home!

「き」


2003年鑑賞作品

キス★キス★バン★バンKISS KISS[BANG BANG]
2000年 101分 イギリス カラー
監督:スチュワート・サッグ 脚本:スチュワート・サッグ
撮影:トニー・ピアース=ロバーツ 音楽:ジョン・ダンクワース
出演:ステラン・スカルスガルド/クリス・ペン/ポール・ベタニー/ピーター・ヴォーン/ジャクリーン・マッケンジー/アラン・コーデュナー/マルティン・マカッチョン/シェンナ・ギロリー


2003/1/7/火 劇場(シブヤ・シネマ・ソサエティー)
上映終了後、すっかり大泣きして、あー、良かったあ、と感激している私の前を行くカップルの女の子の方が「なんか中途半端だったねー。喜劇だか悲劇だか判んない」などと言っているのが耳に入ってきた。で、男の子の方が沈黙してるの。君、君、そんな彼女とはもう別れちゃいなさい!?だってねー、君は私とご同慶の至りでしょ?大体、人生は悲喜こもごもだから面白いんじゃないの。悲劇の中に喜劇あり、そしてその逆もまた真なりよ。喜劇か悲劇かハッキリ決まっているのがエーガだとでも思っているなんて、そりゃあアンタ単純映画に毒されすぎよ。ま、ただ単に好き嫌いの問題ではあるんだけど……だって、私はもう、大好きだもん!悲劇か喜劇か、などというつまんない問題以前に、好きにならずにいられない要素でギッシリなんだもん。ひと言で言えば、センスがいい。特に音楽のセンス。私はよく知らないんだけど、知っている人なら泣いて喜ぶ様なクールな音楽家を起用しているらしい。懐かしい、というほど、そんな音楽が生きていた時代を経験しているはずはないんだけど、確かにこの感じは……男のカッコよさ、女のカッコよさが疑問の余地なく存在していた頃の感じ。タイトルにもなってる主題歌に象徴されているヒップでアヴァンギャルドな“懐かしさ”と、モダンジャズを思わせる王道の“懐かしさ”。あー、もう、いいなあ、これ、サントラ欲しい(で、買っちゃった)。そっか、これ、イギリス映画なんだ。失業者問題じゃないイギリス映画は久しぶり?しかし、なるほど、この小粋な感じは、アメリカじゃ出ないよね。ヨーロッパの香り。役者の国籍もホント、多彩だし。

狙撃に手間取る殺し屋のシーンで始まる。腕の衰えを自覚して引退を決意した殺し屋が、次の職業として得た箱入り息子のお世話を通して、今まで得られなかった普通の人間の愛情を得る物語。組織は異例である彼の引退を許さず、執拗に命を狙ってくる。でもその中で、彼を守ろうとしている弟分がいて、これもまた泣かせる(後述)。殺し屋の造形も現代の映画で見られるようなキナくさいものではなく(いや、まあ、キナくさいには違いないのだけれど)、特に主人公のフィリックスのいでたちは、古い男のダンディズムにこだわる彼らしく、ビシッとグレーのスーツにネクタイ、コートにソフト帽。何だかハンフリー・ボガードかオーソン・ウェルズみたい。演じるステラン・スカルスガルド、見たことはあるんだけど、どこで見たのか思い出せない……んだけど、彼が凄く、イイんだよね。もうすぐ50の殺し屋、ということは40代なんだけど、ちょっと老けて思えるのは、この古いダンディズムを貫いているせいもあるかもしれない。いつも苦虫を噛み潰したような顔してて、ほとんど表情が変わらないんだけど、でも彼がこの箱入り息子、ババと出会って、彼のことをどんどん好きになっていくのが、判るの、不思議と。長い付き合いのガールフレンドになかなか愛していると言えない(ちょっと待て。もしかしたら最後まで言っていないんじゃない?)あたりもいいんだよなあ。

そしてこのキーパーソンになるババ。33年間、父親の異常な溺愛のもと、おもちゃでいっぱいの子供部屋から一歩も出してもらえなかったババ。33年間も、だなんて、そのことに一度も疑問を感じなかっただなんて、ちょっと無理があるような気もするけど、前述の殺し屋の造形といい(あれだけの弾丸の雨あられの中を突っ走って傷一つないというのも、ルパン的なほどにマンガチックよね)、ある意味これはどこかファンタジーと言ってもいいかもしれないのだから、問題ナシ。このババ、頭がヨワいというわけではないんだろうけれど、33年間、ただただ子供として育てられた彼はとにかく幼くて、動きに合わせてきゅいきゅい鳴くキリンのぬいぐるみ(可愛すぎる……これはグッズで作るべきでしょ)をいつも抱えているような“男の子”。でも、フィリックスと出会い、つまり初めての他人と出会い、急速に大人の男としての成長を遂げていく。それはフィリックスもまた、どこかババに似て、不器用なまでに純粋なところがあるから、そう、似ても似つかないと思ったけれどこの二人、似た者同士だったのかもしれないのだ。酒と読書と女、だなんていう大人の男のアイテムも、ババは実に純粋な受け止め方をして身につけていく。ババとフィリックス、二人して足を投げ出して並んで(別の)本を読んでて、偶然同時に笑い出すあの場面とか、何か二人、親友!って感じがして、もうホント、大好き。

それにしてもこのババを演じるクリス・ペン。こんなにイイ役者だったっけ?このキャラクターは、兄であるショーン・ペンが演じた「I am Sam」のサムを思い出させなくもない、んだけど、この無邪気であどけない笑顔は断然、彼の方が似合う。もう、目とかクリクリなんだもん。このキリンのぬいぐるみを抱いている姿が、似合うこと!激しい銃撃戦に身を隠してた彼に、フィリックスが「大丈夫か」……彼はビックリして無言のまま、キリンがかわりに「きゅい♪」たまらーん!紙幣の価値が判らなくて鎖状につながる紙人形を作っちゃったり(手先、器用ね。でもね、怒ったフィリックスにお尻ペンペンされちゃうんだよお)空も見たことなくて、不思議そうに天を仰ぐ姿とか、初めての雨に感激してそれに向かって口を開けるとか。そうそう、これは、子供時代、誰もがやったことだよね。本当は雨なんて汚いもんなんだけどさあ(特に今はいろいろと問題アリよね)でも、やるよね、これって。雪とかでも。そんなババを見て遠い昔を思い出したかのように、フィリックスもまた、どしゃ降りの雨の中、天を仰いで口で雨粒を受け止める。でもそれは、命を狙われている最中だったりするんだ……。

彼は殺し屋だし、殺し屋の組織が彼を狙ってくるし、だからその銃撃戦によって殺し屋たちはバンバン死んでいくし、こういう銃撃戦で人がバタバタ死ぬ、というのは、今まであまたあるアクション系映画でさんざん観てきたことではあるんだけど、でもこの物語で描かれているのが、命の尊厳、ということなのだ。死ぬことでの引退ではなくて、引退して生きることを(彼自身は、殺し屋のプライドがそうさせたんだと思っているんだろうけど)選んだフィリックス、そしてその父親、ダディ・ズーはガンに冒されて死の淵で、でも何だか死ぬことに憧れを感じているような元気なジジイで、フィリックスの長い春のガールフレンド、シェリーは、お腹に彼の赤ちゃんがいて、そして生まれて33年後にして初めて“生きた”ババは、まるで生き急いだかのように、フィリックスの身代わりになって死んでしまうのだ。このあまりに哀しい結末には、ど、どうして!?どうしてババを死なせちゃうの!?どうしてハッピーエンドにしてくれないの!と叫びたくなったけど、でもババがダディ・ズーが教えてくれたように木の下で尊厳を持った死を迎えた時……フィリックスの腕の中で、「弾丸はもう飛んでいったよ。僕も飛んでいかなきゃ」と言った時、その不思議に幸福そうな、涙をたたえた笑顔を見た時、もう何にも言えなくなっちゃったんだ。

この場面の前、一度ババは父親のもとに帰っている。もともと、父親の旅行中の間だけ、の契約だったのだ。息子を外に連れ出したことにこの父親は大激怒し、「あなたには父親の気持ちが判らない」とフィリックスに対して言う。シェリーのお腹の子供にまだ動揺しているフィリックスには、それに返す言葉がない。でも、フィリックスにこそ初めて“育てられた”ババは、父親の制止を振り切って、再び外へと出るのだ。今度は自分の意志で、たった一人で。その時フィリックスは、ターンテーブルにかけられたレコードにぽつぽつ降ってきた、窓から入り込んだ雨粒に気づいて窓を閉める。と、後ろにババがいるのだ。言葉もなく抱き合い、そのままレコードの音楽に合わせてダンスする二人の姿に幸せの涙を流したばかりなのに、その雨にそのまま連れていかれるかのように、ババは逝ってしまった。愛するミューズ、ミアと、ババが大好きな子供たちに見守られて。

死んだババを引きずって引きずって、床に血の跡をべったりつけて部屋まで運んで、ソファに横たえさせるフィリックス。クローゼットにかけられた殺し屋時代のスーツを見つめ、それまで着ていたラフな、つまりはラクチンなかっこを全部脱ぎ捨てて全裸になって、イチからその戦闘服を身につけ始める。ババの復讐戦、とばかりに、殺し屋の地下組織に乗り込むフィリックス。でも、でもね。実はフィリックスがこんなにも大勢の殺し屋につけねらわれてたのに、今まで生き延びられたのは……彼を密かに守っていた弟分がいたからなんだよ。彼に全てを教えられ、「臨終名言集」を受け継いだジミー。でもフィリックスにずっと誤解されてて、つまり、先頭切って自分の命を狙っているのはジミーだと、育ててきたのに恩をアダで返されたって思われてて、でもこの時初めてフィリックスは、息も絶え絶えのジミーから真相を聞くのだ。ジミーは、ホント、さすがフィリックスが育てただけあってとても腕がよくて、大勢の仲間たちの銃撃から、その仲間たちにもバレずにフィリックスを守り続けることができるほどで。でもそのそれた弾がババに当たるなんて、彼にも予想外だったんだ。だって、彼にとってフィリックスを守ることしか、頭にはなかったんだもの。ある意味、ジミーにとって、ババはライバルだったのかもしれないんだけど……。自分がずっと憧れ続けてきたフィリックス。その気持ちをようやく、ここで……ああもう、泣くのよ、ここも。破裂した水道管の水浸しの中、もう声を出すのもやっとのジミーをその腕にかき抱くフィリックス。その画に泣かされちゃうのよ。

この男たちの物語の中で、女性陣もまた実にステキなんだけど、まず、ババのミューズ、ミアを演じるマルティン・マカッチョン、チャーミングだったな。二人が出会ったのは酒場なんだけど、ババの純粋な魂に素直に反応して、バリー・ホワイト好きで意気投合して、ダンス、キス。このキスの違いを教えたフィリックスのガールフレンド、シェリーもまたいい。演じるジャクリーン・マッケンジー。見たことあるよな、と思ったら「エンジェル・ベイビー」で見ていたんだけど、私あの映画がどうにもダメで、心から追い払っていたらしく、すっかり忘れてた。いつもニコニコの美人で、凄く感じがいいの。フィリックスとのセックスの激しさがスゴかったけど。洗濯機の上で地震かと思うぐらいにガタガタ音たてて、それをババがチキンを食べながら見学している(笑)。彼女がね、「そんなに子供が欲しいのか!」といわば逆ギレするフィリックスに鼻白んで、「これが最後の家族写真よ!」と叩きつけた子宮のエコー写真。彼女は、きっと、いつ死ぬかも判らないような殺し屋稼業をしているフィリックスだからこそ、彼との子供が欲しいってずっと思っていたんだろうな。そしてフィリックスは、殺し屋が子供なんて、家族なんて、持っちゃいけないって、それは多分、殺し屋の掟として戒めていたんだろうな。

でもラスト、ね、結局海を見ることがかなわなかったババの生まれ変わりのように、生まれた二人の赤ちゃんをフィリックスが抱いて、彼こそがはしゃいで波打ち際まで走っていって、赤ちゃんの足を波につからせてあげるラストシーンがね、それはババがダディ・ズーからもらったフィリックスの赤ちゃんの時の写真とソックリにダブって、あまりに幸福なラストシーンで、ああ、きっと、いや確かに、そこにはババがいるって、そう思って、もう泣いちゃうんだ、こらえようもなく。ね、いい映画でしょうが!★★★★☆


キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンCATCH ME IF YOU CAN
2002年 141分 アメリカ カラー
監督:スティーブン・スピルバーグ 脚本:ジェフ・ネイサンソン
撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:
出演:レオナルド・ディカプリオ/トム・ハンクス/クリストファー・ウォーケン/マーティン・シーン/ナタリー・バイ/エイミー・アダムス/ジェニファー・ガーナー

2003/4/30/水 劇場(有楽町日劇PLEX)
上映終了直前まで、何となく観ようかどうしようかとうっちゃっておいたのは、相変わらずのこの投げっぱなしの邦題と、近年の自己満足系ヒューマニズム映画がどうにも気に入らないスピルバーグ作品であるということで、うーん……と思っていたのであった。おっとっと、危ない危ない、そんなんでこんな面白いのを観逃しそうになっていたなんて、危ないッ!そういえば、スピルバーグ監督、前作もエンタメ系だったんだっけ、「マイノリティ・リポート」ね。これははなから観る気がしなかったのは……トム・クルーズだったからよ。はっはっは。同じトムでもハンクスなら観にくる気になる……なんて、トム・ハンクス映画も、最近じゃああまり丁寧にチェックしなくなったけど。

で、レオナルド・ディカプリオがそうそう、この人は上手い役者だったんだよね、ということを久々に思い出した。やっぱりあの「タイタニック」からこっち、ハンパじゃないスターになってしまった彼はまだまだ役者としてはガキの部類に入るにもかかわらず、企画や役柄に首を突っ込みすぎな感じがして……つまりは、彼が引っかき回すことによって結局は単なるわがままスター映画になり下がってしまうような、そんなことが続いて、しかも彼、怠慢したのかもともとそういう体質なのか、あるいは年頃だったのか、太っちゃったりして、あーあ、あの少年期の、まさしく名優だった彼はどこいっちゃったの、やっぱりハリウッドは才能を潰すのかね、とか思ってかなりガッカリしていたんだけれど……さしもの彼も落ち着いたか、久々に、そういう部分とは全く切り離された、名優ディカプリオを見ることが出来た。

ま、スピルバーグ作品でトム・ハンクスと共演、だなんて確かにそれこそスター映画に違いない。でも、このオールド・ファッションな魅力と、なんといってもこの物語の破天荒さを一身に支えるキャラクターをさらりと演じてしまう彼には、思わず、ぉお、と(しんのすけ風)感心してしまう。少年期から小切手偽造を軸にして荒らしまくったこの天才詐欺師のエピソードは、確かに一つの詐欺だけで一個の映画が作れちゃうぐらいなのに、全てをつぎ込んで、ひとつの映画にしてしまうというこの贅沢。そう、観る前は結構な上映時間にびびって、それも足を遠ざけていた原因だったんだけど、ちっとも長く感じなかった。外に出て暗くなっているのにビックリしたくらい。そうだよ、スピルバーグ監督、こういう映画を撮ってくれてたら、いいんですよ。その昔はアドベンチャー映画でワクワクさせてくれて、長じて大人のこういうシャレた映画を作ってくれるなら。カン違いのヒューマンドラマを撮るんじゃなくてさあ。でも、こういうの、つまりエンタメ系の映画であっても、ファミリー向けワクワク映画から、大人を楽しませてくれる映画へと、監督でもこんな風に成長することってあるのかなあ、と思ってしまう。それほどに、シャレていた。

だって、何か、ハンフリー・ボガードとか、オーソン・ウェルズとか、そんなオールドファッションな魅力を充分に堪能させてくれちゃうんだもん。この実在のアバグネイルという詐欺師は、そういう映画が人々を魅了していた時代に活躍?していたわけだから、彼自身がそうした粋な映画を観て詐欺の手口を研究する、なんていう場面も出てくるし。実は私、上映開始時間ギリギリ駆け込んで、しかも走ってトイレに行っていたんで(笑)一瞬見だったんだけど、オープング・クレジットからやたらとシャレてるんだもんねー。ジェームズ・ボンドと称されたアバグネイルがそれに気を良くしてまんまボンドを真似ると、音楽までバッチリボンドになっちゃうのなんかも嬉しいのなんの。それにボサの「イパネマの娘」は流れるわ、何かもう、洗練されまくっちゃって、うそお、これが本当にスピルバーグなの?と思ってしまうのは……失礼だろうな。あはは。

で、なので、ディカプリオ君はかなりサバを読んでのご出演、なのである。最終的に服役中の刑務所からFBIに引き抜かれているあたりの年齢は彼自身に相当するのかもしれないが、詐欺師としてやりたい放題の頃、つまりメインの彼は16、7ってとこ。もうとんでもないサバ読みなんである。ま、ハリウッドではそんなのは結構よくあることではあるけど、実際に少年期から彼を観てきているから、おいおい、今更高校生役かい!とさすがにビックリする。しかしこれが意外に違和感がないんだな……だってこのアバグネイル自身、こんなガキんちょだったのに10近くサバよんで詐欺を働いていたわけだから、それぐらいの年齢に見えていたわけだし、それにディカプリオ君はもともと童顔で、しかもポッチャリ系なのでよけいに若く見える。いや、でもディカプリオ君、思えば少年期は実に傷つきやすそうなハートを体現するがごとくの華奢なやせぎすだったんだけど、大人になったらポッチャリ系で少年ぽく見えてしまう、というのは……ま、バリエーションがあっていいのかも!?

いやいや、でも髪型ひとつ、服装ひとつで年齢から雰囲気からガラリと変えてくる彼には、本当におお、すげえ、と思ったのだった。だって、詐欺を働く前の、ま、マザコン、ファザコン大いにあったような甘ちゃん高校生だった頃の髪と、最後の最後、FBIに身を置くようになってからの髪、長さ的には大して変わらないような気がするのに、この少々のテイストの違いと、制服ブレザーと社会人スーツの違いで、はっきり10も違って見えるのって、やっぱり凄いな、と思う。あるいは途中出てくる、これは時代を感じさせるパーティーの場面で彼が後生大事に着ている“イタリア製ニット”姿などは、アッケラカンとした大学生っぽさを感じたり、あからさまじゃなく、この10コの年齢をビミョウにいったりきたり、それこそさらりと化けてしまう彼には、ほんと感心しちゃうんだなあ。

彼、フランク・アバグネイルが詐欺師になるきっかけになったのは、両親の離婚。……という、何かいかにもハリウッド的家族への愛情の飢餓物語だったりするのだが、いまや親の離婚など当たり前?みたいな世間で、それが充分に傷つく材料だった時代……勿論今だってそうなんだけど……とにかく、その辛さがもっと真実味をもって受け入れられていた時代。彼は両親が離婚する、その瞬間になってもそのことが信じられなくて……それまでだってそうならざるを得ないような伏線はいろいろいろいろあったにも関わらず、ドラマティックな出会いによって結婚したラブラブの両親を裕福な暮らしの中で見続けてきた彼には、もうその頃の両親の姿しか彼の頭にはなくて、どうしてもどうしても信じられない。

でもいい時代は過ぎ、父親は事業に失敗して大きな家から安アパートに引っ越さなくてはならなくなり、その頃から、夫婦の間には冷たい風が吹き始めた。幸せそうに父親とダンスを踊っていた頃の母親は、本当に優しくて上品なレディという感じだったのに、この生活の変化で一気に俗っぽい女になってしまう。ナタリー・バイの演じるこの母親の様変わりした雰囲気にも驚く。男を連れ込み、その現場を見られてしまった息子を口どめするのに、「レコードでも買ってくれば」と金を渡す、だなんて、うっわ、キッツー……それでも、フランクは、そんなことまであったんだから、予想できてもよかったのに、本当に予想だにしなかった。やっぱり子供、だったんだね……この時の驚愕の彼の表情、本当にウブなガキに見えるんだから、ディカプリオ、恐るべし。

最初はちょっとしたきっかけだった。転校した学校で代用教師のフリをしたのがアッサリ通ってしまったことから彼の詐欺師人生は始まる。ちょっと材料さえそろえばこんなにも簡単に人をだますことが出来ることを知った彼、最終的にはエキスパートになる小切手詐欺も、最初はただ現金化することもナカナカ出来ないものの、ある日、パイロットが実に優遇待遇を受けているのを目にして、これだ!と思う。パイロットの知識の下調べをするためにウブな高校生記者のフリして潜入するしたたかさと、なんといっても電話一本で制服を手に入れてしまう鮮やかさに胸が躍る。そのあとは医者だの弁護士だのと何度も姿を変えるものの、基本ベースはこのパイロットにあり、このあたり、男の子だよなあ、と思う。確かに制服というのは手っ取り早く年齢を隠してしまうものだし、医者や弁護士よりもその姿だけで人々に認識させることが出来る。でも、小切手偽造するためにオモチャの飛行機を買い込んでいっぱいバスタブに浮かべてたりする(ロゴシールをはがすためにね)を見ると、やっぱり男の子だよなあ、って気がするのだ。最終的には本当にホンモノの小切手を印刷機で作り出すまでに本格的になるんだけど、こんな風に切って貼って、みたいなノリがやけに楽しそうなあたりも、男の子っぽいのよね。

しっかし、アメリカはドル札も小切手も、単純すぎよ。だからこんなに偽造が横行するんだよねー。小切手なんかは、それこそその後のフランクのおかげで偽造しにくくなったりしたのかもしれないけど、でもお金なんかはそのままでしょ?フランクが一時代を築いて捜査する側に回っても、新手の偽造犯がゾロゾロ出てきちゃうあたりが、こんな単純なつくりの印刷にするからよ、と思うわけ。日本じゃ、不渡り程度のことはあるかもしれないけど、こんな根本の印刷からやろうなんてこと、あんまり考えられないじゃない。それはやっぱり印刷が複雑で、偽造するまでのコストに見合わないから、なんだけど、アメリカではそれが出来ちゃう。しかも国土が広いから決済までに時間がかかり、余計に詐欺が横行してしまう……アメリカらしい大味さね。ま、とはいえ、フランクが紙質だのインクの種類だの、カッターで切ったのかハサミで切ったのか……などとつぎつぎと喝破するところはほおんと、カッコいいんだけどね。

ところで。キャストはディカプリオ、ハンクス、の並びになっているけれど、二番目に名前が来るべきはクリストファー・ウォーケンじゃないのと思ってしまう。このフランクの父親。戦争での輝かしい戦歴、だのを披露するあたりがいかにもアメリカでちょっとウッと思うけど、結局はそんな頂点から落ちぶれに落ちぶれてしまう。それでも息子であるフランクは、詐欺師人生を歩いている間もこの父親にいつもコンタクトをとってて、変わらず尊敬してて、何とか父親の人生を復帰させたいと願うんだけど……。でもそんなの、この父親にしてみれば、自分が裕福に育てきれなかった息子が、そんな風に自分を追い抜いていくのが、我慢ならなかったに違いなく……。勿論息子のことを愛しているし、誇りに思っているのはそうなんだけど、そんな単純にはいかないというあたりを演じるウォーケンが、凄いのよ。あの青い目が切羽詰まってて。息子が立派なパイロットになって現われて、今の自分はどうかって立場で高級レストランで食事をするあのシーン、見据えた青い目がぶるぶる震えて、本気で怖かった。このシーンだけで、ディカプリオもハンクスも誰をも、全てを超えてて、凄かった。……いやあ、やっぱりベテラン役者ってのは、違うもんだわね。

しかし悲しい結末が。フランクが護送される飛行機の中で、FBI捜査官、カールから父親の死が告げられるのだ。フランクは取り乱し、泣き叫び、トイレにこもる。しかしまあ、そこからなんと、便器を外して着陸直前の飛行機から脱走しちゃうのだ!もうこのシーンにはカールのみならず「なんて男だ!」と口をアングリ。それまでも、このカールを何度となく欺いて鮮やかに脱走に成功してきたんだけど、その中でも最も出色。でもそんな華麗なワザを見せたフランクがまっすぐに向かったのは……母親のところだったのだ。父親の死を告げられて向かったのが母親の所、だなんて、ほおんとに、このフランク、まだまだ子供だったんだよね。でも母親はもう別の家庭を幸せそうに築いてて、フランクは入っていくことなど出来ない。そこに追っ手が到着、フランクは、母親に顔を見られないように、早く連れて行ってくれ、とうながす。

そうだよ、フランク、母親なんてさあ、離婚してしまえば、いや離婚する前からだったけど、一人の女に過ぎなくて、一人の女として幸せを追求するほうが彼女にとって大切なことだったんだよ。一人息子のことなどまるで忘れたようにして……そのあたりが父親と本当に対照的なんだけど、これって男と女の決定的な違いを浮き彫りにしている感じもする。女に対してロマンティシズムを描写しそうなスピルバーグ監督にしては意外な気もするけど、女は結構シビアなもので、自分の幸せの確率の方をまず大事にするよね。それはなんというか……本能的な、自己防御のような形で。女一人で生きて行ける世の中じゃないから、特にこの時代は……こんな風にしたたかにならざるを、得ないんだ。

勿論フランクにだって、そんなことはもう判っていたはずなのに。それにこの詐欺師人生を送る中で、フランクは何度となく、女に裏切られてきたから。ボンドを気取って出会った美女は、ロマンティックにベッドを共にするかと思いきや、チャッカリ金を取って結局は娼婦に過ぎなかったし、フランクが救い出した哀れな看護婦は、結婚までするほどに彼女を愛したのに、フランクの正体を知ったらとたんに裏切りに回った。ああ、確かにフランクがクリスマスごとにカールに電話をかけてきたのは、話し相手がいなかったからなのだ。大いなる孤独。そして母親の田舎であるフランスの小さな村で、フランクがいよいよ追いつめられたクリスマスの晩、現われたカールに、クリスマスはいつもあんたと話をする!と狂喜したのも、あれは確かにいつものようにカールを欺こうとしていたんじゃなくて、本当の本当に、嬉しかったに違いないのだ。あの時のフランクのとてつもない表情は……きっと、そう、だよね?

2週間の勉強で司法試験にパスしちゃうほどの秀才で、次々と編み出す詐欺の手口とその度胸にほとほと見とれてしまうこのフランク。果てはスチュワーデスまでも自分の手で“偽造”し、アコガレのスチュワーデスになれるとばかりにキャーキャーの女の子たちを回りにはべらせて、レイバンのサングラスをかけたパイロット姿のディカプリオ君は、これは確かにかなりイイ男。たとえ脱いだら新餅みたいな体だとしても(笑)。このニセスチュワーデスの女の子たち、これまたオールドファッションなコスチュームのせいか、もうバービー人形みたいで実に魅力的なんだなあ。
オールドファッションの魅力を一番感じたのは、刑務所からカールによって引き抜かれたFBIの現場、かもしれない。ホントにウェルズの映画みたいなんだもん。男も女もみんなモノトーンのスーツでビシッときめて、広いフロアに机がズラーッ!と並んでて、タイプの音がカタカタ鳴ってて、みたいな。なんともはやカッコいいんだ。あの時代の映画以来、こんなオフィスを見ることなんてついぞなかったから、胸が躍ってしまう。

このフランクとカールってどことなく、ルパンと銭形みたい?でも、このカールは何人かの人物をミックスしたキャラなんだと聞いて、おーい、それならあのラストクレジットでの、“いまでも二人は親友”だのなんだのっていうのはなんなのよお。アバグネイル自身が監修を務めているこの映画でそんな風に出されたら、わー、そうなんだ、とか思うじゃない。それともこの何人か、その皆と今でも親友だっていうのかなあ。

そうだ、アバグネイル自身が監修、なんだもんね。本当にこんな、映画みたいな(映画だけど)詐欺師がいたんだ……最初から判っていることなのに、そんなことに今更ビックリするぐらい、心憎い粋さなのだ。★★★★☆


キル・ビルKILL BILL
2003年 108分 アメリカ カラー
監督:クエンティン・タランティーノ 脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:
出演:ユマ・サーマン/ルーシー・リュー/デヴィッド・キャラダイン/千葉真一/栗山千明/ダリル・ハンナ

2003/11/28/金 劇場(有楽町日劇)
思えばタランティーノ作品はこれまでちゃんと観ているわけじゃない。どちらかというと彼のキャラクターばかりが一人歩きして、ふと気付いてみるとそんなに映画の本数撮ってないし、まだまだ系統だって語られる監督じゃないんだけど、今回は参ったなあ。コイツってばさ、映画撮らないで映画ばっかり観てるでしょ、とか突っ込みたくもなるんだけど、逆にじゃあ世の監督さんたちは、映画観ないで映画ばっかり撮ってるのかも、と思ってしまうほどで。だって、やっぱりかなわないんだもん。本作は香港映画やマカロニウエスタンに対するオマージュも含まれているんだけれども、なんといっても日本映画に対するそれなのだ。それに尽きる。で、彼の好きなその時代(60〜70年代かな)の映画っていうのは、私も一応好きで細々観てはいるけれども、そんな私も含め、今の日本人のほとんどは、彼より全然この時代の日本映画を観ていないと思うし、愛情はもちろんだけど、まず知識が圧倒的に彼が勝っている。悔しいけど、それをも通り越して尊敬の念を抱いてしまうほど。だからこそこういうことが出来るのだ。知らないでヘンな日本パロディになるのと、知ってて完璧なパロディになるのは全然違う。

困ったことにカッコいいのだ。キミョウキテレツでも。こういう、完璧にバカバカしいカッコよさはもう、大好き。しかも、最も重要なことは、タラちゃん自身がこれがキテレツだっていうことを判っているということ。
日本文化の表現は完璧ではない。でもそれはワザとハズしている。確信犯なのだ。全くの日本映画を作ろうなんて思っていない。あくまでもハリウッドで作るサムライテイストを、ヘンさ、オカシさも充分計算に入れた上でのカッコよさ。
そうでなければ、こんなに自信満々に梶芽衣子の歌なんて使えないもの。
そう!梶芽衣子の歌だもんなー、もう驚いちゃう。違う劇場にいるんじゃないかと錯覚しちゃう。その他にも東映仁侠映画チックなサウンドが目白押しで、むしろ「仁義なき戦い」が流れないのが不思議なぐらい。

キテレツでもハズしてても、決めるべきところはビチッと決めている。クライマックスは青葉屋での立ち回り。ここは本当に呆然とするほどのすさまじさ。あまりにすさまじくてそれまでのほかの場面が前フリに思えてしまうぐらいなんだけれど、そこに至るまでのバトルでもきちんと、決めている。
感心したのは、一番最初のバトル。相手の持つ包丁の持ち方が、ちゃーんとドスの持ち方になっていること。
おいおい、ここからかよ!と思わず知らず突っ込みたくなるほど。この辺はタラちゃんのオタク気質全開よね。だっていくらなんでもここでまでドスさせなくていいんだもん。
ま、あくまでそれは前フリ。やっぱり素晴らしいのはユマ・サーマンもルーシー・リューも単なる立ち回りだけではなくて、最も重要な部分、刀を持ったそれがビシッと決まっているところなのだ。
だって、これって結構難しい。ただ単に刀を持って振り回すだけじゃ絶対にサマにならない。
というのは、「極妻」の高島礼子あたりを見れば判る。彼女なんか野球のバット振り回しているみたいだったんだから。

物語は、復讐物語。話とかテーマとか場面とかが何の映画にオマージュ捧げているっていうのは、前述の通りタラちゃんの知識にはかなわないのでうっかり口に出来ないから言わない(笑)。ユマ・サーマン演じるザ・ブライドが(そんな名前だったの。劇中では元ブラック・マンバとしか言ってなかったような)4年前、自身の結婚式に、ボスのビルを始めとしたかつての殺し屋仲間たちが乗り込んできて、参列者全てを惨殺していった。彼女自身も、そのお腹の赤ちゃんも……のはずだったのが、強靭な運の強さで彼女は一命をとりとめる。植物状態がずっと続く。実はその赤ちゃんも死んでいなかったことが一番最後に明らかにされるのだが、まあそれはおいといて。
4年後彼女は突然目覚める。目覚めた時、なぜ4年間、ということを彼女が判ったのかがちと不思議だけれど、まあそれもおいといて。で、4年間も眠っていたのにいくらなんでも13時間(だったかな)で歩けるようになるなんて、うそーん、と思ったのもまあ、おいといて。彼女の昏睡中にひそかに忍び込む、ペケマークの眼帯つけた殺し屋看護婦のダリル・ハンナ(かよお、ちょっとショック)がこえぇというのも、更においといて。
そして彼女は復讐の旅に出かけるのだ。
自分を殺した相手を一人ずつ訪ねてゆく旅。で、本作だけでこの旅は終わらない。タイトルのキル・ビルである、ボスのビルまで到達できないんだから。最後に2の予告編が流れ、これが二部構成の映画になっていることが判る。いやーん。

で、前述したけれど、日本の場面までは前フリと思うほどに、日本シーンは気合が入ってる。
いや、もちろんそれ以外も気合は入っているんだけれど、日本人だとついついそっちに力を入れて観てしまうせいかな。いや、絶対日本シーンは気合入りまくりだよね。
日本パートの美術には、種田陽平が参加している。あの栗山千明の「死国」の、そして岩井俊二の世界の、あのお人である。こういう人を持ってくるあたり、ホント本気である。
日本シーンがキテレツと美しさのラインの上で実に絶妙なバランスを保っているのは、こういうワールドを持っている日本人をきちんと入れてきているからに他ならない。
日本映画を好きだっていう以上に、ほっんとうに本気だよなー、タラちゃん。

なぜザ・ブライドが日本に来たかというと、そこにはいずれ対決するビルがいるからなんだけれど、その前に倒すべき相手、手ごわいオーレン・イシイがいるから。
この日本の地での戦いのために、彼女は伝説の刀師、服部半蔵を訪ねる。
う、うわ!ハットリハンゾウかよ!彼女の口からその名が出てきた時にツボをつかれて大笑い。ここで笑えるのはやっぱり日本人の特権よねー。
と、思ったけれど、この千葉真一が服部半蔵として出ている「影の軍団」はアメリカでも観られるのかもしれないんだから(観られるんだろうな。だってタラちゃんが知っているんだもの)、あるいは千葉ちゃんのこういう実績に関しては日本より向こうでの評価の方が高そうだし。
そして彼女は彼に、最強の刀を作ってもらう。神道の儀式にのっとって譲り受ける。こういう場面も、千葉真一が関わっていることもあるからだろうけれど、意外にちゃんとしてて、ヘンに見えない、のはなかなか凄いと思う。
そして彼女はいよいよオーレン・イシイと対峙することになるのだ。

ルーシー・リュー演じるオーレン・イシイは中国系米国人という立場ながら日本のヤクザ界の女王として君臨する凄腕。ルーシー・リューはこのキャラクターに完璧にハマってる。梶芽衣子を参考にするように言われたらしいけれど、それとも全然違う。彼女独特の存在感。
「チャーリーズ・エンジェル」もステキだけれど、東洋人でしか出来ないこういう役が出来るのはやっぱり彼女の強み。
そのつった猫目をより強調させるメイクといい、花嫁衣裳だか死に装束だか判らない純白の振袖といい、思いっきりキャラしまくっている。
それは、「燃えよドラゴン」のブルース・リーみたいな全身真っ黄色のユマよりずっとキャラ立ちしているのだ。

いーや、キャラ立ちしているといえばこの人にかなう人はいない。
栗山千明!ブラボー、栗山千明!!
彼女はオーレン・イシイの用心棒。“若さを凶暴性で補っている”少女、ゴーゴー夕張。
何でゴーゴー夕張よ、と思わず脱力するけど、ま、バリバリ夕張よりはいいか??
そんなに出演シーンがあるわけじゃない。ことに活躍場面は青葉屋の限られたシークエンスだけ。でもそれだけで、他のキャストの誰よりも強烈に脳裏に刻み付ける。ハリウッドだって彼女のことで話題騒然に違いないのだ!(と勝手に決める)
「バトル・ロワイアル」だけでなら、もうけ役の柴咲コウが目につきそうなものだけれど、栗山千明をチョイスしてくるあたり、さすがタラちゃんなのよね。彼女のほかの映画もちゃんと観てるんだろうなー、などと喜んでいたら、最初は柴咲コウにオファーが来たんだってご指摘が。ちょっとガクッ。
でも、彼女のデビュー作「死国」からうたれまくったこちらとしては、思いっきり思いっきり溜飲下げちゃうよ。嬉しいわあ、もお。
独特のメイクのせいもあるけれど、あの目力のすさまじさ。真っ黒な重たい黒髪は相変わらず印象的で、実に殺気だっている。大仰な芝居がかった台詞回しは堂に入っていて(そうか、それこそこのあたりは「バト・ロワ」でもかっちょよかったもんなあ)例え日本語でもそれは向こうの人たちにも充分通じるに違いない。
ザ・ブライドとの対決シーンはかなり長い。かなり魅せてくれる。タラちゃんの、彼女への意気込みが感じられる(こんなオイシイ役を断る柴咲コウなんぞ忘れちゃえ!)オーレン・イシイとの対決シーンに匹敵するぐらいじゃないかしらん。
そして、ついにやられてしまう場面の、目を血で真っ赤に染める最期も印象強烈!
ブラボー、栗山千明!!!

ひとつ、特筆したいのは、オーレン・イシイの生い立ちを描く劇中アニメ。これが実に素晴らしい出来なのだ。
映画本編を凌駕しそうになるぐらいの迫力で魅せる。
もちろんこれは日本アニメーターの手によるもの。こういう表情や動きを荒っぽくするカッコよさって言うのはまさに日本のアニメーションならではである。
実にドライ。実にクール。このアニメーションだけでひとつの作品。鳥肌が立つほど。
いやー、日本人なことを誇りに思うわ。勿論この日本映画へのコテコテオマージュの本作でそれは思うんだけれど、それはタラちゃんに譲っといて(笑)。 このアニメでもそうだけれど、全編ものすごい血しぶきっていうのはあくまでも映画のエンタメとしての記号。昔の日本映画はそういうのをきちんと描けていた。何だか今は映倫を恐れてばかりで、あるいは実際にただただリアルに残酷なばかりで、こういうエンタメの血しぶきって観ないな、と思う。
そうだ、それこそ「バトル・ロワイアル」がその最後の花を咲かせていたのだ。
そしてハリウッドもまた生々しいばかりの血しぶきだったのが、タラちゃんが、エンタメの血しぶきを復活させてくれた。
すさまじい数を殺そうが、腕の一本や二本切り落とそうが、首が飛ぼうが、それはエンタメの記号だっていうのが、最初からそういうスタンスで描いているから、残酷だと眉をひそめることなんてない。

ただひとつ、日本語の台詞がものすごーく聞き取りづらいのはキツイけど。ハリウッド映画としては、日本語をしゃべっているという場面としての成立、つまり日本語の発音のニュアンスが伝わればいいということなんだろうけれど、それならこっちにも字幕つけてよ、と思うぐらい聞きづらい。とてもとてもユマと千葉ちゃんの会話が成立しているとは思えないんだな。
まあ、でもね、きめ台詞の数々、ヤッチマイナ、なんていうのとかは思いっきりツボではあるんだけど。ルーシー・リューなんかまあ聞きづらいことは聞きづらいんだけど、その日本語台詞に感情たっぷり入れてくるから。ま、だから余計聞きづらいんだけどさ(笑)。

でも、これだけ盛り上がっといて2の方を観るかどうかは判らない。盛り上がっているだけに、ここだけで終わっときたい、っていう気持ちも正直。
しかし、ヤッチマイナ、じゃなくて、ヤッチマッテくれちゃいましたなあ、タラちゃん!★★★★☆


金髪スリーデイズ35℃
2003年 40分 日本 カラー
監督:飯塚健 脚本:
撮影:音楽:
出演:真帆 川本成 花塚いづみ 上泉和三 きたろう 山田辰夫
2003/11/18/火 劇場(テアトル新宿/Hello New Generation! vol.U「FREESTYLE SHORT MOVIES」/レイト)
この祖母島駅って、どこにあるんだろ?本当にあるところなんだろうけれど……。祖母島、と書いてふりがなはうばじま、となっている。ちょっと、気になる場所。でもどこでもない場所だからこそいいんだろうな。本当に時間と空気が止まっているみたい。住んでいる場所も年齢も立場もてんでバラバラの人間たちがふっと集まり、楽しい夏休みを過ごす。その思い出はまさに永遠の夏そのもので、そしてまた皆もとの場所へと帰ってゆく。あの夏、ちょっとだけ変身した自分を元に戻して。

登場人物は皆横並び主人公みたいな感じだけれど、その中でもトップに名前のくるアミ役の真帆ちゃんは、「いちばん美しい夏」以来のお目見え。不思議なことにこの季節とこの場所、あの作品に良く似ている。で、変身の仕方は逆。「いちばん……」では都会のハデな女の子が田舎に来て、しっとりとした自分を開発されていった。で、本作は両親が旅行に行ってしまった解放感から、黒髪を憧れの金髪に染めてしまう女の子だから。でも中身は変わらない。純で明るくて、人懐こくて。この子は特に美少女って訳じゃなく、フツーなんだけど、人好きがするというか、ふっくらとしたチャームがあるのがいい。金髪も似合っているんだけど、スレた感じがしないのよね。

集まった人間はそれぞれ。喪服を着た女がタクシーに乗り込み「静岡」と言うと運ちゃんは「ここ東京だけど」と返す。しかしそう言いつつ来てしまう。あ、ということはここって静岡なの?
バリバリ働いている感じのサラリーマンが外回りから帰社してみたら、そこはガランと何もなくなっていたというのはかなりのシュール。そして彼もまたどういうルートをたどったのか、この緑豊かな田舎町にたどり着く。「会社がなくなったというのが夢だったらいいのに」
淡々とホームで合図を送る地下鉄の駅員は、ある時ふと電車に乗ってしまう。あれ?と思っているとこの祖母島駅に着く。その駅の駅員のような風でいるところを、ボーイフレンド?を見送りに来ていたアミに突っ込まれるのだ。「ここって、無人駅だよ」

アミはもともとここにいたわけだけど、あとの人間たちはまるで呼び寄せられたみたい、何かに。アミが庭に撒くシャワーの中に出来た虹がきっかけみたいに、この永遠の夏のループの中に知らずに引き寄せられ、はまり込んでしまったかのような。一面に田んぼの緑がそよそよと揺れる様は、まるでどこまでも続く草原のように時間を感じさせない。砂浜で皆で髪をカラーリングして、金髪や茶髪に大変身。三人乗りの自転車を二台に分乗して、二つを紐でつないで坂道を転げるようにこいでゆく。「早すぎるよ!」の悲鳴……引きのカメラがコミカルで、何だかメチャメチャ楽しそう。皆で花火をしてはしゃぎ、〆はもちろん線香花火でしみじみと切なくなる。まさしく永遠の夏、だなあ。王道中の王道を行っている。

この駅員は切符切りに憧れていた。ぱちん、ぱちんと一枚ずつ切符にはさみを入れる駅員。ヒマな時にはそのはさみを拳銃のようにもてあそんだり、かちんかちん、とリズムをとったり。それがとてもカッコよく思えて。ああー、すっごく判る、これ。でも今やほとんどが自動改札になってしまった東京で駅員をしている彼に、かつて憧れてその仕事についたはずのそれは、まるで縁遠いことになっている。だから、皆で彼の望みを叶えてやるのだ。手作りの切符は未来行き。一列に並んで一つずつはさみを入れる彼。あの頃憧れた駅員さんみたいに、クールに無愛想に構えて。最後の一人には「お客さん、この切符じゃいけませんよ」なんて台詞まで言ってみて。ニコニコとこの思い出作りに協力している彼らの楽しそうなこと!こういう、仲間と過ごすたわいもないことや何でもない時間が何より大切だった時が確かにあったんだよなあ。

皆でさよならを言い合い、永遠の夏は終わる。しかしただ一人、もう一度戻ってくる。あの駅員さん。無人駅のホームに足をブラブラさせて座っているアミと彼は画面の両端に距離をとっている。カメラの切り返しのたびに、アミと彼の髪の色が変わる。あれ?と思っていると彼は「まじめに黒髪戻し」なるカラーリング剤を置いて去ってゆく。……(笑)。うーむ、この幕切れは何?ちょっと道徳的?この駅員さんのフシギな雰囲気は好きなんだけどさ。

「ゴリ押し出演」と銘打たれたきたろうが、田んぼの中に潜んでたり、木の枝にまたがって乗馬のフリしたりと、まるで意味もない登場の仕方を何度もしているのが可笑しい。まさしく「ゴリ押し出演」ね。ホント意味ねーもん(笑)。★★★☆☆


近未来蟹工船 レプリカント・ジョー
2002年 75分 日本 カラー
監督:松梨智子 脚本:松梨智子
撮影:荻久保則男 音楽:
出演:加藤啓 佐藤真弓 池田鉄洋 まんたのりお 市川しんぺー 小林健一 三坂知絵子 千葉雅子 水野晴郎

2003/4/8/火 劇場(BOX東中野/レイト)
えー、やだやだ、何でこんな大人しい映画に仕上がっちゃっているの?松梨監督が新作を撮っていると聞いた時から、ノドから手が出るぐらい?観たくて恋焦がれたのに。松梨監督がフツウの映画撮るなんて、やだやだよー。い、いや、これは確かにフツウの映画などではないんだけど、でも、そうだよ、彼女はオバカ映画のクイーンなんでしょ?私、「毒婦マチルダ」は観逃してて、前作の「サノバビッチ☆サブ 〜青春グッバイ〜」しか観てないけど、そんでもって「毒婦マチルダ」の方が凄いとも聞いているんだけど、「サノバ」で充分すぎるほど衝撃的だったから、もう有頂天になっちゃうぐらいバカで涙流して喜んだから、本当に本当に楽しみにしていたのに。何でこんな“無難な”映画になっちゃってるの?

監督が自嘲気味に付け足した、ぴあ初日出口調査を見ての監督のリアクションを撮ったホームビデオ(部屋干ししてるさまが何か生々しい(笑)監督の自室っぽい)、口からコーヒーをだらだらたらしてぴあをふみつけにする監督、ま、つまり、本作は見事最下位をゲットしたわけだけど、それはいわばネラっていたというか、確信犯的な部分があったんじゃないのかな?何と言ってもオバカ映画のクイーンなわけだから。ああ、でもさ、初日に集まった人(監督はいつもと客層が違ったとは言ってたけど)は、やっぱり松梨監督のオバカ映画を心待ちにして駆けつけたファンが多かったから、この冴えない点になっちゃったんじゃないの?決して一般の規範から外れているというありがたいお墨つきじゃなくて……何かそんな感じがしてしまうんだもんなあ。

何ていうのか……妙に上手くなっちゃっているというか。あ、いやいや、そんなヘタだったっていうんじゃなくて、そんな失礼なこと言ってるんじゃなくて(焦)、確信犯的なヘタさ、いわば粋なヘタさが(?)すっかりなりをひそめて、まとめ方といい演出といい、あるいはぶっちゃけ役者の演技といい、妙に、上手い。あーん、役者が上手い演技を披露するなんて、ダメダメダメ、ダメッ!思わず素直に見入ってしまってハッとしちゃうんだよー。あれ?何かフツウの映画観に来てるみたい、って……。間とかも凄く手慣れている感じで、いや、そりゃ映画を作り続けている人なんだから手慣れて当たり前なんだけど、でも、やっぱり……ちょっとガッカリしてしまう。ただただバカで突っ走って欲しかったの。うー、そうだよ、バカ映画を観たかったのよう。

確かに内容を考えればキテレツなんだけど、そのキテレツが以前みたいに表現にまで完璧に侵食してこないのはなぜなんだろう?まず、映画の構成的に、とてもきっちりしてる。冒頭の、セピア風の画面で、三人の確執が描写され、それが現実世界に移って本編として展開し、全てが終わったあと、冒頭で描写された三人が全てをくぐりぬけた悟りともいえる関係性となって、天上へと旅立つラストにつながってゆく。うーむ……よく出来ている。出来ているんだけれども、よく出来ている松梨監督、かあ……。セピアの映像の作りなども、やっぱりオバカクイーンから連想するものじゃ、決してないんだもん。果てしなく予想を裏切ってほしいと思ってて、あ、確かに松梨監督がこういう映画を見せてくるなんて、ある意味では予想を裏切りまくっているとも言えるんだけど、うう、でも違うのよう。

画面へのギャグの書き込みなんかも、前作でメチャクチャやったのよりずうっと抑えてるし、うん、やっぱり役者の芝居を見せようとしてるって感じがするんだな。でも、書き込みにしてもなんにしても、もう有無を言わさず畳み掛けて、こっちが逃げられないぐらいの圧倒を示した前作がやっぱり思い出されちゃうよー。同じものを求めるのはいけないと判ってはいるんだけど……。
チープな合成画面やCGも前作ではツボにはまりまくっておなかがよじれたんだけど、えっと、今回のCGはある意味ちょっと上手く出来ちゃっているのが、果てしなく微妙。何か深夜テレビとか見てると、意味なく流しているこういう映像をよく見かけるような気がする、みたいな。ベタベタにチープなのがものすごくキッチュだった、あの面白さが恋しいよー。何というか、あらゆる意味で、マイナスの方向に微妙にふれているのだな……。

主人公の彼が、タイトルロールであるレプリカント・ジョーになるまでの原因作り、前半戦まるまるは、これは社会派の映画なのではないかしらん、と思えるほどにマトモに展開するのだ。社長以外は全部バイトで、確かに金銭的な待遇はとてもいいんだけど、労働者の権利はまるで保障されず、使い捨てのコマみたいに扱われている。そのことに城君は気づき(30になるまで気づいていなかったというのが凄いかも)労働者の権利を守ろう、フリーターで気楽だったけれど、もう自分もつぶしがきかないし、正社員登用を目指して戦おう、と労働組合結成を決意、そのリーダーとなるんである。す、すごい、すごい、マトモだわ。何か、こういう労働者の権利を勝ち取ろうとして戦うとか、あの社会派&救いのない映画の王様監督、ケン・ローチの「ブレッド&ローズ」みたいと思うぐらい、すごおくマトモ。マトモだから、ここまでは丁寧に見せちゃうの。確かにコンスタントにギャグは入れてくるんだけど、それで笑うのはちょっと難しいぐらい、丁寧に。

あ、丁寧といえば、このワンマン社長の、どこかストーカーめいた純愛の描写も、これは確かに必要なだけ、しっかり丁寧。しんねりと、ねっちりと、この社長のトラウマ体質をあぶりだしていく。この主演者三人ともが、どこか懐かしい雰囲気。ことにこの社長が学生時代から恋焦がれていた城君の奥さんのうさぎさんが、80年代風ぽっちゃりアイドルな面持ちで、このビル社長(ビルって……日本人だろが。あのオタク富豪、ビル・ゲイツをちょっとほうふつとさせるのかな)がロケットペンダントに彼女の写真を入れて持ち歩いているというのも、嬉しくなっちゃうぐらい、アナクロ。セーラー服に学ラン、という回想シーンも、うさぎさんはよく似合ってて、そのうさぎさんと城君のカップルに、こそこそついていって憎々しげに見守るビル君は、成績は抜群にいいんだけど、でもそんな風に、欲しかったものを手に入れられずに大人になったかわいそうな人。うっとうしい前髪で顔の隠れた感じとか、いかにもなガリベン君で、ここはお約束。

で、反旗を翻した城君に復讐する、という名目で、ビル社長は長年の夢だった、彼女との一夜を共にする。つまりは、夫君をクビにしたくなかったら、と彼女を脅して。その浮気場面を労働組合結成の場で生々しく映写され、城君は呆然。当然、労働組合結成もおじゃんになり、うさぎさんも自分の浅はかさを悔いて、自分一人の力で生きてみたい、と彼の元を離れてしまう。城君はおめおめと会社に戻ることなどできず、アヤしげな科学者、ギーの元で、自らを復讐ロボットに改造し、にっくきビルに復讐せんと、誓うんである。

“アヤしげな科学者”が出てきて、しかも彼が隠遁しているのが、「開けゴマ!」で開いちゃうような山ん中で、ああ、良かった、ここからやっとオバカが展開されるのね、わくわく、と思って見ているんだけど、そんでもって確かにそうではあるんだけど、それまでの淡々とした語りのペースを引きずっているせいなのか、どうもテンションが上がってこない。例えば、城君が大金を出すと、それまで渋っていたギーが即行動を起こす、とかいうお決まりギャグも、何だか“間”が長すぎてコケッてしまう。チープな改造人間の体に無意味につけられた、フェルト地の手作り風ペニス、その小ささに泣き出す城君は確かに可笑しいんだけど、「あと1センチだけ大きくしてやる」というギーに、「ほんと?ほんとだよ!」と狂喜する段になると、あれ?可笑しいはずなんだけど……とその“間”の違和感がだんだんと広がってきてしまう。こ、これはなぜなんだろう……今考えると、松梨作品って、それこそこの“間”のつまり加減が命だったような気がするのに。

その間に、うさぎさんは大変なことになっている。自活しようと勤めはじめた先が、ヤバい仕事に手を染めている悪徳中国人のバーで、しかもコイツはビルとのつながりもある奴。彼女はあわや総理大臣の美食のいけにえにされるところを(この総理大臣が水野晴郎、かあ……ま、似合ってるけど。何か一生懸命の演技が)ビルに救われてしまう。夫をあんな目にあわせた憎い奴。でも、彼の自分への想いと、実はとても弱い男だったことを目の当たりにして、彼女、彼に陥落してしまうのだ。このあたりの情感もフツウの恋愛映画みたい……。うっそお、うさぎさん、そりゃないでしょと思うんだけど、ううむ、これはボランティア精神旺盛な女の性(さが)っつーか、本能で、仕方ないのかもしれん。

レプリカント・ジョーとなって強大な破壊能力を身につけた城君、ビルの会社に乗り込んで、かつての仲間たちも含めて片っ端から殺しまくる。なんと、ハズみで愛するうさぎさんまでも、殺してしまう。あ、と呆けた素の顔に戻る城君、ここがもしかしたら本作中で一番面白かったかもしれない。この絶妙の“間”。ビルは卑怯にも逃げ出そうとするんだけど、彼は許さない。悪徳中国人の追っ手も含めてその手にかけた彼が最後に選んだのは、自爆ボタンを押すこと。会社を含めて都市一個がまるごと吹っ飛んでしまい……そしてあの、ノスタルジックなセピアのラストへ。

この、クライマックスのメチャメチャ合成の確信犯的映像と、世界の破壊、あるいはシリアスなテーマとアホらしさのギャップのあるまとめ方とか、「ボディドロップ・アスファルト」をふと思い出してしまう。あああ、そんな風に、何かに似ているとか思い出させるとか、そういうのが一番、ヤなんだよー。松梨作品はオンリーワンでいてほしいんだもん。万人ウケとかそういうことを思ってソフトになっちゃったんなら、絶対にやめてほしい。ぶっ飛んだオンリーワンでいてほしい。★★☆☆☆


トップに戻る