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くねひと
1991年 3分 日本 カラー
監督:山崎幹夫 脚本:
撮影: 音楽:
出演:
第二次大戦前のブタペストで彼らは出会う。まず恋人同士であったレストラン経営者のラズロと若く美しいウェイトレスのイロナ。昔音楽をやっていたというイロナの希望を入れて、店にグランドピアノが置かれることとなる。ピアニストを雇い入れるべく催されるオーディションの場面は、ナルシスティックだったり勘違いな輩が次々出てきてかなりユーモラス。まあそんな中でもマシな一人に決めたものの、その後、一人の青年が時間に遅れてやってくる。その青年アラディとイロナは見るからに一目で恋に落ちている。ピアノの腕も確か。結局この青年を雇うことに決定。二人の心が見えてしまうラズロは気が気ではない。
時を同じくしてイロナにゾッコン惚れてしまって通いつめていた旅行客のドイツ人、ハンス。彼女への思いが実らず、思い余って川に飛び込んでしまう。それをラズロが助けたことからラズロとハンスは同じ思いを共有する友人同士となる。国に帰ったハンスが再び戻ってきた時、どんな悲劇が待っているかも知らずに……。アラディ、イロナ、ラズロの三角関係はどうなるかと思いきや、イロナはラズロを捨てきれず、ラズロはイロナもイロナが恋するアラディも失いたくなく、アラディもまた……そして不思議な愛の共有関係が始まる。
これはねー、ラズロがめっちゃイイ奴だから成立する関係よねー。アラディは思いつめるタイプの恋する青年で、イロナは自分が恋する相手と自分に恋している相手とを同等に見ることが出来ちゃうようなファム・ファタル(ま、だから彼女もかなり特殊だけど)。ラズロっていうのが友達を大事にするイイ奴でさ、アラディに対して友人としての気持ちを、恋愛の嫉妬によって曲げることをしないでいられる稀有な、本当にイイ奴なんだもん!あの、寂しげにイロナとアラディのラブラブを見つめるラズロの目……参るよなあ。アラディが先に自分の命を断っちゃった後、お互い恋人と友人を失った同士になるイロナとラズロがその哀しくも美しい関係を保ち続けるのも、ホント、彼の心の裁量の大きさよね。
そうなんだ、アラディは先に命を断ってしまうんである。本当の、真の原因はナゾだが、もとはといえば、アラディがイロナに贈った曲、「暗い日曜日」が自殺を誘う曲として有名になってしまったから。この曲、引いてはそれを生み出したこのレストランを売り出すために、ユダヤ人特有の商人気質を発揮して取引するラズロ。か、カッコイイ〜。一方のアラディは自分の曲が自分の元を離れて世界中を飛び回っていることに戸惑い、自殺を誘う曲となってしまったことで更に苦悩する。そしてそんな頃、あのハンスがやってくる。オドオドして、いかにも純粋な青年といった感じだったハンスが、カギ十字の制服がビシリと似合ってしまうナチス将校となっていた。あの頃の彼と同一人物とは思えない横柄な態度でハンスに「暗い日曜日」を弾くよう命じるハンス。その直後、ハンスの拳銃を抜き取ってアラディは自らのこめかみにあて引き金を引いてしまう。
なぜ、アラディは死んでしまったんだろう。ラズロは、「汚物を浴び続けるのが我慢できなくなった」と言い、納得できなくもないものの、あの時、アラディの演奏を促すために自ら歌声を披露したイロナを見つめる彼の目は、やはりどこか魅入られたような、死に誘われたような、哀しいような陶酔したような、何とも言えない目をしていた。やはり彼も、あの曲が誘う死の甘美さに抗えなかったのか?そして取り残された二人、イロナとラズロ。ハンスはラズロにそんなつもりじゃなかった、と謝り、君はユダヤ人だけれども自分の裁量で捕まらせることは絶対にしない。他にも君の助けたいユダヤ人がいたら僕の元に持ってきたまえ。但し一人最低1000ドルで……と持ちかける。
ちょっと、ちょっと、ねえ、これって「シンドラーのリスト」への強烈な皮肉じゃないのかなあ!?ラスト、年老いたハンスが再びこのレストランを訪れ、そして「暗い日曜日」を聞いた直後に悶死してしまうんだけど、その時に“第二次大戦中に沢山のユダヤ人を助けた英雄が……”と報道され、その死が悼まれているじゃない?「シンドラーのリスト」が公開された時に、これは事実とは違う、シンドラーはそんな慈悲的な人物じゃなくて、自分の商売のためになるユダヤ人だけを“助けた”んだって、そういう報道が頻繁にされてて、それでも「シンドラーのリスト」はお涙頂戴モノでやたら大ヒットした上にオスカーまでとっちゃったりしたじゃない。あの時、その報道のことは勿論、あまりに自己満足的な映画の内容に私はすっごく嫌な感じがして、どうにもあの映画は好きになれなかったんだけど、本作を見て、これじゃん!と思わず溜飲を下げたのだった。
でもね、その悪役となるハンスは困ったことになかなかイイ男なんだけどね。というか、彼の変貌ぶりは凄かった。最初、イロナに勇気を振り絞って告白していた時の彼は、本当に純情な青年、という感じだったじゃない?耳まで真っ赤にしてさ。それがあの制服をまとって現れた時、制服コスプレにヨワい私はその時点で不謹慎ながら思わずうわあ、と思ったものだが(だって……本当に似合ってるんだもん!)その制服制帽の下で、かつての純情青年の面影がどんどん失われていき、冷たく冷たくなっていくのが恐ろしくて……。でもそれこそが戦争の恐ろしさ、っていうことなんだよね。人間を変えてしまう戦争の恐ろしさ。
親友であったはずのラズロを見捨て、“商品価値”のある数学教授の方だけを救ったハンス。でもあれって、私には、当然助けを求めに来るであろうイロナを一度だけでも自分のものにするためだったような気がするんだ……それはあまりにもあまりにも刹那の欲望なのだけど、でもハンスはそんな風に人間が様変わりしてもなお、イロナへの思いは変わらなかったんだもの。妻や子供がいてさえも。ラズロが助かるかもと考えると拒めないイロナに、ゆっくりとなぶるようにキスをし服を脱がせていくハンスは……うう、困ったことにやっぱりステキなんだよね。その力を武器にしてる、卑怯だって判ってても。その時には制帽も上着も脱いでいる状態だったんだけど、その目には見えない威圧が、嗜虐的な官能を感じちゃうんだよなあ。
というのは、無論、それに相対するイロナがイイ女だからなんだけど。みずみずしい果実の趣と、熟したそれを同時に感じさせる目を見張るナイスバディな彼女。冒頭近くラズロと一緒にバスタブに入っているシーンで、彼ならずとも「手が滑った」と触りたくなっちゃうような、まさしくたわわな果実を思わせるその姿にすっかり釘付けである。それにもましてその黒髪と深い色をした瞳、形のいい唇、どれをとっても完璧に美女で、しかもそれだけでははかりしれない濃厚なエロティシズムとエキゾティシズムが漂う。何かねー、ヘンなこと言っちゃうようだけど、そういう濃い色素を持ちつつも肌は真っ白だから、ワキの剃り跡とかうっすらと残っちゃっているようなのも妙に蠱惑的で。
ラズロを助けてもらえると思ってハンスと寝たにもかかわらず、ハンスは彼の目の前で別の人を助けて、去ってしまう。ラズロは哀しくそれを見つめ(ああ、やはりラズロの哀しさは天下一品だ)収容所で死んでしまった報がイロナの元に届けられる。すでにその前に死を覚悟したラズロの手紙と連れて行かれる前に自死してしまおうと思ったのであろう、アラディが残した毒薬が床に転がっているのを彼女は発見しており、その毒薬はずっとずっと後になってから、もう遅すぎたのではないかという後になってから、使われることになるのだ。
戦争が終わった時、イロナのお腹には赤ちゃんがいた。それが誰の子供だったのか……彼女はアラディとラズロ、二人の子供だと言っていたけれど、私にはどうしてもどうしてもあの時のハンスの子供のように思えてならなかった。だって、だってね、そうしたら彼女の復讐は完璧なものになるから。つまりは、彼女はハンス自身の息子に父親である彼を殺させたことになるんだもの。彼がハンスを殺した後、ハンスと同じ誕生日だった母親に向かって、誕生日おめでとう、と言うラストシーン、年老いたイロナは画面のこちら側に顔を見せず、静かに息子と抱き合うんだけど……何かあのシーン、ぞうっとした。それは共犯者である親子同士というよりは、何か禁断の愛めいたものを感じさせたから。「サイコ」でずっとずっと後姿だけで顔を見せずにいた、あの老女のようにも思えたり……だってあんなにも魅力的だったイロナだもの。息子が年頃になった頃だってきっと……なんて考えちゃって。そしてもし彼と彼女がそんな関係を結んでいたら、ハンスに対する復讐は本当に、より完璧なものになるじゃない?まさか、まさか……。
それにしても、実在の一曲の名曲から、これだけの色濃い物語を綴っちゃうなんて。一体どこまで本当なんだろう。全部フィクション?それとも……。★★★★☆
私は団氏の作品をそれほど読んでいるわけではないんだけど、その少ない中の「紅薔薇夫人」に内容があまりに似ているので、ちょっと驚いてしまった。「紅薔薇……」は母娘、ここでは姉妹。上流階級に育った彼女達が嗜虐的な男たちの手に落ち、性の奴隷にさせられる、という……。奥さんの旦那はどうにも情けない婿養子で、柄にもなく愛人など囲っちゃって、その愛人が奥さんの調教に加わり、彼女にこれ以上なく惨めな思いをさせる、というくだりも同じ。内容だけではなく描写も……例えば和服の奥さんを脱がせる描写で最後の一枚を剥ぎ取られた彼女が、秘所を隠すようにしゃがみこんでしまうところとか、まで似ているんである。台詞などにもあちこちに聞き覚えのあるものが出てくる。さすがに玉割り、バナナ斬りなんていうワザは出てこないけど、ひょっとしたら原作(コミック)の方には出てくるのかもしれない。何といっても四巻も出ているっていうんだから。うーん、これは団氏の作品がみな似ているってわけではまさか、ないもんね。コミックに原作提供したこの作品が、もともとのネタとして「紅薔薇……」を使っているということなのかな。
このどうしようもない婿養子の使い込みによって、彼女達が経営している老舗旅館が傾き、手形の決済を融通してもらう、ということを条件に、姉、妹はそろって悪徳金融の手に落ちてしまう。どう考えたってそんな親切心など当然持ち合わせていない男たちを相手に、全裸で後ろ手に縛られて、彼女らは必死にタイムリミットまでにフェラで男を発射させたり、次々とセックスの相手をさせられたりするんである……しっかしさあ、結局旅館がダメになったということを知ったら、もう彼女らには従う義務もないし、従う気もさらさらないと思うんだけど、なぜなんだろ?そもそも、映画は原作のどのあたりまでを描いてるんだろ?彼女達に対して、まだ旅館が生き残る望みはある、とだまし続けているのかなあ、ひょっとして……この前・後編の次にまだ続編の話があったりして?後編の最後の、捕まった男の供述は、割とそんな含みを感じさせる部分も、あったし。
最も興味をそそられるのは、ああこれが団先生の理想の姉妹なのか、ということ。勿論、キャスティングから関わっているんだろうし。老舗旅館の女将である姉(小川美那子)の方はしっとりとした和服の似合う、カイショのない亭主にはもうあきらめている、陰のある美人。琴をたしなみ、考えたくないことがあると、琴の世界の中に閉じこもってしまう。時々かすれたようになるハスキーボイスが特徴的で、こんなところに団先生は色気を感じるのかな、と思う。一方の妹(沢木まゆみ)は姉と対照的に、洋装が似合い、空手をたしなむ体育会系のお嬢さん。しかし、この空手披露の場面は結構脱力だけど……何かいかにもお嬢さんのご趣味って感じで、威力のなさそうなエイ、ヤアで……髪を後ろで一つにまとめて空手着に身を包んだ彼女、可愛いけど、男たちは彼女の演技なんか見ちゃいないし、要するにこの時点で最早どうこの二人を落とすかしか考えてないわけね。
もともと可憐な美人のこの妹、脱がせると、更にその美しい肉体に釘付けにさせられる。沢木まゆみ(真由美、の記述のところもあるみたいだけど、改名したの?)、「濡れる人妻 ハメられた女」とか、ほかでも何度か観ているはずなのに、何で気づかなかったんだろ。これまでは彼女をこんなにじっくりまじまじと見せるタイプの映画に出会えなかったのか……ほどよく張り切ったバスト、すんなりと伸びた足、ふんわりと形のいいヒップ、決めの細かい色白の肌、さらさらのストレートヘア、全てが好み。縛られる様も、形のいい若いバストが恥らっている感じがなんともいい。多分、縛られた時のことを想定して選んでいるんだろうな、と思う。もの凄いことを言っちゃうと、姉と妹、その(年の)差は乳首の色で出る!?やっぱ、年をとると色素が沈着しちゃうのよね(嘆息)。だなんてことを思っちゃいたいぐらい、この妹の方はピンク色で、まるで野の花が咲き零れているかのようにきれいなんだもの。姉の方は、これは玄人好みなのかな、判らない。男たちはこの女将さんのヌードにひたすら嘆息するんだけど……ちょっとお腹にたるみも見られちゃうしね……。
男たちに陵辱される前に、彼女たちはそれぞれの恋人とのマトモなセックスシーンがある。姉妹の恋人は同じ大学の先輩後輩。で、ダブルデートを楽しんでいるわけで、私は思わずスワッピングをしちゃうのかしらんとあらぬ期待をしちゃったけど、不埒でした(笑)。普通にそれぞれの恋人同士とのセックス。ここでも姉妹の性格と年の差は出ており、姉の方は慎ましやかに、恋人の下でひっそりと喘ぎ、妹の方は積極的に自ら馬乗りになって。この時にすでに妹の身体の美しさに目を奪われるのよ。特に上下に揺れ動くヒップがね、実に美しくて。ヒップに目がいく女優さんというのは、ちょっと初めてだなあ。
女将にひたすら惨めな思いをさせる、旦那の愛人を演じる愛染恭子がすごいカンロク。上品な女将と対照的に、ツヤのない金髪に眉毛までその色に染めて、下品にケバい格好で、「奥さんには負けないわよ」というその身体はまさに、爛熟。“両頭”を使って女将とレズ行為をし、縛られ吊るされた彼女の目の前で彼女の旦那とセックスをし……彼女もまたちょっとかすれた声の持ち主で、団先生はこういう声の熟女がお好みなのかしらん。あ、そういえばこの場面……女将が監禁されている部屋での描写がモノ凄かった。彼女はバンザイ状態で吊るし上げられてて、両足の間に荒縄が通され、それで××××をゴシゴシされ「気持ちいいでしょ」だなんて……もんのすご、雑菌入りそう(リアルな話……)。しかもその立った状態のままで排尿まで強いられ、ここで決定的に女将は地獄に突き落とされるのである。そんなことは出来ない、と突っぱねたものの、生理現象には逆らえずついにバケツに放出してしまう彼女。ホッとした表情はつかの間で、たまらずその悔しさ情けなさに号泣してしまう。あ、何かつまんないこと突っ込んじゃうけど、この場面、彼女の太ももから下のカットでとらえてるんだけどさ、女性の排尿はあんな角度では出てこないんじゃない?あれは男性の角度よね。あんな前にはならないと思うけど(あー、ホント、何言ってんだ、私)。
ピンク映画で、メインに女性が二人いる場合は、やっぱりレズビアンの描写を期待してしまうんだけど、それはかなわなかった。この物語は彼女らを陥れたSMクラブ経営者が捕まり、その供述を内心興味津々の刑事に向かって詳細に語る、という形態が取られているんだけど、そこで彼も「本当はこの姉妹を“近親相姦”させて、それをSMショーで披露させたかった」と語る。させたかった、わけで、そうなる前に彼は捕まってしまった。思えば「紅薔薇夫人」も母娘にそうした行為をさせた、という記述は出てくるものの描写は避け、ゆくゆくはこの“芸”をSMクラブで披露させる、というところで終わっている。団氏のこうした部分、案外常識的な人、ということなのだろうか。でも観客としては正直言って残念だけど……だって、美人姉妹の近親相姦なんて、これ以上の耽美はないじゃない?だって、“紅姉妹”だよー?そんな血の運命を期待しちゃうじゃん、やっぱり……。★★☆☆☆
原監督は、今回、真っ向勝負でラブストーリーに挑戦したのだという。先日のクレしんオールナイトでも声優陣の方々が、今回はあまり野原家の人々は活躍せず、二人の恋物語を見守っているという感じ、と語っていた。物語的には非常に普遍的な純愛物を扱っていながら……だからこそ、これをクレしんでやるということ、何だかんだいっても観客は子供中心のクレしんでそれをやるということに、かなりの実験精神を感じる。子供を飽きさせないためのギャグの間合いも、それほど気にしていないような感じで、きちんと話を通し、情感を描写してくる。実際、劇場内ではちょっと飽き気味になって足をバタバタさせる子供もいたくらいで、覚えずハラハラしていたが、だんだんと物語が書き込まれ、その中に野原家の家族愛も書き込まれると、入り込んでしまって気にならなくなってしまう。物語が臨場感あふれる合戦に入ると、子供たちも画面に見入っていた。
冒頭、一家そろって同じ夢を見る(犬のシロまでも……って、窓をカリカリやってるだけで、何でシロも同じ夢を見たって判るんだー!でも、そうやって訴えてるシロ、すっごくカワイイ!)。戦国時代のきれいなお姫様が、寂しそうに水辺のほとりにいる夢。その後ほどなくして野原家の庭から掘り出される、しんのすけ自身の手による、しかし古い古い手紙。しんのすけだけが一足早くタイムスリップする。そこは合戦の行われている、現在の春日部の位置に当たる春日の地。しんのすけは又兵衛というお侍さんの命を本人の意志とは関係ナシに(笑)助けることとなり、彼の仕えるお城にやっかいになることになる。しんのすけの神をも恐れぬ?天衣無縫さが、実にイイ人なお殿様やその娘の廉姫に大ウケ。しんのすけは又兵衛のところに居候することになる。
その頃、野原家はしんのすけの行方不明に大騒動……。クレしんの素晴らしいところのひとつがこれで、そーりゃしんのすけは一見してお下品なガキで、大人を下ネタでからかうとんでもないガキんちょで、自分たちの子供にはぜひとも真似してほしくないクソガキかもしれない。でも。そんなしんのすけを容赦なくぶん殴るほど?野原家って、すっごくすっごくコミュニケーションが濃密で、実は一家の結束ってすっごくすっごく固いんだよね。しんのすけがいなくなったことで青くなるひろしとみさえ、という図は「電撃!ブタのヒヅメ大作戦」でも見せていたけど、本作でも、自分たちの子供を何よりも愛している両親の図、というのをこれ以上なく示してくれて、ホント泣かせるんだわ。しんのすけがどうやら過去の時代にタイムスリップしたらしい、と突き止めたひろしが過去に飛ぶ決心をして、「しんのすけがいない世界に未練なんてない!」(!うわー!こ、こんな台詞、言われてみたい!)と言い切り、躊躇していたみさえもそれを聞いて「しんのすけに会えるなら、行くわよ!」とその危険な旅を決意する。……親として、これ以上の言葉って、ある?もちろんこの場面だけにとどまらないんだけど、クレしんって、いろいろ問題が叫ばれているこの現代に、直球で家族の愛を投げ込んでくるという点で、素晴らしい作品なのだ!
と、いうわけで。試行錯誤はあるものの、ひろし、みさえ、シロも無事?天正二年の戦国時代に到着する。しんのすけは又兵衛と(しんのすけはおまたのおじさんと言ってるけど(笑))すっかり仲良くなり、彼が廉姫に恋していること、廉姫もまた、同じ思いでいることをすでに見抜いている(どんな幼稚園児だよ……)。知られてはいけない恋心をしんのすけに見抜かれた又兵衛は、絶対に他言無用、男と男の約束だ、としんのすけと“キンチョウ”(ごめん、字が判らない)の儀式を交わす……これがラストにホロ苦い味を残すのだ。
廉姫はもうお年頃。その美貌の誉れ高く幾多の国から引き合いが来ている。しかし、又兵衛に人知れず恋をする廉姫はどうしてもその気になれず、お互いに同じ思いであるとうすうす感じ取っている又兵衛にその思いをぶつけても、使用人である立場の彼は、ただただ恐れ多い態度を取るだけ。二人は心から愛し合っているのに。それは明らかなのに。そしてそれを二人とも判っているのに。お姫様としては奔放で、自分の意見をはっきり言うタイプの廉姫は、思い切って又兵衛の胸に飛び込んでみたりするのだが、当然のごとく、又兵衛はただただたじろぐのみ。しんのすけが語るような未来の自由な恋愛など、二人にははるか夢のかなたなのだ。未来ではどんなふうに恋を語るのだ?と問う廉姫に、お互いが好きでいればいいんだよ、と答えるしんのすけ(そんなこと答えられる幼稚園児なんているんかい!)。地位も身分も関係ないのか、と驚く廉姫に、それは未来の話です、といさめる又兵衛……。ああ……ふたりはどんなに、どんなにか、未来に生きたいと思っただろう!
ひろしとみさえのように、生まれた地は遠くても、出会い、恋をし、結婚をし、幸せな家庭を築いている未来……それを目の当たりにした廉姫の父君である殿様は、彼女に来ている縁談を破談にする。しんのすけを面白がり、カレーを美味しがる時点でかなりニュートラルな、ステキなお殿様だと思ったが、ホント、実にステキである。しかし案の定、それで合戦が起きる。その前の晩、廉姫が見上げる、木蓮の木……白い可憐な花がポトポトと落ちてくる、暗い夜空に神秘的に白い花が無数に輝き、はかなく落ちてゆく様の、何という暗示的な、そして美しさか。この場面もそうだし、同じく夜の闇の中、敵の陣営の光がホタルのように無数に光っているさまも非常に心を鼓舞されて、実に素晴らしい。
そして、いよいよ敵との合戦。この混乱に乗じて元の世界に帰りなさいと言われ、その戦いの緊張感と、もしかしたらこの合戦で死んでしまうかもしれない又兵衛との別れに、夫婦して涙を流すひろしとみさえに、人の生死の話を真摯に見つめていることに改めて気づかされ、胸をつかれる。まかせておけ、とばかりに車の中の野原一家に向かって手を振る又兵衛に、複雑な表情を見せるひろしとみさえ。その二人の気持ちを見透かすようにしんのすけが言う。「ねえ、お助けしなくて大丈夫かなあ」しんのすけって、ホントえらい、天才!何で大人の気持ちをこんなにズバリと言い当てちゃうの?ひろしはそのひと言に迷いを吹っ切ったように車をUターンさせる。又兵衛を助けるために目も覚めるカーアクションを繰り広げる!(途中でガソリンなくなったらどうしようかとハラハラするのは……あまりにギャグ体質になりすぎ?)未知なる乗り物に逃げ惑う敵、又兵衛がこんなひろしたちの、いわば友情の行為をしっかと受け止めてくれて、敵の陣地に踊りこんでゆく。ああ、友情物語も入っていたんだな!
奥深く避難させられている廉姫はたまらず、様子を見に行く、とおつきのものを蹴散らして駆け出して行く。乳母は最初何とか止めようとするんだけど……ああ、彼女は廉姫の、又兵衛への気持ちを知っているんだろうね、やがて涙を流して、彼女を行かせてやるのだ。この時点で……いや、合戦の前夜、はらはらと落ちる木蓮の花を見た時から、廉姫は又兵衛の運命を予感していたんじゃないかな、って思った。だから、どうしてもこんなところで待たされているのがたまらなかったんじゃないかって。廉姫は、今までの時代アニメによく出てくるような、不自然に男勝りの姫とかおてんば姫じゃなくて、ものごしもしとやかで、非力な普通のお姫様だ。ただ、恋しているだけ。その恋が成就されない恋だということも判っているけれど、その気持ちを抑えきれないだけ。その相手が死ぬかもしれないという気持ちが、姫という立場を越えてしまっただけ。このあたりの切ないリアリティが胸に迫り、彼女が必死に垣根を越え、急な斜面を駆け下りていく……もう涙が出てしまう。
そのころ野原一家は又兵衛より一足早く敵の陣地に踊りこんでしまっていた。廉姫を所望していた武士の用心棒が又兵衛の相手になる……その隙に乗じてまんまと逃げようとするその武士の前に立ちはだかるしんのすけ。逃げるなんてずるいぞ。皆お前のせいでこんなことになったんだぞ!そのしんのすけの勇気にもすでにうるっときたが、そのしんのすけに大人気なく怒って振り下ろされた刀を、又兵衛からもらった刀で死に物狂いでがちっとガードしたのは、みさえ!こ、これで思いっきり涙腺開いたあー!この後はしんのすけのお決まりの大活躍で、又兵衛を差し置いてこの大本命の敵を頭カンチョウで倒しちゃう(笑)。でもそいつの首を取ろうとする又兵衛にしんのすけがこう懇願するのがまた泣かせるんだ……「もういいじゃない。おじさんが強いの判ったから、もう絶対こんなことしないよ、許してあげてよ」
あのね、この前にこういうシーンがあったのだ。しんのすけたちの世界には武士がいない、ということを聞いて、じゃあ誰が国を守っているのか、としんのすけが問われる。彼は子供だから(こんな時だけね(笑))うーん、と悩んでそれはおいらたち、春日部防衛隊だ!と言う。そのくだりには、今実際誰が国を守っているのかという問いかけがなされたように感じ、しんのすけがしばし悩む“間”には、守ってくれる組織が何もないというシニカルな答えを感じ、そして春日部防衛隊だ!と答えるに至っては、自分たち自身で守らなければならない、というシニカルと真摯半々の気持ちを抱かせたのだけど、それをこの場面で実感したのと、もうひとつ、でも必要以上の争いはすべきではないと。争いが争いを生むことへの戒めを感じさせたのだ。
……実はこの後、又兵衛は合戦が終わったというのに(しかも敵の大将は生かして返したというのに)敵に不意打ちを食わされて、あっけなくその胸を貫かれ、死んでしまうんだけど、でもその気持ちは変わらない。それどころかより強くなるような気がする。だって、又兵衛はこう言うのだ。自分はしんのすけに助けてもらった、あの場面で死ぬはずを生かしてもらったのだと。しんのすけにもらった生で、彼は今まで以上の人生を生きた。自分の気持ちを、自分というものを、そして争いの意味(無意味)や、平和な時代への渇望を明確に胸に刻んで。
又兵衛が絶命する前、そんな風にしんのすけに感謝の言葉を語りかけ、うるうるの瞳から大粒の涙を流すしんのすけ、そして愛する人が死にゆくのを遠くからその目に焼きつけ、ガックリとひざを落とす廉姫のあまりにも哀しい後姿。そりゃ……そりゃ廉姫とは結ばれない身分の差があったけど、やっぱり又兵衛はどうしても死ななきゃいけなかったの?でもボロボロ泣きながら、死の哀しさをこんな風にちゃんと子供たちにも伝えなきゃっていう意志も原監督にあるんだろうな、とも思えて。いよいよ野原一家が帰る時、廉姫が、「私は一生結婚しない。こんなに人を好きになることは、もう二度とない」と言うのにまたしても涙を流し、しんのすけが、あのね、おじさんも廉ちゃんのこと……と言いかけると、これ以上言うな、と制する廉姫にさらに涙が引き続く。しんのすけ、それを聞いて、又兵衛との約束を思い出し、形見の小刀をカチャンとやって、キンチョウの誓いを再びたてるのだ……あー、もう、涙が止まらないよー!
野原一家が去った後、青空を眺め、一人ぽろぽろ涙を流す廉姫。又兵衛は確かにとっても強いお侍さんだったけど、普段は青空をぼーっと眺めることの好きな、争いなどおよそ似合わないタイプの人だったのだ。しんのすけたちとの話の時、武士のいないそんな時代では私などはどうやって生きていけばいいんだ……とつぶやく又兵衛に、お前はいつものように空でも眺めておればよい、と言った廉姫。あの言葉は彼へのこれ以上ない愛情の言葉だったのではないか。廉姫は空を眺めることが好きな、そんな穏やかな彼だからこそ、大好きだったに違いないんだもの。
廉姫の声を担当するのは、前作のヒロインから引き続き登板の小林愛。彼女のちょっと低めの落ち着いた声が、ストイックさを感じさせて実に良かった。ゲスト声優陣、最初から把握していれば楽しめたのに、ラストクレジットを見て、全然気づかなかったー!と悔しがり。雨上がり決死隊の二人とか、全然普通に上手かったんじゃないかなあ。だって、全く違和感感じなかったんだもん!★★★★★
さてこの日、既に上映予定が発表されていた「爆発!温泉わくわく大決戦」と去年の大傑作「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」は既に観ていたわけだが、もう一本、監督からの推薦作品である最後の上映作品はその日までのお楽しみだった。監督はこの日、二週間後に迫った新作がまだ出来上がっていない(!)という超追い込みで会場には来ることが出来ず(そう考えると、声優さんたちだって、相当キツいスケジュールだったに違いないわけで、だから一番大変な主人公のしんちゃんをやっている矢島さんが倒れたのも無理はないんだよね)それもまた残念だったのだが、その原監督が出してきたのが本作、「ブタのヒヅメ大作戦」だったのである。この作品は、大好きだった故・塩沢兼人氏最後の、そして生涯の代表キャラのひとつと言ってもいいぶりぶりざえもんが活躍するということは聞いていて、もちろんビデオでも借りればよかったんだけれど、スクリーンで観られなかった、という悔しさが、何となく二の足を踏ませていたのだ(それに出来ればビデオではなくDVDにしてもらって、手元に置きたかった)。だから、これは本当に嬉しかった。原監督が来ていなかったから、なぜこの作品なのか、というのは聞けなかったわけだが、兼人さんへの追悼の意も含んでいると、そう思いたい。それに本作の中でぶりぶりざえもんは哀しくも美しい自己犠牲の姿を見せ、その後死んでしまった兼人さんのことを考えると、二重に泣けて仕方ないのだ。
物語はあいかわらず荒唐無稽なのに、緻密で、本当に起きそうなリアルささえ感じるほど、実によく練られている。あらゆるコンピューターに入り込んでしまうコンピューター・ウィルスを手に入れ、世界を征服しようとする秘密組織“ブタのヒヅメ”と、それを阻止すべく奮闘する正義の秘密組織“SML”(せいぎの、みかた、ラブの略だというんだから……(爆笑))。その争いにしんのすけ、風間くん、ネネちゃん、ボーちゃん、マサオくんがまきこまれ、しんのすけを追ってひろしとみさえも乗り込んでくる。冒頭、しんのすけたちが乗った屋形船が粉々になって海上(いや、川上かな?)で発見され、ぼーぜんとするひろしとみさえ。この二人がシリアスに登場するなんて……しんのすけを心配するあまり青い顔をして涙を流すみさえに、早くもシンクロして目頭が熱くなったのを制するように、夫婦を訪ねてくるSMLのコードネーム“筋肉”。彼に下剤入のお茶を飲ませ、トイレに行きたかったら、自分たちをしんのすけのもとに連れて行け、という要求をつきつける、夫婦と“筋肉”とのバトルのスーパー・スペシャル抱腹絶倒のスバラシさ!あしたのジョーか巨人の星か、とでもいうような、荒々しい線と動きでトイレを目指す“筋肉”を大アクションで阻止するひろしとみさえの可笑しさときたら!
この時は結局“筋肉”に逃げられてしまうものの、彼の持っていた書類に書かれた地名を頼りに、二人は香港に降り立つ。そのころしんのすけたちは、やはりSMLのメンバーで、のちに“筋肉”が別れた元ダンナだということが判明するコードネーム“お色気”と行動をともにしている。彼女はこの子供たちを巻き込んでしまったことを心から悔やみ、自分の命に代えてもこの子達だけは守り抜く決意で、しかもそう言うだけあって、めっぽう強い。しんのすけ好みのグラマラスな美人で、キック技を得意とするその格闘の技は、常にアクション映画たることを目指している(監督弁)クレしんの面目躍如で、とにかく素晴らしい。何か、ミシェル・ヨーとか思い出しちゃうぐらいだもの。その動きが徹底的に作りこまれていることに本当に驚かされる。
“ブタのヒヅメ”側には短い足を異常に気にするバレル(しんのすけにそれを喝破されて、シークレットシューズの図解説明が出るあたりが(笑))、無口だけれどダジャレ好き、自分のくだらないダジャレに瞬間的に大爆笑して隙を作ってしまうというナイフの使い手ブレード、ムキムキ女子プロレスラーといった趣のママなど、強力なメンメンが用意されている。しかし彼らよりもっと可笑しいのは、この“ブタのヒヅメ”に自身の作ったプログラムを提供させられている天才電子工学者、大袋博士とその助手、アンジェラ青梅であり、尻フェチの博士とかなり強力なオカマさんであるアンジェラのコンビはこの対決している双方を圧倒してしまう。
特にあの場面が可笑しかったな……一度は逃がしてもらったしんのすけたちが、結局また“ブタのヒヅメ”の基地に戻ってきた時(その入り口がこのコンビの作った判りやすすぎる“秘密の入り口”だっていうのも、かなり笑える)大袋博士とアンジェラ青梅が荒い息を吐きながら紅潮させた顔を寄せ合っているショットがいきなり映し出され、ちょ、ちょっと!一般的には子供向けといわれているクレしんでそんなことやっちゃっていいのお!?と思ったら、カメラが引き、二人は大袋博士の作った関取スーツを身につけてバーチャル相撲を楽しんでいたという……(何だそりゃー!)実はこういう大人をドキッとさせるギリギリのヤバネタはもう一つあって、とらえられた“お色気”が彼女の盗んだプログラムを渡すようにと敵に迫られ、どんなに拷問されようともトランクの開け方を知らないんだから、と突っぱねる彼女に、女にこの拷問が耐えられるかな、と敵がニヤリと笑うのに、え、ええッ、ま、まさか……いや、クレしんでそれやっちゃってイイのお!?と思ったら、バーチャルで彼女をアルマジロだのテナガザルだのタツノオトシゴ(笑)だのに変えて精神を疲弊させるという(しかし、こんなんでそんな、マイるもんかしらん)脱力系の拷問だった……。もうー、原監督、人が悪いよ!と言いながら、実は当然、喜んでるんだけど(笑)。
と、ここらあたりで、あら?まだぶりぶりざえもん、出てきてないなあ、まだかなあ、と気づいたのを見透かされたように、やっと登場とあいなるわけである。しんのすけが落書きで書いたぶりぶりざえもんが、不思議な偶然で大袋博士の手に渡り、博士の手によって電子生物として生命を吹き込まれた。この電子生命であるぶりぶりざえもんは、どんなコンピューターにも侵入できるし、何とコンピューター画面から実体化して出てくることすらできるというのである……というのを説明する、映画の予告編風マニュアルから始まり、ぶりぶりざえもんをつかまえに脳波を読み取られたしんのすけが電子の世界に入り込むところまで、ぶりぶりざえもんの場面は一本の映画作品にしたいぐらい、イマージュ豊かな秀逸さ。
“ブタのヒヅメ”が言うような悪ではないんだよと、ぶりぶりざえもんは正義なんだよ、としんのすけが昔話よろしく彼の物語を語る、クライマックスでのぶりぶりざえもん、そしてその声を演じる塩沢兼人氏は本当に、本当に素晴らしい。もともと、その声の色気とユーモラスなキャラクターとのギャップが(これ、声優のキャスティング・ディレクターを尊敬しちゃうよ、ホント!これをね、たとえば神谷明などにしなかったのが素晴らしいと思うのよ)ぶりぶりざえもんを出色のキャラにしているのだけれど、それがこのシークエンスでは最上の形で結実しているのだ。ぶりぶりざえもんは、宝物が手に入るというお山をのぼってゆく。その道には何かに困って泣いているレースクイーン(笑)、OL、小さな女の子がいて、彼は宝物を手にするために急いでいるからと無視しようとするんだけど、結局それぞれに助けてしまう。そして最終的に、宝物とはこの心の中に感じるあたたかい気持ちのことなんだ、と気づくという、実にイイ話。で、ぶりぶりざえもんは妙に手先が器用だったり、コピー機に詳しかったりして、しぶしぶ彼女たちを助けてやるんだけど、その“しぶしぶ”の声のニヒリスティックな色っぽさときたら、ないの!その場面の前でも、彼を操る“ブタのヒヅメ”の幹部に、俺の尻をなめろ、と言ったりするシーンで(「……キスでいいか」と返す相手がまた可笑しいんだよう!)その色っぽい声にゾクゾク鳥肌が立ったもんだけど、それ以上に……ことに、コピー機の中を覗きながらため息まじりに「……紙詰まりか」と言う、あの台詞、あの声、耳に焼き付いて離れない!ああ……やっぱり忘れられない!
ぶりぶりざえもんは結局、世界を悪から救うために、消えることに同意する。それを見届けるしんのすけは、……現実世界で脳波を送るためのヘルメットをかぶせられた下で涙を流す、画面の片隅のその一瞬のシーンにハッとしてしまう。このヘルメットが実にオチャメなデザインなものだから、笑ってしまって、そして泣いてしまって、困った笑い泣き状態。ここでぶりぶりざえもんは完全に消えてしまったと思いきや、脱出しようとした飛行船が定員オーバーで重すぎちゃってなかなか飛び立てなくて、しんのすけが、ぶりぶりざえもん、助けて!と叫ぶと、消えたはずの、でももはや消えそうに透き通りかけているぶりぶりざえもんが、その身体全体で下から飛行船を押し上げてくれる。そして、任務が完了すると、業火の中に静かに、ゆっくりと落ちていくの!……参ったよ。何でこんなに泣かせるんだよー!
何もかもが終わって、まるでウソみたいな出来事だったね、とみんなでピクニックしている時に、しんのすけがスケッチブックにクレヨン(当然!)で描いているぶりぶりざえもん。その絵にはありがとうの文字が添えられてて、まさしく、ぶりぶりざえもんはしんのすけの、そしてみんなの心の中に生きてるんだよね、塩沢さんも、そうなんだよね、って。
この日、ゲストに来ていた野原一家の声優さんたちのなかで、ひろし役の藤原啓治氏が、ひろしの造形とは全然違う、黒ずくめの似合うかなりのイイ男だったのにビックリ。映画を観ている間も、ひろしの登場シーンは藤原氏の姿が思い浮かんじゃって。いやー、実写の俳優さんになったっていいぐらいだよね!★★★★★
ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を原作にした映画は、そのままのタイトルで1968年、シャルル・ベルモン監督によってフランスで映画化されている(ジャック・ペランが若い!)。やはり同原作の岡崎京子の漫画(未読。読みたい)がヒットした頃の1994年、伝説の映画が日本でも公開された。同じ原作を元にし、設定やストーリーにももちろん共通性がありながらも、これほどまでに印象をたがえる作品になるということが面白い。68年の仏作品は、アヴァンギャルドでキュートな映画。ファッション性やポップさが画面で跳ね回っていて、突然のボーイ・ミーツ・ガール、突然の結婚式、ピアノを鳴らすと出来上がるピアノ・カクテルなど、愛さずにはいられないファニーなファンタスティック・シネマだった。睡蓮の花咲く不思議な哀しさすらも可愛らしかった。終わってほしくない、と心底思った。終わってほしくない、と思った部分は共通している本作では、そうしたファッショナブルな魅力ではなく、人間に、人生に踏み出している。現代日本映画の魅力、強みはこの点にあるんだと私は確信を持って思うのだ。 画としてのその美しさに目を奪われながらも、そこから一歩、人生に深く分け入っているところが、その勇気が、良心こそが日本映画の命綱なのだと。全身イイ人の利重監督が分け入るいばらの道……。
それにしてもなんという純粋すぎるラブ・ストーリー。68年の映画化でも突然の出逢いと突然の結婚式のチャーミングさには目を奪われたが、本作でも二人の出逢いとその気持ちを確認し合うところは本当にドキドキする。勇気を振り絞って告白する高太郎にニコニコと答えるクロエのこの場面!「君が好きになっちゃったんだ!」「私も!」「ずっと一緒にいたい」「私もよ」「ずっとだよ。しわくちゃのおじいちゃんおばあちゃんになってもだよ」「私もよ。不思議ね」……ああ、こんな台詞が書けちゃう利重監督が、そして演じられちゃう二人がたまらなく好きだ。
そう、本作で目からウロコだったのが、タイトルロール、クロエをまかされたともさかりえ嬢だったのだ。利重監督の前作「BeRLiN」が私にはピンとこなくて、というのもヒロインの中谷美紀がピンとこなかったからなんだけど(彼女はいまだに私にはピンとこない)本作のともさかりえときたらどうだろう!その活躍の場の多くがテレビドラマだった彼女だというのに、テレビ芝居臭さがまるでない。冒頭、高太郎に出会う場面、話し掛けられた彼に答える彼女の不思議なエロキューションには一発で陥落してしまった。彼女のことは、映画の「金田一少年の事件簿 上海魚人伝説」と「センチメンタルシティマラソン」で見かけたが、前者での彼女はアイドル映画の壁の花という感じでさしたる印象は受けず、「センチメンタル……」は作品自体があまりにお粗末で、しかし彼女には魅力を感じていたから“ともさかりえには、いい監督、いい作品の元でスクリーンにまた登場して欲しい”などと最後を締めくくったのだ。それが今回、本当にツボにはまった。そういえば、彼女「センチメンタル……」では(二役のうちのひとつが)花屋の店員だったのだ。花に囲まれた、花言葉に精通した、清楚な少女。その役がとっても似合っていたのが、何だか本作で妙に連鎖するような気がして。
高太郎を演じる永瀬正敏はもともと入り込んじゃうタイプの俳優さんだが、彼の入り込みと同レベルで入り込める相手役の女優、というのは、実に久しぶりのような気がする。ともさかりえ、さすが若いながらもキャリアを重ねているだけの役者っぷりで、彼と同等、いやそれ以上にクロエとなり、どうしようもなく高太郎と愛し合っている。そうなまめかしいシーンがあるわけでもなく、まあキスシーン程度なのだけれど、そのキスシーンの純度の高さ、深度の深さには見惚れてしまった。これほどまで永瀬とタイで渡り合える女優は、実に大竹しのぶ以来かもしれない?肺に睡蓮のつぼみを宿してしまうというのも本当に彼女に似合っていて、まさしく彼女こそスクリーンに咲く可憐ではかない睡蓮。いやもっと清楚な白い百合のよう。
肺に睡蓮を根付かせてしまった彼女は、その命を日、一日と縮めていく。彼女の肺の中の睡蓮が他の花に萎縮することを知った高太郎は、せっせと花を買って部屋中を花で埋め尽くすのだが、ささいなことで仕事をクビになり、花を買い続けるために怪しい仕事にも手を染め、日がな一日働きづめになる。自分の命がいくばくもないことを悟ったクロエは、高太郎と一緒にいたくていたくて……
「私、もうすぐ死ぬの。お願いだから、一緒にいて」
……ああ、何てこと!涙を必死にこらえながら高太郎にそばにいてほしいと懇願するクロエ=ともさかりえの何という素晴らしいこと!何で、ねえ、何で高太郎判ってあげられないの、どうしてそばにいてあげられないの?見ているこっちがクロエの必死の訴えに胸が痛く痛くなってしまう。まさに類友である、高太郎とクロエの友人たちが彼女を見舞ってくる。鈴木卓爾演じるオカマのアニが、クロエの静かで哲学的な言葉に「ごめんね、クロエちゃんの言うこと半分も判らないの」と突然泣き伏しちゃうのはコミカルで思わず吹き出してしまいそうになるのだが、その優しい友達をそれ以上に優しく優しく膝に抱きしめるクロエがまるでマリア様のように美しくて……。
高太郎とクロエの愛の巣は、最初太陽の光がさんさんと差し込む素敵な部屋だった。階段のついたちょっとしたロフトもあるシャレたつくりで、クロエは「いいの?こんな素敵な部屋に住んじゃって」と思わずもらし、そんな彼女が愛しくて高太郎はぎゅっと彼女を抱きしめたものだった。しかし、クロエが病に倒れ、部屋一杯にベッドが置かれ、その周りを埋め尽くしていた花も買えなくなってくると、なぜかロフトが姿を消し、天井が迫ってきて、窓も狭く押しつぶされ、太陽の光が手の届かないものになってゆく。一体、これは……彼女の命が押しつぶされていく暗示なのか?そんなの、哀しすぎる!親友の彼女が犯した罪を知って恐怖にかられた高太郎がそんな部屋に閉じ込められたクロエのもとに走ってくる「怖かったよ……」そうつぶやく高太郎をニッコリ笑って抱きしめるクロエは、病気で弱々しくなりながらも、本当に幸せそう。狭く狭くなっていく部屋も、その時ばかりは二人の世界を濃密にする手助けをしているよう。クロエはその前の場面でこんなことを言っていた。「一人で幸せになるのはカンタンだけど、二人で幸せになるのはむずかしい」でも、彼女は高太郎が好きになって、二人の幸せの意味が一人のそれとまるで違うことに気づいたのだ。一人が楽しいこちらにはチクリと痛い言葉だけど、そう、きっとそうなんだね。
高太郎の親友、英助とその恋人、日出美の描写もイイ。演じるは塚本晋也と松田美由紀。何と素晴らしいカップリング!松田美由紀、私大好きなんだけど、それというのも、利重監督の「エレファント・ソング」からなのだ。今回の彼女は一瞬誰だか判んなかったぐらい、セクシーなカッコでナイスバディの女性で、こういうのが似合うというのも意外だったなあ(今放映中の「私立探偵 濱マイク」に通じる!)。アーティスト、キタノに入れ込んで、二人のためにと高太郎が差し出した金をもその作品につぎ込んでしまい、借金がかさんで人間関係も壊れ、一人懊悩した英助は行方をくらましてしまう。日出美は戻ってこない英助を思いつめ、キタノを探し出してその手にかけてしまうのだが、その頃英助は借金をした知人に刺し殺されていた……。自分を律せないことに苛立ち、しかし日出美を心から愛しているのに彼女を幸せにできないことにも苛立つ、いつまでも子供のようなワガママを持て余す英助を演じる塚本晋也の上手さと、そんな彼を無条件に愛するがゆえに殺人を犯してしまう、クロエとは対照的だけれどやっぱりマリア様な松田美由紀、素敵すぎる!
その英助が没頭するアーティスト、キタノに扮するのは、何と青山真治監督。あ、でも「ユリイカ」で青山監督が利重監督を役者として起用したことを考えればナルホド、と思う。いわゆるマルチアーティストであるらしいキタノは、街頭で叫ぶパフォーマンスなんかもやってる……「サバはくだらない!」だなんて、サバはくだらなくなんかないぞおー!(って、そういう問題じゃないけど(笑))日出美がこのキタノの心臓に突き立てた管状の凶器から、血が沸騰しているかのように溢れ出していくのが鮮烈。その時、不思議とキタノは微笑むような表情を見せているのだ。そしてバッタリと倒れる。あの表情は何だったんだろう……心に焼きつく。
やりたくない仕事に悄然としている高太郎。いつも花を買う花屋さんが、そんな高太郎を仕事に誘ってくれる。余った花を持って帰れるし、仕入れたものを安く買えるよ、と。何かこの花屋さんの描写にも涙が出そう。彼は無意識のうちに高太郎の苦悩を感じ取っている。花を買っていく、なんていう本来ポジティブな行動であるはずなのに、あまりにも高太郎がいつもいつも悲壮だったから、なのだろうか。人って本来、優しい生き物なんだよね。クロエが死んでしまって、どこか呆然としたまま花屋での仕事を続ける高太郎が、仕事の休憩時、このご主人のちょっとしたギャグに笑い、そしてふと我に返った時、急に哀しみに襲われる。クロエがいないことに唐突に気づいてしまう。何で、何で……と嗚咽をあげて泣きじゃくる高太郎をじっと静かにご主人は見守っている。カメラがゆっくりと引き、遠くからそんな二人を見つめ、いつもは騒がしい都会までもがひっそりと見守るようにうずくまる。哀しいんだけど、そんな見守る目がたまらなく優しくて。
利重監督とともに脚本を担当しているのは、「楽園」の監督、荻生田宏治。ああ、まさしく「楽園」の監督さんなんだなあ、この言葉なき優しさに涙が出そうになるのが。利重監督とはイイ人つながりの類友って感じがしちゃう。そしてこの音楽。元プリンセス・プリンセスの今野登茂子が奏でる内面的なピアノが、光と優しさと愛をたっぷりはらんだこの作品そのものから自然発生したんじゃないかと思われるぐらい、あまりにも幸せなコラボレーション。
ささいなことでクビになっちゃったけど、高太郎はプラネタリウムに勤務していた星を愛する青年で、そしてクロエを愛するようになって、そしてクロエは星になった。ニセモノの星が輝くプラネタリウムじゃなくて、これからずっと本物の星空を仰ぎ続け、そしてその度に、高太郎はクロエをそこに探すんじゃないかな……。
立ち上るタバコの煙の中、高太郎に人生相談をする岸田今日子、という冒頭が終わりになってふと思い出された。彼女の、指先からどんどん砂になって流れ出していってしまうという感覚、もしかしたら今の高太郎には判るかもしれない。一見物語に無関係のように見えた岸田今日子が、なぜだかこの作品の印象を一身に背負っているような気さえするほど頭から離れない。人生の深さを。★★★★☆
東京と大阪、互いに宿敵同士の薬品会社。大阪側のヒット商品である精力剤、“王精”(うーん、これはやはり、精力“旺盛”とかけているんだろうな)を積んだトラックが、腕の立つ一団によって鮮やかに奪い取られる事件が起きる。製薬会社の社長は、ライバルである東京の薬品会社によるものだと判断、東京には最近負けっぱなしやからなあ、と嘆息する幹部社員たちを叱咤し、仕返しする方法を見つけんかい!と尻を叩く。実際、東京の会社、社長直属の忍者部隊とも噂される凄腕プロパー、利根(天知茂)の手による犯行だった。かぎつけた大阪側の奴らとの攻防、ついには捕らえられ、ドラム缶詰めにされて海に放り込まれるところが、彼の才覚を気に入った大阪陣営の一人によって助けられ、見事殺し屋たちは警察の手により一網打尽。
登場からそのキザッぷりが堂に入っている天知茂は、それがカッコよさかギャグかという境界線ギリギリのキャラで、天知茂にホレている私なぞはうっとりとながめるだけなのだが、そんな私もさすがにコリャ可笑しいと気づく前のかなり早い段階から、劇場では笑いが漏れていた。何たって、女を前にすると、メルシー、マドモワゼルだの何だのと、クサいフランス語を連発するんだから、それだけでもそのキザギャグぶりは判って頂けるだろう。冒頭のトラック襲撃の場面、後半、彼を助けてくれることになる敵方の一人が、「あのガキ……」と利根のことを言うのだけれど、で、でも実年齢的にも、もう35を越えているんだし、決してそんな青二才であるはずはなく、実際、そう見えもしないのだが、一体幾つの設定なんだあ?なんかこの段階でもんのすごく違和感感じちゃったんだけど?年上の女との情事に飽きるとさっさと彼女を捨て、同じプロパーの同僚である――失恋の痛みで自殺未遂し、そんな彼女を心配した父親に買ってもらった高級マンションに住んでいる――極めてロマンティックに少女的なお嬢、仙石を強引に陥れる。
そんなことになるなんてことは絶対に判っているはずなのに、彼女を送り、帰ろうとしない利根を「あなたには負けたわ」とかなりあっさり部屋に入れてしまい、いざ彼に襲いかかられると強行にムダな抵抗を試みる仙石は、ほっんと、やんなるくらいのお嬢。ま、演じる野川由美子は確かにそんなお嬢を感じさせるぐらいのしとやかな美女で、この人は結構いろんな映画のヒロインで見ている覚えがあるのだけれど、こういう、一応はバリッとして腕の立つキャリアウーマンというのは初めて見る気もし、しかしやはりこんな感じのお嬢のイメージなのよね、どうしても。
この場面、私はかなり、かなーり、うらやましかったぞ!天知茂、ラブシーンが上手い上に、美しいんだなあ、これが……。確かに強引に、力づくに、彼女をその腕の中で動けなくし、唇を奪い、ソファに押し倒す、のだけど、その画、どれをとってもまるで緻密に計算された芸術品の立体図形みたいに、すっごい、美しいの!彼女が画面を背にして、彼がこっちを向いている位置関係で、彼の唇を避けてイヤイヤをする彼女に対して右から左から、巧みに唇を狙ってくるそのシャープな顔の角度といい、服の布地に官能的なしわが寄る抱きすくめ方、その指の美しさ、押し倒し、舌を入れる濃厚なキスから、首や耳をなぶりなめるその愛撫まで、かっんぺきに美しいの!一体、何なんだ、この人は……。監督の演出もあるんだろうけど。
そうそう、この場面のカッティングは、ことに押し倒してからがしんねりと念が入っていて、あえぐ彼女の唇や、絡まれる二人の足のアップが……もちろん一般映画だからナマな映しはしないんだけど、何だかそれ以上になまめかしいんだわ。しかもしかも、ここは本当に、かなりの時間を割いていて、お嬢女優のイメージの野川由美子が……まあ、彼女は大してその肢体をさらけ出すわけではないんだけど、ほんと、凄くて。さすが後年、ピンク映画界に活路を開いた小林監督って感じがするよね、っていう……。こんな風に強引に抱かれて、この時点では利根に対する反発心の方が強い仙石。彼女は自分の腕を過信したために仕事を失策し、待ってましたとばかりに社長に罰として抱かれる。こういうお嬢系美女が脂ぎったオヤジに陵辱される図というのは……もちろんここでもジャブだけで次のシーンにカットされちゃうけど、そのマゾ的な雰囲気もイイ。
エッチなシーンはまだまだある。何せ精力剤争いの話だから。利根はライバル会社の商品の秘密を探りに(利根の所属する会社の社長は、ライバル会社の“王精”を「こっちの方が効くんだ」と言って飲んでいるくらいなんだから)この精力剤を開発した研究者?岩倉の元を訪れるんだけど、その岩倉っていうのが、何と殿山泰司!(ちなみにその息子でうだつのあがらない会社役員が左とん平!)しかも彼ってば、孫子ほども年の違う女の子を後妻に迎え、今だ精力衰えず、息子が訪ねてくるのもさっさと追い返してよろしくやっているという……。それというのも、彼が作り出した精力剤の秘密は、彼の住むこの山の中に生えている貴重なユリに含まれる成分にあって、その咲いているところに入り込むだけで、ミョーな気分になるという。実際、この性感帯のカタマリのような、始終ケタケタ笑っているちょっとオツムの弱そうな女の子は、利根が訪ねてきた時もこのユリの群生地に引き入れ、殆ど逆レイプのような形で、しかもダンナのセックスのやり方まで伝授して、彼と関係してしまう。目をシロクロさせながら、このユリにというより女の子の強引さでムリヤリやらされてしまったかのような利根=天知茂のオタオタした可笑しさがたまらない!
しっかし、殿山泰司には驚いたよ。彼が出てきただけで驚いたのに(?)全身全霊スケベオヤジを熱演してるんだもん。殆ど足フェチ並に彼女の足を満面笑顔でじっくりと眺め、ここもまた耳なめ攻撃で(小林監督は耳なめが好きなのかしらね……)せめまくる姿には正直アゼン!まあ、左とん平がやったらもっと驚いたけど……(彼はやっぱりコメディリリーフのみ)。そして天知茂。ラブシーンだけでなく、ケンカシーンがなかなかカッコいいのだ。ある程度はスタントも入っているんだろうけど、これがちょっと意外なくらい、サマになっている。天知茂みたいな長身痩躯(に見えるけど、小柄らしい!)の男性だと、これってなかなか難しいんだけど、その長い手足が鋭く空気を切り裂いていて、これがカッコいいんだわあ。こんな未知だった部分も含めて、やっぱりホレなおしちゃうね!
思わず、向ヶ丘遊園♪と歌いたくなってしまう(?)、五拍子のジャズが全編に渡ってカッコイイの何の。フィルムノワール、って感じだわあ。★★★☆☆
大学ラグビー部、最後の試合を有終の美で飾った卒業生四人、打ち上げの席で料理屋の箱入り娘、洋子に四人揃って目を奪われる。いつも試合を見にきてくれていた美女姉妹。その姉に皆ぞっこん参っちゃったのだ。この洋子が浅丘ルリ子。今まで映画で観た中で最も若く、まだ頬もふっくらしていて喋りだすまで頬骨が目立たなかったので彼女だと気づくのに時間がかかった。頬骨に気づかないと、彼女は唇に目が行く。華奢な身体に似合わず、ぽってりとした実に肉感的な唇。今の井川遥嬢なぞよりもっとスゴい唇である。しかし、この時ともに登場する妹の方が可愛い感じがしたけどね?なのに皆が皆洋子に目を奪われるというのは……ま、最終的には四人のうちの一人が妹と結ばれるからいいんだけどさ。
もともと惹かれあっていた大野(葉山良二)と洋子がとりあえず結ばれる。卒業旅行にと皆で出かけたスキー場でその事実が判明して、青年らしいカルい制裁を加える場面は楽しい。こういう青くささというのは、まさに現代じゃ望めないところで、いやあ、これでスッキリしたぜ、良かったな、ワハハ、ワハハと皆で肩を抱き合ったりなんかしちゃって、思わずこっちの顔が赤くなってしまう。この夜のスキー場のシーン、照明をろくに使ってないのか昔のフィルムだからか、すっかり暗闇の中で皆の表情が全然見えない(笑)。
小林旭扮する尾崎は卒業後新聞記者に。明日入社試験だ、と突然言って、次のシーンではアッサリ受かっちゃってるあたりもやたらライトだが、血の気が多く正義感の強い彼がさまざまな事件を起こしつつも成長していって、友人の麻薬中毒を助けようとしたらその彼が暴力団にボコボコにやられて失明しちゃったり、そのほとぼりを冷ますためにブラジル支社に行くとか、もうとにかくお前もうちょっと考えろよ、と言いたくなるほどにドンドコ物事を決めちゃって、ついでみたいに途中で大野と破局した洋子にプロポーズしちゃって、断られたら今度はよりを戻すのに協力したりなんかして、お前何なんだよ!とか言いたくなる展開の早さ。いや、別に彼のせいじゃないんだけど。だって彼と同等の人生が並行してあと三人分描かれるんだもん。多すぎだよ!
さっき言ってた麻薬中毒になった彼は卒業後始めた不動産業をトラブって堕ちていくんだけど、事業をやると決める彼も彼に資金を出す母親も決定が早いし、麻薬中毒から抜け出すのも、もはや懐かし手法の、良き友人たちのオーヴァーラップだけでアッサリ立ち直っちゃうし、そのあと失明して、恋人(尾崎の妹)と別れようとするんだけど、彼女のひと言ですぐそれを撤回しちゃうし。その他も、肺を病んで山奥の学校に赴任した男が、学者生活に戻れることを希望にしていたはずが子供たちの情に引かれて学校に残ることにしたとか、それだけで映画一本が充分に作れちゃうようなエピソードばかりで、どう考えてもこれを四人分一本に押し込めるのはムリがあるんだよなあ。彼ら、本当に悩んでるのかあ?と思えるほどに考える間もなく結論が出てっちゃうから、こっちの気持ちが追いつけないんだけど。こういうのって、珍しいよなあ……。
まあ、確かにそれだけに見ごたえはある。麻薬とか、教育問題とか、国際的視野とかいうものがふんだんに盛り込まれているし。しかしふんだんには盛り込まれているけど、それぞれがアッサリ通り過ぎてしまうもんだから、これって逆効果かも……などとも思ってしまうのは事実。それほど考える必要のない問題だ、だなんてさ、そんな筈ないのに。まあでも、こういうフットワークの軽さこそが必要なのかもしれないけどね。でも麻薬から立ち直るのも立ち直らせるのもあまりに簡単すぎるぞお。あ、だからその代償として失明しちゃったとか?んなバカな!
と、いうよりかはむしろ、彼ら四人の友情物語、ってことなのかもしれない。卒業後も何かといえば皆で集まり(というのも珍しいよな)、本気で言ってるんかねとついつい思ってしまうんだけど、「人生って上手くはいかないな」だなんて言い合ったりして。それだけポンポン乗り越えといて良く言うよなーと思うんだけど。はっきり言って女たちなんて彼ら友情の刺身のツマだもんね。三人いた女性を小林旭だけ除いて適当に振り分けた、という感じで。「プロポーズってもっとロマンチックなものだと思っていたわ」と山奥の学校に赴任していく男に列車からプロポーズを叫ばれた洋子の妹が言うように、ろくに、どころか全く恋愛の描写もなく(まあ、この上恋愛の描写を入れるってのもムリだろうけど)片づいちゃうし、一生の問題のはずの、失明した男と共に生きていく決意も5秒で決めたって感じだし。この時代には女の役割なんてそんなものなのかもしれないけど、いや、今だってさして変わんないかも。
ちょっと段差があるとすぐ片足を引っ掛け、その膝に肘かけてあごに手を当ててポーズをとる彼らに思わず爆笑しそうになってしまうのは私だけなんだろうか。まるでフツーみたいにそのポーズが何度も出てくるに至っては……。★★☆☆☆