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「な」


2016年鑑賞作品

永い言い訳
2016年 124分 日本 カラー
監督:西川美和 脚本:西川美和
撮影:山崎裕 音楽:
出演:本木雅弘 竹原ピストル 藤田健心 白鳥玉季 堀内敬子 池松壮亮 黒木華 山田真歩 深津絵里 松岡依都美 岩井秀人 康すおん 戸次重幸 淵上泰史 ジジ・ぶぅ 小林勝也 木村多江 マキタスポーツ サンキュータツオ プチ鹿島


2016/10/19/ 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
現代では数少ない、オリジナル脚本で傑作を撮り続ける映画作家、と書いて、本作が先に小説で直木賞候補になっていたことを知ってビックリする。しかも候補になったのはそれが初めてじゃないらしいことも!!
ほぉんとこういう時、情報を入れない自分にガッカリするが(爆)、でもそういう意味で、先に小説があっての映画というのは、初めてということ??自身の作品であっても、いわば先に原作があったということは、ちょっと興味深いなあと思うんである。

だってやっぱり小説の尺と映画の尺は違って、大抵小説ファンからクサされまくるのが常なのだもの。そうして映画ファンは傷つくという(爆)。でもその原作を書いたのが他ならぬ監督自身である。それは映画の後のノベライズとは訳が違う。
もしかしたら最初から映画にしたらこの場面、このカット、この台詞をチョイスするとか、考えていたのかなあなどと思うと、なんだかワクワクとする。

ワクワクするのは、あの「おくりびと」以来の主演であるという本木雅弘氏が、西川監督とタッグを組むというのもまさしくそうである。その他のワキのメンメンは、昨今の日本映画に出まくっている、つまりは旬の映画俳優ばかりが揃っているのでそんな驚きはないのだが(特に黒木華嬢と池松壮亮君は、いくらなんでも出過ぎだろう!)。
本木氏の持つ、天性のおかしみといったものが、このプライド高いばかりのダメ男、顔ばかりがいい、という小説家、幸夫にマッチしていて楽しい。

幸夫、フルネームは衣笠幸夫。音だけならどこかで聞いたような、である。その有名すぎる名前にコンプレックスを持っている彼は、津村啓というペンネームで小説家をやっている。やっているが、今の仕事はテレビのクイズ番組とか、そんなところで食べている感じである。
後にその立場をとってかわられたテレビ画面が「芥川賞作家の○○氏」などとクレジットされ、博識ぶりを披露してる、ってあたりの皮肉にヒヤリとする。だってなんか、頭に浮かぶじゃん、特定の人々がさ(爆)。

もう一人いた。オッと思うキャストが。竹原ピストル!現代日本映画作家の中で先鋭的な一人である熊切監督のお抱え役者。でもここまでのメインを張るのは久しぶりな気がする。ああ、いい感じにオッチャンになったなあと思う(爆)。
彼が演じるのは、幸夫の妻の友人のダンナ。つまり、幸夫の妻とその友人がバス事故で共に死んでしまい、その後から、まあいわゆる遺族同士として顔を合わせ、交流を深めるんである。
幸夫と正反対の、愛情に対して何の疑念も持たないまっすぐな男。奥さんの死にへこみまくり、幼い子供たちの世話に手が回らないことにもおどおどしている、そんな男。ストレートに愛すべき男。

だからといって、幸夫が愛すべき男ではないという訳ではない。ねじれた形で確かに彼もまた愛すべき男、なのだが、それはヤハリ、本木氏が演じるからに他ならないと思われる。
この役は、難しいと思う。まず、冒頭から観客に嫌われるように仕向けているとしか思えない。妻が自宅で彼の髪を切っている。それだけで、妻が美容師だと判る、鮮やかな手つき。

超有名人でしかも皆に尊敬されている鉄人と同姓同名(正確に言うと、オの字だけ違うけど)であることへのコンプレックスを、妻にやつあたりする形でぐちぐち言い募るこの男に、まあイラッとする訳。
でも妻の夏子は言い返すのはギリギリのところで留めて、本格的なケンカには発展させない。そうさせるまえに止めているのが、見てるこっちには判るのに、なぜ幸夫には判らないのか。
「あなたが小説家になる前から、私は幸夫君と呼んでいるのよ」という言葉に込められた思いが、なぜ判らないのか。

てな男に、シンクロするのは難しい。しかも、妻が友人と旅行に出かけた後、即座に若い恋人(コイツが愛人とか不倫相手などという重さを自覚していたとは思えない)に連絡を取り、ヨロシクやっているというざまである。
その後もええかっこしいだし、結構なヘタレぶりを見せるのに、なぜ彼を嫌いになりきれないのか。やっぱりそれは……勿論監督自身の脚本力や演出力も当然ありながら、本木氏の持つ、コメディアン気質を根っこにしっかりと持っている人間力のせいだと思うんだよなあ。

そうなの、妻と友人は旅行の途中で、バス事故に遭って死んでしまうんである。ガードレールを突っ切り、冷たい水底に沈んでしまった。
イエデンはわずらわしいからと留守電のままにしていた彼は、ニュースでその事故が報じられていてさえ、事の重大さに気づかなかった。夏子の友人の方は、細かくダンナに連絡を取り留守電メッセージを残していたのに、幸夫は妻がどこへ行ったかさえ、知らなかったのだ。
訛りのある警官の留守電メッセージに噴き出した直後、二人とも表情が固まったんである。

バス事故、なんか続くね。「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」が実際、事故に考慮して公開延期になったことをどうしても思い出しちゃう。
本作は実に、1年間もの撮影期間を設けて、子供たちの成長を刻んだのだという。それを経ての完成からの公開で、かの作品のような不運はまぬがれたのかなと思うが、一年の撮影期間!!ということに改めてビックリする。

そして、彼女が是枝監督に見いだされた人だということを思い出すのだ。子供たちを丁寧に撮ること。本作の幼い兄と妹に「誰も知らない」を思い出したのは、まさにその通りなのだなと思った。
子供たちの変化は素晴らしかったが、でも私はその時間的変化より本木氏の髪の伸び具合に気を取られて(爆)、これは順撮りで伸ばしてもらったのか、それとも最初長い状態から時間をさかのぼって撮影したのか、だとしたらやっぱり役者さんてすげーなーとか、のんきに思っていたのだ(爆)。
それをすんなり感じさせてる子供たちの凄さをすっかり忘れてた(爆爆)。

本当に、「誰も知らない」を思い出したなあ。竹原ピストル演じる陽一君の子供たち。特に、お兄ちゃんの方に。「王様とボク」に出てたって!?慌てて調べると、めっちゃメイン!トーリ君の幼い頃!!ああ、やっぱり実力ある子ってのは、最初からそうな訳ね!
自分の弱さダダ漏れの父親と、まだまだ幼い妹、その存在を一人でひっかぶって、でもまだ小学六年生なんだよ!!!大人びてはいるけど、それがこましゃくれたというんじゃなくて、本当に大人になるしかなかった、という感じのこのお兄ちゃんが、もう凄く凄く、いじらしくてたまんないの。

妹はエビカニのアレルギーがあって、幸夫と陽一家族が初めて面会したオシャレレストランで発作が出てしまう。
父親の陽一はただおろおろするばかりで、病院に連れて行くと言って飛び出してしまい、幸夫とお兄ちゃんが二人きりになる。そこからこの二人、そして子供たちと幸夫の友情が芽生える訳なのだが。

それまでは、子供とは縁のなかった幸夫であった。後に語られるが、妻の夏子との間には子供が、出来なかったんじゃなくて、作らなかった。彼は、妻も子供が苦手だったからと言ったが、それは当たってないことは明らかだった。
陽一家族が幸夫のことをよく知っているのは何故なのか。最後の最後、決定的な証拠写真ともいうべき、ピクニックと思しきそれが現れなくても、充分に察せられた。

最もズキュンと来たのは、幼い妹、あーちゃんが、鏡に向かって自分で前髪を切っているシーンである。冒頭に幸夫が妻に髪を切ってもらっていたこと、お兄ちゃんが、小学生男子としてはどうなのかしらと思われる、うっそうとした長髪のままであることで、判っちゃう。
そして、父親である陽一が、自身はフツーに床やでパパッと刈っちゃってるんだろうけど、子供のことまで気が回らないことも。
夏子は、決して子供嫌いなんかではなかった。それは陽一から指摘されなくても、本当は、本当の本当は、幸夫だって判っていたんじゃないのか。

トラック運転手の陽一が子供の面倒に手が回らないことに、自ら手を差し伸べる形で幸夫が協力したのは、ホントのところはどういう気持ちだったのか。子供に慣れない彼だったからぎこちなかったけど、予想よりも早く、子供たちになじんだ、のは、まさか本木氏自身の地が出たという訳でもなかろうが。
マネージャー(池松君)からは、逃避ですか、逃げるの悪いとは言いません、とズバリと言われる。でも幸夫自身にそこまでの自覚はその時には、なかったと思う。本当に助けているつもりだったのだ。逆だということにも気づかずに。

キーマンが現れる。これまた登場した途端に、旬の俳優の一人だから、ここだけじゃ終わらないと判ってしまう、山田真歩である。
幸夫と陽一家族が訪れた、こども科学館のイベントの、学芸員。吃音のある、内気そうな女性。判りやすく、今後陽一といい感じになりそうな雰囲気は満点だが、それをいち早く察した幸夫にかき回されるハメになる。

あれだけ深く嫁さんを愛していた陽一が、そのまっすぐさをそのままに好もしい女性にその気持ちを向けるというのが、だからこそなのだとも思うし、でもそれがもともとできてなかった幸夫にとっては、つつきたくなる部分だったのだろうか。
陽一の助けになっていたとうぬぼれていた幸夫が、彼女の出現でそれがあっさりと覆されてしまい、責任転嫁まるだしのヒドイ醜態をさらして子供たちまで傷つける。
あのたまらない顔をしたお兄ちゃん、まだまだ理解できなそうな感じでも、きっと根本のところで感じているだろう妹、もう、もう!!大人になったって、そういう幼い記憶をたどれば、どれだけ大変なことしちゃったか、判るでしょ!!

若く可愛い恋人も、あの事故の後、自責の念に駆られて彼のもとに訪れたけれど、ただただ欲望で埋めようとする彼を振り切って、去って行った。「先生は、誰も抱いていない」そう言って。
そして、妻の遺品である、水没して電源が入らないままだったスマホがふっと復活して、彼宛の下書きメールが見つかった。「もう愛してない。ひとかけらも。」
あれだけ傍若無人に、妻を裏切っていたのに、その文面に動揺し、叩きつけ、その後行われた、バス事故を振り返るドキュメンタリー番組で荒れまくって、スタッフを困らせてしまう。

あの下書きメールを見せられた時から、観客側としては、どうとらえていいのかわからなくなった。勿論、当事者である夫の幸夫もそうであるに違いないのだが、彼が様々な角度から自分自身、そして妻への想いを見つめなおしていくのを見守りながら、頭の中にはあのメールの文面が離れないんであった。
夏子は、あのメールを送るつもりだったのか。そもそもいつ書いたのか。どこか、心のお守りのようなつもりで留めておいたのか。どっちにしろ、本当の気持ちはどこにあったのか……。

葬式の日、夏子がオーナーとして切りまわしていた美容院のスタッフたちが、幸夫が勝手な思惑で現地で荼毘に付してしまったことにやりきれない怒りをぶつけるシーンがある。夫の彼より、ずっとずっと長い間、夏子と苦楽を共にしてきた彼らが、死に顔も拝めないままだったことを思えば当然ともいえるが、それ以上の含みを充分に感じさせるシーンなんである。
つまり夏子が、夫への愛情を受けていないと、彼女自身がそこまで漏らしていなくても、ずっと一緒に働く信頼のおけるスタッフたちには判ってしまうものがあったのだと。そしてそれを、死んでからしか、いや死んでまでも判らないのかと。

作品の惹句には、死んでも泣けなかった。死んでから愛し始めた、とあるけれど、そういう感じには、そんなキレイな感じに受け取れた訳じゃない。悪い意味じゃなくって、そんな生やさしいもんじゃ、ないってことなんじゃないかと思う。
冷たく言えば、本当に妻の夏子はもうすっかり愛情が冷めていたんじゃないか、別れるきっかけを探していたんじゃないか、冒頭のシーンだけで、お互い真に突っ込んで話し合うことはなかったんじゃないかと思う。
夫の愚痴を、ちょっとは反駁するけれど、子供のように愚痴り続ける夫に諦めて、とりなしてオワリ、の繰り返し、きっとそうだったんだと。それは夫がそれに気づかなかったのが悪かったのか、本当の気持ちを判らせようとしなかった妻が悪いのか……。

物語の最後は、死んでしまった妻とのこれまでをようやく振り返ることが出来た幸夫、葬式の席でケンアク状態だった妻の店のスタッフに、もじゃもじゃ髪を切ってもらってスッキリ、人生を再スタートさせる。
妻との二十年の結婚生活を覚悟を決めて書いた作品が文学賞をとって、ささやかなパーティーが催されるところで終わる。

作家としてくすぶり続けていた彼が決心して書いたこと、勿論それには、陽一家族との濃ゆい時間があった訳だけれど(あーちゃんのバースデーパーティーはキツすぎで出色!)、あの下書きメールがいつまでも心の壁からはがれず、苦い気持ちが残る。
人生は、ほろ苦いどころか、苦いもの。愛し愛されてのハッピーエンドなぞ、一体人間の何パーセントが味わって、死にゆけるのか。★★★★☆


流れる
1956年 116分 日本 モノクロ
監督:成瀬巳喜男 脚本:田中澄江 井手俊郎
撮影:玉井正夫 音楽:斎藤一郎
出演:田中絹代 山田五十鈴 高峰秀子 中北千枝子 松山なつ子 杉村春子 岡田茉莉子 泉千代 賀原夏子 栗島すみ子 宮口精二 仲谷昇 加東大介 竜岡晋

2016/4/20/水 劇場(神保町シアター)
まぁ私にとっては毎度のことなのだが、本作を見ないままこんな年になってしまったのは相当にやばかった。解説文は迷わず傑作と書かれ、平日なのにぎっしり満員、しかもレディースデーなのに女性が多い訳でもなく、今仕事中なんじゃないのというネクタイ姿のおじさんたちもぞろぞろいるのだ(サボり??)。
この一本しか行けなかった杉村春子特集の一本だが、彼女の凄さを知ったのがつい最近というのも恥ずかしい訳で。この特集はもっと行きたかった、ホント悔しい。

杉村春子特集の一本というのもうなずける、凄い芝居、特にクライマックスの彼女なんぞゾッとするほどの素晴らしさなのだが、狂言回し的な役の主人公田中絹代、ヒロイン山田五十鈴をはじめとしておしなべて素晴らしく、その点でも傑作の誉れ高いのは納得の一本であり。
舞台は東京、芸者の置屋。落ちぶれているのは、もうそんな時代でもないのかもしれない。実際、娘の勝代はフレアースカートが良く似合う現代娘で、芸者もイヤだし、置屋も継ぎたくないと言っている訳だし。
でも落ちぶれているのは、女将、つた奴(山田五十鈴)がプライドは高いのに世間知らずで気弱で、なんていう、見るからに落ちぶれまっしぐらの性質が原因であることは、始まってもうすぐに、判っちゃうんである。

こぶ付き出戻りの妹、米子(中北千枝子)や、ハデな若い芸者のな々子(岡田茉莉子)、ベテラン芸者の染香(杉村春子)等々、皆押し出しが強くて、この女将さんがどうも頼りないのがすぐに判っちゃう。
いや、でも案外したたかなところがあるのかもしれないと思うのは、物語の冒頭、お座敷の数と受け取る金額が合わない、伝票はどうなっているんだ、と女たちの間でケンケンガクガクになり、それが中盤蒸し返されて、それまで人情だのを盾にしてのらりくらりと交わしていた女将が、どうやら計算をちょろまかしていたことがぽろりとバレちゃう場面。
おっとりした性格ゆえのどんぶり勘定だと思っていたのに、どうやら内情が苦しいゆえの確信犯、でもそれは彼女のプライドの高さからくることなのに、ということが徐々に判ってくるあたりが空恐ろしいんである。

山田五十鈴、というのは私、あまり遭遇する機会がなかったように思う。大女優として高名ではあるけれど、ホント、知らなくって。この、頼りない少女のようで、でも一方で芸者としての、女としての自分に絶対の自信があって、だからこそそれが崩れた時にあまりにも哀れな女、というのが、もう素晴らしくて。
間違いない美人。もう成人した娘がいるなんてちょっと信じられないぐらい。でもストレスなのか身体が弱いのか冒頭から床についていて、女たちのいさかいにも眉をひそめて「やりすごせばいいのよ」的なことしか言わない、のが、最初は身体が弱いからだと思っていたんだけれど、そんな単純ではなかったんだよね。それが徐々に明らかになっていくのが、何ともスリリングで!

そんな置屋に新しい女中としてやってくるのが、一番最初に名前が来る田中絹代。夫が死に、子供が死に、たった一人になって職業安定所からの紹介でやってきたという。年食ってるだの、30過ぎれば皆ババアだの、真顔でさんざんな言われように思わず噴き出すけれど、梨花はどこまでもにこやかに受け流すんである。
梨花、というのが田中絹代の役名。今ではそんなに珍しくもないけれど、この当時の時代背景では相当にハイカラな名前で、呼びにくいからお春さんでいいわね、とかあんまりなことをサラリと言われてこれまた思わず噴き出すんだけれど、お春さん、いやさ梨花はなんとでもお呼びください、とこれまたにこやかなんである。
年食ってると使えるけどうるさいのよね、とくぎを刺されたからではなく、彼女は近所からもスカウトの手が伸びるほどに出来た女中で、だからこそいろんなことを見聞きしてしまう。家政婦は見た、ってのはこのあたりが出自なのではないかと思ってしまう。

冒頭、若い芸者のな々子がかなりドギモを抜く。岡田茉莉子かぁ、なんか妖艶な女優のイメージが凄くある。最初は彼女こそがいろいろちょろまかしているんじゃないか、みたいな雰囲気があるんである。
確かに結果的には先輩芸者に連れられる形で置屋を出るけれど、あっさり鞍替えに成功する、みたいなところがあるし、いかにもな現代っ子芸者、なのだけれど。
ちょっと出かけてくる、と言ってお尻ふりふり出て行くときの、ブラジャースケスケのブラウスにくぎ付け!それ以降もシャワーを浴びるワ、とか言ってさっさと脱ぎだしてスリップ姿になるとか、あっさりしているのにエロくてドキドキしちゃうんだよなあ。

でも彼女だって、やっぱりこの置屋にいる女だから弱い女。かつてひいきにしてくれていたお客と恋もどきの再会を果たしたのに、冴えない男になったことに本気でガッカリして、「ただで遊ぼうとするんだから!」とぶんむくれなあたりが、ちゃっかりしているようで、意外に乙女なんである。
この置屋の女たちは、一方でプロフェッショナルなのにそんな甘いところが妙にあって、ベテラン芸者の染香さんですら、10も年下のツバメと同棲、捨てられたらもう半狂乱、という意外さなのだ。
杉村春子が10も年下の男の子と同棲!そして捨てられて半狂乱!!い、意外すぎる(爆)。でもこれこそクライマックスなので、それは後にとっておいて。

つた奴の妹の米子もかなりくえない奴。子供までもうけたのに男に捨てられる。後にその男がいかにもな困り顔をこしらえてやってくる。
演じるのが加東大介。ひえっ!女中の梨花に「見てごらん、色男でござい、って顔してるから」と耳打ちするから誰が出てくるのかと思ったら、加東大介て(爆)。いやその(爆爆)。
きれいに別れたつもりなのに、困るんですよね、お姉さんには恩義があるから来ましたけれども……などというこの男は確かにバカヤローではあるが、金銭的なことも含めて決着したのなら、衣食住困らない場所に転がり込んでいるのに別れた男を探し回るこの米子はあまりに……くえないというか、哀れ、なんである。

彼女もまたお嬢育ちなのか、あるいは単にバカなのか(爆)、鮭のお茶漬けの、鮭がどんな魚なのかさえ知らないと、な々子あたりからバカにされるんである。いつも和服姿なんだけど、常に襟元がだらしなく崩れて開いていて、無防備なすっぴんといい(いや、それを化粧もしない私がいうのもアレだが)、子供が病気になったこともほかの女から知らされるような頼りなさといい……。
それでいて、全然屈しないんだよね。むしろ、私は不幸な女なんだと自信満々に出ている感じで、カワイソがってる感じが、ムカつくというよりは、逆に凄い強いなというか……。

でもやはり、なんといっても今回の特集、それにこの作品が選ばれたのだから、やはりやはり、杉村春子であろう。なんかもうね、躁かと思うぐらいいつも明るくて、芸者ほどいい商売はないね、いい服を着て、ニコニコ笑ってりゃいいんだからさ、とご機嫌で、ジャジャンガジャン!とかはしゃぎまくって踊りまくって、でも飲み過ぎたのか、時々立ち止まって、うえっ、みたいな(笑)。
女将さんのお姉さんに借金しているから、そのお姉さん、おとよさんが現れるとすっと物陰に身をひそめる(爆)。でも声音でバレる(爆爆)。

揚げたてのコロッケを女中さんの梨花におすそ分けしたり、そのコロッケとコッペパンの組み合わせで幸せそうな顔したり、ソース借りたり、なんかもう目が離せないんだよね。
挙句の果てにツバメに捨てられて、「ああそうですか、男がいらないんだってさ!男を知らないくせに。ガハハハ!」荒れまくり!号泣して当たりまくり!で、腹立ちまぎれに置屋を飛び出してしまう。

その、男を知らない、男がいらない、と言われ、言ったのが、つた奴の娘、勝代。彼女は自分にすごくコンプレックスがあって……芸者に向かない愛想無しなこともそうだし、でも社会に出ることも母親が反対するから出来ず、自分は何物にもなれないとモンモンとしている訳。高峰秀子のような美しい女性が、ただワガママなばかりの魔女に囲まれて(爆)、自信を失っているだなんて、か、考えられない(爆)。
ミシンの下請けの話を持ってきた娘に、母親のつた奴はそんな恥ずかしいことはするなと激怒する。つまりつた奴にとっては、女としてのプライドは、労働者になることではないのだ。芸者だって労働者だと思うけれど、つた奴の解釈はそうじゃない。女としての、芸者としてのプライドは、女として男に貢がれることなのだ。だから……苦い展開が待っている訳で。

で、ようやくつた奴の話である。長い道のり(爆)。ワキがワキじゃなさすぎて(爆爆)。
とにかく首が回らないから借金ありまくりで、実の姉に多額の借金をして、家まで抵当に入れられている。実の姉なのに妹の家を抵当に入れるっての自体が凄い展開だけれど、腹違いとの解説を読めば(そんなこと言ってたっけかなあ)なんとなく納得もする。
いやさヤハリ、つた奴自身のプライド高いのに世間知らず、故のことでもあるとは思う。ただ、このごうつくばりのお姉ちゃんはまだいい方。判り易いから。つた奴がにっちもさっちもいかなくなって頼りにする、かつての同僚、お浜こそが、一枚も二枚も、いや100枚ぐらい上手である。

演じるのは栗島すみ子。そうか彼女があの、伝説の女優!ここではすっかりベテラン中のベテラン大女優、あの山田五十鈴と同僚というよりは、10ぐらい上の大先輩女将という雰囲気を醸し出している。
端正な眼鏡の奥から、相手を値踏みするような細めた目が怖いんである。口では自分に任せておけ、悪いようにはしないと言いながら、金づるになりそうなおちぶれダンナと引き合わせたり、つた奴のかつての客が彼女にまだ気があるように見せかけてつた奴をその気にさせたり、かなりのワル。
でもそれが巧みで、結構観客であるこっちも騙されてしまうのだ。あの表情の抜け目なさで、コイツは絶対、優しくしているだけじゃないぞとは思ってるんだけど、なんかおっとりつた奴と共に騙されちゃう、本当、コワい!!

つた奴はさ、かつてのひいき客、花山が自分に会いたいと言っている、困っている自分に10万も用立ててくれたと頬を染める。改めて会う席にとびきりの着物をあつらえておしゃれして出かける描写に、そこがかなり密室度の高い、口の堅そうな料亭だということに、彼女の思惑がエロく浮き出て、それが結局裏切られるから余計に、すんごくミジメなんである。
花山というダンナには、キャストさえあてがわれてはいないのだ。つまり、出てくることさえない。花山の秘書の佐伯という青年だけが、困ったように主人が来れない理由を告げるだけ。
妙に美青年の佐伯(仲谷昇!)はお浜の甥であり、抜け目のないごうつく伯母に頭を押さえつけられて言うことを聞いている、といった風。

お浜はホント、ヒドイの。あの10万で終わりにしてくれと言われていたんだと、結局つた奴がどうしようもなくなってお浜さんに置屋を売る段になって明かすの。
もういいじゃん、そんなこと明かさなくったってさあ!残酷すぎる。自分がまだ“女”であることに頬を染めていたつた奴が突き落とされるのが、あまりに残酷すぎるんだもの!!

今はいない、出て行った芸者、なみ江の叔父だという荒くれ田舎もん、宮口精二が確かにコワモテで怖いんだけど、なんか結構丸め込まれちゃうというか、寿司だの酒だのにあっさり取り込まれちゃうっていうのが、意外にコメディリリーフだったのかなあ。
ラストは、置屋を売って、でも改めて貸してもらって、置屋を続けるつた奴。仕込みの女の子も入れて、そこに染香さんも一瞬きまり悪そうに、でも案外あっけらかんと帰ってくる。
お浜さんが、仕込みの女の子たちを酷評し、やっぱりあの人はダメだね、とつた奴の先行きを予言するかのように言い放ち、一方で梨花を新たに構える料亭にスカウトするんである。

梨花、そう、一番最初に名前が来る田中絹代である。本当に最後まで腰が低い姿勢を崩さないし、夫と子供に先立たれたという悲劇の過去もことさらにフューチャーする訳でもない。
そしてお浜さんの誘いを断り、浪花節的にこの置屋に身をうずめるのかと思いきや、そうでもないらしい、のだ。夫と子供の骨を埋めるためという口実で、いったん田舎に帰らなければと言い、親戚がいろいろうるさいから今後どうなるかわからない、と言う。

そして終わる。ちょっと、衝撃である。特に裏切ったという訳ではない。料亭の話は断ったんだし、一度辞さなければという理由もしっかりとしたもんである。
でも、しっかりとしたものだから、妙に出来上がりすぎているとも思うのだ。親戚云々の話も、それを振り切って東京に出てきて結婚して……という強い信念のエピソードと妙にずれるものを感じるのだ。
最後まで柔らかな女中姿を崩さなかった田中絹代だけれど、だからこそ最も怖い存在だったのかもしれない。
だって、ホンット“流れる”よ、流れ過ぎる女たちの中で、彼女たちがその激流の中で立ち止まっていた。激流を感じさせないほどの凪で。それこそが凄い、狂言回しのように見えながら、真の主人公ってことなのだ、きっと。★★★★★


何が彼女をさうさせたか
1930年 78分 日本 モノクロ
監督:鈴木重吉 脚本:鈴木重吉
撮影:塚越成治 音楽:
出演:高津慶子 藤間林太郎 小島洋々 牧英勝 浜田格 浅野節 大野三郎 中村翫暁 片岡好右衛門 海野龍人 二條玉子 園千枝子 尾崎静子 間英子

2016/7/21/木 劇場(渋谷シネマヴェーラ)
この日観た二本立ては、ヒロインが不幸に転落しまくる二本、と言ってもいいかもしれない。あまりにも転落しまくるので、ちょっとだんだん面白くなってしまうぐらい、などと言ったら不謹慎だろうか??
しかし時代は20年以上も離れている。一本目の本作はなんと昭和5年!当然、無声映画!!クライマックスまるまる欠落の字幕説明に衝撃を受ける。

いや、それはちゃんと事前に説明はされていた。本作自体、フィルムが現存していないと長いこと思われていたのが、なんとロシアで発見されたのがほんの20年ほど前。
それだけでも奇跡なのだから、尺としてはほんの何パーセントかの部分が欠落していることぐらいはOKとすべきなのかもしれない。それ以外は決して悪くない状態で(まあ修復はしたのだろうが)残っていたのだから。

いやしかし!それにしても!!クライマックスもクライマックス、ここ欠落してたら話にならん!!と言いたいぐらいのところなんだもの!!
いや、だからこそ詳細に字幕で説明してくれたのだということは判る。つまりそういう映像だという資料は残っていたのだろう。もしかしたら脚本とかが残されていたのかもしれない。

ああでも、でもでもでも、それまでの、涙にくれるヒロインとは打って変わっての狂乱の、つまり不幸の末についに狂ってしまった様子が鮮やかに描写されているらしいことを想像すると、めっちゃ見たい、めっちゃ見たい!!
この彼女だって、この芝居こそを見てほしかったと思うよ!!ええー、ほんっとうにどっかに残ってないの??スタッフとか映画館とか、どっかに残ってないの??ホントに?だってこれ、当時キネ旬第一位だったんでしょ!!

……あまりの衝撃に興奮してしまった。いやさ、正直、こんな古い映画だなんて思ってなかったのよ、そもそも。タイトルは何かこう、現代的な女性映画のようなモダンな雰囲気を感じていたから。
でも実際、そんな、時代に問うような、先鋭的な雰囲気は感じ取ることが出来る。ヒロインはすみ子という名が与えられてはいるけれども、さしはさまれる字幕では再三、彼女、という代名詞で語られるから。
ただこれが、欠落したフィルムの説明の部分と共に、サイレントの台詞や状況説明に際しても付加されたのかもしれないという感じはするのだけれど、ただ、タイトルがそうだし、映像の雰囲気もやはり、そんな感じがするのだ。彼女を通して(そう、まさに彼女を通して。すみ子を通して、ではなく)不幸を映し出しているような。

そんな風に思ったのはあながち”彼女”という言葉に引きずられているばかりではなかったのかも。とゆーのは、私、今回“傾向映画”という言葉を初めて知ったよ。社会主義的傾向を持つ映画。資本主義のほころびを暴露する映画。
へーっ!!確かに金がすべて、という思想はそこここに見て取れる。そのせいで、純粋な恋心も海に散ってしまう。でもまさか、社会主義的映画、資本主義を批判する映画だとは、思わなかった!!
今じゃ絶対、成立しないよね。だって実際、ただ不幸に転落しすぎだよねーっ、とか言ってるんだから(爆)。そうか、そういうことだったのか……。

すみ子は、たった14歳だったのね。いや、サイレントフィルムはドーランキツいんで(爆)実年齢も設定年齢も判りにくい(爆爆)。
細眉は繰り返された流行の元祖なのねって感じで、近い記憶もあるし、古いって感じはあまりない。八重歯は時代な感じだけれど、その幼さもいい感じに混ぜ合わされての美人さん、は、彼女自身に不幸の転落の第一歩を歩ませるきっかけになってしまう。

いやでも、売り飛ばされる先が曲馬団、ってあたりが時代やなーって、思ったけど。だって、「あれは上玉だよ」と言ったら絶対、あっちでんがな!!
いくつかの転落先で、女中奉公先の琵琶の師匠に手を握られる場面のみってあたりが、う、ウブ過ぎる。まあ確かにその先の身の危険は理解できるけれども……。曲馬団に売られる、ってイイね、なんかこの懐かしい感じ、なんだろう。サーカスじゃないのよ、曲馬団なのよ。

てか、大分はしょっちゃったけれども、そもそもすみ子は伯父夫婦を頼ってくるのよ。名目は、「私の村には学校がないから、伯父さんのところに行けば、学校に行かせてくれる」ということだったのだが、子だくさんで貧しい伯父さん家族の元でそんな訳にもいかず、曲馬団に売り飛ばされる訳。
そもそもその前に、伯父さんの元に行き着く前に行き倒れになりそうになった彼女を助けて、なけなしの雑炊を食べさせてくれた車力のおじさん(てか、おじいさん)ていう存在があった。

正直、ハラハラした。すみ子があまりにも無防備だから、このおじさんに何かされるんじゃないかと思って。
おじさんが、寝入ったすみ子を確かめて、彼女の風呂敷包みの中身を確かめてがまぐちを開けた時にはほらーっ!!と思ったが、なんとおじさん、そのがまぐちに銀貨を一枚、入れてくれていたんである。しかしそれも、曲馬団のオバチャンに「私の金を盗んだわね!」てなお決まりで取られてしまう。

そうなの、伯父さん夫婦は、まあ判りやすくすみ子に辛く当たる訳。そもそも、こんな子だくさん貧乏のところに突然やってきたらまあそりゃ、なかなか難しいわよね。でも明らかにメーワクそう、特に奥さんのいっじ悪そうな顔と来たら、ないの!!
伯父さんの方は弟の手紙から大金が零れ落ちてきたらニターで、結構単純な感じなんだけど、「どうせ全部飲んじまうだろ!!」と奥さんにとられちゃう。そしてその手紙には、生活の困窮から自殺し、娘を頼むと記されていた。すみ子はそれを、曲馬団に入ってから知ることになるんである。

この夫婦の子供たちもちょっとかわいそうな感じ。とにかくガツガツしてて、飢えてる感じ。すみ子が学校に行けないんだから、彼らだって行ける訳ない、なんか、いかにも餓鬼、という感じなの。こーゆーあたりが傾向映画ということなのかもしれない。
すみ子は曲馬団に行き、厳しく扱われるけれど、それは虎児を集めたという他の団員も同じで、ガマンが切れた彼らはクーデターを起こす。
そしてすみ子は淡い想いをお互い抱いていた新太郎と共に手に手を取って逃げ出すのだ。しかしその逃避行の途中、道を聞きに行った新太郎は事故に遭い、彼を待ち続けたすみ子は転落の人生を継続させるんである。

詐欺師の手先に使われて施設に入り、女中奉公に拾われた県会議員の屋敷でバカにされまくって爆発して施設に舞い戻り……。常に小さくなって涙を流している印象なんだけど、後から考えるとすみ子は案外気が強い女の子だったことに気づく。
特にこの県会議員のお屋敷でのエピソードは、上げ膳据え膳のお嬢様に苦労するのは他のお女中さんたちも同じで、だって魚に小さな骨が一本混じっていただけでぶー!!と吐き出し、死ぬか!!って勢いで騒ぐんだもの。毛抜きで一本一本慎重に取り除いていたのに、とお女中さんたちが虫眼鏡で確認するのも可笑しくって、つまりはここは笑いどころ、コメディなのよね。

すみ子に対しても他のベテランお女中さんたちはほがらかに、そして若い彼女に気を使ってくれているのが判るしさ。でも奥さんから叱責されると、すみ子は爆発、茶碗さえ投げつけてガラス割っちゃうぐらいしちゃう。お顔はよよと涙を流しているのによ。
そして施設に戻されるんだけれど、つまりこーゆーあたりが傾向映画ってことなのかもしれない。富める者は何でも許されるのか、という糾弾をか弱き美少女にさせる、という。

そして琵琶のお師匠さんのところに奉公している時に、新太郎と再会するんである。その再会シーンを、琵琶のお師匠さん、というイメージからはまだまだ若い、壮年、と言った感じの彼が見ている……ハッとしてそのままひと時見つめている、というだけで、その後の展開が判ってしまうんである。
てゆーか、こんな男盛りの一人暮らしに、たった一人の女中奉公ってのがそもそも常識外れとゆーか、これまでの流れなら保護された施設からの派遣の筈で、こんなムチャなことはないんじゃないかと思うが、端折られた期間にいろいろあったのかなあ……。
でもこの事件がなければ、お師匠さんがすみ子に手を出そうとすることもなかった訳だし……まあ、転落物語だからね!!

そして、それがきっかけとなって、すみ子と新太郎は一緒に暮らし始め、夫婦となる。しかしあっという間に困窮する。
そもそも新太郎が劇団で働いている、という設定からして危うい感じがした……曲馬団にいた彼はそういうつてで仕事を得たのかもしれんが、芸能ごとほど不安定なものはない、ってあたりは、映画というものとして差し出していることに対しての矛盾かも知れないが、まあそこは、傾向物語だからね!

んで、二人は心中に至る。あっさりである。あなたと死ねるのが嬉しいのよ、とすみ子は言うが、海岸でフラフラ歩いている二人をおかしいと心配していた漁師たちが、その後夜の海に身投げした二人をかがり火をばんばんたいて小舟を無数に出して、救出してくれちゃう。この救出描写はドキドキで、かなりのスペクタクル。
こーゆーあたりも傾向映画ということなのかもしれないと思う。何の得にもならなくとも、命を助けてくれる共同体、という……。

ここでちょっと不明確なのは、すみ子が助けられた時、「女の方だけだ」と言っていたから、彼は死んでしまったのだろうと思っていたし、物語の解説でもそうなっているんだけれど、その後すみ子が身を寄せるキリスト教の施設で、出所する女が「あんたは旦那が生きているんだから。きっと会いたがっているよ」と手紙を書くよう勧め、すみ子もそれに応じたんだから、新太郎もまた、助かったんだよねえ。

だから、彼が登場してくれるのを待っていたのだが、そうはならなかった。それを言ったら、すみ子を最初に助けてくれた車力のおじさんも。
伯父さんの村にいく途中まで送ってくれたおじさんに、「休みには遊びに行くね!」と手を振ったすみ子。そして、新太郎、この二人のことは、不幸な彼女の中で最後まで曇りのない存在だったから、再び会えるんじゃないかって、思っていたのに、そうはならなかった。

教会とは名ばかり、厳格さは金づくの元に確立されている。神への愛という拘束で自由を奪い、愛する者への手紙はふしだらなことと一喝される。
なにか……現代社会にも通じるカルト教団のような感もあり、ちょっと予言的な感じにゾクリとくる。

ここにもちょっとしたコメディリリーフが登場、すみ子に手紙を書くようそそのかした(という表現は、それこそ教会側だが)おかくさんというおばちゃん(いかにも、おばちゃん!!)がケッサクで、もう登場してしたり顔で、後悔するよー、と手紙書け書けいうその感じがもー、アヤしすぎで(笑)。
せっかく出所できるはずが、この手紙を落として(判りやすすぎ!)厳格な園主に見つかって懲罰房ゆき、そしてこのおかくさん、「だって、あの人が手紙を渡してほしいって言うもんですから……」とこれまたわっかりやすいウラギリで、すみ子は窮地に立たされる。これまでの罪を皆の前で懺悔しろと、男に溺れていたんだろうと。

涙でドーランがはがれまくった哀しさ1000%の感じから、突如フィルムは欠落する。ああ、見たかった、見たかった。教会に火をつけ、狂ったように踊りまくるすみ子を。警官に捕らえられ、私がやりましたと不敵な笑みを浮かべるすみ子を。
それを見ない限り、私心残りで、死ねないよ。どっかにないの、本当に世界中のどこにも、そのフィルムはないのか。それが観られないなら、むしろ本作観ない方が良かった??いやだってさ!!だってだって、タイトルの、「何が彼女をさうさせたか」さう、のところなんだよ!!
てゆーか、これオリジナルは146分あったの!?なんかそんなデータもあるんだけど!それじゃ全然、数パーセントじゃないじゃん!!えーっ、どっちがホントなの!★★★★☆


浪花の恋の物語
1959年 105分 日本 カラー
監督:内田吐夢 脚本:成澤昌茂
撮影:坪井誠 音楽:富永三郎
出演:田中絹代 中村錦之助 有馬稲子 雪代敬子 花園ひろみ 植木千恵 日高澄子 浪花千栄子 市川小太夫 香川良介 有馬宏治 中村芳子 八汐路佳子 白木みのる 中村時之助 織田政雄 沢村宗之助 進藤英太郎 千秋実 東野英治郎 片岡千恵蔵

2016/4/24/日 劇場(神保町シアター)
桂文珍師匠がセレクトする大阪映画、という面白い企画。近松門左衛門と言われても無知な私にはちっともピンと来ないが、そうなんだ、大阪なんだと思う。
近松の原作が元になっているということだけれど、劇中には作者の近松自身が登場するという面白い趣向で、つまり現実の悲恋のすぐそばに彼はいて、そこから着想を得て、というか最終的には二人の叶わなかった願いを物語の中で叶えてやって、見事な浄瑠璃を作り上げるんである。
劇中劇とも違うし、最後にはその浄瑠璃の舞台と、二人がまるで舞台で演じているような趣をカットバックして、なんともいえず美しい。日本の様式美、歌舞伎のきらびやかさとも違う、なんともいえぬわびさびなのだ。意外、大阪なのにっ。

いや、確かに大阪には違いない。民衆のにぎやかさはそれはそれは楽しい。江戸ならば大店の小僧なども厳しくしつけられているイメージだが、大阪の小僧はちゃっかりしていて、駄賃ににんまりしてうどんをたぐっちゃうたくましさなんである。
てな大店、飛脚問屋の養子に入っているのが中村錦之助。若くて美しい、一番な時期ではなかろうかと思われる。
後に遊女たちからうぶなぼんぼん、イイ男だし、遊んでやって金を搾り取るには最高、などと言われちゃうのがピッタリの、もうお肌つるりの美青年なんである。彼が美青年なのは判っていたが、本当に、この時が最上ぐらいだと思われ、なんだか口あんぐり開けて見てしまう。

どうやらちょっと田舎出らしい。養子、というのはゆくゆくは婿養子としての。
その娘はしっかりものでつつましく、こういう話によくあるタイプのワガママ娘なんぞではないのが逆に泣かせる。こんな娘を辛い目に合わせるぐらい、彼は運命的な恋に落ちてしまったのであった。

その相手は遊女。籠の中の鳥。苦界に身を沈め、なんていうエピソードで男たちから金を搾り取るプロの筈の梅川が、このぼんぼんに本気でホレてしまった。
とゆーか、彼女が他の客を取る描写はほとんどないので、彼女自身がそんな情の深さをもともと持っているようなあぶなっかさも感じるんである。そしてだからこそひどく美しいんである。
有馬稲子というのはお名前は耳にしたことあれど私、多分、初めて見るような。いや、そう言って気づいてないだけのことが多々あるのであまりはっきりは言うまい(爆)。

でもこの梅川は、本当に彼女自身であるかのようであった。中盤、田舎の伯父が彼女の母親の薬代が足りないという名目で金を借りに来るくだりがある。本当のことなのだろう、そうした事情もあって彼女は苦界に身を沈めたのだろうとは思うのだが、この申し訳なさそうな、見るからに貧しそうな伯父ですら、もしかしたら彼女をだまくらかして金をせびりとろうとしているんじゃなかろうかと思っちゃう危なっかしさが、梅川にはあるのだ。
それはあんなぼんぼんにホレてしまったことが一番の理由だが、奇跡だったのはぼんぼんが本当のぼんぼんで、彼もまた本当に彼女にホレてしまったということ。

最初は、このぼんぼん、忠兵衛を悪友の八右衛門が花街に連れていくんである。こういう世界ぐらい知っとかなきゃダメだとか言いながら、まあ自分が行きたいだけというよくあるパターン(笑)。
彼は決して、悪い人間ではなかったと思う。忠兵衛があまりにもぼんぼん過ぎて、というか初めての恋にまさに盲目になりすぎて、この世慣れた友人でさえ、裏切り者に見えてしまったのだ。……などと言ってしまったらあまりにも先走り過ぎなのだが、八右衛門がこの友人の純粋さをもう少しちゃんと斟酌してくれていたらなあ。

と、なんかもう、先に行きたくて行きたくて(爆)。梅川には身請けの話が来ていた。ちょいとした店を持たせてやるぞと汚い歯をニカリとさせるジジイは確かに、美青年錦之助に比べればゾゾゾと思わせるけれども、落ち着いて考えると、彼だって真に梅川にホレていたんだし、それこそプロの遊女ならば、こういう話を受けといて、シャバに出たらそれなりにやりようもあるだろ、ということだと思うのだが、梅川も忠兵衛にホレるぐらいだからやっぱり不器用なんだよなあ。
なんかね、悲恋の二人が美しければ美しいほど、悪役やら脇役やらに追いやられる年かささんたちに、妙にシンクロしてしまうのはヤハリ、私がそちらに近い年だからなのだろう(爆)。だってこの若い二人、単にバカなんだもん(爆)。だからこそ純粋だと言えるんだけれども……。

えーと、その前に、私が本作に引っかかったのは、田中絹代の名前であった。まさかの老け役。いや、なぜまさかって(爆)。いや、なんかさ、昔の映画を見に行くといつだって田中絹代は若かったから、ってなんかテキトーだけど(爆)。
彼女は飛脚問屋の女将。つまり、忠兵衛を引き立てた人物。小柄で座るとちんまりとしているが、声は低く眼光するどく、さすが人の金を、しかも大金を預かって配送する生業を束ねるトップなのだ。
田中絹代には毎回驚かされる。本作は悲恋の二人が正しく主人公だとは思うが、彼女がデータベースのキャストでもっとも上の方に名前を連ねているのが実によく判るのだ。

先述したけど、こういう話によくあるタイプの、イジワル女将なんかじゃないのだ。厳しくて冷たい印象だけど、何より忠兵衛の素直に仕事に打ち込む資質を買っていたからこそ、娘の婿に、と思っていたのだ。
それが、一度朝帰りをした時からどうも様子がおかしい。それでも今まで信用に足る男だったのだから、と、掛け取りを取りに江戸に立たせる。なんという親心と思う。だって、大金を任せるという信用以上のものはないよ。それを彼は裏切ってしまったのだ……。

忠兵衛は江戸への使いの中でちょっと思い直したように見えた、のは、見間違いかなあ(爆)。浅草仲見世の土産を梅川に送る。それが櫛だったことで、縁切りの意味だと梅川は泣き崩れる。
果たして忠兵衛がそれを判ってて送ったのかどうかが、ちょっと微妙である。いや、妙に神妙な顔をしていたし、身請けの話を聞くまでは梅川を避けていたような趣もあるし、なんたって許嫁のおとくは申し分ない、いい子なんだもん。

夜遅くそーっと帰ってくる忠兵衛を、夜なべ仕事のフリして待っているのが泣ける。忠兵衛だって彼女のこと憎からず思っているとは思うんだけれど、それはきっと、幼い頃から一緒に育っている、兄妹みたいな感情なのだ。
でもそのあたりが、ガキだというのだ。女の方がそういう意識はハッキリと発達している。小さな頃から彼女にとって彼は、愛しい人だったに違いないんだもの。親に決められるとかじゃなくて。それが判るからさあ……。

つまり、誰一人悪い人がいないから、苦しいんだよ。世間知らずのぼんぼん忠兵衛にとっては、梅川の身請けの手付金に横流しした八兵衛の五十両のことを彼が遊女たちにバラして笑いものにした、ととったのだが、そんな危うい橋を渡っておいて、ただただ恋は盲目なまま、さらなる大金の横領に突っ走りそうになっているのを目の当たりにしたんだから、そりゃ当然だ。
友情というのは信頼の上で成り立っている。忠兵衛はそれを裏切ったのだから。運命の恋がそれに勝ったということなのだろーが、だからこその悲恋なのだろーが、友情も守れないヤツが恋する女を幸せにできないのはトーゼンなのだ。……などといったら、本作に対してミもフタもないのだが……。

つまりそれだけ、二人の恋だけを正当化していない、ということなんだと思う。物語の冒頭で、既に彼が犯す罪が示唆されている。封印切り。つまり、小判の封を所持者ではないものが切っただけで獄門なのだ。
飛脚問屋は他人の金を預かって運ぶのが大きな仕事のひとつ。その事件が冒頭、かけめぐり、忠兵衛は初めて重大な寄合に顔を出す。武家の預かり金じゃなかったことで何とか獄門はまぬがれ、江戸処払いとなる。出来心だっただろうとそんな人情が働いたのだ。
つまり、度重なる、あるいは確信犯的な所業、そして何より武家の金に手を出してしまったら、もう救いようがない、ということがここで既に示唆されているのだ。

見事に、救いようがなかった。梅川を身請けに来た藤兵衛(東野英治郎、田舎成金って感じがピタリ過ぎて逆にコワい!!)に罪はないのだ。
他人様の金を預かっているだけで、大金を持っているような錯覚を持ってらっしゃるボンボン、と慇懃無礼に(慇懃無礼という言葉は、まさにこーゆー場合に使うのであろう!!)言い放つ置屋の因業夫婦こそが……でも彼らだって正しいことを言ってる訳だしなあ……。

つまり、やはりバカと言い換えられるほどに、純粋な恋に落ちてしまった訳で、で、忠兵衛、いやさ錦ちゃんが彼女を抱きしめて、勝ち誇ったような、泣き出しそうな、笑っているような泣いているような、とにかくたまらない顔で咆哮して、その後彼女と共に逃亡した、ということが示唆される場面が、さあ……。
だって絶対に逃げきれないし、彼女には実際に借金がある訳だし。置屋夫婦の因業芝居に騙されそうにもなるけどそうじゃない。確かに彼らが口をゆがめて言うように、梅川の身体にはカネがかかっているのだ。だからこそ彼らが身請けの話を熱心に勧めたのは、むしろ彼女のことを思ってのことだったのに。

二人の道行は、忠兵衛が一目親に会いたいと思った、その村の入り口で終わる。とらえられる。
そのことを伝え聞いた近松は、叶えられなかった親との再会を浄瑠璃の台本に書く。その舞台の上演を観客たち共に、ひしと見守っている。それがラスト。

その前に、捕えられた二人は当然離ればなれとなり、獄門の運命の忠兵衛を後追いしようと、梅川は井戸に身投げをしようとする、ところを、彼女を慕う小間使いの女の子に必死に止められ、それに気づいた近松が引き戻すんである。
この前後の梅川、有馬稲子の、それまではあでやかな遊女だったのが、もう乱れ髪振り乱し、目の下にくまをつくり、呆然と、焦点の合わない表情がすさまじくて……。

やっぱり私は、年を取っているんだろうなあ、悲恋の二人より、彼らをずっと心配してきた周りの大人たちの方が気になるんだもの。
大好きな田中絹代、一見厳しそうに見えながらも、最後まで忠兵衛を信じてて、そして裏切られた哀しさ。娘が忠兵衛を慕っているのが判っていたから、その心痛もハンパなく、奉公人から封印切りの罪を出した彼女が引っ立てられる辛さと来たら、ないのだ。
だってだってだって、彼女はずっと義理とはいえ息子を心配してきたのに。急に朝帰りとか、金遣いが荒くなったのを心配して、それなのにあえて大金を任せるなんて大きな心を示したのに。なのにさあー。★★★★☆


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