味での無責任さ、いい意味での、よく理解してないけど、でも問題なし!みたいな、雰囲気が良く出ていると思う。千葉君はそういう感覚を、本当に体現しているんだよなあ。
キャラクターのフィクショナルさの中に潜む、深い精神性は、もちろん美波が会いに行く実のお父さん、トヨエツ氏演じる藁谷氏にこそある。人の考えていることが見えると美波に告げた時には、彼女同様観客も、おっと、やっぱヤバい奴だなとは思った。
でも後に彼が、だから祭り上げられてしまった、子供の頃からそうだったけれどそれが特別だとは思わず、大人になってから人に打ち明けた、今は能力が衰えてしまって、教祖はクビになった、という淡々とした告白を聞くにつけ、どんどんリアリティが増して、そういうこともあるかも……と思わされる。
美波が、やって見せてよ、と一世一代の勇気を振り絞って自分の頭の中を見てもらった結果が、「ハンバーグが食べたいのか」なぁんだと美波は安堵したものの、ここに来てる理由として親にウソついている水泳部の合宿の夕食がハンバーグだと後に知って、言葉を失う。
まあその程度ともいえるけど全くの眉唾だと思っていたんだったら、むしろ生々しくマジに思えるもんなあ。
実のお父さんに会っている間は、門司君はすっかり置き去りなので、途中ちょっと心配になる。美波はちょっと怪しいところのあるこのお父さんに、……つまりは、親愛の情を抱いちゃったんだろうなあ。
いつまでたっても水泳部の合宿に合流しない美波に、親友ちゃんがめっちゃ心配して連絡を取るものの、それを受ける美波はのほほんと、気楽に買い物とかして、いやあ、なんか可哀想だからさあ、もうちょっといようかと思って、なんて言うからさ。
洗脳されたのかと心配するこの親友ちゃんのテンパリ方と、その会話を漏れ聞いちゃう同級の水泳部員女子が目をむくのと、何度か繰り返されて、ああなんか、平和な可笑しみ〜とか思っていたが、いよいよ最終日になって連絡が取れなくなって、パニクった親友ちゃんが、門司君に助けを求めるんである。
正直、ここに至るまで、門司君はしばらく出番がなく、美波と実のお父さん、その周囲の人間関係、カワイイ小学生女子に水泳を教えたり、お父さんの古巣である整体院のオーナー(沖田作品には欠かせぬきたろう氏!相変わらずめっちゃチャーミング!!)とその奥さんとの邂逅、とにかくなんかもう、楽しくって、美波は居続けちゃう。
その最初こそは、合宿に行くという理由の元、実のお父さんに会いに行くっつー、なんていうかさ、真剣さというか、ちょっと冒険というか、ワクワクのアトラクションみたいなさ。
だって美波の家庭には何の問題もなかったんだもん。血がつながっていなくたってお父さんとは趣味が合って仲良しだし、タネ違いの幼い弟とも、あんなに年が違ってるのに、まるで悪ガキ友達みたいにガチで遊び倒してるぐらい。
むしろ、この中でただ一人、実はひそかに心配していたのが、お母さんだったのかなあと、最後の最後で、思ったりする。そりゃまあ、ここまで、いろんな展開がある。美波の本来の家族にはまるで事態が知らされないまま、ひと夏の経験がそこにはある訳だしさ。
ただ……お母さんは、察知してた。合宿と言いつつ、違う場所、自分の元夫のところに行っていたんだろうと。ああでもそう考えれば、お母さんだけじゃないのだ。この優しい、幸せな、美波のことを心配し、愛している家族、血はつながってないけど、もうメッチャ家族、めっちゃ親子であるお父さん、お父さん二人いていいんだよ!
そのお父さんの古舘寛治氏の、ぜんっぜん、そーゆー、感動的なことは出してこないのに、血はそりゃまつながってないけど、めっちゃ愛してる、めっちゃ大好きな娘に対する控えめな行動や感情やがさ…。いいのさ、母親が何人いようが、父親が何人いようが!!
トヨエツ氏演じる藁谷氏は、今現在美波の父親である古舘氏に嫉妬していたが、それもまた可愛らしい感覚なんだもの。
これまで10数年もほっといたくせに!とかいう、昭和的感覚が不思議とのぼらないのは、それこそが本当に、視野の狭い、あらゆる事情を誰もが持っているということを前提としていない考え方に基づいていることに、ようやく気付けているから、なのかなあ。
ほっぺたがまるっまるの萌歌嬢の若さに、ああ本当に奇跡の今だと、思う。「町田君の世界」で、本当に……あの作品自体、奇跡だと思ったし、まさに出会ってしまった細田君の、成長した姿に出会えたのが、本当い嬉しかった。
奇跡、奇跡よ。ティーン役者が、同じ時代を生きている役に出会うなんて。最近、80年代アイドル映画をCS放送で観る機会があるもんだから、本当にそう思う。あの、たった2、3年の、奇跡のような時代、それをきざむことができる役者は、まさに奇跡のように幸せだということ!!
★★★★☆
前作の主演の役所広司氏がまさかの、ラストに死んでしまうという衝撃で、それこそまさか、2作目以降が作られるなんて思いもよらなかった。三部作からなる原作がどういう形をとっているのか不勉強ながら判らないけれど、役所氏と相棒を組んだトーリ君が主役を継ぐというのはまぁ確かに当然ながらも、衝撃はハンパなかった。
前作、あの時はその次があるなんて思いもよらないぐらいパンパンに詰まった、ザ・東映ヤクザ映画を現代において1000%の勢いでやったろう、みたいな気合十分のあの時、役所氏のやさぐれっぷりは、彼がいかに上手い役者か判っていても本当に驚いたし、この後をつぐ主役だなんて、その時は考えもしないまでも、そらムリだろと思わせた。
役所氏の相棒、日岡を演じたトーリ君は、役所氏と共に賞を総なめにしたものの、徐々に変貌する、その最初のイメージはトーリ君自身に感じられる初々しさ、誠実さがあったし、変貌の過程は芝居の過程、と受け止められたし。
この年のあたりからトーリ君の作品選びや芝居の凄みはすさまじいものになっていくのをつぶさに見て、そのたびに驚かされてはいたものの、本作の彼に接した驚きに比しては物の数ではなかったように思う……。
うーん、上手く言えないんだけど、そう、例えばね、本作には大人気俳優、斎藤工氏も参戦していて、彼もまた今までに見たことのない彼な訳。その端正さを封じ込めて、髭面のヤバいヤクザ男を見事に演じている。
あるいは、吉田鋼太郎氏は小心な、虎の威を借りる狐な感じをコミカルに演じていてこれまた見事である。でも……その後ろに端正な人気俳優、斎藤工であり、硬軟演じ分けるベテラン、吉田鋼太郎が透けて見えるんだよね。役者が、透けて見える。
いや、それもなんか上手く言えてない。本作のトーリ君にすんごく驚いたのは、前作の彼に、そうした透けて見える感があったからというのもそうなんだけど、それだけではないというか……。
とにかく、まるで死んだ大上(役所広司)が憑依したかのように、あの時おどおどした新米刑事だった彼が、本作ではもう最初から、ゲスト助っ人的に呼ばれた捜査本部の中で浮きに浮きまくっている。
まあ大体オチバレ、ネタバレなここだから許してね(爆)。日岡にも相棒があてがわれる。第一作を見ているこっちとしては、その信頼にムネアツ、エモいっていうの??とゆーことを期待する訳だが、前作を見ているからこそ、あれ、これは違うな、アヤしいな、と判ってしまう。
前作を観ていなくても、作り手側は判りやすくサインを送っているので、相棒に裏切られた日岡が最後の最後に描写されても、そんなに驚かない仕組みにしているのは、なかなか新しいように思う。私みたいな推理ベタな鈍感女でさえ、予想できたんだもんね。
日岡の相棒にあてられたのは定年間近の、自称ロートル。長年憧れていた殺人事件の捜査に加われて子供のようにはしゃいで写真なんか撮っちゃってる最初から、まあアヤしさ満点だったし、演じるのが梅雀氏だから、トーリ君演じる日岡はもちろん、観客を安心させる無害さは完璧で、だからこそアヤしいよね、と思った。
日岡も、この事件にゲスト的に呼ばれて、その総指揮の管理官が犬猿の仲のヤツだったから、警戒はしていた。調べてもいたのに、気づけなかったのだ。
ちょっと、ここんところは、なんで?と思っちゃう。管理官のイヌであること疑って調べていたのに、そこを暴けずに彼を信用しちゃう流れになるのはあまりに甘いと思っちゃうが……でもそれは、最後も最後の衝撃の展開なのに、ここで言ってどうするってな話(爆)。
本作の最大のエポックメイキングは、なんたって、鈴木亮平氏であることは、疑いのないところ。まだまだ若いのに、ここまでのキャリアがデ・ニーロばりに語られるというのは、それこそ三國連太郎以来、彼と山田孝之氏ぐらいしか思い浮かばない。
恥ずかしながら仁侠映画とゆーものは、組織図がメンドくさくって、傘下とか、分家とか、手打ちとか、どこがどう利害関係にあってとか、もうキー!!となっちゃうんだけど。前作に関しては恐らく原作に基づいている分、そういう感じは顕著だったのだけれど、本作は、割と判りやすかった。
鈴木亮平氏が、ザ・モンスターとして君臨したからである。日岡VS上林(鈴木氏)のシンプルな図式と、上林が手の付けられないモンスターであるという造形が、そうした判りにくい組織関係を全部ぶっ飛ばして、私のような無知バカを惹きつけ続けてくれるほどのパワーがあったから、である。
正直、尺の長さには怖気づいたし、そんな具合に任侠映画の組織やら分家やらの複雑さが感情のそれも絡まり合うのが凄く苦手だったから、本作も観るかどうかすら悩み、こんな、かなり公開から時間が経ってから足を運ぶことになったんだけれど、なんかね、ゴジラVSキングギドラぐらいの感じだよね。それは、鈴木氏演じる上林が、そういう怪獣感覚、そして私のようなアホな観客ぐらいの認識能力の持ち主であることっつーか。
大上が死を賭して日岡に継承した、ヤクザ側の利害に入り込み、手打ちに持ち込んだり、表面上は一般企業にさせたりとか。一般社会に害を及ばさぬよう、無益な抗争で死人を出さぬよう、清濁併せ?む不良刑事として、大上のイズムを継承してきたし、その事情を知っているヤクザの重鎮たちは、持ちつ持たれつで来てくれていたのだった。
なのに、上林という、最後まで見ちゃえば単なる狂った男の出現で、すべては壊れる。一見、仁義を重んじているように見えて、自分の解釈に沿わない対象を、ただ殺すんじゃなく、目玉をえぐり取るとゆーことを必ず入れ込む残虐な殺し方で、血祭りにあげていく。
背中全面の精緻な刺青、おっそろしく鍛え上げられた身体、眉をそり、もみあげ近辺をそり上げ、笑顔と真顔を交錯する恐ろしさで、日岡たちを、そして観客を恐怖に陥れるモンスター。
日岡は チンタと呼んでいるスパイを上林組に潜り込ませている。物語の冒頭、上林が出所した先で、ちょいとひと暴れする彼らを一斉検挙する手引きになる訳だが、チョンボしちゃって、チンタ自身がしょっ引かれ、取調室で日岡とスンませーん、みたいなコミカルなやり取りをするところからスタートするんである。
だから……まさかチンタがあんな非業の死を遂げるなんてと。まあそのあたりは上手いとしか言いようがないんだけれど、哀しくて、哀しくて。
チンタを演じるのは村上虹郎君。第一作のトーリ君をほうふつとさせるような、彼自身にそもそもあるキャラクターから始まって、変貌を遂げていく、その哀しき変遷をハラハラしながら見守る、という感じである。
だから、第一作の役所さんにおけるトーリ君、本作のトーリ君における虹郎君、だったのだろうと思う。そこに目くらましがあるんだもの。実際、捜査の相棒として組まされるのは、ベテラン公安警部である瀬島であり、演じるのがザ・温厚な風貌の梅雀氏なもんだからさ……。
でもね、やっぱりそこは、読めちゃったよね。先述の通り、温厚な風貌が判りやすすぎたし、やたらロートルの最後の花を咲かせたい、って言い募るのが、彼自身の温厚なイメージで押し切ろうっていうかすかな不自然さを感じさせたしさ。
だから……つまりは、日岡は、あんなにぐいぐい立ち向かって、何も怖くないって感じなのにさ、案外ウブというか、結局、望まない一匹狼になってしまったというかさ……。
彼の師匠である大上が、自分を、何者でもない自分を信じてくれて、死をもって自分を継承してくれたことを思うと、日岡は、見た目は触れれば切れるようなナイフのような男だけど、サポートしてくれる存在がいない。チンタを酷使しすぎた。チンタの姉が日岡の恋人だったことが、ついつい甘えた気持ちを持ってしまったのか。いや、チンタが日岡を慕って、信頼してくれたことにこそ、甘えてしまったのか。
これが最後、そう言い続けて、最後最後詐欺だよ、ほんっとに、チンタの姉が怒るのもムリないよ。チンタが日岡に韓国へのパスポートをとるためにと依頼したのは、彼曰く、日本では生きられない、韓国の母親と暮らす、という理由だったが、後に、チンタが無残に殺された後、お姉ちゃんは、母親が韓国にいるなんてことはないこと、そもそも行方不明だし、言葉も出来ないチンタが韓国に行ってどうなるもんでもないでしょ、と吠える。
戸惑う日岡。だったらなぜチンタはパスポートを作り、韓国に行こうとしたのか。よりどころもないにしても、日本にいるよりはどうにかなると思ったのか。
本作の中で、強烈なキャラクターに囲まれながらも、そういう意味合いで虹郎君演じるチンタが一番印象に残る気がする。日岡はチンタのそんな事情をちっとも知らないまま、チンタのねーちゃんから責められるのも仕方ないような無体な仕事をさせていた。その結果、死なせてしまったのだから、弁解のしようもないのだ。
その後、チンタを死なせた要因にあずかるあれこれの人物を闇に葬ったとて、チンタの若い命は帰らないのだから。
物語が煩雑で、こんな具合にあっちこっちに決着が託されちゃうんで、なかなか難しいんである。最後、どう締めるべき?笑っちゃうぐらい死なない、コミカルモンスターと言いたいぐらいになっちまった上林の死にざまをシリアスにとらえてしまったら、もう、終わらない、終わらないよ!
トーリ君が日岡をマジ全開で演じたのに比して、梅雀氏が最も判りやすいと思うんだけれど、いやいや、そんな力入れるとこじゃないでしょ、というスタンスの役柄をそういう芝居で演じたからさ、うっわー、これ、どうとったらいいの、って!★★★☆☆