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「と」


2015年鑑賞作品

トイレのピエタ
2015年 120分 日本 カラー
監督:松永大司 脚本:松永大司
撮影:池内義浩 音楽:茂野雅道
出演:野田洋次郎 杉咲花 リリー・フランキー 市川紗椰 古舘寛治 MEGUMI 岩松了 大竹しのぶ 宮沢りえ 森下能幸 澤田陸拓


2015/7/16/木 劇場(新宿ピカデリー)
デカいシネコンとUPLINKなんていう両極端な劇場での公開だと、かえってすぽんと見逃してしまう。
ふっと目に入った上映予定、風変わりなタイトルに惹かれて作品情報を見たら、あの「ピュ〜ぴる」の監督さん!!ということで慌てて予定に組み込んだ。劇映画としては本作が初なんだという。これは見逃す訳にはいかない!

ラストクレジットで原作(原案?)が手塚治虫となっていて、驚く。それを知らないで観て良かったという思いと、そのアイディアはどんなものなのか、そのアイディアからどれだけのオリジナリティがふくらまされていったのか、という興味はふつふつと湧き上がる。
トイレに描かれたピエタ、という部分だけだったのだろうか。トイレという不浄の場所は、確かに逆説的に色んな意味合いが含まれている、といか、見出せる、というか、イジワルな言い方をすれば、どんな意味でもとれちゃう、みたいなところがある。つまりツカミとしてはかなりなOKである。
そこにピエタ。息絶えた息子を抱くマリア様のこと。思えばなぜその図だけがピエタと呼ばれるのだろう。その言葉の意味だけならば、憐れみ、慈悲ということになるんだという。

キリスト教は唯一神の男性神で、キリストの母に処女性を求めるといういろいろとフェミニズム野郎が言いたくなる要素が盛りだくさんの宗教(爆)。このピエタという図に、男が女性に求める許しが象徴的に示されていると、フェミニズム野郎ならついつい言いたくなる訳で、そうなると、勝手にマリアに描かれて、つまりマリアにされた真衣ちゃんが泣きながら激怒したのもさもありなんと思い……。
まあ、彼女はそんな理由でじゃないのかもしれないけど、でもこの子の持て余した怒り爆発は、どこかそういう純粋さも含んでいると思われたからさあ。死ねばみな仏になるから慈悲の心を、って、それじゃ仏教だっつーの!んでもって、女はみんなマリアになって男を癒さなきゃいけないの……??

おっと、フェミニズム野郎なもんだから、ついつい勇み足をして最後まで行っちゃった(勇み足過ぎ!!)。
恐らく手塚治虫から頂戴したのは、トイレに描かれたピエタ像のみと思われる。そこからふくらまされた物語は、突然スキルス性胃がん、余命三か月と宣告された青年と、偶然出会った、世の中の不条理(というか家庭の不条理)に怒りまくっている女子高生とのお話。

青年は入院先でマイペースな患者(リリー・フランキー)と出会い、院内学級の子供たちと出会い、ゆっくりと開眼していく。ていうか、彼は美大出身、画の才能は仲間も皆認めるところだったのに、なぜか(理由は特に明かされない。理由など、なかったのかもしれない)絵の道を辞め、今は窓清掃の仕事についている。
仕事と言ってもバイトである。ベテランらしく、正社員にも誘われているのに、「窓拭いてる俺らって……虫みたいですよね」とシニカルなんである。

ボロいアパートに住んでコンビニ弁当と缶ビール(でもビールなんだ。発泡酒とかじゃないというのが、この生活レベルでは若干の違和感などと感じるあたりが、貧乏くさい??)で命を長らえている。
過去の回想も出てくる。窓清掃してる時に、その窓を開けて「久しぶり!」と言った美女が、元カノだった。そこで彼女は個展をやるのだと言った。
見るからに美人、メイクもアクセもファッションも完璧。個展はオシャレな雰囲気で、観に行った彼、……そろそろ役名言おうか……園田宏君は完全に浮いている。
でもそれはおかしい。芸術なんだから、全ての人に解放されている筈。なのにここでは、芸術という言葉が世間の人に与えるイメージそのままに、ハイソサエティな雰囲気が漂っている。

園田君がなぜ絵を辞めたのかは劇中では明らかにされていないけれど、この元カノが成功したアートの世界は明らかにセレブリティの世界で、有名な賞をとったり、有名なライターに引き上げてもらったりすることが大事なんである。
後にこの元カノとそのライターに遭遇する場面がある。君が才能あるってよく聞くよ。僕で良かったら力になるから作品見せてよ。そう、かーるくこのライターは言う。いかにも自分には審美眼があるという感じで。

もう余命いくばくもない園田君はそれどころじゃないから断る。それにあからさまにむっとしたライターは、「君みたいに、才能があるから判ってもらえなくてもいいんだとかいうヤツが一番嫌いなんだよね」と、吐き捨てる。いやいやいや、断っただけじゃないのと。
そしてこれが世間というものなんだと。純粋な芸術など存在しないんだと。芸術家を紹介して悦に入っているパトロンたちが跋扈しているだけなんだと、何かジェラール・フィリップの映画を現代に焼き直した感がしてしまう。

おっと、またなんかいろいろと個人的な思いで突っ走ってしまった(爆)。概略、概略。
あー、でも、アートの世界で描くっていうのはヤハリ、もちろん元ネタのピエタ像ということがあったんだろうけれど、「ピュ〜ぴる」で存分に現代アートの世界を、個性的な主人公という立場からではあれど、掘り下げてきたから、やはり意味合い的なものを感じちゃうんである。
キリストもピエタも、めちゃくちゃその性に縛られた存在だけど、それに何の疑問も持たずに微笑んでいる、というところも妙に意味ありげである。
そして逆に、本当に真逆に、園田君も真衣も、こうであるべきという世間的常識にもがき苦しんでいるのだ。

いや……園田君に関しては、かなりナゼ?な部分が多いので、あくまで推測するしかない……芸術的才能を持った人の気持ちってところをね。
真衣ちゃんに関しては、かなり明確な理由が提示される。母子家庭。認知症気味のおばあちゃん。お母さんは娘に家事や介護をまかせっきり。私はカネを稼いでるんだからとビールをあおりながら、またこのおかずかよ、ババアの風呂頼むな、とザ・傍若無人。
あまりに判り易く傍若無人過ぎて、ちょっと心配になるほど。いや、それこそ判り易く、介護に悩むのはまずその母親であるべき、なんて言っちゃったら、そもそも論になってしまう。

そもそも、介護を家族に負わせる今の日本社会の問題なのだ。それを、さらに孫娘がそれを負っている、という、問題提起というよりは可哀想という言葉にすり替えられたちょっとした美談にして、更にそこから、苦しむ若者同士の切ない純愛ストーリーにされちゃったら、……違うなあ、と思っちゃうのだ。
いや勿論、作り手さん側にそんな意図はないだろう、本当に苦しんでいる人を、真摯に描いている気持ちだろう。でも、この怒りっぽい女子高生が遭遇している理不尽な状況が、かなりの尺の短さで、いや、勿論十分に判るだけの描写ではあるんだけど、そうした状況に至るまでの事情も判らなければ、母親があまりにも記号的にヒドイヤツだし、そういう程度では今はナカナカ単純に共感できかねるんだよね……。

真衣を演じる杉咲花嬢はとても良かったとは思う……少なくとも、作り手側が求める、怒りを持て余した女子高生を体現していたとは思うけれども、なんとゆーか、ただただ怒ってるだけで、だんだん見てるこっちが気分が悪くなってくる、のは、年をとったせいなのだろーか、素直な子が好きよとか思うのは、外面のいい子に騙されているんだろーか(爆)。
でも、キツかったなあ。だってその相手となるのが、余命三か月という事実にいきなり直面したワカモンなんだよ??その彼に対して、だったらさっさと死のうよとか、意気地がないとか、そうかと思えば、私が生きてるんだから死ぬなとか、いちいち激怒しながら言うんだもの。あー、判んない。

いや、作り手側が示そうとしていることは判るんだけど……。彼女はまだまだ、判らないのだ。確かにとてもつらい思いはしている。でも大人になることも、大人とはどういうことかも、生きることも、死ぬことも、判ってないのだ。
最後の二つは大人だって一生判らないことだけれど、突然死の宣告を受けた人ならきっと判るのだろう。園田君はこの若さあふれる女の子に終始翻弄される。恋だったのか?そうなんだろうか……。

一応タテマエは、この二人のラブストーリーということらしいんだけど、見ている限りでは正直、そこまでは感じなかったかなあ。恋未満、という感じだった。
いや、今時キスだけで恋とか言うなとかゲスなことを言うつもりはないが(ほとんど言ってる……)、正直なところ、真衣が始終怒って、園田君の必死の反駁をただただ罵倒して潰しているのが、ただ辛くて見ていられなくて、それが彼女の彼への恋心だとか、若さの持て余しだとか、ここまでくるとそこまで優しい気持ちになれなかったというかさ……。

体当たり、若さの爆発っていうのは演技プランとして判るんだけど、魅力的だとは思うんだけど、このキャラクターに合っているとは思うんだけど、ホントに、なんかだんだん、この子のキツさに、ツラくなってきたの!!
確かにさ、園田君のことを好きじゃなきゃ、病院まで会いにきたり、連れ出したり、呼び出しに応じたりしない。一緒に学校のプールに金魚を放って飛び込んだり、その中で突然のキスしたり、胸キュンのシーンはある。あるけれども……。

それはアレかな、死を宣告された人、に対する思いが、割と直近で父親を亡くした経験をしちゃったから、素直に受け取れないものがあるのかな。
本作の中で、私にとってはこの若い二人の恋愛感情よりも、あとどれぐらいと宣告されたならば、どう過ごすかということの方がよっぽど重要事項なんだもの。
実際それは、本作のメインテーマであったろうと思う。スキルス性、もう死の宣告をされたと同じものだ。だからこそ園田君は入院に縛られることを拒否して脱走したのだろう。
このあたりは難しい選択。実際、結局は園田君は入院生活を送り、万一の可能性を信じて手術をしたのちに、転移が見つかって積極治療で身体がつらくなるよりも……という遠回しの言い方で、悔いのない“余生”を送ることを言い渡される。

万一の可能性を信じるか否かという時点から、それがダメとなっても、更に万々一の……という人もいるだろうし、その時々の医療技術の進歩具合に、どこまで奇跡を信じるか、どの時点で諦めるか、というのが、医者や病院によっても変わってくるし、本当に難しい問題。
その問題を本作で云々するのは違うんだろうとは思う。でもそういう目で見る観客はいっぱいいると思う。だって、そもそも、だよ。そもそも論。手塚治虫のアイディアがクライマックスに使われる、それは、最後の時間をどう過ごすか、園田君は、自分が生きていることを確認するためにそれを使った、それは、こういう状況でしかできないことだった、“普通”に長生きして天寿を全うする人にはできなかった、ということなんだもの。

両親のいる田舎に帰ることをせずに、園田君は一人暮らしの部屋でそのまま最後の時間を過ごすことを決意した。そこで描いたのがトイレのピエタ。見るからに真衣ちゃん、なんである。
その前に重要なエピソードがある。院内学級に通う少年と親しくなり、その母親も伴って教会に行った時にピエタ像と遭遇するんである。少年は亡くなり、母親は息子の絵を描いてくれないかと言う。でも園田君はそれを断るんである。

母親を演じるのは宮沢りえ。めっちゃ豪華!!無理なお願いをしてごめんなさい、と立ち去った後、こらえきれずに号泣してしゃがみこむ彼女を茫然と見つめる園田君。
正直、後になってでもこの子の画を描いてあげるのかと思ったら、園田君が描いたのは、自分が抱かれるためのピエタ、真衣ちゃんだったんだよね。それだけだったんだよね。残酷なまでの真実。二人の間に恋があったのならば、残酷なまでの。
でもそうだよ、死んじゃうんだもの。自分が死んじゃうんだから、たとえ自分より幼い命が失われようとも、自分のためだけに時間を使いたいに決まってる。

恋という感情がリアルに感じられなかったとしても、私自身はやはり死にゆく時間の方が関心があるからさ……経験的にも、年齢的にも(爆)。
真衣ちゃんの描写は、若干、高校時代恋していた憧れの同級生、的なことを感じなくもなかった(爆)。勝ち気で、群れなくて、学校も平気でさぼっちゃう。
彼女自身は理不尽なことに苦しめられていたんだろうけれど、それに黙って従っていたことが不思議なぐらい、強いよ。
通常の女子高生はこんなことは出来ない。表面上はJKのかしましさを保ちながら、いろんなこと我慢してる。ストレートに怒りをぶつけるこの子にイマイチ共感できないのは、そのせいかなあ。

園田君を演じているのは、人気バンドのボーカルさんなんだという。確かに風貌は昨今流行のイケメンではない。もう、昨今は誰彼かまわずイケメンというからイラッとするが、確かに彼はイケメンではない(爆)。そういうのが、本当に重要な時代になった、というのは、だ、大丈夫なのだろーか(爆)。
キャラからして絵を描く人なのかとも思ったが、そうでもない。でもでも、クライマックスの、ペンキにまみれてトイレの中に絵を描くシーンは素敵だった。まさにあのシーンのために本作はあったし、エロカメラ小僧というキャラを与えられたリリー氏もそのための存在だったように思う。
「今、生きています」と久しぶりの画を存分に描きながらつぶやいた園田君を、いつもはエロ妄想写真ばかり取っているカメラの中の、動画に収めるための。

でも、結果的に。究極的に。園田君がなぜトイレという場所を選んでピエタ、あるいは恋する少女を描いたかというだけの説得力があったかなあと言えば……。
いきなりトイレにピエタを描く、という感覚は否めなかった。台詞上では生まれるとか昇華とか言っていたとは思うけど、それまでの経過を見る限りではイマイチピンとこなかった。そもそものアイディアにたどり着くまでの作劇っていうのは、生死を問う問題なだけに、難しいんだなあ……。

それにこのボロい自宅に、それだけのアイデンティティを見出していたかというのも劇中からは感じられなかったし……それは実家に対してもそうなんだから、どちらかといえば、ということなのかもしれないけど、でもそれじゃあ、トイレにピエタを描くだけでそれを得られるというまでの強さを感じられるかと言えば……やっぱり難しいよ!
私的にはさ、一人暮らしの一人部屋が大好きだから、かなり誇りを持ってるし、自分的に楽しく暮らしているから、そーゆー男子っぽい暮らし方でテキトーにしてほしくなかったなあ。★★★☆☆


東京の日
2015年 102分 日本 カラー
監督:池田千尋 脚本:池田千尋
撮影:池内義浩 音楽:茂野雅道
出演: 趣里 佐々木大介 浅野千鶴 小澤雄志 田中佐季 山田純大 渡辺真起子 香川京子 佐藤岳人 紗都希 細田理心 村木雄 勢古尚行 井神沙恵 満園雄太 湯舟すぴか 谷口裕太 渡辺拓也 岡明子 木谷賢史 笹野鈴々音 塩谷哲 関菜月 たむらがはく 龍健太 米谷浩実 和田幸子 渡辺拓真


2015/11/12/木 劇場(渋谷ユーロスペース)
この監督さんの作品を観るのは四本目、かな??そんなもんなのでそうそう言えるものでもないんだけど、なかなかすっと入らない、のは、もはや相性のような気がしてきた……。
本作も、そうね……だからもう、最初に外側だけ書いてみようと思ったり。

主人公は男の子だろうか、女の子だろうか。カフェでバイトしている20代後半と思しき本田君。そしてそのカフェに重そうなスーツケースを引きずって閉店まで居座っていた女の子、アカリ。
本田君はバイトの後にバーで隣り合って飲んでいた女に「本田君の家に行きたいな」と言われ、そのままセックス。アカリの方は朝になってもスーツケースを引きずってフラフラ。
その様子を見つけた本田君は見かねて、というか行きずりで、という感じで、彼女の勤め先のスナックに、スーツケースを運ぶのを手伝ってやる。

勤め先っつっても、どうやら飛び込みらしい。ママの衣装を借りて、仕事を始めるも、行くところがないというアカリを見かねて、というか流れという感じで本田君は自分の家に連れてくる。
アカリは妊娠している、と言い、こわばった様子で本田君を警戒している。その一方で、置いてもらっているお礼、といって、洗濯やら食事やらを作る。本田君はあまりありがたくなさそうだが、でも特に拒絶する様子もなく、だらだらと時が過ぎる。

カフェの女主人、客からカレーの味が変わったと言われたことがキッカケとなり、それまでの疲れがたまって一時休業。本田君はまるでリストラされたサラリーマンのように、アカリの目をあざむいてフラフラ。
友人の家に遊びに行って、いまだにバイトでもないだろ、と仕事を紹介される。この不景気に恵まれたヤツだが、どうも気乗りしない様子。
てゆーか、何に対しても、誰に対しても、彼は感情というものが動く様子がない。なもんだから、そりゃあじきにアカリも、誘われてヤッちゃった女も怒り出す。

その間にカフェの女主人の弱った状態とも、流れでそんな感じになる。本田君の留守中にそのヤッちゃった女が訪ねてきてアカリと修羅場になる。
本田君が何を考えているかわからない、とアカリまでもが怒り出す。アカリ、その後自身の不倫を清算。ちなみに当然妊娠もウソ。そしてアカリは故郷へ帰っていく、と。

まあとりあえず、本田君の役回りはよく判る。彼は流されるままに生きている男。一見して柔らかで人当たりは良さそうだが、ちょっとよく見ると、何を考えているんだか、人に対する感情とかが、まるで判らない。
”一見して柔らかで……”てな部分が女を惹きつけるのか、本作の中でもやたらと女にモテる、というか、勘違いさせる、というか、まあそんな感じなんだけど、でも観ている側としてはこの時点でなんだかピンとこない。
彼の役回りは判る。そういう男だということを描きたいんだろうなと思う。女の側から見てイライラする男。

口当たりのいいことしか言わない。自分がイヤだと思っていても、その場をめんどくさくしたくないからというのがアリアリな、口当たりの良さ。
それなのに困っている女のことをほっとけないみたいな態度をとり、しかしその後のケアは特になし。
好きでアプローチしたのに、「流れで(セックスした)」とか言いやがる。みたいな。判る。そういう役回りだというのは本当に良く判るし、そういうイラッとする男を描きたいというのも判るんだけど……。

まるで彼は人形のよう。その、イライラするだけの優柔不断さというか、誰からも嫌われないように流すとか、そういった意味付けすら感じられない。ただ、覇気がないようにしか見えない。
表情も、しぐさも、ああ……という感じで、冒頭、流れで女とセックスしたんだからアカリを連れてくるのもそういうガツガツした思いがあるのかと思いきや、それを警戒しているのはアカリの方だけ、という描写にしか見えない。

本当は、彼の方にもそういうヨコシマな考えがあったのかもしれないが……この設定だとそれは当然だと思うんだけど……あまりにも動きのない彼の芝居に、何を考えているのか判らないよ!!と女たちが憤る前に、そもそもそんな人形のようなコイツにそんなに怒るまで執着する理由が判らない……と思っちゃう。
女がイライラする男、を描くというコンセプトは判るんだけど、それはイコール、彼の中身を描かないということではないんではないの……と思っちゃうのだ。

本田君がね、いろいろ女の修羅場をさらりとくぐりぬけて、最後の最後、アカリが出て行ったのかもしれないと思ったら怖かった、とか突然言い、なんかぼんやりとその意味を考えていたら、アカリが感激の涙を流して「私と一緒にいたいの?」
はぁ!?そんな重み、今の台詞にあった??てか、彼からそんな感情、全く感じなかったんですけど!!とかボーゼンとしているうちに、黙って彼女を抱きしめるのにはかなりアゼンとした。
本作で最もキツかったのは、彼がまるで幽霊みたいにつかめないところ、だったかなあ……。劇中の女たちにつかめないのは仕方ないにしても、観客には少しは手掛かりが欲しい。そうでなければ共感のひとしずくも得られない。

女の子たちにも共感するのはかなり難しかったけどね……。まず、あのバーで隣り合わせになった女。女、などと言い捨てるのは抵抗があるけど、まぁ、女、である。
このバーで隣り合わせて呑んでいるシーンが二回あるだけだし、台詞からして明らかにヤリたくて誘っているだけとしか思えない。つまり、彼女がカン違いをするほどに、二人が関係を高めているようにはどうしても見えないのだ。

実際は(というのもヘンだが。だってこの映画の中だけしか事実はないのだから)それだけの経過があったのかもしれないけど、観客としては、「まぁ、そういう流れだったから」という彼の台詞がすべてのようにしか思えない。
ここはアレですか、それが不誠実だとか言うんですか。も、それこそこの流れで、セックスすれば好きだということ、つまりカノジョ!みたいに思う方が相当イタイのでは……。

二度目のバーのシーンで、この本田君の台詞にキレて、「何にも考えてないんでしょ」と言い放つこの女には本気でアゼンとした。ある程度、大人の世界にはあることなんじゃないの??
しかもその後、彼の部屋に押しかけ、出てきた女に逆上して、「バカにしてんの!?」この台詞、この現代においても有効なんだろうか……かなり背中がむずがゆい気がしたが……。あの経過で本当に期待していたんだろうか、まさか……。

でも、本当はアカリこそが、ヒロインの彼女こそがかなりのむずがゆさ、なんである。そもそもこのシチュエイション、行くところがないと言ったらウチに来る?と男に言われ、ホントに居ついちゃう。
当然そういうことを予測するも、妊娠というウソをついてガードする。ガードするぐらいならついていくな、そもそもいい年をした大人の女が、いい年をした男の部屋に居候、という設定に持ち込むには甘すぎる、んじゃないのかなあ。
後から事情を知れば、本当に飛び出してきたという事情は分かるにしても、この場合、勤め先のスナックのママが行くところがない、というところまで知っていたのなら、フツーに考えてこっちに相談するのでは……とマトモに思っちゃう。
そーゆーツッコミはつまらないとは思うが、そーゆーツッコミをしたくなる甘さなのよ。

アカリが料理を作るシークエンスが最も見ていられなかった。女がお礼、というか、つまり交換条件として差し出すのが料理、というのが、フェミニズム野郎にとっては最もいたたまれないのだ。
しかも、あのやたらでっかいおにぎりを朝から出されて、食欲以前にプレッシャーに潰されているようなダンマリを決め込む本田君に、更に「朝食食べない派ですか!」とラップにくるんで持たせるのにはアゼン。こ、これはキツいだろ……。
”夕食”も山盛りの炒め物一品をドーン!とおいて、本田君が美味しい、と言うまでじーーーーっと彼を見つめ続ける。き、キツい……。何か感想を言うまで見つめ続けるのは一貫していて、これって料理で男の心をつかもうとする女子の、最もイタい描写だと思う。

それを作り手側が判ってやっているのかがイマイチ判らんのよ。おにぎりお持たせにしても、炒め物ドーンにしても、今日の夕食は何がいいですか、と聞くという、めんどくさがってるのが判らんのか、イイ年こいてテメー!という場面にしても、しかもそれが恐るべきオムライスなんて幼稚園児かっ、というメニューにしても、そしてそれを、帰ってこない彼の分をテーブルの上におきっぱにして、ベッドの中でまんじりともせずに待っているにしても、イタすぎるだろ……。
これってさ、逆に男が考えるイタい女の描写のような気がするし、実際、幽霊のような覇気のなさの本田君にしても、それがかなりツラそうに見えたんだよね。

なのに、なのによ、あの修羅場事件をぶつけられて、突然彼、「帰ったのかと思って怖かった」とか言いだして、まあ先述の私のアゼンよ。で、なんかラブラブな感じになっちゃって、翌朝、アカリの作ったおにぎりをおいしそうに頬張るしさ。
あの時、美味しくないならそう言ってほしいと言われて、微妙な顔をしていたから、てっきり美味しくないのにいつでもハッキリ言えないのかと思ってたのにさ。
だって実際、カフェの女主人のカレーの味だって、ハッキリ言えなかったじゃない。なのに何なの、ワケ判らん!!そもそも、炊きたてご飯を朝食にするのに、なぜわざわざおにぎりにする必要があるのだっ。

スナックのママの渡辺真起子は一人、リアル感満載で気を吐いている。彼女が、流れでアカリをかまっている本田君の耳元で囁く「そういうの、カッコいいと思ってんの」という台詞を始め、本当にこのママが本田君に言い放つ台詞だけは、ズバッと貫いているんだよね。
流れと人に嫌われたくないことと、現状を動かすのが面倒、みたいな彼の本質をズバッと言う場面がいくつもある。それが出来るのに、なぜ他が描けないの、と思っちゃう(爆)。ワカモンを信じてないの?それとも……。

本田君が苗字だけの設定、というのが妙に納得できるものがあった。まあ、女の子が下の名前だけというのもフェミニズム野郎としてはイラッとくるものがあるが、本田君が苗字だけ、というのは、彼が他人にパーソナルな部分を見せていないという感じは凄く、したから。
アカリが本田君に見守られながら不倫相手と決着をつけるのだが、あれってつまり、相手を東京に呼び出したということ??だって、酔っぱらってクダまいてたよね、「私は自分の意思で東京に出てきた!」って。
自分はイナカモノだからと言って、東京タワーにキャーキャー言ってた。てことは、呼び出したんだよね??で、コップの水をぶっかけて、清算、ですか……。彼がトイレに立たなかったら、その隙にさっそうと出て行くことも出来なかったのでは……。

そもそもイナカって、どちら??アカリはイナカから出てきたから東京タワーにキャーキャー言い、すぐ慣れるよ、という本田君に慣れませんよ!!とまだはしゃいでる。
つまり本田君も地方出身だと言う。でもアカリにしても本田君にしても、そういう、地方出身という設定が全く、活かされてなかった、よね?
別にね、地方出身だからどこか限定して訛れとか、そこまで言うつもりはない。でも、地方出身だから、という表面上だけでは、そもそもアカリと本田君の邂逅の意味がない、気がする。

だったら本田君は最初からアカリ言うところの”東京の人”でいいじゃんと思う。わざわざ、「自分も地方出身だよ」と彼に言わせるなら、彼と彼女のバックグラウンドの葛藤がそれなりにあるべきなんじゃないの。出す気がないなら、設定なんて意味ないよ。
東京の日、東京の人、なんでしょ??すべてを投げ捨ててスーツケースひとつで東京に出てきたんでしょ??なのにどこから出て来たかも、訛りひとつも、あか抜けない感じもイマイチで、そりゃないでしょ!!

本作が演劇が元になっているというのをちらと耳にし、ちょっとなるほどと思った。
カフェ、本田君の部屋、スナック、バー、場面ごとのシークエンスがハッキリとしている。そーゆーところが、私が時々、芝居至上主義の向きにイラッとするところなんだけどさっ。 ★★☆☆☆


独裁者、古賀。
2013年 79分 日本 カラー
監督:飯塚俊光 脚本:飯塚俊光
撮影:幡川和雅 音楽:小島一郎
出演: 清水尚弥 村上穂乃佳 芹澤興人 臼井千晶 輿祐樹 松木大輔 大出勉 杉崎佳穂 坂場元 竹本実加 細川岳 菅井知美 町田佳代 福井成明 関根航 ほりかわひろき 山口遥 須田浩章 長岡明美

2015/7/19/日 劇場(K's cinema/モーニング)
映画祭で脚本賞を受賞した作品で、自らメガホンを撮ってのデビュー作品、PFFでも賞獲りしたっていうんだからそんな筈はないのだけれど、ほんの3か月ほど前に観た作品にダブってしまってしょうがなかった。
いや、ダブっているのはほんのいくつかの要素。いじめが題材であること。片親であること。いじめっ子に対抗するためにケンカの仕方をさびれた大人に教えてもらうこと。

いじめが題材になりやすいことは、今のリアルな高校生を描こうと思ったら仕方のないことなのかもしれない、哀しいけれど。そして母子家庭、父子家庭が決して珍しくない現代であることも。
ケンカの仕方を習っても、先に観た作品では勝てるけど、本作では勝てない。無様にやられてしまうばかりなのだから、同じとは言えないのかもしれない。

しかし決定的にダブってしまう要素が、主人公なのであった。両方ともに清水尚弥君。しかも性格というかキャラというか、当たり前だけど見た目も異様に似ている。いや、当たり前ではない。そのうっとうしげな髪型から、いまいち体に合っていない白のカッターシャツから、寸詰まりの学生ズボンから、見た目がそっくりそのまま、おんなじなんだもの!
まるで同じ役柄で二つの映画を撮ったかのようなソックリぶり。教室の片隅でじっと黙って本を読んでいる様までクリソツ。おいおいおーい、せめて清水君よ、つい最近、こんな感じで撮りました、とか言いなさいよ、とか思っちゃう。

本当に、デジャヴに遭遇する思いだった。いくつかの要素が同じでも、他の要素を思えば確かに全然違う。でも主人公の見た目から造形からあまりにもおんなじだから、あれーっ、って思っちゃう。
まあ双方のクリエイターが、清水君がそういうキャラにどんぴしゃりだと思ったからこそキャスティングしたんだろうし、主演を射止めるなんてことはそうそうないチャンス、いくら似てると思っても、そらー受けるであろうが……でもでも、似すぎだよ!!

……うーむ、そこんところはハズして進むしかないか!でもついつい、比べてしまう。かの作品では父子家庭だったのが母子家庭になって、その違いとかが面白いとかついつい思っちゃう。まあそういう相互比較なんていうのも映画を観る時の面白さだから、ま、いっか!(と強引に納得してみる……)。
そう、かの作品では、父子家庭だった。その家庭でも、彼は暴力を振るわれていた。後にいじめっ子が実はヨワヨワだったことが判ることを思えば、この父親こそが彼の敵だったのかもしれない。
でも本作では母子家庭で、忙しい母親の用意する夕食はいつもざるうどんであることをのぞけば、学校を休んでいるとおずおず告白する息子にも、「たまにはいいんじゃない」と、これは投げやりではなく、理解を見せる、といった感じを充分に出して言ってくれる母親というのは、ひどく支えになる存在である。

そしてその彼、タイトルロールである古賀君が恋する、同じくいじめられっ子になってしまう副島さんは父子家庭。ここでも食事シーンのみが親子の描写だが、その場所が居間からファミレスに移ったところで展開が変わる。
父親と娘、というのは母親と息子というのとはやはりなんだか違う。特にこの年頃は、娘は父親を敬遠しがちである。いや多分(汗。他人のことは良く判らない……)。

平日なのに仕事が休みだという父親がファミレスの食事に誘った時に、こらーリストラではねーべかと思うが、確かなところは明かされない。表面的には副島さんが強力ないじめっ子からポジティブに逃げ、高校生活をやり直すためにこの街を出る、という結末である。
でも高校を変わるだけなら、街を出るまではするかなァと思うんである。義務教育までならまだしも、高校からならいくらでも越境できるんじゃないかと……。家まで押しかけていじめられている描写があった訳でもないし……。父親側の問題があったんじゃないかなあ、と思うが、劇中では明らかにされない。それがちょっともどかしい。

うーむ、相変わらずだが、先走り過ぎたか。元に戻って修正。だから、カブッてる要素以外に、いろいろいろいろ、魅力的な要素はあるのだから!
タイトルになっている独裁者、というのは、クラスの投票によって圧倒的多数で学級委員にさせられてしまったから。いかにもイケイケ女子の青木から、「独裁者だね」とささやかれる。

この青木こそがいじめっ子。青木のカレシ、本田もそうなのだが、彼の方は青木に指示されて暴力をふるう、といった感じ。かといって女王様に従うという感じではなく、彼自身も充分にヤンキー的な迫力があるのだが、「本田と隣の席になりたいの、いいよね」なんていう理由程度が“学級委員”である古賀君と副島さんの立場を追い詰める、っていうんだから、なんだかカワイイんである。
でもそのカワイイ理由で、人目につかない階段の踊り場に呼び出されて、ボコボコにされてハズかしい写真を撮られるんだけどね。……正直、いじめっ子がこのカップルと、彼らからは離れて小学生的なちょっかいイジメをする男子二人だけであるということが、若干の弱さを感じさせる。

圧倒的多数で学級委員に推されたのだから、実際はクラス全体からのイジメがある筈なのだが、あるいはこのカップルか男子二人が指示した上でのこの結果があると思われるのだが、このカップルと男子二人はタイプが違うしイジメで結託している風には思われないし、その他のクラスメイトは完全に、その他大勢である。
ちょっと、弱いかな、と思う。男子二人の存在が、古賀君はこんな風にクラスから扱われているんだよ、という描写なのかもしれないけれど、他がないだけに、ただ幼稚な男子という感じがしないでもないというか……確かに古賀君はつらいだろうけれど……。

カップル二人からは陰湿なイジメを受けるのだが、その古賀君を同じ学級委員として推された副島さんがかばったことで、彼女も標的になってしまう。そして彼女はあっさりと不登校。
こんな言い方をしてしまうのはアレだが、確かにこんな目に合ったら学校に来たくなくなるのは当然だが、古賀君の方が恐らくここまで耐えに耐えてきたのだろうということを想像させると、決死の覚悟で古賀君をかばった彼女があっさり不登校になったのが、うーん、とか思っちゃう。女の子の方が強いと思うんだけどなあ。やはりぱんつ丸見えの写真は男の子よりツラい??どうだろう……。

本作はイジメそのものよりも、引っ込み思案の男の子と女の子の、ファーストラブの物語なのかもしれないと思う。先生からのプリントを届けるために、副島さん家に通ううちに、恋が芽生えてしまう。
プリントを届けるて!めっちゃ懐かしい設定!!小学生チックじゃないのお、と思っちゃう。プリントを届けるって、懐かしすぎる。給食のコッペパンとか牛乳とかもあったよなあー……って、さかのぼりすぎか??いやしかし、監督さんは私世代よりずっとずっと若いのだから、そんなことを当てはめてはいけないいけない。プリントを届けるのは現代でもあるのかっ(いいっつーの)。

設定としてこの学校は進学校、担任の先生言うところによると、相応の理由なき欠席が続くと、退学に追い込まれるという。古賀君は副島さんを助けるために、いじめっ子を撃破するトレーニングを始めるが、それを知った担任は「それはマズいんです」という。
そのあたりの理由がイマイチ明確にされないのもむずがゆい。進学校だから恋愛禁止とか??いやいや、だったらあのいじめっ子カップルはどうなる……おおっぴらになるのがダメとか?いやいや、進学校だからって、今時ないだろ、それは時代錯誤過ぎるだろ……。結局、何がマズいのか、明確な説明がなかったんだよなー。そんなにキビしい進学校のようにも見えなかったしさ。

それは、本作の一番のキーマンの存在を理由づけるためであったのか。古賀君にいじめっ子とケンカして勝つ技を伝授する黒柳。黒柳テツオとか、そんな名前だった気がする。笑わせ加減が微妙(爆)。
黒柳さんもそうだし、主人公である古賀君も、その名前を黒バックの白抜きでバシッと示して、その人となりを一つのシークエンスで紹介していくのだが、全てのキャラという訳じゃないし、統一感というか一貫していなくて、構成としては弱かったかなあ、という気がしている。
誰々の場合、みたいな、主観の相違の面白さを提示してくるような構成に見えたんだけど、登場してきた時に印象として名前の挿入、ぐらいにしか感じられなくて、結局その演出も忘れちゃう、消え去っちゃう。もったいないと思うんだよなあ。

この黒柳さんを演じるのが、今の日本映画界で最も個性的な役者と言っていいんじゃないかと思われる芹澤興人氏。いやまあ、いろいろ個性的な役者さんはいるんだから、そんな断定するのはアレかもしれないけど、少なくとも外見的に最も個性的な役者さんと言ったら納得してもらえるんじゃなかろーか。微妙に失礼?いやいや……。
幼少時代もいじめられっ子だった古賀を颯爽と救ってくれた黒柳さんはしかし、男子児童へのわいせつ行為で逮捕され、古賀少年の前から姿を消すんである。古賀少年に対してはほっぺにチュッ程度であったが、他の少年に対してはエグいことをしちゃったということだろーか。それともほっぺにチュッ程度で逮捕されちゃったのだろーか。

高校生となった古賀君にケンカで勝つ方法を伝授する黒柳さん、どうやら古賀君が、好きになった女の子のために頑張っていることを知って、「世間からも法的にも許されるんだから、お前は幸せだよ」とか、言い回しは違ったかもしれないけど(爆)、まあそういう具合のことを言うんだよね。
何かもう、それが切なくって。実はそれが、本作の一番のキモだったんじゃないか、ぐらいに思っちゃって。黒柳さんにとっては、古賀君の悩みなんて、ホント贅沢な悩みに違いないんだもの。

黒柳さんから見事マウントをとって地べたにはわせた古賀君、黒柳さんは祝福に古賀君のほっぺにチュッとやる訳。黒柳さんにとっては、それがせいいっぱいの、法に触れないギリギリの、古賀君に対する愛情表現だったのかなあ、と思うと切なくて。ひょっとしたら、黒柳さんは、古賀君に恋していたのかもしれない……。

担任の先生も、ちょっと気になるんである。古賀君に、副島さんに届けなさいとプリントを渡す。今時プリントかよ、というきっかけを作る先生である。後に、黒柳さんに脅された?こともあって、副島さんの家に家庭訪問に出掛ける。この期に及んで、父子家庭だということを知る。
……まあ、高校生に対しては、そんなもんなのかなあ、と思う。義務教育まではそういうこともマメに調べるのかもしれないが……。金八先生の言葉を持ち出すことしかできない先生は、そう自分で種明かしをしちゃう先生は、なんだかやっぱり、可哀相かもしれないなあ、と思う。

なんだかね、誰に共感のポイントを置いたらいいか、判んないんだよ。いじめっ子が妙に限定されていて、イケイケカップルのその女子の方オンリーっていうのが、彼女がオラオラにいじめるその動機が明確じゃないから、ハッキリと反発もしにくいし……。
この女子、名前忘れそうになる……青木は、いじめる側といじめられる側の感じることを「それは同じことなの」とミョーな哲学的言い回しでケムに巻いて、高笑いする。進学校だから、頭のいい言い方が出来るのだろうか。

いや、いじめる動機なんてないからこそ、イジメなのだ。それはそうだ。ただ、イジメって、そういう、ハッキリとした理由とか動機とかがないままに、連鎖していく、加わらなければいじめられる側になってしまう、という、そういう怖さこそがあって。
でも本作では、確かに古賀君をかばった副島さんに矛先は向いたけど、だからといって古賀君に対する矛先がなくなったかと言えばそうではないじゃない?いじめの怖さというリアリティが正直ニブい気がしたんだよね……そんなこと言ったら、単なるサド的観客のような気もするが(爆)。
でも、イジメというのが現代社会の重要問題であるからこそ、それを出せばオッケーみたいにしてほしくないのだ。

そう、劇中にね、もう一人メガネ女子がいて、あ、副島さんはメガネ女子な訳。んで、そのもう一人のメガネ女子が、私はどっち側ですか?と古賀君に聞くのね。その時には古賀君は何を言われているのか判らない、といった風情だったんだけど、後にあのいじめっ子イケイケ女子が、メガネはもういらないとか、なんかそんな風な言い方をする訳ね。
えーーーーっ!!と思う。そ、それっていくらなんでも古すぎるんじゃないっすか!いや確かに私の時代にはあったよ。子供の頃はメガネザルと言われ(爆)、メガネをかけてるだけでガリベン(もう死語(爆爆))と言われ、メガネをかけてることがイコールイジメの対象であったよ、確かに。
でもそれ、さすがに小学校までだよ。ギリギリ中学まではあるかもしれないけど、高校にもなって、いまだにあるの、ホントに??ううむ、現代日本は退行しているのか、大丈夫なのかっ。

副島さんが引っ越していくところに全力疾走して間に合う古賀君、決死の覚悟でケンカを仕掛けて取り戻した副島さんからの手紙だけれど、でもきっと二人はこれっきりなのだろう。
古賀君が好きな落語をいつか二人で聞きに行きたいと思った。お互いそう思った。でもこの地を離れる副島さんにとっては、古賀君との思いのやり取りより、これから先の新しい高校生活の方が大事なのだ。
だからこその決断、古賀君と一緒の高校生活よりも新しい高校生活を選んだのだもの。恋は青春で最重要項目だけれど、恋より大事なものがある、のかもしれない、だって、青春よりも人生の一ページだから、高校生活は。★★★☆☆


特急にっぽん
1961年 85分 日本 モノクロ
監督:川島雄三 脚本:笠原良三
撮影:遠藤精一 音楽:真鍋理一郎
出演:フランキー堺 団令子 白川由美 小沢栄太郎 中島そのみ 沢村貞子 滝田裕介 太刀川寛 森川信 中山豊 安達国晴 丘寵児 佐羽由子 紅美恵子 中真千子 柳川慶子 芝木優子 横山道代 小西ルミ 佐多契子 田武謙三 石田茂樹 堺左千夫 大塚国夫 谷村昌彦 平凡太郎 塩沢とき

2015/7/2/木 劇場(池袋文芸坐)
まだ新幹線開通前、といっても開業のほんの3年前の制作だから、かなり目前に控えていたことを思うと、感慨深いものを感じる。まだ特急時代、東京から大阪までは実に7時間半。それでも、特急、充分に画期的な輸送手段、セレブリティ的な憧れの的であったことがひしひしと伝わってくる。
車内販売、食堂車をキャイキャイかしましい若い娘さんたち(娘さんたちと言いたい!)がキュートな制服に身を包んでお客様サービスに務めれば、高級フランス料理店のような背の高いコック帽をかぶったコックたちが、戦争のように次々と料理を作る。

一方でかなりお高くとまってるご様子のスチュワーデスたち。スチュワーデス??いや、実際、スチュワーデスと言っていた!そういうお仕事があったんだねえ……しみじみ。
車内販売や食堂車の娘さんたちは確かに可愛い制服だが、いかにも女の子、といった感じなのに対し、スチュワーデスたちは、まさにスチュワーデスななり。きちんとアップした髪も上品で格が違う感じ。明らかに車内販売や食堂車の娘さんたちを見下し、娘さんたちは当然がっつり反発する。
娘さんたちは駅舎の中なのか、寮のようなところで寝泊まりしてて、かしましく慌ただしく仕事の用意をして出かけていくのに対し、スチュワーデスたちは、お仕事の前には食堂車から供されたお紅茶なんかをゆっくりとたしなみ、いかにも高そうな化粧品でぱたぱたお顔をはたいてからご出勤。この二手の女たちのバトルを見るだけでも相当楽しい。

いやしかし、これは主演がフランキー堺なのだから!確かに彼の軽妙なフットワークは本作でも健在だし、クライマックスで悪漢たちをとらえるアクションも圧巻なのだが、もうすっかり、女たちに圧倒されているんだもの!
実際、この特急という仕事場は、確かに運転士や車掌さんやコックさんや、男性たちが重要なポストにはいるけれども、この長旅でお客様を楽しませ、癒し、安心させる最重要ポストにいるのは女たちであって、それが本当に、存分に描かれているのだもの!

7時間半、今考えると長そうに思えるけれども、車窓の景色を楽しんだら、というと「速度が速すぎて、楽しめない」と言うほどに、当時は画期的だったのだ。それでいったら新幹線はどうなるのと思っちゃうが、新幹線でも結構十分に車窓を楽しめる現代を考えると、人の目って慣れるのかもねと思ったり……。
でもとにかく、7時間半というのは、食事なりなんなり、楽しみがないとなかなか厳しく、でもそう考えるのはヤハリ日本人のおもてなし気質かもと思ったりする。広大な外国じゃあ、そんなこと考えずにただただ目的地に着くまでそれぐらいの時間かかるでしょ、てな感じだよね。
こんなところに、今じゃすっかりはやり言葉になったおもてなしなんて言葉が浮かんだりするんである。いや実際、そうだろうと。

なんてツマンナイ個人的感慨で止まってるとちっとも話が進まない。ものすごくいろんなエピソードが詰め込まれた作品なんだから!!
列車の中で様々な出来事が起こる映画、というのは、過去を振り返れば確かにそれなりにあるのよね。でも本作のことは知らなかったし、かなり楽しいと思う!
フランキー堺はコック助手。食堂車ガールのサヨ子とイイ仲で、仕事をやめて一緒にアイノコ弁当屋をやろうと持ち掛けられている。アイノコ弁当??劇中で解説されるに、カマボコとなんかフライが入った弁当らしい、思わず調べると、「米飯に西洋風の副食物を添えた弁当」へーっ!!初めて聞いた!なんか、大阪っぽい!いや、なんでかは判んないけど(爆)。

東京発とはいえ、勤務する人たちはほとんどが大阪人。フランキー堺も、サヨ子に扮するキュートな団令子も軽妙な大阪弁を操る。フランキー堺扮する喜一は東京の一流レストランで修業をしたいと思っているし、スチュワーデスの今出川さんは、彼の腕を見込んで赤坂で高級料亭を開きたいと思っている。
特急、列車という場所故の、ここが最終の場所ではない、安定しない場所だということもあるだろうけれど、東京から発車し、大阪に着く、乗る人たちの出自もある程度限られるような、そんな中での当時の強烈な憧れや羨望やアイデンティティに苦しむさまが透けて見えるような気がする。
いやいやいや、ぱっと見は充分、楽しいコメディなんだけどね!!でも、この列車の中で若者たちは自分の行く先を決める訳だし……。

それは、あんなセレブリティ感満載の美女スチュワーデスでさえ、スポンサー獲得に失敗し、若さゆえのいけいけドンドンの筈の喜一も、最終的にはサヨ子と所帯を持ってアイノコ弁当屋を開くことを決意するという、かなり現実的な方向に落ち着くんだよね。
ちょっと、意外だった。時代かなあとも思った。どうなんだろう……。東京で勝負するとか、夢を追いかけるとかいう風にならないのかと。でも最初から彼らの中には大阪に対するアイデンティティが強烈にひそんでいて、これはつまり、東京なんかにいかなくても何の問題もないでしょ!という結論なのかもしれないなあ。

なんてツマンナイ妄想をしていると、全然面白いところを拾っていかれない。とにかくさまざまなエピソードがあるんだから!!
サヨ子を一方的に気に入って、息子の嫁にと乗り込んできたマダムと、そのナヨナヨ系の息子。マダムはこの日もう一本観た川島作品でも強烈だった沢村貞子で、本当に上手いなあと思う。ナヨ息子は学校教師で、試験の採点を列車の中にまで持ち込んできた彼に母親は嘆息なぞついているが、でも充分息子ベッタリだよねーっ。

当時だからこういう息子キャラになるのだろうが、今だったらマンガとかゲームとかアイドルとかにしか興味がない息子、みたいな描写になるのかな、と思う。
マダムは人当たりのいいサヨ子を、つまりはヨメとして自分を殺して夫や姑を立てる存在だと思ってる訳!!この見立てに多少なりとも皮肉が忍ばせられているのを感じられるのはかなりほっとしたところだが……。これが当然と言われたら、かなりキツいもん!今だってなくはない存在感だからさあ……。

列車の中で締切に追いまくられて、放送台本を執筆しているいかにも売れっ子らしい女性作家が、髪を振り乱して大きな骨付き鶏肉にかぶりついていたり、伊勢参りの講の団体が大合唱していたり、様々な人たちが乗り合わせている特急、というシチュエイションとして、そこここに魅力的なエピソードはあるのだが、最も面白かったのはヤハリ、実業家の岸和田と、その隣に乗り合わせた謎の美女、ヤエ子であろう。
岸和田はスチュワーデス今出川さんのスポンサーなのだが、もう見るからに下心丸見え。今出川さんが、出資してもらうだけと思っていたのが信じられない常識外れだと一目で思ってしまうような、見るからのスケベヤロー。隣の席に、深いスリットの入ったチャイナ服を着た、いかにもワケあり女が座ってきただけで鼻の下が伸びまくり、財布の大金を見せまくる(爆)。

大体、このお札の入れ方、なんなの。普通、財布に収まるようにヨコに入れるでしょ。それを、タテに入れてる。つまり財布を開けば半分出る形でタテに入れてビラビラ大金を見せびらかしているんだもの!!これにはイラッとするより、思わず吹き出してしまったよ!!
その彼をたらし込むヤエ子のエロエロ攻撃も、良かったなあ。思わせぶりにコートなんぞ脱いだりして、コートに見えないの、普通に服に見えるから、焦る訳よ、エロ相手は(爆)。で、脱いだ下はよりエロいチャイナ服な訳!
最終的には彼女は天才的なスリであることが乗り込んでいた刑事によって発覚し、捕らわれてしまう訳だが、あのわっかりやすい色気に、なんかもう、思わず笑ってしまった(爆)。

食堂車には、いかにもヘンな老人が居座っている。酒ばかりくらって、ちっともどこうとしない、ひげぼうぼうの、いかにも奇態な老人。それこそ現代なら、関わりを持つのもイヤがってシカトしそうなご老人。
結果的には彼は口で言うほど大層な人物ではない。この列車には政治家の大物が乗っていて、SPやらなんやらでものものしい雰囲気で、それに言及して爆発だのなんだの、物騒なことを言っていたんだけれど、彼は結局はスリの手下なだけだったんだよね??
ざらざら財布が出てきた時には驚愕よりも思わず笑っちゃったよ!だって量が尋常じゃないんだもの!これが数個だったらリアリティがあるんだけど、ザラザラザラザラ!こーゆーところがコメディとして上手いんだよなあ、と思う。

そして、食堂車にイチャモンをつける、殺し屋を気取っているような二人組もただの小物で、この先の将来に悩んでいる喜一のカンに触って、ボコボコに叩きのめされちゃう。
このあたりがフランキー堺の軽妙アクションの真骨頂で、車窓の外から見た、ちょっとしたサイレントでやるんだよね。サイレントアクションはこの日一本目に観た作品でもあったんだけど、車窓から、というのがよりサイレント感を感じさせてハイセンス。
でも狭い車内だからちょっとツラいものはあったかなあと思うけれど、でもこのシークエンスは、ラストのもう一つのサイレントにつながっている訳だからね!!

今出川さんの出現もあって、ちょっと険悪ムードだった恋人の二人。仲間たちも後押しする形で、大団円につながるラストのサイレント。ソワソワ心配するかしまし娘たち、意地を張って動かないサヨ子、意気地と決心がつかなくて、なかなか彼女にアタックできない喜一、と、お約束のハラハラドキドキ!
でも背中を押されて彼女と抱き合うと、イヤー!!とかしまし娘たちの歓声が聞こえてきそう!いや、聞こえていたかな(爆)。

一方のスチュワーデスの今出川さんは、プロポーズされていたお坊さんとの話はどうなったのか……エロエロスポンサーの存在に彼女の裏切りを感じて、大喧嘩してしまった後、どうなったのか……。
今出川さんに扮する白川由美がさすが、すごくキレイで、ホントにセレブリティ美女で、お高くとまってる感もリアルで(爆)、それだけにサヨ子がピュアに可愛らしく見えるというカラクリではあるんだけれど。
いや実際、かしまし娘たちとセレブリティスチュワーデスの差は歴然で、こういう違い、今では出せるかなあ、という感じがしちゃったよ。

こうして書くと、ホントに主演の筈のフランキー堺の影が薄い??いやいやいや、そんなことはないんだけど!!私がついつい、女の子に弱いだけなのよーっ。
だってもう、冒頭の、起きだすところからかしましくて、きゃいきゃい言いながらシャワー浴びて、ワイワイ出勤するのが、もうそこで可愛くて、心つかまれちゃうんだもん!その頃、喜一たちはセレブリティスチュワーデスに踏み台を貸し出し、至近距離から拝見するその美しいおみ足に鼻の下を伸ばしてるってのにさ!

列車内のさまざま、車内アナウンス、狭い食堂車の厨房、バーカウンターさえもあって、下戸の喜一がウィスキーをやみくもにあおって酔っぱらったり。すぐ着いちゃう今の新幹線ではありえない楽しさと贅沢なの!
もちろん、今の最速システムには感謝してるが、実家の福島なんて近さだと、缶ビールひとつも急いで飲まないとすぐ着いちゃんだもんなあ。★★★★☆


トラック野郎 御意見無用
1975年 98分 日本 カラー
監督:鈴木則文 脚本:鈴木則文 澤井信一郎
撮影:仲沢半次郎 音楽:木下忠司
出演:菅原文太 愛川欽也 中島ゆたか 湯原昌幸 夏夕介 佐藤晟也 誠直也 祝直人 鈴木ヒロミツ 安岡力也 小林千枝 芹明香 叶優子 相川圭子 城恵美 佐々木梨里 山本緑 小坂知子 小松方正 大木悟郎 由利徹 大泉滉 黒田征太郎 春川ますみ 佐藤允 夏純子

2015/8/28/金 京橋国立近代美術館フィルムセンター
トラック野郎、初体験!!いやー、かなりの今更ながら感、もうご縁はないのかしらんと思っていたが、今回の物故人特集で遭遇することが出来た。
その対象は言わずもがなの菅原文太と、そして鈴木監督であるのだが、この上映企画が決まった時にはまだ健在だった愛川欽也までが鬼籍に入られるという……。
しかも、トラック野郎の第一作となった本作は、愛川氏自身の企画原案だったという!!てな情報はウィキなんかでは出てこないが、なんたってあの天下のフィルムセンターがそう書き添えているんだから本当なんだろう!!
なんという奇遇というかなんというか、今回の企画においてさあ……凄く、なんか震えがくるこの合致。

そう、第一作なんだね!上映時間が合って飛び込んだので、観ている時にはそのことは知らなかった。初体験を第一作から入れるのはかなりラッキー。そもそもシリーズものには敷居の高さを感じるから、出来れば最初だけでも第一作から入りたいんだもの……。
それに大抵のシリーズものは最初からシリーズにすると決めている訳ではないから(それが現代の、最初からネラって落っこちるのと違うところ(爆))、凄く詰め込んでるし、勢いがあるんだよね。
正直、若い菅原文太と愛川欽也の台詞が勢いありすぎて早すぎて、60パーセントぐらいしか聞き取れない感じ(私の処理能力が遅すぎるのか……)。

で、後からあらすじ復習したりすると、やはりかなり重要な台詞を聞き取り切れていないことが判明してガクゼンとする(爆)。
物語の中盤、交通取り締まりに引っかかって日雇い労働者に転落してしまったトラック運転手のエピソード、その取り締まりをしたのが愛川氏演じるやもめのジョナサンの警察官時代、だということが聞き取れなかったことは、さすがにショックだった(爆爆)。
ああ、この当時の若い役者たちは、台詞を聞かせようとか考えずに突っ走るからこそ、魅力的なんだけどさあ!!

で、その第一作の記念すべき初代ヒロインが、私知らない人だったので、それにもショックを受けた(爆)。冨永愛ソックリ!!と思うのは私だけ??本当に、タイムスリップしてきたみたい!!
キャストクレジットの中島ゆたか、という名前に完全に男優だと思っていたので、このヒロインはどの女優さんに相当するのかなあ……と、ずっと考えてた(爆)。
ああ、すみません、無知でゴメン!!こんな妖艶な女優さんがいたとは、しかもトラック野郎の初代ヒロインだったとは、本当に、無知でゴメン!!

トラック野郎たちのたまり場となる、中継地点のドライブインで新顔のウェイトレスとなっているのが彼女演じる洋子。
一見してとてもこの場にそぐわない女の子。なんたって菅原文太扮する一番星こと桃次郎は、彼女の笑顔の周りにキラキラ光る星が見えるぐらいなんだから(しかしこの星は、子供が描くきらきら星みたいなチープさなのだが……)。
とにかくワケアリ、というところまでは合っていたが、桃次郎が推察した、実は金持ちのお嬢様、というのはハズれていた。確かに一見して育ちがよさそうなお嬢様に見えたんだけれどね……。まあそのシークエンスは最終なのでとっておくことにして。

そうなのよ、もう盛りだくさんなんだもの!初代ヒロインと言っちまったが、ヒロインはもう一人いる。ボリューム的にも引けを取らず、この作品には二人ヒロインがいる、ダブルヒロインと言っていい構成である。
むくつけき男どもの中で紅一点、まさに掃き溜めに鶴。モナリザのお京こと、竜崎京子。演じる夏純子、彼女はなんか聞いたことあるし、お顔も見たことある(ホッ)。「犯された白衣」でデビューとは!

中島ゆたかもイイ女だけど、このお京の夏純子もまたメッチャイイ女なんだよね!好みとしてはこのお京の方かなあ……。桃次郎にホレてて、罪のないカン違いで、彼もまた自分に思いを寄せていると思い込んでしまう。
そのカン違いの元凶となったのが、函館でストリッパーと恋愛沙汰を起こした万田千吉。最終的には彼からの熱烈アプローチを受け入れる形で、故郷に帰っていく、という役どころ。
愛するよりも愛される方を選ぶ女の切なさを感じさせる、実にイイ女!いや確かに、千吉と幸せになれるよ!頼りない男だが、アンタにホレてるのはもうずっぽりずっぽりホレてるもの!!

ところでこの万田千吉、本作の中で実にイイキャラなのだが、湯原昌幸!?えーっ、こんな顔だっけ!めっちゃずんぐりむっくりで、くるくるパーマでアホで(爆)、冨永愛、もとい中島ゆたかのシュッとしたイイ女とはとても釣り合わない……いやいやだからこそいいんだけどさ!
なんか、私の中の湯原氏は、親しみやすいながらも、もうちょっとシュッとしていたような気がする……のは、単なるカン違いか(爆)。

彼が実にイイのよ。桃次郎は千吉におだて挙げられて行動を共にするようにし、金造との友情を一時中断する訳なんだけど、トラック仲間とのスピード対決に「お願いだから止まってください、死にたくない!!」とハンドルにしがみついてジャマするとゆー、チキンハート(笑)。
桃次郎の想い人をお京だとカン違いしたり(まあそれは、彼の目には飛び切りの美人はお京さんしか入ってなかったということだけどさ)、桃次郎所望のはまなすの花がないからと、カーネーションの花束にはまなす、と手書きで貼り紙して買い込んだりとことごとくアホでなんともチャーミングなの!

てか、そうそう……本作において桃次郎は勿論、金造のことをまず記しておかなければどうしようもない!桃次郎の相棒、やもめのジョナサンこと金造。
この通り名は、実際は自分が名前を覚えられないぐらいの子だくさんなのに(この描写は子供にはかわいそうだがかなり笑える……。名前を言い間違えまくりなんだもん!)、やもめと偽って、イイ女には気軽に声をかける、という、女には許せないはずなのだが、この時代にはなぜか許せちゃう、ズルい愛すべきキャラクター。

女好きという点では桃次郎もそうだし、仕事が終わればトルコで女たちをはべらせて札びら切るし、バックからズコバコやるし(爆)、ドライブインではなじみの娼婦たちが声をかけてくるし、なのだが、ヤハリ本当の“港”がある金造とは違うんだよね。
そういやー、金造のそういうナマな場面は出てこない。いや、桃次郎がトルコに連れて行ってやったとか言うし、女たちには気軽に声をかけるし、恋女房から遊んでなかったでしょうね、と言われてぐっと詰まったりするんだからなくはないのだろうが、最後に帰ってくる“港”に彼がどれだけ愛情と安らぎを持っているかが、不思議と伝わるんだよね。やはりそこは、キンキン、なのだよなあ!

ところで、桃次郎とスピード勝負をしに来たドラゴンが佐藤允で、もう見たとたんにそのキザなストライプのジャケットといい、キザな口髭のニヒルな笑顔の口元といい、佐藤允!!!って感じ!ああ、彼にかかれば男臭さ満点の菅原文太でさえ、何か甘ちゃんのような感じになってしまうのだ!
スピード勝負に負けたのは千吉のジャマが入ったからだけど、妹の伴侶を品定めするためだったことがのちに判明するという彼はヤハリ、独身生活を謳歌していることをうそぶいている、どこかまだ子供っぽいところのある桃次郎とは違うんだよなあ。
更にひとくさりの後に、ドライブインをメチャクチャにする大喧嘩を二人は繰り広げるんだけれど、洋子への恋心で冷静な判断がつかなくなって大暴れする桃次郎を、どこか楽しんで受け入れて相手になるドラゴンとは明らかに格が違うのだ。ああつまり、私が佐藤允が好きだってことだけなんだけど!!

金造とは無事仲直りする。それは、あのお調子者の千吉を放り出した後である(爆)。だって千吉は、そのお調子者の口の軽さで、金造の悪口を言うんだもの……。
桃次郎は赤、金造は白の紅白のふんどし姿で、青春映画の高校生みたいにはしゃいで海に走り込んでいく場面は、可愛いんだかビミョーなんだか、うーむ、良く判らない(苦笑)。
本当に金造は桃次郎のことが好きだし、桃次郎も一匹狼を気取って一人で何でもできるように見えて、金造のことを頼りにしているんだよなあ。

で、またまた大きなシークエンスがあるのだ。なんと捨て子を拾っちゃうのだ。ダブルヒロインだけでも大きいのに、捨て子エピソードまで持ってくるとは盛り込み過ぎではないのか(爆)。
海から上がってきた二人が見たのは、トラックの座席に座っている幼子。ねぶたのニュース映像でハネているのを見て、青森の子だと判定し、ねぶた祭りに出掛けるんである。全国を渡り歩くトラック野郎だから、各地の祭りのことにも詳しい訳で……。

ああ、やはりねぶたはイイ!ほかのどんな祭りとも違う、飛び入りできるエネルギーがある。菅原文太と愛川欽也がまさに飛び入りでハネている様にカンドーする。
寅さんが全国各地を渡り歩くシリーズ映画なことを考えると、トラック野郎もまた職業で全国を渡り歩く訳で、もしかしたらそれなりの対抗意識はあったのかもしれないが、寅さんはねぶたに飛び入りしてハネるのは難しいもんなあ。ヤハリ若いエネルギーのある菅原文太、愛川欽也でなくては!!

で、もう最初にネタバレチックになっちゃったが、この幼子の父親が、警察官時代の金造の交通取り締まりに引っかかって日雇いに転落し、そして工事現場の落盤事故で亡くなってしまったんであった。
その直前に、まるで予感のように、同じ運転手仲間ならばこの子を悪いようにはしないだろうと、決死の覚悟で預けたんであった。
金造は深く苦悩し、取り締まり現場の警官たちのたまり場に突っ込んで重傷を負う。駆けつけた恋女房は産気づき、また新たな命が生まれるんである。
「救急車、救急車!」「ここは病院ですよ!」というやり取りはベタだが、なんか泣き笑いしてしまう。

お京は千吉からの愛の告白に周囲から祝福される形で、故郷に帰って行った。この時の金造がまたカッコ良かった。
からかいまくるトラック野郎たちを一喝し、ホレた女に結婚してほしいと言って何が悪いんだ!!と言って、静まり返らせる。だってこの時桃次郎は、まあお京にホレられているという立場上もあったけれど、何も言えずにいたんだもの。
こういうのって後になって思うことで後付けの理由ではあるけれど、ああ、キンキンだなあ、と思う。愛がある。一人の女を愛しぬく、愛がある言葉!

で、もう一人のヒロイン、洋子の過去が明らかになる。突然訪ねて来たこれまたワケありの男。かなり説明的な会話シーンで(爆)、全てが明らかになる。
金持ち社長を居眠り運転でひき殺してしまった青年。小さな会社での過酷な労働が引き起こした悲劇。同じ運転手同士の悲劇というところが、後に桃次郎の胸を揺さぶるんであり、この基軸は本作において一貫して変わらないところなんである。
多額の賠償金を必死に働いて返してきた。恋人の彼女もまた、だからこそこんなところで働いている訳で。
しかし青年は、社長の息子からの「こんなはした金は、銀座のクラブの一晩の払いにもならない」という心無い言葉に折れてしまう。そして彼女とも別れて、マグロ漁船に乗って日本を離れてしまおうというんである。それは債務義務を放棄するということではないよね?よく判らないが……。

彼女の前では普段の野卑な姿を見せることを恐れて、ニラレバじゃなくコーヒーを頼んだり、いろいろカワイイ努力を続けてきた桃次郎が、せっかく手に入れた本物のはまなすの花(これは北海道出身の彼女が懐かしんだ花だったのだっ)を川に投げ捨て、出港せんとする恋人のもとに送り届けるために、トラックを走らせるんである。
自慢のトラック、なんたってトラック野郎、劇中にも作品に協力しているトラックアクセサリー会社でハデな電飾を買い求めている様子なんぞが描写されている。このシリーズが本職のトラック野郎たちに支持されて行ったこの後が良く判るディテールの細かさ。
その自慢の、桃次郎が“芸術が判るか”と自慢げに言ったデコトラを、山道、というよりけもの道を突っ走って、もうあちこち部品が取れかけ、泥をかぶり、とにかくボコボコになって港にたどり着くんである!

この場面、揺れる車内は別撮りだろうとは思うけれど、険しく集中した顔の菅原文太はまさに男らしく、愛する恋人を思って不安げながらも表情を引き締めている中島ゆたかは壮絶に美しく、ピンと張り詰めた緊張感もあって素晴らしいシークエンス!
もう、間に合っちゃえば、そこから先はいいのさ。大団円なんだから。いつからついてきていたのか、こちらは走行不能になったジョナサンの泥だらけのトラックを牽引しながら走っていく、仲良し二人組のエンドが幸せなんだから。

ああ、寅さんの例にもれず、一番星もシリーズ中、この調子で失恋していくのだろーか!(いやスミマセン、未見なもんで……)。 ★★★★☆


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