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ワイルド・アニマル/WILD ANIMALS/WILDLIFE RESERVATION ZONE/野生動物保護区域/
1997年 103分 韓国 カラー
監督:キム・ギドク 脚本:キム・ギドク
撮影:ソ・ジョンミン 音楽:
出演:チョ・ジェヒョン チャン・ドンジク チャン・リュン Sacha Rvkavina Richard Bohringer Denis Lavant Laurant Bureau Bruno Guillot
この作品が、ギドク監督自身、絵の留学のためにパリに渡った経験からきているという。それ自体初めて聞く話なので、これもまた驚く。なあるほど、彼の鮮烈な色彩感覚は、もうその才能の中から来ているのかあ。
初期作品である本作では、それがややネラった形で示されている感はあるけれど、やはりただならぬ才能を感じさせる。殴った血を絵筆につけて絵を描いたり、凍ったサバが男の腹に突き立てられたり(!後述)、そしてラストは倒れた二人の血が排水路に従ってずーっと……流れていく、奥行きのある画が、ああこれが絵描きの才能というものかしらん、などと思ったりして。
二人の男が出会う。一人はチョンヘ。元々画家志望なんだけど、いつのまにやら堕落して仲間の絵を売り飛ばしたりするもんだから、同じ画学生の韓国人仲間たちからはつまはじきにされている。
もう一人はホンサン。寡黙でちょっとワケアリな男。その腕っ節の強さにチョンヘは「外人部隊に入隊するために密入国した、北朝鮮特殊部隊脱走兵だろう!」と決めつけるのだが、実際はどうなんだろう。一応そういう位置づけにはなっているけれど、ホンサン自身、そうだとは語っていなかったように思ったなあ。
空港で電子ロッカーに荷物を入れようとしていたホンサンに声をかけたチョンヘが、後にその荷物を盗もうとしたことで二人は出会う。元々すねに傷持つチョンヘは追っ手から逃げてたんだけど、ホンサンのその素晴らしい腕で助けてもらう。しかし、当然ホンサン自身からもボッコボコにされちゃうわけ。
チョンヘはとにかく口が立って、「返そうと思って来たところなんだよ!」などとまくしたて、「その腕は使える。俺と一緒に組もう!」とホンサンに持ちかける。
聞く耳を持たないホンサンを列車の中まで追いかけていき、ワザと怒らせて殴らせ、刑務所にブチ込んで、ホンサンには判らないフランス語であることないこと(っつーかないことないこと)まくし立て、「オレの言うことを聞かなきゃ、一生ここから出られないぞ」と脅すんである。サイテーだなー、コイツ。
んなわけでホンサンは仕方なく、チョンヘの言うとおり、彼とチームを組んで大道芸で稼ぎ始めることになる。
こんな感じで、純朴で寡黙なホンサンは、常にチョンヘの口八丁の言いなりみたいなところがあって、何度も騙され、何度も裏切られるんだけど、でも不思議とホンサンの方が泰然としてて、大人物みたいに見えるんだよね。
何度裏切られて、殺されかけてさえ、チョンヘを切って捨てようとはしない。その度にチョンヘが、小ざかしいくせにバカだから、自分自身が危険な目にあったり、裏切られたり、心身ともにキズだらけになったりするからなのかもしれないけど。
いつしかホンサンが、チョンヘを親兄弟のような慈悲の目で見ていることに気づくのだ。チョンヘがホンサンを裏切りきれないのも、だからなのかもしれない。
大道芸で見せたホンサンの腕っ節の強さが裏社会のボスの目に止まり、二人はスカウトされる。まっとうなホンサンは当然、尻込みするんだけど、チョンヘは大道芸のショボい稼ぎどころではない大金に目がくらんで、なんとかホンサンを引き入れようと「一回だけだから」と説き伏せる。一回だけなんて、ボスには言ってないくせに。
大体、こんな組織に入ったら、その末路は目に見えている。ホンサンはそれが判っているからイヤがっているのに、それをバカだと思ってるチョンヘこそがバカなのだよねー。
でもホンサンはチョンヘを裏切れないし、チョンヘはホンサンがいなくては自分の存在価値がないもんだから……だって彼は客寄せと狂言回ししか能がない非力なヤツなもんだから……結局ズルズルと組織にい続けることになる。
この組織っていうのは、最終的には人殺しも辞さないようなヤバいところ。最初のうちこそホンサンとチョンヘは暴力で脅しつけるぐらいの仕事しか回されないけど、チョンヘが小ずるい男だってことぐらいボスは見抜いているから、彼にだけ人殺しの指示をするのね。勿論、大金をチラつかせて。
ホンサンにはその相手が動けなくなる程度に痛めつけさせて、その後でコッソリチョンヘがとどめをさす。それを後で知ったホンサンは激怒するんだけど、もう既に抜けられない状況になっていたのだ……。
という、彼らの転落と並行して、二人はそれぞれ、運命の女に出会っている。まず、もうパリでの生活が長いチョンヘは、フランス語もペラペラなんで、パリ娘と出会うのもワケないんである。
しかも、刺激的な出会い。街角で仲間からかっぱらった絵を売っているチョンヘは、ボディペイントで石膏像に扮しているコリーヌと出会う。つまり、彼女はトップレスの状態で髪から何から全て石膏状態に白くぬりたくり、街角でポーズをとっているんである。
彼女は完璧な美に憧れ、公園にある女の頭部の彫刻をいつも眺めている。あれが欲しいの、そう言って。
実は彼女はオランダからの不正入国者で、その弱みを握られている男(ヒモか?)と同居している。彼はちょっとでも気に入らないことがあると、冷凍庫から凍ったサバを取り出して、彼女を殴るんである。……なぜ、サバなのだろう……彼女を殴るためだけに、冷凍室にサバを何尾も凍らせているのか?しかし冷凍とはいえ、それを素手で掴んだら相当生臭いだろうと思うのだが……。
後に彼の拘束にガマンがならなくなったコリーヌが、彼の腹にこのサバを突き立てるのだが、その場合も普通に考えればサバの頭から突き刺すよね。尾っぽからだと、そう簡単に突き刺さんないような気がするんだけど。
つまりは、死んだ男の腹から血にまみれたサバの頭が突き立っている、という印象的なシーンに至るための前準備なわけだけど、で、確かに頭にこびりつく忘れられない画だし、ギドク監督がこれから展開していく鮮烈な映像世界の前哨戦ともいえるものだけど、う、うーむ、さすがにムリを感じるなあ。
コリーヌはチョンヘと恋に落ちちゃったんだよね。なぜこんな小ざかしい男と、とも思うけど、コリーヌに対してはチョンヘはそういう、ネガな部分は一切、見せなかったもんね。恋する男の純情さだけをその瞳に込めていた。
コリーヌのヒモはチョンヘをいいカモだぐらいに思って、「彼女を譲るからカネを渡せ」なんて散々搾り取るもんだから、コリーヌはガマン出来なくなって、コイツの腹にサバを突き立てたんである。しかしそのことが後々二人の首をしめることになるんだけど……。
一方のホンサン。彼が出会うのは、列車で同席したローラという女。金髪でフランス語も達者だけど、同胞である。と、いうことを、この時点のホンサンは知らない。列車の中ではひと言も口をきかないし。
それが判るのは、ホンサンがしつこい客引きに根負けして入った覗き部屋で、「韓国人の女の子がイルヨ!」と言われて登場したのが、彼女だったから。
ホンサンとローラの寡黙な関係は、後のギドク作品の基本形を示してる。彼が彼女のあられもない姿をガラス越しに見ているシーンなど、決して手出しが出来ないその感じは「悪い男」を筆頭とした、全てのギドク作品に通じている気さえする。
列車の中でローラが飲もうとしたペットボトルが固くて開かなくて、それを無言のまま奪い取ってホンサンが開けてやるシーン、そのお互いの視線の絡み合い、そして彼女が最後の一滴まで飲み干す、毒々しい黄色の清涼飲料水、と、とにかくどうだとばかりに畳み掛けてくる。
覗き部屋のシーンも、青い光で満たされた中、扇情的に踊っている彼女に対して、エロな気持ちを全く持たずに(としっかりこっちに感じさせるのが凄い)彼女の存在そのものを愛しく眺めている狭い小部屋の彼、という対照が、画的にも心理的にも、実にギドクワールドの基本形なのだよなあ。
一方のチョンヘとコリーヌの関係が、コリーヌが美術や造形的なイメージでくるにしても、ある意味普遍的な恋愛の形を見せるのに対して、つまりギドク監督はホンサンとローラのような関係を描写する方へと今後の作品群が傾いていくわけで、なんかその、最初の混沌の時期を見ることが出来たみたいな興味深さを凄く感じるのよね。
この時点でホンサンはまだフランス語が出来ないから、チョンヘに「フランス語で脱がないで、と書いてくれ」と頼んでそのメモをガラス越しにローラに見せるシーンが出てくる。お約束どおりチョンヘは「大股開きをやって」なぞと書きやがるもんだから、ローラはちゃあんとそのリクエストに応えてくれちゃって、ホンサンは「あのヤロウ!」と怒っちゃう。
そうなんだよね。観客には、あの客引きの男が「韓国人の女の子」と言ったからローラが同胞であることは判ってるんだけど、フランス語がまだ判んないホンサンにはその基本情報さえなくて、だからつまりは母国語でメッセージを書きゃ良かったのに、こんな回りくどいことしちゃって思いが伝わらないのが、実にはがゆいのだ。
ホンサンは彼女に、手作りの木彫りの人形をプレゼントする。それが、チョゴリを着た女の子の人形なのだ。彼女を模していることは明らか。受付に託されたその人形を、ローラは一度は置いて帰ろうとするんだけど、思い直して持って帰る。それがベッドサイドに置かれていたことに、その後部屋に侵入したホンサンは、気づかなかったんだよな。
そうなのだ……不思議な縁(えにし)で。チョンヘが請け負った殺人、その相手がローラの恋人だったのだ。
彼もまた裏社会で危ない仕事をしていて、ローラも折々その手伝いをしていた。彼女はこんな危ない仕事からは手を引いて欲しいと再三言っていて、彼もそれを再三約束していたんだけど、これが最後だから、と何度もズルズルとここまできてしまった。そして本当に本当に最後、のはずの仕事でミソがついて、彼はチョンヘによって殺されてしまったのだ。
その時、チョンヘが持ち帰ったロレックスの時計、それはローラが彼にプレゼントしたものだった。しかもなんの気まぐれかチョンヘがそれをホンサンにプレゼントしちゃったもんだから、話がややこしくなる。
刺された彼の血をその手にベッタリとつけて、泣きながら踊っているローラ。それを覗き部屋から見つめているホンサン。その腕にロレックスがはめられていたもんだから……!!オドロキの目を見開いて、ガラスに近づいてくるローラに、ホンサンもまた驚く。
ここで、ああ、こりゃひと波乱あるなと判ったんだけど、それ以降の展開がまたガンガンと来るから、最後の最後まで忘れちゃってるぐらいなのだ。
そして、最後に、ああ、そうだった、彼女がいたんだ!と思い出して……チョンヘとホンサンの人生は終わりを告げるのだ。
チョンヘは、このあたりではもうコリーヌへの思いで頭がいっぱいになっちゃっているようなところがあって、まず、仲間内で裏切ってホンサンをワナに陥れて彼をボコボコにしちゃう。
でもそんなコソクなチョンヘが仲間内で信頼されるわけもなく、逆にボスに進言されてしまう。チョンヘはホンサンと違って、何の腕があるわけでもない。バカなこいつはボスの前で手にナイフを突き立てて、何でもする、自分をクビにしないでほしい、と訴えるのだ。
それを、ホンサンはじっと見ている……どこか、慈悲の目で。
実際、ホンサンは、こんなにもチョンヘに裏切られているのに、なんか彼のことを突き放せないのだ。彼が絵を描きたいこと、アトリエを手放したくないことを見抜いてて、家賃を滞納している彼の替わりにそれをプレゼントしてくれたりする。
しかしチョンヘが「何でもする」と言ったことが裏目に出て、結局ホンサンはまたしても人殺しを請け負わなくてはいけないハメになり、しかもそれが……なんと仲間の一人だったことが、そして真正面から撃てなかったことが、運命を狂わせた。
ホンサンは、彼と一緒に寝ている恋人の足が動いたら、引き金が引かれて彼の眉間に命中するようにと、針金と糸とで器用に仕掛けを作る。
実はこの、仕掛けを作っている針金を曲げている手のアップが、オープニングクレジットに既に示されている。何を示しているのか、当然その時は判らなかった。そして物語も後半になってようやく示され……つまりこの事件こそが、彼の運命を決定付けてしまったということなのだ。
恋人の足が引いた引き金は、彼女自身の後頭部を貫いてしまった。
逆上した彼は、まずボスを射殺した。そして、チョンヘとホンサンを追う。
断崖絶壁に追い詰める。穀物用の麻の袋に入れられた二人は一発撃ち込まれ、そしてその崖から海に放り込まれた。
この、引きの画がまた凄い。本当に凄い断崖絶壁。崖の上に立っている人間が豆粒に見えるほど、海までの距離が途方もなく、切り立っている。その上からまるでスローモーションのように、かすかに岩肌に引っかかりながら、真っ直ぐに落ちていく麻袋!
しかし更に凄いのは、海中に落ちた彼らが助かってしまうことなんだけど!内側から袋を切り裂くナイフ、そして二人、抱きあうようにして海面へと登っていく。凄いシーン。
本当に、死の一歩手前で助かった彼ら、それなのに、その最期はあまりに……言ってしまえば当たり前に、あっけない。
大道芸をやっていた頃が一番、幸せだった。また二人でやろう。ずぶぬれで街に戻ってきた二人は語り合う。なんかその時点で、ね。そんなことありっこないと判れば良かった。判った筈なのに、そうだよね、また幸せに戻れる、なんてありえないことが一瞬、頭をよぎった。
しかしそこに、あまりの展開の凄まじさに忘れかけていたローラが現われた。涙に濡れた顔を怒りでいっぱいにし、二人に構えた銀の拳銃の引き金を引いた。
水に混じって排水路へと流れていく、二人の鮮やかな血。
もう一人の女、コリーヌは、ホンサンがチョンヘの替わりにと公園からもぎ取って届けてくれた、あの憧れの頭部の彫刻を手に、また全身石膏の彫刻になって街角に立っている。ひどくシュールで、しかし美しい画。まるで彼女の心が、その手にした頭部のように、もぎとられてしまったみたいだ。
今では韓国映画の潮流からは離れていて、監督自身もそのことでいろいろ歯がゆい思いがあるみたいなんだけれど、今では撮影地もキャストも韓国から離れることはないし、そして物語もこんなに、ある意味欲張りに語ることもない。
初期とはいえ、これがギドク作品とは思えないような感じなんだけど、そのそこここに今に通じるエッセンスが確実に感じられる。リアルタイムで観られなかった方がラッキーだったと思える、興味深い作品。★★★☆☆
ま、というような話で。相変わらず韓国の女優さんはトンでもないべっぴんさんで、男優の方もちょっと二宮君みたいなアイドル系ルックスのお兄ちゃん。死刑囚と面会するという重いテーマでこのキレイな画か……と、確かに最初ちょっと気にはなっていた。
とはいえ、役者たちは、特に女優のイ・ナヨンはものすっごい繊細な演技を披露しているし、素直に入り込めない自分がただ悪いとしか思えないんだけれど、でも、やっぱり考え込んじゃう。どことなく、甘いような気がする。どことなく、都合がいいような気がする、と。
死刑囚との心の交流、というのは、実は目新しいテーマではないんだよね。「デッドマン・ウォーキング」などなど、クリエイターにとっては意欲をかきたてられる主題だろうと思う。でもその大半は、死刑囚と接触することの出来る弁護士だったり刑務官だったり。
今回、宗教委員の伯母によって引き合わされるとはいえ、まったくの一般人が死刑囚と関わりを持つ、ということは、確かに新鮮な視点なのかもしれない。
でも、なあ。そこに、韓国映画の大好きなロマンスの影を忍び込ませようとしているような気がして仕方がないのは、あまりにも嗅覚を激しくさせすぎだろうか。
あ、これ、最初から“ラブストーリー”と定義されてるのか……それを知ってたら、足を運ばなかったかもしれない。だってその前提からして甘いし。でも、その難関をクリア出来ていれば感動したのかもしれないけど。
クリア出来ているとは思えない。ラブストーリーだと思って臨まなかったけれど、あ、ラブストーリーにしてるんだ、と思ったところで、私はなんだかガックリきてしまったんだもの。
それはこの場面。ユンスが死刑執行直前に、見えないけれどそこにいる筈の彼女に向かって、「愛してる」と言う場面。そしてそれを彼の視界からは見えないガラス越しに見守っているユジョンもまた、「愛してる」とつぶやくんである。で、当然ながら?双方共に大号泣である。
「愛してる」かよー、とかなりの失望感を禁じえなかった、私。ここに至ってようやくこれが、ラブストーリーであることに、二人が恋に落ちていくことを前提に語っていることに気付く、遅すぎる私。私は、それ以上のものを期待してた。魂の似た、響きあう孤独な二人が、こんな場所で出会って、ラブストーリーなのか……愛してるという言葉が発せられるのならば、ラブロマンス以上の、人間としての愛してる、を聞きたかった。それをこそ感じられたら、本当に、こっちも大号泣したのに。でも、絶対違う。そう感じたかったけど、絶対、違う。
少なくともユンスは、シスターモニカに「天使を送り込んでくれてありがとう」と感謝していたのだし、ユジョンの方も、自分のありのままをさらけだしていく過程が、恋人に対するそれのようにしか思えないし。「あんな、女みたいな顔して人を殺したの」と最初の印象から彼のルックスに注目し、「笑うとハンサムなのね」「泣くとハンサムが台無しよ」と、やたら彼のルックスの良さに言及するのもなんとなくなあ。
相変わらず、スクリーンの中の登場人物がいっくら大号泣しても、すればするほど引いてしまう。うう、なんか、感動系の韓国映画に対しては、いつもこう言ってるな。 これはやはり、文化的相違が大きいのかなあ。韓国が葬儀に泣き女を呼ぶくらいの、いわば泣きの文化であることは近年知ったことだけれど、それを知ってしまうと、スクリーンの中で役者が泣けば泣くほどなんだか引いちゃう。なぜ、一緒に泣けないのだろう……ヒネクレ者な私。
まあ、クライマックスの二人大泣きもそうなんだけど、細かく見ていくと、他にも結構、うーんと思う部分はあるのよね。
ユジョンが最初に自殺未遂をした15歳の時。その時起こったあまりにも悲惨な出来事。従兄に強姦されたというエピソードを回想で見せるシーン。
制服姿の初々しい彼女が、大声で泣きながら、階段を登って行く。母親は部屋で優雅にヘッドフォンで音楽なぞ聴いている。ドアを開け、泣きじゃくって訴えるユジョン。しかし、母親はこともあろうに、お前に隙があったんだ、この恥知らず!と娘の頬を張る。これがユジョンの忘れられないトラウマとなる。
確かに母親のこの仕打ちはヒドく、思わず口をあんぐり開けてしまう程なのだが、しかしそもそも母親に泣きじゃくりながら、レイプされたことを大声で訴えるって……どうなんだろう……と、ちょっと考えてしまうんである。そりゃ、幸運にも(というのもヘンだが)私はそんな目に遭ったことがないから判んないけど、そんな……言えないんじゃないのかなあ、強姦されたその足でまっすぐ母親のところに向かって、大泣きしながら「凄く痛いよー!」だなんて……いや、判んないけど。
なんか、微妙に価値観というか、感覚が違う気がするのよね、やっぱり。
それを考えると母親の「恥知らず!」という台詞も何となく理解できるような気もしたりして……いやいや、そんなことを言っちゃいけないんだけどさ。それに母親が言った恥知らず、の意味は全然違うんだし。
でも、ここでいきなり母親のこういう性質を判ったわけでもないでしょ。ジコチューで自分のことばかりカワイソがって、見栄っ張りの母親のことを、ユジョンが今まで判っていなかったとは思いにくい。だから、その母親に真っ直ぐレイプのことを泣きながら打ち明けに行くのがヘンな気がした。そのレイプのことに対するリアクションに関してだけ恨んでいるっていう展開だったらまだ判ったけど……。
だってね、この母親はピアニストになる夢を、娘を産むことで諦めた、という場面だって用意されてるんだもの。
そのことは再三グチられてることらしく、しかも三度目の自殺未遂をした娘の病室で、この親不孝者、という台詞とともに吐かれるもんだから、ユジョンはキレて、母親の前で点滴をブチ切って、「産んでくれなんて、頼んでない。死なせてよ!」と叫ぶんである。
この母親の言い草もあまりの自分勝手ではあるけど、これだって絶対、昔から言われ続けていることだよね?まあそれでも、そんなことを言われても、レイプのことをまっすぐ言いに行くほど、15歳の時点では母親を信じてたってことなのかなあ……私もしつこいけど。
しかも彼女には兄がいるのに、なぜ娘を産むことによってだけ、ピアニスト諦めることになるのかもよく判らない。
ところで、なんとなく、宗教臭さが気にもなるんである。キリスト教臭さ。キリスト教は画的に美しい宗教ではあるけれど、最初から最後まで、つまり死刑囚の罪や死に関する言及まで、神様や赦しを持ち込まれると、なんかだんだん、布教映画を観ているような気になってくるんである。
韓国にキリスト教徒が多いっていうのは聞いてる。しかし、当然のように監獄内でも、イエスが弟子に行うような足を洗う儀式があったり、面会室にツリーが飾ってあったりする。まるで国をあげての宗教のような扱い。
いや、本当にそうなのかな。韓国は儒教の国ではないの?
ところで、ユンスの方である。彼は、孤児として育った。というのも、幼い兄弟を、母親が捨てたからだ。こんな回想場面が用意されている。施設を抜け出して母親に会いに行く二人。しかし母親は窓の格子から「ここの男の人はとても怖くて、お前たちを殴り殺すかもしれない。いつか必ず迎えに行くから、施設に戻りなさい」と。
この場面は微妙で、本当に母親が暴力夫に捕まってしまったのか、あるいは子供に対する言い訳だったのか、判然としない。一応、せっぱ詰まったような物言いには聞こえるけれども、それにしてもわざわざ会いにきた子供にそれだけ言って、ピシャリと扉を閉ざしてしまうのはあんまりだと思われる。だから、ただたんに男の元に走ってしまった母親、と見えてしまう。恐らく二人の子供も、そう思ったのだろう。絶望して兄弟してホームレスになったのが人生の転落の始まり。
目の見えない弟を連れているから、なかなか思うようにはいかない。物乞いをしてお金を稼ぐと、縄張りを荒らした、とストリートキッズたちにボコボコにされる。「ごめんね、お兄ちゃん。僕がいなければ、お兄ちゃんは自由にどこへでも行けたのに」と弟は息も絶え絶えに言う。
それは、違う。いや、ユンスは弟が枷だと思うことで、自分を正当化していた。確かに弟がいなければ、自分は自由に羽ばたけると思っていたのかもしれない。でも、実際は逆。弟を守る自分という存在を確立することで、どうにかこうにか自分自身を支えていたに違いない。
だからこそ、それを失った日のことを、彼は忘れられないのだ。
地下道で夜を明かし、目覚めた朝、弟は冷たくなっていた。
いわば、その日、その瞬間、ユンスもまた、死んでしまったのだ。
いわば、運命は決まっていたのだ。
それ以降は途切れ途切れに、そしてかなりはしょって描かれるんだけど、まあつまり、チンピラ人生を歩んできたと思われる。それでも好きな彼女が出来て、彼は足を洗った、らしい。それもちらりと、ほんのちらりと描かれるだけ。
純情に髪飾りを贈るシーンで匂わせて、いきなり直後、彼女が子宮外妊娠だなどというからビックリする。いきなりそうこられたら、彼女には他に男がいたとしか思わないのに、ユンスは自分の子だと言うんだから更にビックリする。あの描写でそこまでの深い仲になってるなんて、どう推測するのだ!それともこれも、ひょっとして彼女に裏切られていたかもしれない、という含みなのか!?
かくして、彼女の手術費用を稼ぐためにと、最後の1回だけ、ヤバイ仕事に手を染めようとしたのが運のつき、金貸しババアの家に“兄貴”と二人で呼ばれ、……正直その最後の仕事がどんなものだったのか、なんだかよく判らないうちに悲惨な結果になっちゃったんだけど、なんかパニクった兄貴がウッカリそこの娘を殺し、更にババアを殺したことで、ユンスもまたパニクり、兄貴に指示されるままに、そこに入ってきた家政婦をグサリとやってしまったのだった。
というね……ユンスがいわゆる情状酌量のある罪人であることが後に明らかになるのが、最もご都合主義と思われるところなのよね。結局、二人の結論がロマンスになっちゃってるから、彼が真の極悪人であったら、そこから心を開き、後悔したり反省したりして、感動の場面に持っていくことは非常なる困難になるってことなんだろうな。だから結局、死刑囚との心のふれあいなんて前提がもうここで崩れ去っちゃってるのよ。
それを大上段に構えるなら、“彼が殺人を犯したのは、そもそも彼の境遇には哀れむべき点があり、その凶行にしてもとっさにやってしまったことで、しかもきっかけを作った第一、第二の殺人は、真のワルである仲間がやったことなのに、彼はその罪を一人でかぶった”だなんてさ、浪花節を作り出す必要はないわけじゃない。
その時点で、死刑囚という重さがガラガラガラと崩れてしまうんだよ。意味ないのよ、それじゃ、死刑囚なんてさ。ただの不運な、それでも人を信じてしまう、優しい可哀想な男の子になっちゃうのよ。もうその時点で、韓国お得意の、お涙頂戴ラブロマンスになってしまうのよ。
人間って、そんな浅いところで生きてるわけじゃないでしょ。それとも深いところで罪を犯してしまったヤツや真の悪人は、映画で救いあげる価値もないっていうワケ!?
まあ、私もそこまで怒ることもないんだが……つまり自分の予想に反しただけで、自分勝手に怒ってるだけなのだが……。
他の死刑囚たち、ことにユンスによく話しかけてくる死刑囚が、死刑になるほどの何の罪を犯したのか、あまりにほがらかなのも、見た目はハートウォーミングだけどどうかと思うのね。
だってここで、自責の念に苦しんでいるのはまるで、ユンスだけみたいなんだもの。
みんな、抗えぬ理不尽な運命に従って死んでいく、みたいな見え方なんだもの。それってあんまり、甘すぎないか?
絶対、ウチらが許せないようなことをしたから彼らはここにいるのに。ユンスがあんな浪花節の理由にさせられるだけで、解せないのに。
ユンスが自らの罪の重さに潰されそうになる場面も一応ある。彼が“ウッカリ”殺してしまった家政婦の母親の登場である。
これまたキリスト教を信仰している老母は、すべての人を赦さなければいけない、という葛藤に揺れる。
会いに行った彼を、たまらずに罵倒する。しかし、そんなつもりはなかったのだと、後悔するんである。
「あなたを、赦します。本当はまだ赦せそうにないのだけれど。会いに来ます。交通費が高いから、そうしょっちゅうは来られないけれど、盆と暮れには」
交通費が高いって、わざわざ言うのもなあ……。一瞬、ギャグかと思ってしまった。しかしここでも大号泣の嵐がスクリーンの中を吹き荒れているんである。うう、ついていけない。
キリスト教への信仰が篤いってことなんだろうけれど、葛藤があるにせよ、そう簡単に彼の背をさするほどに“赦せ”るのもカンタン過ぎる。こんな場面で泣くわけにはいかない、と思う私が冷たいのか?
どこにも行ったことがないというユンスのために、ユジョンは様々な場所を訪れて、ポラロイドで映して回る。
なんか、やっぱりいかにも恋愛映画ってな構図だよな……。と思っていると、その決定打として、本作のタイトルともなった写真の登場である。
ピンクのデコレーションケーキをウィンドウ越しに撮影したそれには、ガラスに映った彼女の顔もうっすらと映っている。
その写真には、彼女の書き込んだタイトルがついている。
「木曜日 10時〜13時 私たちの幸せな時間」
二人は木曜日だけは、面会室とおぼしき一室で、直に顔を合わせられるのだ。もちろん記録をとる刑務官は同席しているのだが。この刑務官というのもね、ミョーにイイ人なんである。その職業柄寡黙なんだけど、というかそうでなきゃいけないんだけど、時々二人の会話に入ってくる。「私も実は大バカなんです。仲間に入れてください」笑い合う三人。
一種、仲の良い三人組みたいな雰囲気もあり、だからこそこの刑務官はユンスの処刑が決まった時、真っ先にユジョンに知らせたりもするんである。
なかなかに微笑ましくもあるのだけれど、まあ、彼は職務を逸脱……してるよな……。
ところで、木曜日以外にユジョンがユンスを訪ねるときもある。その時は、あのいわゆるガラス越しの面会。そこでユジョンはユンスに、自分の秘密を打ち明けるんである。
ずっと、誰にも、いや、あの時打ち明けた母親以外には言うことのなかった、あの忌まわしい記憶。
それに至るには、自分の境遇を打ち明けたユンスが、「理解できるなんて簡単に言うな」と激昂したことがあったから。
ここでの、イ・ナヨンの演技は実に繊細である。涙は流すけれど、私の嫌いな号泣演技じゃない。こらえてこらえて、「陳腐で幼稚な話でしょ。何か言ってよ」と彼を見つめる。
「すみません、すみません。僕のせいです」彼もまた涙を流す。「金持ちでも、死にたくなるなんて、知らなかった……」と。「なぜ、ユンスさんが謝るの?」そう問いつつも、ユジョンはどこか重荷をおろしたように見えた。そしてその夜、彼女は久しぶりにぐっすりと眠れたのである。
ユジョンは何とか彼を助けたいと思い、主犯格の男に会って罪を認めるよう懇願したりするんだけど、「オレに先に死ねってのか!」と逆ギレされる。まあ当然と言えば当然だが……。
そして、思いがけず早く処刑が決まってしまう。「面会だ」と呼びにきた刑務官のその表情で、その時が来たことを悟ったユンス。
毎日が木曜日であってほしい、と願ったユンス。それがあっという間に破れてしまう。
仲間と食事中だった、和やかだった雰囲気が一気に沈む。「今日死ぬのか。ヘンだな。案外平気だ」そんな風に笑ってユンスは、「食事を食べ終わるまで待ってくれ」と言う。かっこみ、ノドにつまり、咳き込む。「死にそうだった」などとジョークを飛ばす。しかし仲間達は、当然そんなジョークに笑えるはずもない。
一方、連絡をもらったユジョンは、その足でまず入院している母親の元に向かうんである。
さんざんいがみあってきた母親に、もう手元も震えてすっかり弱々しくなった母親に、彼女は泣きながらぶつける。
「あの人を助けたいから、奇蹟を起こしたいから、お母さんを赦す。死なないで、生きて!」
ちょっと待て。それって、あんまりじゃん……。
まるで、この母親が生き延びるのが、ありえない、あるいはあってもらいたくない、ことみたいでさ……。
まあ、半ばそう思っていたんだろうが……。
この母親に対しては、あるいは家族に対してということもあるだろうけれど、かなり複雑なものをユジョンは抱えている。裕福なセレブ一族の中で、彼女だけがいわば鬼っ子なのである。歌手を辞めた後は母親のコネで大学で美術講師をしているのだけれど、それにも身が入らず、同僚からは「シュミで美術講師している」と揶揄される始末。
ところで、字幕で許す、ではなく、赦す、になっているのが、そうだよなと思う。まさにだけど。この辺のニュアンスはやはり、原語でも踏襲されているんだろうが、それってやっぱり宗教的な意味合いが強く匂う。
で、ユンスの処刑。彼は吊るされる前に、涙ながらに長々と口上を述べてくれるんである。
「世界には愛があると知りました」
その愛は、人間愛なの? 家族愛なの? それとも恋愛?
結局、シスターモニカの“愛”は、ユンスが最初に「いいことをしたいんだろ。そして俺が死んだら涙を流したりするんだろ……クソ」と喝破した以上のものがあるとは思えないし、ユジョンとの“愛”だって、似た者同士の淡い愛の芽生えの手前って感じで、そこまで突っ込んでいるとは正直思えない。
人生って、人間って、これで「愛してる」と片づけられるほど、甘くないと思うんだけどなあ……。
ところで、なぜユンスだけがいつも手錠をはめられていたのだろう……。他の死刑囚はフリーだったのに。素朴で単純な疑問。★★★☆☆
今まで私、ギドク作品に再登板する役者はほとんどいないと思ってた。それだけ彼の作品が特異であり、同じ色がつくのを避けているんだと思ってた。だから「弓」でハン・ヨルムがヒロインとして再登板したことに驚き、彼女はそれだけ存在感があったもんなあ、と思ったりしたんだけど……。
私、ほんっとに、女の子しか観てないのね。この彼、タイトルロールとなっているワニ兄役の彼、まさにこの作品の主役のチョ・ジェヒョンは何度もギドク作品に出てるじゃないの。それも、あのドギモを抜かれた「悪い男」の、まさに悪い男役で!
そうだ、そう言われれば彼なのだけれど、あの「悪い男」があまりに鬼気迫っていたもんだから……。
「ワイルド・アニマル」でも「受取人不明」でも「魚と寝る女」でも、そうだ、確かに彼はいたのに、全く気づいていなかった。まったくもってこんな役立たずの目は、くりぬいて銀紙でも貼っとくべきである。
でもそれぐらい、「悪い男」で、役に出会う、というものがあったのだよなあ、と思うし、そしてその彼が、ギドク作品の、実にデビュー作から起用されているということに、心躍るものを感じるんである。まさにギドク監督にとってのジャン=ピエール・レオー と言うべき!
そしてそのデビュー作で彼は、後に「悪い男」となるべきギラギラした片鱗を既に見せつけ、そして「悪い男」の筈なのに突き放しきれないというキャラクターもここで既に現われていて、ギドク監督は彼自身からインスパイアされて物語を構築することもあるんじゃないんだろうか、などと夢想するんである。
その恐るべきチョ・ジェヒョンの演じるワニ兄は、ホームレス、というべきなのだろう。しかしその言葉から感じる、ある種の殊勝な印象は何もない。言ってしまえば宿無しの、街のごろつきである。
腕っぷしは強い。だけど賭博であっさりイカサマに引っかかって、すってんてんになってしまうあたりは、あまり頭がいいとは思えない。
彼は(恐らく)血のつながらない爺さんと小さな少年と一緒に、川っぺりにテントを張って住んでいる。その少年に街でガムを売らせたり、インチキな精力倍増マシンなどを売ったりして生計を立てている。街でしつこい男に付きまとわれている女の子を助けたりするから、ちょっとイイ奴かと思いきや、その恩を売ってレイプしようとする、ハッキリいってサイテーなヤツ。爺さんや弟分ともなんで一緒にいるのか、自分が気に入らないと容赦なく暴力を振るうし、ほんっとに、サイテーなヤツなんである。
彼らの住んでいるこの川は、どうやら自殺の名所らしい。なもんで彼の一番の収入源は、土左衛門の胸ポケットからサイフを失敬することなんである。爺さんはいつかバチが当たるぞと眉をひそめるけれど、彼はヘイキだった。
その日も若い女が飛び込んだ。助けに行けと爺さんが言うのにも、それじゃ商売にならないだろうがと彼は言ってのけたんだけど……なぜ気が変わったのか、いや、後から考えれば単にスケベ心が働いただけだろうけれど、彼女を助けるのね。
彼女の名はヒョンジョン。すらりとしたスタイルの、かなりイイ女である。ワニは早速彼女をレイプする(なんか表現おかしいか?)。
必死に止めに入る爺さんや弟分をぶん殴って、「俺が助けたんだぞ!」とムリヤリである。彼女は当然逃げ出すと思われたんだけど……そこに留まった。見かねた少年が彼女を逃がしても、帰ってきた。だから彼女は何度もこのサイテー男にレイプされるんだけど……凄く辛そうなんだけど、ここに留まるのだ。
それは、彼女がそれ以上の地獄を味わったからこそ、死のうと思ったから。思いがけず命が助かって、どうしていいか判らない風情で、彼女の辛そうな表情の理由は、ワニ兄にレイプされることではなく(いやそれも勿論そうなんだけど)、思い出したくないかつてを、見ているかららしいのだ。
ヒョンジョンを不憫に思う爺さんと少年は彼女とすっかり仲良くなって、彼女をワニ兄から守ろうとするんである。どうにもワニ兄は調子が狂う。彼女の視線が、どこか彼を哀れんでいるようにさえ見える。そして彼は、彼女がヒドイ男に冷たく捨てられて、自殺を試みたことを知る。そのことを知った時にはもう彼は、彼女を好きになっているんだよね。
もう、既に、デビュー作の時点で水のイメージが現われているのには、途中から彼の作品に接することになったファンとしては、実に感慨深いものがある。しかしその最初の水のイメージ、彼らが暮らす川は自殺の名所というネガティブな雰囲気と、そして工場廃水が垂れ流されることによってすっかり汚れきってしまった、澱んだヘドロのような水なんである。
しかし爺さんは、ここでは昔、魚が釣れたんだと少年に語る。それぐらい、キレイな水だったんだと。驚く少年。そこに戻ってきたワニ兄は、そんな話をしていたのも知らず、平然と川に向かって立ち小便をする。既にギドク作品にあるシニカルなユーモアがここに確立されている。
だけど、ひとたび彼が水の中にもぐると、その水は透明で、清冽で、美しいのだ。
デビュー作でこれだけの水中撮影をこなしているというのも、野心満々って感じだけど、陸上でのワニ兄の生活があまりに荒んでて、そんでもって夜のシーンも多くて、これがロクに照明を使ってないのか、何が起こっているのか判らないぐらい暗かったりするもんで、水中撮影の気合いの入りようがことに際立つのよね。
彼は、爺さんや少年や、そしてヒョンジョンまでもが、川に折り紙で作った船を浮かべるのをイヤがるのね。それはいずれ沈んでしまうから、イヤなのだと。しかし少年は「どれかひとつぐらい、海に着くかもしれないよ」と言う。
ワニ兄は、もう沈む寸前の生活を送っているのに、それをこの目で見るのはイヤなのか。そして少年のように、殆んどない可能性を夢見ることも、もう諦めてしまったのか。
爺さんは、「カタギになったらどうだ。オマエはまだ若いんだから」と彼に言ったりする。こんなサイテー男なのに、なんだか息子のように心配している。それは少年もそうで、いつも彼の非道なふるまいには、少年のケッペキさじゃなくったって憤るに違いないんだから、結構抗ったりするし、ついにはバイクに細工してワニ兄を事故らせようとさえ(ヘタしたら死んじゃうことまで、判ってやったに違いない)するんだけど、でもなぜか彼のそばにいるんだよね。
それがどうしてなのか……ヒョンジョンが現われたことで判った気がする。
つまりワニ兄は実は単純な男で、何かのきっかけ、誰かとの出会いがあれば、変われる男だったんだよね。
どうせ自殺しようとした女なんだからと、最初はレイプして適当に捨てるぐらいにしか思っていなかったであろうヒョンジョンが、彼の中で大きな存在となってくる。
彼女を捨てた男を突き止め、制裁を加えようとするんである。
実際、この男は本当にヒドイ男で、ひょっとしたら女と見ればレイプしてポイのワニ兄よりもサイテーかもしれない男なのだ。
というのもコイツはヒョンジョンのことを、「もう(自殺して)死んだのかと思っていた」と薄ら笑いを浮かべ、「君も彼女に誘惑されたのか。あいつはヒドイ女だ。僕はもうすぐ結婚する。あの女とは関係ない」と、まあ、いけしゃあしゃあと言い放つんである。
こんな男のために、首尾よく死ぬ必要など、なかった。ヒョンジョンが助かったのは、ワニ兄に助けられたのは、良かったのだ。そう、思ったのだけれど……。
ヒョンジョンに、この男を撃たせようとするワニ兄。だけど彼女は手がブルブル震えて……。だけど思いっきり怖い目に合わせてやって、それでなんとか、そうなんとか、彼女の思いを静めさせることが出来たらと……。
ヒョンジョンは、絵が上手いのね。スケッチをしている。ワニ兄の顔を描いて、それを見たワニ兄……なんかその時から彼女に対する態度が和らいだ気がする。
彼女に絵の具を買ってきてやったりする。爺さんの誕生日に新しいメガネを買ってやったりもする(ま、自分が殴ってレンズをぶち割ったんだけどね)。今までじゃ考えられない優しい行動に出るのだ。
ところで、この絵や似顔絵、スケッチという要素も、もともと絵描きであるギドク監督に、水のイメージに次いで折々出てくるイメージなんだけど、それがデビュー作でもう現われているというのも、驚きである。
しかも彼女だけではなく、ワニ兄がナンパされて危うくヤラれそうになるゲイの男にも、その要素が付加されているんである。
この男は、警察に依頼されて容疑者の似顔絵を描くことを生業にしており、ワニ兄に抵抗されて逆に脅され、カネまで持っていかれたことの腹いせに、彼に濡れ衣を着せて牢にブチこむんである。
この辺りからちょっと不可解な、不穏な要素が漂いはじめるんだよね。一体これは、何の事件に巻き込まれたんだろう。それともヒョンジョンの元カレの関係したことだったんだろうか……よく判んないんだけど、暗殺事件が起こるのよ。それも犯人たちは卑劣にも、そこらへんで遊んでいた子供を使って拳銃を撃たせるのだ。
で、二番目にその標的となったのが爺さんで、引き金を引いたのが弟分の少年だった。……あまりにも救いようがない。
少年は当然、知らなかったのよ。爺さんは機械を修理するのが得意で、ワニ兄の壊れたバイクも難なく直してしまうような腕の持ち主だった。壊れた自動販売機を引き取って、自ら中に入って紙コップだけを落として小銭を巻き上げるという、まあ言ってしまえばショボい稼業をしていたんだけど、その自動販売機を撃ちぬけ、と怪しげな男が少年にお小遣いを渡して依頼したのだ。
「自販機のコーヒーがキライなんだ」などというワケの判らない理由に少年はいぶかしげながらもふーん、と頷き、引き金を引いた。まさかその中に大好きな爺さんが入っているなんて思わないから、躊躇もなかった。
落ちてきた紙コップに血がたたえられ、自販機から爺さんが出てきた時の少年のショックは、想像を絶する。
ワニ兄とヒョンジョンは黙って、自販機ごと爺さんを埋葬した。
ワニ兄とヒョンジョンは結ばれた。今度は、彼女の方から彼に寄り添ってのセックスだった。それまでの、性急にワンピースの裾を捲り上げてとりあえず突っ込むだけのセックスとは違って、お互い一糸まとわぬ姿になって、肌のぬくもりを存分に感じながら、深く、感じ合うセックス。
これで二人、全てを分かち合ったと思ったのに。
その翌朝、ヒョンジョンは静かに川に入っていく。それを少年が気付く。急いでワニ兄を起こして、お姉ちゃんが死んじゃう!と叫ぶ。しかしワニ兄はしばらく水面を見つめるばかりだった。彼女が川に入っていった理由を、考えていたのか、あるいは……そして彼は上半身だけ脱いで川に飛び込む。
水底に、静かに目を閉じたまま沈んでいる彼女を抱き起こす。そのまま水面に浮上するかと思いきや、水底にそれまで密かに設置していた絵画やソファのある一角に彼女を連れて行く。二人してソファに座る。お互いの手首を手錠でつなぐ。寄り添って座り続ける……。
途中、苦しくなったのか、ワニ兄がその手錠を何とか外そうともがくのはご愛嬌なのか、あるいは残酷な描写なのか、結局彼は諦めて、もう意識もなく彼にもたれかかる彼女と共に、深い藍色の水底のソファに座り続けるのだ。
水の流れに揺れる黒髪、ゆっくりと波打つワンピース。
諦めたような、あるいはそれが望んだ幸せのように彼女に寄り添う彼。
これを一体、どう受け取ればいいのだろうか……。
色彩の乏しい画面の中で、唯一色が際立っていたのは、川辺に登ってきた小さな亀の甲羅をワニ兄が青く塗りたくって、それを再び水中に返してやるシーン。この絵の具はヒョンジョンに贈ったものなのに、彼女が絵に使う鮮やかさは描かれず、亀の甲羅のコバルトブルーばかりが目に染みるんである。
なんだかそれが、この衝撃のラストの、水の哀しい青さに重なって仕方がない。★★★☆☆
おっと、何の説明もなしに最初からこれかい。えーとつまり、ジナがある日、海岸にふっと降り立つように現われるシーンから始まる。大きな裸婦絵(エゴン・シーレ)を抱えてる。軽やかなワンピース姿だけれど、その姿はどこか哀しげだ。
彼女は砂浜にその絵をざっくりと突き刺し、波打ち際に椅子を置いて座り、その足が波に洗われる。そんな彼女をサーフショップの男、ドンフィがじっと見ている。うたた寝をし、いすから落ちるジナを慌てて助けにいく。しかしジナは、砂浜に降り立つとさっさときびすを返してしまう。
まるで波に流されてしまいそうなジナと、それを助けるハンサムで寡黙な男、恋愛映画が始まりそうな冒頭でいながら、彼女が向かうのは、孤独な仕事場。
ジナとすれ違い、その仕事場を辞めてきた女がぶつかる。女の手から金魚を入れたビニル袋が落ちる。拾い上げ、袋にミネラルウォーターを注いで女に渡すジナ。二人は声を交わすこともない。
ジナは一体、どこから来たのだろう。ずっと、この仕事をしているのだろうか。あの女が辞めるというんで、派遣されたのだろうか。
そういった説明はなされない。ただ、青い門の“民宿”をくぐると、“女の子”としての色々な説明を“お母さん”から受け、その日から早速仕事にかかるだけである。
ヘミは、そんな家業と娼婦が大ッキライな女子大生。ジナとは同じ年。
外見も対照的で、ジナはほっそり華奢な、言ってしまえば夢のような女で、ヘミは非常に健康的で押し出しの強いタイプの女の子。
物語自体はジナが主人公だし、イヤな客に当たったり、ヒモにつきまとわれたり、雇い主から理不尽な扱いを受けたりと、彼女自身の苦悩を描いているように見えながら、終わってしまえば、ジナとヘミとの友情物語に見えてしまうのだから、意外だった。
そうなの、ジナはヘミと最終的に、強い絆で結ばれる。この子と仲良くなるとは凄く意外だった。
ギドク作品は傑作ではあっても、いつもどこかやるせない思いで心の中がいっぱいにされるから。
だからこの悲劇のヒロイン、ジナは、最後まで悲劇のヒロインで、それを突き詰めることによって男には到達できない悲壮な強さを身につける、みたいな、ギドク作品に通じるヒロイン像を思い浮かべてた。
でも今回は、本当の意味でのカタルシス。それをギドク監督作品で味わうことができるなんて、思ってもみなかった。
最終的に女の子同士の友情がつむがれるという点で、「サマリア」の前哨戦とも言えるのかもしれない。……過去作品を観る時は、いつでもついつい比較点を見つけて嬉しくなってしまう。
「サマリア」はお互いの強い結びつきがまずあって、その用意されたカタルシスが崩壊していくとも言える物語だったけれど、これは逆のパターンで、ゼロから友情を構築していく物語。そして、最後に大きなカタルシスが待っている。舞台や展開はキツくても、根底が凄くマトモって感じなのだ。
片方の女の子が身体を売っていて、でも現実味がないというか、聖性を身につけているというのも共通している。
「サマリア」では、客に出会うたび恋に落ちる、天使のような女の子像で、もはやお伽噺の領域に達する聖性だったけれど、ジナにはナマな女の痛みが伴う。
そして一方のヘミはセックスに拒絶反応を示していて、だからこそ、その意味が凄く生々しい。ジナに反発しながらも強い思いを隠せないのも、「サマリア」とまるでおんなじだ。
ホント、対かと思うぐらい、思い出してしまう。年齢と筋が全然違うから、全く違う性質のように見えるけれども。
最初のうち、ジナにはわっかりやすい位の敵意をムキ出しにするヘミ。
皆で共有の歯磨き粉も、ガンとして貸さない。もうギッラギラの鋭い目で睨みつける。
こんな家じゃ恋人も呼べない、アンタ、恥を知りなさいよ!みたいにね、言うわけ。その稼ぎで今まで一家が食べてきたというのに。なあんか、そういう理不尽な侮蔑、あったよなー。「上海の伯爵夫人」あまりにも違う映画だけど……。
しかも彼女を雇ってる母親でさえ、そういう視線を隠さないんだよね。客から強要されたのに「朝からよくやるよ」と眉をひそめ、「子供がいるんだから、朝は控えてよ」なんて軽蔑丸出しに言う。まるで彼女が、それが好きでこの仕事についているみたいに。実際、ちょっとはそう思っている節があるんじゃないだろうか……。
まあでも、このお母ちゃんはそんなには、憎めないお人ではあるんだけどね。絵の上手いジナに似顔絵を描いてもらってご満悦だったり、いざ出て行け、と言ったら彼女がすぐ出て行くのに慌てて、「今すぐは困るよ!後が決まってからにしておくれ!」と娘にバッグを抑えさせたり、理不尽なんだけどあまりに愛しい単純で、笑っちゃう。でもジナはかまわず出て行っちゃうんだけどさ。
おおーっと!また先走ってしまった。そうなるまでには、色々、色々、あるのよ。まずはね、そう、ジナは絵が好きなんだよね。実際、凄く上手い。昼はヒマだから絵の学校に通ってもいいですか、と“お父さん”に聞く。でも実際通っていたかは定かではない。ただいつも、ヒマさえあれば海岸に行き、スケッチしている。
ある日、ジナはサバを買って帰ってきた。お父さんは塀に魚の絵を描いていた。なかなか上手い。彼女はニッコリして、その側に座り込み、チョウチョの絵を描き加えて部屋に戻る。お父さんはその後ろ姿をじっと見つめ……そして彼女の部屋に押し入った。
そのことを、ヘミは父親のファスナーからシャツがハミだしていることで、まさか、と思い当たった。客が帰って行く時も、そんなだらしのない格好になっているから。
ヘミはますますジナへの警戒感を強めていく。
そして、この家の息子、ヘミの弟であるヒョンウもまた……。壁にケーブルを張りめぐらし、ジナと客とのやりとりを盗聴してはヌいてた彼。彼は筆おろしの相手に彼女を選んだ。写真のヌードモデルを頼み込んで、やっとOKしてもらえて、その延長線上で懇願したことだった。
「同級生の中で、僕だけなんだ」でもその台詞の後に、彼は、金を払えば誰だって大丈夫だろ、みたいな侮辱的な台詞を言ったような気がする……彼自身はそれほどの意味なく言ったみたいな感じがしたけど、ジナがOKしたのは、その台詞にいわばショックを受けたからのような気がして仕方がない。
船底にばらまかれた紙幣。彼女がそれを拾うことはない。
この場面で、カメラが建物の汚れた窓や、テントの透明な覗き窓から撮ってて、誰かが覗いているみたいでやけにスリリングなのよね。実際、誰かが盗み見ているのかと思ったけど、そういうわけではなかったのかなあ。
ヘミは、弟がジナと関係を持ったことも知った。弟の部屋にウォークマンを借りに入った時、そのウォークマンが、ジナの部屋を盗聴していることに気づいたのだ。
しかもそこで弟はジナに、もう一度、と頼んでいた。セックスという言葉は口にはせずとも、すぐにそうと知れる会話の内容。勿論ジナは即座に断わっていたけれど、ヘミはそんな弟よりも、ジナに対する拒絶感をますます強めていく。
そんなわけで、親子どんぶりだったわけだよね。あ、この場合は逆か。父と息子、二人とも彼女と関係し、性病になったことでそれが発覚、っていいのか!?病院で顔を合わせる親子の一瞬のシーンの可笑しいこと!そして、帰ってきた“お父さん”がジナの部屋をノックし、「明日、病院に行きなさい」とこっそりと告げるシーンもやけに可笑しい!
このお父さんが、映画が始まって程なくして彼女をムリヤリヤッちゃった時には、ホント、絶望的な気分になった。ああ、このオヤジさんは寡黙だけどいい人そうだったのに、ここでは彼女の味方は誰もいないんだ、と思って。きっとジナはこの後ひたすら転落していくのだ。誰からもハブにされて、金魚を眺めることと、絵を描くことだけで孤独を紛らわすのだ、と思っていた。
でも、実際、イイ人だったのだ。確かにこの、レイプまがいの行為は許せない。でも暴力を働いたわけではなかったし、その後は一切、ジナに手を出そうとしなかった。すまなそうに目を伏せて、やはり何も言わなかった。でもいざという時はいつも助けてくれた。どこか過剰なぐらいに。
やはり、罪を償う気持ちがあったんだろうか。異常な要求を突きつける男を殺さんばかりにボコボコにブン殴ったり。でもその要求が何だったのかは示されないから、凄く気になるけど……「それだけはイヤ」とジナが言い張る声だけが聞こえるからさあ。まあ、その前の時点で、この男がトランクからセーラー服を取り出した時には思わず吹き出しちゃったけど。
あるいは、これは彼女の過去を示す大きな手がかりである、いかにもチンピラの、刑務所から出てきて彼女を探し当てたヒモの男を、あまりにも勝ち目がないのに、立ち向かっていったりもするお父さん。許せないことをしたのに、許せちゃうんだよな。
ヘミが腹立ちまぎれに警察にウチの家業を通報し、ジナと二人、留置所に入れられた時だって、ノースリーブの彼女にぎこちなく自分の上着を着せかけたりしてさ、なんか泣けるんだよ。彼の申し訳ない気持ちと、彼女に対する、よこしまじゃない、不憫な気持ちが感じられちゃって。
ジナが泣きじゃくったのも、きっとだからでしょ。彼女の肩を抱くのもね、凄く、お父さん、って感じなんだよなあ。
それにね、彼はこの地元で慕われているらしいんである。あのボコボコにされた客が警察に駆け込んで訴えても、「あんたが何か悪いことをしたんじゃないのか。ここのオヤジさんは意味なくそんなことをする人じゃない」とおまわりさんに追い返されちゃうし。通報があってジナとお父さんが捕まった時も、「通報があったから仕方なく捕まえたけど、一晩泊まったら帰しますから」とすまなそうだし。
この“民宿”は、ルールのある遊び場として、きちんと機能しているみたいなんだよね。それはこのお父さんの存在が大きそうである。なんか、一目おかれている感じだし。
しかしヘミは、ジナがどうしても許せない。でもジナは、どんなにヘミからあからさまに敵意を突きつけられてイジワルされても、なんか彼女のこと、最初から気に入っているみたいなんだよね。
ヘミは、恋人とどうしても関係が持てない。恋人同士だから自然なことじゃないか、という彼にどうしてもうんと言えない。
ついに欲求不満がたまった彼は、半ば衝動的にこの“民宿”を訪ねた。無論、ここがヘミの家だなんて、知らない。ヘミは彼に家のことを何も話していない。それもまた、彼に不信感を募らせていた。
しかし、ジナを前に、なかなかコトに及ぶことが出来なかった。その時、ポケベルが鳴った(というあたり、時代ね)。電話してみると、ケンカしたヘミからメッセージが入ってた。「今日はごめんね。結婚したら、毎日抱いて」実はその、目と鼻の先にヘミがいるのに!!
そして、彼はそのままジナには手を出さなかった。愛するヘミのために思いとどまった。
ヘミは、彼を家につれてくる。ジナには出かけてもらうようにお母さんが頼んだ。しかしこの青い門を再びくぐった彼は当然、居心地悪げで、しかも出かけたはずのジナはハデなメイクで帰ってきて、ここでの自分の仕事をブチまけた。どこかヤケ気味で、彼がこの間の客だと本当に判っているのか、疑わしいぐらいだった。
お母さんは、ジナを殴り、叱責しながらも、彼がこの間の客であることを思い出す。ヘミはショックを受け、彼を呼び出し、問い詰めた。
彼はとても正直に、実際足を運んだことまで告白し、でもやっていないんだ、彼女に聞けば判る、と言う。言ってみれば、いわゆるフーゾク女を信用しようとした彼がバカだったのかもしれない。でもそれだけ、誠実な彼だったのだ。男の本能のことだって、正直に言った。
でも、ジナはちょっとイジワルしたくなった。彼が自分で何度も楽しんだと言ってしまう。そして、「恋人同士がケンカするって、うらやましい」微笑んでつぶやいたジナの頬を、ヘミは殴った。
その意味を、その孤独を、当然、この時のヘミは判ってなかったけど、ジナはそんなまっすぐなヘミがきっと最初から好きで、だからちょっとヤキモチ焼いたんじゃないかって気さえする。
ヘミはジナにウォークマンを突っ返す。弟に借りようとしたらあんなことになっちゃってたから、母親に買ってくれと頼んだものの、却下されていた。
でもある日、部屋に新しいウォークマンが置いてあったから、ヘミは母親が買ってくれたものとばかり思っていたのだけれど、違うと言われて、思い当たったのだ。
こんな汚いカネで買ったものはいらない、と。おいおいおいー、君たち一家はそれで食ってるんだろーが。
ジナはふいに泣き顔になり、ヘミを殴る。あの泣き顔がね、まるで子供が泣いたように見えたんだ……。
その頃、ジナの元には昔の男が押しかけるように訪ねてきては、カネをせびっていた。たちの悪い男。「お前に会うと、セックスしたくなる」とほざいて、彼女を抱いて、カネを奪って去っていく。「俺から逃げようと思うなよ。つかまえて、売り飛ばしてやる」そんな台詞さえ、吐く。
ジナとお父さん、ヒョンウの親子どんぶりが発覚し、お母さんから出て行けと言われたジナは、何も言わず、トランクさえ持たず(だって、慌てたお母さんがヘミにそれを差し押さえさせるんだもん)、「もう、歯磨き粉で争うこともないわね」とヘミに静かに言い、出て行ってしまう。
ヘミの態度は、この頃、どこか微妙に変わっていたような気がする。それこそなんだか……気の強そうな態度は崩さずとも、泣き出しそうな顔にも見えた。
写真が好きな弟が撮った、ジナとヘミとのツーショット、ヘミはくしゃくしゃにして捨ててしまったそれを、ジナは大事に飾っていた。
部屋に残された、卒業アルバムやスケッチブックを、ヘミは丁寧に見てゆく。スケッチブックの中には、彼ら家族のスケッチが残されてた。微笑んでページを繰るヘミ。自分の顔だけがない。不信げな、いや哀しげな影もさした顔をして、一旦閉じる。
しかし再び開けてページを繰ってみると、1ページ空白を挟んだその次に、自分の顔がある。しかめつらの、確かにこんな顔しかジナには見せていなかった。でも、とても丁寧に、その愛すべきしかめつらがスケッチブックの中に息づいていた。
ジナは海岸に向かう。
以前、いつものように昼間の時間を海岸で潰していた時、あのサーフショップのドンフィがテーブルの上に金を置いて頼んできた時、「そんな気分じゃないから」と断わっていたのは、彼のことが好きだったからだよね。
多分、彼も本当は客としてじゃなく彼女を抱きたかったんだと思うけど、ハンサムな割にストイックに見える彼は、女をやすやすと口説くようなタイプじゃないみたい。だから逆に、こんな邪道な入り口から入ろうとしたのかもしれない。ムリヤリキスしようとしても、激しく拒絶される。
そこは、結婚まではセックス出来ない、と恋人に言い張っていたヘミと同じなんだ。好きな相手には、欲望じゃないセックスが欲しい。それが女の幻想。
しかし今、青い門を出てきたジナはまっすぐ海に行き、彼のボートに乗って、海の真ん中に高々とそびえ立つダイビング台の上で、彼の上に乗り、激しくセックスをする。
それは、唯一ジナが自分から望んでしているセックス。見れば判る。気持ちが入っているのが判るんだもの。激しいけれど、海のはるか上の空に近い場所で、はかなげな薄いワンピース姿の彼女が彼にしがみついているのが、やけに美しく見える。
それを、ジナを追いかけてきたヘミが、波打ち際からじっと見つめている。
私はてっきり、このケッペキな女の子だから、「やっぱりアイツはインランだ、キーッ!」とか怒るのかと思ったら、何だか切ない顔でじっとじっと、見つめているのだ。
ヘミが、ジナを街中尾行しているシーンも印象的である。彼女が日中、何をしているのか、みたいに、つけて歩いていくヘミ。髪飾りを選んでいた店先で、ジナは手鏡の向こうにヘミの姿を見つける。驚き、しかし知らない振りして彼女を撒く。
そして今度は、ジナがヘミをつけていく。ヘミはジナと同じ道筋を辿り、同じ行動をする。同じ店でやはり髪飾りを選んでいた時、ヘミの手鏡の向こうでジナが微笑んでいる。
このシーンは、ヘミのジナへの、いつの間にか芽生えた不思議な思慕と、まるで恋愛感情のような絆を感じさせて秀逸である。
そしてジナは青い門の内側に戻り、二人はすっかり仲良しになっていた。
ジナに感化されて、愛する人とのセックスに挑むヘミ。しかしあの事件で懲りたのか、はたまた許してもらったことに感激したのか、彼は、ヘミを大事にしたい、と最後まで行かない。
でも今や、ジナの愛の論理に感化された彼女は、欲求不満に陥っているのかもしれない。なんかフクザツな顔してるし。だってベッドに入って、あんな寸止めされてもねえ。
実際、ヘミはとても肉感的な女の子なんだよね。着替え中の姉の部屋にウッカリ入ってしまったヒョンウが、「胸、大きいね」とつい見とれてしまう爆乳。
まあ、ちょっとふっくら気味ではあるんだけど、パーンとはった丸顔にベリーショートがキュートに似合って、その気の強そうなトコもそそられるし、時々見せる太ももがまた、ぱっつんぱっつんでイイのよねー。客の応対をする彼女に、「君が“女の子”?」とまず客が言うのもむべなるかな。実際、男が本能として抱きたいのは、こういう弾力系の女の子の方なんじゃないかと思われる。
ヘミは、それまでいつもマニッシュなパンツスタイルだったのがスカート姿となり(正直、パンツの方が似合うけど)ついに最後には、ジナの替わりをつとめるようにまでなる。
ジナの部屋に入り込んで、楽しげに時を過ごす二人。前半の剣呑な関係がウソみたいに、ずっと昔から親友同志だったみたいだ。
そこへ、客がやってくる。応対に出ようとするジナを「少し休んでなよ。私が出るから」とヘミ。「必要だったら呼んでね」とジナ。その時はまさか、ヘミが本当に相手をするなんてジナは思ってなかった。
実際、本当に民宿としてしか使わない客も(多分。だってオモテには民宿としか書かれてないんだもん)いるからだ。
しかし、ヘミはいつまでたっても戻ってこない。不審に思ったジナが外へと出る。
雪の中に残された、転がされた雪玉とひっそりとした足跡、そして客の部屋の前で脱ぎ去られたサンダル。
窓から客の部屋を覗き、やや呆然とした表情を浮かべるジナ。
それが、それこそが、ヘミにとっての、最高の友情の証しだったのかもしれない。
ある日、ヒョンウの元を、出版社の男が訪ねてくる。コンテストに出したヒョンウの写真に才能を感じ、ウチの会社でキミを育てる、と言うんである。ついてはこの時に撮ったネガを見せてくれないか、もちろんタダとは言わない、と。
つまりは上手いこと言いつくろって、ジナのヌード写真をお買い上げしたんである。育てるつもりなんて、なかったに違いない。その写真はエロ雑誌の表紙をばーんと飾る。
ヘミは不吉な夢でガバリと起きる。胸騒ぎを覚えて、ジナの部屋に飛び込む。隣に客が寝ている。ジナの手首から血だまりが出来て流れて……トイレットペーパーで止まっていた。悲鳴をあげるヘミ。慌てて飛び込んでくるお父さん。
大事には至らなかった。包帯を巻いて帰ってきたジナは頼りなさそうな笑みで、まるでヘミに寄りかかるようにごめんね、とつぶやくように言うと、ヘミは「バカね」と菩薩のように微笑むのだ。……本当に、女の子ってこんなに変わるものなのね。
この辺、ちょっとシーンの前後が違っているかもしれない。エロ雑誌を持ってヒモの男が乗り込んでくる。
これでいくらもらったんだ、カネがないはずがない。ないっていうなら、撮ったヤツは誰なんだ、とジナに暴力をふるう男を止めに、飛んで入ってくるヘミ。もの凄いケンマクで彼に立ち向かう。以前のヘミならば考えられない。
明日カネを用意するから、そう言ってなんとか彼に帰ってもらう。ジナはその夜に自殺未遂したんだっけ……。
まあ、とにかく、お父さんがね、これを撮ったのは息子だから、私が話をつける、と男を海岸に連れ出すのね。んで、弱いのに彼に先制攻撃するわけ。でもボコボコにヤラれてしまう。
ああ、ダメだ、やはりジナは悲劇のヒロインで、このヒドい男から逃れられないんだ……と思っていたら、そこに登場したのがドンフィ。替わりにこのヒモをボッコボコにしてくれちゃう。「またこういう目にあいたいのか」そう凄まれて、コイツはすくんじゃうの。
でもこのヒモ、ジナを金づるだと公言して、実際、カネをせびりに来るついでにセックスするみたいな感じだけど、ホントはホントに、彼女のことが好きだったのかもしれない。そして、ジナも彼のことが好きだったのかもしれない。だからこそ、手の届くところにしか、逃げられなかったのかもしれない。
みっともなく、ボロボロになった彼を、何も言わずにただハグするジナに、そしてこんなみっともない自分を見ないでくれと立ち去る彼に、そんなことを感じてしまうんだ。
朝。今までならもはやバトルが開始されていたのに、和やかに笑い合ってる。最後の食事シーンなんて、もはや家族同然。
そしてラストクレジットは、二人してあのダイビング台に並んで座ってる。海面を覗き込むと、ジナが離した金魚が見える。その揺らぐ海面に二人の笑顔がキラキラと揺れている。大きく海面が揺らぐと、二人もどこかユーモラスにユラユラと変形する。
ジナは相変わらず娼婦だし、ヘミだってそうなってしまったというのに、なぜか全てが幸福に落ち着いたかのように思えるこのカタルシスには、改めて驚く。
それにしても、ジナ、これぞバブル期の眉毛!?すさまじい太眉毛!石原真理子もここまでは太くなかったんじゃないの!?
ヘミが鋭角的でカッコイイ眉毛をしているから、余計に気になってしまう。もう本当にね、全編彼女の眉毛にばかり目がいってしまうのよ。
実際、韓国女優らしい、コケティッシュな美女なもんだから、あの眉毛が惜しくて仕方ない。★★★★☆
「なぜ、その曲を昼にやらないの?」チェコからの移民だという彼女、掃除機修理をしている彼に、私の掃除機を直してくれる?と言った。承知した彼だけれど、翌日の昼間、本当に街角に壊れた掃除機を引きずってやってきた彼女に戸惑った。
しかし最初こそ疎ましがっていたけれど、一緒に昼ごはんを食べながら話をし、彼女が通っている楽器店で彼女のピアノを耳にし、セッションをしてみると、不思議なほどに息が合うのだ。
彼女のおかげで、彼は自分の夢と改めて向き合った。レコーディングをしてロンドンに行く。そして彼女への思い。その思いは恋?愛?でも彼女には彼についていけない理由があったのだ。そして彼にも……。
あれ?劇中ではお互い名前で呼び合っていたような記憶があったんだけど(さだかじゃない)オフィシャルサイトやどのデータベース見ても、彼と彼女、男と女としか書かれてないなあ……うう、気になる。
ま、いいや。その部分はすっ飛ばし。しかしちょっと胸が熱くなってしまったのね、私。構成としては単純な男女の出会いと別れ、なのかもしれない。彼女がこの街に移民としてやってきていたり、幼い娘がいたりする壁も、ちょっと昼メロ的かもしれないし。
でも、やはり音楽の力なのかなあ、そこは。ホントに、ちょっと、心が熱くなってしまったのだ。
終わってみれば二人の関係が本当にその時だけで、その時だけだけに本当に真の純粋で信頼関係で、同志で……。しかも二人がヘタに男女だったから、その後きっと会うこともなく、あの時だけの宝石のような思い出を抱えたまま、その後の人生のベクトルを絡ませることがないんだろうな、というのが切なくて。
だってこれが、男同士だったら、例え一緒にロンドンに行って共に夢を目指していく、という選択をなさなくたって、きっとその後、会うこともあると思うんだ。だって、同志、なんだもの。
でも二人は、そうしちゃいけないんだ。やっぱりちょっと、心のどこかに、彼の方は特に、どこかどころか本当に、彼女のことを好きになりかけていたんだもの。
いや、でもそれも、このほんの数日間の奇跡が見せた夢だったんだろうか。
実際、プロのミュージシャン同士であるグレン・ハンサードとマルケタ・イルグロバ。その邂逅もこの映画と共通していて、グレンがツアーで行った先で知り合った若き才能のマルケタと気が合い、アルバムに参加してもらったのだという。才能を見い出す構図が逆だけれど、このキャストにまさにピタリなのだ。
監督が、グレンのバンド、ザ・フレイムスの元ベーシストだというのも、なかなかに運命的な成り立ちである。
音楽の映画を音楽のプロたちが作り出す。音楽こそが、そしてミュージシャンこそが主役で、その話自体はお約束でシンプルでもいいんだよな、きっと。
それにきっと、夢を目指して音楽の道についた人たちには、やはり多かれ少なかれ、似たような経験があるのかもしれないし。
彼女と仲間たちとの数日間のレコーディングで自信作を得た彼は、彼女に後ろ髪を引かれながらもロンドンに到着、元カノに電話する。ほかの男のところに行ってしまった筈の元カノは意外に親しげで懐かしげな声を出し、会いたいわ、と言う。迎えに行くわよ、と。
彼は、いや、自分で探し出すよ、と言う。それはまるで、あの数日間の彼女との邂逅がウソだったかのように、元カノとの関係がするりと元に戻りそうな気配がする。
だって彼は元々、彼女が指摘したように、この歌を、愛する恋人に捧げるために作ったのだもの。そう、決して、彼女のための歌ではなかったのだ。
結婚して子供もいる彼女には、そう、年は彼より下でも(劇中の年齢差は明示されないけど、実際には18差!)、人生経験豊富な彼女には、彼の自分への今の思いが、ある種のカン違いであることを冷静に判断していたのかもしれない。
いや、彼女だって彼に対して結構グラッと来る部分はあったと思うけど、彼女は凄く自分を前のめりに律している感じがあったんだよね。
今は別居しているけれど私には夫がいるんだと。そしてその状況っていうのは、自分は好きなのに相手が離れていってしまっているというその状況は、本当に彼とソックリなんだ。
ある意味、彼女は自分と似た者同士だからこそ、彼にシンパシイを感じたのかもしれない。それは恋と似た感情だったかもしれないけど、でも違うんだと、彼女は決定的なマチガイを起こすのを避けるために……恐れていたのかもしれない……前のめりに、彼を牽制し続けるのだ。
掃除機を直してもらうために、彼の家に行き、そして小さな彼の部屋を訪れて、彼はウッカリ泊まっていかないかなどと彼女に言ってしまった。でも彼女は「カンベンして」とこれ以上ない冷たい言葉で拒絶し、それでも翌日メゲずに彼女に近づいてきた彼に、今度は娘がいる状況を示す。
それでもきっと未婚の母か、バツイチだろうぐらいに思っている彼に、トドメの一発、結婚しているんだと告げる。
その畳み掛けるダメ押しには、最初に全ての手の内を見せないだけに、どことなく、彼を拒絶しきれない踏ん切りの悪さを感じる。
だって、そりゃそうだ。彼女は街角で彼のオリジナルソングをちょっと耳にしただけで、彼の才能を見抜いたんだもの。
それは彼女に音楽的素養があるという以上に、彼の音楽に心が動いたってことで……。
彼が自分と同じような状況、別れた恋人に捧げる歌を、こんなところで、誰も聞いていないような深夜に一人で歌ってる、ということに、同属相憐れむ、みたいなシンパシイだったのかもしれないけど、でも、その芯の部分に心動かされたってことは、ある意味恋なんだもの。
むしろ、最初彼女の接触に戸惑って、避けようとしていたのは彼の方だった。父親の掃除機修理業を手伝いながらも、音楽への夢を捨て切れなくて、休憩時間や深夜にストリートに立って歌っていた彼。
冒頭では、ギターケースに稼いだ金を奪われそうになって必死で追いかけて捕まえ、そのビンボーな男に小金を恵んでやったりするような場面もあった。その一場面で彼のお人よしぶりが判り、一気に好感を引き寄せる。
彼は見た目からそうそう若くないし、ストリートに立って歌っているのは、ある種、夢を捨て切れないウサ晴らしのようにさえ思えた。具体的なこれからの展開もこの時にはなかったし。
でも、彼の歌にふと足を止めた彼女によって、運命が変わる。彼女が本当に音楽に造詣が深くて、ピアノに堪能だったりして、楽器店で流れでセッションしてみたら、驚くほど息が合って、恐らく彼は、今までにない昂揚感を感じたのだ。
彼が今まで足踏みしていたであろうあらゆることが、彼女との出会いによって一気に氷解するのを、観客はその目で目撃することになる。一度合わせただけで、的確な伴奏とメインを殺さないひかえめなコーラスを披露する彼女に、彼がいわば錯覚にも似た恋心を抱くのは、無理からぬことなのだ。
“沈みそうな船で家を目指そう。まだ時間はあるから”そのリフレインを重ねるごとに、心がどんどん引き寄せられていくのが、目に見えるようだった。その言葉は、まさに今の彼と彼女の、この状態から脱したいというあがきにも似たものを示していたから。
一緒にバスに乗って乗客が少ないのをいいことに、その時の気分やこれまでのことをアドリブで歌いだす楽しさは、まるで青春時代に戻ったみたいだった。
そして彼女のオリジナルも聞かせてもらって、作詞の才能を感じた彼は、自分のメロディに詩をつけてほしいと依頼する。ウォークマンに自宅録音したCDを入れたまま彼女にプレゼント、彼女が深夜の街でコンビニからの帰り道、歌を口ずさみながら家路に着くロングカットがスリリング。
音楽は、見知らぬ男女を一気に引き寄せる魔法の力を持っている。例えそれが、多分の勇み足をさせたとしても。
彼はでも、彼女の子供とも仲良くなるし、だからイイ感じでいくような気がしたんだよね。
父親の自慢のバイクを借り出して、彼女をドライブに誘ったり。昼の仕事の時間に間に合うなら、と応じた彼女は、彼がどうやら自分に恋していることを察したから、今言っておかなくちゃと思って、応じたんだろうな。
バイクの二人乗りはまるで恋人同士のそれだったけど、山頂に着いた時、彼女はいきなり彼に、自分が結婚していることを告げる。打ちのめされる彼。
チェコの言葉で、彼のことを愛しているってどう言うの?と彼は聞いた。彼女に教えてもらった言葉をそのままおうむ返しに彼女に問うてみた。彼のことを愛している?って。
彼女がチェコ語で返した言葉がどういう意味だったのか、彼には勿論、観客にも明かされることはない。
とにかくちゃんとしたスタジオでレコーディングをして、いい作品を作るべきだと、彼女は高額なスタジオ料にたくましく交渉する。彼の才能を信じているから。
古着店で彼のためにスーツを見立て、銀行の融資さえ引き出す。しかしこの場面、まだスタジオでデモを作る前で、音の状態の良くないテープしかなかった。
家に持って帰ってよく聞いてみて。本当に素晴らしい才能なんだから、と押す彼女に、さしもの銀行の担当者も冷たい反応……と思いきや!実は凄い音楽好きだった担当者、彼の音楽にノリノリで反応し、アッサリハンコを押しちゃう!
このあたりは多少ギャグも入ってるけどあったかいエピソードで、なんかニコニコしちゃう。
そしていよいよレコーディング。ベテランとおぼしきエンジニアが、こんなシロートに夜通し付き合わされるなんて、と貧乏クジを引いたような顔をしていたのが、イントロが鳴らされ、エッ、というような顔になって、引き込まれ、一曲演奏を終えた彼らに、「……驚いたな」と声をかけるのが、もー!やった!!!と思うんだよね!しかもこのエンジニアさん、ちょいとイイ男だしっ。
彼の音楽は、いわゆる最先端というわけじゃないのかもしれない。私のようなアナログの世代にもグッとくるようなメロディアスな旋律と、それと共にメッセージをこれでもかと畳み掛ける盛り上がりに心が躍り、全ての楽器にクライマックスへと盛り上がっていくリズム性を重視した構成といい、実に王道のポップチューンの良さを感じるんだよね。
これが普遍な良きものとしていつまでも君臨してくれたら嬉しいけど、どうなのかしらん。
彼はデモ録音に際し、自身の音楽をより完璧な形で再現するバンドを、同じストリートから見つけ出した。だけど、どこかファミリーでやっている感のあるこのバンドは、技術は確かだけれどちょっと古い感じがしたし、どうかなと思った。彼らが「シン・リジーしかやらない」と決めている、その名前は知らないけど、多分最先端のミュージシャンって訳じゃないんだろうなと思ったし。
でも、ドラムを担当している子は飛びぬけて若くて、つまりこのバンドの中の息子世代だと思うんだけど、リズム性を重視し、さらにそこに古きよき叙情を持たせる彼の音楽性にはまさにピッタリ。
この若い子がアグレッシブに叩き出すドラムが、アナログになりそうなところを見事な現代性に押し出しているのが上手い!と思ってさあ。グッと心がつかまれちゃうんだよなあ。
無事レコーディングを終えた彼らが、じゃあこれをカーステで聞いてみようというエンジニアに賛同し、寝不足のまま浜辺にドライブしにいく場面がいい。
なんかね、ホント遅れてきた青春って感じなのだ。ムジャキに砂浜で戯れまくって、プロレスごっこまがいにじゃれあって。
エンジニアはその作品を彼に手渡し、ガッチリと握手し、いい仕事をさせてもらったよ、と言う。レコーディングが始まる前にまるでやる気がなかった彼を、イイ男の彼を(爆)ここまで動かしたことに、音楽の才能のある人っていいよな……と、もうなんだか凄く羨ましくなっちゃう。
彼はね、このデモ録音でより彼女に惹かれて……休憩の合い間にスタジオに置いてあったグランドピアノで彼女の心を映した曲を聴いたりしたらもう、なんだか離れがたくなって……一緒にロンドンに行かないか、って言うのだ。君の娘だって一緒に来ればいい、って。それはもちろん、向こうで一緒に暮らして夢を目指そう、というプロポーズに他ならない。
でも、彼女が、「じゃあ、母も連れて行ってくれる?」と言った現実的な言葉に、彼は沈黙を返すことしか出来なかった。
彼女と共にチェコから移民して来ている年老いた母親。今の彼にはそこまで抱え込める余裕など、ある筈がなかった。
これが、彼女の最後のダメ押し。自分自身でどんどんシャッターを下ろしていく彼女は切ないけど、でも確かに、これが現実なのだ。
でもね、その一方で彼を送り出すお父さんが、凄くイイの。泣かせるんだよね。彼が父親の家業を手伝い、つまりは後々継ぐために帰ってきたっていう経緯、母親が死んでしまったから、というくだりはちらりと明かされる。
でも、この年老いたお父さんは彼が仕事の合い間にストリートに立って歌っていることに文句など言わないし、息子が連れてきた彼女にどこか嬉しげで、しかも彼女が彼の音楽をホメると、私その場面で、こんな息子の道楽なんて、とか言うのかと思って身構えたら、テレているのかそれほど手放しって感じではないんだけど、明らかに喜んでいるのが判るのが、グッときちゃってさあ。
んで、彼がデモCDを作ってロンドンに打って出ることを決意し、そのデモを父親に聴かせた朝、父親は大絶賛して、もう一度聴かせてくれ、って言うのだ。
そればかりか、一人になってしまう父親を心配する息子に、お前が来るまで私は一人でやってきたんだ、と誇らしげに言い、ロンドンでの生活が軌道に乗るまでの餞別までくれる。
ううう、なんてステキなお父さんなんだ!決してアマアマじゃない。息子がやってることに対して、彼が何かを決するまでは口出しなどしないで、ただ黙って見守ってるんだけど、でも信じてて、ここぞ!とという時に、最大限のサポートをしてくれる。これぞ、親の鏡!
レコーディングが明けた朝、ちょっと寄っていかないかという彼に再三断わり、後でお茶に寄るから、と言った彼女は、結局来なかった。夜まで待ったけど、来なかった。これが彼女の答え。
彼は、このダブリンからロンドンへと旅立った。
私は地理的な文化に疎いんでアイルランドの立ち位置というか、つまりグレートブリテンの統治やその中の共和制などの、複雑な関係性とかまでを理解した上でこの作品を観ることは出来ないんだけど、やはりそのあたりは、当地の人々や、詳しい人にとってはもっともっと含んだものを感じて観ることが出来るんだろうな、と思う。
アイルランドの彼が、元カノをロンドンの男に取られたっていうこととかもそうだし。
つまり、このダブリンから、ロンドンに旅立つという意味を、その言葉以上の大きくて深い意味を。★★★★☆