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スカーレットレター/THE SCARLET LETTER/
2004年 119分 韓国 カラー
監督:ピョン・ヒョク 脚本:ピョン・ヒョク
撮影:チェ・ヒョンギ 音楽:イ・ジェジン
出演:ハン・ソッキュ/イ・ウンジュ/ソン・ヒョンア/オム・ジウォン/キム・ジングン
こんな女を愛人にしてはいけない。でも愛人になるために生まれてきたような女でさえあるカヒ。
ブルーノートでけだるげに歌う彼女は、薄いオーガンジーの衣装や華奢なパンプスも実にはかなく良く似合っている。
彼女を愛人にしているのは強盗殺人課のギフン。演じるのはハン・ソッキュで、冷たく、キザでエゴ満開の男は、どう間違っても彼にはふらないだろうという役であり、彼自身が望んだのかどうかは知らないけど、とにかく彼の今までのイメージをがらりと変えてくる役である。でもね……それが成功だったかどうかは、微妙。「八月のクリスマス」で始まった彼のイメージが私にとっては強いせいなのか、どうにも、似合わないなーとばかり心の中で思ってしまう。だって笑顔を見せない彼、なんだかおちょぼ口なんだもん。それにね、基本この人ハンサムじゃないから(そこがイイんだけど)こういうキメキメの役をやると、ちょっと……と思う部分も正直、あるんである。
だから、主人公は彼だけど、この映画は、たとえその後に自殺していなかったとしても、やはりカヒ役のイ・ウンジュで語られる映画であり。しかし彼女以外の、ギフンの妻、いかにも清楚で理想の妻スヒョンを演じるオム・ジウォンにしても、ギフンが捜査している殺人事件の被害者の妻、ギョンヒを演じるソン・ヒョナにしても、それぞれにナゾを抱えている、それぞれに個性的に美しい女たち。ただ美しさだけで目を見張ってしまう韓国映画ではない、オンナ映画の深みがある。
メインはギフンとスヒョンの夫婦、そしてギフンの愛人カヒ、の三角関係にあって、ギフンの捜査する殺人事件の、殺された写真館の主人とその妻、ことに妻に関する怪しげな男たちの影、なんていうのは、ギフン側の三角関係、ことにカヒの激情があまりに凄いので、ちょっとジャマなエピソードなぐらいなんだけど。でもこの二つ、三つと絡み合ってゆく双方の男女の関係が徐々にあぶりだされてゆく演出のバランスは素晴らしい。
写真館の妻、ギョンヒは松嶋菜々子をぐっとセクシーにした感じの(って言い方ばっかりだけど)美女である。彼女を巡る物語はどこか「羅生門」的様相を呈している。ギョンヒはダンナの子供を決して産もうとしなかった。出来ても中絶を繰り返していた。そのことに業を煮やしたダンナは、自分の子供を産んでくれる女を捜していた。そしてその女の恋人を怒らせたことで殺されてしまう。といっても、子供を産むことに怒ったんじゃなくって、ほんの些細な言葉じりなだけだったんだけど……てあたりが、この犯人の単純さを現わしてて。
この写真館に足しげく通い、自分のセルフなフェチ写真を現像に出し続ける男が、ギョンヒを口説いてきた。そして夫婦間が倦怠期にあったギョンヒも彼に惹かれた……ってあたりが「羅生門」的なんである。間接的にこの殺人事件のきっかけにはなっているけれど、実際は殺人事件そのものとはこの男も関係ないし、事件解決を手間取らせただけの、男女の痴情のもつれに過ぎなかったんだけど、このフェチ男は口説いてきたのは彼女の方だと言い、逃げの一手をうつあたりが実にヤラしい、サイテーの男。しかし彼のウソの中で語られるこのギョンヒは実に魔性の女で、カヒに負けず劣らずセクシーで、美しいのだ。
その影を捜査するギフンも垣間見るからこそ、敏腕刑事であるはずの彼は、真実になかなかたどりつけないんである。
本当の真実は、最終的に夫を殺したのは、このギョンヒであったということを、その最後のツメの捜査を、ギフンはその頃トランクの中に閉じ込められていたから……追及しきれないで終わっている。まだ死に切れてなかったダンナは、帰ってきた妻に血まみれで助けを求め、その足にしがみついた。妻は驚いて、犯人が残していった凶器……聖母マリア像を再びダンナの頭に打ち下ろした。ダンナは、「助けてくれないのか……」そう恨めしそうに言って、こときれる。
このギョンヒには、そういう点で三つの顔があるといっていいかもしれない。フェチ男は確かにウソを言ったけれど、彼の中ではそんな魔性の魅力が本当だったのかもしれないし、そして本当の、本当の顔は、泣き叫びながらも夫の頭を殴り続けた、あの彼女であったのかもしれないのだ。
この作品の中で、それぞれの女は、それぞれの顔を見せる。決してその顔はひとつではない。
ただただ従順で清楚で、つまらない女のように見えるギフンの妻、スヒョンにしても、もうひとつ持っている顔は、ギョンヒ以上に驚くべきものなんである。
ひょっとしたらスヒョンが最もかわいそうな女だったかもしれない……。
スヒョンを演じるオム・ジウォンは、つるんとしたゆで玉子みたいな、上野樹里を大人にしたような感じの(こんなんばっかり)美女。クラシック界でソロのチェリストとして活躍する彼女にカヒは、「同じ音楽学校を出て、私はクラブの歌手。エラい違いね」などと言うんだけれど、カヒだって歌ってるのが、超一流のブルーノートなんだからねえ。
音楽家の二人の女のその情熱は、一方はクラシック、一方はジャズという、その音楽的資質を反映するようである。敷居が高く見えてその実、心の中に情熱を秘めているスヒョンと、その激情を最初から隠そうとしないカヒ。
スヒョンの秘密は、トランクの中に閉じ込められたカヒによって明らかにされる。そしてそれと同時進行で、夫が行方不明になったスヒョンはカヒの部屋を訪れ、三人の写真に結婚指輪を置き、教会に行って、その事実を懺悔するんである。
でもね……トランクの中で話される、カヒの口からしかその事実を聞いていないギフンがそれをにわかに信じられるかどうかはちょっと疑問なんだけどね。
つまり、スヒョンはカヒのことを愛していた。二人がギフンと出会う前に、音楽学校で一緒だった二人は愛し合っていた。先に手を出したのは私だったと、トランクの中のカヒは述懐する。
スヒョンが行方不明の二人を探しにカヒの部屋を訪れると、いきなり時間が過去へとさかのぼり、そこにはギフンと出会った時のスヒョンがいる。カヒの部屋の内装をしているギフンを、カヒは私の友達、と彼に紹介するんである。
その時から既にカヒはギフンと通じていたのかもしれない、けれど、彼が選んだのは清楚で従順なスヒョン。少なくともギフンはそう信じていたし、真実彼女を愛してもいた。
カヒとの愛に溺れながらも……。
男っていうのはまったくもって器用なイキモンである。同時に二人の女を愛せる。それは二人に向けた愛情が違うものだということなのかもしれないけれど。
で、スヒョンが愛していたのはギフンではなくカヒだった。ギフンは二人の女から愛されていると思っていたけれども、違ったんである。そういう点では哀れな男。
でも、ただ一人片思い状態を抱えていたスヒョンが一番哀れなんである。彼女は今ギフンの赤ちゃんを孕んでいる。それまで彼に内緒で、出来た子供を中絶していた。ギフンはそのことを知るけれども追及しようとはしない。なぜ追及しなかったのか。彼女が浮気していたのかもしれないとか、そういうことを知るのを恐れたのか、それともカヒほどに彼女を愛しているわけではなかったのか。
スヒョンが中絶していた理由はただひとつ。それはカヒのことを愛していたからに他ならないんだけど、でもじゃあなぜ今回は産もうと思ったのか。やはりそれも同じ理由なのかもしれない。カヒの側にいたいがためにギフンと一緒になったのに、カヒの心はギフンに向いたまま、彼女を嫉妬の対象としてしか見なくなったから。
そして同じ時期、カヒのお腹にもギフンとの赤ちゃんが宿ってしまう。
それを伝えようと何度もギフンに連絡をとろうとするカヒ。しかしギフンは彼女の電話を無視したり、あげくには同僚の刑事と喋っているように偽装して勝手に電話を切ってしまう。……こういう愛人相手にそういうことをしたら後が怖いことぐらい、予測がつかんのか、この男は。
そしてその事実が告げられたのは、妻の演奏会(ソロを任されるチェリストなのだ)。あとから考えればカヒを招待したのは明らかにスヒョン。でもそんな場所に現われた愛人に動揺するギフン。彼にとって妻と理想的な夫婦像をアピールできる場に他ならないから。まったくズルい男である。
「一緒に病院に行こうか」というギフンにカヒは激昂する。まったくヒドい台詞である。カヒの激昂にギフンも逆ギレする。じゃあ俺はどうしたらいいのかと。彼女が怒っているのはそんな台詞をまず吐いたことであって、何かをしてほしいとかそんなことじゃないのに。
……まあ、でも、このカヒのヒステリックさは実際厳しいものがあるんだけど……でもずっと秘密を抱え続けている妻よりは、ひょっとしたらカヒの方が愛すべき女なのかもしれないとも思う。
怒る愛人をなだめるために彼女の家に行くギフンは、そのことを責め立てる彼女に謝り、強引に押さえ込むような形で、というより、彼女の強い欲求に引きずられる形で、激しく彼女と交わる。
「私のものよ!」と泣きながら彼にしがみつく彼女の気持ちをどこまで解しているのか……その彼女の上でただただ一気に果てるばかりのギフンを見ているとそのあたり実に怪しいものがある。
妊娠初期だというのにランニングマシーンなぞで汗を流していた彼女は、ひょっとしたらこの時点では流産をもくろんでいたのかもしれない……一方で妊娠初期だというのに、彼女とこんなに激しくセックスしちゃうギフンはそのあたり、何も考えてない男であり。
「気が向いたら寄って、泊まりもせずに帰る。ここをドライブインだとでも思ってるの?」そんなことを冗談交じりに言うカヒの夢は、彼とともに朝を迎えることだった。
その夢が残酷な形でかなえられてしまうのである……。
酔ったギフンがカヒに謝ろうと彼女のマンションのドアの前まで来て、カギがなくて、ドンドンと激しくドアを叩き、そのドアの前で長々と彼女に謝罪ともグチともつかないことをごちるシーンがある。酔ってる割によう喋る男である。「君に結婚指輪を渡せないことを悪いと思ってるんだ」とかなんとか、くどくどと喋り続けるんである。
ふっと、ドアが開く。しかしそこに顔を見せたのは妻のスヒョン。全てを聞かれたことに驚きを隠せないギフン。しかしスヒョンはそんなことはとうに知っていたし、彼女にとって大切なのはそんなことではなかった。もう夫と会わないでと言ったのは、カヒが自分を愛していないことが耐えられなかったから。翌朝スヒョンはギフンに離婚を迫るけれども、真実をまだ知らないギフンは、そんな彼女の言葉を無視する形で理想的な夫を続行しようとし、カヒとの接触も絶つ。しかしスヒョンは浮かない顔で、そして一方的に連絡を絶たれたカヒはギフンに会いにやってくるんである。
そして、壮絶のクライマックス30分。あまり思い出したくないのだが……。
いや、なんだか私、思い出せないのだ。頭が、麻痺しちゃって。あのトランクの中で、最初はたわむれみたいな感じだった。二人抱き合って倒れこんだトランクを締めてしまったのはカヒ。ゲームみたいに、楽しい、なんてはしゃいで。映画の冒頭は、このトランクから銃弾が二発、発射されるところから始まる。その時点ではまだ余裕があった。一日目の朝。あなたと朝を迎えるのが夢だったから嬉しい、なんて言うぐらいの余裕はあった。でもどんどん、狂ってくる。そりゃ狂わない方がおかしい。カヒの下からぬるりとした血液が流れ出る。赤ちゃんの流産。泣き叫ぶカヒに、なぜか高笑いするギフン……責め合う二人に、謝り合う二人に、慰め合う二人に、希望を持ち合う二人に、そして、自分を殺してくれというカヒに、自ら死のうとするカヒに、俺をここに一人にするなと情けなくも泣き出しそうになるギフンに……ああ、もう、判らない。一体どの時点でギフンはカヒに銃弾を撃ち込んじゃったんだっけ、もう、麻痺してしまって判らない。
頭にこびりついているのは、4日目、ようやく発見された車のトランクを開けた時、赤黒い血にまみれたトランクの中の異様な光景に、ギフンの同僚刑事が吐き気を我慢するようにウッと口を押さえ、そして、後ろを向いたギフンの背中がうめくように動いたあの、スクリーンから血なまぐささがあふれてくるようなカットである。そして、運ばれて行くカヒの死体、だらりとさがった左手には、指輪が光っていた。あれは、ギフンがはめてやったものだろうか、やはり。
結婚指輪をあげることができないことを、すまないと言っていたギフンが……。
本当にこれが原因で自殺したんだとしたら、イ・ウンジュ、あんたはバカよ。この作品で女優としての資質を200パーセントアピールしたというのに。
カヒの感情を、自身の中にも逆流させてしまったのか。とにかく……。
彼女が死んだことでこの作品が語られてしまうことが、最も悲劇であるように思えてならない。★★★☆☆
三人はバスジャック事件で知り合った。ふと気づくとトンネルに入っていっているバス。政治家の汚い罪を着せられて、もう死ぬしかないという議員秘書が自暴自棄になって起こしたバスジャック。その中に乗り合わせた三人。一人は警察官であるシンゴ。演じるは加瀬亮。もう一人はトイレ掃除を仕事にするテツ。演じるはオダギリジョー。今一人の紅一点は薬剤師のサキ。演じるは栗山千明である。
主人公はシンゴ。彼は上に登る野心があるんだけど、毎日つまんないデスクワークにくさくさしていた。後に語られるんだけど、この状況は願ってもないものだったのだ。ここで手柄を上げれば上にいける。でも彼は一歩も動けなかった。そのために、事件後謹慎処分をくらってしまうことになる。
そしてテツはヤケになったこの犯人に撃たれた。あの場所撃たれたんじゃ絶対即死じゃねえのと思うんだけど、三ヵ月後、駅の構内でキャッチの男たちにキレてブチのめしている彼が、逆にこの男たちに追われているところをシンゴが助ける形で再会する。シンゴも毎日このキャッチの男たちの横柄さに腹が立っていたのだ。
そしてサキが後に登場するのはかなり時間が経ってからである。つまりこの再会したテツとシンゴの話がある程度進行してからなのね。あら、サキはどうしたのかなあ、と頭の片隅でずっと気になっているから、どうも落ち着かないし、後に登場しても、彼女の役割りは爆弾提供以外、今ひとつ不明なんである。義眼だっていう設定もね、言うほど性格形成に影響を与えたフシもないし。
テツとシンゴは復讐請負人ってやつを始めるんである。テツがどういう気持ちでシンゴをけしかけたのかはよく判んないけど、シンゴはとにかく今の状況がイヤでイヤでたまらなかった。警察ったってコトが起こってからじゃないと動けないし、上司は彼のデスクをとっぱらっちゃうという子供みたいなイジメをするし(まあ、シンゴが彼の隠ぺい工作をバラしちゃったからなんだけど……)。シンゴが憧れている刑事一課の刑事さんとして柄本明が出てくるんだけど、彼はそんなシンゴに「お前、ちょっとヤバいな」と言う。そのヤバさを加瀬亮は実に体現しているんだな。オダギリジョーが主人公だった「アカルイミライ」でほんの少しの場面だったのに、ひょっとしたら他の誰よりも強い印象を残した加瀬亮。彼は見るたびに驚かせてくれる人。オダギリジョーがどこに出てても割といつでもオダギリジョーなのと比べて、彼は変幻自在、印象がその度に違う。でもいつでもキリキリに限界で、ちょっとつついたら爆発してしまいそうな繊細な緊張感があって、だからもう、とにかくスリリング。どう転ぶか、判らないから。
前半は割とキッチリと演技するんだけど、後半は演技のたがさえ外れたみたいに、そんなテンションでホンロウさせてくれるから、ワクワクとさえしてしまうのだ。
一方の、テツを演じるオダギリジョーはね、こういう演技や役だと「オレって上手いだろー」みたいな感じを受けることがたまにあるんだけど、今回はまさしくそんな感じなのだ。いや、勝手な受け取り方なんだけど、もちろん。
つまり、「ナチュラルにキテレツ」なキャラクターがさ。
私は、素になったような時の彼の方が断然いいと思うんだけどなあ。そしてそれでいえば、加瀬亮の上手さが断然突き刺さるのだ。
復讐請負人の仕事、それを始めてから二人はやけに生き生きと楽しそうである。
テツはのちに、シンゴがどんどんカッコ良くなっていった、と言うけど(まあ確かにテツのテンションは元からこんな感じだしな)なんだかイタズラを楽しんでいる子供みたいな雰囲気がある。
ところで、……最初の事件はこの仕事への、一応伏線だったのかなあ。
理不尽な罪を着せられて、お門違いのところに復讐を向けて、死んでしまったあの男。復讐を請け負う仕事があれば、人はあんな風に追いつめられずにすむのに、と。
実際に行なわれる復讐請負の仕事は、二つだけである。最後のひとつはシンゴのために行なわれるけど、まああれは……失敗とも言えるしなあ。
きったない公衆トイレに、復讐請負とラクガキして、その場所で依頼人と待ち合わせる。隣同士のトイレで、お互い顔を見ないで話を聞く。……どうせ後に顔を合わせるんだから、それもあんまり意味ない気もするが。
最初は、看護士の医療ミスの告発、しかも彼の母親がその犠牲になり、隠された医療ミスを指示したのはその病院の院長だというのだから。「それならマスコミなり警察なりに言えばいいだろ」テツのその言葉にぴくり、と固くなったのはシンゴ。「コトが起きなければ動けない」警察の体質を思い出したんだろうけど、そしてここでは確かにコトは起きているんだけれど、果たして一看護士の告発で警察は動くだろうかと考えたのかもしれない。それはそうだけれど、そうなったら、自分の手から離れていってしまう。その前に……「復讐したいんだな」ハイ!と叫ぶように言う看護士。
まあ、この院長への復讐劇は、縛り上げて青汁注射という、子供のイタズラのような無邪気なものだけど(?)次の、子供への虐待のエピソードは甘いと言わざるを得ないんだよな……。
小学生がやってきた。こんなところに子供が来るなよ、と最初は軽くあしらっていた二人。でも復讐したいのがお母さんだと。僕は虐待を受けているんだと、トイレの個室の下の隙間からそっと差し出された手には無数の傷やタバコを押し当てた跡があった。絶句する二人。
この子は、本心では、どんな風に母親に復讐したかったんだろう。殺したいぐらいに思ってたんじゃないの。
実際にテツとシンゴがやったことは、ニセの誘拐事件。子供を切り刻んだという写真を送りつけて母親を脅し、翻弄させるものだった。ムチャな刻限を切ってはあちこちに走りまわらせて、母親はしまいにゃ大量のサンマをブチまけてすっころんだりしちゃうありさま(なんだそりゃ、って、つまり、時間内での大量の買い物を命じられたわけね。ああ、カワイそうなサンマ)。そして最後には、「もう間に合わないよ。子供、殺しちゃったから、神社に死体を引き取りに来て」恐る恐る石段に置かれたゴミ袋に近づく母親。といてみる。五体満足な息子がいる。泣きながら抱きしめる母親。それを遠くから見て、満足そうな二人。
シビアな復讐譚を中心にすえながら、なんでここだけやけに道徳的に甘いんだろ。だってテツは後に警察官から奪った拳銃をホームレスに渡して子供たちを死傷させた時、「今のガキはこうでもしなきゃ痛みが判んねえんだよ」と、多少の犠牲は問題ないぐらいの、吐き捨てるような調子で言ったじゃない。それって虐待をする親たちにだって言えることなんじゃないの。これが痛みを据えることだとは思えないし、こんなことで虐待をする親が更生するなら、そもそもこの親はなんで子供に虐待をしていたの?もっと心の深い部分に問題があるからでしょ。子供の手にタバコの火を押しつける母親が、子供の危機にあんなにうろたえるとは思えないし。いや、虐待してる親でも、子供に対する愛情は、正しい愛情ではなくても持っているという持論なんだろうけれど、事態がそんなに単純だったらそれこそ虐待なんて起こらないよ。
そんな単純に親の愛情をまっすぐにさせることが出来るなら、それこそ苦労はいらない。カウンセリングもなにもいらないじゃない。
そもそも復讐は、他人に託していいものなのか。自分でやり遂げるものなのか。それとも、ただ押し込めて耐えるものなのか。
まあ、二つの復讐劇が終わって、いよいよシンゴの番である。彼がキレているのは光石研演じる、あのねちっこい上司に対してだけじゃないかと思われるフシがあるのがどうも弱いんだけど……。それに彼、せっかく気にかけてくれていた柄本明の一課への橋渡しを蹴って復讐請負人にのめりこんじゃうしさ。本末転倒だったのは彼の方だったような気がするけど。
まあとにかく、警察の体質にキレたシンゴに同調する形で、テツがけしかける。「身内の恥をなにより重んじる奴らだから……」と思いついたのが警察官の拳銃を奪い取ることだった。「俺だって警察官なんだよ?そんなこと、出来るわけないじゃん」とひるむシンゴにテツは何て言ってけしかけたんだっけ……テツの言葉はね、一見文学的で深そうなんだけど、なんか、核心をズバッとついているわけじゃないから、あんまり心に残らないんだよな。彼の言う「クソみたいな人生」っていうのも、トイレ掃除ってだけでそう言っているわけでもなかろうが、彼が何をしたいのか、何かしたいものがないからなのかもしれないけど、とにかくそうまで厭世的になっているのがよく判んないし、あるいはどうも甘さを感じてしまうのは、そんな何でもかんでも世間のせいにされても……みたいな思いがあるからなのかもしれないけど。
ま、とにかく、二人は交番襲撃、拳銃強奪を決行する。そんな文字通りの荒っぽいやり方じゃなくて、用意周到におまわりさんを眠らせて、その隙に奪うという作戦。「こんなに緊張したのは童貞を失った時以来だ……」とつぶやくシンゴ、最後にはテンションあがっちゃってあがっちゃって、やたらと笑いながらどしゃぶりの雨の中、車までかけ戻る。しかしその拳銃がテツによってホームレスに渡り、子供を死傷させる事件を起こしてしまう。
やりすぎだよ、とテツを非難するシンゴに彼は言った。「今のガキはこうでもしなきゃ、痛みが判んねえんだよ」
それは確かに現代の最も問題視されていることであり、論調である。つい先ごろ起こった女子高生殺害事件も(心と痛み、被害者と加害者双方共に)そのことにより起こった事件だろうとは思う。
だから、といって、ホームレスに拳銃を持たせて子供を犠牲にしてしまうことは、加瀬亮の言うように、確かに「やりすぎ」なんだけど……。でも、その言葉がちっとも説得力を持たないのはなぜだろう。「やりすぎ」なんて言葉でテツを止められないのは。
最初から、こういうことをするつもりだったのかと、「オレが警察官だと最初から知ってて、近づいたのか?」と裏切り者を見るまなざしでシンゴがテツを見据えた時、テツはそれはそれは哀しそうな顔をした。言葉で違うと言うのはカンタンだけど、そう言ったらそうだと言っているように聞こえるような気がしているような、そんな、たまらなく、悲しい顔をしていた。
テツには父親がいて、そのエピソードは少し、心に残る。ただこの父親が心を閉ざしていたのか、あるいは精神的な病を抱えていたのか、判らない。あるいは母親はどうしたのか、更に言えば彼はテツの父親なのかどうかさえ。
日がな一日アンテナの合わないテレビ(ラジオ?ゲーム?)をいじくって、テツが電波を合わせてやろうと窓の外に向けてみてもすぐに奪い取ってしまう。ふとテツはいつも自分が食べているスナック菓子を手渡してみる。一心に食べる父親。「なんだ、食べんじゃん!」嬉しそうに言うテツは……もしかしたらその昔、お菓子を禁止されたりしていたのかな。
嬉しそうに、本当に嬉しそうに、箱いっぱいのスナック菓子を買って、廊下を飛び跳ねながら病室に向かうと、父親は窓から身を投げて死んでいた。
でもそれは、本当に死にたかったから、なのだろうか。
窓からアンテナを出して、電波を拾おうとしていた息子を、あの時はひたすら奪い返そうとばかりしていたけれど、つまりは否定していたけど、それに習おうとしたんじゃないの?
あるいは……飛びたかったんじゃないの?飛べると思ったんじゃないの?ここから自由に……この世界を壊して。
「全てを一瞬で消してほしい」そう依頼したのはサキだった。なんかホント、意味なく唐突に出てくるな……。それまでも、シンゴを田舎の両親に恋人として紹介したりなんてこともありつつ、どうも彼女の行動や心理はよく判らない。
まあ、この両親は「こんな目の娘だから友達も出来なくて……」なんて言うところをみると、そういう中に娘を閉じ込めてたんじゃないかってキライはあるんだけど。
この「全てを消してほしい」の全てという解釈を、最終的にテツは多分、自分、ということに解釈して、サキの爆弾で自爆した。まともに考えれば、“全て”は自分以外の“全て”だ。わずらわしい、周囲の“全て”。でも、それは容易ではないし、何より自分を消せば、その“全て”から解放される。いわば逆転の発想。だけどそれって、その“全て”から逃げることなんじゃないんだろうか……。
彼のお父さんが窓から飛び降りたのも、ひょっとしたら同じ発想だったんだろうか。
テツは、見つからないもうひとつの拳銃を持って、自首の形で警察に出頭した。自首……うーん、捜査会議中の部屋に入っていって、無視されたもんだから「すいませんって言ったのに」と言いながら拳銃をバンバン発射し、「これ、返しに来た」ときたもんだ。ちょっと面白いけど……面白いってだけって感じもする。
拳銃の行方をキツい尋問にしぼられていたシンゴ、柄本明演じる刑事からは「もうお前は終わりだよ。死ねよ。後は俺がなんとかするから」とまで言われてボコボコにされて……そんな彼をかばう形でのテツの出頭に、シンゴは戸惑うばかりなのだ。なぜ。彼の真意が判らない。いや、判っていたような気もする。最初から、この結末を彼は待っていたのかもしれないとすら。
東京中で、交番からの拳銃の強奪と死傷事件がいっせいに起こった。つまり、ここにいる二人は完全なるアリバイがあって、罪は問われなくなった。あれほど「お前は終わりだよ」と言っていた柄本明や警察関係者の面目をつぶすような形。テツがどういう手を使ったのかは判らないけど、シンゴの名誉を回復するために他ならなくて、でもそのために、またしてもシンゴのために、多くの命が失われてしまったのだ。
それが、壁に貼られた東京地図に無数に点滅する赤ランプだけで示されるというのは、妙に寒々しく、怖い。
「ふざけんなよ!」シンゴはテツに馬乗りになって殴りつける。シンゴはその前の、柄本明によるボコボコで血だらけで腫れあがってるし、殴りつけられたテツも顔面血だらけだし、なんだか青年二人のそんな図は、退廃的に、妙に、美しいのだ。
どんどんカッコ良くなっていったシンゴをまぶしく見つめていたテツ。
シンゴは最後まで生き残った。投げ上げた爆弾が羽毛を積んだトラックにスポッともぐりこんじゃうなんていう、ちょっと笑っちゃうような偶然までもが味方して。
生き残ってしまうことは、一見カッコ良くない。死ねることの方がカッコ良く見えたりする。
でも、死ねることは、決してカッコ良くない。潔いように見えてしまいそうだけど、やっぱり違う。
シンゴは、一生懸命死のうと思うんだけど、でも死ねないのは、彼が弱虫なんじゃなくて、そういう強い星の元に生まれたってことなんだ。彼は生きる運と、何より生きる勇気を持った人。
死ぬことの方が簡単。一瞬目をつぶればいいだけだもの。
テツはあのバスジャック事件で一度死んだと言ったけど、それは勿論比喩的な意味でなんだけど、結局彼は最後にも自ら死ぬことを選んでしまうし、なんだろう、なんていうか……。その、一度死んでまた死ぬまでの間、彼は本当に生きたいとあがいていたとは思うけど、本当の意味で生きていたんだろうか。俺は一度死んだ人間なんだ。クソみたいな人生はもうイヤなんだと言っていたけど、クソみたいな人生って、どういう人生?みんなクソみたいだし、みんな宝石だし、人生なんて、一体何を基準にして物語ろうとしているの。
想像力があれば、俺も世の中ももうちょっとマシになってるはず。
そんなキャッチコピーだった。
想像力。それは、人の痛みのことを言っているのかなと思ったけど、クソみたいだと思っている人生が、そうじゃないと想像する力も、もっとクソみたいな人生を送っている人もそれを宝石の人生と信じて生きていることを想像する力も必要だったんじゃないのかな。
最初の方、やけにスタイリッシュに画面割ったりして。カットもやけに切ったりして。
こういう主題を語るなら、そして後半になると一切そういうことをしなくなるなら、イメージでファッショナブルにするようなことはしないでほしいなあ。★★★☆☆
んでッ!そのボーイッシュな女の子、メアリー・スチュアート・マスターソンに当たる役を演じているのが林由美香嬢である。どんぐりまなこのベビーフェイスな女の子、というイメージの由美香嬢、オシャレガールである彼女が、ほっぺたを機械油で真っ黒にしているような、自動車修理工の、べらんめえの男言葉の、チャキチャキッとしたキャラクターだなんて意外なんだけど、でもこれがもしかしたら、他で観る女の子女の子した彼女よりずっと似合っている。それは、この日のトークショーで彼女の親友である吉行監督が、「江戸っ子みたい」と評しているのとピタリとくるんだよね。ハマるのはそのせいかなあ。それは「恋しくて」のメアリーのボーイッシュさとはまた違って、その役よりさらにサッパリしてて、さらに自分の気持ちを表に出さない感じなんだけど、それがまたキューンとくるのよ!
ヒロインではないの。「恋しくて」はまさにその役がヒロインだったけど、これはピンク映画だからということもあって、その男の子が好きなイケてる女の子、にあたるスッチーの沢木まゆみがヒロイン。「玉の輿に乗るためにスチュワーデスになった」と言ってはばからないこの彼女は、高学歴高収入の男たちとの合コンが生きがい。最後には「アラブの石油王たち」との合コンまで企画されちゃうんだから(これには爆笑!)。飛行機の中で大ファンである大御所の役者(高額納税者であることはハズせない)に出会えば、たっぷり“サービス”しちゃうしさ。
このスッチーたちとの合コンに医者だと偽って参加し、彼女にそのことを言えないままにずるずるとつき合ってしまう青年。彼女は彼がしがない自動車修理工であると知るや、もう即座にすげなくするんだけど、ずっと付きまとっていたストーカーの凶器から彼女を救ってケガを負ったことで、ちょっと考えちゃって、しおらしくなっちゃって、もう一回エッチとかしちゃう。でもやっぱり玉の輿が大事で、結局、彼の元から去っていってしまうのね。ま、でも彼にとっての本当に大事な人が、林由美香嬢演じる女の子だってことを、そのスッチーの彼女は気づいたってことなんだろうが……つまりは、青年が彼女にプレゼントしようとした指輪が、それを選んだ由美香嬢の指のサイズだったから。オリジナルと同じく(そういう展開だったような気がするが、メアリー・スチュアート・マスターソンに気をとられていたから、ヒロインの役柄がどんなんだったか今ひとつ覚えてないけど)彼には惹かれていたとは思うけど……。
だから、ね。由美香嬢の役柄は実にオイシイんだよね。何せ一番目立つし、一番共感を得るし、カラみは最後、青年とようやく思いを添い遂げる一場面しかなくて、芝居を全面に見せている印象なんだもん。彼女自身もそう語っていたみたいだし、共演した女優さんたち、この日トークショーに来ていた、役柄的には三番手、四番手となる、ヒロインの同僚でやっぱり合コン狂いの、合コンの場で即ヤッちゃうイケイケのスッチーを演じた風間今日子氏も言っていたもの。「由美香ちゃんの役、おいしいよね」って。こういう話を聞くと、やっぱり役者としての火花が散っているんだなあと思うんだよね。トークショーやメイキングや撮影裏話の記事なんか読んだりすると、ピンク映画界って同じスタッフ、同じ役者が順繰りって感じの狭い世界なんだろうけど、それはつまりすんごく家族的で、信頼し合っててっていう、一般映画界や一般芸能界にはない世界でさ、それは馴れ合いとも言えるのかもしれないけど、でもかつての日本映画の黄金期、松竹映画の世界では何度も同じ顔合わせだったり、みたいなのと似てるんじゃないかなって気がするんだよなあ。
でも、脇役も、光ってる。この風間今日子氏の、女子プロレスラーっぽい(ごめんなさい!)迫力のエロスッチーは、こんな野性的なスッチーいるかよ!って存在感だし。彼女が合コンをブッキングするために、飛行機内で急病人が出たとウソをついて医者を捜し当て、「私が患者よ」と制服のボタンをはずして黒いエロなブラに包まれたムッチリしたバストを見せつけるところとか、合コンでトイレに連れ込んで、ムリクリヤラせてるって感じの有無を言わせないってところとか、これまたヒロインカンペキに食っちゃってるんじゃないのお、というキョーレツさなんである。
うん、ヒロインの沢木まゆみ、分が悪いよね。確かに全編出ずっぱりだし、全編ヤリっぱなしだし(笑)、カワイイし、すばらしい美乳だし(私の知ってる女優さんの中では、彼女が一番の美乳の持ち主だな。大きさといい、形といい、バランスといい、色といい、見た目の柔らかさといい、完璧)。でもだからこそ、ちょっと印象が薄れるんだよね……これは基本的にはコメディだと思うし、出ずっぱりの彼女に任されるコメディ部分もかなりあるんだけど、風間嬢や由美香嬢の上手さと比べるとどうしても印象が薄くなってしまう。
だから、実質ヒロインになってしまった“オイシイ”役である由美香嬢のシーンがいちいち印象に残る。スッチーの彼女へのプレゼントを買いに行こうとする彼に、「お前、センスないからな、ついてってやるよ」と背が低いのに、背伸びして彼の肩を男の子っぽく抱いたりするちょっとした強がりに、キューンときちゃうしさ。二人のデートに「コイツをいっぺん転がしてみたかったんだ」と、客から預かってる黒塗りの車を勝手に使って、自ら運転手となってデートについていき、勿論そんなの口実だから、ホテルにシケこんじゃった彼と彼女に、フクザツな、寂しげな表情を見せるんだよね……このシーンは由美香嬢自身、すごく思い入れがあったらしい。本番ではテストよりじっくり芝居して、フィルムの予算のない監督は早々にカットをかけちゃったから、彼女は「まだ芝居してるでしょ!」と怒ったんだという……この世界に長くいて、合理的にプロフェッショナルに仕事をこなしている彼女、そんな風にこだわるのはとても珍しいことだったんだって。確かに監督は早々とカットを切っちゃってるけど、噴水のところで所在なげにしている彼女のシーンが一番印象に残ってるんだよね……まさしく、「恋しくて」の切なさを100パーセント体現している時間なんだもん。
遺作となった「プリティ・イン・ピーチ」でも相手役だった岡田智宏がここでもお相手。最初はね、やっぱりこんな若くして亡くなってしまった林由美香嬢に目がいってしまっていたんだけど、この彼が、ちょ、ちょっと素敵でさ。「恋しくて」がベースになってるこの話だから、ここでの青年役なんてホントなんつーか頼りないんだけど、その頼りなさが母性本能を刺激するっていうかさあ……何かそのいかにも頼りない、やさ男、っていうほどに色男系でもないな、何かとにかく、絶妙に柔らかな雰囲気がさあ、ヤバい……かなりキュンときちゃうかも。
ああ、ホントに「恋しくて」だなあ……本当はね、ヒロインが由美香嬢より力のある女優さんだったら、イケイケのスッチーながらも心揺れてたりする微妙な繊細さは設定としてあったわけだし、ヒロインに監督の力が向いてたら、やっぱりヒロインの映画になってたと思うんだよね。やっぱり林由美香のキャリアと存在感がモノをいっちゃったんだろうなあ……ピンクにおいて、カラミがたった一場面っていうのが、運命的な感じで、更に印象を強くしちゃったんだと思う。★★★☆☆