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THE CODE/暗号
2008年 124分 日本 カラー
監督:林海象 脚本:林海象 徳永富彦 久万真路
撮影:柴主高秀 音楽:めいなCo
出演:尾上菊之助 稲森いずみ 松岡俊介 斎藤洋介 佐野史郎 柏原収史 宮迫博之 坂井真紀 成宮寛貴 貫地谷しほり 宍戸錠 松方弘樹
まさに、林海象印、なんだよなあ。濱マイクシリーズにホレこんだ、あの気持ちを思い出した。こんな世界観を作れる人は他にはいない。
言ってみれば思いっきりフィクション、昔懐かしき少年探偵団への憧れの気持ちを継承しつつ、でも昔、ではなくしっかり現代に舞台を設定している自信のありようも頼もしい。
勿論、だからこそ摩訶不思議な魅力なんだよね。物語のキャラ以外の人たちはフツーに現代の人たちなのに、その中にまるでぽっかり浮かんだように、昭和ロマンの匂いを漂わせているんだもの。
その昭和ロマン、をまさに牽引するのが主人公である尾上菊之助である。この人が、この人こそ、この人でなければありえない。ああ、ああ、私は彼に釘づけになってしまった。
本当に彼は現代のお人なのだろうか。本当に、少年探偵団の小説の世界から抜け出してきたんじゃないだろうか。年齢不詳、性別不詳とさえ言いたいその妖しげな魅力。かといって女っぽいというんでもないし……なんだろうなあ。
確かに色白で肩幅もほっそりで身長も低くて、稲森いずみとダンスをするシーンなんて背伸び気味なのが愛らしいほどなのに、びっしりと密度の濃いまつ毛にふちどられた黒目がちの瞳は美少女人形のように蠱惑的なのに、なのに、なのに、やはりそれは女をクラリとさせる異性の魅力に他ならないのだ。
でもやはり現実離れ、浮き世離れしているそれであるには違いない……華奢な身体にスラリとフィットするブラックスーツ、今どきあるのと思う同色のソフト帽、これはちょっとアナクロっぽいハーフフレームの眼鏡はいかにも理数系、学者肌を思わせるんだけど、なぜだかこれが妙に色っぽくて、その眼鏡の奥のまつ毛ばしばしの瞳にドキドキしてしまうのだ。
ていうかつまり、これがどういう話かっていうとね……そう、まずは探偵ものだよね。舞台は川崎で、横浜の映画館の二階に事務所を構えていた濱マイクの世界から、同じ神奈川でも全く異なるイメージを持つ川崎へとスライドしている。でもそれがなんかこだわりにも思えて嬉しい。
川崎の街に、連続爆破事件が起こるんである。その最初が川崎の誇る映画館チネチッタだというのが実に矜持を感じさせる。そこにかかっているオールドムービーかと一瞬思わせた白黒映画は、林監督のデビュー作「夢みるように眠りたい」!
かの作品は確かにオールドムービーな雰囲気があったし、チネチッタはシネコンではあるけど古い歴史を持つセンスのいい映画館だし、濱マイクが根城にしていた古い映画館がそんなオールドムービーをかけそうなところだったことを考えると、なんかやっぱり、全てが濱マイクから始まったんだなあ、と感じるんだよね。
濱マイクが地元に根付いた、横浜という街をいわば故郷的に位置付けて存在していた寅さん的なキャラなのに対して、尾上菊之助演じる探偵507は、暗号解読という数字の世界に稀有なる才能を発揮し、その世界だけで生きているいわば冷徹なキャラ。凄く、対照的。
それは横浜と川崎という、隣同士ながらもハッキリと違う街のイメージともリンクする。誤解を恐れずに言えば、横浜は猥雑でごった煮の街。川崎は冷たいぐらいに清潔で、スタイリッシュな街。まさにその違いがキャラにそのまま受け継がれてる。
見た目的にも永瀬はすんごくキザで、だから逆にやぼったいような“地元の探偵さん”だったけど、探偵507は、まず彼は組織の中の人間だという時点で濱マイクと真逆だし、地元がどうこうということは全然頭になくて、それどころか爆破事件がどうとかさえも頭になくて……彼はただ、目の前にきた暗号を解読することだけに心を惹かれているんだよね。
それが危機一髪のところで惨事をまぬがれ、賞賛され、どんどん昇進したとしても、彼はそんなことに頓着などしないのだ。彼が願うのはただ、今まで解いたことのない暗号を解いてみたい。それだけ。
彼はそれを、全ての暗号解読者の夢だというけれど、多分、恐らく、彼だけの夢だよなと思う。それはまるで……自分だけが見つけた彗星に名前をつける快感のよう。つまりそこには、濱マイクにはあった、人との触れあいのある“地元の探偵さん”の喜びはないのだ。
これぞ林海象、という世界観、映像の手触りは継承していながらも、これだけ価値観が真逆なのが後から考えれば実に意外だったんだけど……あくまで、“後から考えれば”なんだよね。だって結局は、その一番大事な価値観へと収斂されていくんだもん。
でも、全く真逆の方向から行くからこそ、魅力的でもある。探偵507は外に出ない、施設の中で暗号を解くばかりの、引きこもりと言ったっていいヤツよ。でも彼は「暗号を解くことは、それを伝えたい人の心を知ること」だということは判ってるし「その人の心を知りたい」と思ってる。だから冷徹なだけの探偵な訳はない。
でも彼がそれを自覚したのは、この事件に巻き込まれたからなんじゃないのかなあ。今まで見たことのない配列の暗号に心を躍らせ、そこにどんな人の心が宿っているのかと思ったからこそ、そんな欲求に初めて気付いたんじゃないかと思うのだ……。
その暗号というのは、彼が閉じこもっていた組織から飛び出て、いきなり上海である。冒頭の爆破事件の時の、組織内での彼の“座ったままなのにアクティブでスリリング”な描写もやけにステキだったんだけどね。
というか、もうこの時点で私はすっかりホレこんでしまった。見たこともない、古めかしい機械(解説によると、転置式暗号、音階暗号、書籍暗号、RSA暗号など新旧の暗号、実際に第二次世界大戦時に使用されていたエニグマやサイファーディスクといった「暗号機」も多数登場とか……判らん!)をカチャカチャ動かして、最後には筆算で計算して、とても現代のスタイリッシュな探偵さんとは思えない。
実際、その“情報科学研究所”は勿論、何台ものパソコンを同時進行させて“現代的”なアプローチに関しては万全を期しているのだ。しかし、この暗号解読の天才、507には、パソコンだってかないはしない。
細かい数字がびっしりと埋め込まれたルービックキューブをカチャカチャと動かして配列を考える507の冷たい集中力にもーお、ただただドキドキしてしまう。
彼に数学を習いに来ている女子高生、貫地谷しほりがまた、このクラシカルな雰囲気をよく出していてね、彼女は彼に憧れとも恋ともつかない思いを抱いているらしいんだけど、そういう現代ではありえない感覚も、実に昭和ロマンなんだよなあ……舞台はしっかり現代なのにさ。
しかしさ、ウェブドラマは私、観てないけど……何となく思ったのは、恐らく507が外に出たのは、初めてだったんじゃないのかなあ、って。
彼は今まで見たことのない配列の暗号に心惹かれて、言ってしまえば引きこもりの状態から外へといざなわれた。いわば、らしくない行動をした。だって507=尾上菊之助ってば、いかにもウチん中にしかいない、日焼けしていない、青っちょろい理数青年だったんだもの……それが魅力的なのが不思議だったんだけどね。
彼が旅立ったのは上海。摩天楼の街。東京よりも、ニューヨークよりも、摩天楼という言葉がよく似合う街。
摩天楼という言葉がどこか懐かしさを感じるとするならば、ギリギリ探偵507を、そしてこの物語を呼び寄せるのに必要な要素だということなんだろうと思う。
しかも彼がそこで出会うのがチャイニーズマフィアの愛人である歌姫、メイラン。キャラ設定といい、名前といい、実にその世界満点である。彼女の背中に暗号がイレズミで細かく彫り込まれているというのも、そんな設定の小説かマンガかを読んだ記憶があるような気がする。
そして非情すぎるほどのガンアクションの凄まじさは、さすがアクション映画の本場である当地のかの地の協力を受けているだけある。ここまで容赦なく人が死に続けると、マンガチックに思えるほどである……勿論、そのあたりは計算づくなんだろうけれど。
探偵507=尾上菊之助が外に出ることによるそぐわなさは、デスノートのLを主人公にしてしまった「L change the WorLd」の違和感を一瞬、思わせたけど、この場所にこれ以上なくそぐう人物の登場によって、本作はひどく贅沢で幸せな探偵フィルムノワールとなった。
それは宍戸錠VS松方弘樹、ことに宍戸錠がエースのジョーをまんま演じたという“奇蹟の実現”。
正直私は“エースのジョー”は知識としてしか知らないんだけど、彼が白スーツを身にまとい、スペードのエースのトランプカードを名刺代わりに使って地元の警察とコンタクトを取り、何よりガンアクションを“それほど動かないのに、やたらスタイリッシュでカッコイイ”様で見せ付けられると、ああ、エースのジョー!と思わずにはいられないんである。
彼は、507にとっても伝説の存在として、ここ上海での助っ人として参戦する。
そして、まだ戦争は終わっていないと頑迷に言い続ける椎名(松方弘樹)が、この暗号が示す財宝のありかの鍵を握る人物。旧日本軍が関わっているもんだから陰謀や裏切りがいろいろうずまいてて、椎名は謎の殺し屋として彼らの前に立ちはだかるのだ。
椎名はジョーが戦後世話になった恩人で、だから彼はどうしても椎名が殺せないのね。ここがネックになって、最後の最後までもつれ込む。
主人公は507なのに、クライマックスも見せ所も松方弘樹と宍戸錠になるってのは……まあこれだけの大御所だから仕方ないっちゃ、仕方ないかあ。
でもさやっぱり、尾上菊之助なんだよなあ!彼に対峙するファム・ファタルが稲森いずみってあたりも、絶妙である。ヤハリそこは、林監督の「CAT’S EYE」から通じるのかしらん?(メチャ古い……)。
でもね、ホント、そうよ。ここが若いアイドル系の女優さんじゃ、このやるせなさは出ないのよ。
だってさ、いわば展開っつーか、殊にラストなんかめっちゃベタなんだもん。取り巻きや情報屋、あるいは彼女自身も507を欺いて「もう誰も信じない」てな気持ちで生きてきたのに、「彼だけは信じる」としてしまった故に彼女は……無粋な金の亡者の凶弾に倒れてしまったのだ。
このカネの亡者、情報屋にしてメイランの愛人の息子の弟(ややこしいな……)を演じる松岡俊介は、実に彼らしいどっちつかずの揺れ動く瞳で物語を引っかき回してくれる。もうちょっとメイランとの艶めいた気分を感じさせてほしい気もしたけど、いやでも充分にアヤしくて恐ろしかった。
そして、507は虫の息のメイランを抱いて赤い蘭の花の咲く場所へ向かう。……大分重そうな雰囲気だったけど(爆)、でも超ベタながら息絶えたメイランを横たえ、彼女に頬ずりしながら涙を流す尾上菊之助は最高にセクシーだった。
そこは、赤い蘭の咲き誇る場所は、メイランが父親に捨てられた場所だったんだよね……。
だからそれ以来、彼女は誰も人間を信じずに生きてきた。
ただ一人、信じたのが507で、彼が彼女より華奢で頼りなくて、最後の最後までこんな具合なのが切なくてさ……。
旧日本軍が残した財宝が、こんな凄惨な事態を引き起こしたんだけど、でも507は椎名が、娘のメイランだけにその遺産を残したことを、そのたぐい稀なる解読術で察知してた。でも彼女はいくら言っても信じなかったんだよね……。
それは彼女の背中の刺青が凹凸を持ったモールス信号も兼ねていたことで判るんだけど、背中をあらわにしたメイランとそれを触れながら凝視し続ける507というギリギリの官能的なせめぎあいには、もう鼻血をぶっ放して倒れそうになっちまう。
んでもって、エースのジョーが少年時代、恩人の椎名さんにもらいうけた古い銃弾が運命を左右する。
その古い、たった一つの銃弾が、507を殺人者にしてしまった。人の命を奪うなんてことから一番遠い位置にいた彼が、彼女を守るためならまだしも、もう彼女は虫の息だったのに、その相手を殺してしまった。
この作品が劇場版としてもシリーズ化するんだとしたら、この出来事は507のキャラに大きな影を落とすと思う。
外というのは……実に危険だ。でもその全てを含めて、基本引きこもり系の507=尾上菊之助はとてつもなくセクシーで素敵だった。無数の数字に取り囲まれる彼にはもう、ゾクゾクした。
ラストも貫地谷しほりとのムジャキなやり取りに戻っていくってのが、なんか、ツンデレじゃないけど、そんなギャップの萌えを感じさせてさ!
相変わらずめいなCo.の音楽のカッコイイこと!これも濱マイクシリーズで衝撃を受けたあのスタイリッシュさが変わらず。
川崎市長がそのままの役で出演したり、川崎が全面的にバックアップしてるってのがイイよね。ウェブ映画の時からきっとそうだったんだろうなあ。
ならばやはりここはシリーズ、それも507=尾上菊之助でもう一本!撮ってくれないかなあ。★★★★☆
いやそれよりも何よりも……やはりこれを新生「さそり」として観に来た観客たちにとってはやはり、失望は隠せない、だろうと思う。
私もあまり本数は観ていないのでアレなんだけど、伝説の第一作「女囚701号」の凄まじさときたら、もうこれをリメイクしようなんて気を起こすクリエイターなんぞいないだろうと思うほどだったんだもの。
まあ私もそんな記憶をスッカリ忘れて、水野美紀のさそりを楽しみにしていたんだからアレなんだけど。
そりゃあ、話自体も違うし、違う時代に違う役者で作るんだから、別物になるのは当然なんだけど……でも水野美紀なら、あの超オーラ女優梶芽衣子とは違うスタンスで、充分対抗出来る魅力的なヒロインを作り上げられたと思う。
何ていうか……彼女の復讐まで思い募る気持ち自体が弱い気がするんだよね。そして彼女自身も、どっか弱い女のままのキャラで最後まで行っちゃっている気がする。
確かに訓練をつんで一流の武芸者となった彼女は後半、悪人どもをバッサバッサと斬り倒していくんだけど……そこにつながる恨みの吸引力が、あんまりない気がするんだよなあ。
婚約者と結婚目前、幸せな生活を送っていたナミに降りかかった悲劇。婚約者のケンイチとその父親、ケンイチの妹のために手料理を作って待っていたナミ、そこに突然見知らぬ男女が押し入ってくる。
そして……ナミは愛するケンイチの目の前で、彼の妹を刺し殺さなければならなくなった。ケンイチの命を救うためのギリギリの選択。その前に既に彼の父親も殺され、ナミはすべての罪をかぶせられ、刑務所に送られた。
なぜこんなことが起きたのか、っていうのは、ケンイチの父親である大学教授が、カネづくの臓器(だけでなく手足などもらしいが)移植に反対する立場をとっていたため、敵対する非人道なヤツらに陥れられた、ということらしいのだが、どうも観ていて話が判りにくい。
ナミとも親交の深い大学の医療関係者も関係しているらしく、ツギハギだらけになってもしつこく生き続けている老教授がその悪玉らしいんだけど……。
まるでキャバ嬢みたいなハデな女殺し屋やら、催眠術で記憶を消す美女やら(このコ、可愛かった)女殺し屋に付き従う男(サム・リー。むこうのキャストで唯一知ってた役者)やらなんかぞろぞろ出てきて、それぞれがどういう人間関係にあるのかどーも判りづらいのよね。
ま、それはともかくとして、なんたって「女囚さそり」なのだから、獄中での描写がメインとなる。
ナミと対決する、獄中の権力者、エリカに扮するのが夏目ナナ。彼女だけにセクシー路線を集中的に担わせているのが、ま、そりゃ夏目ナナはそっち方面のプロではあるけど、うーん、水野美紀もせっかくナミを演じるんだったら、この際全裸ぐらいやっちゃってほしかったのになあ。
まあそりゃ水野美紀にしては、かなり露出は高い。さそりといえばコレ、ミニスカワンピースの囚人服からすらりとのぞく白い太ももは魅惑的だし、何といってもケンイチと睦みあう場面では、彼の身体にバストだけは隠されているものの、それ以外はあらわ、着替えの場面では、後ろに置かれた鏡にバックヌードがバッチリ映っていたりもする。
でもね……バストってそんなに頑なに隠さなければいけないものなのかなあ?確かにその点で夏目ナナがインパクト大だっただけに、見せ場で水野美紀がインパクトの点で負けてしまったのが悔しいのだ。
濡れた薄いシャツにぴったりと豊かなおっぱいが押し付けられてもちろんスケスケで、その状態ですっくと立ち尽くす夏目ナナはセクシーという以上に凄く、カッコ良かった。
正直この場面では、夏目ナナの方がナミっぽい、と思ったぐらい。おっぱいは豊満なんだけど、きりっとした一重の瞳にすっぴんメイクの彼女は、ショートヘアが良く似合うマニッシュな魅力を放ってて、ちょっとステキなのだ。
しかもこの時点でナミはただの女囚であり、訓練をつんだ武芸者としての後半の彼女とは違うから、ケンカ慣れしたエリカの魅力に位負けしちゃうんだよね。
まあ最終的にはエリカが引き連れた大勢の手下もなぎ倒して、ナミが勝つけれども、それもあの女特有の悲鳴をあげながらケンカする鬱陶しさがちょっとあって……あんまりかっこよくないんだもん。
獄中では酒を賭けた女同士の泥レスなんて場面も用意されており、娯楽のない女囚たちはエリカに対し、まるでロックスターに捧げるような雄たけびを上げる。まさに、エリカはこの女囚たちに圧倒的な支配力を持っていたのだ……ナミが来るまでは。
そもそもこの獄中ではまあお決まりに、所長が権限を握っていて、ナミにも俺のナニをしゃぶれば便宜を図ってやる、などとニヤけた顔で持ちかけたりする。無論、エリカはそういうことを乗り越えて女権力者として君臨しているのだろう。
しかし婚約者のケンイチまでもが自分のことを殺人者だと憎んでいると思い知らされたナミは、生きるために手段を選ばなくなる。ここでもうナミは人間であることを捨てたのだ。
……というね、ナミの、絶望から鬼に豹変するトコが今いち切り替えがハッキリしなかったというかね、鬼となってもナミの感じがあんまり変わんないんだよなあ。
確かにエリカが可愛がっていた手下を非情にも絞め殺したりする。まさに「ただ生きるための手段として」なんだけど、その非情さがなぜかあんまり伝わってこないっていうかさ……。
ケンイチが自分を憎んでいることを思い知らされる場面はしかし、心に痛い。自分に面会しに来た彼に会うべきか否かを逡巡するナミ、意を決して会おうとするも、所長の気まぐれで面会が突然中止されてしまう。
看守の腕を振り切ってケンイチの名を叫びながら走り出すナミ。その彼女の声にケンイチも窓ガラスを破って飛び出してくる。熱い抱擁が待っているかと思いきや……ケンイチは憎悪むき出しの顔で、ナミの首を絞めた。
驚愕と絶望のナミの目じりから、一筋の涙が流れる。
もう彼女に生きる希望はなくなった。
でね、手下たちをナミに殺られたエリカとの壮絶なバトルがあって、そのナミを助けようとした弱そうな女囚が殺されちゃったりしてさあ(ナミが彼女に向ける憐れみのこもった優しさはしかし……ちょっと消化不良)。
で、ボロボロになったナミは看守たちによって外に吊るし上げられ、放置される。朝になったら死んでいるだろうと。
このシーンが冒頭になってて、群青の闇の中に浮かび上がるナミ=水野美紀の白い太ももの美しさにオオッと思ったものの、結局これ以上のエロスは望めなかったなあ。
朝になってナミは、ぐるぐる巻きにされて森に放置される。死体として、の筈がまだ息があって、この手の死体を収集して回っている老人に助けられる。
なぜ死体を収集などしているのか。その中に彼女のように命をつなぐ人がいるかもしれないと思ってのことなのか。その問いに老人は答えない。
ただ、訓練をすれば一流の武芸者になれる。そうすれば復讐が果たせる、とナミを諭し、そこから厳しい訓練の日々が始まるのだ。
この訓練の場面にもっと比重を置いてほしかった気がする。それに師匠であるこの老人との関係も、もっと掘り下げてほしかった。なんか拍子抜けするほどアッサリ終わっちゃう。
「私に復讐が果たせるでしょうか」「自信がないのならやめて、一生ここにいろ」なんてやり取りがあるから、あっ、やっぱりこれは、師弟の間のストイックを越えた先にある愛かも?と期待したのに、その台詞の後すぐに「明日の朝まで出て行け」で終わっちゃうんだもん……。
まあそりゃあさ、師匠との間はあくまで武芸者としてのストイックな絆。そんな色恋なんぞになっちゃいけないんだけど、だからこそそれを匂わせた先に彼女が振り切って出て行く、とかゆーのを期待したのは……それこそベタすぎなの?でも……残念。
そしてここから、ナミは一人一人追い詰めては、しとめていく。最初に探し出したのは娼婦を何百回も刺したと自慢げに言っていたサド男。
女をはべらせているところに乗り込んで、テーブルの上に置かれた彼の手をグサリと刺し通す。あの時彼に教えられた台詞をそのまま口にする。
「人を殺すのなんてカンタンだ。ただの肉の塊だ。深く刺せば30秒で人は死ぬ」そうつぶやいて、彼の胸に刃を貫くのだ。
そんな矢先、ナミはケンイチと再会する。しかし「まさかあの人を見間違った?」とナミが思ったのは……ケンイチは彼女の顔を見ても無反応だったから。
バーで働きながらバンドのギタリストになっていたケンイチは、ナミのことのみならず、一切の記憶を失っていた。
その記憶を失う前から彼を知っていたマスターから、ケンイチが自らの意志で記憶を消してしまったことを知るんである。
彼に近づくべきではなかったのかもしれない。いやそれともやはりナミは最初から、ケンイチもまた憎い一人として復讐の相手に選んでいた?
ナミのことは覚えていない筈なのに「ひょっとして俺たち、つきあっていた?」とケンイチが口にしたのは、合わせた肌のぬくもりを身体が覚えていたからなのか……記憶は脳だけではなく五感に宿るものかもしれないんだもの。
でまあ、こっからはひたすら復讐バトルとなるので、そうそう筋があるわけでもなく(爆)。
んー、でもなあ。結局水野美紀のアクションが彼女の実力以上に映えなかったのは、ソードアクションだったりしたこともあるだろうけど、組む相手のアクションが彼女のレベルに達してないからじゃないかしらん、などと思うんである。
特に「私と対等にやれる女は初めてだよ」などと豪語するキャバ嬢風女殺し屋が、そんな台詞を吐くなって言いたいレベルなんだもん。そんな衣装着てそんな台詞を吐くなら、ぱんつのひとつも見せろっての。
でもラスト、まさに一番のメインバトルでの相手は、ジャッキーやブルース・リーと共に三龍と呼ばれたというブルース・リャンなんだけど……。でも私、彼知らないし、80年代以降は政治的トラブルで映画界から遠ざかっていたってんだから、その腕が保たれているかどうかは……。
うーんでも、刀のやりあいとワイヤーアクションじゃmその辺もあんまり判んないんだよね。引きの距離もカット割りもなんかあいまいで、二人のアクションがいいのか悪いのかさえなんか判断がつかない感じ。
走り来るトラックの荷台に飛び移ってのバトルも、彼らの刀がトラックの壁や運転席を切り裂いて運転手まで刺し殺しちゃう、てなところにばかり重点が置かれている気がするしさ。
んでもってオチっつーか……足元に落ちたコインに、この男が貧乏なトラウマのせいでカネには目がないこと、相手の予測を外すことが勝機だと師匠に教えられたことを思い出すナミ。
コインを投げ、それにコイツが気をとられたところを一刀両断、斬り捨てるっていうのが、ええ?ここまで来てオチがそれかよ!とか正直思っちゃうし。
しかも、ひざ下の両足から横なぎにしてさ、彼の上体が吹っ飛び、残されたすねから下の足が、その右足がころんと横に倒れる、なんてショットを持ってくるのが……CGの悪ふざけっていうか、幼稚で悪趣味で、好きになれなかったなあ。
それこそタランティーノや三池監督の悪ノリ映画だったらそれもアリかもしれないけど、本作そういうカラーで押してた訳でもなかったし。
日本語喋ってるのか広東語なのか、それとも中国語なのか、吹き替えにしても登場人物の口の動きが総じてバラバラなのも気をそがれた。
いや、それも吹き替えだって割り切ってればそれもいいんだけど、水野美紀と夏目ナナだけが本人吹き替えで、あとは石橋凌ですら自分の声を当ててないってのもどっちつかずで、見てて芝居に集中できないんだよね。こっちは水野美紀の声と姿で、でも口の動きとはズレてて、こっちは石橋凌で、でも声は違ってて、口の動きともズレてて、みたいなさあ。
それにやっぱり……吹き替えの声って大げさだし。だけど水野美紀と夏目ナナだけは本人だけにナチュラル声だから、余計にコンランするのよね。
ただ一点、完璧だったのは、エンディングテーマの中村中。
オリジナルも凌駕するほどの、まさに彼女だけが恨み節200パーセント。梶芽衣子にも聞かせたい歌声だった。 ★★☆☆☆
いやー、でもでもでも、確かにこの映画に、内容にピッタリの洒落たタイトルをつけようなどと思ったら、それこそこんな難しいことはない。つまりはこれは確かに「サマーウォーズ」としか言い様がないのかもしれない。
でもさでもさ、予告やなんかの宣伝でも、この作品の複雑で緻密な魅力をちっとも伝え切っていなかったしさ!
いや、だからといってどう宣伝すればいいのかっていうのも、本作は本当に難しいところで……あるいはその、宣伝に乗った、ある夏、大家族が世界を救う!てのがまさに端的に言えば最も正しい内容であるんであって……あー、でもまさかそんな思いもかけない方法で!なんて予想しがたいじゃん!
いや、でもこの物語が荒唐無稽かと言えば、決してそうとは言えない。それどころかもはや、この世界観はリアルであるとさえ言える。
ここまで電脳空間(という言い方も既に懐かしいが……)が生活の隅々まで全てを支配していて、そのネット空間の中では現実とは違う、しかし現実に負けず劣らず奥の深−い、もはやヴァーチャルという言葉さえも死語と言いたい位の“もう一つのリアル世界”が存在していて、その中で自分の分身として操る“アバター”は、もはや分身を超えて自分自身であり……というね。
映画世界の中ほどには徹底されてはいないものの、かなり近いところまで現代社会はネット世界が欠かせなくなっている。私はアバターとかは使ったことないんだけれど、そのアバターが保有する、いわばこっちが大事な“アカウント”は決して漏洩しては困る個人情報が詰まっていて、ふと思うとよくもまあこんなカンタンに個人情報をネットの海の中に漂わせているわ、とも思う。
それだけネットのセキュリティに信頼を寄せているということでもあるけれど、それこそ本作のように、そのセキュリティもまた人間が作ったもの、一度決壊してしまえば雪崩のように、津波のように崩壊してしまう。
そしてその決壊のために送り込まれたのが、悪意さえも持たない人工知能であり、そのAIが人間の手を離れてただただ膨れ上がるばかりになった時、どういうことになるのか……。
これはさ、やはり、このネットの一大世界、OZワールドを世界中が信頼してしまっていることが一番のネックなんだよね。
そして現実の世界もまさにその危機に直面している。ネット世界が現われた時からほぼあの某大企業に独占され、セキュリティをはじめ、互換性の悪さや古いバージョンの切り捨てなどといった、冷酷と言っていいあらゆる弊害も独占という独裁社会で押さえつけてきた。
そして今、そのことに対する警鐘が“ようやく”鳴らされ始めている。
そのことに対する、大いなる表現作品のように思えてならないのだ。
などと!マジメなことを言ってたら、この作品の凄まじいほどの面白さには決して近づけない!
確かにね、メインの展開はその無限なるネット世界の中で、暴れ回るAIが原子力施設を攻撃しそうにまでなって、あわや世界の終わりか、というタイムアクションも用意されてはいる。
でもそれって、言ってしまえばそれだけで、結構今までだってどこかで見たことのある設定ではあるんだよね。
ただ、その見たことのある設定であっても、こんなに緻密で複雑なネット世界を、しかもオリジナリティのあるそれを作り上げてはいなかったし、むしろこの作品のそれこそ“オリジナリティ”はそんな、凡百のSFアニメっぽいところにあるんではないのだ。
その世界に入り込んで世界を救うのが、片田舎の理数系純情少年であり、その舞台となるのが片田舎どころではない、戦国武将の歴史が綿々と受け継がれている旧家の大屋敷であるってところが意表をつく。
もう90歳になる、歴史をその目で見守り続けてきた陣内栄(じんのうちさかえ)なるかくしゃくとした女性。彼女は絆を守り続けてきた親戚や、信頼でつながった大御所たちと今も太いパイプを持っている。彼女がこの田舎から一歩も動かなくても、彼女の影響力は瞬時に響き渡る。ネットなんてものが出現しなくても、彼女への信頼力がそれ以上の大きな力を持つんである。
というのはまだ後の話。
“数学オリンピックの日本代表をもう一歩のところで逃がした”単なるイチ高校生、小磯健二が、彼のアコガレの先輩、夏希に頼まれて、夏休みの四日間、彼女の恋人という設定のアルバイトにつくことになった。
と、いうのは、彼がその旧家に到着してから初めて知らされたことで、その恋人の設定「東大生で、旧家出身」というムチャブリは、夏希の初恋の人、この旧家のハミダシ者である、侘助おじさんのものだということが明らかになるんである。
この健二はいわばいまハヤリの草食系男子、といったところなんだけれど、彼が得意の数学を駆使して、クライマックスでは仮想世界の中に、自身のみならずこの旧家の大家族を全員巻き込んでしまう。
それはもはや超体育会系、いやそれ以上の、もう言い様のない凄まじい“戦闘”に突入するんだもの。もう涙ボロボロなんだもの。
それはそれだけこの作品が、現代に食い込んでもはや止められはしないネット社会の弊害や闇に警鐘を鳴らしつつも、決して絶望的なだけではないことを示してる。
むしろここにはナマな社会ではもはや切り開けなくなった未来があるし、そしてここには現実の世界と同じように、ちゃんと人の心が存在してて、それこそがこの危機を、人を、救うのだ、というのがもう大号泣なんである。
人工AIが悪意も何もなく、ただゲームしたいっていうプログラムの元だけにアバター=アカウントを食い尽くしていき、もうダメだ!っていう段になってポン、と現われた、シンプルなアバター、ドイツの幼い男の子が「僕のアカウントを使って」と言った時には、もう涙がブワー!とあふれたなあ!!
おっと、またしてもめっちゃ飛ばしまくってしまった(爆)。
あのね、健二がいいんだよね。何がいいって、勿論その理数系キャラに萌え萌えなのはそうなんだけど、彼の声を担当しているのが神木君だっていうのがピタリな訳!
年恰好は勿論、繊細な少年であるという点も勿論、何より、声変わりしたかしないか、ぐらいのこの絶妙なお年頃のお声が、もー、たまらなく萌え萌えなのよ!!
思えば彼は声優デビューの「千と千尋の神隠し」で、声変わりなんて遠い先の、メッチャ可愛らしい男の子の声、坊役がたまんなかったんだもん。そのことを思うと、彼の成長の過程をつぶさに見ることができるのが、んんー、なんという幸せ。
健二は夏休み、物理部でOZの末端のメンテナンスのバイトを同じ部の同級生とやっていた。
そこでOZ世界が紹介されるんだけど、これがね、適度に緻密で適度に空間がヌケてて、絶妙なんだよね。輪郭が印象的な赤で縁取られていたりするあたりが、単なるアニメーションのキャラとは違って、とても印象づけられる。
アバターたちが皆可愛くて、こういうのはいかにも日本のセンスだなあ、って気がする。
しかも健二のアバター、特に一度失って仮に取得したテキトーなアバターの、そのテキトーさ加減、オマヌケなリスのアバターがめちゃくちゃ可愛くてさあ!
でね、健二がアコガレの先輩、夏希に「四日間、私の実家に一緒に来るだけのバイト」と聞かされていたハズがトンでもない展開になるんである。
まず、その夏希の訪れる“本家”っていうのが、戦国時代からの流れを汲む由緒ある旧家、女系家族が権力を振るう大家族が集っていて、とても覚えきれるモンじゃない。
そのトップに立つ、90歳を迎える曾祖母にフィアンセとして紹介された健二は、更に驚きの事態に直面。
OZを破壊した容疑者としてニュースに映し出された写真は、目が隠されているもののどう見ても自分自身!
思い当たる節がないでもなかった。その前夜、メールに送られてきた意味不明な数列を、数学好きの健二は興味ある問題として夢中になって一晩かけて解いてしまったのだ。
その答えを送信したことで、自分がOZを破壊することになってしまったのか……?
しかし健二がもともと“もう一歩のところで数学オリンピックを逃がしてしまった”というのが何たってネックであり、後に明かされるんだけど、健二はこの時の答えも、最後の一字を間違っているんだよね。つまり、彼だけがこの答えを返信した訳じゃなく、しかも間違っていた訳。
このメールに返信してきた人たちが、答えの正誤に関わらずアカウントを盗まれ、人工AI“ラブマシーン”が暴れ出す。
そしてその後も次々にアカウントが盗まれ続け、世界は大混乱に陥れられる。
慌てた健二がパソコンを持ってきているこの旧家の男の子、和馬に助けを求めると、図らずも和馬はキングカズマというアバターで、OZ世界における格闘ゲームの世界的チャンピオンであり、彼の協力を皮切りに、どんどん本家の大家族が巻き込まれていくんである。
この和馬君はせいぜいがとこ中学生かそこまで行ってないかっていう、健二以上の“男の子”なんだけど、彼が、というか、彼が操るアバター、ウサギ型のキングカズマがすげー、クールなんだよなあ!
鋭い瞳を上目遣いに覗かせて、長身の体を柔らかく使うのが、ゾクッとさせるカッコ良さなのよね。
彼は実際のカラテをおじさんの万助(筋骨隆々の70歳!)からOZ経由で学んでいる。一見草食系に見えながら、そして確かに恐るべき技術能力を持っていながら、彼は健二とは違って、秘めた体育会系、なんだよね。
という、男(のコ)たちの魅力がゾクゾクと現われてくる。
もともとこの陣内家は、栄おばあちゃんをトップにした女系家族なのは一見して明らかであり、その中で男たちは半ば小さくなっているような状態なんだけれど、和馬、万助に続き、自衛隊で“ちょっと言えないな”という仕事をしている理一(この台詞を言った時、めちゃくちゃゾクリとした!)は、「ちょっと拝借してきた」キャタピラ戦闘機で広大な庭に乗り付けるしさ!
「こんな田舎じゃ、個人より学校とか官公庁とかへの納品が多いんだよ」とトンでもない大型のコンピューターをドーンと持ってきちゃうオジサンもいるし!
そんなスゴいマシンだと、氷で周りを冷やしていないとオーバーヒートしてしまうところを、夏希に子供の頃からに片思いし続けている見るからにオバカなおまわりさん、翔太が「こんな暑くちゃ、ばあちゃんが腐っちゃう」と、遺体を安置した部屋に氷を移動しちゃったもんだから、上手くいきかけていたラブマシーンへの攻撃がストップしちゃって大混乱!
……そうなの……明日がおばあちゃんの誕生日ってところで、彼女は死んでしまうのだ。
OZの大混乱を一時的に緩和したのは、彼女の持つ、政財界をはじめとした大物への太い人脈で、彼女は電話をかけまくり続けた。
そして、健二に、彼が東大生でも何でもない、ニセモンの恋人だと判っても、夏希を頼むよ、と頼んでこの世を静かに去ってしまったんである。
その前に、この物語のキーマンである、夏希の初恋の人、侘助が突然現われていた。
栄おばあちゃんのダンナさんの妾の子供という、実にフクザツな位置づけの彼。散々家族にメイワクをかけた上、勝手に土地を売ったカネを手に出て行ったまま、10年も音沙汰がなかった。
しかも侘助は、今世界を危機に瀕させているラブマシーンの開発者であり、それを知ったおばあちゃんは、彼をなぎなたを振りかざして追い払った。
しかもしかも、OZのコンランでおばあちゃんの心臓発作のデータが主治医に連絡されず、彼女は命を落としてしまう。
んな訳で家族の間でも侘助への批判で紛糾するのだけれど、このコンランを止めるには、彼の協力が不可欠なのは間違いなくて……。
という具合にね、ある意味超ドライなネット社会と相反する世界が繰り広げられている、その対照がなんともまぶしいのだ。
戦国時代から何百年のあいだ連綿と続く、今や珍しい大家族の絆、彼らが集まる太陽がサンサンとふりそそぐ田舎ののどかな時間、テレビではこの旧家からエースピッチャーとして出場している了平の、あと一歩で甲子園、という地方大会の決勝が映し出されていて(本大会ではなく、地方大会ってところがイイのよね)、彼のお母さんが涙ながらに、しかしせんべいをバリバリかじりながらかぶりつきで観戦している(仲里依紗ちゃんの声が素晴らしい!年全然違うのに!)。
長ーい縁側には朝顔の鉢植えが並べられていて、おばあちゃんが亡くなった朝、夏希はその縁側に座り、見事に花を咲かせている朝顔の隣で、健二の手を握り占めて、我慢し切れない涙をあーん、あーんと流すのだ。
朝顔の隙間から空が見えた接写が一瞬、あれは実際の写真(映像)を使っていたんじゃないかというカットがあって、ネット社会と現実社会もそうなんだけど、その中の更に細かく、甲子園であり、何百年も昔から続く旧家であり、朝顔であり、池の鯉であり……。
世界が滅亡するかもしれない展開が描かれてるのに、そこに流れているのは刹那的なことでは全然なくて、牧歌的に思えるぐらい、懐かしく、そして今まで確かに続いてきた時間で、そのゆるやかな時間こそが、すんごい強さに思えるのが、素晴らしいんだよなあ!
本当にね、その、一見まるで相容れないように思える、のどかな空気感とネット世界の切羽詰ったタイムアクションが、よくぞまあ、融合させたわ!と、本当にこれこそが本作の素晴らしいところでさ。
本作に一番大きな影響力を持つ栄おばあちゃんは、結局はその大クライマックスには立ち会えないけれども、そして彼女は恐らくアバターなんぞなんだそりゃ、ということであっただろうと思うけれど、でもあの草食系男子の健二の将来性を見抜き、女系家族の中で小さくなっていた男たちを叱咤激励してこの世を去ったのは、まさにあっぱれ、なのだ。
確かにね、女系家族のたくましさ、っていうのは、女にとってはすんごい溜飲が下がるんだよね。
だって女はそれこそ、ここで語られている戦国時代においては、表舞台に出ることなど叶わなかった。それ以前からずっとずっと、現代においてだって、女はやっぱり理不尽に弱い立場に追いやられているのだ。
草食系男子、などというものが出現しようと、そんなものに騙される訳には行かない。女は常に理不尽な立場に追いやられているのだ。
だけど……そう思いつつも、この描写にはしてやられたと思うしかなかった。戦国時代には女は下に追いやられていた筈なのに、それをこそ誇って今トップに立っているのは大おばあちゃんであり、その下の男たちはたとえ70歳であっても、今だハナタレ小僧たちなんである。
そしてそれが確かにそうで、70歳の万助であっても、いまだいかにも“男の子”でさ。カラテやら船やら自衛隊戦闘機やらコンピューターやら、それこそネットだって数学だって、“男の子”の誇るもの総動員して、このイナカから世界を救おうとするんだもん!
それを、女たちは「全くうちの男どもは……」と呆れ気味で眺めているのがイイんであり、そしてそう言いながらクライマックスでは皆が自分のアバターを握りしめて(?)「行けー!!!」とばかりに、超一致団結するのが、もうもうもうもう……涙ブワー!!なのだ。
そしてそこには、皆から妾の子、勝手な男として疎まれていた侘助が、まさに命運を握る存在として、いるわけで。
一度はいとわしい旧家から飛び出した彼が、本当は大好きだった栄おばあちゃんの死に駆けつけた、そして今、家族と一緒に世界を救ってる。
ホントにね、それぞれの要素ひとつだけとっても、充分一個の世界観、一つの映画が作れるのに、しかもそれぞれ全然かけ離れているかと思われるような要素、その思いがけない組み合わせの妙、しかも実はそれがこれ以上ない硬い組み合わせであり、それこそが現代で、現代の……救いになっているっていうのがさ。
今、現代で家族の物語を紡ごうとしたら、せいぜい三世代どまり。それだってイマドキないよねと思われるところを、もはや誰が誰の兄弟で誰の子供で、っていうのも判らないぐらいの大家族をしれりと出してきてさ。
でもそれこそがかつては普通だったんであり、それこそ戦国時代はそれどころじゃない理不尽なほどの超マックス大家族だったんであり、でもそこには確かに今では考えられないほどの絆があって、それがこの陣内家には脈脈と受け継がれている訳で。
そしてその家族の絆が、世界中のアバターという仮の姿に託したアイデンティティ、アカウントというネット上ではかけがえのないもの、いやもはや、ネット上と現実社会は完全にリンクしているんだから、本当にかけがえのないものにつながっていく。
それはネットというドライに見える世界とはウラハラに、世界人類皆兄弟などという、ジョークが前提のようなコトバが本当にそうだと思わせる奇蹟が、今まさに実現しているんだと信じさせてくれるのだ。
そう、この、緑豊かな歴史ある“片田舎”から。
おばあちゃんの予言どおりのこれからを予感させる、夏希先輩とちょっとイイ雰囲気になりつつある(しかしそのことで鼻血ブー!)な健二、超、大団円、なのだ!
確かに夏希が惚れるのも判るほどに、ギリギリで衛星の墜落を暗算で止めた健二のカッコ良かったこと!
おばあちゃんと共に長生きしている柴犬、ハヤテのケナゲさとか、そういうちょっとしたこともズキューンとこの胸を貫くんである。
侘助おじさんの寂しい無頼漢っぷりも女心を貫いたしなあ。結局、女系世界というのは、それだけ男のケナゲな姿に弱いもんなのよね。 ★★★★★
なあんて、ね。またしても突っ走ってしまったけれども。それにこれは姉妹の物語。ひいては家族の物語。更にひいては、彼女たちが遭遇する様々な人生の物語なんである。
血みどろの、体液や肉片すら飛び散る、吐き気をもよおさずにはいられない事件現場を元通りにする、現場清掃の仕事についた彼女たちが、そんなワイドショー的な一見した凄惨さだけでは判らない、そこまでに行き着いてしまった人間の悲しさに思い当たる時、自分たち自身、さらには彼女たちの生い立ちにまでも遡っていく。
ローズとノラは決して仲のいい姉妹じゃなかった。というか、二人ともサエない人生を送っていた。妹のノラは不器用で、つい先日もレストランをクビになったばかり。もういい年になるのに、年老いた父親と同居しながら、先の人生も見えない状態なんである。
姉のローズは清掃のバイトはもはやベテランの域に達しつつ、不動産取引の資格取得を目指している。一見、キャリアウーマンにステップアップすることを目指しているように見えるけれども、それも不倫相手に勧められてのこと。
つまりそれって、彼には彼女の人生の面倒を見る気はないってことであり、つまりつまり奥さんと別れるつもりもなく、その一方でローズともこの関係を続ける気マンマンなのであり……そのことにローズは本当に気付いているのか、あるいは気付かないフリをしているのか。
それに幼い男の子を抱えるシングルマザーである彼女、その父親は……え?彼ではないの?そのことには言及されないけれども、だって、彼とは高校時代から恋人同士だったわけで、劇中「なぜヘザー(彼の奥さん)を選んだの」なんて台詞も出てくる。つまりずっと関係が続いていたってことじゃないのかなあ。
どこかで彼が奥さんと別れることを期待しているローズに、ノラはピシャリとヘザーが二人目の赤ちゃんを妊娠したことを告げる。その時の、ノラが見せる泣き出しそうな顔。
今の時代、男に養ってもらうことが結婚の条件ではないんだから、ローズの密かな期待はアナクロではあるんだけど、でも日陰の身というのはやはりキビしいものだ……。
しかも彼から「君だけを愛してる」なんて台詞をもらえるはずもなく、ただモーテルで肌を重ねることが“愛の証し”なんて思えっこないんだもの。
そんなローズが彼から紹介されたのが、現場清掃の仕事だった。もともとハウスクリーニングとしてはベテランだとしても、現場清掃となれば全く違うのに、しかもかなりキビしい仕事なのに、彼が安易にそれを勧めたのは……それが“稼げる”から、なのだ。
勿論子供を抱えてキリキリしているローズにとっては願ってもない話ではあったけど……なんというか、ちょっとヒドイ男だよな、とどうしても思っちゃう。
それでもローズはそんなことにも目をつぶり、その仕事を始めることを決心する。それに妹のノラも引き入れるんである。
いつまでたってもフラフラしているノラは、長女のローズにとって悩みのタネである。ノラに子供のシッターを頼んでおこずかいをあげたりするのも、長女として妹の責任は私にあるから、みたいな気持ちがあった。それがノラにとっては余計なお世話だということにローズは気付いてない。
そんな具合に、どうにも気持ちがギクシャクしながらも、二人は一緒に働き始める。現場清掃のイロハも判らない状態で、時にはその凄惨さにたまらずにゲロを吐き、すべてをゴミ置き場に投げ捨てたら、「初心者がルール違反をしている」というウワサを耳にして呆然としたり。
ただ単に“稼げる”仕事を回してもらうだけのつもりだったのが、専用の洗剤や作業服、清掃道具を調達し、血液講座も受け、現場清掃のプロフェッショナルとしての矜持を持ち始める。
そう、「サンシャイン・クリーニング」の始まり、なんである。
それにしてもさー、ほおんと不倫男はそんな基本的なこともローズに教えずに、ただ稼げる仕事、現場を元通りにする仕事、としか伝えてないのが、彼女に対していかにテキトーかを示してあまりある、わよね。
ほんっとに、そんな彼のテキトーさを、ローズは気づいていないフリをしてるとしか思えないよなあ……目をつぶって、目をつぶって……でも皮肉なことに、それが彼女の新しい人生の基盤になるんだから。
かつては花形チアリーディングのリーダーとして、皆がうらやむ存在だったローズ。久しぶりに会った同級生にもそんな話をされ、ついついローズは「清掃はバイト。不動産取引業を始めようと思ってるの」と大きく出てしまう。まあ、確かにそれはウソではないんだけど……。
その、かつてはローズより明らかに平凡だったであろうと思われる同級生は、今やいかにもお金持ちのカッコをして、夫が不動産会社をやっているんだとサラリと言う。
更にお腹には子供がいて「ベビーシャワーパーティーに是非来てちょうだい」などと、何の気負いもなく言うのだ。……ローズにとって子供は確かに大事な存在だけど、彼女のように、生まれくる前から皆に祝福されるような状態じゃなかったことは想像に難くない。
だからローズがこの一瞬表情を固くし……それでも、このパーティーにだけは意地でも出かけるのが、なんていうかもう……痛いんだよね。
一方のノラである。彼女はローズに比べれば、ある意味お気楽な人生を送っているように見えなくもないんだけど、ただ……ローズが子供を育て、不倫の相手との関係に気を揉み、といった、他へ気をそらせていられるのと対照的に、ノラは……姉がもう忘れようとしている過去を色濃く引きずっているし、そしてその過去を、この現場清掃の仕事をすることによって引き寄せることになるんである。
ノラは最初に清掃に入った部屋から、ウエストポーチに大事にしまってあった身分証明書と、娘の写真と思しき束を見つける。大切にリボンで括られているそれを、ノラはどうしても捨てることが出来なくて……これはその娘に渡すべきだと、行動を起こしてしまうのだ。
果たしてノラのその行動が余計なおせっかいに過ぎなかったのか……それは本当に、何とも言えなくて。
そんなにもノラがこだわるのを、ローズだってその理由を、判ってない筈、なかった。だって……この現場の持ち主の女性と同じように、彼女たちの母親も自殺してしまったんだもの。
……という、事実が明らかにされるのは、大分先になってからである。この時点では、まだ判ってない。
ただうっすらと……予測はされる。二人には父親しかいないこと。そして母親の記憶は幼い頃のおぼろげなものだということ。それは、ノラがコッソリしまっている宝箱の中の、「ママが触れたもの」というささやかな小物の数々からも知れる。
そして二人がいつでも昔のメロドラマを見ているのは……かつて一度だけテレビドラマに出たという母親が「オススメはペカン・パイです」という台詞を言ったという、その台詞に遭遇するのをまちわびているから。
だってもう、二人の記憶には、そんな美しかった母親の記憶がおぼろげで……だってだって、最後に見た母親は、バスタブに横たわる“死体”だったんだもの。
ノラはその写真に写った娘を探し出し、でも、しばらくは言い出せずにいる。なんとはなしに仲良くなって、自分の母親が自殺したことも打ち明ける。
でもついにノラがその事実を告げると、彼女は顔をこわばらせ、「私のことが気に入ってくれたんだと思ったのに」と写真を突っ返して立ち去ってしまう。恐らく、もうノラの元に二度と戻ることはない、のだ。
確かに判るんだよね。だって友達になれたと思っていた。パーティーにだって出かけたし、真夜中、鉄橋をよじ登ってはしゃいだりさえした。なのに、ノラが彼女に近寄った“動機”がそんなんだったなんて……彼女が傷ついたのも、判るんだよね。
ただなんとなく彼女の傷ついた理由がそれだけじゃなかったような気も……気のせいかもしれないけど、ちょっとレズビアン的な気持ちがあったように感じたんだよなあ。ノラのネックレスを戯れに口で外したりしてさ。戯れに紛らわしてはいたけれども。
そんな相手だからこそ、自分の最も触れられたくない過去を懐に隠して近づいたんだと知って、彼女がこの上なく傷ついたのも判るから……“余計なおせっかい”だったのかなあ、って思わざるを得なくってさ。
ローズの方はというと、学校で“奇行”を繰り返す息子に、学校側から“薬物治療を”なんて言われてキレて、やめさせてしまう。私立学校への入学を検討するんだけど、それだってカネがかかるんである。
老いた父親は孫を猫可愛がりして、ローズが頼めば面倒を見てくれたりもするけれど、どこかギャンブル的に商品を仕入れて売りさばくような香具師みたいな彼は損をすることも多く、そんな機嫌の悪い時には「子育ては二人でするもんだ」などとローズに当たり散らす。
ヒドい言い草だとは思うけど……その中には、幼い娘二人を残して命を断ってしまった妻への断ち切れない思いも隠されているんだろうと感じられて、胸が痛い。
そんなこんなで、ノラとローズがお互いににっちもさっちもいかない状況に追い込まれていた頃、ノラがやっちまうんである。
ローズが友人のベビーシャワーパーティーに寄って途中から仕事に合流することになっていた、そのたった一人の現場で、火事を起こしてしまうのだ。
相変わらず凄惨な現場、でもその中に猫トイレがあった。飼っていた筈の猫はどこに行ったんだろう……そう観客が思っていた矢先、子猫が飛び出した。
ノラはその子猫を追いかけ、「遺されちゃったのね」と優しく抱き上げたその時、もう部屋の中から火の手があがっていた。ノラが点したろうそくが周囲に燃え移ったのだ。
もう手の施しようがなくて、呆然とするばかりのノラ。消防車が駈け付けた夜半になってようやくかけつけたローズは、妹のしでかしたことで、それまで築き上げてきたことが崩壊したことに激昂する。
そりゃ確かにノラがやっちゃった訳だけど、でもノラの言うとおりそこにローズはいなかった訳で、一人じゃどうしようもないことだったのだ……。
二人が清掃道具を調達し、現場清掃のノウハウを教えてくれたお店の片腕のマスターがいてね。彼がなんとなく、その後の希望の光を感じさせてくれる人物なんだよね。
いや、そんなヤボな展開がある訳ではないんだけど、ローズが息子を預けたり、仕事の相談に乗ったりするだけなんだけど。
でもその息子は片腕の彼に興味シンシンで(だからローズは焦るのだが)、片腕でも器用にプラモデルを作る彼に尊敬の眼差しを向けて、自分の誕生日パーティーに勝手に招待しちゃうわけ。
誕生日パーティーっていっても、レストランで身内だけで祝うささやかなもの。それこそベビーシャワーとは雲泥の差である。
身内だけの筈のそのパーティーに彼が息子に請われて顔を出したことで、ローズのその後がひょっとしたら……なあんて、思っちゃうのね。
そしてそこで、ノラとローズもようやく腹を割って話すことが出来る。お互いにぶつかり合って、そして……お互い避けていた、母親の記憶を共有する。
あの時、必死に妹の目から母親のむごい姿をそらさせようとしていたお姉ちゃんのローズ、でもそれを見てしまった妹のノラ。お互い、「ペカン・パイが美味しいですよ」の台詞を探し続けてきたこと。
そしてその夜、ふとローズがテレビをつけると、思いがけず、その探し続けたドラマが放映されていた!慌ててノラに電話するローズ「お願い、出て、出て、出て……」そしてノラと共に、あの台詞を聞くのだ。
もう、これだけで充分だよね。二人の、そして家族の絆はさ。
そしてノラは、それまで父親と姉におんぶにだっこだった自分を再生するべく、子猫と共に旅に出る。
そしてローズは、父親の最高の娘孝行によって新しい人生に踏み出す。
この父親のイキなこと!あの火事で多額の借金を抱えてしまった娘のために、家を売って、そして新しい清掃車まで用意してくれたのだ。
しかも「新しいボスは信頼できるから」と自らも作業員として名乗りを挙げてさ!
一見エゲつない仕事のように見えて、ノラもローズもそれに誇りを持つようになるのは……その一番のキッカケは、夫の自殺した部屋に入れなくて、外で動けなくなっている老婦人を目にした時だった。
ローズはその老婦人の手を握って、そばにいてあげることしか出来なかった……いや、そのこともこの仕事に含まれていることを、彼女たちが実感した時だったと思う。
だからノラは、ローズからムリヤリ引き入れられたこの仕事に文句を垂れながらも、続けてたんだものね。
殺人現場や傷害現場のみならず、自殺現場もいつでも血みどろだってのが、いかにも銃社会のアメリカを物語っているようにも思えたけどね。★★★☆☆
ほおんと、彼は反則だよなあ。あのね、これってあくまで田中絹代と長谷川一夫の顔合わせが見どころであってさ、確かに二人の存在感たるやさすがなんだけれど、二人の間にまるで無邪気な仔犬のように存在する大八郎こそが、物語の展開的にも最も重要で、しかも彼を演じる市川扇升がなんとも初々しくっていいんだよなあ!
もう困っちゃうぐらい素直で純真で、だからこそプレッシャーに押しつぶされて多少暴れもするものの、あっという間に反省して、そして、自分が信頼する人間にはもうホント、仔犬の様になつくのよ。大八郎が唐津勘兵衛を誰よりも先に信頼したのは、彼の曇りのない瞳によって瞬時に、この人は信頼たる人だと感じたからに違いない。
突然彼らの前に現われた、浪人というにはキチンとした身なりをした侍である勘兵衛を、何のメリットがあって大八郎を助けようとするのか判らない勘兵衛を、誰だって疑問に思うに違いないのに。
当然女将は警戒して何度も「あなたは誰なのですか?」と聞いたりもすると、「唐津勘兵衛だ。あなたも物覚えが悪いな」とカラリと笑って返すのには、彼が何者か判らなくて観客の方も居心地が悪かったのについつい笑ってしまうのは、何ともうまいなあと思ったなあ。
おっとっと!またしても全く話が見えないままに突っ走ってしまった!
これは実際にあった話らしく、映画の冒頭でもゆかりの寺でその伝説がとうとうと語られるのだが、フィルムが古いこともあり、その語り口調が独特で判りにくくって、最初は全く話が見えなかった(爆)。うーむ、どうやらかなり面白い歴史的事実があるみたいなんだけれど、それは後にゆっくり調べよう。
でね、この唐津勘兵衛こそ、大八郎の親の仇……とまで言うのは酷かもしれないけど、大八郎の父親が腹を召したのは、唐津勘兵衛とは偽名であり、後に星野勘左衛門その人であると明らかになるんだけど、彼こそが原因なんだよね。
その星野が、大八郎の父親が打ちたてた通し矢(寺の長い廊下から的に弓矢を放つ。一日かけての射通数を競うんである)の記録を破ってしまい、その記憶を破り返そうとしたが失敗したことで、大八郎の父親は自害した。そして家も没落してしまった。
この通し矢っていうの、私は初めて知ったんだけど、家名どころか一つの藩の名誉さえも左右する大記録らしい。
で、大八郎は星野の記録を破るために日々稽古に励んでいるんだけれど、それというのも、彼の家にたった二年だけ奉公したお絹が実家の旅籠に彼を連れて行き、父君の名誉を回復するために彼を叱咤激励しているんである。
お絹は大八郎とさえそうそう年も変わらないような若さで、奉公人たちは女将と呼んだりお嬢様と呼んだり。
それというのも、彼女もまた親を早くに亡くして、年若くして女将としてこの旅籠を切り盛りしなくてはならない身であって、そのいじらしさが、田中絹代の小柄で清楚な日本人形のような愛らしさに実にピタリと来ているのだよね。
しかし一方で何たって田中絹代、気丈にこの旅籠を、そして大八郎様を守っている訳で……田中絹代の魅力はココにあると思う。
一見、非力なお姫様のように見えて、実は驚くほどに芯が強く、アネゴ肌、どころかお袋肌だということ。
でも気が強いだけに、ふと見せる弱さとのギャップがグッと来ちゃってさあ……なんたってあの色男、長谷川一夫とのコラボだから、そこで微かに見せる女がタマランのよね。
そうなのよね、微かなのよ、本当に。ここが時代であり、現代では決してお目にかかることが出来ない微かな女心がなんともなんともなんとも!心ニクイんである。
そもそもいくら奉公していたからといっても、ほんの短い間の主従関係であった大八郎を連れ出して修行させるなんていう、大胆なことをどうしてするのか。
そこは本当に一切明らかにされないんだけど、大八郎とも確かにそんなに年が違うとも思われないから、ソッチの色っぽい気分を最初は予想して萌えたりしていたんだけれど……なにせ大八郎はあの通りのおぼこ娘ならぬおぼこ息子?で、そんな色恋沙汰は百年先って感じだからさあ(それでいて茶屋の娘と懇意にしていたりするんだから、実際は案外経験あるのかもしれないあたりが、またニクイのだ!)。
と、いうことは、大八郎に記録を成就させたいと思っているってことは、その父親の自害に心を痛めていたということで……ひょっとしたらお父上に!?って、私、やたらと想像たくましくしすぎ?いーや、女子は常にそーゆー想像の元で映画を見ているのよ(いやそんなこともないか……)。
でもね、お絹が記録を達成した大八郎に促がして、率先して彼の父上の仏壇に手を合わせるのは、なんか……ちょっとグッとくるものがあったからさあ。
てかね。一番重要な部分をまだすっ飛ばしてるからさ。実は星野勘左衛門だった唐津勘兵衛が、彼らとどうやってお近づきになったのか。
大八郎は、記録を阻止せんとする星野一派に狙われているのね。命をとったらヤッカイだから、片腕だけでいい、とチョッカイを出すだけなのが憎たらしいんである。
若い大八郎はその誘いに乗ってしまい、旅籠に雇われ浪人たちが押し寄せてくるんである。その窮地を救ったのが唐津勘兵衛だったのだ。
この場面は一つの山場でね、往年の映画ってほおんと、脚本が軽妙で大好きなんだよね。こういう深刻な場面でも、軽い笑いを必ず入れてくるんだもの。
常から若い女将さんを心配している板前頭が、荒くれ者たちからの呼び出しに自分が行く、と言うと女将が「相手は魚じゃありません」とサラリと言うのがふっと笑わせつつもカッコよくてさあ!
そして浪人たちと対峙してもなお、あくまで腰は低く、たおやかな日本人形の趣ながら、大八郎様は大事な客人ですから、と一歩も引かず、星野家に雇われたんでしょう、女相手にそんなにお怒りになるのは図星でしょうと、ちっとも臆さない。
しかしさすがにあわやという場面にまでなって、思いがけず隣の間から声がかかった。それが、唐津勘兵衛だったのだ。
つまりはね、女将さんは、私はこの場で斬られるつもりだった、と勘兵衛に言うのだ。そうすれば、お上の調べも及びましょうと。
そこまでの覚悟が出来ていたことに、思わず息を飲む。まあこれも時代というヤツかもしれないけど……でも、そこまでの覚悟は大八郎になのか、その父君になのか、あるいはその仕えた家になのか。
突然隣の間から現われた唐津が、「今自分が助太刀して、間違って貴君らに勝ってしまったら……」とあくまで自分の勝利を前提にして例え話をするもんだから、相手は激昂してしまう。
ここもやたらと面白かったなー。「いや、だから、あくまで“間違って”だ」とか言いながら、おめーらみたいなザコに負ける訳ねーだろ、ってな余裕タップリなんだもん。
だからこそ「間違って」っていう前提が可笑しくてたまらなくってさ、それに何お!と反応する相手もまた、悪いけど可笑しくてたまらないのだ!
かくして勘兵衛は彼らを蹴散らし、大八郎の用心棒になるんである。大八郎は勘兵衛をひと目で気に入り、しかも彼が弓をたしなむと聞いて、ずっと孤独に修行してきたから、無邪気に喜ぶ。ほおんと、もう、キャンキャン、てな具合に喜ぶんである。
責任の重さや父親の仇というプレッシャーに押しつぶされていた大八郎を心配していた周囲も、なんとまあ、いい助っ人が出来たと喜ぶ。
女中の一人なぞ、唐津様はいいですね、お一人なんでしょうかね、奥様がいたらさぞかしおキレイなんでしょうね、などとお絹の前でずけずけと言うもんだから、お絹は生け花をぱちんと切りながら「そうだねえ」と返すしかないんである。
あ、ちなみにね、この物語って舞台が京都でさ、全編はんなりとした京言葉なのよね。ただメインの三人、田中絹代、長谷川一夫、市川扇升は江戸言葉なのよ。この対比もまた何ともイイのよね。
まあそれはつまり彼らが、市井の者たちとは違うという寂寥感も意味しているのだが……。
勘兵衛が実は、大八郎が恐れ続けている父の仇、星野勘左衛門であることが知れるのは、星野家の家名を守ろうとするために卑怯な手を使いまくる弟、数馬によってなんである。
まー、この弟ってのが、なんかさ、時代劇っぽくない、さらに言えば、当時の俳優っぽくもない、現代の役者にこういう顔の人いたよな、っていう、もうなんか、計算高くてこずるくてっていう、つまりはいつの時代も、こーゆー、あからさまに内面をさらけだしちゃっているような男っているのかなっていうヤツでさ!
喋り方も、当時っぽくなくて、まるで現代みたいなの。なんかゾッとしちゃったなあ。こういうのって、時代も何も問わないのかなって。
数馬は、兄の成し遂げた記録を破ろうとする大八郎を、とにかく目の仇にするんである。つまりはそれによって、家の名誉が失われるからなんである。
こんな名誉ある記録を残した兄と違い、何のとりえもない弟である、と自嘲する数馬は、自分に出来ることは、その名誉を守ることだ、と言ってはばからない。いくら兄が、それは卑怯な行いだ、と言っても聞かないんである。
しまいには、母上が悲しむからなどと卑怯な言い訳を盾にして、大八郎に真実を暴露して、兄を実家に連れ戻してしまうんである。
……卑怯と言ってしまったけれど、確かにこの年老いた母親は、息子が打ち立てた記録によって、幸せな日々を送ってきたことを、何だかやけに感慨深く振り返っているのだよね。
それはほんの一場面、あのこずるい弟の策略によって勘左衛門が実家に帰った一場面だけなんだけど……本当にスッカリ年老いて、華奢な肩が痛々しい、こじんまりとした母親が、息子から、大八郎殿が自分の記録を塗り替えるだろうと聞かされてね、侘びの効いた茶室で息子に茶を供しつつ、ふっとそんな、これまでの幸福な期間を振り返り、でもそれが、他人の不幸の元に成り立っていたことも判っていることを、ほんの一瞬のためいきだけで感じさせちゃうんだもんなあ!
だから、この年老いた母親が祈っているのは、あくまで今の息子の先行きであって、家名なんぞではないのだ……そう言っちゃうと、なんか弟だけが悪役みたいだけど(でも実際、そうなんだもん……)。
意気揚揚と大八郎の前で兄の正体をバラし、加えて大八郎に兄との試合を申し込んだコイツは、もうホンットに、ぶっ殺してやり手画!てなヒクツなヤなヤツなんである。
しかし勘兵衛、いや、星野勘左衛門がその試合を「大八郎殿が受けるなら」という条件の元承諾し、元々「自分を星野勘左衛門だと思って勝負してみろ」という約束を果たした形になって、結果見事、大八郎は勘左衛門に勝つんである。
でもそれが、勘左衛門が手を加えていなかったかどうかは……もちろん、勘左衛門はそんなことはしなかったと明言はするけれども、最後までサムライを貫き通した彼が、大八郎に通し矢を成功させようと思っていたことは間違いないんだもの。
勘左衛門に試合で打ち勝ち、「もう怖いものはない!」とお絹に喜び勇んで誓った大八郎、いざ通し矢の当日、実に快調だった。
押し寄せる観衆も、星野家の仕掛けた卑怯な行いを知っていたから、朝から押すな押すなの大盛況で、やたらと盛り上がっていた。
朝から放ち始めて、実に昼前には目標の八千本のうち、五千本を成功した。これは楽勝と思われた。
昼休みを取ろうとした大八郎に、思いがけず勘左衛門が声をかける。観衆が楽しみにしているんだから、このまま続けたらどうかと。
しかし観衆は、星野家の卑怯な振る舞いを潔しとしていなかったし、もちろん大八郎はわだかまりを残したままだったから、そんな彼の言うことを聞くこともなく、休憩に入ってしまう。
しかし、一度休憩してしまって、コリが溜まってしまったために、午後からはいきなり調子を落としてしまう。いくら放っても当たらない。大八郎は観衆のため息にも臆してしまって、腹を斬ろうと思いつめてしまう。
あのね、大八郎が、まだ勘左衛門を唐津勘兵衛だと信じていた時、つまり彼に信頼を寄せていた時、恐らく勘左衛門は今だと思って彼に説いたと思うんだけど……大八郎の父親が自害したのは、記録を達成出来なかった不名誉を恥じたのではなく、弓道に対する思い、つまり弓道の厳しさに殉じた死だったのだと。記録が名誉を守るのではなく、人間が作る記録の尊厳、弓という武道の尊厳。
いやあ……武道、ひいては武士道。この映画が作られた時代にはもうサムライもなく、つまりは武士道もなく。
でも日本が育てた武道をはじめとして、茶道や華道といった美しく誇り高い格式は燦然と残されてて、いや、残すべきで、それがこの場面でホントに……端的に、美しく、提示されていたんだよなあ。
大八郎は見事、記録を更新する。女将にはもちろん、応援してくれた旅籠の奉公人たちに感激の面持ちで頭を下げる。
しかし女将は……大八郎が休憩後ヤバくなった時、旅籠に一人残ってハラハラしていた女将を訪れてくれた勘左衛門を思っていたのだった。
コリをほぐすかなり荒っぽい方法を伝授し(肩に刀を突き立てる!)、良く効く薬を手渡した。
さらにもっと効果的な方法……記録を達成出来るだけの力を蓄えているのだと。父親の名誉を傷つけるつもりなのかと。そう言ってやりなさいと、勘左衛門は言った。何か言おうとする彼女を制して、早く行ってやりなさいと促がした。
見事、積年の思いを達成した大八郎は、亡き父親や応援してくれた仲間たちのことしか頭にないけれど、女将には判っていた。
そして……彼女は大八郎に、勘左衛門が気遣ってくれたことを告げることはないのだろう。あくまで大八郎の父親に手を合わせ、達成しましたと報告して……それはくすぶっていた家名の名誉の復活に他ならなく、こんな清新な青年も、あのあくどい星野の弟も、つまりは抱いていたのは同じ思いだというのは皮肉なのかもしれない。
弓道という武道の清新さ、人が達成する記録の尊さを知っていたのは星野勘左衛門だけで……いや、その教えを彼は大八郎の無垢さを見込んで教え込んだのだから!
でもやはりラストは「ご立派な人でした」とお絹が星野を思って言った言葉と、勘左衛門、いや、長谷川一夫の後ろ姿によるラストシーンに尽きる訳でさ。
なんともストイックでプラトニックな、いや、プラトニックというのもはばかられるほどの、美しく清新な人間同志の愛情だったのだよなあ! ★★★★☆