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TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ
2016年 125分 日本 カラー
監督:宮藤官九郎 脚本:宮藤官九郎
撮影:相馬大輔 音楽:向井秀徳
出演:長瀬智也 神木隆之介 尾野真千子 森川葵 桐谷健太 清野菜名 古舘寛治 皆川猿時 シシド・カフカ 清 古田新太 宮沢りえ 坂井真紀 荒川良々 瑛蓮 みうらじゅん Char 野村義男 ゴンゾー マーティ・フリードマン ROLLY 福田哲丸 一ノ瀬雄太 藤原一真 柳田将司 木村充輝 関本大介 ジャスティス岩倉 烏丸せつこ 田口トモロヲ 片桐仁 平井理央 中村獅童
しかも宣伝も始まってたじゃない、ホント、なんつータイミングだわよね、って……。宣伝も仕切り直しで予算とか大変だったんだろーなーと思うけれど、それだけ待ってた人たちも多く、実はあまり大ヒットが少ないクドカン映画で初の一位発進!いやー、良かった良かった。
確かに逆に飢餓感をあおったもんなあ。それこそ亡くなられた方々に対しては申し訳ないのだが……。しかも、これまで彼が手掛けてきた映画の中で最もクドカンらしい……つまりそれは私ら観客側が勝手に期待する部分であるのだが……面白さに満ちていて、すっかり大満足してしまったんであった。
彼の良さは突っ込んだところにふっと抜ける脱力系部分もあるところ。一方でバンド活動をやっているその激しさが本作にダイレクトにぶつけられて、そらー地獄のロックバンドなんてばかばかしいんだけど、それもまたクドカンらしくて!ばかばかしいのにめちゃめちゃハードでカッコイイ、もう本当にワクワクしたよ!!!
かなり突っ込み気味。私も公開を待ち焦がれた一人だから。なんつっても神木君がミーツクドカンで、しかもその弾ける魅力を最大限に発揮してくれているのが嬉しい。線の細い憂いある美少年の彼が、そんな役が多かった彼が、実はとっても明るい男の子だということを知ってから、こんな日が来ることを待ちわびていたような気がする。
いや、その最初の突破口はヤハリ、「バクマン。」であったとは思うが、わぁ、意外!!なんてところをもうすっ飛ばして、弾ける神木君に本当にワクワクして、彼自身も本当に楽しそうに演じている感があって、なんかすっかり嬉しくなっちゃうんであった。
だってさ、タイ張るのが長瀬よ。クドカンの隠し玉……じゃない、直球玉。「真夜中の弥次さん喜多さん」の時だったと思う、クドカンが長瀬君のことを評して、スクリーンからはみ出してしまう、それは比喩的な意味じゃなくて、本当に勢いがあるからバーン!とカメラの画角から見切れてしまうんだと。
長瀬君が本作で演じているキラーKこと地獄の赤鬼は興奮すると巨大化するのだが、巨大化のシーンが特に印象として残らないほど、つまりそれほど、最初から長瀬君はスクリーンに収まり切れないパワーと勢い、なんである。
そこに、いわばダブル主演として挑むんだもの。クドカン組としては新人として、挑むんだもの!!とゆー外野の心配は単なる野次馬根性。神木君は楽しくて楽しくて仕方ない!って感じ!
うっかり地獄に落ちちゃってそのことにキレながら、キラーKが何かとマザーファッカー!!と雄たけびを上げながらギターをかき鳴らすとザクッとコード抜いちゃうタイミングとか、マジサイコーである。
勿論演出や編集の妙の部分はあるかとは思うが、それこそ「バクマン。」での彼の姿から、ああこの子は本当はとっても生気にあふれてて、楽しいことが大好きな男の子なんだなあと思ったから……。
ギターの演奏シーンもカッコイイ、カッコイイよ!!今までは美しい男の子とばかり思っていたから、神木君に対してカッコイイと思うなんて、思わなかったなあ!!
てか、そもそもどんな話よ。いや、話なんて大してない(爆)。いやいや(爆爆)。なくはないが、話がどうとかは、本作の魅力にはあまり関係ないから(爆)。いやいや(爆爆)。いやさ、私、結構そういう方向に沈んでっちゃうからさ、本作はただただ楽しいってことだけに耽溺したいんだもの。
まぁ、ざざっと概略申しますと……。神木君演じる高校生、大助は、修学旅行中にバスが崖から落っこって死んでしまいました。地獄に落ちたのはフライング?高校生らしく何かと言えば死ぬ死ぬ言っていたのが、最大の罪、自殺とみなされたらしいが、さだかではない。
地獄は案外テキトーなところなんである。このバスの転落はクドカンらしくマンガみたいに、それこそまんが日本昔話みたいに天空の切り立った崖からあーれーみたいにおもちゃみたいに落ちていく感じで、それは実際に起きた凄惨な事故とはまるでかぶらないんだけれど、でも逆にその方がマズいのかな?難しいな……。
彼を迎える地獄図(と書いてヘルズと読む……)のボーカル&ギターのキラーK。真っ赤な顔にツノにキバにとメッチャ鬼!!なのに、長瀬氏の風貌が全く失われていないのがスゴい。実はそれ以外のメンバー……と言っても桐谷君しか知らないけど(爆)、彼だって濃い顔の方なのにしばらく気づかなかったりして。
そして最後の最後、神木君も見事な鬼メイクでノリノリにギターをかき鳴らすのだが、これが全く神木君の面影がない!!あの細面美少年フェイスじゃ無理もないが、そう思うと長瀬氏の持つインパクトに改めて驚嘆するんである。フツーに整った顔のイイ男なのに。クドカンが惚れこむ、画角を飛び出す勢いって、こーゆーことかなあ。
しかし、彼の現世での姿は、それこそ一瞬、彼だと気づかないほどの弱々しい青年、なんである。舌を巻いた。ホント、判らなかった。
単に前髪のある長瀬氏が見慣れなかっただけ?そうかもしれんが(爆)、チェックのシャツのボタンを首元までしっかり止めて、いじいじとしている姿がまるで長瀬氏とカブらなくて、前髪があるせいか妙に若く見えて、大学生みたいで……実際、設定年齢もそんなもんだったのかもしれない、だから見事に、化けていた。
いやー、役者って凄い。それで言ったら彼の恋人役の、大助言うところの“死神”がオノマチちゃんだということに、私ったら最後まで気づかなかった(爆)。なんで(爆爆)。いや、最初からオノマチちゃんが出ていると知っていたら容易に判ったと思うが、それにしても顔認識できなさ過ぎだけど(爆)。
でもね、彼女もまた、切りそろえられた前髪があると……それだけで印象がガラリと違って、ホントに大学生ぐらいに見えちゃうんだもの。いやヤハリ、そこは見事な演技力と言いたい。私の顔認識力のなさと言わないで(汗汗)。
大助が面白がって見ていたこの恋人たちの物語は、しかし恋人たちゆえの真面目さ、深刻さがあった。作曲家になりたいのに自分の才能のなさに気づいてしまい、でも見栄を張ってしまって、それ故に恋人は愛想をつかして出て行ってしまった。そのお腹に彼の子供を宿して。
大切なものを失ったとたん、天から音楽が降りてきて、彼女に届けようと思ったのに、踏切で子供を助けようとして、彼は死んでしまった。自殺とみなされたのか、どうだかわからんが、地獄に落ちてしまった。もう彼の輪廻転生の最後だった。覚えてなかったけれども。だからもう、どう頑張っても彼女とその子供の元へは行けないのだ。
あらららら、やっぱりなんか、ナンセンスじゃない部分に耽溺してしまうわね(汗)。ちょっと軌道修正。
もう一人の主人公、我らが神木君、大助側の物語。彼が“若くして死んだ”時、彼はまさしく恋にまっしぐら。ギターだって彼女にカッコイイと思われたくて始めて、軽音部から拝借した中身はカラのソフトケースが背中で折れ曲がってしまうのを必死にごまかしているのが可笑しいんである。
その彼女、ひろ美ちゃんはフルートを吹く美少女。実はその隣にハモりフルートを吹くデブス、じゅんこがいるのだが、大助の目には入っていない。
デブスのじゅんこは皆川猿時。男性に、しかもキョーレツキャラの男性に演らせるのはズルい気もしつつ、しかしじゅんこのかき鳴らすギターと彼、もとい彼女が率いる女子バンドはアイドルっぽいダンス含めてめちゃくちゃカッコイイから困っちゃう。なんたってドラマーがシシド・カフカなんだから!!
おっと、脱線しちゃった。大助の話だったっけ。で、彼はチューもしないうちに死んでしまったことをエネルギーにして、絶対に現世に帰って、ひろ美ちゃんの気持ちを確かめるんだ!!と決意を固めるんである。
地獄農業高校で学び、ジゴロックでの一発逆転のためにキラーKが顧問を務める軽音部に入り、エンマ大王へのアピールを何度となく繰り返す。
古田新太が演じるから閻魔大王はテキトーで、何度となく畜生道に落とされる。しかしそのどれもが何とも可愛らしく可笑しな畜生道なんである。
最初はきれいなブルーのインコ。めちゃくちゃ可愛い。まだ自分が死んで間もないのに中学生の弟がオナニーしてたり(爆)。仕方ない、中学生だもんな、とごちるモノローグが可笑しすぎる。おめーだってインコのくちばしで、ひろ美ちゃんの写真の唇をボロボロにしたくせに!!
母親にカワイイ!!とチュッチュされて悲鳴をあげるのがお、可笑しい。でもこのシークエンスはやはり、一番重要だったと思う。彼はその細い足で必死にひろ美ちゃんにメールを送る。そしてそれが……届いていたんだもの。
カマキリになってデブスに童貞を奪われたり、アシカになって大人になったひろ美ちゃんに再会したり。ついに人間に!!と思ったら精子からのスタートで、オナニーの末のティッシュ、ゴミ箱行きに泣いちゃう彼に爆笑!……クドカン、オナニーネタ好きだな……。
柴犬になって、ママになったひろ美ちゃんに再会、なんたって宮沢りえ嬢だから超キレイ。犬の本能が出ちゃったのか、足にしがみついて腰をフリフリ。一度ならず二度までも。……クドカン、結構下ネタキツいぞ……。
でもここで、彼はついに知りたかった答えを知る。両想い。そして、おばあちゃんになったひろ美と、でも映像は若いままのひろ美ちゃんとやわらかなキス!!今、最も勢いのある若手女優の一人であろう、森川葵嬢と神木君のキス!!
あー、やっべぇ!もうジゴロックとか、キラーKの彼女とその子供の火事での死とか、どーでもよくなっちゃう、ゴメン!!
いや、まあ、で、そんなこんなで?大助は奇跡的に天国行きをゲットするのだが……そこでかつてのクラスメイトや、キラーKの彼女やその子供と出会い、彼の思いを歌にして届けたりするのだが……つまらなくって、地獄に戻ってきちゃう!!
和式便所みたいな中に“快適”に収まって、ビーフにチキンにセックスまで!!思いのままの天国で、大助は地獄行きのボタンを押してしまう。てか、地獄行きのボタンがあるのかよ(笑)。
「地獄より地獄だったよ!!」の台詞はひょっとして、生きていくのは波乱万丈だから面白い、という含みかなあ。ああ、またうがっちゃった!!
すっかりオジサンになってから地獄に落ちてくるかつての同級生でバンド仲間が古館寛治で、見事なジャズピアノを聴かせるのは……まあ吹き替えにしても、カッコイイ!
クドカンならではの、めっちゃゴーカなミュージシャンが目白押しに出てきて、私としてはザ・グッバイ当時の衣装のイメージ(つまりビートルズチックな)でギター合戦に登場するヨッちゃんが、青春時代を思い出させて萌え萌え!★★★★☆
たった60分に収められたこの奇跡の間中、私はただ胸を押さえて呼吸困難に耐え続けていたんである。こんな幸福な呼吸困難は経験ない(いや、そもそも呼吸困難がね(爆))。
このストイックな尺も良かったし、まるで水彩画のようなタッチの絵柄が素晴らしかった。これをシャドウもバッチリつけた、いわゆる日本のアニメーションタッチでやられたら、私はこんな呼吸困難に陥らなかったかもしれない。
原作は未読だけど、原作の絵柄からくる印象に合わせたのかもしれない。非現実的なまでに細い足におもちゃのようにくっついた靴、みたいな、なんかルパン三世を思わせるような体型の造形が、コミカルに動く時には実に表情豊かに身体全体が動き、まさにルパンみたいだなあと思わせるのだが、その繊細な水彩画のようなタッチで、どぎつさが全然ないのだ。
内容的にはなんたってBLだし、恋の描写が胸苦しいまでに描かれるのだけれど、時々挿入される、(もっぱら草壁君側で)ワチャワチャ動くこのコミカルでアクロバティックな動きが、ふっとそんな重さを回避させてくれるのがイイ。
しかしなんといっても、男子二人の美しさがね!!……いや、正確に言うと美しいのは受け側の優等生、佐条君の方だけだけど(爆)。禁欲的な黒いサラ髪が銀縁眼鏡にハラリと落ちる、あぁ、王道(照)。
映画では尺の制限もあるせいか、原作では明らかにされているらしい、彼自身がゲイであることを自覚していることは明かされないが、それは逆に必要なかったと思う。だってこれは、ただ一人の人を好きになる、ただそれだけの物語なんだもの。それだけが大事だっていう、物語なんだもの。
攻め側の草壁君は、この高校のカラーを象徴するような、言ってしまえばチャラ男。鮮やかな黄色い髪は、アニメだからというんじゃなくて、崩した制服の着方からも判るように、まぁそういう男の子。
とゆーかこの高校自体が後に明かされるところによると、程度がまあその……低いところであるらしく、佐条君は受験に失敗して入った、つまりこの学校にとって奇跡の優等生、ということなんである。バンド活動をして、卒業後の進路も特に決まっていなくてダラダラしているような草壁君は、この学校ではフツーの立ち位置。
草壁君の友人たちからも、「ジャンルが違う」と言われる佐条君との恋物語が、なぜこんなに胸を打つんだろう。ギャップの違いと言ったらそれまでだが、そんな単純なものじゃない気がするのだ。
きっかけは合唱祭のための練習。授業中、口パクしていた佐条君に気づいた草壁君はチッと思っていた。優等生だから、こんな授業やってらんねぇと思ってんじゃないの、と。
でもその後、放課後の教室で“カゲ練”しているところに遭遇し、思わず口から飛び出した言葉に自分でもビックリする。「練習、見てやろうか」
この一連のくだりから、一見チャラ男に見える草壁君が高校生活、そして音楽にそれなりに真面目に取り組んでいることが判るし、どうやら原作では草壁君は後にミュージシャンを目指すらしいことを知ると、そっかぁ、と嬉しくなったりもするんである。
こんな具合に草壁君のモノローグからスタートし、季節を経てエピソードを重ねる形がしばらく続くので、彼側から見た恋物語なのかぁ、と思って見ているのだが、後半にはやっと、ただただ受けだった佐条君の!!!
……という前に。うーうーうー、興奮するあまりに、全然物語まで行けないじゃないの!!
でも、凄く突然の感があったのだ。夕闇に沈んだ公園で二人並んで炭酸ドリンク飲んでる時に、ちょっとしたアクシデントから草壁君がはずみのように佐条君にキスしたのも。
もうこの時には心臓ハネあがったけど、その後、合唱祭本番で、無事に歌い上げる佐条君を見ながら突然あふれる涙に自分でビックリして動揺して、飛び出しちゃう草壁君にも、その彼を追う佐条くんにも。
なんか突然がどんどん重なって、その後草壁君がパンパンになった思いが飛び出ちゃうのを抑えきれないように、あのコミカルな身体アクションでワチャワチャしながら、「だって俺、お前のこと好きになっちゃったみたいな感じなんだもん!!」と絶叫するのも。
もうすべてが突然で、いや突然じゃなかったことは判ってるんだけど、発露が突然で、本当に呼吸困難で倒れそうになるのだ。
私がこの劇場で心臓発作で死ななかったことは幸運だよ(爆)。後から落ち着いて(爆)考えると、この突然の連鎖は、凄く上手いんだよね。
だってその後は、いろんなささやかな事件は起こるにしても、とても静かにゆっくりと、二人の気持ちをはぐくんでいく愛しさに満ちているんだもの。恋に落ちる時の、この止められない急降下みたいな感じとの対照が見事で、ツカミはOKどころじゃないんだもの!!
草壁君は、公然の秘密らしいハラセンことゲイの音楽教師の原先生のことを、佐条君が好きなんだと思い込んでいた。実際はハラセンの方が佐条君に片思いしていらしい……というのは後に仕入れた原作情報であって(爆。気に入ると特に、オリジナルが気になってしまうのは小心なところだ!!)、つまりハラセンと佐条君の仲もまた、生徒間には公然の秘密、だったのだろうか??
第一エピソードでは佐条君がそれをきっぱりと否定し、自分もまた草壁君に惹かれていたことを告白してめでたし、カップル誕生と相成る訳だけれど、その後もハラセンは何かと二人の間に入り込むしなあ。
「男同士付き合うってどういうことか、判ってんの?」という台詞は、ハラセンの台詞というより、本作のテーマそのものを指していてなかなかに重い。
そんな具合に秋が過ぎる。春夏秋冬、静かにエピソードが季節ごとに切り替わっていく感じに情緒があって、とても素敵である。
二人は確かに付き合っている筈、だけれど佐条君が認めようとしない。積極的にチューを要求してくる草壁君に、だったらもうチューもしない、と言い放ってしまう。
佐条君はとにかくシャイで、一歩を踏み出せない感じで、恐らく男同士ということへの、彼らしい社会常識に縛られた気持ちがあった。
草壁君の方はなんたってバンドマンで後のエピソードでもわかるようにモテ男だから女の子経験は豊富で、そのままのノリでイケイケで行っちゃってたんだけど、そう言われてえーっ、と落ち込み(このあたりの単純さが愛しいの!)、その後も無視されて更に落ち込み、ちょっと腹立ちまぎれのように「自信過剰じゃねえの?」とぶつけちゃうんだよね。
んで、後からその時の佐条君の顔が、怒っているんじゃなくて、泣きそうだったことに気づく。これが、これがいいの!泣きそうだったんだと気づく、振りしきる雨で水彩画のような絵が更にはかなくにじんでいく中を、猛然とダッシュして学校に駆け戻る、進路指導をしているところに飛び込む。
まさに今、担任のハラセンが佐条君に迫っているところ!!ガツンとハラセンにこぶしをブチ込み、佐条君の手を取って強引に引っ張り出して駆けていく、ああ、ああ、ああもう!!!(涙涙)こういう図は確かに少女漫画的ラブストーリーにはありがちだよ。これがBLだからときめくという訳でもないんだろうけれど、でもでも!なんかもう、たまらないんだもの!
草壁君がね、そして佐条君に向き合って、「付き合ってください!!」と正式に申し込むのが、泣けるの。コイツ、イイヤツなんだもんなあ!!
そして春になる。お互いクラスが分かれる。「俺の友達のことが苦手」な佐条君が靴箱のところで隠れているのが、なんか胸に迫るものがあるんである。
草壁君の友人たち(バンド仲間)は、彼らの仲がただの友達じゃないことに気づいているし、後にさらりと草壁君がカミングアウトすると、「引いたというよりビビッた」と言いつつ、「でもお前は恋が出来ないんじゃないかと思ってたから、良かったんじゃねえの」と言ってくれる。
初恋だったんだろうと指摘されて真っ赤になることこそ引くわ、とか言ってくれるこの友人が、イイヤツだなあと思う。まあそれは、最後の最後のエピソードなんだけれど。
で、ちょっと脱線したけど、クラスが分かれて、進路のこととか佐条君は言おう言おうと思ってたんだけど言えずにいたんだよね。
で、草壁君はバンドの解散ライブを行う。タイバンだけど、オールでやるというそのイベントに、「そういえば来た事なかったよな」と草壁君はチケットを渡すんである。予備校帰りにその未知の空間に足を踏み入れた佐条君は……。
本作はまるごと大好きだけど、私はこのシークエンスが一番、好きなの。それまでは草壁君が佐条君を好き好き好き、みたいな感じだったじゃない。それがここで初めて、佐条君がいかに草壁君のことを好きなのか、っていうのが、もう明らかに、セキララにされたっていうかさ、凄く胸キュンなんだもの!!
ステージ上で暴れまわるギタリスト、草壁君にまず頬を紅潮させる佐条君、その後、楽屋に行くも、ファンの子が草壁君に告白してメアドを交換していることにショックを受ける佐条君。
恐らく初めての酒(ビールだけど)をあおって街にさまよい出て、何度もかかってくる草壁君からの電話を着拒までしちゃって、どっか公園にたどり着く佐条君。
草壁君、着拒を突破して公衆電話から佐条君をとらえ、場所を確認して、猛然と突進、ガーーーーッ!とばかりに酔って倒れ込んでる佐条君に食いつかんばかりに抱きつく、抱きしめるシーンには、もう心臓が破裂して微塵に飛び散るかと思った!!
「酒飲んでんの?」とその弱った感じに萌えたのは、観客側の私だけじゃなく、草壁君もそうだったに違いない!「何一人でマイナス思考になってんだよ!もーーー!!!」と怒鳴り込みながらもこれ以上接着することないほどに抱きしめる。
恐らく初めての嫉妬に苦しんだ佐条君のことを、カワイイ、と吹き出しでひっそりつぶやく草壁君、コミカルに味付けされながらも二人がお互いたった二人であると確かめ合う、このラブすぎるシーンに心が震えまくる。
お互いの顔が至近距離で震えるまつげがお互いに判るほどの。ああもう、たまんないの!!
そして、本作は草壁君側にはいわゆる性欲があることがハラセンに相談する場面で判るんだけど、最後まで一線を越える踏み込みはされない。
ただ、このシーンで、佐条君の背中をナマでまさぐって、「天使の羽だって言うよね……」とか言いながら肩甲骨を愛撫し、思わず佐条君が喘ぎ声をもらして慌てる、ってなもう、萌え萌えのシーンがあって、私は椅子に沈み込むばかりなのであった(爆爆)。
ああもう、たまんない。うーむ、これは女子だからそう思うのかな。本作を見て男の方はどう思うんだろう。それは知りたい。
昔からモーリスやアナカンに女子は熱狂したけれど(古いな)、それは女子の、特に日本の女子にもともと備わっている腐女子的な本能的感覚なのだろーか、などと思ってしまう。セックスの先に子供を産むことを強要される日本社会の……とか言いかけてしまうと、いつものようなフェミニズム野郎になってしまうから、ヤメよう(爆)。
そしてラストシークエンスは、進路で離ればなれになってしまう二人の心模様。京大に行くと知ってショックを受けた草壁君は佐条君を問い詰め、ケンカになってしまう。「しばらく会うのよそうか」などと言ってしまう!!
離ればなれの夏休み。佐条君は予備校通い、草壁君は特にやることもなくダラダラ。草壁君、友人に誘われて秋田の温泉に行く。この時点ではただ温泉旅行に行っただけだと思ったのだが……。
この前の、ライブでのシークエンスから佐条君側のモノローグが豊かになってきて、このシークエンスではそれがメインに展開される。
それがね……凄くイイのよ。高校受験の失敗がトラウマで、電車に乗ると気分が悪くなる佐条君は、模試への電車でもやっぱり気分が悪くなる。
てゆーか、草壁君に会えないことで凄くぐるぐるになってしまってる。何度も何度もケータイを確認するのに、彼からの連絡がないことに。
「しばらく会うのよそうか」と言われたシーンを反芻して、どういうことだよ、と毒づきながら落ち込んでいる。
そこに、また走り込んでくるのが草壁君なのだ。いつだって、彼はそうなのだ!!自分こそがスネていたことに反省して、何より会いたいと思って駆けてくる。そーゆー、単純明快なところがヤツのいいところなのだ!!
ホームで倒れ込んでいる佐条君に「もう、いつも心配させるな!!」と叱りつけ、佐条君が高校受験失敗のトラウマを告白すると、「良かったじゃん。だってそのおかげで、俺たち同級生になれた」ああ、泣ける!!
そして免許取り立て(そう、秋田温泉は免許合宿!)のバイクの後ろに佐条君を乗せ、模試会場までひとっ走り。
「遠距離になっても、佐条と別れるって選択肢、ないから」「……僕も」
ひたと草壁君の背中を抱きしめる佐条君。うう、もう死にそう!!
模試会場にギリで到着し、初めて佐条君からキスを送る場面も泣けるなら、模試が終わって待っていた草壁君の隣に座し、人が見てるからダメとか言いつつ、こっそりとキスをする場面にも萌え泣きまくる!!
ただそばにいてくれるだけでいい、という古今東西のラブストーリーで使われまくった言葉が、最高の珠玉の言葉として放たれるのもこの場面だった。言葉が本当の力で発揮される場所で使われる幸福を、改めて、改めて知った。
押尾コータローの繊細なギタープレイがまた素晴らしくて。コミカルとシリアスを絶妙に抑え込んだ声の芝居といい、何より画の繊細さ、先述した全体の美しさも当然ながら、至近距離で二人のラブを時に淡いエロも交えてとらえるのが、もうときめきまくる。ときめきで死にそうだよ、ホントに!!★★★★★
とはいえ本作もまずは石原裕次郎の主演であり、まさにまったく裕次郎のスター映画!!ではあり、彼女はお手本のようなかわゆいお相手役ではあるのだけれど、この“お手本”が出来る人が、じゃあどれだけいるかというと、という話なのよね。
いわばきちんとした脇役であり、相手役。ヒロイン役ですらない。相手役。準主役でもなく、相手役。
こういう役割がはっきりしていた時代は、まあ男社会とはいえ、幸福だったと思う。女がまったく主役の場合は、きちんと男は“相手役”としてワキに回るしね。
本作の彼女は、すし屋の看板娘だけれど勤め人に憧れて、裕次郎扮する老田玩具に入社したいと売り込みをかける、彼言うところの“じゃじゃ馬娘”。
じゃじゃ馬、ってのも、今聞かないよなーっ、と思う。一昔、どころじゃないな、私がティーンの頃まではこのじゃじゃ馬娘、ってのはモテ要素の定番であり、元気で、可愛くて、男に食ってかかる感じ、あんみつ姫だのはいからさんだの(ふるっ!)ていうイメージだよね、っていう……。
今はこれもなかなかお目にかかれない。なんでだろう。女子力、という言葉が象徴している気がする。元気で可愛くても、それだけじゃダメ、女の子はヤハリ、女の子たる、可愛らしさが求められる時代になった、なってしまった。
本作の芦川いづみは、女子力が発揮されるのはせいぜい、風邪で寝込んだ裕次郎にチキンラーメンをふるまい、ついでにポットのお湯で熱いおしぼりを作って手渡すことぐらい。
チキンラーメンはお湯をかければできるし、おしぼりぐらいで「案外気づくんだな」と言われるあたりが、彼女がいかにナメられているかを示すぐらいで(爆)。
でも幸福な時代だったなあ、と思う。ほんの一瞬ぐらいの奇跡の時代。ただ家に閉じ込められていた女たちが会社勤めを志し、じゃじゃ馬と言われながらもイキイキと男の中を駆けまわる。女子力なんて言葉は、必要なかった。
BGという言葉も好き。ビジネスガールという言葉、今はすっかり使われなくなったけど、OL、オフィスレディという言葉がいまだに残っているところに日本の閉鎖性を感じる。オフィスに閉じ込めて、淑女扱い。あっという間にお局様になりそう。ビジネスガールの闊達な語感と全然違うんだもの。
おっと、またまたフェミニズム方向に話が脱線してしまう(爆)。まずは整理すると、これは裕次郎の話。彼が勤める小さなおもちゃ会社の話。
冒頭、バスガイドさんが観光客を案内するところから始まるから、彼女がヒロインかと思いきや、仕事中の彼女に無邪気に話しかける友達のいさみこそがヒロイン。
そして、そのバスガイドをすってんころりんと転ばせるのが、子供のおもちゃの車を直してあげていた周平。バスガイドのメンツをつぶしたことと、おもちゃの車が壊れたことのどっちが大事なのとつめよられて、あっさり、おもちゃですね、と言い放つ周平にいさみはおかんむり。
腹立ちまぎれに足を踏んづけるのは、周平と一緒にいた同僚の小助。その足元が下駄であることの意外性と、小助を演じる長門裕之の軽妙さがあいまって、一瞬で心をつかむオープニング。
そう、このオープニングは、後から思い返しても実にうまくできていると思う。バスガイドというのはきっとこの当時もあこがれの職業だっただろうと思う。女子が手っ取り早く社会に出る、女子だけに許される職業。
でもいさみが目指しているのは、男たちと同じ土俵で闘える場所なのだ。すし屋の茶くみ娘では満足できないのだ。
そして彼女が目をつけたのは、店の常連で、いかにもきちんとしてそうな社長さん。老田玩具の社長を演じるのは宇野重吉。彼のおっとりとした雰囲気がとても素敵。後の株主総会で判るんだけど、本当に彼はおもちゃが好きで、だからきっと、商売っ気がなくって、経営危機に陥っちゃったんだろうなあと想像されるんだもの。
この株主総会をブチ壊すために飛び込んでくる周平が持ち込んだ、煙を吐き出す蒸気機関車のおもちゃに目を輝かせて、株主たち(そのほとんどが身内なのに!)をそっちのけにして遊びだすんだもの。いさみやその両親がこの人の会社に、とホレ込むのも判るまっすぐさ、なのよね、
で、なんとなく脱線&先走っていますけれども(爆)。周平は他の大手玩具メーカーから引き抜きがくるほどの辣腕。……ていうあたりは正直、見ている限りではあんまり判らない。ただ、人の懐に飛び込んでガッといく感じは判るけど、っていうあたりなのかな??
でも彼の所属はあくまでも企画開発の方であり、劇中、確かに煙を吐く蒸気機関車を作り上げはするものの、そうした腕がライバル会社に買われている、という感じはあんまり見えないというか……。やっぱり裕次郎ならではの人懐こさ、強引に飛び込んでいく人柄こそであり、だからこそ東野英治郎扮するあやしげな資産家に一目で見込まれもする訳だしさ。
おっと、いろいろ脱線&先走りついでに言っちゃいますと、会社の金策のために飛んだ大阪で出会ったのがこの資産家、原大作であり、まあ名前からして大物っぽいけど。
出会った先というのが、周平を気に入っているバーのマダムが一人暮らししている店の二階であり、なぜかとゆーと、老田玩具のキュウキュウさ加減から、宿代を浮かそうと、しかしオレの貞操を守るためにお前一緒にいろよと、同僚の小助と共にエロエロ女将の誘惑に必死に抗っていたんであり……。
めったに来ないパトロンがこの夜に限って来たというのも出来すぎだが、こーゆープログラムピクチュアにそこんところで文句を言ってもしょうがない。
んでもって赤ふん姿の(!!)このおじいちゃんとにらめっこ勝負しただけで、原大作、周平をすっかり気に入ってしまうんだもの。それどころか、一目見ただけで自分のところに引き入れたいと思ったというほどのほれ込みようなんだもの。
200万ぐらい出してやるから、それが返せなかった暁には自分のところに来い、とまで言うんだもの!!あ、ありえない、と思う展開だが、裕次郎ならありえちゃうかも、と思わせちゃうあたりが、彼の圧倒的スター性と、そして何よりこの当時の映画の物語世界の有無を言わせぬパワーかなあ。
赤ふんじいさんとのにらめっこに早々に脱落して目を回して倒れちゃう長門裕之がなんともいいのよ。こーゆーコメディリリーフな感じとか、ホント上手いのよね。
そもそも金策に企画制作の人間を行かせるっていうあたりが、特に何の説明もなく、っていうあたりが(爆)、テキトーで、イイんだよなあ。これが例えば、キミは押しが強いから、とか、面識があるから、とかいうんなら判るんだけど、全然なんだもの(爆)。
そしてそこに、どうしても老田玩具に入社したいさみがおしかけてくっついてくる。そして食堂車で偶然過ぎる、周平の大学時代の同級生との再会。その同級生が開発しているガスの話……。つ、都合よすぎる(爆)。
まあ、でもいいの、そーゆーところが気持ちいいんだからっ。登場したとたんに重要要素なのが丸わかりのこの同級生、学会で発表するんだというその新型ガスにヒントを得たのはいさみだった。ガス動力で動くおもちゃをいずれ開発するという話でカネを引き出そうというアイディアが、紆余曲折あるも、見事に功を奏するんである。
まあでもそれが、すんなりと上手くいく訳じゃなくって、入社が決まったとウソをついて出てきたいさみを案じて父親が出先の会社に問い合わせてきたりと、ひと悶着はあるのだが、この場面こそが芦川いづみのカワイさ発揮の場面であり。
ガンコだけど金儲けには色気があるこの社長のヘキを充分に飲み込んで周平たちに合図を送る、そのノリノリのジェスチャーには、お、お姉さんやりすぎ……とハラハラしちゃう。
てゆーか、この父親、すし職人の桂小金治が超絶ピッタリで、彼はこの時代の映画でちょくちょく見かけるけど、個性的なキャラなのに用意された役柄にほおんと、ピタリとハマるのよね!
一人娘を溺愛して、勤めに出すのも知ってる常連先でないと、というほどの親父さん、ウソをついて男二人と泊りがけで出かけたと知って激怒するも、周平からその誤解を一喝され、しかも娘さんの力が必要と説かれると、俺の娘だからな、と目じりを下げるバカさ加減(笑)。このお約束は完璧で、安心して笑えるのよ。
こんな具合に中心は会社の立て直しという、割とシリアスな展開なんだけど、勿論この時代でこんなキラキラスターなのだから、淡い恋物語(淡いのよー)のさまざまはある訳。
それまでもケンツクやってきた二人だけど、決定的だったのが、周平が風邪をひいて寝込んだところをいさみが見舞いに行った場面。それ以前にもいさみに横恋慕している小助(でも憎めないのよー)が、周平と懇意の女給の弘子のことを持ち出したりして、ビミョーな雰囲気になったりしていたんだけれど、まあそれが引き金にもなっていたかなあ。
見舞い場面に二人の女が鉢合わせ……これはアカンわ……。いさみはバチンと周平の頬を叩いて飛び出しちゃう。
それを聞いた彼女の父親は怒るかと思いきや……「なんであいつを叩き返さなかったんだ」ともうすっかりこの父親も周平にご執心なのよね。娘の立場を慮って一時は彼に店への出禁を申し付けるも、早く仲直りしてほしい気持ちがアリアリで。
もうひとつ、展開がある。若干、お笑いモードな気も否めない、アメリカのおもちゃ買い付け人来日のエピソード。
その中で、原田大作を取り込んだライバル会社、という展開もあるからシリアスはシリアスなんだけど、この買い付け人、カタコト日本語がペラペラ過ぎるというこれまたお約束で(爆)、ガードの固い彼に何とかして面会しようと変装やらなんやら使って押しかけるのもこれまた超お約束で(爆爆)。
結果的に彼への売り込みが成功して、老田玩具は窮地を脱するのだが、このシークエンスは若干、コント番組を見ているような趣だったわよねえ。
老田玩具が持ち直し、大団円。おもちゃ博覧会への派遣を、周平、いさみ、小助に命じる祝宴で、休戦条約を申し出た周平が、彼への恋心のためにいろいろ戸惑い口ごもるいさみの頬をぱちんと叩く。
いや、結構あれは、スナップ効いてて本気な感じである。一瞬うるっと来そうな顔をしたいさみが、しかし、休戦条約ね、と手を差し出すあたりが、ビジネスガールのプライドをきちんと保って、ぐずぐずのラブにしなかったのが、素敵だったと思う。
それにそこがまた、キュンとくる訳!周り皆がハッとしたところで、だって、みんな、二人が思い合っていること、判ってる訳だしさ!
でも表面的には本当に最後の最後まで、仕事、同僚、同志としての立場を貫いたのが、女としては嬉しかったかもなあ。
個人的には大好きなのは長門裕之。金策にも真っ先に及び腰で、周平にご執心のバーのママから気を利かせないさいよ、女の子用意するわよ、と言われるとふらふらとなびきそうになるあたりのライトな芝居が最高なの!
本当にチャーミングで、スターあってのこのチャーミングなワキ、というのも今じゃなかなか、ねえ……。
きっとチキンラーメンがスポンサーだったんだろうなあ。劇中にしっかと出てきて、しかもまとめ買いで、作り方まで、まあ超絶簡単だけど、だからこそしっかり、マニュアル通り見せて。
そして敵を探るハラハラのクライマックスで、そのバックにちゃっかりチキンラーメンのラッピングトラックを移り込ませてるんだもの。しかも二度三度と!この時代の話題を独占してたんだろうなあというのが、凄く良く判るの!★★★★☆
後者はまさにその映画を観た仙台の人から、自分の地元にも立派な人たちがいました、と、まさにその「武士の家計簿」の原作者に手紙が届いたところからの始まりだったという。
そのエピソードを聞いた時にははたと膝をうった。「武士の家計簿」は面白かったけれども、どんなに慎み深い武士でも、武士、なんである。でもこれは民百姓、庶民の物語であるという点で我らに近く、そして壮大な、現代劇でもあっていいような頭脳戦とヒューマンドラマでうっかり泣かされてしまったんであった。
そう、前者の「超高速!」のような感じかなと思ったのよ。タイトルのポップな感じ、何より阿部サダヲ、宣材のポスターのちょんまげが銭になってる阿部サダヲも思いっきりふざけてたし(爆)。
騙されたなあ。阿部サダヲだとついうっかりコメディと思ってしまう。この人が案外(爆)シリアス出来る人だということを忘れてしまうのだ。だからフェイントかけられて余計に効果絶大である。
そうか、中村監督とは「奇跡のリンゴ」でタッグを組んでるのか。なるほどなあ。だからこそのシリアス阿部サダヲか。実績がある訳だ。
中村監督、なんだかもうすっかり人気監督になってしまって、ちょっと苦手ジャンルのはスルーしてしまっていたけれど、最初の印象から替わって、「ちょんまげぷりん」、「ゴールデンスランバー」あたりからすっかりお気に入りの監督さんなのであった。
で、そう、実話であるという。利息、というと妙に現代っぽい気がするが、それは時代劇ものに疎いバカが思うことであって、両替商にしたって札差にしたって、利息のもうけを生業にしている職業は時代物にはしっかり存在し、時に物語のかなめにだって、なっているんである。広く言えば質屋だってそうだものね。
質屋は今でもあるけれど、やっぱり時代物には欠かせないアイテム。本作の中にもマストアイテムとしてしっかり出てくる。貧しい村にとって、手持ちの家財道具を質に入れる(まあ、実質的には売る)ことは、カネを手に入れるために重要な手段だった。
商いと言えどもこんな小さな宿場町では、大都市をスルーして人は通り過ぎて行ってしまう。重税と伝馬役に使われる費用で村人たちはキュウキュウ。夜逃げが後を絶たず、伝馬役にかかる費用の頭割りは更にキツくなる。
そこでほんの軽い冗談のように口に出した、お上にカネを貸して利息で伝馬にかかる費用を賄おう、ということが、大きく動き出すんである。
伝馬役、っつーのは、お上の物資を宿場町間で受け渡す運搬役のこと。馬もいれば人足もいる。瑛太君演じる知恵者、篤平治が京から嫁をたずさえての凱旋帰郷したとたん、伝馬役に足りないからと早速馬を持ってかれてしまう。茶づくりのお墨付きをもらったことで意気揚々と帰ってきた篤平治が、野っぱらで可愛い嫁と取り残されてアゼンとするツカミはOKな冒頭である。
重税にも苦しんでいた、と解説では説かれるが、印象としては全編、伝馬役の費用に苦しんでいる、という感じ。伝馬、伝馬、という言葉が飛び交う。
この突拍子もないアイディア、利息が当てられるのも、もっぱら伝馬の費用に、ということであるし。まあ、そこに意識を集中させた方が観客を導きやすいというのもあるだろうなあ。
お上は実は金に詰まっている。この場合のお上というのは、仙台藩のことである。既に特報で羽生君がお殿様をやることは知っていたから、その場面を心待ちにする感じで観ていた。彼の登場場面にはフィギュアファンとしては妙に緊張したが……まあそんなことはともかく。
お上、あるいは武士たちが実は庶民以上にカネに困っているというのは、ちょこっと時代物小説を読んだりすると確かに判ることなのよね。でもいわゆる時代劇映画のイメージからすると、やっぱりそういうのって、新鮮である。
羽生君……もといお殿様が見栄から高い位を欲しがって金をばらまいていた、てな設定もあるが、最後にさっそうとさわやかに現れる彼からは、羽生君のイメージのせいもあるかもしれんが、どうもピンとこないものがある……ってそこまですっ飛ばして言うな。まだ何も始まってないぞ!!
思い返してみれば、阿部サダヲはほんっとうに、シリアス一辺倒なんだよね。ちょっともコミカルなところがない。いやまあクスリぐらいのワザは見せるけど、基本、ない。それを担っているメインは瑛太君であり、当然西村雅彦やらきたろうやらが期待に応えてくれるんである。
この計画は出資する個人には一切もうけがない、上に、当然元金となる出資金も戻る当てなどない。村のために私財を投じる、それだけの同志を集めなければならない訳なんである。
篤平治からそのアイディアを聞いた阿部サダヲ演じる十三郎は、最初から私財を投じる覚悟で、まだそんな覚悟はないけれどもとにかく同志となってくれそうな叔父の十兵衛を連れてきた。
お上にカネを貸す!!という声がエコーとなって茶畑にこだまするのんびりとしたユーモラスに思わず笑ってしまう。こうしたユーモラスがホント、この監督さんの強みだと思う。なんかほほえましいというか、可愛らしいんだよね。
こんな素晴らしい話が世に知られていなかったのは、無私の心、を徹底させたがためで、つまりそれは、村のために私財を投じる、ということが、名士として名を残すことになるという欲望にとって代わり、村中がざわつき始めたことによるんである。
そのあたりをわっかりやすく示してくれる西村雅彦がサイコーである。ワザとらしいあの高い声!もうけどころか元金も反ってこないと知ると口をゆがめて辞退するくせに、名声が得られるかもと思うとニコニコ顔でまたはせ参じ、しかし名を残すなと言われるとえーって顔になる……判り易すぎ!!
客寄せメインキャストの内の一人、妻夫木君がどんどんと印象を増してくる。彼は阿部サダヲ演じる十三郎の弟。主家、浅野屋を継いだ甚内であり、皆に守銭奴とののしられている高利貸しである。
瑛太君演じる篤平治も金を借りている。結構な利息をとるんである。確かに端然と座り、静かな微笑みを絶やさないつまぶっきーは冷酷にも見えるのだが、なんたってつまぶっきーなので、そうじゃないよな……と最初から思っちゃう。不思議に遠くを見つめているような目は、そうかそういうことだったのか、と。
十三郎は、覚えめでたき弟が跡継ぎに選ばれ、自分が養子に出されたと思い込んでいた。確かに商才に長けた弟だった。ただ、その分村民に嫌われていたから、まだ十三郎のプライドは保たれていたのだ。
でも甚内が思いがけずこの話に乗り、しかも途方もない大金を出資すると知って、十三郎は自分は抜けると言いだし……。
ああ、もう、なんかいろいろ面白い人がいるから、どう話を進めていいのやら!確かに瑛太君は主人公ではあるけれど、そういう意味では狂言回し的というか、この村の窮状を、京で名を挙げて意気揚々と帰って来たから、判ってはいるもののあんまり切実には判っていないところがあって、それを彼が切実に直面していくほどに、人々や事態の細密、面白さが増していく、そんな作りになっているからさ。
まずこのアイディアを通さなくては!と向かうのが肝煎り。村のとりまとめ役。寺脇さん演じる幾右衛門はあっさり落涙して協力を約束。
更に上、近隣の村々をまとめる大肝煎りはなぜか?やたら若い、しかも童顔の千葉雄大君。実際若い設定だったのかもしれんが、このキャストだけは客寄せのような気がしてしまい、彼でなければという感じがどうしてもしないのは、ゴメン、私がオバサンだからか(爆)。
まあその他にもいろいろと、ジャニーズ系とかAKB系とかそういうキャストがいるのは商業映画的にも仕方ないのかもしれない……なんていうキャストのことは私は別に知らなくて、一緒に行ったジャニーズウェストファンの姪っ子ちゃんから教えてもらったんだけどさ(爆)。
彼らが何かと集まる居酒屋の女将が竹内結子。実際の記録には残ってなかったような雰囲気の(勝手な推測)、つまり映画における作られたヒロインという気がしないでもない。
たまりにたまったツケを集めても、確かに大金にはなるんだけど焼け石に水、だというのが、実はこの映画において、女が力になる場面が殆どない、というもどかしさを感じる部分なんである。
なんとか探し出すのならば、浅野屋の女将の草笛光子だろうか。でも、先代の思いを黙っていた、という点では彼女の息子である甚内もまたそうなんであり、やっぱりちょっと、補佐的な意味合いは否めないのだが……。
先代の思い、というのは、ひょっとしたら本作で最もキーマンなのではないかと思われる、この時間軸ではもういない、浅野屋先代を演じる山崎努、なんである。
この人は、奇跡である。同年代の伝説のスターが次々と物故していく中、どこかそのメインレールからは絶妙に外れているひょうひょうとしたアウトロー。めちゃくちゃ長生きしてほしい(爆)。
守銭奴と思われていた浅野屋、冒頭、夜逃げする村人に厳しく声をかけるシーンから始まり、その話は尾ひれをつけて村中で噂されている。最後の最後まで取り立てたと。
しかしその村人は帰ってくる。浅野屋に忍び込もうとしていたから、ウラミがあったんではないかと皆が思うんだけど、実は村を出て行く時、借金は棒引きにしてもらい、支度金までカンパされたのであった。
卑屈になるな、お前はよく頑張ったと送り出されたのだと言った。金のあるお大尽からは厳しく取り立てるが、自分たち庶民にせっつくことはなかったとその男が言うと、今まで口さがなくののしってきた村人たち、特に兄である十三郎は黙り込むのだ。そう思うのがラクだった、そう思いたがっていただけなのだということを。
何年もかかって元金を作り上げ、いよいよお上に申し立てる段になり、ここからはかなりのスリリング。童顔バーチーが頼りにならないのは予測が出来たが(爆)、冷酷フェイスが予想以上にコワい、ホントはほんわりなのに、な財政担当役人の松田龍平やら、めんどくさいことは同輩に横流しする斉藤歩やらが壁になるが、その同輩、なんと堀部圭亮氏が彼らの思いをくみ取ってくれて献上する役どころ!えーっ、重要!!いやいや(爆)。
もうけ主義で申し立てたんじゃない、一人の商人が何十年も前から温めていたアイディアだったんだと、こつこつかめに貯めた小銭をお上に上納し、村人たちの窮乏を救おうとしていたんだと、その話に深く心打たれた代官は、決死の覚悟で橋渡しをしてくれる。
その前に一度却下されてて、結局は侍になりたい大肝煎りが降りそうになって、篤平治から浅野屋エピソードを聞かされて叱咤されるというそれなりに大きな展開もあるのだが、ちょっとバーチーの顔が可愛すぎて説得力に欠けるので(爆)ここはちょっとスルーしちゃう。
その後、銭を金貨に替えるのが条件に出され、相場の差額がとんでもないことになっていて、つまりワナにはめられて奔走するのがまた大きなクライマックス。
その差額も出そうと言いだす甚内。そんなことをしては浅野屋が潰れてしまう、と止める十三郎と篤平治。浅野屋が実はもうメイン商売の造り酒屋が潰れ同然で、仕込み樽はカラだし、蔵人たちもいないことに、兄である十三郎は気づいちゃう。蔵人の仕込み歌が聞こえないから。耳を澄ます一瞬のしんとした空気、がらんとした作業場に茫然とする十三郎。
最初から、潰すつもりだった。
それでなくても、弟の目が悪いこと、だからこそ養子に出されたのは自分だったことを知ってしまった十三郎、そして篤平治は痛切な思いで彼の追加出資の申し出を受けるのだ。もうこのあたりになると、かなり涙、涙。あれっ、コメディだとばかり思っていたのになあ。
彼らの話に感銘を受けたお殿様が、自ら歩いて乗り込んでくるシーンが、我がフィギュアファン垂涎の羽生君の登場シーンだが、すっごく緊張しちゃった(爆)。★★★★☆
かといって、ふうわり、といった雰囲気のことしか覚えていない(爆)「ミツコ感覚」と違って、本作はタイトルがもうズバリ、言い当てているとおり、かなりコンセプトがハッキリとしている。
ストーリーもだけれど、人物像がカチリと決まっている。まさに、友だちのパパが好きな女の子がヒロインであり、彼女が巻き起こす、というかトラブルに周囲を巻き込みまくる物語、なんである。
“友だちの”だから、彼女の友達もまた勿論、メインキャストである。彼女の気持ちに立つとマヤみたいな子、うっわ、ヤだ、こんな子と友達になりたくない、てかなんで友達になっちゃったんだろう……という気がする、のは、監督さんにとってはしてやったりなのだろうが。
友だちのパパを好きになっちゃったマヤが勿論主人公なのだけれど、本作に登場する女性たちは皆、それぞれに主人公のような趣がある。
てか、マヤ以外には全員に共感できる、というのが、面白いところで。ほんっとうの主人公に対してはうっわ、こんな子ヤだ、と思わせて、その子に振り回される周囲の女たちに共感しちゃうだなんて。
すさまじいクライマックスを迎えるにしたって、勝ったのは結局マヤだし(だろうな、あの含みは)、他の女たちはいわば、敗者なのに。
いやいやいや、そんな短絡的に断定してしまっては思うつぼだ。そんなことない、そんなことないと思いつつ……。えーと、概略はこれから言うから訳判んないのはカンベンしてね(と、後から読み返す自分に謝ってみる(爆))。
本作は思いっきりヤボに言ってしまえば、自分に正直に生きる女の子が主人公であり、周囲や社会に合わせて価値観を決めてしまう"普通の人々"は、勇気ある正直者に負けてしまうのだ、という物語なのではないかと思ったり、するのだ。
友だちの父親とエッチするなんて信じらんない!と思う妙子も、乳がんで、でも乳房は残せたことから、あまりにも遅まきながら夫の浮気に猛烈に腹が立っているミドリも、結局は妊娠を切り札に使ってしまって玉砕してしまうハヅキも、……子供として妻として女として、あまりにもあまりにも、社会的価値観から当然得るものがある筈、と思っているじゃないか、と。
でも勿論、一番ワリーのは男である。父親であり夫であり、離婚した後はただのくたびれ男であるフッキー扮する恭介である。
へぇ、彼にこんな役を振るって面白いな、と思う。確かにどんな役でもできそうな人だけど。彼のバイオグラフィを探るたび、青森なんだよねと思っている気がする。
年を経るとますます、青森男って感じがする。寺山修司系だよね、と思う。基本、青森男は目のあたりが情の深い、優男なんだよね。だからこんな優柔不断な男が実にしっくりときちゃう。
そう、優柔不断なの。ていうか、何にも考えてないよね、っていう……。本作は女の物語のように見えながら、その女側から見ればこのダンナの無責任無自覚、そのまま死んでしまえ!!てな物語であり……。
そのまま、ってところはクライマックスに通じるので今は言及を避けるが、あのクライマックスを経て彼を生かしたってあたりが、監督は男よねー、っと、思ったりするんである。死ねばよかったのに(爆)いやいや(爆爆)。
監督さんは本当に、この恭介に男としての自嘲を込めて描いたのかなあ。なんか、それこそ無自覚な気がする。アヤしい気がする。あくまで女性陣の、特にトンデモ女の子のマヤのキャラを立たせるために、ただただ受け身で、迫られれば簡単に落ちちゃうだらしない中年男、とだけ設定したような気がしちゃう。
でも女側から見れば、恭介のキャラって、これぞ男よね!!という感じなのだ。長年愛人とズルズル付き合ってきたことが離婚の原因になっているのに、自覚がない。愛人が妊娠しているのに、自覚がない。この二つの状況下で娘の友達と関係を持って、なおかつカラダの関係だけじゃなくべたべたデートまで繰り広げちゃう、それが何を引き起こすのか、自覚がない。
そしてそれぞれの女たち……妻、娘、愛人、娘の友達たちからそのぐずぐず、行動を起こさないこと、会ってくれないこと、等々を迫られれば決まって口にするのは、やるつもりだった、仕事が忙しくて、こういうことはもっと時間をかけて理解を深めてするべき、……それをしたり顔で、そっちが女ならではのヒステリックで言ってるんだろ、とでも言いたげな風に言うもんだから、キーーーッ!となるのは当たり前!!
いや、これは男性監督が描いているんだから、そーゆーふーに、女が大人げないと思ってるゆえのキャラ設定なんじゃないかと、思っちゃう!!
……いやいや、それは言い過ぎ。フェミニズム野郎、年明けから暴走してしまいました(爆)。
当然、恭介はダメダメキャラなのよ。作り手だって当然、それを意識して描いているのは判る。待たされ続けて、妊娠までしちゃったハヅキちゃんのことを思うと胸が痛む。いや、そんな経験はないが(爆)、年齢的なことと独女なことを思うと、彼女の設定に一番シンクロ出来るんだもの。想像が出来ると言うか。
更に言うと、平岩紙嬢がとてもよくて、このバラエティに富む女たちの中でリアリティと可愛らしさと切実さと誠実さがあって、なんとも素敵だったのよね。
妻役の石橋けい嬢は、監督さんのミューズだという。「ミツコ感覚」でも二番目にクレジットされている。あんまり覚えてないけど(爆)。よく見かけるお人だし、役者さんとして充分にネームバリューがあるけれど、こんなにしっくりと存在をつかんで見たのは初めての気がする。
娘の恋人から「お姉さんかと思った」という若々しさと矛盾しない落ち着きが同居する。台詞から察するに、子育て後に久しぶりに復帰した仕事、その職場で、同年配か、ちょっと年下の雰囲気の男性社員に言い寄られる。
これがまた妙にリアリティがあるんである。エッチもしちゃう。乳も揉まれる。劇場はその男性社員が早漏をひたすら謝る様子に笑いが起きていたが、女としてはそんなことは大して問題じゃないと思っているので(それは私の個人的感覚……?(照))彼女が切除しなくて済んだ乳房を彼に揉ませる、そのナマな感じに、ぐっと心を惹かれたんであった。
そして彼女が、私はもう、誰とも一緒になろうと思わない、とセックスの良さを認めた上で言い放ったことも。
夫の浮気を女性同僚も含めたランチでふと涙しながら語った場面、どうやらその前の飲み会で彼女に言い寄った雰囲気が、その時のお釣りを渡す儀礼的な様子とかから絶妙に表現されてて、うっわ、上手い!と思っちゃうんである。
本作は、ていうか監督さんの手法がそうなのかもしれないけど、ワンシーンワンカットを、長すぎずに、でも結構長く撮る、というのがかなり意識的に感じられるんだよね。ちょっと意識的すぎて、最後の方になるともういいよ、と思わなくもなかったけど(爆)。
それが本作の通底した印象だった。寄らないんだよね。いっくら劇中の人物が興奮したり激昂したりしても。フィックス!!!って感じ。時にそれが、作為的に感じたりするきらいはあるにしても、ドキドキを駆り立てるのには確かに十分すぎる魅力はあった。
まあでも、そこでは寄ってほしい!!と思うところは多々あったけどね……父親が刺されてマヤが自分で腹を刺すところとか……。
おっとっと、うっかりフライングしちゃった(爆)。で、そうそう、ヒロインにこそあまり言及してなかった。衝撃的なヒロイン、マヤ。でもそう思うことこそが、日本的保守的、なのかもしれない。
妙子の両親が離婚すると聞くとキャー!!と手放しで喜ぶ。しかもその前は、ツーショット写真を収めたスマホを股に挟んでゴリゴリオナ中である(爆)。
離婚の理由は愛人、しかも妊娠。恭介にハヅキちゃんがそれを告げる場をなぜ知ったのか、すっと娘を名乗る場面は恐怖、ホラーである。
なぜなぜ、お前、そんなコワイ女の子をそのまま放置するんだよ。いやもう、この時点で愛人はハヅキからマヤにすり替わっているということなのか??何も考えなさ過ぎだろ、こんなウソすぐにバレるに決まってるし、バレた時の修羅場が……あーーーー!怖すぎるのに!!!
……てな感じで、恭介のことは、流されるままにズルズルな、ホンット男の典型だなと思ったし、コミカルに描いていてもぜんっぜん共感出来ないなと思ったんだけど……いや最後までそうなんだけど……。
彼が男そのものという、いわばケッペキ女子の嫌悪感を引き出す最大のものは、そこに愛がない、という感覚だったわけで。妻との間がどうだったかは今となっては判らないけど、ズルズル関係の愛人がやきもきしても言い訳ばかり、若い女の子に迫られればそのままヤッちゃって妊娠した愛人置き去り。
……殊更に妊娠のことばかり言い過ぎかもしれんが、これを提示してくる意味の重さを監督さんはどう考えているのかなーっ、とアラフォー女子のフェミニズム野郎はつまらなく投げかけてしまう意味も込めて(爆)。
で、そう、ほんっとに愛がない男だよな、ケダものめ、とフェミニズム野郎は思う訳だが、ならば妻や愛人に真の愛があったのかというと……。イヤー!ダメダメ!そんなワナに陥っちゃ、ダメ!
乳房を失うことで女としての座を奪われた妻とか、妊娠を武器にすることが自分の首を絞めちゃう愛人とか、言っちゃダメ!!それを言ってしまったらこのしてやったりに陥ってしまう!!
……落ち着こう。えーと、娘は少し、そこから離れているかもしれない。でも彼女が同棲を考えているカレシ君とは始終セックスしていて、それは自分の父親が友達とヤッていることをキモいと思うことにきっちりと比しているあたりは着実であると思う。
つまり、若い恋人同士のセックスも、おじさんと若い女の子のセックスも、おんなじことだと。友達のマヤが惚れっぽいこと、猪突猛進にその思いに走ることに対して、どこか苦々しげに言うことに対して、恋人君は不安そうに言うのだ。妙子はそんな風に好きにならないの、と。
遠回しのように装ってストレート過ぎる投げかけがあまりにも可愛くて、本作の中で奇跡のようなオアシス。出てくるたびにセックスしてるんだけどね(爆)。
そういうギャップの作り方は上手いと思う。それを見せないマヤと恭介の方が生々しく、どこかグロテスクに感じさせる、ってあたりが。
で、そう、前章から少々脱線したけど、愛のない男が愛を得た、その相手がホントにこの子かよ!という……だって殺されかけたのに!
……そうだ、うっかり言い忘れていたけれど、マヤにはつきまとっている男がいて、それが高校時代の担任教師、なんである。つまりこの時点でマヤがそういう年頃の男性に嗜好があるというのが示され、妙子もその点を、母子家庭ゆえのファザコンではないか、と指摘する。
マヤはそれを昂然と否定するし、確かにその猪突猛進、てかまんまエロのままの猪突猛進はこれをファザコンと言ってしまうといろいろ、まあ心理学的な感じになってしまいそうだし(爆)、この設定を安易に掲げるのは若干アレのような気もするし……。
何も、母子家庭の設定にすることなかったと思うんだよね。それをしてしまったら、それこそ勘繰りが出てしまう。妙子にわざわざ言わせてマヤにわざわざ否定させるぐらいなら、しない方が良かったように思う。ちょっとそこだけが、ちょっと、残念だったかなあ。
ヘンな子、ヘンタイ、と言われ続けても思いを曲げないマヤの存在を、そんなところで曲げてしまうのはもったいない気がした。宇宙人なの、ぐらいの孤高の存在、バックグラウンドなんか何にも判んないぐらいで、良かったと思うんだけどなあ。
だって彼はマヤの愛を選ぶんだもの。九死に一生を得ちゃうんだもの。女たちの連係プレーで、しかも最初に彼の危機に気づいたのは愛人のハヅキだったのに、彼が選ぶのは、自分が死にそうになった原因のマヤなんだもの。
まー、その発端となる担任教師は、このクライマックスを起点にして作り上げられた感のある、ちょっとしつこさがワザとらしいキャラだったのがウザかったけど(爆)。観終わってしまえば彼の印象って残らないんだよね。通り魔でも良かったぐらい(爆爆)。
やべ、またフェミニズム野郎で終わってしまった(爆爆)。でも、それが本音。タイトルから判っていたけれど、誰も選ばずに、家族さえもきっと成り行きで得た彼が、マヤが死んだと聞かされて本気でむせび泣いたほどに、つまり自ら選んだのがこの子だということがちょっとショックだったりして(爆)。
個人的には、彼の気持ちが離れつつある、どころか最初から本気でないのをうすうす感じながらも妊娠が発覚(これがネライで得たものなのかどうかがホントは重要なんだけど!!)、揺れ動くハヅキを演じた紙嬢がとっても良かった。
みんな生々しいんだけど、彼女はまた格別、何の保証もない不安を抱えながら一人働いて口を糊している感じが染み渡った。
つまり家族を持たない独女の悲しみよ。これから彼女は新しい家族を得る選択をするのかもしれないけれども……。★★★★☆