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「け」


2007年鑑賞作品

ゲゲゲの鬼太郎
2007年 103分 日本 カラー
監督:本木克英 脚本:羽原大介 本木克英
撮影:佐々木原保志 音楽:中野雄太/TUCKER
出演:ウエンツ瑛士 井上真央 田中麗奈 大泉洋 間寛平 小雪 中村獅童 谷啓 田の中勇(声) 利重剛 橋本さとし YOU 室井滋 西田敏行


2007/5/13/日 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
大泉先生がねずみ男と聞いた時から、今までのどんなビッグプロジェクト参加よりもワクワクしてた。だってこれは、旬の俳優だからとか人気者だからとか先物買いだからとかじゃない、本当にピタリのハマリ役だからこそのキャスティングなんだもん!
前半部分なんて、まるで主人公はねずみ男。「ビビビのねずみ男」だったんだね、ゲゲゲの鬼太郎に対して。あんまり聞き覚えはないけど、確かにそうだったような記憶があるような。

大泉先生に関しては、かなり彼に任せて自由に演じさせたんじゃなかろうかと思わせる奔放さ。特に鬼太郎に浴びせ掛ける台詞は、いちいち吹き出してしまう。
「マセやがって。髪切ろ」(ま、これは正確には切れ、だよね。きろ、は着ろだもん)「またハゲるぞ。一時的に」(鬼太郎が髪の針攻撃した後に、つるっぱげになっちゃうのには爆笑!アニメでもあったかなあ……覚えてない)「ヤッチマイナ!」(そりゃ、「キル・ビル」だろ!)「クサイか、クサイか俺の息は!」と、クサイ息だけじゃなくところかまわず屁をこき(これはファンとしてはちょっと哀しい(笑)。ま、ねずみ男なんだから仕方ないけど)しかもヒマ潰しにニンテンドーをやってるなんて、宣伝じゃねーか。遊びすぎだろ!確かにとてつもなくよーちゃんではあるのだが、とてつもなくねずみ男なんだもん!

しかし何たってその風貌、他のどのキャストよりも、コミックスからあるいはアニメから抜け出たよう!今までハマリ役って言葉をあちこちで使ってたけど、この時のためにとっておくべきだったと思うほど。これは大泉先生びいきで言うんじゃなくて本当に驚き。
そりゃねずみ男をやると聞いた時には、あまりにピッタリなんで笑っちゃったほどだったけど、その想像さえはるかに越えるほどのハマリっぷり。こすくてずる賢くてしかし底の浅い性質、だけどなぜか憎めないところまでがもうピッタリ!いやいやいや、彼がずる賢くて底が浅いというわけじゃなくてね!
ねずみ男は人間の弱さを体現しているから、どんなに彼が汚いマネをしても許せちゃうのはそのせいなんだよなあ。確かに悪役ではあるんだけど、鬼太郎とは“腐れ縁”という名の友達であり、敵ではない。そこがアンパンマンにおけるバイキンマンとは違うところなのだ。友愛の精神。
でもこういう感覚は、やっぱり男の子だよなあと思う。男の子のうらやましいところ。女は自分にデメリットを加えるヤツは容赦なく切っちゃうもん。

で、ねずみ男が主人公の鬼太郎を完全に置き去りにしてやりたい放題動き回る前半部分は、物語展開の原因を作る。大泉先生の怪演もあってとにかくシュールで、魅力的。だから、鬼太郎が活躍する後半部分はマトモすぎて、ちょっとつまらないのよね。
そうなのだ。本木監督にはもっともっととらわれずに、ムチャクチャにシュールにやってほしかった。私はいまだに彼のトンデモデビュー作、「てなもんや商社」のぶっとびぶりが忘れられないのだもの。ぶっ飛んでもきっちり映画を成立させる腕っぷしの強さを持っているとデビューで証明したからこそ、余計に。その後、釣りバカという大看板を任された時にも、どうしても制約があったし。
鬼太郎の世界観を、特にキャラクターを再現させることこそが大命題なんだから、ストーリーを成立させることなんて考えなくても良かったのに。とにかくキャラだけ立たせてムチャクチャやってほしかった。

まあ、企画から足かけ5年とか言われると、そりゃまあこっちとしてもついひるんじゃうんだけどさあ。
でもね、そもそもきちっとした物語展開っていうのは原作、あるいはアニメでもう確立されているんだから、多分誰もそこに期待はしてなかったもの。ゲゲゲの鬼太郎という世界を実写でどれだけ再現できるか、そこだけに興味があったんだもの。
だからそこを成立させて満足させた後に、なおかつストーリーがきちっとしちゃうと、意外性がまるでなくて、タイクツしちゃうのね。しかも映画の尺は2時間もある。30分のアニメ尺とは違うんだもん。
妖怪の世界ってのは現実的に考えればシュールであり、コミックから材をとっていれば余計にそうなんだけど、誰もが知っている超有名な世界観だから、シュールに徹しきれない部分があったのかなあ。
なんたって足かけ5年だもんね(しつこい)。

物語が原作から離れてオリジナルだというのも、ストーリーをまともに語ろうと肩に力が入る原因だったかもしれない。
その物語展開を語っていきますと……稲荷神社のある裏山に「あのよランド」なるテーマパークが建設されることになり、住民たちの反対運動の中、工事は強行されている。ねずみ男はエラい人間に媚びを売り、地上げの片棒をかついでいる。
妖怪のたたりがあると恐れる工員たちに、「妖怪なんていないんだよ」と吐き捨てるように言う人間の前で「目の前にいますけどね」とこっそり言うねずみ男=大泉先生に思わず噴き出しちゃう。だって彼が妖怪に見えないこの人間こそがちょっとオカしいもんなあ。出っ歯だけならともかく、あんなヒゲが生えててだぜ?

人間を脅すためにと、安い時給で妖怪たちをこきつかってたのを鬼太郎にジャマされたねずみ男は、今度はケチな盗みを始める。賽銭箱をひっくり返しては「最近の人間は信心がなってないね」と勝手なことを言う始末。
そして妖狐たちの住み処で、彼は光る石を発見する。それは、妖狐の世界で守られてきた妖怪石という強大な力を持つ石。バチ当たりなねずみ男はそれをまんまと盗み出してしまい、騒動が持ち上がる。質屋に二束三文でうっぱらったそれを、たまたま居合わせた人間が目にし、その弱っていた心につけこまれてつい持ち出してしまった。彼は二人の子供を抱えてリストラに会い、しかも持病を抱えてあえいでいたもんだから。

その彼の幼い息子、健太はお父さんがそんなに苦しんでいるとは露知らず、妖怪たちに怯える団地の皆を心配して鬼太郎に手紙を出していた。
姉の実花は妖怪なんていないのよ、と弟をいさめる。しかしそんな二人の前に鬼太郎は現われた。
そして、質屋の窃盗事件で二人のお父さんがつかまってしまったこと、それが妖怪石であることから、妖怪世界でも騒ぎになる。実は健太がお父さんから預かっているのだけれど、男と男の約束だからと、彼は固く口を閉ざしたままなのだ。しかも拘留中、健太のお父さんは死んでしまう。
一方、こともあろうにねずみ男は鬼太郎こそが犯人だと裏切り、「満月の夜までに妖怪石を取り戻さなければ、目玉のおやじと砂かけババアを釜茹でにする」という条件を突きつけられてしまう。
鬼太郎はお父さんの死を信じない健太を、黄泉の国まで連れて行くことにする……。

二人のお父さんを演じるのは利重さん。いやー、やっぱり切ないお父さんっつったら利重さんよねー。なんか見る度ますます哀しい顔になってるもんだから、ちょっと心配になるぐらいである。きっと彼はいい人すぎるのよね。そういやー、彼の新作はいつ見られるんだろう。「クロエ」からもう久しいなあ。
そして妖怪世界に接触する人間の、二人の姉弟。特に弟はキーパーソンとなるのだから、もっと追い込んでせっぱつまった演技をさせてほしかった。
なあんてね、それじゃ最初に言ってたことと違うけど、それこそストーリーの完成を図るばかりに、そこんところがおざなりのような気がしたんだもん。そりゃ大人キャストは自由に演技の火花を散らすことでスパークする面白さがあるけどさあ……。

そうなのよね。妖怪に扮する大人キャストたちは、特殊メイクによるソックリキャストになる以上に、大人にとってノスタルジーであるゲゲゲの鬼太郎の世界にいかに近づけるかに、それぞれが楽しみながらも腐心している気がするんだよね。ある程度以上の年齢のキャストは、そのことを意識して演っていると思われるのだ。大泉先生を境目に、砂かけババアの室井さんも、子泣き爺の寛平さんも、あまりなじみのない輪入道の西田敏行氏でさえも。
でも若いキャスト、主人公の鬼太郎に扮するウエンツ君や、猫娘の麗奈ちゃんはそれにとらわれていない。それには彼ら自身の若さこそが出ている。それがいいのか悪いのか、ちょっと悩むところなのだ。

まあ、ウエンツ君は、彼の風貌で鬼太郎?と最初に感じた違和感ほどには、ヘンには思わなかったけど。その端正でキュートなルックスは、妖怪世界の良識である鬼太郎に案外フィットしてた。
実花を連れ出しに彼女の通う学校に乗り込む鬼太郎がどこの生徒かと聞かれて「墓の下中学中退です」とマジメに切り返すからウケる。そうだったのか……ギャグじゃなくて?この映画版だけの設定なのか、それとももともとの?しかしなぜ中退なのだろう……。
鬼太郎役に関しては、製作側は当初、堂本剛をイメージしていたという。判る気がする。鬼太郎の持つ、ちょっと斜に構えたドライさが剛君にはあるもんね。でももしそれが実現してたら、またしてもアニメの実写のハマリ役になっちゃって、剛君自身としてはあまりいいことじゃなかったかもな。

で、猫娘に関してはそういう意味も含めて、若いのに往年の漫画にもどっぷり思い入れのあるしょこたんにやってほしかったなー、などと妄想するんである。ワタクシ、彼女のお父上の正体を知って以来(ちょっとファンだったのだ)、すっかりしょこたん贔屓なのであった。
私のイメージでは猫娘に麗奈ちゃんは、ちょっとトウが立ちすぎてる上に、お行儀が良すぎるんだもん。
だってさ、赤いワンピースの下に黒いキュロットをあしらったデザインは許せんでしょ。これはもう、優等生の麗奈ちゃん仕様だとしか思えんではないか。
猫娘はそのまんま赤いミニのワンピースだからいいんでしょ!そのカッコで無防備に足広げて座ったりするからイイんでしょ!それぐらい萌えさせてよ!

ところで、鬼太郎は健太のお姉ちゃんの実花と、お互いほのかな恋心を覚えるわけよね。
妖怪なんて信じてなかった彼女が鬼太郎と出会い、一反木綿に乗って空を飛んだり、輪入道の蒸気機関車に乗って黄泉の国へと旅したり。
輪入道には子泣き爺が連絡をつけてくれる。しかし、「電話があったよ」って、電話で連絡するのか……。「あいつとは100年会ってないな。元気か」と大きな顔の周りをぐるりと炎で囲んだ輪入道は鬼太郎に問う。「全盛期の2トンを保ってますよ」全盛期て……。
そして子泣き爺と彼が再会したとき、「100年ぶりか、100年ひと昔だな」という台詞が、人間世界とのギャップを上手く言い当ててる。

輪入道は鬼太郎にカネはあるのかと問う。「1年分の妖力を使うんだよ!カネをもらわないと……」妖怪世界もなかなかにシビアなんである。「……分割でいいですか」おいおい、天下の鬼太郎がそんな寂しいこと言わないでくれよ……。
輪入道は鬼太郎に、ある頼みごとを叶えてもらうことを条件に、この仕事を引き受けるんである。ここでは彼はそれを伏せるけど、別に引っぱる必要もないよな。つまりろくろっ首との夫婦仲の仲裁をしてほしいっちゅーことだったのだ。
そのろくろっ首を演じているのがYOU。妖艶でキュート。
そして、鬼太郎、健太と実花、子泣き爺を乗せて、黄泉の国へと列車が走る。そん時ウエンツ君の歌う主題歌が、なぜだかやけに中途半端に流れるのが、なんだかなー。

その機関車の車中で、ふと鬼太郎の頬に触れてみる実花。
「私、触れるものは信じるの」そう言ってニッコリとする彼女。
だけど何百年も生きる妖怪と人間が恋したら、末路は見えている。
黄泉の国で、二人を残していくことを心配するお父さんに「僕、付き合いますよ。仕事もないですし」と鬼太郎は言う。それは、誰もが知っている有名な主題歌、試験も仕事もなんにもない、に通じる台詞である。アニメを見ていた頃は、それが“楽しい”と単純に憧れたもんだけれど、大人になってしまった今は、どうだろう……。

追ってきた妖狐たちと妖怪石をめぐるバトルが再勃発。そこに彼らのカリスマで、唯一マトモな妖狐である天狐さまが現われる。演じるは小雪。白く光り輝く彼女に輪入道が、つーかまんま西田敏行が「きれいだ……」とほけっとつぶやくのが笑っちゃう。
彼女は鬼太郎に妖怪石を託す代わりに、こんな条件を持ちかける。
「最近、稲荷神社に油揚げが供えられなくなったのです。全国の稲荷神社に油揚げが供えられるようにしてくれますか?私たちは油揚げが大好きなんです」
この映画がきっかけに、全国の神社に油揚げが供えられちゃうのだろーか。う、うーむ。
でもこれは、日本人の慎ましさを象徴する信心が失われたこと、その傲慢をいさめる意味合いなのだろうな。
ううう、ちょっと道徳的だぜ。

ところで、特撮になって見事な3Dとなっても、実にカワイイ目玉おやじなんである。もー、自分の手で茶碗風呂に入れてあげたい可愛さ。
あれはマトリックスかなんかをパロってるんだろうなあ、目玉おやじが空中でストップしてカメラがその周りをぐるっと回るのがさ、目玉おやじだから、やけにカワイイのよね!あわや釜茹でにされるというシーンで、「人生の最後に割り箸でつままれるとは……」っていうのもたまらなく好きだ。あー、私も目玉おやじの足を割り箸でつまんで、逆さにしてみたいっ。
でもこの目玉おやじはいつも息子のためを思って、彼の恋路をジャマするのだ。とゆーのは、「またお父さんにやられちゃったね」という猫娘の台詞で判る。今回も、目玉おやじの親友、モノワスレ(谷啓)によって、姉弟の記憶から鬼太郎は消し去られた。
長く生きるから、人間に恋しても諦めざるを得ない切なさは、きっとこのお父さんこそがよーく知っているんだろうと思われる。

妖怪たちの声にヤスケンが参加しているのは知っていたのだが、結局気付けなかった……悔しい。天狗ポリスの声かあ。ああ、意識して聞きたかった。
本作の妖怪は、少なくとも「さくや/妖怪伝」よりはリアルな世界観であるけれど、でも畏怖というよりはファニーさが勝つ。
今の子供たちは、どれほど妖怪世界に畏怖を持っているのだろう。
私の記憶では、ゲゲゲの鬼太郎の世界に親しみながらも、子泣き爺や小豆洗いの不気味さに、寝つかれなかった覚えがあるもんだからね。★★★☆☆


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