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「ゆ」


2009年鑑賞作品

USB
2009年 95分 日本 カラー
監督:奥秀太郎 脚本:奥秀太郎
撮影:与那覇政之 音楽:藤井洋
出演:渡辺一志 桃井かおり 峯田和伸 大森南朋 小野まりえ 大杉漣 野田秀樹


2009/6/12/金 劇場(渋谷シネマライズ)
この映画の次に観た「ガマの油」で、瑛太君扮する青年が夢見るのが宇宙飛行士だった。彼はつくばから飛び立つシャトルに乗るのを夢に見ていた。
本作がつくばの街が放射能で汚染されている、という設定だったことが、その妙な共通点とギャップが、ひどく皮肉に哀しく思えた。
人間の夢と、夢の裏側。
夢なんか持てなくなっている現代は、この物語が語られる超近未来に即座に通じている。

本当は観ている時は、つくばだということにあまり気付いていなかった。後から解説を読んでそうだっけ、と思ったぐらい。
それに正直なところ、かなり難解な気もした。スクリーンに対峙している時には、台詞にしがみついていくのが精一杯だった。
主人公の青年は常に憮然とした面持ちで、何を考えているのか、何を悩んでいるのかさえ正直判りかねたし、どんどん殺伐としていく世界感も、ただただ突き放されているような気がしてた。
ただ……まるで場違いみたいに示される満開の桜、淡い桃色が風に散っていく姿にふと心を奪われた。

その“幻の桜”を祐一郎に示した映画監督の藤森は、それが岩手県の雫石にあること、無菌の防護服を歩いていった先にぽつんとそれはあるのだと、夢見るように語ってくれた。
この物語が、近未来だと明言している訳ではない。でも、少なくとも今の段階でつくばで放射能事故は起こっていないし、“三船の娘の不倫騒動”もない(高橋夫妻に怒られそう……)。でも、彼が住む街にはのどかな声で「低濃度の放射能もれ」がアナウンスされるし、すっかり閑散とした街は、きっと人々がどんどん逃げ出しているからだろうとも思われる。

祐一郎は、浪人生活ももう何年目に突入しているのだろう。町医者だった父親が実は著名人からも頼りにされるほどの名医として有名だったことを、死後初めて知った。
「朝から肉を食え!」が口癖だった彼は、それが原因でか、胃がんで世を去った。そのことさえ、彼は自分で笑い飛ばしていた。
祐一郎はぼんやりと、父の後を継ぎたいと医学部を目指して浪人生活を続けているけれど、「決して母親を喜ばせたいだけではない」とモノローグしながらも、彼自身の情熱は正直、感じられない。

この祐一郎を演じているもっさりとした男(失礼)、なんか見覚えがあると思ったら、「19」で監督、準主演していた彼。その後の「キャプテントキオ」などは見逃してしまっていたので、かなり間があいての再見だったけれど、奥監督の作品には過去にも主演するなど、信頼が厚いと言う。
なんか、判る気がする。「19」を観ただけだけど、作風というか、価値観というか、似ている気がした。だからこそ奥監督の目指す世界を彼は完璧に再現できるのだろう……だって正直、風貌だけでは、主演男優なんて、危険すぎる気がするもの(再度失礼)。
でも、彼の、不安感も焦燥感もとっくに通り過ぎてぼんやりと半笑いするしかないような雰囲気は、まさにこの物語そのものだと思った。

冒頭、いきなりホットプレートでじゅうじゅうと焼かれるホルモンがクローズアップされる。まさに「朝から肉」である。
それはあまりにアップ過ぎることもあってか、どう見ても美味しそうには見えない。画が引いて、淡々とそれに箸をつける母と息子の姿を見ないまでも、ただグロテスクにしか見えないんである。私、ホルモン系は大好きなんだけど、この冒頭の画には即座に暗い予感を感じた。
その後、祐一郎は母の作った弁当を携えて毎日出かけるんだけど、閑散とした公園で、その弁当の中にもやはり入っているホルモンを、箸でひとつひとつつまんでは地面に投げ捨てるんである。そして足でぐりぐりと踏み潰す。憎々しげでさえなく、淡々と。
砂にまみれたホルモンは、ホットプレートで焼かれていた時より、ひどくみじめで、救いようなく見えた。
まるでこの肉のように。いや、肉でさえない。内側からじわじわと侵食されていく内臓のように。
彼は自ら冒されていく道を選択するのだ。

祐一郎は予備校に通っているんだけれど、まったくもって、ちっともマジメじゃない。女の子に授業のビデオを撮らせてる。しかもその子、真下は恋人かどうかさえ判然としない。
カラオケボックスで彼女をファックする場面が出てくる。それはセックスなどという甘い響きが残る言葉を言いたくない、まさにただのファックとしか言い様のない描写。
「それなら、シャワーのあるところでしたのに」と彼女を冷たく見下ろして彼が言ったのは、……ちょっと台詞を聞き逃してしまったんだけれど、まさか彼女、初めてだった訳じゃ……ないよね?
その後も祐一郎は真下をソデにし続けて、業を煮やした彼女は授業を録画した後にビデオレターをつけて彼に渡す。そこには妊娠したことに戸惑う彼女の告白が録画されていた。
それでも祐一郎は真下を避け続ける。ついには彼を待ち伏せするほどになった彼女を連れて、祐一郎はある部屋に入っていくのだが……。

祐一郎がギャンブルで作ってしまった多額の借金を返済するために、危険な治験のバイトに手を染めるのがこの物語のキモである。
臨界事故、それによってこれから予想される病気に対処するための、つまりはモルモット。治験者のほとんどが、もう先も短い老人が老後を豊かに暮らすための金を得たいと申し出るような、つまりは超危険なバイトだった。
祐一郎はそれを、幼なじみで今やただイッちゃってるだけのようなチンピラ、甲斐から紹介される。
甲斐は祐一郎が借金しているヤクザの娘と駆け落ち中で、追われている身。しかし彼はなにかと祐一郎に連絡をとってきて、「この街から一緒に逃げよう」「愛してる」などと口にするクレイジーな奴。ついに最後には祐一郎の放つ銃弾に倒れてしまう……。

この甲斐を演じているのが、峯田和伸。「アイデン&ティティ」で初めて存在を知って、「少年メリケンサック」でも圧倒的な存在感を示していた彼。
“ロックミュージシャン”ではない役、では初めて見るんだけれど、それでいきなりコレなんだから、ドギモを抜かれてしまう。
甲斐は果たして祐一郎のことが実はマジで好きだったのか。駆け落ちしている娘は超ぶっ飛んでいて、追っ手の頭に容赦なく銃弾を何度も何度もブチ込むような、ちょっとどころでなくかなりサド入ってるイカれた女なんである。
甲斐も一見、イカれているようには見えるんだけど、執拗に幼なじみの祐一郎を呼び出しては、一緒に逃げようと言うのがなんか……ホンキで祐一郎が好きなんじゃないかって、思えちゃうんである。
だって確かにこのつくばの街は今、危険なんだし、むしろこの街に留まり続けている祐一郎の方が危機感がなさすぎるのかもしれない、と思う。
甲斐が祐一郎に連絡をとる最初の場面、「愛してる」と言う甲斐に祐一郎が「犬とでもヤッてろ」とつぶやくのは、実際そういう甲斐の気持ちを充分知っていたようにも思う。

このシーンのすぐ後だったように思う。祐一郎が真下とカラオケボックスでファックしていたのは。こんなカワイイ女の子のヌードなのに、カタチのいいオッパイなのに、エロな雰囲気がまるでない寒々しさが痛々しい。
それは後に祐一郎が、病院の夜勤室で奔放なナースとファックするシーンもそうなんである……まあこのシーンは、ナースの方がヤル気マンマンで誘ってきたようなところがあるし、そういう雰囲気がないのは当然といえば当然なんだけど、カラオケボックスといい、粗末で狭い夜勤室といい、本当に、ヤるだけの空間があればいい、という視線があまりに痛々しいのだ。

そんなファックでも子供は出来る。しかしここは臨界事故があったつくばで、祐一郎は多額の借金を返すために、被爆する治験のアルバイトに臨み、これからはもう……マトモな子供など作れない身体になってしまった。
それでも真下の方は、その前に出来た子供なんだし、そうじゃなかったのに、なのに祐一郎がラストに、レントゲン写真、つまりは放射能を浴びる写真を何度も何度も「もう一枚」と繰り返して二人の“記念写真”を撮り続けるのが……。
祐一郎にアタマをガシリと押さえられて、判らないままに、飼い主に従う小動物のように「もう一枚」の光にさらされる彼女が……。

祐一郎はバシャリと落とされる放射能の光を浴びながら思った。もはや遺伝子の可能性に頼るしかないのだと。自分たちの子供、頭が二つになって生まれるかもしれない子供、それが“遺伝子の可能性”なのだと。
祐一郎が師事している映画監督の藤森もまた、似たようなことを言っていた。彼は末期ガンに冒されていて、もはやこのつくばの街の放射能での突然変異的な奇蹟に期待するしかないなんて、尋常じゃないことをホンキで言ってた。

突然変異の植物、まるで怪物のような姿に変異した植物が、強烈な印象でインサートされる。祐一郎のために真下が録画してくれた授業の、そのサブ資料。
植物が、人間なんかよりずっとずっと長い時間生き抜いてきて、その過程に、時には退化とも思えるこんな変異があるのなら、それは退化ではなく、進化なのかもしれないと。
進化とは、頭が二つに分かれた赤ちゃんが産まれることなのかもしれないと!?

でも、それをむげに否定することは出来ない。人間は、自分たちだけが特別だと、傲慢に思って生きてきたのだ。今の姿が完璧だ、完成形だと思って。頭が二つに分かれた赤ちゃんを怪物だと思うのは、人間の傲慢なのかもしれない……ずっと先輩の植物は、その程度の“変異”を何度も重ねて、生き延びてきたのだから。
放射能で生まれる奇形動物は、まさに人間の欲の果てに生まれた残酷な結果だけれど、結局長い年月の果てに生き残れるのは、人間の方ではないのだ、きっと……。

祐一郎が治験室で包まれる光は、まるで太陽のように暖かだった。
それは、彼が長年そんなあたたかな太陽を浴びた記憶がなかったせいかもしれない。
それぐらい、本作の空気は曇天なのに湿っぽささえなくて乾ききってて、寒々しかった。

冒頭の母親との会話でね、学費の話をしていたと思うんだけど、祐一郎、「1千万あったら、映画撮るよ」と言うのね。母親、「そんなお金じゃ映画は撮れません」と言い放つ。
私はてっきりこの時点で、彼は映画制作を目指す学生なのかと思ったら、違うんだよね。映画は好きで父親の患者だった映画監督の藤森の手伝いはしているけれど、つまりはそれだけで、映画が撮りたいなんていうのも、ホンキっぽくない。
なんかそれも、ひどく皮肉に思えるのだ。彼は医学部を目指してて、でも何年も浪人してて、つまりは落ちこぼれで。でも偉大な父親の後を継ぐ自負もあって、父親の存在を利用してヤクザからの借金も、半笑いで受け流しているようなところがあって。
でもだからこそ……自身の存在はメチャクチャどん底で、映画が好きなのに、映画を作ってる人たちをどこか見下しているような雰囲気も感じられて。

危険なアルバイトに手を染めようとするいとこの祐一郎を、一度は止める医師の信一(大森南朋)だけれど、結局は「なんてことなかったろ」と言うに留まる。
タイトルの「USB」は、治験患者のデータが入ったUSBメモリのこと。こんな小さな金属の中に機械的に一人の人間のデータが“全て入っている”とされてる。しかもそれは、パソコンにサクッと差し込むだけで、全てが表示される。
古いパソコン時代から格闘しているアナログ人間だと、USBメモリ以前の、USB差し込みのカンタンさの時点であまりに衝撃的で、私はUSBメモリはまだ使ったことがないんだけど……それでも、だから、このタイトルだけで、なんか凄く……それまでタイヘンだったことがカンタンに“なっちゃう”カルさの怖さをダイレクトに感じたんだよね。

私はいまだに、ネジでグリグリやる差し込みに信頼をおいちゃうような、アナログ人間なんだもの。しかもそのサクッと差し込んだだけで、一人の人間の全てが判るなんて、思いたくない。
そんなことを思うほどに、単なるガンコ老人になってく感覚は否めないけど、でも便利に、簡単に、なるほどに、やっぱりそんな風に、重かった筈の価値が軽くなっていくことを象徴している気がして仕方がない。
そんなベタなことを奥監督がストレートに主張しているわけでもないとは思うけれど、そんな浅さじゃ語れないと思うのだけれど。

ふとした場面で祐一郎が訪れる、寒々とした海が印象的だった。生き物の誕生も望めないように思える、灰色の海。彼はそこで、どこかやりきれないような風情で自らをもてあましていた。★★★☆☆


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