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「ま」


2019年鑑賞作品

麻雀放浪記2020
2019年 118分 日本 カラー
監督:白石和彌 脚本:佐藤佐吉 渡部亮平 白石和彌
撮影:馬場元 音楽:牛尾憲輔
出演:斎藤工 もも ベッキー 的場浩司 岡崎体育 ピエール瀧 音尾琢真 村杉蝉之介 伊武雅刀 矢島健一 吉澤健 堀内正美 小松政夫 竹中直人 ヴァニラ


2019/4/14/日 劇場(錦糸町TOHOシネマズ楽天地)
終戦直後の1945年から、東京オリンピックが中止されたこれまた終戦直後の2020年にタイムスリップ、という時点で、このトンでもないオリジナル設定の時点で、過去作を振り返っても意味ないことは判っているのだが。
しかしてその最初の映画化、和田誠監督作品を、観た記憶はあるんだけど、どんな話だったかさっぱり思い出せない、いつもの私であり、まー記録カードを繰ったって多分意味ないだろうなと思ったら案の定、「なかなか面白かった(不遜……)」「真田さんが可愛かった」「鹿賀丈史、カッコイイ」ぐらいなことしか書き残していない体たらくなんである。ま、ま、仕方ない、まだ10代でしたから〜人生の機微とか、判んないんですから〜。

でも考えてみれば、この劇中の坊や哲とほぼほぼ同じ年齢の頃に観ていたってことを考えると、何かシンクロしても良さそうなもんなのに(爆)。ママ役の加賀まりこの掌の上で転がされる真田さんがやたら可愛かったことだけ凄く覚えてる。
リアルタイムでは見てなくて、後からテレビ(……)の録画で観ているんで、こんな映画的映画をそんな見方をしてしまったのは、もったいなかったかなぁと今更ながら思う。この機会にどっか名画座でかかってくれないかなぁ。

かの事件があったせいか、予想よりずっと早く公開規模が縮小されてしまって、結構慌てて駆けつけたが、かの事件の影響というより、やはりその斬新っつーか、ぶっ飛んだ解釈、いや、アレンジ、いや、もはや換骨奪胎とゆーか、なんというか、という……その、ついていけない感に、観客がおいてけぼりを感じたせいなのではないだろーかなどと、最後の方には眠くなってしまったこちとらは思うんである。
いやすんません、眠くなったのはきっと、マージャンのルールというか、あがる時の揃い方というか、そういうのが全然判らないから、やたらワザ?名連呼されて、段々飽きてきちゃって(爆爆)。

和田作品の真田さんは当時、23〜4歳あたりだったのだから、実際の坊や哲とさして変わりはない年齢だったのだ。だからこそもはやカッコイイ真田さんにすっかり心酔していた公開当時より数年先の私は、そのカワイさに意外さを感じてメロメロになったのだよね。
今回二十歳の哲を演じるのは斎藤工氏。そらー、二十歳どころか20代である筈もない。それは、かつての日本人の風貌と現代人のそれが大きく違っていて、今のリアルタイムの20代の俳優が哲を演じたら、確かに薄っぺらくなるかもしれないと思ったりする。

真田さんは、まだそんな骨太さを残していたのだ。だって昭和だもん。それでもかつてのリアルタイムの目から見れば、ヤハリ青かったのかもしれない。でもその可愛らしさはあった。ママの前での、可愛らしさ。
斎藤工氏は、そーゆー時代的年齢ギャップのリアリティはあるのかもしれないけど、やっぱり正直、お肌のツヤも良くないし(爆)、あんたに童貞とか言われてもなぁ、とか思っちゃう。

彼の相手役となる、ドテ子が、誰かなぁと思っていたら、そう言われてみればのチャランポランタンのもも嬢!えーっ!ビックリした!!
お芝居してるの見るの初めてだが、超達者!!ちょっと佐津川愛美嬢を思わせるようなドジっ子系コケティッシュさで、本作はいわば彼女がけん引しているのではないかと思うぐらい!

ドテ子というのはドテでもなんでもヤラせちゃうという、……それはつまり、地下アイドルとして仕事を獲得するために悪徳社長がやらせている(自分もヤってる)ことであり、そんな積み重ねのせいなのか、ドテ子は普通のセックスじゃ感じられなくなり、クソ丸社長(竹中直人。うわー。)とはバーチャルセックスで相手はシマウマという病み加減。
普通のセックスは出来ないどころか気持ちが悪くなってしまって、恋をしちゃった哲の筆おろしにエクソシストより大量の緑ゲロを吐くという哀しすぎるにもほどがある場面が用意されていたりして、もはや斎藤氏を食いまくる激烈な印象を残すんである。

で、先述したが、タイムスリップものであり、しかしあまりにも近い未来。こんな近い未来をタイムスリップする映画は観たことない。
いや、正確に言えば、現代に過去からタイムスリップしてくるというのが大半であり、あとは思いっきり未来……当時は思いっきり未来だった2001年宇宙の旅的なね……ていうパターンであって、こんな、ちょっと先の未来、なんていう、恐ろしいことは、やってのける人がいるとは思わなかった。

しかも、今わざとらしいほどに盛り上げまくっているオリンピックが中止になったという設定、しかもそれが第三次世界大戦で、というぶっ飛び設定で、マイナンバーがチップによって額に埋め込まれ、完全に支配された社会で、人々はただただ委縮しながら生きている。
それこそ半世紀も前の、実際の戦後をほうふつとさせるような貧民窟で、人々はギャンブルに興じている。その一方でAIが人間そのもののように発達し、そのAIと闘わせる麻雀五輪の開催が様々な思惑のもと開催されることになるんである……。

ちょっとすっ飛ばしちゃったが(爆)。それより前に、タイムスリップしてきた哲がドテ子に助けられて、マイナンバーも登録していない正体不明の不審人物として追われながらも、クソ丸の悪知恵によって“昭和から来たふんどし戦士”としてブレイク、脚光を浴びるようになる。どうやら斎藤工氏のふんどし姿が本作の大きなエポックであるらしい。そうですか……。
戸惑いながらもそのキャラを演じて次々に敵を倒していく哲だが、ギャンブルという戦場に身を置いていた彼は、ある日貧民街の鉄火場の身体の不自由な老人に魅入られるように賭けてしまって……捕まってしまうのだ。

物語の冒頭から、警察、てゆーか、POLICEと殊更に洋っぽい感じで、警察という字を出さないで、めちゃくちゃ暴力的に取り締まるポリスさんが描かれるんで、あらあらあら、白石監督、いやー攻めてますなぁ、とヒヤヒヤしたりする。
そらまぁフィクションだし、未来の話だが、未来っつっても来年の話なのだ。メチャクチャな設定だから来年っつっても荒唐無稽だけど、でもやっぱり、来年の話なのだ……。

マイナンバーで統制されるとか、それが暴力によってなされるとか、なんたって、戦争しないことが唯一の誇りだった筈の日本が、なんでか知らんが無謀な戦争に身を投じ、ヤハリあっさりと、無残に負けたとか、作り手側のハッキリとした危機意識を、ブラックユーモアによって表現した、ということなのだろう。
人間そっくりのAIとかその研究室とか、セグウェイで移動するとか、未来のようでいて未来を安直に発想する野暮ったさは、絶対にこれは、確信犯に違いないと思う。ちょっと懐かしい気がしたもの、それこそルーカスやスピルバーグやキューブリックが描いた近未来であり、それはもう、永遠に来ないのだ。

哲は過去に戻りたいと切望する。ドテ子は過去の新聞を探してきて、落雷のショックでタイムスリップしたらしいことと、その時対戦していた因縁の相手たちはその落雷で死亡していたことを告げる。つまり、戻ることは、死ぬことなのだと。
それでも哲は戻りたいと思う。その時出した奇跡的なあがり方をもう一度出すことが道かと思うがそれも叶わない。

いわば国家的戦略に乗っかる形で、哲は麻雀五輪に出場することになる。とゆーのも、より強い相手と勝負したい、と考えていた哲は、ドテ子に教えてもらったオンラインマージャンゲームにすっかり虜になり、夜も昼も、昼も夜も、対戦し続けた結果、あっという間に何万人ものプレイヤーの頂点であるミスターKとの対戦権を得るんである。
しかし、勝てない。悔しさにまみれていた時の、逮捕だった。その後、ミスターKも出場する麻雀五輪への出場。ミスターK、そしてAIのユキ、中国のベテラン雀士ヤンは、哲がこの世界に来る前に対戦していた因縁の相手たち、ドサ健、ママ、出目徳だったんである。

この設定は結局、哲がタイムスリップして運命の対局をするが故の、こじつけっつーか……そーゆー感じで、ことに恋焦がれた、本作においては筆おろしさえさせてもらっていないママとソックリのAIと、最初は街中の大型スクリーンで出会うという切なさで。そーゆー意味ではママだけで良かったような気もするが(爆)。
これが麻雀放浪記である以上、後二人もいるキーマンを過去回想だけで終わらせる訳には行かなかったんだろうか……でも結局、なぜそっくりの彼らが??というのが特に解明される訳でもないから消化不良だが、そーゆーことを細かくいうことこそ、ツマンナイことなんだろーなー。

いや、先述したが、麻雀のあらゆる名前がついている揃い方を全然知らないから、全然感動もないんで(爆)、それを凄い連呼されて緊迫されても、ついてけなくなって、眠くなっちゃうのよー。
いや、実際、五輪シーンは長かった……。ドテ子のオタクファンがヤバい手作り電子破壊銃持参して、これ使って、とか言って、ドテ子が乗り込む、とかいって、まぁその、タイクツを突破する意味ではなかったかもしれないけど(爆)、そういうシーンでハッと目が覚めたりして(爆)。

でもさ、きっと、これは、白石監督(いや、斎藤氏かもしれない)が、やりたいことをその自由を得てやりまくった、ということなのかもしれない、と思って。だったらまぁ……仕方ないかなぁ(爆)。
そういう意味でいえば、竹中直人氏はさすが、そこを汲んでるわ、とか思ったりして……。★★☆☆☆


まく子
2019年 108分 日本 カラー
監督:鶴岡慧子 脚本:鶴岡慧子
撮影:下川龍一 音楽:中野弘基
出演:山崎光 新音 須藤理彩 草g剛 つみきみほ 村上純 橋本淳 内川蓮生 根岸季衣 小倉久寛

2019/3/24/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
「新しい地図」の三人の出演作品が立て続けに来ているので、本作も草g君フューチャリングかとも思ったが、彼は完全なワキ役で、しかし素晴らしいワキ役で、大人全員がワキ役で、それがとっても良かったと思う。
児童映画というのではないけれど、子供映画、なのだ、ヤハリ。ただ、思春期。朝ダチを初体験してうろたえまくる年頃の5年生の少年、サトシが主人公。

第二次成長期を迎えているのは無論だが、当然、大人である筈はない。でも子供と切って捨てられなくなるお年頃……でも彼自身は、大人になりたくない、と思う。昨日も今日も明日もこのままでいたいと思う。
そう思うのは、自分の周囲の大人が、こうなりたいと思わない大人ばかりだから。ことに、隣町の女と浮気をしている父親が、何より嫌悪の対象である。旅館の女将として切り盛りしている母親のことはきっと大好きなのだろうが、でもそんな父親のことを見て見ぬふりをしていることで、彼女のこともキライだと吐露する。

ここは小さな温泉町。彼が通う小学校も、全児童を全員知ってるってぐらいな雰囲気。一つ年上の不登校の六年生のことだって、君づけでみんな呼ぶほど、知っている。
確かに彼が得るあらゆる情報は少なかったのかもしれない。大人、というカテゴリも。校門で新作マンガを超盛り上がって音読して皆に大人気のドノという青年も、彼のことだってサトシは大好きだったはずなのに、最近なんだか苛立つ。
ドノはきっと、いわゆる軽度の知的障害というあたりの設定だと思われ、演じるムラジュンが予想外に素晴らしくてちょっと、驚いたりする。

父親がサイテーの大人で、ドノが二番目にサイテー、とサトシは言うが、それは自分がなりたい大人の要素が二人の中にないから、なんだけど、でもこの時のサトシには、二人の“大人”が、その本質が、実はちっとも見えていなかったのだ。
ドノは大人になる過程で失ってしまう、無条件に信じる心を今も持ち続けている青年、お父さんは自分が決して出来た親ではないことを自覚している、自分を受け止める強さを持った人、だということを。

主人公がサトシと言ってしまったが、やはりタイトルロールであるまく子、まき散らす子、という意味、突然の転入生、コズエこそがヤハリ主人公であっただろうか。
サトシの暮らす旅館に住み込みで働く母親とコズエは、一見して確かに……異様で、母親役のつみきみほなんて、確かに、確かに彼女って、ちょっと宇宙人っぽい!!と思っちゃうもん、声とか、風貌とか、さ!

……いきなりネタバレですが、コズエはある日、サトシに耳打ちする。私とオカアサンは土星の近くの星から来たのだと。その星では生命体が変化することがなくて、つまり年をとらずに増え続けてきたから、地球に死というものがどういうことかを見学に来たのだと。
オカアサン、というのが解説でカタカナで書かれていることに、鑑賞後思わずなるほどなぁ、と納得するほど、二人の間に親子感はなかった。ただそれも……二人が地球で学んだのだろう、クライマックスの祭りのシーンで、お互いを呼び合うシーンでめちゃめちゃ親子の愛情を感じるに至るんである。

コズエはその肉体をもう死んでしまった子供にシンクロする姿でここにいると言い、サトシに最初に会った時、「あなたは、私と同じ、人間のコドモ?」と問いかけたように、恐らく彼女の中では年齢の概念はないんだろう。実際に、一体何万年、何百万年生きているか判らない、のかもしれない、のだから。

それを差し引いても、風貌、容姿からしてコズエはあまりにも大人っぽい。女子高生、と言ったって通るぐらいの、すらりとした高身長の、くっそ美少女である。確かに小学生あたりでは女の子の方が成長は早いものだが、それにしても、である。
恐らく情報を得るためにだろう、コズエはサトシにつきまといまくる。そらぁサトシは年頃の男子だから、戸惑って、避けまくる。でもコズエは頓着なしについてくる。

コズエは男女問わずクラスで人気が出るし、中盤、おでぶちゃん男子が決死の覚悟で彼女に告白する場面なんてのまで出てくる。この時のコズエは好き、という言葉が特別の感情を意味するとまだ“情報収集”出来てなくて、「私も好き」とあっさりと返してしまい、サトシをショックに陥れる。
ショックを受けたということは、つまり彼は自分の気持ちに気づいてしまったということであり、それと朝ダチの時期も重なるし、父親の浮気にたまらなく嫌悪は感じるし、てんで、もう彼の苦悩は察して余りある、というところなのだが。

サトシを演じる山崎光君は、「ちょんまげぷりん」でデビューしているというのだから、観ている筈だが、だとしたら何、福君の同級生とかの役だったのかな??須賀健太君のあの年頃の時を思わせる、子供らしい子供、男の子らしい男の子の風貌で、そして目覚めちゃった自分に戸惑いまくっている、友達にも大人にも素直な感情が出せない感じが、もぉーっ!!って萌えまくるんである(照)。
一見して、彼の他の子供たち、同級生にしろ、一個上のルイくんにしろ、悶絶しているサトシと比べて明るい子供らしい子供に一見して見えるのだが、でも実は、きっとみんな、ひとりひとり、サトシと同じようにこの年頃の屈託を抱えているんだろうというのが、じわじわと見えてくるのだ。

不登校になってしまったルイ君のことを気にかけている同級生や、生理を迎えたらしい女子、それをからかう男子という構図の男子と女子のもやもや感。
いつまでもキャイキャイ無邪気に、子犬のようにじゃれ合っては過ごせなくなっていることを、みんな気づいてる。サトシに限らず、きっとみんな、大人になりたくない、大人になるのが怖いのだ。

父親の浮気というのは、わっかりやすく、大人への階段の途中にある障壁、である。浮気、というのがどういうことなのか、ていうか……つまりその、ただ悪いこと、不潔なこととしてしか理解できていないサトシは、やはりこの時点ではコドモ、だったのだ。
あのね……すっごく、思い出しちゃったのだ。「ふたり」でさ、石田ひかり演じる主人公のお父さんの浮気相手として、増田恵子が雪の町から訪ねてくる場面。どうしても彼のことが好きだと、家庭を壊しているのは判っているけれど、どうしても離れられないと、もう死んでしまうんじゃないかと思う勢いで吐露するあの場面を、すっごく、思い出しちゃったのだ。

コドモである石田ひかり嬢が、お父さんの不潔さを許せなかったのも、重なる。ただ、彼女が、好き合っているのに別れるしかないお父さんと浮気相手の別離を見届ける場面が、あれも、コドモであった彼女が大人の階段をのぼった瞬間だったんだろうと、思うのだ。
それを考えるとまだ小学5年生であるサトシが同じような場面に遭遇するというのは、男の子の方が精神的成長が幼いであろうことを考えるとあまりにしんどいとは思われるし、「ふたり」の彼女が受けた生々しい衝撃よりも、まだまだホントのところは判ってないだろうとは思うのだが。

お父さんの浮気相手が訪ねてきて、サトシと彼の母親に謝りたいんだと泣き崩れるのに呆然とたたずむサトシ、その後にお父さんに、「お母さんをまた悲しませたら、許さないから」と言うのは、実に実に男の子だなぁと思うのは……彼はお母さんが大好きで、恐らくお母さん側にはそうした不潔さを感じていなくて、お父さんに悲しませられているお母さんにこそ苛立っている、というのが……凄く可愛いけど、少し哀しい、ような気もするのだ。
浮気、じゃなくて、きっとホントにお父さんと彼女は愛し合っていたんだろうと思う。その想いにまでは及ばないんだろうということを。勿論、お父さんは家族を愛しているし、お母さんもサトシも愛しているだろう。ヘラヘラしているのは性分というか、自分を偽らないという点で実は誠実であるんだということを、サトシがいつか、気づく時が来るんだろうか。

コズエはサトシにだけ秘密を打ち明けていた訳では、なかったということだろうか。いつのまにか、街の皆がこの親子の秘密を知っている。そしてそれを、不思議にストレートに受け入れている。
祭りの日に、ワケアリな母娘が泊まりに来ている。これがどうつながるのかと思っていたが途中ぱったりなので、忘れそうになるぐらいである。その祭り、っていうのは、子供たちが作った神輿を、町中を練り歩いた後には壊してしまって、燃やしてしまうというもので、サトシは以前からそれに懐疑的な気持ちでいた。なぜ一生懸命作ったものを壊してしまうのだと。
ことに今年はコズエのアイディアが受け入れられた神輿だったから、余計だったのかもしれない。思い余って校長先生にくってかかった時に、火事を知らせる半鐘が鳴る。サトシの旅館の離れに放火されたのだ。

壊されてしまう、せっかく作ったものを、という以上に、今このままでいたい、コドモのままでいたいという感情が具体的に噴き出したというのが、サトシの正直な気持ちだったんじゃないかと思う。コズエが逆に嬉しそうにしていたのが、更に感情を爆発させる火種になったんじゃないかとも思われる。
コズエはただただ永遠に変わらないでいることこそに危機感を抱いて、この星にやってきたのだから、変わりゆくもの、その具体的経過を学習することができることが、“嬉しい”のだろう。

破壊や老いや劣化が嬉しいだなんて。でも、そう考えてみれば……私たちはなんて、贅沢なんだろうと思う。ずっと変わらないで永久に生きながらえさせられて、希望も未来も覚悟も生まれない世界だなんて。不老不死が夢だとかつての歴史人は思っていたらしいが、もしそれが可能だとした時の残酷な孤独を、私たちは今、容易に想像することが出来るのだもの。
サトシが改めて知る大人の世界は、決して憧れるものではないのかもしれない。大人になっても弱いし、立派じゃないし、でもそれを、特にお父さんは、まるで臆せずサトシに見せてくれた。
自分の“金玉がおかしいかもしれない”という決死の悩みに、同じくズボンをさっと下げて応えてくれたお父さんこそが、実はとても素敵な大人だということに、サトシがいつか、気づいてくれたらいい。

コズエとオカアサンは星に帰っていく。その場面を、もう温泉町の人たち全員が事情を分かってて、見送りに来る。大人も子供も、まるで邪心なく彼らのことを信じて、美しいフラッシュバックを空に映し出してくれた二人の手土産を見上げて、送り出す。
次にあのワケアリ親子がコズエ母子と同じように住み込みで移住してくる段になって、「また宇宙人かねぇ」「ちゃんと働いてくれるならいいよ」とささやき合う女将と仲居さんたちがサイコーだし。
サトシもまた、自分たちも宇宙における宇宙人だと、コズエに教えてもらったから、もしかしたら宇宙人かもしれない(違うだろうが)、あらたな転入生に、今は改めて、胸を張って、自分の住むこの町を、紹介できるのだ。

しかしなんとも不思議な物語だった。最初サトシは嫌悪してたけど、結局大人たちが全員素敵だった。それが一番、大きなことかも知れない。★★★☆☆


町田くんの世界
2019年 120分 日本 カラー
監督:石井裕也 脚本:石井裕也 片岡翔
撮影:柳田裕男 音楽:河野丈洋
出演:細田佳央太 関水渚 岩田剛典 高畑充希 前田敦子 太賀 池松壮亮 戸田恵梨香 佐藤浩市 北村有起哉 松嶋菜々子

2019/6/10/月 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
少女コミックが原作だということだし、不思議さネラったキャラと家族の雰囲気に最初、大丈夫かなぁという気がしていたのだが、だんだんともう、愛しくてたまらない!という気になった。
高校生の物語なのに、同級生たちに20代も後半以上のお年頃の人気俳優たちが勢ぞろいしていて、最初、あれ?あれはあっちゃんにソックリだけど、あっちゃんが高校生……まさかまさか??としばらく疑ったぐらい(爆)。

そしてその中で主人公二人はなんと……ド新人!である!!それも、多少の芸能活動はあるものの、演技は全くの初の二人、とはほんっとうに、オドロキ!!
石井監督も中堅どころになって、こうした冒険をしたくなって、それが実現できる位置にきたということなのだろう。

だから実力派でワキを固めたのかもしれんが、心配ご無用、二人とも、勿論そうしたフレッシュさはありつつ、町田くんと猪原さんを生きていて、まさに、氷室君(ガンちゃん)の言葉を借りると、“一生懸命”生きていて、その一生懸命さがまぶしく、そしてどんな大人になっても一生懸命でありたいと思う、それを確かに、少女漫画は教えてくれるのだ。
え??令和という、今でも、そうなの??だとしたら……やはり少女漫画は、ステキだ。

物語はあるようでないというか、ないようであるというか。オフィシャルサイトを覗いてもビックリするほどアッサリとしている。言ってしまえば、同じクラスの町田くんと猪原さんが、恋に落ちる物語、本当に、言ってしまえばそれだけ。
ただ、タイトルロールになるだけあって、この町田くんという青年はタダモノじゃない。周囲から神様と呼ばれている、つまり、信じられないほどイイヤツで、人間が大好き、誰もに全力で優しさを届ける。

それはバスの中で年配の方に席を譲る、という基本的なところから始まって、散らばったボールを駆けつけて一緒に片付ける、高いところにポスターを貼ろうとしている男の子を肩車する、山盛りの本を運んでいる図書委員の女子をさっと手助けする、……つまりは、もう常にね、困っている人を異常なぐらいに察知して、いつも探しているんじゃないかというぐらい(爆)に駆けつけて、助ける、んである。
物語が進んでいくと、そんな町田くんのことをみーんな大好きになるんだけれど、物語が始まった当初は、どちらかというと変人扱いという感じで、友達がいる様子もないんだよね。後からそれに気づくんだけれど……実はそれは深い設定だったのかもしれない??

町田くんは、大家族の長男である。お父さんがいないな……ということに気づく暇もなく、なんとも不思議な雰囲気。
お母さんはもう第何子目か判らないぐらいのベテラン妊婦さんで、幼い子供たちと共に、彼女もまた長男の町田くんにすっかり頼っている……けれども、決して甘えた母親という訳ではなく、なんていうのかな……ここもホント不思議なんだけど、大人として扱っている、長男として頼っているというよりも、このタイミングで彼のこともまた、育てている、という不思議な余裕があるのだ。

この母親が松嶋菜々子で、これもなかなかに意外なキャスティングなのだが、後にちらりと出てくる、世界中を駆け回って仕事をしているお父さん、本当に、一年に数日しか帰ってこないようなお父さんが北村有起哉で、これがまた、ステキで!!
それでこのたくさんの子供たちで、そして子供たちはそんなお父さんのことを待ち望んでいて大好きで……判るじゃないの、夫婦もラブラブ、家族もラブラブ、一緒にいる時間だけが大事じゃないってことが!!その久しぶりのお父さんに町田くんが決死の相談をする場面が素敵なのだが、それはずーっと先だから!!

猪原さん、である。ダブル主演と言っていい、だろう。彼女もまたフレッシュさ満点。彼女が抜擢された理由の中に荒削りという言葉が見えたが、その言葉が真に感じられる役者には昨今、なかなか出会えないんである。みんな、きちんと真面目に磨いてきちゃうからさ。
彼女の、まさしく髪を振り乱した一生懸命さは、一生懸命は、町田くんを形容する言葉なんだけど、結果的に猪原さんの、演じる関水渚嬢の一生懸命さに打たれてしまう。

猪原さんは、……不器用な性格なんだろうな、学校生活になじめなくて、学校には来てるけど、今日も保健室。うーん、なんとも少女漫画的設定ではあるが(爆)。
そこに、夕食のハンバーグの作り方に悩み過ぎて、美術の彫刻の時間にハンバーグの文字を掘り込んでしまって(笑)、慌てて指を切ってしまった町田くんが訪れる。めっちゃ、めっちゃ、ベタ。保健室で休んでいる女子のところにケガした男子が来て、しかもなぜか保険の先生がいないとか、半世紀前かよ!!と思うぐらい、ベタ!!

だけどそこを、あっちゃん扮するドライな栄さんと、妙に同級生事情を気にしている女の子が顔を寄せ合ってヒソヒソしているのが、イイ感じの解説になっていて、めっちゃおもろい。
あっちゃんが、とても素敵だったのよ。私、本作の中で前田敦子という女優を発見した気がした。勿論それまでも、玄人監督に好まれる彼女は様々なチャレンジをして好ましかったけど、本作でようやく?肩の力が抜けた、自由な前田敦子を見た気がした。メッチャかっこよかった。こんな友達が欲しいと思った。

町田くんは、猪原さんが気になってしゃーない。結果的には、最初から恋だったのだと思うのだが、恋、という概念がそもそも判ってない町田くんは、猪原さんが気になる、ということで、彼女を助けなきゃ!ということで、そしてなんか、周辺の人たちが巻き込まれて行っちゃって……ああ、人間ドラマって、こういうことなんだ、と思う。
少女漫画だ、確かに。でも少女漫画って、その名作って、まさに、周囲の人間関係、それは同級生はもちろんのこと、まだ手の届かない大人たちを家族というものを介在して、体験していくというものだったんだよなぁと改めて思う。

同級生で他に太賀君やら、先述したようにガンちゃんらやら高畑充希ちゃんやらぞろぞろ出てくるのでひえーっ!!と思う。ガンちゃんと充希ちゃんなんて恋人役で、「植物図鑑」やん!!と思うが、かの作品は年相応の役だったのに、まさかの高校生役で再会!!そしてガンちゃんは高飛車なモテ男で、充希ちゃんをフるという……うおー!!
しかもしかも、ガンちゃんは読者モデル(ドクモってやつ??)なんだけどその中でも落ち目で、それゆえに町田くんに近づく、っていう、なんか複雑な設定、なの!

そして太賀君は、猪原さんに恋して決死の告白をするイケてない他クラスの男子、西野君役で、その設定自体、ハマりすぎてる……(いや、ゴメン!!)。結果、猪原さんにはフラれるのだが、町田くんが、一生懸命な想いには一生懸命に応えなきゃダメだ!!と力説して、なぜだか三人でデートに行くことになり(爆)、むしろ西野君は町田くんにこそホレてしまうという(照)。
勿論、友達としてだが、この年頃のレンアイというものが、ヤハリ一過性のものではないかという想いにとらわれると、西野君は失恋と引き換えに、一生モノの愛(愛ですよ、友情の想いも、恋だし、愛だ!!)を得たんじゃないかと思うんである。

もー、いろんな豪華キャストがいるもんだから、言い切れないが、いわば本作以上の冒険であった前作の主演、盟友である池松君に言及しない訳にはいかないだろう。ブス会、三人まで揃ったね、と思うが、彼だけが妻子を持つ社会人役というのが不思議で、しかも妻は戸田恵梨香で、そして彼の職業はスキャンダルをスクープする週刊誌記者である。なんか、イマドキ過ぎてむしろ古臭くなりつつあるかもしれないと思っちゃったりする。
彼は自分の仕事にノリノリのつもりなのだが、それを妻から冷静に看破される。本当は文芸の方をやりたかった、それで出版社に入った筈の、彼の気持ちを、看破しちゃう。まぁこれはなかなか、難しいと思う。わざわざ佐藤浩市なんていうビッグネームをゲストに迎えなくても(ビッグすぎるだろ!!)判ることなのだ。佐藤浩市はムダに迎えちゃった気がするなあ。

本作の何よりの魅力は、ガツンガツンとぶつかり合う不器用さん同士の町田くんと猪原さん、である。マジか、と思うほどである。その不器用さ、純粋さを高めるために、対照させるために、あっちゃんや太賀君や充希嬢やガンちゃんが、それなりに俗な高校生を演じてくれている、訳である。
本当にねぇ、エセ(爆)高校生をマジに演じる彼らが、本当に、素晴らしかったのだ。高校生役を演じる役者の年齢については、その作品ごとに印象というか感慨というか、違うけれども、本作は、まず、その目的がハッキリしていたし、素晴らしく違和感もなかったし、手抜き一切なく、新人を食うんじゃないか、てな心配があるぐらいで、でもそれを受けて、一生懸命、まさに一生懸命、細田君と関水嬢が身を投じていて、胸が熱くなるのだよ。

いっちばん、好きだったのは、草原の中、二人が追っかけっこをする場面。もうさ、ワケ判らんのさ。まず設定としては、お互いの気持ちが判りかけている。でもすれ違いが多くて、猪原さんは海外留学を控えている。そもそも町田くんは好きという気持の中に特別が存在し、それが恋だということまで行きついていない。
そんな状態で、周りから後押しされて(学校中が町田くんを押し出すのが、ああ、ああもう、……たまらーーん!!)飛び出すんだけど、お互いに固まってないから、追っかけて逃げて、逃げて追っかける、その掛け合いがまるで漫才みたいで可笑しく、でもたまらなく切なく、たまらんのよ!!
そしてそこには、町田くんの新しい家族の誕生があり、二人は再会出来ず、またリセットされる。

そこで介在してくるのが、石井監督の前作でその作品ともども評価されまくった池松君であり、正直言ってその作品は私はさっぱり判らなかったんだけど(爆)。
本作は、なんかね、石井監督に最初に触れて、めっちゃコーフンした商業デビュー作の傍若無人、恐れのなさ、やってやるぞ感があったから、なんか戻って来た感じがしたから……その中で、暴れている池松君が楽しかったし、本当に、ムチャクチャでさ……。

だって、町田くん、子供が手放しちゃった風船をつかんで、そのまま飛んでっちゃうんだもの!!でもそれは、予想してた。まさにそれが、冒頭の、町田くんのキャラ設定と思しきシークエンスで、ファンタジー的に流れたから。
でも、ファンタジーじゃなかったのか、それとも全編ファンタジーだったのか。確信犯的だもの。

子供が手放した風船をつかんで、留学に出かける猪原さんを追いかけて空中をさまよう。町田くんにホレこんだ週刊誌記者の吉高が偶然猪原さんと一緒にいて、発見した町田くんを追いかける。追いかける、追いかける……猪原さん、一緒に彼と一緒に空中に飛び上がる!!
飛んでいく、飛んでいく……本当に、落ちて死んじゃうのかと思った。しかし、二人の大事な場所、使われていない学校のプールにザバン!!と落ちて、そして……二人は、お互いの想いを、確かめ合う、のだ。

偶然、本作を見終わって後日、酔っぱらって帰ってきて(爆)、本当に偶然に、本作のCSの宣伝番組を見てさ、映画の登場シーンから、もう閉ざされることが決まっているこのプールがキモだったのだと。浄化される水が、表していたのだと。
二人が初めて遭遇した時点では、めっちゃきったなかったところから、どんどん水がキレイになって、最後のシークエンスでは、猪原さんに会いたいがために、今まで全人類に優しくしていた町田くんがそんなことも頭に入らず一心不乱にプール掃除をしてさ。
そして結果的に、めっちゃ透明な、きれいな水がとうとうとたたえられたプールに落下して、つまり命が助かって、お互いの想いを確かめ合う訳。そうか、そうかそうかそうか、そういうことなのか!!!なんてゆーか、哲学的!!

石井監督のデビュー作に惚れ込んだから、正直その後は、なかなかついていけなかった気持ちがしていた。いい意味で、肩の力が抜けて、いい意味で、原点に戻った気がした。こういう石井作品を、観たいと思う。 ★★★★★


まん・なか You’re My Rock(トーキョー情歌 ふるえる乳首)
2019年 85分 日本 カラー
監督:原秀和 脚本:うかみ綾乃 原秀和
撮影:森川圭 小林啓一 音楽:野島健太郎
出演:榎本美咲 栗林里莉 涼南佳奈 吉田憲明 G.D.FLICKERS(稲田錠 原敬二 佐藤博英 DEBU 岡本雅彦) 景山潤一郎 那波隆史 仲野茂 平本一穂 石川kin 櫻井拓也 長谷川久仁広 国沢実 柳沼宏孝 飯島洋一

2019/8/29/木 劇場(テアトル新宿)
始まってしばらくの間は、紫城麗美(しじょうれみ)こと典子(のりこだけど、てんこ、と呼ばれてる)の、ブリブリアニメ声にへとへとになり、こ、これはもうダメかも……どう展開するかは判らんにしても、これで通されたら私、死ぬ(爆)とまで思い詰めたが、彼女の同業の友人の彼氏がバンドマンで、そのバンドのライブシーンの圧巻さに最終的にはヤラれてしまい、これは、バンドマンカップルの話だけでも良かったのでは……とまで思ってしまう。
いやいやいやいや、ヒロインは典子であり、彼女が官能小説家としてキャラを演じ、自身を偽り、苦悩するというなかなかに深い物語、なんだけど、先述のようにブリブリな上に、芝居もちょっと……。

それに、友人=ユズとバンドマンの錠の物語も、典子と楠田と同じぐらいの比率で描かれていくし、最後には圧巻のライブシーンを存分に、ホントにピンク映画!?と思っちゃうぐらい、尺もたっぷりとって魅了してくれるもんだから、……まぁなんつーか、食われちゃうのよね。
うーむ、もしかして監督さんはそもそもこっちを描きたかったのではないかとも疑ってしまうが、しかし本職の官能小説家さんを共同脚本家として直々に指名し、まさにその苦悩をスクリーンに描き出したのだから、そういう訳ではなかろうとは思うが……。

この日登壇した、その共同脚本のうかみ綾乃氏は、陰影のある美人で、……全然紫城麗美、てか、典子とタイプが違う。
うかみ氏のような雰囲気の女優さんにこの人物を演じさせたらぜんっぜん違う作品になっただろうなと思いつつ、そうなると、監督さんがうかみ氏の脚本に何度もクラ過ぎるとダメ出しした、そういう暗さが出てしまったのかな。ここはあっけらかんと、マンガチックな女の子がむしろ正解だったのかな。

友人のユズが、典子とは対照的に現実的な、リアリティのあるカッコイイ女の子だったから余計にそう、感じたのかもしれない。それは、彼女が付き合っているバンドマン、実際のバンドマンであるG.D.FLICKERSのボーカル、稲田錠氏の存在がとてつもなく大きく……。
勿論フィクションだけど、彼は彼自身を演じ、G.D.FLICKERSのメンバーもそのままに、ライブシーンに再三、登場するのだ。

もう、とにかくノックアウトされた。私はその方面に疎いので知らなかったのだけれど、もう結成30年を超えるベテランバンドで、劇中登場する、ロックバーの客や後輩ミュージシャンなどが興奮気味に語るように、カリスマ的な存在なのだろう。
劇中の設定では、かつては……感で、ロックバーのマスターも雇われバイトで、数字ばかりが求められる今の業界では新作リリースで大きく打って出ることも難しい、という……そういう側面も勿論、あるのだろうが、あの圧巻のライブシーンを見てしまったら、彼らがずっとファンたちを離さずにここまで活動してきて、今もロックンロール!!で生き続けていることが判るのだ!!

……うーむ、コーフンしすぎて、全然典子の物語に行けない。もうちょっと。監督さんが、このバンドさんたちと親交があったということだろう、かなり、仲良さそうだったもの。フロントマンであるボーカルの錠さんに芝居どころかカラミまでやらせちゃうほどのさ。
だったらやっぱり、彼らを描く映画を作りたいというところはあったに違いないと思うんだけれど。でもそれが、なぜ官能小説家と結びついちゃうんだろう??

……なにかね、ユズと錠の物語と、典子と楠田の物語とが、ユズと典子が友人同士というだけのところでつながって思えてならなかったから。ユズもまた官能小説家なんだけど、それは錠とセックスする前戯のように、パソコンで執筆しているそれを音読する場面ぐらいでしか描かれない。
そういう意味では、典子はもともと相当な文学少女(イコール、四半世紀ほど前ならネクラとか言われたのだろう……)な本好きで、文章が書きたい、その一心で、目の前のチャンスに飛びついたのが官能小説だった、ということで、仕事に対する熱情と劣等感がハッキリギャップとしてある。

ユズを同業者にする必要はあったのかな、単なる友人同士でも良かった気もするとかも思うが、そうなるとますます、この二人の物語はそれぞれ一本ずつ作った方が良かったのではないかしらん、なんかもったいない!!ということになるからなぁ。
やっぱり典子ちゃんのようなカワイくてエロい女優さんをメインに据えなければ、客が呼べないんだろうか……考えてみれば、成人映画館でG.D.FLICKERSのライブシーンがあれだけの尺でかけられるなんて想像を絶するし、その保険としては、可愛くてエロな女の子につきるのかもしれないなあ。

なんか、典子側をクサしまくっているけど、そ、そんなことはないのよ(汗)。典子側の物語は、いわゆるエロ業界、彼女の仕事である官能小説家、それを原作にして作られるAV業界、撮影現場、企画における需要と供給、といったことが、つぶさに描かれてかなーり、興味深い。
ベテランのAV男優として長年活躍し、ピンクの出演は久方ぶりだという男優氏のチャーミングさといったらなく、お相手のAV女優が彼の勃つのを待って、がんばれ、がんばれ、とはげますのとか、彼の決め台詞というか、これで商売やってます!!みたいな、バリバリ、今日もバリバリ!と、いつでも勃ちますよ、任せてください!!みたいな応戦がなんとも可笑しく可愛らしい。

そうか、AVは同録だから、音が入っちゃうから、真夏でもエアコンがつけられないんだ……過酷!!AV女優ちゃんが汗みずくの彼を「死んじゃう!!」と心配してストップかけたり、「設定は判ってますけど、ネクタイ外していいですか?」「スタートの後ならいつでも外していいよ」といった応酬が、めっちゃリアル!!
いやぁ……なんつーか、AVはさ、とにかく数打ちゃ当たるで、玉石混合、その中でも石がほとんど、とか思っちゃうのが正直なところなんだけど、AVの作り手でもある本作のスタッフ、キャストがさ、製作の真摯さ、過酷さを伝えたいところなんだろうなあと思って、なんかグッときちゃう。

そこに、見学に来るのが、“原作者先生”である典子、いやさ、紫城麗美センセイなんである。美人官能小説家としてメディアにも露出している彼女の原作でAV作品を作る、ということに、現場のキャスト、スタッフたちもやる気十分なんである。
ことに、監督さんの気合たるや尋常ではない。一見して、めっちゃベテランさん、叩き上げ、バイトで入ってる楠田君が、そのパワーに魅せられてこの業界に入ったというぐらい。

最初にプロットをもらって、AV作品を作って、後にノベライズ、そんな、AVにおけるメディアミックスの夢をアツく語り、その舞台は、今我々が命をかけているAVの現場、そのリアルな様を見せたい、と意気込む。
典子もプロの現場に刺激を受けたし、大乗り気で取材も重ねた。しかし、「AV業界をネタにしたAV作品は売れない」という、これまた数の理論で、企画は頓挫してしまう。

このシークエンスの中に、典子が取材する対象として、バイトの楠田君がいて、実は典子が覚えていないだけで、その前に決定的な出会いをしている、という前段階があるのだけれど、もうそう考えるとさ、AV業界のリアルな現場の描写、作りたくても通らない企画、ということを描きたくて、典子と楠田の関係をヒネりだしたんじゃないかと、やっぱりついつい思っちゃう。
二人の出会いは、くだんのロックバー。以前から常連だった楠田は、典子を見知っていたに違いない。……うーん、でも、以前から常連だった、ということは、ロック好きだったのだろうかとも思うのだが、G.D.FLICKERSのライブに足を運ぶということもないし(典子を連れ去りにはくるけど)、これもまた、ちょっとムリがあるとゆーか、後付けとゆーか。

まぁとにかく、典子が自分自身を殺してエロエロ官能小説家としてメディアに露出して、そのことに自己嫌悪モリモリで、もうへべれけに酔っぱらっちゃって。
もう百万回聞かれてる、「やっぱり実体験を元にしているんですか?」「書くためにセックス(あるいはオナニー)してるんでしょ」という言葉に深く傷つき、「ミステリを書いてる人が、人を殺した経験を元にしているんでしょ、とは言われないのに!!」と言うのはホント……確かに、と思い。

これってさ、セクシャルマイノリティーの人たちが、例えばゲイの人に対して、セックスの嗜好性のことしか聞かないのと一緒だな、とか思って。そこにしかアイデンティティがないと当然のように思っていることに、深く傷つくのだ。典子も。
ユズはそこんとこもう達観していて、いなすんだけど、面白いのは、典子がマジメに、自分が書くために勉強しているマジメな性的学識を相手にとうとうと論破する場面。あれは、彼女が論破するという自覚がない、ただマジメに説明したいがためにしている、というのが判るだけに、スッキリしたなあ。

典子が言うとおり、あるいは良心的なピンク作品で指摘される通り、間違ったエロ描写で、女性が全然気持ちよくなかったり、ケガとかもしちゃったり、とかいうことは、ある訳である。でもそれを、マジに言うと、楽しいエロエンタテインメントにおいては確かにヤボであり、だからこそ典子のような、ちょっと浮世離れしたカワイイキャラが必要だったのかなと思う。
そしてそんな彼女の相手になるのは、典子に比べれば全然未来の展望など見いだせていない青年、楠田であり、監督さんが彼を抜擢したのが、まさにそういう、ある意味での自己責任のなさ、であるというのが、まさにでさ。

ただ、彼は、典子が典子であることを、見出した。顔が赤くなるような、初恋みたいな言葉を何度も彼女に浴びせた。紫城麗美として苦しんでいる典子、自分のことを全然覚えていない典子、どうしようもなく、好きになって、紫城麗美ではない典子が知りたくなった。
自分に自信がなくて、楠田のことが好きなのに逃げ回る彼女に、いい感じに追いかけて(ここを間違うと、怯える女の子に対するストーカーになりかねない)、ついに、つかまえた。

一見ヤサ男に見える楠田君だからこそ、この絶妙な塩梅が効くんだよなあ。そして、あの圧倒的ライブの後、ユズが、いろいろあって決心した恋人の錠のシャウトにうるうるした後だから、余計にグッとくる訳。

典子が、一人が楽しい、とつぶやくのは凄く判るし、それは前半は、まさに彼女自身、100%そう思ってる。でも、本当の、心の底では……。
そういう気持が残っているのなら、誰かと幸せになる道を選ぶべきね。凄く判る、と思ってから30年近く経つと、心の底にあったかもしれない気持ちは、雲散霧消。それでも幸せだけどね。でもまぁ、少しでも心の底にそういう気持を持っているのなら、正直になるべきだと思う。

しかしヤハリ、ユズと錠に感情移入してしまうなあ。ロッカーである錠はカッコイイし、若く見えるけど、落ち着いて考えれば親子ほどの年の差があるのだろう。
ユズは子供が欲しいと思う。それは錠以外には考えられない。しかし彼の過去やそれにこだわる彼の気持ちを考えて、ただ子供が欲しい、それには錠の子供以外には考えられないと微妙に言い換える。

経済状態のギャップやレコーディングのとん挫などいろいろあって、年齢のこともあるし、錠は彼女を巻き込むまいと思う。
だけど、ユズがただ、ただただ……ロックンロール!!と叫び、愛する彼が、彼らしく生きることこそを必死に訴えるのが泣けるし、その後、もう何度も言っちゃうけど、あの圧巻のライブシーンで、彼が、長年のメンバーたちを従えて、一生ロックするんだと、それが自分自身だと叫ぶのが、もう、もーうー、泣かせるのだ!!
うーむ、やっぱり、G.D.FLICKERSとユズだけで良かったんじゃないかと思っちゃうが。★★★★☆


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