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「り」


2005年鑑賞作品

理由
2004年 160分 日本 カラー
監督:大林宣彦 脚本:大林宣彦 石森史郎
撮影:加藤雄大 音楽:山下康介 學草太郎
出演:村田雄浩 寺島咲 岸部一徳 大和田伸也 久本雅美 宝生舞 松田美由紀 赤座美代子 風吹ジュン 山田辰夫 渡辺裕之 柄本明 渡辺えり子 菅井きん 小林聡美 古手川祐子 加瀬亮 厚木拓郎 左時枝 細山田隆人 ベンガル 伊藤歩 立川談志 南田洋子 石橋蓮司 麿赤兒 小林稔侍 宮崎将 宮崎あおい 永六輔 勝野洋 片岡鶴太郎 根岸季衣 入江若葉 嶋田久作 峰岸徹 裕木奈江 中江有里


2005/1/15/土 劇場(新宿武蔵野館)
大林監督はさ、これだけ大林ワールドとか言われながら(揶揄な気分も入りながら)でもこれが意外に、オリジナル作品は殆んどないでしょ。こういうベストセラーものの映画も多くて、そういう映画であればあるほど、実験的手法に目標を高く掲げて、すっごく刺激的なものを作っちゃう。本当に、臆することなくそりゃねえだろと思うような画も、撮る。それが時にマンガチックとか言われることもあるけど、このまるで保守的にならないところが本当にスゴイと思ってて……大林監督すげえ!と思うのはそこんとこ。で、それでちゃんと自分の映画にもしちゃうんだよねー。出来上がってみれば、刺激的でありながら、確かに大林映画になってて、大林信者たちはしびれちゃうの。

今回は、総勢一体何人なの?台詞のある役者さんだけで100人は越えるんだという。しかもオールスターキャストである!で、かなりの数、かつての大林組のキャストが集結していて、もうこれが嬉しいの何の。あ、あの作品の!いやー、何年ぶりだろ、みたいにいちいち思い出しては喜んでる。小林聡美とか、「廃市」以来でしょー、でもやっぱり「転校生」をまず思い出し、彼女の原点だよね、まさしく、と心躍る。だってここでの彼女もまさに原点のコメディエンヌぶりが最高なんだもん。耳の遠いおばあちゃんのためにやったら大声で喋る娘。ああ、最高小林聡美!
で、宮崎あおいでしょ、伊藤歩でしょ。考えてみればすごいよなー、大林監督ってさ、女の子デビューさせて、でその後実力派としてブレイクさせてる女優さんのなんと多いこと。ここには出てないけどまさみちゃんだってデビューでこそないけど、やっぱりブレイク前でしょ。宝生舞とかもさ。鼻が利くのかなあ。大林監督の弟子ともいえる今関監督は似て非なる人だったみたいで私は哀しいが(泣)、今回デビューの寺島咲も大林監督が愛でるタイプだなーって感じのカワイコちゃんで、今後が楽しみなんである。

それにしてもこの語りっぷりは、スゴい!おそらく小説の通りにどんどん登場させてったんだろうな、と思われるこの構成。未読だけど、この小説が映画化が困難であろう理由はそこにあるわけで。いや、端的に言えば困難ではないのよ。今までにも映画化やドラマ化の話は何度も来ていたんだという。でもそれは、そう想像できるように、誰か一人に焦点を合わせ、その人の目で語っていくとか、あるいは事実そのものを追いかけるとか、そういうもので、でもそれじゃー、ぜっんぜん面白くないに決まってる。
つまり事実が証言によって明らかになるところにこそ面白さがあり、事実そのものにあるわけではないということ。 事実にそって語っていくやり方だと意味がないというわけなのね。
確かにこんなやり方の映画なんて観たことないから、これは大英断。これなら確かに原作者をウンと言わせるでしょッ。長時間になることもいとわず、これだけ構成を崩さずに、かといってダレずにぽんぽん語り、それでいて大林映画にしてしまう。うん、デンデケをちょっと思い出すなあ。原作者がホレ込むのが大林映画。でもこのドキュメンタリータッチで、というのを最初に持ち込んだのは、「北京的西瓜」や「女ざかり」のドキュメンタリータッチが大好きだというプロデューサーさんだというんだから、最初からこの作品は、理解する人によって愛されて誕生したのね(ジーン)。

証言によって明らかにされていくミステリ仕立てだけど、この話が重要なのはそのナゾの部分や、それが解かれた時のカタルシスではなくって……都会特有の、そしてもしかしたら今の日本自体が陥っている人間づきあいの哀しいまでの希薄さが、ひとつの事件によって絆とも言える輪を作り、そしてこの殺人事件の理由が明らかにされた時、それがさらに切ないまでの意味を持って迫ってくる、という部分。
しかも、この最後の理由の部分においては、その彼にはまだ謎が多く残されたままになっているんである。そしてそれはこの作品にとって大いにアリなの。謎が残されているからこそ、切ない。
確かに、私もこんなに高層で高級じゃないけどマンション暮らしだから、さ。人間同士の付き合いのあまりの希薄さに、そうたとえば老後が心配になったり(笑)しちゃうわけ。近所づきあいかあ……ぜえんぜん、してないわ、とか思って。隣りにどんな人が住んでる?知らないなあ、みたいな。でもそう、例えばそれさえも、こんな風にあったかみのある人間ドラマにしたてあげちゃうんだもん。

ネタバレが重要な映画じゃないからもう言っちゃって、イイよね。マンションの一室で、殺人事件が起こったんである。その前に、その部屋のベランダから男性が転落死した。で、その部屋に行ってみると3人の死体が転がっていて……でも何より不可解なのは、その死体たちはそこの住人じゃなかったってことなんである。競売にかけられたそのマンションの占有屋と呼ばれる人たち。正規の持ち主に渡さずに、間に入って報酬をもらっている人たちである。
しかも身元が判明したかと思いきや、その名前も別人のものだったんである。いや、正確に言えば、たった一人、その名前そのものの人はいた……部屋の中で死んでいた男性。ずっと行方知れずだった夫の名前を新聞に見つけた奥さんは、その他の家族の名前が自分たちであることに驚く。そう……蒸発していた夫がこの事件に関わったんだか巻き込まれたんだか、とにかく殺されちゃって、同じく殺された他人たちに、自分たち家族の名前がつけられていた、と。
この時点で、なんか既に哀しさを覚える。つまりはここに集っていたのは擬似家族。それに自分たちの家族の名前をつけて、捨てた家族を思い出していたに違いないわけでしょ。でも、殺されちゃった。その擬似家族の、息子に。
で、その息子がなんでそんなことをしたのかっていう理由もまた、家族の切なさだったのだ、よね。

この息子を演じているのが、大林組初お目見えの加瀬亮、でね。彼がもう、抜群にイイわけ。大林組っぽくない演技を展開してる。そう、もう全身鬼気迫る演技。この痩せぎすの身体といい厭世気分を振りまく伸ばしっぱなしの髪といい、どこか得体の知れない、生きていく気力がなさそうな一方で、それへの野心を強烈に持っているような危うさを、全身から放っている。で、この彼の恋人が伊藤歩でね、彼女もまた怖いぐらいに繊細で、その繊細さが狂気になるようなタイプでしょ。この男にホレこむ。妊娠までしちゃって、結婚したいと望む。でもこの男は、結婚する気はないという。わざわざこの女の子の家に来て、両親の前でそう言うんである。なんてヒドい男!と思いきや、この女の子は「あの人、私との約束を守って、ちゃんと来てくれた」と嬉しそうに言うんである。
一瞬、オイオイ!惚れた弱みもいいかげんにせえよ!と思いたくなるんだけど、でもちょっと落ち着いて考えてみると、確かにそうかも……とも。だってヒドい男なら、別にそんなのほっといて、ただ捨てちゃえばいいだけじゃない?「あの人、私を捨てたわけじゃない。遊びだったわけじゃない」その彼女の台詞があながち負け惜しみにも聞こえない真摯さをもって響いてくるのは、伊藤歩のヤバイくらいの真剣さにもよるんだけど。
これだけ多くの登場人物がいながら、そして殺人事件や家族の絆の話でありながら、案外シリアス一辺倒の役者さんは限られてる。この加瀬亮、伊藤歩と、重要参考人として追われている石田に扮する勝野洋サンぐらいで。

この勝野さん、ね。彼にこういう役柄がふられるというのもかなり意外で。大林映画の常連で、そういう意味での信頼関係があるからこそなせるワザなんだろうな。田舎から出てきた上昇志向とコンプレックスの強い、一本気な、古いタイプの父親。どちらかというと現代風スマートな父親像の勝野さんからはちょっと想像しづらいんだけど、でも確かに彼のこのガタイのよさとか、真剣まっすぐな風貌は、そうした父親に変身できる要素があったんだね。
でね、この家の子供たちが宮崎兄妹なわけ。あおいちゃんはねー、大林映画だと暗くなく、明るすぎもなく、最もナチュラルに可愛くなるのね。この人はさ、何たって演技派だからさ、暗めの役を振られることが多いんだけど、ここでの彼女、ああこういうあおいちゃんが見たかったんだわ、実にいいわ、と思える素直な可愛さで、あー、さすが大林監督、彼女を見出だした監督!と嬉しくなる。で、兄妹共演は「ユリイカ」以来ですか?でもここでの兄妹は素直に仲のいい兄妹で、なんかもう、そういうところも可愛らしいのよ。
お兄ちゃんは男の子らしく父親に反発し、でもそれは家族を大事にしているからこその反発心で、お父さんは子供たちが幸せになることだけを考えて今まで頑張ってきたから、それがどうにも受け入れられないわけ。お互いに家族を愛しているのに、だからこそすれ違ってしまうこの切ないあったかさ。で、妹は仲を取り持つつもりで父親にビールなど注いでやりながら「ウチは財産があるわけでもないんだからさ、私たちには好きなようにさせてよ」と言ったのが……「そうか、財産があればいいのか」と父親、コワイ顔してビール飲み干して。いや、そうじゃないだろ、そうじゃ!
それがこの、マンション購買につながり、占有屋とのもめごとに出会い、そしてこの哀しき殺人事件に巻き込まれていくことになる……。

この石田にたどりつくまでに、マンションの住人たちの目撃証言、そして管理人らの奔走により、死体の身元やら占有屋の話やらで物語は波状的にどんどん広がりを見せ、ええ?これどうなっちゃうの、どこに行くの?とドキドキする。だってもうそんな感じで登場人物がどんどんどんどん増えていくんだもん。私はね、人の顔を覚えるのが苦手なのよッ!とか思いつつ……だからこそオールスターキャストが効いてるんだよね。でもこれだけのオールスターキャストをそろえても紙芝居的にならないのは、ノーメイクでそして徹底的な台本重視で、そうか、ドキュメンタリータッチにしようと思ったら、逆に生々しい芝居やアドリブっていうのはダメなんだ……カメラに向かって言う場面なんか、あえて棒読みの調子を指示したというし。この辺のバランスの見極めの絶妙さに、唸る。
次々出てくる雲、そして夕暮れ。軽快なジャズスタイルの音楽に乗って、チャプターのつなぎつなぎに現われるその印象的な空の様子にたたみかける時間経過を感じる。

冒頭ね、いきなり語られるのが荒川の歴史なのね。でもそれを断ち切るように高層マンションがどーん!と現われるのね。それは確かに、これまで人々が少しずつ、少しずつ、大切に積み上げてきた生活や人間関係を断ち切るような、暴力にも似たもので。で、ここに田舎でのそれを断ち切ってきた石田のような人間も絡んで、彼はこの高層マンションにこそステイタスを感じて頑張るんだけど……そういうことが、あるから、なんだろ、なあんていうのかなあ、人間の愚かしさ、でも否定できない哀しさをね、感じるわけ。
石田が飲んでいたバー、その窓からこの高層マンションがのぞめるでしょ。でもそれが見事なハメコミ画面だったり、するでしょ。この確信犯的な、紙芝居的な現実感のなさ。そこに生活のリアルさや人間くささを感じることは出来ないじゃない。本当にハメコミの、紙の上に描かれた、いわばステイタスの証文みたいな感覚。これを手に入れることに必死になる石田を、この時点で既に、暗に揶揄しているんだよね。

結局全ての事件が終わって、石田はこのマンションを手放してしまう。彼には帰る家族があるから。でも、このマンションの、こんな忌まわしい事件があった場所でも、故郷を感じているコもいる。ここに住んでいて、占有屋に手渡した家族の、息子である男の子である。バブルもはじけ、この部屋の買い手がつかなくて、ずっと空き家状態のこの部屋に、彼は折々訪ねてくる。そこにだけ、彼は自分の居場所を感じるから。
なんか……判らなくなるよね。自分がいるべき場所や、人間同士の触れ合いのこと。今はあまりにも急速に住環境も変わっていってしまっているし、その中に見出だすことがとても困難なんだけれど、でもこういう風に、若い世代が新しいそれを作り上げていく、ってことなのかな。そう、荒川区の歴史みたいに、また少しずつ少しずつ、積み重ねてゆくのかな。
だって、このマンションに集った人たちは、いわば大人たちは、煩わしい近所づきあいがイヤだから、こういう生活スタイルを望んだわけだけど、その子供たちもそう思っているわけじゃない。ここで出会う子供同士は友達になれる可能性を匂わせる。そしてそれは思ったよりもとても自然なことなんだ。

物語はひとつの謎を残して終わる。それは……なぜあの擬似家族の息子、加瀬亮扮する八代祐司は死んでしまったのかということ。彼がね、こんな殺人事件を起こしたのは、彼がそんなこと考えるなんて思いも寄らなかったんだけど……恋人のためだったのよ。石田から一千万円脅し取ろうとして、でもその計画がバレて擬似家族たちを次々に殺してしまった。何かを感じてマンションを訪ね、その現場に遭遇して震え上がった恋人の綾子に、彼は言うわけ。「おまえたちのためだろ!」って。恋人と赤ちゃんのためだって、そう言うわけ。あの男が!そりゃどう考えたって、選択を過ったとしか思えない、愚かなんだけど、でも、でも……。で、綾子にナイフを向けた祐司、二人はもみあってベランダにもつれこみ、そして……何が起こったんだろう、そこで。彼はベランダから落ちてしまうのね。綾子は自分で突き落としたと言ったけれど、それに対して石田は彼女がそんなことを出来るはずがないという。確かにちょっと無理がある話で……そこのところが唯一の謎なんである。そしてこの彼の幽霊が出るというウワサがたつ。高層マンションを、下からなめるようにずーっとズームアップしていくそこに、ベランダにぼーっと立っている祐司、うわ、本気でコワい!本当に幽霊みたいに、まっ白くぼーっと立っている加瀬亮の姿が、うわうわ、寄んないで!と思う怖さで……。その後は大林監督らしい、夜空に飛び込む彼、という絵なんだけど、ホントに幽霊みたいなんだもん……うう、演技に手抜かりなさすぎ。

マチャミ(は良かったなー)扮する隣りの住人がね、この殺人現場の、薄く開いたドアから人影が見えた、というのがその幽霊話の発端とも言えるんだけど……彼女が「確かに見た!」と繰り返すそのほんの一瞬の人影、というのが、ちょっとぞぞっとさせるものを感じさせて、でもそれはどこか哀しさに満ちたそれでもあって。家族を求めてさまよい続ける哀しき魂、みたいなさ。この原作、もともとは新聞小説で、マンションでの殺人事件とか、いまだ未解決のものも含めて現代にはこういう犯罪が数多くあるわけで、そういう社会性を帯びているわけなんだけど、その中の、この希薄な人間関係や家族関係を、でもそれを渇望している人間がいる、そうは一見見えないんだけど、でもそうなんだっていうのが、それもまた温かい目で見た、でも哀しい社会性で、ね。

ノーメイクになるとホント判んなくなる女優さんたち、という、そういう楽しみ方も出来るというのが(笑)。南田洋子とか古手川祐子とか、ホント別人になっちゃうもんなー。普通のオバチャンなんだもん、コワイね(笑)。感じはいいけど。赤座美代子のスリップ姿とかねー、ノーメイクだから逆にオバチャンくささが生々しくて。つーか、こういう場面でスリップ姿にさせるっていうのが大林監督らしいというかさ。だってただ電話に出てるだけなのに、別に必要ないじゃん(笑)。必要ないのに脱がせる大林監督らしい。でね、最後の方になって出てくる、裕木奈江が私は好きでした。ノーメイクでも彼女はカワイイ。でそのカワイイ顔に反してなかなかに声にドスが効いているのがいいんだなー。大林作品に今後出てほしい女優さんだね!★★★★☆


隣人13号
2005年 115分 日本 カラー
監督:井上靖雄 脚本:門肇
撮影:河津太郎 音楽:北里玲二
出演:中村獅童 小栗旬 新井浩文 吉村由美 石井智也 松本実 劇団ひとり 村田充 三池崇史

2005/4/5/火 劇場(渋谷シネクイント)
かなりの問題作だという原作コミックの方も気になりつつ足を運ぶ。だってこれまで何度も映画化が見送られてきたんだというから。そうして今回、映画化が実現したのは時間だったのか監督だったのかキャストだったのかあるいはタイミングだったのか。井上氏は驚くことに今回が初監督だという。私は原作を知らないけれども、恐らく原作ファンを裏切らない作りになっているであろう、映像で狂いながらも作りで暴走しない、これが案外抑制の効いた完成度の高いもので、原作者が映画化をこの監督に託した直感が、間違っていなかったということなんだろうと思う。二重人格。それを二人一役とした判断も効いており、狂った中村獅童を小栗旬が抑えて支え、そしてそれが入り混じる瞬間というのがこの役者二人の共演の醍醐味であり、その瞬間を迎えるたびに観客である幸せに鳥肌が立つ。この小栗旬を迎えているからこそ、中村獅童は思う存分狂えるんであり、“イイところは全部中村さんに持っていかれた”と小栗君が冗談交じりにぼやくのも判るけど、でもキミでこそこの彼を抑えることができるのだよ。劇中、台詞でも言われる“違う人に見える”というのは二人一役だから当然なんだけど、十三が13号にのっとられる、じりじりと入り混じってゆく瞬間がCGなんかじゃくって、だからこそ、本当にのっとられる気がして、ゾッとするのだ。だって誰もがこういう別人格、こんな風にハッキリと分離した形じゃなくても持っているに違いないから。

イジメがテーマになっている映画は、ことに、滅入る。ちょうど私が子供の頃から、こういう残酷なイジメが社会問題となったように思う。ということは、そのころ子供だったいじめられっ子は大人になっていて、こんなことが実際起こってもまるで不思議じゃないのだ。これはサイコスリラーであり、当然フィクションではあるんだけれど、これがフィクションのエンタメだと片付けられないところにこの作品の恐怖の力がある。だって、判っちゃうんだもん。13号って、本当に、誰の心にも、いるよ。ほら、口には出さずに心の中で人に悪態をついている自分、あれがそうなんだもん。そんなこと大したことじゃない、そうでもしなきゃ、とてもこの世の中ストレスたまっちゃって生きていけないと思うけど、じゃあその、自分の暗い部分、ストレス発散のようにコントロール出来ていると思っているそういう部分が、しっかりとした人格を持ってしまっていたら?と想像しただけでゾッとするのは……いかに自分のそういう部分が醜く残酷であるかを、知っているから。ストレス発散だと思っていたのが、実はストレスをためこんでいるんだということを、現代人たちは気づいていない恐ろしさ。

私はね、この村崎十三の赤井に対する復讐心というのが、案外そういう、ストレス発散の延長線上にあったんじゃないかと思うのよ。いや、原作を読んでないからウッカリしたことは言えないし、何より十三はこのにっくきかつてのいじめっ子の赤井の職場にわざわざ就職したぐらいだから、ハッキリとした復讐心はあったのかなとは思うけど……本当に、殺すまでのことを考えていたんだろうか?いや、憎い相手を殺すことぐらい、心の中でならいくらだってする。心の中でそんな風に何度もシュミレーションはしていたんだろうと思う。そうして彼のそばまでやってきたけど、本当に十三は赤井を殺すつもりだっただろうか?自分の人生に整理をつける、そんな思いが入っていたんじゃないだろうか。
甘いかな、やっぱり私。だっていくらなんでもここまで壮絶なイジメを受けたことはないんだもん。子供って、こういうことに対して何でこんなにクリエイティブな才能を発揮するんだろう。お決まりのお葬式ごっこだって、これほど人間の心をえぐるものって、ない。

でも、十三と13号って、本当にどちらが本当の彼なの?十三の回想には、理科室で顔に劇薬をかけられた記憶が出てきた。13号にはそのつめ跡が生々しく残っている。でもキレイな顔をした十三に対して13号は「勝手にオレを生み出しておいて」などと言う。十三の記憶が本当なら本身の彼にだってそのつめあとは残っているはずだし、いくらなんでもそれを見たら罪の意識を感じていたかどうかさえあやふやな赤井だって、自分のしたことを思い出すだろう。
だから、なんだか私には、13号の方が本身のように思えてならなかった。本身の彼は、復讐をとげるため、まだおさえの効く十三を生み出し、まるで操り人形のように彼を赤井の職場、そして彼の住むアパートに引っ越させて、結局はイラナイ十三をじりじりと侵食していったんじゃないかって。今の世では、こういうコワい人格を自分のうちに持っていることが、さして意外ではなくなっていて……そのことこそが怖いことなんだと、ふと今回気づいてしまった。だって、戸惑いまくる十三よりも、ある意味気持ちいいぐらい復讐心、つまりは悪に魂を売った13号に、それだけヒドい目にあったんだから無理ないよ、みたいな、共感まではいかないにしても、どこか同情心めいたものを感じてしまってるんだもの。劇薬をかけられて右目は白く濁り、右頬は醜いケロイドになってしまっている13号の外見は確かに恐ろしいけど、恐ろしければ恐ろしいほど、そのにっくき思いを遂げてしまえ!などと思っちゃうし、中村獅童が「観ないでください!」とまで言った狂気の演技だって、いやあ、ある意味無理ないよね、などと思ってしまう自分こそが、本当に怖かった。
それともこれは二人一役の弊害?いや、何かそこまで感じさせるものがあるのよ……13号に比しては弱いながらも、その戸惑いの中に必死に抗っている十三が。

小さい頃から、彼の服装は変わらない。オレンジのダウンベスト。あの頃の記憶を忘れないように、そんな思いをさえ感じさせる。あの残酷なイジメ、そのことを忘れられない、復讐してやる、という彼の思いを、なぜ責められるだろう。
イヤな記憶は忘れたいのに。普通人間はそう思うのに。でも決して忘れない。それはあの子供の頃の記憶が、そのイジメ一色に塗りつぶされているから。この記憶を忘れてしまったら、自分が存在したということさえ、否定してしまうように感じているのかもしれない。
でも、当のいじめっ子、赤井の方はそれをサッパリ覚えていない。十三が同じ職場に入ってもその名前を聞いてもまるで気づかず、あの頃と同じように新人イビリよろしく十三をいじめ倒す。その職場というのが工事現場という荒っぽいところだから、周囲もそれに対して多少はいさめるものの、大して気にする風もない。
ひょっとしたら、もしかしたら、ここで赤井が普通にマトモな大人になっていたら、十三は復讐をしなかったかもしれない。それはまるで、十三がそのことを確かめるために同じ職場に入ったように思う。だってただ復讐をするだけなら、近くにいるだけですむんだもの。
でも、赤井は全く変わっていなかった。それを十三は淡々と受け止める。反抗的な目をすることさえしない。だから私は……十三が13号に生み出された良心のかたまりの哀しい操り人形に思えてしまったのだ。
十三に同情を寄せてくれる同僚がいる。同じように赤井にいびられ倒していた関君である。ちょっとオタク入ったコだけど、親身に十三を心配してくれる。十三も心を開いて、自分の心の闇の部分(二重人格ね)を見せたりする(キッチュでグロなアニメーション仕立てが効いてる!)。この関君が、最初に十三の二重人格性を見抜いた人だったから。「あの時の十三君、全然違う人に見えた」そのことこそが十三の救いになったはずなのに、それを13号はうっとうしいと思ったのか、この関君をメッタ殺しにしてしまうんである……。

十三はね、人殺しなんかしたくないんだよね、当然。13号が最初の殺しをしてしまって、勝手にバトンタッチされてその場に直面した十三、驚くことさえ通り越して、ただただあっけにとられてしまうだけだった。彼の表情は、いじめっ子だった赤井を憎む気持ちさえも、アイマイに思っているように感じられた。そうして、赤井の最大の弱点、彼の愛する家族、最愛の息子をその手にかける場面、この時にはまだ13号の姿にはなってなくて、つまり十三の意志でそうしてるっていう示唆なんだけど、十三の目は宙に泳いでいて、つかみどころのない顔をしていて、それはまさしく……いままさに、13号によってのっとられる瞬間で、つまり全くの別人格ではないんだと、その溶け合う瞬間を見せられて(小栗君……スゲエよ)ゾッとするんである。
確かに、自分の中の自分。だけど、出てきてほしくない自分。必死にそれと戦って、でも今自分がしている行為は、その出てきてほしくない自分がしていることにほかならなくて。
犯罪って、こうして行なわれるのかもしれない。すべてを制御できるほどの強い人間なんて、いったい何割いるの。怖い……いつか訪れる自分を見ているような気がして。

赤井は、大人になった今でもエゲツない後輩イジメをするようなヤツだし、性根は全然変わってないのよ。でもね、これが困ったことに……家族はめちゃめちゃ大事にしてるヤツなの。奥さんのちょっとしたワガママからウソ電話で急いで家に戻って、ウソだと判って文句をブータレながらも、ゴメンねと言われるとそれ以上怒れなくなっちゃうし、たまにはデートしようよ、っていう提案にはこれまた文句言いながらも応じちゃうし。ことに子供に対しては、このコワモテを崩さずに、しかし手馴れた様子でスキンシップしててさ、コワモテを崩さないんだけど、崩さないだけに、メロメロに愛しているのが、判るの。……参っちゃうんだよね。あんなヒドいイジメをした人で、大人の今もその基本は変わってないのに、奥さんや子供に対してはパーフェクトな夫でありパパだなんて。

だから、ことイジメのことに関しては、謝るような男じゃなかったはずなのよ。でも13号が、赤井の最大の弱みが家族、ことに子供だって判ってるから、略取して、赤井をワナにはめてこの子供を撃たせるなんて……赤井じゃなくても「やりすぎだろう!」ってことをして……本当は、卑怯なんだよ、こんなやり方。いや、先に凄惨なイジメを受けた人に対してそんなこと言えないけど、でも、相対する相手ではなく、ある意味第三者に位置するその相手の子供を使うなんて。でもそのことは無論13号は充分判ってる。つまり、そんなことさえ躊躇なく出来てしまうほど、赤井のことを深く憎んでいるということ。ただ……。
謝っちゃうんだよね、こともあろうに、赤井。
しかも、かなり心がこもった様子で。自分がこういう目にあって、初めて気づいた、ってな風で、「悪かった」って、言っちゃうんだよね。
……本当は、これこそが残酷なんだと思うんだよ。だって、ただただ相手を憎んで苦しめたいだけなんだもん。そんなこと言うな、そんなこと聞きたくない、バカヤロー!ってのが、本当の、本音だと思う。
ただ、この映画は、ここまで、散々ザンコクでありながら、これが案外、この点に関してはなんだか、優しいのだ。

冒頭とそしてラストに、十三と13号がともに一糸まとわぬ姿で(うおー)向き合うシーンが用意されている。冒頭では、十三は13号に殴られ続け、胎児のようにまるまって抵抗も出来ない。その夢想?のシーンから、十三は引っ越したばかりの自分の部屋からダーン!と蹴り飛ばされるようにドアの外に出て、目が覚めたりする。でもラストでは、その向き合う姿は対等のように見え、暗い、閉じ込められた荒野の中のコンクリート固めの部屋から十三は一人、ドアを開けて出てゆく。それは……ずっと閉じ込められていた良心が、自由を得て外へと出られたような感慨である。そう、あの赤井の謝罪の言葉を受けての。ただ……その外は、もう生きている宿主のない世界かもしれないと思わせる。十三は時間をもとに戻した。その戻した時間軸、あの劇薬をかけられる前、ずっとずっと抵抗できないでいたいじめられっ子の自分が、お葬式ごっこに供えられた花瓶を投げつけることが出来た。そして枠外の丸抜き写真だった卒業アルバムでも、十三はきちんと参加している。そして春が来て中学への入学式、真新しい制服に身を包んだ彼らが行き来する中、あの忌まわしき平和荘は取り壊しの真っ最中である。……一体どちらが本物の世界だったの?と思うような……。

それにしても新井浩文、やっちまったなー。彼にコレをヤラせたらハマりすぎてコワいだろうと、誰もが想像していたようなキャラを堂々とふっちまってる。ちょびひげにパンチ、元暴走族のアタマで、今とび職は当然でしょうという暴力的な性格の赤井がまるで素じゃねえだろうな、という恐るべきリアリズム。中村獅童の作りこみの十三号より自然にハマッちゃってる分、怖いよな……。
13号は十三の、実はこうしたいという欲望だったんだろうなと思うんだけど、自分に味方してくれる人をも殺すというのもその範疇にあり、ねじれたカタルシスを納得してしまう形で提示しているのが、本当に恐ろしいと思う。あの、十三を心配してくれた同僚、でも自分の趣味をまずひけらかすところに、ほんの少しうっとうしい思いを感じなかったわけではない。しかも十三が心を許して吐露した自らの残忍な心に対して、彼は引いてしまって、何の意見も言うことなく辞してしまった。
でも、じゃあ、一体、人間は、他の人間に対して何を期待してるの?
冗談交じりの、赤井を殺そうかという提案に、関君はあからさまに戸惑いの表情を見せた。冗談交じりの中に当然十三は本気の気持ちがありありだったわけだけど、この時もう、仲間じゃない、と思ってしまったから、なのだろうか。
でも、イヤだけど、確かに、確かに、こんなささいな言葉や気持ちの行き違いだけで、心の中でストレス発散にとその相手を抹殺してしまうことって、あるんだよね……今の人間だから、なのかなあ。人間は心がどんどん弱くなってしまっているんだろうか。だからあんな凄惨なイジメも生み出されてしまうんだろうか。

平和荘、だなんて皮肉なアパートの名前、赤井の部屋は雑然としながらも家庭の温かさに満ち、十三の部屋は殺風景で寒々しい。画面はいつでも上下が暗くグラデーション取りされており、べっとりとしたダークな色彩が気分を滅入らせる。それは現実的ではなく、そのまま心の闇の情景そのもの。だからこそ、あの、シュミレーションA、Bみたいな、別の結末もオッケーなんだろうな。★★★☆☆


リンダ リンダ リンダ
2005年 114分 日本 カラー
監督:山下敦弘 脚本:向井康介 宮下和雅子 山下敦弘
撮影:池内義浩 音楽:James Iha
出演:ぺ・ドゥナ 前田亜季 香椎由宇 関根史織(Base Ball Bear) 三村恭代 湯川潮音 山崎優子(me-ism) 甲本雅裕 松山ケンイチ 小林且弥 小出恵介 三浦誠己 りりィ 藤井かほり 近藤公園 ピエール瀧 山本浩司 山本剛史

2005/8/2/火 劇場(シネセゾン渋谷)
山下監督がこんなど真ん中青春モノを手がけるなんてこと自体、確かに驚きだったんだけど、でもそういう意外さをラクラクとクリアするのは「くりいむレモン」で実証済みだったし、今はいつでも、山下作品ならオッケー!早く観たい!という心構えになっているので、何より、この作品が、そう予告編でうわッ、ホントに早く観たい!と思ったのは。

そう!ペ・ドゥナ嬢よ!

彼女がこの年で女子高生役をやるかとか、いやそんなことはどうでもいいのだ。彼女が日本映画に出るなんて、それもそれもそれも、山下監督作品になんて!

逆に考えれば、山下監督作品に韓国女優が出るなら、そりゃもうホントにペ・ドゥナしか考えられない。女優陣に華やかなスター性がハッキリとしている韓国映画界において、彼女だけが、ヘンなんだもん。当然、すんごくイイ意味でよ。その顔立ちも、かもし出す雰囲気も、台詞回しも、表情の出し方も、何もかもが、独自でファニーで、彼女が日本人女優だとしても際立っていたとは思うけど、そんな韓国映画界だからこそより彼女のオフビートな魅力は際立って見える。

そう、オフビートなのよね。山下監督も、そうなのよね。だから、ペ・ドゥナなんだ。だってさ、この題材、文化祭で、バンドで、しかもブルーハーツだなんて、劇中のカチョイイ先輩が言うように(もー、この留年した田花子先輩、めちゃカチョイイ)「アッツイね」なんだから。だから、意外だったんだ。思いっきりオフビートの、思いっきりマイペースの、思いっきり間の長い山下監督がそれを作り上げるなんて。だけど、やっぱりこの人はスゴイな。こんな「アッツイ」題材でさえ、彼のゆるゆるを崩さないんだもん。でもそれは頑なにってわけじゃなくて、それでなければ描けないもの、それでなければ面白くならないものがあるからこそ、山下作品なんだよね。
第一、「アッツイね」と言うこのカチョイイ先輩でさえ、ハスキーボイスでやたらアンニュイだしさ(そこがカチョイイんだけど!)

文化祭にバンド、バンドにかける青春、なんていうと、やはり思い出さずにいられない、私の中でのナンバーワン映画「青春デンデケデケデケ」があるんだけど、つまりはこういう題材で思い描くっていうとやっぱりそっち方向だと思うのよ。そういう意味で考えれば、トーンは本当に真逆。まず、女の子だし、クールで表面上は決してアツくならないし、しかも何日も何ヶ月も練習した集大成!てんじゃなくて、そのつもりだったのがトラブっちゃって、彼女たちはたった三日で作り上げた即席バンドで本番に挑むんだもん。

まずはね、女の子は最高。そして、アツくなってないのはあくまで表面上で、そうでなければ三日で、こともあろうにブルーハーツをやろうなんて絶対思わない。そして三日間に凝縮されているからこそ、連日徹夜状態で挑む彼女たちの頑張りと、急速に深まっていく友情と、奇跡的に成長を遂げる演奏がよりドラマティックになるんだもんね。
今の若い子たちはさ、そうこんな風にクールだけど、それは感情を表に出すのが苦手な不器用さんなだけなのかもしれない、っていう監督の優しい視線が感じられるんだよね(まっ、監督自体若いし)。そりゃもちろん、映画ならば、それこそデンデケのように表情にしても感情にしても判りやすいキャラクターたちが揃っていた方が、感情移入はしやすいけど、考えてみれば本当に多感な、思春期というヤツなんだもの。そしてもともとオフビートな監督のカラーに、“表面上クール”というのは扱いやすいというのもあるのかもしれない。その中からじわじわとアツさを滲み出させてくるのがさすがなんだよね。

この物語は、バンドのリーダーの恵が、共にバンドを始めた凛子と仲たがいするところから始まっちゃう。そう、クール=不器用さんたちなんである。周りで心配している仲間たちが「近親憎悪」だと言うように、確かに恵と凛子はよく似ている。短気で、筋が通らないことが大嫌いで、一度言ったことを引っ込められない頑固者。方向性は同じなんだから、話し合う度量があれば、判りあえる同志なんだろうと思うけど、やはりそこは若さからくる意地があって、もの別れに終わってしまうのね。
原因は、ギター担当の萠が指を骨折してしまったこと。ここまで練習してきて萌ナシでやるなんて考えられない、というのが恵の主張。仲間意識が強いのね、恵は。萠ちゃんは二人を仲たがいさせたことを気にして、皆に謝って回る。

この萠を演じる湯川潮音も、あのカチョイイ先輩と共に強い印象を残す子でさ、あのね、今からクライマックスの話をするのもアレなんだけど、本番、恵のバンドが遅刻して、その時間つなぎをするのが彼女と田花子先輩でさ、この萠ちゃんの歌声ときたら、もう、驚異なの!天使の歌声ってよく言うけど、これだよ、それは彼女の声!恵の新バンドがブルーハーツをやると決めた時、まだボーカルが決まってなかった時ね。萠ちゃんをボーカルにどうかって話が出るんだけど、恵は「萠じゃブルーハーツじゃないでしょ」と言うのね。それがホント、まさしく、まっさしくなんだよなあ!フェイクを自在にあやつる的確な音楽的能力、フワリとしていながらストレートに響き渡る透明な声質。彼女、最初舞台にアカペラで出てくるのね。それだけで、ウダウダしていた観客たちをトリコにしちゃう。そして、カチョイイ田花子先輩の伴奏で歌う「風来坊」の素晴らしさときたらもう、もう、もう……この映画のメインを忘れちゃいそうな勢い。

あー、思いっきり話が脱線しちゃったな。戻す。でね、今の若い子は(っていう言い方ばっかりしちゃうあたり、いかにもオバチャンだな、私……)歌とかフツーに上手いから、その点で急速に成長を遂げる様を刻印するのは難しいんだよね。その点を、韓国からの留学生に託すというのは上手いアイディア。歌詞を追うだけでいっぱいいっぱいだったソンちゃんが、カラオケ屋での個人練習から始まって、寝ずの練習の積み重ねで、本番ではまるで違和感のない完璧な発音でシャウトする。もう涙涙……。

ああーっと、またしても先走っちゃった!まだそこまで行っちゃダメだってば!あ、でもちょっと待って。ソンちゃんのカラオケ屋でのエピソードは可笑しいよね。ワンドリンク付きで、それを選ばなければ歌えない、という店員と、飲み物はいらない、の一点張りのソンちゃんが押し問答。「だからね、飲まなきゃ歌えないの!」意地になる店員さんに、ソンちゃん笑って「ソレ、オカシイよ」そうだよねー、オカシイよねー(笑)。このまるでかみ合ってないところが最高。

でね、演奏の方もね、いきなりやろうって決めた新曲だから、しかも三曲もでしょ、もう皆必死なの。で、なんでブルーハーツをやろうとしたかっていうと、軽音の部室に置かれた古いテープの中から出てきたのが「リンダリンダ」だったのだ。彼女たちの年齢からすれば、ちっちゃな頃にギリギリ耳にしてたかなって感じなんだけど、不思議に知ってて、いや知ってるどころか、テープからその曲が流れてきたとたんに、あの、イントロのタメから「リンダリンダー!」と弾けるシャウトで嬉しそうに飛び跳ねて一緒に歌って、もう運命っつーか、ビリッと電気が走るような、コレだ!っていうものがあったわけ。
それは、ブルーハーツなんて知るはずもない韓国からの留学生、ソンちゃんの心も動かす。彼女が誘われたのはかなりテキトーというか、凛子に虚勢をはってた恵が、たまたま通りがかったソンちゃんに声をかけたまでのことだったのだ。しかもその時ソンちゃんはとおーくにいて、顔も判別できないぐらいとおーくで、恵の誘いにワケも判らないまま「ハイ!」「ヤリマス!」と叫ぶのがおっかしくてね。後でそのことを「ソンさんもテキトーに返事しちゃうしさ」などと話している彼女たちも可笑しいんだけど、あの豆粒のような引きのソンちゃんが、そんな風にテキトーに返事しちゃって、事実を知らされてやっぱり豆粒で「ムリムリムリ!」と慌てて言うのも可笑しかったなあ。

実際、今までソンちゃんはそんな風にテキトーに過ごしてきたんだろうと思う。それはね、ソンちゃんにマンガを貸している小学低学年ぐらいの、あれは近所の子なのかなあ、が、文化祭に来てね、日韓文化交流という展示のところに、いかにも義務っぽくソンちゃんは留守番してるんだけど(担当の先生が何もかもやってるっぽいのがいかにもでね)、そこにその女の子が来てて、ソンちゃんを恵が練習だよ、って迎えに来て、恵を見てその子が「なんだ、ソン、友達いるんじゃん」なんてナマイキな口調で言っちゃってさ。
恵をはじめバンドのみんな、ソンちゃんの存在を知っていたから、留学生として校内では知られていたんだろうけれど、どこかハレモノに触るような状態だったんじゃないかって思われるのね……そんな描写はないし、あくまで推測なんだけど。ソンちゃんは別にふてくされているような様子もないしさ。でもそんなの説明しなくても、イナカの学校にただ一人の外国人留学生って……そういう状態なんとなく想像できるじゃない。そしてこの女の子の台詞ひとつで、ああやっぱりそうだったんだ、って。

どうせ即席バンドだし、っていう意識もあったのかもしれない。実際最初に合わせた時は、ソンちゃんのボーカルもそうだけど、みんなの演奏もヒドかったし。でもソンちゃんが、「私、頑張ってもいいですか」と恵に言ったところから、なんか、そう、変わった気がするんだ。
その場面、一緒にバスを待っている恵とソンちゃん、気まずげで、恵が当り障りのない会話なぞして、でもソンちゃんのこのひと言で、恵、ちょっとビックリしたように首肯し……それ以降、“ソンさん”が“ソンちゃん”になるんだよね。
そう、この時には沈黙がいかにも気まずかったんだけど、三日間、全徹夜状態でやってると、盛り上がっている時はやたらテンション高くなるし、眠くて死んでる時はゾンビ状態で、気まずいとか会話がないとか気にしている余裕なんてなくなっちゃうのだ。

そこまで行き着く前に、もう急速に仲良くなってる。女の子同士は、一緒にゴハン食べたり、恋の話をしたりするだけで仲良くなっちゃうものなんだ。特に恋の話は、ソンちゃんが他人の色恋沙汰がすんごい好きみたいでね(判る。私もメチャそう)。練習場所がなくて、やむなく恵がミュージシャンの元カレに電話してスタジオを確保するんだけど、別れたとはいえ、この元カレは何か全然気にしてない風でアイソいいし、「恵の元カレですか」なんて直截に聞いちゃうソンちゃんに、「君、面白いね」なあんて返しちゃう(確かに盛り上がったソンちゃんの妙なクネクネそぶりは面白い)。恵と元カレの雰囲気は確かにイイんだよな。元カレ、なんか頑張っちゃってる恵を可愛く思ってる風で、いろいろチョッカイ出しちゃって、「もういいから早く行ってよ」と言う恵に「なんか赤くなってるよ」なんてからかって。実際、恵ってば決まり悪げにしてるのがやたらカワイイんだよなあ。恵はね、すんごい顔の整った美人だし、クールで短気で怒ると怖くて、でもそんなカンペキ美女だから、こんな風に困っちゃってたりするのがやたらカワイイんだよなあ。

ああ、彼女、「ローレライ」の子だって?ああ、そう言われれば、おにんぎょさんみたいに整ったお顔は確かにそうだなー。でもそれこそ「ローレライ」ではおにんぎょさん状態でただただ整ってただけだったのが、ここでは生身の、肉体を感じさせるよなー。別に、太ももがまぶしいからってわけじゃないよ、って聞いてないか……。
恵にはちょっとオモロイエピソードが用意されている。彼女の見るシュールな夢が最高なのよ!最高……いや最初はそれが夢だと判らなくて、ちょっと戸惑っちゃったんだけど、その不条理さがこの必死になって連日連夜徹夜状態の彼女が見る夢って感じでさ!まず、なぜかスタジオに現われる彼女のお母さん。バカデカイおめでとうケーキは、何のおめでとうなのか、よく判らない。元カレからプレゼントされたのは、彼女が自分の小さな手を気にしていたから、と、大きな手!?特殊メイクで作ったような、手袋式にはめられるヤツである。泣き出さんばかりに感激する彼女、ってなんかだんだんミョーになってきてるぞ……。そして彼女、武道館のステージに連れられていく……「武道館って、意外に小さいんだ」そりゃ、そうだよ、だってそれどう見たって武道館じゃないじゃん!そこには彼女の憧れのラモーンズさんとピエールさんが客席から手を振っていて……そして彼女が居眠りから目を覚ますと(他の皆も寝てる)出演時間の三時半!

ちょっと時間軸を戻すね。ドラム担当の響子にも恋の予感が。予感っつーか、響子がずっと思いを寄せていたボウズ頭の大江って男の子に告白するか否かっていうお話。文化祭の用事で大江君が電話をかけてきたことでもうドッキドキで、模擬店のクレープ屋でも、彼の隣でクレープ焼きながらドッキドキ。家で大江君の電話を受ける響子→前田亜季は、メガネかけてねまき姿で、一応美少女アイドルである前田亜季とはちょっと思えないほど。実際、彼女、ちょっと太った……?お顔がふっくらして見えるけど……一緒にいるドゥナ嬢がヤセちゃったからなあ……彼女も一時期は少女のふっくらさが魅力だったけど、この時もう26だからねえ……それで女子高生が板についちゃうのがスゴいけど。大人の女のヤセが、少女の華奢さに見えるのは実際スゴいよなあ。

それにしてもさ、やっぱり告白っていうのは……(今は告るっていうの?)いつだってできるはずなのに、こういう文化祭とかの、特別な時なんだよね、やっぱり。響子は結局、言えなかった。多分、大江君も彼女のこと好きだったと思うのに。ラスト、ステージの響子をながめてる大江君の表情からするとさ……。
それと、ソンちゃんは、見も知らぬ男子生徒から告白される。彼女が連日徹夜の練習で、展示室ですっかり眠りこけている時、投げ文されて、ハングル語で、「備品室で待ってます」と書かれてるのね。決死のハングル語で彼は告白するの。「……サランヘヨ(愛してます)」はさすがに小声になっちゃうけど。それを受けるソンちゃん=ペ・ドゥナがサイコーなんだよなあ!日本の俳優だってこれほどカンペキにオフビートな「あ?」「ああ……」は発せないよ!今ひとつ判ってないソンちゃんと、決死の覚悟でハングルで告白する男子生徒の、マイペースなカットバックに、もおー、めっちゃ吹き出しちゃう!

ソンちゃん、結局、この男の子に「今はバンドのメンバーと練習するのが楽しい」てなこと言って、断わっちゃう。彼は突然流暢なハングルでそれを言ったソンちゃんの言葉が聞き取れなかったみたいで、「え?OK?」とカン違いしちゃうんだけどさ。ソンちゃんはね、ちょっと色気を感じさせる恵とは対照的に、今やっと実った友情を優先するよ!ってストレートな思いをすんごく感じるんだよなあ。ペ・ドゥナって、なんたってもう26なんだし、堂々とオッパイ出しちゃった(しかも騎乗位ッ!)作品もあったぐらいなんだからオトナなはずなんだけど、そのファニーフェイス=ベビーフェイス、おっきな猫目がそういうセイシュンを語っちゃうんだもん!ああーん、もう、ペ・ドゥナなのよね、とにかく!

女の子たち、な場面がいちいちキュンと来ちゃうんだよなあ!こればかりは監督ってんじゃなくて、その場の、ナマな女の子たちのパフォーマンスだと思う。四人で盛り上がって、笑ったりしているシーンはリアル。いや、ホンモノ! 合宿めいた雰囲気で皆で買い物している場面、皆で食べるデザートをキャイキャイ選んでる恵と響子、でも望がそんな二人に「予算外。家でお母さんが寒天作ってるから」なんて言う場面とか。恵と響子のキャイキャイも、そして対照的な望の潔癖さも、どちらも少女ならではなんだよね。寡黙でキマジメで、でも皆から大事にされてるこの望がイイなあ。実際にプロのバンドガールなのね。クールさを象徴する低い声の存在感。深夜の練習の合い間、こんな時間帯にはハイテンションになるか、マジになるかどちらかで。響子がちょっとマジな意見を言うのね。
「こういう時間はいつまでも忘れない。本番は頭真っ白になって覚えてなかったりするけど」
望はそれに賛同を唱えるんだけど、それに対して恵や、言った本人の響子さえ笑っちゃう。それはでも、望をバカにしてるとか、そんなんじゃなくて、そんな望のキマジメさがなんだかテレくさくって、そんなことを言える望が皆大好きなんだよね。ソンちゃんはまだそこまで汲み取れないから笑っちゃってる二人を何となく制しちゃうんだけど、それもまたソンちゃんの思いやりで可愛くて、更に二人は大声で笑っちゃう。
ああ、女の子、メッチャかわいいなあー。

遅刻しながらも、カチョイイ田花子先輩や萠ちゃんがつないでくれて、どしゃ降りの雨の中、恵たちは何とか体育館にたどりついた。……それにしても田花子先輩の「素晴らしい日々」はカチョいかったなあ……。

少なくとも私たちの時代は、文化祭でバンドっていったら、盛り上がって体育館にみーんなつめかけたもんだけど。それこそ「デンデケ」の世界、だよなあ。
今は、バンドなんかフツーなんだろうなあ。後輩の、二年生たちの演奏の時なんて、ヒマつぶしに来ている生徒がチラホラ座り込んでて、後ろの方ではバスケで遊んでたりする。
でもそれを、先述のとおり、萠嬢の天使の歌声で振り向かせるんだよね。
んで、恵達が遅刻している間にどしゃ降りの雨で、外で模擬店やってた生徒なんかも続々体育館に逃げ込んでくる。
皮肉なんだけどね……こういう描写って。そうでなければ集まらないでしょ、みたいな。
実際、恵達が演奏を始めて、それはとても感動的で、ソンちゃんがシャウトしたとたんに涙ドバー!状態だったんだけど、でも山下監督ってば、引きで撮って演出つけちゃうの。こぶし突き上げてノリノリなのは、ステージにツメてる前の固まりだけ。後ろの方は、座ってラクーに聞いてる、みたいな。それも聞いてる、んだからいいんだよね、きっと、とも思うけど。なんかジャズフェスみたいなさ。そうしてる間にも続々と人が集まってくるし。

彼女たちの演奏をバックに、突然の大雨ですっかり暗くなってしまった校舎のガランとした点景が示される。
ちょっと寂しげなそれは、青春の刹那を際立たせもする。折りしも奏でられているのはあまりにもまっすぐなブルーハーツなのだから。
そして彼女たちは、三日間でこれを作り上げたのだから。

田花子先輩はほおんとにカチョイかったなあー。留年して、仲間がみんな卒業しちゃったから、今年は出る気がなかった。つまりバンドは皆でやるのが楽しいからね、とか言いながら、文化祭中は屋上で一人で漫画喫茶やってる。パラソルさして、クーラーボックスん中にジュース用意して、幾冊かのマンガを用意して一人でのんびり読んでる。個人練習のために屋上に来ていた恵が声をかける。「マンガ喫茶。恵が初めてのお客だよ」なんて言ってジュースを勧めて。ああー、いいなあ。だってそりゃ初めてだよ。一人で離れて、宣伝とかしてないに決まってるもん。これでマンガ喫茶だ、っていうのがイイんだよね。なんともはや、いちいちカチョイイんだよなー。

顧問の先生がおもっきし頼りないのもイイ。軽音楽部、だからやはり先生は出てこなくちゃいけなくて、でも軽音楽部、だから積極的に指導に関与するんじゃなくて、「デンデケ」でもそうだったけど、ほとんど見守る感じのソレである。ここでは見守るどころか生徒のトラブルにウロウロしちゃって、恵と仲たがいしている凛子に何かアドヴァイスをあげようとするんだけど、上手く言葉が出なくて、「帰っていいですか」と言われちゃう始末。でも、心配している感じは、イイんだよなー。で、この小山先生を演じているのはブルーハーツの甲本ヒロトの実弟の甲本雅裕であり、それはとても大きな意味を持つのだッ。

ペ・ドゥナが日本のミュージシャンに興味を持っているっていうのが嬉しかったり。だから彼女はカナの日本語は読めるんだという。そしてペ・ドゥナだけが、監督の映画のカラーのことを口にしてた。その独特のスピード感(つまりユルさね)とユーモアに着目してて、おおー、ちゃんと観てるんだ、などと思う。キミはひょっとして日本オタクじゃないの?なあーんて思ったりして。で、実際出演し、演出されている時から、どんな映画になるのか、楽しみで仕方ない、と語っていた。その演出力が、どういうカタチで映画になるのかが、楽しみなんだと。やっぱり彼女だけがオトナな女優の発言なんだな!

ペ・ドゥナには山下作品でまたヒロインやってほしい!★★★★★


私刑(リンチ)
1949年 98分 日本 モノクロ
監督:中川信夫 脚本:小沢効
撮影:河崎喜久三 音楽:服部正
出演:嵐寛寿郎 進藤英太郎 東野英治郎 小堀誠 池部良 花井蘭子 清川玉枝

2005/11/25/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(東京フィルメックス 中川信夫監督特集)
成瀬巳喜男作品を最近ずっと観てきたせいか、こういう設定の作品だとついつい、大団円になどなるわけがない、とか思ってしまって、だから思いっきり大団円で、まるでそれがギャグのように思えちゃって、イスからずっこけそうになったのは……うーむ、よくない兆候だわ。基本、ハッピーエンドの大団円が大好きなのになあ。

それにしても、日本伝統の、じっつに浪花節な物語である。中川信夫がこういう作品も手がけていたのは意外だけど、夜の闇の中を追っ手の恐怖から逃れ逃れ、引きの、影絵のようなシルエットの表現なんかは、そんな闇の魔術が中川信夫っぽいかなあ、と感じる。でも最終的に大団円の浪花節だからねえ!嵐寛寿郎の追いつめられ、家族の顔を思い出し、歯を食いしばって刑務所暮らしを耐えているそのお顔は、ああ、そりゃあもう、嵐寛寿郎なのだわあ。

前半と後半、時代が20年も違うのよ。なぜってその間、嵐寛寿郎扮する清吉はずっと刑務所に入ってるからさ。清吉は菅原一家の最近の売り出し株。他に緋桜、梅若という子分がいて、こいつらはヤクザのクセに道義をわきまえない奴らなわけ。んで、梅若の方は、清吉の恋人のお加代に横恋慕していて、お加代はそのことに困り果てていたし、清吉にヤクザなんてやめてほしかったし、しかも……清吉の子供を宿してしまったことで、彼に足を洗うこと、自分と駆け落ちしようと持ちかける。

勿論、そう簡単に足を洗うことなど出来ない。何より清吉はこのヤクザ稼業に男気を感じていたし。ただ……梅若の件は確かに気がかりだった。折りも折り、彼らに金源寺の祭礼のどさくさにまぎれ、黄金仏を盗み出す計画を持ちかけられ、清吉は梅若に自分が足を洗うことを親分に話してもらうことと、お加代から手を引いてもらうことを条件にその話にのる。しかし当然、二人は清吉に罪をなすりつけて見放そうと最初から計画してたわけで、清吉は菅原一家から裏切り者と見なされ、お加代と逃亡する。で、もう清吉はその一件でお加代の言うとおり、ヤクザなんてクソだということを思い知らされるのね。でも今戻ったら、絶対に裏切り者として殺されてしまう。安全な場所は刑務所しかない、と自首することを決意する。

ちょーっと、解せないんだけどさあ、というか、私がちゃんと理解してないせい(の可能性は、確かに大だ)かもしれないけどさあ、結局は緋桜も梅若も上の方の人物とはいえ、子分1、2にすぎないわけでしょ?清吉がヤクザに男気を見出だしていたのは親分の松五郎に対してだったんじゃないの?松五郎は清吉のこと、緋桜、梅若に吹き込まれたままにただ信じていたんだっけ……。ただこの親分さん、確かどっかの時点でもう死んじゃってるんだよね。清吉が三年の刑期を終えて出所した頃だったのか……この時には既に、悪事を働いたとして菅原一家から破門されている梅若一味。その時にはもう松五郎親分は死んでたんだっけ……。

そう、最初は三年の刑期で出てきていたのだ。でもその時から清吉は、たった三年じゃ、報復するために自分を待ち構えているに違いない、と怯えていて、昼の出所に仮病を使って(突然倒れる清吉!)夜に出ていったぐらいだったんだけど、朝からずっと待ち続けていた梅若一味にあっさりと車に押し込まれてしまう。そして……子供の顔も見ることが出来ないまままたしてもお縄になったのは、この梅若一味にヤラれそうになって、逆にヤッてしまったから。そういやあ、その前の罪はなんだったんだっけ……清吉が黄金仏を盗み出したことは菅原一家以下、梅若、緋桜たちしか知らなかったんじゃなかったっけ。それともあの時もみ合って河に落ちちゃった梅若の殺人容疑だっけ?

とにかく、またしても刑務所に逆戻りの清吉が、それから15年(だったかな)も出られなかったのは、その間に何度も何度も脱走を試みたから。それを画面のクレジットで、「脱走未遂○回」(回数忘れた)とか、「刑期加重」とか書かれる。その間、刑務所内でのミシンを踏む清吉の様子とかがパッ、パッと挿入される。そして時代はすっかり変わり、そう、清吉の知っている昔ながらのヤクザは街から一掃され、緋桜一家はその法の目をかいくぐってスーパーマーケット経営に乗り出しているものの、そのあこぎな商売は、まさに昔のヤクザから今の暴力団への変化を如実に思わせるもので、ああなるほど、こうしてヤクザは暴力団になっていったんだなあとか、清吉が男気を感じていたヤクザというものはまさに戦争を挟んで失われてしまったんだなあとか、思うわけ。健さんのヤクザの世界から、菅原文太の仁義なき戦いの世界への変遷、っていうかさあ。

そう、今度の相手は緋桜一家である。まあつまり彼らは民主主義となった甘い汁の部分だけを吸って世に跋扈しているハイエナのような輩になりさがっており、そういう点で報復による殺しとかバカなことは考えてないみたいなんだけど、清吉のことはあきらめてない。それはただ一点、あの黄金仏である。しつこいとは思うけど、それだけの価値、何百万という金銭価値(今でいえば数千万なんだろうなあ)があるんだから、それをそもそも清吉にけしかけたのは彼らなわけで、そうそうあきらめるわけにはいかないのだ。でも清吉は口を割らずに逃げ出してしまう。ホントはここで言っちゃってれば、清吉も安泰な第二の人生をさっくり始められたんだろう。なぜ彼が口をつぐんだか、それは今まで苦労をかけた妻と娘に、その金があったらこれからラクに暮らさせてやれる、と思ったからだった。

バカねえ、これはこの後、松五郎親分の一人息子である信夫に叱責される部分でもあるんだけど、そんな金を妻子が喜んで受け取るはずもないのに。しかもそのことで清吉が緋桜一家にヤラれたりしたら、元も子もないってことでさあ。二人はずっと、清吉が帰ってくることを待っていたのに。
二人がずっと待っていた……という部分にはちょーっと補足が必要なんだけどね。妻、お加代は勿論ずっと待っていた。この10数年、恐らく自分たちに会いたいが為であろう、脱走を繰り返しては刑期を延長されてしまう夫に、心をかきむしられながら、苦しい生活を強いられながら、じっと待っていた。その間、水も滴る美女だったお加代はすっかり生活の疲れがにじみ出て、今や身体を壊して家で伏せっていることが多い毎日なんである。
あ、ところで思い出したからちょっと話が戻るんだけどさ、このお加代が清吉と駆け落ちした時にね、彼女どういう仕事をしていたの?解説では料亭の女としか記されてないけど、その“料亭”って……お加代は、こんな商売、私だってやめたい、と言っているし、この店に奉公した際の借金を、二人に同情した女将さんがチャラにしてくれて「清吉さんと幸せになるんだよ」と送り出してくれた……みたいなくだりを思っても、つまりはお加代さんは色町の女だったってことなのかなあ。

まあ、すいません、ここでは関係ない話ですが。でね、清吉がまだ見ぬ娘であった桑子は、今や“ズベ公”になっており……ズベ公って!いやあ、今は言わないよね。これって正確な定義があるのかな、今の目で見れば、桑子は明るくて行動的な女の子ぐらいにしか見えないけど……。街角でね、歌ってるの。青空バンドと銘打ったバックを従えて、「花売り娘」やら「銀座カンカン娘」やらと、流行歌を。んで花を一輪口にくわえて、集まった観客に投げてやったりして。自分は顔が売れているんだと彼女はかなりいきがっていて、何かというと「私ゃ、青空バンドの桑子だよ!」とタンカ切ったりするんだけど、青空バンドの桑子、ってのが、そんな皆をひるませるほどの名目なのかなあ……。

まあ、この時代にはこの程度のパフォーマンスをしているだけでも“ズベ公”なんだろう。ストリートミュージシャンがうようよいる今の時代じゃ考えられないけど。聞かせる彼女の歌声は、かなり朗々とした感じの……当時の歌の上手さはこんな感じっていう、今の感覚からいうと、これで“ズベ公”もねえよなあ(私もしつこいが)って印象なんだけどね。
彼女は、まだ見ぬ自分の父親は立派な人物で、今は南方に行っていると思ってて、いつか帰ってくる日を心待ちにしている。つまり、お母さんであるお加代は娘にウソをついているのだ。それというのも、「あの子はあのとおり、昔からプライド(とは言わなかったな。なんだっけ、気位、だったかな)が高くて……」というわけだったらしいんだけど、その後、真実を知った彼女が「お母さんのウソツキ!」と最初は泣きながら怒るものの、もう次の場面ではお父さん、お父さんで、母親にも全然怒ってないしさ、何もこんな隠すこともなかったんじゃないかってなぐらいのアッサリ感がかなり脱力なんだけど(笑)

おっと、そこまで行くにはまだ早い。だあって、私のだあいすきな池部良がまだ登場してないじゃん!私、最初のキャストクレジットで彼の名前を見つけた時、やあったあ!と思って、もう登場をいつかいつかと心待ちにしてたわよ。どんなにえーとか言われても、池部良が好きなんだもん(何で皆、えーとか言うのじゃ)。いやー、若いねー、みずみずしいねー、やっぱりカッコイー。彼は松五郎親分の一人息子、信夫が成長した姿として登場するの。戦争から復員してきて、もう菅原一家も離散しているし、彼自身は親分譲りなのか一本気な、マジメな性格だから、軍隊で覚えた靴修理で生計を立て始める。で、信夫は小さい頃清吉にいつも遊んでもらっていて、その時には恋人時代のお加代さんもそばにいたし、三人一緒に撮った写真なんてあったりして。立派に成長した姿でお加代さんを訪ねる信夫、驚くお加代さん。そしてじき出所してくる清吉の話をし、そのことをちゃんと話してない桑子の話をし、信夫はなにくれとなくこの母子の力になるのだ。

桑子も小さい頃信夫によく遊んでもらったんだけど、彼が復員してからはずっと会ってなくて、しばらく桑子は彼のことに気づかず、“のっぼさん”なんてからかうぐらいなんである。しかし彼がケンカに強かったりするもんだから、これも血かなあ……、桑子は、「あんたならこの街の顔になれるよ」なんてスッカリご執心なわけ。しかも、街を牛耳ろうとする緋桜も菅原一家の忘れ形見である彼の顔を立てたりするもんだからさ。そのことでようやく彼女は信夫が誰かを思い出すんだけど、ならばなぜ、こんなしがない靴修理なんてしてるんだと言わんばかりなんである。彼女は「あんな陰気な家はまっぴら」と飛び出したきりほとんど家には寄りつかず、そんな彼女を信夫は心配して説得しようとするんだけど、その度に、「また説教なの」とプンとむくれて話を聞こうともしない。まー、何たって、「青空バンドの桑ちゃん」だからねえ。

で、その頃清吉は緋桜に追われているわけ。逃げ込んだ先が信夫の靴修理屋。清吉から事情を聞いた信夫、こんこんと説教する。そんなカネを二人が喜ぶとでも思ってるのか……と。これがね、もう菅原一家は離散してるし、二人は親分子分の間柄でもないんだけど、でも清吉にとってはやはり親分の息子で、信夫もまたそういう感覚が、小さな頃から知っているせいで残っていて、信夫は清吉に対して目上の口調だし、清吉は信夫に対して敬語なんだよね……何かこれがね、ちょっと萌えるわけよ。だって、信夫、いやさ池部良、もー、みずみずしいイイ男なんだもん!桑子から“のっぽさん”と言われるのも似合ってて、いやー、ドキドキしちゃう。そうそう桑子とは何気に惹かれあってて、無言で彼を見上げる桑子を抱きすくめてのキスシーンは、もおー、美しいやら、ねたましいやら?でああ、良かったわああ、もおお。

おっと、脱線しちゃった。そう、清吉は、信夫に説得されて、警察に行くことに同意する。この時の信夫の言いっぷりがまたいいんだよね。「困ったことがあったら警察の力を借りるのが当然じゃないか」民主主義が一番純粋な形で存在し、それを真摯に信じている信夫が美しい青年で、なんつーか……まぶしいわね。しかし緋桜一家の追っ手が警察に行こうとする二人を襲い、清吉が連れて行かれてしまう。二人はかなり善戦したんだけど……なんたって信夫は桑子が感嘆するほど腕っぷしが強いんだから。でも人数が多すぎて……。

全ての事実を知り、一度は母親に泣いて怒ったものの、今じゃお父さんに会いたくてたまらない桑子が追ってくる。父親が連れ去られ、崩れ落ちる桑子を支えた信夫はともに警察に行く。その頃清吉は、緋桜たちを黄金仏のありかまで案内している。もう事態がこんなことになったら、黄金仏を引き渡すだけではコトが済まないことを感じている清吉。ドライバーの男がアル中で運転できなくなって、清吉自らがハンドルを握る……っていうのが、かなり苦笑なんだけど。だって、人質に運転させるかあ?この後清吉がとった行動が充分予測されちゃうじゃん。そう、清吉は、もうこのまま皆死んだ方がいい、と言って崖の上にくねっている道で、車をメチャクチャ暴走させるのだ。焦る緋桜。しかしそこに警察が退去して追ってくる。もう観念の緋桜。いやー……大団円なのである。

しかも大団円はより完璧に、ラストシーンで完結しているんである。どうやら信夫と結婚したらしい桑子はすっかりズベ公を卒業。娘夫婦と一緒に住むようになったらしいお加代からお父さんへのお弁当を手渡され走ってゆく。清吉は大工仕事でもはじめたのか軽トラに乗って、走ってくる桑子から笑顔で弁当を受け取り、娘に見送られながら仕事へと向かう……うーん、赤面しそうな大団円だぜ。最初の悲壮な世界観はどこ行っちゃったのってぐらいな。いやいいんだけど、勿論。

あー、池部良のまっすぐで美しく、背が高くて足の長い青年が美しかったわあー。★★★☆☆


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