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ウェイトレス/おいしい人生のつくりかた/WAITRESS
2007年 108分 アメリカ カラー
監督:エイドリアン・シェリー 脚本:エイドリアン・シェリー
撮影:マシュー・アービング 音楽:アンドリュー・ホランダー
出演:ケリー・ラッセル/ネイサン・フィリオン/シェリル・ハインズ/ジェレミー・シスト/アンディ・グリフィス/エイドリアン・シェリー
ジェンナのパイ作りの才能は天賦の才。次々と浮かんでくるレシピに、同僚のベッキーとドーンもうらやみの声を上げる。でもどんなに彼女の才能をうらやんでも、そしてただ一人マトモに見える夫を得ていても、彼女たちは決してジェンナに成り代わりたいとは思わないんである。
そう、確かにジェンナの夫は見た目はハンサム、毎日仕事帰りの彼女を迎えに来る。言い様に寄っちゃ、愛されている、と言えるのかもしれない。
しかし、彼女はあまり幸福じゃない。迎えに来る夫がクラクションを何度も鳴らすのに、ウンザリした顔を見せる。暴力夫というわけじゃないけど(ま、それでも劇中小突いたり、一発殴る場面は出てくるけど)、超束縛してくる夫に悩まされてる。
ジェンナがなぜそんなにも、この夫と上手くいかなくなったのか。言葉では「結婚した途端にアールは豹変した」と言うだけで、その前にはラブラブだったのか、常に硬い表情ばかりを見せるジェンナにちょっと合点がいかない点もあるのだけれど。
それに、なぜだか、ジェンナは彼に対して言いたいことが全然言えない。たかが隣町のパイコンテストに出るのさえ、夫は「ノー」の一点張りなんである。
彼女にとって唯一の拠り所を、夫は全然理解していない。いや、彼女がパイ作りが上手いことぐらいは判ってる。でもウェイトレスの給料を全部めしあげては「大した稼ぎじゃないな」とごち、「この程度の稼ぎなら、ウチで俺のためだけにパイを作ってろよ」とニヤリとする。何を言うことも出来ないジェンナ。
しかも、ジェンナ、妊娠しちゃったのだ。本当ならばおめでたいことなのに、彼女はちっとも喜べなかった。ひどく飲まされたあの時だ……と後悔し、必死に夫に隠し続けた。
それでも、堕ろそうとは思わない。そんなことは非人間的なことだと思うからかもしれない。
ただ産むだけ。そんな母親もいるのだとベッキーやドーンに愚痴る一方で、自分の冷たさにどこかで傷ついていた。冗談なのか本気なのか、子供を売ったらいい金になるらしいなんてことまで言って、ドン引きさえされた。夫との子供を、どうしても喜べなかった。
そんな彼女の主治医となったのが、コネチカットからやってきた若い男性医師のポマター先生。彼も結婚しているし、彼女の夫はこんなにも嫉妬深いんだし、そんなことになる筈がなかったのだ。
でも、だからこそ、こんなことになってしまったんだよなあ……。
ジェンナがその置かれた状況ごとに頭の中で生み出すパイが、カラフルで、美味しそうで、たまんないわけ。そういう風にフードが、特にスイーツが物語を牽引する映画なんて、明るくハッピーになりそうなもんなのに、そのカラフルさが全く展開に反映せず、むしろ対照的に彼女の思い悩む様が描かれるのが面白い。
それにパイってさ、それほど繊細な手腕でどうこうするって感じじゃないじゃない(偏見承知。ゴメンね)。それこそアメリカンな感じでさ、材料さえ確かならば、ある程度目分量で、材料の組み合わせの妙味であとはガーンと焼き上げる、みたいな。
実際、バナナだのダークチョコレートだのピーカンナッツだのをバッサバッサ入れ、パイ皿の上で叩き潰すように混ぜ合わせる様は、かなりパワフルで豪快なのよね。
そうやってジェンナは、自分の鬱憤をその強い材料に込め、強い材料同士がムリヤリに混ぜ合わせられることによって、ストレスを解消しているように見えるのね。
だって、バナナ一本をクリームの上に乗せて焼こうとし、「やっぱ、やめとこう」などと取り除くのは、アレってやっぱりアレに違いないでしょ!
同じバナナをチョコレートクリームの中にぐっさり入れて、ぐっちゃぐっちゃと潰すシーンも、ダークなチョコがなんか血みたいにも見えて残酷なエロティックを感じるし。実にストレスたまってるなーっと思うわけよね。
ただ、嫌われまくっているこの夫、アールは微妙なんだよな、そこまで毛嫌いするほどかな、とも思う。
確かにウザいダンナではある。嫉妬のあまりか、ジェンナには決して車を持たせず、自分で迎えに行くか、友達の車に乗せてもらえと言う。ま、そのせいで皮肉にも友達の都合がつかなかった彼女は、バス亭でポマター先生と思いを深めるのだけど。
んでもって赤ちゃんが出来たことがついに夫の知るところとなると、彼はフクザツな顔をする。なぜかって言えば、女は赤ちゃんが出来ると絶対に夫よりそっちを優先するから、と。
そうしない、赤ちゃんよりオレを優先すると誓うんなら、産んでもいい、とか、ハア?て聞き返したくなるようなことを、コイツは言うんである。
でもね、それをジェンナがロボットのように笑みを貼り付けて了承すると、途端に夫は喜びを爆発させて、ついに俺たちも子供を持てるんだ、と彼女のお腹に抱きつくのだ。えええ?それって矛盾してない?と思うんだけど……なんかそのあたりが彼の幼稚さで、なんとなく憎めなくて……実際は彼は赤ちゃんが生まれたら、彼女が危惧するほどでもなく子煩悩になるんじゃないかとも思ったんだけどな。
でも、そんなことを思うのは、やっぱり甘いのかなあ。確かに甘いんだろうと思う、私。夫の一挙手一投足にただただ顔がこわばるばかりのジェンナに、そんな風に、そうかなあ、などと思う一方で、W不倫相手のポマター先生との関係に、キャーとばかりにドキドキして、どうなるんだろ、彼女はどっちを選ぶんだろ、修羅場はあるの??なんてワクワクしてんだから。
冷静に考えれば、この結末が来るのは当然。予測出来ない方がおかしい。意外なほどに単純な結末である。
彼女は出産する瞬間に、「赤ちゃんなんて産みたくない!」と叫んだってのに(それも凄いが)、その赤ちゃんを腕に抱いたとたんに母性に目覚め、その可愛らしさにウットリとし、情熱的な恋をしていたポマター先生も、ワガママな夫も一緒くたに視界の外にボケてしまって、ただ赤ちゃんしか目に入らなくなってしまうのだ。
実際には夫に対してだけ、今までは決して言えなかった言葉……アンタなんて大っキライ。もう顔も見せないで。離婚しましょう、とぶつけるんだけど、一応ポマター先生に対してはその後、ちょっと未練を感じさせる態度も見せる。
でも赤ちゃんをその手にした時、やっぱり二人一緒に消えたんだもん、ジェンナの視界から。そりゃまあ、その直前、見習いの医学生として病院に詰めていたポマター先生の奥さんを紹介されちゃったり、心乱れることはあったにしても。
でも憎き夫と、不倫とはいえ恋人だった彼とは、対する感情が全然違ったはずなのに、赤ちゃんが全てを払拭してしまったんだ……。そんなもの、なんだろうなあ……。
これはだから、希望的物語なのかもしれない。今の世は、そんな母性や父性を持てずに起こる、ヒドイ事件が多すぎる。ジェンナが妊娠中、どうしても赤ちゃんに愛情が持てず、さりとて堕ろすほどの理由や勇気も持てずにいる状態は、そういったヒドイ母親になる可能性を示しているし、実際こういうことはあるだろうと思われる。
それが赤ちゃんが生まれた途端にキレイに氷解してしまうのは、出来すぎのようにも思うけど、本当にそれだけ気持ちを変えさせるパワーが赤ちゃんにはあると思うし、今の世への希望を託しているように思えるのだ。
それを男には一切渡さないのは、酷というか、でもそこが女の意地なのかなとも思ったけどね。そこまで赤ちゃんに対しての愛情が感じられないままだったから余計に。
私は甘いから、というかポマター先生との刹那なラブストーリーにちょっとクラッときちゃったから、ひょっとして、あり得ないかもしれないけど、彼がジェンナに心底ホレちゃって、奥さんと別れて、このお腹の赤ちゃんの父親になっちゃったりして、なんて、絶対あり得ないと判ってるのに、そんなことを夢想したりしてた。
だってポマター先生ったら、あの思いつめたような瞳がたまらなくキてたんだもん。いや、だからこそタチが悪いってことぐらいは判ってるんだけど……恋をしちゃうと判んなくなっちゃうのよ。
ポマター先生が夫婦してどっかのお葬式に出席するために病院を休んだ後、彼、ジェンナの店を訪れるのね。会いたかったと言って。
でもジェンナ、夫婦でどこかに出かける、っていう事実で何かに気づいた感じがあって。ベッキーの不倫現場に遭遇して自分がやっていることに気づかされたりもしていたし。
ポマター先生に「もう別れましょう。気が咎めるの。パイを食べたら、帰って」と言い渡す。
彼、この時が、一番たまらない目をする。罪なくらいに!
だってさ、ポマター先生、こんな顔して迫るからウッカリ忘れそうになるけど、結局は奥さんと別れる気なんてないんだし。
奥さんは、優秀で、なのに全然イヤミがなくて、洗練されてて……。正直、いつも冴えないウエイトレス姿のジェンナの方が見劣りしちゃうのだ。
ポマター先生は口ではジェンナに、一緒に逃げよう、本気だとか言うけど(それを言われたジェンナが、満面の笑顔を保ったまま、仕事をこなしたり、眠りこけるアールの横に座っていたりする場面は爆笑!)、彼女が入院した先で、陣痛に苦しむ彼女にヘーキで美しい奥さんを紹介したりするしさ。結局組み立ててなんて考えてないんだもん。そりゃジェンナに対しては真剣だったんだろうけどさあ……。
そうなの、この、後先考えない真剣さに、後先考えてないからこそ純粋に見えちゃって、タチが悪いのよ。
不正出血が出て不安になったジェンナを、そんなの妊娠初期にはよくあることなのに診察の必要アリと、早朝の診療時間外に呼び出す。
なぜ彼がそんなことをしたのか、いやそんなこと、彼女だって判ってた筈なのに、何も言わずに思いつめたような目で彼女を見つめるばかりの彼に業を煮やして、憤然と診療室を出て行く。
しかしバッグを忘れて、取りに戻ったらポマター先生がそれを持って外に出てきていて……ジェンナったら、いきなり彼の顔を挟んでキスするんだもん!!!ビックリしたー!!!
そ、そりゃ、二人の間には最初からなんだかヤバい空気が流れていて、何かが起こるとは思ってたけど、この思わせぶりな状況を作り出したのは彼の方であって、まさかそれに対して彼女がこんな積極的な態度に出るなんて!
もうそうなっちゃうと、お互い競い合うように、奪い合うように求め合う。うわああ、な、なんか、スゲー!
それまではお互い伴侶がいるんだからという思いが絶対あった筈なのに、もうそうなっちゃうと全然そんなこと考えないのよ。
いや、考えない筈はない。その後、ジェンナは定期検診までの一ヶ月、ポマター先生と会うことはない。何事もなかったから、というのが彼女の言い分。
しかしポマター先生はそれを拒絶されたと思ったのか、あの時のことはなかったことにしよう、と言う。判った、と言うジェンナだけど……もう次の瞬間には彼にキスしてる。
彼は別室に彼女を呼び出して、もうやめてくれ、と言う。それはジェンナが強引に迫ることではなく、この一ヶ月何の音沙汰もなかったことに対して。すっかり恋に落ちた彼は、彼女に接触しようにも出来ない一ヶ月をヤキモキして過ごしていたのだ。
しっかしさ、産婦人科医と患者の関係って、これ以上なくエロティックだわよね。だって普通に考えて、普通の男が、妊婦だと判っている女に恋するってのがなんかマニアック?だし、しかも産婦人科医だから、当然彼女のハダカも見るし、それどころか内診とかもするわけでしょ?
劇中にはそういう描写は(なぜか)描かれないんだけど、アホな私は妄想しちゃうのよ。エコー写真を一緒に見る場面だけで、なんとも言えないなまめかしさを感じるのよね。
ポマター先生とは、まさに恋人な関係を送る。病院に診察に来る度に密室になり、イチャチャ。外には中年の看護師もいるというのに……そのスリリングがたまらない。ポマター先生、特注の金色に輝くパイ皿をプレゼントしてくれたりする。有頂天になるジェンナ。
でも、そんな折々にも、ジェンナは現実を垣間見る。しかも妄想チックに。病院の待合室で待っているお腹の大きい女たちが全裸に見える。ポマター先生とめくるめくキスをした後、陶然と外階段に座っているジェンナの耳に、小さな男の子をなだめながら病院に入ってくる神経質そうな女性の、「子育てが地獄なんて知らなかった」と、聞こえる筈のない心のつぶやきが聞こえてくる。
彼との恋に浮かれそうになっているジェンナに水を差すんである。
そういう意味ではポマター先生も、そして夫のアールも、彼女に没頭しちゃって全く現実(妄想かもしれんが)に引き戻されることはない、めでたいイキモノたちなのだね。
でね、私が何だかジェンナの夫、アールに対して憎めないような気がしちゃうのは、だってこの夫、彼女にメロメロ参っちゃってるんだもん。
そりゃ、その愛情の示し方は間違っているかもしれない。間違っているんだろう。赤ちゃんよりオレを優先しろとか、彼女の才能を生かした自立を絶対認めなかったりするもんだから、ジェンナはコッソリ金をためて家出しようとするんだし。
でも彼女が出て行こうとしていることを察知して恐れて、彼女に抱きついて泣き出したり、隠していた金は赤ちゃんのために使いたかったんだと言う彼女に(勿論、言い訳)、幸せな家庭を夢見てゴキゲンになったりする彼に、そりゃこんな束縛夫、ヤなんだけど、ついついキュンとなってしまうのが……ううう、私、やっぱり甘いよな。
愛されるだけで幸せだと思ってしまうことが、不幸なんだろうな……そのことをジェンナは判っていたから、浪花節的にほだされることなく、いつも硬い表情で夫の言いなりになってた。
でも、なぜここまで言い返せず、言いなりになっていたのかっていうのも疑問だけど。いや、まあ、言えないもんだろうとは思うけど、それまで腹の中でためてきたとはいえ、それを翻すのがあまりに唐突だからさあ……。
同僚二人の恋愛事情、結婚事情もなかなかに個性的である。青白い肌でメガネっ子のドーンは、日照り続き。
交際欄で知り合った男性と5分だけのデートをする筈が、その彼の友達が来ちゃって、これがまた、自作の詩をそらんじる気色悪い男、オギー。しかもしかも彼女にゾッコン惚れちゃって、店まで押しかけてくる。「キモチワルイのよ!」と勇気を振り絞って言う彼女に、泣きべそをかく彼。しかししかし驚くかな、後に二人は結婚しちゃうんである。
ドーンがオギーと付き合いだしたことを知ったジェンナとベッキーは、それってどうなの……みたいな、実に微妙な反応を示すんだけど、確かに妥協しまくって手近で済ませたみたいな印象を持たない訳じゃないけど、これってジェンナと夫の関係への皮肉ってことなんだと思うんだよね。
ストーカーのように、自分の愛情ばかり自分勝手に押し付ける男、それに対して不幸に思うか幸せに思うか……。
ただ、ジェンナにしたって、最初は夫の愛情を幸せに思っていたのかもしれず、だからドーンがこの男と付き合いだしたことに難色を示したのかもしれないけど、でもやっぱり違う気がする。
古い言い方だけど愛される方が女にとって幸せという形が、ここにあるのかもしれないって。
もう一方の同僚、ベッキー。年の離れた夫は、もう寝たきりの生活である。そのうっぷんを晴らすかのように、始終店長とギャーギャー喧嘩をしてると思ったら、いつの間にやら彼と、これまたダブル不倫関係に陥っていた。
しかしベッキーは、店長との間に恋だのといった執着は今のところない。店長は、私を好きだけど憎んでいる、とこともなげに言う。そして彼女自身、オイボレで寝たきりのボケ老人の夫を放っておくわけにはいかないと、当然のように言うんである。
ある意味潔いし、ある意味、ここに関わる誰もが哀しいとも言えるし、案外誰もが幸福であるとも言えるのかな、と思う。ベッキーのダンナが妻を満足させられないことを、ひょっとして心苦しく思っているならば……などと、過剰な想像をしてしまうのだ。
そしてこの店長も、恐らくそうしたことを全て飲み込んでいる。彼も家庭を捨てる気などない。でもなぜかそこに、ポマター先生にあるようなズルさを感じないのはなぜなんだろう。
悩んだジェンナが店長に、今の生活が幸せか、と聞いてみる。彼女の真意を図りかねる店長だけど、幸せだ、とハッキリと言う。
この店長、ふたことめにはさっさと仕事しろ、みたいな高圧的な言い方しかしないから、一見、あの夫とさして変わりないようにも見えるんだけど、全然違う。
ジェンナの妊娠も気づいていて、ジェンナがそのことで解雇されることを恐れていたことも見抜いてて、彼女からいよいよその報告を受けると「判ってたよ。見れば判る。太ったなんて誰も思わないだろ。そのまま働き続けて問題ない。そのままここで産んじまってもかまわない」と、ギャグなのかなんなのか、相変わらずニコリともしない顔で言うんである。虚をつかれたジェンナ「意外にいい人なのね」と思わず言うと、これまたニコリともせず、「意外にいいヤツなんだ」。なんかちょっと泣けるんだよなあ。
いやいや!泣けるといえばこの人にかなう人はいないであろう。この店のオーナー、オールド・ジョーである。ベッキーやドーンは毛嫌いしているヘンクツの“クソジジイ”。エアコンの温度のことやら、飲み物はアイス抜きだとか、こっちのメニューは必ず別皿に、などと細かくしつこくウェイトレスに絡んでくるんだけど、なぜかジェンナはヘーキなのだ。
それは夫が自分の言い分など聞いてくれずにただ押し付けるだけなのに対して、オールド・ジョーはガミガミ言いながらも、それを遂行すると満足してくれるからなのかもしれないし……それは自分を信頼してくれていると感じるからかもしれない。
ポマター先生と初めての激しいキスを交わした日、一番にやってきたオールド・ジョーは、口紅で頬が真っ赤になっているジェンナをチラリと見て、「口紅がとれるぐらい、情熱的なキスをしたのかい」と図星をついてくる。ジェンナが妊娠しているのを最初に気づいたのも彼だし(なんかそれって、スケベチックだけど)、新聞の投稿欄を読み上げて、暗に不倫はヤバイと忠告したのも彼。
いつもいつも憎まれ口ばかり叩いていたんだけど、ジェンナのことを、「君は特別なんだ」と言ってくれた。自分で気づいていないかもしれないけど、って。それって……なんか他の誰よりも、一番の愛の言葉じゃん。
ジェンナの入院と同時に、オールド・ジョーも肝臓ガンを抱えて入院、ジェンナの病室に私は父親だ!とか大嘘こいて、見舞いに来てくれる。
喜んだジェンナ、「ジョー、ハグして」と言うんだけど、「イヤだね」ときびすを返すオールド・ジョー。苦笑をもらすジェンナだけど、それがジョーの照れだってことぐらい、判ってる。
ジョーはジェンナに、無事赤ちゃんが産まれたら読むようにと手紙をくれた。そしてジェンナが無事出産し、夫との関係もケリをつけ、入院費用の支払いを拒否されて病院を出なければならなくなった時、そう、彼女一人で、いや赤ちゃんと二人で生きていかなければならなくなった時、思い出してその手紙を取り出す。
ジェンナを迎えに来たベッキーとドーンが、オールド・ジョーの危篤を告げたのだ。
封筒の中には、ジョーが描いた愛情溢れるジェンナの肖像スケッチ、その裏には、「君は私の唯一の友人だった」とひと言書かれてた。思わず微笑むジェンナ。
しかし、一緒に何かが入ってる。取り出してみる。小切手!思わずごほごほと咳き込むジェンナ。恐らくとんでもない額、だと判るのは……その後、3才ぐらいになったと思しき娘のルルの名前をつけたパイの店を、ジェンナがオープンしているからなのだ。そう、ジェンナの夢が叶ったのだ!
母親から娘へと受け継がれるパイ。ジェンナもそうだった。母親がいつも楽しそうに歌いながらパイを作っていた。ジェンナが妊娠した時、アールは絶対息子だと言い張って、実際生まれた子供が娘だと判ったら狐につままれたような顔したのが思わず吹き出しちゃったけど。
そう、ジェンナにとっては絶対に、娘ではなくてはいけなかったし、娘が生まれたことで、こんな点でも徹底的に相容れない夫と別れることが出来たのだ。
隣町どころか、全米のパイコンテストで娘を抱きながら優勝し、そして「ルルズパイ」をオープン。ベッキーやドーンに見送られながら、宵闇の一本道を娘の手を引きながら帰っていく。幸せな、母から娘の絆。誰にも、特に男には、絶対にジャマできない、ジャマさせない。
ところで私、全然知らなかったのだ。ストーカー男と結婚するドーンが、この映画の脚本、監督だなんて。オドロキ!!!
い、いや、それ以上にオドロキの事実が。彼女、去年、40歳の若さで亡くなってる……しかも、騒音トラブルによって殺害されてる!(驚愕)。
劇中、ジェンナの娘、ルルを演じたソフィは彼女の娘(涙)。こんな小さな子を残して……。
本国ではその事件後の公開で、興味を煽り立ててのヒットとなったらしいから、結構揶揄される部分があったみたいだけど、そんなこと全然知らなくて、本当に純粋に興味を惹かれて観に来て、純粋に面白かったと思ったもんだから、なんか凄いショック。
ドーンが5分デートの前に、ジェンナにメイクしてもらって鏡を見て感激するシーンが印象に残ってる。いつも青白い顔をしてメガネかけて冴えなかったドーンが、ベッキー曰く「普通の人みたい」な肌の色になり、ドレスをまとい、「凄い、私美人だわ。ジェンナのおかげよ」と。
ジェンナは、「何言ってるの。よく見なさい、ドーンは美人よ」と言ってあげる女の友情が、イイんだよなあ!
ああ、それにしても、こんなことってあるんだね……。★★★☆☆
非常に重奏的な物語で、こうして書いていくと追っていくのは非常に難しいのだけど、その中でもメインとなる若者三人がいる。海の向こうにいる黒人の父親と韓国人の母親の元に生まれた青年、チャングク、小さい頃、お兄ちゃんのおもちゃの鉄砲の弾が当たって片方の目が白濁して見えなくなってしまった少女、ウノク、そして肖像画を描く店の息子で自身も絵が上手い、少々気弱でいじめられっこの少年ジフムである。彼らの関係は壊れかけた鎖のように微妙に絡まりあったり離れたり。
ジフムはウノクに恋してる。そして腕っ節が強く頼りになるチャングクを慕ってる。チャングクは誰をも拒否する孤独な青年だけど、ジフムだけはなぜか自分の領域に入らせるんである。そしてウノクは……一番フクザツな年頃の少女。ジフムのことを好きなんだろうけど、自分の目のコンプレックスからか、なかなか素直になれず、若い米軍兵士にホレれられてひと騒動もちあがる。
しかし、このタイトルが示すのは、彼らではない。海の向こうの夫に、「Adress Unknown」と返って来る手紙を何度も何度も出し続ける、チャングクの母親に対してのみである。
トレーラーで暮らしている彼女は、ただ夫を待ち続けることにのみ人生を費やしていて、暮らしは息子が稼いでくる金と、畑からちょろまかしてくる野菜なんぞでまかなっているものだから、近隣の住民には煙たがられているんである。
彼女は夫の手紙に、いつも息子の一番新しい写真を入れる。ポラロイドでカシャリと写して。最初はそのことにこの息子がなぜあんなにも怒るのか、判らなかった。
でも、次第にチャングクの苦悩が判り始める。一見して判る、ブラックの血が入った自分。ただ夫を待ち続ける母親を持つ彼は、その外見から疎ましがられもし、体力も有り余っているものだから、ついこの哀れな母親に暴力を向けてしまう。
でも彼は、母親を愛しているのだ。だからこそ、彼女が返事など返ってくるはずのない自分の父にしつこく手紙を出し続けるのが、しかも、この地で生きていくためにはジャマなだけの血が混じった自分の姿を写しては送るのが、耐えられないのだ。
でも、最後の最後、手紙は、「Adress Unknown」ではなく、戻ってきた。しかしその時彼はもう命の灯が消えていて、母親はその亡き骸を抱きながら……それまでも狂い気味だったけれども、本当に、本格的に狂ってしまって、トレーラーに閉じこもり、その手紙を見ることはなかったのだ。
と、いきなりオチに行ってしまってはどうしようもないってば。次。そのチャングクを慕っていたのが、肖像画描き屋さん(なんて言ったらいいのかね、この職業。肖像画屋さん?)の息子、ジフムである。この肖像画描きというのも、美術出身のギドク監督が出してくるイメージのひとつである。「ワイルド・アニマル」、「リアル・フィクション」、「悪い女 〜青い門〜」と、思い返してみればずいぶんとある。
肖像画のイメージから来る、ただ写し取るという単純な意味ではなく、つぶさに描きとりたい、という感情は、その相手への愛情でもあるということを、本作のジフムが最も純粋な意味で示している。
彼は、いつも前髪で右目を隠している少女、ウノクに恋をしてて、彼女への恋を表わすために、その前髪をあげた肖像画を描いた。彼女はそれを見てカッとなってビリビリに破り、彼をひっぱたいた。その時には彼女の目がどうなっているのか判らなかったから、え?なんで!?と思ったけど、私もニブいな、映画の冒頭でもう示されているじゃないの。
そう、これが映画の冒頭なのだ……ウノクの頭の上に乗せた空き缶を狙ったお兄ちゃんのオモチャのゴムピストルの弾が、彼女の右目を射抜いたシーン。そういう意味ではタイトルであるチャングクの母親ではなく、やはりウノクこそがメインの物語と言うべきなのだろう。
でね、このウノクのお兄ちゃんってのがまたサイアクでさ!妹をこんな目に合わせたことも、「お前があの時動いたからだろ」と全然責任なんて感じてない上に、いい年こいて働こうともせずに一日中ブラブラして、「友達と映画を観に行くから」とカネをせびる始末。カー!ムカつく!もうぶん殴りたい!
この家庭は、お父さんが戦争から帰ってきてなくて、遺族年金とお母さんの内職でようよう暮らしているってのにさ。しかも、このお父さんに北への亡命容疑がかかり、年金も打ち切られた上に、当局から睨まれるハメになってしまうんである。
そう、ここでは朝鮮戦争を経験した親世代たちと、その子供世代が対照として描かれる。
戦争で勇敢な戦いをした自分を自慢しながらも、一方で同じ民族を殺したことが名誉になるのかという矛盾にも苦しんでいる。弓道場に大人たちが集まるといつもその話になる。敵を三人も殺す働きをしたのに、勲章ももらえないのかと憤るジフムの父親と、その敵は同胞だろうと揶揄する友人たち。
そして、その息子たちとの間に位置する年代である犬肉を売る男は、とにかく自分がこの矛盾だらけの世界で必死に生きていくことしか考えていない。この胸クソ悪い弓道場で、野心に満ちた彼と、矛盾を抱えながらもある意味幸福な価値観のままここまで来られた父親世代が火花を散らすんである。
この犬肉を売る男のアシスタントとしてチャングクは働いているんだけど、あまりに残酷なやり方で犬を殺し、さばくこの仕事に気後れを感じている。そりゃそうだ……犬の首をローブでつるし上げて締め上げた後、撲殺するのだから。映画の最初に、「本作品は、動物を安全に扱っています」なんて、どうして示されてたのかここに至って判る。
この仕事がなかなか出来ないチャングクだけど、歯を食いしばってつるし上げた犬を殴りまくると、この犬肉男、「あまり殴り過ぎるな。肉が裂ける」と冷静に言ってのける。
さばいた犬肉をメシ屋が笑顔で受け取るのもなんとなくアレなんだけど……犬肉って、向こうではそんなにポピュラーなものなの?それともこの頃だからだろうか……。
でもこの犬肉を売る男、周囲からはどことなく軽蔑の目で見られているみたいだし、合法じゃない雰囲気もあるし。
で、この男はチャングクの母親を「俺の女」と言い、母親に暴力をふるうチャングクに腹を立てて制裁を加えたりする。それは一見、正当にも見えるけれども、彼女チャングクに与える苦しみをまるで判ってない。
大体、「俺の女」ってのも胸クソ悪いし、彼女が彼のことをそこまで愛しい恋人だと思っているとも思われない。彼女は心が弱っているからこの男に身体を預けたりはするけど、あくまで海の向こうの夫を思っているのだし、息子を殴るコイツに、「何で勝手に殴るんだよ、あのこは可哀想な子なんだ!」と怒るぐらいだもの。まあでも、それはお前のせいだろと言いたくもなるのだけど……。
しかし、チャングクの父親は本当に彼女の夫だったのだろうか。ただ彼女がホレて、チャングクをもうけただけなんじゃないだろうか。何度も戻ってくる手紙は、そう言っているように見えて仕方がないのだけれど……。
ジフムがウノクにホレているのは明らかだけれど、彼女の方もホレているよね。彼女がいつから彼にホレていたかは定かじゃないけれども……。
ジフムは、ウノクの部屋をこっそりと覗く。隙間だらけで覗き放題なんである。彼女は無防備に服を脱ぎ、可愛がっている子犬をワンピースの裾から迎え入れる。恍惚の表情の彼女……。おいおい、何してんだよ!青春とはいえ、コレは随分となまめかしい描写を入れてくる。このあたりはさすがギドク監督といったところかねえ。
ウノクは確かにジフムに好意を寄せてはいたけれども、自分の目にコンプレックスを持っていたし、それにこんな風に性への興味と衝動は抑えられなかった。
彼女が若い米兵に声をかけられ、しかも「君の目は米軍病院で治してあげられる」なんて言われちゃったら……そりゃ揺れ動くのは無理からぬことだよなあ。
この若い米軍兵、ジェームズというのがまたクセモノなんである。
彼の方からウノクを見初めた。バスケ遊びに興じている彼らをひっそりと見つめていた紺サージのセーラー服のウノク。白いソックスの清楚、黒髪の神秘。幼さの中に不思議な色香を隠し持っている彼女は、確かに魅力的だ。しかも軍隊という、女に飢えた若い米兵からしたら……。
彼女にチョッカイを出そうとするジェームズを同僚は、「18歳は韓国では未成年なんだぞ!」といさめようとするけれど、彼はこの軍隊自体に懐疑を感じているもんだから、その思いを止められない。
それでも最初は、どこか甘酸っぱい恋愛といった雰囲気だった。ジェームズの自転車の後ろにウノクが乗ったりして。それに何より彼は、ウノクの目に臆さなかった。「大丈夫、見せてみて」と優しく髪をかきわけ、「この程度なら、米軍病院で治してあげられる」と囁いた。
でもその条件は、「そうしたら、僕のスイートハート(恋人)になってくれる?」というものだった……。
確かに彼女の目を治してあげたいというのは、彼女への愛情だったのかもしれない。グラビアの女の片目を切り取り、彼女の右目に貼って「ミス・アメリカみたいだ」と微笑む彼。
つまり、目が治れば君は非常に美人だということだろうけど、これはちょっと微妙である。そうされたウノクも微妙な顔をしている。切り抜きの目を貼った自分の顔を水面に映してみて、沈黙している。
あのね……ジフムはこの手術に反対したんだよね。それは、そうしてしまったらウノクがジェームズのものになってしまうというのもあるけれど、彼は片目のないウノクそのものが好きだったんだもの。機能していない片目って、ショッキングだけど、それと同じぐらいセクシャル。ゾクリとくる。
それもまたネガティブというか、暗くねじれた愛情ではあるんだけど……でもウノクが最終的に下した決断が、彼女もまた、その葛藤に苦しんだ上で、ジフムの思いを選んだことを示唆していると思うのね。
その決断というのは、彼女が治った左目を再び自らの手で突いたこと。
アメリカに帰ることになったジェームズが、記念に自分の名前を入れてほしい、とインクをにじませたナイフを手にウノクに迫ったことで、怯えて拒否した彼女がとっさにとった行動ではあったけど、もしかしたら以前から彼女はそれを考えていたんじゃないかとも思う。
その前に……ウノクがジェームズと割りない仲になる前に、こういうシーンがあるのね。ジフムの手引きによってウノクの部屋を覗いていたチャングクが、彼女の突き出したエンピツで右目を刺され、さらにジフムはいじめっこに復讐しようと作ったおもちゃのピストルが逆噴射して自分の右目を貫いちゃう。
んでもって、右目を前髪で隠したウノクの後ろに二人がとぼとぼと同じように右目にガーゼを貼り付けて歩いている。思わず笑っちゃうユーモラスなシーン。
どんなに深刻な話でも、こんな風にふっと笑っちゃう場面が用意されているのもギドク監督らしいトコなんだけど、このシーンはそれ以上に、彼らがウノクの痛みを共有し、ウノク自身こそを大事に思ってるってのが感じられるシーンでもあったんだ。だから……。
でもさ、ウノクは目を治すことを条件にジェームズと付き合いだす前に、妊娠し、中絶していたんだよね。
その相手が誰だったのか……。ジフムとは確かにそういう場面はあった。ただ、あいまいだった。破れたビニールハウスの中でつたない思いを確かめ合い、彼らは確かに愛を交わしあっていたけれど、引きの画で、どこまでいっているのか判然としなかった。
しかもその場面に、ジフムにいつも絡んでくる不良少年二人組がなだれ込んできた。そして片方の少年がジフムを押さえ込んだ。そして次のカットではウノクがゆっくりと立ち去って行くバックショットなのだ。
これって、どういうことなの。なんか、印象としてはジフムとウノクの行為は未遂で、彼女の妊娠は、あの二人のうちの一人(多分、ボスの方)にヤられた結果なんじゃないかとも思われたんだけど……。
ジェームズは、ウノクが自分を最終的に拒否したことを、目を治すために利用したんだと憤るけど、そんなことない。ジェームズへの思いも確かにあったはず。彼が思うほどにはウノクは利己的ではなかったと思う。
確かに、彼は目を見えるようにしてくれた恩人、それを条件に、自分の恋人になってほしいなんていう、正直、かなりサイテーヤローなんだけど、恋にルールなんてないんだもの。好きな相手を自分のものにするためには、闘いなのだ。どんな手を使ったって、勝者は勝者なのだ。
ただ、ひとつネックなのは、女の子は……特にこの時期の、敏感になってくる身体と、したたかさを持ちきれない感情が膨れ上がる女の子は、後から思えば義理や同情と断じてしまえる思いを、愛情なんじゃないかと悩んでしまう点にあるんである。
この時、確かにウノクは、ジェームズを愛しく思っていただろう。その気持ちはウソじゃない。
でも、本当に好きな相手がいる気持ちを、否定し切れなかった。
それにジェームズだって、望郷の思いを隠しきれず、彼女の胸に顔を埋めて「ママ……」とつぶやいたりしてたし、そういう意味で、彼にとってもウノクは、望郷やママの代替品であったとも言えるんだし。
まあ、そういっちゃ酷かな……彼はウノクをアメリカに連れて行きたいとも口にしていたんだから。
でもそれは、どこまで本気だったのかって気はするけど。それに彼は麻薬に溺れてた。それだけ心の弱い人間だったんだもの。
学校に行けないジフムは、いつも学生二人にいじめられてカツアゲされてたんだけど、チャングクが何度となく彼をかばって救ってくれた。そんなこともあって、ジフムはチャングクを凄く慕っているのね。
一見してブラックが入っていると判るチャングクは、しかし普通にハングルで話しているから、そんな外見で英語も喋れないのか、と不良どもは恐る恐るながら絡んでくるんだけど、そんなヤツらにチャングクはスラング英語で凄んでみせる。実にカッコよくて、ジフムがホレこむのもムリはない。
でも逆に、チャングクは、ジフムのことをこそ、羨ましく思っていたのかもしれない。
母親に仕込まれて英語は身につけていたけれど、それはコンプレックスで出来れば使いたくないし、犬肉をさばく仕事はどうにも抵抗があるし、腕っぷしに自信があるといっても、混血の自分は問題を起こすと思われて、なかなか信用してもらえない。
でも後に、犬肉屋が耐え切れなくなったチャングクが飛び込みで働き始めた工場で、その地道な働きが認めてもらえるんだけれど、それでもそこの同僚は彼に盗みの濡れ衣を着せようとかするし。
だけど工場長はちゃんと信じてくれる。このあたりの優しさは、ひょっとしたら後年のギドク作品には見られないものかもしれない。確かに少々の甘さは感じるもの。
しかし、チャングクは、死んでしまった。
母親が、消息のない夫への思いで、ヒステリックに暴れまわってどうしようもなくなって、彼はそんな母親を軽々と担いでトレーラーまで帰ってくるけれど、その表情は苦渋に満ちていた。
お湯を沸かし、母親の体を洗ってやる。泣きながら。母親は、「お前何か、ヘンだよ」といぶかしむ。彼はナイフを手に取った。おびえる母親を羽交い絞めにし、その右乳房の上に刻まれている刺青を……剥いだんだろうな、スクリーンからは見切れたけれど。
ウノクに対してもジェームズが刺青を入れようとしてたし、かの地に残していく愛しい人への愛のしるしなんだろうけれど、そのまま帰ってこないのなら、この残されたしるしに縛られる女は、そして子供は辛すぎる。
チャングクはバイクを駆る。泣きながら暴走する。そして、ガケから落っこちる。泥沼の中に頭から突っ込んでしまった。
逆さまに、両足だけが天をついて、そのまま、長い間、発見されることがなかった……。
水のイメージはギドク監督にほぼ必ず出てくるけれど、本作では水はない。かといって乾いているわけでもない。それはぬかるみに取って代わられている。どこもかしこも、靴が泥で汚れるようなぬかるみでぐちゃぐちゃとしている。はまったら出られないような、絶望的なぬかるみ。そこにチャングクが飛び込んでしまったのは、その人生の絶望を暗示してあまりある。
ここは一見して、これは絶対、「犬神家の一族」だ!と思っちゃうシーン。しかしチャングクの遺体は長らく発見されず、気も狂わんばかりの母親が必死に探し出した時には、田んぼは凍りついて、溶かすためにその周りを燃やすしかないのだ。
水とぬかるみ、忘れ去られる悲哀。火による浄化のイメージ……そのどれもが、「犬神家」のそれからくる、乾いたユーモアからはかけ離れている。
ここにはジフムも駆けつけていた。チャングクの死に絶望的に泣いた。彼もまたひと波乱あった。ウノクを傷つけようとして追い出されたジェームズを、彼が弓で撃ったのだ。父親がやっともらった自慢の勲章を外して息子の替わりに罪をかぶろうとしたけれど、ジフムは自首した。父親の胸に勲章を戻して。
ジフムは自殺しようとしていたのかと思った。針金で自分の首を絞めるカットがあったから。でも彼はその針金をぐるぐる巻きにして飲み込んだ。ええ!?と思ったら、それを監獄でこっそり出し(下から!)監獄で再会したあのいじめっ子のボスの首を、まさに寝首をかいて締め上げたのだ。
ウノクが会いにくる。前みたいに前髪が右目の上にかぶさっていた。左目に涙を浮かべながらその髪をそっと分けると、その下はジフムが見慣れたあの白濁した目があった。別に何を言うわけではない。ただ、言い切れない思いを胸に満たして見詰め合うだけなんだけど……彼女はジフムの好きなウノクに戻ってきたのだ。
彼は、送還される。その車の中から、トレーラーが燃えているのを見つける。その中にはチャングクの亡き骸を抱きしめた母親がいるのだ。付き添いの警官を手錠で締め上げ、降りようとした彼の膝に、警官は発砲した。
「ADRESS UNKNOWN」のスタンプが押されていない、アメリカからの手紙が汚れて風に飛ばされている。
米軍が匍匐前進の訓練をしている。
一人の兵士が手紙を見つけた。皆が前へと進む中、彼はその手紙を開けて読み始めた。
「私の名前はクリントです……」
若者三人をメインに、国籍も違えた老若男女を重奏的に配置し、絡まりあう糸を絶妙に操ってみせる確かな手腕。衝撃的な画や展開で注目されたように見えながら、やはりこの人は今現在、世界一の監督だと思うんである。★★★★☆
しかし二人は一体、どういう関係というか、出会いという設定なの?軽く10は年が違うであろうという二人が、兄妹とはまたちょっと微妙に雰囲気の違う、しかし確かな絆を分かち合っている様は、さすがはこの二人の達者さで十二分に発揮されてはいるけれど。
楓は、大学の非常勤講師である博士(ひろし)の講師室にたびたび通ってくる。楓は博士をハカセ、と呼んでいて、これがまた、白衣の西島秀俊とあいまって実ーに萌え萌えなのだよね!
楓はいちご大福のオミヤなぞ持ってきて、二人、たあいもない話をする。その帰り道、土手で寝転がっている楓に博士が「何してんだよ」と声をかける。二人、仲良く連れ立って帰る。
その様は、恋人というよりはやはり、兄妹に近いものがある。でもどこか……もっと寄り添う気持ちもあって。
恋愛になりそうでならない、でもなるかもしれない、でもでも今は、恋愛の感情よりもこの二人の間に流れている、相手のためならなんでもしてあげたい、そして側にいてあげたい、側にいたいという、暖かな信頼の絆の方が大事。そんな、なんともいえない感情が凄く伝わって来るんだよな。
まあ、世間ではそれこそが恋愛なのだというのだろう。実際、本作の惹句も「小さな小さなラブストーリー」である。
でも私は、ラブストーリーだとは思わなかった。劇中の二人が感じているように、これは恋愛以前の、恋愛以上の、大切な感情なんだという気持ちが判る気がしたから。
でも、女の子の方は気づき始めている。友人によってけしかけられて、自分の中にずっとあった気持ちが、恋愛感情というひとつのカテゴリーに収まってしまうのかもしれないことを。相手が大切だから、そこに収まらせたくなかったけれど、でもそれは、自分が素直になっていないだけなのかもしれないことを。でもそう思うのは……今の自分が弱っているからなのかもしれないことも。
まずは、楓自身のナレーションで彼女のことが描かれる。楓は、自分と博士の関係を、恋とか好きとかじゃなくて、もっと深い部分でつながっている。へその緒のような、と表現する。判る気はするけど、そう自分に言い聞かせているように思えなくもない。
だって、好きだと言った瞬間に、“恋とか好きとか”いう単純に収束されてしまいそうなんだもの。
だからそんなこと、博士に言うつもりじゃなかったはずなのに。
楓は、父親が浮気をしているのではないかと疑っていた。今まではそんな様子は微塵もなかった。呑気なお母さんはそんなわけないわよ、と笑い飛ばす。信じきっていた。楓もそう言いながらもまさかとは思っていた。
そのまさかは、まさか以上に発展するんである。浮気はこっちの家庭の方だったんである。お父さんの苗字は実は違うんだと、母親は切り出す。お父さんには本当の家庭が別にあって、自分たちはいわゆる……愛人とその子供なのだと。
観客も意外な展開に驚く。でもなあ、お母さんは正妻がいたことを知っていたの?知っていたら、お父さんが奥さんと会っていたことに、あんなにショック受けないよね。
でも不自然だよな、判ってなかったら、認知なんかで終わらせないで、結婚してって言うはずだし。実際の家庭生活はこっちにあったわけだしさ……。
楓の方にしても、いくらなんでも、オトナになる今まで、父親の苗字が違うことを知る機会がなかったというのも、ちょっとムリがあるような気がする。
だって色々提出する、書類だの何だのあるハズじゃない。時期を見て話すつもりだったと母親は言うけれど、ちょっと時期を逸しすぎたんじゃないかしらん。
楓は家を飛び出し、深夜の街をふらつきながら博士に電話する。呼び出された博士は彼女の希望通り、夜の海へと向かう。
こんな風に、博士は楓から呼び出されれば、いつだって来てくれるのだ。翌日授業があるのに、「非常勤講師だから、いいんだよ」などと笑い飛ばす。学生に自習させてでも、楓が落ち込んでいる方が緊急事態だということが、何より彼女を大切に思っている証拠なのに、彼はまだそれを受け入れてない。
夜の海。白く寄せては返す波と、その轟音だけが響き渡る。
それを、博士は絶対的存在だと言って、感銘を受けた様子である。
博士は物理を専攻していて、相対的なことは信じられないという。そしてその相対的な中には自分自身という存在も入っているというのだ。
楓は、自分が愛人の子だった話を打ち明ける。生まれた時から罪を背負っているんだ、汚れているんだ、そう言って深く落ち込む楓に、博士はそんなはずはあるわけがない、人間は誰しも意味を持って生まれてきているんだと強く諭すんである。
この台詞はあまりに理想的にすぎて、ひょっとすると胡散臭く聞こえそうにもなるんだけど、博士の楓への真っ直ぐな心を、西島秀俊のピュアな雰囲気が後押ししてさすが、聞かせちゃうんだよね。
ここで展開される、博士の「物理は哲学」の講義が、二人の距離を近づける。「こうして手を黒板に押し付けると、黒板も同じ力で手を押し返しているんだ」そうやって、黒板に見立てた手を合わせる二人は、同じ気持ちで押し返し合ってる。こうして、絶対的な夜の海の前で。
車の中で、白々と明ける朝を迎える。楓は言う。「私、博士に抱きしめてもらいたい」
でも、その楓の気持ちに博士は応えることが出来ない。楓のことは好きだ、大切だと思ってる。でも、嘘はつけない。それを彼は、「妹だとしか思えない」という言葉で表現するんだけど、彼自身、その言葉もしっくりいっていないように感じていることは明らかである。楓は、そんな風に単純化された言葉に深く落ち込む。
でも人はいつか、そんな風に単純化されたカテゴリに自分の気持ちを収まらせることによって、大切な人をつなぎとめることが必要になってくるのかもしれない。大事なのは、その唯一の気持ちを失わずに持ち続けることなのだもの。
でも、一方の博士も家族に問題を抱えているもんだから、この時点ではそう簡単にコトは運ばないのだ。
博士は、楓にはもっとふさわしいヤツがいるはずだという言い方もする。それは、自分が両親を憎んでいるような男だから。「あいつらバカだから……俺、サイテーだろ」
楓が「父親の浮気」にこんなにショックを受けているのは、家族を愛していたから。でも博士は、両親を憎んでいる。そうハッキリと楓に言うんである。
二人の共通の友人の女の子は、博士がウソでも楓を抱きしめてやらなかったことに憤る。
「じゃあ、オレのことを、そうやって抱きしめてみてよ」その台詞に彼女は一瞬躊躇するも、軽くハグする形で抱きしめてみる。うそ寒い空気が流れる。離れた博士はつぶやく。「やっぱり、俺間違ってない」
ここから、今度は博士の家庭の事情というのが、つまびらかにされていく。
今度は博士自身のナレーションで展開されていく。
人と距離をおいて生きてきた。そうすれば傷つかないですむからと。大学でも、飲み会などにはなんだかんだと理由をつけて参加せず、いつも講師室に閉じこもっている様子しか描かれない。授業の風景さえもない。
でも楓だけは別だということを、彼自身、あまり意識してないみたい。いや、傷つくのが怖いから、あえて意識しないようにしているのだろうか。
時々は大胆になる、なんて言って、路上の白線を飛んで歩いたりし、「こんなのは、大胆って言わないか」などと自嘲する。こんな子供っぽいことをする西島秀俊なんて想像もつかなかったので、これもかなり萌えてしまうんである。
しかし、久しぶりに実家に帰ってみると、そんな様相も一変する。流しには洗い物が山積み、ゴミが散乱、惨憺たる状況になってる。
博士はパチンコ屋にいる母親を探し出す。母親は、「お父さんを手助けするために、死ぬ気でパチンコしていた」と言うんである。その父親はというと、株に手を出して多額の借金を背負っている。
博士は、どちらかというと父親の方にこそ憎悪を向けているらしいのね。好きなことをし放題で、家族に迷惑ばかりかけてきた父親。
でもなぜ、自分に頼ってくれないのかと彼は憤る。結構金を渡してるよね、と。息子なんだから、頼れよ、とまで言う。
なんだか、矛盾してるよ。博士、両親のこと、憎んでるわけじゃない。頼りにされない、愛されている実感がないことにこそ、苛立っているんじゃないの。そのことに、気付いてなくて、ただ両親が憎いと、そう思っている方が楽だからじゃないの。
「親父にばかり好きなことさせてないで、お袋が好きなことやれよ!」そう叫ぶと母親、「それがパチンコなのよ。死ぬ気でパチンコやってるのよ」
正気の沙汰じゃない。でもあまりの台詞に博士、「じゃあ、好きなだけパチンコやれよ!」と叫ぶしかない。
そこに帰ってくる父親は、「英語学校を始めたんだ」などとあまりにも呑気で何にも判っていないもんだから、博士、何も言わずに父親を殴り飛ばしてしまう。
この、いつまでも夢見ている父親を博士が嫌悪しているのは、もしかして自分もそうなる可能性があることへの恐怖なのかも。近親憎悪というヤツだろうか。
ところで、こうして楓と博士の家族の事情、その対照を描いていくのは、エピソードが別れすぎてしまって、映画の流れが断裂してしまった感もある。
別々の場所から融合する意図は感じられなくもないけど、ちょっと希薄。
それは、それぞれのエピソードを持つ二人が、それによって共感する部分がないから。
でもね、そうやって痛みを持っている二人が再び会うシーンが、凄く染みるのね。
会う、というのとはちょっと違う。両親のことで荒れた博士が夜の講師室で暴れまくって、本棚の本も机の上も全部床の上にぶちまけて、その上で仰向けになって倒れて……眠ってしまうのね。
そこに、博士に会いにきた楓がやってくる。会いにきた……でもなぜ、そんな時間に彼がそこにいると、彼女は判ったのだろう。
判ってなかったのかもしれない、ただ、博士がいつもいるところに来たかっただけなのかもしれない、でもそっと入ってきた暗い講師室で、眠っている彼……ヘッドフォンステレオでスピッツを聞きながら寝入ってしまっている彼の耳からそっとイヤホンを外して、彼女も「ロビンソン」を聞き始める。
あ、そうそう、この作品はもともとスピッツの曲を題材にしたネットドラマだってことだから、そこここに彼らの曲が流れて、正直ちょっとうるさいぐらいの時もあるんだけど、この場面はとても効果的に使ってる。
何よりこの、「眠っている彼のそばにそっとしゃがみこんで、寝顔を見つめている彼女」という構図が、たまらなく切なく美しく、撃ち抜かれる。
だって彼は……もう目が覚めているのかもしれないし、そして彼女もそれを判っていて彼の寝顔を飽かず眺めているのかもしれなくて、そして「ロビンソン」を聞きながら彼女は様々な思いがこみ上げて涙を落とし、そのままイヤホンを彼の耳に戻すのだもの。
この長い長いワンシーンワンカットに溢れる繊細なリリシズム、細い線から落ちそうで落ちないような微かに揺れ動く感情、ああさすが、西島秀俊とあおいちゃんなのだわ。もう、こんなの、ちょっとやそっとの役者じゃ出来っこないのだ。
朝の海にたたずむ楓に、博士が近づいていく。
二人は向き合い、博士は楓をそっと抱き締める。
カメラはずっと、海岸のこちら側から引いて二人をとらえていて、彼らの表情は見えないけれど、小さな二人の姿がそっと重ねあわされているささやかな画に全てがつまってて、表情のアップなどはいらないんである。
嘘はつけない、と博士は言った。あの時、抱きしめられなかった気持ちにも嘘はなかった。そして嘘はつかない、とまた博士は言う。つけないんじゃなくてつかない。そしてこうやって抱きしめる。その、今の気持ちに嘘はない。……深いなあ。
で……二人はどういう出会いで、どういう関係だったのか、やはり明らかにはされず、そこだけがどーにも気になってしまうんである。まあ、どうでもいいんだけどね。★★★☆☆