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「ま」


2009年鑑賞作品

(秘)湯の町 夜のひとで
1970年 70分 日本 モノクロ(一部カラー)
監督:渡辺護 脚本:大和屋竺
撮影:音楽:
出演:大月麗子 佐原智美 吉田純 二階堂浩 港雄一


2009/3/13/金 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム/WE ARE THE PINK SCHOOL!)
渡辺護監督はどこかで「最初のピンク映画を撮った監督」と耳にしたような覚えがある。とにかく伝説の巨匠で、しかしなかなかその作品を観る機会がなかった。
あまりに壮絶な映画愛に言葉を失う。壮絶な映画愛は、こんな風にむくわれることのないままに、人をむくろにしてしまうのか。いや、この映画こそがまさに映画愛にむくわれたんじゃないだろうか。

エロ写真(いわゆるブルーフィルム)を稼業にしている久生が、営業担当(というよりは、その名を借りた銭ゲバ)のトリ金が仕入れてきた「ヌードルバーグ」(勿論、ヌーヴェルヴァーグのことだ……)なるものに憤慨する場面がある。
いわゆるリアリズムを追及し、暴行シーンは本当に殴っているスリリングを「リアルやろ」と舌なめずりするトリ金に、「こんなの、芸術じゃねえ!」と、久生は本気で怒るのだ。けれども……そう、この時代はまさにヌーヴェルヴァーグが席巻した。リアルを映し出すには、本当のリアルをカメラに映すこと、そんな風に曲解された向きもあって、久生はその無粋さに怒るのだけど、でも自分がそれ以上の「芸術」を作れないことにも歯噛みし、結局“ヌーヴェルヴァーグ”もどきを作って、破滅の第一歩を刻んでしまう……。

いきなりサワリを書いてしまった。ううむ、またやってしまったか。
何かね、この世界観、懐かしい感じなんだよね。久生と彼の内縁の妻の雀、そしてくだんのトリ金とが、地方のドサまわりの旅をしている。春画を写真に再現したブロマイド、そしてカラミを入れた時代劇風フィルムを引っさげて、温泉宿の客からほそぼそとお足を頂いている。

そう、このカラミを入れたフィルムってのは、まさにピンク映画の流れを汲むもので、私はブルーフィルムがエロ映像を指すことすらつい最近まで知らなかったぐらいでさ……つまりそれぐらい、なんか、胸を締め付けられるような、懐かしさなのだ。
知らないのに懐かしいっていうのもヘンだけど、やっぱり日本人の中には民話的原風景が遺伝子として残されていて、客寄せのもの悲しいメロディーとか、カタカタとしたフィルムの中で見せる型通りのカラミとか……しかもそれが、時代劇のカッコで、メッチャハデなメイクして歌舞伎役者のように大見得切ったりした上で、なもんだから、カラミで、処女の蕾を奪うなんて設定でも、なんか……懐かしい暖かさがあって、それはこれから消え行く前提の切なさがあって、胸に迫るのだ。

本作は殆んどがモノクロなんだけど、非常に印象的にパートカラーが使われている。久生が撮るフィルムの一部や、トリ金が持ち込んできたエロフィルムがそのカラーに当てられている。
モノクロの中のカラーだから非常に強い印象を与える一方、その絶妙な使い方の違いで、ヌーヴェルバーグのリアルさと、虚飾のワザとらしさが交錯する。
モノクロで撮られることを前提とした、クッキリとしたメイクがカラーになる痛々しさときたらないのだ。洋風フィルムならまだしも(それも、その“洋風”がワザとらしいんだけど)、顔だけ真っ白とアイメイク真っ黒で、首から下はフツーの身体、がカラーになると、こんな痛々しさときたらなくってさ……。

それが、久生の撮る“傑作”なのだ。いや、傑作になり損ねたというか……トリ金が得意げに持ち込んできた“ヌードルバーグ”(だから、ヌーヴェルヴァーグね)を再現するべく、監督の久生を無視して、素人の仲居さんに“ホンバン”させてしまったんだよね。
久生は勿論焦って止めようとするんだけど、トリ金と、彼に指示されていた役者の男は構わず彼女をレイプしてしまう。ただ役者の男は彼女が処女だとは知らなくて……トリ金も知らなかったんだけど……なんたってヌードモデルになっていたぐらいだから、処女ではないと勝手に思い込んでいたのだ……ショックを受けてしまう。
身も世もなく泣き叫ぶ彼女に、ただただこうべを垂れるしかない久生と役者の男、しかし、雀は毅然と言うのだ。
「どうせ、本チャンは私がやるんだろ!」そう言って、おっぱいもあらわに草原の中、大の字になるのだ。

この雀っていうのは、全編気の強さを押し出しているんだけど、でもね、それは全て久生に惚れた弱み、に通じているんだと思うんだよなあ……。
勿論、久生側もそうなんだけど、彼は彼女の強さに支えられている。だから彼女がそばにいなくなると、この作品における存在価値さえなくなってしまうんだよね。
雀が久生と春画風の写真を撮っている最中、疲れて寝てしまうんだよね。カメラも操作している久生は、メイクのまま、無防備な寝顔を見せる雀をパチリと収める。現像の場面でトリ金が「なんやこれ、肝心な下が映ってませんやん」と興醒めなことを言う(まあ、それだけ彼はプロってことなのだが……)その寝顔のアップは、久生にとっての彼女の愛しい、心やすらぐ姿なのだ。

勿論、ソウイウ関係だから、セックスだってするけど、雀はなんたってプロのエロ女優だから、アソコでバナナを輪切りにするなんてワザまで持ってるし、空腹に耐えかねてトリ金を“客”にしたりもするしさ、セックスが愛の描写だなんてウブなことは当然、言えっこない訳なのだ。それを久生も判った上で、こんなドサ回りを続けているんだし。
ただ……雀が久生に抱かれる時は、やっぱり女の可愛らしさというか、「たかがエロ写真じゃねえか!」と叱咤した直後に、トリ金と寝たことを後悔気味に告白しながら抱いてほしいと懇願するなんていう、天然ワザを披露したりするんだよね。そういう二面性をさらりと持てるあたりが、やはり女の方が強いのかもしれない。

だって、“ヌーヴェルヴァーグ”としてホントに処女突破されちゃって、身も世もなく泣きじゃくっていた女の子だって、そうよ。
見ていてあまりにカワイソウで胸が潰れる思いだったのに、彼女ったら久生が逮捕された重要参考人として召還されたら、警察が期待する“ムリヤリレイプされた”なんてことを一切言わずに、「強姦される芝居をしたんです」「イヤがっている芝居をしたんです」とさらりと言い放ち、「え?映画出来たんですか?見たいなあ!」と前のめりになる始末なのだ。
……そこに至るまで、彼女の身の上にも色々とあって鍛えられたのかもしれないけど、それにしてものふてぶてしさである。これってさ、女を都合よく強い存在にしている、とか言いたくなるトコのハズなのに、彼女の図太さを、これぞ女ぞ、と讃えたくなるのって、なんでかね、なんかズルい気がする。

一方の雀は、久生が逮捕された後、やっぱ銭ゲバだったね、トリ金に売り飛ばされて、雀はヤクザにとらわれて、使い倒される。
マン切りのワザは勿論、身体だって当然のように売り物にされる……気丈な雀だったけど、だんだんと憔悴していって、ラストは彼女が河原をフラフラと歩いていって、冷たい水に顔をつっこんで動かなくなるシーンなんである。
そのシーンに、久生にシャッターを切らせた、あの癒される寝顔がオーヴァーラップする。あれはつまり、最高の理想の死に顔、天使の寝顔だったということなのか、あの一瞬のシャッターチャンスだけが、久生の「傑作」だったのか。

雀が可愛い一方でしたたかな強い女だっただけに、このラストはやけに美しすぎて、美しさとしては完璧だけど、これが雀なの?とも思う。
ただ……多分それが、久生の、男の、理想なのだと思う。自分の前では、自分が存在する前では、カッコイイと言ってしまうほどに強気で、一方でカワイイ女だった雀。そのギャップが、いわば今で言うツンデレが、男をメロメロにさせたけど、でも本当の彼女は、冷たい水に頭を突っ込んで死ぬしかないような、女だったということか。

エロに内包される、可愛さ、切なさ、懐かしさ、したたかさ……そんな複雑な感じがなんなのか、いまだ解明出来ないでいる。★★★★☆


曲がれ!スプーン
2009年 106分 日本 カラー
監督:本広克行 脚本:上田誠
撮影:川越一成 音楽:菅野祐悟
出演:長澤まさみ 三宅弘城 諏訪雅 中川晴樹 辻修 川島潤哉 岩井秀人 寺島進 松重豊 甲本雅裕 三代目魚武濱田成夫 ユースケ・サンタマリア 升毅 佐々木蔵之介 平田満 木場勝己 志賀廣太郎

2009/11/26/木 劇場(錦糸町TOHOシネマズ)
「サマータイムマシン・ブルース」に続いて、ヨーロッパ企画の舞台の映画化を同じ本広監督が務めた作品。ていうか、きっと監督からの企画だろうなと思われる。きっとこの劇団の舞台のファンなんだろうな。監督として力を持てた人の特権ってヤツかしら。

しかし私は正直「サマータイムマシン……」には今ひとつピンと来なかったのだった。大好きな樹里ちゃんに大好きな川岡大次郎君も出ていたのに。
あ!大ちゃんは本作にもちらりとゲスト出演風に顔を見せていた。「サマータイムマシン……」を受けての本作だからだろうな、嬉しい。だって最近彼を見かけないんだもの。
だから、ヨーロッパ企画と本広監督の第二段とかいうだけでは、足を運ばなかったかもしれないと思う。一発で決めたのは、そう、ヒロインのまさみちゃんの存在に他ならなかったのであった。

だって、だってさ、こういうまさみちゃんをずっと待ってたんだもの。私、いーかげんしつこいと思うけど、やっぱりやっぱり彼女にマトモにホレこんだ「ロボコン」のインパクトがね、どうしても忘れられないんだもの。
どうしてこんなに太陽のような200パーセントの笑顔を持つ彼女に、暗く湿っぽい役柄ばかり振るのかと、さあ。
まあドラマでは明るい役もあったけど、それはその作品自体が大コケだったりもしたし、それにやはり、大スクリーンで彼女の明るい魅力を見たい!!!という気持ちがマンマンだったからさあ。

とはいえ、まさみちゃんが主役という訳でもないというか……。いや、誰も主役ではないし、誰もが主役であると言うべきなのかなあ。
ふと頭に浮かんだのは、白雪姫の構図。白雪姫を守るために7人の小人たちが頑張ってる、みたいな。“小人たち”に当たるエスパーは7人もいないんだけど、“エスパー予備軍”の二人を加えればちゃんと7人いるしさ。
とはいえ、最終的に王子様が現われる訳でもないのだが。でも、彼女の純粋な心が現実にくじけそうになった時、いや、信じていればそれは叶うんだヨ、とエスパーたちが示したということが、最後の王子様につながるのかもしれないなあ。

しかしこの“7人のエスパー(予備軍含む)”、私ほとんど判らない(爆)。映画に出ている人もいるし、見ている筈の人もいるんだが……判らない。
皆さん、小劇場を拠点に舞台方面で有名な方々ということで……ひょっとしたら本作そのままのキャストがそのまま映画に配役されたとか?うーん、その辺は判らないのだが……。

しかもね、この白雪姫となるまさみちゃん扮する桜井米と、7人の男たちはなかなか出会わないんだよね。尺的にいっても中盤以降なんじゃないのかなあ?なもんでこっちは勝手にハラハラする。だって彼らが出会わなければ展開が始まらないような気がしていたから。
でも、終わって考えてみれば、決してそんなことはないんだよなあ。むしろ重要なのは、7人の男たちがまず出会うこと。
日々エスパーとしての孤独を抱えていた彼らが、仲間がいることに癒され、仲間以外の乱入に更に結束を深める。
そこに仲間以外、ということすら超えた、予想外の“白雪姫”がやってきて……。ヒロインたる筈のまさみちゃんは、実は、外からのスパイスであり、いわば彼らを引っかき回す狂言回しと言った方が正しいのかもしれない。

とはいえ、彼女は彼らを最も理解する狂言回し、なんである。だって彼女は幼い頃からずうっと、超能力や超常現象に憧れ続けていたんだから。
いや、その言い方は正しくないかもしれない。信じていて、そして自分もそうなりたいと願った。スプーンをこすり続けていたのだ。しかし今の彼女の年でユリ・ゲラーをリアルタイムに知っているとも思えないけど……だって私だって危ういもんなあ。
そして彼女は今、「あすなろサイキック」なる超能力バラエティーの新人ADとして働いている。

そう、バラエティーなんである。本物の超能力者なんぞ現われず、否定派のエラそうな、いかにもアカデミックな教授と、肯定派のいかにも楽天的な昔からUFOとか信じてそうな編集長がケンケンガクガク言い合う中で、しかし登場するエスパーたちは揃いも揃ってインチキ丸出しで、観客たちもそれを判っててつまりは失笑しに来てるようなもんで、もう「ありえない」ボタンを押しまくりなんである。嬉しそうに、あざ笑いながら。
それを米は哀しそうに見ている。今日こそは本物のエスパーだと信じてそこに立っている。

彼女に、応募手紙の中からホンモノを見つけ出してカメラに収めて来い、と言ったディレクターだって、実はホントに信じていた一人だったかもしれない。
だってさ、透視できると言って思わせぶりに現われた女がドラえもんの絵を「風」という文字だとうやうやしく差し出したとき、ああーって顔をしたんだもの。本当にインチキバラエティにしたいと思っていたら、よっしゃと笑った筈だよね。
ちなみに、このドラえもんの絵を描いたいかにもお気楽、お調子ものの司会者は、まーこれがまたそういう役が似合い過ぎるユースケ・サンタマリア。
彼はね、絶対いっこもそんなこと信じてないし、いや、というより、信じてるとか信じてない以前に、どーでもいいと思ってて、ホンモノのエスパーの技を見せられたって、同じリアクションをしそうというか。そーいうトコが実に彼らしいんだよなあ。

かくして米は本物のエスパー探しに出かけるんである。その過程は今流れているカルピスのCMのように、切り絵の紙芝居のようなタイトルクレジットに乗せて軽やかに描かれる。
まさみちゃんてさ、低いトーンの舌足らずという独特のエロキューションでさ、それがこういう絵本的な展開になんとも不思議な雰囲気をかもし出すのよね。ホント、彼女は普通そうに見えてところどころ、ちょっとずつ個性的でホント、面白いんだよなあ。普通そうに見えて、てとこがポイントなのよね。
そして降り立ったのが、まろやかな山の稜線が日本昔話を思わせる田舎町。寂れた商店街の一角に、彼女が思いもよらない本物のエスパーたちが集っているとも知らず、彼女はまず、インチキエスパーさんの元に取材に向かうんである。
奇しくもその日はクリスマス。テレビでは「あすなろエスパー」の3時間特番が放送されていて、集まったエスパーたちはそれを苦々しく眺めている。ここに彼女が到着するまで、ちょっとまだ時間がある訳で。

このエスパーたち一人一人は実に個性的で、正直、彼らを語っているだけで終わっちゃうぐらいなんだけどさあ。
まず、皆からやたらと軽んじられる透視の筧。「あすなろサイキック」でもまず示されるのがインチキ透視であり、途中から参加したエスパーではない神田からも「一番出来そうだから」と言われ、覗き見に使ってるんでしょうと言われ(まあ……実際使ってるんだけど)、なんかカワイソーなんである。
エレキネシスなる、電気機器を操作できるエスパー。しかし小型のゲーム機なんかは得意なんだけど、家電はちょっと苦手ってあたりがマヌケというか。まあ、そんな具合にここに集うエスパーたちはみんな、その能力に関してイマイチ完璧じゃないところがチャーミングなのだが。
念力という点で一番判りやすいのが、サイコキネシスの河岡。しかし細かい動作は苦手で、このクリスマスパーティーに特訓したんだとシャンパンを念力で開けようとするも、最終的に瓶そのものが爆発。危なくて人間相手には使えないんである。

この三人がカフェ・ド・念力で元々知り合いだったところに、筧が連れて来たのがテレパシー能力を持つ椎名である。
その出会いというのもマヌケで、トイレの中で紙がなくて往生している筧の心を読んで、ドアの下の隙間から差し入れてくれたのが椎名、そしてそれをエスパーだと直感した筧が透視して、追いかけた末に捕まえたんである。
この椎名を演じる辻修は一番見た目がエスパーっぽいというか(爆)なんか宇宙人のようなマスター・ヨーダのような(爆)特異な風貌で、このエスパー集団に妙にリアリティを与えているって感じ。
更にエスパーとしては最後に加入するのがマスターの推薦、テレポーテーションの小山。しかし彼の能力は正確に言えば、5秒間時を止められることで、その間に自力移動してテレポーテーションに見せかけるという。
しかも彼の登場は実に空気を読んでいないあたりが(笑)。だって、ここにエスパーじゃなくてただのビックリ人間(にしてもレベルが低い)“細男”神田がウッカリ入ってきちゃって、てっきり後から来る小山だと思って歓待していたエスパー軍団が、スッカリ自分たちの手の内を見せちゃった後で、いや違う、これは単なるマジックだとごまかそうとしていた矢先だったんだから。

しかもこの神田が、彼らが毛嫌いしつつもつい見てしまう「あすなろサイキック」の取材対象だったんだからねー。
と、いうあたりが、いかにあの番組がレベルが低く、当然ホンモノのエスパーたちから毛嫌いされているかが判ろうってもんなんだけどさ。
米が最初に取材したのは、毒クモに刺されても平気な“へっちゃら男”であり、その時点で彼女は、これは単なるビックリ人間と思うものの、とりあえずカメラを回してみたら全然へっちゃらじゃなくて救急車を呼ぶ始末だし。
そしてその騒ぎで時間をくっちゃって、大幅に遅刻して待ち合わせのカフェ・ド・念力に現われた彼女は、よもやそこにホンモノのエスパーたちが集っているとはツユとも思わず、“細い柵の間をすり抜けることが出来る”という、更にお寒い芸しか持ってない“細男”にまたまたボーゼンとするハメになるんだもの。

ちなみにこの直前まで、細男は秘密を知ってしまったばっかりに、エスパーたちからゴーモンの真っ最中(笑)。
念力で天上に貼り付けられ、絶対に口外しないと誓ってもテレパシーで嘘だと読み取られ、しかも買収の意図まで読み取られ(爆)、しかもしかもその買収額が5千円なんてショボすぎて(爆爆)、もうこれは脳をいじって記憶操作か、透視で癌を見つけるかとか、なんか訳判らない議論になっちゃって、マジで命の危険を感じた細男が逃げ出そうとしたところに米は現われたのだった。

私ね、予告編で見た時点では、単に彼女がカワイイからとか、あるいはADという弱い立場の彼女を助けるためにとか、そういう理由で彼らが奔走したのかと思ってたんだけど……予想を大きく上回るアホらしい理由だったのだった(爆)。
透視の筧がね、彼女の上着のポケットに入っている名刺入れに、ここに来る前の取材先で入り込んだと思しき毒蜘蛛が潜んでいる、と言ったのだ。ぴたりと貼り付いて動かないと。
何とかそれを取り出そうと5秒間止めてついでにキスしてやれとか、エアコンの温度をあげて上着を脱がせてやれとか頑張るんだけど……キスが頭にこびりついて、5秒間ウロウロするだけだったり、家電が苦手なのにエアコンの温度をあげるのに必死になって白目をむいちゃって、不審な顔を向ける彼女に「こいつはコーヒー中毒だから、飲みたくて仕方ないんだな」と、正気に戻った彼はピッチャーでコーヒーを飲む羽目になったり……エスパーという特殊能力がとにかくマヌケな方向にしかいかないこのおかしさ!

しかもその、貼り付いた蜘蛛が見間違いで、名刺の米の字をそうカン違いしたってんだからさ。名刺入れを入れていたのが胸ポケットだったことで、やっぱりそーいう目的で!と仲間から総スカン。だってそのために、彼女にクリスマスケーキをぶつけたりまでしちゃったんだもの!
もはや彼女を引き止める理由もなく、送り出す直前、自分たちを疑ってはいないかと探り出すため、握手をした椎名は、彼女の中に純粋な超常現象への憧憬と畏敬の念があることを受け止めるんである。
あんな、自分たちをバカにするようなバラエティー番組でひたすら傷つけられ、日常生活でもバレないようにひたすら気を使ってきた。一般人には受け入れられないと思っていたのに。
そうして彼らは、彼女に最高のクリスマスプレゼントを用意するんである。

まさみちゃんはさ、カワイイし、スタイルいいんだけど、なんたって“一見普通”なもんだから、ダサいカッコをするとそれなりに似合っちゃう。あのスラリと手足の長いスタイルの良さも隠れるくらい、このダリダリに重ね着ファッションが、カワイイながらもドンくささを演出してて、何とも愛しいのよね。
冒頭、先輩にトイレの中で居眠りしているのを見つけ出されて、引きずり出されるシーンから、そのダサ鈍くさいカワイさは全開。
そして、もうサンタさんなんていないってことぐらい、当然判っていながらも、サンタさんを信じてて、ケーキ屋さんの店先のサンタさんに、世界の子供たちに配るのに間に合うのか心配している幼い女の子に目を細める。
そんな彼女だから、田舎町の冬の夜空を舞い上がるサンタさんに、瞳をキラキラさせてカメラを向けるのだ。レンズカバーをかぶせたままなのを、テレポーテーションの小山が時間を止めて外してあげて「やっぱりキスは出来ませんでしたね」とつぶやくのが可笑しい。そして、サイコキネシスで夜空に飛ばされた神田を無事カメラに収めるのだ。

ま、とはいえそのカラクリにも彼女は予想がついて、「ひょっとしてあなたたちは……」と言いかけて、でもだからこそ口をつぐむあたりが、そう、大人、なんだけれども。
でも、そうした大人の部分を持ちながら、それでもエスパーもUFOもいるんだと信じている彼女がカワイイし、でもそれは確かにありうることで……そんなことあるわけがないと“達観”しているような“大人”たちこそが、可能性を閉じてしまった、子供よりも劣った存在なのだろうと思う。

米は、彼らがエスパーなのだと確信し、今度は自ら手を差し出して椎名と握手する。そして……「大丈夫。誰にも言いませんから」と念を送る。
思わず言葉を失う椎名。そんな彼女にマスターはスプーンを差し出す。信じる心を忘れちゃいけないよ、と。
そんなこと言わないまでも、彼女はちゃんと信じてる。嬉しげにスプーンを手に、彼女はきびすを返す。呆然とする椎名は声をかけられ「……逆利用されたのは初めてです」と、上気した顔で言うのがね、彼ったら、自分だけの秘密にするつもりだろー!あんなカッワイイ笑顔であんな嬉しいこと言われたら、そりゃ秘密にしたくなるわな!

超能力に憧れ続けたマスターが、シャンパンやケーキが使えなくなることを予感して追加注文をしていたりして、どうやら予知の能力を磨いているらしいとか。単なるビックリ人間の神田が透視能力に意欲を示したりとか。
そして米がUFOに遭遇したりとか!しかしこれまたカメラのカバーはかけられたままだったりとか(爆)。なんだか幸せな余韻ばかりを残して終わる。

だってとにかくまさみちゃんがカワイイんだから!★★★☆☆


マンマ・ミーア!/MAMMA MIA!
2008年 108分 アメリカ カラー
監督:フィリダ・ロイド 脚本:キャサリン・ジョンソン
撮影:ハリス・ザンバーラウコス 音楽:ベニー・アンダーソン/ビョルン・ウルバース
出演:メリル・ストリープ/ピアース・ブロスナン/コリン・ファース/ステラン・スカルスガルド/アマンダ・セイフライド/ドミニク・クーパー/ジュリー・ウォルターズ/クリスティーン・バランスキー

2009/4/9/木 劇場(日比谷みゆき座)
マンマ・ミーア!ってさ、確か、「おやまあ!」みたいな意味なんだよね。でもそのマンマはやっぱり、お母さんという意味から来るんだろうなあ……。それって、お母さんに聞いてほしいほどのビックリすることなのかな?
まあ、そんなことはどうでもいいんだけれども。本作はねー、んんー、観ようかどうしようかちょっと躊躇してた。
ヒットミュージカルの映画化っていうのは、いつも観るのを迷うんである。これが「プロデューサーズ」のように、舞台のキャストをそのまま(しかも私のお気に入りの役者を!)持って来るのならね、映画がそれほど下に見られないかなあと思うし……舞台至上主義の人って、いるじゃない。

でも、メリル・ストリープという、予想外のキャストが、やはり興味を起こさせたんだよなあ。だって、映画畑で生きてきて、不世出の演技派女優、メリル・ストリープが大ヒットミュージカルの映画版をやるなんてさ!
大体彼女が歌を歌うってだけでオドロキだし。もともとマンマ・ミーアの舞台に立ちたい、とメリルがキャストに手紙を出したことから話が始まったというのもオドロキ。

しかしこのオドロキが、いい方向に裏切られたのも、更にオドロキなんである。う、上手い!メリル・ストリープ!歌が上手い!ええー、うっそ、そんなイメージ、全然なかったんですけど!
そういえば、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」でメリルの歌は聞いたことあるハズだったのだが……。
まあ、公開に当たっての記事には確かに、彼女の演劇のキャリアは歌から始まったとは語られていたけど、それはホントにずーっと、ずーっと、ずーっと前、学生の頃のことなわけでさ、正直、話半分に聞いていたのに、マジでこんなに上手いとは。

しかもねこれ、アバのヒットソングで綴られていくわけでしょ。劇中、メリル・ストリープ扮するドナは若い頃、親友二人とイケイケのコーラスグループでノリノリの青春を送っていたらしく、まさしくアバまんまのキンキラのタイトな衣装でバーン!と登場するんだから、ビックリしちゃう。
娘が結婚する前夜、ガールズナイトでのステージで、まさに娘は母親の勇姿?に感激しきりな訳だけど、この場面だけに留まらず、ラストクレジットでは更に、本格的な衣装とスポットライトで、2曲も歌っちゃう。メイクもハデハデである(笑)。

いやー、さすがにメリル・ストリープである。さすがと思うのはね、だって彼女、演技派とか言いながら、結構はっちゃけたコメディにもノリ良く出演するようなところ、あるじゃない。そうそう、「永遠に美しく……」とかさ。
本作で改めて思ったんだけど、彼女ってぜんっぜん、老いを隠さないんだよね。年相応のシワや腰周りの豊かさが、実に素敵についている。それも過剰にではなくて、それこそ“年相応に”ってとこがミソで。
このザ・フィクションである本作を映画版にした時に何が重要かっていったら、そこだったんじゃないかって思うのね。だって女として、メリル・ストリープの“年相応の女”にこそ、すんごく励まされたんだもん。

そう、これは、美人女優にありがちな、“その年には見えない”なんてことじゃ成立しないんである。だってこれって、牽引こそは娘の結婚話だけど、メインは母親の恋愛話であり、ラストには見事、20年越しの母親のラブが叶うんだもん。
しかし、ハタチの娘の母親にしちゃ、ちょっと年が行き過ぎているような気もしないでもなかったんだけどね……だって相手がピアース・ブロスナンっていったら、メリル・ストリープに対しては結構、若いツバメじゃない?と思ったら、そんな実年齢は違わないのか……4つぐらい。単にキャリアの問題かなあ。それともやっぱり老けは女の方が目立ってしまうのかなあ(爆)。
てか、相手はブロスナンだけではないんである。ま、大本命は若い頃から、そして今でも彼で、最後には20年越しの恋を実らせるんだけど、なんとまあ、三人のお相手が登場する訳なんだよね。
母子家庭で育った娘が、母親の若かりし頃の日記を見つけ、ひと夏のアバンチュールで関係した三人の男性に結婚式の招待状を送ったところから話は始まるんである。

まあ、ね、これはあくまでミュージカルだから、そんな母親の“過去”をアッケラカンと受け入れられるものかしらん、などとゆー、ヤボなことは言いっこなしでさ。
そこがミュージカルのいいところでもあり、映画となると物足りないところでもあるんだけど……。でも、まあ、楽しければいいのさ。
それになんたって、映画でしか出来ないこの素晴らしいロケーション、楽園とはまさにこういうこと、というどこまでも水色の海、ゆっくりとした時間が流れるホテル、誰もがここに来たいと思うんじゃないかなあ。たとえ、あちこち壊れてばかりのボロホテルだとしてもさ。

娘は母親の若かりし頃の日記の「……」の部分に、結婚式に来てくれた親友とともに「あの頃はヤッたとは言わないのよ!」とか言いながら大盛り上がりである。母親がひと夏で三人の男とエッチしたことを「やるう!」と盛り上がるって、どーいう親友三人組よ(笑)。
しかもね、この娘親友三人組と、母親親友三人組ってのが、再会した時のお約束なノリといいなんといい、ミョーに似ているのが、親子だなーって思って可笑しいんである。
だからこそこの娘は、母親がひと夏で三度の「……」を犯したからといって、それを「やるう!」のひと言で集約させてしまえる強さを持っているって訳なのよね。

つっても勿論、彼女は父親が誰なのか……つまりは出生の秘密というものに20年間悩まされていたというのはホントなのに、そのあたりはやけに寛容なんだよなあ。
ま、そこがミュージカルっていう魔法なのだろうが(爆)。
でも確かに、魔法としかいいようがないんだよね。一応脚本上は(つまり台詞上は)、娘も父親が誰なのか知りたいという苦悩にさいなまれているし、母親の方も父親を特定できない罪悪感にさいなまれている。だって、「私の子供には父親が判らないことで苦しませたくない!」などとついつい言っちゃって、母娘ともども固まっちゃう場面だってあるんだもん。
でも舞台は青く透き通ったパラダイスだし、何かといえば島の皆で歌い出しちゃうし、時にはメリル・ストリープ自ら桟橋から海に飛び込んじゃうしで、悩むよりも楽しむ時間の方が長いんだもの、ミュージカルだから。でもそれが、それこそがビバ・人生!ということなんだろうなあ。

その意味で言えば、女はひたすら楽しんでいるけれど、「……」の一方の当事者である男たちは、どーであろうか……。これって、ひたすら女性映画だと思うわ。男はただカモなだけだもん(爆)。
これってさ、一見、一人の女が三人の男に立て続けにヤリ捨てされた(爆)ようにも見えるけど、実際は、20年も経ってから三人の男たちはたった一通の招待状にのこのこ出張ってきたんだし、しかもそのうちの一人はマジで復縁を望んで(しかもその20年前から!)来たんだし、つまりはドナがこの三人の男を手玉に撮ったんであって、それが20年経っても有効だってのが、凄いんだよね。

それも、黒木瞳のような絶世の美女じゃないのよ(爆)。メリル・ストリープは実にイヤミのない感じに年をとっていて、でもそれは、女手ひとつで娘を育て、この島のボロホテルを切り盛りしてきたたくましさがとても魅力的に出ている年のとり方、なんだよね。
それがさあ、凄く女に勇気を与えたんだよなあ。黒木瞳にならなくても(爆)、一生懸命生きていれば、それってちゃんと女の魅力にも換算してもらえるんだと思ったら、すんごく勇気を与えられた気がしたんだ!

まあ、母である、っていう要素があるにしてもだけど……(爆)。でもさ、ドナの友人二人は、一方は結婚(というより恋愛)マニアの整形魔、一方は男なんかイラナイ、ってな一匹狼で、オシャレなんかまるで気を使ってなくて。
その中間地点がドナな訳でさ、多分女は、この3タイプのどれかにそれなりに当てはまるのだろうと思う……私がどれかは……まあ言わなくても判りそうだけど、言わない(爆)。
でもそんな“一匹狼”にも、春が訪れるのが本作のイイところで……かなりゴーインではあるけれども(爆)。やはり一匹狼の旅ヤロー、ビルが、料理本で大成功したおチビ一匹狼のロージーから猛アプローチされるのは、ドナとサム(ピアース・ブロスナン)の結婚パーティーにて。
それまではメイクもしないような、マニッシュというよりイタイ女という感じだった彼女が、胸を寄せて迫りに迫って「試してみて!」なんて言って、恐らくホントに試させちゃうんであろう余韻が、こ、これって逆ゴーカン!?
もう一人の恋愛マニアのターニャも、熟女好きと思しき地元のピチピチのセクシースパニッシュ系を手玉に取るし、もうとにかく、女性“大”讃歌なんだよね!

まあこれが、アバという女性グループの歌から構成されているという時点で、それはもはやお約束であるにしても、これって男性が観るのはキツいと思うなあ。
だって、ラブラブカップルであるハズの娘夫婦にしたって、端から見ても早急に過ぎると思われた結婚を、ラブラブという理由だけで押し通していたのが、最後の最後の最後に「やっぱり結婚しない!」って彼女の方から突然申し入れるんだもんなあ……。
まあ、この早急な結婚と、彼女が母親のホテルを継ぐことに固執していることに関しては、むしろ新郎のスカイの方が難色を示している。本作の中でこの若い彼が、登場する男性の中では一番、クレバーではないかと思われるってのが皮肉なのかナンなのか。
スカイはソフィにベタ惚れしてるから彼女の意向を受け入れてはいるんだけど、若いうちから可能性をせばめて、将来を決め打ちしている彼女を心配している向きがあってさ。
ラストが母親とかつての恋人の復縁結婚、そしてソフィの結婚を一時延期、というのが“ハッピーエンド”になるってのが、いかにも現代風?
でもいくつになっても、間にいくら年数が挟まっても恋愛が成就できると、たとえお伽噺でも言ってもらえたのは嬉しかったかも。

劇中ね、女手ひとつで娘を育てて、苦労してココまで来たドナが、もう性欲もなくてラクチン、という台詞があって、それが妙に楽天的で、ちっともミジメじゃなくて、ああ、カッコイイ境地だなあと思ったんだよね。
でも彼女は激しい恋に落ちたサムのことがずっと忘れられなかったのは事実で、実に20年の時を経て、彼のプロポーズを受ける。そして「セックスも出来る!」てな彼のアケスケな言葉に、ちょっと戸惑いながらもまんざらでもない表情を見せる。
……このあたりは、アッケラカンとしたミュージカルではあるけど、ナカナカ難しい問題かもなあ。
彼女が性欲がなくて云々、といった台詞は別に負け惜しみじゃなくて、恐らくホントなんだよね。男と女の性欲年齢は多分、違うんだもん……(うう、言いたくない、こんなこと)。
なんかその点では難しいとは思うけど、ただ恋の気持ちは一生続くものだと信じてるからさ!

ところでこの物語のキモは、三人の男のうち誰がヴァージンロードをエスコートするかということにかかっていたのだけれど、結局ソフィとドナの絆が深まることで、ソフィは「エスコートはママにお願いする」ってことになる。
それはそう、20年前、ソフィを妊娠したことで、母親から勘当されたドナ。その話を問わず語りに話し始める。
「それで良かったの。あなたがいて、こんなに幸せだもの」
そして、一方の男三人も、結局は父親が誰か判明せずとも、三分の一でも父親になれるなら幸せ、と一致する。三分の一の父親、かあ……。
そしてラストは、かねてからこのボロホテルを全世界から人が集まる場所にしたい、アフロディテの女神の泉のある場所なのだからと願っていた、ソフィの思いが通じる奇蹟。
割れた地面から、泉が天高くと吹き出す。 え?あれは温泉じゃなくて?(笑)

ユー・キャン・ダンス……♪とずっと口ずさんじゃうよねー。そこしか歌えないけど(爆)まさにそれが、ミュージカル!なんだよなあ。★★★☆☆


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