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ハート・オブ・ザ・シー
2003年 110分 日本 カラー
監督:錦織良成 脚本:横山雅志
撮影: 音楽:
出演:須藤理彩 黄川田将也 赤坂七恵 高松しげお 渡辺えり子 宇梶剛士 尾美としのり 神田利則 内野謙太 宮村優子 杉山清貴 夏木マリ マイク眞木 ミッキー・カーチス
と、基本ラインはこんな感じなんだけれど、結構ドラマティックな展開もある物語。なんたってクライマックスは、このヒロイン、典子の憧れの人であるKTを町のイベント、クリーンビーチコンサートに呼んでしまうのだから。KTとはかの杉山清貴。クールで都会的な夏バンドというイメージのオメガトライブ時代と違ってすっかり肩の力が抜けた彼はそうか、もう44歳。一番いい時期かもしれない。ギター一本で歌う彼は、気負いのない、とても魅力的なミュージシャンとなっていた。しかし彼が出てくるのは物語も中盤になってから。前半はこの典子の里帰りの様子が淡々と描かれ、そしてKTが出てきてからも、実は語ろうとしているのはKTではないのである。
それは夭折してしまったプロボディボーダー、四方田富士子さん。もともとこの映画の企画は、“海をこよなく愛するミュージシャン・杉山清貴と、2001年に他界したプロボディボーダー・四方田冨士子との友情が発端となって誕生。”したのだという。だから実は富士子さんこそが重要な人物なのだけれど、典子の物語とそしてKTとに押されてしまって、富士子さんの物語がなんだか中途半端に終わってしまい、え?彼女のことなんだかよく判らなかったなあ……という印象。ラストクレジットで彼女の写真がずーっと流れて、やっぱり富士子さんこそがこの映画の根底に流れるテーマだったんだと思いはするものの、そこらへんの突っ込み方は弱かった気がする。オフィシャルサイトでも彼女のことはまるで触れられていないし……つまりは、杉山清貴氏が彼女のことを何かの形で残したいと思って立ち上がった企画なのかなという気もするものの、でもその“特別”な思いに直接的に触れるのがヤボだと思ったのかもしれないし。その気持ちは何だか判る気はするのだけれど。
と言いつつ、この映画はなかなかに魅力的である。須藤理彩はこれが映画初出演、だろうか?22でデビューという遅咲きの彼女は、もう27にもなるんだなあ……と思いつつ、このぐらいの年になって若さの勢いだけで突っ走ることが出来なくなって、ふと自分の足元を見つめて、そして故郷に帰ろう、と思うその心境、他人事ではない。そのことが怖くて見ないふりをして過ごしてしまった、そういう自覚のある人なんか、彼女の選択が自分にも出来たのではないか、などと思ってしまうかもしれない。須藤理彩、彼女は体型がリアルなんだよなあ。スポーツウーマンなんだけど、割としっかりとしている下半身とか、実に普通の女の子っぽい。
東京からほどちかい場所にある故郷なのに、こんなにも住民同士が近くて、そして仕事にあくせくしていなくて、あくまで自分の体が、魂が自由であることを大前提にしているような町。小さなFM局、くじらFMの存在がなんともいい。くじらFM……函館にFMいるか、なんていうのがあったけど!何でくじらかっていうと、この町は捕鯨で有名なのだそう。というのも初めて知ったけれど、海の町の物語として、そういうスタンスはなかなか嬉しい。くじらをやたらかばい立てする世界の風潮は、海を愛するというのとは違うと思っているから。東京から近いということもあるけれど、インターネットを駆使した情報収集……それはこの土地ならではの波情報なども含めて、だけれど、そういう時代になって、いよいよ都会にこだわる意味というものが希薄になっていることを感じる。都会にいることのメリットは物流と情報。物流のスピードは過去と比べて信じられないほどにアップしたし、そうでなくったって今すぐ必要なものなんてそうそうない。いつでも開いてるコンビニエンスストアなんて、実はとっても無粋なもので、そこで深夜に買うものなんて酒とつまみだったりするものなのだ(それは酒呑みだけ?)。そして情報は、こうしてインターネットの普及によって、中央と地方の意味をまるでなくしてしまった。それならば、こうして穏やかな海に抱かれて、大好きな仲間たちとともに心休まる故郷で暮らす方が確かにいいに決まっているのだ。
須藤理彩演じる典子は、幼くして両親を亡くし、バーを営む叔父によって育てられた。都会から戻ってきた典子は、夜はこのバーを手伝い、昼は日がな一日海に出て、音楽を聴いていたり、ボディボードに挑戦してみたりする。この叔父を演じるのがマイク真木で、バーの常連で民宿をやっているおばちゃんが夏木マリ。民宿のおばちゃんというには夏木サン、凄いいでたちだけれど、このバーで退廃的に歌ってくれる彼女はちょーうカッコイイ!最高にゴージャスなライブはしかもタダ!このマイク真木と夏木マリは東京でのミュージシャン時代にKTと仲が良かった、という設定で、後にコンサートにくるKTと彼ら、特にバーでマイク真木とKTが二人で酒を飲むシーンなどはとても自然で、設定ではなく、本当の関係みたいな雰囲気。
東京にいた時には広告代理店に勤めていた典子。KTが出演しているTOKYO FMに企画書を持っていったりしたことはあったけれど、つまりこの和田町にいる時より距離的には近かったはずなのに、近くても、近づけなかった。でもこの和田町でビーチクリーンコンサートに彼を呼ぶ、という話に、最初こそ現実的でないと思ったのかあまり乗り気ではなかった彼女が、最後にはその企画立案者である幼なじみの洋介とともに、いい波を追いかけているというKTを追って、海から海へと奔走するのである。いい波が出ているところを追いながら夜どおし!そして結局彼を捕まえるのが、和田町の海岸、というのがイイ。海から上がってきたKTに、憧れの人を前にして固まる典子が可愛い。
東京の大放送局であるTOKYO FMと、和田町の海岸の掘っ立て小屋みたいなところでやっている小さなくじらFMが交差したりするところも上手いと思う。くじらFMのたった一人の運営者であるDJ(宮村優子)は、コンサート当日になっても「いまだに信じられない!」と興奮をあらわにするのだ。
このコンサートの企画者である洋介は、生まれた町に迷いもなくずっと住み続けている。大好きな海と仲間がいるから、とその理由を語る彼のまっすぐさ。彼を演じる黄川田将也君がイイ感じ。ちょっと妻夫木君のような、色に染まっていない風が。久しぶりに帰ってきた幼なじみ、典子にまんざらでもない気分を抱く彼。でも最初のうちやはり彼女はどこか都会の空気をまとっていて、彼の勧めるボディボードにもなかなか興味を示してくれないし、彼が教えようとしたらその彼自身がヘタッピでそれも不発に終わるし、どうにも上手くいかない。でも、典子の憧れの人であるKTを地元のイベントに呼ぼうということになってから、彼と彼女の距離は少しずつ近くなっていく。本当は、KTの昔なじみである栄子さん(夏木マリ)に声をかけてもらえれば一発だったのに、彼女は、自分でやんなさいよ!とにべもない。
彼の上司である尾美としのりが、いいんだなあ。彼の後押しを、気持ちで支えていて。台詞も出番も少ないんだけど、とても印象に残るいい役。つまりこうやって周りの大人達が手出しをせずに見守ることで、どこか青二才だった洋介もまた成長していく。都会で疲れて帰ってきた典子が、彼にありがとうと言ってくれるまでに。
都会と地方の関係や、都会にいれば何でも出来ると思っていたのが意外にそうではないことなどを声高にではなくあぶりだしていく。何でも出来ると思って出て行く都会で逆に見失うものと、故郷で見つけるそれは、やはり自分の生きていく場所、自分の居場所。身体と魂の居場所。小さな町の穏やかな海岸にしつらえられた、手作りの小さなステージでKTが伸びやかに歌う。ささやかな数の住民たちがそれに集い、幸せそうな笑顔を見せる。……そのコンサートが終わったあと、典子は洋介に言う、「何かは判らないけど何だか判ったような気がする」そして、「ありがとう」と。
「KTにとって、富士子さんは特別な存在だった。それがどう特別だったのかは、彼にしか判らないけれど……」と前置きしつつ、故郷で再会した大切な仲間たちが特別な存在であると感じる自分にもそれが判る、と典子はつぶやく。KTと富士子さんの関係が大前提になって出来上がった映画だということを改めて知らされるけれども、でもその“特別”はやはりベタベタと手垢をつけるわけにはいかないものなのだとも思う。そこらへんがやはりどうにも歯がゆいなと思いつつも、富士子さんに憧れてボディボードに熱中する典子の友人、真智子(赤坂七恵)のキャラクターを置いてみたりして、それを何とか回避しようとはしているんだろうなあ……。でもやっぱり、少し弱いけれど。むしろこの真智子より、のんびりとボディボードに興じている男の子たちの方が魅力的だったりして。ボディボードの上手い女の子に憧れて直立不動になる男の子とか。何か微笑ましかったなあ。
錦織監督は海を描く人。それも穏やかな海を。波の音が絶え間なく聞こえるこの小さな町、あの民宿に泊まって、鯨料理を食べ、あのバーで呑んでみたい。★★★☆☆
青汁のバッタモンみたいな「あかじる」というオリジナル健康飲料をひっさげて、男、大輔はカノジョの久子を連れて故郷に錦を飾る……なんてもんじゃなくて、東京でのセールスがさっぱりだったため。田舎に活路を見い出そう帰ってきたのだ。冒頭はその東京での街頭販売が一瞬挿入され、そのあまりのしょっぱさにすでにもう二人の道行きは決まったようなもんなんだけど……あれは中野のサンモール?なんだか見覚えのある商店街。二人の必死のアピールに立ち止まる人はいない。で、二人は大輔の田舎でのコネを頼ってグラグラ揺れる小船に乗ってやってくる。この田舎の風景。その一角に、こんなに広い土地があるんだから何もこんな風に建てなくても、というように、四角く5、6軒の家がぴっちり隣り合って建っている奇妙な一カットが妙に印象に残る。何となくこの言いようのない妙さが、この作品全体を貫く雰囲気。
東京であんなにダメだったのに、口コミで、とか、軌道に乗ったら、などとやけに楽天的な大輔。彼の両親はもうとうから不安げだし、案の定、どこへ行っても冷たくあしらわれる。最初は調子のいい大輔なんだけど、ヘコむのが早い。その点このカノジョの久子ちゃんは実に出来た子。大輔が「反省会!」などと言って思い通りに動かない彼女を叱ろうとするんだけど、カノジョの方の実に正当な反論であっさり言い負かされてしまうナサケなさ。言い負かされるのはこの久子ちゃんにだけじゃないところが、大輔のさらに真正ナサケないところで……自分よりずっと年下の高校生の女の子にまで正論で言い負かされちゃう。しかもその時大輔は、大人としてこの子を諭そうと思っていたのによ。しかしこのナサケないところが、実に愛しいんだけど。
でもこの彼らの……大輔にしても久子ちゃんにしても、そしてこの妊娠してしまった女子高校生にしても、その“正論”は真に正論で、正論過ぎて、この世知辛い世の中ではちょっとつつかれればすぐ崩れてしまうような可愛らしさなのだ。この女子高校生は、妊娠なんて神秘的なことなのに、子供を堕ろすなんて絶対に出来ない、と主張する。東京のカレも一緒に住もうと言ってくれてるし……と。しかもその“東京のカレ”は“ミュージシャン”。もうこの子の言ってること何もかもが、あまりに可愛らしすぎて危なっかしい。彼女のお姉ちゃんはこの大輔と昔付き合っていたんだけど、ヘルス嬢で世の中の酸いも甘いもよーく判っている。高校を辞める、東京に行って子供を産む、というこの妹に、そのどちらも反対する。そんな甘いもんじゃない、と。でも最終的にはそんな妹を応援しちゃうというあたりが、やっぱりお姉ちゃん。見送る駅の場面が、切ないのだ。
こんな風に常識だの何だのをふりかざすような、そんな大人にはなりたくないと思っていたのに、やっぱりそうなのだ。大輔の両親や同級生たちは、むしろこんな田舎にいるからこそそれがよく見えてて……あの何でもある東京だとやっぱり、どうにかすれば上手くいくんじゃないかと思うような甘さは確かにあるから……だからこそ周囲の人たちは二人を危なっかしく思い、戒めるんだけど、大輔や、彼よりは全然しっかりしている久子ちゃんでさえ、それがまだ判っていない。いや、でも少しずつ少しずつ、年を重ねることで否応なしに理解せざるを得ない世間の常識というものは確かにあって、だからこそ大輔はあの女子高校生にそれを説こうとするんだけど、彼自身がまだそこから、いやもしかしたらこれから先もずっとずっと脱却できないから、この子を説得することなんて出来っこないのだ。でもそんな風に大輔のところでかすかに現われている、大人のあきらめのピラミッド構造は、見ててたまらない。だってすでにそこを通過してしまった自分を振り返ると、その通過が、そのあきらめが、やっぱりあまりにも早すぎたかな、と思わなくも、ないから。少しだけ、彼らがうらやましく思えてしまう。
しっかしこの大輔のアホなことには、なんかその場のノリでこの女子高校生と寝ちまうことで、しかも彼はこの時、あかじるが思うように売れないことにイラだって家出中。久子ちゃんは気丈にも一人で必死に探し回り、探し当てたところが、このアホ男の浮気現場、だったんである。こ、この時の、たまんない間が、間が、助けてくれー!久子ちゃんと、一緒に探してくれた尾崎君と、そして大輔が転がり込んでいた家の小林さんが三人、玄関先でお風呂上りの二人に出くわしてぼーぜんとしているこの、気詰まりどころじゃないこの画!大輔、どうしようもなくウロウロして、「……あ、俺にもちょうだい、その、何だっけ……白いの」し、白いのって……牛乳だよ! そんで所在無く牛乳一気飲みしようとして、むせ返るその絶妙さ。久子ちゃん、もちろん大ショックを受けるんだけど、このぐらいで別れたりなんだリしないところが、シッカリモノの彼女の素晴らしいところ。いや、ただ単に大輔と運命の腐れ縁なだけかしらん……。この騒動のさなかに、あかじるに関してあんなに冷たかった尾崎君を味方につけて、大きな薬局での店頭販売までこぎつけるんだけど……。
この尾崎君、大好き。何なの、この人のテンションのコントロールの素晴らしさはッ。ぐしゃぐしゃ天パ風頭にセンス最悪のハンテン姿。あんなに居丈高に言う割には、大した品数もなさそうなショボい雑貨屋だっつーのがヨイ。大輔を探す久子ちゃんの問いかけに突然キレ気味に叫んだかと思えば、結局ほっとけなくて駆けつけてくれて、ひっそり独り言でスケジュールを組み立てるところが異常に好き。しかも彼の回るところは全然情報とれなくて、全くの役立たずってところも素敵。しかもしかも、「お前も何か、関係あるの?」と回った先の同級生(なんかすごい豪邸!)に突っ込まれて、あぐあぐ沈黙するところも大好き。ケイタイにつけた、これまたセンス最悪の毛皮のしっぽも良過ぎ。何か全てにおいてツボなんだもん、この人。
久子ちゃん。私こういう女の子、大好き。ベージュ系の服がほどよいふくよかさをチャーミングに見せてて、真っ黒なざんばら髪がピュア過ぎてもうたまんなく好き。黄土色(!)のコールテン(!!)のタイトスカートとか、真緑のニットセーターとか、三枚千円チックなソックスとか、大好き。上手くいかない時でもご飯もりもり食べて、だから大輔よりひとまわりは大きい世話女房タイプ。彼女が、行方不明の大輔を探し回って疾走する場面、最初は全速力がだんだんマラソン状態になるのもとても好き。勝負服はもろリクルートスーツで(これは大輔も)、髪をきちっと結い上げて街頭販売に挑むんだけど、最初のうちは心のこもった呼びかけだったのが、声だけは変わらず明るいんだけどどんどん表情が乏しくなっていって、ついにはガマンできず泣き出してしまう。……たまんないなあ、泣けちゃうよ、もお。もうこの時点で大輔はすでに諦めムードで、ひやかし気味の家族に在庫を全部あげてしまう。そして涙のとまらない久子ちゃんに「……帰るぞ」と。久子ちゃん、「……東京に帰ろ」と涙声で言う。……これはもしかしたら意外なことかもしれないんだけど、田舎より東京の方が、いつまでも夢を見ていられる分、楽なところなのかもしれないな。田舎は甘えたくて帰るから、だから逆にそれが上手くいかなかった時のショックがこんな風にとっても大きい。でも東京はギリギリまで夢を見させてくれる。そのかわりギリギリの後は、あっさりどん底に突き落とす、やっぱり酷な場所と言った方がいい。だって、あのラストは、そのギリギリを踏み越えて、崖の下に落っこちる手前じゃない?
その点、この大輔はもうホントに何てナサケナイヤツなの!お前ねー、もともと、お前が持ち込んだ夢だったんでしょお。それなのにやる気がなくなるのが早すぎるっつーの。あぁ、しかしコイツのナサケなさが愛しく思えるのは何でなんだろ。演じる山本浩司、「どんてん生活」のリーゼント兄ちゃんとはかなり違った趣で……ナサケなさは一緒なんだけど、何ていうのかな……もっと普遍的な、切実な?ナサケなさ。実を言うと「どんてん生活」ではもう一人の努役の方に、その欲求の純粋なたまり具合に目が行ってたんだけど(あ、いや、別に欲求不満の男が好きってワケじゃないのよ(笑))。山本氏の、ナサケなさのキャラの演じわけときたら、かなりハイレヴェルなものがあるなあ。コタツに寝っころがって、アルファベットチョコを包装紙からこそげとって食べている、それだけでコイツのフテた気分、ヒネた気分、頼りなさが100パーセント全開、だもんなあ。
前半の、大輔と彼の家族、久子ちゃんを交えたちょっと気まずいようなショットに、「バッファロー’66」のような雰囲気を感じたんだけれど、確かにそんなオフビート感はちょっと共通していながら、やっぱり全然似ていない。とてもオリジナル。いわばそこには伝統的とさえいえるほどの日本的な空気が常に流れていて(監督、若いのにねえ……)このリズムの心地よさは多分そのせい。リズムはゆるゆるしているのに、現実は厳しいっていうこのギャップ。いや、厳しいってほど厳しいわけじゃない。つまりは二人が若くて甘いということなんだけど、若くて甘い状態で受ける世間の厳しさほど辛いものはないから……と何かちょっと甘酸っぱく昔を思い出したりする。
甘酸っぱい昔といえば……私はたまごっちはやらなかったけど、もっとこっそりとした部分……学生だった頃の大輔の部屋に貼ってある「グーニーズ」のポスター(だったよね?半分しか見えてなかったけど)とか、多分その頃からおいてある「タッチ」の南ちゃんがプリントされた枕とか、何とはなしに胸をこそばゆくさせるアイテムにあふれてるのがたまんない。「グーニーズ」!私、すっごい単純だけど、この頃からだもん、ミーハー的に映画を観始めたのって。大輔の学生時代の回想は、まあ、あの……まだ彼も、そして小林さん役の子も20代だから無理があるとまでは言わないけど、で、でもあの学ランと紺サージのセーラー服ハ!ものーすごーく、とおーくから、も、ほとんどカゲロウかってぐらいとおーくから同級生たちが興味しんしんに覗き見しているあの告白シーンのユルさといい、田舎道にヘルメットかぶっての自転車通学とか、もうこそばくてこそばくてたまんない。ああー、もう、思い出しすぎるんだもん!しかもね、私その昔住んでたこんな感じの(いや、ここまで完璧に田舎じゃなかったけど(笑))田舎につい最近、20年ぐらいぶりに帰ったら、道路はバンバン出来てて、ビュンビュン走る車だらけで自転車はおろか歩いている人さえいなくてえらいショックを受けたもんだから、何か余計にたまんないものを感じたんだなあ。
あかじる販売をあきらめて東京に戻る決心をした二人が、田舎のアスファルトをとぼとぼと歩いてくる引きのショット。田舎のアスファルトって、なんでこんなに寂しいんだろ、と思う。頭上に飛行機だかヘリコプターだか判んないけど騒音が聞こえて、大輔が空をあおぐ、と、後ろの久子ちゃんが急に、ふっと、消えてしまう。え?ええ??何、宇宙船の拉致?とか何か私もアホなこと考えたんだけど、カメラが引くと、そこには蓋の開けられたマンホール(!)、その中の金属ハシゴにつかまった手だけが見えて、助けて、というかすかな声。あきれた大輔が何とか引っ張りあげようとしたら、なんとまあ、大輔までもが引きずり込まれ……(あの体格の差じゃねえ)。うぅ、これ字で説明しても可笑しくも何ともないんだけど、この引きと寄りの絶妙さと、飛行機音が過ぎ去った後の妙にしんとした雰囲気と、このぽっかりした唖然たる可笑しさがたまんないんだよー、もう。
それからいくばくかの時が流れ、迎えるラストの落下感は、まさしくこのマンホールはその伏線だったんじゃないかと思うほど。大輔の弟(本当に弟かと思うぐらい、似てるのが不思議な松江哲明。に、似てるー)が遭遇する二人は、ストッキングをかぶって包丁を手に、あまりにベタな強盗スタイル。こ、この、この、ストッキングで顔をつぶされた二人の、なんという切ないオマヌケさ。しかもこの二人のストッキング顔のアップでブラックアウトだなんてなんというたまらなさ。笑っていいのか?いいのか?いや、笑いながらも、心の中はしみじみと泣けちゃう。
何か私、たまんない、たまんないばっかり言ってる気がするんだけど(笑)。でも実際、ひとことで言い表すなら、ホント、たまんない映画。お父さんの笹野高史、良かったなあ。「アカルイミライ」に出てた時点でもすでに驚いてたけど、もうこの人ってばこんなベテランでこんな?映画でもしっかり上手いんだから。お母さん役の木野花も、この田舎のお母さんがすっごいリアルで、何というかどっか天然ボケなところとか可笑しいんだけど、何か思い出すと涙出る。むしろお父さんは息子や息子の彼女のことを心配して職を紹介したり、わりと判りやすい父親像なのに対し、このお母さんの何をするでもないんだけど、そこにいるお母さん、という存在が、いいんだよなあ、ホント。やっぱり母親は、偉大ね。★★★★★
ところでこのタイトルは、私はひとりのことを形容しているのかと思ったら、違った。バカ政は菅原文太。冒頭大暴れし、さっそく3年の懲役を受けて裁判所でぶつ台詞が振るってる。「裁判長様の名判決を受けまして、このバカ政、男になりました。3年間、獄中で男を磨いてまいります!」と肩をそびやかし、仁王立ちになって叫ぶんだから、恋人の倍賞美津子(若いのにんーん、色っぽい)が「バカ……」とつぶやくのもむべなるかな。実に、笑える。そしてこのバカ政が3年のお勤めを終えてザギン(銀座だけどさ)に帰ってきて出会うのが、音楽屋たちの日雇いを世話して取り仕切っているトッパ政という男。これがケーシー高峰で、まー彼は若い頃からそのボコボコ顔でちーとも変わらない。女にヨワくてすぐ騙され、キザで色男のホラ政に寝取られることもアリ。ホラ政っつーのが三番目、中山仁。その甘いマスクが既に胡散臭い男。ホラ政の名に恥じず?で、自分はいいトコのお坊ちゃんだと大風呂敷広げて女を引っ掛け、しかしてそのホラがバレた時も「今度は幸せになれよ」と去りゆく女を泣かせちゃってキマっちゃうんだから、まったく。コイツ最初の登場からして、学生たちのダンスパーティーを取り仕切っている、というのだから、どうにもキザなヤローなんである。しかし彼とサシで勝負したバカ政は、このホラ政が見かけによらず見どころのあるヤツだと踏み、トドメを刺すのをやめて彼を助ける。で、ここにバカ政、ホラ政、トッパ政の三人組が誕生、彼らは意気投合して兄弟の盃を交わし、このザギンをシマに暴れまくるって寸法。
ふと気づいてみると、バカ、ホラ、トッパで本名さえ明かされてないじゃないの。バカ政は恋人の倍賞美津子から政さんと呼ばれていたりもするけれど……。まあ、それはともかく。彼らはこのザギンで橋向こう(川向こうだったかな)の江東義勇会とやらとシマを巡って抗争を繰り広げ、時にはまー、カッコ悪くボコボコにやられたりもしつつ……ヤラレまくった三人が痛ててて、と身体をよじらせながら横並びに歩いているさまの笑えること。だって、一応スーツビシッと着てるヤクザの三人が子分たちを引き連れて歩くって、一応そのうちの二人はマトモな?顔だし(ごめん、ケーシーさん)カッコよくなるシーンのはずじゃない?あ、そうそう、笑えるといえば、ホラ政が連れてきている子分達が、大学の応援団崩れみたいな長ランにパンチにちょびひげにサングラス、みたいなじっつにアヤしげな団体で、彼ら三人が事務所を構えた時に、こいつらに「フレー!フレー!」とやられちゃったりするのが、だってこれが銀座のまんまん中でさ、ホラ政はともかく、きまずそーにしているバカやトッパなんか、可笑しくてたまらない。うーん、これはコメディですな。ラストは悲惨だが……。
ラストのことはとりあえずおいといて。本作でもうひとつ面白いのが、ゲスト出演のメンメン。何たってトッパ政ことケーシー高峰の本業が音楽屋のあっせんなんだから(うん、まさしくって感じよね)バーで美輪明弘が歌っているというのがまず凄い。美輪さん、今みたいに女王様スタイルにまではまだなってなくて、髪もちゃんと男性っぽく(つー言い方もアレだけど)短髪で、しかしもう既に白塗りで、襟元を深くあけた黒いてろてろしたシャツとか、妖しいなまめかしさ。震える節回しの濡れる歌声も、今と全然変わらない。そしてオドロキなのがダウン・タウン・ブギウギ・バンドの出演、なんだな。彼らはトッパ政が取ってきたとっときの仕事として、つまりは本作の中でもスターバンドの扱いで、バカ政のボスである野口組んとこと取り合いになって、モメる。彼らはまぁ、役者じゃないのでところどころ……拘束されていた野口のところにトッパたちが乱入してくる時とか、あんまり驚いているそぶりとか見せないあたりがご愛嬌。しかししっかりと女の子たちをメロメロにする演奏を聞かせてくれて面目躍如。ヨッ!って感じね。しかし彼らも当たり前だけど若いよなあ……大きな真っ黒いサングラスに銀のつなぎ、リーゼントでキメながらも、その肌は赤ちゃんみたいにぽよんぽよんにキレイなんだもん。
ホラとトッパはもともと誰の傘下というわけでもなく、自分の身ひとつを信じてやってきたわけだから、いつも割とノーテンキに暴れまくっているんだけど、その中でひとり苦悩しているのがバカ政なんである。バカはバカでも仁義を知ってるバカだから、自分の親分さんである野口を裏切ることが出来ないんだな。しかし一方でホラやトッパと兄弟分の盃を交わしており、野口のところとは違う活動をしているわけだから、その板挟みに悩んでて、で、そこにつけ込んでくるのが野口らが所属するヤクザの本部の腰ぎんちゃくの田所。これが我が愛する成田三樹夫。あーん、相変わらず、素敵ッ。彼ってこんなダンディな風貌ながら、こういう卑怯な役が、いやそれだけに良く似合うんだよなあ。白のスーツを細身にピシッと身につけたこの格好がこれほど似合うお人はいないわよ、まったくもう。
バカ政はね、他の二人と違ってお互いに思いあっている恋人がいるわけよね。倍賞美津子扮する恵子が。でもこんな稼業をしているから、恵子はバカ政がいつ死ぬか気が気じゃなくて、それがイヤで彼の元を離れるんだけど、彼が迎えに来るたびに、やっぱりどうしても離れられない。で、銀座に舞い戻ってきてしまう。バカは本当にバカで、女がそばにいてほしい時にいつも鉄砲玉みたく飛び出していっちまって、その度に彼女はもう今度こそ別れようと思う。思うんだけど、別れられない。男にとって最愛の女性よりも命をかけて優先することがあって、女にとっては男が一番で、それに始終苦しめられている時代。今じゃナンダソリャ、ケッ!とか言われそうなこんな世界が、ああ切ない……とばかりに思えてしまうのが悔しいながらも、うーん、うーん、ヤだけどでも、ほらだから、つまりさ、現代のワカモンには菅原文太だの高倉健だのといったようなのがいないから。いやだからといってそういう世界がいいって言ってんじゃないんだけど。
実は、ラストはハッピーエンドなのかと思っていたのだ。だって再三、再三バカ政に苦しめられてきた恵子、バカ政が彼女の働くバーに、エンゲージリングをそっと置いていくわけ。出勤してきた彼女は驚いて彼の後を追おうとするんだけど、それをこの街で学者と呼ばれているホームレスのおじさんが止めるのよ。たまにはあいつを信用して、黙って待っててやりな、と。で、エンゲージリングでしょ。私はてっきり、ボロボロになりつつもバカ政は恵子のもとに帰ってくると思っていたのにさあ……。このシーンの前に、バカ政の舎弟で今はカタギの花屋をやっている男が、バカ政のために、とひとり合点して田所をヤッちまうのよ。で、当然バカ、ホラ、トッパたちの身に危険が及ぶわけだけど、彼らはそれならそれで、堂々と乗り込んじまおう、と田所の葬式に揃って姿を現す。当然ドンパチが始まって……で、三人のそれぞれの死に様が、まるで「太陽にほえろ!」か何かみたいに、スローモーションで揺れる画面の中で……最後まで生き残っていてほうほうのていで車のところまで行き着いたのがバカ政だったから、あ、お願いこのまま何とか彼女のところに……と思ってたんだけど、彼も心臓にバッチリ撃ち込まれ、もんどりうった姿のスローモーションでいきなりカットアウトなのよ。「終」なのよ。うー、そりゃないわあ(涙)。
ケガ人が送り込まれるのが築地病院だったり、脅しに使われるのが本願寺(葬式出すぞってことね)だったりするのが、ちょっと嬉しかったりして。この三人の顔合わせのユニークさがとにかく功を奏した快作。しかしフィルム飛びすぎ。日本の映画の保存状態は問題だわね。★★★☆☆
やはり大林信者の私にとって、どうしても尾道映画といえば大林映画、という教科書というか大前提というかそういうのが存在してしまうので、結局はそれにとらわれているせいなのかもしれないんだけど。つまりは本作における尾道というのはもっとスピリチュアルな意味においての、主人公にとっての幻の、幻にしておきたい街であって、そんな物理的側面で語るべきじゃないのかもしれない。でも、そうした幻の感覚もどうも感じられないな、というのは、この今は亡き少女の幻を演じる中根かすみが、彼女の部分だけが全くの、ただのプロモーションビデオ状態なんだもん。もともと彼女のイメージビデオから映画に発展した、という本作なんだそうだけど、イメージビデオの時点ではそれの枠を越える映画的な作品だったのかもしれないけれど、映画となった本作においては、その映画、という部分にまで到達していない感じがする。言ってみれば、中根かすみは演技をさせてもらえていない、ともいえ、これが例えば彼女の幻影を追い求めるマモルとのかつての日々が回想シーンで現われたりしていれば、また違ったのかもしれないのだけれど、そういうのも全然なくて、何だか気の毒な気がする。
でも、ただたたずんでいるだけでも、何かスクリーンに印象を刻みつけることができる、つまり映画女優としての何かを感じられるかといえば、それもちょっと首肯しかねる。いわゆるグラビアアイドルの女の子たちの中から、本物の映画女優が出てきてくれることを、私はずっと心待ちにしているんだけど……この中根かすみに関しては、とある美少女ムック本で見かけた、新鮮な感じがずっと印象に残ってて、今回初の映画だということで、かなり期待したんだけど、またしても期待はハズれてしまった。それに何だか口というか歯が大きくて、ショットによっては時々ヤバい顔つきになる時が……(笑)。ついでに言うとこの日、同時上映された短編作品「夏風」は、石田未来という女の子主演だったんだけど、これは完全に彼女のプロモーションビデオとしかいえなくて、一応物語がついているのが不思議なぐらいで、正直語る価値ナシ。篠田昇の映像はさすがにきれいだけど、この子に長回しで追うだけの価値があるとはどうしても思えない。彼女の涙が出るまで待ってる訳?長すぎて、寝ちゃったよ。
ちょっと脱線しちゃった。そうそう、最初に中根かすみありきの映画の割には、そして確かに彼女演じるめぐみという存在なくしては、この作品は存在し得ないんだけど、彼女の存在は何だか薄い。というのも、その他のキャストが、主人公の水橋研二、その友人の大森南朋、津田寛治、山中聡、菊地百合子(「空の穴」の時と全然印象が違うねー)……と、かなりの本気モードで、彼らの演技にすっかり、それこそかすみちゃんはかすんでしまっている、という有様なんである。水橋研二の出演映画は私はどうも観逃しているものが多いんだけど、あの「月光の囁き」の頃の印象といまだ彼は変わらない。思いつめてて、死にそうなぐらいの。そう言えば、この印象は大森南朋にも似たところがあって、見てて本当、劇中の彼の友人たちのように、ほっとけなくて、イライラするぐらいで、上手い。上手いだけに、そろそろこのイメージを打ち破って欲しい気もする。あ、でも観逃してるんだから、打ち破っているのかもしれないんだわね。
マモルはめぐみとの最後の約束を守れなくて、約束どおりに海に行った彼女はその海で死んでしまった。そのことがずっとマモルの中にわだかまっていて、東京に行ったきり、8年間も帰れなかった彼。彼女の佐知にうながされて、久しぶりに帰ってきた故郷では、その死んでしまったはずのめぐみの幻影が思い出の地、そこここに現われ、彼を苦しめる。彼の中にその死んでしまった彼女がいることをずっと感じとっていた佐知は、彼を苦しめてしまう結果になったことを後悔するんだけど、マモルが「あいつといると、何も考えないですむんだ」と語っているとおり、マモルにとって彼女はめぐみとは全く違う意味で、必要な存在なのだ。だということをマモル自身が気づいていなくて、友達の直紀から「お前、全然判ってない」と大爆笑される。この大爆笑、というところが友達っぽくていいんだな。この直紀を演じる山中聡、「卓球温泉」から始まって着実にいい役者になって、この間の「ハッシュ!」で大化けしてくれた。地道な役者道がきちんと実っている感じがいいわあ。
大森南朋演じるもう一人の友達、英男はこんなマモルにイライラしてしまう方。実は密かにめぐみのことが好きだった彼は自分だけが苦しんでいるかのようなマモルにイライラを募らせ、ついケンカになってしまう。でも彼こそが、最もマモルを心配しているヤツ、だとも思えるんだな。割と単純バカで、お見合い何度失敗しても懲りなくて、でもその一方で情に篤い、もう8年も経っているのに遠い歩道橋の上からでも昔の友達、マモルを一発で見つけちゃえるようなヤツ。
マモルと幻のめぐみ、そしてマモルの彼女の佐知のトライアングルを軸に、この友達たちの恋愛も描かれるんだけど、その中で最もイイのは、マモルたちの先輩で、彼らが集う軽食レストランのマスター、貴之と店を手伝っている家出娘の女の子のカップル。二人の夫婦漫才のような軽い口げんかのような丁々発止のやりとりは、誰が見たってこれ以上ないお似合いのカップルで「本当に何もないの?俺らが想像しているようなこと……」と思わずマモルが聞いちゃうんだけど、確かに二人の間にはこの時点では何もないのかもしれない。二人は、というか貴之はこの子を気に入っているってことに自覚があるんだかないんだか、もしかしたらマモルと佐知よりももっと歯がゆいカップル。いいんだなあ、でもこの感じが。彼女が「私、家に帰る。そして宣言してくる!」って言うでしょ。そうすると貴之が「え?え?何を宣言してくるんだよ」とうろたえ、「金か?金か?」とまったくトンチンカンな鈍感男。いや、鈍感なフリをしているのか……とにかくもうほほえましくてたまらないんだな、これが。
めぐみの幻影を追い続けるマモルを捕まえられなくて、佐知は海へとマモルを呼び出す。めぐみを失った海にどうしても近づけなかったマモルに、まるで賭けのように。しかしマモルにとってはそれは、あの時果たせなかっためぐみとの約束が再び蘇ってくることになり、猛然と海に向かって走り出す。友人たちもあとを追う。走って、走って、波打ち際にたたずんでいるのは白いワンピース姿のめぐみ。マモルは必死に呼びかける。めぐみ、めぐみ!と……彼女は振り向かない。どんどん海の中に入っていってしまう。マモルもあとを追う。ちょ、ちょっと、やだ、まさか……とハラハラしながら見守っていると、お願いだからこっちを向いてくれ!というマモルの再三の懇願についに振り向いためぐみ、彼が抱きとめると泣き顔のまま彼女もまた彼を抱きしめる。二人に追いついた友人たちが見守るショットが挿入され、カットが変わると案の定、マモルが抱きしめていたのは、佐知だった。
これって、キツいよね。だって、自分が呼び出したのに、彼は自分をめぐみだと思って、ずっとめぐみ、めぐみ!と呼びかけ続けて……で、佐知は思わず海の中へと入っていってしまった、んだけど……後で彼が述懐するように佐知は「振り向いてくれた」のだ。正気に戻った彼が、彼女が佐知だと判って、こんな自分にもそばにいてくれる人がいる、とようやく気づいた。行きの列車はハス向かいに座っていた二人が、帰りの列車では同じ座席に並んでくっついて座ってる。デジカメの写真を見ながら、きっとまたこようね、とか言っているんだ。気のいい女の子の佐知はマモルの友人たちにも気にいられてて、直紀の彼女でシッカリモノの女の子とはちょっと親友っぽくもなってて、ホントデキた女の子なんだな。あ、女の子、だなんて年じゃないのよ。勿論、彼らはもう結構いい年なんだけど、中でもこの佐知を演じる八木小織、マモルを演じる水橋研二より6つも上じゃん!びっくり。
と、いうわけで、やはり最後まで中根かすみちゃんはかすんだままなんである。うーむ……。★★☆☆☆
東京→熊本間を高速に乗らずに延々国道を走っていく、という無謀な旅は、鳥越がその妻と新婚旅行を辿った道のりだった。生涯でたった一人愛した女性。別れた後、他の女性に触れたことすらないというのに、鳥越は彼女の顔を思い出せないのだ。そのことに苦悩する鳥越は、この方法でその姿を追い求めようとしていた。
と、いうわけで、この野崎と鳥越の旅に合わせて、若き鳥越夫妻の回想シーンが折々挿入されるという趣向になっている。
実はこれはちょっと、というかかなり赤面チックなアナクロさ。何か、往年の日本映画の無邪気さを再現しているような、現実場面とのこの乖離がちょっと……過ぎる感じがして居心地が悪い。妻、恵子役の牧瀬里穂はいかにもヒロイン、というよりマドンナ、という感じで、思いっきり彼の愛妻っぷりを披露している。同じ法科学生だった彼女の、法に対する熱血の態度でさえ、映画の中に映画を観ているようなのだ。童話的、というか……。
そんな風に少々形骸化している恵子に対し、若き鳥越役の加瀬亮はちょっとイイ感じ。なるほど、これが柄本明の若き頃なのね、と何となく納得してしまう冴えな気味の外見と(ゴメンね)、しかし妻をまぶしく見つめるその姿は、繊細な魅力。
大沢たかおには不思議な色気がある。よーく見るとハンサムって訳じゃないのに、スネたような華奢な色気があるのが独特の魅力。
彼扮する野崎は、このドライブの途中、唐突に泣き出し、鳥越に自分の病気のことを告げる。彼の方が最初に白状する。実は、このいきなり自分の病気を告白するシーン、あまりに唐突過ぎてついていけないものも感じたりして……。彼がどこで自分の病気を告げるのか、そのタイミングというのは難しいし、ワザとらしいきっかけを作るのも返ってヤボだとは思うし、気持ちが高まっていくのを抑えられなくて号泣する大沢たかおはテンション最高潮で、彼が“なぜか”急にその恐怖を体の中に感じてしまうのも理解できる……ような気もする……のだけれど、この手のシーンでもらい泣きしたいと感じているこっちは、あ、待って、待って、今なの?とアセる。
実は、鳥越の方は末期ガンで、薬や診断書を持っていたりすることから、バレそうな確率は鳥越の方が高かったりするんだけど、でもこの場合、先にそれが判明するのはやはり野崎でなくてはいけないのだ。だから何だか野崎の告白シーンを早く、という焦りを感じなくもないというか……。
一番幸せだった時間を辿る旅、そして終着の、妻が穏やかにその死を迎えたホスピスで遺品と対面した鳥越は、自分が愛していた女性は本当にたった一人であったこと、無謀にも思えた冤罪事件に全力をそそいだこの25年は、その発端は妻への思いがあったことを思い出す。
二人は嫌いあって別れたわけじゃない。
鳥越は、駆け落ち同然で自分のもとに来てくれた彼女を幸せにしたいがために、がむしゃらに働いた。大きな家にグランドピアノという裕福な暮らしを手に入れた。でもそれは、裏金が飛び交う汚い仕事に手を染めたからだった。自身も弁護士を目指していた恵子は、あの頃、共に理想に燃えていた夫が自分のためにそれを捨ててしまっている、そのことを彼自身気にならなくなってしまっているのが耐えられなかった。かすがいになるはずの二人の赤ちゃんも、突然死に見舞われてしまった。小さな遺骨を胸に抱きかかえ、あの新婚旅行のドライブと同じように「行こっか」と夫に呼びかけてみる彼女。でもその呼びかけは当然むなしく裏切られてしまう。
波打ち際で、赤ちゃんの遺骨を取り落としてひざをつき、海風に吹かれてうなだれる喪服の彼女の後姿……。
そして二人は別れてしまった。
妻と別れて、鳥越は自分の理想を取り戻した。彼女が離れていった理由が、判ったから。人生とは何と皮肉なもの。そして25年が過ぎた。彼はその25年の間もずっと、妻のことを愛し続けていたことを自身忘れてしまっていたのだ。
そして、奥さんの方も彼だけを愛し続けていた。
……まあ、いつもの私なら、こういう部分、女に理想を託しすぎー!とか怒りそうだけど、この場合は男の方も同じだったわけだから許してやろう(?)なんてね。でもやっぱりウツクシ過ぎかな、って気がする。だって、年老いた妻の顔はひとつも出てこないっていうのは、若く美しい女だけを愛した思い出にするって感じでやっぱズルイって思うし(「なごり雪」みたい)、「私を忘れないで」という花言葉を持つ忘れな草が一面の花畑、はあまりに甘やか過ぎるんだもの。
でもさすがに彼女の遺品には、泣けた。それは、この25年間の、冤罪事件を追っていた彼の弁護の記事すべてを保存してあるスクラップ帳。特に最後の無罪を勝ち取る大きな記事で終わっていたページに、ぐっと来てしまった。理想を失ったがゆえに心が離れて別れてしまった夫が、その理想を取り戻した25年間をこの別れた妻はずっと見守り続けていたことに。
鳥越は無心に、ちょっと焦っているみたいにページを繰っていて、それがまた何だか判っちゃうというか……彼のはやる気持ちが。これがどこまで行くのかとか、彼女の気持ちの先が知りたい、そんなことが判る気がして。で、最後のページでそれがバン!と伝わる。しかもその記事には新婚時代の二人の写真が挟まっていて……甘やか過ぎるのは確かなんだけど、それをじっと見つめ、こぶしで自らの顔といわず頭といわずバンバン叩いて真っ赤になる鳥越がたまんなくて、ぐぐぐっと来てしまうんだなあ。
でもこれ、何だかんだ言いつつも25年も前に別れた相手であって、相手もまた思ってくれていたからいいけれども、もしそうでなかったら、これって実にむなしいというか、ちょっと危ない、気持ちのストーカー。この辺はやっぱり少々ヤバい感じがするのよね。
で、そのヤバさを“女が思い続けてくれている”という一点のみを切り札(というか逃げ)にしているというのがちょっと……ね。やっぱりこういう男性側から語られる女性の思い出話って、どうしても気になってしまう。
だってこの場合、やっぱり男性の側には無意識下での愛情はともり続けていたにしても、表面上は忘れていたわけだし、何だか不公平。このあたりも男女平等じゃないよな、なんて思っちゃって。
この初めて聞く名前である西谷監督は、相米慎二監督を敬愛していて、ずっと自分の企画やテレビ作品を送り続けていたんだという。うう、何かこの監督自身がちょいストーカーだな(失礼!)。だって、結局は相米監督にはその思いが届かなくて、相米監督亡き後、そのスタッフを集めて映画を撮る、だなんて(失礼!!)。
鳥越と別れた妻と同様、実際に相対する場面が出てこないのは、若者カップルの方も同じで構成の妙を感じる。野崎のお相手は千香子で、これが西田尚美。相変わらずキュート。彼女が登場する時点で鳥越と野崎は旅に出てしまっているので、このカップルはひたすら電話でしか話さないんだけど、二人ともそこはさすがに上手い。
病気のことを千香子になかなか言えず、ずっと彼女から距離をおいていた野崎は、鳥越に促されてそのことを告白する。「死んじゃうような病気なの?」と千香子。彼女は仕事を辞めて看病するというんだけど、彼は、彼女のことも判らなくなってしまうかもしれないんだ、看病する側っていうのは、とても辛いんだ、と言い含める。彼自身に父親を看取った経験があるから。そして彼女は何も言えなくなって……。
でも、この時千香子が上手く言葉に出せなかったけれど言いたかったこと、そしてこの旅で野崎の方も判ったことは、相手を愛する気持ちが大事だってことなのだ。相手が自分のことが判らなくても、離れていても。そしてどんな状況でも一緒にいることが可能ならば、それを選択すべきなんだって。
そして鳥越は、妻が穏やかに死を待ち続けたこのホスピスで、彼女が残してくれた忘れな草の花畑を手入れしながら、彼もまた死を粛々と受け入れることを決める。野崎は手術を決意し、「またここに戻ってきますよ。その時には鳥越さんのことが判らないかもしれないけれど……」と自嘲気味に言うのに対し、野崎は真摯に応える。「君の記憶は君だけのものだ。誰にも奪えない」そしてこうも続ける。「君は記憶を失うことはない。君は無傷でここに戻ってくるんだ」
もちろん、そんな保障はない。それどころか無事に生還する可能性の方が低いのかもしれないのだ。けれど、鳥越の言葉は信じられる。“アルバイト料”として譲り受けたバンに乗り込んで、今度は一人旅路を引き返すためハンドルを握る野崎もまた、「鳥越さんは正しい。僕は無傷で帰ってくる」と明るい表情にモノローグが重なり、暗い展望は感じさせない。そう、彼は無傷で生還する。絶対に。
ストイックにギターだけ、しかも既存の曲を上手く配置する音楽。村治佳織は大正解。この映画全体に感じる、青く透明な空気は、このギターが寄り添ってこそ。
少し気になるのは、台詞がよく聞き取れないこと。柄本明に顕著なんだけど、全体的にも。うまく音声を拾ってない感じ。
旅先の食堂で、二人に無銭飲食と思わされるイタズラをされ、追いかけに追いかける樋口可南子の、ちょっと意外な元気さが印象的。★★★☆☆