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「り」


2004年鑑賞作品

リアリズムの宿
2003年 83分 日本 カラー
監督:山下敦弘 脚本:向井康介 山下敦弘
撮影:近藤龍人 音楽:くるり
出演:長塚圭史 山本浩司 尾野真千子 多賀勝一 サニー・フランシス 天野公深子 瀬川浩司 川元将平 平田恵美子 谷野聡 谷野みつる 谷野太亮 高倉雅昭 康すおん 中嶋秀敏 町中悠乃 山下敦弘 石川真希 中村未希 石田憲雅 石田杏華 安木孝子 岡あやこ 稲毛成 松村厚 久住友理恵 森田紗香 玉木凛 西尾直美 山本剛史


2004/4/21/水 劇場(シブヤ・シネマ・ソサエティ)
冬の曇天の空模様が好きだ。
映画の中に出てくる、曇り空がとても好きなのだ。特に冬の曇り空。
寒いはずなのに、何だかホッとあったかい気がする。詩情がある。
そして、日本だなあ、って感じがする。

前作の「ばかのハコ船」に腹をかかえまくって、そしてホロリとして、もー、これ大好きと思った山下監督。本作はまた少しリズムを落として、どちらかというと第一作の「どんてん生活」のそれに帰ってきた気がする。
これはつげ義春の原作モノで、つまりは監督にとっては初の非オリジナル作品なわけだけど、それで自分本来のリズムにきっちり引き寄せているのは、さすがと思う。
マイペースの才能というか、そういうものを感じるのだ。無論、それは計算されたマイペース。だから才能。

自主映画を作っている二人が、小さな駅の前に並んで立っている。寒そうにして、あてどなく何かを待っているように。
新しい作品の打ち合わせに、共通の知り合いを介して旅行に行こうというらしい。共通の知り合いの船木は来ず、二人はやむなく一緒に旅をすることになる。
顔見知りというだけで、ろくろく話したこともない二人。その気まずさの、止まった空気がやけに可笑しい。
演じるのは、脚本家の坪井に若き才人長塚圭史、そして監督の木下に山下作品常連の山本浩司。この二人の顔合わせというだけで、もう可笑しいのだ。
この年で、はっきりとした展望も見えずに、でも譲れない情熱を持って、だけどどこかに虚栄心を抱えつつ、人と付き合うのが苦手で、なのに自分の作る映画の中では人間を描こうともがいている、20代後半の、正直サエない二人。

だって、彼らが旅を続ける必要も、ホントはないのだ。船木はいつ来るか判らない、来るのかも判らない。だったらあの時点で引返してしまうこともアリだった。だけど木下が「だって、人から旅行に誘われたの初めてだったから」と……。何とも切ないあの台詞に引っぱられてしまったかのように彼らはさまざまな“リアリズムの宿”を転々とし、そして、突然のヒロインの登場と退場に目をシロクロさせ、そして旅の終わりには、ちょっとだけ、おずおずとだけれど、お互いに対して歩み出そうとしているのだ。坪井に「ホンを書いてよ」と言う木下、坪井は応えて「一緒に書きましょうよ」と……。何だかちょっと、照れくさそうに。
何日か一緒に旅をして一気に意気投合して親友同士、なーんていうウソくささより、よっぽどアリだし、それにこれから先の二人が、今までは闇の中だったのが、何だかぼんやり明るい光が見えてくる感じがするのだ。

それには二人をかき回すヒロインが必要。
尾野真千子。いい。素晴らしい。出演場面はそう多くないのに、全編に印象を色濃く残す、生身を感じさせる少女。
だって、いきなり彼らの前にトップレス姿で走ってくるんだもの!
そこは冬の海。かなり引いた俯瞰でとらえた画、彼女が波打ち際を走ってくる後姿。驚いた男二人は思わず逃げ出すってのが、吹き出しちゃう。
謎の少女、である。かばんが海に流されてしまったのだという。そしてビキニの上も。それにしても冬の海で泳ごうなんて尋常じゃない。何も持っていない彼女に彼らは服を着させ、ちょっといい旅館に一緒に泊まる。アッちゃんと呼ばれる彼女は、21歳で、原宿に住んでいるんだという。
原宿…………?
その時点で、気づいても良かったのかもしれない。確かに原宿に住んでいる人もいるだろうけれど、やっぱりちょっと、おかしい。このぐらいの年の女の子が東京で知っている地名の代表的なもの、ということに気づいていれば。

二人して、ちょっとだけ、このアッちゃんに恋してしまっていたんだろう。「結構可愛いっすよね」という坪井に「乳首を見ていなければ(おっぱいを)見たことにはならない」とテンパる木下。誰もいない女風呂の露天にアッちゃんがこっそり二人を呼んで一緒に入ったり、旅行特有のドキドキは、男二人だけの旅では味わえなかったものだ。
それにしても、酔った勢いで「性欲と恋愛の関係」の論をぶつ木下に、カラオケの順番が回ってくるシーンは可笑しい。裏返りそうな声で「異邦人」を歌いだすんだもんなあ。

木下は、童貞なのだと最初から公言している。女のアソコを見たこともないのかとからかい気味に言う坪井に、「あるよ、姉ちゃんの」と言う木下は……なんだか泣ける。最初、二人で映画を撮りに来たんだと言うと、土地の人は、「釣りバカみたいなのか」と問う。そして「それともエロ映画か。何だっけ、鬼団六みたいなの?」
お、鬼団六って……。
でも、確かに何だかピンク映画が撮れそうな雰囲気のひなびた田舎町である。本作はこの温泉町を活性化させる組合みたいなのが助成しているらしいんだけど、こりゃ逆効果じゃないの、大丈夫かあ?などと心配になったりして。何たって「リアリズムの宿」なんだもの。アッちゃんと泊まった宿だけはマトモだったけれども……。

最初の宿は、釣りをしていた時川魚を売りつけられたインド人?が主人だったというトホホ宿。この魚、思いっきりぼったくられるし、しかもインド人で、しかも、客の酒を黙ってかすめ飲む。
持ち込みがバレるのを心配した木下が坪井の酒を隣の部屋に隠したほんの数秒、足音が去ったなと思って取り戻すと、もう殆どカラ!呆然とする坪井!ビックリして爆笑!
そりゃこの主人しか犯人なんていないんだけど、シラを切るインド人。酔ってテーブル拭きながら寝てるくせに。
とにかく全編こんな感じ。食堂で坪井の注文だけいつまでたっても来ない上に、来たものが違った時の応対なども、いくら説明してもその可笑しさは伝わらないだろう。他の二人がもうすっかり食べ終わるのを、すきっ腹で気まずそうに待っている坪井のもとに冷たいうどんがおかれた時の、あの可笑しさ。文字にすると可笑しさがちっとも伝わらない。贅沢に使った無言の時間は、長回しというほどじゃなく気持ちよく可笑しさを倍増させる。やはりこれぞ、映画のマジック!

アッちゃんの話に戻そう。
彼女は、全てがナゾのまま、いきなり消えてしまった。彼ら三人がバスを待っている時、一本早い別の方向のバスに乗って、去ってしまった。
あまりに普通に乗ってしまった彼女を引き止めることも出来ずに呆然と見送る男二人。
お金も持っていないはずなのに……それに一体彼女は、一人でこの土地に来て、何をしていたのか。「ただぶらぶらしようと思って」わざわざ東京から来たのだとしたら……しかも冬の海で水着でいるなんて、そしてそして突然思いついたように消えてしまうなんて。
ラストシーンでちょっとだけ、ナゾが明かされる。まあ、確かにぶらぶらしていたのかもしれない。彼女はこの土地の人間だった。お金を持たずにバスに乗っても、そりゃ何とかなったろう。しかも女子高生。制服姿で駅前で立ちんぼしている彼女を発見して驚く二人に、腕を下げたまま小さく手を振る彼女。
でも、冬の海で水着でいたのはやっぱりおかしい。何も言わずに立ち去ってしまったのもおかしい。
彼女の存在はフツウの女の子としての生々しさがある分、余計にミステリアスで、二人の男だけでなく見ているこっちの心もかき乱す。

尾野真千子、いいなあ。
彼女は、「ギプス」で主演した時、両主演の形だった佐伯日菜子の女優らしさと対照的に、女の子としての生々しさがあるのがとても良かったのだ。あのまるっこいひざ小僧にホレこんでしまったのだもの。
女子高生を演じつつも、もう20代前半となった彼女は、そうした若さ特有の丸っこさは消えて、少し大人の細面になったものの、少女としての生々しさはまだ色濃く残している。
なんだろう……何か、体温を感じるというのかな、彼女には。

アッちゃんが去った後の、三番目の宿が何たって「リアリズムの宿」なのだ。
手書きの「森田屋」の照明看板はあるものの、どう見ても、一般家庭。家の中でも耳あてをしている(つまりそれほど寒い)無愛想な少年と、寝たきりのじいちゃんと、鼻からボンベにつながるチューブ入れてる主人。
ツインだといって通される部屋は、臭い布団とホコリのたまった丸テーブルがあるっきりの、ガタピシ部屋。
これをツインだと言ったことに後から二人は思い出して、臭い布団の中で大笑いするのだけれど、その時には呆然とするばかり。
「味噌汁多いし」と言っては大爆笑。たった二人なのに、大鍋でどんと置かれるんだもの。その画自体は別になんてことないんだけど、「味噌汁多いし」というひと言がどうしてこうも可笑しいんだろ。

極めつけは風呂場の、吐き気がするほどの汚さ(排水溝にたまった、あの黄色っぽい固まりは何なのー!!!)、フタの閉まった浴槽を覗き込んで呆然とする坪井に、一体何を見たのかと、想像しただけでぞぞぞ。坪井は木下に「入らない方がいい」とハードボイルドもかくやというシリアスな声で止める。これも落ち着いて考えてみると可笑しい。
なんか、こういう感じ。布団の中でやたら可笑しくなるとか、トホホな出来事満載の感じが、何だかちょっと「どうでしょう」みたい、などと、どうバカの私は思ってしまったりするのだった(笑)。

彼らが繰り広げる、どうにも不毛な映画談義も妙に好きだった。最初、お互いの作品を批評しあったりする。批評というか、何とかホメようとする。でもそれぞれの思惑からすれ違って結局気まずくなってしまう。たかが自主映画、されど自主映画で、彼らにはそれぞれ、自分の映画にかなりの哲学があるらしいのだ。でもその哲学は、コトバを聞いているだけのこっちにはやはり、“たかが自主映画”で、彼らのこだわりに、しょっぱい涙の味を感じてしまう。木下が仲間内でだけ通じるような略語を連発するのも、塩入れ過ぎって程、しょっぱい。この時点では二人とも人間の方を向いていないから。

坪井は木下の映画に女が出てこないことを指摘する。木下は坪井に「女と6年間同棲してたから、恋愛映画を撮る資格があるって言いたいの」とカラむ。二人は相手に本気で怒ってしまって黙り込む。
でもそれは、それぞれに、図星をついていたからなんだろう。
坪井は確かに、童貞の木下に比べればそういう経験は積んでいるんだろうけれど、それこそ“6年間同棲”のその長い春に引きずられて、下を向いてしまっている。そして木下は……まあ、言わずもがなというか(笑)。
社会に出ているわけではない少々の甘さと、しかし自分自身に対する自信と、そしてたっぷりの焦りと漠とした不安。それがぶつかり合った時に見えてくる光。

でも、というか、だからこそというか、この二人がお互いにアイディアを出し合いながらこれから作る映画のプロットを話し合っている時の楽しさは好きだ。深い雪の中を長靴でズボズボ歩いているアッちゃんを見ながら、“子供が欲しくて子宮がうずく女が、通りすがりの女の子を子宮に入れちゃう話”は、「子宮に入れようとする」「何とか入っちゃう」とリレーする、その話の不条理さが可笑しくて、二人が凄く寒そうに立ちんぼしながら、でもやたらと楽しそうなのが、イイなあ、と思うのだ。
だって二人はきっとこの時のことを、何年経ってもずっとずっと、覚えてるよ。
あの時出会った女の子。一面の雪。寒さに震えながらしたバカ話。世界から隔絶された曇天の空。時々気まぐれのように太陽が出たり入ったり。
世界、だなあ。

映画音楽が続くくるり。この甘くてしょっぱいビターなハッピーをそのままうつしとったようなエンディングテーマがピタシだった。★★★☆☆


リバイバル・ブルースREVIVAL BLUES
2003年 114分 カナダ=日本 カラー
監督:クロード・ガニオン 脚本:クロード・ガニオン
撮影:クロード・ガニオン 音楽:塩次伸二
出演:内藤剛志 奥田瑛二 桃井かおり 渡辺ほなみ 久保京子 野村麻紀 ミッキー・カーチス

2004/10/15/金 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム)
奥田瑛二とクロード・ガニオン監督の二度目の顔合わせが実現した……と思っているのは私ばかりなの?この長い年月を経た縁を、どこでも言っていないのはどうしてなの?オフィシャルサイトでのガニオン監督のプロフィールですら、「ピアニスト」の文字はどっこにもない……奥田瑛二のそれにもない。なぜ?なぜ?あの映画こそが二人の縁の始まりで、この映画だって引き寄せたに違いないのに……隠したい過去なのか?まさか!
ということをついつい思ってしまうのは、私にとって「ピアニスト」こそが役者・奥田瑛二を見た始まりであり、ホレこんだ始まりであり、劇場に三回足を運び、ビデオもゲットし……つまりお気に入りの作品なんですよお。
何が良かったって、あの「ピアニスト」の奥田氏ときたら、奇跡的に美しい。
私は奥田瑛二はあーいう感じという最初の刷り込みになってしまったから、その後見る奥田氏とのギャップにエラい悩んだもんである。
もの凄く美しかったの、ねえ、ちょっと、本当に。
私はあの、「ピアニスト」が忘れられないのになあ……。
だから、日本人は奥田瑛二という人がどういう役者か知ってるけど、例えば外国の人で、ガニオン監督の作品で追っかけたりしたら、「ピアニスト」からの奥田氏の変わりようには多分相当ビックリすると思う……「ピアニスト」の奥田さん、すっごくハンサムだったんだもん!(しつこい?)
ブルースハープの演奏は二作品ともに出てくるから、余計に対照が際立つ。いまやすっかりブルースオヤジな奥田瑛二。

で、である。桃井かおりサンがガニオン監督からオファーが来るのを20年間ずっと待っていた、という言葉を残し、つまりはガニオン監督が語られるのは日本に住んでいた時撮った処女作、「keiko」であり、彼らの年代にとってずっと伝説的監督だった……私は、知らない時代。
その、「keiko」と同じ手法で本作は撮られたのだという。……まあ、つまりは私が騒いでいる「ピアニスト」はガニオン監督作品の中では異端なのかな。
でもその同じ手法、“全シーン、台詞が即興”というのを映画を観終わった後に知って、鳥肌が立った。ああ、やっぱり、あの信じられないほどのナチュラルさはやっぱりそうだったんだと!でもそれはやはり……彼ら三人の役者、 内藤剛志、奥田瑛二、桃井かおりという人たちの、役者としてのベテランだからこそ、出来るんだよね。……やあーっぱこれは、ワカゾーの役者には出来ないだろうなあと思ったり。

特に、桃井かおりのなんという素晴らしさ!私この間、「IZO」の彼女がベストとか言っちゃったけど、こっちだ、こっち!この即興演技というのが加味しているんだろうけれど、桃井かおり自身がそこにいるとしか思えないナチュラルさであり、しかも、この桃井かおり自身というアイデンティティが凄まじくカッコいい。欧米人のようなスキンシップがフツーにカッコいいなんて桃井さんしか出来ないでしょー。桃井さんだから、恋愛やなんかと関係ない部分で、それが真に友愛のカタチだと感じられるのだ。
そう、友情も、愛のひとつなんだ、って思った。思わせてくれた。
男女の友情なんてないという“常識”もそれは違うんだよね、って思わせてくれた。
それは私なんぞのワカゾーにはまだまだ達せない域ではあるんだけど……。
物語は、一人のサラリーマンが沖縄で古い友人を訪ねるところから始まる。隠れ家のような粋なバー。「たまたま仕事で来たから」とやけに緊張気味に言うその男、健に、その店のオーナー、洋介はひと言も発せず、くるりと背を向けてしまう。
どうやら、二人には埋められない溝があるらしい……。
それでもめげずに健は次の日、朝から店の前で待っている。日がな一日。ついに根負けした健が屋上から声をかけ……二人の友情は再開した。

この時、何で突然健は洋介を訪ねようと思ったのかな。勿論、“たまたま沖縄に来たから”という理由はあったけれども、26年もの歳月が彼らの間に横たわっていたのに。でもその26年を飛び越えるほどの友情がかつて彼らにはあって……だから健はどこか、洋介からの電波のような何かを感じて、彼を訪ねたんじゃないかって思ったりしたのだ。
……まあ、それはかなりお伽噺チックな考えなんだけど……。
そう、洋介は突然、倒れてしまう。楽しそうに健と酒を酌み交わしていた、その最中に。口から泡をふいて。
ガン、だったのだ。それも……末期の。
仕事で来ていたはずの健だけれど、放っておけなくて、病院に連れて行ってやったりなんだりする。洋介についていたのは彼の若い恋人、静香しかいない。でも、病院から抜け出してきた洋介は、その後、頑として健に会おうとはしないのだ。
健は困って、やはり昔の仲間である加代に相談する。
「洋介、洋介って、あんた、女みたいね。グチグチグチグチ」そうアッサリ断じられてしまう。

洋介は、健からの電話に出ようとしなかった。イラつく健は電話に出る静香に八つ当たりする。俺はアイツの友達なんだ!たのむから電話に出してくれよ!電話の向こうでただただ泣くことしか出来ない静香……見かねた洋介がようやく電話に出てくれた。
「頼むよ。静香に当たるのは勘弁してくれ。俺もどうしていいか判らないんだ……もう少し時間をくれ」
突然余命いくばくもないと言われて、一体何から片付けていいのか、判らなかったのかもしれない。いや、病気の自分と見つめあいたかったのかもしれない。……こんな状況になったことがないから判らないけれど、ただ一人で考えたい、そう、思うものなのかもしれない。
洋介は静香と共に、役所に婚姻届を出しに行った。そして店を若い者に譲り、上京した。それは、健から再三誘われていた、バンドの復活に応じるため。
健と洋介と加代はその昔、ブルースバンドを組んでいたのだ。

たった一度のリバイバル・ナイト。ラフなカッコで、うつむき加減にギターを弾く洋介、仕事から駆けつけたスーツ姿の健、そして、加代。ああ、桃井かおりッ!長いお耳をつけ、セクシーに胸元が開いたドレスで、「黒いウサギです。カラスじゃないのよ」なんて言って、歌う「チンチン・ブルース」の……例えようもないカッコよさッ!
桃井さんが歌うの、初めて聞いた、初めて見た。凄い素敵。今でも“日野皓正氏・山下洋輔氏とジャズジョイントライブを定期的に行っている”んだって?知らなかったよー、こんなブルースな歌手だったなんて!勿論、奥田氏も内藤氏も、すっごく素敵。それはいわゆる若者バンドが躍動的にプレイするのととても対照的なんだけど、その黙々とした様が、逆にその中のブルースのリズムを感じさせるんだよね……なんともはや。ああ、本当のカッコよさって、大人のカッコよさって、こういうもんなんだよなあ!

そう、この一夜限りだったのだ。その後、健は洋介を奥さんの静香ともども、自分のマンションに引き取ることにした。介護用のベッドも買って、一部屋をあてがった。ダンナにつきっきりで疲労困憊の静香をかばって、自らも介護に携わる。下の世話までする……壮絶である。
茶色い染みが背中から足までべったりとついた洋介を、世話する健。ネクタイ姿で腕まくりをしててきぱきと処理する健はカッコいいと思った。男のこういう姿って、ホレると思うよ、実際。洋介は、「ありがとう」と言う。それは……かなりたまらない思いだったに違いないのだ。でもこれが、ひとつの分岐点だったようにも思う。二人の友情が真の意味で深まった分岐点。

一方、加代は、まだ見舞いに来ないままだった。健のマンションに移り住む前、洋介と静香が暮らしていたアパートで、洋介が一人の時熱を出してしまったその場に居合わせた佳代は、おろおろと泣きながら、手を握っていることしか出来なかった……その時の、桃井さんの真に迫った表情ときたら!
いやここでなくっても、全編桃井さんは実にミラクルだったんだけど……健をイライラと叱咤する時も。でも、やっぱり桃井さんが奥田氏と、それもこんなに親密な形で共演し、ミラクルな演技をしているのを見ると、ああ、やっぱり、二人は、盟友なんだもん、って思うんだ。
やっと加代が、意を決してお見舞いに訪れて……その場面が、たまんない、のね。健に手をとってもらってようやくソファから立ち上がり、震えながら洋介の病室に入って……動かない洋介に「死んでるのかと思った」なんて一応ジョークをかましながら……。そして健は二人っきりにしてくれる。黙ったままの洋介。ベッドからようやく手を出してきて……その手を握る加代。泣き出すのを必死にこらえるように、その手をさすりながら……「相変わらず、キレイな指だこと」

泣けるんだ、もう、この場面……実際、奥田氏の指は実に美しいの。ちょっぴり酒焼けしちゃってるけど(笑)。そして加代は洋介のベッドにもぐりこむ。別に何をするわけでもない。彼の手を握り続けて、彼は彼女の肩を抱いて……それだけなんだけど。
この加代の存在はね、本当に、そう、仲間とか友情とかいうものが、家族の愛情と公平な、愛情なんだって、本当に思わせてくれるの。それは、こんな風に“ベテランの大人”になったら、いや、ならなければ達することの出来ない境地なのかもしれないとも思う。奥さんも、友達も、家族も、全部公平に大事な仲間たち。そういう感覚。恋人だけに、縛られ続けるんじゃなくて。 ずっと会いに行けなかった加代も、世話を続ける奥さんと同じように彼のことを大事に思ってる。
大人の、感覚なんだなあ……。
この若い奥さん、静香も、若いんだけどそのことを判ってる。だから加代が訪ねてきて洋介と部屋で二人きりになっても、知らないフリでベランダでヨガなんぞやってる。そういう彼女だからこそ、洋介は好きになったんだろうし……余命いくばくもない、と判ってから入籍するなんて、なかなか出来ることじゃない。
……だって、洋介、いくらなんでも遺産があるようには見えないし(笑)。
世話するとかそういうんじゃなくて、最期の時間を一緒に過ごしたかったんだよね。それも恋人としてではなく、家族として。

内藤剛志扮する健。こんな彼は初めて見た。ああ、この人、こんなに上手かったんだ!なんて思うなんて……失礼、よね。それにしても、この、加代から散々、イジメられるような、男の勝手さと無邪気さをどこか可愛らしく演じる彼にはちょっと、驚いてしまう。
だって、彼、女とのセックス場面がやたらと出てくるんだもの。それも若い歌姫から掃除のオバサンまで守備範囲広く。
そんな健に対して加代は「あんた、誰とでも寝るじゃないの」と揶揄するんだけど。「女はここを触ると気持ちいいとか思ってるでしょ」なんて、イイこと言うんだなー、桃井さん。ひたすら嘆息して、「だからあたしはあんたと寝なかったのよ」「あんた、幸せでしょ」そんな風にイジめられる健は妙に可愛かったり。
それは、日々弱っていく洋介との対照。健と加代との会話にこんなシーンがある。洋介を介護し続ける日々、なんかちょっとヘコんで健は加代のバーに行く。中に入ることはしないで、外階段で待っている。「泣いてるの」そう声をかける加代。
「お前、悲しくないの」
「……」加代は黙ったままである。
「あいつ、死ぬんだな……」
「あんたが死ぬわけじゃないのよ」そう、牽制するように言う加代。あんたはいつだってそうなんだから、と言わんばかり。洋介のそばにいて、彼がもうすぐ確実に死んでしまうことに、ヘンな言い方だけど、どこかに満足感をもって見つめている健を。……でも彼のそんな気持ち、判る気がするし、実際加代にだって判っているのだ。だからこういってあげる。
「洋介は死ぬ。……こう言っちゃなんだけど、生きてるってこと、実感するよね」
この場面も、即興演技が冴え渡る、リアルさなんだ。

ある日健が、洋介と静香が触れ合っている場面を見て、「お前ら、あんな昼間からヤッてるの」とからかう。でも、洋介は「触っていただけだよ。勃たないんだ」と返す。
それを聞いた健、「……俺、勃つんだなあ」などとヘンに感動したように言う。そして今の自分がいかに精力絶倫かを自慢げに話し出す。……こーいう無邪気なあたりが健の健たるゆえんなんだけど、それにつけくわえて、「でも、女房とはヤってないんだけどね」と付け足したのがマズかった。
それを聞いてしまった健の奥さんは、出て行ってしまうのだ。
……まあ、それ以前に冷え切っていたみたいだし、何より健が奥さんに相談ナシに洋介夫婦を迎え入れてしまったことが大きな要因だったみたいなんだけど(静香を手伝いもしないワンカットに全てがあらわれてる)。
何にせよ、まるで洋介が死にゆくことでエネルギーをもらったかのごとく、健の男としての生活がやけに充実してくるのだ。
それは、決して皮肉な描写じゃなくて、皮肉な描写じゃないというのもかなりオドロキなんだけど、本当にそうで、洋介もそんな友達に、オレの分までしっかりやれ、と言い残して、亡くなる。
死にゆく者と、生き残る者。そこには、当たり前だけれど、明らかな違いがある。
これからも生きていく者は、これからも生きていくだけのエネルギーがなくっちゃいけない。
それをまぶしく見つめながら、洋介は、死んでいったのだから。

あの、たった一度のリバイバルステージを言い出した健に、加代は「洋介のためなのね。……まさか自分のためじゃないでしょうね、カンベンしてよ」と言うシーンは印象的。
確かに洋介のためであったけれど、やっぱり健自身のためでもあったに違いないから。
あの晩があったからこそ、洋介は“前向きに”死にゆくことが出来たのだし、健は同じく生きていくことが出来たのだから。

三人の、大切なバンド、なぜ解散したのか。健が原因だと……でも、健は今ひとつ思い出せない。洋介は健が言い出したんだという。加代はそのあたり、曖昧である。それぞれの、受け止め方が違う。決定的なのは、26年という、横たわる時間だ。
きっとその時が青春だったに違いない。それが断たれて青春が終わってしまったに違いない洋介は、再会した健に言う。「ずっとお前が憎たらしかった」自分の青春を分断してしまった友達に。そして、「でもそんな自分が一番憎たらしかった」とも。
でも、なぜバンドを解散してしまったかさえ忘れてしまっていた健の方はといえば、ずっと洋介のこと、大事な友達だって思ってた。無邪気な健だから、そんな風に洋介に言われて一時的に悩むけど(その一時的な悩みを受け止める加代がタイヘンなんだけど)、気にしない。
こんな健だからこそ、洋介はその最期に彼を受け止めることが、出来たんだろうな……。
そして洋介が死んで、健はそれまで思ったことのなかった、何か、とてつもなく大きなものを受け取ってしまう。
急に襲ってくる寂寥感。誰一人いない部屋でむせび泣く健……。
そして、彼が突如として訪れるのは、寺。加代のバーで彼女の代わりに店を切り盛りしていた、若いのにやけに落ち着いている男の子、古い物語を引いた説教もスナオに聞いてしまうようなこの男の子が実にイイ感じで、健は彼のいる寺を訪ねていくのだ。寂れた、寺ともいえない一軒家のような、でもあまりにもあまりにも静寂な、その空間。

姿勢を正す。ただ、黙想する。丁寧に拭き掃除をする。何をするともなく、横になる。……静寂に、耳をすませる。
それまで、健がしたことのなかったであろうことばかり。でも、わざわざ寺に行かなくても、洋介はしていたかもしれないこと……。
友達を取り戻すこと。その最期を看取ること。そして……その次のことが思いつかず、生きていくことに行き詰まってしまった健が、取り戻した、時間だった。
何があっても、生きていかなきゃいけない。
生きている限り、生きていかなきゃいけない。
そんな、大げさなことでなくても、……現に今、生きているのだから。
ラストシーン、石段をゆっくりと上がっていく健に、そんな思いが見えた気がした。

大げさかもしれないけれど、生きていく勇気をもらえたような気がする。大人になってから、大人として生きていく勇気を。
ありがとう、ガニオン監督。大人になることも、そう悪いことじゃないのかもね。
そう思うためには、大人としての人生を、こんな風に一生懸命歩んでいかなきゃいけないんだね。★★★★★


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