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「ま」


2000年鑑賞作品

マグノリアMAGNOLIA
1999年 187分 アメリカ カラー
監督:ポール・トーマス・アンダーソン 脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:ジョン・ブライオン
出演:ジェレミー・ブラックマン/トム・クルーズ/メリンダ・ディロン/フィリップ・ベイカー・ホール/フィリップ・シーモア・ホフマン/ジュリアン・ムーア/ジェイソン・ロバーツ/ウィリアム・H・メイシー


2000/4/10/月 劇場(銀座シネパトス)
前作の「ブギーナイツ」にしても本作にしても、なんだかやたら評価が盛り上がってる割には……という感じが否めない部分がある。とてもよく出来てはいるけれど、諸手を挙げて共感するには計算どおりすぎる展開というか、破天荒に見えながら、肝心な中心の作りはポコッと単純だったりとか。この作品でゴールデン・グローブ賞受賞、オスカーでもノミネートされたトム・クルーズ扮するセックス教祖、フランク・T・J・マッキーなどその象徴たるもので、あんな過激な職業についたのは幼少期からの父親への憎悪がねじくれたものなんだと思わせるのに、ああもアッサリ死の床の父親に慟哭するかしら、などと思ってしまうのだ。……他の登場人物たちに対してもほぼおんなじことを感じてしまう。勿論これは映画的構成の魅力の方を重要視しているせいであって、この物語は同じ土地、同じ時間(24時間)にこの12人の登場人物たちが経験する人生の悲喜劇の締めくくりであり、だからこそ皆すべてに決着をつけなければこの物語を語っている意味がなくなってしまうのだから、そりゃそうなんだけど。でもだったらこんな大勢の話を語ることもないんじゃないか知らん、と思うのだ。

この長尺でも最後まで退屈せずに持っていけたのは、監督自ら書いた脚本の緻密な構成とやたらと高い役者たちの熱演にあると思うけれど、決してその語られている物語の深さによるものではない、と思う。……そう、やたらとテンションが高いのだ……なんで皆こんなに絶叫して、泣いて、怒ってばかりいるのかしらと、こっちの神経がささくれだってしまうようなピリピリした人たちばかりで、キャラクターはまさに千差万別なのに、何だか皆おんなじ神経症をわずらっているように見えてしまう。特に父親に性的嫌がらせをされた過去を持つクローディア(メローラ・ウォルターズ)と、財産目当てのために結婚したはずがその夫が死の床についた時になって彼を愛していたことに気づくリンダ(ジュリアン・ムーア)の二人はヒステリックなドラッグ中毒というまるでソックリなキャラ作りであり、感情を発露させるのにこうした作り込み方ほど判りやすいものもなく、こういうのって熱演って言われがちだけど、確かに熱は入ってるけどちょっと違うよなあ、と思ってしまうのだ。

だからどちらかといえばもっと軽く愛すべき人物を演じている人たちの方が好ましく思える。例えばこのクローディアに恋する善良な警官、ジム(ジョン・C・ライリー)や、フランクの父親でリンダの夫であるアール・パートリッジ(ジェイソン・ロバーズ)の死にゆく様と家族の動揺を痛ましく見つめる看護士フィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)などなど……。彼らに関してはいわば相対する人物を立てる役割であり、その人物たちのように過去の痛みをまで欲張って与えられていない。彼らは今のこの時間だけを見つめている。いわばこれからの時間を誠実に生きようとしているキャラたちで、これはもしかしたら監督の意図外のことだったのかもしれないけれど、過去が与えられていない彼らの方が逆により深みがあり、未来への展望も感じさせる人物になっているのは皮肉なことだ。

そうした意味で、クイズ番組における元天才少年(ウィリアム・H・メイシー)と現在の天才少年(ジェレミー・ブラックマン)では明らかに後者に軍配が上がる。ウィリアム・H・メイシーは相変わらず達者なのだけど、そしてこの二人は対等のキャラとして描かれていると思うのだけど、メイシーは現在の天才少年であるスタンリーを底支えしている人物としての存在感の方が大きい。しかしここに関してだけは、このスタンリー少年の本当の意味での熱演が大きく物を言っていると思う。何にでも答えを出せる天才少年が、そのことで大人たちの道具になっていることを痛い程よく理解している……父親の愛を得られないエピソードはもちろんなのだけど、彼が番組中どうしてもトイレに行きたいのを番組のスタッフである女性にガマンするように止められ、ついにはもらしてしまう場面で、「なんでいつも僕ばかりなんだ!」と静かに、そして激しく爆発する場面、知らんぷりをするこのスタッフのしれっとした表情との交錯が、大人と彼との、いやそれ以上に大人と子供との相容れない関係を痛切に表現している。

しかしこうした人間模様も、衝撃的だけれどもどうにも不可解なラストシーンで吹き飛ばされてしまう。この映画はこの不意をつかれるラストシーンで後世にまで語られるかもしれないけど、果たしてそれがいい結果なのだろうか?物語の折々に天気だの湿度だのといった気候情報が差し挟まれ、ならばこのラストシーンではぜひとも「どしゃ“カエル”降り」とでも記してほしかったが……。うー、それにしてもなんなんだなんなんだあのデブ蛙どもはあ!車のフロントガラスにべったべったと激突して血を散らし、まさしく大雨ならぬ大蛙?で翌日には地面一面蛙の死体だらけ、それをぶちゃぶちゃと踏んづけながら歩くというおぞましさ……うううう、本気で吐きそうになってしまう……私ゃ、この世の中で何のイキモノが一番キライって、カエルほと嫌いなものはないんだああ!それこそケロヨンも、けろけろけろっぴも、目を背けるほどだってのに(最近出ている手足の長いカエルのぬいぐるみなんて最悪だ!)……。実を言うとこのラストシーンは先に観たお方から聞いて知っており、本当に観るのやめようかと逡巡したのだけど……ほんとにやめれば良かった!?それにしてもこの意味するところが判らないなあ……いろんな偶然(言ってみれば必然)が重なり合う人間模様の奇妙さを描いてはいるけれど、このカエル降りの中、スタンリーが「ありえないようなことが起こる」なんてことを悟ったようにつぶやいても、それだけじゃナットクがいかない。それこそこの唐突さで話題作りをしようとしてるとしか思われず……。

それにしても、このカエル降りの話、実話ってほんとなんだろうか!?なんで!?★★★☆☆


守ってあげたい!
1999年 118分 日本 カラー
監督:錦織良成 脚本:錦織良成
撮影:芦澤明子 音楽:本多俊之
出演:菅野美穂 杉山彩子 宮村優子 白川みなみ 池田真紀 氏家恵 本橋由香 野村りの 宮下順子 鈴木紗理奈 古尾谷雅人

2000/3/8/水 劇場(渋谷シネパレス)
いやー、クライマックスシーン、ひっさびさに素直に、無条件に、号泣させてもらっちゃいました。号泣ですよ、号泣、ほんと。あまりにもそれが気持ちよく泣かせてもらっちゃったもんだから、★★★★☆くらいつけちゃおうかしらん、とも思ったんだけど、本当にここだけがナマな迫力で、それまでの積み重ねでうわーっと来たわけじゃないしなあ、と考え直してしまいました。

この錦織(にしこおり、と読むらしい)監督という人が新鋭と言われているけど、それまで何やってた人なんだか全然判らない。多分、テイストはある程度コミックスに忠実なのだと思う。未読だけど、いい意味でも悪い意味でもコミックっぽさが出てる……いや、コミックっぽさだけで構成されているようなところがあるから。特にキャラの面で。おカタイと言われている自衛隊を活気づけようと異色どころを集められたのが、この物語の中で奮闘する落ちこぼれ班、教育隊三班の7人。このキャラがね、もう見事なほどにマンガチックなんだわな。それも何か懐かしい気分さえ起こさせるほどの。主人公の安西サラサ(菅野美穂)はいわゆる“今時の若者”の軽薄さ、外側からがっちり固めたミリタリーオタクの島馬京子(宮村優子)、自衛隊一佐のエリートパパを持つファザコン娘の牛尾衛子(白川みなみ)、バブルがはじけてなにもかもパーになった元お嬢様の勘違い女、桜吹雪鳥子(池田真紀)、典型的いじめられっこタイプの超内気娘、亀田ひろみ(氏家恵)、元レディースでバイクショップを持つのが夢の姉御肌、鰐淵景子(本橋由香)、元女子プロで男にしか見えない外見にコンプレックスを持っている大熊ゆかり(野村りの)、の面々。さすが原作がマンガだけあって、非常に外見と言葉づかいからキャラを固めてて。それが悪いとは言わないけど、内面的な深さにまで達してくれていないのも事実。

まッ、7人もいて全部内面的キャラまで掘り下げてたらこの時間枠じゃ明らかにムリで、だからこういう判りやすい押しの強さにしたんだろうし、おそらくコミックスの方ではちゃんと掘り下げてるんだろう。うーん、とはいえ、ヒロインである安西サラサに関しても、彼女の核はあまりハッキリせず、彼女の言うとおり、なりゆきで最後まで何とかたどり着いた、という感じ。でも、それもまた人生にはアリなのだろうし、実際今の若い人たちって、こんな風に自分自身でもよく判っていない曖昧さのまま時を過ごしているのだろう。

いや、“今の”人に限らず、案外いつの時代の人だってこんな風に曖昧な意識のまま人生を送っているのかも。でもそれを表に出すことが許されず、何か目的意識や夢を持っているかのように振る舞わなければ社会からはじかれてしまうとの恐怖感から自分を作り上げている気もする。だからこそこれまでは仕事しか考えられない熱血サラリーマンや、受験そのものが目的の学生達を生み出してきたとも言える。でも今は、最初から社会からはじき出されてしまう時代。そこでいくら自分を偽ったって始まらない。そういう点で今の若い人たちの方がよほど自分に正直なのかもしれないのだ。そして人生はサラサのように、結構いいかげんな動機から開けていくものなんだろうしなあ。

新米婦人自衛官の、前期課程の訓練期間三ヶ月間が描かれるこの作品は、前述したようにクライマックスでゴウゴウ号泣してしまうものの、実はこっちが思ったほどには、厳しい訓練を乗り越えていく過程では感動モードに入っていかない。確かに訓練は厳しいのだけど、サラサ達のキャラである、いいかげんなノリで流してしまうので、厳しさや辛さを伝えようとしているのではないらしいのだ。観ている時はこの点が正直不満でもあったのだけど、今思い直してみると、でもこっちが期待していたそうした展開もあまりにありがちで判りやすすぎかなあ、という気もするし。こういう厳しい訓練をキャラで乗り越えられるあたりが彼女たちの強さなのかも、などと……。

意外とこの設定、破天荒なものじゃなくって、大学や会社でエリートよりも個性や個人的能力が求められている時代を反映したものなのだろう。実際に自衛隊でもそういう基準で入隊者を採っているかどうかは知らないけど。こうした描写も、頭でっかちな成績人間より、柔軟な人間性を持った人たちのほうが辛さを軽々と乗り越えていける、ということなのかも。

とまれ、クライマックスである。彼女たちの進退をかけた前期課程の最終試験、コンパス行進。コンパスと地図だけを頼りに、冨士演習場の目標地点までたどり着くというもの。どしゃ降りの雨で途中中止が決定されるものの、無線を壊してしまった彼女たちにはそれが伝わらない。道を外れて外れて雨が上がった頃、一件の家が土砂崩れにつぶされ、家族が中に閉じ込められている現場に遭遇してしまう彼女たち。一番に(目標地点の)旗を取ってこなくてはやめさせられてしまうという条件のもと、必死になって進んできた彼女たちは一瞬躊躇するものの、慣れないながらも人命救助のため、奮闘する。

ここは多分、自衛官の本音なんだろうなと思うんだけど、中の子供を助けるために入っていった大熊ゆかりが子供を助け出す前に一緒に閉じ込められてしまった時、この自衛官の命のことは何とも思わないで、「早く子供を助け出してくれよ、役にたたねえ自衛隊だな!」と罵声を浴びせられるシーン……。大熊を心配して涙を流しながら必死にがれきをかきわけている彼女たちは思わず憤激しかけるのだけど、そこに駆けつけた鬼班長、中蜂あやめ三等陸曹(杉山彩子)はキッと表情を引き締めて「必ず助け出します」と凛として住民に誓い、いとわず中へと入っていくのだ。カッコイイー、しかも、泣ける!

しかし、この場面で最も泣けたのは、超内気な女の子、亀田ひろみ。彼女、実はこの訓練で班の小隊長に選ばれているんだけど、この場面まではとにかくその荷が重くてついていくのが精一杯、という感じだった。それが、大熊と女の子を助け出して今度は自らががれきの下になってしまった中蜂班長の安否を気遣って涙を流しながらも、サラサに向かって「(女の子を病院に連れて)行けー!」と絶叫するんである。だから、成長物語としては、この亀ちゃんが一番顕著に表れていたよな。いやー、ここではマジで号泣。もう声を上げて泣きかねないくらい大変大変。鰐淵の運転するバイクの後ろに女の子を抱きかかえたサラサが乗って演習場を突っきるも、そのバイクが横転してしまう。負傷した鰐淵にも「あたしのことはかまわず行け、その子を守ってやれ。あきらめるな!」と後押しされ、泣きながら足を引きずり引きずり森の中を進んでいくサラサにも号泣である。いやはや、泣き疲れたわ、もう。

しかし、だからこのクライマックスの感動は、彼女たちが訓練を乗り越えたとかそういうことではなく、あくまで偶然の事態に遭遇した、よくテレビなんかである災害救助のライブな迫力に感動を覚える感覚と非常に似ているので、これだけで諸手をあげるべきなんだろうか……などとふと考えてしまうのだよね。いや、まあ、この場面だけでも凄く良かったし、偶然の事態が人の運命を決することをネラッているのかもしれないから、いいんだけど。でもその他はあまりにカルいノリだからなあ。特に元お嬢様の高ビー女、桜吹雪鳥子なんかは、この場面でも参加するのを嫌がって最後まで何にもしないし。うーんでも、ひとりくらいは成長しない奴がいるのがリアルなのかも!?

これもまたステロタイプとは言いながら、彼女たちをしごく鉄の女、中蜂あやめ役の杉山彩子はなかなか良かった。幼少時に航空機事故から奇跡の生還を果たしたという過去を持つ彼女は、その時に自衛官に助けられたことから自衛隊に入ったらしいのだけど、このクライマックス場面で駆けつけた橘三等陸佐(古尾谷雅人)に瓦礫の下から助け出され「……また助けられちゃった」と彼女たちに背を向けて微笑みを浮かべるのだ。幼少時にもこの橘陸佐に助けられた、ということだろうな。自衛官に助けられた、というよりも、この橘陸佐に助けられたことが彼女を自衛隊に入隊させたのか……本当にこの場面だけ(しかも観客にだけ)見せる彼女のカワイイ部分。他の部分では本当にコワい教官だから余計に際立つ。

こういうテーマだからいささか仕方ないとは言え、自衛隊自体の存在意義とか、“自衛”(戦争)の問題とかは実に上手く回避されちゃったな、という部分は否めない。クライマックスの前までは、射撃訓練だ、匍匐前進だと、戦争時を想定した訓練だし、戦車もバンバン行き交うのだけど、この最重要のクライマックスにおいては、自衛隊の、明らかに認めなくてはいけない、災害時の人命救助の働きに絞られているから、そうした疑問を考える余地をどこかに追いやられてしまうのだ。でも、この作品ではそうあるべきなんだろうな。そんな問題を語る場所は確かにここではないと思うし。

だからこそ、タイトルである「守ってあげたい!」というのは、ヒロインのサラサに怪我をした女の子を運んでいる最中、「あなたを守ってあげたい!」と言わせるのであり、けして日本を守りたいとか、そういうことではない。「誰か私を守ってくれる男の人いないかしら」などと言うサラサに、中蜂班長が「お前はいざという時恋人を守れるのか」と聞き返す場面もある。自衛隊がどうあるべきか、ではなく、人間としてどうあるべきかにこのタイトルの意味があるということなんだな……。全力で、命懸けで守れる人が自分にはいるのか、あるいは、人を全力で命懸けで守ることが出来るのか、という……それって、宗教的ですらある、かも。 いつも驚嘆すべき役者ぶりを見せてくれる菅野美穂は、今回は珍しく、おお、さすが菅野美穂!と思わせるいわゆる熱演、名演ではなく、なんとなーく自衛隊に入っちゃった、七人の落ちこぼれの中の一人、そして現代の若者像を、変に突出することなく演じている。こういう“普通”もまたさらりとこなしてしまうあたりはやはり演技巧者、なのですな。★★★☆☆


マルコヴィッチの穴BEING JOHN MALKOVICH
1999年 112分 アメリカ カラー
監督:スパイク・ジョーンズ 脚本:チャーリー・カウフマン
撮影:ランス・アコード 音楽:カーター・バーウェル
出演:ジョン・キューザック/キャメロン・ディアス/キャスリーン・キーナー/ジョン・マルコヴィッチ/オースン・ビーン/メアリ・ケイ・プレイス/W・アール・ブラウン/カルロス・ジャコット/ウィリー・ガースン/バーン・ピヴン/グレゴリー・スポレダー/チャーリー・シーン/ネッド・ベラミー

2000/9/26/火 劇場(渋谷東急)
「ビーイング・ジョン・マルコヴィッチ」と原題のままウワサを聞いていた頃から、ナンダソリャ!?ととにかく興味津々だった。第一ジョン・マルコヴィッチなんていう、華やかなスターではない、玄人ウケするような俳優の名前が前面に押し出されている事、そして「ジョン・マルコヴィッチになれる穴」などとゆー、奇妙奇天烈な設定!こんなアヴァンギャルドな映画が全きハリウッド映画で作られるなんて、そしてそれが日本でも全きハリウッド映画としてメジャー公開されてしまうなんて(こんなん、絶対ミニシアター向きだと思ってた!でもキャメロン・ディアスが出ていて、ミニシアターはキツイか……)時代は変わったもんだ……。そういやあ、全く作品の趣は違うけど、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」にも同じことを感じたし、やっぱり時代は変わってきているんだろうなあ……。

ナルホド、想像に違わぬヘンな、オカシな雰囲気を保ったまま映画は進行して行く。マルコヴィッチの穴が登場する以前から、“71/2階”にあるオッソロしく天井の低いオフィスで腰をかがめたり首を傾げたりしながら行き来しているのには爆笑だし、散々聞き違いをする受付の女性や、それをまともに受け取る、そしてスケベな社長、美人だけどどーもヘンなこの階のどこかの社員、マキシンなど、冒頭に提示されるキャラクターたちの不可思議さは、ホントにこれがハリウッド映画なのか!?としつこいけれど驚きを隠せない。まるでフランスかどこかの、シニカルで実験的な映画のようだ。主人公夫婦も相当にキテいる。クレイジーというほどではなく、程よいヘンさ加減がこれまたビミョーに可笑しく、ほんとにしつこいけれどハリウッド映画らしからぬのだ。卓抜した腕を持つ人形遣いのクレイグと、ペットショップに勤め、仕事を家にまで持ち込んで……家中動物だらけという奇妙なワーカホリックのロッテ。

クレイグを演じるジョン・キューザックは、珍妙な出来事に次々と出会う時の、その戸惑った表情がまったくもって絶妙であり(なんかその表情、「笑う犬の冒険」のコント『娘よ』でウッチャンが扮する父親みたい)、何だかそれだけで笑ってしまう。ちょっと可愛らしいどこかエログロな、まるでクリヨウイチ(漢字忘却)の絵の様な人形を操るというのも、微妙なオタク度バランスでステキである。そしてオドロキなのがロッテを演じるキャメロン・ディアスで、彼女がメインキャストにクレジットされているのは知っていながら、このロッテが彼女だという事に私はかなりたたないと気づかなかった!トレーナーにスウェットといった、ひどく冴えない格好、もしゃもしゃの、これまた冴えないヘアスタイル、土にまみれ、女性に恋し、“ジョン・マルコヴィッチ”としてマキシンとのセックスにオーガズムを感じる彼女は、これがあの、キレイで可愛らしいキャメロン・ディアスなのか!?と驚くばかり。こういう役に彼女と知っていたらミス・キャストと思ったかもしれないけれど、全く知らずに観て、そのハマリぶりに大いに驚いてしまう。

そしてこの夫婦がそろって恋してしまうマキシン役のキャスリーン・キーナー!どの会社に勤めてて、どんな仕事をしているのかもナゾな女性。ミステリアスな微笑を浮かべ、クレイグが“穴”を見つけるやビジネスを思いつくという、ヤリ手な?彼女は、本当に最後までナゾなままだ。大体、どうやってあのジョン・マルコヴィッチの電話番号を手に入れたのかだってナゾだ。しかし彼女なら、そうしたことも不思議なくやってしまえるような感じは確かにする。

そうそして、ジョン・マルコヴィッチ!なぜジョン・マルコヴィッチなのか、と問われると、しかしジョン・マルコヴィッチでなくてはならない!と言うしかない、まさしく絶妙な選択である。それほど熱心に映画を観ない人には「誰それ?」と思わせ、あるいは彼の事を知っていても、それこそ劇中のワキ役の人たちのように、名前や演じた役柄を取り違えてしまうようなタイプの役者。日本で言えば(最近は主演作もあるし、あまりにも出過ぎだけど)大杉漣、てなとこでしょうか。そしてマルコヴィッチという、まるでロシア人のような響きの名前もタイトルのインパクトとして最高である。そしてそして、ポスターにズラリと彼の顔が並んだ時の、スキンヘッドで爬虫類系のその顔のインパクト!うーむ、まさしく素晴らしい。

15分間マルコヴィッチになれる穴は、しかも15分後にはその出口としてなぜかハイウェイの横っちょの土手に投げ出されるというんだからいよいよ可笑しい。しかしこの前半のシュールな感じのままラストまで行くことはなかった。それは仕方のない事なのかもしれないけれど、ストーリーテリングを重んじるハリウッド型はやはりこの映画にも存在していて、物語が進めば進むほど、なんだかフツーの映画になっていってしまったのが残念。クレイグが15分以上マルコヴィッチの中にいるコツをつかみ、彼を操り、ついには自分がマルコヴィッチになってしまうという展開は、人間の存在意義とか、魂の生まれ変わりとかいうテーマが大好きなハリウッド型を考えると容易に読めてしまう。

しかもこういう展開を迎えてしまうと、それまではシュールな映画だからと目をつぶっていられた、あらゆる矛盾点をあげつらいたくもなってきて、クレイグがマルコヴィッチになって自分の夢である人形師としての成功をゲットしていた数ヶ月間、クレイグ本体はどうやって生き長らえていたのかとか(だって意識もろともマルコヴィッチになってるんだから、あの穴の中で食料をとるなんてことも出来ないわけでしょ?)、しょーもない事が気になってきてしまう。あるいはもっと深いところで、追いやられたマルコヴィッチの意識はどうなっているのかとか、いくら操るコツを身につけたからって、その本人の意識をずっと抑えたまま何ヶ月も自分の思い通りにするというのはムリがあるんじゃないかとか……エトセトラエトセトラ。

しかもラストに至ると、マキシンとロッテは“自分たちの子供”を得てラブラブになるのだけど、今度はその子供にクレイグが入り込んでいるわけで。そして時空を超えて生き続けた社長その他のメンバーはそろってマルコヴィッチに引っ越して(もはやマルコヴィッチの意識は遥かかなただわな)。話がシュールなまま展開してれば特に気にならなかったんだろうけど、彼ら本体が突如としていなくなってしまったであろうその後を考えると、ウームと考えてしまう。ま、個人主義のアメリカだから、彼らの家族が心配してるんじゃないかとか、そういう日本映画的な考えは出てこないんだろうなあ。

オチャメなゲスト出演のメンメンは大いに盛り上がった。しかしウィノナ・ライダーだけがどこに出ていたか私気づかなくて……うーん、クヤシイ!★★★★☆


マン・オン・ザ・ムーンMAN ON THE MOON
1999年 分 アメリカ カラー
監督:ミロシュ・フォアマン 脚本:スコット・アレクサンダー/ラリー・カラズウスキー
撮影:アナスタス・ミコス 音楽:R.E.M
出演:ジム・キャリー/ダニー・デビート/コートニー・ラブ/ボブ・ズムダ/ジェリー・ローラー/ポール・ジアマッティ/ヴィンセント・スキアヴェリー/ピーター・ボナース/ジェリー・ベッカー/レスリー・ライルス/ジョージ・シャピロ/J・アラン・トーマス/ランダル・カーヴァー/ジェフ・コナウェイ/バド・フリードマン/メリル・ヘナー/ジャド・ハーシュ/キャロル・ケイン/デビッド・レターマン/クリストファー・ロイド/ローン・マイケルズ/ポール・シェーファー/トニー・クリフトン

2000/6/23/金 劇場(錦糸町シネマ8楽天地)
ゴールデングローブ賞を「トゥルーマン・ショー」に続いて二年連続受賞しながら、二年連続オスカーに無視された(ノミネートすらされない!)ジム・キャリー入魂の一作。初めてのシリアス演技を見せたと言われる「トゥルーマン・ショー」ではそれでもまだコメディアンとしてのテレがあるような、どこかまだ大袈裟な顔演技の残る部分があったのだけど、本作ではそれも全くない。勿論、実在のコメディアンを演じているのだから、そうした部分が全くないとは言わないけど、その演じているアンディ・カフマンという人が、芸と現実の境目をなくし、煙に巻くというタイプの芸人さんなので、そうした匂いもだんだんと消されていく。これこそ主演たる熱演ではないか。「アメリカン・ビューティー」のケヴィン・スペイシーより、このジム・キャリーにオスカーをあげたかったなあ(ノミネートもされてないけど……理不尽だ!)

それにしても、このアンディ・カフマンという人、私は初めて知ったけれど、凄まじい人だ。私がもし彼と同時代を生きていて、彼の芸をオンタイムで見ることのできるアメリカ人だったら、彼のことは本気で嫌ってたかもしれない。アンディは人を笑わすというだけの芸よりさらに一段上がって、どんな感情でもいい、人の感情を高揚させること、そこが芸人としての腕の見せ所だと信じていた。

奇妙な外国人キャラクター、ラトゥカでブレイクしたアンディ、しかし彼はそこにとどまることを嫌った。ヒットしたキャラクターに縛られることを嫌うのはよくある話だけど、彼がスゴいのは、それ以降の展開で、彼の頭には明確なビジョンとしてのエンタテイメントが常にあり、それを遂行するためには人から嫌われたって何とも思わないのである。いやむしろ、進んで嫌われたいと思っていた節すらある。どこまでが本当でどこまでが芸なのか、観ている時は翻弄されっぱなしで、しかし終わってみると本当だったのは彼が難病にかかって死んでしまったということだけ。全てが彼の演出であり、ごく親しい人たちですら彼に騙され続けた。しかしこの死ですら……あのラストのトニー・クリフトンの登場は一体!?あれは彼の相棒役のボブ・ズムダなの?でも客席に彼もいなかった!?

女性や南部の人間たちを侮辱し続けるプロレスや、ちっとも面白くない芸で観客やスタッフを愚弄し大暴れするトニー・クリフトンなどの芸で、完璧に嫌われていくアンディ。しかし“嫌われる”ということによって確実に人々の記憶に残っていく彼。……それを思うと、彼はずいぶんとアマノジャクな寂しがりやだったように思えてくる。ユーミンの歌じゃないけれど、“憎んでも覚えてて”というやつ。それに彼は観客には嫌われたかもしれないけど、仲間は皆彼を愛していた。プロレスリング上でアンディが挑発し侮辱し続けるプロレスラー、ジェリー・ローラーも、トニー・クリフトンのステージを観ていて彼に水を浴びせられる観客も、そうした芸の上でアンディを嫌う人々は、実は皆緻密な台本上の相棒であったのだもの(ほんとうにこの繰り返しで騙されまくった!)。彼を信頼し、愛していたこの相棒たちが非常に泣かせるんだ!アンディは信頼できる人たちでまわりを固めていたからこそ、あんな過激な芸を展開し続けることが出来たのだ。そういう意味でもやっぱり彼は繊細な心の持ち主という気がしてしまう。

しかし本当、この破天荒な芸風には圧倒された。芸術のひとつの条件が人に衝撃を与えることなのならば、まさしく彼の芸は“芸”ではなく、芸術だったのかもしれないと。その、作り物としての枠組み、境界線を知っているのはアンディただ一人で、そういう意味で彼は全てが見えている超人的な創造者=アーティストであり、ただの破滅型の芸人ではないのだ(それがイコール天才だという風潮すらあるが……)。完璧主義の演出家であり、完全に人を騙してしまうまでの演技巧者。それを体現するジム・キャリーの入れこみよう!私はアンディ・カフマンを知らないけど、共演者のダニー・デビートが「薄気味悪いくらい似ている」と言うのになんだか凄くナットクしてしまう。だって、なんだかいつものジム・キャリーの顔と違うんだもの!

彼が積年の夢をかなえたクライマックスのカーネギーホールでのショーでも、ブラックな笑いをふりまきながら、でも最後にはサンタを登場させ、ミルクとクッキーをふるまい、夢のステージを幸せいっぱいに閉じる。それが彼の最後のステージであり、まるで今までのこと全てが夢だったかのような、幸せな印象を残したまま死んでしまう。……ああ彼はまさしく“夢の子供”だったのだなあ。人から嫌われていることも、両親が心配していることも、恋人の愛も、どこか夢の中のままに……。

ところで、チラシを見るとなんだかやたらとラブ・ストーリーとしての側面からばかり語ってるんだけど、これはいかにも日本の(それも女性向けの)宣伝展開という気がするなあ。アンディ・カフマンという人が日本では無名だから仕方ないのかもしれないけど、これはジム・キャリーが全身全霊を込めて演じているのだし、やはりそうしたまっすぐな伝え方をして欲しい。しかし日本での(どうやらアメリカでもそうらしいが)興行は伸び悩んだようだけど……ジム・キャリーは確かにその登場は日本の感覚にはねちっこすぎたけれど、今現在の、素晴らしいアクターとしての(そしてもちろん素晴らしい芸人としての)彼を見て欲しいのに……。★★★★☆


MONDAY
1999年 100分 日本 カラー
監督:SABU 脚本:SABU
撮影:佐藤和人 音楽:渋谷慶一郎
出演:堤真一 松雪泰子 大河内奈々子 西田尚美 大杉漣 山本亨 田口トモロヲ 安藤政信 小島聖 寺島進 松重豊 麿赤兒 塩見三省 野田秀樹 堀部圭亮 深沢邦之

2000/5/8/月 劇場(シネ・アミューズ)
いやー、まったくほんとはずれのない人だわこのひたー!しかも処女作「弾丸ランナー」から本作まで一貫してあふれ出る強烈な個性。ああSABUの映画だああ!という間合いとテンションの高さ、そして主演堤真一に寄せる絶対の信頼が伺える絶妙のコンビネーション。常連俳優達にはピッタリのキャラをしっかりと用意してくれるし。

ホテルの一室で喪服姿で飛び起きた高木(堤真一)、何も思い出せない、と頭を抱える。新聞の日付を見ると月曜日……ええっ!?焦る彼、とりあえずたばこでも吸おうとポケットを探るとぽとりと落ちたのがお清めの塩。とんでもない記憶が次々とフラッシュバックされて……。最初のシーンは友人のお通夜の席。しめやかなはずのこの場面からすでにSABU節全開である。この監督、「弾丸ランナー」の時には全篇突っ走ってたようなところがあるけれど、それ以降はその突っ走り感とその前、嵐の前の静けさのようなしんとした感じとのバランスの緩急がとにかく素晴らしく、そしてその静けさの時の笑いの要素を繰り出す、時に連続技をも使うぎりぎりまでガマンして放出する“間”が抱腹絶倒モノなのだ。このお通夜のシーンでは遺影がヘアモデルをしていた時の写真だという気取りまくったポーズのものでまず不謹慎にも笑わせる。そうだ、この不謹慎な笑いもまた、SABU節なのだ、思えばこの人の笑いって全部不謹慎な笑いではないか。もうそれが大好きで仕方ない。

北枕になっていないと突然ぼそっと言う弔問客の女の子のミョーな冷静さや、「そうよ、北枕じゃなきゃいけないのよ!」と泣きそうになる妹(大河内奈々子。この人はデビュー時よりもどんどん可憐になるという希有な女優さんですな)、そして総出で棺を回転させるのも可笑しい。その後、このまま火葬したらペースメーカーが爆発すると判明、誰かが胸を開いて線を切断しなければならなくなった時、最初にふられた大杉漣が堤真一扮する高木に「お前、ラジコンが趣味だったよな。こういう分解とかって得意だよな、な?」とあの口調で迫り、皆も自分は嫌とばかりにすがるような目つきで彼を見詰め倒すあの場面!それに気おされて返事ともため息ともつかない「……はああ」という言葉をもらす堤真一!そして切った線が起爆線で、死体(安藤政信!)の目がぱちりと開き、驚いた皆が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル」の必殺技のごとくお尻歩きで後ずさりする早さ!そして爆発する死体!最初っからこんなに飛ばしていいのかあ!?と思いつつ、こんなのは文字どおり導入部にしか過ぎないんだから!

バーで酒を飲む高木が出会うヘンな客、野田秀樹がとにかく最高!である。このキャスティングは舞台人堤氏のたっての推薦だったらしいが、この役にキャスティングしたSABU監督もエラい!人の運命が分かるというこの男、「あのバーテンはあと三ヶ月だな」などといい、うーん、確かに首を振りながらカクテルを振る(苦笑)サエなさは確かに!?高木の手相を見てやる、と手を取り、しかし手相を見ないうちから何だか知らないが笑い出す、それにつられて高木も笑い、何で何で??と思っているうちになぜか爆笑状態!?観客もつられて何が可笑しいんだかわかんないんだけどやたら可笑しくて笑わずにはいられなくなり……いったいなんなんだあ!?

と、思っているうちに、高木は一人の美女と目が合う。ちょっと浮かれた気分になった彼、トイレに立ち、出し加減を調節しながら(!)ダンス??(なにやってんだ!)しかしトイレから出ると、バーはヤクザな男達で満杯になっていて……(こういうの、ドッキリカメラみたいな番組でありましたな)。逃げ出そうとしたものの一人のコワそうなヤクザにつかまり(私はてっきり田口トモロヲ氏かと思い込んでそう書いたら、しっかり間違いを指摘されてしまいました。あー恥ずかしい……失礼しました。山本亨さんでした。でも、顔似てないかな?)飲みっぷりを気に入られて(高木はすすめられた酒を早く飲んで逃げ出したいだけだったのに)ダンスフロアー付きヤクザ事務所(なんでや!)に連れてかれ、泥酔状態でやけっぱちになったか高木はダンスダンスダンス!?やくざの情婦の手を取って艶めいた踊りを披露すりゃ、ヤクザ感激「あんた最高だよ!」って何だそりゃ!

かくて高木がすっかり気に入ったヤクザ、「ヤクザってね、疲れちゃうんだよ」とスネた口調で素をさらす始末。「お兄さん、サラリーマン?大変だよねえ、俺んとこでクスリ売るバイトやらない?」の言葉が高木のどこかをブチ切ったか、ヤクザの名刺を叩き付け、ロッカーにあったショットガン(そんなとこにアバウトに置くな!)を偶然見つけ、ケタケタ笑いながらヤクザともみ合い、ふとしたはずみで弾丸発射されちゃってヤクザ即死!?コリャ大変だあ。

しかしそのまま高木はダンスフロアーに躍り出て、やっぱりケタケタ笑いながら組員や女達に順番に狙いをつけていく……目が合ったら笑わにゃならぬ、そうでなければ殺される!ってな恐ろしく不条理な状態で、銃を突き付ける方も突きつけられる方も、乾いた笑いが延々と続くったぁ、一体どういう事だ!ここでも高木はほとんどはずみってな感じで組員を一人射殺、そのままフラフラと夜の街へ。

そしてそこでは一人のサラリーマン(take2の深沢!)がワルい若者カップルにカバン取られて困ってる。こりゃあ見過ごすわけには行かないと、もはや正義の味方と化した高木が行く!「痛い目にあいたいのー?」という男に「痛い目にあいたいの〜ん??」とおんなじ台詞を繰り返し遂にぶっ放しちゃった……あーあ。

と、悪夢はここまでである。高木はどうやらその後、そのへべれけの状態でホテルにチェックインしたらしい……。さっきは日付だけ確かめた新聞をハッと気づいて開いてみりゃ、一面トップに自分の(防犯カメラで捕らえられたショットガン持った勇姿(!?)が!!!テレビをつけたら全放送局で自分の事件が映し出され、しかもこのホテルはSWATで取り囲まれている!腰が抜けた高木、ここまで一緒に持ってきたショットガンで(それでよくホテルに入れてくれたな……)自殺を試みるが、銃身が長すぎてうまくいかない(笑)。いや、死ぬ前に遺書を書かなければと書き出すこの遺書がまたトンチキで、やけに兄弟が多いのも笑えるが、庭に植えてる植物のウドンコ病まで気にする遺書なんてありか!?

しかし遺書を書き終える前に「俺が悪いんじゃない!」とキレてしまう高木。そしてドアの前にはSWATが迫っていて……、とここからの、この物語のテーマとでもいう大盛り上がりは実は高木の妄想なのだという事が、ラスト前、またこの時間に引き戻される事で判るのだけど、ここまでも充分凄かったが、ここからが一番凄い!SWATを容赦なく片づけ、エレベーターで下がってきた高木、出迎えた刑事を人質に、選手宣誓、お座りなどやらせ「銃はこんな風に誰でも従わせられるんだ。俺は酒に酔っていただけなのに、銃なんてあるからこんなことになってしまった。正義のためだって、結局は人殺しだ」そして彼に銃口を向けているSWAT隊員の一人に「お前、俺を撃てよ。それが正義なんだろ。でもいくら正義でも俺を撃てばお前は人殺しだ。俺だって人殺しになんてなりたくなかった。ほら、早く撃てよ!」隊員はブルブル震えながら彼を狙い続けるも、結局銃を捨て、仲間も全員銃を捨て、後ろに控える警官も、つめかけたヤクザ連中たちまでも、そして中継していたテレビ局のアナウンサーはつられてマイクを捨てそうになり、高木一声「必要なのは、愛だ!」そして拍手喝采、幸せそうに喜び合う大群衆……って、ちょっとまった、いくらなんでもその展開はないでしょ!

と思う暇もなく、高木は後ろから、同僚を撃たれたSWAT隊員に撃ちぬかれるのである。そのとたんに、喜び勇んでいたSWAT隊員、警官、ヤクザ連中はすかさず銃を構え直し、群集は緊張し、高木はショットガンを持ち直して振りかえるも、ゆっくりと倒れる……。そして、前述の様にここまでの場面は高木の幻想で、ドアの前の彼の姿にシーンは戻り、ブラックアウトとなるのである。正直罪のないSWAT隊員を殺した時はヒヤッとしたので、これが幻想で良かった。ま、あれが現実だったらみんなほんとにクレイジーだもなー。

銃は結局人殺しの道具にしか過ぎないという痛烈な銃批判を、こうまで強烈にアピール出来た作品がいまだかつてあっただろうか!堤真一はほんとに素晴らしい。ことにSABU監督の元では格別にスッバラシイ。チラシにもお姿を出しているヤクザの情婦、松雪泰子はセクシー&クレイジーだったけど、思ったほどではなくて、それが唯一残念だった。うーん、このキャラ達の中ではちょっとツラかったかしらん。しかし、チラシの彼女、ちょっとコワイ顔してますが。そしてそして、このチラシ、妙に「BULLET BALLET バレット・バレエ」のチラシデザインに似てるのよねー、関係ないけど。高木の恋人で人の話を聞かない西田尚美がキュートで可愛かった。ホテルマン役の堀部圭亮氏もほんとにチョイだったけど、忘れず出してくれて嬉しかったなあ。しかもあのチョイで、しっかり可笑しさを醸し出すあたりはさすが!また是非彼を重要なポストに起用してほしい。本作、連日かなりの大入りらしく、ベルリンで批評家連盟賞を取ったのも功を奏しているのかもしれないけれど、SABU監督作品が面白い!というのが浸透、定着している感じがしてとても嬉しい!★★★★★


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